自身の青春時代急行車両と言えばキハ58系とこの交直流急行車両の475系(455系)初めてビッフェなるものを利用したのもこの形式だった2014年文月有間川国鉄原風景2
狂電関人撮影の新旧写真を徒然なるままにアップ。中心は鉄道のある風景と車両の話。
小学校4年ぐらいから始めた鉄道写真趣味で約40年。途中結婚子育てで数年休んだもののデジタル一眼レフ購入後所謂バリ鐡に復活し今日に至る。現役SL世代最終組だが写真は少しだけでその後、電機を丁寧に撮り続けてきたためハンドルネームは、ENTHUSIAST OF ELECTRICLOCOの意で「狂電関人」に。
春の彼岸に雪が降った水上の駐機場はみるみる間に白一色の冬景色デゴイチの足回りは返しの仕業に向けしっかりと油が行き届き準備に余念は無い罐の熱を帯びないテンダー後部は白く高湿の雪が纏わりつく小さな見学者も突然の雪に震える2014年弥生D51498水上NikonDf名残雪のデゴイチ
サラリーマン時代通勤途上でいつも見ていた貨物支線昭和の名残のような貨物専用線や貨物支線が無くなっていくのは本当に寂しい普段はさよならイベントなどには参加しない方だけどこの日ばかりはお別れを告げに行った2014年弥生北王子支線NikonDf北王子支線最後の日
年改まって大地は次の実りへ田起こしされた土野焼きされたくさ草モノトーンを色づかせるは常緑樹のみ大地の息吹に呼応するかのように勢いよく煙を吐いて線路を踏みしめて往く汽車2008年睦月真岡鐡道真岡OLYMPUSE30大地に息吹と煙と
大所帯のEF65には茶色い機関車が居たそんな異色機は当然のこと好撮影対象別に運用を追っかけたわけではないが度々おいしい運用に登用されたまだ電関人の聖地に防風壁が付く前京浜地区からの物資を運んだ貨車たちが一斉に返却される列車石炭のホキと石油製品のタキがぞろぞろ繋がれたこの列車はそれは長大編成で被写体になるにはちょっと無理が2007年睦月武蔵野線秋ヶ瀬鉄橋OLYMPUSE30茶色の電機がいた頃
かつて栄えた産業も今は無く沢山敷かれた鉄路も今では需要を見いだせず唯廃線を待つのみか?ディーディーディーゼルカーが来ないときでんでんむしの通り径駅には長閑な長閑なときが流れる2018年水無月留萌本線真布NikonD5長閑な駅にて
冬の陽はつるべ落とし瞬く間に広がる夕闇に浮かぶ車内灯は家路を急がせる魔力に満ちて2014年睦月NikonDf家路恋し
元は大牟田の炭鉱で働いていた機関車は晩年JR大牟田駅を発着する貨物列車を中継地で引き取りケミカル工場へ送り込む専用線で過ごした工場内では引火性物質を扱うので工場への送り込みを担う機関車はパンタから出るスパークの火花を避けるためにバッテリーを積んだ貨車より電力を供給される改造を受けたとてもユニークな存在だった2014年長月三井化学専用鉄道宮浦NikonDfパンタグラフを下げて働く機関車
大山山麓に位置するこの界隈は肥沃な土地で農地が広がるが9号線が線路に近く海側からサイドに撮影するのが難しい少し目線を上げて広がる田園とおそらく山陰本線敷設時から存在するであろう線路をくぐる水路と農業用取水口を入れて奥に雲間の大山界隈の営みがわかる構図にヨンマルを置いてみた2024年水無月山陰本線大山口~名和NikonD5ヨンマルと大山
一度は撮ってみたかった場所でこんな撮り方をしてみた蒼い色が何層にも重なり合い幻想的だった何もない蒼い風景を唯単行が音もなく走っていく2024年水無月京都丹後鉄道丹後由良NikonD5蒼い鉄道風景
北海道において列車密度極小区間においては特急列車が各駅停車の代わりに乗客の足を担う2018年水無月石北本線丸瀬布駅NikonD5特急オホーツク丸瀬布発車
炭鉱町時代に栄えた志免街を通る勝田線は国鉄時代に廃線駅跡地にできた公園は主の保存蒸機を持っていかれてエネルギー革命と共に衰退するかと思うも福岡中心街から近い地の利で住宅街に変貌鉄路を失った炭都にその設備が今日も物憂げに街を見下ろす2024年如月志免駅跡NikonDf※明日20日は留守にしますのでアップはお休みします。炭鉱町の遺産
北海道に行って一度は北海道色のヨンマルとルピナスの花の組み合わせを撮ってみたかったチャンスはかつての札沼線(学園都市線)終着駅新十津川で叶った電関人にとってはこの組み合わせこそが北海道ヨンマルの心象風景2018年水無月学園都市線新十津川駅NikonD5ルピナス咲く駅
スキャンコンディションが悪いが画像を整理していてふと確か撮影は宝ヶ池かと思っていたがグーグルマップで見ているとどうも違うようだ沿線風景も大きく様変わりして画像を拡大すると行先板に出町柳と八瀬遊園の文字があるとすると叡山本線の三宅八幡か1983年?霜月京福電鉄叡山線NikonF2photomicSBKR此処は何処?
