岐阜県美濃加茂市から国道41号を北上して、道の駅美濃白川までドライブに行った。飛騨川がエメラルド色に美しく、うば桜が多かったけれど山ツツジも咲いて、春の景色が楽しかった。七宗町から北は道沿いに飛水峡が続き(中山七里)、子どもの頃、毎年訪れた亡父の故郷の木曽路に似ていて、懐かしさに胸がキューンとなった。山笑う、飛水峡
今年の桜は早かった。満開の桜の中、父の一周忌法要が心地良く終わった。生前も晴男だった父は、永眠から10日間晴天が続いたし、四十九日法要の日も爽やかな五月晴れだったが、今回もまた、曇天予報を覆しての快晴だった。自宅での法事は初めてなので、右往左往しつつも、家族6人で力を合わせて乗り切った。準備も後片付けも、かなり疲労したが、みんなで笑い合う時間が楽しかった。当ブログのタイトルにある『果て』は、この日の「父の一周忌」かも知れないと思った。山紫水明の地その7
WBC・日本代表の世界一、本当に嬉しい。大谷翔平やダルビッシュたち大リーガーを始めとする、最強メンバーが一丸となって結束し、感動的な勝利を積み重ねていった。負けそうになっても選手たちを信じ抜いた、栗山監督の采配が素晴らしかった。(特に奏功したのが、準決勝9回ウラの代走、周東だろう)全員で掴んだ栄冠。沢村栄治、川上哲治、長嶋茂雄、王貞治・・・・歴代の名選手たちから、繋がれてきた日本の野球。「ああいう選手になりたい」野球小僧たちが憧れて、成長して大舞台で輝き、またその姿を見た少年少女が夢を膨らませてゆく。本当に素晴らしい。野球小僧たちの栄冠
6年半に渡ったシリーズ全13巻の完結編(2022年8月発行)を、ようやく読み終えた。初巻から毎回、出ると同時に購入して、読んでは次巻を首長く待つほど好きな作品なのに、最終巻のみ、半年も遅れてしまった。なので、一層ゆっくり味わいながら読んだ。18世紀後半の江戸の浅草界隈は、きっとこんな感じだったろう。主人公・幸(さち)を始め、魅力的な登場人物が多く、創作ながら、菊栄や惣次のような商才の持ち主も、きっと居たんだろうなぁ、と思った。読後見つけた作者のインタビューで、幸にはモデルが実在したことを知り、感動した。3代の店主に嫁いだ後、自ら店主を継ぎ、幾多の災害を乗り越え、被災者支援にも注力した、女性経営者。五鈴屋のような健気な商家が、きっと実在したのだろう。女性店主の元に、主従一致団結し、暴利を貪ることなく、仲間と...高田郁「あきない世傳金と銀」
2022年NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』、1年間本当に楽しませてもらった。感謝している。私が高校3年生の時に、熱心に視聴した『草燃える』の時代と丸々かぶっているのだが、さすが三谷幸喜脚本だけあって、大変分かりやすく軽快で、なおかつ内容が濃厚で、新鮮に感じられた。大勢の登場人物、ほとんど全員に感情移入できた。それはエンタメ上、悪役に描かざるを得なかった人々も含めてである。800年以上昔の鎌倉時代初期を、見事に再現してくれたスタッフたちにも拍手したい。今から42年前のことだが、私が短大入学直後に「日本史上、最も好きな人物は誰か」という課題レポートが出され、私は「北条泰時」と書いた。政子・義時・時房・泰時の4人が人間的にしっかりしていたからこそ、そして大江広元という頭脳的参謀あってこそ、鎌倉幕府が整えられ、...鎌倉殿の13人
