狂電関人撮影の新旧写真を徒然なるままにアップ。中心は鉄道のある風景と車両の話。
小学校4年ぐらいから始めた鉄道写真趣味で約40年。途中結婚子育てで数年休んだもののデジタル一眼レフ購入後所謂バリ鐡に復活し今日に至る。現役SL世代最終組だが写真は少しだけでその後、電機を丁寧に撮り続けてきたためハンドルネームは、ENTHUSIAST OF ELECTRICLOCOの意で「狂電関人」に。
ゴーマルサン改正で優等列車でのスチーム暖房使用が無くなり基本九州管内の電機の運用は共通化されたしかしその中で荷物列車と客車による各停はSGを使うためED76の限定運用貨物列車では高速運転対応に開発された10000系貨車の運用にはED75が限定された写真は鹿児島本線を下る唯一(撮影時間帯では)のワキやコキといった10000系による貨物列車で300番代のラストナンバーである311号機が牽いて来た311号機だけは301~310号機と違いスカート下部に独特の丸みが無いタイプだ1977?年鹿児島本線限定運用
思い起こせば鹿児島本線の電化と共に我が鉄道趣味人生を歩いて来たその中で最も付き合いというかなじみがあるのはED76その末裔ももうすぐ終焉を迎えそうだ1976?年鹿児島本線水城ナナロクと共に
おそらく76年のこといつもの撮影地で撮った一枚に無蓋車ばかりの貨物の一コマ工臨だったのか小倉工場への廃車回送だったのか懐かしい煽り戸が木製だったトラ45000が数両写っている1976?年鹿児島本線無蓋車ばかり
自分が高校生だった頃当時の青梅線はゴトゴト貨物が往来する賑やかな路線だったその後上京して比較的近くに住むことになりいつもの悪い癖で撮りに行くことはなく老兵ED16引退間近に少し通っただけとなった今は電車が往来するのみ1978年文月拝島青梅線の喧騒
大きな工場があった鹿瀬駅スイッチャーが入替作業に余念無く各駅停車だけじゃなく急行列車も止まるそんな賑やかな駅だった1981年弥生磐越西線鹿瀬駅鹿瀬駅昭和の賑わい
水城の土塁脇に咲く白梅の向こうをボンネット有明が往く1978年如月鹿児島本線水城梅は咲いたか
電機の付番で正当な流れ九州用に引き継がれた300番代1977年卯月鹿児島本線300番代の血統
この年五能線沿線には雪が少なかったこの日も思わせぶりな雲が来るが雪は降らず・・・2018年睦月陸奥赤石空模様
未だ空に焼け色が残る頃青で統一されたライナーを赤いH級機が牽いて来た2017年如月東北本線蓮田暁のライナー
僚機535号機無きあと孤軍頑張って来た最後の可動機が散った2008年弥生武蔵野線幾星霜
季節は晩秋から初冬煤煙を上げて短尺の線路をリズムよくキハが上ってくる2015年霜月小湊鉄道晩秋
この雪の量は米作りの里に豊作を齎すのか凶作を齎すのか2017年睦月只見線この度の大雪による災害を被った方々に心よりお見舞いを申し上げます雪深い郷
ワイドビューの車窓で一番御馳走は何といってもアルプスだろう2007年如月中央本線アルプスビュー
波が複雑にぶつかるのはやはり風と風が合う瀬なのだからだろうか2013年風合瀬風合瀬にて
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菜種も菜種梅雨も最近聞かない菜種の花が咲くころ吹く風は春までのそれと違って心地良い風となる疾走する桃太郎も塗装替えによって見なくなり過去のものへ移ろい早い時代になった2015年卯月蓮田菜種揺らす風
稲にとっては慈雨カメラマンにとっては露出が出ない辛い雨サイドビュー狙いでえい、やーっと流すと結果オーライに2007年皐月磐越西線シゴナナ五月雨に光る
山に雲が低く垂れこめて益々神々しい出雲の国には神様の数ほどの祠がある2014年皐月一畑電鉄八百万の神々の国の電車