国鉄時代最晩年まで客車運行が残った勝田線高3の春に完乗を目的に夕刻の吉塚始発に乗車時刻的に下校の学生が主でちらほら買い物帰り客デッキに愛想を振りまく女児がいて楽しそうにデッキドアを開け閉めしながらこっちにいないいないばぁをしているようなおめかしの様子から親に連れられて博多の街へ買い物の帰りであろうかこの子の愛想と裏腹に勝田線は国鉄末期の支離滅裂経営によってその後の沿線人口拡大を前に昭和年間に消えていく1979年卯月勝田線車内にてNikonF2photomicSBwithTX客車の妖精
今日までお盆につき亡き妻の思い出を月光仮面ならぬ月光婦人?僅か東日本大震災の一週間後に父の法事で帰省した今やどのように帰ったかすら朧気震災の気分晴らしに二人で門司港レトロタウンを散策そして一度訪れてみたかったここ九州鉄道記念館でサングラスにマスクと月光仮面以上の変装振り病気発症間際の妻は悟っていたかのように二人の思い出作りをたくさん用意してくれた2011年弥生九州鉄道記念館にてCanonIXY月光婦人
亡き妻と寝台列車に乗っての旅行は数度その中で寝台特急北陸で出かけた北陸雪降る二月に寒ブリを食べに氷見港へ出たまだ薄暗い高岡駅で北陸号を下車氷見線ホームへ行くとど派手なヨンマルに出迎えられた車体に大きなぶりが泳ぐデザイン寒ブリ定食の味も含めて一番心に残る妻との旅行2010年如月北陸本線高山駅CanonIXY北陸旅行の思い出
文字通り夏のヒガハス鉄板アングルでお盆直前のこの日金太郎が忙しそうにコンテナ牽いて下っていく薄曇りの光線に蓮の花が妙に現実離れした妖艶さを増して青々と茂る屋敷森の緑と好対照2016年葉月東北本線蓮田NikonDf蓮花・金太郎・屋敷森
既に東京のお寺で7月に新盆供養は済んだが福岡出身の電関人なのでお盆の今日は亡き妻との思い出の一枚志賀高原帰りに妻と湯田中から長電河東線屋代線経由で信越本線に出ていた直通急行志賀に乗車もちろん横軽経由なのでキハ57であるなーんていうのは嘘で上信越道上り線の横川SAに置かれているダルマのキハ57での記念撮影万座温泉でのスキーの帰り道の一コマ電関人の英才教育でかなりの鉄子に・・・2010年睦月上信越道横川SACanonIXYディーゼル急行志賀と妻
確か現役大学受験に失敗した年の春傷心旅行途中の京都駅涙雨そぼ降る1番線に蒸気暖房のスチームを濛々と棚引かせながら進入する荷物列車山陰ホームには急行はしだてかそして東海道ホームには未だ現役だった名車急行型153系流用の新快速も懐かしい大好きだったゴハチの力強い姿に来年がんばれよ!と励まされた1980年弥生京都駅1番線NikonF2photomicSBK‐Ⅱスチーム濛々
旧国鉄筑前高宮駅である。国鉄筑肥線は博多駅から姪浜が福岡市営地下鉄開業に伴い1983年3月に廃止となったその前年の春筑前高宮駅を撮りに出かけている博多駅を出てたった二駅目にこんなに時が止まったような駅が存在した西鉄大牟田線と交差して西鉄連絡駅は平尾駅実は西鉄にも高宮駅があるがそれは隣駅朝のラッシュ時間帯にやって来た博多行き列車キハ30系を長々と数珠繋ぎに仕立てられた列車は満員列車平尾といえば今も昔も高級住宅地区今はこの平尾にはちょっと違う思いがある電関人1982年春筑肥線筑前高宮駅NikonF2photomicSBKⅡ筑前高宮最後の春
国境の鉄路と言えば電関人の場合上越国境未だ関越道も無い上越新幹線も未整備の時代そこは貨客のスジがいくつも引かれ昼夜引っ切り無しに列車が往来した学生時代に蓮田の鉄友を頼って福岡から上京してこの日は前日より水上駅に陣取り駅助役より許可を得て終夜撮影夜が明けてからここで最後の撮影をした古老のEF16が前補機本務がEF15という兄弟コンビで新潟方面へ物資を運ぶその力強いモーター音が国境の山々に響くまだ銀座通りの如く上越線が賑わった時代1978年葉月上越線水上NikonF2photomicSBK‐Ⅱ国境銀座
