chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
昼のガスパール・オカブ日記 https://blog.goo.ne.jp/sarastro1957

閑人オカブの日常、つらつら思ったことなど。語るもせんなき繰り言を俳句を交えて独吟。

オカブ
フォロー
住所
世田谷区
出身
世田谷区
ブログ村参加

2014/10/15

arrow_drop_down
  • 教会乗っ取りカルトに対する対処法

    ブログは休止したままだが最前回(もう3年以上の記事)で教会乗っ取りカルトに侵入された場合の概括的対処法を投稿した。今、統一協会(教会)の問題が世間を騒がせているので、政治家への浸透や、個人の財産の収奪などとは切り離した、【キリスト教会を乗っ取るカルト】への対抗の手段を参考までに前回よりも具体的に書いていこうと思う。①あらゆる人間社会の存在は「カルト性」を持つ。現在、既存の宗教団体は新興宗教も含め、我々は統一協会とは異なりカルトに非ず、と主張していることであろう。しかし、既存の「宗教」団体も財貨・商品を提供せず、献金・布施という報酬を受け取る点では統一協会と異ならない。さらに私が教会に侵入したカルトと闘った時、対応検討の席に招いた教団の統一・原理問題懇談会・代表世話人と称する人物は「カルト」とは異端と異なり...教会乗っ取りカルトに対する対処法

  • 乗っ取りカルトが教会に侵入してきたら?

    今日は日曜日。教会に行く。礼拝司会と役員会を終え、会計の処理に奮闘する。ところで本ブログで、オカブの行く教会が、乗っ取りカルトに侵入されて、その対応に四苦八苦している様を以前、何度も本ブログで紹介した。その経緯の詳細はここでは書けないが、そのカルトの問題は思わぬ結末を迎えて終息した。それを当事者として見ていたオカブは、万万が一こうした事態に直面したクリスチャンのために若干の経験談を語りたい。教会の乗っ取りの事例は増加しているというのに、ネット上で、あまりにも具体的な情報が少ないことに問題意識を感じたという動機もある。なお、ここではカルト問題を、教会の乗っ取りという事象のみからとらえ、個人のマインドコントロールからの脱却などの問題とは切り離していることを付言しておく。①まず教会のために祈れ。オカブはキリスト...乗っ取りカルトが教会に侵入してきたら?

  • ブログ休みます。

    今日から当面の間ブログ休みます。これまで読んでいただいた方、応援していただいた方々にお礼申し上げます。再出発は日記・エッセイ風の違うスタイルのブログにしたいと思います。今後ともよろしくお願い申し上げます。ブログ休みます。

  • 木蓮

    中国と言う国に行ったことがない。日本ははるか古代から中国と密接な関係がある。しかし日本人の意識の中には中国の占める割合は非常に少ないのではないか?中華料理、漢方薬、三国志。あとは現代中国の躍進。中国の文化はさすが歴史の長い国だけに深遠である。文学にも、絵画にも、陶芸にも、宗教にも、多くの偉業が中国でなされた。米と中国の間で貿易戦争が勃発し結果チャイナショックの危機が叫ばれている。結果は分からない。しかし中国経済がクラッシュしても、中国のプレゼンスは国際的に薄れることはないだろう。たとえ経済大国、軍事大国の中国が傾いても文化大国(過去の文化)の中国は残る。一度、中国に行ってみたい。不可思議や木蓮は咲き玉の風素閑木蓮の光の庭にただ悔やみ素閑木蓮にさしかかる雨袖濡らし素閑地の白き少女たたずむもくれんげ素閑草庵も人気の...木蓮

  • 水ぬるむ

    高齢社会では経済や企業活動も滞留すれば発想も実に保守的・頑迷になっていく。こういう時こそ若い人が社会全体の閉塞感や頑固な発想を打ち破って欲しいと思うのだが、そもそも、その若い人たちの数が少ないのだから困ったことだ。しかも数少ない若い人たちの発想自体が実に爺むさい老人の発想の影響を受けていたり、その延長だから救えない。今話題の「中二女子」もその実在の有無は別として、発想自体、実に老人じみた道徳論・べき論である。かつて世の中を変革した、若人の斬新でぶっとんだ創造性が見られない。時代を越えた若人の出現を今か今かと待っている。そうすれば役立たずのこの老人も余計なことをブログで語らずに済む。田の畔の草のむぐらや水ぬるむ素閑水面より照り返す日のぬるみけり素閑水ぬるむ女学生らのもの想ひ素閑去年の旅水ぬるむころ秩父路や素閑水ぬ...水ぬるむ

  • 啓蟄

    安ければ安いほどいい。品質は高ければ高いほどいい。機能は高ければ高いほどいい。買い物をする立場からすれば当然である。しかし、こういうディマンドサイドの過剰な要求はマクロ的に経済を疲弊させる。昔はボロな商品でも結構な値段で売っていた。しかし、そこにも需要はあった。貧乏でなおかつ物のない時代だったからだ。それで経済も潤ったし、成長もした。現在の日本の経済の滞留は少子高齢化や財政赤字高度成長を経て全体が衰退期に入っているなど。様々な理由が考えらるだろうが、一面ではこうしたディマンドサイドの過剰な要求に対して、サプライサイドが疲弊してしまった結果とも受け取れる。なぜコンビニを24時間営業にしなければならないのか?確かに、そこには需要があるだろう。しかし、その需要は「過剰な要求」である。「安い、旨い、早い」は確かに需要に...啓蟄

  • 薔薇の芽

    にわか仕立ての論と言うのはある。時事を語ったり、時流におもねったりと理由は様々だが、真理から外れていることは共通している。これが当然だが「ジャーナリズム」と称する紙面に多い。特に「社会の木鐸」をもって任ずる新聞の紙面は、目を覆うばかりのものだ。真理や、寸鉄人を刺す文章と言うものは、それ以前に万物の恒久の摂理に思いをいたして、説を呻吟しなければ生まれない。準備不足の、あるいは結論ありきの記事が多い事には驚くまでもなく、当然と言える。今日起こった出来事を今日論評することは、確かに社会には求められている要請だろうが、こうした「ジャーナリズム」の在り方は、論を曲げ、世を偽る。新聞離れが著しいという。当然の結果である。世の「ジャーナリスト」はにわか仕立ての論を捨て、真摯に考え抜き悩み抜いた論説を展開してほしい。薔薇の芽や...薔薇の芽

  • 牡丹の芽

    多文化共生が叫ばれる一方で、伝統文化の継承も大きく喧伝されている。国際派と民族派、グローバリストとアンチグローバリストの対立のような観を呈している。どちらもどうでもいい事だ。文化の混成や純化は、その時の時勢によって自然と決まり、それは当初は一部の人には居心地が悪いが、やがては慣れと必然によって落ち着くものだ。だから人為的に多文化共生にしようとか、伝統文化を継承しようとか試みないほうが良い。自然に任せておくのが一番だ。そして、それが環境に適応する一番の方法だ。カレーライスやかつ丼を考案してきた日本人には分かるはずだ。不自然で環境に適応しない文化は自然淘汰されていく。そうむきになりなさんなと申し上げたい。地にありし牡丹の芽から大息吹素閑降霜も今や昔の牡丹の芽素閑木戸口を通って気になる牡丹の芽素閑牡丹の芽緑青の如苔の...牡丹の芽

  • 雛祭

    オカブの教会に対する姿勢をはっきりさせておきたい。オカブは洗礼を受けた「クリスチャン」である。そしてオカブは「反教会」ではない。しかし教会の世俗性、因習化、形式性には反感を持っている。それが如実に表れているのは「礼拝」であろう。プロテスタントの『礼拝』は、かつてプロテスタントがカトリックのミサに問題意識を抱いたように世俗化、因習化、形式化している。神との対話、格闘である祈りのみをもって、主につながっていく覚悟である。雛の宵破れ衣も華やぎて素閑春時雨雛にことよせ酒となり素閑初雛の時は経にけり老ゆる身や素閑三代の雛を祭るや古屋敷素閑笄も取れて侘しや古き雛素閑雛の間に童押し入り戯れぬ素閑三官女厳かなるはとりわけて素閑雛一つ一つを取り出す歳ふりぬ素閑雛祭り納めぬパリのお嬢さん素閑雛の膳菜の汁のみが苦しかな素閑やっと持つ...雛祭

  • 白魚

    酒量が増えている。なにか自分でストレスがあるのかと問えば、あると言えばある、ないと言えばない、だ。ただ、いずれにせよ健康には良くない。こんな老体は早くくたばってしまえとも自分でも思うのだが、下手な病気にかかって家族に迷惑をかけるのもなんだ。癌で死ぬのが一番いいという内容の医者が書いた本が一時売れていると聞いたが、癌は確かに十分な終活をする時間は持てるが、それまでが厄介だ。若きシーザーが友人と、どんな死に方が良いかと議論していて「とっさの死」と答えたそうだ。これはプルタトゥルコスにも書かれている。オカブもとっさの死がいい。酒を飲んで脳の血管でも切れてくれればいいのにと思うことがある。いや、とんでもない場で縁起でもない話を披露した。まあ安らかに人に迷惑をかけず世を去っていくのが一番良い。近き月遠き星取り白魚や素閑朝...白魚

  • 下萌え

    今「権威」がなくなっている。ネットの発達によって、今まで「権威」と思われていたものの化けの皮が次々と剥がされている。政治家も大学者も大社長も大作家も大論説者も新聞もテレビも、あるいはテンノーヘイカも今や権威と言う面からみれば形無しである。大衆は、ただ「権威」と称するだけでは全く共感することも従うことも無い。昔は、例えば政治家のことを誰もが「リーダー」と考えていた。しかし、今では「政治家」は大衆の「手駒」である。ましてや尊敬の対象などではない。政治家が大衆を操縦できるなどと考えたら大間違いである。できるとすれば為にするデマゴーグの情報を流布して大衆を扇動することくらいである。社会に影響力のある者は表から覆い隠されている。もっとも、ネットの情報はそういうものの仮面をはぎ取るのも得意なのだが・・・しかし、この手の策術...下萌え

  • 花菜漬け

    暮れ時になると考える。今日は何をなしたのかと。別に人様に言えるほどのことはやっていない。大抵、無為に過ごしている。人に使われ、組織に属していた時はこんなことは考えなかった。考える余裕がなかったというほうが正しい。時間と山のような仕事に追いまくられ、成果として一日、何をやり終えたかなど考える暇がなかった。もちろんクォータだのヒストグラムは毎日意識して、憂鬱な気分になっていた。しかしだからと言ってそれを達成したとしても、どうしてもやったという実感がわかないのである。晴れて自由の身となった今は、同じく虚無感と徒労感にさいなまれている。想えば無為徒食の人生だったとつくづく思う。花菜漬け飯に熱き茶かけ注ぎ素閑花菜漬け雨の小僧が土間の口素閑醒めた酒花菜の漬けもの齧りたり素閑花菜漬け野の鳥たちもささやけり素閑花菜漬けくさむら...花菜漬け

  • 飯蛸

    九尾の狐の物語というのがある。妖怪めいている。てっきり那須の殺生石にまつわる伝説かと思ったら、各地に似たような言い伝えがあるらしい。そもそもは中国起源で、その言い伝えの勢力範囲は東アジア全体に及んでいる。大体は、絶世の美女に化けて人に害をなすものとして語られる。日本でも多くの学者文人が言及している。神獣か妖怪かの議論があるらしい。しかし一般に美女は魔物である。人をたぶらかすということにかけては古今東西の別がない。女は愛嬌である。整い過ぎた容姿はよろしくない。飯蛸や二つに割かれ伊万里鉢素閑飯蛸に日もなごみけり辛子味噌素閑湯に通し飯蛸赤く伸びにけり素閑飯蛸の素性も聴かず塩まきて素閑飯蛸や艫の幟の南風素閑新たなる妻に飯蛸割かせけり素閑飯蛸の里山染めて七分咲き素閑飯蛸や大凪の灘舟を漕ぎ素閑飯蛸や桂の浜の汐けむり素閑こひ...飯蛸

