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2012/05/11

  • 美容院脳卒中症候群

    かかりつけの美容院で白髪染めし、洗髪したのが木曜日の午前10時。その後カットブローを仕上げられ、自動車を運転して、帰宅前に食品スーパーへ向かったのが午前11時。まだその時は、「少し頭がフワフワするなぁ」という程度だった。それが買い物中に、明らかなめまいと頭痛に変わり、生あくびが頻出するようになった。急いで帰宅し、買ったものを収納後は、すぐに畳に横になり、安静にしていれば不調も治まるだろうと思っていた。そのまま夕方までウトウト眠り、目覚めたが、頭痛と生あくびは悪化。帰宅した夫に「呂律は回ってるし、身体も異常なく動くし、脳卒中ではないと思うよ」と言われる。しかし、洗濯物を取り込んだら、突然の吐き気。トイレに入ると同時に、大量の嘔吐。これは寝るしかない、と本格的に寝室で朝まで眠る。しかし翌日も、鈍い頭痛と生あく...美容院脳卒中症候群

  • 下呂温泉・水明館

    (※小さな写真をクリックすると大きくなります。お手数ですが、プラウザボタンでお戻りください※)岐阜県下呂温泉の老舗旅館、水明館に一泊した。水明館は昔から、東海地方では有名な高級旅館。子どもの頃から、何回も下呂に泊まったけれど、父は一度も利用することなく、水明館を敬遠していた。今はリーズナブルなプランが提供されているので、私もこの齢にして、初めての水明館を体験してみた。下呂温泉へは、30年ぶりの来訪だ。もちろん、国道41号線を北上して行った。(前回の飛水峡は、今回の予行演習だった)前日が雨だったが土砂災害の心配はなく、中山七里を眺めながら胸躍らせて、安全運転の一人旅だ。初日は曇天。伊能忠敬も宿泊したという江戸時代の本陣「飛騨屋」跡地に、現在は加恵瑠神社が在る。温泉博物館に掲げられる、古来からの下呂温泉の祈り...下呂温泉・水明館

  • 山笑う、飛水峡

    岐阜県美濃加茂市から国道41号を北上して、道の駅美濃白川までドライブに行った。飛騨川がエメラルド色に美しく、うば桜が多かったけれど山ツツジも咲いて、春の景色が楽しかった。七宗町から北は道沿いに飛水峡が続き(中山七里)、子どもの頃、毎年訪れた亡父の故郷の木曽路に似ていて、懐かしさに胸がキューンとなった。山笑う、飛水峡

  • 宮崎駿『君たちはどう生きるか』

    映画は美しく、細部に至るまで迫力が有った。宮崎監督は、自らが知る昭和の日本の(いずれ真に貴重になるであろう)良き風景を、強く作品に残しておきたいのだな、と思った。映画を鑑賞した後に、以前録画したNHKのドキュメンタリー「プロフェッショナル仕事の流儀」を観返した。宮崎監督や高畑勲監督、鈴木敏夫プロデューサーや他のスタッフたちとの(心理的)関係性が何となく分かった。※※※以下はエニアグラム関連です※※※偉大な作品を残す人は、孤高の部分を持つ人だ。高畑監督は、気難しいと評判だった。宮崎監督はそれに比べたら、ずっと人懐こさを感じる。高畑監督は、ややタイプ5に近いタイプ4。宮崎監督は、タイプ9ど真ん中。・・・ではないかなと、私は推測する。日本のアニメは星の数ほどあって、そのどれにもそれぞれにファンはいるだろう。けれ...宮崎駿『君たちはどう生きるか』

  • 母の柚子ジャム

    実母は、今年の夏に米寿を迎える。2年前に父が亡くなった直後、老け込んで小さくなってしまったなと思ったら、重度の骨粗しょう症と、背骨の圧迫骨折が判明した。1年間の治療とリハビリを経て、骨密度が随分上がり元気になった。と喜んでいたら1年前、胆管結石で発熱し、敗血症手前まで行った。その後、胆嚢摘出手術を経て、再びリハビリに精を出し、高額な補聴器も作って、今また元気である。エニアグラムで見れば、典型的なタイプ2(タイプ1寄り)なので、太陽のようにぽかぽか温かく、明るく、優しい人である。農家の出なので、商家出身の父とは異なり、老後の畑仕事も丁寧に、献身的にこなした。日々の煮物やジャム作りも、いまだ手を抜かず丁寧だ。頂き物の柚子で、今年もジャムを作って、お正月に、私たち子や孫にそれぞれくれた。また2月になって新たに作...母の柚子ジャム

  • 映画『生きる』

    一昨日、NHK総合で放送された、黒澤明監督の名作。1952年の映画なのに、胸を衝かれて余韻がすごい。※※※(以下、ネタバレを含みます)※※※主人公は、30年無欠勤の市役所市民課長。早くに妻に先立たれ、男手一つで息子を育てた。しかし同居する息子夫婦は冷たい。胃がんを察した父親のショックにも寄り添わず、話も聞かない。主人公は、絶望のあまり自殺を考えるが死に切れず、初めての酒場で知り合った作家に教えられて放蕩を経験するが、満足できない。心満たされるヒントを与えてくれたのが、明るく健康な若い女性(元部下)。公務員を辞めて、今はおもちゃ工場で働いている。「他愛ないおもちゃでも、どこかの子どもが喜んでくれると思うとやり甲斐が有る。課長も何かを作ってみたら?」この時、自分ができる最大限の何かを、主人公は思い出す。たらい...映画『生きる』