東京湾岸地区から秩父へ石炭輸送をしていた列車の返空列車陽も上り夏の暑さが感じられる朝高崎線から来たこの列車が武蔵野線への連絡線から下りてくる近年殆ど見られなくなった車扱いの同形式による弓なりに見える美しい編成はエネルギー革命後のいまに残った石炭専用列車は福岡出身の電関人にとってなんともノスタルジーを感じてしまう2014年葉月武蔵野連絡線西浦和NikonDf編成美
雷雨の中小野上工臨を見に行くこの日はDD51888が登板で高機からバラスト満載のホキをエスコートしに側線に据え付けられたホキを推進で本線に出小野上駅のホームに入線出発まで一休み伝統的な一連の儀式を見るような所作は何度見ても飽きることがない2013年葉月吾妻線小野上OLYMPUSE5雨の小野上工臨
厳しかった真夏の陽も随分西に傾きたわわに実りゆく稲穂は目に鮮やかで一服の涼を感じるひとときお米の国の人だからなのか田園を眺めると安心感が満ちるこの景観が未来に永遠に続きますように白と青のスペーシアがそよ風のように稲穂を揺らしていく2015年葉月東北本線蓮田NikonDf落日の田園
漫画のタイトルではないが、旧西鉄宮地岳線において10番代の車には鋼製車体に載せ替えられて張り上げ屋根が異彩を放つそのハイカラさゆえ最初は撮影に抵抗感すらあった古賀ゴルフ場前のホームに現れた女性も編み込みバックに襟広なプリントシャツと裾拡がりのボトムスがハイセンスで最早昭和51年にハイカラは古臭いかもだが電関人にはハイカラでまとめたいシーンとなった1976年卯月?西鉄宮地岳線古賀ゴルフ場前NikonF2photomicSBWithTXハイカラさんが通る
地元最寄り駅はつい先日特急停車駅になった駅も二面四線地上駅舎(二代)、橋上駅舎を経て現在の高架駅二面四線へと移り変わってきた橋上駅舎時代に急行が停車するようになるまで標準軌上をビュンビュン通過していく特急や急行列車を待避線に停まっている普通電車内から熱い羨望の眼差しで見送ったものだった中三に上がる春先に撮ったこの一枚には地上線時代で古いタイプの架線柱もあって道路はダートだし線路との境には柵すら見当たらないその脇にどこかの企業の社宅か同じ平屋が数軒立ち並ぶ懐かしい昭和の風景に馴染むような1300形は旧600形の先頭車を再利用で中間車ユニットは新製したハイブリッド?編成で前面のスタイルは旧国鉄のクモハ52系譲り西鉄新性能車の黎明期にロマンスカーとして活躍1976年如月西鉄大牟田線春日原~白木原OLYMPUSO...西鉄昔日長閑な地上線風景
高校時代地元福岡から関西以遠に出かける際ワイド周遊券とともに14系座席車両を使用した急行列車は我々の強い味方だった言わずと知れた波動輸送用に作られた特急用座席客車で12系と違ってエアサスだし簡易ではあれどリクライニングシートそのリクライニングに上手く空き缶などを挟んだりして固定リクライニングシートにしたりとただ長い編成に自由席はたったの3両のみ後はほとんど空気を運ぶ指定席周遊券の規約上指定席を利用しようとしたら急行料金を支払わなければならず貧乏学生はひたすら早く駅に行き自由席確保のためにホームに並んだのであった1977年水無月鹿児島本線二日市~原田急行阿蘇NikonF2photomicSBwithTXわが青春の14ハザ急行
世界初の電車寝台電間人的には581は明星や彗星月光などと星のイメージ対して583はゆうづるやはくつると鶴のイメージがある最後に残された583は編成こそ短くされたもののクリームと青を纏う夜の女王の風格払暁を迎えた信越の田園に美しく舞う2014年文月信越線二本松NikonDf田園に舞う夜鶴
