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畑に吹く風 https://blog.goo.ne.jp/yukiguni01-47

 雪国魚沼生まれの魚沼育ち。生粋の田舎人です。愛犬マックスと共に畑仕事や魚沼の自然を紹介しまします。

 早期退職をして早六年。細々と始めた個人経営の農産物直売所の営業も五年目のシーズンを無事に終えています。 無農薬、減農薬を主体とし、減化学肥料、有機主体の農業に挑戦しています。 石の上にも三年。徐々に畑の趣旨も知られるようになり、長岡の「越後の台所 すずきち」は大のお得意さん。なんと、お店には私たち夫婦と私の畑の写真が沢山掲げられていますよ。

スベルべ
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魚沼市
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魚沼市
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2012/03/02

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  • 火曜日は4時に起きて~♪

    「月曜日は苗を買ってきて~♪」ロシア民謡でも無いけれど昨日一日の仕事。朝4時に起きてSNS3件をアップし、新聞に投稿しついでに市へも投稿して山へ。山の畑のサツマイモ畝のマルチが濡れていて、印付けもままならず帰宅。朝食までに近くの畑で、キュウリと蔓ありインゲン豆の自家産苗を定植してから朝食。朝食後は近所のオジサンの手伝いを得て、山の畑で急きょ畝作り。ズッキーニとトマトの苗が大きくなり、植え付け待ったなしの状態なのでした。午前の植え付け仕事は、イボ竹を添え木に建てて終了。昼食後は13時ぴったりにサツマイモ植えに取り掛かり、400本の植え付け終了。3時間足らずで400本を植え終わり、オジサンを送っていったん帰宅。5時に来客予定があるので、それまでに山の畑へ行きサツマ芋に潅水。今日の降水確率はゼロですから。400...火曜日は4時に起きて~♪

  • 雨の日の仕事は

    雑然としていますが、ここは雨の日の作業場です。以前は農天市場にある、結構広いハウスで作業していたけれど、今は高床式住居の地階部分。高床式の地階だから日当たりは悪い。電熱シートで発芽を促すが、その後の生育状況はやはり良くないですね。とりあえず急務のナス二種類を植え替えたら次はピーマン類。連結ポットも周囲と中ほどでは成長も違う。成長の早い順に植え替えを進めます。別名、子供ピーマンとも呼ばれるミニピーマンのP太郎です。小さいからと言って侮るなかれ。肉厚でパプリカの代用にさえなりますから。こちらは京野菜の「万願寺唐辛子」です。唐辛子と銘打っても辛さは全く無し。焼いて良し、揚げて良し、煮て良しの便利な存在。さて、夕方になりました。夢中で植え替えをしているうちに時刻を知らせるチャイムの音。雨だからと言ってのんびり休ん...雨の日の仕事は

  • 若葉の緑が目に染みる

    山の畑は30aすべてを一度耕したけれど、同じ場所も繰り返し耕す。4キロ近い距離を、トラクターで行くが時間は18分ほどかかります。でも、この速度だと普段軽トラで走り上がる際に見る風景とは違って見える。雪国魚沼の春は早かった。3月の高温が影響し雪解けも早かったのでした。しかし、その後4月からは天候不順で気温が上がらない。そんなことはお構いなしに、木々の若葉は日増しに緑を濃くして目に染みるようです。トラクターのディーゼルエンジンは目一杯にアクセルを踏んでも2500回転/min。時速にしても20キロまではいかないのかな。のんびり走るのも気持ちの良いものです。河岸段丘である頂上の平らな部分に到着する。遠く山頂が白く見えるのは、守門岳です。右側のピーク二つは権現堂山で雪は無い。気まぐれにビューポイントへ足を運んでみま...若葉の緑が目に染みる

  • ナスの苗を植え替える

    連結ポットに蒔いたナスの種が発芽し、大きくなっています。これはイタリアナスの「ヴィオレッタデ・デ・フィレンツェ」ですが。同じタイミングで「山本ナス」も蒔いたけれども、こちらの成長が早い。国産種がイタリア種に負けちゃいましたね。どういうわけかなー。少し不思議です。植え替えは最低でも二回は繰り返す。成長するに従って、もう一回り大きな丸ポットに植え替えしなくてはならない。日中の畑に出られる時間帯での仕事ではもったいない。雨模様とか、猛暑とかのタイミング、そして手待ち時間を利用して植え替えます。まだまだ植え替えを続けなければなりません。この他にも色々な種が蒔いてあり、高床式の家の地下部分でせっせと植え替えです。ナスの苗を植え替える