森保一監督が4年間積み上げてきたことが、W杯本番で、ドイツやスペイン相手に開花して良かった。監督インタビュー「最後の1分くらいにドーハの記憶は出てきた。ちょうどその時に選手が前向きにボールを奪いにいっていて、時代は変わったと、選手たちが新しい時代のプレーをしてくれていると思った」(産経新聞)大会出場メンバーにあえて若手を選出したことが功を奏して、29年前の『ドーハの悲劇』によるトラウマを克服できたとは、一ライトファンに過ぎない私から見ても、感無量だ。大会前「えー原口も大迫も出ないの?」と文句言い、ドイツやスペインにせめて大差で負けないことを祈っていた一ライトファンは、ドイツ戦後半の日本の強さに、文字通りひっくり返って手に汗握った。そしてスペイン戦での、何という感動的な、三苫選手の1mm。諦めずに伸ばした足...三苫選手の1mm
ドキドキハラハラしながら読み続け、最後の1ページで落涙して、読み終えた。作者・池井戸潤は、岐阜県加茂郡八百津町の出身である。その自らの出身地を、モデルにして書いたのがこの作品である。実は、私が略歴で書いているY町というのも、八百津町のことである。私の先日亡くなった父が惚れ込み、42年前に永住場所として選んだ「山紫水明の地」である。(ハヤブサ地区とは別の、もっと利便性ある地区だが)そして、略歴にあるように私が行政職員として勤務したのは、八百津町役場本庁だった。池井戸氏が慶応義塾大学進学のため上京したのと、ちょうど入れ違いで、私は長野市の短大寮から、八百津に移り住んだ。だから、移住者の視点も分かる。ハヤブサ地区の知人も10数名いるし、作中の地名がどこを指すかもありありと分かる。小学校で行われる消防団の操法大会...『ハヤブサ消防団』池井戸潤
日本中の全ての人が記憶に留めてほしいほど、世紀の名演説だった。(NHKノーカット動画と全文)国民の命と生活がかかっているマイクを握り、日本の未来について、前を向いて訴えている最中に、後ろから銃撃され、命を失うことの無念。皇居の待合室で、勝者と敗者の2人っきりになり、重苦しい沈黙の中、まるでカウンセラーのように温かな慈愛を注いでくれた安倍さん。その優しさは、持病の悪化でわずか1年で首相辞任した無念の経験、初めての大きな挫折と屈辱感によって培われた、力強いものであったことに、後から気付いた―――分刻みのスケジュール。海外出張の高速移動と時差で疲労は蓄積。その毎日は、政治責任を伴う果てなき決断の連続。批判という容赦ない言葉の刃を投げつけられ、在任中、真の意味で心休まる時などなかったはず。第一次政権から数え、通算...野田元総理の、追悼演説
4日前、リアルタイム中継を、熱心に見た。故人自らが弾くピアノをBGMに、首相時代の経歴を政府がまとめた映像が良かった。岸田首相、菅元首相の弔辞も、それぞれ良かった。特に、菅さんが熱く読み終えた弔辞を式壇に置いた時は、安倍さんの遺影が、にっこり笑って応えたかのようにさえ感じられた。官房長官だった菅さんをあれほどに惚れさせる、安倍さんの人間的魅力が偲ばれた。献花の際に、森・小泉・福田元首相らと並んで、野田元首相が同列だったのも良かった。翌日のニュース映像で、一般献花台に数キロに渡って並ぶ長蛇の列と、街中の巨大スクリーンに黙祷を捧げる人々を見て、日本人に生まれた幸せを感じた。海外メディアには、賛否二分した国葬を通じて、反対者の声ばかりを集めるのではなく、静かに敬虔に安倍首相の魂に合掌する人々の姿を、報道してほし...安倍元総理の国葬
夏が行く。今年は雨が多かったが、夏野菜やスイカ、トウモロコシの他に、ブルーベリーが豊作だった。実家の庭の外れに、父が知人からもらった苗を2本植えたもので、足場の悪い場所にある上、ちょっとした林をかき分けて行かなければならないので、家族の誰からも振り向かれず、数年間放置されていた。それが今年、父が亡くなってから、私の夫がブルーベリー専用肥料を購入して、試験的にまいてみたら、大豊作。鳥に狙われないようネットを被せ、1日置きに小ザル一杯、約1ケ月に渡って収穫できた。夫が週1、私が週2の来訪で、農作業は辛いけど、何とか畑を守っている。売り物ではなく、趣味の野菜作りなのに、やっとこどっこいだ。そして最たる問題は、雑草との戦い。山紫水明の地その6
