EF64と言えばやはり山用に開発された機関車で1000番代は上越国境番のイメージが強かったその機関車が平坦区間運用を淡々とこなすのは似合わないノイジーだが折角のフルサイズ機なので冒険カットをアップ暗闇迫る高崎線を下る貨物列車を流しで2014年弥生高崎線EF641000ナイトラン
狂電関人撮影の新旧写真を徒然なるままにアップ。中心は鉄道のある風景と車両の話。
小学校4年ぐらいから始めた鉄道写真趣味で約40年。途中結婚子育てで数年休んだもののデジタル一眼レフ購入後所謂バリ鐡に復活し今日に至る。現役SL世代最終組だが写真は少しだけでその後、電機を丁寧に撮り続けてきたためハンドルネームは、ENTHUSIAST OF ELECTRICLOCOの意で「狂電関人」に。
河岸段丘の凸凹をいくつも越えて結ばれる線路秋雨が落ちる中C11が客車を牽いて丘を越えてやって来た2012年霜月飯山線OLYMPUSE-5丘を越えて
朝からの雨も上がり雲間からドラマチックな斜光線が長瀞を照らす中満載の鉱石列車が山を下って来る渓の日暮れを知らせるかのように光る車体が印象的だった2014年霜月秩父鉄道NikonDf暮れる長瀞にて
めっきり短くなった秋この色のヨンマルが一番似合うのはやっぱり朱く染まる時季じゃないか2014年霜月烏山線小塙NikonDfヨンマルの季節朱い秋
すっかり色づいた銀杏の木の下おめかしした子どもたちが親に手をひかれてお宮詣で今日は七五三2014年霜月都電荒川線宮の前NikonDf晴れの日の宮の前
高崎線でヘッドマークも誇らしげに12系の先頭に立つEF65501は国鉄時代を彷彿とさせる電関人が本格的に鉄道写真を始めた70年代には東海道、山陽本線で寝台特急の現役仕業を熟していた高崎区に来てからはイベント列車を牽いたりと細々と頑張っていたがつい先だってラストランを終え現役に終止符を打ったありがとうEF65501よそして永遠に・・・2014年神無月高崎線NikonDfEF65501よ永遠に
夕暮れ時の苅田で広がる雲間から差す薄日の中ヨンマルが近づく大きな藁ぼっちの間に置いて牧歌的に2014年長月八戸線NikonDf藁ぼっちとヨンマル
低い秋の陽はもう坂のまちを照らさない時刻八幡坂の樹々は少し色づきややひんやりした空気とともに季節の変わり目を感じる向こう岸に係留される摩周丸と同じ色した電車が偶然にやって来た2014年長月函館市電NikonDf秋めく坂のまち
秋雨前線の雲残る下たわわに実る稲穂をこれはニンゲンサマの食べ物と啄みに来る鳥たちを見張るシュールな案山子たちの出番実り色の253系を置いて2014年文月東北本線蓮田NikonDf(トリミング)案山子の季節
傾きかけた春の陽を浴び吊掛け音高らかにチョコ電が往く小麦の里を抜けて2010年卯月上毛電鉄OLYMPUSE-30上州のチョコ電
復活して幾星霜今日も秩父に響く咆哮2010年卯月秩父鉄道OLYMPUSE-5走れC58
師走夕闇迫り家々の灯に人恋しさを覚えるころ空に残煙と列車の尾灯嗚呼心に沁みるなぁ2009年師走上越線渋川OLYMPUSE-5汽車旅慕情
現在も運行される寝台特急列車その旅の序章静かに始発駅に入線膨らむ旅への期待感2014年皐月東京駅NikonDf夜行旅の誘い
新緑萌える渓をひと跨ぎ2014年皐月箱根登山鉄道NikonDf碧き渓
黎明時間の僅かな光の中で可憐に咲く枝垂桜の向こうを静かにブルー一色の貨物が上って行く2014年卯月東北本線蓮田NikonDf枝垂桜越しの
蒼く晴れわたる空の下やや寒が緩んだ大気は梅の花を綻ばせる2014年弥生東北本線蓮田NikonDf梅咲くころ
県境近くのフォッサマグナ最深部キンと冷える渓は錦秋を迎える2008年霜月大糸線小滝OLYMPUSE-30フォッサマグナの秋
良く晴れた冬の朝白銀のアルプスに抱かれステンの電車が朝陽に輝きながら雪煙を上げる2009年如月大糸線信濃森上OLYMPUSE-300アルプス銀嶺と雪煙と