季節は遡るがアジサイ好きの電関人JRの沿線で紫陽花を絡ませる撮影は電関人の知る限りけっこうレアであるこの年は紫陽花のメッカである飛鳥山に修行しに土壌によって色が変わるという紫陽花を人の夢になぞらえて寝台列車で夢見る旅人そして夜の街でひと夜の夢人の夢色はそれぞれそんなことを綺麗に咲きそろう紫陽花に感じる2010年水無月東北本線王子OLYMPUSE5アジサイドリーミン
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自身の青春時代急行車両と言えばキハ58系とこの交直流急行車両の475系(455系)初めてビッフェなるものを利用したのもこの形式だった2014年文月有間川国鉄原風景2
新幹線が金沢まで延伸するまで今からたった11年前北陸本線に有った国鉄風景485系北越が通過する有間川駅戦後にできた駅だからか趣のある駅舎は三セクの今も変わらず2014年文月有間川駅国鉄原風景
今でこそ運用は全国区の桃太郎300番代最初に投入されたのは西の箱根たる瀬野八の後補機その任務にあたる初々しい頃の303号機2014年皐月瀬野八EF210303
試作機から数次にわたって微妙に変更されてきた仕様とやかくは言わぬまでもこの辺が好みかな2012年文月蓮田EH500の変遷
つい先ごろまで活躍していた国鉄型特急車両新製当初は低い位置の運転台ゆえどうにも特急らしさを感じなかったリバイバルカラーだが185系と言えばこの塗りの踊り子2014年皐月東海道本線さらば185
石巻港で黙々と入替を熟す2013年水無月石巻港DE101591
最近は無動でぶら下がって重連はあっても次位につく機関車のパンタが上がっている所謂重連はあまり見なくなった同形式だと次位の前パンタは下げて異形式だと全部のパンタが上がるというのも遠い昔の話2014年卯月割畑重連タキ
EF64と言えばやはり山用に開発された機関車で1000番代は上越国境番のイメージが強かったその機関車が平坦区間運用を淡々とこなすのは似合わないノイジーだが折角のフルサイズ機なので冒険カットをアップ暗闇迫る高崎線を下る貨物列車を流しで2014年弥生高崎線EF641000ナイトラン
新幹線延伸まで色濃く国鉄風情を残した北陸界隈終業式を間近にして試験でなのか暑さからか学生の足取りは重い青い国鉄型が入線する変わらぬ有間川の朝2014年文月有間川有間川駅北陸本線だった頃
昭和ど真ん中世代の汽車旅感覚だからそう思うのかもしれないが現在では目的地へ最速アクセスして現地ロングステイそれもオーバーツーリズムの要因ではないかそもそも新幹線で現地へ最速アクセスじゃ既に汽車旅風情も無くて目的地へ対する旅情の醸成もできまい一定時間を掛けて目的地へ到達し限りある時間を大切に過ごす行き帰りの車内で旅への高揚を味わい旅人は高い道徳で振る舞う本来の旅は夜越し目的地に向かうくらいの速度と時間がちょうどいい具合だったのではないかオーバーツーリズムは観光地をも消費しつくしてしまう2009年水無月神保原汽車旅とオーバーツーリズム
EF641000番代この形式とは新製からの長い付き合いとなった上越国境の補機運用に当たったEF16の置き換えに始まりその後のEF15、EF58の置き換えとどちらかと言えば最初は宿敵だったがその武骨な図体の重連仕業は山男真骨頂で好被写体となったこの春の改正にて中央西線の重連運用も解消となり形式消滅も秒読みが迫る2010年長月安茂里重連解消
国鉄時代のEF65のように大所帯となったEF210この形式には901号機が存在するから1号機と言ってもセカンドロットオールドファンとしては下枠交差式パンタグラフの同機はシングルアームよりフォトジェニックオリジナル色もそのうち変更になるだろうがもうずいぶんと会っていない1号機遠く岡山の所属だから追っかけるのも大変2007年文月武蔵野線EF2101号機