実家の正面100m先には、こんもりとした低い山の森が連なっており、春夏秋冬、様々な四季の美を一望できる。山桜、藤、つつじ、新緑、深緑、紅葉、冬枯れ、雪景色など。夏盛りの今は、万緑とヒグラシ蝉の風情が素晴らしい。早朝と夕暮れ時には、「カナカナカナカナ・・・・」の大合唱に包まれる。昔、父が「死ぬ時はヒグラシの声を聞きながら逝きたいなぁ。臨終の枕元で録音したのを流してくれ」と冗談半分で言っていたが、その気持ちがよく分かる。山紫水明の地その5
今年の梅雨明けは早く、もう真夏の酷暑がやってきた。実家の畑仕事も、今までは鳥のさえずりや吹き渡る涼風と共に、爽やかにこなすことができたが、最近は、厳しい日差しや虫との戦いが辛くなってきた。容赦なく雑草は伸びるし、しなければならないことは山積している。追肥せよと言われても、菜種油か化成肥料かその混合か、何をどのように施せば良いのやら。土寄せや畝づくりなど、鍬の扱いも苦手だ。今までずっと未知だった、農作業の過酷さに、思いを馳せる。山紫水明の地その4
父の四十九日法要が、無事済んだ。父は地域にとっても、親族の間でも、それなりに大きな存在感の有る人だったが、他界してしまえば、「日々に疎し」なのだろうか。毎日の暮らしに手一杯の現世人にとっては、あの世の人は、もう遠い存在になってゆくのだろう、寂しいことだが。私は、永遠に忘れない。――ものを大切にお金を大切に時間を大切にそして、人の心と命を大切に――そのように言葉ではなく、日常の繰り返しの中で、自らの生き様によって、幼い頃から叩き込まれてきたから。父は社会科教師志望だったが、高3の時に祖母・父・母を相次いで病で亡くし、一気に保護者を失ったため、進学も就職もできないまま、高校を卒業することになった。以降は苦労しながらも、楽しみながら、人生を切り開き、築き上げていった。文学・歴史・地理・文化に造詣深く、自然や動物を愛し...山紫水明の地その3
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岐阜県美濃加茂市から国道41号を北上して、道の駅美濃白川までドライブに行った。飛騨川がエメラルド色に美しく、うば桜が多かったけれど山ツツジも咲いて、春の景色が楽しかった。七宗町から北は道沿いに飛水峡が続き(中山七里)、子どもの頃、毎年訪れた亡父の故郷の木曽路に似ていて、懐かしさに胸がキューンとなった。山笑う、飛水峡
映画は美しく、細部に至るまで迫力が有った。宮崎監督は、自らが知る昭和の日本の(いずれ真に貴重になるであろう)良き風景を、強く作品に残しておきたいのだな、と思った。映画を鑑賞した後に、以前録画したNHKのドキュメンタリー「プロフェッショナル仕事の流儀」を観返した。宮崎監督や高畑勲監督、鈴木敏夫プロデューサーや他のスタッフたちとの(心理的)関係性が何となく分かった。※※※以下はエニアグラム関連です※※※偉大な作品を残す人は、孤高の部分を持つ人だ。高畑監督は、気難しいと評判だった。宮崎監督はそれに比べたら、ずっと人懐こさを感じる。高畑監督は、ややタイプ5に近いタイプ4。宮崎監督は、タイプ9ど真ん中。・・・ではないかなと、私は推測する。日本のアニメは星の数ほどあって、そのどれにもそれぞれにファンはいるだろう。けれ...宮崎駿『君たちはどう生きるか』
実母は、今年の夏に米寿を迎える。2年前に父が亡くなった直後、老け込んで小さくなってしまったなと思ったら、重度の骨粗しょう症と、背骨の圧迫骨折が判明した。1年間の治療とリハビリを経て、骨密度が随分上がり元気になった。と喜んでいたら1年前、胆管結石で発熱し、敗血症手前まで行った。その後、胆嚢摘出手術を経て、再びリハビリに精を出し、高額な補聴器も作って、今また元気である。エニアグラムで見れば、典型的なタイプ2(タイプ1寄り)なので、太陽のようにぽかぽか温かく、明るく、優しい人である。農家の出なので、商家出身の父とは異なり、老後の畑仕事も丁寧に、献身的にこなした。日々の煮物やジャム作りも、いまだ手を抜かず丁寧だ。頂き物の柚子で、今年もジャムを作って、お正月に、私たち子や孫にそれぞれくれた。また2月になって新たに作...母の柚子ジャム
