記録的に早い梅雨明け長く暑い夏になりそうだトウモロコシが作られてた畑は休耕地になりやって来るのは三桁機に代わり・・・雨が降ればゲリラ雷雨普通に暑い日本の夏はもうないのだろうか?2010年葉月高崎線普通の夏
狂電関人撮影の新旧写真を徒然なるままにアップ。中心は鉄道のある風景と車両の話。
小学校4年ぐらいから始めた鉄道写真趣味で約40年。途中結婚子育てで数年休んだもののデジタル一眼レフ購入後所謂バリ鐡に復活し今日に至る。現役SL世代最終組だが写真は少しだけでその後、電機を丁寧に撮り続けてきたためハンドルネームは、ENTHUSIAST OF ELECTRICLOCOの意で「狂電関人」に。
筑豊には二つのダイヤが存在するエネルギー革命によって産出を止めた黒いダイヤこと石炭と香春岳や船尾山といった山から産出する白いダイヤ石灰石石灰石の方はセメントの原料として生産量こそ減ったものの未だに操業中船尾駅界隈はかつてはホッパービンを使ってダイレクトに貨車に積んでいたため周囲は真っ白になっていたのを記憶するが今の船尾駅周辺はトラック輸送に代わって昔の駅周辺と趣が変わった2024年弥生後藤寺線船尾NikonDf黒ダイヤと白ダイヤ
旧国名が筑前と豊前に跨がっているので筑豊その筑豊には一大炭田が拡がり産出した石炭を積み出すために網の目のように鉄路が敷かれたそこで身を粉にして蒸機と共に働いてきたのが石炭用貨車でその初代がセム1どこかにその残党の現役時代の写真があったはずだが今は見つからないので次回の宿題ということで2024年弥生直方石炭記念館NikonDf筑豊蒸機の相棒
礼に始まり礼に終わるのがこの国が最も評価されることのはずが今やそんなことはとうの古の話が如く国力という点においても下から何番目という体たらく人のことなどかまってられるかと言わんばかりの日常金を持っている奴らにばかり媚びていつも周りと比較して自分が少しでも優位に立ちたがるもうすぐパリオリンピックだがお家芸柔道の戦績たるや如何に10代以下否20代以下の将来が心配だ弱者に厳しい?一人この国の未来を憂う2004年卯月?博多駅新幹線ホームNikonFM3A+TX※再掲礼儀の国ニッポンは何処へ
終日の強風に空のクリアランスは最高水田の水面に立つさざ波を味方につけてリフレーンするジョイト音を載せて2024年五月真岡鐡道真岡NikonD5水田のさざ波と
四季折々の花が丹精された上神梅駅にて初夏の日差しはトップライトになると光線が強すぎて作画に苦労すること暫しその日差しを避けるよう木陰に佇む芭蕉の花の青に惹かれた鈍い銅色を纏う気動車をバックに置きハイライトが白飛びしないようぎりぎりの露出にしてあとは現像ソフト頼り2024年五月わ鐵上神梅駅NikonD5/Fisheye花の駅上神梅に遊ぶ
キハ10系や26・55系、58系800番代、35系、23・45系など我々の学生時代は油と煙草のヤニ臭いチンドン屋編成の列車に揺られてだったそれから時代は進んで最新型のユニットを搭載した車両でしかも冷暖房完備時代は変われども彼らの制服は今も昔も大差ない2024年如月香椎線須恵駅NikonDfDENCHA通学
冬の上田原は暮れるのが早い終日強く吹いた季節風によって日没後の冷えは一段と厳しい別所温泉の日帰り湯に浸かり強張った体を休め本日最後の撮影地に向かうメインの通りからやや入り込んだ場所にひっそりと八木原駅は在りそこに寄り添うように数件の人家が集うその寒々とした駅に夜のしじまを破って遠くから電車がやって来た2024年弥生上田電鉄八木原駅NikonD5夜のしじまの八木原に
