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狂電関人撮影の新旧写真を徒然なるままにアップ。中心は鉄道のある風景と車両の話。
小学校4年ぐらいから始めた鉄道写真趣味で約40年。途中結婚子育てで数年休んだもののデジタル一眼レフ購入後所謂バリ鐡に復活し今日に至る。現役SL世代最終組だが写真は少しだけでその後、電機を丁寧に撮り続けてきたためハンドルネームは、ENTHUSIAST OF ELECTRICLOCOの意で「狂電関人」に。
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夜間瀬川からぐるりと高社山を回り込んで飯山線に転戦する以前から飯山線の駅で一番気になっていた駅それが蓮(はちす)字のごとく寺に隣接した駅果たしてこの駅は...2024年弥生飯山線蓮NikonD5蓮へ
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春霞か黄砂かくっきりしない残雪の山の遠景新芽吹く近景に遅咲きの桜泥色の田に幼い稲が並ぶ頸城大野の春景色2011年皐月頸城大野頸城大野田植えの候
旧長野電鉄屋代線の松代駅が取り壊されることに現役時代は最後まで有人駅として約1世紀に亘り時代を見てきた寂しい限りである2011年卯月松代駅1世紀の証人
梅雨のはしりだったか列車の屋根を打つ雨が白く飛沫になるほど勾配でのノッチやブレーキ操作は殊の外慎重を要するだろう2012年水無月蕨雨に打たれる貨物列車
紫陽花の花の色が濃くなる頃蒸し暑い雨の季節がやってくる鬱陶しい梅雨の到来2012年水無月大塚紫陽花の季節へ
とうとう終焉になった安中貨物その専用ホキが新製された直後の試運転だったか人気の機関車にエスコートされて2010年水無月武蔵野線ミニ安中貨物
もうすぐ紫陽花の季節飛鳥山の紫陽花を前景にして北王子専用線列車を狙った思い出2010年水無月王子紫陽花の思い出北王子専用線
草木が黄緑から緑色に深まる頃さらに成長を促すべく雨の季節がやってくる河原いっぱいに広がる緑の向こうを泳ぐようにロクロクの貨物が貨物色を最初から纏う100番代には雨がよく似合う2007年水無月武蔵野線雨の季節へ
現在ひたちなか海浜鉄道として運行されるかつての茨城交通最晩年塗装こそオリジナルの派手なものだが此処にはかつて羽幌や留萌といった北の炭鉱町からやって来た車両が在籍したそのうちの一両はさらに遠く九州のかつての炭鉱町を走る平成筑豊鉄道へ何の因果だろう2006年皐月茨城交通中根茨城交通残照
伯備線から山陰本線に出て日野川を渡って米子中海沿岸を抜け松江宍道湖沿岸を走って斐伊川を渡って終着出雲市へ滑り込むこの山陰本線区間はできれば天気に恵まれたいところだ2014年皐月山陰本線宍道駅山陰本線をラストスパート
伯備線はかつてはD51三重連でも知られた陰陽連絡の幹線ちょうど大学入学と同じころに電化され振子特急も往来する列車密度途中で何本もの列車と交換しながら雨の中国山地を越えた2014年皐月伯備線雨の中国山地越え
早朝の岡山で瀬戸と出雲は分割かつて鳥栖で客車分割は見慣れたものの581・583時代にお目に掛かれなかったからこの分割は一興2014年皐月岡山駅瀬戸分割
朝三見から出て餘部の道の駅まで大移動する途中大山が見たくなって大山口駅界隈に向かう部分完成の虫食い山陰道無料区間を巧みに利用しながら松江手前の有料区間だけ今回のジャーニーで唯一使用宍道湖畔では期せずしてやって来た381やくもを見たまま見送り先へコマを進めた未だ目指す大山は綿帽子を被ったまま大山口駅では列車時刻を確認しつつ新型DC各停を見送り御来屋までの区間で大山の眺望をロケハンレンガ造り(山陰本線開通当時のものか)の農業用取水口を見つけた場所からの大山はエプロンの上にポッカリと頂を見せてくれたので山陰本線を真横から狙うことにした2両のショート編成のスパーおきは大山山麓のこの区間を目いっぱいの速度で大山を横目に走り去っていった2024年水無月山陰本線大山口~名和NikonnD5大山の女神が微笑む
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本日より旅に出ますので、13日まで更新が滞ります。留守分として本日二本立てです。ついぞ巡り合えなかった雪の餘部電関人が足しげく通った70年終盤から80年初頭は日本は暖冬期にあって雪に浮かぶ幻の餘部鉄橋は幻のままに鉄橋直下に密集する民家がなんともフォトジェニックだ1978年師走山陰本線餘部急行美保NikonF2withEktacrome第二の故郷山陰本線へ里帰り3
