chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
昼のガスパール・オカブ日記 https://blog.goo.ne.jp/sarastro1957

閑人オカブの日常、つらつら思ったことなど。語るもせんなき繰り言を俳句を交えて独吟。

オカブ
フォロー
住所
世田谷区
出身
世田谷区
ブログ村参加

2014/10/15

arrow_drop_down
  • 年の夜

    大晦日の晩になった。いつもと変わらず。1981年カルロス・クライバー指揮バイエルン国立歌劇場ジルベスター公演の『こうもり』のDVDを観て、第九を聴いて、あとはのんべんだらり。毎日毎日がのんべんだらりだから、大晦日が特別ということはない。こういう生活態度を小学校の担任が厳しく戒め、その当時は神妙に聞いていたが、大人となり爺となる過程ですっかり忘れてしまった。もともと豆なほうではなかったが、年とともに益々拍車がかかっていく。これも仕方がない。来年の抱負とてない。ただ老いていくのみである。年の夜口外せじと打ち明かす素閑除夜に入りあらがひがたき時ながる素閑年の夜今年はなにをなしたるぞ素閑おおひなる人とまみゆる年の夜素閑除夜の時年を顧み気を落とし素閑年の夜スキー宿にて雑魚寝かな素閑年の夜すくふ命のともしびか素閑乱れたる肴...年の夜

  • 晦日蕎麦

    毎度毎度のことながら変わり映えのしない年末年始。家に籠りきりで7日ほどの休みを過ごすことになろう。知人はスキーに行ったり温泉に行ったり海外旅行に行ったり。いいなあ。まあ、大袈裟な言葉で言えば、世の中の矛盾と言うやつですね。蕎麦でも食って、酒でも呑んでと憂さを晴らすしかない。そこで太子堂の『くら嶋』で蕎麦を手繰って一杯。我ながらなんとも気楽なものである。鍬の泥落としてしばし晦日蕎麦素閑漫談のテレビつけおく晦日蕎麦素閑都ではこう食ふものよと晦日蕎麦素閑晦日蕎麦明日の支度は母一人素閑工場の灯りまだつく晦日蕎麦素閑往来の激しき蕎麦屋晦日かな素閑よがらすの声遠く聞き晦日蕎麦素閑褒貶の際立つ人や晦日蕎麦素閑おけら火をとりて入る店晦日蕎麦素閑合評の夜の更けるごと晦日蕎麦素閑葱切れる妻の座に置く晦日蕎麦素閑骨はなり節は痛むは晦...晦日蕎麦

  • 年忘れ

    高校時代の山岳部のOB会があった。学年をまたいでOBが盆と暮れの年二回集まるというもの。全く風貌の変わらない奴がいる中で、オカブは髪の毛がまったくなくなった。まぁ、良しとしよう。今年はオカブにとって紆余曲折の年であった。来年は良い年になってもらいたい。今年の厄を落とす意味で、大いに呑んだ。こうして管を巻いているうちにも老いていく。それを思うと、さらに呑まずにはいられなくなる。浜千鳥なぜになくやら年忘れ素閑老害と言われてひさし年忘れ素閑佳き年も悪しき年も去り年忘れ素閑年忘れ野の闇を見る茶屋の窓素閑富みし友貧しき友も年忘れ素閑年忘れ業績悪き社長かな素閑年忘れ色変わりたる膾かな素閑麻雀のかちまけ競う年忘れ素閑生き死にの話も出るや年忘れ素閑灯台の明かり見る小屋年忘れ素閑年忘れ野望の末のうつしみや素閑俳句・短歌ランキング年忘れ

  • こつごもり

    今の人にとっては遠い過去の作家だが松本清張と言う小説家がいた。晩成の作家である。中卒で大阪朝日新聞の広告部に嘱託の職を得た。下積みで仕事をこなす一方、こつこつと小説を書き溜めた。そして『西郷札』で直木賞を得た。直木賞を得ても新聞社では下積みの生活が続いた。「みかん事件」というのがある。昔の朝日は社員と嘱託の隔たりが酷く忘年会も別々にやるありさまだった。先に忘年会を終えた社員が松本の机にみかんを「ほれ」と投げた。松本は憤怒のあまりみかんを床に投げつけた。黄色い果汁が床に散った。こうした世間の苦汁を舐めた松本だが推理小説『点と線』で大ブレイクする。それからは大流行作家の路をまい進するのである。松本を流行作家と言っては失礼であろう。彼は日本の「バルザック」と言われている。歴史、推理、犯罪、美術・・・ありとあらゆる分野...こつごもり