すっかりと久大本線に定着した観光特急ゆふいんの森キハ65改造の71と新製の72の2編成だが生憎71が検査入場のため185が代走この日一往復の貴重な72を此処で捉えることに玖珠町の地形は数百万年前の火山活動による溶岩大量流出で起きた地盤沈降でカルデラを形成しその後外輪山部分の固い岩盤が他の柔らかい地盤部分の流失でできたメーサ地形となりギアナ高地同様日本でも大変珍しい景観を生み出している画面一番奥がそのメーサである2024年如月久大本線恵良NikonD5ゆふ森とメーサ
上田交通(上田電鉄)と言えば丸窓に尽きる今もステンの車体を旧カラーのツートンにしてさも丸い窓が戸袋にあるようにされている車両も存在するが現在別所温泉駅脇に鎮座する元祖丸窓車両大正浪漫を強く感じさせる同車のチャームポイント2代目になる丸窓ドリーム号そして最後は81年撮影で現役5250が力強くトレーラー牽き別所温泉駅に向けて最後の勾配を上る雄姿写真上)2024年弥生NikonD5写真中)2010年文月OLYMPUSE-30写真下)1981年五月?NikonF2丸窓ドリーミン
そう揶揄したくなるほどまんまの東急車が往来する上田電鉄かつては上田平にいくつもの路線を持っていた上田交通鉄橋が洪水によって流されて長い間不通代行バスだったそれでも不死鳥如く蘇るこの別所線はロケーションに豊む特に斜光線の朝夕はステン車が風景に映える2024年弥生上田電鉄塩田町NikonD5東急上田線?!
帰福によってアップできなかった日があるので本日は続行運転にて先日の北関東遊覧の中からわ鐵を一枚この日GW明けで週末にもかかわらずDE10によるトロッコ列車はウヤ単行のわっしーが新緑のなかをそよ風に吹かれながら偶然見つけたポイントでシューティング2024年五月わ鐵水沼NikonD5※Fish-eyeによる歪をPS修正済み新緑浴のわっしー
彼是ここ原田駅に立つのは20年以上の空白がある電関人が高校時代写真部に所属してこの駅構内をアングル修業の場としていたその駅で懐かしのED761000番代が牽く貨物を撮った20系のブレーキにも対応した由緒正しい特急機でもある2024年五月鹿児島本線原田駅構内NikonDf赤罐を原田で撮る
夜の帳が下りる一瞬前レトロ駅に浪漫が充満するこの温泉駅に訪れる一瞬のときめき小さな温泉場に訪れる至福の時間2024年弥生上田電鉄別所温泉駅NikonD5別所温泉浪漫
この日のおおとりは当初武州中川あたりの橋梁をとしかし先行する親友鉄の知り合いに追走して終点間近の白久まで登ってきた秩父盆地入口では八重桜の散り際だったのが葉桜の染井吉野が散り際という季節格差山間の里に終点を前にした少し安堵の息のプレーリーを電化線とは思えない現役時代さながらの彼の機に似合う風景に出会えた2024年卯月秩父鉄道白久NikonD5※撮影時には私有地に無断で立ち入らず列車運行を妨げたり先行撮影者への気配りは最低限のマナーです!秩父路晩春04山間を往く
久々に上越線内での撮影それは一本の親友鉄からのメールで始まった新潟駅120周年記念号の送り込みがあると亡き妻と何度も通った関越自動車道を下ってこれまた通り慣れた駒寄のスマート出口を出懐かしい撮影ポイントにカメラを構える心臓ドキドキのハプニングもなんのそのやって来た列車の後追いショットをそれはあたかもかつてこの線区を往来した急行列車の再来だった嗚呼これで機関車に電暖標識灯の耳があったらなぁ2024年五月上越線八木原NikonD5急行列車復活?!