一人旅で大阪の叔母宅へ行く際に大阪環状線はオレンジバーミリオンの103系だった学生時代中央本線沿線に下宿し通学に利用したのもオレンジバーミリオンの103系就職して貨物をよく撮りに行った武蔵野線もオレンジバーミリオンの103系2005年水無月武蔵野線思い出深いオレンジバーミリオンの103系
残念ながら稼働している頃に行けなかったしかしながら休車で佇んでいるだけでその存在感は十二分だった手前の501は造船会社製2011年文月富士岡岳南のオールドロコ
もともと交流区間育ちで赤い機関車を見慣れている自分としてはこの塗装のパーイチが晴れた日本海には一番似合うと思う2012年水無月鯨波晴れた日本海とパーイチヨゴマル
踏む草の匂いが強く感じられて一日中田圃で蛙が鳴き始める頃季節はやがて梅雨に2012年水無月ひたちなか海浜鉄道梅雨へ
春霞か黄砂かくっきりしない残雪の山の遠景新芽吹く近景に遅咲きの桜泥色の田に幼い稲が並ぶ頸城大野の春景色2011年皐月頸城大野頸城大野田植えの候
旧長野電鉄屋代線の松代駅が取り壊されることに現役時代は最後まで有人駅として約1世紀に亘り時代を見てきた寂しい限りである2011年卯月松代駅1世紀の証人
梅雨のはしりだったか列車の屋根を打つ雨が白く飛沫になるほど勾配でのノッチやブレーキ操作は殊の外慎重を要するだろう2012年水無月蕨雨に打たれる貨物列車
紫陽花の花の色が濃くなる頃蒸し暑い雨の季節がやってくる鬱陶しい梅雨の到来2012年水無月大塚紫陽花の季節へ
真夏日連続でブログネタ探すのもひと苦労水分補給と適度の休息とって今日もネタ上げ日本の気候がだんだんおかしくなっている此処ヒガハスの実りの風景もいつまで続くのだろうまだまだ暑かった八月末の暮時に夏の高い陽のもと颯爽とカシ下るそして地平線に隠れる前の陽がサロを輝かせ高速貨物が夕闇に消えようとする空に半月が照る2012年葉月東北本線東大宮~蓮田OLYMPUSE5HIGAHASU真夏の爽・輝・照
マイ三都物語最終日は京都朝お気に入りの妙心寺塔頭で庭園が有名な退蔵院へ枯山水で心の洗濯をし梅小路の蒸機に会いに行く特別展示はC581号機のお召装備かつて都におわした天皇へ思いを馳せお気に入りの急客機三銃士に挨拶をしてだんだん帰りの新幹線の時間が気になりだしたので少しづつ駅に近づきながらも真夏の京風情に触れたく燃える百日紅鮮やかな永観堂を覗く京の栄華を宮さまと宗教に求めつつかつての栄光を静かに佇む蒸機に感じた上品な京都歩きとなった2009年葉月妙心寺退蔵院梅小路永観堂OLYMPUSE30マイ三都物語京都編
かつてJR西日本が張ったキャンペーンのコピーだが自分にとっての三都を旅したことがあった先日挙げた奈良に京都(近日アップ予定)と電関人の場合は安土が加わる戦国武将が大好きな電関人が亡き愛妻と出かけた09年の旅今日はその2日目の安土の巻京都駅八条口の新都ホテルに投宿電車で安土に向かいそこから駅前でレンタサイクルをピックアップ安土城址に登り信長見たであろう西の湖方面を望むそして信長の館で天守の複製に圧倒され次は石山でおけいはんに乗り換えて石山寺や三井寺へこの日は湖南エリアを堪能した2009年葉月安土城址信長の館石山寺駅三尾神社琵琶湖第一疎水マイ三都物語
今から14年前の夏北関東を駆け抜けた国鉄特急型たちそこそこ国鉄色のままいくつかの編成が残っており朝から夕方までアラカルトで先ずは早朝の夜行急行能登で485系の頭はクロその次は夏休みの海水浴臨時快速でマリンブルーくじらなみ特急エンブレムが無いのは残念だけどヘッドサインが嬉しいそして今は無き温泉特急水上オリジナルカラーではないがこれも懐かしい塗分けそして夕方は祭り臨で桐生八木節で〆こっちもヘッドサインありなんとも国鉄時代に回帰したような夢の一日2010年葉月高崎線本庄~岡本上越線上牧OLYMPUSE3夏の国鉄特急型まつり