  • サツマイモ苗650本の内訳は

    大きな箱にびっしりと詰められているのは「安納芋」。450本有り、その内50本は小学校用であり、自家用は400本です。そして、最晩生の「寿」と紫芋の「パープルスイートロード」がそれぞれ100本。「パープルスイートロード」は、収量は多いが甘さに欠けるのが難点。「寿」は最もホクホク感が強い。植え付ける当日朝に、近所のオジサンに手伝いを依頼。朝食後所用を片付けて8時半に畑へ。今年も植え付けには「芋差し棒」を使う。この、芋差し棒が植え付けの能率を上げてくれます。なにしろ、それまではいちいちカッターでマルチに切れ目を入れていましたから。長い苗は苗の端を棒で抑えて押し込みます。短い苗は、棒で開けた穴に差し込む、いずれも仕上げに根元が焼けないように土を載せる。次姉にも手伝いを依頼したけれど、こちらは山菜を採らせてあげたい...サツマイモ苗650本の内訳は

  • サツマイモ苗650本入荷の朝

    この日の前日夕方、種苗店からサツマイモ苗入荷の連絡が来ました。朝食後に受け取りに行くことにして、その前5時過ぎに山の様子を見に行く。21日に植えた650本のサツマ芋「シルクスイート」の様子です。植えた日から晴天が続き、心配したけれどその後の雨に助けられて無事に活着。サツマ芋畑の隣りはジャガイモ畑。順調な成長ぶりですが、畝間のアカザとみられる雑草も成長。土寄せも急がなくてはならない。これから植え付けるサツマ芋の畝です。これだけあれば、入荷するという650本の植え付けも余裕でできるはずです。もう一度、畑全体を見渡し、安心して家路につく。向こう側の畑は遊休農地のようなもので、間もなく飼料用トウモロコシが蒔かれる。でも、不思議な感じですね。タラの木の栽培を止めたらあっという間に草だらけ。スギナに全体が覆われてしま...サツマイモ苗650本入荷の朝

  • 花の一日

    スベルベママが弟の家のバラの花を見たいという。その前に出版した本に、記述の誤りがあり訂正文をコピーして関係者に届ける。見たことの無い、見事な花が咲いている。亡くなられたお爺さんが植えたらしい。中国を訪問した際に、毛沢東に関係する公園だか庭園から持ち帰ったらしいという。花農家さんだけに色々な花を上手に咲かせておられる。しかも、種子から育てたりと、多忙な日々の中での仕事に感心します。この後、スベルベママの弟の家に向かったが、どの花がどこだったか忘れました。義弟は何年も前に連れ合いを亡くしてしまった。子供たちも独立し、一人暮らしだというのに家も、そして家の外もきれいに整備され驚く。花壇もきれいに整えられ、色々な花が花盛り。バラに花がもうすぐ終わるという事で、小雨の中、脚立まて使って摘む。ただ散るに任せてはもった...花の一日

  • 畑仕事帰りに食材を調達

    スベルベママが過労からか元気が出ず、食事のメニューにも骨折っている。ここは一番、ゴキブリ亭主の出番とばかりに山の畑の帰りに食材を調達して帰ります。そうです。得意の山菜の天婦羅です。根曲竹の竹の子と葛の蔓先、そしてタラの芽。いずれもこの時期にしか食べられません。特に葛の蔓先なんて今だけですね。根曲竹の竹の子は根元は硬いので、柔らかなところだけ切り落とす。ころころとした材料では揚げにくいので、衣をしっかりと練ってフリッター風に。揚げる油温調整も今は楽ですね。温度計を睨まなくても、設定した油温を保ち続ける。山菜なので190℃に設定。タラの芽と葛の蔓先は、竹の子とは反対に衣は薄めに。我ながら上手だぞ。と、一人ほくそ笑むゴキブリ亭主です。天婦羅って、衣で大きくなり想像以上の大量が出来上がる。今回も沢山出来上がり夫婦...畑仕事帰りに食材を調達

  • 一人でサツマイモの畝作り

    サツマイモの畝作りにかかわらず、仕事は人数が倍になると効率は3倍にもなる。しかし、いつも手伝いをお願いするわけに行かず、この日は一人作業。畝建ての目印は引いてある。畝建てで頼りになるのがこの管理機、通称「畝建てポチ」です。「鉈爪(なたづめ)」と呼ばれる、木の葉状の刃が土をもくもくと掻き上げます。しかし、畝の上を覆って成形するトラクターのような能力は無い。そこで、仕上げには平鍬を使って整形。整形とは言っても畝の天辺を押しつぶすだけですが。ここからが一人では難作業です。110センチ幅の黒マルチの端をしっかりと土に埋め踏みつけて固定する。マルチを両手で抱えて反対側に到着するとそこもしっかりと固定する。畝をまたいで、所々手で土を掛けて固定し、今まで作った畝側は手で土を掛けます。この手で掛ける分の土は新規に立てた畝...一人でサツマイモの畝作り