一昨日、NHK総合で放送された、黒澤明監督の名作。1952年の映画なのに、胸を衝かれて余韻がすごい。※※※(以下、ネタバレを含みます)※※※主人公は、30年無欠勤の市役所市民課長。早くに妻に先立たれ、男手一つで息子を育てた。しかし同居する息子夫婦は冷たい。胃がんを察した父親のショックにも寄り添わず、話も聞かない。主人公は、絶望のあまり自殺を考えるが死に切れず、初めての酒場で知り合った作家に教えられて放蕩を経験するが、満足できない。心満たされるヒントを与えてくれたのが、明るく健康な若い女性(元部下)。公務員を辞めて、今はおもちゃ工場で働いている。「他愛ないおもちゃでも、どこかの子どもが喜んでくれると思うとやり甲斐が有る。課長も何かを作ってみたら?」この時、自分ができる最大限の何かを、主人公は思い出す。たらい...映画『生きる』
12月上旬に、長女と二人で行ってきた。あまり海外旅行に関心が無く、新婚旅行以来36年、日本を出なかった私だが、パスポートが切れる前に、最後に行っておこうかなと、行きたいと思った国が、台湾だった。台中・台南も訪れたかったが、長女が休暇を取れる日数や、私の年齢や体力なども考慮すると、台北のみの3泊4日に落ち着いた。故宮博物院を、ゆっくり自分のペースで鑑賞したかったこともあり、旅行会社ツアーを申し込まず、全て自分たちで調べて手配した。前回書いたとおり、4カ月かけて計画した。Esimって何?から始まり、往復飛行機の押さえ方や出入国手続きなどは海外旅行慣れしている家族に教わりながら、あとはインターネットの様々なサイトを参照して、取り組んだ。パソコンならともかく、スマホに関しては私は一向に不得手なので、途中「もう無理...初めての台湾旅行
4カ月前から計画を練っている旅行が、近付いてきた。(と言っても、まだ先だが)ほとんど知識ゼロから、情報蓄積して構築していくパターンはいつものことだが、今回はクリアしなければならない課題も多いため、かなりたくさん集中する時間を割いてきた。そのため、ワクワクも大きい。どうか事件事故なくケガや病いもなく、無事に帰ってこられますように。そう祈りながら、ワクワクと荷造りしている。(出発は、まだ先だが)旅行前のワクワク
アリスがブレイクしたのは、今から44年前だったろうか。当時中学2年生だった妹が、ライブアルバムを毎日聴いて、自らギター片手に歌っていた。(←めっちゃ上手)その妹の付き添いみたいな形で、高校2年生の私は、2人でコンサートに行った。生まれて初めて行ったコンサートが、アリスだった。谷村新司の作品は、ものごとや人間を見つめる眼差しが温かい。映像で観る彼からは、深い包容力が伝わってくる。昴を見つめ、きっと常に見失わなかった人だったのだろう、と思う。数々の名曲は、多くの人の心にずっと響き続けることだろう。谷村新司の眼差し
昨年書いたとおり、八百津町に実家がある者として、ドラマ化をたいへん楽しみに待っていた作品。ミステリー展開が原作からどのように変わっていくか、手に汗握って見守っていたが、骨子は変わらず、なおかつ池井戸ドラマらしく熱く、現代社会の問題点を鋭く突きながら、爽快に締めくくられて、良かった。※※※以下、原作のネタバレを含みます※※※原作では町長が展子と血の繋がった兄で、江西住職は養女先の義弟であり、太郎も絡まった糸を解すのに長い月日を要したのだが、ドラマはそのあたりの煩雑さを、すっきり省略して、分かり易くしてあった。その分、カルト宗教の恐ろしさに焦点が当たって、餌食になる人たちの辛さや苦しみが浮き彫りになっていた。ドラマの撮影場所は群馬県で、景観の美しいところだったが、実際の八百津町久田見地区は高原で、もっと深山の...TV朝日ドラマ『ハヤブサ消防団』