  • 猟名残

    ルノー・日産のカルロス・ゴーン元会長の法的処遇に関して夜が喧しい。人質だとか果てや拘置所の環境が酷いとか・・・日本人の感覚からすれば、悪いことをしたらしょっ引いて、潔くお縄につけばよいと思うのが普通ではないか?それが冤罪だったり、政策的な逮捕だったら、それはそれで検察側が処断されればいい事である。法は曲げられない。そこにフランス政府が顔を出し文句を言っているのも滑稽だ。どこかの人治主義の国と日本は違う。きちんとしたルールと慣例と合理性に基づいた裁量によって司法行政は行われている。もちろん検察をはじめ司法を信頼しすぎるのも考え物だが、少なくとも日本の制度・法体系は国民の信頼・信託によって成り立っており、合理的に運用されている。ゴーン氏の今後は見守るしかないが、潔白であれば合理的にそれを証明してほしい。「大物」であ...猟名残

  • 麦踏

    どうも気分がすぐれない。とはいえ気分がすぐれないのは毎度のことだ。このような不安定な境遇にいては、気分がすぐれるほうがどうかしている。まあ当然の報いと言えば報いなので、甘んじてこの不快感は受け入れよう。しかし他の世の人は普段どんな気分でいるのかよく分からない。常に天に上ったかのような気持ちでいられる人もいるのだろうか?オカブが思うに、誰しも生きることの、世を渡ることの重荷を背負って、その辛さに耐えているのではないか?だからその苦悩と苦痛は誰もが等しく、多少の程度の差があるくらいのものだと推測している。気晴らしに何か打ち込めるものを持っている人はいい。しかし大半の人は苦渋に満ちた表情で背を丸めて生きているのではないか?麦踏める畑の端場五輪塔素閑山はまだ固く閉ざされ麦踏めり素閑枝のみがただ空に延び麦踏めり素閑ただ和...麦踏

  • 蓴生ふ

    顔は人を表すというが本当にその通りだと思う。もちろん「顔」とは目鼻立ちのことではない。人間のこれまでの生き様や人格、考え方などが言い表しようのない表情や面相に如実に表れていることを言う。その点、自分は実に貧相な底の浅い顔をしている。何も考えないで時に流され生きてきたからだと思う。目鼻立ちが整わない道具立てでも、実に立派な顔をしている人もいる。こういう人は経歴も人格も立派なのだろうな、と思ってしまう。これは男女を問わない。リンカーンの「男は40になったら自分の顔に責任を持て」と言う言葉は「男も女も」と訂正すべきだろう。ぬなわ生ふ和歌の師あらば雨に訪ふ素閑岸の路ぬなわ生ひたり仄暗し素閑行くならじぬなわ生ひたる池の端素閑蓴生ふ高徳の僧みまかりて素閑蓴生ふ水泡岸辺にあがりたり素閑蓴生ふ林の奥の古が池素閑水漬けし手を引っ...蓴生ふ

  • 春浅し

    因果応報と言う言葉があるがこれはまことにその通りである。原因があって結果がある。その双方にはそれなりの筋道がある。そして結果を作った原因は自分の責任なのだから反省せよということである。近年の自己責任論に近いものでもある。我々は須らく、毎日を原因の創成と結果の享受に明け暮らしている。良きこともあれば悪しきこともある。ただ常に結果は自分に返ってくることを頭に入れて緊張を持って過ごさないと、足元をすくわれる。なかなか楽ではないが、生きることとはそういうことである。蔓草の鋭き棘や春浅し素閑ポケットに手をいる画家や春浅し素閑水澄めど汲むものも無し浅き春素閑曙や浅き春をば始めけり素閑古妻と手を取り合って浅き春素閑石段に照る日の明かき春浅し素閑表にて泣く子の頬や春浅し素閑山里の川の木橋や春浅し素閑硝子窓開けてはみるや春浅し素...春浅し

  • 片栗の花

    ラーメンが好きだ。有名店に列を作って並んで食うラーメンではない。5パック幾らのスーパーで売っているインスタントラーメンだ。これを作るには湯を煮たたせ麺がほぐれたら生煮えのまま丼に盛って、長ネギをぶった切ったものを一本分、載せて食う。実に豪快だ。ラーメンを食っているのか葱をかじっているのか分からない。ラーメンと並んで葱も大好きだ。長ネギを生のまま一本、味噌をつけて齧ってみたい気もするが、これはまだやったことがない。こういうゲテモノと言うか、変わった食い物が好きだ。金はないが大抵の美味いものは食ったので、こういう悪趣味に走る。だがこれでいいと思っている。片栗の花の林の山霧や素閑はつゆりの足元の里人見えず素閑片栗の花揺らめけり葉風どき素閑かたかごの花や年増の姉御肌素閑竹籠をえて片栗の花を見し素閑片栗の花や山家の大鎌や...片栗の花

  • 春めく

    来年のことを言うと鬼が笑うというが、自身の行く末はどのようになってしまうかの不安はある。経済的な保障は何もない。資産と言っても雀の涙ほどだ。娘はまだ発展途上。かーたんは病身。オカブは全く稼げていない。こういう状況を救ってくれる社会制度みたいなものはないのだろうか?もう、どうにでもなれと自棄になるしかない。下流老人になるしかないのは分かっているし、もとより覚悟の上だ。しかし、そうは言っても飯は食わねばならぬ。その当てがまったくないのだ。困ったものだ。春めきぬ焼田にほのか虫のごと素閑春めくやピンクの衣装の娘さん素閑春めけり自転車音無く通り過ぎ素閑朝潮や春めく伊豆の瑠璃の海素閑春めくや小鯵の朝餉那須の宿素閑あけぼのと古人の語り春めくや素閑桟橋にテープ残りぬ春めくや素閑僧堂のしんと人なく春めけり素閑干潮の浜辺の貝や春め...春めく

  • ミモザ

    プロヴァンスに行きたい。夏に行きたい。観光地ではなく、誰も行かない田舎に行きたい。輝く太陽、碧色の空、しじまを破る噴水の音。そんな中で夢と現の中を行きつ戻りつして無聊に身を任せたい。贅沢な望みである。多くの日本の文人が古来より南仏プロヴァンスに憧れたが、まさに、その西欧にあっての異国性。何と言っていいのか分からないが、西欧に在って西欧ではないエキゾチシズムが人を惹きつける。豊かな風物。しかしそれはパリのような整然とした西欧の都会の文化ではない。十字軍の昔から異文化との接点を持った、ある種雑然とした環境である。太陽に照らされたプロヴァンス。魅力的である。日曜のミモザの咲ける垣の家素閑祝祷に散じる人やミモザ咲く素閑あざやけくミモザの如き胡姫みたり素閑寡婦の弾くショパンの雫ミモザ咲く素閑空鈍くミモザの微風染むる街素閑...ミモザ

  • 春の雨

    運は大切にしたい。人は必ず運と言うものを持っている。運に恵まれた人もいるしそうでない人もいる。しかし、そうでない人もいつかは運が巡ってくる。その運を捕まえて放さないことだ。しかし人の運の中で一番重要なのは人の運だ。何か判じ物のような表現だが、起業しようとする人、組織の中で生きる人、志を立てて何かをなそうという人・・・これらはほとんどすべての人に当てはまるのだが、そうした人に最も重要なのは優れた人、誠心の人、真実の人に巡り合える運だ。会社に入社して優れた上司に巡り合えるということは強運だ。それはどんな有名な人も羨む会社に入社できたかと言うことよりも重要だ。人の運に恵まれない人は、商売には向いていない。しかし自分が誠意を尽くしていれば人の運は巡ってくる。逆に不誠実な態度・行為を取り続ければ人の運は離れる。人は石垣人...春の雨

  • 雨水

    平均賃金を上げるためには雇用の流動化が必要との説がある。これには賛成だ。冗費、冗員が会社の業績を落とす。従って給料も上がらない。結局、悪循環で労働者の利益にもつながらない。会社という所は利潤を追求する「組織」ではあるが、同時に従業員同士の「共同体」でもある。仕事をしない社員でも、共同体にあっては「仲間」の一人である。どうしても切り難い。しかし、これでは会社はちと困る。会社は稼がなくてはならないし、利潤を追求する戦闘集団でなければならない。会社でのんべんだらりと暇を潰す、あるいは休んでばかりいる社員が増えては会社も立ちいかない。こういう社員には意識改革してもらうか、会社を去ってもらうしかない。それによって会社は稼ぎ、従業員の給与・賞与の原資も出来る。賃金も上がる。至って簡単な理屈である。追われた元社員は再挑戦でき...雨水

  • 余寒

    親しき中にも礼儀ありと言われる。その通りだと思う。家の中では妻のことを面白半分にけなしている。別に悪気はない。情愛なかばの悪口である。しかしかーたんはそれでひどく傷つくらしい。真剣になって言い返してくる。莫逆の友という言葉もある。しかし我々、夫婦の間では当てはまらない。マーク・トゥウェインが「女を擁護するのは簡単だ。しかし貶し、からかっていたほうがよほど面白い」という言葉を残している。フェミニストではないオカブはそれに大賛成だが、家の中では大人しくして、かーたんを大切にしよう。北向きの部屋の余寒や目板塀素閑採り尽くし葱の畑の余寒かな素閑星空に浮かぶ余寒や夢の里素閑方丈に座る無想の余寒かな素閑平らかに広がる大地余寒かな素閑臈たけたにょせうもくさめ余寒かな素閑すり硝子余寒の侘びしき光かな素閑人あまた駅のホームの余寒...余寒

  • 海苔

    北海道はニセコの土地がブームだという。外国人が手広く土地を買い漁って別荘やリゾート施設を建てているという。オカブがニセコに行ったのは、もう60年近く前だが、倶知安の何もない駅とイワオヌプリ、チセヌプリという山に登った記憶しかない。とにかく、60年前のニセコには何もなかったのだ。そこが賑わっているというのは、ご同慶の至りだが、ニセコの何がそんなにいいんだろう?中国人などの外国人にとっては、スキーをするのに北海道のパウダースノーは夢のような存在らしい。それで、彼らをニセコに惹き付ける。なぜニセコでなければいけないかは措いておいて、北海道の土地全体が外国人に買い漁られているという。安全保障上の問題もあり!という物騒な話もある。実際上、日本人が立ち入れい地域もあるという。まあ、穏便に済めばそれに越したことはない。おもゆ...海苔

  • 安吾忌

    中世を暗黒時代と呼んだのは誰だろうか?もちろん西欧の中世のことである。このことに関しては、多くの反論が歴史家などからなされている。この誤解は中世がローマンカトリック教会の呪縛によって雁字搦めにされ、まったく文化の不毛の時代だったという事実誤認からきている。しかし、実際には中世は豊かな文化が花開いていた。吟遊詩人や工匠詩人、恋の詩人。騎士文学。シモーネ・マルティーニらの画家。城塞・教会建築とそれにまつわる彫刻芸術。中世独自の音楽。果ては艶笑譚までありとあらゆる文化の宝庫だった。決して華やかな後代のルネサンスに劣るものではない。しかも、その文化はカトリック倫理に基づく画一的なものだけではなく、退廃的な芸術すら含まれていた。時間と能力と体力が残されていたなら、ヨーロッパ中世を研究してみたいという誘惑も起きないことはな...安吾忌