  • 年木樵

    今年も今日、明日、明後日三日である。平成最後の年となるとか、そんな世間の話題はいい。我が家では激動の年であった。年の初めから、かーたんの怪我、そして病気と手術、会社の経営・・・・我ながらよく一年を乗り切ったものと思う。来年は平穏な年であって欲しい。そんな願望を込めて、暮の日々を過ごしている。夜勤より帰りて逢ふ瀬年木樵素閑酒瓶と炭積み上げり年木樵素閑年木樵みちのくよりの客迎へ素閑年木樵尾根を越えたるからすかな素閑終わりなき世とのたたかひ年木樵素閑いづれまたあへる日も来る年木樵素閑汽車の窓前山見ゆる年木樵素閑あさ早し山よりかへる年木樵素閑年木樵林の中の細道や素閑年木樵さくさく踏めり先祖の地素閑年木樵平成の世はあれむとす素閑俳句・短歌ランキング年木樵

  • 年の暮

    京セラという会社があるのはご存じだろう。オカブが新卒で就職活動をしていたころ、新興の優良企業でブイブイ言わせていたのを覚えている。一方で京セラは「優良」と並んでその当時「ブラック」でも有名だった。京セラなんかに行ったらぶっ倒れるぞ(過労死という言葉はその当時はなかった)とまことしやかに就活生の間で語られていた。しかし、今では京セラもすっかり普通の会社になって、「優良」というのも「ブラック」というのも聞かなくなった。京セラ以上の「優良企業」も「ブラック企業」も出そろった観がある。日本ではぎりぎりまで過重労働しなければ企業は利益を出せない。しかも、そこまで働いても労働生産性の国際統計では先進国中で最下位である。何が悪いのだろうか?「生産性」というくらいだからアウトプットの出ない余計な仕事で追いまくられているのだろう...年の暮

  • 年惜しむ

    麦酒は大好きだ。しかし日本のビールはお米の臭いがしていかん。さりとて輸入物のビールが美味いとは限らない。ビールの本場は?と聞かれるとちと迷う。麦酒の原型は古代エジプトからあったという。中世にはヨーロッパではビールは広く飲まれていたが、当時はホップがなかったので、大麦を発酵させたものに蜂蜜とクミンをぶち込んで、とても不味いものだったらしい。その反動で地中海地方で飲まれていた葡萄酒のほうがヨーロッパでは普及した。近代になってホップが栽培され、ビールを作るのはホップと淡水と麦芽と酵母のみにせよ、との「ビール純粋令」を発したのは時のドイツ、バイエルン公ヴィルヘルム4世。爾来、ビールはドイツの飲み物という感覚が強くなった。しかし、現在、一人当たりのビールの消費量がいちばん多い国はチェコ。麦酒も『ピルスナー・ウルケル』をは...年惜しむ

  • 掛乞

    「密教」という言葉は諸賢はご存じであろう。仏教の本道である「顕教」に対して、秘匿の教えとしての密教である。教外別伝の禅とは違う。空海と最澄が中国から日本に持ってきた。空海の持ってきた真言宗の密教を「東密」、最澄の持ってきた天台宗の密教を「台密」と言う。密教は、なにやら怪しげな秘法の祈祷が特徴だ。特に密教最高の秘法と言うのが「大元帥の法」(だいげんのそち)で牛乳を煮詰めた蘇と蜜と油を混ぜた蘇蜜油を熱し歓喜天の像にかけて行う秘法で、蘇蜜油の温度が心願の叶う叶わないを決めるという。なんともおどろおどろしい世界だが、信仰というものは鰯の頭から、国家を挙げてのものまで様々であるが、結局は宗教の教義とドグマによって人々が動かされているようだ。一人静かに祈り求める信仰があってもよいと思う。キリスト教も含めて・・・掛乞や明日は...掛乞