小窓のスハフ32は窓二つにボックスシートがあてがわれシートピッチが広いその小窓に各々の顔が並ぶ機関車の煙を嗅ぐもの景色を楽しむもの乗り心地を味わうもの長閑な汽車旅のムードが漂う2024年卯月秩父鉄道波久礼NikonD5各々の窓
其処にいらしたおんじが語る集落はかつて千曲川対岸の高社山麓にあったしかし大水によって押し流されて此処へ新しい集落ができたほんの30戸余り(だと聞いた)は寺院に寄り添うように斜面の高い位置に今はあるまるで祖先の霊を弔うようにその大半が同じ姓を名乗りなんとその姓は電関人のそれと同じ不意に思い出す遠い祖先が上杉所縁でその上杉は現新潟と長野北部を治めていてそういう観点から同姓の亜流(もしくは本流)がこの辺りに存在しても不思議ではない因果が電関人をこの地へ呼んだのであろうか2024年弥生飯山線蓮NikonD5蓮へ🉂
夜間瀬川からぐるりと高社山を回り込んで飯山線に転戦する以前から飯山線の駅で一番気になっていた駅それが蓮(はちす)字のごとく寺に隣接した駅果たしてこの駅は...2024年弥生飯山線蓮NikonD5蓮へ
今日は朝早くから北関東方面に出撃親友鉄から誘いがあって上越線八木原を皮切りに北関東をぐるりと東に弧を描くように期せずして遊覧の旅となったカットは最終ではないものの電関人にとって本日の有終の美はこれ五月晴れのそよ風の中心地よいロッド音を残して2024年五月真岡鐡道真岡~寺内NikonD5有終の美
言わずと知れたEF641000のこと記憶では新製配置は水上で老朽機のEF16を置き換えるため80年のことかとヤマは違えど中央西線で伯備線でその一族は頑張る電関人も当年取って63いよいよ来年は彼の機に形式上の数字と自身の年が並ぶ六十も半ばに差し掛かる自身もこのヤマ男の如く足腰を粘らせて大地に立てる猶予は幾何だ?人生最後のチャレンジングな今年にしたいとこのヤマ男にカメラを向けながら誓った2024年弥生篠ノ井線安茂里NikonD5ロクヨンセンへの誓い
今朝訃報が飛び込む最愛のひとのご母堂逝去と考えたくはないけど丙龍は荒れる年だと犇々と親族愛を考えさせらる昨今お題の写真との因果も考えさせられる観光特急がひっきりなしに往来する久大本線はいまだ現役の本線だ合掌2024年如月久大本線引治NikonD5+Fisheye椿散る赤い鉄橋に赤いゆふ
長野の師匠と別れ犀川畔の後向かったのは長野電鉄で湯田中方面を目指す夜間瀬川辺りまで上がると雪もそれなりに増えて天気の方も雪晴れとなると安直かもしれないが夜間瀬川鉄橋を覗くことに朝断続的に雪を舞わせた雲は去って快晴域に入る美しく輝く銀盤や高社山と気持ちよく泳ぐ千切れ雲構図は決まりFISHEYEを手に取る其処へヤマからゆけむりが下り込む編成を曲げたくないのでレンズのセンター域を線路面に合わせ真ん中ぶった切りを避ける構図にするため若干後処理でトリミングした2024年弥生長野電鉄夜間瀬川橋梁NikonD5+Fisheyeゆけむり白銀を往く
将来Uターンを考える電関人郷里福岡に帰るたびに思うことは街がどんどん変革していること国の人口が少子化によって減る一方でFUKUOKACITY&TOWNは確実に膨張している日本一便利といわれる福岡国際空港は二本目の滑走路を造成し始めだでさえ朝夕のラッシュ帯の離発着に目を見張るボリュームはさらに増えること必至さて、その福岡空港から東に丘一つ越えるといくつかのニュータウンともいうべきエリアが広がる粕屋、志免、須恵、宇美といった町々があるシニア層には炭鉱街として栄えた懐かしい響きかもしれないがこれらの場所には福岡中心部から少し離れ交通の便がやや不便と言えば不便なエリアで安価な土地代に魅せられたニューファミリー層を中心に人気上昇中エリアであるそこを通る鉄道路線は今や香椎山線のみ博多方面に出るのにはもっと便利だった勝...福岡近郊東南地区に思う