  • 武田家というと武田信玄の武田である。信玄が戦に滅法強かったので、その印象があまりに強いが、また武田家は画才に秀でた諸将を輩出したことでも知られている。信玄自身も『渡来天神図』など優れた作品を残している。また信玄の弟、逍遥軒信廉などは名品として知られる『武田信虎像』をものしている。戦国武将はただ戦が強い荒大名だけでは、国治も外政もままならなかったわけだ。武田信虎はご存知のように信玄を疎んじたため、信玄に放逐され京に上った。そこで足利義昭の同朋衆(お伽衆)として扶持を得る。信虎も近国を切り従えて相当な武将だったが、唯々諾々とこのような晩年を過ごしたのは興味深い。人間の運命は分からないものである。染まりゆく白き梅花よ朝の園素閑楼上のあふるる梅の迷える香素閑さらばへていずれかぐはし梅の花素閑かそけくも梅一輪に月の出や素...梅

  • スポーツが嫌いだ。スポーツが嫌いと言うよりスポーツが苦手だ。音楽も苦手だ。こう言うとなんだが、オカブは時間に密接に結びついた物事が大の苦手だ。だから、スポーツのテンポに乗った動作や、絶妙のタイミングでのシュートやパスなど全く別の世界だ。音楽もまた、リズムがまったく取れない。静的なものしかできないのである。どうしたものか?そこで、オカブは時間とあまりかかわりのない登山という「スポーツ」を選んだ。これは、非常に楽だった。一面で体力的には苦行に近いものもあったが。しかし最近では「登山」の一分野のクライミングでは一秒を競う競技が行われている。多くの人があれは「登山」とは見做さないが、なんとなく釈然としない。そこで登山もやめて、家に引きこもっている。なんとも扱いようのない爺である。うそなくや暮れるまでなけなき告げよ素閑こ...鷽

  • 猫柳

    どうもこの世に期待しすぎるのは考え物のようだ。それこそ「地に働けば角が立つ、情に掉させば流される」である。世の中とはそんなものである。それを、あたかもこの世は理想主義の天国であるべきだ、あるいは理想主義を実現しなければならない、と考えている向きがあるようだ。しかし、そんなところは無い。あったとしたら、そんなに住みにくいところは無いだろう。でも、本気で考えているのかどうか知らないが、その理屈を力で圧してくるから、ありとあらゆるところで軋轢が生じる。それは家庭や学校などの身近なところから、国会などの政治、国家間の国際関係など多岐にわたっている(会社はさすがに金を儲けるためには汚いこともしなければならないという現実主義が染みわたっているから、そんなことは少ない)。そこで連中は美辞麗句のお題目を並べ立て、理想主義を振り...猫柳

  • 山焼く

    北に行けば寒くなる。南に行けば暑くなる。北半球の常識だ。しかし最近その理屈が通用しなくなっている。北の果ての北海道が夏に極端に暑くなっている。それに対して南の沖縄はそれほどでもなく、夏が北海道より涼しくなっている時もある。異常な現象だ。エルニーニョのなせる業か、はたまた地球温暖化の結果か?しかし京都議定書の話題・議論はどこに行ってしまったのでしょうねえ?山焼けり遠き紅蓮の幻か素閑老荘も知らねどつとに山焼けり素閑ほの白く雨もけぶるや山焼けり素閑田の向こふ常念の前山を焼く素閑山焼くや野辺の仏の煙かな素閑山焼くや江戸より望む奥相模素閑山焼くや炮烙の豆煙りあげ素閑青き空木造校舎に山焼けり素閑トンネルを出ると山焼く煙かな素閑剛たるや山火の燃ゆる巌の鼻素閑山焼くや白き仙女の化身かな素閑俳句・短歌ランキング山焼く

  • 薄氷

    浪費は良くないと分かっている。散在したくとも、元手がないのでできない。しかし、わずかなものでも手許にあると使ってしまう。人間の本性である。どうしても、やってはいけないと分かっていてもやってしまう。中毒のようなものである。オカブはギャンブルは絶対にやらないが、パチンコにはまる人の気持ちも分からないではない。あれは一度はまると、絶対に抜け出せないだろう。だからやらない。やらなくても貧乏から抜け出せない。稼ぎがないくせに浪費していれば当たり前である。しほの香はうすらひはれる里までも素閑薄氷ともに旅するみちのく路素閑山里にほのか日の照る薄氷素閑子の帰り待ちて夕餉か薄氷素閑窓の辺に鈍き明かりや薄氷素閑村はずれ祖霊も眠り薄氷素閑野の仏供える陶片薄氷素閑薄氷とにも出にくくひとり酒素閑峠道逆修の塔に薄氷素閑うすらいに梅のこぼる...薄氷

  • 春泥

    「MBA」といういわゆる資格がある。実は「資格」でもなんでもなく米国の大学の「経営学修士」という単なる学位なのだが、一時、企業幹部になるには、この学位が必須と言われていた。しかしスティーブ・ジョブスも、ビル・ゲイツも、ザッカーバーグもこの学位を持っていない。数十年前になるが、オカブが漠然とアメリカン・ドリームに憧れて、米国留学しMBAを取りたいなどと夢想していたころ、取引先の米企業の幹部から、MBAの学位は金融にしか役に立たないからやめておけ、と言われた。確かに、その通りだ。現実のビジネスで成功する、特に起業に成功するには、経営大学院に行くよりも、ドア・ツー・ドアのセールスで汗をかいたり、プログラミングを必死に勉強したりするほうがよほど役に立つ。まあ、何事にも王道はないということだ。春泥に傘と菜の束市の路素閑と...春泥

  • 京菜

    もう、既に何回もご紹介した。しかし今年もこの季節がやってきた。京菜である。我が家にとっては、これを食って初めて春が訪れを告げる。調理は簡単である。大量の京菜(一束)を洗ってザクザク切って、豚肉とともに割り下で鍋で煮る。生煮えのところをバリバリ喰う。春の精気をもろに喰らっているかのようだ。これも何回も申し上げたが、この料理はサントリー・ローヤルの広告に「すき焼き」として掲載されていたものである。昔は広告・宣伝でも乙なものがあったものである。ありありと京菜の煮ゆる益子鍋素閑先のこと思ふも疎し京菜煮る素閑井の水をざぶりと洗う京菜かな素閑新たなる季節を喰えり京菜鍋素閑三日月に京菜の映ゆる今日の宵素閑京菜切る二寸のまな板あふれけり素閑初京菜青くすぐれて貴しや素閑初京菜雨に小雪の混じりたる素閑煮もうせど生にて喰えり京菜かな...京菜

  • 冴え返る

    「LGBT」という言葉を目にすることが多い。レズ・ゲイ・バイ・トランスの略だそうだ。いわゆる性的「マイノリティー」のことを言う。「マイノリティー」に関する認識や論説の現代的意味や、LGBTにまつわる活動家たち、および社会現象などは措いておく。しかし、性的の同一に関する「倒錯」は今に始まったことではない。リルケはドイツの詩人だが、名は「ライナー・マリア・リルケ」。男性の名前ではない。両親が生まれてから、かなり成長するまで女の子として育てたからだ。しかし、詩人自身は両親の性的に特異な育児観にも拘らず、ゲイにもトランスにもならず、『マルテへの手紙』にみられるように女性を愛する男性に成長した。ある研究によると、人間は多少の差はあるが、すべて同性愛的要素を持っているらしい。性同一性障害を除いて、別に新奇な「LGBT」とい...冴え返る

  • 針供養

    キリスト教と仏教に接点があるやなしやと聞かれたら曰く「ある」が正しい。ガンダーラ仏には厩で誕生した釈尊の像などがあることから、キリスト生誕の聖書の挿話が仏教にも影響したという話があるが、ここは、そんな歴史的な話ではなく、今現在進行中のトピックスである。しかも他宗教交流などといった微温的なものではなく、キリスト教神学の中枢に仏教宗教思想を採用しようという(あるいは既にしている)という事実がある。オカブもついこの間まで、キリスト教と仏教は水と油だと思っていた。しかし、キリスト教前衛の自由主義神学に基づくと、仏教思想はキリスト教的に有りで、キリスト教はそれを採用すべきだとする説が堂々と唱えられているそうだ。これを聞いたとき保守的なキリスト教思想に基づく信仰を持っていたオカブは魂消た!そして即、それは違うだろう、と思っ...針供養

  • 二月

    二月も駆け足で過ぎていく。今年は平成最後の年だそうだが(平成三十一年と言うのはあるのだろうか?)どうも、そんな大ごととは思えない。むしろ今日・明日食っていくのに必死だ。なんとか一週間過ぎるとほっとする。結構、ユーガにやっているだろう、という向きには分からないかもしれないが、台所事情は火の車だ。今期も会社は赤字を避けられない。どうしたものだろうか?もう会社も畳もうと考えたことも何度もだ。まったくアベノミクスの恩恵を受けていない。本当に助けてよ、と言いたい!日の光煙りにまぎれ二月かな素閑たゆたへど二月の月の尖りしか素閑朝日にも暖かさ増す二月かな素閑朝湯入り草のかほりや二月かな素閑骨のごと二月の枝に土ぼこり素閑かほりなし二月に花を待ちぬるも素閑大利根にこれ見る二月赤城かな素閑道祖神二月の陽にぞ染まりけむ素閑狼煙あぐ二...二月

  • 春の雪

    昔、壜をモチーフに執拗に描き続ける日本の画家がいた。そんなに有名な画家ではない。しかしマイナーではない。昔と言っても50年足らずだが、美術手帖にグラビアと活版の特集が掲載されていた。一升瓶を特に気に入って、描いていた。一升瓶は「チンポコ」と、その画家は言う。成程、そんな興味や関心が画家の創作意欲を掻き立てるのかと、絵心の無いオカブは思った。抽象でもない、具象でもない、ただただ壜をモデルにした淡いマティエールの作品群になぜか惹かれた。それが証拠に、掲載誌もとうの昔にどこかに処分した今でも鮮明に覚えていて、その画家のことが忘れられない。名前も覚えていないが、気に入っている。「名画」でなくとも「名画」は身近にたくさんある。今度、銀座の画廊にでも行ってみようかと思っている。春の雪傘なく衣装に降りにけり素閑淡雪や百万遍の...春の雪

  • 公魚

    税務署からお呼びがかかった。脱税をしたわけではない。3年にわたって申告書に誤りがあったので訂正せよとのお達しだ。面倒くさいがお上の言うことなので従うしかない。しかし、日本のお役所はこういう素人にも丁寧に付き合って、親切に何くれと教えてくれるところはありがたい。オカブは一応経営者なのだが、税法だ、申告書の書き方だのなんのことやらチンプンカンプンで、さっぱり分からない。税理士を雇う金はない。ネットで知識を仕入れ、税務署のお役人に教えを請うて、なんとか毎年、申告を済ませている。するとお役人は懇切に指導してくれる。時には払わなくていい税金のことも指摘してくれる。これは日本の行政の長所だ。尤も短所もあるが。いずれにしても春はもうすぐである。わかさぎや沈める湖のものがたり素閑わかさぎや広大無辺の平野かな素閑風雪もわかさぎに...公魚

  • 立春

    どうも手許不如意である。もともと稼いでいないので、そんなことに期待することが意味のない事なのだが、それでも「おあし」はあったほうが良い。ちょっとしたものも買いたくても買えないし、ちょっとしたものも食いたくても食えない。まあ、銭金のことには、もともと、あまり頓着がないので、これで済んでいる。我が家はかーたんも含め至って貧乏性だ。ある人が「貧乏を楽しめ」と言ったのを聞いたことがある。竹中平蔵ではない。普通の市井の人である。いくら頑張った所で金が転がり込んでくるわけはないので、この言葉は気に入っている。貧乏であるからこそスーパーの値引き品も堂々と買えるし、古着のコーディネートも楽しめる。貧乏も捨てたものではない。だから格差格差と無暗矢鱈、喚くのは大嫌いだ。貧困は辛いが、貧富の差がなくなったら、却って社会の規律が保てな...立春