本日のYahooニュース記事より>どんな親でも図らずも子どもを傷つけてしまうことはあります。>子育てを完璧にこなせないのは、人間的で、ごくあたり前のことです。>そんなとき健全な親なら、子どもを傷つけてしまったことをひどく後悔します。>自然に湧き起こる罪悪感と自責の念に駆り立てられて、償おうとするでしょう。>間違っても、自分を恥じる気持ちを子どものせいにして、>自分を正当化しようとはしないはずです。>しかし毒家族はそれをします。>脆い心を持った彼らにとっては、自分が嫌な思いをする理由を>誰かになすりつけるほうが楽なのです。>毒親は子どもの無垢な心を捻じ曲げ、何も欲しがらずに大人しくしてさえいれば、>親ももっといい親になってくれるのだと子どもに信じ込ませます。>子どもは親が間違っているとは見抜けません。>自分...毒親か健全な親か
昨年亡くなった父は、昭和9年生まれで、信州の木曽福島で生まれ育った。戦争体験の話を訊くと、それは必ず酷かった食糧難の話だった。昼食時には、小学校から走って帰宅し、お粥をかき込んでまた走って学校へ戻った。少しも食べた気がしなかった、という。普段からいつもずっと「食べたいなぁ、食べたいなぁ」という思いでいっぱいだったそうだ。木曽福島の町の中は農家も少なく、戦後も数年、食糧難が続いた。ある時母親(私の祖母)に頼まれて、数駅先の田舎の見知らぬ農家へお使いに行った。夏の暑い真っ盛りだった。背中の風呂敷には、母親が嫁入り時に持ってきて、まだ袖を通していない上質な着物と帯が数組入っていた。それを食糧と交換しに行ったのだが、農家の不愛想な小父さんは、少量のお米(一家6人の1日分程度の)しかくれなかった。折しも、縁側には蒸...トウモロコシの思い出
名古屋松坂屋美術館へ、川瀬巴水展を観に行ってきた。師匠の鏑木清方に美人画を学んだ人なので、構図そのものも美しいし、風景に溶け込む小さな人物たちに至るまで、皆美しかった。版画の横に、数点写生絵も展示してあり、そのいくつかはたいへん精緻だったので、ぜひ肉筆画展も観たいと思った。大正から関東大震災を経て、太平洋戦争も経て、海外からも高く評価され、求められ続けた多忙な人生。版元の渡辺庄三郎と共に、大正以降の新版画を支えた偉大な才能。日本の浮世絵の、集大成とも言える最後の浮世絵画家。胃がんによる逝去のため、絶筆となり、巴水の死後に庄三郎が完成させた『平泉金色堂』は泣けた。川瀬巴水の、旅情と郷愁
終戦直後に大蔵大臣を任され、日本経済を支えた経済学者・渋沢敬三(渋沢栄一の直孫)は、一方で優れた民俗文化研究者でもあり、後進の民俗学者にこう語ったという。「主流にはならず、傍流からよく観察することが大切だ。主流になると、どうしても多くのものを見落としてしまう。見落とされた中にある重要なものを発見し、拾い集めて、他人の喜びを自分も本当に喜べるようになることが大切だ」含蓄ある名言だと思う。自分が主流になることばかりを目指して争う、殺伐とした現代社会。本当に世の中を支えているのは、真理を見失わない傍流の視線であろう。そしてその視線こそが、人間社会と自分自身の幸せにも最も近いものではなかろうか。傍流のすすめ
2023年のゴールデンウィーク。爽やかな初夏の風とキジの鳴き声に包まれながら、八百津の実家で、庭と畑の除草を、長女としてきた。帰り道、車の中でKingGnu(キングヌー)の音楽と共に、仙台で2日間フェスを楽しんできた話を聞かされながら、母親である私も、幸せを感じていた。幸も不幸も様々あり、運命に泣いたり笑ったり振り回される私たち人間。これからも振り回されながら、泣いたり笑ったりし続けるのだろう――幸せの形様
