searchカテゴリー選択
chevron_left

カテゴリーを選択しなおす

cancel
プロフィール PROFILE
ブログタイトル
元島根県民のお部屋
ブログURL
http://okigoka.blog.fc2.com/
ブログ紹介文
島根県を中心とした建物や街並み、近代化遺産と、路面モジュール、Nストラクチャーの製作など。
更新頻度(1年)

36回 / 365日(平均0.7回/週)

ブログ村参加:2011/09/24

本日のランキング(IN)
読者になる

新機能の「ブログリーダー」を活用して、元島根県民さんの読者になりませんか?

ハンドル名
元島根県民さん
ブログタイトル
元島根県民のお部屋
更新頻度
36回 / 365日(平均0.7回/週)
読者になる
元島根県民のお部屋

元島根県民さんの新着記事

1件〜30件

  • 旧杵築銀行(出雲市大社町)

    大社のかつてのメインストリートに面して現存している、旧杵築銀行の建物です。現在は民家になっており、外観上も玄関部分の改装、屋根も後年の増築と思われる瓦葺の屋根が載っているなど、かなり手が加えられている様子です。玄関上の何らかの痕跡。この部分には白タイルが貼られていないので、かつて何らかの装飾があったのだと思いますが、その形が独特です。うーん。オリジナルの姿はどんなだったのだろう。気になります。角地...

  • 旧雲州今市銀行平田支店?(出雲市平田町)

    平田大橋の袂にある床屋さんの建物です。全体的に改修されていて最近の建物の様にも見えますが、軒の蛇腹が何となく歴史を感じさせます。(松陽新報 昭和2年10月1日付)昭和2年の一畑電化を報じる松陽新報に、平田の町の写真が載っていたのですが、この写真に上掲の建物が写っていました。上掲の新聞写真の拡大です。1階部分は増築などの改変が見られますが、2階の窓割は同じですね。この建物は何だったのだろうと気になっていた...

  • 旧割烹久の家(松江市東本町)

    松江市東本町、大橋川河畔の旧料亭「久の家(ひさのや)」の建物です。令和2年3月に松江市の「松江市登録歴史的建造物」に 12番目の建物として登録されました。(松陽新報 昭和12年1月5日)この建物は昭和12年、割烹久の家として新築落成しています。平成15年の撮影時には旅館となっていました。近年はあまり使われているようではなかったので心配していましたが、この度の「松江市登録歴史的建造物」への登録を機に活用の動きが...

  • 旧松江銀行本店(大田市大森町)その2

    石見銀山の入り口に旧松江銀行本店の建物が移築・保存されています。現在は「なかむら館」といって、大森の町並みの維持・復元に尽力されている地元企業「中村ブレイス」さんの施設として活用されています。●新築の頃●(山陰新聞 明治36年11月3日付)この建物は明治36年、現在の山陰合同銀行の前身の一つである、松江銀行本店として、松江市の白潟本町に建設されました(現在合銀の駐車場になっているところ)。(山陰新聞 明治3...

  • 旧邇摩郡役所(大田市大森町)その2

    拙ブログの最初期にご紹介している旧邇摩郡役所について、新しい資料などを踏まえて改めてご紹介したいと思います。邇摩郡役所は明治35年に、大森の代官所跡に建設されました。設計者は不明ですが、工事監督として、島根県の県属西村西村義抽、工手野津藤太郎、邇摩郡役所主任の吉野留次郎、土木係大草鐐吉が担当しています。特に県の技師だった西村義抽という方は、後に出雲大社の彰古館(旧宝物館)などを設計しています。郡役所...

  • 湯村発電所(雲南市木次町湯村)その2

    木次の湯村温泉場の奥に現役で残る湯村発電所のご紹介です。湯村発電所に関しては以前にもご紹介しているのですが、その後、当時の絵葉書や新聞記事などを入手しましたので、改めてご紹介する次第でございます。湯村発電所は大正8年、当時出雲エリアの発電・配電を担っていた出雲電気により建設されました。●当時の新聞記事より●(山陰新聞 大正8年3月28日付)「出雲電気第三発電所 来る八月竣工」出雲電気株式会社にては其の社...