今までには国鉄時代の懐かしい塗色にする所謂リバイバルカラーがある中で電関人がこれは嵌ってると思ったのが185系に施された157形のリバイバルカラー両形式は運転台の位置など共通する構造も多いのが功を奏したのかうまい具合に似合っていた2012年神無月リバイバル湘南日光東北本線蓮田OLYMPUSE-5秀逸なリバイバルカラー
いつまでも暑い今年彼岸花とも言われる曼殊沙華今年はいつ咲くか或る秋の名勝オカポンには曼殊沙華が綺麗に咲き揃いマンモスロクロク100がムドのブルサンを従えて往く可憐と力強さの対比が面白かった2012年神無月高崎線岡部~本庄OLYMPUSE-5オカポンの曼殊沙華
山から下りてきた秋は谷の樹々を秋色に染め一日一日深まっていく2009年神無月大糸線南小谷OLYMPUSE-30秋深まる小谷村
のんびりと函館市電を散策した日夕方坂の街にやって来た点在する古い洋館をモチーフに撮影新しい連接車と古い洋館のコントラストそれは新旧混在だがふと考えると洋館の新築時はこの町に現れたモダンな息吹でそう考えると連接の新車も平成の世に現れたモダンな息吹時代は違えどモダン×モダンのツーショット2014年長月函館市電末広町NikonDf新旧混在の函館市電散策
未だ信越線で下り側に蒸機が付いてた頃秋の陽光をたっぷり浴びて泳ぐかの如く勾配区間を目指すシロクイチ速度感を出すためにアウトフレームで2011年長月信越線安中OLYMPUSE-5(上下をトリミング)泳ぐシロクイチ
24系25型投入後のはやぶさステンレスの帯は車体色に溶け込んでモノクロ写真では分かりづらい鹿児島本線内では機関車の運用は一部を除き共通運用でどの形式が来るかは撮ってのお楽しみだった既に試作機1、2号機は無く翌年から廃止が始まる年3号機から22号機まで活躍したころ古参ED72はしばしばはやぶさの先頭に立った陽が長い九州でも斜光線はぎりぎり罐を照らして14号機が次の停車駅の博多を目指す1977年神無月?鹿児島本線水城NikonF2photomicSBwithTX寝台特急はやぶさ牽引機の思い出
上京間もない頃大学の友人に東海道の名所竹倉に連れて行ってもらった残念ながら曇天でついにこの日名峰富士を望むことはなかった東機のPFは確か全機スノプロが無く関ケ原越えをするにもかかわらずフル装備じゃないのがちょっと残念だった1981年皐月?東海道本線函南2レさくらNikonF2photomicSBwithTX富士無しのさくら
確か2度目の磐西訪問山都駅から歩いて一ノ戸川橋梁下の集落に出たそこの一番川寄だったと記憶する一軒の古民家この冬積もった雪はすっかり屋根から落ち辺りの樹々も春を待つ冬芽が膨らみつつ列車が橋を渡るのが時計代わりになっているような古民家の屋根上にDD51が牽く列車が通過していくグーグルアースやストリートビューで辺りの家並みを探したが流石に40年以上前のこと更地になっているようだった水害に遭ったのか別の理由でこの地を去ったのか知る由もない1982年如月?磐越西線山都NikonF2photomicSBwithTX屋根の上のDD51
重連蒸機列車の返しが渋川駅を発車していく良く晴れた秋の夕陽を罐いっぱいに受けて水上から渋川まで山線を下ってきたC58のキャブには残りの平坦線にやや安堵の顔持ちがうかがえ終点までラストスパート2011年長月上越線渋川駅OLYMPUSE-5夕陽を受けて
秋にC61とC58の重連を追った返しを狙う場所に後閑の圃場を選んだたわわに実った稲穂は雨風のせいか不規則に倒れ金の穂波が荒れるかのように現れたC型のタンデムは思ったより速度が無く上手く流せなかったが思い出の一枚になった2011年長月上越線後閑OLYMPUSE-30穂波に蒸機タンデム
言わずと知れたEF81のロイヤルエンジン赤い時代もローズピンクへ戻されてもこの罐が来るときは曇るか雨か相性が悪い2009年長月東北本線黒田原OLYMPUSE-30赤い8181
