記録的に早い梅雨明け長く暑い夏になりそうだトウモロコシが作られてた畑は休耕地になりやって来るのは三桁機に代わり・・・雨が降ればゲリラ雷雨普通に暑い日本の夏はもうないのだろうか?2010年葉月高崎線普通の夏
狂電関人撮影の新旧写真を徒然なるままにアップ。中心は鉄道のある風景と車両の話。
小学校4年ぐらいから始めた鉄道写真趣味で約40年。途中結婚子育てで数年休んだもののデジタル一眼レフ購入後所謂バリ鐡に復活し今日に至る。現役SL世代最終組だが写真は少しだけでその後、電機を丁寧に撮り続けてきたためハンドルネームは、ENTHUSIAST OF ELECTRICLOCOの意で「狂電関人」に。
未だに年間いくつか設定される団臨の定番しかしその数は減っていることだろう元国鉄車両による当該列車運行にはなんともいえぬノスタルジーを感じる昭和ど真ん中世代の電関人益してヘッドサインが掲出されると嬉しさも一入だ団体列車で日光辺りへの修学旅行今の子どものココロにはどう映つるのだろう2014年文月東北本線東大宮~蓮田NikonDf修学旅行臨
カシオペア専用罐として用意されたEF510の509号機と510号機周知の通りその本来の任務は短命に終わるその両機がメーカーから引き渡されて間もない頃ハンドル訓練と試運転を兼ねた重単を曇った夏空の下で捉えた国鉄時代だったら国会の予算委員会で大問題になったかな2010年文月EF510509+505東北本線蕨試重単
夏の群馬は暑い暑いから煙は望めないそれでも群馬のディスティネーションCPでD51498が兄弟機499の変形デフを背負うので蓮田の先輩と出かけた渋川の停車時間を有効活用して駅前後で2度狙い利根川の大きなせせらぎを跨いでいよいよ山道へ挑む列車が心地よさそうに煙を棚引かせる2010年文月上越線大正橋D51498と旧型客車OLYMPUSE30川のせせらぎに棚引く煙
倶利伽羅峠と言えば昔木曾義仲が平氏と戦いその後の平家滅亡に至る大ダメージを平家に与えた合戦の古戦場撮影したこの年も梅雨の後半の大雨の影響で日本海縦貫線ダイヤが大幅に乱れた日線路脇の接近灯の点滅だけを頼りにカメラを構えた腰に白いラインを一本巻いた115号機が重たいコンテナを蛇のようにくねらせて夏の緑に覆われた峠道を越えていく2009年文月北陸本線倶利伽羅峠OLYMPUSE30倶利伽羅峠越え
島根県波根石見の国のほぼ東端に位置し古くは一帯を支配した尼子氏の頃から栄えその後街道筋の宿場町そして何よりこの町の特色は漁港としての町ではなく石見銀山の銀を積み出した積み出し港として栄え街道筋には様々な店が立ち並ぶほど道理で街を形成する家々の構えが大きく装飾も近代的で美しいものが多いそこにこの地域特有の石州瓦が町並みをさらに整える日本には希少な寧ろ欧州のような街並みが朝陽の中に輝く画像はスキャンコンディションがいまいちでそこは愛嬌で1982年葉月山陰本線波根NikonEL2KR石州瓦の朝
全てが気候温暖化のせいなのだろう直近なことでは秋田山形の大雨で災害に遭われたすべての方々にお見舞いを申し上げる同時にこの猛暑少しばかりの涼が得られるかどうかであるが上越国境近くを往く特急ときの冬景をアップする同じ温暖化の影響は冬にもある雪が少ないこと美しい四季の国ニッポンを国民全員が真剣に考える時期では?1981年3月上越線土樽NikonF2photomicSBwithTX諸々お見舞い申し上げます
50年3月山陽新幹線博多延伸を遂げ翌年には長崎佐世保線電化九州島内の鉄道事情が大きく変わった年相変わらず日豊本線方面連絡は博多が起点で夏の昼下がりの博多駅を発車する宮崎行にちりんの発車風景車掌の白夏服は憧れだった発車ベルを押してドア扱い寸前知り合いの見送りは大分辺りから出てきた祖母だろうかエル特急たりとてまだまだ特急の貫禄が其処彼処に感じられた時代1976年文月鹿児島本線博多駅OLYMPUSOM-1withTXお見送り”76夏