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豊後森に今も残るラウンドハウスかつてはキハ07が番人をしていたが今は福岡からやって来たこのキュウロクになっている2024年如月久大本線豊後森NikonD5豊後森の番人
夜明と共に現地到着残念にも浅間山は雲の中ヤマの専門家である長野の師匠の話では大気が冷えてガスになりそれに包まれているだけなので夜が明けて数時間したら必ず浅間は姿を現すとその言葉に縋りながら氷点下に冷える雪原に数時間明けた太陽が高度を増してくると舞台の緞帳が上がるが如く神々しい白銀の山容を見せてくれ其処に現れたのは奇しくも観光列車ろくもんだった2024年弥生しなの鉄道線御代田NikonD5雪晴れの浅間山麓をろくもんが往く
かつて香春岳で産出していた鉱物は銅鉱石が多かったそのため地名や駅名にも採銅所の名が残る鉱山全盛期を物語るように採銅所駅には駅の気品が強く感じ取れるエントランス上部に掲げられた駅名版は切り株をスライスした一枚板日田彦山線だけに日田杉であろうか?鉄のラッチもそのままに残されるエントランス外には両サイドにこれもまた無垢の木材を加工した温もりのあるベンチが据え付けられる駅本屋の上り方脇に残される積出用側線の有効長はかなり長く何両もの貨車が据え付けられるようになっていた駅本屋の窓枠にも注目したい木の当時から残る窓枠にも漂う大正浪漫そしてホームにはかつてはどの駅にもみられた工業デザイナー氏の手によるカーヴが美しい腰掛に僅かな昭和のモダニズム無人化された後もきれいに維持される採銅所駅に今も残る凛とした気品2024年弥生...採銅所駅の気品
今は水害の影響で全線が繋がってないが久大本線夜明から分岐して日豊本線城野まで伸びる日田彦山線はかつて筑豊地区の物資を運ぶ動脈として筑豊本線と共にあったそして中間駅の採銅所は名の通り銅鉱山を有し輸送物資も豊富当初から輸送力確保のために複線にする計画があったそして穿かれたトンネルも複線用のものであった2024年弥生日田彦山線採銅所駅NikonDf穿たれた複線トンネル
筑豊には二つのダイヤが存在するエネルギー革命によって産出を止めた黒いダイヤこと石炭と香春岳や船尾山といった山から産出する白いダイヤ石灰石石灰石の方はセメントの原料として生産量こそ減ったものの未だに操業中船尾駅界隈はかつてはホッパービンを使ってダイレクトに貨車に積んでいたため周囲は真っ白になっていたのを記憶するが今の船尾駅周辺はトラック輸送に代わって昔の駅周辺と趣が変わった2024年弥生後藤寺線船尾NikonDf黒ダイヤと白ダイヤ
旧国名が筑前と豊前に跨がっているので筑豊その筑豊には一大炭田が拡がり産出した石炭を積み出すために網の目のように鉄路が敷かれたそこで身を粉にして蒸機と共に働いてきたのが石炭用貨車でその初代がセム1どこかにその残党の現役時代の写真があったはずだが今は見つからないので次回の宿題ということで2024年弥生直方石炭記念館NikonDf筑豊蒸機の相棒
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冬の上田原は暮れるのが早い終日強く吹いた季節風によって日没後の冷えは一段と厳しい別所温泉の日帰り湯に浸かり強張った体を休め本日最後の撮影地に向かうメインの通りからやや入り込んだ場所にひっそりと八木原駅は在りそこに寄り添うように数件の人家が集うその寒々とした駅に夜のしじまを破って遠くから電車がやって来た2024年弥生上田電鉄八木原駅NikonD5夜のしじまの八木原に
すっかりと久大本線に定着した観光特急ゆふいんの森キハ65改造の71と新製の72の2編成だが生憎71が検査入場のため185が代走この日一往復の貴重な72を此処で捉えることに玖珠町の地形は数百万年前の火山活動による溶岩大量流出で起きた地盤沈降でカルデラを形成しその後外輪山部分の固い岩盤が他の柔らかい地盤部分の流失でできたメーサ地形となりギアナ高地同様日本でも大変珍しい景観を生み出している画面一番奥がそのメーサである2024年如月久大本線恵良NikonD5ゆふ森とメーサ