伯備線から山陰本線に出て日野川を渡って米子中海沿岸を抜け松江宍道湖沿岸を走って斐伊川を渡って終着出雲市へ滑り込むこの山陰本線区間はできれば天気に恵まれたいところだ2014年皐月山陰本線宍道駅山陰本線をラストスパート
狂電関人撮影の新旧写真を徒然なるままにアップ。中心は鉄道のある風景と車両の話。
小学校4年ぐらいから始めた鉄道写真趣味で約40年。途中結婚子育てで数年休んだもののデジタル一眼レフ購入後所謂バリ鐡に復活し今日に至る。現役SL世代最終組だが写真は少しだけでその後、電機を丁寧に撮り続けてきたためハンドルネームは、ENTHUSIAST OF ELECTRICLOCOの意で「狂電関人」に。
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伯備線から山陰本線に出て日野川を渡って米子中海沿岸を抜け松江宍道湖沿岸を走って斐伊川を渡って終着出雲市へ滑り込むこの山陰本線区間はできれば天気に恵まれたいところだ2014年皐月山陰本線宍道駅山陰本線をラストスパート
伯備線はかつてはD51三重連でも知られた陰陽連絡の幹線ちょうど大学入学と同じころに電化され振子特急も往来する列車密度途中で何本もの列車と交換しながら雨の中国山地を越えた2014年皐月伯備線雨の中国山地越え
早朝の岡山で瀬戸と出雲は分割かつて鳥栖で客車分割は見慣れたものの581・583時代にお目に掛かれなかったからこの分割は一興2014年皐月岡山駅瀬戸分割
夜行列車最大の楽しみは夜越しで変化する車窓サンライズで未明を迎える時間はちょうど九州からの関西ブルトレと同じく須磨海岸の前後懐かしの車窓を暫し鑑賞する2014年皐月須磨夜行列車未明の車窓
10年ほど前サンライズに揺られて出雲へその時の写真を数点連載で何処へも出かけないGW中にアップする先ずは出発の東京駅で285のサイドサイン2014年皐月東京駅夜行旅の思い出
GW目前ちょうどGW最中の只見線おそらく臨スジかと思われる三連キハ47が2両に40が1両すべて首都圏色でこの線には珍しいようやく新芽が出そろう大白川界隈2008年皐月只見線新緑芽吹く大白川を行く
根府川鉄橋で狙いたかったシルエット写真何十年も経ってから隣の石橋で叶えることができたシルエットだけにかえって歯抜けのコンテナが良いアクセント2014年皐月東海道本線光る海に浮かぶシルエット
初夏の谷川岳まだ多くの残雪があるドアップでブルーサンダーを画面に置いて白と青のコントラストが山と残雪青空と雲機関車の色とみんな一緒2011年水無月上越線夏の谷川岳とブルーサンダー
北関東はようやく新緑が盛りを迎えC12が眩い緑を駆ける2010年皐月真岡鉄道新緑を駆ける
令和のコメ騒動中ではあるがこの国の代表的風景と言えば田植えだろういよいよ最後を迎えるE26系も展望車窓に流れるこの風景は最後2013年皐月蓮田最後の季節のカシオペア
新緑まぶしい季節に水田は日本の初夏だそよ風に泳ぐ鯉のぼりにちょうど烏山色のヨンマルが現れた2016年卯月烏山線水田に泳ぐ鯉のぼりと烏山線色
菜種も菜種梅雨も最近聞かない菜種の花が咲くころ吹く風は春までのそれと違って心地良い風となる疾走する桃太郎も塗装替えによって見なくなり過去のものへ移ろい早い時代になった2015年卯月蓮田菜種揺らす風
稲にとっては慈雨カメラマンにとっては露出が出ない辛い雨サイドビュー狙いでえい、やーっと流すと結果オーライに2007年皐月磐越西線シゴナナ五月雨に光る
山に雲が低く垂れこめて益々神々しい出雲の国には神様の数ほどの祠がある2014年皐月一畑電鉄八百万の神々の国の電車
夜明が早まり田植えの頃には湾岸エリアへ返空のタキも編成が短くなる2012年皐月武蔵野線夜明のタンカー
咲きかけの桜の花の開花を邪魔するかのように冷たい雨が季節を足踏みさせる2017年卯月武蔵野線花冷え
