山深い沿線にようやく新緑が芽吹きだすころトンネル上の一本の桜が山の遅い春の到来を告げる2007年卯月大糸線山の一本桜
狂電関人撮影の新旧写真を徒然なるままにアップ。中心は鉄道のある風景と車両の話。
小学校4年ぐらいから始めた鉄道写真趣味で約40年。途中結婚子育てで数年休んだもののデジタル一眼レフ購入後所謂バリ鐡に復活し今日に至る。現役SL世代最終組だが写真は少しだけでその後、電機を丁寧に撮り続けてきたためハンドルネームは、ENTHUSIAST OF ELECTRICLOCOの意で「狂電関人」に。
河岸段丘の凸凹をいくつも越えて結ばれる線路秋雨が落ちる中C11が客車を牽いて丘を越えてやって来た2012年霜月飯山線OLYMPUSE-5丘を越えて
朝からの雨も上がり雲間からドラマチックな斜光線が長瀞を照らす中満載の鉱石列車が山を下って来る渓の日暮れを知らせるかのように光る車体が印象的だった2014年霜月秩父鉄道NikonDf暮れる長瀞にて
めっきり短くなった秋この色のヨンマルが一番似合うのはやっぱり朱く染まる時季じゃないか2014年霜月烏山線小塙NikonDfヨンマルの季節朱い秋
すっかり色づいた銀杏の木の下おめかしした子どもたちが親に手をひかれてお宮詣で今日は七五三2014年霜月都電荒川線宮の前NikonDf晴れの日の宮の前
高崎線でヘッドマークも誇らしげに12系の先頭に立つEF65501は国鉄時代を彷彿とさせる電関人が本格的に鉄道写真を始めた70年代には東海道、山陽本線で寝台特急の現役仕業を熟していた高崎区に来てからはイベント列車を牽いたりと細々と頑張っていたがつい先だってラストランを終え現役に終止符を打ったありがとうEF65501よそして永遠に・・・2014年神無月高崎線NikonDfEF65501よ永遠に
夕暮れ時の苅田で広がる雲間から差す薄日の中ヨンマルが近づく大きな藁ぼっちの間に置いて牧歌的に2014年長月八戸線NikonDf藁ぼっちとヨンマル
低い秋の陽はもう坂のまちを照らさない時刻八幡坂の樹々は少し色づきややひんやりした空気とともに季節の変わり目を感じる向こう岸に係留される摩周丸と同じ色した電車が偶然にやって来た2014年長月函館市電NikonDf秋めく坂のまち
秋雨前線の雲残る下たわわに実る稲穂をこれはニンゲンサマの食べ物と啄みに来る鳥たちを見張るシュールな案山子たちの出番実り色の253系を置いて2014年文月東北本線蓮田NikonDf(トリミング)案山子の季節
傾きかけた春の陽を浴び吊掛け音高らかにチョコ電が往く小麦の里を抜けて2010年卯月上毛電鉄OLYMPUSE-30上州のチョコ電
復活して幾星霜今日も秩父に響く咆哮2010年卯月秩父鉄道OLYMPUSE-5走れC58
師走夕闇迫り家々の灯に人恋しさを覚えるころ空に残煙と列車の尾灯嗚呼心に沁みるなぁ2009年師走上越線渋川OLYMPUSE-5汽車旅慕情
現在も運行される寝台特急列車その旅の序章静かに始発駅に入線膨らむ旅への期待感2014年皐月東京駅NikonDf夜行旅の誘い
新緑萌える渓をひと跨ぎ2014年皐月箱根登山鉄道NikonDf碧き渓
黎明時間の僅かな光の中で可憐に咲く枝垂桜の向こうを静かにブルー一色の貨物が上って行く2014年卯月東北本線蓮田NikonDf枝垂桜越しの
蒼く晴れわたる空の下やや寒が緩んだ大気は梅の花を綻ばせる2014年弥生東北本線蓮田NikonDf梅咲くころ
県境近くのフォッサマグナ最深部キンと冷える渓は錦秋を迎える2008年霜月大糸線小滝OLYMPUSE-30フォッサマグナの秋
良く晴れた冬の朝白銀のアルプスに抱かれステンの電車が朝陽に輝きながら雪煙を上げる2009年如月大糸線信濃森上OLYMPUSE-300アルプス銀嶺と雪煙と
