石巻港で黙々と入替を熟す2013年水無月石巻港DE101591
狂電関人撮影の新旧写真を徒然なるままにアップ。中心は鉄道のある風景と車両の話。
小学校4年ぐらいから始めた鉄道写真趣味で約40年。途中結婚子育てで数年休んだもののデジタル一眼レフ購入後所謂バリ鐡に復活し今日に至る。現役SL世代最終組だが写真は少しだけでその後、電機を丁寧に撮り続けてきたためハンドルネームは、ENTHUSIAST OF ELECTRICLOCOの意で「狂電関人」に。
富山は上市から直江津経由で妙高高原へ上がってきたが妙高から黒姫にかけて怪しい黒雲がかかり冷たい風も吹き出すそんな片貝の圃場に到着陽はまだ差しているが時折冷たい風に乗ってぽつりぽつりと雨粒がフロントガラスを叩き遠雷も鳴り出す始末直に来る列車を片付けて即撤収と決めて暫し何とか日差しの中で初夏の片貝を往く高原列車を撮影撮影後はとりあえず妙高高原の物産センターで十割蕎麦で昼飯2024年水無月越後ときめき鉄道妙高はねうまライン二本松NikonD5風雲急の片貝圃場
長野の師匠の影響もあって鉄路沿線の名山を愛でるのが大好きな電関人わが第二の故郷山陰本線の中では大山が一番美しいその姿がクリアに見えた時自身が抱かれそのパワーに全身が満たされる1981年弥生?山陰本線米子~伯耆大山NikonF2photomicSBコダカラーⅡ追想微笑む大山
早朝の富山湾越しの剣岳のリベンジ兼ねて富山地鉄上市に出てより近くに剣岳を置くことに昼近くまで陽が上がると剣岳山頂付近に雲が沸きはじめ気をもみながら3本ほど撮影田植え前の水が入った一枚の田圃に逆さ剣を入れた寄りのアングルで大根ばばぁこと自社発注の原色車。2024年水無月富山地鉄上市NikonD5二つの剣とだいこんばばぁ
旅の報告記事連載中だが駆け足で通り抜けた山陰西部への思いは何といってもその海の色であろうコバルトブルーとエメラルドグリーンの間を絶妙に取った山陰ブルー電関人にとってそれは永遠の撮影テーマのひとつ1981年霜月山陰本線田儀NikonphotomicSBWithEktacrome追想山陰ブルー
水無月の湿潤な時期には悪条件だが昨晩の夕立後一旦冷えた大気の中日の出前立山連峰の山並みはしっかり確認できているしかし日が昇るとみるみると大気の視認性が悪くなり富山湾越しの立山連峰はかすかに見えるか否か送り込みも含め数本の列車でチャレンジした2024年水無月氷見線雨晴~越中国分NikonD5※元データをアンダーで撮影してPSにて調整富山湾越しの剣岳
万葉線の専用軌道区間を撮りたくてここ中伏木の駅に陣取る港湾地区にあって港の施設工場倉庫などとモザイクのように住宅が点在しているようやく傾き始めた初夏の高い太陽を背負って低床車が駅にやって来たこの時間帯の乗客は下校する学生が中心である2024年水無月万葉線中伏木駅NikonD5中伏木暮色
こちらも初めて訪れる勝山永平寺線名前に惹かれて観音町を目指す禅寺永平寺の門前に広がる町並みは質素ながらちゃんと行儀がいい人口が減っていく中で街が荒れることなく丹精された町並みは気持ちがいい2024年水無月えちぜん鉄道勝山永平寺線観音町NikonD5行儀正しい門前町
長大な山陰本線を実質1日で駆け抜け初見参の京丹後鉄道へ同鉄道で一番有名な撮影地由良川の橋梁に山の尾根から雲が滝のように流れ下る気象現象を横目に風が強い河畔に構える定期列車を合間を縫ってつい先日まで高山本線で活躍していたキハ85が中間車なしの2両で送り込み回送で橋梁を渡ってきた2024年神無月京丹後鉄道由良川橋梁NikonD5ベリーショートなキハ85
2泊目に選んだ道の駅は餘部橋梁真下の道の駅あまるべ此処へのアクセスは一般道が土砂崩れにより不通で山陰近畿自動車道余部インター経由のアプローチのみちょうど現地入りしたのは空が赤くなり始めたころだった橋梁をやや引きにしてそしてもう一本撮ったのちにいよいよ三脚を据えて橋の下より天空を仰ぐ角度で北斗七星を真ん中に見てそこを流れ星のようなヨンマルの光跡が横切る2024年水無月山陰本線餘部~鎧NikonD5星降る餘部
朝三見から出て餘部の道の駅まで大移動する途中大山が見たくなって大山口駅界隈に向かう部分完成の虫食い山陰道無料区間を巧みに利用しながら松江手前の有料区間だけ今回のジャーニーで唯一使用宍道湖畔では期せずしてやって来た381やくもを見たまま見送り先へコマを進めた未だ目指す大山は綿帽子を被ったまま大山口駅では列車時刻を確認しつつ新型DC各停を見送り御来屋までの区間で大山の眺望をロケハンレンガ造り(山陰本線開通当時のものか)の農業用取水口を見つけた場所からの大山はエプロンの上にポッカリと頂を見せてくれたので山陰本線を真横から狙うことにした2両のショート編成のスパーおきは大山山麓のこの区間を目いっぱいの速度で大山を横目に走り去っていった2024年水無月山陰本線大山口~名和NikonnD5大山の女神が微笑む
初日の塒は三見狙いがうまくいったというか明るくなってロケハンしたら塒から直ぐの場所がなんとも絶妙一番列車がやってくる頃には既に夜の漁に出ていた船は港に戻った後だった2024年水無月山陰本線飯井~三見朝の三見港
昨日未明に自宅へ戻った日曜の夕刻に郷里福岡を出発山陰本線京丹後鉄道えちぜん鉄道万葉線氷見線越後ときめき鉄道しなの鉄道中央西線を巡る旅の始まりはここ萩駅を皮切りに2024年水無月山陰本線萩駅SONY1-Ⅴ1600キロの旅
本日より旅に出ますので、13日まで更新が滞ります。留守分として本日二本立てです。ついぞ巡り合えなかった雪の餘部電関人が足しげく通った70年終盤から80年初頭は日本は暖冬期にあって雪に浮かぶ幻の餘部鉄橋は幻のままに鉄橋直下に密集する民家がなんともフォトジェニックだ1978年師走山陰本線餘部急行美保NikonF2withEktacrome第二の故郷山陰本線へ里帰り3
光る石州瓦は電関人が思う山陰本線西地区のイメージだしかも地区によって黒いのと朱色のがある此処辺りは黒い甍の波夏の南天に近い時間帯湧き溢れる汗と戦いながら高台から光る甍を入れて下り181系おきを狙う1982年文月山陰本線仁万NikonEL2withKR第二の故郷山陰本線へ里帰り2
ほぼ決定事項だが山陰本線を撮りに行く予定今の同線を撮りたいのもあるが自身の中では初心に帰るリフレッシュの旅確か大学2年の夏意を決して夜行さんべ号の車中の人となり夜明け前の浜田に降り立つそこから時間つぶしに益田まで直行するような客レに乗車さらに上りに乗り換えて岡見駅へ時間つぶしのロケハンで港を経由し三保三隅寄りのポイントへ移動現在は海を埋め立てた発電所になっている場所明けたばかりの太陽が中国山地を温めてできた雲がでてしかもまだ高度が低い太陽は海岸を照らしてはいないそんな悪条件下でKRの絞りはレンズの開放に近いおまけに若干の前ピントとくりゃ・・・踏んだり蹴ったりの一枚である1982年文月?山陰本線岡見~三保三隅NikonEL2WithKR第二の故郷山陰本線へ里帰り1