  • 旧今市新町郵便局(出雲市今市町)

    今年のGWも島根県の近代建築巡りをと思っていたのですが、新型コロナウイルスの感染拡大によりそうも言っていられなくなりました。島根の皆様もどうぞお気をつけてお大事にお過ごしください。(松陽新報 昭和7年4月1日付)国会図書館も休館中という事で家で複写してある松陽新報を眺めていたところ、「けふ開局、今市新町郵便局」という写真付きの記事を見つけました。この建物、現存しています。いかがなものでしょうか。現在は...

  • 旧大社駅(出雲市大社町北荒木)

    島根県を代表する近代建築の一つ、旧大社駅です。大社線は明治45年に開業、現在まで残る駅舎は、大社駅利用者の増加に伴い、大正13年に建てられたものです(起工は大正12年9月、竣工は大正13年2月)。建設は駅舎の建設を担当した、神戸鉄道管理局工務課の技手、丹羽三雄とされいます。戦前から大阪方面の急行列車の始発駅となり、戦後も優等列車の始発駅となって、大変な賑いを見せていたのですが、モータリゼーションの波に飲まれ...

  • 旧山陰道産業(松江市東本町)

    東本町の旧山陰道産業の建物です。松江で有名な近代建築の一つであり、平成29年には松江市の「松江市登録歴史的建造物」として登録もされています。建物は昭和7年築、前年の末次大火による復興の過程で建設されました。敷地の角が隅切りされているのも、復興計画の一環といえましょう。島根県立短大が発行した「のんびり雲 7号」によれば、この建物は山陰道産業の後、生命保険会社、船会社が使用し、昭和48年からトラヤ紳士服店、...

  • 旧大森税務署(大田市大森町)

    郵便局の隣の隣にある建物です。元々は江戸末期に建てられた武家屋敷で、明治22年以降、建物を改造して大森税務署となりました。大森税務署の後は国鉄バスの事務所、国鉄バス運転手の寮と用途が変わり、昭和28年以降は住居として使用されています。特徴のある玄関は大森税務署時代に設置され、後に撤去されていましたが、平成12年の修理の際に大森税務署時代の姿に復元したとのことです。*現在も一般の住居ですから、敷地外からの...

  • 地頭所の建物(美郷町地頭所)

    美郷町の地頭所で見かけた、気になる建物です。納屋として使われているようなのですが、2段になった窓や妻面の洋風なデザインなど、いわゆる農家の納屋とは性格を異にする雰囲気を感じます。玄関には庇がかけられており、腰部分の板張りも縦にするなど、戦前の事務所建築っぽい雰囲気を感じます。妻面には小窓もあります。この建物の正体は何でしょうか?山間部の小集落に建っている洋風の建築物として考えられるのは、村役場、産...

  • オペラハウス大森座(旧大森郵便局)(大田市大森町)

    大森の元郵便局だった建物です。平成26年に地元の中村ブレイス社により改装され、オペラハウス「大森座」に生まれ変わりました。伝統的な建物が連なる大森にあって、ガラス窓を多用したこの建物は目を引きます。近代の建物に見えるのですが実はこの建物は江戸時代末の建築だそうで、向いにある熊谷家の納屋として建てられたのがそのものだそうです。旧大森郵便局の向かいにある熊谷家住宅です。熊谷家は代々大森の町年寄を務めるな...

  • 旧出雲電気江南変電所(出雲市湖陵町常楽寺)その2

    湖陵町の常楽寺に現存する、旧出雲電気江南変電所の建築年が判明しました!!江南変電に関する記載があったのは、昭和61年に刊行された「はるかなり山の学校」という本です。明治の初めに学校制度が出来た際には、江南村では二部地区と常楽寺地区と2つの小学校がありましたが、村の財政上、学校を2つも維持できないので統合という事になりました。ところが、その統合した学校をどこに置くかで大いに揉め、結局のところ両地区の境に...

  • 須佐橋(出雲市佐田町)

    旧佐田町に戦前に架橋された須佐橋が現役で頑張っています。(陸地測量部 昭和7年 「石見大田」より)場所はこちら。現在は出雲市のエリアですが、この地はかつて東須佐村、西須佐村とに分かれていました。須佐橋はこの東西の須佐村を結ぶ重要な位置にあったことが古地図から読み取れます。例によって戦時中の金属供出のためか、橋名板や欄干の装飾などはない状態です。尖塔を重ねたようなデザインの親柱。分離派というのでしょ...