今までには国鉄時代の懐かしい塗色にする所謂リバイバルカラーがある中で電関人がこれは嵌ってると思ったのが185系に施された157形のリバイバルカラー両形式は運転台の位置など共通する構造も多いのが功を奏したのかうまい具合に似合っていた2012年神無月リバイバル湘南日光東北本線蓮田OLYMPUSE-5秀逸なリバイバルカラー
いつまでも暑い今年彼岸花とも言われる曼殊沙華今年はいつ咲くか或る秋の名勝オカポンには曼殊沙華が綺麗に咲き揃いマンモスロクロク100がムドのブルサンを従えて往く可憐と力強さの対比が面白かった2012年神無月高崎線岡部~本庄OLYMPUSE-5オカポンの曼殊沙華
山から下りてきた秋は谷の樹々を秋色に染め一日一日深まっていく2009年神無月大糸線南小谷OLYMPUSE-30秋深まる小谷村
のんびりと函館市電を散策した日夕方坂の街にやって来た点在する古い洋館をモチーフに撮影新しい連接車と古い洋館のコントラストそれは新旧混在だがふと考えると洋館の新築時はこの町に現れたモダンな息吹でそう考えると連接の新車も平成の世に現れたモダンな息吹時代は違えどモダン×モダンのツーショット2014年長月函館市電末広町NikonDf新旧混在の函館市電散策
未だ信越線で下り側に蒸機が付いてた頃秋の陽光をたっぷり浴びて泳ぐかの如く勾配区間を目指すシロクイチ速度感を出すためにアウトフレームで2011年長月信越線安中OLYMPUSE-5(上下をトリミング)泳ぐシロクイチ
24系25型投入後のはやぶさステンレスの帯は車体色に溶け込んでモノクロ写真では分かりづらい鹿児島本線内では機関車の運用は一部を除き共通運用でどの形式が来るかは撮ってのお楽しみだった既に試作機1、2号機は無く翌年から廃止が始まる年3号機から22号機まで活躍したころ古参ED72はしばしばはやぶさの先頭に立った陽が長い九州でも斜光線はぎりぎり罐を照らして14号機が次の停車駅の博多を目指す1977年神無月?鹿児島本線水城NikonF2photomicSBwithTX寝台特急はやぶさ牽引機の思い出
上京間もない頃大学の友人に東海道の名所竹倉に連れて行ってもらった残念ながら曇天でついにこの日名峰富士を望むことはなかった東機のPFは確か全機スノプロが無く関ケ原越えをするにもかかわらずフル装備じゃないのがちょっと残念だった1981年皐月?東海道本線函南2レさくらNikonF2photomicSBwithTX富士無しのさくら
確か2度目の磐西訪問山都駅から歩いて一ノ戸川橋梁下の集落に出たそこの一番川寄だったと記憶する一軒の古民家この冬積もった雪はすっかり屋根から落ち辺りの樹々も春を待つ冬芽が膨らみつつ列車が橋を渡るのが時計代わりになっているような古民家の屋根上にDD51が牽く列車が通過していくグーグルアースやストリートビューで辺りの家並みを探したが流石に40年以上前のこと更地になっているようだった水害に遭ったのか別の理由でこの地を去ったのか知る由もない1982年如月?磐越西線山都NikonF2photomicSBwithTX屋根の上のDD51
重連蒸機列車の返しが渋川駅を発車していく良く晴れた秋の夕陽を罐いっぱいに受けて水上から渋川まで山線を下ってきたC58のキャブには残りの平坦線にやや安堵の顔持ちがうかがえ終点までラストスパート2011年長月上越線渋川駅OLYMPUSE-5夕陽を受けて
秋にC61とC58の重連を追った返しを狙う場所に後閑の圃場を選んだたわわに実った稲穂は雨風のせいか不規則に倒れ金の穂波が荒れるかのように現れたC型のタンデムは思ったより速度が無く上手く流せなかったが思い出の一枚になった2011年長月上越線後閑OLYMPUSE-30穂波に蒸機タンデム
言わずと知れたEF81のロイヤルエンジン赤い時代もローズピンクへ戻されてもこの罐が来るときは曇るか雨か相性が悪い2009年長月東北本線黒田原OLYMPUSE-30赤い8181