名古屋からやって来たしなのが終着近くなって犀川を渡る犀川の畔に立って四阿山草津白根方面を遠望す犀川はこの下流で本流の千曲川に合流しやがて信濃川に名を変えて日本海にそそぐトラスの間にサロ383を置いてヨーロッパナイズされたノーズフォルムサイドビューがなんとも美しい2024年弥生篠ノ井線犀川橋梁NikonD5犀川を渡る
3月の長野行きのメインはこの北長野貨物の取材安茂里での朝練ののちヤード脇の小径から一連の入替作業を追う3月とはいえ県北の長野の朝はキーンと冷えその中にあって張り詰める緊張感が心地いい2024年弥生北長野貨物駅NikonD5小雪の北長野
電関人が最初に逢ったつばめは481系ボンネットあれから幾星霜博多駅に舞う現在(いま)のつばめカレッジの仕草に痺れた2024年卯月博多駅SONY1-Ⅴつばめ舞う
千早界隈は高層タイプも含めていまや集合住宅密集エリアで鉄道写真も撮りづらいが父親の眠る寺院がありなにかと訪れる機会が多くそこに走る鉄道は鹿児島本線に福岡ターミナルに向かう貨物専用線と西鉄貝塚線もあって鉄道密度は濃い墓参の帰りの駄賃で西鉄千早駅から暫し撮影そこへのそのそとEH500がエスコートで高速貨物があと少し貝塚線上りが早ければと思うのは残念ながら電関人だけ2023年霜月西鉄貝塚線千早NikonDf逃した千載一遇
つい最近のこと家族の介護に関する用事であるJR九州系列の施設を訪れた際そこの支配人がかつて勤務されていた鳥栖駅の話ここは周知の通り長崎本線が分岐するクロスポイント数多くの列車が鹿児島本線を往来する列車と長崎佐世保線から往来する列車の分割併合を繰り返していた写真は山陽新幹線博多開業の大改正ですっかり様変わりした往来列車の様子を夜の鳥栖駅で取材したときのものである改正直後の冬か翌年の記録で長崎発上りあかつき号が20系改造の電源車を切り離していったん博多方へ出て転線して隣のホームに停車中の熊本発上り明星号に連結する作業の合間のスナップ2枚2点とも1976?年鹿児島本線鳥栖駅OLYMPUSOM-1鳥栖駅1975
かつて電関人が足しげく通った頃は線路も津屋崎まであって旧性能のいろんなスタイルの電車が犇めいていたそれがわが青春の相棒だったこの600形に代わり福間までになりそして間もなく7000形にとってかわられようとしている2023年霜月西鉄貝塚線名島駅NikonDfやがて記憶の彼方へ
今シーズン長野は小雪訪れた早春の長野は夜半の雨が雪に変わり辺りを白銀の冬に戻す懐かしい湘南色の115には雪がとても似合う2024年弥生篠ノ井線安茂里NikonD5名残雪
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記録的に早い梅雨明け長く暑い夏になりそうだトウモロコシが作られてた畑は休耕地になりやって来るのは三桁機に代わり・・・雨が降ればゲリラ雷雨普通に暑い日本の夏はもうないのだろうか?2010年葉月高崎線普通の夏
自身の青春時代急行車両と言えばキハ58系とこの交直流急行車両の475系(455系)初めてビッフェなるものを利用したのもこの形式だった2014年文月有間川国鉄原風景2
新幹線が金沢まで延伸するまで今からたった11年前北陸本線に有った国鉄風景485系北越が通過する有間川駅戦後にできた駅だからか趣のある駅舎は三セクの今も変わらず2014年文月有間川駅国鉄原風景
今でこそ運用は全国区の桃太郎300番代最初に投入されたのは西の箱根たる瀬野八の後補機その任務にあたる初々しい頃の303号機2014年皐月瀬野八EF210303
試作機から数次にわたって微妙に変更されてきた仕様とやかくは言わぬまでもこの辺が好みかな2012年文月蓮田EH500の変遷
つい先ごろまで活躍していた国鉄型特急車両新製当初は低い位置の運転台ゆえどうにも特急らしさを感じなかったリバイバルカラーだが185系と言えばこの塗りの踊り子2014年皐月東海道本線さらば185