  • 年の市

    ボナール展が12月の初旬までやっていた。新聞屋からタダ券をもらったので、かーたんと行こうと示し合わせていたのだが、なかなか時間が取れずお流れになった。ピエール・ボナールはナビ派のなかでも中心をなす作家だが、オカブはどうも好きになれない。彼なりの様式を確立して、その様式の中の枠でしか制作していない気がする。そもそもナビ派はアカデミズムに対立して自らの主張をしてきたエコールのはずである。それが「様式美」に陥っては目も当てられない。ボナール展は行かなくてよかったのかもしれない。雑貨屋の角まで続く年の市素閑年の市常の蕎麦猪口もとめたり素閑年の市勝手口より客一人素閑としのいち独りでかけて宵の月素閑年の市下駄のあゆみの進まじと素閑年の市ほうきを担ぎ銃のごと素閑年の市しをせんべいを商ひぬ素閑年の市むかしのいひなずけ遭ひぬ素閑...年の市

  • クリスマス

    今日はクリスマス・イヴである。休日と重なって皆さん楽しい御計画はあるのかな?キリストの降誕というのはキリスト教的に言うと①救世主が地上に降誕した!②神が人間となって地上に生まれた(受肉)③貧しい大工の子として汚れた馬小屋で生まれるという決して華々しいデビューではなかった(受難の予告)というところに集約される。だからクリスマスは本来、壮大なイルミネーションや、豪華な御馳走とは無縁の、ひっそりと慎ましやかに祝うべきものなのである。しかし、固いことはここではいいです。大いに楽しみましょう。ところで教会とは丸一年ほどご無沙汰だ。つくづく自分はへそ曲がりだと思う。しかし今年のクリスマスイヴは教会に行ってみようかと思っている。よくは分からないが、言えることはクリスマスには人の心も開かれる、ということか?それでは皆さん、Me...クリスマス

  • 虎落笛

    オカブが知っている中で最も住みやすい地はオーストラリアのシドニーの辺りだろう。南緯度のそう低くないオーストラリアの沿岸部は冬は温暖、夏は清涼である(尤も季節は北半球の日本と真逆であるが・・・)。先進国でも豊かな国なので街は整然として清潔である。見るべきモニュメントは多く物価もそう高くない。そういう訳で、少なからぬ日本人がオーストラリアに移住している。日本人だけではない。住みやすいとあらばどんな人でも事情が許せば移り住むだろう。白豪主義などというものも過去のものとなった。そういう訳でシドニーも昔と比べて治安も悪くなったし、物価もそれほど安くないらしい。世の中ままならぬものである。林なき平の原の家虎落笛素閑うつくしや虎落笛にて葉の舞える素閑駅よりの坂を上がりて虎落笛素閑虎落笛太宰の墓所を通りけり素閑陽の落ちて暮れも...虎落笛

  • 蕎麦湯

    ここのところ睡眠障害気味である。昼夜逆転した生活が続いている。それに伴って、体調も少しおかしい。今に始まったことではない。3年ほど前に、あることがきっかけで、こんなことになった。それが、ここへ来て、極端になったという話である。薬も効かない。どうしたものか?夜になったら温かいものを食べ、温かいものを飲み、温かい風呂に入って寝てしまうに如かずである。どうも歳を取ってくると碌なことがない。寝て起きて眠れぬ夜の蕎麦湯かな素閑脚冷えぬ寝床の脇の蕎麦湯かな素閑おほむかし祖母の振る舞ふ蕎麦湯かな素閑世の荒び蕎麦湯の温き椀とかし素閑夜を吹きて蕎麦湯の風の窓辺かな素閑蕎麦湯の夜いじけたじじひとなりにけり素閑川の瀬や音もしじまに蕎麦湯かな素閑いぶせき家背もこごまりて蕎麦湯かな素閑ただ森々夜も更けぬる蕎麦湯かな素閑神の世を待ちにし夜...蕎麦湯

