五能線 岩館 1982年 (1285mm×870mmで展示予定 写真集未収録)この写真を見て映画「砂の器」に出てくるシーンを思い出すという人がいる。ハンセン病で村を追われた父子が各地を彷徨する10分間のクライマックスシーンは、映画史に残る名場面とも言われるからよく覚えている。 渚を歩く父子のシルエット。 切ないシーンではあるけれど、この国の四季の風土の厳しさ、美しさを凝縮した10分間とも思う。かつて鉄道土木...
昔の国鉄ローカル線、地方私鉄や最近のローカル線など、旅の写真と思い出で綴るブログです。
1980年代、「鉄道のある風景」を求めて全国を旅した風太郎が写真と文章で綴る、ローカル線紀行。バリ鉄ではありませんが、自然溢れる沿線や、出会った人々など、しばし「鉄路の叙情」を感じて頂ければ、と思っています。しばらく「鉄」から遠ざかっていましたが、最近復活、ローカル線の「今」も綴っています。その他自然風景、日々雑感諸々まで。なるべく頻繁に更新したいと思っています。よろしくお願いいたします。
氷見線 雨晴 2022年6月夏至まであと10日余り、雨雲の上ではもう夏が来ていた。立山連峰はヘイズに隠れているけれど、まさに夏雲が湧き立つ。タラコのボティもひときわ暑苦しいが、希少生物化した北海道を除けば、此処がヨンマルのJR線上北限生息地だろうか。暗くて重い冬には風雪に晒される駅も、ひと夏を謳歌し始めた。 越中国分© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村一昨年の個展...
氷見線 越中国分 2022年6月こうまで明るい空と海を見せつけられると、おい梅雨入りじゃないのかよと突っ込む気にもなれず。あくまで「雨の富山地鉄」だったので、これも早急に見切ってOPTION3の能登半島方面へ。富山湾に面した駅のホームには陽炎が立ち昇る。北アルプス山麓用に用意していた長袖は脱ぎ捨て、半袖に交換だ。トップライトに影が真下に落ちる。 汗が滴る。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reserv...
Project 「 写真集 旅のたまゆら 1981-1988 」 写真屋は漁師か
「 写真集 旅のたまゆら 1981-1988 」 メイキング続報です。候補写真200枚以上と章立て、口上をドサッと置いたまま遊び惚けている風太郎を尻目に、周囲の仕事は早く、ブックデザイナーによる全体構成第一案がもう出来上がっています。 デザイン事務所のアトリエにてミーティング。 本というのはこういう所から生み出されているんだなあと感心するような空間です。やっぱり自分以外の眼が入ると思いもよらぬ写真のセレクトもあ...
富山地方鉄道 本線 早月加積 2022年6月快晴の朝である。 立山連峰が見事だ。本来は喜ぶところだが、天気予報は・・・。それでもそうは無い条件なのだろうから朝の列車のほとんどをぶっ込む。もう少し建物が少なければいいんだけどね、 ラッピングは余計、とかブツブツ言いっこ無し。国道の橋に案内板があるから山に不案内の風太郎もガイド出来る。左から毛勝山、釜谷山、ひときわ高い峻峰が剣岳、立山、奥大日...
富山地方鉄道 岩峅寺 2022年6月今までは何のかんので土日中心の撮影だったから、どんなローカル駅も一時賑わう通勤通学客とはあまり縁が無かったが、その制約から解放されれば同じ駅でも違った表情を見る事が出来る。岩峅寺の駅は立山連峰の山懐の入り口、ひっそりした印象があったが、夕刻が迫ると賑やかだ。乗降というより立山線と不二越・上滝線のジャンクションだけに器用に路線を跨いで乗り継ぐ人が多いんだな。...
富山地方鉄道 上滝線 月岡 2022年6月例年より随分早い梅雨入りは想定外だった。 廃止も噂される大糸線北部が本命だったのだ。残雪を頂く北アルプス、雨飾山はこの季節ならではで満を持していたのに、それらは厚い雲に隠れるは必至で。天気予報も数日にわたり芳しくない。ここは変わり身が早いのが風太郎の真骨頂でもあるから、OPTION 2として想定していた富山地鉄は雨降る駅巡り、それも飽きたらもっと先...