一頃頻繁に訪れたEF641000番代重連が往来する中央西線そのうちの秋の陣深まりゆく木曽谷の秋澄んだ空気に重連のモーター音がずっしりと響く2010年神無月中央西線OLYMPUSE-30木曽谷に響く重連のモーター音
この時期に台風が来るとつい気になってしまう新米への影響店頭にコメが無い騒ぎの真只中でこれからのシーズン撮影に出て沿線の田圃の収穫風景を見ると何とも落ち着く其処へ日本の風景に熟慮された旧国鉄色の組み合わせはやはり不朽だネットなどを通じて溢れかえる情報に惑わされるより表に出て近づく季節の気配を探しに出かけてみては如何か2008年神無月しなの鉄道千曲OLYMPUSE-300湘南色とお米色
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山深い沿線にようやく新緑が芽吹きだすころトンネル上の一本の桜が山の遅い春の到来を告げる2007年卯月大糸線山の一本桜
山間にひっそりとたたずむ温泉場である別所温泉此処の桜は派手さこそないが黄金週間になって満開を迎える2011年卯月別所温泉山間の桜
桜咲きホームの談笑があって駅の春は満開になる2013年弥生小湊鉄道飯給の桜
花曇りという言葉があるように桜の季節は天気が安定しない花見真っ盛りの飛鳥山を横目に間もなく終着駅へ2013年弥生王子花曇りの朝
冬の五能線に雪を求めて旅行したが冷たい雨に遭った人気も無い駅は寂しさも一入2014年如月驫木駅雨の駅
前面の多面体がチャーミング冬の低い斜光線に映える2016年師走高崎線夕陽に映えるブルサン
明け方の駅で乗務員交代して信号開通待ち2016年弥生大宮出発待ち
やがて桜が咲こうという頃名残の梅蒼い空に梅の白い花と金太郎の赤が映える2014年弥生東北本線蓮田名残梅と金太郎
最近では3月と聞くとダイヤ改正の時季鉄道趣味人としては別れと出会いのシーズンこの年弥生の雪と闘って上越国境を越えてきた583系黎明の時間に見るこいつはクリームとブルーのツートンも相まって良く似合う昭和40年初頭に南福岡に配属された581系月光型に端を発する形式としてとてもなじみ深い形式で最晩年の凛々しい走りに少し胸がときめいた2014年弥生高崎線弥生の雪と闘って
染井吉野はまだだけどちらほら聞こえる桜の便り花の命は短いが山一面の桜に囲まれて2007年卯月篠ノ井線桜の山
一頃何故か田端の旅客機持ちだった安中貨物その終盤高く上がった月の下トップナンバーのゴトーさんが朱い安中貨物を従えて2013年如月高崎線月とゴトーと安中貨物
久大本線の最深部では上り下りともに通勤通学がある2024年如月恵良駅朝の久大本線
もうすぐダイヤ改正機関車もその塗装もタンク車もEF655PF1000番代でJR貨物色でタキ43000で一昔前の国鉄っぽい貨物列車2011年如月武蔵野線一昔前の
満開の桜越しにカメラで特急を追う2010年卯月王子飛鳥山花見の特急
暮ゆく空木造平屋の駅舎暖色系の電燈さあ家に帰ろう2007年卯月長野電鉄家路時
飽くなきスピードへの挑戦の遍歴が並ぶ2007年卯月博多総合運転所それぞれの流線形
ゴーマルサン改正で優等列車でのスチーム暖房使用が無くなり基本九州管内の電機の運用は共通化されたしかしその中で荷物列車と客車による各停はSGを使うためED76の限定運用貨物列車では高速運転対応に開発された10000系貨車の運用にはED75が限定された写真は鹿児島本線を下る唯一(撮影時間帯では)のワキやコキといった10000系による貨物列車で300番代のラストナンバーである311号機が牽いて来た311号機だけは301~310号機と違いスカート下部に独特の丸みが無いタイプだ1977?年鹿児島本線限定運用