  • 採ったワラビは塩漬けに

    大量に採ったワラビは塩蔵、塩漬けにします。輪ゴムで束ねたワラビを根元と先端を切り落としますが、包丁は粘り気で汚れる。この日は何束だったかな。19束かな。翌日は26束と多かった。連日漬け続けています。ワラビも独活も同じですが採ってすぐに処理するのがコツ。時間が経つと「山に帰る」なんて言い方をするが、硬くなっちゃいますね。大きなプラスチックの漬物桶に入れます。この下には、先に採った独活がたくさん入っていますが、一緒の桶でも影響はしない。そして、たっぷりの塩を掛けます。今年は5キロ入りの袋が3個目かな。とにかくたくさん使います。この上に中蓋を載せ、重石の重量が分散するようにします。そして、その中蓋の植えには大きな5キロほどもある漬物石を載せます。こんなに塩をたくさん使って食べる際には大丈夫かと思われるでしょう。...採ったワラビは塩漬けに

  • 連載293「ストリートビューでマックスに会う」(その2終わり)

    ストリートビューでマックスに会う(その2終わり)これがストリートビューです。少しずつスクロールして位置をずらしながら見ていると、我が家の前でマックスが不思議そうに見ている場面が出てくる。便利と言えば便利、大変な時代になったものです。自動車の上に大掛かりなカメラと思しき機械を載せ運転している姿を見かけることがあった。あれで、全方位を撮影したのがグーグルマップなのです。個人情報が大事にされる時代になったので、個人名の表札とか車のナンバーなどは見えないように加工しているが、家の姿など隠しようもなくみられる時代になったのです。便利なことは、行ったことのない海外、外国でも検索したら見られること。不思議なようだが、人工衛星を使ったら造作も無いことらしい。偵察衛星なども空を飛び交っている時代なのですから。話は変わります...連載293「ストリートビューでマックスに会う」(その2終わり)

  • 自費出版三冊目が完成

    2月に入稿以来4か月近い時間を掛けて校正を繰り返した自費出版が完成納品されました。出版元の印刷屋社長さんの入念なチェックを受けて、句読点の位置まで細かな校正を繰り返した結果です。表紙写真は珍しいアーチチョークの花に留まり蜜を吸うアゲハ蝶の姿。そして、スベルべが春一番に山の畑で消雪促進剤を散布する写真を選びました。昨日午後に納入された新刊本の山です。本って、こうしてまとめると重いですね。社長さんと二人でようやく玄関に搬入。今回は野菜に関する話を満載した内容。種蒔き、植え付け時期、畝幅、植える間隔など、参考になると思う内容を付属資料としています。肥料、土のPH(ペーハー)から、それに対する石灰の話。肥料も堆肥の話、窒素、リン酸、カリの肥料三要素の話なども。自身として最も力を入れてまとめたのは農薬の話です。各種...自費出版三冊目が完成

  • 連載293「ストリートビューでマックスに会う」(その1)

    ストリートビューでマックスに会う(その1)人の死も、ペットの死も悲しんでいても切ないかな、時間が経つにつれ、悲しみも思い出も日々薄れていく。時間が解決してくれる。と、言うものであろう。いつまでも日萎れて暮らしていたのでは当事者の命も短くなると言うもので、それでは死者も浮かばれないのかもしれない。みんな、残ったものの事を気に掛けながらあの世へと旅立つのであろうから。十六歳であの世へと旅立った犬のマックスとの別れも辛かった。朝夕の散歩は言うに及ばず、畑仕事、登山と付き合い寄り添ってくれていたのですから。ある時、メールで「八木さん、マックスがグーグルのストリートビューに家の前に座っているよ」と教えてもらった。それが、グーグルアース、グーグルマップを見る機会となった。これは衛星から撮った写真が利用されている。なる...連載293「ストリートビューでマックスに会う」(その1)

  • ワラビ畑出現!

    ワラビが最盛期に入ってきました。ブログ、フェイスブックを投稿し終え山へ。今は夜明けが早く、5時前には日の出を迎えます。さすがに人影はありませんね。狙いをつけた通りです。耕作放棄地ですが今はワラビ畑と化している。耕作を止めてから10年ほどでしょうか。まだ、雑木が生えず雑草だけで採りやすい。あまりもの林立状態に、踏まないようにと足元に気を配る。そして、満遍なくとるためにじくざぐに歩くが、それでも見落とすワラビもある。おっと失礼。毛虫君が朝食中でした。他にも小さな甲虫類が齧っていたりしますが、そんなワラビは曲がっていて分かります。2、30分かな、時間なんてそんなにかからずにこれだけの収穫。ワラビを採り終えて畑に向かい、サツマイモ畝作りの準備などをして7時前には帰宅。朝食後は再び畑に行き、一人でサツマイモの畝作り...ワラビ畑出現!