大糸線 平岩 2022年6月廃線の噂もある大糸線北部、残雪の北アルプスや雨飾山と絡めてこの季節しか撮れない写真を狙ったのに。梅雨入りが早過ぎるぞ。 厚い雲に山なんぞ見えないから、ふてくされ半分に山の湯へ。 小谷温泉雨飾山へのアプローチ途中にある小谷温泉は、そんんなアンニュイな気分も癒す素晴らしさ。まるでつげ義春の漫画に出て来そうだ。開湯は戦国時代、山田旅館の建物の建築は江戸・明治・大正・昭...
Project 「 写真集 旅のたまゆら 1981-1988 」 始動
無職ならぬフリーランス活動の一環として、長年の懸案でもあった写真集出版に踏み切ります。いやちっとも儲けにならないどころか損ばかりというフリーランスになりそうですが。ネタは40年を遡る1980年代、まだまだ多くが残っていたローカル線の旅の記録です。風太郎19歳から26歳、若き日の迷い事にして、今の眼で見ると技術的にも怪しかったりするのですが、疑う事無き「原点」でもあります。6年前のニコンサロン、同名...
米坂線 手ノ子 2022年5月二十四節気七十二候。 五日刻みの移ろいを自然に感じ取るDNAは、もう大分摩耗してしまっているのかもしれないが。新緑の木々とは多彩な個性を持つと気付くのも、季節と季節の僅かな狭間に立てた者の特権だろう。立ち止まること無く季節は巡る。今、線路も列車も深緑一色の真夏の怒涛に飲み込まれていることだろう。( 新緑滴る 米坂線 おわり )© 2011 風太郎のPな日々 All right...
米坂線 伊佐領 2022年5月超望遠で覗くと二本のレールは陽炎に揺れていた。初夏を思わせる陽気。 次の季節も早や準備を整えている。 伊佐領© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村鉄道のゲージは「国家」の映し絵であり、寄せては返す波間に漂うものでもあるようだ。 ウクライナ鉄道の始まりは日本より早い1861年だが、オーストリアの影響が強かったこともあり、欧州標準軌の1435mmで敷かれ...
米坂線 伊佐領 2022年5月朝の光か雪解け水か。透明度はどちらも負けず。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村鉄道のゲージは「国家」の映し絵であり、寄せては返す波間に漂うものでもあるようだ。 ウクライナ鉄道の始まりは日本より早い1861年だが、オーストリアの影響が強かったこともあり、欧州標準軌の1435mmで敷かれた。しかし間もなくロシアの支配下に置かれ、彼の国の1524mmに改軌させ...
飯豊連峰 山形県 小国町 2022年5月残雪の飯豊連峰が奇麗なので、どれ線路際を離れてもっと間近で見てみようかと。小国町内に展望台があると聞き、車を降りて新緑と残雪のブナ林をしばしの森林浴。着いたらそこは素晴らしい眺望だった。 標高はさほどではないのに厚い残雪は今冬の豪雪故でもあろう。多くの山男が憧れる白い峰々。 朝日岳連峰反対側も視界が開けけている。小国の市街の先に朝日岳連峰。もう...
米坂線 手ノ子 2022年5月正味3日位米坂線に費やしたが、連日の好天に恵まれた。最も紫外線が強い時期、どうやら真っ黒に日焼けしていたようだ。久々に在職中の知人に会ったらゴルフ三昧ですかと。 同じ山でもこっちの方がいいわい。斜光線でまた景色が変わる。 峠道の静かな黄昏時。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村鉄道のゲージは「国家」の映し絵であり、寄せては返す波間に漂うもの...
米坂線 手ノ子 2022年5月ソメイヨシノにしては開花が遅いのではないかと思うが、雪深い峠道はこれでいつもの春なのだろうか。花のトンネルを抜けてディーゼルエンジンの唸りはひときわ高く。 手ノ子© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村鉄道のゲージは「国家」の映し絵であり、寄せては返す波間に漂うものでもあるようだ。 ウクライナ鉄道の始まりは日本より早い1861年だが、オーストリア...
米坂線 手ノ子 2022年5月手ノ子を発車した列車は、早速の勾配緩和曲線を身をくねらせながら登ってゆく。手ノ子、羽前沼沢。 9600を追った世代には懐かしい駅名だろう。両駅間に横たわる宇津峠は撮影名所としてそれは賑わったはずだ。花輪線の龍ヶ森など典型だが、いにしえの写真とは全く風景が変わってしまっている峠道は多い。雑木が生い茂り、線路が全く見えないのだ。 あのスッキリと抜けたハチロク三重連は何...
「ブログリーダー」を活用して、futaroさんをフォローしませんか?
