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狂電関人の写真庫 https://blog.goo.ne.jp/ef5831shimonoseki

狂電関人撮影の新旧写真を徒然なるままにアップ。中心は鉄道のある風景と車両の話。

小学校4年ぐらいから始めた鉄道写真趣味で約40年。途中結婚子育てで数年休んだもののデジタル一眼レフ購入後所謂バリ鐡に復活し今日に至る。現役SL世代最終組だが写真は少しだけでその後、電機を丁寧に撮り続けてきたためハンドルネームは、ENTHUSIAST OF ELECTRICLOCOの意で「狂電関人」に。

狂電関人
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住所
蕨市
出身
春日市
ブログ村参加

2011/05/08

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  • 痛恨のDD16短尺レール工臨

    まだデジイチを使い始めて慣れない頃の失敗電関人のデジイチデビューは遅い方だったしかもRAW現像が面倒でJPEG撮りそんな頃にやらかした痛恨の撮影時間ギリギリにポイントについて機材を出すと踏切が鳴動して当該列車が接近一発必撮だったが何かがおかしいそうSSモードが何故か絞り優先になっていたのだDD16の牽く工臨は最初で最後残った写真はこのブレたカットのみ今後の戒めの記録となる2008年神無月信越線豊野OLYMPUSE300痛恨のDD16短尺レール工臨

  • 大正建築の粋 日光駅

    大正時代に入るや否や完成している二代目日光駅は厳密に言うと明治建築となるのかもしれないが峻工時代を優先することにする世界遺産の玄関駅として日光線終着駅である当駅は東照宮の影でひっそりと存在するが立ち寄り観光地として十二分の価値があるこの国が近代建築様式を取り入れてまだよちよち歩きの時代の生き証人としての当駅を少し覗いてみる時代が時代なだけに天皇陛下お立ち寄り駅つまり御料列車着発駅であった当駅に備わる建築技術は時代における粋を集めているといえるだろうそして当駅最大の特徴である貴賓室所謂陛下がご休憩なされた場所人物がいないと物寂しいがまさか宮様に登場いただけるわけもなく役不足ではあるやもしれないが旅の途中一緒に訪れた亡き愛妻をモデルにして2008年葉月日光線日光駅OLYMPUSE300大正建築の粋日光駅

  • 思い出 草いきれの秋ヶ瀬に立つロクゴーP

    武蔵野線秋ヶ瀬橋に防風壁が敷設される前そこは電関人にとって恰好の撮影地で修行場でもあった梅雨晴れの朝草いきれたつ秋ヶ瀬に現れたのは国鉄コンビのロクゴーP型とコキ50000花形から地味な貨物仕業へ牽くもの変われどシンプルイズベストの無駄の無い均整のとれたサイドビューは特急機の気品を保ったままだ2007年文月武蔵野線西浦和~北朝霞EF65506OLYMPUSE300思い出草いきれの秋ヶ瀬に立つロクゴーP

  • 1600キロ旅記の終わりに~国鉄型二題

    えち鉄妙高はねうまラインから激しい雷雨に打たれながら長野市内入り長野の師匠との晩餐前にお手軽撮影地にて国鉄型を二つも頂けることに先ずはしなの鉄道北しなの線から国鉄湘南色に戻された115系そして真打は一日一往復になった北長野貨物の返しで宵闇迫る頃始発北長野からのそのそと出ていくこの後近くのファミレスで暫し師匠と歓談ののち下道夜行で18号から254号線経由で無事帰埼した駆け足による1600キロ撮影記に一旦筆を置く2024年水無月北長野~長野NikonD51600キロ旅記の終わりに~国鉄型二題

  • ヤマスカの下駄電?現る

    まだ富山県内にいる頃長野の師匠から妙高はねうまラインにスカ色を纏った編成が14時台の運用に入るとの情報があり昼食後相変わらず雷雲がまとわりつく北信五岳を気にしつつ関山界隈でロケハンして待つことにしたちょっと下草が気になるけど水田を前景に置けるポイントで待つこと暫し妙高の頭上雷雲が取れた頃それは現れたまさに切妻の車体にスカ色は下駄電と言われた旧型国電チックな出で立ちだ2024年水無月越後ときめき鉄道妙高はねうまライン関山NikonD5ヤマスカの下駄電?現る