  • 春待つ

    ~の乱とか~の蜂起とかは、どうして起こったのだろう?それは情報の伝達の手段があったからで、首謀者が同志を糾合し、民衆を扇動して、それを組織し起こったものであろう。「情報の伝達」は言語、文字が不可欠である。そして、大規模な騒乱には、結構、高度な情報技術・・・もちろん、いわゆるITと言ったものではない。当時は電気もなかったのだ。現代の情報技術の発展は、言語、文字の枠を超え、凄まじいものがある。だから、現代は情報技術の発展に伴ってに、さらに不安定化し緊張が高まるであろう。と、まぁ、アラブの春を予測したかのようなことを、50年近く前の高校生の頃考えていた。ガキの妄想ではあったが、インターネットの発達によりそれに近いことが今起こっている。自分の感覚もあながち馬鹿にするものではない。甲斐駒のかたちもやすき春を待つ素閑門ごと...春待つ

  • 探梅

    昔、勤めていた会社の社長が「論理的な狂気」で仕事をやれ、とのたまったのを聞いた。その会社は、今にも潰れそうな外資系のベンチャー企業で、売り上げの確保が急務だった。それにも関わらず、営業はまったく危機感がなく、のんべんだらりと一日の大半を会社の社内で過ごしていた別に営業だけが悪いわけではなく、会社全体が沈滞と諦めムードに満ちていた。そんな状況に喝を入れようと社長は冒頭の言葉を吐いたと思われるが、この社長自身が、折あらばこんな会社からスピンアウトしようという魂胆だった。これでは、やる気のある社員は救われない。しかし「論理的な狂気」というフレーズは気に入った。人間、何事も理屈だけでは通らない世界がある。理詰めで行けば駄目なことでも、時には推さねばならないこともある。商行為も同列である。しかし、そこにはそれなりの筋道が...探梅

  • 日脚伸ぶ

    かーたんの誕生日は2月11日で毎年その日に祝い事をしたいのだが、なかなか内外の都合がつかなくて、その前後に誕生会をすることになる。誕生会と言っても、かーたんとオカブの二人だけの祝いだが、今年は張り込んだ。金曜日のランチに銀座の『ハプスブルク・ファイルフェン』に行ってきた。ウィーン料理である。高級である。ウィーン料理は高級になればなるほどフレンチと見分けがつかなくなる。ここもその手の料理で、シュニッツェルやターフェルシュピッツは普通はない。ただ、今回はかーたんの希望として、特別にシュニッツェルを出してもらった。料理は総じて美味かった。何か分からんがとにかく食ってきた。セクト(オーストリアのスパークリング・ワイン)も空けた。かーたんは抗がん剤の副作用で体が辛く、美味く良い思いをしたのはオカブだけだったかもしれない。...日脚伸ぶ

  • 寒雀

    季節に春の香りがしてくるとどこか旅に出たいが、かーたんが病身なのでそうもいかぬ。ごくごく自宅の近辺の花鳥風月を愛でるのみである。こういうのを、プチ引きこもりとでも言うのであろうか?都内から出たのは、月初にコンサートに川崎まで行ったのが唯一である。ドイツの哲学者、イマヌエル・カントは生地を出なかった。一生の間、生地のケーニヒスベルグで暮らし、そこから一歩も出なかった。しかし彼はそこで宇宙を観、宇宙を考察し、宇宙を語った。偉大である。オカブはカントと比較のしようもないどーしようもない爺である。カントを引き合いに出すのもおこがましい。しかし今の引きこもり状態はなにか似ている。寒すずめひもじうてなら手こそこよ素閑寒すずめ弓の月こそ愛でにけれ素閑寒すずめ筆を持つ手を止めにけり素閑黄泉の世は昏き限りや寒すずめ素閑寒雀けふよ...寒雀

  • 冬菫

    大学の時、山岳サークルに入っていた。年に何回か合宿があった。冬山には何回か行った。しかし春山には一回も行ったことがない。春山と言っても、入試時期に入って学校が休みになる2月の半ばだ。なぜ行かなかったというと、冬山で酷い凍傷になって、冬から春は脚を引きづって歩いているのが常だったからだ。なぜ、凍傷になりやすいのかは分からない。他のパーティーのメンバーは凍傷など全くならない。靴が悪いのかと、ヒマラヤで履くような特別製の靴を買ったが駄目だった。3度と言う足指の切断を要する凍傷の治療には、開腹手術をして交感神経を切除することが行われるという。これには思い当たる節がある。自分は交感神経が実に興奮しやすい体質なのではと思っている。だから、すぐに腹を立てたり、眠りに入るのに時間がかかったりなどの症状があらわれてくるのではない...冬菫

  • 湯豆腐

    馴染みになっていた洋食屋が閉店する。主人のご両親の相続の問題と店の権利も含めていろいろ複雑な問題があったようだが、詳しいことは分からない。ただ、この近辺で昼食、夕食ともに手頃な値段で質の高い料理が食べられる店として、かーたんともども愛してきたの店なので寂しいとともに、残念だ。また食うだけではなく、ご主人夫妻や店のスタッフとも懇意にさせていただいていたので、寂しさは募るばかりだ。オカブの住む東京の郊外(23区内だが)では個人経営の飲食店の経営が非常に難しくなっている。それでも新規に開店する店は多いので、競争は激しくなるばかりだ。そうした中で、客としてこの店は大切にしたいという所に出会えたのは幸いだった。もう十数年以上の付き合いになる。今後の店の諸士の壮健を祈るばかりだ。おの子らは湯豆腐さてもきらひけり素閑湯豆腐や...湯豆腐

  • あかぎれ

    蕎麦を食ってきた。代沢の『七つ海堂』である。今風の女将さんがホール(といってもごく小さいが)を切り盛りしている。大将はキッチンであろう。酒を飲み蕎麦を食った。蕎麦は色が白くきめの細かい更科風。汁はやや酸味が勝ったピリッとした感じ。美味かった。蒸篭を二枚食った。家から近いので気になっていた店だが、縁が合わずなかなか行けなかった。この蕎麦と料理と酒でこの値段はお値打ちもの。また来よう。あかぎれをさらし風吹くうまのりか素閑あかぎれや破墨山水瀬田の景素閑あかぎれや屋敷の林や野の小川素閑あけの空地にわき出でてあかぎれや素閑とに出るもためらうたるにあかぎれや素閑素読せる五書五経なれあかぎれや素閑朝臣らもあかぎれ作る須磨の海素閑あかぎれの手を振り告ぐるエールかな素閑あかぎれや大理の柱美の館素閑夜は明けぬあかぎれの手の添え乳か...あかぎれ

  • 無相忌

    芹澤佳通氏のコンサートにかーたんと行ってきた。ランチ・コンサートである。原宿の『ジャルダン・ド・ルセーヌ』という大変、結構なレストランで食事をいただいた。今日の演目は『椿姫』のハイライト。ソプラノのヴィオレッタとのデュオ。アルフレード役の芹ちゃん(敢えて芹ちゃんと呼ばせていただく)は堂々の熱演。名テノール振りを存分に聞かせていただいた。無相忌や路の玉砂利重きかな素閑無相忌に葉無き小枝の夕鴉素閑法を説き無相の忌にてまた老ゆか素閑無相忌や大師も名利にほかならず素閑枯れた葉も無相の忌にはおほからず素閑煎餅をもとめ無相忌覚えたり素閑中大路乱れ降る雪無相の忌素閑無相の忌板東太郎たゆたふや素閑京表鄙よりいずる無相の忌素閑落款を無相の忌の間にととのへり素閑無相の忌狗のつくべに問ひかけむ素閑俳句・短歌ランキング無相忌

  • 菜洗う

    フェルメール展をやっているという。安倍首相が鑑賞に行ったという。どちらも興味がない。そもそもフェルメールはフランドルの画家だが、いわゆるフランドル派と言うには洗練しすぎている。オスターデ、ヤン・ステーン、ホッベマらの粗削りな、しかし古典を踏まえながら近代に向けての夥しいエネルギーを秘めた画家らとは違う。フランドル派は『昼のガスパール』の原題となったアロイジウス・ベルトランの『夜のガスパール』詩集の第一巻である。この埋もれた天才詩人は、『フランドル』の中に無限の神秘性と俗世の享楽、矛盾を見出した。週末のひと時『夜のガスパール・レンブラント・カロー風の幻想詩』を読んでみようと思う。菜洗ひや小川の台もひとしきり素閑ざりがにも菜洗ふみづに魂消けり素閑一人二人みたりとなりて菜をあらふ素閑儒者となり菜あらふこころ川のヘリ素...菜洗う

  • 冬ざれ

    享保の改革と言うのがあった。老中水野忠邦が主導したものである。寛政の改革と言うのがあった。白川藩主松平定信が主導したものである。どちらも失敗に終わった。いずれも、経済改革と言うよりも、奢多を慎み幕政に寄与すべしとの、非常にイデオロギッシュな活動であったため、経済を活性化し、幕府の財政を豊かにするための細目の検討がまったくできていなかったためである。水清ければ魚棲まずというやつである。というよりも改革の重点政策が全くずれていて、ただの清貧運動になっていたかのような様相を呈していた。何事も、一度価値観を離れ、目的合理性を追求しないと成功しない典型であろう。だから、掛け声の勝った、なんとか運動やなんちゃら活動は信用ならない。冬ざれや脚にまとはる古ズボン素閑冬ざれの念仏僧の初七日か素閑果ての無き冬ざれし野の入日かな素閑...冬ざれ

  • 寒月

    今はエアコンが発達して、寒暖を屋内で身に染みて感じることが少ないから、寒さも家にいる限りはそんなに深刻なものではない。そして、それを防ぐものとして、昔は炬燵、行火、火鉢、湯たんぽなど多くのものがあったが、現代ではエアコン以外には電気毛布くらいであろう。便利になったと言えば便利になったが、旧態依然の暖房器具がなくなったのはちと寂しい。人間は生理的に暑さにはストレスを感じないが、寒さにはストレスを感じるという。オカブにしてみれば糞暑いほうがよほど鬱陶しいが、人類が原始生活をしている頃、生存の脅威の一つが凍死だったことを想像すると、人間の細胞のDNAに寒さへのストレスが刻まれているのであろう。しかし、今年は寒い。去年ほどではないにしても・・・思わずブルルである。寒月も昇りて孫を寝かしつけ素閑橋畔に茶屋の一軒寒の月素閑...寒月

  • 冬の風

    狂乱物価と言われた時代があった。石油ショックと言われた時代があった。ともに物価が高騰することを嘆いたことによって名付けられた。しかし、今は物価が上がらないと言って、野党が政府を攻撃する時代である。隔世の感がある。しかし、感覚的には、確実に物価は上がっている。外食費も高くなった。人件費の高騰の結果であろう。これが、あらゆる分野に波及する。宅配業界だけではない。悪性インフレはある日突然やってくる。オカブなど、もういつ死んでもあとくされの無い年齢だが、若い人は覚えておいてほしい。これは決して既得権者の戯言ではない。実際に、2年前と今とではどちらが金銭的に暮らし良かったか比べてみるとよい。アベノミクスは評価するが、負の側面があるのもゆめゆめ忘れてはならない。寒風やわけても背筋吹き通り素閑冬の風心やどりし服の中素閑寒風を...冬の風

  • 寒烏賊

    去年の今頃はパリに行っていた。自分でも何をしに行ったのかわからない。別に観光をしに行ったわけでもない。まぁ、パリにいれば日本人としてはそれだけで観光になるのだろうが?2人の人と会っただけである。街歩きと言っても、寒くて寒くてとてもそれどころではない。カフェのサルで暖かい飲み物を飲んで縮こまっていた。あとは何の変哲もない安飯屋で安飯を食っただけである。財布の中身を見ると、それだけで二週間の滞在には心もとないので、後の方は安飯屋にもいかずスーパーでパンやハムやビールやワインを買ってホテルで食った。ホテルは2つ星の隙間風がヒューヒュー吹き込んでくる暖房の利かないホテルだった。観光地はルーヴル美術館だけ行った。ここも行き飽きた。というかここは何十回通っても新しい発見があるので、これでいいという所がない。そこでかえって飽...寒烏賊