石巻港で黙々と入替を熟す2013年水無月石巻港DE101591
最近は無動でぶら下がって重連はあっても次位につく機関車のパンタが上がっている所謂重連はあまり見なくなった同形式だと次位の前パンタは下げて異形式だと全部のパンタが上がるというのも遠い昔の話2014年卯月割畑重連タキ
EF64と言えばやはり山用に開発された機関車で1000番代は上越国境番のイメージが強かったその機関車が平坦区間運用を淡々とこなすのは似合わないノイジーだが折角のフルサイズ機なので冒険カットをアップ暗闇迫る高崎線を下る貨物列車を流しで2014年弥生高崎線EF641000ナイトラン
新幹線延伸まで色濃く国鉄風情を残した北陸界隈終業式を間近にして試験でなのか暑さからか学生の足取りは重い青い国鉄型が入線する変わらぬ有間川の朝2014年文月有間川有間川駅北陸本線だった頃
昭和ど真ん中世代の汽車旅感覚だからそう思うのかもしれないが現在では目的地へ最速アクセスして現地ロングステイそれもオーバーツーリズムの要因ではないかそもそも新幹線で現地へ最速アクセスじゃ既に汽車旅風情も無くて目的地へ対する旅情の醸成もできまい一定時間を掛けて目的地へ到達し限りある時間を大切に過ごす行き帰りの車内で旅への高揚を味わい旅人は高い道徳で振る舞う本来の旅は夜越し目的地に向かうくらいの速度と時間がちょうどいい具合だったのではないかオーバーツーリズムは観光地をも消費しつくしてしまう2009年水無月神保原汽車旅とオーバーツーリズム
EF641000番代この形式とは新製からの長い付き合いとなった上越国境の補機運用に当たったEF16の置き換えに始まりその後のEF15、EF58の置き換えとどちらかと言えば最初は宿敵だったがその武骨な図体の重連仕業は山男真骨頂で好被写体となったこの春の改正にて中央西線の重連運用も解消となり形式消滅も秒読みが迫る2010年長月安茂里重連解消
国鉄時代のEF65のように大所帯となったEF210この形式には901号機が存在するから1号機と言ってもセカンドロットオールドファンとしては下枠交差式パンタグラフの同機はシングルアームよりフォトジェニックオリジナル色もそのうち変更になるだろうがもうずいぶんと会っていない1号機遠く岡山の所属だから追っかけるのも大変2007年文月武蔵野線EF2101号機
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春霞か黄砂かくっきりしない残雪の山の遠景新芽吹く近景に遅咲きの桜泥色の田に幼い稲が並ぶ頸城大野の春景色2011年皐月頸城大野頸城大野田植えの候
旧長野電鉄屋代線の松代駅が取り壊されることに現役時代は最後まで有人駅として約1世紀に亘り時代を見てきた寂しい限りである2011年卯月松代駅1世紀の証人
梅雨のはしりだったか列車の屋根を打つ雨が白く飛沫になるほど勾配でのノッチやブレーキ操作は殊の外慎重を要するだろう2012年水無月蕨雨に打たれる貨物列車
何かへんてこな奴だと撮ってるときは思ったものだがこいつで収集したデータをもとに鉄道用の様々な技術革新が進みヨーロッパの鉄道先進大国にも認められるようになった日本の鉄道先端技術2014年文月東北本線蓮田~東大宮NikonDf日本鉄道先端技術の粋クモヤE995-1
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真夏日連続でブログネタ探すのもひと苦労水分補給と適度の休息とって今日もネタ上げ日本の気候がだんだんおかしくなっている此処ヒガハスの実りの風景もいつまで続くのだろうまだまだ暑かった八月末の暮時に夏の高い陽のもと颯爽とカシ下るそして地平線に隠れる前の陽がサロを輝かせ高速貨物が夕闇に消えようとする空に半月が照る2012年葉月東北本線東大宮~蓮田OLYMPUSE5HIGAHASU真夏の爽・輝・照