五能線 岩館 1982年 (1285mm×870mmで展示予定 写真集未収録)この写真を見て映画「砂の器」に出てくるシーンを思い出すという人がいる。ハンセン病で村を追われた父子が各地を彷徨する10分間のクライマックスシーンは、映画史に残る名場面とも言われるからよく覚えている。 渚を歩く父子のシルエット。 切ないシーンではあるけれど、この国の四季の風土の厳しさ、美しさを凝縮した10分間とも思う。かつて鉄道土木...
設営作業まで残り6日。 展示写真は全て完成。 あとは細かなキャプション類の制作を残すのみで工程進捗率は98%というところ。出来上がったパネルを眺めていると、自画自賛ながらモノクロプリントってきれいだなと改めて思う。何故か今、撮り鉄の世界はカラーにあらずは・・・というよりカラー以外ってあるの?という状況だ。巷に溢れる撮り鉄写真展だが、オンリーモノクロームのアンチテーゼをしっかり見せられれば。ともすれば気...
蒲原鉄道 七谷 1982年 (写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 展示予定)信越本線加茂から続く平野部が尽きて、山間のサミットにかかる直前に交換駅・七谷はあった。ここで24時間一人きりで、閉塞作業をはじめ駅を守る駅長さんは二交代制だから二人いた。一人はちょっと取っつきづらく、怖い感じがして敬遠していた。当時挨拶もお愛想もおぼつかない子供だったから、それは優しく𠮟ってくれていたのかと今は思...
小湊鉄道 上総大久保 2019年春を愛でる1日が、終わろうとしている。写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 2024年4月25日(木)~5月13日(月) ※ 4月30日(火)~5月8日(木) 休館10:00~18:00 (最終日15:00まで)オールモノクロ75点展示 (予定)OM SYSTEM GALLERY (旧オリンパスギャラリー東京)新宿西口より都庁方面に徒歩5分4月27日(土) 14:00より 会場にて作品解説トーク開催しま...
先日、広田泉さんの追悼展を見がてらOMギャラリーの下見で細部確認。スタッフには4年前の「ミャンマー」から旧知のメンバーもいて、これが結構な「鉄」なのでご期待も併せ話も弾む。本題は新OM-1による「8000万画素ハイレゾデジタイズ」の技術的検証だったのだけれど、それは開発技術者にしか分かりません、という未知の領域もあるようだ。ただフルサイズとの比較においてこれだけは言えると、やおら展示品のレンズを外すのは、「...
深名線 1981年 (写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 展示予定・写真集未収録)初めての北海道。 風景のスケールに、写真などどう撮っていいかも分からなかった。車窓を流れる景色に、ただ脈絡もなくシャッターを切るばかりだったあの頃。撮れない焦りと同時に、自由な旅をこじ開ける高揚もまた、コマの間に写っているような気がする。写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 2024年4月25日(木)~5月13日(...
只見線 会津柳津 2018年思わぬ遅れ方の花の便り。ただでさえ遅めの、奥会津の桜はしっかり力を蓄えて来るべき日を待っているのだろうか。花の雲の中を。写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 2024年4月25日(木)~5月13日(月) ※ 4月30日(火)~5月8日(木) 休館10:00~18:00 (最終日15:00まで)オールモノクロ75点展示 (予定)OM SYSTEM GALLERY (旧オリンパスギャラリー東京)新宿西口より都...
津軽鉄道 1984年 (写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 展示予定・写真集未収録)この冬から客車は35系に変わった。しかし機関車にスチーム供給機能が無いのは変わらないから、ダルマストーブは移設され紅い炎を揺らすのだった。長靴と地方紙「東奥日報」はその土地の日常の証し。今観光客しか乗らないストーブ列車は、そんな日々を運んでいた。写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 2024年4月25日(木)~5...
因美線 美作滝尾 2022年春の黄昏は、ゆらりゆらりと幕を下ろしてゆく。写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 2024年4月25日(木)~5月13日(月) ※ 4月30日(火)~5月8日(木) 休館10:00~18:00 (最終日15:00まで)オールモノクロ75点展示 (予定)OM SYSTEM GALLERY (旧オリンパスギャラリー東京)新宿西口より都庁方面に徒歩5分4月27日(土) 14:00より 会場にて作品解説トーク開催...
「自家製」A2プリント続々出力中。「たまゆら」の写真展は8年前に新宿ニコンサロンで一度やっている。結果的に2000人からの来展者はお迎えできたわけだし、 「伝説の写真展」とかいまだに讃えてくれる人もいるのだから結果として失敗ではなかったとは思う。 しかし今更こんなことを言うのはご来展者に申し訳ない限りだが。あれは、「プリントが悪かった」 。最大の原因はレタッチの腕の未熟さで、デジタルプリントのごく...
