東海道本線京都~大阪間と思われます。EF61形牽引の客車列車。 上の写真の編成は、九州方面寝台急行列車「日南」と思われます。しかし、始発は大阪駅20時09分なので回送列車と思われます。 1970年初頭、大阪駅、新大阪駅、京都駅始発の山陽九州方面、山陰方面、北陸方面
大手私鉄を中心にゆったり鉄道を見つめます。撮り鉄乗り鉄歩き鉄?暖かい目でご覧ください。
タイトルの由来 レールは鉄道全般、KQは京急沿線で生まれ育った私の 鉄道趣味の原点です。
南武線の登戸駅で黄色い101系に交じるオレンジのクハ101形です。中央線から色を塗り替える間もなく転属したのでしょうか? 以前降った雪がまだ残っていました。 つづく
かつての田端操車場北口が隣接していた京浜東北線上中里駅。すぐ横を渋谷方面に向かう貨物線が通っていました。現在の湘南新宿ラインです。EF65形1000番台牽引の長大貨物列車。旧形電機も力強い印象でした。丸ボディーのEF10形。 つづく
1970年頃、上り九州急行は夜行で九州を発車して、朝大阪に到着し東海道線を昼行、午後東京に着くダイヤでした。12両編成の季節列車、おそらく急行「高千穂」では?ピンぼけしてますが、153系急行「東海」です。 当時の「東海」は、1号が名古屋行、2、3号が静岡行、4号が大
東海道本線にも、かつては沢山の客車列車が運転されていました。あさかぜ2号(博多~東京) あさかぜ2号のみに連結されていたグリーン座席車ナロ20形です。ほかにも個室付寝台車ナロネ20形や手前の食堂車ナシ20形など、ブルートレイン20系で最も豪華な編成だったようです
急行「銀河」はEF58形の牽引でした。 後ろはスハフ43、スハ44の普通座席指定車、その後ろにA・B寝台車が続きます。元祖湘南電車80系普通列車。 東京口の運転本数は大分少なくなっていました。 つづく
朝、東京を目指し上ってくる寝台特急「あさかぜ」です。京浜東北線の103系と危うく被るところでした。ブルートレインの象徴カニ21電源車。 つづく
このころは、旅客列車の荷物扱いが行われ、113系や80系に荷物電車を連結した列車が普通に走っていました。といいつつ、スカ色クモ二83の重連です。 クモ二83形は、1966年中央本線普通列車の電車化に際し荷物輸送の必要から72系の足回りを流用して約50両が製造されました。
先日、京急電鉄の2024年度鉄道事業設備投資計画が発表されました。総額324億円とかなり大きな額となっています。 まず、さらなる安全対策の強化に約167億円。品川駅付近連続立体交差事業と大師線連続立体交差事業、車内防犯カメラの設置(2026年度全車両完了予定)踏切安
東海道線品川~大井町間に品川寄り、新幹線と山手線が分かれる辺りです。伊豆急下田行特急「あまぎ」号です。 日光形と呼ばれた157系電車です。「日光」「白根」「そよかぜ」と1959年運転開始以来上野口に縁のあった形式でしたが、後年は東海道線や伊豆方面の特急として活
横須賀線の真の終着駅、久里浜駅です。奥は行き止まりです。 久里浜駅は1944年開業で比較的新しい駅で、国府津機関区の支区が置かれていました。たしか輸入電機ED17がいたらしい。EF10 2号機が佇んでいました。 つづく
1972年、鉄道百年記念行事として運転されたSL列車です。 運転されたのは、昭和47年10月14、15日で汐留(旧貨物駅)~東横浜(高島線貨物駅)間で多くの人が沿線に集まりました。 牽引は貴婦人の愛称を持つC57型7号機でした。 つづく
横須賀線大船駅と鎌倉駅の間にある北鎌倉駅は、緑豊かな閑静な佇まいの駅です。入線するスカ色113系は初期タイプ。現在のホームは上屋が端まで伸びています。
今回から始めます、蒸し返し企画(笑)昭和散歩です。第1回はJR(国鉄)鎌倉駅です。鎌倉駅二代目駅舎 鎌倉駅の二代目駅舎は1916年(大正5年)で、屋根の時計塔がシンボルです。震災や戦火を潜り抜け生き残りました。駅前はバスターミナルで、駅に向かって中央の横断歩道