ヒートアイランド化が止まらない米どころ魚沼産コシヒカリの品質ランクが下がったのも記憶に新しいごはんの国日本だからこそいつまでもおいしいごはんを食べていたいし目にも優しい整った美しい田園風景のためにももっともっと真剣にこの国の米作りそのものを大切に考えてほしい田圃を見るたびに思いは募る2009年文月只見線OLYMPUSE30米どころ魚沼
本日はやや涼しげなカットをあげることに6月訪問時に地元住人から聞いた話だがもともと餘部集落の住民に漁業従事者はいないのだとか写真のようにかつては波打ち際の護岸にいた数隻の小さな船は今は全く居なくなってしまっている辺りはぐるりと急峻な山に囲まれていて駅は高台にあって一本ホームで積み出しなどできる設備もない現在では一般道は途中大雨によって長らく通行止めとなって山陰道の餘部出入口が唯一外部から同地区へのアプローチ手段昭和の頃は国鉄の列車による小荷物扱いはあっただろうが正月の松葉ガニは香住から軽トラの業者が各家庭を回っていたのが記憶に残る本当に漁業従事者がいない地区だったとすればあの波打ち際の小舟は生計を立てる生業というより地区住人自らが食すほどを取りに行くためだったのか昔此処で定宿にしていたあまるべY.H.は夏...餘部集落の生業
真夏の都電沿線でつい酒屋のラガービールのポスターにゴクリとのどが鳴るコンビニやらネット通販の影響のもと酒屋という商売は急速に減っているしかし東京下町の人と人の距離が近い付き合いの中で家の勝手口にまいどーって声がかかる人情風情は都電が行きかう街にだからこそ息づく2014年文月都電荒川線新庚申塚NikonDf酒屋ととでん
ちょっと湿潤な朝蓮花舐めで彼の列車をとらえるそう一晩かけて出発地から目的地を繋ぎ食事もできる夢見心地な天国のような列車2015年葉月東北本線蓮田NikonD5涅槃列車
一段ときつくなる雨脚と雷鳴の中で余裕のあるポジション探しもできずちょっと窮屈なアングルで濛々と黒煙を上げて夏場のドレインも最高D51498が力強く雨を切り裂いて急勾配に挑む2013年葉月信越線松井田OLYMPUSE5驟雨を切り裂くD51碓氷
8月の或る日東海道本線沿線に立っていたこの列車が通過時少し日差しが弱まってしまったが東海道本線を颯爽と走り抜けるロクロクはどの線区よりも一番似合っていると思う大海原をバックに全部じゃないけど満載じゃないけど青いコンテナがブルーの機関車に牽かれる姿がとても印象的だった2013年葉月東海道本線OLYMPUSE30ブルーオーシャンにブルーライナー
8月15日に精霊送りの納涼花火が木崎湖に上がる長野のお師匠さんに連れられて大糸線と木崎湖を見下ろす山の上に精霊の気分で打ち上げられる花火を下界のの夜景と共に高みの見物と洒落て見下ろす打ち上る花火の開花タイミングと大糸線の密度の低い列車をどう組み合わせられるかが肝だが花火のすぐ右隣の信濃木崎に停車する列車との一枚は苦労した甲斐がある目を凝らして列車を見つけて!2015年葉月大糸線信濃木崎NikonDf山の上から納涼花火を愛でる
元々EF81は日本海から吹く季節風による塩害対策として屋根上機器をドームで覆って日本海縦貫線のロングランに耐える機関車として生み出されたその厳しい運用のせいかいつも錆びを被ったように汚れているのがこの機関車の勲章のようなもの関門トンネル組としてデビューした400番代機も晩年はこのローズピンク街道で黙々と汗をかいて仕業にあたった2009年文月信越本線塚山OLYMPUSE30ローズピンク街道
朝の駅に三々五々集まる学生もうすぐ長い夏休みが始まろうとしている一部の部活動の学生以外は電車に乗りに来なくなり駅は閑散とする各々の学生たちは談笑したり受験直前なのか不安げな顔をしたり様々で始まる長い休みにも期待や不安がない交ぜな朝の駅の表情2014年文月北陸本線有間川駅NikonDf夏休み間近
