一頃何故か田端の旅客機持ちだった安中貨物その終盤高く上がった月の下トップナンバーのゴトーさんが朱い安中貨物を従えて2013年如月高崎線月とゴトーと安中貨物
狂電関人撮影の新旧写真を徒然なるままにアップ。中心は鉄道のある風景と車両の話。
小学校4年ぐらいから始めた鉄道写真趣味で約40年。途中結婚子育てで数年休んだもののデジタル一眼レフ購入後所謂バリ鐡に復活し今日に至る。現役SL世代最終組だが写真は少しだけでその後、電機を丁寧に撮り続けてきたためハンドルネームは、ENTHUSIAST OF ELECTRICLOCOの意で「狂電関人」に。
一頃何故か田端の旅客機持ちだった安中貨物その終盤高く上がった月の下トップナンバーのゴトーさんが朱い安中貨物を従えて2013年如月高崎線月とゴトーと安中貨物
久大本線の最深部では上り下りともに通勤通学がある2024年如月恵良駅朝の久大本線
もうすぐダイヤ改正機関車もその塗装もタンク車もEF655PF1000番代でJR貨物色でタキ43000で一昔前の国鉄っぽい貨物列車2011年如月武蔵野線一昔前の
満開の桜越しにカメラで特急を追う2010年卯月王子飛鳥山花見の特急
暮ゆく空木造平屋の駅舎暖色系の電燈さあ家に帰ろう2007年卯月長野電鉄家路時
飽くなきスピードへの挑戦の遍歴が並ぶ2007年卯月博多総合運転所それぞれの流線形
ゴーマルサン改正で優等列車でのスチーム暖房使用が無くなり基本九州管内の電機の運用は共通化されたしかしその中で荷物列車と客車による各停はSGを使うためED76の限定運用貨物列車では高速運転対応に開発された10000系貨車の運用にはED75が限定された写真は鹿児島本線を下る唯一(撮影時間帯では)のワキやコキといった10000系による貨物列車で300番代のラストナンバーである311号機が牽いて来た311号機だけは301~310号機と違いスカート下部に独特の丸みが無いタイプだ1977?年鹿児島本線限定運用
思い起こせば鹿児島本線の電化と共に我が鉄道趣味人生を歩いて来たその中で最も付き合いというかなじみがあるのはED76その末裔ももうすぐ終焉を迎えそうだ1976?年鹿児島本線水城ナナロクと共に
おそらく76年のこといつもの撮影地で撮った一枚に無蓋車ばかりの貨物の一コマ工臨だったのか小倉工場への廃車回送だったのか懐かしい煽り戸が木製だったトラ45000が数両写っている1976?年鹿児島本線無蓋車ばかり
自分が高校生だった頃当時の青梅線はゴトゴト貨物が往来する賑やかな路線だったその後上京して比較的近くに住むことになりいつもの悪い癖で撮りに行くことはなく老兵ED16引退間近に少し通っただけとなった今は電車が往来するのみ1978年文月拝島青梅線の喧騒
大きな工場があった鹿瀬駅スイッチャーが入替作業に余念無く各駅停車だけじゃなく急行列車も止まるそんな賑やかな駅だった1981年弥生磐越西線鹿瀬駅鹿瀬駅昭和の賑わい
水城の土塁脇に咲く白梅の向こうをボンネット有明が往く1978年如月鹿児島本線水城梅は咲いたか
電機の付番で正当な流れ九州用に引き継がれた300番代1977年卯月鹿児島本線300番代の血統
この年五能線沿線には雪が少なかったこの日も思わせぶりな雲が来るが雪は降らず・・・2018年睦月陸奥赤石空模様
未だ空に焼け色が残る頃青で統一されたライナーを赤いH級機が牽いて来た2017年如月東北本線蓮田暁のライナー
僚機535号機無きあと孤軍頑張って来た最後の可動機が散った2008年弥生武蔵野線幾星霜
季節は晩秋から初冬煤煙を上げて短尺の線路をリズムよくキハが上ってくる2015年霜月小湊鉄道晩秋
この雪の量は米作りの里に豊作を齎すのか凶作を齎すのか2017年睦月只見線この度の大雪による災害を被った方々に心よりお見舞いを申し上げます雪深い郷
ワイドビューの車窓で一番御馳走は何といってもアルプスだろう2007年如月中央本線アルプスビュー
波が複雑にぶつかるのはやはり風と風が合う瀬なのだからだろうか2013年風合瀬風合瀬にて
安全運行に対する真摯な眼差し2015年霜月秩父鉄道後方よし!