一頃頻繁に訪れたEF641000番代重連が往来する中央西線そのうちの秋の陣深まりゆく木曽谷の秋澄んだ空気に重連のモーター音がずっしりと響く2010年神無月中央西線OLYMPUSE-30木曽谷に響く重連のモーター音
この時期に台風が来るとつい気になってしまう新米への影響店頭にコメが無い騒ぎの真只中でこれからのシーズン撮影に出て沿線の田圃の収穫風景を見ると何とも落ち着く其処へ日本の風景に熟慮された旧国鉄色の組み合わせはやはり不朽だネットなどを通じて溢れかえる情報に惑わされるより表に出て近づく季節の気配を探しに出かけてみては如何か2008年神無月しなの鉄道千曲OLYMPUSE-300湘南色とお米色
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EF64と言えばやはり山用に開発された機関車で1000番代は上越国境番のイメージが強かったその機関車が平坦区間運用を淡々とこなすのは似合わないノイジーだが折角のフルサイズ機なので冒険カットをアップ暗闇迫る高崎線を下る貨物列車を流しで2014年弥生高崎線EF641000ナイトラン
新幹線延伸まで色濃く国鉄風情を残した北陸界隈終業式を間近にして試験でなのか暑さからか学生の足取りは重い青い国鉄型が入線する変わらぬ有間川の朝2014年文月有間川有間川駅北陸本線だった頃
昭和ど真ん中世代の汽車旅感覚だからそう思うのかもしれないが現在では目的地へ最速アクセスして現地ロングステイそれもオーバーツーリズムの要因ではないかそもそも新幹線で現地へ最速アクセスじゃ既に汽車旅風情も無くて目的地へ対する旅情の醸成もできまい一定時間を掛けて目的地へ到達し限りある時間を大切に過ごす行き帰りの車内で旅への高揚を味わい旅人は高い道徳で振る舞う本来の旅は夜越し目的地に向かうくらいの速度と時間がちょうどいい具合だったのではないかオーバーツーリズムは観光地をも消費しつくしてしまう2009年水無月神保原汽車旅とオーバーツーリズム
EF641000番代この形式とは新製からの長い付き合いとなった上越国境の補機運用に当たったEF16の置き換えに始まりその後のEF15、EF58の置き換えとどちらかと言えば最初は宿敵だったがその武骨な図体の重連仕業は山男真骨頂で好被写体となったこの春の改正にて中央西線の重連運用も解消となり形式消滅も秒読みが迫る2010年長月安茂里重連解消
国鉄時代のEF65のように大所帯となったEF210この形式には901号機が存在するから1号機と言ってもセカンドロットオールドファンとしては下枠交差式パンタグラフの同機はシングルアームよりフォトジェニックオリジナル色もそのうち変更になるだろうがもうずいぶんと会っていない1号機遠く岡山の所属だから追っかけるのも大変2007年文月武蔵野線EF2101号機
一人旅で大阪の叔母宅へ行く際に大阪環状線はオレンジバーミリオンの103系だった学生時代中央本線沿線に下宿し通学に利用したのもオレンジバーミリオンの103系就職して貨物をよく撮りに行った武蔵野線もオレンジバーミリオンの103系2005年水無月武蔵野線思い出深いオレンジバーミリオンの103系
残念ながら稼働している頃に行けなかったしかしながら休車で佇んでいるだけでその存在感は十二分だった手前の501は造船会社製2011年文月富士岡岳南のオールドロコ
もともと交流区間育ちで赤い機関車を見慣れている自分としてはこの塗装のパーイチが晴れた日本海には一番似合うと思う2012年水無月鯨波晴れた日本海とパーイチヨゴマル
踏む草の匂いが強く感じられて一日中田圃で蛙が鳴き始める頃季節はやがて梅雨に2012年水無月ひたちなか海浜鉄道梅雨へ
春霞か黄砂かくっきりしない残雪の山の遠景新芽吹く近景に遅咲きの桜泥色の田に幼い稲が並ぶ頸城大野の春景色2011年皐月頸城大野頸城大野田植えの候