亡き愛妻との旅の思い出新盆が近いせいか遠のきつつあった彼女との思い出が最近走馬灯のように頭を駆け抜けるお互いに旅好きだったし中でも古都散策は何度も出かけている古い町並みが好きな電関人に付き合ってあちこち歩き回るのに甘い食べものの褒美さえあれば黙って付き合ってくれた或る意味古色豊かな大和なでしこだった古い街に佇む彼女は端正とれた奈良の街にしっくりなじんでいたちょっとおのろけ2009年葉月奈良にてOLYMPUSE300奈良の端正
まだデジイチを使い始めて慣れない頃の失敗電関人のデジイチデビューは遅い方だったしかもRAW現像が面倒でJPEG撮りそんな頃にやらかした痛恨の撮影時間ギリギリにポイントについて機材を出すと踏切が鳴動して当該列車が接近一発必撮だったが何かがおかしいそうSSモードが何故か絞り優先になっていたのだDD16の牽く工臨は最初で最後残った写真はこのブレたカットのみ今後の戒めの記録となる2008年神無月信越線豊野OLYMPUSE300痛恨のDD16短尺レール工臨
大正時代に入るや否や完成している二代目日光駅は厳密に言うと明治建築となるのかもしれないが峻工時代を優先することにする世界遺産の玄関駅として日光線終着駅である当駅は東照宮の影でひっそりと存在するが立ち寄り観光地として十二分の価値があるこの国が近代建築様式を取り入れてまだよちよち歩きの時代の生き証人としての当駅を少し覗いてみる時代が時代なだけに天皇陛下お立ち寄り駅つまり御料列車着発駅であった当駅に備わる建築技術は時代における粋を集めているといえるだろうそして当駅最大の特徴である貴賓室所謂陛下がご休憩なされた場所人物がいないと物寂しいがまさか宮様に登場いただけるわけもなく役不足ではあるやもしれないが旅の途中一緒に訪れた亡き愛妻をモデルにして2008年葉月日光線日光駅OLYMPUSE300大正建築の粋日光駅
武蔵野線秋ヶ瀬橋に防風壁が敷設される前そこは電関人にとって恰好の撮影地で修行場でもあった梅雨晴れの朝草いきれたつ秋ヶ瀬に現れたのは国鉄コンビのロクゴーP型とコキ50000花形から地味な貨物仕業へ牽くもの変われどシンプルイズベストの無駄の無い均整のとれたサイドビューは特急機の気品を保ったままだ2007年文月武蔵野線西浦和~北朝霞EF65506OLYMPUSE300思い出草いきれの秋ヶ瀬に立つロクゴーP
えち鉄妙高はねうまラインから激しい雷雨に打たれながら長野市内入り長野の師匠との晩餐前にお手軽撮影地にて国鉄型を二つも頂けることに先ずはしなの鉄道北しなの線から国鉄湘南色に戻された115系そして真打は一日一往復になった北長野貨物の返しで宵闇迫る頃始発北長野からのそのそと出ていくこの後近くのファミレスで暫し師匠と歓談ののち下道夜行で18号から254号線経由で無事帰埼した駆け足による1600キロ撮影記に一旦筆を置く2024年水無月北長野~長野NikonD51600キロ旅記の終わりに~国鉄型二題
まだ富山県内にいる頃長野の師匠から妙高はねうまラインにスカ色を纏った編成が14時台の運用に入るとの情報があり昼食後相変わらず雷雲がまとわりつく北信五岳を気にしつつ関山界隈でロケハンして待つことにしたちょっと下草が気になるけど水田を前景に置けるポイントで待つこと暫し妙高の頭上雷雲が取れた頃それは現れたまさに切妻の車体にスカ色は下駄電と言われた旧型国電チックな出で立ちだ2024年水無月越後ときめき鉄道妙高はねうまライン関山NikonD5ヤマスカの下駄電?現る