学生時代に住んだ吉祥寺のボロ下宿脇は中央線の高架線だったお陰でロクヨンゼロのエアフィルタ音は子守歌のようなものロクヨンゼロを長野のお師匠さんと中央西線によく追った一コマを今宵アップ中央西線は塩尻を出て洗馬を過ぎた辺りからいよいよ木曽谷の隘路へと踏み込む木曽谷を縫ってきた下りのタンカートレインが上りのタンカートレインを待って洗馬駅に運転停車複線区間にあって塩尻のヤードの線形からなのか?奇しくも下りの牽引機は59号機を頭に次位60号機と兄弟重連今季小雪の木曽谷の山々は微かに残雪を背負い後ろには北アルプスの前山の鉢盛山であろうか2009年如月中央西線洗馬駅OLYMPUSE30元データJPEG木曽谷ロクヨンゼロ回想
ゴーマルサン時刻改正の約一年後福岡県地方に纏まった雪が降ったのでスクランブル発進で小倉駅までやって来たまだ覚えたての父親譲りのハーフ一眼レフ携えて到着早々珍しい列車に遭遇下り明星3号西鹿児島行だ本来は小倉通過で博多に5時前に到達するからこの時点でおそらく5時間ほど遅れていたようだしかも新大阪寄り先頭車に珍しくクハネ583MGが床下吊り下げで乗務員扉すぐに旅客扉が付く暫くして小倉駅に入線してくる博多発小倉廻り西鹿児島行ディーゼル特急にちりんこれまた珍しく先頭のキハ82には寒地型タイフォンカバーが向日町から鹿児島転属組か?1976年如月?鹿児島本線小倉駅OLYMPUSPENFサクラカラー原色1976IN小倉駅
豊後森に今も残るラウンドハウスかつてはキハ07が番人をしていたが今は福岡からやって来たこのキュウロクになっている2024年如月久大本線豊後森NikonD5豊後森の番人
夜明と共に現地到着残念にも浅間山は雲の中ヤマの専門家である長野の師匠の話では大気が冷えてガスになりそれに包まれているだけなので夜が明けて数時間したら必ず浅間は姿を現すとその言葉に縋りながら氷点下に冷える雪原に数時間明けた太陽が高度を増してくると舞台の緞帳が上がるが如く神々しい白銀の山容を見せてくれ其処に現れたのは奇しくも観光列車ろくもんだった2024年弥生しなの鉄道線御代田NikonD5雪晴れの浅間山麓をろくもんが往く
かつて香春岳で産出していた鉱物は銅鉱石が多かったそのため地名や駅名にも採銅所の名が残る鉱山全盛期を物語るように採銅所駅には駅の気品が強く感じ取れるエントランス上部に掲げられた駅名版は切り株をスライスした一枚板日田彦山線だけに日田杉であろうか?鉄のラッチもそのままに残されるエントランス外には両サイドにこれもまた無垢の木材を加工した温もりのあるベンチが据え付けられる駅本屋の上り方脇に残される積出用側線の有効長はかなり長く何両もの貨車が据え付けられるようになっていた駅本屋の窓枠にも注目したい木の当時から残る窓枠にも漂う大正浪漫そしてホームにはかつてはどの駅にもみられた工業デザイナー氏の手によるカーヴが美しい腰掛に僅かな昭和のモダニズム無人化された後もきれいに維持される採銅所駅に今も残る凛とした気品2024年弥生...採銅所駅の気品
今は水害の影響で全線が繋がってないが久大本線夜明から分岐して日豊本線城野まで伸びる日田彦山線はかつて筑豊地区の物資を運ぶ動脈として筑豊本線と共にあったそして中間駅の採銅所は名の通り銅鉱山を有し輸送物資も豊富当初から輸送力確保のために複線にする計画があったそして穿かれたトンネルも複線用のものであった2024年弥生日田彦山線採銅所駅NikonDf穿たれた複線トンネル
筑豊には二つのダイヤが存在するエネルギー革命によって産出を止めた黒いダイヤこと石炭と香春岳や船尾山といった山から産出する白いダイヤ石灰石石灰石の方はセメントの原料として生産量こそ減ったものの未だに操業中船尾駅界隈はかつてはホッパービンを使ってダイレクトに貨車に積んでいたため周囲は真っ白になっていたのを記憶するが今の船尾駅周辺はトラック輸送に代わって昔の駅周辺と趣が変わった2024年弥生後藤寺線船尾NikonDf黒ダイヤと白ダイヤ
旧国名が筑前と豊前に跨がっているので筑豊その筑豊には一大炭田が拡がり産出した石炭を積み出すために網の目のように鉄路が敷かれたそこで身を粉にして蒸機と共に働いてきたのが石炭用貨車でその初代がセム1どこかにその残党の現役時代の写真があったはずだが今は見つからないので次回の宿題ということで2024年弥生直方石炭記念館NikonDf筑豊蒸機の相棒
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終日の強風に空のクリアランスは最高水田の水面に立つさざ波を味方につけてリフレーンするジョイト音を載せて2024年五月真岡鐡道真岡NikonD5水田のさざ波と
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キハ10系や26・55系、58系800番代、35系、23・45系など我々の学生時代は油と煙草のヤニ臭いチンドン屋編成の列車に揺られてだったそれから時代は進んで最新型のユニットを搭載した車両でしかも冷暖房完備時代は変われども彼らの制服は今も昔も大差ない2024年如月香椎線須恵駅NikonDfDENCHA通学
冬の上田原は暮れるのが早い終日強く吹いた季節風によって日没後の冷えは一段と厳しい別所温泉の日帰り湯に浸かり強張った体を休め本日最後の撮影地に向かうメインの通りからやや入り込んだ場所にひっそりと八木原駅は在りそこに寄り添うように数件の人家が集うその寒々とした駅に夜のしじまを破って遠くから電車がやって来た2024年弥生上田電鉄八木原駅NikonD5夜のしじまの八木原に
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上田交通(上田電鉄)と言えば丸窓に尽きる今もステンの車体を旧カラーのツートンにしてさも丸い窓が戸袋にあるようにされている車両も存在するが現在別所温泉駅脇に鎮座する元祖丸窓車両大正浪漫を強く感じさせる同車のチャームポイント2代目になる丸窓ドリーム号そして最後は81年撮影で現役5250が力強くトレーラー牽き別所温泉駅に向けて最後の勾配を上る雄姿写真上)2024年弥生NikonD5写真中)2010年文月OLYMPUSE-30写真下)1981年五月?NikonF2丸窓ドリーミン
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小窓のスハフ32は窓二つにボックスシートがあてがわれシートピッチが広いその小窓に各々の顔が並ぶ機関車の煙を嗅ぐもの景色を楽しむもの乗り心地を味わうもの長閑な汽車旅のムードが漂う2024年卯月秩父鉄道波久礼NikonD5各々の窓
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夜間瀬川からぐるりと高社山を回り込んで飯山線に転戦する以前から飯山線の駅で一番気になっていた駅それが蓮(はちす)字のごとく寺に隣接した駅果たしてこの駅は...2024年弥生飯山線蓮NikonD5蓮へ