旧長野電鉄屋代線の松代駅が取り壊されることに現役時代は最後まで有人駅として約1世紀に亘り時代を見てきた寂しい限りである2011年卯月松代駅1世紀の証人
梅雨のはしりだったか列車の屋根を打つ雨が白く飛沫になるほど勾配でのノッチやブレーキ操作は殊の外慎重を要するだろう2012年水無月蕨雨に打たれる貨物列車
紫陽花の花の色が濃くなる頃蒸し暑い雨の季節がやってくる鬱陶しい梅雨の到来2012年水無月大塚紫陽花の季節へ
とうとう終焉になった安中貨物その専用ホキが新製された直後の試運転だったか人気の機関車にエスコートされて2010年水無月武蔵野線ミニ安中貨物
もうすぐ紫陽花の季節飛鳥山の紫陽花を前景にして北王子専用線列車を狙った思い出2010年水無月王子紫陽花の思い出北王子専用線
草木が黄緑から緑色に深まる頃さらに成長を促すべく雨の季節がやってくる河原いっぱいに広がる緑の向こうを泳ぐようにロクロクの貨物が貨物色を最初から纏う100番代には雨がよく似合う2007年水無月武蔵野線雨の季節へ
現在ひたちなか海浜鉄道として運行されるかつての茨城交通最晩年塗装こそオリジナルの派手なものだが此処にはかつて羽幌や留萌といった北の炭鉱町からやって来た車両が在籍したそのうちの一両はさらに遠く九州のかつての炭鉱町を走る平成筑豊鉄道へ何の因果だろう2006年皐月茨城交通中根茨城交通残照
伯備線から山陰本線に出て日野川を渡って米子中海沿岸を抜け松江宍道湖沿岸を走って斐伊川を渡って終着出雲市へ滑り込むこの山陰本線区間はできれば天気に恵まれたいところだ2014年皐月山陰本線宍道駅山陰本線をラストスパート
伯備線はかつてはD51三重連でも知られた陰陽連絡の幹線ちょうど大学入学と同じころに電化され振子特急も往来する列車密度途中で何本もの列車と交換しながら雨の中国山地を越えた2014年皐月伯備線雨の中国山地越え
早朝の岡山で瀬戸と出雲は分割かつて鳥栖で客車分割は見慣れたものの581・583時代にお目に掛かれなかったからこの分割は一興2014年皐月岡山駅瀬戸分割
2泊目に選んだ道の駅は餘部橋梁真下の道の駅あまるべ此処へのアクセスは一般道が土砂崩れにより不通で山陰近畿自動車道余部インター経由のアプローチのみちょうど現地入りしたのは空が赤くなり始めたころだった橋梁をやや引きにしてそしてもう一本撮ったのちにいよいよ三脚を据えて橋の下より天空を仰ぐ角度で北斗七星を真ん中に見てそこを流れ星のようなヨンマルの光跡が横切る2024年水無月山陰本線餘部~鎧NikonD5星降る餘部
朝三見から出て餘部の道の駅まで大移動する途中大山が見たくなって大山口駅界隈に向かう部分完成の虫食い山陰道無料区間を巧みに利用しながら松江手前の有料区間だけ今回のジャーニーで唯一使用宍道湖畔では期せずしてやって来た381やくもを見たまま見送り先へコマを進めた未だ目指す大山は綿帽子を被ったまま大山口駅では列車時刻を確認しつつ新型DC各停を見送り御来屋までの区間で大山の眺望をロケハンレンガ造り(山陰本線開通当時のものか)の農業用取水口を見つけた場所からの大山はエプロンの上にポッカリと頂を見せてくれたので山陰本線を真横から狙うことにした2両のショート編成のスパーおきは大山山麓のこの区間を目いっぱいの速度で大山を横目に走り去っていった2024年水無月山陰本線大山口~名和NikonnD5大山の女神が微笑む
初日の塒は三見狙いがうまくいったというか明るくなってロケハンしたら塒から直ぐの場所がなんとも絶妙一番列車がやってくる頃には既に夜の漁に出ていた船は港に戻った後だった2024年水無月山陰本線飯井~三見朝の三見港
昨日未明に自宅へ戻った日曜の夕刻に郷里福岡を出発山陰本線京丹後鉄道えちぜん鉄道万葉線氷見線越後ときめき鉄道しなの鉄道中央西線を巡る旅の始まりはここ萩駅を皮切りに2024年水無月山陰本線萩駅SONY1-Ⅴ1600キロの旅