夏のトワイライトエクスプレスではこの界隈で落日時間を迎えるダイニングカーではまさにゴールデンタイム今や大枚を叩かないと手に入らなくなった贅沢なひとときこの日の乗客にとって何ものにも代えがたい至福のトワイライトエクスプレス日和だ2014年文月信越本線米山NikonDfトワイライトエクスプレス日和
梅雨が明けやらない日にいすみ鉄道を撮りに今は無き一宮の出城から南下してみるいつもの踏切を超え並走区間に築堤を見つけ前後が趣が違うポイントを発見房総の雑木林が空まで覆い隠す盛況振り2018年文月いすみ鉄道国吉NikonD5緑のトンネル
夏の或る日に東海道新幹線こだまに乗って小さな鉄道を訪れた紙産業のメッカともいえるこの地域で物資輸送を担う小さな力持ち岳南鉄道電関人の面目躍如で機関車が走る同鉄道は訪れてみたかったもう少しばかり訪れるのが早ければ古典電機の現役に間に合ったのだけどその雄姿だけでも拝みに車庫がある富士岡へじりじり照りつける夏の太陽は容赦なくひまわりもうなだれる暑さだった2011年文月岳南鉄道岳南富士岡OLYMPUSE30紙の町の小さな鉄道
この年亡き妻は電関人に木曾旅行をバースデープレゼントしてくれた妻籠馬籠奈良井の宿場巡りにオプションで赤沢休養林散策が付くその二日目の赤沢で森林鉄道に乗車サカイワークスそっくりの北陸重機のDLに牽かれて森林浴枝線にはかつての木曾林鉄の保存車両がリアルさを演出奈良井宿散策が最後の目的地西に傾く夏の日は暑くは感じなかったそこに保存されるC12199号機は木曽福島で活躍した罐でなんと日車蕨工場製だった2010年文月赤沢休養林奈良井宿OLYMPUSE300木曾谷にて2010
日本だけでなく世界的に気候がおかしいこのまま拍車がかかれば日本の気候は四季が無くなって冬夏夏冬みたいな二季になるかもかつては大気汚染の一役を買っていたディーゼルカーも技術革新でハイブリッドやバッテリーカーに代わっちゃいるけどヒートアイランドが止まらない小手先の経済がどうのこうの以前に子どもたちの将来のためにも一部の権力者の意地のような馬鹿気た争いをやめて武器の開発製造じゃなくこの地球を維持する技術革新に心血注いで世界一丸となってテラを守ることをしなければ・・・入道雲。かつては夏の風物詩でお盆を過ぎた頃からこの雲がもたらすシャワーは夏の大地を適度に冷やしてくれたが今やゲリラと化して洪水をもたらしたり線状降水帯をつくって災害を引き起こす悪者となってしまい・・・四季こそ日本の至宝なのだから我々は根本から考え直す...キハと入道雲
盆が近づくと故人をはじめ無くなりしものへの回顧の念が強く短命に終わったEF510500代の特急仕業形式自体は元々日本海縦貫線のロングラン用に開発された貨物機それを使用する人間の考えに翻弄された特急専用機貨物機としての余生が良かったのかはたまた未練があるのかゴトー500代に蓮花を手向ける2015年文月EF510513カシオペアNikonDfゴトーカシと蓮花
未だ都電荒川線で吊り掛け音の7000が闊歩していたころ沿線には其処彼処に点在していた昭和の東京下町風情7000が改造された頃からさくらトラムに名称変更された頃から沿線の整備によってどんどん昭和の景色が減っている変えられるもの変わらずを得ないもの様々だが変わりゆく中で人の優しさというか思いやりというか令和風情という中にヒトの優しい感情は残って欲しいもの2014年文月東京都交通局都電荒川線庚申塚NikonDf東京下町風情
何かへんてこな奴だと撮ってるときは思ったものだがこいつで収集したデータをもとに鉄道用の様々な技術革新が進みヨーロッパの鉄道先進大国にも認められるようになった日本の鉄道先端技術2014年文月東北本線蓮田~東大宮NikonDf日本鉄道先端技術の粋クモヤE995-1
一頃足繫く通った北陸その魅力的な貨物のひとつ立山連峰から沸き立つ入道雲を背に2009年文月高山本線婦中鵜坂OLYMPUSE30夏空の速星貨物
日本海の上に微かに残照刻々と夕闇に包まれゆく餘部に下り列車が滑り込んできた2024年水無月山陰本線餘部NikonD5餘部暮色