  • 悴む

    寒さが募っているが、つい昨日、正月だと思っていたら、もうすぐ二月だ。冬来たりなば春遠からじ、とはよく言ったものだ。尤も、冬・春の間だけではなく、歳をとると時間があっという間に過ぎるのは春夏秋冬を問わずでだ。しかし、春になればあれもしたい、これもしたいという思いはある。春を喜ぶ気持ちはこの歳でもある。昨日、大寒が過ぎたばかりなのに、もう春の望みを語っている。気が早いというかなんというか?結局、だらだらと時を過ごすのに変わりはないというのに・・・荒れ寺のいらくさ分けて悴める素閑薬缶の湯はやさめざめと悴める素閑悴みてたださきざきの不安めく素閑ここのみか日の当たる場も悴みて素閑悴める子に砂糖湯を振舞いて素閑田の畔の残り泥水悴める素閑老残の掌の皺悴めり素閑がま口の百円探し悴めり素閑風もなく天突く青空悴めり素閑京の子もつひ...悴む

  • 炭焼き

    歯が痛い。葉が痛いというより歯茎が痛い。歯周病などと言った甘いものではない。歯を削った後の歯根治療が不完全だったので、化膿しているようだ。しかし「ようだ」はないだろう。もう10年以上放置している。歯医者は大っ嫌いだ。死ぬようなことがなければ、絶対行かない。日本で行う歯根治療は極めてお粗末なものだと聞いた。病菌の遮断ができていないので、ほぼ全ての例で失敗するそうだ。アメリカの歯科医の治療では、完全に病菌が患部に触れないように施術をして、歯根治療するそうだ。だから米国では歯根治療の失敗例はないという。まぁ、歯の一本で数十万円が飛んでいく米国の医療制度と比べて、どちらがいいか分からない。ただ歯茎がづきづき痛むのだけは確かだ。炭焼きやはや日は西にかたぶけり素閑炭焼きや一人釜にて辛き顔素閑炭焼きの子は煤の顔ふと見上げ素閑...炭焼き

  • 大寒

    腹が立つことが多い。対象は家の中の些細なことから、世相・社会、国際情勢等ありとあらゆることに腹を立てる。自分でも余程アドレナリンが出やすいものだと思う。腹の立て方もいろいろだ。無暗矢鱈と当たり散らしたり、相手のいる場合、時には腹を立てているとはいえ、論理的に諄々と意見したり腹の立て方も定まらない。しかし周りは多少、迷惑である。特に家族は被害を被っている。申し訳の無い事だ。行きつけの蕎麦屋が家の近くにある。なんの変哲もない街の蕎麦屋だ。その店の壁に色紙が飾ってある。それに「腹」という字が横に寝せて書いてある。一種の人生訓だ。この蕎麦屋に行くにつけて反省してくる。しかし腹の立つときには腹が立つ。自分でも気持ちの良いものではない。つくずく損な性分だと思う。大寒や出がけに選ぶ靴の色素閑大寒や日向に座る猫二匹素閑大寒や無...大寒

  • 牡蠣

    今年は消費税が上がるのだろうか?政府は上げると言っている。リーマン級の恐慌がない限り。年末年始の東証の株価の下げには正直期待した。消費税が上がらないのなら恐慌もまた有難いと思った。そもそも日本の財政赤字のカラクリは財務省が意図的に捻じ曲げて作った物ともいわれている。税金を払いたくないわけではないが、意味不明なものに対してはご免こうむりたい。苛政は虎よりも猛なり、とはよく言ったものだ。将来の保障はない、税金だけは取られるでは、本当にお上を恨むしかない。牡蠣の口たわけたけふの雪の空素閑浦浪や牡蠣に託するこひのふみ素閑冷たさや曝しの牡蠣剥き北の浜素閑思わずも牡蠣売る酒肆のコップ酒素閑近郷の牡蠣あきなへる老婆かな素閑老樵に牡蠣食わせむと初の旅素閑牡蠣剥ひて箒で殻を掬わむと素閑旅の宿牡蠣を供する六畳間素閑菰に積む牡蠣のや...牡蠣

  • 雪晴れ

    構造主義と言うのが流行ったことがあった。ポスト・モダンと言う言葉も流行った。みな、浅田彰センセのなせる業なのだが、今はきれいさっぱり忘れ去られている。浅田彰センセもすっかり過去の文化闘士の鋭さを失って関西のどこかの大学の学長におさまっている。しかし、その影響はことのほか大きいもので、現代のサブ・カル・ブームなどはポスト・モダンの流行がなかったらあり得なかったであろう。そして今どきの文化人、アズマンや哲ちゃんも皆、浅田センセの影響を受けている。きわめて純粋な学術的論考だったのがブームを呼び、思わぬ方向で現代に影響を与えている。その一方で、ド・ソシュール、ロラン・バルト、ミシェル・フーコー、ドゥールーズ・ガタリ、レヴィ・ストロース、ジャック・ラカンなどはきれいさっぱり忘れ去られた。恐るべし、メディアの力。恐るべし、...雪晴れ

  • 桜鍋

    いつもいつも申し上げているのだが、近年、きわめて体調が悪い。だるいような疲れたような・・・きわめて不快な状態が続いている。そういった中で食欲だけは一向に衰えない。もともと食に関してはもっぱら無頓着である。何を食っても美味いと感じる。だからよく食う。従って、ぶくぶくぶくぶく肥る。美味いものは美味いと感じるが、不味いと思うものはあまりない。金のある時は美食もするが、極端な話、冷や飯に醤油をかけただけでも立派な食事として美味しく頂ける。まぁ、よくぞ生存には合理的と言うかうまくできている。しかし、これで生活習慣病などになったら、全く逆の結果になるという落ちだが。それにつけても、これからは腹八分目を心掛けることとしよう。下の写真は去年の暮れに食べた馬刺しで、今日の季題は「桜鍋」(馬肉の鍋)だが同じ馬つながりということでお...桜鍋

  • 冬の川

    エッセイともコラムともつかぬ駄文と、駄句を並べて書いている。しかし散文と韻文を同時に書くというのは頭の切り替えが難しい。ちょっと、この二つは異なる思考回路を必要とする。ただ、共通するのはオカブの書くエッセイと俳句はどちらも取るに足らぬ詰まらんものと言うだけである。せめて俳句は歴代の名匠の足下くらいには及びたいものだが、これもままならぬ。フランスの貧乏詩人のように、ただ悶々とシラブルを数えているのみである。冬の闇もちづきうつす芥川素閑冬川やあしたに雀飛びわたる素閑冬川やよどめる工場街なりき素閑労働旗冬川わたる人の群れ素閑冬川や八百八橋水たいら素閑冬川やもやえる舟の底浅し素閑柴焼ける堤の広き冬の川素閑山路来て水のほそまる冬の川素閑冬川や遊ぶ子もなくただよどみ素閑けふは冬かわのみづものしづけさや素閑俳句・短歌ランキン...冬の川

  • 世田谷ぼろ市

    鉛筆やその他筆記具メーカーには受難の時代であろう。紙に出す文書がすべてデジタル化されたデバイスで作成され、出力はプリンタからされる。筆記具の需要は純粋には学校生徒と、サインをする際に必要なくらいではないか?ところがお役所に提出する文書はみな手書きである。時代錯誤も甚だしい。税務関係はe-taxというのをお役所が推し進めているが、認証に必要な電子印章が十数万円もコストがかかるので全く現実的ではない。すべて格安で電子化してほしい。しかし、こうした時代にも、根強い手書き派というのはいるもので、高級万年筆などは筆記具だが、結構売れているらしい。昔はなんでも活字で打ち出されたものを有難がって、社長さんなどが手書きで書いた文書をわざわざ秘書にワープロで打ち直させて、紙に出力していた時代があったが。今は高級万年筆で書いた手書...世田谷ぼろ市

  • 蒲団

    『ボヘミアン・ラプソディー』という映画が流行っているらしい。クイーンというロックバンドをモデルにした映画だそうな。泣けるらしい。尤もオカブは映画を見て泣いたことはないが・・・この映画も結局見ることはないだろう。そもそもクイーンと言うバンドはもちろん名前は聞いたことがあるが、音楽は一つも聴いたことがないし楽曲も知らない。オカブたちが麻疹のようにロックに染まった、一世代後のスターだからだ。オカブたちの時代はニューロックが去り、ロックン・ロールやクリーデンス・クリアウォーター・リバイバルなどのノスタルジー系や、グランドファンク・レイルロード、ディープ・パープルなどの本格的ハードロックが世の中を席巻した時代だ。オカブもバンドを作りドラムを叩いた。それは本当に麻疹のようなものだった。遠い昔の話である。本当に遠い・・・寒布...蒲団

  • 雑炊

    かねてよりSNSで交流のあった人が出演するコンサートに誘われて行ってくる。面識はない。しかし、面識はなくとも、こうした人脈のネットワークが広がっていくのがネットのいいところである。チャイコとショスタコービッチのロシア・オンリーのシンフォニーである。もとより、オカブはあまりシンフォニーを聴かないのだが、これを機会に親しんで来ようと思う。しかしシンフォニーの入門がチャイコとショスタコービッチとは凄いカリキュラムである。かなり重そうだ。まぁ、これも良いブレークスルーだろう。演じるほうはアマオケだがなかなかレベルが高いらしい。楽しみである。雑炊に光鋭き夜半の月素閑雑炊の湯気すさまじく風すさぶ素閑冷や飯にたまご二つの雑炊や素閑雑炊やこころにもなき気慰み素閑雑炊や金の足りぬは家のつね素閑言葉なく二人掻き込む雑炊や素閑老ゆる...雑炊

  • 冬の雨

    シャネルは香水も服も作っている。創業者、ココ・シャネルが住んだパリの『ホテル・リッツ』は超高級ホテルの老舗として4年前に改装を終えヴァンドーム広場の近くに聳えている。フランスは一つの資本が複数のブランドを持つケースが多い。目立つのは強い資本が企業買収を重ねてきたからだ。ルイ・ヴィトン、ヘネシー、モエ・エ・シャンドン、ドン・ペリニヨンなどは同一の資本下にあるし製造・販売会社も一つだ。ルイ・ヴィトンだけでも大変なブランドだが、これはシャンゼリゼ通りにモノグラムのバッグを模したビルディングが建ち、本店が入っている。それに対して、海外勢のフランス進出はサムソンがマーケティング的に非常にうまい。シャルル・ドゴール・ロワッシーからパリ市内に向かう高速の右手にサムソンの社屋のビルが建っているが、建物はうらぶれた見すぼらしいも...冬の雨

  • 寒鴉

    禅には曹洞宗と臨済宗と大きく分けて二つの宗派があるのはご存知だろう。道元が日本の法主の曹洞宗は別として臨済禅はそこから細かく枝分かれする。鎌倉禅には建長寺派と円覚寺派に分かれる。それぞれ蘭渓道隆と無学祖元の法統を継いでいるからだ。そして南北朝を経て京都に禅の中心が移ると、南浦紹明、宗峰妙超(大徳寺開山・大徳寺派)、関山慧玄(妙心寺開山)と続く法統と、足利尊氏の寵愛を受けた無双疎石の天龍寺派が相対する。しかし、江戸時代に降って白隠慧鶴らの輩出もあり、現代の臨済禅の系統は何派というのとは別に、応(大応国師・南浦紹明)、燈(大燈国師・宗峰妙超)、関(関山慧玄)の法統に続く者が司っている。特にこの妙心寺派の系統をひく臨済禅は禅風峻烈、寒中の氷のような修行姿勢であるという。オカブは禅とはなんの縁もないのだが、一つの自力の...寒鴉