いすみ鉄道 西畑 2019年桜はまだかいな。気まぐれ過ぎる春に世間は半ばパニックですな。今頃はこれで当たり前だったのですが。写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 2024年4月25日(木)~5月13日(月) ※ 4月30日(火)~5月8日(木) 休館10:00~18:00 (最終日15:00まで)オールモノクロ76点展示 (予定)OM SYSTEM GALLERY (旧オリンパスギャラリー東京)新宿西口より都庁方面に徒歩5分4月27...
プリントはほぼ8割方完成した。 しかし大仕事、スチレンボード貼り作業が残っている。専門業者の加工が素晴らしい事は分かっているが、途方もない金額になることは必至、ここはコストと仕上がりをバランスさせるべく、汗を絞るしかないのだが・・・。パネル貼りはもうミャンマー写真展で慣れているとはいえ全く気の抜けない作業で、それをなんとか突破したとしても「切り出し加工」がまた難関。切り口のケバを最小限に抑えるには...
わたらせ渓谷鐡道 上神梅 2017年農の季節が動き出す。 傍らの桜が合図であったかのように。写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 2024年4月25日(木)~5月13日(月) ※ 4月30日(火)~5月8日(木) 休館10:00~18:00 (最終日15:00まで)OM SYSTEM GALLERY (旧オリンパスギャラリー東京)新宿西口より都庁方面に徒歩5分4月27日(土) 14:00より 会場にて作品解説トーク開催します。(予約...
高千穂線 1988年 写真展「旅のたまゆら 1981-1988」 展示予定梅雨明け十日。 南九州の強烈な夏の日射しが窓辺に降り注ぐ。写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 2024年4月25日(木)~5月13日(月) ※ 4月30日(火)~5月8日(木) 休館10:00~18:00 (最終日15:00まで)OM SYSTEM GALLERY (旧オリンパスギャラリー東京)新宿西口より都庁方面に徒歩5分4月27日(土) 14:00より 作品解...
ミャンマー マダヤ線 2019年これぞ大量輸送機関。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
いすみ鉄道 西畑 2015年小糠雨が音もなく降り続く様な日はなにかと億劫なものだが(特にこの辺りはヤマビルの超危険地帯)、しっとりと濡れた花模様もいいものだ。キハ52は定期運行を終了するとのこと。 刹那であってもその時代の息遣いを感じさせてくれる一両だった。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
大井川鐡道 家山 2021年夜明け前まで降り続けた雨があがった。洗われた花の香りが朝陽と共に忍び込む。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
OM写真展のDMハガキ出来る。写真集「旅のたまゆら 1981-1988」のブックデザインをしていただいた鈴木一誌さんは、残念ながら昨夏亡くなられたが、このハガキはその最後のお弟子さんにデザインして頂いた。前からやってみたかった、普通のハガキサイズと違う横長の大判サイズを採用したが、シンプルにあって写真の伸びやかさを損なわないデザインは一目で気に入った。島原鉄道大三東駅、1982年。 先日もテレビのドタバタ鉄番組でこ...
小湊鉄道 上総鶴舞 2015年朽ち果てたような貨物ホームの隅にも、春の香りが満ちている。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
蒲原鉄道 大蒲原 1983年春の足音が聞こえ始めた。ポイントを渡る車輪も軽い響きを立てて。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
小湊鉄道 里見 2023年3月ロングショットはハナから諦める曇天の一日だったが、夕刻になって申し訳のように西の空の雲が切れ、空が紅く染まり始めた。さしもの花見客も大分引いたのだろうか、人影もまばらになった窓も、夕陽色。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村ビルマ従軍記者がその豊富な人脈を使い、奇跡的な生還者から執念の取材を重ねた名著。ビルマ中央部の激戦地マンダレー、餓死...
小湊鉄道 里見 2023年3月里見駅構内に珍客というか、何が目的か分からないワフが鎮座していた。 多分何かの倉庫代わりなのだろうが、無神経なプレハブ小屋など建てなかったのは、最近の小湊鉄道、粋が分かってるねえと勝手に解釈している。もう倒壊しかけたようなオンボロだけれど、この一両だけで鉄道が重ねた歳月の重みが出るというものだ。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村ビルマ従軍...