京王線東府中駅から競馬場線の終点府中競馬正門前駅は一駅。京王線を別れ、府中競馬正門前駅へ。 通常は20分間隔で運転され、競馬開催日は10分間隔となるようです。上下線がそろい、平日は明らかに過剰設備な感じですね。2分ほどで到着。ガランとしたホームにかかる駅名
前回の京王線動物園線から、同じ支線の競馬場線の分岐駅東府中駅にやってきました東府中駅1番線ホーム 東府中駅の1番線ホームが競馬場行きの乗り場です。京王線ホームと対照的に人が全くいません。まさに競馬開催日専用線ですwガランとした車内 乗客は自分だけのようで
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東海道本線京都~大阪間と思われます。EF61形牽引の客車列車。 上の写真の編成は、九州方面寝台急行列車「日南」と思われます。しかし、始発は大阪駅20時09分なので回送列車と思われます。 1970年初頭、大阪駅、新大阪駅、京都駅始発の山陽九州方面、山陰方面、北陸方面
山陰本線のSL運転が1971年に終了した次の年に訪れた時の撮影です。DF50形の牽引でした。 現在は観光列車が走る山陰本線旧線にあった旧保津峡駅です。保津川の急流を挟んだ谷あいの駅で、ほかに建物はなくいわゆる秘境駅の一つでした。列車がいない間は、水の音と鳥のさえ
年末の品川駅は、帰省客で溢れる上野駅の混雑分散を目的に、臨時ホーム7番~10番線ホームを活用し、一部の東北、上信越方面の臨時列車の始発駅となっていました。EF56形電気機関車が蒸気を上げて、発車を持っています。 普段は品川駅では見かけないEF56形、EF57形が客車を
上野口の客車急行のグリーン車は、当時ほとんどオハ61系改造のスロ62形でしたが、東京口の方はスロ54形やオロ10形という生え抜きが活躍していたように思います。急行「紀伊」に連結されたオロ10形。スハネ30形普通寝台車も結構見られました。
夜の品川駅には、多くの下り定期夜行急行が停車しました。19時30分発 33列車 急行「出雲」浜田行 AB寝台、全指定、食堂車20時04分発 35列車 寝台急行「瀬戸」1号 宇野行 AB寝台、グ指定、ビュッフェ20時14分発 37列車 寝台急行「安芸」広島行 AB寝台、食堂車
東京駅と宇高連絡線の乗換駅宇野駅を結んでいた夜行急行「瀬戸」寝台特急「サンライズ瀬戸」のルーツといえるでしょうか?写真は上り寝台急行「瀬戸」2号です。オシ16形ビュッフェ車は6号車。 3号車~5号車、7号車~12号車がB寝台。1号車はスロ54形グリーン車、編成唯一の
夜行で東海道本線を上ってきた急行列車が、終着を前に停車する品川駅。上り夜行急行「銀河」1号、102列車、13号車スハフ43形。 大阪駅21時30分発、東京駅7時03分着大阪駅方 郵便車、B寝、A寝個、A寝、B寝(4~8号車)普指(9~13号車)さすが東海道線の花形急行、全指定
1970年代東海道本線には多くの寝台客車列車が運転されていました。朝の品川駅には、急行は停車しましたが特急(ブルートレイン)は通過しました。5番線を通過する20系固定客車編成のブルートレイン特急「あさかぜ」2号です 「あさかぜ」下り1号、上り2号は全車両東京~博
1963年に登場し、一時は約700両を誇った東武鉄道8000系ですが後期車も車齢が40~50年、現在はアーバンパークライン以外では、支線や地方ローカルに甘んじています。その中で、復刻塗装で亀戸線や大師線で運行されていた8577編成の「ありがとう」イベントが2025年7月に催さ
盛大なピンボケですみません。夕方、AEで被写界深度が浅い中、急なピント合わせが間に合わず・・・・・急行「きたぐに」 真新しいDD51形の牽引された青森駅11時51分発急行「きたぐに」はグリーン車と食堂車を連結した8両+郵便車の編成です。オロ62が最後尾1号車。 酒田駅