  • スズベル旅バーの合併酔いも頂点に(終わり)

    鈴木将マスターの手書きのポップです。スベルべの高校の後輩にあたり、テキスタイルデザインの勉強をしたのが生きていますね。これが、レセプションに夕食として提供された弁当です。今回はスベルべの畑は端境期とあり、材料の提供はありませんでしたが。参加者、招待客の皆様もこの段階ではまだ、行儀も良いようですよ。スベルべは時折カウンターに行っては、お客様に山菜の説明。お代わりを求めるお客さんも多く、山菜料理への反応は上々でしたよ。佐渡の蔵元「北雪」の商品が紹介され、そして栓が抜かれる。「同業他社の皆さんは並んで写真に納まらないように」なんてジョークまで飛び交う。それぞれの蔵元が自信を持って勧めて下さるお酒を飲まない手は無い。かくして、へべれけ状態になって挨拶も失語症状態になるという失態を演じてしまいました。(終わり)スズベル旅バーの合併酔いも頂点に(終わり)

  • 勝手にコミュニティスクール

    昨年のうちにジャガイモの種芋は手配してあり、今年も植える指導をすることに。どうも、昨年とは方針が違ったようですが、まずは座学で1、2年生を相手に教えます。学校に来る前に仮植えしてあるジャガイモを掘り起こしたので作業スタイルのまま。資料をUSBメモリーに入れて持参したけれど、パソコンの調子は悪いし、教室は明るいし・・・。そして、今年は山の畑に行くことに難色を示し、花壇兼畑に植えることに。植える場所もあらかじめスベルべが肥料を入れ「コマメ」で耕してはいましたが・・・。その場所が最初の打ち合わせと違う。最初に示されて場所にはすでにジャガイモの葉が。別の学年が植えてしまった様子。どうも、打ち合わせ、連携がうまくいっていないようです。もちろん子供たちに責任はありませんから、一生懸命に教え植え方開始。植える間隔の定規...勝手にコミュニティスクール

  • スズベルの記念レセプションは盛会に(2)

    店内にはこんな看板が下げられています。新潟駅南口のJR系ホテル「メッツ」の一階に展開するお店ですからねー。招待客は50名を超えていたと言います。個人、法人の皆様がそれぞれにお祝いの品々を。スベルべはいつものユリの花は今回省略。スベルべ夫婦のお祝い、手持ちは朝の5時から取り揃えた山菜料理。夫婦二人で、両手に一杯になる荷物にして、2時間余りの旅の果ての到着でした。来客の皆様、特に美女を目ざとく見つけるスベルべはサービスに努める。「そうそう、焼きタケノコはそんな風に皮を剥いてね、そのまま齧ると翌朝は目の周りが真っ黒に」。皮を剥かずそのまま皮ごと食べたらパンダになっちゃうというジョークは通じなかったなぁー。何社参加されたのだろうか、県内の名だたる蔵元が集合の壮観。右の若い女性は姓を聞き「創業者の御家系ですか」とお...スズベルの記念レセプションは盛会に(2)

  • スズベルと旅バーの合併記念(1)

    昨日は誘われて頂いた「スズベル旅バー」の合併記念パーティーに出席。在来線の普通電車を乗り継いで、2時間近くの大旅行。在来線の高架化が完成して以来の初めての新潟行きで戸惑いながらも無事に到着。先ずは店舗前に設えられたオープンバーで、会長夫妻にご挨拶。会長とスベルべは同年です。店内のカウンターはお祝いの品々で埋まっていました。旅バーは、駅構内にありましたが高架化に伴う改築で撤退を余儀なくされスズベルの中に。お祝いにお酒や、花が沢山持ち込まれていました。スベルべ夫婦は今回はあえて花は持参せず、朝から採り集めて調理した山菜を持参。こんな看板が天井から下げられています。早速カウンター内に侵入するスベルべです。中央は名物男になった「クボケン」さんで右が鈴木将オーナーです。(続く)スズベルと旅バーの合併記念(1)