  • 冬至

    後世に名を残すということに執着している人はいるのだろうか?昔、といっても戦国時代や封建時代の昔には、命よりも名を残すということが美徳だった。しかし、今は情報過多の時代、何かしでかせば、あっという間に実名が広がるかわりに、美名は後世まで残らない。だいたい、高名な人に限って、何かしでかしているのである。世知辛い世の中になったが、こういう情報はネットや週刊誌、その他のメディアであっという間に広がる、一部のメディアが事挙げて美名を広めようとしても、必ず他方からネガティブな情報がもたらされる。本当に人の足を引っ張る世の中のようで嘆かわしいが、世の実態を知らざるを得なくなったという点においては良いんだか悪いんだか?ただ、世を斜に眺めていてもいいなあ、と思うこの頃である。町静かあけ染めたるや冬至かな素閑往来の猫に事問ふ冬至か...冬至

  • 枯れ園

    ツィードのジャケットを4着ほど持っている。カサが張るし仕舞うのに不便だが、冬は何かと重宝である。ウールの厚手の生地だから着ていて暖かいし、またセーターと違ってそれなりに気を遣うところにも着ていかれる。ハリス・ツィードのものが2着だがイギリス紳士と見られなくもない。まあ、それは言い過ぎだが、ジャケットだからセミフォーマルで通る。オカブは着道楽のようだがそんなことはない。ただ、身に着けるものは身に着けなくてはならないので、どうせならセンスの良いものを身に着けようとしているだけである。コストは変わらない。コーディネートはネットでこれはセンスがいいなあ、という写真に出会うとすぐ真似る。大抵、手持ちのもので済ませられる。とにかく流行のものを追って、今どきの黒一色のスーツをいい歳をしたおっさんが着ているのだけは願い下げであ...枯れ園

  • 行火

    世の中、理不尽が罷り通るというのはご承知であろう。どんな立場でも、どうも解せない、腑に落ちないということが大手を振って練り歩いている様相は誰しも経験したことだ。しかし、それがこの世というものの本質であり、変えがたい事実なのだ。だから、そのことに、そんなに目くじらを立てることも無い。そんなことへの恨みつらみを離れて、気楽に過ごしたほうが得だ。仕送りに添えた便りやぬる行火素閑ふるさとの山を売りたり行火かな素閑六十を過ぎて母の子行火かな素閑詫びを入れ行火くるまる諍ひや素閑亀のさま行火したしむ四畳半素閑巣に帰る鳥うらやまし行火かな素閑稲畑のおもひまぶたに行火抱く素閑行火抱き軒の雨だれ数えたり素閑明日香路の荒れたるはたの行火かな素閑妖艶の女の夢の行火かな素閑俳句・短歌ランキング行火

  • 携帯電話の海外通話が普及していなかったころ、海外旅行に行って日本と通話するのは、もっぱらホテルの客室電話か、あるいはホテルの電話手数料を節約して外の公衆電話からかけるのが普通だった。そこで海外通話用の国際テレフォンカードなども売られていた。ガラケーの海外ローミングが普及して、もう海外に行っても公衆電話など利用する必要はなくなった。そしてスマホの時代、フェースブックの利用者同士ならメッセンジャーの電話機能を利用して無料で電話が掛けられる。ただし、これは日本から行く場合、一般的には海外SIMを現地でレンタルするか、WIFI環境のあるところでしか利用するか、あるいは日系キャリアの海外旅行者向けオプションサービスを利用するしかない。「利用できない」といっても、そんなに条件の制約が厳しいわけではなく、「一定の条件」の下に...鮪

  • 初鰤

    「初恋の人」というのがある。60の爺が戯けて言うことだから笑って聞いてほしい。これなりに恋もした。言うも恥ずかしい事であるが。どれも片思いであった。所詮叶う恋ではなかった。最後にかーたんに恋をした。そんな熱烈な恋でもなかった。しかし恋は叶ったし、なによりも最も相応しい恋であった。かーたんとはその後、家庭を持ち、子をもうけ、大いなる幸を得た。世の配剤は分からぬものである。しかし神のみ心は常に最善をなしてくださる。初鰤に難波の夢もしらじらと素閑初鰤を道に水まき迎えるや素閑初鰤の目にも麗し下町や素閑初鰤や遠き北国磯の岸素閑初鰤や人波凄し上野の市素閑初鰤や宝光とせむ朝の日や素閑ひもすがら初鰤の荷を家に持ち素閑丘も越え山越え日影の初鰤や素閑頭をも猫に取られし初鰤や素閑初鰤やあしたの日影あらたなり素閑俳句・短歌ランキング初鰤