  • 追想 涙雨の餘部

    現役大学受験に失敗した春傷心旅行として山陰ショートトリップへこれから始まる浪人生活は果たして1年間だけで済むか?漕ぎだす新たな人生の厳しさが身に染みるそんな荒々しさと半面一緒に傷心を分かち合ってくれるような涙雨に煙る餘部旧橋梁を足早に下っていくはまかぜ1980年3月山陰本線鎧~餘部NikonF2photomicSBwithKR追想涙雨の餘部

  • 風雲急の片貝圃場

    富山は上市から直江津経由で妙高高原へ上がってきたが妙高から黒姫にかけて怪しい黒雲がかかり冷たい風も吹き出すそんな片貝の圃場に到着陽はまだ差しているが時折冷たい風に乗ってぽつりぽつりと雨粒がフロントガラスを叩き遠雷も鳴り出す始末直に来る列車を片付けて即撤収と決めて暫し何とか日差しの中で初夏の片貝を往く高原列車を撮影撮影後はとりあえず妙高高原の物産センターで十割蕎麦で昼飯2024年水無月越後ときめき鉄道妙高はねうまライン二本松NikonD5風雲急の片貝圃場

  • 追想 微笑む大山

    長野の師匠の影響もあって鉄路沿線の名山を愛でるのが大好きな電関人わが第二の故郷山陰本線の中では大山が一番美しいその姿がクリアに見えた時自身が抱かれそのパワーに全身が満たされる1981年弥生?山陰本線米子~伯耆大山NikonF2photomicSBコダカラーⅡ追想微笑む大山

  • 二つの剣とだいこんばばぁ

    早朝の富山湾越しの剣岳のリベンジ兼ねて富山地鉄上市に出てより近くに剣岳を置くことに昼近くまで陽が上がると剣岳山頂付近に雲が沸きはじめ気をもみながら3本ほど撮影田植え前の水が入った一枚の田圃に逆さ剣を入れた寄りのアングルで大根ばばぁこと自社発注の原色車。2024年水無月富山地鉄上市NikonD5二つの剣とだいこんばばぁ

  • 追想 山陰ブルー

    旅の報告記事連載中だが駆け足で通り抜けた山陰西部への思いは何といってもその海の色であろうコバルトブルーとエメラルドグリーンの間を絶妙に取った山陰ブルー電関人にとってそれは永遠の撮影テーマのひとつ1981年霜月山陰本線田儀NikonphotomicSBWithEktacrome追想山陰ブルー

  • 富山湾越しの剣岳

    水無月の湿潤な時期には悪条件だが昨晩の夕立後一旦冷えた大気の中日の出前立山連峰の山並みはしっかり確認できているしかし日が昇るとみるみると大気の視認性が悪くなり富山湾越しの立山連峰はかすかに見えるか否か送り込みも含め数本の列車でチャレンジした2024年水無月氷見線雨晴~越中国分NikonD5※元データをアンダーで撮影してPSにて調整富山湾越しの剣岳

  • 中伏木暮色

    万葉線の専用軌道区間を撮りたくてここ中伏木の駅に陣取る港湾地区にあって港の施設工場倉庫などとモザイクのように住宅が点在しているようやく傾き始めた初夏の高い太陽を背負って低床車が駅にやって来たこの時間帯の乗客は下校する学生が中心である2024年水無月万葉線中伏木駅NikonD5中伏木暮色

  • 行儀正しい門前町

    こちらも初めて訪れる勝山永平寺線名前に惹かれて観音町を目指す禅寺永平寺の門前に広がる町並みは質素ながらちゃんと行儀がいい人口が減っていく中で街が荒れることなく丹精された町並みは気持ちがいい2024年水無月えちぜん鉄道勝山永平寺線観音町NikonD5行儀正しい門前町

  • ベリーショートなキハ85

    長大な山陰本線を実質1日で駆け抜け初見参の京丹後鉄道へ同鉄道で一番有名な撮影地由良川の橋梁に山の尾根から雲が滝のように流れ下る気象現象を横目に風が強い河畔に構える定期列車を合間を縫ってつい先日まで高山本線で活躍していたキハ85が中間車なしの2両で送り込み回送で橋梁を渡ってきた2024年神無月京丹後鉄道由良川橋梁NikonD5ベリーショートなキハ85