今年の桜は早かった。満開の桜の中、父の一周忌法要が心地良く終わった。生前も晴男だった父は、永眠から10日間晴天が続いたし、四十九日法要の日も爽やかな五月晴れだったが、今回もまた、曇天予報を覆しての快晴だった。自宅での法事は初めてなので、右往左往しつつも、家族6人で力を合わせて乗り切った。準備も後片付けも、かなり疲労したが、みんなで笑い合う時間が楽しかった。当ブログのタイトルにある『果て』は、この日の「父の一周忌」かも知れないと思った。山紫水明の地その7
WBC・日本代表の世界一、本当に嬉しい。大谷翔平やダルビッシュたち大リーガーを始めとする、最強メンバーが一丸となって結束し、感動的な勝利を積み重ねていった。負けそうになっても選手たちを信じ抜いた、栗山監督の采配が素晴らしかった。(特に奏功したのが、準決勝9回ウラの代走、周東だろう)全員で掴んだ栄冠。沢村栄治、川上哲治、長嶋茂雄、王貞治・・・・歴代の名選手たちから、繋がれてきた日本の野球。「ああいう選手になりたい」野球小僧たちが憧れて、成長して大舞台で輝き、またその姿を見た少年少女が夢を膨らませてゆく。本当に素晴らしい。野球小僧たちの栄冠
6年半に渡ったシリーズ全13巻の完結編(2022年8月発行)を、ようやく読み終えた。初巻から毎回、出ると同時に購入して、読んでは次巻を首長く待つほど好きな作品なのに、最終巻のみ、半年も遅れてしまった。なので、一層ゆっくり味わいながら読んだ。18世紀後半の江戸の浅草界隈は、きっとこんな感じだったろう。主人公・幸(さち)を始め、魅力的な登場人物が多く、創作ながら、菊栄や惣次のような商才の持ち主も、きっと居たんだろうなぁ、と思った。読後見つけた作者のインタビューで、幸にはモデルが実在したことを知り、感動した。3代の店主に嫁いだ後、自ら店主を継ぎ、幾多の災害を乗り越え、被災者支援にも注力した、女性経営者。五鈴屋のような健気な商家が、きっと実在したのだろう。女性店主の元に、主従一致団結し、暴利を貪ることなく、仲間と...高田郁「あきない世傳金と銀」
2022年NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』、1年間本当に楽しませてもらった。感謝している。私が高校3年生の時に、熱心に視聴した『草燃える』の時代と丸々かぶっているのだが、さすが三谷幸喜脚本だけあって、大変分かりやすく軽快で、なおかつ内容が濃厚で、新鮮に感じられた。大勢の登場人物、ほとんど全員に感情移入できた。それはエンタメ上、悪役に描かざるを得なかった人々も含めてである。800年以上昔の鎌倉時代初期を、見事に再現してくれたスタッフたちにも拍手したい。今から42年前のことだが、私が短大入学直後に「日本史上、最も好きな人物は誰か」という課題レポートが出され、私は「北条泰時」と書いた。政子・義時・時房・泰時の4人が人間的にしっかりしていたからこそ、そして大江広元という頭脳的参謀あってこそ、鎌倉幕府が整えられ、...鎌倉殿の13人
森保一監督が4年間積み上げてきたことが、W杯本番で、ドイツやスペイン相手に開花して良かった。監督インタビュー「最後の1分くらいにドーハの記憶は出てきた。ちょうどその時に選手が前向きにボールを奪いにいっていて、時代は変わったと、選手たちが新しい時代のプレーをしてくれていると思った」(産経新聞)大会出場メンバーにあえて若手を選出したことが功を奏して、29年前の『ドーハの悲劇』によるトラウマを克服できたとは、一ライトファンに過ぎない私から見ても、感無量だ。大会前「えー原口も大迫も出ないの?」と文句言い、ドイツやスペインにせめて大差で負けないことを祈っていた一ライトファンは、ドイツ戦後半の日本の強さに、文字通りひっくり返って手に汗握った。そしてスペイン戦での、何という感動的な、三苫選手の1mm。諦めずに伸ばした足...三苫選手の1mm