抜けるような青空の下畑の向こうを青いタンカートレインが走り去るまだまだ春は遠い2011年睦月武蔵野線畑の向こうのタンカートレイン
大きな青い機関車が小さな貨車を連れていく青で統一された編成が綺麗だ2012年弥生武蔵野線大きな機関車と小さな貨車
右上のヘイズに霞む槍ヶ岳とマルーンの2000とマッコウクジラの懐かしいスリーショット2009年如月長野電鉄槍とマルーンとマッコウクジラ
機関車溜りもそこから仕業へ出す誘導作業も全ていにしえの事に2010年如月田端いにしえの景色へ
短い陽が沈み残照も取れる頃臨スジで185がやって来た車内灯など国鉄型のそれを見ると身に沁みる寒さと裏腹にやっぱりホッとするド昭和世代2016年睦月東北本線蓮田冬の一日の終わりに
機関車の色は違えども役者が一つ増えただけでぐっと国鉄時代を思い出す2013年国鉄幻想
冬枯れの寒々としたバックに朱のヨンマルが映える2016年師走烏山線枯木に朱
もともと大動脈のコンテナの先頭にはこいつが一番お似合いだった随分といろんな飾りが外されて屋根には大きなタンコブが載ったけどその威風たるや変わらなかった2013年師走EF6626昭和のヌシ
師走の寒い日に薔薇の花がホッと暖かく2011年師走都電荒川線薔薇のS字カーブ
寒々とした枯野原の向こうから季節柄長くなったタキを牽いて異端塗装機が現れる鈍く染まる西空を背負って2015年如月武蔵野線冬枯野
冬の京都滞在中に雪が積もった冬枯れの桜に雪の花が咲いて嗚呼春や恋しや2012年如月嵐電鳴滝~宇多野大雪災害にお見舞い申し上げます冬の桜並木
日の出頃の一瞬の時間山も電車も美しく色付く2014年如月東北本線蒲須坂べっぴんタイム
雪少なげなある冬夜明け前の驫木駅に一番列車が近づく2013年如月五能線驫木一番列車
ブルトレ末期新たに専用機が誂えられて青一色に金帯の歴代最も美しい編成を組んだ2014年睦月東北本線蕨ザ・ブルートレイン
電柱が林立し踏切が連続する街中の引込線も役目を終えてしまった2013年師走北王子街の引込線
カシャーンと信号が変わると汽車が来る2013年睦月津軽鉄道金木雪の轍
広いヤードに貨車が行ったり来たりこの長閑さには飽きが来ない2013年師走川崎貨物光るレール
視覚も聴覚も臭覚もぐっと盛り上がる旅情のひととき2013年睦月上野駅13番線高まる旅情
カラカラに乾いた季節風と高い青空の下貨物が行く2011年如月東浦和冬晴れ
雪になるコースを通ってその低気圧はあっという間に房総を白銀の世界へと変えた2014年如月いすみ鉄道南岸低気圧の仕業
この頃あかつきは確か7往復そのうちの4号は24系24型で電源車のマヤ24からすべて白いラインで統一そして先頭にはED76の1002号機初期型はナンバーも両側のヒゲもステンレスの切り出し途中から塗りに変更されたがそんな細かいところに急客機の風格を感じたもの1975年熊本駅急客機の風格
トライXを増感して手持ちで駅を出ていくあかつきを撮る雨に濡れた夜汽車の光景は艶めかしく輝く1978年水無月博多駅雨の旅路
これも1978年か香椎操車場で早朝から忙しなく行ったり来たりEL2両にDE10の三重単1978年?香椎操車場ヤードの三重単
今はマンションが入る大きなビルになった南福岡駅かつての木造平屋の本屋改札前のホームから出ていく夜行列車昭和時代の夜汽車の趣1978年神無月鹿児島本線南福岡駅夜汽車の趣
蒸機ほどじゃなかったけど電機もお召牽引機になると色々化粧した九州でもED76の55号機はお召機に選ばれて本務の後も暫くその化粧塗装が残っていた連結機開放棒が銀色でちょっと誇らしげに見えた1978?年鹿児島本線NikonF2photomicSB薄化粧の機関車
一日遅れのアップで高校の頃鉄道雑誌の付録についてきたダイヤグラムで調べ交換駅居組で撮った上りまつかぜと下りはまかぜ1977年師走山陰本線居組かぜとかぜ82系回顧
塗りやカットアウトじゃなくちゃんとエンブレム然と切り抜き文字で特急車両は威厳に満ちていた1976年キハ82まつかぜ博多駅OLYMPUSPenF栄光のJNR
まだまだ連絡船の時代連絡船待合室は一晩中開放で暖もとれたこの日は確か夜行列車で着いた日だったか暫く青森駅で発着列車を撮ったED75700の独壇場だった奥羽本線荷物車も50系になった晩年の一枚1983年?早春青森駅NikonF2photomicSB雪の青森駅
ここでカシオペアをうまく光らせることはできなかたがこのサロたちはうまく光ってくれた2012年師走東北本線蓮田OLYMPUSE-5リフレクション