  • 今夜は「スズベル」でパーティー

    スベルべが立ち上げに関係した「越後の台所スズキチ」が大発展。3店舗目はとうとう長岡から新潟にまで出店し、その後も順調そうです。今日は夕方から新潟駅のJRホテル一階の「スズベル」でパーティーです。駅構内に出店していた「旅バー」が、駅の改築に伴い退去を余儀なくされた。そのために二つの店舗が合併することになり、その記念パーティーです。さて、魚沼のスベルべの手持ちはもちろん山菜料理。5時前から山へと向かう。先ずはスベルべ一人で竹藪に入り竹の子採り。竹は根曲竹です。この根曲竹の竹の子採りは障害物競走。跨いだり、木の下を潜ったり時には這って。「木の芽」、アケビ蔓の新芽はスベルベママが先行。竹の子採りを終えたスベルべも合流し、二人で採ったら結構早いものですよ。でもね、こんなどれを見ても同じように見える木の芽も、太さに違...今夜は「スズベル」でパーティー

  • 連載292「一致団結で恐ろしい先生に仕返し」

    一致団結で恐ろしい先生に仕返し昭和年代の中学生にとって、いや小学生ももちろんだが、先生は怖い存在だった。恐ろしいような教頭に習字を担当されて、その授業時間は緊張の一時間だった。だらしなく、ワイシャツの裾を後ろのベルトからはみ出させているようなスタイル。その、腹の出た姿とヘアスタイルから、ひそかに言い交したあだ名は「キューピー」。机の間を闊歩しながら、口笛は吹くは挙句にブッと平気で放屁されるのだからたまったものではない。しかも、それを笑うと「何がおかしい」と来る。私もこの先生にはやられてしまった。筆をとり手本を見て字を書く。その脇で立ち止まり、嫌な予感を感じると「字が間違っている」と指摘する。あせって書き直すと、また「間違っている」と言う。何回文字をなぞっても繰り返される言葉。皆が静かに注目している中で最後...連載292「一致団結で恐ろしい先生に仕返し」

  • 4台め、最後の堆肥が届いた日

    3台受け取った堆肥ですが、散布してみるとまだ足りない。そこで、4台目を注文。昨日到着しましたが先日のスタッグに懲りてバックで畑へ。堆肥を製造する「有機センター」の女性には「最後だからサービスね」なんて。冗談半分の言葉が効いたのか、この最後は今までよりもたくさんだったように感じました。ズッキーニ、トマトと植えたい場所にはもっと堆肥を入れましょう。植え終えたジャガイモ、ただいま畝の準備を進めているサツマイモも肥料の主力はこの堆肥です。無事に下ろし終えて帰途に就く、堆肥運搬車です。手前の畑は全てジャガイモ。芽が青々として順調に成長中ですよ。あ、雑草もですが。受け取ったのは午前中のサツマイモの畝作りの最中でした。昨日は午前中だけの約束で、近所のオジサンの手伝いを得てサツマイモの畝作り。前日、サツマイモ畝の初畝建て...4台め、最後の堆肥が届いた日

  • ポチを整備し、いざ畝建て

    二代目の畝建て機はニックネームは「ポチ」です。これから、サツマイモの畝建て、ジャガイモの土寄せと出番が増えるので整備しました。オイル交換は欠かせないメンテナンスです。今は、不織布の廃油処理パックがあり、それに沁み込ませて燃えるごみとして出せるのです。ついでに、これも出番の多い「コマメ」のオイル交換。こちらの方が使用頻度が高いのか、オイルは汚れていましたね。機械類の点検と手入れを終えた翌日の昨日は早速ポチ君の出番。近所のオジサンの手を借りて、午前午後で15畝、苗750本分の畝が完成です。畝建ての土盛りだけはポチが力を発揮するが後はすべて手作業。ポチが盛り上げた土を、平鍬で均し110センチの黒マルチを張ります。マルチの両端は土でしっかりと埋めて、体重を掛けて踏み固める。それからは、オジサンが片側に手で土を乗せ...ポチを整備し、いざ畝建て

  • 山菜でビールから酒へ

    夕食のテーブルに山菜、野菜が並びます。植えの左は野沢菜の漬物。真ん中はアケビの新芽「木の芽」で右は独活の皮の佃煮。先日、トラクターで畑を耕したお礼にと頂いた生黒ビール。自家用としては贅沢過ぎて買えるものではなく、スベルべの痛いところを突くプレゼント。出来合いの小籠包を二回に分けて食べる。奥も同じく出来合いの締めサバですが、スベルべが切ったら下手な形に。根曲竹の竹の子は焼いて、こんな風に皮を剥いて食べます。マヨネーズを少しだけつけて食べる。不思議なことにコーンのような香りがします。ビールだけでは終わらずに越乃寒梅を大きな利き猪口で追加。いえ、ビールのロング缶はスベルベママと二人で飲んだのですよ。こんな風に山菜尽くしの料理が続きます。幸せなことに山の畑の周りで、仕事帰りに採れるのですから、幸せな環境です。山菜でビールから酒へ

  • 牡丹の花が120種類!