  • 星降る餘部

    2泊目に選んだ道の駅は餘部橋梁真下の道の駅あまるべ此処へのアクセスは一般道が土砂崩れにより不通で山陰近畿自動車道余部インター経由のアプローチのみちょうど現地入りしたのは空が赤くなり始めたころだった橋梁をやや引きにしてそしてもう一本撮ったのちにいよいよ三脚を据えて橋の下より天空を仰ぐ角度で北斗七星を真ん中に見てそこを流れ星のようなヨンマルの光跡が横切る2024年水無月山陰本線餘部~鎧NikonD5星降る餘部

  • 大山の女神が微笑む

    朝三見から出て餘部の道の駅まで大移動する途中大山が見たくなって大山口駅界隈に向かう部分完成の虫食い山陰道無料区間を巧みに利用しながら松江手前の有料区間だけ今回のジャーニーで唯一使用宍道湖畔では期せずしてやって来た381やくもを見たまま見送り先へコマを進めた未だ目指す大山は綿帽子を被ったまま大山口駅では列車時刻を確認しつつ新型DC各停を見送り御来屋までの区間で大山の眺望をロケハンレンガ造り(山陰本線開通当時のものか)の農業用取水口を見つけた場所からの大山はエプロンの上にポッカリと頂を見せてくれたので山陰本線を真横から狙うことにした2両のショート編成のスパーおきは大山山麓のこの区間を目いっぱいの速度で大山を横目に走り去っていった2024年水無月山陰本線大山口~名和NikonnD5大山の女神が微笑む

  • 朝の三見港

    初日の塒は三見狙いがうまくいったというか明るくなってロケハンしたら塒から直ぐの場所がなんとも絶妙一番列車がやってくる頃には既に夜の漁に出ていた船は港に戻った後だった2024年水無月山陰本線飯井~三見朝の三見港

  • 1600キロの旅

    昨日未明に自宅へ戻った日曜の夕刻に郷里福岡を出発山陰本線京丹後鉄道えちぜん鉄道万葉線氷見線越後ときめき鉄道しなの鉄道中央西線を巡る旅の始まりはここ萩駅を皮切りに2024年水無月山陰本線萩駅SONY1-Ⅴ1600キロの旅

  • 第二の故郷 山陰本線へ里帰り 3

    本日より旅に出ますので、13日まで更新が滞ります。留守分として本日二本立てです。ついぞ巡り合えなかった雪の餘部電関人が足しげく通った70年終盤から80年初頭は日本は暖冬期にあって雪に浮かぶ幻の餘部鉄橋は幻のままに鉄橋直下に密集する民家がなんともフォトジェニックだ1978年師走山陰本線餘部急行美保NikonF2withEktacrome第二の故郷山陰本線へ里帰り3

  • 第二の故郷 山陰本線へ里帰り 2

    光る石州瓦は電関人が思う山陰本線西地区のイメージだしかも地区によって黒いのと朱色のがある此処辺りは黒い甍の波夏の南天に近い時間帯湧き溢れる汗と戦いながら高台から光る甍を入れて下り181系おきを狙う1982年文月山陰本線仁万NikonEL2withKR第二の故郷山陰本線へ里帰り2

  • 第二の故郷 山陰本線へ里帰り 1

    ほぼ決定事項だが山陰本線を撮りに行く予定今の同線を撮りたいのもあるが自身の中では初心に帰るリフレッシュの旅確か大学2年の夏意を決して夜行さんべ号の車中の人となり夜明け前の浜田に降り立つそこから時間つぶしに益田まで直行するような客レに乗車さらに上りに乗り換えて岡見駅へ時間つぶしのロケハンで港を経由し三保三隅寄りのポイントへ移動現在は海を埋め立てた発電所になっている場所明けたばかりの太陽が中国山地を温めてできた雲がでてしかもまだ高度が低い太陽は海岸を照らしてはいないそんな悪条件下でKRの絞りはレンズの開放に近いおまけに若干の前ピントとくりゃ・・・踏んだり蹴ったりの一枚である1982年文月?山陰本線岡見~三保三隅NikonEL2WithKR第二の故郷山陰本線へ里帰り1