真夏日連続でブログネタ探すのもひと苦労水分補給と適度の休息とって今日もネタ上げ日本の気候がだんだんおかしくなっている此処ヒガハスの実りの風景もいつまで続くのだろうまだまだ暑かった八月末の暮時に夏の高い陽のもと颯爽とカシ下るそして地平線に隠れる前の陽がサロを輝かせ高速貨物が夕闇に消えようとする空に半月が照る2012年葉月東北本線東大宮~蓮田OLYMPUSE5HIGAHASU真夏の爽・輝・照
マイ三都物語最終日は京都朝お気に入りの妙心寺塔頭で庭園が有名な退蔵院へ枯山水で心の洗濯をし梅小路の蒸機に会いに行く特別展示はC581号機のお召装備かつて都におわした天皇へ思いを馳せお気に入りの急客機三銃士に挨拶をしてだんだん帰りの新幹線の時間が気になりだしたので少しづつ駅に近づきながらも真夏の京風情に触れたく燃える百日紅鮮やかな永観堂を覗く京の栄華を宮さまと宗教に求めつつかつての栄光を静かに佇む蒸機に感じた上品な京都歩きとなった2009年葉月妙心寺退蔵院梅小路永観堂OLYMPUSE30マイ三都物語京都編
かつてJR西日本が張ったキャンペーンのコピーだが自分にとっての三都を旅したことがあった先日挙げた奈良に京都(近日アップ予定)と電関人の場合は安土が加わる戦国武将が大好きな電関人が亡き愛妻と出かけた09年の旅今日はその2日目の安土の巻京都駅八条口の新都ホテルに投宿電車で安土に向かいそこから駅前でレンタサイクルをピックアップ安土城址に登り信長見たであろう西の湖方面を望むそして信長の館で天守の複製に圧倒され次は石山でおけいはんに乗り換えて石山寺や三井寺へこの日は湖南エリアを堪能した2009年葉月安土城址信長の館石山寺駅三尾神社琵琶湖第一疎水マイ三都物語
今から14年前の夏北関東を駆け抜けた国鉄特急型たちそこそこ国鉄色のままいくつかの編成が残っており朝から夕方までアラカルトで先ずは早朝の夜行急行能登で485系の頭はクロその次は夏休みの海水浴臨時快速でマリンブルーくじらなみ特急エンブレムが無いのは残念だけどヘッドサインが嬉しいそして今は無き温泉特急水上オリジナルカラーではないがこれも懐かしい塗分けそして夕方は祭り臨で桐生八木節で〆こっちもヘッドサインありなんとも国鉄時代に回帰したような夢の一日2010年葉月高崎線本庄~岡本上越線上牧OLYMPUSE3夏の国鉄特急型まつり
亡き愛妻との旅の思い出新盆が近いせいか遠のきつつあった彼女との思い出が最近走馬灯のように頭を駆け抜けるお互いに旅好きだったし中でも古都散策は何度も出かけている古い町並みが好きな電関人に付き合ってあちこち歩き回るのに甘い食べものの褒美さえあれば黙って付き合ってくれた或る意味古色豊かな大和なでしこだった古い街に佇む彼女は端正とれた奈良の街にしっくりなじんでいたちょっとおのろけ2009年葉月奈良にてOLYMPUSE300奈良の端正
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自身の青春時代急行車両と言えばキハ58系とこの交直流急行車両の475系(455系)初めてビッフェなるものを利用したのもこの形式だった2014年文月有間川国鉄原風景2
新幹線が金沢まで延伸するまで今からたった11年前北陸本線に有った国鉄風景485系北越が通過する有間川駅戦後にできた駅だからか趣のある駅舎は三セクの今も変わらず2014年文月有間川駅国鉄原風景
今でこそ運用は全国区の桃太郎300番代最初に投入されたのは西の箱根たる瀬野八の後補機その任務にあたる初々しい頃の303号機2014年皐月瀬野八EF210303
試作機から数次にわたって微妙に変更されてきた仕様とやかくは言わぬまでもこの辺が好みかな2012年文月蓮田EH500の変遷
つい先ごろまで活躍していた国鉄型特急車両新製当初は低い位置の運転台ゆえどうにも特急らしさを感じなかったリバイバルカラーだが185系と言えばこの塗りの踊り子2014年皐月東海道本線さらば185