  • 仲冬

    雪の便りが次々に届いている。今年の冬は暖冬だと思っていたら、とんでもない寒さがやってきた。雪も例年よりも多いだろう。とは言ってもまだ12月も中盤ではあるがまだクリスマス前だ。スキーをするにしてもどこのスキー場でも十分な雪があるわけではない。正月休みを待たなければ、スキーどこでもOKにはならないだろう。しかし昔は「ドカ雪」という言葉があった。豪雪のことである。ドカ雪は雪国の日常生活を悩ませるばかりではなく、冬山を目指す登山家にとっても恐ろしいものである。体力も装備も食糧も十分であっても、一発のドカ雪で行動不能になってしまうことなど昔はよくあった。特に雪深い剣・立山・後立・上越方面ではドカ雪の影響による遭難事故が多発したことがある。そのドカ雪に備えて、旧式の登山家は「デポ」というのを秋の雪のない時期にやっていた。行...仲冬

  • 社会鍋

    すぐそこに正月を迎えたと思ったら、あっという間に暮である。本当に、老いると時の過ぎるのが早い。年々言っていることである。しかし、今年は特にその念が強い。かーたんの病気など色々あった。その対応で、あっという間に時が過ぎてしまった。心理的な反応であろう。物理的には時間の経過は一定である(現在の地球上での場合。特殊な場合を除いて・・・)まぁ、後はお迎えが来るのを待つだけである。しゃくゎいなべ日の暮れ時に通り過ぎ素閑社会鍋喇叭のコートの毛玉かな素閑百円を惜しと社会鍋入れぬるか素閑広辺の恵みにあづかり社会鍋素閑社会鍋屋台の釣りを寄進せむ素閑社会鍋レプタを入れたやもめかな素閑社会鍋中央線にて帰りけり素閑社会鍋辻の屋台にもう一軒素閑社会鍋しゃかいのそこに棲みけるや素閑社会鍋山奥暮らしのいもふとや素閑俳句・短歌ランキング社会鍋

  • 雪囲い

    昔『恍惚の人』という小説が話題になり、売れたことがあった。作者は有吉佐和子である。オカブが高校に通っていたころであろうか?作者は後に不意の最期を遂げたが、それは措いておいて、その作品のモチーフの取り上げ方に有吉の慧眼を感じざるを得ない。これは、まさに老人性認知症とその家族の悲劇であり、40年以上たった今でも、現代的なテーマである。人間の命の尊厳とは言うが、一方で「尊厳死」という言葉がある。命永らえるだけ生きて惚けていくか、自分の意思の明確なうちにきっぱりと死すか、どちらが「厳か」かは分からない。現代医学の進歩は死病の無い人なら、究極まで生き永らえさせる。その環境・状況の中で人間の尊厳とか、幸福を考えるのは容易なことではない。まさに生老病死の苦界である。雪囲い晴れの湯の里神の里素閑雪囲いなして猟銃磨きけり素閑雪囲...雪囲い

  • 納豆

    「流麗」という言葉がある。自分では一度も使ったことがない。今、生まれて初めて書いた(キーボードで打ったわけだが・・・)言葉があるのは知っていた。どこかで読んだのであろう。多分、フィギュアスケートかなんかの試合の新聞記事か、書道家に対する批評かなんかだろうと推測している。かつて使ったことがないのは自分とは縁がないからであろう。「ながれるようにうるわしい」とは、何ともきざな語句であろうか?こんな言葉を作った人は確かにセンスはあるが、地に足をつけて生きていないような気がする。しかし、この言葉は語呂が良くないし漢語調なので、言葉の意味とは裏腹に、文章に入れると文が硬くなる。どうも好きになれない。いやはや日本語の難しさとオカブのへそ曲がり具合は付き合うのは難しかろうと自分でも思っている。納豆の鉢の底なる苦界かな素閑金襴の...納豆