現役大学受験に失敗した春傷心旅行として山陰ショートトリップへこれから始まる浪人生活は果たして1年間だけで済むか?漕ぎだす新たな人生の厳しさが身に染みるそんな荒々しさと半面一緒に傷心を分かち合ってくれるような涙雨に煙る餘部旧橋梁を足早に下っていくはまかぜ1980年3月山陰本線鎧~餘部NikonF2photomicSBwithKR追想涙雨の餘部
富山は上市から直江津経由で妙高高原へ上がってきたが妙高から黒姫にかけて怪しい黒雲がかかり冷たい風も吹き出すそんな片貝の圃場に到着陽はまだ差しているが時折冷たい風に乗ってぽつりぽつりと雨粒がフロントガラスを叩き遠雷も鳴り出す始末直に来る列車を片付けて即撤収と決めて暫し何とか日差しの中で初夏の片貝を往く高原列車を撮影撮影後はとりあえず妙高高原の物産センターで十割蕎麦で昼飯2024年水無月越後ときめき鉄道妙高はねうまライン二本松NikonD5風雲急の片貝圃場
長野の師匠の影響もあって鉄路沿線の名山を愛でるのが大好きな電関人わが第二の故郷山陰本線の中では大山が一番美しいその姿がクリアに見えた時自身が抱かれそのパワーに全身が満たされる1981年弥生?山陰本線米子~伯耆大山NikonF2photomicSBコダカラーⅡ追想微笑む大山
早朝の富山湾越しの剣岳のリベンジ兼ねて富山地鉄上市に出てより近くに剣岳を置くことに昼近くまで陽が上がると剣岳山頂付近に雲が沸きはじめ気をもみながら3本ほど撮影田植え前の水が入った一枚の田圃に逆さ剣を入れた寄りのアングルで大根ばばぁこと自社発注の原色車。2024年水無月富山地鉄上市NikonD5二つの剣とだいこんばばぁ
旅の報告記事連載中だが駆け足で通り抜けた山陰西部への思いは何といってもその海の色であろうコバルトブルーとエメラルドグリーンの間を絶妙に取った山陰ブルー電関人にとってそれは永遠の撮影テーマのひとつ1981年霜月山陰本線田儀NikonphotomicSBWithEktacrome追想山陰ブルー
水無月の湿潤な時期には悪条件だが昨晩の夕立後一旦冷えた大気の中日の出前立山連峰の山並みはしっかり確認できているしかし日が昇るとみるみると大気の視認性が悪くなり富山湾越しの立山連峰はかすかに見えるか否か送り込みも含め数本の列車でチャレンジした2024年水無月氷見線雨晴~越中国分NikonD5※元データをアンダーで撮影してPSにて調整富山湾越しの剣岳
万葉線の専用軌道区間を撮りたくてここ中伏木の駅に陣取る港湾地区にあって港の施設工場倉庫などとモザイクのように住宅が点在しているようやく傾き始めた初夏の高い太陽を背負って低床車が駅にやって来たこの時間帯の乗客は下校する学生が中心である2024年水無月万葉線中伏木駅NikonD5中伏木暮色
こちらも初めて訪れる勝山永平寺線名前に惹かれて観音町を目指す禅寺永平寺の門前に広がる町並みは質素ながらちゃんと行儀がいい人口が減っていく中で街が荒れることなく丹精された町並みは気持ちがいい2024年水無月えちぜん鉄道勝山永平寺線観音町NikonD5行儀正しい門前町
長大な山陰本線を実質1日で駆け抜け初見参の京丹後鉄道へ同鉄道で一番有名な撮影地由良川の橋梁に山の尾根から雲が滝のように流れ下る気象現象を横目に風が強い河畔に構える定期列車を合間を縫ってつい先日まで高山本線で活躍していたキハ85が中間車なしの2両で送り込み回送で橋梁を渡ってきた2024年神無月京丹後鉄道由良川橋梁NikonD5ベリーショートなキハ85
2泊目に選んだ道の駅は餘部橋梁真下の道の駅あまるべ此処へのアクセスは一般道が土砂崩れにより不通で山陰近畿自動車道余部インター経由のアプローチのみちょうど現地入りしたのは空が赤くなり始めたころだった橋梁をやや引きにしてそしてもう一本撮ったのちにいよいよ三脚を据えて橋の下より天空を仰ぐ角度で北斗七星を真ん中に見てそこを流れ星のようなヨンマルの光跡が横切る2024年水無月山陰本線餘部~鎧NikonD5星降る餘部