    新聞で情報を知り、出かけたのは五泉市の「牡丹展示園」です。位置情報の宣伝が悪いというか、カーナビを使ってもなかなか見つからなかったのでした。五泉市東公園で検索すると良いのだったのかもしれません。公園の一画といった感じでした。ようやく見つけたが、最も近い駐車場よりも遠いところに停めてしまった。でも、一歩足を踏み込むと圧倒的な数の牡丹が開花。その種類120種だと言います。何種類かのボタンをご覧ください。それぞれに名前と番号を付けた札が建てられている。こんな純白の種類も。一角に直売所もあり、一凛蕾が付いたものが一本千円。ピンクと黄色の二本を購入したスベルべママでした。花をみてから秋に地植えしましょう。今年は、八重山諸島への旅に始まり、破間川ダムの雪流れ、福山新田の雪上桜、長岡丘陵公園のチューリップ見物と続いた。...牡丹の花が120種類!

  • 雨後の竹の子!

    二日間久しぶりに、強い雨が降り続いた。雨が止んだら行くぞと、心に決めていた朝は、夜半から降り止んだ様子。ブログ、フェイスブックとスズキチホームページへの投稿3件をアップし5時前に山へ。採っては投げ、ちぎっては投げ状態。入れ物の袋を下げていたのでは藪漕ぎが難しいから。布製の袋は同サイズの物を二つ持参したが、すぐ二つとも満杯に。一旦、軽トラまで戻り、袋の中身を黒いユリの球根用のコンテナに移す。コンテナに山盛り一杯になり、入りきれないのは袋入りのまま。帰宅途中で、知人宅前に軽トラを停めて二軒に進呈して帰宅しました。それでも、ほら御覧の通りですよ。うーん、美味しさは時間の経過とともに落ちるしと悩みます。何人に進呈したのかなー。よく考えない思い出せないほど配りまくり。もちろん、我が家でも昼食には、水煮の鯖缶を出しに...雨後の竹の子!

  • 木と藤蔓の戦いの果て

    農道の脇とは言え、線路からそれほど遠くない所です。毎年今頃になると、盛大に藤の花が咲く高い木があった。木の種類は分からない。「カイドウ」と聞いた記憶はあるけれど、ネットで調べても違うようです。その木と、フジ蔓の戦いが気になったらしい持ち主が伐採作業に励んでいた。歳月の戦いの痕跡とでも言ったらよいのか凄い蔓の跡。フジ蔓がこの木に巻き付き、蔓は木を締め付け、木は蔓に締め付けられた痕跡がありあり。さながら腹の空いた大蛇のよう。蔓の断面はペチャンコ状態になっていて恐ろしいような光景です。表皮の文様も同じく大蛇のように見えなくもありません。こんな状態の木を見て、ふと思ったのが「床柱」の材料としてどうかなという事。太さと言い、長さと言い、床柱には最適な木だと見たのは知ろうと目かなー。どなたか、この背の高い木の種類がお...木と藤蔓の戦いの果て

  • 連休最終日に「ヨモギ餅」を搗く

    久々の出番を与えられた我が家の家宝のケヤキ製の大臼。娘たちの家族二家族が到着する前に、一人でようやくの思いで引っ張り出した。明治二十五年の銘が刻まれています。言い伝えによると、川向こうの集落の旦那様の屋敷に生えていたケヤキから作られたという。なんでも、いくつかの兄弟臼が出来上がり祖母はどの家にあるかまで知っていた。一人ではひっくり返してしまってある臼を起こすだけでも力を振り絞る必要がある。暮れの餅搗きに、昔は家族がそれぞれ友達を呼んで大変な人数になった。暮れの30日に搗くのが通例でしたから、年末で食事作りも大変な中で喜ばれたものでした。雨の一日でしたから、いつもはトラクターが入っている車庫の中で搗きます。たっぷり使ったヨモギは2、3日前に山の畑周りで摘んできた新鮮で柔らかな物でした。あんこ餅、きな粉餅、雑...連休最終日に「ヨモギ餅」を搗く

  • 連載291「悪ガキはあだ名付けの天才だった」(その2終わり)

    悪ガキはあだ名付けの天才だった(その2終わり)「がたまさ」なんてどうしてつけられたのだったろうか。数学の先生だけれど、なぜかしっくりと来る感じ。怖い先生だったな。体罰なんて言葉も無かった。親だって子供が先生に拳骨をもらっても、恨みなどしない。第一自分が悪くて拳骨をもらうのだから、親にだって言えない内緒ごとだった。この先生は、居眠りを見つけるとチョークを投げつけたりする。そして「朝起きて、夜寝るまで昼寝して、時々起きては居眠りをする」なんて言うのでした。この「がたまさ」先生に私も拳骨を食らった。しかも八つも。原因は黒板に落書きして、消し忘れた「ヤマタノオロチ」のイラストだった。同級生でヤマタノオロチの姿が論争になった。頭が八つあり胴体で繋がり、そして尻尾も八本と言う説。もう一つが頭は八つだが、尻尾は一本と言...連載291「悪ガキはあだ名付けの天才だった」(その2終わり)