ドキドキハラハラしながら読み続け、最後の1ページで落涙して、読み終えた。作者・池井戸潤は、岐阜県加茂郡八百津町の出身である。その自らの出身地を、モデルにして書いたのがこの作品である。実は、私が略歴で書いているY町というのも、八百津町のことである。私の先日亡くなった父が惚れ込み、42年前に永住場所として選んだ「山紫水明の地」である。(ハヤブサ地区とは別の、もっと利便性ある地区だが)そして、略歴にあるように私が行政職員として勤務したのは、八百津町役場本庁だった。池井戸氏が慶応義塾大学進学のため上京したのと、ちょうど入れ違いで、私は長野市の短大寮から、八百津に移り住んだ。だから、移住者の視点も分かる。ハヤブサ地区の知人も10数名いるし、作中の地名がどこを指すかもありありと分かる。小学校で行われる消防団の操法大会...『ハヤブサ消防団』池井戸潤
日本中の全ての人が記憶に留めてほしいほど、世紀の名演説だった。(NHKノーカット動画と全文)国民の命と生活がかかっているマイクを握り、日本の未来について、前を向いて訴えている最中に、後ろから銃撃され、命を失うことの無念。皇居の待合室で、勝者と敗者の2人っきりになり、重苦しい沈黙の中、まるでカウンセラーのように温かな慈愛を注いでくれた安倍さん。その優しさは、持病の悪化でわずか1年で首相辞任した無念の経験、初めての大きな挫折と屈辱感によって培われた、力強いものであったことに、後から気付いた―――分刻みのスケジュール。海外出張の高速移動と時差で疲労は蓄積。その毎日は、政治責任を伴う果てなき決断の連続。批判という容赦ない言葉の刃を投げつけられ、在任中、真の意味で心休まる時などなかったはず。第一次政権から数え、通算...野田元総理の、追悼演説
今年の桜は早かった。満開の桜の中、父の一周忌法要が心地良く終わった。生前も晴男だった父は、永眠から10日間晴天が続いたし、四十九日法要の日も爽やかな五月晴れだったが、今回もまた、曇天予報を覆しての快晴だった。自宅での法事は初めてなので、右往左往しつつも、家族6人で力を合わせて乗り切った。準備も後片付けも、かなり疲労したが、みんなで笑い合う時間が楽しかった。当ブログのタイトルにある『果て』は、この日の「父の一周忌」かも知れないと思った。山紫水明の地その7
WBC・日本代表の世界一、本当に嬉しい。大谷翔平やダルビッシュたち大リーガーを始めとする、最強メンバーが一丸となって結束し、感動的な勝利を積み重ねていった。負けそうになっても選手たちを信じ抜いた、栗山監督の采配が素晴らしかった。(特に奏功したのが、準決勝9回ウラの代走、周東だろう)全員で掴んだ栄冠。沢村栄治、川上哲治、長嶋茂雄、王貞治・・・・歴代の名選手たちから、繋がれてきた日本の野球。「ああいう選手になりたい」野球小僧たちが憧れて、成長して大舞台で輝き、またその姿を見た少年少女が夢を膨らませてゆく。本当に素晴らしい。野球小僧たちの栄冠
6年半に渡ったシリーズ全13巻の完結編(2022年8月発行)を、ようやく読み終えた。初巻から毎回、出ると同時に購入して、読んでは次巻を首長く待つほど好きな作品なのに、最終巻のみ、半年も遅れてしまった。なので、一層ゆっくり味わいながら読んだ。18世紀後半の江戸の浅草界隈は、きっとこんな感じだったろう。主人公・幸(さち)を始め、魅力的な登場人物が多く、創作ながら、菊栄や惣次のような商才の持ち主も、きっと居たんだろうなぁ、と思った。読後見つけた作者のインタビューで、幸にはモデルが実在したことを知り、感動した。3代の店主に嫁いだ後、自ら店主を継ぎ、幾多の災害を乗り越え、被災者支援にも注力した、女性経営者。五鈴屋のような健気な商家が、きっと実在したのだろう。女性店主の元に、主従一致団結し、暴利を貪ることなく、仲間と...高田郁「あきない世傳金と銀」