思い起こせば鹿児島本線の電化と共に我が鉄道趣味人生を歩いて来たその中で最も付き合いというかなじみがあるのはED76その末裔ももうすぐ終焉を迎えそうだ1976?年鹿児島本線水城ナナロクと共に
おそらく76年のこといつもの撮影地で撮った一枚に無蓋車ばかりの貨物の一コマ工臨だったのか小倉工場への廃車回送だったのか懐かしい煽り戸が木製だったトラ45000が数両写っている1976?年鹿児島本線無蓋車ばかり
自分が高校生だった頃当時の青梅線はゴトゴト貨物が往来する賑やかな路線だったその後上京して比較的近くに住むことになりいつもの悪い癖で撮りに行くことはなく老兵ED16引退間近に少し通っただけとなった今は電車が往来するのみ1978年文月拝島青梅線の喧騒
決してストーカーなどではない!西鉄貝塚線沿線及び周囲には学校が多くその利用者は学生が多いので一瞬少子化を忘れるほどスカートの丈は流石に進学校が多く東京で見るような違反制服は全くいないといっていいほど。2023年霜月西鉄貝塚線千早NikonDf清く正しいスカート丈
朝の貨物線は忙しい終着列車の受け入れと始発列車の組成送り出しと川面を伝う冷たい海風に晒される桜の紅葉舐めでJRF色の罐で終着を目指すフレトラをフレーミング2023年11月福岡ターミナル貨物専用線名島橋EF81400代OR500代列番不明NikonDf初冬の名島橋
かつて香椎には貨物操車場がありそこから福岡貨物ターミナルまで単線の専用線が続くそれが跨ぐ多々良川はまさに博多湾に注ぐ河口に位置し専用線、西鉄貝塚線、そしてJR鹿児島本線の三線が犇めく鉄道魔境霜月最後のこの日博多湾を舐める北西からの季節風は容赦なく電関人の体温を奪う2023年霜月晦日福岡貨物専用線霜月の朝に
辺りに立ち込めていた濃霧が晴れると列車の行く先に雄大な山容を現した九重連山久大本線沿線は阿蘇や九重をはじめとする幾多の火山によって太古に形成された典型的な火山地形で構成される2024年2月久大本線恵良NikonD5九重連山遠望
日は昇るも空はどんより恵良駅に来てみた友人の話でここで列車交換を狙う未だ春遠い久大本線沿線風景には黄色や赤の気動車がフォトジェニック2024年2月久大本線恵良駅NikonD5レッド&イエロー
家内が亡くなってはや二月七七日供養と納骨も済んでそろそろ前に向き歩みだそうか久大本線の朝陽がメーサに掛かる雲海の向こうから顔を出し新しい一日の日は昇る2024年2月久大本線北山田付近NkonDf寂しさをバネに・・・
千葉の出城を手放すことにしたいよいよ次は出身地へ出軍か?2018年7月いすみ鐡道国吉付近NikonD5さよなら千葉
令和6年度から順次淘汰される西鉄貝塚線のモ600形それが当たり前のように毎朝の日常風景に溶け込むモ600本線からの移籍に当たっては狭軌に台車変えてパンタを載せ替えてやがて日常の朝の風景は変わろうとしている貝塚線の主役は間もなく本線から7000形がやってくるがこの通勤・通学の日常風景はこれからも変わらない2023年11月西鉄貝塚線千早駅NikonDf24-120㎜令和5年の日常の朝
その時は、突然やってくる人生の第三コーナーを経て第四コーナーへ進みつつある電関人そんな自分に不意にやって来たお別れ最愛の妻を亡くした間もなく最初の月命日がくるそろそろくよくよもしてられないからブログを再開しようと・・・かもめの命日は9日家内の命日は12日だ1975年3月9日山陽本線下関駅にてその走りを終えた最終1Ⅾ下関で運転打ち切り車両は食堂車抜きで12両編成明日からは特急おきとして山口線・山陰本線に活躍の場をかえるOLYMPUSPENFサクラカラーⅡ鴎が啼いた日