マイ三都物語最終日は京都朝お気に入りの妙心寺塔頭で庭園が有名な退蔵院へ枯山水で心の洗濯をし梅小路の蒸機に会いに行く特別展示はC581号機のお召装備かつて都におわした天皇へ思いを馳せお気に入りの急客機三銃士に挨拶をしてだんだん帰りの新幹線の時間が気になりだしたので少しづつ駅に近づきながらも真夏の京風情に触れたく燃える百日紅鮮やかな永観堂を覗く京の栄華を宮さまと宗教に求めつつかつての栄光を静かに佇む蒸機に感じた上品な京都歩きとなった2009年葉月妙心寺退蔵院梅小路永観堂OLYMPUSE30マイ三都物語京都編
かつてJR西日本が張ったキャンペーンのコピーだが自分にとっての三都を旅したことがあった先日挙げた奈良に京都(近日アップ予定)と電関人の場合は安土が加わる戦国武将が大好きな電関人が亡き愛妻と出かけた09年の旅今日はその2日目の安土の巻京都駅八条口の新都ホテルに投宿電車で安土に向かいそこから駅前でレンタサイクルをピックアップ安土城址に登り信長見たであろう西の湖方面を望むそして信長の館で天守の複製に圧倒され次は石山でおけいはんに乗り換えて石山寺や三井寺へこの日は湖南エリアを堪能した2009年葉月安土城址信長の館石山寺駅三尾神社琵琶湖第一疎水マイ三都物語
今から14年前の夏北関東を駆け抜けた国鉄特急型たちそこそこ国鉄色のままいくつかの編成が残っており朝から夕方までアラカルトで先ずは早朝の夜行急行能登で485系の頭はクロその次は夏休みの海水浴臨時快速でマリンブルーくじらなみ特急エンブレムが無いのは残念だけどヘッドサインが嬉しいそして今は無き温泉特急水上オリジナルカラーではないがこれも懐かしい塗分けそして夕方は祭り臨で桐生八木節で〆こっちもヘッドサインありなんとも国鉄時代に回帰したような夢の一日2010年葉月高崎線本庄~岡本上越線上牧OLYMPUSE3夏の国鉄特急型まつり
亡き愛妻との旅の思い出新盆が近いせいか遠のきつつあった彼女との思い出が最近走馬灯のように頭を駆け抜けるお互いに旅好きだったし中でも古都散策は何度も出かけている古い町並みが好きな電関人に付き合ってあちこち歩き回るのに甘い食べものの褒美さえあれば黙って付き合ってくれた或る意味古色豊かな大和なでしこだった古い街に佇む彼女は端正とれた奈良の街にしっくりなじんでいたちょっとおのろけ2009年葉月奈良にてOLYMPUSE300奈良の端正
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大正時代に入るや否や完成している二代目日光駅は厳密に言うと明治建築となるのかもしれないが峻工時代を優先することにする世界遺産の玄関駅として日光線終着駅である当駅は東照宮の影でひっそりと存在するが立ち寄り観光地として十二分の価値があるこの国が近代建築様式を取り入れてまだよちよち歩きの時代の生き証人としての当駅を少し覗いてみる時代が時代なだけに天皇陛下お立ち寄り駅つまり御料列車着発駅であった当駅に備わる建築技術は時代における粋を集めているといえるだろうそして当駅最大の特徴である貴賓室所謂陛下がご休憩なされた場所人物がいないと物寂しいがまさか宮様に登場いただけるわけもなく役不足ではあるやもしれないが旅の途中一緒に訪れた亡き愛妻をモデルにして2008年葉月日光線日光駅OLYMPUSE300大正建築の粋日光駅
武蔵野線秋ヶ瀬橋に防風壁が敷設される前そこは電関人にとって恰好の撮影地で修行場でもあった梅雨晴れの朝草いきれたつ秋ヶ瀬に現れたのは国鉄コンビのロクゴーP型とコキ50000花形から地味な貨物仕業へ牽くもの変われどシンプルイズベストの無駄の無い均整のとれたサイドビューは特急機の気品を保ったままだ2007年文月武蔵野線西浦和~北朝霞EF65506OLYMPUSE300思い出草いきれの秋ヶ瀬に立つロクゴーP