  • 木曽谷ロクヨンゼロ回想

    学生時代に住んだ吉祥寺のボロ下宿脇は中央線の高架線だったお陰でロクヨンゼロのエアフィルタ音は子守歌のようなものロクヨンゼロを長野のお師匠さんと中央西線によく追った一コマを今宵アップ中央西線は塩尻を出て洗馬を過ぎた辺りからいよいよ木曽谷の隘路へと踏み込む木曽谷を縫ってきた下りのタンカートレインが上りのタンカートレインを待って洗馬駅に運転停車複線区間にあって塩尻のヤードの線形からなのか?奇しくも下りの牽引機は59号機を頭に次位60号機と兄弟重連今季小雪の木曽谷の山々は微かに残雪を背負い後ろには北アルプスの前山の鉢盛山であろうか2009年如月中央西線洗馬駅OLYMPUSE30元データJPEG木曽谷ロクヨンゼロ回想

  • 原色1976 IN 小倉駅

    ゴーマルサン時刻改正の約一年後福岡県地方に纏まった雪が降ったのでスクランブル発進で小倉駅までやって来たまだ覚えたての父親譲りのハーフ一眼レフ携えて到着早々珍しい列車に遭遇下り明星3号西鹿児島行だ本来は小倉通過で博多に5時前に到達するからこの時点でおそらく5時間ほど遅れていたようだしかも新大阪寄り先頭車に珍しくクハネ583MGが床下吊り下げで乗務員扉すぐに旅客扉が付く暫くして小倉駅に入線してくる博多発小倉廻り西鹿児島行ディーゼル特急にちりんこれまた珍しく先頭のキハ82には寒地型タイフォンカバーが向日町から鹿児島転属組か?1976年如月?鹿児島本線小倉駅OLYMPUSPENFサクラカラー原色1976IN小倉駅

  • 豊後森の番人

    豊後森に今も残るラウンドハウスかつてはキハ07が番人をしていたが今は福岡からやって来たこのキュウロクになっている2024年如月久大本線豊後森NikonD5豊後森の番人

  • 雪晴れの浅間山麓をろくもんが往く

    夜明と共に現地到着残念にも浅間山は雲の中ヤマの専門家である長野の師匠の話では大気が冷えてガスになりそれに包まれているだけなので夜が明けて数時間したら必ず浅間は姿を現すとその言葉に縋りながら氷点下に冷える雪原に数時間明けた太陽が高度を増してくると舞台の緞帳が上がるが如く神々しい白銀の山容を見せてくれ其処に現れたのは奇しくも観光列車ろくもんだった2024年弥生しなの鉄道線御代田NikonD5雪晴れの浅間山麓をろくもんが往く

  • 採銅所駅の気品

    かつて香春岳で産出していた鉱物は銅鉱石が多かったそのため地名や駅名にも採銅所の名が残る鉱山全盛期を物語るように採銅所駅には駅の気品が強く感じ取れるエントランス上部に掲げられた駅名版は切り株をスライスした一枚板日田彦山線だけに日田杉であろうか?鉄のラッチもそのままに残されるエントランス外には両サイドにこれもまた無垢の木材を加工した温もりのあるベンチが据え付けられる駅本屋の上り方脇に残される積出用側線の有効長はかなり長く何両もの貨車が据え付けられるようになっていた駅本屋の窓枠にも注目したい木の当時から残る窓枠にも漂う大正浪漫そしてホームにはかつてはどの駅にもみられた工業デザイナー氏の手によるカーヴが美しい腰掛に僅かな昭和のモダニズム無人化された後もきれいに維持される採銅所駅に今も残る凛とした気品2024年弥生...採銅所駅の気品

  • 穿たれた複線トンネル

    今は水害の影響で全線が繋がってないが久大本線夜明から分岐して日豊本線城野まで伸びる日田彦山線はかつて筑豊地区の物資を運ぶ動脈として筑豊本線と共にあったそして中間駅の採銅所は名の通り銅鉱山を有し輸送物資も豊富当初から輸送力確保のために複線にする計画があったそして穿かれたトンネルも複線用のものであった2024年弥生日田彦山線採銅所駅NikonDf穿たれた複線トンネル

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