  • 鰭酒

    こう毎日、俳句を詠んでいると、俳句とは何か?と真剣に考えてしまう。しかし結論は、何のことはない、曰く俳句とは大したものではないということである。いい歳をした大人が茶柱が立った立たないで喜んでいるに等しい。五・七・五の中に遠大な思想や微細な美意識を収めることは不可能である。であるから日常の細々したものの中の面白みをただ詠んでいるだけである。俳句の面白みは二つ。日常の中にこんなことがあったか、という新たな発見。もう一つは、そういえばそんなこともあるなあ、という共感。およそ伝統俳句の世界はこんなものである。前衛俳句に関しては分からないが、「日常」が「言葉」の組み合わせに替わって、そこで新たな発見と共感を見出すことで、伝統俳句と本質的に違わないのではないか?まことに「卑近」な「芸術」である。しかし、その日常の「卑近」さ...鰭酒

  • 冴ゆ

    薬屋と古着屋に満ち溢れた町に住んでいる。薬屋は、それができる前は医療費はもっと安かったのではないか?昔は普通の診療だったら薬代含めて1,000円以内で収まった。それが今では初診なら、5,000円は握って出かけないと不安である。どうも政府の行政のやることはおかしい。一方、古着屋だが、これがちっとも安くない。バリ島で民芸品を買うようなレベルである。新品でユニクロの製品を買うほうがよほど安い。いや、ユニクロならずとも、一般の通販で新品を買ったほうがよほど安い。こうした町は廃れていくだろう。我が町なので残念だが、商行為に合理性のない商店街なのだから仕方がない。一念奮起する大志を持った町の起業家は現れないものか?尤も、誰かを?を待っているだけの老害も邪魔なだけであるが・・・疎林抜け冴ゆるいただき日のわずか素閑面白き寄席も...冴ゆ

  • 実南天

    年末年始は『こうもり』尽くしだった。3本は観た。しかし、どれもオットー・シェンク演出のもの。どうも『こうもり』はオットー・シェンク演出でないと面白くない。『こうもり』のプロットには諸説があって、一定しないが、シェンクの物語が最も納得するし劇としての完成度も高い。これに挑戦する冒険的な演出もあるが全敗である。劇の進行の一場面一場面が定番になっていて、これ以外の『こうもり』を観ても違和感があるばかりだ。まぁ「12月32日」のカレンダーがないと年が明けた気がしないというものだ。これほどオットー・シェンクは親しまれている。さて、大晦日にウィーンの国立歌劇場で『こうもり』を観られるのはいつになることやら・・・実南天千畳敷の庭先や素閑南天の夜星に替へるあけのゐろ素閑南天や行くさきざきでうたげなり素閑古垣に臥竜老松実南天素閑...実南天

  • 七種

    亀の甲より年の功というが年の功など何もない。あるとすれば毎年少しばかり積み重ねてきた知識で、世の中を多面的に見られるようになったことぐらいか?これも年の功と言うか自分の成果というよりも、世の中がそれだけ進んできたことの結果のほうが大きい。しかも多面的に見るというのは、自分の中に複数の多様な価値観や認識が混在していることになるので、なにか物事を決めるとき、懐疑的で優柔不断になりがちだ。何もいいことはない。こうした在り方よりも単一の価値観、単一の方向性を堅持して突き進む人のほうが人生、多くの実績を残せるし、本人も幸せだ。なんで自分がこんなに捻くれてしまったのか、良くわからない。しかし赤子の頃より精神的に何も成長していない、ということだけは言える。七種や不寝の仕事おわりけり素閑興もなくけふの七種むかへけり素閑七種よ腰...七種

  • 小寒

    大学の第二外国語はロシア語だった。べつに選ぶのに何の考えもなかった。ただ今は米ソ二大国の時代だからロシア語をやっておけばなんかの役に立つのでは?と思ったくらいである。まったくものにならなかった。成績はどん尻。今となっては、なんの役にも立たない。ただロシア語のアルファベットが読めるくらいである。その後、独学で学んだフランス語のほうがよほど実用的だ。フランス企業相手の仕事もちらほら手掛けたので、少しは役に立っている。語学というものは、もちろん学ぶ本人の意志と努力も重要だが、環境というものが大きい。その点、日本は不利である。ネイティブの日本語に訳せないものはそのまま表現してしまうカタカナという魔法の文字を持っているからだ。これで、外国語を学ばなくても、外国の事象はほぼ分かってしまう。海外ではそうは行かない。だからちょ...小寒

  • 五日戎

    正月も終わりである。昨年、もう年が明けるのか!?と思っていたらあっという間である。去年、歳を取るとなぜ時が経つのが速いのか、という理由について友達から面白い説を聞いた。曰く、10歳であれば1年は生涯の十分の一であるが、60歳だと六十分の一である。時を速く感じるのは当然とのこと。なるほど、と思った。とにかく去年、バタバタとした正月を過ごしたのが今年のように思えてくる。歳は取りたくないものである。ところで晩成の戦国大名の一は北条早雲。五十歳になって初めて城主と言う地位を得た。それからも彼の経営策は慎重そのもの。隣国を侵略するにも、勝算が100%でないとその腰を上げない。しかしひとたび動いたとなると一気呵成である。その日々の戒めは『早雲寺殿壁書』につぶさに現れている。彼は現代にあってもなお、合理的為政者、ないしは経営...五日戎

  • 恵方詣り

    島原の乱の話である。幕府方の総大将、板倉重昌は寛永十五年一月一日に一揆方の籠る原城に総攻撃をかけ、失敗して戦死した。なぜ一月一日に総攻撃かと言うと、元旦であれば、一揆方も油断しているだろうという企みである。しかし、一揆方は耶蘇教徒なので元旦を祝する習慣がなかったため、重昌の思惑は外れたというのが松本清張の解説。しかし、これはちと可笑しい。一揆方は旧教のカトリックであったが、カトリックでは新年の初日を神に捧げるという意味で、元旦に特別なミサを行う。ちなみにプロテスタントは元旦を祝せよと聖書にないので元旦には特別なことをしない(日本の一部の教会では信徒が初詣に行くのを妨げるため元旦礼拝なるものを行う場合もある)まあ、この総攻撃失敗は、一揆方が元旦で油断しているであろう思惑が外れたというよりも、重昌が総大将松平伊豆守...恵方詣り

  • 三日

    三日となってしまった。なんとなくものわびしい。宴の終わり、祭りの終わりでありそんな気分だ。ニューイヤー・オペラもそんな気分で観ている。そんな憂い気な心の中でぼんやりテレビを観ていたら、出たー!真打登場。デブの音楽家の中の音楽家のデブ、河原君登場!はっきり言って今回の公演の中の一番のスターであろう。ご登場の歌手の皆さんも一度は河原君のお世話になったことと思う。今年は河原君のお陰で、明るい気分でスタートを切れそうだ。はや三日地の裏側に陽の落ちる素閑凛冽の陽もやわらかし三日かな素閑姥爺の三日の宴のおわりかな素閑三日の夕家路につく人ゆるやけし素閑初孫の想ひの母の三日かな素閑明日のため靴磨きけりはや三日素閑三宝を収める間なし三日かな素閑寝続けて三日の世相疎きかな素閑懐かしき三日の裏山しづまりて素閑落魄し都住まいの三日かな...三日

  • 二日

    元旦も過ぎた。あっという間である。一年の中でも時の経つのを最も早く感じるのはこの時期ではないだろうか?なにもすることがない。どこへも行く当てがない。向島の七福神巡りでもしてこようか?とかーたんに水を向けたがいい返事が得られない。もう数十年も前に、この七福神巡りに行ったが、大方の記憶を失ってしまった。確か、福の七草を土産に買ってきたような・・・言問橋を越えたのは覚えている。夕暮れの寒風が隅田川を渡っていた。どこかで鰻を食ったような気もする。しかし鰻は南千住の『尾花』に如かず、である。鰻の美味はここに限る。料理が鯉の洗いを除いては、鰻に限られているのもこの店の自信を表している。春夏秋冬いつ行っても長い行列が前庭にできている。まぁ、下町巡りは流れたが、それなりに何とかやっている。とにかく今年は良い年になってもらいたい...二日

  • 屠蘇

    昨晩から年が変わってからも遅くまで起きていた。家族ともども三々五々、寝床を出て、元朝の膳につく。御節など有らばこそ、スーパーのテイクアウトである。まぁ、酒にありつければよい。年始の挨拶にも疎く、ただ、だらだら時を過ごすのみ。普段暇なのだから、新春ぐらいは引き締めていけばいいものをそうは行かない。物臭と言うのも因果な性である。日の暮れないうちに書き溜めた年賀状を出してきて、元旦が過ぎていく。今年の抱負とてない。ぐうたらも極まれりである。一年の愚痴を聞かされ屠蘇酌めり素閑寝間にては埃だらけも屠蘇酌めり素閑細々と生きるもよしか屠蘇の朝素閑老妻も健やかなれと屠蘇酌めり素閑養老の屠蘇もこれより何年か素閑楽ありて苦もあり屠蘇のとしはじめ素閑屠蘇の酒酔うて腿膝濡らしけり素閑相模灘望みて旅の屠蘇に酔ひ素閑俳句・短歌ランキング屠蘇

  • 初春

    かーたんと大晦日の晩をテレビを観て過ごしている。テレビなど観たのは何か月ぶりだろう。『こうもり』のDVDを観て、第九を聴いて、東急ジルベスターコンサートを聴いて・・・なにか音楽尽くしの年越しだ。さて、今年のカウントダウンはアンドレア・バッティストーニ指揮、東フィルでヴェルディ、アイーダの『凱旋行進曲』。曲の終わりが2019年1月1日0:00にはかなり早かった!!!引き延ばして苦しかったところは今年の初笑いか?明けましておめでとうございます!迎春世に出でてすることもなくけふの春素閑愉しかり日々の去来す玉の春素閑おともなくただ日の落ちる春のけふ素閑諦めり抱負きかれて初春や素閑朗々とひびく謡やあさの春素閑心づきとなりにすそ分け花の春素閑校庭に人影なしや明けの春素閑電車待つ列も乱れむけふの春素閑和装する子のまぶしさや春...初春

  • 年の夜

    大晦日の晩になった。いつもと変わらず。1981年カルロス・クライバー指揮バイエルン国立歌劇場ジルベスター公演の『こうもり』のDVDを観て、第九を聴いて、あとはのんべんだらり。毎日毎日がのんべんだらりだから、大晦日が特別ということはない。こういう生活態度を小学校の担任が厳しく戒め、その当時は神妙に聞いていたが、大人となり爺となる過程ですっかり忘れてしまった。もともと豆なほうではなかったが、年とともに益々拍車がかかっていく。これも仕方がない。来年の抱負とてない。ただ老いていくのみである。年の夜口外せじと打ち明かす素閑除夜に入りあらがひがたき時ながる素閑年の夜今年はなにをなしたるぞ素閑おおひなる人とまみゆる年の夜素閑除夜の時年を顧み気を落とし素閑年の夜スキー宿にて雑魚寝かな素閑年の夜すくふ命のともしびか素閑乱れたる肴...年の夜