今日は朝早くから北関東方面に出撃親友鉄から誘いがあって上越線八木原を皮切りに北関東をぐるりと東に弧を描くように期せずして遊覧の旅となったカットは最終ではないものの電関人にとって本日の有終の美はこれ五月晴れのそよ風の中心地よいロッド音を残して2024年五月真岡鐡道真岡~寺内NikonD5有終の美
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長野の師匠と別れ犀川畔の後向かったのは長野電鉄で湯田中方面を目指す夜間瀬川辺りまで上がると雪もそれなりに増えて天気の方も雪晴れとなると安直かもしれないが夜間瀬川鉄橋を覗くことに朝断続的に雪を舞わせた雲は去って快晴域に入る美しく輝く銀盤や高社山と気持ちよく泳ぐ千切れ雲構図は決まりFISHEYEを手に取る其処へヤマからゆけむりが下り込む編成を曲げたくないのでレンズのセンター域を線路面に合わせ真ん中ぶった切りを避ける構図にするため若干後処理でトリミングした2024年弥生長野電鉄夜間瀬川橋梁NikonD5+Fisheyeゆけむり白銀を往く
将来Uターンを考える電関人郷里福岡に帰るたびに思うことは街がどんどん変革していること国の人口が少子化によって減る一方でFUKUOKACITY&TOWNは確実に膨張している日本一便利といわれる福岡国際空港は二本目の滑走路を造成し始めだでさえ朝夕のラッシュ帯の離発着に目を見張るボリュームはさらに増えること必至さて、その福岡空港から東に丘一つ越えるといくつかのニュータウンともいうべきエリアが広がる粕屋、志免、須恵、宇美といった町々があるシニア層には炭鉱街として栄えた懐かしい響きかもしれないがこれらの場所には福岡中心部から少し離れ交通の便がやや不便と言えば不便なエリアで安価な土地代に魅せられたニューファミリー層を中心に人気上昇中エリアであるそこを通る鉄道路線は今や香椎山線のみ博多方面に出るのにはもっと便利だった勝...福岡近郊東南地区に思う
名古屋からやって来たしなのが終着近くなって犀川を渡る犀川の畔に立って四阿山草津白根方面を遠望す犀川はこの下流で本流の千曲川に合流しやがて信濃川に名を変えて日本海にそそぐトラスの間にサロ383を置いてヨーロッパナイズされたノーズフォルムサイドビューがなんとも美しい2024年弥生篠ノ井線犀川橋梁NikonD5犀川を渡る
3月の長野行きのメインはこの北長野貨物の取材安茂里での朝練ののちヤード脇の小径から一連の入替作業を追う3月とはいえ県北の長野の朝はキーンと冷えその中にあって張り詰める緊張感が心地いい2024年弥生北長野貨物駅NikonD5小雪の北長野
電関人が最初に逢ったつばめは481系ボンネットあれから幾星霜博多駅に舞う現在(いま)のつばめカレッジの仕草に痺れた2024年卯月博多駅SONY1-Ⅴつばめ舞う
千早界隈は高層タイプも含めていまや集合住宅密集エリアで鉄道写真も撮りづらいが父親の眠る寺院がありなにかと訪れる機会が多くそこに走る鉄道は鹿児島本線に福岡ターミナルに向かう貨物専用線と西鉄貝塚線もあって鉄道密度は濃い墓参の帰りの駄賃で西鉄千早駅から暫し撮影そこへのそのそとEH500がエスコートで高速貨物があと少し貝塚線上りが早ければと思うのは残念ながら電関人だけ2023年霜月西鉄貝塚線千早NikonDf逃した千載一遇
つい最近のこと家族の介護に関する用事であるJR九州系列の施設を訪れた際そこの支配人がかつて勤務されていた鳥栖駅の話ここは周知の通り長崎本線が分岐するクロスポイント数多くの列車が鹿児島本線を往来する列車と長崎佐世保線から往来する列車の分割併合を繰り返していた写真は山陽新幹線博多開業の大改正ですっかり様変わりした往来列車の様子を夜の鳥栖駅で取材したときのものである改正直後の冬か翌年の記録で長崎発上りあかつき号が20系改造の電源車を切り離していったん博多方へ出て転線して隣のホームに停車中の熊本発上り明星号に連結する作業の合間のスナップ2枚2点とも1976?年鹿児島本線鳥栖駅OLYMPUSOM-1鳥栖駅1975
かつて電関人が足しげく通った頃は線路も津屋崎まであって旧性能のいろんなスタイルの電車が犇めいていたそれがわが青春の相棒だったこの600形に代わり福間までになりそして間もなく7000形にとってかわられようとしている2023年霜月西鉄貝塚線名島駅NikonDfやがて記憶の彼方へ
今シーズン長野は小雪訪れた早春の長野は夜半の雨が雪に変わり辺りを白銀の冬に戻す懐かしい湘南色の115には雪がとても似合う2024年弥生篠ノ井線安茂里NikonD5名残雪
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鹿児島本線のこの区間には本線の列車以外に長崎本線や久大本線などの特急が次々にやってくる特急街道そのダイヤを縫って現れたのは嬉しいことに古参のED761022だった2024年卯月鹿児島本線通称テンハルにてED761022牽引4083レNikonDf特急街道に分け入る
如月の久大本線夜が明けてひとりまたひとりと駅に人がやってくる列車が来るまで大地の息吹が清々しい2024年如月久大本線恵良駅NikonD5※本日より所用で留守にしますので今月末まで更新が滞ります汽車が来るまで
秩父鉄道の車庫でダルマにされず佇むワキ823とその仲間78年夏に来たときは秩父のヤードにいたセメント袋を満載にして活躍したのだろうか今は倉庫代わりか2024如月秩父鉄道広瀬河原NikonD5秩父路晩春02
親友に誘われて出かけた秩父イベント列車の準備をまずは覗きに行くいつものパレオに代わってJREから旧客が充当先を考えてC58据え付け前にシュート2024如月秩父鉄道広瀬河原NikonD5+Fisheye秩父路晩春01
タンカートレインと共に定期的に信州へ物資を運ぶフレトラ南松本で編成の半分を切り離して山男ロクヨンセンに牽かれてやってくるのは今やこの一筋キーンと冷えたヤードで安全を見つめるその眼差しはプロそのもの2024年弥生NikonD5雪晴れの北長野
長野詣の初日いつもの安茂里界隈にて上りしなのを見送る日の出前の冷たい朝2024年弥生篠ノ井線安茂里雪の朝を行く
久々に長野のお師匠カメラマンに会いがてら家内の死後軽キャンで初出撃夜長野へ乗り込んで見たまま情報を師匠に送ることでしな鉄の115系の回り方を確認最終日に御代田付近で改正で運用落ちする青の115を補足2024弥生しなの鉄道御代田付近NikonD5しな鉄青い115ラストラン
本日よりまたまた郷里へ向かう今回はある意味これまで半年以上掛かってやって来た実家のことを或る意味決着つけることへさてその出発前のアップではコッペルと仲良く直方石炭記念館の裏庭に鎮座する三菱炭鉱で使われた電機竪坑では石炭を削り出したその細かい粉によって起きる炭塵爆発の懸念から大規模炭鉱では早くから電化されこのような電機やバッテリーロコはたまたエアタンクを背負った機関車まで活用されていたこの三菱製の電気も在りし日を遠く望むように直方駅傍の高台に佇む2024年弥生直方石炭記念館にてNikonDf炭都筑豊の生き証人2