高1の春休みのことだったろうかみるみる積もる雪の中撮影に出た西日本とはいえ暮時の薄暗さを何とか雪の反射で補う今日の当番は九州電化のパイオニアED72従えるのは最新鋭の25型100番代と新旧の好対照1978年?早春鹿児島本線コダカラーⅡ雪の上りはやぶさ
当時まさか夜越しの鉄道旅が無くなるなんて思ってもみなかった闇間を駆ける青い列車の浪漫をずっと追いかけてきた1976年鳥栖駅フジカラー400ブルートレインを追って
雪が舞う中一番列車同士の交換2018年睦月五能線OLYMPUSE-5夜明け前の交換
荒波寄せる冬にあって違う表情を見せる引き潮時の海岸線2018年睦月五能線OLYMPUSE-5引き潮時
音も無く新潟色のヨンマルがやって来た2017年睦月只見線OLYMPUSE-5雪止みの入広瀬
圧倒的迫力雪の中のDD51とDD511982年北上線NikonF2photomicSBDD51+DD51
1970年代当時ディーゼル王国四国に存在した孤高の1両キロハ281977年弥生高松駅NikonOLYMPUSOM-1異端車
現在の博多駅は線路を跨ぐように建屋がのっかってすっきりとした編成写真は撮れない上り長距離列車が発着するホームは中線を挟むので反対側からみずほを狙ったこの日はED731011が当番長い編成を標準レンズで収められないけど堂々とした写真には満足1977年7月?鹿児島本線旧博多駅OLYMPUSOM-1旧博多駅にて
粗悪なスキャンコンディションで失礼おそらく1979年の撮影か線路の向こうには旧ベース時代の有刺鉄線のフェンスが残り白木原駅の脇にもベース時代のタンク設備のようなものが残るそして鹿児島本線を上ってくる貨物は同線電化のパイオニアのED72が牽いて未だ大牟田で産炭していたのか数両の石炭貨車も繋がる現JR大野城駅がかつて国鉄白木原だった頃の懐かしい懐かしい一枚1979年?鹿児島本線白木原NikonF2photomicSB回想国鉄白木原
霜が降り耳が痛くなるほど冷え込んだ朝烏山線を撮る2017年睦月烏山線NikonDf凍てつく朝
高校2年の初関東圏で右も左も分からない中夕方の下り九州ブルトレを撮りながら暫し滞在した新子安その横を標準軌でかっ飛んで来る京急の快速急行中でもこの2枚窓が好きだった少し斜めった顔がダンディーで・・・1978年葉月京浜急行NikonF2photomicSBかっ飛び京急
日が昇り霜や夜露が蒸発するときひとときのスクリーンがかかる2015年霜月小湊鉄道NikonDf朝靄
気温が下がるにつれタンカートレインの編成は伸びる夕闇迫る東北本線をEF66100が牽く長いタンカートレイン雲一つない空に明日朝も放射冷却が効きそうだ2013年霜月東北本線蓮田OLYMPUSE-5暮時のタンカートレイン
あまりにも秋が行くのが早すぎて一つ一つの紅葉を愛でることすらできない手前には桜奥には欅こんなゆっくりな秋が良い2013年霜月東北本線蓮田OLYMPUSE-5過ぎゆく秋
随分秋めいてきたがのんびり色づく樹々を愛でる間もなく冬がやってきそうこの三連休は折角の紅黄葉を散らす天気になりそうだ2015年霜月都電荒川線学習院下NikonDf黄色の都電と黄葉
秋雨の中銀杏が色づきつつあって黄色が艶めかしい秩父鉄道オリジナル色はとても秋色に似合うと思う2015年霜月秩父鉄道NikonDf色付く銀杏と秩父色
いつまでも暑い今年の紅葉や如何に頻繁にヒガハスに出かけていた或る秋屋敷森の樹々が程よく色づくその奥をもみじ色した観光特急が行く2014年霜月東北本線NikonDf屋敷森の紅葉ともみじ色の電車
日の出前の小駅にヨンマルがやって来た誰も乗せずにブンと排煙を上げて駅を出ていく2016年霜月烏山線NikonDf黎明のヨンマル
今は高架駅で営業しているが直上工事ゆえ完全に竣工するまでにはもう少しかかるマイホームタウンステーションその懐かしい工事中の一枚2017年師走西鉄天神大牟田線春日原NikonDf直上高架工事
超望遠で林立する架線柱の向こうからリバイバル色の185系が迫る黄昏時の信越線2012年長月信越線OLYMPUSE-5彼方から
朝晩の冷え込みがこの並木の黄葉を進める2012年霜月都電荒川線学習院下OLYMPUSE-5黄色い並木
今朝は冷えたでもこのまますんなり季節は進まなそう温暖化の影響で草木も作物も季節の移り変わりもどこかおかしいそのうち季節の風物詩なんて無くなってしまうんじゃないかと晩秋の定番の残り柿にそんなことを考えてしまうそれからもう一つ時代の変化という点では211系が走るヒガハスもそうだけどダブルデッカーにシングルのサロも懐かしい2012年師走東北本線OLYMPUSE-5(公道から撮影)残り柿