  • 初めての台湾旅行

    12月上旬に、長女と二人で行ってきた。あまり海外旅行に関心が無く、新婚旅行以来36年、日本を出なかった私だが、パスポートが切れる前に、最後に行っておこうかなと、行きたいと思った国が、台湾だった。台中・台南も訪れたかったが、長女が休暇を取れる日数や、私の年齢や体力なども考慮すると、台北のみの3泊4日に落ち着いた。故宮博物院を、ゆっくり自分のペースで鑑賞したかったこともあり、旅行会社ツアーを申し込まず、全て自分たちで調べて手配した。前回書いたとおり、4カ月かけて計画した。Esimって何?から始まり、往復飛行機の押さえ方や出入国手続きなどは海外旅行慣れしている家族に教わりながら、あとはインターネットの様々なサイトを参照して、取り組んだ。パソコンならともかく、スマホに関しては私は一向に不得手なので、途中「もう無理...初めての台湾旅行

  • 旅行前のワクワク

    4カ月前から計画を練っている旅行が、近付いてきた。(と言っても、まだ先だが)ほとんど知識ゼロから、情報蓄積して構築していくパターンはいつものことだが、今回はクリアしなければならない課題も多いため、かなりたくさん集中する時間を割いてきた。そのため、ワクワクも大きい。どうか事件事故なくケガや病いもなく、無事に帰ってこられますように。そう祈りながら、ワクワクと荷造りしている。(出発は、まだ先だが)旅行前のワクワク

  • 谷村新司の眼差し

    アリスがブレイクしたのは、今から44年前だったろうか。当時中学2年生だった妹が、ライブアルバムを毎日聴いて、自らギター片手に歌っていた。(←めっちゃ上手)その妹の付き添いみたいな形で、高校2年生の私は、2人でコンサートに行った。生まれて初めて行ったコンサートが、アリスだった。谷村新司の作品は、ものごとや人間を見つめる眼差しが温かい。映像で観る彼からは、深い包容力が伝わってくる。昴を見つめ、きっと常に見失わなかった人だったのだろう、と思う。数々の名曲は、多くの人の心にずっと響き続けることだろう。谷村新司の眼差し

  • TV朝日ドラマ『ハヤブサ消防団』

    昨年書いたとおり、八百津町に実家がある者として、ドラマ化をたいへん楽しみに待っていた作品。ミステリー展開が原作からどのように変わっていくか、手に汗握って見守っていたが、骨子は変わらず、なおかつ池井戸ドラマらしく熱く、現代社会の問題点を鋭く突きながら、爽快に締めくくられて、良かった。※※※以下、原作のネタバレを含みます※※※原作では町長が展子と血の繋がった兄で、江西住職は養女先の義弟であり、太郎も絡まった糸を解すのに長い月日を要したのだが、ドラマはそのあたりの煩雑さを、すっきり省略して、分かり易くしてあった。その分、カルト宗教の恐ろしさに焦点が当たって、餌食になる人たちの辛さや苦しみが浮き彫りになっていた。ドラマの撮影場所は群馬県で、景観の美しいところだったが、実際の八百津町久田見地区は高原で、もっと深山の...TV朝日ドラマ『ハヤブサ消防団』

  • 毒親か 健全な親か

    本日のYahooニュース記事より>どんな親でも図らずも子どもを傷つけてしまうことはあります。>子育てを完璧にこなせないのは、人間的で、ごくあたり前のことです。>そんなとき健全な親なら、子どもを傷つけてしまったことをひどく後悔します。>自然に湧き起こる罪悪感と自責の念に駆り立てられて、償おうとするでしょう。>間違っても、自分を恥じる気持ちを子どものせいにして、>自分を正当化しようとはしないはずです。>しかし毒家族はそれをします。>脆い心を持った彼らにとっては、自分が嫌な思いをする理由を>誰かになすりつけるほうが楽なのです。>毒親は子どもの無垢な心を捻じ曲げ、何も欲しがらずに大人しくしてさえいれば、>親ももっといい親になってくれるのだと子どもに信じ込ませます。>子どもは親が間違っているとは見抜けません。>自分...毒親か健全な親か

  • トウモロコシの思い出

    昨年亡くなった父は、昭和9年生まれで、信州の木曽福島で生まれ育った。戦争体験の話を訊くと、それは必ず酷かった食糧難の話だった。昼食時には、小学校から走って帰宅し、お粥をかき込んでまた走って学校へ戻った。少しも食べた気がしなかった、という。普段からいつもずっと「食べたいなぁ、食べたいなぁ」という思いでいっぱいだったそうだ。木曽福島の町の中は農家も少なく、戦後も数年、食糧難が続いた。ある時母親(私の祖母)に頼まれて、数駅先の田舎の見知らぬ農家へお使いに行った。夏の暑い真っ盛りだった。背中の風呂敷には、母親が嫁入り時に持ってきて、まだ袖を通していない上質な着物と帯が数組入っていた。それを食糧と交換しに行ったのだが、農家の不愛想な小父さんは、少量のお米(一家6人の1日分程度の)しかくれなかった。折しも、縁側には蒸...トウモロコシの思い出

  • 川瀬巴水の、旅情と郷愁

    名古屋松坂屋美術館へ、川瀬巴水展を観に行ってきた。師匠の鏑木清方に美人画を学んだ人なので、構図そのものも美しいし、風景に溶け込む小さな人物たちに至るまで、皆美しかった。版画の横に、数点写生絵も展示してあり、そのいくつかはたいへん精緻だったので、ぜひ肉筆画展も観たいと思った。大正から関東大震災を経て、太平洋戦争も経て、海外からも高く評価され、求められ続けた多忙な人生。版元の渡辺庄三郎と共に、大正以降の新版画を支えた偉大な才能。日本の浮世絵の、集大成とも言える最後の浮世絵画家。胃がんによる逝去のため、絶筆となり、巴水の死後に庄三郎が完成させた『平泉金色堂』は泣けた。川瀬巴水の、旅情と郷愁

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