本日より旅に出ますので、13日まで更新が滞ります。留守分として本日二本立てです。ついぞ巡り合えなかった雪の餘部電関人が足しげく通った70年終盤から80年初頭は日本は暖冬期にあって雪に浮かぶ幻の餘部鉄橋は幻のままに鉄橋直下に密集する民家がなんともフォトジェニックだ1978年師走山陰本線餘部急行美保NikonF2withEktacrome第二の故郷山陰本線へ里帰り3
光る石州瓦は電関人が思う山陰本線西地区のイメージだしかも地区によって黒いのと朱色のがある此処辺りは黒い甍の波夏の南天に近い時間帯湧き溢れる汗と戦いながら高台から光る甍を入れて下り181系おきを狙う1982年文月山陰本線仁万NikonEL2withKR第二の故郷山陰本線へ里帰り2
ほぼ決定事項だが山陰本線を撮りに行く予定今の同線を撮りたいのもあるが自身の中では初心に帰るリフレッシュの旅確か大学2年の夏意を決して夜行さんべ号の車中の人となり夜明け前の浜田に降り立つそこから時間つぶしに益田まで直行するような客レに乗車さらに上りに乗り換えて岡見駅へ時間つぶしのロケハンで港を経由し三保三隅寄りのポイントへ移動現在は海を埋め立てた発電所になっている場所明けたばかりの太陽が中国山地を温めてできた雲がでてしかもまだ高度が低い太陽は海岸を照らしてはいないそんな悪条件下でKRの絞りはレンズの開放に近いおまけに若干の前ピントとくりゃ・・・踏んだり蹴ったりの一枚である1982年文月?山陰本線岡見~三保三隅NikonEL2WithKR第二の故郷山陰本線へ里帰り1
学生時代に住んだ吉祥寺のボロ下宿脇は中央線の高架線だったお陰でロクヨンゼロのエアフィルタ音は子守歌のようなものロクヨンゼロを長野のお師匠さんと中央西線によく追った一コマを今宵アップ中央西線は塩尻を出て洗馬を過ぎた辺りからいよいよ木曽谷の隘路へと踏み込む木曽谷を縫ってきた下りのタンカートレインが上りのタンカートレインを待って洗馬駅に運転停車複線区間にあって塩尻のヤードの線形からなのか?奇しくも下りの牽引機は59号機を頭に次位60号機と兄弟重連今季小雪の木曽谷の山々は微かに残雪を背負い後ろには北アルプスの前山の鉢盛山であろうか2009年如月中央西線洗馬駅OLYMPUSE30元データJPEG木曽谷ロクヨンゼロ回想
ゴーマルサン時刻改正の約一年後福岡県地方に纏まった雪が降ったのでスクランブル発進で小倉駅までやって来たまだ覚えたての父親譲りのハーフ一眼レフ携えて到着早々珍しい列車に遭遇下り明星3号西鹿児島行だ本来は小倉通過で博多に5時前に到達するからこの時点でおそらく5時間ほど遅れていたようだしかも新大阪寄り先頭車に珍しくクハネ583MGが床下吊り下げで乗務員扉すぐに旅客扉が付く暫くして小倉駅に入線してくる博多発小倉廻り西鹿児島行ディーゼル特急にちりんこれまた珍しく先頭のキハ82には寒地型タイフォンカバーが向日町から鹿児島転属組か?1976年如月?鹿児島本線小倉駅OLYMPUSPENFサクラカラー原色1976IN小倉駅
豊後森に今も残るラウンドハウスかつてはキハ07が番人をしていたが今は福岡からやって来たこのキュウロクになっている2024年如月久大本線豊後森NikonD5豊後森の番人
夜明と共に現地到着残念にも浅間山は雲の中ヤマの専門家である長野の師匠の話では大気が冷えてガスになりそれに包まれているだけなので夜が明けて数時間したら必ず浅間は姿を現すとその言葉に縋りながら氷点下に冷える雪原に数時間明けた太陽が高度を増してくると舞台の緞帳が上がるが如く神々しい白銀の山容を見せてくれ其処に現れたのは奇しくも観光列車ろくもんだった2024年弥生しなの鉄道線御代田NikonD5雪晴れの浅間山麓をろくもんが往く