小湊鉄道 里見 2023年3月小湊にJRから大挙してヨンマル軍団がやってきたのはしばらく前になったが、ようやくお目に掛ることになった。全くの新造車導入の選択肢もあったようだが、ハイブリッドやら蓄電池やら今後の技術革新の予測も難しい中、「長く使うこと」に最大の重きを置き、社内修車技術の蓄積まで考慮した結果、既存技術に軍配を上げたとは、鉄道の世界から「無限に長い償却期間」の経営戦略が急速に失われ...
小湊鉄道 上総大久保 2023年3月上総大久保駅上り方に一本の桜がある。竹林を背景にした佇まいが一枚の襖絵のようで、あまり撮る人は見かけないが小湊鉄道の名景のひとつと思っている。何度も試している構図だが、大分以前に主要な枝が折れ、どうも枝振りが悪いと残念だった。久々に見る姿は自然修復が進んだのか、美しい。 そろそろ本命を撮れよと誘われているようで。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reserved...
小湊鉄道 里見 2023年3月まだ帰らない。春の野を気ままに流れ流れて、結局鉄道の写真をロクに撮ってないとなるとブログのネタにも困るから、花の宴もたけなわの小湊を最終日に当てて、帳尻を合わせることにする。平日なのに立ち客まで出る混雑ぶりは、小湊も稼ぎ時だ。思えば小湊に来るのは2019年の春以来、実に4年振りとはびっくり。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村ビルマ従軍記者がそ...
鹿島線 延方 2023年3月帰りの駄賃というか、二か月前のおさらい。前回この列車は、闇に沈もうとする霞ケ浦にテールランプの紅を引くばかりだった。まん丸の夕陽は通過時刻とピタリのタイミングは、貰ったと思いきや。地平線を覆う雲に隠れて「半月」に。 おのれ、あと一分早ければ。 まあこのサイズの夕陽だからどっちでも大して変わらないか。動かぬ大鉄橋と、一日ごとに巡る、天地の営み。© 2011 風太郎のPな日々...
浪江町立請戸小学校跡 2023年3月停まった時計が示すのは、津波襲来時刻。しばし線路から離れる。 いや離れてはいない。 近くを走る常磐線が2011年3月11日以降廃墟に変わったまま、10年近く放置された末に運転再開されたのも記憶にまだ新しい。東日本大震災の遺構については数年前に三陸で見たことがある。 しかしいかんせん、おのぼり的な団体見学ツアーの一員だったから時間にも追われ、ほとんど印象に残っていない。...
磐越東線 小川郷 2023年3月西の空が紅い。まばらではあっても2両編成にまだ人影があるのは救われる想い。結局磐越東線は、予定通りではあるが一夜を挟み朝夕だけ撮って撤収。 夏井まで足を延ばして沿線の偵察はしたが、標高が高くなるほど桜も減り、色に乏しい季節とあって写材に乏しかった。それより驚いたのは沿線中央部を並行する県道41号線だ。大型車のすれ違いなど絶対不可能、乗用車だって難儀する道幅が連...
磐越東線 赤井 2023年3月異常な足の速さでやって来た今年の春。線路際の桜模様の撮影はもちろん目論んでいたけれど、大幅な軌道修正が必要になってパニックだ。と言うより本当にターゲットにしていたところはもう、間に合わないかもしれない。ならば今こそ旬の場所へ、暇人の特権で急遽間に合わせようかと。まだ3月というのに、東北の入り口まで満開らしい。バンサイは散々行ったけれど、バントーは初見参。 赤...
大井川鐡道 家山 2018年華の宵に、スチームの吐息。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村ビルマ従軍記者がその豊富な人脈を使い、奇跡的な生還者から執念の取材を重ねた名著。ビルマ中央部の激戦地マンダレー、餓死してゆく兵を尻目に牟田口軍司令官が芸者遊びに呆けたという、高原の避暑地メイミョウ、幽霊の如く敗走する兵が彷徨ったパコック。それとも知らぬまま線路伝いに足跡を付けた土...
留萌本線 真布 2017年5時49分。 始発列車にもまだ早い。1956年、仮乗降場として開設される。 戦後10年、急増する人口が国鉄を動かしたのだろう。地吹雪が荒れるホームに、立派な待合小屋を建てたのは地元有志だったろうか。うたかたの夢のように通り過ぎた時代の証人は、明日最後の日を迎える。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村ビルマ従軍記者がその豊富な人脈を使い、奇跡的な生還者から...