直方にある石炭記念館に鎮座する古老来年ちょうど日本に来て100歳を迎えるドイツコッペル社製の罐である炭都筑豊の宮田町にあった貝島炭鉱は大規模な露天掘りで旧国鉄宮田線に出すために炭鉱から伸びる専用線をせっせと50年以上にわたって活躍した大正時代の輸入機2024年弥生直方石炭記念館にてNikonDf炭都筑豊の生き証人
既に本線上からは引退してしまったが遅ればせながら電関人幼少の頃福岡市内線の貫線を走っていた連接車の1000形の幻影を筑豊電鉄に追ってみた50年以上の付き合いの相棒を自宅まで迎えに行き遠賀川にかかる鉄橋を目指す形式こそ違えどもつい先日まで走っていた連接車も纏っていたジャーマンイエローとボンレッドの後輩車にカメラを向ける2024年弥生筑豊電鉄筑豊直方NikonDf西鉄福岡市内線連接車の幻影を追って
最愛の福岡の叔父が天に召された今年は愛妻から始まって大阪の叔父そして今回の福岡の叔父と自分にとってこの丙龍の年は波乱に満ちている実家から車で20分強の距離にある叔父宅は最寄り駅が香椎線須恵駅であるかつて筑豊炭田が栄えた時代には縦横無尽に線路がはり巡らされていたエリア炭鉱の斜陽と共に衰退したように思われるかもしれないがどっこい博多のベッドタウンとして人気エリアで朝の通勤通学列車は多くの乗客がホームを埋め尽くす2024年如月香椎線須恵駅NikonDf黎明の朝
この日の秩父の主役追うこと数度この場所で何とか捕獲主役の罐は師走の優しいスポットライトを浴び手持ちの200-500でお出迎え2023年師走秩父鉄道樋口デキ102NikonD5今日の主役
明日から師走という日の貝塚線車内通勤客に紛れてかわいいお客さんを見た優しく600形の暖房で暖められた車内にこれから向かう幼稚園(保育園?)の楽しさが満面の笑顔に見て取れる。昭和世代車の室内にはその香りが充満していた。2023年11月西鉄貝塚線600形車内NikonDf西鉄600形の温もり
国道210号線からやや分け入ったところに野矢駅はひっそり佇む久留米と大分を結ぶ久大本線には観光列車が多く列車密度も高いこの沿線景観は植林された杉のほか常緑広葉樹に竹林が混ざるそんな緑に囲まれる野矢駅で上下一本ずつの撮影を楽しんだ2024年2月久大本線野矢駅NikonD5Fisheye特急ゆふ野矢通過
決してストーカーなどではない!西鉄貝塚線沿線及び周囲には学校が多くその利用者は学生が多いので一瞬少子化を忘れるほどスカートの丈は流石に進学校が多く東京で見るような違反制服は全くいないといっていいほど。2023年霜月西鉄貝塚線千早NikonDf清く正しいスカート丈
朝の貨物線は忙しい終着列車の受け入れと始発列車の組成送り出しと川面を伝う冷たい海風に晒される桜の紅葉舐めでJRF色の罐で終着を目指すフレトラをフレーミング2023年11月福岡ターミナル貨物専用線名島橋EF81400代OR500代列番不明NikonDf初冬の名島橋
かつて香椎には貨物操車場がありそこから福岡貨物ターミナルまで単線の専用線が続くそれが跨ぐ多々良川はまさに博多湾に注ぐ河口に位置し専用線、西鉄貝塚線、そしてJR鹿児島本線の三線が犇めく鉄道魔境霜月最後のこの日博多湾を舐める北西からの季節風は容赦なく電関人の体温を奪う2023年霜月晦日福岡貨物専用線霜月の朝に
辺りに立ち込めていた濃霧が晴れると列車の行く先に雄大な山容を現した九重連山久大本線沿線は阿蘇や九重をはじめとする幾多の火山によって太古に形成された典型的な火山地形で構成される2024年2月久大本線恵良NikonD5九重連山遠望
日は昇るも空はどんより恵良駅に来てみた友人の話でここで列車交換を狙う未だ春遠い久大本線沿線風景には黄色や赤の気動車がフォトジェニック2024年2月久大本線恵良駅NikonD5レッド&イエロー
家内が亡くなってはや二月七七日供養と納骨も済んでそろそろ前に向き歩みだそうか久大本線の朝陽がメーサに掛かる雲海の向こうから顔を出し新しい一日の日は昇る2024年2月久大本線北山田付近NkonDf寂しさをバネに・・・
千葉の出城を手放すことにしたいよいよ次は出身地へ出軍か?2018年7月いすみ鐡道国吉付近NikonD5さよなら千葉
令和6年度から順次淘汰される西鉄貝塚線のモ600形それが当たり前のように毎朝の日常風景に溶け込むモ600本線からの移籍に当たっては狭軌に台車変えてパンタを載せ替えてやがて日常の朝の風景は変わろうとしている貝塚線の主役は間もなく本線から7000形がやってくるがこの通勤・通学の日常風景はこれからも変わらない2023年11月西鉄貝塚線千早駅NikonDf24-120㎜令和5年の日常の朝
その時は、突然やってくる人生の第三コーナーを経て第四コーナーへ進みつつある電関人そんな自分に不意にやって来たお別れ最愛の妻を亡くした間もなく最初の月命日がくるそろそろくよくよもしてられないからブログを再開しようと・・・かもめの命日は9日家内の命日は12日だ1975年3月9日山陽本線下関駅にてその走りを終えた最終1Ⅾ下関で運転打ち切り車両は食堂車抜きで12両編成明日からは特急おきとして山口線・山陰本線に活躍の場をかえるOLYMPUSPENFサクラカラーⅡ鴎が啼いた日
筑豊地区から蒸機が消えて約五年炭鉱はまだ稼働してしているものもあり白い鉱石輸送も盛んになっていたころ筑豊の象徴だった北九州入り口の複複々線は消えさったものの未だその輸送力には余韻が感じられた折尾の地上ホームに到着する香月線からの直通列車2月の底冷えする中でしっかりとDE10が蒸気発生装置から出されたスチームが心地よい炭鉱と一大工業地帯で四六時中はたらく戦士たちをピストン輸送した名残だろう二両目には特急鴎で使用されたナハ10軽量客車も見える行き先は確か若松今もどうして若松機関区を覗きにいかなっかのは何故かという問いが頭を巡る1979年2月筑豊本線折尾地上駅NikonF2photomicSBKR炭都の余韻
高校入学後電関人の山陰愛はいよいよ強まり冬はもちろん春や夏も山陰本線に通う始末今回はその山陰の雄DD51の話周知のとおり大半の蒸機ファンから死神の異名を付けられ忌み嫌われる機関車蒸機世代殿の電関人にとってはD51同様にDD51は親しい存在であるこの冬は確か初めての試みとして岩国始発広島まで各駅停車扱い芸備線・木次線廻りの夜行急行ちどり3号で山陰本線入りした数あるルートの中で中国山地を縦断するこの入り方はその後お気に入りとなったというか電関人の短所でもあるが、気に入るとサルがラッキョウの皮をむき続けるが如く・・・福知山に向かう道中播但線の分岐駅による折からの生憎の雨に艶めかしく濡れる播但線列車の先頭に立つDD511126(福)1977年12月大晦日山陰本線和田山駅OLYMPUSOM-1zuiko28㎜F3....氷雨降る大晦日の和田山にて
