第二次世界大戦も終わり次第に落ち着きを取り戻し平穏な日々が続くようになりました。しかし、食糧難が続くようになり、当時中年のおばさんは大風呂敷に反物を入れて背中に担ぎ、家から家を訪問販売をされていました。また自転車にトロ箱を積み、魚を売りに来られるおばさんもいました。そうした訪問販売人が来られると祖母や両親は家に招き入れ、食事をさせて親切にする姿を思い起こします。祖母や両親は、早くから家は柿やみかんを栽培しており、収穫にいくと、「振り返ってみてはならない。取り残しは恵まれないひとたちのものだから・・・」と、教えられたものです。稲も「仮の残し」を振り返らないように、教えられました。また、祖母は畳裏の「こも編み」を畳屋さんに依頼され、「こも編み」が日課で、私はそのお手伝いもしていました。するとご褒美に飴玉をいた...4歳頃から7歳頃までの記憶♪