筑豊地区から蒸機が消えて約五年炭鉱はまだ稼働してしているものもあり白い鉱石輸送も盛んになっていたころ筑豊の象徴だった北九州入り口の複複々線は消えさったものの未だその輸送力には余韻が感じられた折尾の地上ホームに到着する香月線からの直通列車2月の底冷えする中でしっかりとDE10が蒸気発生装置から出されたスチームが心地よい炭鉱と一大工業地帯で四六時中はたらく戦士たちをピストン輸送した名残だろう二両目には特急鴎で使用されたナハ10軽量客車も見える行き先は確か若松今もどうして若松機関区を覗きにいかなっかのは何故かという問いが頭を巡る1979年2月筑豊本線折尾地上駅NikonF2photomicSBKR炭都の余韻
高校入学後電関人の山陰愛はいよいよ強まり冬はもちろん春や夏も山陰本線に通う始末今回はその山陰の雄DD51の話周知のとおり大半の蒸機ファンから死神の異名を付けられ忌み嫌われる機関車蒸機世代殿の電関人にとってはD51同様にDD51は親しい存在であるこの冬は確か初めての試みとして岩国始発広島まで各駅停車扱い芸備線・木次線廻りの夜行急行ちどり3号で山陰本線入りした数あるルートの中で中国山地を縦断するこの入り方はその後お気に入りとなったというか電関人の短所でもあるが、気に入るとサルがラッキョウの皮をむき続けるが如く・・・福知山に向かう道中播但線の分岐駅による折からの生憎の雨に艶めかしく濡れる播但線列車の先頭に立つDD511126(福)1977年12月大晦日山陰本線和田山駅OLYMPUSOM-1zuiko28㎜F3....氷雨降る大晦日の和田山にて
急行アルプスと言えば名門急行のひとつ撮り専でもなくモケテツでもある電関人は地元の鉄道ダイニングバーにも通うオールランダー大学には一年遊んで遅れて入学した年の長ーい春休みは東北から始まって中部を経由して瀬野八から下関ゴハチバルブとやりたい放題の東北ワイド周遊券の旅プラスアルファだった磐越西線五泉から蒲原鉄道で上越線に抜け相棒と土樽待ち合わせ土樽YHの変態ペアレント歓待?の翌朝は腰までのラッセルでループ橋へそのまま高崎・長野経由でその日は浅間温泉YH泊翌日は生憎の春の曇天と手荒いながらも後ろ立山は薄ら笑顔こんな写真が旅の記念カットとなる1981年3月大糸南線安曇沓掛付近急行アルプス回送NikonF2photomicSBnikkor50mmf2YOfilterTX春まだ浅き安曇野のハハハハシロロハハ
電関人がまだ電車通勤していたころ混んでいる電車で少し我慢するのと必ず座れる郊外奥地から遠距離通勤はどっちがいいのか真剣に悩んだことがあったそんな悩みを解決してくれる秘策は・・・最寄り駅が始発駅であること。少し早めに並べば確実に座れるし逆は終着だから乗り過ごしもない或る意味理想的な最寄り駅だと思う1977(?)年5月国鉄甘木線甘木駅(現甘木鉄道甘木駅)OLYMPUSOM-1Zuiko50㎜f1.8TX始発駅に住まう
電関人が中坊になってすぐの頃だから74年前半でいわゆる蒸機の最晩年のこと博多から篠栗線経由で直方に出て日田彦山線下りで後藤寺へ乗換列車を待っている寸暇に9600が給炭設備の下で出区の準備をしていた炭都の空はどんよりと9600の煙で霞んでいた1974年夏筑豊本線直方駅OLYMPUSPENFzuiko100mmサクラカラー炭都筑豊の記憶
エネルギー革命が起きるまでこの国を支えてきた石炭産業もちろん蒸気機関車を走らせる動力源鹿児島本線を原田(はるだ)で別れ炭都を抜けて北九州工業地帯を繋ぐ短絡線として機能した幹線であるその炭都への径は原田を出るといきなり山へ分け入り三郡山系の山々をトンネルを穿ち桂川(けいせん)を経て飯塚や直方などの炭都へ通ずるトンネルも峠同様冷水(ひやみず)の名が付き工事には在日朝鮮人労働力が費やされた暗い過去を持つかつてはC55やD60D51に9600が往来し長い石炭列車には後補機が付き急行天草特急かもめあかつき明星も筑豊廻りまで存在したその後エネルギー革命を境にして北海道とともに筑豊の炭都は急速に衰退し閉山後石炭→石灰革命を経て今に至るが冷水へ分け入る細径にはかつての栄華を偲ぶものは何もなく単行のディーゼルカーが日に数往...冷水への径