かつて香春岳で産出していた鉱物は銅鉱石が多かったそのため地名や駅名にも採銅所の名が残る鉱山全盛期を物語るように採銅所駅には駅の気品が強く感じ取れるエントランス上部に掲げられた駅名版は切り株をスライスした一枚板日田彦山線だけに日田杉であろうか?鉄のラッチもそのままに残されるエントランス外には両サイドにこれもまた無垢の木材を加工した温もりのあるベンチが据え付けられる駅本屋の上り方脇に残される積出用側線の有効長はかなり長く何両もの貨車が据え付けられるようになっていた駅本屋の窓枠にも注目したい木の当時から残る窓枠にも漂う大正浪漫そしてホームにはかつてはどの駅にもみられた工業デザイナー氏の手によるカーヴが美しい腰掛に僅かな昭和のモダニズム無人化された後もきれいに維持される採銅所駅に今も残る凛とした気品2024年弥生...採銅所駅の気品
今は水害の影響で全線が繋がってないが久大本線夜明から分岐して日豊本線城野まで伸びる日田彦山線はかつて筑豊地区の物資を運ぶ動脈として筑豊本線と共にあったそして中間駅の採銅所は名の通り銅鉱山を有し輸送物資も豊富当初から輸送力確保のために複線にする計画があったそして穿かれたトンネルも複線用のものであった2024年弥生日田彦山線採銅所駅NikonDf穿たれた複線トンネル
筑豊には二つのダイヤが存在するエネルギー革命によって産出を止めた黒いダイヤこと石炭と香春岳や船尾山といった山から産出する白いダイヤ石灰石石灰石の方はセメントの原料として生産量こそ減ったものの未だに操業中船尾駅界隈はかつてはホッパービンを使ってダイレクトに貨車に積んでいたため周囲は真っ白になっていたのを記憶するが今の船尾駅周辺はトラック輸送に代わって昔の駅周辺と趣が変わった2024年弥生後藤寺線船尾NikonDf黒ダイヤと白ダイヤ
旧国名が筑前と豊前に跨がっているので筑豊その筑豊には一大炭田が拡がり産出した石炭を積み出すために網の目のように鉄路が敷かれたそこで身を粉にして蒸機と共に働いてきたのが石炭用貨車でその初代がセム1どこかにその残党の現役時代の写真があったはずだが今は見つからないので次回の宿題ということで2024年弥生直方石炭記念館NikonDf筑豊蒸機の相棒
礼に始まり礼に終わるのがこの国が最も評価されることのはずが今やそんなことはとうの古の話が如く国力という点においても下から何番目という体たらく人のことなどかまってられるかと言わんばかりの日常金を持っている奴らにばかり媚びていつも周りと比較して自分が少しでも優位に立ちたがるもうすぐパリオリンピックだがお家芸柔道の戦績たるや如何に10代以下否20代以下の将来が心配だ弱者に厳しい?一人この国の未来を憂う2004年卯月?博多駅新幹線ホームNikonFM3A+TX※再掲礼儀の国ニッポンは何処へ
終日の強風に空のクリアランスは最高水田の水面に立つさざ波を味方につけてリフレーンするジョイト音を載せて2024年五月真岡鐡道真岡NikonD5水田のさざ波と
四季折々の花が丹精された上神梅駅にて初夏の日差しはトップライトになると光線が強すぎて作画に苦労すること暫しその日差しを避けるよう木陰に佇む芭蕉の花の青に惹かれた鈍い銅色を纏う気動車をバックに置きハイライトが白飛びしないようぎりぎりの露出にしてあとは現像ソフト頼り2024年五月わ鐵上神梅駅NikonD5/Fisheye花の駅上神梅に遊ぶ
キハ10系や26・55系、58系800番代、35系、23・45系など我々の学生時代は油と煙草のヤニ臭いチンドン屋編成の列車に揺られてだったそれから時代は進んで最新型のユニットを搭載した車両でしかも冷暖房完備時代は変われども彼らの制服は今も昔も大差ない2024年如月香椎線須恵駅NikonDfDENCHA通学
冬の上田原は暮れるのが早い終日強く吹いた季節風によって日没後の冷えは一段と厳しい別所温泉の日帰り湯に浸かり強張った体を休め本日最後の撮影地に向かうメインの通りからやや入り込んだ場所にひっそりと八木原駅は在りそこに寄り添うように数件の人家が集うその寒々とした駅に夜のしじまを破って遠くから電車がやって来た2024年弥生上田電鉄八木原駅NikonD5夜のしじまの八木原に