夜明が早まり田植えの頃には湾岸エリアへ返空のタキも編成が短くなる2012年皐月武蔵野線夜明のタンカー
咲きかけの桜の花の開花を邪魔するかのように冷たい雨が季節を足踏みさせる2017年卯月武蔵野線花冷え
山深い沿線にようやく新緑が芽吹きだすころトンネル上の一本の桜が山の遅い春の到来を告げる2007年卯月大糸線山の一本桜
山間にひっそりとたたずむ温泉場である別所温泉此処の桜は派手さこそないが黄金週間になって満開を迎える2011年卯月別所温泉山間の桜
桜咲きホームの談笑があって駅の春は満開になる2013年弥生小湊鉄道飯給の桜
花曇りという言葉があるように桜の季節は天気が安定しない花見真っ盛りの飛鳥山を横目に間もなく終着駅へ2013年弥生王子花曇りの朝
冬の五能線に雪を求めて旅行したが冷たい雨に遭った人気も無い駅は寂しさも一入2014年如月驫木駅雨の駅
前面の多面体がチャーミング冬の低い斜光線に映える2016年師走高崎線夕陽に映えるブルサン
明け方の駅で乗務員交代して信号開通待ち2016年弥生大宮出発待ち
やがて桜が咲こうという頃名残の梅蒼い空に梅の白い花と金太郎の赤が映える2014年弥生東北本線蓮田名残梅と金太郎
最近では3月と聞くとダイヤ改正の時季鉄道趣味人としては別れと出会いのシーズンこの年弥生の雪と闘って上越国境を越えてきた583系黎明の時間に見るこいつはクリームとブルーのツートンも相まって良く似合う昭和40年初頭に南福岡に配属された581系月光型に端を発する形式としてとてもなじみ深い形式で最晩年の凛々しい走りに少し胸がときめいた2014年弥生高崎線弥生の雪と闘って
染井吉野はまだだけどちらほら聞こえる桜の便り花の命は短いが山一面の桜に囲まれて2007年卯月篠ノ井線桜の山
一頃何故か田端の旅客機持ちだった安中貨物その終盤高く上がった月の下トップナンバーのゴトーさんが朱い安中貨物を従えて2013年如月高崎線月とゴトーと安中貨物
久大本線の最深部では上り下りともに通勤通学がある2024年如月恵良駅朝の久大本線
もうすぐダイヤ改正機関車もその塗装もタンク車もEF655PF1000番代でJR貨物色でタキ43000で一昔前の国鉄っぽい貨物列車2011年如月武蔵野線一昔前の
満開の桜越しにカメラで特急を追う2010年卯月王子飛鳥山花見の特急
本日よりまたまた郷里へ向かう今回はある意味これまで半年以上掛かってやって来た実家のことを或る意味決着つけることへさてその出発前のアップではコッペルと仲良く直方石炭記念館の裏庭に鎮座する三菱炭鉱で使われた電機竪坑では石炭を削り出したその細かい粉によって起きる炭塵爆発の懸念から大規模炭鉱では早くから電化されこのような電機やバッテリーロコはたまたエアタンクを背負った機関車まで活用されていたこの三菱製の電気も在りし日を遠く望むように直方駅傍の高台に佇む2024年弥生直方石炭記念館にてNikonDf炭都筑豊の生き証人2
直方にある石炭記念館に鎮座する古老来年ちょうど日本に来て100歳を迎えるドイツコッペル社製の罐である炭都筑豊の宮田町にあった貝島炭鉱は大規模な露天掘りで旧国鉄宮田線に出すために炭鉱から伸びる専用線をせっせと50年以上にわたって活躍した大正時代の輸入機2024年弥生直方石炭記念館にてNikonDf炭都筑豊の生き証人
既に本線上からは引退してしまったが遅ればせながら電関人幼少の頃福岡市内線の貫線を走っていた連接車の1000形の幻影を筑豊電鉄に追ってみた50年以上の付き合いの相棒を自宅まで迎えに行き遠賀川にかかる鉄橋を目指す形式こそ違えどもつい先日まで走っていた連接車も纏っていたジャーマンイエローとボンレッドの後輩車にカメラを向ける2024年弥生筑豊電鉄筑豊直方NikonDf西鉄福岡市内線連接車の幻影を追って