急行アルプスと言えば名門急行のひとつ撮り専でもなくモケテツでもある電関人は地元の鉄道ダイニングバーにも通うオールランダー大学には一年遊んで遅れて入学した年の長ーい春休みは東北から始まって中部を経由して瀬野八から下関ゴハチバルブとやりたい放題の東北ワイド周遊券の旅プラスアルファだった磐越西線五泉から蒲原鉄道で上越線に抜け相棒と土樽待ち合わせ土樽YHの変態ペアレント歓待?の翌朝は腰までのラッセルでループ橋へそのまま高崎・長野経由でその日は浅間温泉YH泊翌日は生憎の春の曇天と手荒いながらも後ろ立山は薄ら笑顔こんな写真が旅の記念カットとなる1981年3月大糸南線安曇沓掛付近急行アルプス回送NikonF2photomicSBnikkor50mmf2YOfilterTX春まだ浅き安曇野のハハハハシロロハハ
電関人がまだ電車通勤していたころ混んでいる電車で少し我慢するのと必ず座れる郊外奥地から遠距離通勤はどっちがいいのか真剣に悩んだことがあったそんな悩みを解決してくれる秘策は・・・最寄り駅が始発駅であること。少し早めに並べば確実に座れるし逆は終着だから乗り過ごしもない或る意味理想的な最寄り駅だと思う1977(?)年5月国鉄甘木線甘木駅(現甘木鉄道甘木駅)OLYMPUSOM-1Zuiko50㎜f1.8TX始発駅に住まう
電関人が中坊になってすぐの頃だから74年前半でいわゆる蒸機の最晩年のこと博多から篠栗線経由で直方に出て日田彦山線下りで後藤寺へ乗換列車を待っている寸暇に9600が給炭設備の下で出区の準備をしていた炭都の空はどんよりと9600の煙で霞んでいた1974年夏筑豊本線直方駅OLYMPUSPENFzuiko100mmサクラカラー炭都筑豊の記憶
エネルギー革命が起きるまでこの国を支えてきた石炭産業もちろん蒸気機関車を走らせる動力源鹿児島本線を原田(はるだ)で別れ炭都を抜けて北九州工業地帯を繋ぐ短絡線として機能した幹線であるその炭都への径は原田を出るといきなり山へ分け入り三郡山系の山々をトンネルを穿ち桂川(けいせん)を経て飯塚や直方などの炭都へ通ずるトンネルも峠同様冷水(ひやみず)の名が付き工事には在日朝鮮人労働力が費やされた暗い過去を持つかつてはC55やD60D51に9600が往来し長い石炭列車には後補機が付き急行天草特急かもめあかつき明星も筑豊廻りまで存在したその後エネルギー革命を境にして北海道とともに筑豊の炭都は急速に衰退し閉山後石炭→石灰革命を経て今に至るが冷水へ分け入る細径にはかつての栄華を偲ぶものは何もなく単行のディーゼルカーが日に数往...冷水への径
高校時代に芸大出身の美術教師と激論を交わした思い出シュールレアリズム(リアルを超越する表現)は絵画でのみ成立すると主張する教師に写真部所属の電関人が問うた写真にだってリアルは超越できると教師曰く現実忠実に写し出す写真にはリアル(現実)を超えられる訳がないとリアルを写す写真にだって現実超越技法はあるはずだと電関人は唾を飛ばして言い返した話は変わって今だと〇〇ハラスメントなどと罵声を浴びかねないが電関人のエロというかフェチ感をそそる女体のシェイプは鳩胸に僅かに乗るマイクロバストである我々趣味の対象となる乗り物は基本女性名詞である交流汎用機として世に出たパイオニア的存在のED72とED73姉妹彼女たちのフェチ感そそるグラマラスシェイプを敢えてワイドレンズで点流し撮り解るかなぁ解んねぇだろうなぁ。。。↑ED72↑...グラマラスシェイプ
かつてハドソンやヘビパシが通った鹿児島本線中南部の景勝地田原坂ここは蒸機の踏ん張りどころという古戦場である以前に薩摩藩出身の西郷隆盛が政府軍と戦って散った古戦場でもあるハドソンと言ってもここを往来したのはC60型やC61型でヘビーパシフィックのC59型を継承した弟分電関人が物心つく小学校中学年代には古戦場にはその雄姿は無く熊本以南まで活躍の場を後退させており古戦場は線路も勾配緩和のために付け替えられて主役は蒸機から電機に取って代わられる比較的勾配が少ない鹿児島本線北部と比較すると大牟田から熊本の区間は山がちで起伏が多い蒸機時代に喘いだ急勾配はその大半が付け替えられ線形が変わっており蒸機時代の写真を彷彿させる名残は皆無に等しかった夜行急行かいもんを真夜中に熊本で乗り捨て熊本始発の上り一番列車でとって返し田原...古戦場を行く
ご存知博多は日本海側に位置し冬の冷え込みはそれなりかつて客車を牽く電気機関車は蒸気発生ボイラを積んで客車全車両へ暖房用スチームを供給していた冬の博多は夜明けが遅い心底冷えるホームに濛々と蒸気を吐きながら上り夜行急行かいもんが入線する鹿児島や熊本久留米からのサラリーマン風の乗客が数人下車観光ではなく生活列車としての役務を担いこの時間帯には長崎からの夜行快速(各停ではない)ながさきも並走している1979年早春鹿児島本線博多駅上り急行かいもんNikonphotomicSBTXASA800増感(マイクロドール現像)※この度の能登半島を中心とした大震災に罹災され亡くなられた方々には心から哀悼の意を表すとともに全被害者の方々にはお見舞いを申し上げます。未明の博多駅ースチームの暖味ー
謹賀新年正月と言えば初夢初夢と言えば一富士二鷹三茄何で茄?さておいて年賀状を元日に間に合わせるためにせっせと期日までなんてのはナンセンス愚の骨頂な気がする元旦に一年の計を立てて新鮮な気持ちで筆を執るから通信面に2024元旦と認めるのではないのだろうか?郵政の陰謀だと元日のブログで四の五の話は無粋閲覧いただいている方々にいい初夢を・・・2024年元旦2005年4月下関駅下り富士ぶさCanonIXY一富士
大学入学年秋同期と東京から下り寝台特急出雲に乗り込む目指すは憧れの聖地山陰地方寝台列車で一泊ののち終着まで乗車し2泊目は益田駅から少し歩いたYH翌朝撮影地までの移動は益田始発の上り一番列車奇しくも前補機が米子あたりまで回送で就いたさぁ令和の6回目の年は大いに西日本で暴れさせてもらおうじゃないか関東の腐った眼をした魚のような鉄道じゃなく現役で生き生きと走り回る令和の本物の鉄道を相手にして・・・さらば令和五年そしてボンボヤージ令和六年!1981年11月山陰本線益田駅NikonphotomicSBnikkor28㎜コダクローム64明日に向かって
光と翳太陽と月都会と田舎ITとアナログ・・・様々対比有れど電関人は敢えて裏街道を選びたいそれは自身が歩んできた径これから先の人生もずっと20??年高崎機関区NikonFM3A+micro55mmエクタクローム陽と陰
電関人と同じ年生まれのキハ82系こいつの力を借りて令和6年はひと暴れだ!1974年秋国鉄鹿児島本線小倉駅にて1D/2001D解結直後OLYMPUSPENFさくらカラーWITHPSElementsタメ年のキハ80系パワーを借りて・・・