  • 手袋

    「オカブ」というHNでブログを書いている。オカブの姓はある世界的メーカーと同じなのだが、その製品のスーパーカブが好きなのである。そこでカブを拝借してオカブと名乗った。自分では決して買い求めたいとは思わないが、今や銀行員が乗り、新聞配達が乗り、植木屋が乗り、あらゆる階層が利用する社会的インフラと言ってもよかろう。その前身の「バタバタ」は戦後の、まだ碌に部品の無い頃に作られ、燃料タンクには湯たんぽを使ったという。これこそ例えは悪いがまさに「竹槍精神」ではないか!?とにかく物がなかった。食うものもなかった。何とかしなくては、の切迫感に毎日追われていた。けれど夢は無限にあった。祖母からそんな話を聞かされた。日本人も日本の社会もどん底から這い上がるバイタリティとエネルギーを持っていた時代である。オカブはそんな時代とその象...手袋

  • 冷たし

    先週、三茶の行きつけのレストラン『きゃんどる』で頂いた駿河産のシラスを丼にした。シラスは極上品。彩と味を添えるためにイクラを載せて。そのほかサラダ他、こまごましたおかず。全部、かーたんが作ってくれた。普段はこのような食生活をしている。というか、これは家では超豪華版の晩御飯。美味かった。普段はもっと質素なものを食べている。冷たしや硝子窓にふと触れて素閑薬飲むコップも冷たき病室や素閑鉄門を開けるあしたの冷たさや素閑冷たさを生老病死に加えたり素閑床を踏む素足冷たき山寺や素閑禿げ頭風の吹く方冷たきや素閑夜半に起き脚の冷たさ嘆きけり素閑朝礼拝革の聖書の冷たさよ素閑なきがらの冷たさしみる頬の皮素閑湯に入りて窓よりしのぶ冷たさや素閑俳句・短歌ランキング冷たし

  • おでん

    金はないのだが何とか食っている。時には文字通り贅沢なものにありつけることもある。なんともちぐはぐな生活だが、ここ十年ほどこんな感じで暮らしている。ある近しい人(故人)が人間は最高の生活と最低の生活を経験しないと、一人前になれないと説くのを拝聴したことがある。考えつく最高と最低の生活は経験したことがないが、これでも人生に浮沈はあった。山あり谷ありである。そして今、どん底にあるのだが何とか生きている。だから世の諸士よ。どんな境遇になっても希望を捨てて悲観することはない。さんまの言葉ではないが、まさに「生きているだけで丸儲け」である。申し分なき子の親やおでん酒素閑おでん鍋のれんを通る風に揺れ素閑郷愁やおでんの酒ににれはみぬ素閑おでん屋の戸より漏れたる灯火かな素閑昇進の友の便りやおでん食う素閑酒の代懐数えておでん食う素...おでん

  • 十二月

    今年の2月にパリに行ってきたが、そこでまず感じたのは街の汚さだった。これまで何度もパリに行ったが、こんなに雑然とした街並みは見たことがない。裏通りに入れば、まさにゴミ捨て場のような様相である。これは人心が荒廃しているな、と思った。そこで、今回のフランス全土の暴動である。原因はマクロン政権の失政というよりも、ここ数年ヨーロッパ全土を覆う閉塞感が市民の忍耐の限界を超えたことだと思う。これはドイツで極右政党(極右という言葉は使いたくないが・・・ドイツの知的階級に属する良識ある友人がこの運動に参加しているので「極右」と言うのには抵抗感がある)が催している反移民の示威行動と共通するものがある。ホイジンガが『中世の秋』を著したのは前世紀だが、没落に伴う混乱は、今、ヨーロッパを危機に陥れている。十二月薄く曇りて明け染めぬ素閑...十二月