最愛の福岡の叔父が天に召された今年は愛妻から始まって大阪の叔父そして今回の福岡の叔父と自分にとってこの丙龍の年は波乱に満ちている実家から車で20分強の距離にある叔父宅は最寄り駅が香椎線須恵駅であるかつて筑豊炭田が栄えた時代には縦横無尽に線路がはり巡らされていたエリア炭鉱の斜陽と共に衰退したように思われるかもしれないがどっこい博多のベッドタウンとして人気エリアで朝の通勤通学列車は多くの乗客がホームを埋め尽くす2024年如月香椎線須恵駅NikonDf黎明の朝
この日の秩父の主役追うこと数度この場所で何とか捕獲主役の罐は師走の優しいスポットライトを浴び手持ちの200-500でお出迎え2023年師走秩父鉄道樋口デキ102NikonD5今日の主役
明日から師走という日の貝塚線車内通勤客に紛れてかわいいお客さんを見た優しく600形の暖房で暖められた車内にこれから向かう幼稚園(保育園?)の楽しさが満面の笑顔に見て取れる。昭和世代車の室内にはその香りが充満していた。2023年11月西鉄貝塚線600形車内NikonDf西鉄600形の温もり
国道210号線からやや分け入ったところに野矢駅はひっそり佇む久留米と大分を結ぶ久大本線には観光列車が多く列車密度も高いこの沿線景観は植林された杉のほか常緑広葉樹に竹林が混ざるそんな緑に囲まれる野矢駅で上下一本ずつの撮影を楽しんだ2024年2月久大本線野矢駅NikonD5Fisheye特急ゆふ野矢通過
決してストーカーなどではない!西鉄貝塚線沿線及び周囲には学校が多くその利用者は学生が多いので一瞬少子化を忘れるほどスカートの丈は流石に進学校が多く東京で見るような違反制服は全くいないといっていいほど。2023年霜月西鉄貝塚線千早NikonDf清く正しいスカート丈
朝の貨物線は忙しい終着列車の受け入れと始発列車の組成送り出しと川面を伝う冷たい海風に晒される桜の紅葉舐めでJRF色の罐で終着を目指すフレトラをフレーミング2023年11月福岡ターミナル貨物専用線名島橋EF81400代OR500代列番不明NikonDf初冬の名島橋
かつて香椎には貨物操車場がありそこから福岡貨物ターミナルまで単線の専用線が続くそれが跨ぐ多々良川はまさに博多湾に注ぐ河口に位置し専用線、西鉄貝塚線、そしてJR鹿児島本線の三線が犇めく鉄道魔境霜月最後のこの日博多湾を舐める北西からの季節風は容赦なく電関人の体温を奪う2023年霜月晦日福岡貨物専用線霜月の朝に
辺りに立ち込めていた濃霧が晴れると列車の行く先に雄大な山容を現した九重連山久大本線沿線は阿蘇や九重をはじめとする幾多の火山によって太古に形成された典型的な火山地形で構成される2024年2月久大本線恵良NikonD5九重連山遠望
日は昇るも空はどんより恵良駅に来てみた友人の話でここで列車交換を狙う未だ春遠い久大本線沿線風景には黄色や赤の気動車がフォトジェニック2024年2月久大本線恵良駅NikonD5レッド&イエロー
家内が亡くなってはや二月七七日供養と納骨も済んでそろそろ前に向き歩みだそうか久大本線の朝陽がメーサに掛かる雲海の向こうから顔を出し新しい一日の日は昇る2024年2月久大本線北山田付近NkonDf寂しさをバネに・・・
千葉の出城を手放すことにしたいよいよ次は出身地へ出軍か?2018年7月いすみ鐡道国吉付近NikonD5さよなら千葉
令和6年度から順次淘汰される西鉄貝塚線のモ600形それが当たり前のように毎朝の日常風景に溶け込むモ600本線からの移籍に当たっては狭軌に台車変えてパンタを載せ替えてやがて日常の朝の風景は変わろうとしている貝塚線の主役は間もなく本線から7000形がやってくるがこの通勤・通学の日常風景はこれからも変わらない2023年11月西鉄貝塚線千早駅NikonDf24-120㎜令和5年の日常の朝