  • 晦日蕎麦

    毎度毎度のことながら変わり映えのしない年末年始。家に籠りきりで7日ほどの休みを過ごすことになろう。知人はスキーに行ったり温泉に行ったり海外旅行に行ったり。いいなあ。まあ、大袈裟な言葉で言えば、世の中の矛盾と言うやつですね。蕎麦でも食って、酒でも呑んでと憂さを晴らすしかない。そこで太子堂の『くら嶋』で蕎麦を手繰って一杯。我ながらなんとも気楽なものである。鍬の泥落としてしばし晦日蕎麦素閑漫談のテレビつけおく晦日蕎麦素閑都ではこう食ふものよと晦日蕎麦素閑晦日蕎麦明日の支度は母一人素閑工場の灯りまだつく晦日蕎麦素閑往来の激しき蕎麦屋晦日かな素閑よがらすの声遠く聞き晦日蕎麦素閑褒貶の際立つ人や晦日蕎麦素閑おけら火をとりて入る店晦日蕎麦素閑合評の夜の更けるごと晦日蕎麦素閑葱切れる妻の座に置く晦日蕎麦素閑骨はなり節は痛むは晦...晦日蕎麦

  • 年忘れ

    高校時代の山岳部のOB会があった。学年をまたいでOBが盆と暮れの年二回集まるというもの。全く風貌の変わらない奴がいる中で、オカブは髪の毛がまったくなくなった。まぁ、良しとしよう。今年はオカブにとって紆余曲折の年であった。来年は良い年になってもらいたい。今年の厄を落とす意味で、大いに呑んだ。こうして管を巻いているうちにも老いていく。それを思うと、さらに呑まずにはいられなくなる。浜千鳥なぜになくやら年忘れ素閑老害と言われてひさし年忘れ素閑佳き年も悪しき年も去り年忘れ素閑年忘れ野の闇を見る茶屋の窓素閑富みし友貧しき友も年忘れ素閑年忘れ業績悪き社長かな素閑年忘れ色変わりたる膾かな素閑麻雀のかちまけ競う年忘れ素閑生き死にの話も出るや年忘れ素閑灯台の明かり見る小屋年忘れ素閑年忘れ野望の末のうつしみや素閑俳句・短歌ランキング年忘れ

  • こつごもり

    今の人にとっては遠い過去の作家だが松本清張と言う小説家がいた。晩成の作家である。中卒で大阪朝日新聞の広告部に嘱託の職を得た。下積みで仕事をこなす一方、こつこつと小説を書き溜めた。そして『西郷札』で直木賞を得た。直木賞を得ても新聞社では下積みの生活が続いた。「みかん事件」というのがある。昔の朝日は社員と嘱託の隔たりが酷く忘年会も別々にやるありさまだった。先に忘年会を終えた社員が松本の机にみかんを「ほれ」と投げた。松本は憤怒のあまりみかんを床に投げつけた。黄色い果汁が床に散った。こうした世間の苦汁を舐めた松本だが推理小説『点と線』で大ブレイクする。それからは大流行作家の路をまい進するのである。松本を流行作家と言っては失礼であろう。彼は日本の「バルザック」と言われている。歴史、推理、犯罪、美術・・・ありとあらゆる分野...こつごもり

  • 年木樵

    今年も今日、明日、明後日三日である。平成最後の年となるとか、そんな世間の話題はいい。我が家では激動の年であった。年の初めから、かーたんの怪我、そして病気と手術、会社の経営・・・・我ながらよく一年を乗り切ったものと思う。来年は平穏な年であって欲しい。そんな願望を込めて、暮の日々を過ごしている。夜勤より帰りて逢ふ瀬年木樵素閑酒瓶と炭積み上げり年木樵素閑年木樵みちのくよりの客迎へ素閑年木樵尾根を越えたるからすかな素閑終わりなき世とのたたかひ年木樵素閑いづれまたあへる日も来る年木樵素閑汽車の窓前山見ゆる年木樵素閑あさ早し山よりかへる年木樵素閑年木樵林の中の細道や素閑年木樵さくさく踏めり先祖の地素閑年木樵平成の世はあれむとす素閑俳句・短歌ランキング年木樵

  • 年の暮

    京セラという会社があるのはご存じだろう。オカブが新卒で就職活動をしていたころ、新興の優良企業でブイブイ言わせていたのを覚えている。一方で京セラは「優良」と並んでその当時「ブラック」でも有名だった。京セラなんかに行ったらぶっ倒れるぞ(過労死という言葉はその当時はなかった)とまことしやかに就活生の間で語られていた。しかし、今では京セラもすっかり普通の会社になって、「優良」というのも「ブラック」というのも聞かなくなった。京セラ以上の「優良企業」も「ブラック企業」も出そろった観がある。日本ではぎりぎりまで過重労働しなければ企業は利益を出せない。しかも、そこまで働いても労働生産性の国際統計では先進国中で最下位である。何が悪いのだろうか?「生産性」というくらいだからアウトプットの出ない余計な仕事で追いまくられているのだろう...年の暮

  • 年惜しむ

    麦酒は大好きだ。しかし日本のビールはお米の臭いがしていかん。さりとて輸入物のビールが美味いとは限らない。ビールの本場は?と聞かれるとちと迷う。麦酒の原型は古代エジプトからあったという。中世にはヨーロッパではビールは広く飲まれていたが、当時はホップがなかったので、大麦を発酵させたものに蜂蜜とクミンをぶち込んで、とても不味いものだったらしい。その反動で地中海地方で飲まれていた葡萄酒のほうがヨーロッパでは普及した。近代になってホップが栽培され、ビールを作るのはホップと淡水と麦芽と酵母のみにせよ、との「ビール純粋令」を発したのは時のドイツ、バイエルン公ヴィルヘルム4世。爾来、ビールはドイツの飲み物という感覚が強くなった。しかし、現在、一人当たりのビールの消費量がいちばん多い国はチェコ。麦酒も『ピルスナー・ウルケル』をは...年惜しむ

  • 掛乞

    「密教」という言葉は諸賢はご存じであろう。仏教の本道である「顕教」に対して、秘匿の教えとしての密教である。教外別伝の禅とは違う。空海と最澄が中国から日本に持ってきた。空海の持ってきた真言宗の密教を「東密」、最澄の持ってきた天台宗の密教を「台密」と言う。密教は、なにやら怪しげな秘法の祈祷が特徴だ。特に密教最高の秘法と言うのが「大元帥の法」(だいげんのそち)で牛乳を煮詰めた蘇と蜜と油を混ぜた蘇蜜油を熱し歓喜天の像にかけて行う秘法で、蘇蜜油の温度が心願の叶う叶わないを決めるという。なんともおどろおどろしい世界だが、信仰というものは鰯の頭から、国家を挙げてのものまで様々であるが、結局は宗教の教義とドグマによって人々が動かされているようだ。一人静かに祈り求める信仰があってもよいと思う。キリスト教も含めて・・・掛乞や明日は...掛乞

  • 年の市

    ボナール展が12月の初旬までやっていた。新聞屋からタダ券をもらったので、かーたんと行こうと示し合わせていたのだが、なかなか時間が取れずお流れになった。ピエール・ボナールはナビ派のなかでも中心をなす作家だが、オカブはどうも好きになれない。彼なりの様式を確立して、その様式の中の枠でしか制作していない気がする。そもそもナビ派はアカデミズムに対立して自らの主張をしてきたエコールのはずである。それが「様式美」に陥っては目も当てられない。ボナール展は行かなくてよかったのかもしれない。雑貨屋の角まで続く年の市素閑年の市常の蕎麦猪口もとめたり素閑年の市勝手口より客一人素閑としのいち独りでかけて宵の月素閑年の市下駄のあゆみの進まじと素閑年の市ほうきを担ぎ銃のごと素閑年の市しをせんべいを商ひぬ素閑年の市むかしのいひなずけ遭ひぬ素閑...年の市

  • クリスマス

    今日はクリスマス・イヴである。休日と重なって皆さん楽しい御計画はあるのかな?キリストの降誕というのはキリスト教的に言うと①救世主が地上に降誕した!②神が人間となって地上に生まれた(受肉)③貧しい大工の子として汚れた馬小屋で生まれるという決して華々しいデビューではなかった(受難の予告)というところに集約される。だからクリスマスは本来、壮大なイルミネーションや、豪華な御馳走とは無縁の、ひっそりと慎ましやかに祝うべきものなのである。しかし、固いことはここではいいです。大いに楽しみましょう。ところで教会とは丸一年ほどご無沙汰だ。つくづく自分はへそ曲がりだと思う。しかし今年のクリスマスイヴは教会に行ってみようかと思っている。よくは分からないが、言えることはクリスマスには人の心も開かれる、ということか?それでは皆さん、Me...クリスマス

  • 虎落笛

    オカブが知っている中で最も住みやすい地はオーストラリアのシドニーの辺りだろう。南緯度のそう低くないオーストラリアの沿岸部は冬は温暖、夏は清涼である(尤も季節は北半球の日本と真逆であるが・・・)。先進国でも豊かな国なので街は整然として清潔である。見るべきモニュメントは多く物価もそう高くない。そういう訳で、少なからぬ日本人がオーストラリアに移住している。日本人だけではない。住みやすいとあらばどんな人でも事情が許せば移り住むだろう。白豪主義などというものも過去のものとなった。そういう訳でシドニーも昔と比べて治安も悪くなったし、物価もそれほど安くないらしい。世の中ままならぬものである。林なき平の原の家虎落笛素閑うつくしや虎落笛にて葉の舞える素閑駅よりの坂を上がりて虎落笛素閑虎落笛太宰の墓所を通りけり素閑陽の落ちて暮れも...虎落笛

  • 蕎麦湯

    ここのところ睡眠障害気味である。昼夜逆転した生活が続いている。それに伴って、体調も少しおかしい。今に始まったことではない。3年ほど前に、あることがきっかけで、こんなことになった。それが、ここへ来て、極端になったという話である。薬も効かない。どうしたものか?夜になったら温かいものを食べ、温かいものを飲み、温かい風呂に入って寝てしまうに如かずである。どうも歳を取ってくると碌なことがない。寝て起きて眠れぬ夜の蕎麦湯かな素閑脚冷えぬ寝床の脇の蕎麦湯かな素閑おほむかし祖母の振る舞ふ蕎麦湯かな素閑世の荒び蕎麦湯の温き椀とかし素閑夜を吹きて蕎麦湯の風の窓辺かな素閑蕎麦湯の夜いじけたじじひとなりにけり素閑川の瀬や音もしじまに蕎麦湯かな素閑いぶせき家背もこごまりて蕎麦湯かな素閑ただ森々夜も更けぬる蕎麦湯かな素閑神の世を待ちにし夜...蕎麦湯

  • 冬至

    後世に名を残すということに執着している人はいるのだろうか?昔、といっても戦国時代や封建時代の昔には、命よりも名を残すということが美徳だった。しかし、今は情報過多の時代、何かしでかせば、あっという間に実名が広がるかわりに、美名は後世まで残らない。だいたい、高名な人に限って、何かしでかしているのである。世知辛い世の中になったが、こういう情報はネットや週刊誌、その他のメディアであっという間に広がる、一部のメディアが事挙げて美名を広めようとしても、必ず他方からネガティブな情報がもたらされる。本当に人の足を引っ張る世の中のようで嘆かわしいが、世の実態を知らざるを得なくなったという点においては良いんだか悪いんだか?ただ、世を斜に眺めていてもいいなあ、と思うこの頃である。町静かあけ染めたるや冬至かな素閑往来の猫に事問ふ冬至か...冬至

  • 枯れ園

    ツィードのジャケットを4着ほど持っている。カサが張るし仕舞うのに不便だが、冬は何かと重宝である。ウールの厚手の生地だから着ていて暖かいし、またセーターと違ってそれなりに気を遣うところにも着ていかれる。ハリス・ツィードのものが2着だがイギリス紳士と見られなくもない。まあ、それは言い過ぎだが、ジャケットだからセミフォーマルで通る。オカブは着道楽のようだがそんなことはない。ただ、身に着けるものは身に着けなくてはならないので、どうせならセンスの良いものを身に着けようとしているだけである。コストは変わらない。コーディネートはネットでこれはセンスがいいなあ、という写真に出会うとすぐ真似る。大抵、手持ちのもので済ませられる。とにかく流行のものを追って、今どきの黒一色のスーツをいい歳をしたおっさんが着ているのだけは願い下げであ...枯れ園