高校時代に芸大出身の美術教師と激論を交わした思い出シュールレアリズム(リアルを超越する表現)は絵画でのみ成立すると主張する教師に写真部所属の電関人が問うた写真にだってリアルは超越できると教師曰く現実忠実に写し出す写真にはリアル(現実)を超えられる訳がないとリアルを写す写真にだって現実超越技法はあるはずだと電関人は唾を飛ばして言い返した話は変わって今だと〇〇ハラスメントなどと罵声を浴びかねないが電関人のエロというかフェチ感をそそる女体のシェイプは鳩胸に僅かに乗るマイクロバストである我々趣味の対象となる乗り物は基本女性名詞である交流汎用機として世に出たパイオニア的存在のED72とED73姉妹彼女たちのフェチ感そそるグラマラスシェイプを敢えてワイドレンズで点流し撮り解るかなぁ解んねぇだろうなぁ。。。↑ED72↑...グラマラスシェイプ
かつてハドソンやヘビパシが通った鹿児島本線中南部の景勝地田原坂ここは蒸機の踏ん張りどころという古戦場である以前に薩摩藩出身の西郷隆盛が政府軍と戦って散った古戦場でもあるハドソンと言ってもここを往来したのはC60型やC61型でヘビーパシフィックのC59型を継承した弟分電関人が物心つく小学校中学年代には古戦場にはその雄姿は無く熊本以南まで活躍の場を後退させており古戦場は線路も勾配緩和のために付け替えられて主役は蒸機から電機に取って代わられる比較的勾配が少ない鹿児島本線北部と比較すると大牟田から熊本の区間は山がちで起伏が多い蒸機時代に喘いだ急勾配はその大半が付け替えられ線形が変わっており蒸機時代の写真を彷彿させる名残は皆無に等しかった夜行急行かいもんを真夜中に熊本で乗り捨て熊本始発の上り一番列車でとって返し田原...古戦場を行く
ご存知博多は日本海側に位置し冬の冷え込みはそれなりかつて客車を牽く電気機関車は蒸気発生ボイラを積んで客車全車両へ暖房用スチームを供給していた冬の博多は夜明けが遅い心底冷えるホームに濛々と蒸気を吐きながら上り夜行急行かいもんが入線する鹿児島や熊本久留米からのサラリーマン風の乗客が数人下車観光ではなく生活列車としての役務を担いこの時間帯には長崎からの夜行快速(各停ではない)ながさきも並走している1979年早春鹿児島本線博多駅上り急行かいもんNikonphotomicSBTXASA800増感(マイクロドール現像)※この度の能登半島を中心とした大震災に罹災され亡くなられた方々には心から哀悼の意を表すとともに全被害者の方々にはお見舞いを申し上げます。未明の博多駅ースチームの暖味ー
謹賀新年正月と言えば初夢初夢と言えば一富士二鷹三茄何で茄?さておいて年賀状を元日に間に合わせるためにせっせと期日までなんてのはナンセンス愚の骨頂な気がする元旦に一年の計を立てて新鮮な気持ちで筆を執るから通信面に2024元旦と認めるのではないのだろうか?郵政の陰謀だと元日のブログで四の五の話は無粋閲覧いただいている方々にいい初夢を・・・2024年元旦2005年4月下関駅下り富士ぶさCanonIXY一富士
大学入学年秋同期と東京から下り寝台特急出雲に乗り込む目指すは憧れの聖地山陰地方寝台列車で一泊ののち終着まで乗車し2泊目は益田駅から少し歩いたYH翌朝撮影地までの移動は益田始発の上り一番列車奇しくも前補機が米子あたりまで回送で就いたさぁ令和の6回目の年は大いに西日本で暴れさせてもらおうじゃないか関東の腐った眼をした魚のような鉄道じゃなく現役で生き生きと走り回る令和の本物の鉄道を相手にして・・・さらば令和五年そしてボンボヤージ令和六年!1981年11月山陰本線益田駅NikonphotomicSBnikkor28㎜コダクローム64明日に向かって