  • 山菜を食べる日々

    山菜シーズン真っただ中で、毎日食卓には何らかの山菜が登場する。先日はトラクターで山の畑に往復する際に、「タラの芽」を見つけて採ってきました。胡麻和えなどの食べ方もあるかもしれませんが、基本的には天婦羅。そして、その揚げ役を担うのはスベルべ。「トーちゃんの天婦羅は丁寧で美味しい」なんて乗せられて。今回は天婦羅種として、このアンニンゴやコゴメなども加わります。アンニンゴは揚げるのが難しい。軽く衣をつけさっと上げないと焦げちゃいますからね。これが魚沼で呼ぶところの「木の芽」。アケビの新芽です。畑の周りにいくらでもあるから、つい手を出し採ってきてしまうのです。コゴメは別名「クサソテツ」で、幼株や枯れた姿はソテツのよう。開ききり、そろそろ終わりになりますが山の雪の消え際で採って来たもので極上品です。山菜ばかりでは精...山菜を食べる日々

  • 連載291「悪ガキはあだ名付けの天才だった」(その1)

    悪ガキはあだ名付けの天才だった(その1)小学生の時代の先生は子供たちにとっては、尊敬、畏怖の存在。あだ名をつけるなんて思いもよらないことだった時代。しかし、これが中学生ともなると生意気盛りとも言える年代になり、それなりの知恵もついてくる。そこで、言葉の遊びとも言える先生へのあだ名付けがなされる。洒脱なんて言葉は当たらなくとも、それなりに、なるほどと思わせられるあだ名が付けられた。同級生と言うよりも、先輩たちから引き継いだ傑作がほとんどだった。親しみと、その先生の怖さを隠すためか、姓ではなくてあだ名感覚で名前を呼ぶ、例もいくつかあった。「峯治」なんて陰でひそかに呼んでいた。あだ名の語源は伝わっていなくても傑作は「タヌキ」なんて先生も。なんだか納得させられるあだ名。「ギー坊」は、名前の頭文字に僧籍をお持ちの社...連載291「悪ガキはあだ名付けの天才だった」(その1)

  • 山ではフジが花盛りに

    山ではフジの花が最盛期、花盛りになっています。前にも書いたと思いますが、昔は木々の敵とばかりにフジは切られていたのですが。今は雑木を燃料として伐り出すことも無くなった。そして、杉の木さえ建築用資材としては使われなくなり、手入れ不足でフジは伸び放題です。栃木県の有名な藤園も見事でしょうが、「やはり山に置けフジの花」です。こんな風にひっそりと、でも盛大に木に絡みつき花が咲くフジも味わい深いと思う。近くでは「アンニンゴ」も花盛り。花穂が真っ白になりました。蕾のうちに塩漬けにして珍重しますが、これでは遅くなりすぎで後は若い実を漬けるしかない。フジの花が満開を迎えるころに始まる山菜があります。根曲がり竹の「竹の子」です。まだ小さくて盛りは一週間後くらいかな。誰かに踏まれた可哀そうな竹の子です。廃道となった古い道にさ...山ではフジが花盛りに

  • 独活の塩漬けお見せします

    スベルべのブログの検索キーワードは「独活の塩漬け」が多い。何年も前にアップした記事が出てきます。ここで再度アップしましょうか。こんな若い独活は付けるよりも生食の方が適します。漬けるには伸びすぎと思われるほどのものが適していて、50cmを超えるほどの物も。そのままでは皮の部分が硬いので、こんな風に皮を剥きます。根元に近い部分が硬く感じられたら、厚く剥かなければなりません。ちなみにこの皮の部分ですが、細かく刻んでつくだ煮風に仕上げると美味しい。先端の葉の柔らかな部分は、天婦羅種にもなるし、捨てるところのない独活なのです。皮を剥いた独活は数本ずつ、輪ゴムで束ねます。一回目に採った独活は、スベルベママが左の小さな漬物桶に漬けていました。「これでもう十分」と言われていたのに再度採って来たので作戦変更。右の大きな漬物...独活の塩漬けお見せします

  • 独活はある。だが採れない!