  • 旧米江旅館(松江市伊勢宮町)その2

    松江の旧新地遊郭内で、唯一昔日の面影を残している巴庵(旧米江旅館)にてお食事をしてきました。夕刻迫る巴庵(旧米江旅館)の姿。雰囲気がいいですね。玄関を入ったところ。天井が高く広々とした印象です。入ってきた人が角にぶつけないようにする配慮か上り口も直角にせず。玄関を振り返ります。帳場です。帳場の脇に階段があります。2階から下を覗きます。階段の手摺です。暗くて良く写っていませんね。。。2階の客室に通じる...

  • 旧宍道小学校(松江市宍道町)

    宍道町に木造校舎が残っています。元の宍道小学校の校舎だったものです。校舎は大正3年に建てられたもので、立派な玄関が備わっています。玄関庇を支える柱。根石は大根島の玄武岩でしょうか。校舎側面です。近年まで、松江南高校宍道分校として使われてきたこともあり、耐震補強や空調の設備の追加などが行われています。校舎側面、玄関から向って右側です。大正期らしい装飾の少ない素朴な外観です。校舎の右に続く建物は雨天体...

  • 旧国富村役場(出雲市国富町)

    ※今回は郷土資料並びにGoogleストリートビューより画像を転載させていただきます。ブログ主はヒマが出来ると島根県内のまだ見ぬ近代建築を探すために、Googleストリートビューで県内のあちこちを観察しています。ある時、出雲市(旧平田市内)国富町に上掲の気になる建物を見つけました。古い様な、窓のサッシの様子から戦後の建物にも見える様な、何とも言えない建物でした。結論から申し上げますと、明治23年に建てられた、旧国...

  • 旧大濱村役場(大田市温泉津町小浜)

    温泉津駅から温泉津の温泉街への道の途中にあるこの建物、どうやら、昔の村役場の建物だったようだということが分かりました。モルタル塗りの一見して戦後築の建物と思っていました。現在はあまり使われているように見えませんが、平成19年に撮影した際には、「温泉津町農業協同組合」という看板の跡が残っていました。近年まではJA事務所として使われていたようです。(昭和16年8月1日付松陽新報より)昭和16年8月1日に、温泉津町...

  • 旧跡市小学校(江津市跡市町)

    江津市跡市町の旧跡市小学校の校舎・講堂です。跡市小学校は平成28年に閉校してしまいましたが、最後まで戦前築の木造校舎と講堂とが現役でした。現在も現役時代と変わらず、建物は残されています。校舎は建物の真ん中に玄関を持ちます。大きな木で遮られていますが、アーチの装飾が印象的です。立派な庇の付いた玄関です。校章でしょうか。エンタシスな柱に支えられる玄関。かなり凝った造りになっています。堂々たる講堂の建物で...

  • 亀嵩駅(奥出雲町郡)

    木次線の亀嵩駅駅舎です。外観は改修されてそれほど古い建物のようには見えませんが、昭和9年の開業当時の駅舎が現役で残されています。(昭和9年11月20日付松陽新報より)亀嵩駅は、昭和9年11月20日の出雲三成~八川間の延伸開業に伴って、出雲横田駅、八川駅と共に開設された駅です。新聞記事写真の中段にあるのが開設当時の亀嵩駅の姿です。昔の亀嵩駅の写真を見ますと、八川駅とデザインが共通していることがかわかります。亀...

  • 出雲八代駅(奥出雲町馬馳)

    令和2年最初のご紹介は木次線の出雲八代駅駅舎です。出雲八代駅昭和7年に木次出雲三成間が開業した際に解説された駅です。現在の駅舎もその際に建設されたものと思われます。現在は無人駅ですが、出札所の設えなど、昔のままに保たれています。待合室も大変綺麗に管理されています。利用者はそれほど多くなさそうですが、地域のよりどころとなっているのでしょうか、訪問した際にも地元の方が待ち合わせに使ったりと、人の出入りが...

  • 松江大橋をうつした絵葉書の年代測定法(その9)

    まる1年ぶりの松江大橋絵葉書ネタです(前回はこちら)。こちらの絵葉書、よくある松江大橋の絵葉書のように見えます。松江倶楽部(大正10年)があり、欄干は昭和4年改修以前、文化自動車バスが写っている、橋の袂に御大典記念の街灯がない、などから、大正14年~昭和3年の間に撮影されたものと推定されます。こちらの絵葉書もバスが写っていないという点以外は上掲の絵葉書とほとんど同じようですが、一つ、より時代をこまかく特...