人生の2/3を関東で過ごしてきた我が人生そろそろいいんじゃねえかと63になる来年は一区切りの年にしようか?もう人混みは息が苦しいもともと地元じゃない連中が東京人ぶって馬鹿し合い砂上の楼閣に直下型地震は必ずやってくるであろうし田舎暮らしで人生第四コーナーまでのんびりやるさ1977年筑豊本線筑前山家NikonF2photomicSBTXカメラボディを50系の車体に固定してバルブ※体を窓から乗り出しての撮影は鉄道の往来に支障をきたす可能性があり違法です。思うこと有りて・・・
11月最後の朝父親の菩提に挨拶をして多々良川の畔に立つ折からの冬将軍は容赦なく川を伝って厳しい風を吹き付けてくる小一時間幼馴染の乗った鹿児島本線下り電車の接近までの一番勝負瀞火の朝陽がジャーマンイエローの躯体を優しく染める2023年11月西鉄貝塚線名島橋NikonDf+PSElement鉄道愛好家諸君へ食べかすのゴミは放置せずに、お家へもって帰ろう!名島の朝
かつての東北地方には枚挙に暇がないほど鉱山があってその大半には必ずと言っていいほど鉄道が活躍したいや中には軌道とも呼べないほどの怪しいヘロヘロレールもしかしながらこの罐の出自である松尾鉱山には客車列車も走る賑わいだったのは諸先輩方々のBLOGを参考にしてもらうこととして先週の土曜日のレポートを続ける前日にヤマを下ってきた鉱石列車が佇んでいる頭には唯一の茶罐が据え付くがRDP3巨匠が言うには庫に取り込まれそうだと風雲急を告げた未明の驟雨も上がり武川の構内は艶めかしく一日の始動を待つデキ100は松尾鉱山の生き証人2023年12月秩父鉄道武川駅NikonD5(モノクロームに変換・駅のロータリーより撮影)鉄道愛好家諸君へ撮影時のルールやマナーは最低限のエチケットです!松尾鉱山のかほり
師走も早半分終わる土曜の昼間未明からの驟雨も上がり穏やかな空気に包まれる波久礼駅ヤマから鉱石を満載した列車が下りてきた単線の秩父鉄道は交換駅にて上りや下りの列車を待避する鉱石列車は暫しの休息で若い機関士と暫しの談笑暖かな陽気の中快くスナップショットに応じてくれた待避列車通過後閉塞が開き鉱石列車が出発軽く指差し確認後1000tのヲキをゆっくりと駅端から引き出す眼差しは流石職人気質の眼差しで緩くカーブしたレール上をしっかりとデキの脚で踏ん張って新鋭機デキ500型の躯体が冬の優しい日差しを受け勇敢に輝く2023年12月秩父鉄道波久礼駅NikonD5+プラナー80㎜駅端から1000トンを引き出す
時効カットをアップする朝ドラで大人気の趣里ちゃん周知のとおり元キャンディーズの伊藤蘭さんと水谷豊さんの娘さん朝ドラ人気旋風でキャンディーズの人気再燃と思っているのは電関人だけか?電関人必撮の一枚何せOM-1を膝に置いて標準レンズでめくら打ちしたのだ1976?年福岡公演OM-1ズイコー50㎜f1.8コダカラーⅡ(PSにて修正済み)※非公式写真のため転載厳禁趣里ちゃん効果
最近は忙しさに押しつぶされそうになりながらアホ政府のおかげで5類とやらに格下げされたコロナ野郎に二度目に捕まり後遺症で痰切れと声のカスレに苦しみまた持病の脊柱管狭窄症もあって鎮痛剤漬けの生活であるこちらプロでございとヘタクソ写真でギャラが入る輩と違い趣味以外の何者でもないハイアマチュアこれまた趣味のアンティークフィルムカメラも相手にしながらの趣味三昧(あくまでも)ねん趣味が高じて買っちまった憧れのハッセル君は冬場はマシンオイルのせいもありデュアルシャッターがシンクロせず何度も泣きを見たしかしながらこの時はご機嫌麗しくこんな美しいカットを撮ってくれた2009年11月只見線C11325+旧客ハッセルブラッドCM500withpuraner80mm小休止
相変わらずのブログ遅延回復運転中だ早朝の千早から西鉄貝塚線に乗り名島で下車し橋へ並走している線路は旧香椎操車場から単線で1200トン級フレトラまで出入りする貨物専用線は単線で貨物列車ラッシュ時は上り下りの列車が目白押し西鉄貝塚線も学生さんや勤め人でMc+Tcユニットの車内は上下線ともに盛況だ2023年11月西鉄名島駅NikonDfNOWARNOVIOLENCE国連やアメリカ在住のユダヤ人に告ぐガザの亡くなった10000余の命をなんだと思っているのですか!?名島駅にて
親父の墓参後千早から西鉄貝塚線で移動だが少し駅構内で撮影もちろんワンマン電車の運転手にアイコンタクトして安全な場所からである沿線には香椎高校はじめたくさんの学校がある上りも下りも通勤通学客で賑わう香椎宮筥崎宮それにかつてこの電車が通っていた宮地嶽宮さらには宗像宮と神々が犇めきあうこの地にはたくさんの優秀な学生がこの電車を使って通学しているもうすぐ電関人と人生を共にしてきた600はその人生を終えようとしていて神々に見守られながら昇天しようとしているのだ72023年11月西鉄千早駅608FNikonDfISO6400ちはやふる相棒との邂逅
スクランブル帰省二日目父の眠る千早の浄土宗のお寺に父が好きだったキリンラガーとハイライトをお供えし西鉄貝塚線に乗り込むそして懐かしの地名島橋へダイヤがさっぱり頭にないが福岡ターミナルへ入る列車と出る列車は朝のこの時間はかなりの本数であることには変わりない待つこと小一時間やっと現れてくれたのはキンタ八つの動輪の蹄を轟かせながら冬将軍の睨みのもと名島橋を渡りゆくフレトラ2023年11月貨物線福岡ターミナル~香椎操?列番不明金太郎が渡る名島橋
ちょっと鉄ネタは小休止帰省時に中学校の同級生との宴席で盛り上がったネタから電関人の脳みそは鉄道が支配しておらずどちらかというと地勢学歴史学民俗学人文学地理学などなど撮影で訪れた場所の歴史に触れ合って史実とは何か日本の皇室とは何かルーツはどこからどう入って来たのかはたまた土着なのか?架空も含めてあれやこれやと仮説を立てるのが好きよって理想主義や権威主義が嫌いであるいままで数えきれないほどの書物を貪ってきたが京都大出身の梅原猛氏がお気に入り一方多くの我が国のセンセイ方を輩出している東京の某大学は大の嫌いな存在であるいろんな意見をお持ちなかたがたがいらっしゃると思うのだけどあくまで個人ブログの手前一切の反論は受けないのであしからずである。理想主義と実践主義
実家の家族を見舞う帰省の寸暇を惜しんで父の墓参の駄賃で名島橋界隈を訪れてみた幼少幼少時遠足目的地定番の香椎花園への道中多々良川河口に架かる名島橋には西鉄貝塚線JR九州鹿児島本線それに福岡ターミナルに伸びる貨物線が縦横に絡むまだ現像前なので写真庫から蔵出しの一枚大正生まれの連続アーチには冬空がよく似合う1979年2?月西鉄宮地嶽(現貝塚)線名島OM-1YOフィルタTX冬の名島橋界隈
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石巻港で黙々と入替を熟す2013年水無月石巻港DE101591
最近は無動でぶら下がって重連はあっても次位につく機関車のパンタが上がっている所謂重連はあまり見なくなった同形式だと次位の前パンタは下げて異形式だと全部のパンタが上がるというのも遠い昔の話2014年卯月割畑重連タキ