    手は届かないが、どうしても採りたくなる独活の株もある。この場所はスベルべ以外の足跡も見え、皆さんが苦労した末に諦めた形跡も見える。そんな場合は、持参した草取り用の小鎌で足場を切る。もちろん、高すぎる場所だと墜落事故の危険性も大きいから、場所は選びますよ。珍しい坑道跡にたどり着いたので少し紹介します。昭和時代の初期ではないかと思われるが、この山で「亜炭」を採掘したことがあったと聞く。それがこの坑道跡ですね。他にも何か所かあったはずだが全て埋もれて不明です。ここだけ残ったのは、採掘を止めた後にサツマイモを冬期間保存するために使ったためかな。亜炭の破片も近くには落ちています。石炭に比べたら生成までの時間が短くて、性質が悪く燃えたとしても煙で大変だったとか。話は独活採りから脱線しました。重い独活を背負ったままもう...独活はある。だが採れない!

  • ブートーを着ていざ出陣(その1)

    ブートーを方言辞典で引くと、ぼろ布を縫い合わせた山着とある。ぼろ布でも無く、ネルの夜着の袖を取り仕立てたものをいう。ある言い方では陣羽織に似ているとも。これが、山菜採りには至極便利な物。裏返しにして裾をお腹の前で縛り合わせる。そして、細紐でその上からしっかりと縛り、後ろから引き揚げて袖を通す。分かるかな?前掛け式とか、リュック式とか山菜取りに使う入れ物は色々あるようです。しかし、このブートーが両手を使えて、しかも沢山の山菜を背負って歩ける便利な物なのです。という事で、ブートーをしっかりと身に着けていざ出陣。「山笑う」という季語がありますが、今はまさにそんな山の色。さて何処を目指そうか。木々はあんなに芽吹き初夏の雰囲気さえ感じるのに山裾には残雪。急斜面の山は雪が留まらずに雪崩落ち、下、山裾に積もっていつまで...ブートーを着ていざ出陣(その1)

  • 津南ポークで赤ワイン

    色々な部位をそれぞれのカット方法で注文していました。昔から餌にも工夫をしていて、海藻やヨモギなどに加え、最近はなんと魚沼コシヒカリまで。ソテー用にカットした肉を今夜は二人で頂きましょう。焼きあがりました。生のレタスを添えて頂きましょうか。野菜、山菜系の食事が多いのですが、たまには肉も食べたくなります。身体への良し悪しは別としても、この脂身も美味しいですね。他の豚肉に比べて比率が少ないようですが。赤ワインを抜きました。二人で1本では足らなかった時代が懐かしい。病後でスベルベママの酒量が減ったことも有るが、スベルべ自身も加齢かなー。一時期は年間出荷頭数が9千頭を超えたことも有りましたが今はどうなのでしょう。豚舎を外から見させてもらったことも有りましたが、清潔で異臭が無くて驚いたものです。津南ポークで赤ワイン

  • 連載290「村の渡しの船頭さんは」(その2終わり)

    村の渡しの船頭さんは(その2終わり)時代はずいぶん変わり、会社勤めの定年も五十五歳から六十歳になり、しかも定年延長とか、再雇用と言う名目で七十歳まで勤める人も少なくはない時代になってしまいました。六十歳と言ったら、まだまだ現役バリバリの年齢で、それをお爺さん呼ばわりされたら、機嫌が悪くなるのは必定です。私が当時の国鉄に職を求めたのは昭和四十一年でした。当時の国鉄の定年は五十五歳。五十歳を越えると、周りからは「じさ」なんて正面切って言われていました。事実、その年齢になるとなんだか、大人と言うよりも年寄と言う言葉が似合うような容姿になっていたように記憶している。今や「六十、七十鼻たれ小僧」なんて言葉もあるほどで、平均寿命が飛躍的に伸び始め、行年八十歳と聞くと「まだ、そんなに歳でもないのにもったいないのう」なん...連載290「村の渡しの船頭さんは」(その2終わり)

  • 津南ポークを訪れる

    時々「津南ポーク」が食べたくなり訪問する。依然経営していた、津南町役場近くの直売店は閉鎖されたので、直接加工所へと向かいます。勘違いされている部分も大きいと思う。「津南ポーク」と「妻有ポーク」があるから。でも、懇意にしている「津南ポーク」は個人で後者は養豚業者の集合体で全く違います。一昨年お亡くなりになられた、前社長はスベルべと同年だった。でも、生産方法は引き継がれ、味に変わりはない。飲食業かと思うほど大量に仕入れ。出かける前に色々な部位、色々なカットを検討してファックスで送信済み。大きな発泡スチロールの箱が三個。万一を考え保冷材なども事前に準備済みです。これほど大量な仕入れは、娘たちも含めて三家族分だからです。あ、依頼されてもう一家族分もあるから合計四家族分でした。皆が喜ぶ顔が見たい。(続く)津南ポークを訪れる

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