その時は、突然やってくる人生の第三コーナーを経て第四コーナーへ進みつつある電関人そんな自分に不意にやって来たお別れ最愛の妻を亡くした間もなく最初の月命日がくるそろそろくよくよもしてられないからブログを再開しようと・・・かもめの命日は9日家内の命日は12日だ1975年3月9日山陽本線下関駅にてその走りを終えた最終1Ⅾ下関で運転打ち切り車両は食堂車抜きで12両編成明日からは特急おきとして山口線・山陰本線に活躍の場をかえるOLYMPUSPENFサクラカラーⅡ鴎が啼いた日
筑豊地区から蒸機が消えて約五年炭鉱はまだ稼働してしているものもあり白い鉱石輸送も盛んになっていたころ筑豊の象徴だった北九州入り口の複複々線は消えさったものの未だその輸送力には余韻が感じられた折尾の地上ホームに到着する香月線からの直通列車2月の底冷えする中でしっかりとDE10が蒸気発生装置から出されたスチームが心地よい炭鉱と一大工業地帯で四六時中はたらく戦士たちをピストン輸送した名残だろう二両目には特急鴎で使用されたナハ10軽量客車も見える行き先は確か若松今もどうして若松機関区を覗きにいかなっかのは何故かという問いが頭を巡る1979年2月筑豊本線折尾地上駅NikonF2photomicSBKR炭都の余韻
高校入学後電関人の山陰愛はいよいよ強まり冬はもちろん春や夏も山陰本線に通う始末今回はその山陰の雄DD51の話周知のとおり大半の蒸機ファンから死神の異名を付けられ忌み嫌われる機関車蒸機世代殿の電関人にとってはD51同様にDD51は親しい存在であるこの冬は確か初めての試みとして岩国始発広島まで各駅停車扱い芸備線・木次線廻りの夜行急行ちどり3号で山陰本線入りした数あるルートの中で中国山地を縦断するこの入り方はその後お気に入りとなったというか電関人の短所でもあるが、気に入るとサルがラッキョウの皮をむき続けるが如く・・・福知山に向かう道中播但線の分岐駅による折からの生憎の雨に艶めかしく濡れる播但線列車の先頭に立つDD511126(福)1977年12月大晦日山陰本線和田山駅OLYMPUSOM-1zuiko28㎜F3....氷雨降る大晦日の和田山にて
急行アルプスと言えば名門急行のひとつ撮り専でもなくモケテツでもある電関人は地元の鉄道ダイニングバーにも通うオールランダー大学には一年遊んで遅れて入学した年の長ーい春休みは東北から始まって中部を経由して瀬野八から下関ゴハチバルブとやりたい放題の東北ワイド周遊券の旅プラスアルファだった磐越西線五泉から蒲原鉄道で上越線に抜け相棒と土樽待ち合わせ土樽YHの変態ペアレント歓待?の翌朝は腰までのラッセルでループ橋へそのまま高崎・長野経由でその日は浅間温泉YH泊翌日は生憎の春の曇天と手荒いながらも後ろ立山は薄ら笑顔こんな写真が旅の記念カットとなる1981年3月大糸南線安曇沓掛付近急行アルプス回送NikonF2photomicSBnikkor50mmf2YOfilterTX春まだ浅き安曇野のハハハハシロロハハ
電関人がまだ電車通勤していたころ混んでいる電車で少し我慢するのと必ず座れる郊外奥地から遠距離通勤はどっちがいいのか真剣に悩んだことがあったそんな悩みを解決してくれる秘策は・・・最寄り駅が始発駅であること。少し早めに並べば確実に座れるし逆は終着だから乗り過ごしもない或る意味理想的な最寄り駅だと思う1977(?)年5月国鉄甘木線甘木駅(現甘木鉄道甘木駅)OLYMPUSOM-1Zuiko50㎜f1.8TX始発駅に住まう