  • 行火

    世の中、理不尽が罷り通るというのはご承知であろう。どんな立場でも、どうも解せない、腑に落ちないということが大手を振って練り歩いている様相は誰しも経験したことだ。しかし、それがこの世というものの本質であり、変えがたい事実なのだ。だから、そのことに、そんなに目くじらを立てることも無い。そんなことへの恨みつらみを離れて、気楽に過ごしたほうが得だ。仕送りに添えた便りやぬる行火素閑ふるさとの山を売りたり行火かな素閑六十を過ぎて母の子行火かな素閑詫びを入れ行火くるまる諍ひや素閑亀のさま行火したしむ四畳半素閑巣に帰る鳥うらやまし行火かな素閑稲畑のおもひまぶたに行火抱く素閑行火抱き軒の雨だれ数えたり素閑明日香路の荒れたるはたの行火かな素閑妖艶の女の夢の行火かな素閑俳句・短歌ランキング行火

  • 携帯電話の海外通話が普及していなかったころ、海外旅行に行って日本と通話するのは、もっぱらホテルの客室電話か、あるいはホテルの電話手数料を節約して外の公衆電話からかけるのが普通だった。そこで海外通話用の国際テレフォンカードなども売られていた。ガラケーの海外ローミングが普及して、もう海外に行っても公衆電話など利用する必要はなくなった。そしてスマホの時代、フェースブックの利用者同士ならメッセンジャーの電話機能を利用して無料で電話が掛けられる。ただし、これは日本から行く場合、一般的には海外SIMを現地でレンタルするか、WIFI環境のあるところでしか利用するか、あるいは日系キャリアの海外旅行者向けオプションサービスを利用するしかない。「利用できない」といっても、そんなに条件の制約が厳しいわけではなく、「一定の条件」の下に...鮪

  • 初鰤

    「初恋の人」というのがある。60の爺が戯けて言うことだから笑って聞いてほしい。これなりに恋もした。言うも恥ずかしい事であるが。どれも片思いであった。所詮叶う恋ではなかった。最後にかーたんに恋をした。そんな熱烈な恋でもなかった。しかし恋は叶ったし、なによりも最も相応しい恋であった。かーたんとはその後、家庭を持ち、子をもうけ、大いなる幸を得た。世の配剤は分からぬものである。しかし神のみ心は常に最善をなしてくださる。初鰤に難波の夢もしらじらと素閑初鰤を道に水まき迎えるや素閑初鰤の目にも麗し下町や素閑初鰤や遠き北国磯の岸素閑初鰤や人波凄し上野の市素閑初鰤や宝光とせむ朝の日や素閑ひもすがら初鰤の荷を家に持ち素閑丘も越え山越え日影の初鰤や素閑頭をも猫に取られし初鰤や素閑初鰤やあしたの日影あらたなり素閑俳句・短歌ランキング初鰤

  • 仲冬

    雪の便りが次々に届いている。今年の冬は暖冬だと思っていたら、とんでもない寒さがやってきた。雪も例年よりも多いだろう。とは言ってもまだ12月も中盤ではあるがまだクリスマス前だ。スキーをするにしてもどこのスキー場でも十分な雪があるわけではない。正月休みを待たなければ、スキーどこでもOKにはならないだろう。しかし昔は「ドカ雪」という言葉があった。豪雪のことである。ドカ雪は雪国の日常生活を悩ませるばかりではなく、冬山を目指す登山家にとっても恐ろしいものである。体力も装備も食糧も十分であっても、一発のドカ雪で行動不能になってしまうことなど昔はよくあった。特に雪深い剣・立山・後立・上越方面ではドカ雪の影響による遭難事故が多発したことがある。そのドカ雪に備えて、旧式の登山家は「デポ」というのを秋の雪のない時期にやっていた。行...仲冬

  • 社会鍋

    すぐそこに正月を迎えたと思ったら、あっという間に暮である。本当に、老いると時の過ぎるのが早い。年々言っていることである。しかし、今年は特にその念が強い。かーたんの病気など色々あった。その対応で、あっという間に時が過ぎてしまった。心理的な反応であろう。物理的には時間の経過は一定である(現在の地球上での場合。特殊な場合を除いて・・・)まぁ、後はお迎えが来るのを待つだけである。しゃくゎいなべ日の暮れ時に通り過ぎ素閑社会鍋喇叭のコートの毛玉かな素閑百円を惜しと社会鍋入れぬるか素閑広辺の恵みにあづかり社会鍋素閑社会鍋屋台の釣りを寄進せむ素閑社会鍋レプタを入れたやもめかな素閑社会鍋中央線にて帰りけり素閑社会鍋辻の屋台にもう一軒素閑社会鍋しゃかいのそこに棲みけるや素閑社会鍋山奥暮らしのいもふとや素閑俳句・短歌ランキング社会鍋

  • 雪囲い

    昔『恍惚の人』という小説が話題になり、売れたことがあった。作者は有吉佐和子である。オカブが高校に通っていたころであろうか?作者は後に不意の最期を遂げたが、それは措いておいて、その作品のモチーフの取り上げ方に有吉の慧眼を感じざるを得ない。これは、まさに老人性認知症とその家族の悲劇であり、40年以上たった今でも、現代的なテーマである。人間の命の尊厳とは言うが、一方で「尊厳死」という言葉がある。命永らえるだけ生きて惚けていくか、自分の意思の明確なうちにきっぱりと死すか、どちらが「厳か」かは分からない。現代医学の進歩は死病の無い人なら、究極まで生き永らえさせる。その環境・状況の中で人間の尊厳とか、幸福を考えるのは容易なことではない。まさに生老病死の苦界である。雪囲い晴れの湯の里神の里素閑雪囲いなして猟銃磨きけり素閑雪囲...雪囲い

  • 納豆

    「流麗」という言葉がある。自分では一度も使ったことがない。今、生まれて初めて書いた(キーボードで打ったわけだが・・・)言葉があるのは知っていた。どこかで読んだのであろう。多分、フィギュアスケートかなんかの試合の新聞記事か、書道家に対する批評かなんかだろうと推測している。かつて使ったことがないのは自分とは縁がないからであろう。「ながれるようにうるわしい」とは、何ともきざな語句であろうか?こんな言葉を作った人は確かにセンスはあるが、地に足をつけて生きていないような気がする。しかし、この言葉は語呂が良くないし漢語調なので、言葉の意味とは裏腹に、文章に入れると文が硬くなる。どうも好きになれない。いやはや日本語の難しさとオカブのへそ曲がり具合は付き合うのは難しかろうと自分でも思っている。納豆の鉢の底なる苦界かな素閑金襴の...納豆

  • 手袋

    「オカブ」というHNでブログを書いている。オカブの姓はある世界的メーカーと同じなのだが、その製品のスーパーカブが好きなのである。そこでカブを拝借してオカブと名乗った。自分では決して買い求めたいとは思わないが、今や銀行員が乗り、新聞配達が乗り、植木屋が乗り、あらゆる階層が利用する社会的インフラと言ってもよかろう。その前身の「バタバタ」は戦後の、まだ碌に部品の無い頃に作られ、燃料タンクには湯たんぽを使ったという。これこそ例えは悪いがまさに「竹槍精神」ではないか!?とにかく物がなかった。食うものもなかった。何とかしなくては、の切迫感に毎日追われていた。けれど夢は無限にあった。祖母からそんな話を聞かされた。日本人も日本の社会もどん底から這い上がるバイタリティとエネルギーを持っていた時代である。オカブはそんな時代とその象...手袋

  • 冷たし

    先週、三茶の行きつけのレストラン『きゃんどる』で頂いた駿河産のシラスを丼にした。シラスは極上品。彩と味を添えるためにイクラを載せて。そのほかサラダ他、こまごましたおかず。全部、かーたんが作ってくれた。普段はこのような食生活をしている。というか、これは家では超豪華版の晩御飯。美味かった。普段はもっと質素なものを食べている。冷たしや硝子窓にふと触れて素閑薬飲むコップも冷たき病室や素閑鉄門を開けるあしたの冷たさや素閑冷たさを生老病死に加えたり素閑床を踏む素足冷たき山寺や素閑禿げ頭風の吹く方冷たきや素閑夜半に起き脚の冷たさ嘆きけり素閑朝礼拝革の聖書の冷たさよ素閑なきがらの冷たさしみる頬の皮素閑湯に入りて窓よりしのぶ冷たさや素閑俳句・短歌ランキング冷たし

  • おでん

    金はないのだが何とか食っている。時には文字通り贅沢なものにありつけることもある。なんともちぐはぐな生活だが、ここ十年ほどこんな感じで暮らしている。ある近しい人(故人)が人間は最高の生活と最低の生活を経験しないと、一人前になれないと説くのを拝聴したことがある。考えつく最高と最低の生活は経験したことがないが、これでも人生に浮沈はあった。山あり谷ありである。そして今、どん底にあるのだが何とか生きている。だから世の諸士よ。どんな境遇になっても希望を捨てて悲観することはない。さんまの言葉ではないが、まさに「生きているだけで丸儲け」である。申し分なき子の親やおでん酒素閑おでん鍋のれんを通る風に揺れ素閑郷愁やおでんの酒ににれはみぬ素閑おでん屋の戸より漏れたる灯火かな素閑昇進の友の便りやおでん食う素閑酒の代懐数えておでん食う素...おでん

  • 十二月

    今年の2月にパリに行ってきたが、そこでまず感じたのは街の汚さだった。これまで何度もパリに行ったが、こんなに雑然とした街並みは見たことがない。裏通りに入れば、まさにゴミ捨て場のような様相である。これは人心が荒廃しているな、と思った。そこで、今回のフランス全土の暴動である。原因はマクロン政権の失政というよりも、ここ数年ヨーロッパ全土を覆う閉塞感が市民の忍耐の限界を超えたことだと思う。これはドイツで極右政党(極右という言葉は使いたくないが・・・ドイツの知的階級に属する良識ある友人がこの運動に参加しているので「極右」と言うのには抵抗感がある)が催している反移民の示威行動と共通するものがある。ホイジンガが『中世の秋』を著したのは前世紀だが、没落に伴う混乱は、今、ヨーロッパを危機に陥れている。十二月薄く曇りて明け染めぬ素閑...十二月

  • 漱石忌

    最近、また体調が悪くなってきた。否、体調が悪いというよりも、体力の衰えが著しい。歳のせいに決まっている。それに運動不足も加わるかな?とにかく疲れる。寝ていても疲れる。いろいろサプリめいた薬も試すようになってきた。もともとサプリはあんなものインチキ臭いと毛嫌いしていたものである。苦しい時の神頼みに似たようなものか?とにかく、なんとかなって欲しい。ご町内礼に参るや漱石忌素閑漆黒に月の照るなり漱石忌素閑子を抱きて川辺の草や漱石忌素閑漱石忌蕎麦屋の二階の寄り合いや素閑湯茶漬けになにもなきもの漱石忌素閑荒れ畑にたたずむ農夫漱石忌素閑長寿ともいへぬ六十漱石忌素閑がうがうといびきの寝るや漱石忌素閑漱石忌挨拶済むと酒になり素閑漱石忌格子の引き戸を開けにけり素閑縫い針に糸の難儀や漱石忌素閑忽然と姿消す影漱石忌素閑俳句・短歌ランキ...漱石忌

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、オカブさんをフォローしませんか?

ハンドル名
オカブさん
ブログタイトル
昼のガスパール・オカブ日記
フォロー
昼のガスパール・オカブ日記

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用