石巻港で黙々と入替を熟す2013年水無月石巻港DE101591
最近は無動でぶら下がって重連はあっても次位につく機関車のパンタが上がっている所謂重連はあまり見なくなった同形式だと次位の前パンタは下げて異形式だと全部のパンタが上がるというのも遠い昔の話2014年卯月割畑重連タキ
EF64と言えばやはり山用に開発された機関車で1000番代は上越国境番のイメージが強かったその機関車が平坦区間運用を淡々とこなすのは似合わないノイジーだが折角のフルサイズ機なので冒険カットをアップ暗闇迫る高崎線を下る貨物列車を流しで2014年弥生高崎線EF641000ナイトラン
新幹線延伸まで色濃く国鉄風情を残した北陸界隈終業式を間近にして試験でなのか暑さからか学生の足取りは重い青い国鉄型が入線する変わらぬ有間川の朝2014年文月有間川有間川駅北陸本線だった頃
昭和ど真ん中世代の汽車旅感覚だからそう思うのかもしれないが現在では目的地へ最速アクセスして現地ロングステイそれもオーバーツーリズムの要因ではないかそもそも新幹線で現地へ最速アクセスじゃ既に汽車旅風情も無くて目的地へ対する旅情の醸成もできまい一定時間を掛けて目的地へ到達し限りある時間を大切に過ごす行き帰りの車内で旅への高揚を味わい旅人は高い道徳で振る舞う本来の旅は夜越し目的地に向かうくらいの速度と時間がちょうどいい具合だったのではないかオーバーツーリズムは観光地をも消費しつくしてしまう2009年水無月神保原汽車旅とオーバーツーリズム
EF641000番代この形式とは新製からの長い付き合いとなった上越国境の補機運用に当たったEF16の置き換えに始まりその後のEF15、EF58の置き換えとどちらかと言えば最初は宿敵だったがその武骨な図体の重連仕業は山男真骨頂で好被写体となったこの春の改正にて中央西線の重連運用も解消となり形式消滅も秒読みが迫る2010年長月安茂里重連解消
国鉄時代のEF65のように大所帯となったEF210この形式には901号機が存在するから1号機と言ってもセカンドロットオールドファンとしては下枠交差式パンタグラフの同機はシングルアームよりフォトジェニックオリジナル色もそのうち変更になるだろうがもうずいぶんと会っていない1号機遠く岡山の所属だから追っかけるのも大変2007年文月武蔵野線EF2101号機
一人旅で大阪の叔母宅へ行く際に大阪環状線はオレンジバーミリオンの103系だった学生時代中央本線沿線に下宿し通学に利用したのもオレンジバーミリオンの103系就職して貨物をよく撮りに行った武蔵野線もオレンジバーミリオンの103系2005年水無月武蔵野線思い出深いオレンジバーミリオンの103系
残念ながら稼働している頃に行けなかったしかしながら休車で佇んでいるだけでその存在感は十二分だった手前の501は造船会社製2011年文月富士岡岳南のオールドロコ
もともと交流区間育ちで赤い機関車を見慣れている自分としてはこの塗装のパーイチが晴れた日本海には一番似合うと思う2012年水無月鯨波晴れた日本海とパーイチヨゴマル
踏む草の匂いが強く感じられて一日中田圃で蛙が鳴き始める頃季節はやがて梅雨に2012年水無月ひたちなか海浜鉄道梅雨へ
春霞か黄砂かくっきりしない残雪の山の遠景新芽吹く近景に遅咲きの桜泥色の田に幼い稲が並ぶ頸城大野の春景色2011年皐月頸城大野頸城大野田植えの候
旧長野電鉄屋代線の松代駅が取り壊されることに現役時代は最後まで有人駅として約1世紀に亘り時代を見てきた寂しい限りである2011年卯月松代駅1世紀の証人
梅雨のはしりだったか列車の屋根を打つ雨が白く飛沫になるほど勾配でのノッチやブレーキ操作は殊の外慎重を要するだろう2012年水無月蕨雨に打たれる貨物列車
日本海の上に微かに残照刻々と夕闇に包まれゆく餘部に下り列車が滑り込んできた2024年水無月山陰本線餘部NikonD5餘部暮色