EF64と言えばやはり山用に開発された機関車で1000番代は上越国境番のイメージが強かったその機関車が平坦区間運用を淡々とこなすのは似合わないノイジーだが折角のフルサイズ機なので冒険カットをアップ暗闇迫る高崎線を下る貨物列車を流しで2014年弥生高崎線EF641000ナイトラン
新幹線延伸まで色濃く国鉄風情を残した北陸界隈終業式を間近にして試験でなのか暑さからか学生の足取りは重い青い国鉄型が入線する変わらぬ有間川の朝2014年文月有間川有間川駅北陸本線だった頃
昭和ど真ん中世代の汽車旅感覚だからそう思うのかもしれないが現在では目的地へ最速アクセスして現地ロングステイそれもオーバーツーリズムの要因ではないかそもそも新幹線で現地へ最速アクセスじゃ既に汽車旅風情も無くて目的地へ対する旅情の醸成もできまい一定時間を掛けて目的地へ到達し限りある時間を大切に過ごす行き帰りの車内で旅への高揚を味わい旅人は高い道徳で振る舞う本来の旅は夜越し目的地に向かうくらいの速度と時間がちょうどいい具合だったのではないかオーバーツーリズムは観光地をも消費しつくしてしまう2009年水無月神保原汽車旅とオーバーツーリズム
EF641000番代この形式とは新製からの長い付き合いとなった上越国境の補機運用に当たったEF16の置き換えに始まりその後のEF15、EF58の置き換えとどちらかと言えば最初は宿敵だったがその武骨な図体の重連仕業は山男真骨頂で好被写体となったこの春の改正にて中央西線の重連運用も解消となり形式消滅も秒読みが迫る2010年長月安茂里重連解消
国鉄時代のEF65のように大所帯となったEF210この形式には901号機が存在するから1号機と言ってもセカンドロットオールドファンとしては下枠交差式パンタグラフの同機はシングルアームよりフォトジェニックオリジナル色もそのうち変更になるだろうがもうずいぶんと会っていない1号機遠く岡山の所属だから追っかけるのも大変2007年文月武蔵野線EF2101号機
一人旅で大阪の叔母宅へ行く際に大阪環状線はオレンジバーミリオンの103系だった学生時代中央本線沿線に下宿し通学に利用したのもオレンジバーミリオンの103系就職して貨物をよく撮りに行った武蔵野線もオレンジバーミリオンの103系2005年水無月武蔵野線思い出深いオレンジバーミリオンの103系
残念ながら稼働している頃に行けなかったしかしながら休車で佇んでいるだけでその存在感は十二分だった手前の501は造船会社製2011年文月富士岡岳南のオールドロコ
もともと交流区間育ちで赤い機関車を見慣れている自分としてはこの塗装のパーイチが晴れた日本海には一番似合うと思う2012年水無月鯨波晴れた日本海とパーイチヨゴマル
踏む草の匂いが強く感じられて一日中田圃で蛙が鳴き始める頃季節はやがて梅雨に2012年水無月ひたちなか海浜鉄道梅雨へ
春霞か黄砂かくっきりしない残雪の山の遠景新芽吹く近景に遅咲きの桜泥色の田に幼い稲が並ぶ頸城大野の春景色2011年皐月頸城大野頸城大野田植えの候
旧長野電鉄屋代線の松代駅が取り壊されることに現役時代は最後まで有人駅として約1世紀に亘り時代を見てきた寂しい限りである2011年卯月松代駅1世紀の証人
梅雨のはしりだったか列車の屋根を打つ雨が白く飛沫になるほど勾配でのノッチやブレーキ操作は殊の外慎重を要するだろう2012年水無月蕨雨に打たれる貨物列車
紫陽花の花の色が濃くなる頃蒸し暑い雨の季節がやってくる鬱陶しい梅雨の到来2012年水無月大塚紫陽花の季節へ
とうとう終焉になった安中貨物その専用ホキが新製された直後の試運転だったか人気の機関車にエスコートされて2010年水無月武蔵野線ミニ安中貨物
もうすぐ紫陽花の季節飛鳥山の紫陽花を前景にして北王子専用線列車を狙った思い出2010年水無月王子紫陽花の思い出北王子専用線
草木が黄緑から緑色に深まる頃さらに成長を促すべく雨の季節がやってくる河原いっぱいに広がる緑の向こうを泳ぐようにロクロクの貨物が貨物色を最初から纏う100番代には雨がよく似合う2007年水無月武蔵野線雨の季節へ
現在ひたちなか海浜鉄道として運行されるかつての茨城交通最晩年塗装こそオリジナルの派手なものだが此処にはかつて羽幌や留萌といった北の炭鉱町からやって来た車両が在籍したそのうちの一両はさらに遠く九州のかつての炭鉱町を走る平成筑豊鉄道へ何の因果だろう2006年皐月茨城交通中根茨城交通残照
伯備線から山陰本線に出て日野川を渡って米子中海沿岸を抜け松江宍道湖沿岸を走って斐伊川を渡って終着出雲市へ滑り込むこの山陰本線区間はできれば天気に恵まれたいところだ2014年皐月山陰本線宍道駅山陰本線をラストスパート
富山は上市から直江津経由で妙高高原へ上がってきたが妙高から黒姫にかけて怪しい黒雲がかかり冷たい風も吹き出すそんな片貝の圃場に到着陽はまだ差しているが時折冷たい風に乗ってぽつりぽつりと雨粒がフロントガラスを叩き遠雷も鳴り出す始末直に来る列車を片付けて即撤収と決めて暫し何とか日差しの中で初夏の片貝を往く高原列車を撮影撮影後はとりあえず妙高高原の物産センターで十割蕎麦で昼飯2024年水無月越後ときめき鉄道妙高はねうまライン二本松NikonD5風雲急の片貝圃場
長野の師匠の影響もあって鉄路沿線の名山を愛でるのが大好きな電関人わが第二の故郷山陰本線の中では大山が一番美しいその姿がクリアに見えた時自身が抱かれそのパワーに全身が満たされる1981年弥生?山陰本線米子~伯耆大山NikonF2photomicSBコダカラーⅡ追想微笑む大山
早朝の富山湾越しの剣岳のリベンジ兼ねて富山地鉄上市に出てより近くに剣岳を置くことに昼近くまで陽が上がると剣岳山頂付近に雲が沸きはじめ気をもみながら3本ほど撮影田植え前の水が入った一枚の田圃に逆さ剣を入れた寄りのアングルで大根ばばぁこと自社発注の原色車。2024年水無月富山地鉄上市NikonD5二つの剣とだいこんばばぁ
旅の報告記事連載中だが駆け足で通り抜けた山陰西部への思いは何といってもその海の色であろうコバルトブルーとエメラルドグリーンの間を絶妙に取った山陰ブルー電関人にとってそれは永遠の撮影テーマのひとつ1981年霜月山陰本線田儀NikonphotomicSBWithEktacrome追想山陰ブルー
水無月の湿潤な時期には悪条件だが昨晩の夕立後一旦冷えた大気の中日の出前立山連峰の山並みはしっかり確認できているしかし日が昇るとみるみると大気の視認性が悪くなり富山湾越しの立山連峰はかすかに見えるか否か送り込みも含め数本の列車でチャレンジした2024年水無月氷見線雨晴~越中国分NikonD5※元データをアンダーで撮影してPSにて調整富山湾越しの剣岳
万葉線の専用軌道区間を撮りたくてここ中伏木の駅に陣取る港湾地区にあって港の施設工場倉庫などとモザイクのように住宅が点在しているようやく傾き始めた初夏の高い太陽を背負って低床車が駅にやって来たこの時間帯の乗客は下校する学生が中心である2024年水無月万葉線中伏木駅NikonD5中伏木暮色