文字通り国鉄色の機関車が国鉄からの継承であるコキ50000を牽くこのコンビが好き2011年霜月武蔵野線OLYMPUSE-5国鉄×国鉄
ある秋晴れの日に飯山線で運転されたイベント列車客車列車の運転終了からずいぶん経っていたけど国鉄色のディーゼル機関車が茶色い客車が牽くという在りし日の国鉄を思い存分楽しんだ一日だった2010年神無月飯山線OLYMPUSE-30DD16とオハニ
冬の嵐の北陸道を何とか抜けて長野エリアまで辿り着いた朝飯縄山は嵐をもたらした雪雲で綺麗に化粧しやって来たリンゴ色の2000系が朝日を浴びて綺麗に浮かび上がった2010年師走長野電鉄朝陽OLYMPUSE-30雪晴れの飯縄山
谷川連峰を超えて雪雲が千切れ飛ぶ空の下フルノッチで湘南色の115系が丘を駆け上がってくる2010年睦月上越線OLYMPUSE-30上州の丘を駆け上がる
弱い師走の陽光を受けてやって来た7019号車降車ホームで乗客を降ろし乗車ホームに転線する年末の買い出し客でごった返す商店街をよそに暫し静寂の駅には薔薇の香のみ漂う2011年師走三ノ輪橋OLYMPUSE-30薔薇咲く終着
電関人が撮影した中では一番多く着雪を運んできたカシオペアこれも夜行列車だからのこと2010年睦月北浦和OLYMPUSE-30北からの土産
蒼穹の空に白銀の白馬の山々が聳え立つこんな絶景を望める大糸線は大事な観光資源2009年如月大糸線信濃森上OLYMPUSE-300日本アルプスの高原を行く
午後逆光側に太陽が廻り雪の渓はモノトーンとなる色を差すようにツートンのゴーニーがやって来た2009年如月大糸線南小谷OLYMPUSE-300逆光の渓
晩冬の恵那山は薄っすらと雪を纏うそんな恵那山が見下ろす中木曽川の畔を行くロクヨン重連貨物低い冬の日差しはこの先木曽谷には届かない2009年如月中央西線OLYMPUSE-300恵那山が見下ろすロクヨン重連
錦秋の鳥居峠越えの383系温暖化による気候の変化が著しいただでさえ紅葉のドンピシャに巡り合えるのも難しいのにその秋自体が無くなりそう樹々の葉は色づくことなく散ってしまったりはっきりした四季が日本の魅力だというのに前がカツカツなのは機種のローテクさゆえご愛敬ということで2008年霜月中央西線OLYMPUSE-300中央西線の秋
豊穣の圃場の向こうをオリジナルカラーの169系が行くたわわに実った稲の香ばしい香りと風に擦れる乾いた音そこに聞こえる169系のモーター音平穏な中秋の時間が流れる2008年長月しなの鉄道OLYMPUSE-300中秋を行くしな鉄169系
長野電鉄沿線のリンゴ畑はそろそろ収穫時期だろうか?この時期になると同線で活躍したマッコウクジラこと3500・3600系を思い出す日比谷線時代大学受験でもお世話になったことから長電に移ったマッコウクジラには愛着が強かったニックネーム通りに前面の優しいアールの造形とコルゲートの車体が何ともチャーミング赤いハチマキのマッコウクジラが熟したリンゴ畑の中を行く姿はいつまでも思い出の中を駆け巡る2008年霜月長野電鉄OLYMPUSE-30思い出の長野電鉄マッコウクジラとリンゴ
電関人が足しげく山陰本線に通っていた70年代後半から80年代前半頃には同線の貨物列車輸送は下降線を辿っていたようだ特に西部地区では数両の貨車を仕立てるのみでこの列車もワフ、ワラにホキ2両にヨと工臨なのか貨物なのか?地域間の少量輸送で寂しい列車が秋雨に打たれ通過していった1982?年霜月山陰本線仁万NikonF2photomicSB山陰本線貨物の思い出
無煙化間もない鳥栖機関区鉄道要衝で急客機はじめ多くの蒸機が屯い給炭を受けたここでは大きな給炭塔が機関区のランドマークだった1976年皐月鳥栖機関区OLYMPUSOM-1煙の名残
上京後よく通っていた八高線DD51の貨物が主な被写体だったけど旅客はまだキハ35系がメインで首都圏の長閑なローカル線だった1981年神無月?NikonF2photomicSB長閑な頃の八高線
往路の上越国境ではいきなりの大雪に見舞われた新津経由で目的地の只見線沿線に着くと辺りの山々は晩秋から冬へのグラデーションやって来たC11の吐く息も真っ白2009年霜月只見線OLYMPUSE-30季節の狭間で