  • 漱石忌

    最近、また体調が悪くなってきた。否、体調が悪いというよりも、体力の衰えが著しい。歳のせいに決まっている。それに運動不足も加わるかな?とにかく疲れる。寝ていても疲れる。いろいろサプリめいた薬も試すようになってきた。もともとサプリはあんなものインチキ臭いと毛嫌いしていたものである。苦しい時の神頼みに似たようなものか?とにかく、なんとかなって欲しい。ご町内礼に参るや漱石忌素閑漆黒に月の照るなり漱石忌素閑子を抱きて川辺の草や漱石忌素閑漱石忌蕎麦屋の二階の寄り合いや素閑湯茶漬けになにもなきもの漱石忌素閑荒れ畑にたたずむ農夫漱石忌素閑長寿ともいへぬ六十漱石忌素閑がうがうといびきの寝るや漱石忌素閑漱石忌挨拶済むと酒になり素閑漱石忌格子の引き戸を開けにけり素閑縫い針に糸の難儀や漱石忌素閑忽然と姿消す影漱石忌素閑俳句・短歌ランキ...漱石忌

  • 臘八会

    12月も8日である。年末を過ごす準備も新年を迎える準備も何もしていない。歳の瀬、新年と言っても何も特別なことを催すわけではない。しかし、会社のことでも、税務署への報告とか、年末処理とか、結構、時期の区切られたものがある。放っておくわけにはいかないのだが、なんとも手が付かない。しばらくしたら、もうどうとでもなれ、という気分になるかもしれない。いずれにせよ、親に似ず無精な性分が災いをなしている。生き死にも粥の種にて臘八会素閑臘八や問うて返すは糠妄想素閑臘八や風は賤が家吹き通る素閑臘八の夜更けて意地を張り遠し素閑臘八やしびれ切りたる板の冷え素閑臘八や板東太郎の雲の無き素閑臘八やしづくしたたる水道栓素閑臘八や寝間にて震え一夜過ぐ素閑母のもと煩わしくもあり臘八会素閑臘八に為すがままなる六十路かな素閑臘八や荒れにまかする切...臘八会

  • 冬の日

    年甲斐もない話だが、リュック派か鞄派かと聞かれれば断然リュック派である。鞄も持っているが、外に出るときは大抵、デイパックのリュックを背負っている。一時、ノートパソコンが今のように小型・軽量化していなかった時代には、多くのビジネスマンがリュックに重いパソコンを入れてスーツ姿で背負っていたものである。しかしITの発展に伴い、パソコンもタブレットに置き換わり、分厚い紙の資料も持ち歩く必要がなくなった現在では、リュックは少数派である。リュックを背負ってうろうろしていると肩身が狭い。いい歳をしてというものもある。しかしリュックの機動性・運動性には捨てがたいものがある。なにせ荷物を持っても両手を自由に使えるところが大きい。鞄のほうがはるかに格好がいいが、当分リュックで行くつもりである。病身の妻頬白し冬日かな素閑落ちていく冬...冬の日

  • 冬日和

    この間の新聞に公立校の給与特別法に反対の署名が3万通集まったという記事が出ていた。所謂、公立校の先生は残業代を出さずに働かせ放題とするものに反対する署名のことである。学校の先生の労働環境や待遇を改善しなければならないという主張はオカブもそれを大いに叫びたい。しかし、給特法を廃止し、公立学校教員を労働基準法の適用対象(尤も全公務員が労働基準法の対象でないが)にすることにはオカブは反対である。学校の先生の職務は思索したり、議論したり、自身の学習の対象を探したり、自分の勉強のために見聞を広めたりと、効率性・生産性の枠の外にある部分が多い。そこで給特法を廃止したりしたら、時間管理は厳格になり、行動管理もせせこましくなり、とてもそのような余裕は持てなくなるだろう。そこでは上に挙げたような活動は当然労働と認められなくなり、...冬日和

  • 木枯らし

    明日をも知れぬ戦国武将だが、後嗣を得る得ないで、その後の家の興亡がかなり変わってくる。毛利、北条は良き後継者を出した。それで家も数代安泰だった。しかし、織田、豊臣は後嗣に恵まれなかった。そこで程なく滅んだ。そのことを知っていた家康は、子の資質に頼らない集団指導体制とした。スタッフを中心とする近代政府の原型ともいえる。しかし、優れた子を育てる意思と環境は現代でも重要である。子供の育成ということを無視した、男女共同参画という政策は家族の崩壊、国家の崩壊を目指しているとしか思えない。改めるべきである。木枯らしやいずく異郷の旅のみち素閑凩のすり剥けたるや膝頭素閑ことのほか蒸したる饅頭木枯らしや素閑木枯らしや厳父慈母と言い習し素閑良寛もさぞ寒きなれ木枯らしや素閑木枯らしや原に置き去れふるぐるま素閑木枯らしや吹いて行く先走...木枯らし