こちらも初めて訪れる勝山永平寺線名前に惹かれて観音町を目指す禅寺永平寺の門前に広がる町並みは質素ながらちゃんと行儀がいい人口が減っていく中で街が荒れることなく丹精された町並みは気持ちがいい2024年水無月えちぜん鉄道勝山永平寺線観音町NikonD5行儀正しい門前町
長大な山陰本線を実質1日で駆け抜け初見参の京丹後鉄道へ同鉄道で一番有名な撮影地由良川の橋梁に山の尾根から雲が滝のように流れ下る気象現象を横目に風が強い河畔に構える定期列車を合間を縫ってつい先日まで高山本線で活躍していたキハ85が中間車なしの2両で送り込み回送で橋梁を渡ってきた2024年神無月京丹後鉄道由良川橋梁NikonD5ベリーショートなキハ85
2泊目に選んだ道の駅は餘部橋梁真下の道の駅あまるべ此処へのアクセスは一般道が土砂崩れにより不通で山陰近畿自動車道余部インター経由のアプローチのみちょうど現地入りしたのは空が赤くなり始めたころだった橋梁をやや引きにしてそしてもう一本撮ったのちにいよいよ三脚を据えて橋の下より天空を仰ぐ角度で北斗七星を真ん中に見てそこを流れ星のようなヨンマルの光跡が横切る2024年水無月山陰本線餘部~鎧NikonD5星降る餘部
朝三見から出て餘部の道の駅まで大移動する途中大山が見たくなって大山口駅界隈に向かう部分完成の虫食い山陰道無料区間を巧みに利用しながら松江手前の有料区間だけ今回のジャーニーで唯一使用宍道湖畔では期せずしてやって来た381やくもを見たまま見送り先へコマを進めた未だ目指す大山は綿帽子を被ったまま大山口駅では列車時刻を確認しつつ新型DC各停を見送り御来屋までの区間で大山の眺望をロケハンレンガ造り(山陰本線開通当時のものか)の農業用取水口を見つけた場所からの大山はエプロンの上にポッカリと頂を見せてくれたので山陰本線を真横から狙うことにした2両のショート編成のスパーおきは大山山麓のこの区間を目いっぱいの速度で大山を横目に走り去っていった2024年水無月山陰本線大山口~名和NikonnD5大山の女神が微笑む
初日の塒は三見狙いがうまくいったというか明るくなってロケハンしたら塒から直ぐの場所がなんとも絶妙一番列車がやってくる頃には既に夜の漁に出ていた船は港に戻った後だった2024年水無月山陰本線飯井~三見朝の三見港
昨日未明に自宅へ戻った日曜の夕刻に郷里福岡を出発山陰本線京丹後鉄道えちぜん鉄道万葉線氷見線越後ときめき鉄道しなの鉄道中央西線を巡る旅の始まりはここ萩駅を皮切りに2024年水無月山陰本線萩駅SONY1-Ⅴ1600キロの旅
本日より旅に出ますので、13日まで更新が滞ります。留守分として本日二本立てです。ついぞ巡り合えなかった雪の餘部電関人が足しげく通った70年終盤から80年初頭は日本は暖冬期にあって雪に浮かぶ幻の餘部鉄橋は幻のままに鉄橋直下に密集する民家がなんともフォトジェニックだ1978年師走山陰本線餘部急行美保NikonF2withEktacrome第二の故郷山陰本線へ里帰り3
光る石州瓦は電関人が思う山陰本線西地区のイメージだしかも地区によって黒いのと朱色のがある此処辺りは黒い甍の波夏の南天に近い時間帯湧き溢れる汗と戦いながら高台から光る甍を入れて下り181系おきを狙う1982年文月山陰本線仁万NikonEL2withKR第二の故郷山陰本線へ里帰り2
ほぼ決定事項だが山陰本線を撮りに行く予定今の同線を撮りたいのもあるが自身の中では初心に帰るリフレッシュの旅確か大学2年の夏意を決して夜行さんべ号の車中の人となり夜明け前の浜田に降り立つそこから時間つぶしに益田まで直行するような客レに乗車さらに上りに乗り換えて岡見駅へ時間つぶしのロケハンで港を経由し三保三隅寄りのポイントへ移動現在は海を埋め立てた発電所になっている場所明けたばかりの太陽が中国山地を温めてできた雲がでてしかもまだ高度が低い太陽は海岸を照らしてはいないそんな悪条件下でKRの絞りはレンズの開放に近いおまけに若干の前ピントとくりゃ・・・踏んだり蹴ったりの一枚である1982年文月?山陰本線岡見~三保三隅NikonEL2WithKR第二の故郷山陰本線へ里帰り1
学生時代に住んだ吉祥寺のボロ下宿脇は中央線の高架線だったお陰でロクヨンゼロのエアフィルタ音は子守歌のようなものロクヨンゼロを長野のお師匠さんと中央西線によく追った一コマを今宵アップ中央西線は塩尻を出て洗馬を過ぎた辺りからいよいよ木曽谷の隘路へと踏み込む木曽谷を縫ってきた下りのタンカートレインが上りのタンカートレインを待って洗馬駅に運転停車複線区間にあって塩尻のヤードの線形からなのか?奇しくも下りの牽引機は59号機を頭に次位60号機と兄弟重連今季小雪の木曽谷の山々は微かに残雪を背負い後ろには北アルプスの前山の鉢盛山であろうか2009年如月中央西線洗馬駅OLYMPUSE30元データJPEG木曽谷ロクヨンゼロ回想
ゴーマルサン時刻改正の約一年後福岡県地方に纏まった雪が降ったのでスクランブル発進で小倉駅までやって来たまだ覚えたての父親譲りのハーフ一眼レフ携えて到着早々珍しい列車に遭遇下り明星3号西鹿児島行だ本来は小倉通過で博多に5時前に到達するからこの時点でおそらく5時間ほど遅れていたようだしかも新大阪寄り先頭車に珍しくクハネ583MGが床下吊り下げで乗務員扉すぐに旅客扉が付く暫くして小倉駅に入線してくる博多発小倉廻り西鹿児島行ディーゼル特急にちりんこれまた珍しく先頭のキハ82には寒地型タイフォンカバーが向日町から鹿児島転属組か?1976年如月?鹿児島本線小倉駅OLYMPUSPENFサクラカラー原色1976IN小倉駅
豊後森に今も残るラウンドハウスかつてはキハ07が番人をしていたが今は福岡からやって来たこのキュウロクになっている2024年如月久大本線豊後森NikonD5豊後森の番人
夜明と共に現地到着残念にも浅間山は雲の中ヤマの専門家である長野の師匠の話では大気が冷えてガスになりそれに包まれているだけなので夜が明けて数時間したら必ず浅間は姿を現すとその言葉に縋りながら氷点下に冷える雪原に数時間明けた太陽が高度を増してくると舞台の緞帳が上がるが如く神々しい白銀の山容を見せてくれ其処に現れたのは奇しくも観光列車ろくもんだった2024年弥生しなの鉄道線御代田NikonD5雪晴れの浅間山麓をろくもんが往く
かつて香春岳で産出していた鉱物は銅鉱石が多かったそのため地名や駅名にも採銅所の名が残る鉱山全盛期を物語るように採銅所駅には駅の気品が強く感じ取れるエントランス上部に掲げられた駅名版は切り株をスライスした一枚板日田彦山線だけに日田杉であろうか?鉄のラッチもそのままに残されるエントランス外には両サイドにこれもまた無垢の木材を加工した温もりのあるベンチが据え付けられる駅本屋の上り方脇に残される積出用側線の有効長はかなり長く何両もの貨車が据え付けられるようになっていた駅本屋の窓枠にも注目したい木の当時から残る窓枠にも漂う大正浪漫そしてホームにはかつてはどの駅にもみられた工業デザイナー氏の手によるカーヴが美しい腰掛に僅かな昭和のモダニズム無人化された後もきれいに維持される採銅所駅に今も残る凛とした気品2024年弥生...採銅所駅の気品