小湊鉄道 養老渓谷 2011年これもまた随分昔の再発掘写真だけど、この時の菜の花は目を見張ったな。地元有志による休耕田を利用した菜の花ワールドで、瞬く間に小湊の春の風物詩になった。毎年種蒔きから始めてここまで開花させる地道な活動には頭が下がるが、この春は壊滅状態という。 写真を見たら菜の花はほぼ存在しない惨状で、 このところ数年おきに発生している現象だ。食害、土壌、低気温など様々な要因が重なっ...
東海道新幹線 新横浜 2022年以前からチョボチョボ撮っている、「RAILSIDE IMAGINATION URBAN VS RURAL 」コンセプトの一枚。東海道新幹線下りが新横浜を出ると、窓際を一瞬で通り過ぎても目を奪われる街。これは神奈川県平塚市にある「日向岡住宅」という。 東急電鉄が開発主体となり、1987年に分譲が始まったらしい。広々とした田園地帯に忽然と現れる、「三角形エントランス」「カラフル外壁」の連なりが、新幹線に...
いすみ鉄道 上総中川 2012年佳き一日の終わり。 燃え残る野焼きの匂いに誘われて。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村ビルマ従軍記者がその豊富な人脈を使い、奇跡的な生還者から執念の取材を重ねた名著。ビルマ中央部の激戦地マンダレー、餓死してゆく兵を尻目に牟田口軍司令官が芸者遊びに呆けたという、高原の避暑地メイミョウ、幽霊の如く敗走する兵が彷徨ったパコック。それとも知らぬ...
磐越西線 山都 1983年山都の谷は厳寒期の終わりも感じさせる。最後尾はスユニだろうか。 荷物・郵便輸送も担った旧客生活列車も最晩年の姿である。鉄輪は響けど単調なリズムは微睡も誘う。 時の流れも緩やかな各駅停車である。 磐越西線 1982年NHKBSでやってる「世界サブカルチャー史日本編」、先日は「1980年代」。大いにドキドキしながら見た。何故なら「たまゆら写真集」の巻末で1980年代についていろい...
小湊鉄道 上総大久保 2011年まだ駅前の白鳥小学校が健在だった。 始まった新学期と列車通学の子供たち。 彼らも既に大人になったことだろう。カメラはD700。 背景がアウトフォーカスでもちゃんと空気感を醸す、フルサイズデジタルの描写力に驚愕しっ放しの頃だ。毎年着々と増えていく写真データの保管にあたり、ラーメン屋のスープの如く、外付けハードディスクを継ぎ足し継ぎ足しで対処して来たが、いよいよ複雑化し...
わたらせ渓谷鐡道 水沢 2023年2月山上に雪をもたらした雨雲は、次第に退きつつ、それでも夕霧となって山あいに漂う。ラストショットは、Sカーブの小径が闇に飲み込まれないことを祈りつつ。( 冬の関東 プチトリップ おわり )© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村一日僅か一往復の列車で学校に通う子供たち。公立学校もあれば仏教寺院による運営の伝統的な寺子屋まで、全てが行き届...
わたらせ渓谷鐡道 小中 2023年2月決して雪に慣れているとは言えない土地である。 除雪作業もままならぬうち、国道は雪に埋もれてゆく。風太郎のロケ車はもちろんスタッドレスを履いているし、エマージェンシー用のタイヤチェーンも搭載は抜かりが無いが、アップダウンも多い山道だけに不安もよぎる。 しかしその杞憂は草木ダムの上だけと分かった。神戸まで降りて来ると雪は雨に変わる。 ひと山の違いで里は瞬く間に...
わたらせ渓谷鐡道 通洞 2023年2月東京から近いこともあって、「わたらせ」は撮り鉄の人気路線だ。その渓谷美を捉えた写真は沢山見かけるけれど、それでこの鉄道を語り尽くしているか。 キレイキレイだけか。旧足尾銅山の鉱夫が密集して暮らした時代をそのまま封印したような、中才の集落に至ればいつも息苦しい想いに駆られる。鉱山住宅から市営住宅に管理者は変わったけれど、長屋式の住居に風呂は無い。 トイレすら...
わたらせ渓谷鐡道 小中 2023年2月霙交じりの細雪は、やがて本格的な降りになった。森閑とした冬枯れの野が次第に白く染まってゆく。こんな日は出歩く人もいないのか、人影のない車窓ばかりを見送る。 小中現役時代は図書館で本を借りて読むなどほとんど無かったのだが、遅ればせながらネット検索・予約システムの存在を知ったり、近隣の図書館間での移動貸し出しまで対応する親切さに、読みたい本は殆ど手に入るか...