数あるEF81の中でも比較的頻繁に会える133号機は氷柱切りで精悍な顔立ち旅客列車から貨物まで様々な仕業で活躍しかしその特徴を生かして様々な角度から撮影を試みたが中々納得がいかないそんなある日の安中貨物で大きく傾いた冬の陽は辺りの建物の影を長く伸ばすなか建物の合間から線路を照らすスポットライトのような光線が美しく133号機の顔を浮かび上がらせてくれた2010年師走蕨OLYMPUSE-30男前の133号機
昭和も随分と昔になったつい先ごろまでマークが変わったり塗装が変わっても彼方此方で見かけた昭和の顔たちも随分と減ってしまった2010年霜月常磐線馬橋OLYMPUSE-30昭和の顔
良く晴れわたった秋の日木曾谷に昔日の林鉄が蘇った2013年神無月OLYMPUSE-5林鉄日和
小雨降る波久礼駅ヤマに向け返空列車が出発返空とは言えこれから勾配が続く後方を確認しつつ慎重にノッチを進段していく2011年神無月秩父鉄道波久礼駅OLYMPUSE-5デキ501波久礼出発
河岸段丘の凸凹をいくつも越えて結ばれる線路秋雨が落ちる中C11が客車を牽いて丘を越えてやって来た2012年霜月飯山線OLYMPUSE-5丘を越えて
朝からの雨も上がり雲間からドラマチックな斜光線が長瀞を照らす中満載の鉱石列車が山を下って来る渓の日暮れを知らせるかのように光る車体が印象的だった2014年霜月秩父鉄道NikonDf暮れる長瀞にて
めっきり短くなった秋この色のヨンマルが一番似合うのはやっぱり朱く染まる時季じゃないか2014年霜月烏山線小塙NikonDfヨンマルの季節朱い秋
すっかり色づいた銀杏の木の下おめかしした子どもたちが親に手をひかれてお宮詣で今日は七五三2014年霜月都電荒川線宮の前NikonDf晴れの日の宮の前
高崎線でヘッドマークも誇らしげに12系の先頭に立つEF65501は国鉄時代を彷彿とさせる電関人が本格的に鉄道写真を始めた70年代には東海道、山陽本線で寝台特急の現役仕業を熟していた高崎区に来てからはイベント列車を牽いたりと細々と頑張っていたがつい先だってラストランを終え現役に終止符を打ったありがとうEF65501よそして永遠に・・・2014年神無月高崎線NikonDfEF65501よ永遠に
夕暮れ時の苅田で広がる雲間から差す薄日の中ヨンマルが近づく大きな藁ぼっちの間に置いて牧歌的に2014年長月八戸線NikonDf藁ぼっちとヨンマル
低い秋の陽はもう坂のまちを照らさない時刻八幡坂の樹々は少し色づきややひんやりした空気とともに季節の変わり目を感じる向こう岸に係留される摩周丸と同じ色した電車が偶然にやって来た2014年長月函館市電NikonDf秋めく坂のまち
秋雨前線の雲残る下たわわに実る稲穂をこれはニンゲンサマの食べ物と啄みに来る鳥たちを見張るシュールな案山子たちの出番実り色の253系を置いて2014年文月東北本線蓮田NikonDf(トリミング)案山子の季節
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一頃何故か田端の旅客機持ちだった安中貨物その終盤高く上がった月の下トップナンバーのゴトーさんが朱い安中貨物を従えて2013年如月高崎線月とゴトーと安中貨物
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満開の桜越しにカメラで特急を追う2010年卯月王子飛鳥山花見の特急
暮ゆく空木造平屋の駅舎暖色系の電燈さあ家に帰ろう2007年卯月長野電鉄家路時
飽くなきスピードへの挑戦の遍歴が並ぶ2007年卯月博多総合運転所それぞれの流線形
ゴーマルサン改正で優等列車でのスチーム暖房使用が無くなり基本九州管内の電機の運用は共通化されたしかしその中で荷物列車と客車による各停はSGを使うためED76の限定運用貨物列車では高速運転対応に開発された10000系貨車の運用にはED75が限定された写真は鹿児島本線を下る唯一(撮影時間帯では)のワキやコキといった10000系による貨物列車で300番代のラストナンバーである311号機が牽いて来た311号機だけは301~310号機と違いスカート下部に独特の丸みが無いタイプだ1977?年鹿児島本線限定運用
思い起こせば鹿児島本線の電化と共に我が鉄道趣味人生を歩いて来たその中で最も付き合いというかなじみがあるのはED76その末裔ももうすぐ終焉を迎えそうだ1976?年鹿児島本線水城ナナロクと共に
おそらく76年のこといつもの撮影地で撮った一枚に無蓋車ばかりの貨物の一コマ工臨だったのか小倉工場への廃車回送だったのか懐かしい煽り戸が木製だったトラ45000が数両写っている1976?年鹿児島本線無蓋車ばかり