山深い沿線にようやく新緑が芽吹きだすころトンネル上の一本の桜が山の遅い春の到来を告げる2007年卯月大糸線山の一本桜
山間にひっそりとたたずむ温泉場である別所温泉此処の桜は派手さこそないが黄金週間になって満開を迎える2011年卯月別所温泉山間の桜
桜咲きホームの談笑があって駅の春は満開になる2013年弥生小湊鉄道飯給の桜
将来Uターンを考える電関人郷里福岡に帰るたびに思うことは街がどんどん変革していること国の人口が少子化によって減る一方でFUKUOKACITY&TOWNは確実に膨張している日本一便利といわれる福岡国際空港は二本目の滑走路を造成し始めだでさえ朝夕のラッシュ帯の離発着に目を見張るボリュームはさらに増えること必至さて、その福岡空港から東に丘一つ越えるといくつかのニュータウンともいうべきエリアが広がる粕屋、志免、須恵、宇美といった町々があるシニア層には炭鉱街として栄えた懐かしい響きかもしれないがこれらの場所には福岡中心部から少し離れ交通の便がやや不便と言えば不便なエリアで安価な土地代に魅せられたニューファミリー層を中心に人気上昇中エリアであるそこを通る鉄道路線は今や香椎山線のみ博多方面に出るのにはもっと便利だった勝...福岡近郊東南地区に思う
名古屋からやって来たしなのが終着近くなって犀川を渡る犀川の畔に立って四阿山草津白根方面を遠望す犀川はこの下流で本流の千曲川に合流しやがて信濃川に名を変えて日本海にそそぐトラスの間にサロ383を置いてヨーロッパナイズされたノーズフォルムサイドビューがなんとも美しい2024年弥生篠ノ井線犀川橋梁NikonD5犀川を渡る
3月の長野行きのメインはこの北長野貨物の取材安茂里での朝練ののちヤード脇の小径から一連の入替作業を追う3月とはいえ県北の長野の朝はキーンと冷えその中にあって張り詰める緊張感が心地いい2024年弥生北長野貨物駅NikonD5小雪の北長野
電関人が最初に逢ったつばめは481系ボンネットあれから幾星霜博多駅に舞う現在(いま)のつばめカレッジの仕草に痺れた2024年卯月博多駅SONY1-Ⅴつばめ舞う
千早界隈は高層タイプも含めていまや集合住宅密集エリアで鉄道写真も撮りづらいが父親の眠る寺院がありなにかと訪れる機会が多くそこに走る鉄道は鹿児島本線に福岡ターミナルに向かう貨物専用線と西鉄貝塚線もあって鉄道密度は濃い墓参の帰りの駄賃で西鉄千早駅から暫し撮影そこへのそのそとEH500がエスコートで高速貨物があと少し貝塚線上りが早ければと思うのは残念ながら電関人だけ2023年霜月西鉄貝塚線千早NikonDf逃した千載一遇
つい最近のこと家族の介護に関する用事であるJR九州系列の施設を訪れた際そこの支配人がかつて勤務されていた鳥栖駅の話ここは周知の通り長崎本線が分岐するクロスポイント数多くの列車が鹿児島本線を往来する列車と長崎佐世保線から往来する列車の分割併合を繰り返していた写真は山陽新幹線博多開業の大改正ですっかり様変わりした往来列車の様子を夜の鳥栖駅で取材したときのものである改正直後の冬か翌年の記録で長崎発上りあかつき号が20系改造の電源車を切り離していったん博多方へ出て転線して隣のホームに停車中の熊本発上り明星号に連結する作業の合間のスナップ2枚2点とも1976?年鹿児島本線鳥栖駅OLYMPUSOM-1鳥栖駅1975
かつて電関人が足しげく通った頃は線路も津屋崎まであって旧性能のいろんなスタイルの電車が犇めいていたそれがわが青春の相棒だったこの600形に代わり福間までになりそして間もなく7000形にとってかわられようとしている2023年霜月西鉄貝塚線名島駅NikonDfやがて記憶の彼方へ
今シーズン長野は小雪訪れた早春の長野は夜半の雨が雪に変わり辺りを白銀の冬に戻す懐かしい湘南色の115には雪がとても似合う2024年弥生篠ノ井線安茂里NikonD5名残雪