  • 冬構

    寒くなったり暖かくなったりはいいが、今日は暑い。異常である。今年は、秋の余韻を楽しむ間も有らばこそである。なにか一年中、暑いか寒いかのどちらかになってきた。気候まで無風流に変わっている。どうも良い傾向ではない。とはいえ、俳句の世界では、もう冬である。既に12月も大分、過ぎている。感覚がずれているのは耄碌爺の頭の中だけかもしれぬ。鳥も去りただ延びる枝冬構へ素閑霊山の山裾の里冬構へ素閑きつね色松のみ残り冬構へ素閑冬構へ町にこまごま買ひにいで素閑冬構へともに手にする大ばさみ素閑冬構へただただ遠し富嶽かな素閑日の落ちる手前で済ます冬構へ素閑かそけくも聞こゆるチャイム冬構へ素閑棟梁の横丁長屋冬構へ素閑冬構へ独り子起こすあしたかな素閑俳句・短歌ランキング冬構

  • 短日

    データマイニングという考え方がある。コンピュータ・IT用語である。もう20年も30年も前に流行った言葉である。「データ」はデータのデータ。マイニングとは鉱脈採取のことである。要はただの蓄積された一見、意味のない膨大なデータの中から真に貴重な情報を探し当て掘り出す技術のことを言う。例えば購買者と購買商品のデータから、正確な消費行動の傾向を分析提示するといったことができる。主にソフトウェア・ツールが担当する分野である。昔はオカブはこんなことに取り組んでいた。しかし、今ではこれもAIがカバーする領域になってきた。今はAI、AIと喧しいが、なかなか馬鹿にできないものである。短日や軒端に侘びを残しけり素閑短日の下校の生徒暮れ時や素閑短き日惨たるさだめあるさまや素閑若和尚短日の庭掃きにけり素閑短日の燃えるも冷めて暮れ終わる...短日

  • 山眠る

    よくラーメンに異常に凝っているラーメン通がいる。あれほど情熱を傾けられる意志とラーメン愛とエネルギーは底知れぬ。昼の時間にラーメン屋を三軒・四軒も梯子する猛者もいると聞く。そうなると、もうマニアックの世界になってくる。常識では考えられない。しかし、一般人間世界も、案外、こうした「非常識な」情熱によって動かされているのかもしれない。東大でクルマエビの生態を研究した学生がいた。卒業して農林省に入ったが、ここでもまたクルマエビの生態研究と養殖の開発に取り組んだ。異常な情熱である。親は「大学を出てもまだ海老かねえ」と嘆いたそうだ。役所で管理職になると、海老の研究ができなくなるため、退官してエビ、エビである。一晩、海老の入った池に立ち尽くして、その生態を研究するなどは当然と心得る海老学徒であった。そしてついに養殖の実用化...山眠る

  • 寒葵

    暮れの予定は何もない。年賀状を書いて、大晦日に音楽を聴いてそれだけである。大掃除もなのもしない。怠け者の節句働きのようなことはしない。一年一貫して怠け者を通す。それでこそ「ポリシー」というものである。大きなことを言ったが、ただただ無精なだけである。こうして年の瀬が迫ってくる。やまみちに迷いてかたへ寒葵素閑枝の先鳥の留まるや寒葵素閑漏れる日の玉のごとくに寒葵素閑道草のつひでに見つけ寒葵素閑露伴読むその床下に寒葵素閑葉の敷くにひょっこり顔出す寒葵素閑雲動き山は隠れつ寒葵素閑悄然と鳥のなきがら寒葵素閑摘み取りていぶせき宿や寒葵素閑寒葵逢瀬をまたぐひるどきや素閑置き去りし父のスコップ寒葵素閑俳句・短歌ランキング寒葵

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、オカブさんをフォローしませんか?

ハンドル名
オカブさん
ブログタイトル
昼のガスパール・オカブ日記
フォロー
昼のガスパール・オカブ日記

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用