自分が高校生だった頃当時の青梅線はゴトゴト貨物が往来する賑やかな路線だったその後上京して比較的近くに住むことになりいつもの悪い癖で撮りに行くことはなく老兵ED16引退間近に少し通っただけとなった今は電車が往来するのみ1978年文月拝島青梅線の喧騒
大きな工場があった鹿瀬駅スイッチャーが入替作業に余念無く各駅停車だけじゃなく急行列車も止まるそんな賑やかな駅だった1981年弥生磐越西線鹿瀬駅鹿瀬駅昭和の賑わい
水城の土塁脇に咲く白梅の向こうをボンネット有明が往く1978年如月鹿児島本線水城梅は咲いたか
電機の付番で正当な流れ九州用に引き継がれた300番代1977年卯月鹿児島本線300番代の血統
この年五能線沿線には雪が少なかったこの日も思わせぶりな雲が来るが雪は降らず・・・2018年睦月陸奥赤石空模様
未だ空に焼け色が残る頃青で統一されたライナーを赤いH級機が牽いて来た2017年如月東北本線蓮田暁のライナー
僚機535号機無きあと孤軍頑張って来た最後の可動機が散った2008年弥生武蔵野線幾星霜
季節は晩秋から初冬煤煙を上げて短尺の線路をリズムよくキハが上ってくる2015年霜月小湊鉄道晩秋
この雪の量は米作りの里に豊作を齎すのか凶作を齎すのか2017年睦月只見線この度の大雪による災害を被った方々に心よりお見舞いを申し上げます雪深い郷
ワイドビューの車窓で一番御馳走は何といってもアルプスだろう2007年如月中央本線アルプスビュー
波が複雑にぶつかるのはやはり風と風が合う瀬なのだからだろうか2013年風合瀬風合瀬にて
千葉の出城を手放すことにしたいよいよ次は出身地へ出軍か?2018年7月いすみ鐡道国吉付近NikonD5さよなら千葉
令和6年度から順次淘汰される西鉄貝塚線のモ600形それが当たり前のように毎朝の日常風景に溶け込むモ600本線からの移籍に当たっては狭軌に台車変えてパンタを載せ替えてやがて日常の朝の風景は変わろうとしている貝塚線の主役は間もなく本線から7000形がやってくるがこの通勤・通学の日常風景はこれからも変わらない2023年11月西鉄貝塚線千早駅NikonDf24-120㎜令和5年の日常の朝
その時は、突然やってくる人生の第三コーナーを経て第四コーナーへ進みつつある電関人そんな自分に不意にやって来たお別れ最愛の妻を亡くした間もなく最初の月命日がくるそろそろくよくよもしてられないからブログを再開しようと・・・かもめの命日は9日家内の命日は12日だ1975年3月9日山陽本線下関駅にてその走りを終えた最終1Ⅾ下関で運転打ち切り車両は食堂車抜きで12両編成明日からは特急おきとして山口線・山陰本線に活躍の場をかえるOLYMPUSPENFサクラカラーⅡ鴎が啼いた日
筑豊地区から蒸機が消えて約五年炭鉱はまだ稼働してしているものもあり白い鉱石輸送も盛んになっていたころ筑豊の象徴だった北九州入り口の複複々線は消えさったものの未だその輸送力には余韻が感じられた折尾の地上ホームに到着する香月線からの直通列車2月の底冷えする中でしっかりとDE10が蒸気発生装置から出されたスチームが心地よい炭鉱と一大工業地帯で四六時中はたらく戦士たちをピストン輸送した名残だろう二両目には特急鴎で使用されたナハ10軽量客車も見える行き先は確か若松今もどうして若松機関区を覗きにいかなっかのは何故かという問いが頭を巡る1979年2月筑豊本線折尾地上駅NikonF2photomicSBKR炭都の余韻
高校入学後電関人の山陰愛はいよいよ強まり冬はもちろん春や夏も山陰本線に通う始末今回はその山陰の雄DD51の話周知のとおり大半の蒸機ファンから死神の異名を付けられ忌み嫌われる機関車蒸機世代殿の電関人にとってはD51同様にDD51は親しい存在であるこの冬は確か初めての試みとして岩国始発広島まで各駅停車扱い芸備線・木次線廻りの夜行急行ちどり3号で山陰本線入りした数あるルートの中で中国山地を縦断するこの入り方はその後お気に入りとなったというか電関人の短所でもあるが、気に入るとサルがラッキョウの皮をむき続けるが如く・・・福知山に向かう道中播但線の分岐駅による折からの生憎の雨に艶めかしく濡れる播但線列車の先頭に立つDD511126(福)1977年12月大晦日山陰本線和田山駅OLYMPUSOM-1zuiko28㎜F3....氷雨降る大晦日の和田山にて