いよいよメインのC58363すっぴんの彼の機を迎え撃つかそのプランは200-500㎜ズーム購入時から既に頭にあった人馬ならぬ人罐一体となって終着を目指す一点集中の『凝視』する姿勢2024年卯月秩父鉄道波久礼NikonD5秩父路晩春04凝視
山間の小さな集落に重低音を轟かせてやって来たのはデキ302の牽く四重単回送ヤマの石灰を下す準備のため暫しパレオ狙いのギャラリーの目を癒す2024年卯月秩父鉄道波久礼NikonD5秩父路晩春番外
鹿児島本線のこの区間には本線の列車以外に長崎本線や久大本線などの特急が次々にやってくる特急街道そのダイヤを縫って現れたのは嬉しいことに古参のED761022だった2024年卯月鹿児島本線通称テンハルにてED761022牽引4083レNikonDf特急街道に分け入る
如月の久大本線夜が明けてひとりまたひとりと駅に人がやってくる列車が来るまで大地の息吹が清々しい2024年如月久大本線恵良駅NikonD5※本日より所用で留守にしますので今月末まで更新が滞ります汽車が来るまで
秩父鉄道の車庫でダルマにされず佇むワキ823とその仲間78年夏に来たときは秩父のヤードにいたセメント袋を満載にして活躍したのだろうか今は倉庫代わりか2024如月秩父鉄道広瀬河原NikonD5秩父路晩春02
親友に誘われて出かけた秩父イベント列車の準備をまずは覗きに行くいつものパレオに代わってJREから旧客が充当先を考えてC58据え付け前にシュート2024如月秩父鉄道広瀬河原NikonD5+Fisheye秩父路晩春01
タンカートレインと共に定期的に信州へ物資を運ぶフレトラ南松本で編成の半分を切り離して山男ロクヨンセンに牽かれてやってくるのは今やこの一筋キーンと冷えたヤードで安全を見つめるその眼差しはプロそのもの2024年弥生NikonD5雪晴れの北長野
長野詣の初日いつもの安茂里界隈にて上りしなのを見送る日の出前の冷たい朝2024年弥生篠ノ井線安茂里雪の朝を行く
久々に長野のお師匠カメラマンに会いがてら家内の死後軽キャンで初出撃夜長野へ乗り込んで見たまま情報を師匠に送ることでしな鉄の115系の回り方を確認最終日に御代田付近で改正で運用落ちする青の115を補足2024弥生しなの鉄道御代田付近NikonD5しな鉄青い115ラストラン
本日よりまたまた郷里へ向かう今回はある意味これまで半年以上掛かってやって来た実家のことを或る意味決着つけることへさてその出発前のアップではコッペルと仲良く直方石炭記念館の裏庭に鎮座する三菱炭鉱で使われた電機竪坑では石炭を削り出したその細かい粉によって起きる炭塵爆発の懸念から大規模炭鉱では早くから電化されこのような電機やバッテリーロコはたまたエアタンクを背負った機関車まで活用されていたこの三菱製の電気も在りし日を遠く望むように直方駅傍の高台に佇む2024年弥生直方石炭記念館にてNikonDf炭都筑豊の生き証人2
直方にある石炭記念館に鎮座する古老来年ちょうど日本に来て100歳を迎えるドイツコッペル社製の罐である炭都筑豊の宮田町にあった貝島炭鉱は大規模な露天掘りで旧国鉄宮田線に出すために炭鉱から伸びる専用線をせっせと50年以上にわたって活躍した大正時代の輸入機2024年弥生直方石炭記念館にてNikonDf炭都筑豊の生き証人
既に本線上からは引退してしまったが遅ればせながら電関人幼少の頃福岡市内線の貫線を走っていた連接車の1000形の幻影を筑豊電鉄に追ってみた50年以上の付き合いの相棒を自宅まで迎えに行き遠賀川にかかる鉄橋を目指す形式こそ違えどもつい先日まで走っていた連接車も纏っていたジャーマンイエローとボンレッドの後輩車にカメラを向ける2024年弥生筑豊電鉄筑豊直方NikonDf西鉄福岡市内線連接車の幻影を追って