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マイ三都物語最終日は京都朝お気に入りの妙心寺塔頭で庭園が有名な退蔵院へ枯山水で心の洗濯をし梅小路の蒸機に会いに行く特別展示はC581号機のお召装備かつて都におわした天皇へ思いを馳せお気に入りの急客機三銃士に挨拶をしてだんだん帰りの新幹線の時間が気になりだしたので少しづつ駅に近づきながらも真夏の京風情に触れたく燃える百日紅鮮やかな永観堂を覗く京の栄華を宮さまと宗教に求めつつかつての栄光を静かに佇む蒸機に感じた上品な京都歩きとなった2009年葉月妙心寺退蔵院梅小路永観堂OLYMPUSE30マイ三都物語京都編
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今から14年前の夏北関東を駆け抜けた国鉄特急型たちそこそこ国鉄色のままいくつかの編成が残っており朝から夕方までアラカルトで先ずは早朝の夜行急行能登で485系の頭はクロその次は夏休みの海水浴臨時快速でマリンブルーくじらなみ特急エンブレムが無いのは残念だけどヘッドサインが嬉しいそして今は無き温泉特急水上オリジナルカラーではないがこれも懐かしい塗分けそして夕方は祭り臨で桐生八木節で〆こっちもヘッドサインありなんとも国鉄時代に回帰したような夢の一日2010年葉月高崎線本庄~岡本上越線上牧OLYMPUSE3夏の国鉄特急型まつり
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まだデジイチを使い始めて慣れない頃の失敗電関人のデジイチデビューは遅い方だったしかもRAW現像が面倒でJPEG撮りそんな頃にやらかした痛恨の撮影時間ギリギリにポイントについて機材を出すと踏切が鳴動して当該列車が接近一発必撮だったが何かがおかしいそうSSモードが何故か絞り優先になっていたのだDD16の牽く工臨は最初で最後残った写真はこのブレたカットのみ今後の戒めの記録となる2008年神無月信越線豊野OLYMPUSE300痛恨のDD16短尺レール工臨
大正時代に入るや否や完成している二代目日光駅は厳密に言うと明治建築となるのかもしれないが峻工時代を優先することにする世界遺産の玄関駅として日光線終着駅である当駅は東照宮の影でひっそりと存在するが立ち寄り観光地として十二分の価値があるこの国が近代建築様式を取り入れてまだよちよち歩きの時代の生き証人としての当駅を少し覗いてみる時代が時代なだけに天皇陛下お立ち寄り駅つまり御料列車着発駅であった当駅に備わる建築技術は時代における粋を集めているといえるだろうそして当駅最大の特徴である貴賓室所謂陛下がご休憩なされた場所人物がいないと物寂しいがまさか宮様に登場いただけるわけもなく役不足ではあるやもしれないが旅の途中一緒に訪れた亡き愛妻をモデルにして2008年葉月日光線日光駅OLYMPUSE300大正建築の粋日光駅
武蔵野線秋ヶ瀬橋に防風壁が敷設される前そこは電関人にとって恰好の撮影地で修行場でもあった梅雨晴れの朝草いきれたつ秋ヶ瀬に現れたのは国鉄コンビのロクゴーP型とコキ50000花形から地味な貨物仕業へ牽くもの変われどシンプルイズベストの無駄の無い均整のとれたサイドビューは特急機の気品を保ったままだ2007年文月武蔵野線西浦和~北朝霞EF65506OLYMPUSE300思い出草いきれの秋ヶ瀬に立つロクゴーP
えち鉄妙高はねうまラインから激しい雷雨に打たれながら長野市内入り長野の師匠との晩餐前にお手軽撮影地にて国鉄型を二つも頂けることに先ずはしなの鉄道北しなの線から国鉄湘南色に戻された115系そして真打は一日一往復になった北長野貨物の返しで宵闇迫る頃始発北長野からのそのそと出ていくこの後近くのファミレスで暫し師匠と歓談ののち下道夜行で18号から254号線経由で無事帰埼した駆け足による1600キロ撮影記に一旦筆を置く2024年水無月北長野~長野NikonD51600キロ旅記の終わりに~国鉄型二題