2022年NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』、1年間本当に楽しませてもらった。感謝している。私が高校3年生の時に、熱心に視聴した『草燃える』の時代と丸々かぶっているのだが、さすが三谷幸喜脚本だけあって、大変分かりやすく軽快で、なおかつ内容が濃厚で、新鮮に感じられた。大勢の登場人物、ほとんど全員に感情移入できた。それはエンタメ上、悪役に描かざるを得なかった人々も含めてである。800年以上昔の鎌倉時代初期を、見事に再現してくれたスタッフたちにも拍手したい。今から42年前のことだが、私が短大入学直後に「日本史上、最も好きな人物は誰か」という課題レポートが出され、私は「北条泰時」と書いた。政子・義時・時房・泰時の4人が人間的にしっかりしていたからこそ、そして大江広元という頭脳的参謀あってこそ、鎌倉幕府が整えられ、...鎌倉殿の13人
森保一監督が4年間積み上げてきたことが、W杯本番で、ドイツやスペイン相手に開花して良かった。監督インタビュー「最後の1分くらいにドーハの記憶は出てきた。ちょうどその時に選手が前向きにボールを奪いにいっていて、時代は変わったと、選手たちが新しい時代のプレーをしてくれていると思った」(産経新聞)大会出場メンバーにあえて若手を選出したことが功を奏して、29年前の『ドーハの悲劇』によるトラウマを克服できたとは、一ライトファンに過ぎない私から見ても、感無量だ。大会前「えー原口も大迫も出ないの?」と文句言い、ドイツやスペインにせめて大差で負けないことを祈っていた一ライトファンは、ドイツ戦後半の日本の強さに、文字通りひっくり返って手に汗握った。そしてスペイン戦での、何という感動的な、三苫選手の1mm。諦めずに伸ばした足...三苫選手の1mm
ドキドキハラハラしながら読み続け、最後の1ページで落涙して、読み終えた。作者・池井戸潤は、岐阜県加茂郡八百津町の出身である。その自らの出身地を、モデルにして書いたのがこの作品である。実は、私が略歴で書いているY町というのも、八百津町のことである。私の先日亡くなった父が惚れ込み、42年前に永住場所として選んだ「山紫水明の地」である。(ハヤブサ地区とは別の、もっと利便性ある地区だが)そして、略歴にあるように私が行政職員として勤務したのは、八百津町役場本庁だった。池井戸氏が慶応義塾大学進学のため上京したのと、ちょうど入れ違いで、私は長野市の短大寮から、八百津に移り住んだ。だから、移住者の視点も分かる。ハヤブサ地区の知人も10数名いるし、作中の地名がどこを指すかもありありと分かる。小学校で行われる消防団の操法大会...『ハヤブサ消防団』池井戸潤
日本中の全ての人が記憶に留めてほしいほど、世紀の名演説だった。(NHKノーカット動画と全文)国民の命と生活がかかっているマイクを握り、日本の未来について、前を向いて訴えている最中に、後ろから銃撃され、命を失うことの無念。皇居の待合室で、勝者と敗者の2人っきりになり、重苦しい沈黙の中、まるでカウンセラーのように温かな慈愛を注いでくれた安倍さん。その優しさは、持病の悪化でわずか1年で首相辞任した無念の経験、初めての大きな挫折と屈辱感によって培われた、力強いものであったことに、後から気付いた―――分刻みのスケジュール。海外出張の高速移動と時差で疲労は蓄積。その毎日は、政治責任を伴う果てなき決断の連続。批判という容赦ない言葉の刃を投げつけられ、在任中、真の意味で心休まる時などなかったはず。第一次政権から数え、通算...野田元総理の、追悼演説