急行アルプスと言えば名門急行のひとつ撮り専でもなくモケテツでもある電関人は地元の鉄道ダイニングバーにも通うオールランダー大学には一年遊んで遅れて入学した年の長ーい春休みは東北から始まって中部を経由して瀬野八から下関ゴハチバルブとやりたい放題の東北ワイド周遊券の旅プラスアルファだった磐越西線五泉から蒲原鉄道で上越線に抜け相棒と土樽待ち合わせ土樽YHの変態ペアレント歓待?の翌朝は腰までのラッセルでループ橋へそのまま高崎・長野経由でその日は浅間温泉YH泊翌日は生憎の春の曇天と手荒いながらも後ろ立山は薄ら笑顔こんな写真が旅の記念カットとなる1981年3月大糸南線安曇沓掛付近急行アルプス回送NikonF2photomicSBnikkor50mmf2YOfilterTX春まだ浅き安曇野のハハハハシロロハハ
電関人がまだ電車通勤していたころ混んでいる電車で少し我慢するのと必ず座れる郊外奥地から遠距離通勤はどっちがいいのか真剣に悩んだことがあったそんな悩みを解決してくれる秘策は・・・最寄り駅が始発駅であること。少し早めに並べば確実に座れるし逆は終着だから乗り過ごしもない或る意味理想的な最寄り駅だと思う1977(?)年5月国鉄甘木線甘木駅(現甘木鉄道甘木駅)OLYMPUSOM-1Zuiko50㎜f1.8TX始発駅に住まう
電関人が中坊になってすぐの頃だから74年前半でいわゆる蒸機の最晩年のこと博多から篠栗線経由で直方に出て日田彦山線下りで後藤寺へ乗換列車を待っている寸暇に9600が給炭設備の下で出区の準備をしていた炭都の空はどんよりと9600の煙で霞んでいた1974年夏筑豊本線直方駅OLYMPUSPENFzuiko100mmサクラカラー炭都筑豊の記憶
エネルギー革命が起きるまでこの国を支えてきた石炭産業もちろん蒸気機関車を走らせる動力源鹿児島本線を原田(はるだ)で別れ炭都を抜けて北九州工業地帯を繋ぐ短絡線として機能した幹線であるその炭都への径は原田を出るといきなり山へ分け入り三郡山系の山々をトンネルを穿ち桂川(けいせん)を経て飯塚や直方などの炭都へ通ずるトンネルも峠同様冷水(ひやみず)の名が付き工事には在日朝鮮人労働力が費やされた暗い過去を持つかつてはC55やD60D51に9600が往来し長い石炭列車には後補機が付き急行天草特急かもめあかつき明星も筑豊廻りまで存在したその後エネルギー革命を境にして北海道とともに筑豊の炭都は急速に衰退し閉山後石炭→石灰革命を経て今に至るが冷水へ分け入る細径にはかつての栄華を偲ぶものは何もなく単行のディーゼルカーが日に数往...冷水への径
高校時代に芸大出身の美術教師と激論を交わした思い出シュールレアリズム(リアルを超越する表現)は絵画でのみ成立すると主張する教師に写真部所属の電関人が問うた写真にだってリアルは超越できると教師曰く現実忠実に写し出す写真にはリアル(現実)を超えられる訳がないとリアルを写す写真にだって現実超越技法はあるはずだと電関人は唾を飛ばして言い返した話は変わって今だと〇〇ハラスメントなどと罵声を浴びかねないが電関人のエロというかフェチ感をそそる女体のシェイプは鳩胸に僅かに乗るマイクロバストである我々趣味の対象となる乗り物は基本女性名詞である交流汎用機として世に出たパイオニア的存在のED72とED73姉妹彼女たちのフェチ感そそるグラマラスシェイプを敢えてワイドレンズで点流し撮り解るかなぁ解んねぇだろうなぁ。。。↑ED72↑...グラマラスシェイプ
かつてハドソンやヘビパシが通った鹿児島本線中南部の景勝地田原坂ここは蒸機の踏ん張りどころという古戦場である以前に薩摩藩出身の西郷隆盛が政府軍と戦って散った古戦場でもあるハドソンと言ってもここを往来したのはC60型やC61型でヘビーパシフィックのC59型を継承した弟分電関人が物心つく小学校中学年代には古戦場にはその雄姿は無く熊本以南まで活躍の場を後退させており古戦場は線路も勾配緩和のために付け替えられて主役は蒸機から電機に取って代わられる比較的勾配が少ない鹿児島本線北部と比較すると大牟田から熊本の区間は山がちで起伏が多い蒸機時代に喘いだ急勾配はその大半が付け替えられ線形が変わっており蒸機時代の写真を彷彿させる名残は皆無に等しかった夜行急行かいもんを真夜中に熊本で乗り捨て熊本始発の上り一番列車でとって返し田原...古戦場を行く
ご存知博多は日本海側に位置し冬の冷え込みはそれなりかつて客車を牽く電気機関車は蒸気発生ボイラを積んで客車全車両へ暖房用スチームを供給していた冬の博多は夜明けが遅い心底冷えるホームに濛々と蒸気を吐きながら上り夜行急行かいもんが入線する鹿児島や熊本久留米からのサラリーマン風の乗客が数人下車観光ではなく生活列車としての役務を担いこの時間帯には長崎からの夜行快速(各停ではない)ながさきも並走している1979年早春鹿児島本線博多駅上り急行かいもんNikonphotomicSBTXASA800増感(マイクロドール現像)※この度の能登半島を中心とした大震災に罹災され亡くなられた方々には心から哀悼の意を表すとともに全被害者の方々にはお見舞いを申し上げます。未明の博多駅ースチームの暖味ー