  • 旧波積小学校講堂(江津市波積町本郷)その2

    以前ご紹介した旧波積小学校講堂について追記です。波積小学校の講堂は昭和9年に建てられた歴史的な建築物です。小学校は昭和55年に閉校し、校舎は解体されましたが(解体年不明)、講堂は保存され、地域の公民館として活用されてきました。平成20年に改修工事が行われ、波積ふれあいホールとしてリニューアルされ、平成22年には「しまね景観賞」を受賞しています。(昭和9年12月2日付松陽新報より)昭和9年12月に新築落成式を迎え...

  • 旧阿須那郵便局(邑南町阿須那)

    歴史的な街並みの残る、旧羽須美村(邑南町)阿須那の元郵便局の建物です。現在は池月酒造の店舗兼事務所として使われています。完全に池月酒造と一体化しているので、元々池月酒造の建物だと思っていたのですが、SNS上で元郵便局と教えてくださった方いらしたので「羽須美村誌」にて確認したところ、当該建物は郵便局だったという記述がありました。いつ建てられたのか、いつ現局舎に移転したのかは資料が見つかりませんでしたの...

  • 久手町の洋館と大田界隈の近代建築(大田市久手町)

    大田市久手町の町はずれに、立派な門構えのお屋敷があります。塀越しにただものではない風格の洋館が見えます。居住空間としての和風建築と、書斎・客間としての洋館が組み合わさった、いわゆる折衷住宅の一種でありましょう。地方ではなかなか見ることのできない様式です。令和になって再訪したところ、屋敷を囲っていた門・塀が取り去られていました。平成30年4月9日の島根県西部地震の影響でしょうか、大田地域は震度5強を記録...

  • 美保関小学校跡地その5(松江市美保関町)

    美保関の絵葉書シリーズ、今回は赤丸で囲った燈篭について整理したいと思います。前回取り上げた産業組合?の建物の先の防波堤にこの燈篭は建っていました。絵葉書の右手前に写っている灯篭は美保関湾の西側、「弁天波止場の常夜燈」と呼ばれているもので、天保13年に建立、明治3年に再建されたものです(現地案内板より)。上掲の絵葉書の拡大。産業組合?の事務所と共に燈篭が確認できます。(昭和3年10月15日付松陽新報より)こ...

  • 美保関小学校跡地その4(松江市美保関町)

    美保関小学校が写されている絵葉書について整理してきましたが、今回もそれに関連して、小学校の右手に建っている、赤矢印の物件について整理してみようと思います。。上記絵葉書の建物の拡大画像です。戦前らしい、役場や産業組合の事務所にありそうな風の建物です。この建物、明治期の美保関小学校が写っている絵葉書には姿がありません。講堂が新築された大正以降の絵葉書にも姿はありません。絵葉書を確認する限り、この建物は...

  • 美保関小学校跡地その3月(松江市美保関町)

    前回に引き続き美保関小学校についてのご紹介です。【奉安庫跡?】旧美保関小学校跡地の片隅に、なにやら石垣と階段があるのを見つけました。石段を上がると「美保関小学校跡」と記された石碑がありました。このスペースは何だったのでしょうか?戦前の小学校にあった奉安庫(殿)の痕ではないか?というのがブログ主の推測です。奉安庫(奉安殿)は、学校に下賜された御真影(天皇皇后両陛下のお写真)を保管するための建物で、戦...

  • 美保関小学校跡地その2(松江市美保関町)

    前回、昭和2年築の旧美保関小学校の遺構についてご紹介しましたが、今回はその続きとして、当時の史料や絵葉書をもとに、旧美保関小学校の校舎の変遷について整理したいと思います。この表は、昭和3年の美保関小学校落成式について記載された松陽新報の記事にあった小学校の歴史と、美保関町誌の記述とを合わせ、時系列にまとめたものです。島根県有数の観光名所でもある美保関は、戦前より多くの絵葉書が発行されており、その絵葉...

  • 美保関小学校跡地その1(松江市美保関町)

    美保関の町は、美保関湾と海に迫る山との境界に少しだけ開けている土地に沿って、うねうねと細長い集落が形成されています。美保神社から青石畳を抜け、歴史を感じさせる町並みを進んでまいりますと、やがて空き地のような開けた場所へ抜けることができます。ここは、明治8年から昭和41年まで、美保関小学校があった場所です。画像右手の空き地は元の校庭だったところです。(昭和3年1月13日付松陽新報)美保関小学校はこの地で何...

カテゴリー一覧
商用