えち鉄妙高はねうまラインから激しい雷雨に打たれながら長野市内入り長野の師匠との晩餐前にお手軽撮影地にて国鉄型を二つも頂けることに先ずはしなの鉄道北しなの線から国鉄湘南色に戻された115系そして真打は一日一往復になった北長野貨物の返しで宵闇迫る頃始発北長野からのそのそと出ていくこの後近くのファミレスで暫し師匠と歓談ののち下道夜行で18号から254号線経由で無事帰埼した駆け足による1600キロ撮影記に一旦筆を置く2024年水無月北長野~長野NikonD51600キロ旅記の終わりに~国鉄型二題
まだ富山県内にいる頃長野の師匠から妙高はねうまラインにスカ色を纏った編成が14時台の運用に入るとの情報があり昼食後相変わらず雷雲がまとわりつく北信五岳を気にしつつ関山界隈でロケハンして待つことにしたちょっと下草が気になるけど水田を前景に置けるポイントで待つこと暫し妙高の頭上雷雲が取れた頃それは現れたまさに切妻の車体にスカ色は下駄電と言われた旧型国電チックな出で立ちだ2024年水無月越後ときめき鉄道妙高はねうまライン関山NikonD5ヤマスカの下駄電?現る
現役大学受験に失敗した春傷心旅行として山陰ショートトリップへこれから始まる浪人生活は果たして1年間だけで済むか?漕ぎだす新たな人生の厳しさが身に染みるそんな荒々しさと半面一緒に傷心を分かち合ってくれるような涙雨に煙る餘部旧橋梁を足早に下っていくはまかぜ1980年3月山陰本線鎧~餘部NikonF2photomicSBwithKR追想涙雨の餘部
富山は上市から直江津経由で妙高高原へ上がってきたが妙高から黒姫にかけて怪しい黒雲がかかり冷たい風も吹き出すそんな片貝の圃場に到着陽はまだ差しているが時折冷たい風に乗ってぽつりぽつりと雨粒がフロントガラスを叩き遠雷も鳴り出す始末直に来る列車を片付けて即撤収と決めて暫し何とか日差しの中で初夏の片貝を往く高原列車を撮影撮影後はとりあえず妙高高原の物産センターで十割蕎麦で昼飯2024年水無月越後ときめき鉄道妙高はねうまライン二本松NikonD5風雲急の片貝圃場
長野の師匠の影響もあって鉄路沿線の名山を愛でるのが大好きな電関人わが第二の故郷山陰本線の中では大山が一番美しいその姿がクリアに見えた時自身が抱かれそのパワーに全身が満たされる1981年弥生?山陰本線米子~伯耆大山NikonF2photomicSBコダカラーⅡ追想微笑む大山
早朝の富山湾越しの剣岳のリベンジ兼ねて富山地鉄上市に出てより近くに剣岳を置くことに昼近くまで陽が上がると剣岳山頂付近に雲が沸きはじめ気をもみながら3本ほど撮影田植え前の水が入った一枚の田圃に逆さ剣を入れた寄りのアングルで大根ばばぁこと自社発注の原色車。2024年水無月富山地鉄上市NikonD5二つの剣とだいこんばばぁ
旅の報告記事連載中だが駆け足で通り抜けた山陰西部への思いは何といってもその海の色であろうコバルトブルーとエメラルドグリーンの間を絶妙に取った山陰ブルー電関人にとってそれは永遠の撮影テーマのひとつ1981年霜月山陰本線田儀NikonphotomicSBWithEktacrome追想山陰ブルー
水無月の湿潤な時期には悪条件だが昨晩の夕立後一旦冷えた大気の中日の出前立山連峰の山並みはしっかり確認できているしかし日が昇るとみるみると大気の視認性が悪くなり富山湾越しの立山連峰はかすかに見えるか否か送り込みも含め数本の列車でチャレンジした2024年水無月氷見線雨晴~越中国分NikonD5※元データをアンダーで撮影してPSにて調整富山湾越しの剣岳
万葉線の専用軌道区間を撮りたくてここ中伏木の駅に陣取る港湾地区にあって港の施設工場倉庫などとモザイクのように住宅が点在しているようやく傾き始めた初夏の高い太陽を背負って低床車が駅にやって来たこの時間帯の乗客は下校する学生が中心である2024年水無月万葉線中伏木駅NikonD5中伏木暮色