謹賀新年正月と言えば初夢初夢と言えば一富士二鷹三茄何で茄?さておいて年賀状を元日に間に合わせるためにせっせと期日までなんてのはナンセンス愚の骨頂な気がする元旦に一年の計を立てて新鮮な気持ちで筆を執るから通信面に2024元旦と認めるのではないのだろうか?郵政の陰謀だと元日のブログで四の五の話は無粋閲覧いただいている方々にいい初夢を・・・2024年元旦2005年4月下関駅下り富士ぶさCanonIXY一富士
大学入学年秋同期と東京から下り寝台特急出雲に乗り込む目指すは憧れの聖地山陰地方寝台列車で一泊ののち終着まで乗車し2泊目は益田駅から少し歩いたYH翌朝撮影地までの移動は益田始発の上り一番列車奇しくも前補機が米子あたりまで回送で就いたさぁ令和の6回目の年は大いに西日本で暴れさせてもらおうじゃないか関東の腐った眼をした魚のような鉄道じゃなく現役で生き生きと走り回る令和の本物の鉄道を相手にして・・・さらば令和五年そしてボンボヤージ令和六年!1981年11月山陰本線益田駅NikonphotomicSBnikkor28㎜コダクローム64明日に向かって
光と翳太陽と月都会と田舎ITとアナログ・・・様々対比有れど電関人は敢えて裏街道を選びたいそれは自身が歩んできた径これから先の人生もずっと20??年高崎機関区NikonFM3A+micro55mmエクタクローム陽と陰
電関人と同じ年生まれのキハ82系こいつの力を借りて令和6年はひと暴れだ!1974年秋国鉄鹿児島本線小倉駅にて1D/2001D解結直後OLYMPUSPENFさくらカラーWITHPSElementsタメ年のキハ80系パワーを借りて・・・
人生の2/3を関東で過ごしてきた我が人生そろそろいいんじゃねえかと63になる来年は一区切りの年にしようか?もう人混みは息が苦しいもともと地元じゃない連中が東京人ぶって馬鹿し合い砂上の楼閣に直下型地震は必ずやってくるであろうし田舎暮らしで人生第四コーナーまでのんびりやるさ1977年筑豊本線筑前山家NikonF2photomicSBTXカメラボディを50系の車体に固定してバルブ※体を窓から乗り出しての撮影は鉄道の往来に支障をきたす可能性があり違法です。思うこと有りて・・・
11月最後の朝父親の菩提に挨拶をして多々良川の畔に立つ折からの冬将軍は容赦なく川を伝って厳しい風を吹き付けてくる小一時間幼馴染の乗った鹿児島本線下り電車の接近までの一番勝負瀞火の朝陽がジャーマンイエローの躯体を優しく染める2023年11月西鉄貝塚線名島橋NikonDf+PSElement鉄道愛好家諸君へ食べかすのゴミは放置せずに、お家へもって帰ろう!名島の朝
かつての東北地方には枚挙に暇がないほど鉱山があってその大半には必ずと言っていいほど鉄道が活躍したいや中には軌道とも呼べないほどの怪しいヘロヘロレールもしかしながらこの罐の出自である松尾鉱山には客車列車も走る賑わいだったのは諸先輩方々のBLOGを参考にしてもらうこととして先週の土曜日のレポートを続ける前日にヤマを下ってきた鉱石列車が佇んでいる頭には唯一の茶罐が据え付くがRDP3巨匠が言うには庫に取り込まれそうだと風雲急を告げた未明の驟雨も上がり武川の構内は艶めかしく一日の始動を待つデキ100は松尾鉱山の生き証人2023年12月秩父鉄道武川駅NikonD5(モノクロームに変換・駅のロータリーより撮影)鉄道愛好家諸君へ撮影時のルールやマナーは最低限のエチケットです!松尾鉱山のかほり
師走も早半分終わる土曜の昼間未明からの驟雨も上がり穏やかな空気に包まれる波久礼駅ヤマから鉱石を満載した列車が下りてきた単線の秩父鉄道は交換駅にて上りや下りの列車を待避する鉱石列車は暫しの休息で若い機関士と暫しの談笑暖かな陽気の中快くスナップショットに応じてくれた待避列車通過後閉塞が開き鉱石列車が出発軽く指差し確認後1000tのヲキをゆっくりと駅端から引き出す眼差しは流石職人気質の眼差しで緩くカーブしたレール上をしっかりとデキの脚で踏ん張って新鋭機デキ500型の躯体が冬の優しい日差しを受け勇敢に輝く2023年12月秩父鉄道波久礼駅NikonD5+プラナー80㎜駅端から1000トンを引き出す