まだ富山県内にいる頃長野の師匠から妙高はねうまラインにスカ色を纏った編成が14時台の運用に入るとの情報があり昼食後相変わらず雷雲がまとわりつく北信五岳を気にしつつ関山界隈でロケハンして待つことにしたちょっと下草が気になるけど水田を前景に置けるポイントで待つこと暫し妙高の頭上雷雲が取れた頃それは現れたまさに切妻の車体にスカ色は下駄電と言われた旧型国電チックな出で立ちだ2024年水無月越後ときめき鉄道妙高はねうまライン関山NikonD5ヤマスカの下駄電?現る
現役大学受験に失敗した春傷心旅行として山陰ショートトリップへこれから始まる浪人生活は果たして1年間だけで済むか?漕ぎだす新たな人生の厳しさが身に染みるそんな荒々しさと半面一緒に傷心を分かち合ってくれるような涙雨に煙る餘部旧橋梁を足早に下っていくはまかぜ1980年3月山陰本線鎧~餘部NikonF2photomicSBwithKR追想涙雨の餘部
富山は上市から直江津経由で妙高高原へ上がってきたが妙高から黒姫にかけて怪しい黒雲がかかり冷たい風も吹き出すそんな片貝の圃場に到着陽はまだ差しているが時折冷たい風に乗ってぽつりぽつりと雨粒がフロントガラスを叩き遠雷も鳴り出す始末直に来る列車を片付けて即撤収と決めて暫し何とか日差しの中で初夏の片貝を往く高原列車を撮影撮影後はとりあえず妙高高原の物産センターで十割蕎麦で昼飯2024年水無月越後ときめき鉄道妙高はねうまライン二本松NikonD5風雲急の片貝圃場
長野の師匠の影響もあって鉄路沿線の名山を愛でるのが大好きな電関人わが第二の故郷山陰本線の中では大山が一番美しいその姿がクリアに見えた時自身が抱かれそのパワーに全身が満たされる1981年弥生?山陰本線米子~伯耆大山NikonF2photomicSBコダカラーⅡ追想微笑む大山
早朝の富山湾越しの剣岳のリベンジ兼ねて富山地鉄上市に出てより近くに剣岳を置くことに昼近くまで陽が上がると剣岳山頂付近に雲が沸きはじめ気をもみながら3本ほど撮影田植え前の水が入った一枚の田圃に逆さ剣を入れた寄りのアングルで大根ばばぁこと自社発注の原色車。2024年水無月富山地鉄上市NikonD5二つの剣とだいこんばばぁ
旅の報告記事連載中だが駆け足で通り抜けた山陰西部への思いは何といってもその海の色であろうコバルトブルーとエメラルドグリーンの間を絶妙に取った山陰ブルー電関人にとってそれは永遠の撮影テーマのひとつ1981年霜月山陰本線田儀NikonphotomicSBWithEktacrome追想山陰ブルー
水無月の湿潤な時期には悪条件だが昨晩の夕立後一旦冷えた大気の中日の出前立山連峰の山並みはしっかり確認できているしかし日が昇るとみるみると大気の視認性が悪くなり富山湾越しの立山連峰はかすかに見えるか否か送り込みも含め数本の列車でチャレンジした2024年水無月氷見線雨晴~越中国分NikonD5※元データをアンダーで撮影してPSにて調整富山湾越しの剣岳
万葉線の専用軌道区間を撮りたくてここ中伏木の駅に陣取る港湾地区にあって港の施設工場倉庫などとモザイクのように住宅が点在しているようやく傾き始めた初夏の高い太陽を背負って低床車が駅にやって来たこの時間帯の乗客は下校する学生が中心である2024年水無月万葉線中伏木駅NikonD5中伏木暮色
こちらも初めて訪れる勝山永平寺線名前に惹かれて観音町を目指す禅寺永平寺の門前に広がる町並みは質素ながらちゃんと行儀がいい人口が減っていく中で街が荒れることなく丹精された町並みは気持ちがいい2024年水無月えちぜん鉄道勝山永平寺線観音町NikonD5行儀正しい門前町
長大な山陰本線を実質1日で駆け抜け初見参の京丹後鉄道へ同鉄道で一番有名な撮影地由良川の橋梁に山の尾根から雲が滝のように流れ下る気象現象を横目に風が強い河畔に構える定期列車を合間を縫ってつい先日まで高山本線で活躍していたキハ85が中間車なしの2両で送り込み回送で橋梁を渡ってきた2024年神無月京丹後鉄道由良川橋梁NikonD5ベリーショートなキハ85