夕方の酒田駅南方で、客車の入れ替えが行われていました。3月になり、日も大分伸びて6時過ぎまで粘れました。D51-28号機(酒)オハフ61+オハ61+オハフ61ヤードに戻っていきました。 つづく
羽越本線秋田行普通837列車です。先頭のD51形のテンダー車が見えます。 木製の背もたれに、車内スピーカー、木枠の広告枠。米坂線の分岐駅坂町駅にて。貨物列車が退避中。D51形初期型「ナメクジ」でした。 つづく
信越本線と羽越本線が乗り入れる新潟県の鉄道の要衝地新津駅です。現在は総合車両製作所新津事業所の所在地として有名ですね。羽越本線の始発列車、普通秋田行837列車。 当時、羽越本線新津発着のSL牽引客車列車は1日3~4往復で、牽引機はC57形かD51形でした。戦後、木造
名古屋行の普通832列車がD51形に引かれて発車。煙突に集煙装置を取り付けた山岳線ならではのD51形402号機。D51-402号機(中津川)は、現在飯田市に静態保存されているようです。 832列車は約5時間かけて200㎞弱を走り、名古屋駅には18時52分に到着します。
中央東線と中央西線を分ける塩尻駅。現在は両線とも松本方面に向かっていますが移転前の当時は両線がスルーで繋がっていて、松本方面には西線と分岐する配線となっていました。発車を待つD51牽引の松本発名古屋行832列車。 当時、西線名古屋方面と、松本、長野方面はスイ
おそらく甲府行と思われる普通列車。オハ二61形荷物合造車を連結していました。ウインドシル、ヘッダーが省略されたオハ35形客車です。 当時、中央東線の普通客車列車は、下り方面は、新宿駅6時15分発長野行421列車同12時37分発長野行423列車、同23時55分発長野行425列車
中央本線に客車列車が走っていた頃の辰野駅です。まだ牽引機関車が貨物用のEF13形で、客車用の蒸気発生器も電源もない為冬場は暖房車を連結していました。辰野駅に入線する甲府行普通客車列車。(6月15日修正)EF13形電気機関車の次位に暖房車マヌ34形がいます。 蒸気を発
当時、東北本線、上信越線方面の普通客車列車が数本停車していました。EF58形牽引の上り普通列車。 郡山や仙台、直江津、長野、果ては青森まで乗換無しで行けたわけで今考えるとすごい時代でした。 つづく
1970年代初頭、尾久客車区には多くの客車の姿がありました。奥からピカピカの12系、旧型グリーン車、10系寝台車等。見えづらいですが、オシ35形がいます。 品川もそうでしたが、車庫は鉄道ファンにとっては宝箱のようなものでした。 つづく
東北本線最初の停車駅尾久駅、読みは「オク」ですが、よくありがちな現象で、地元ではこの辺りを「オグ」というようです。東北本線の夜行急行列車が通過。 終着駅を控え、車内は身支度を整えた乗客がデッキにあつまっているのでしょうね?左の留置線は尾久客車区で、広大
確か、長野駅近くで撮れた写真です。旧形D型電気機関車とC11の廃車体。 電気機関車は、元伊那電気鉄道のED26形でしょうか?C11形もプレートが外されペンキで車番が書かれていました。 つづく
1977年当時の信越本線の普通列車は電化によって、客車列車から70系+戦前型や80系の電車に替わっていました。クハ68023号車、関西で活躍した42系クロハ58形の改造車です。窓配置がカオス! 軽井沢駅にて早朝、長野に向かう70系普通列車の車
信越本線が、本来の路線を保っていた1970年代。2両組で、横軽補機を務めていた「山男」EF63形。 軽井沢駅にて この頃は、どちらかというと観光に傾いていた時期(汗)でした。なので「これだけかい!」と、今は本当に悔
1977年の信州旅行の時に寄った長野駅です。スカ色クハ68形(?)後ろは70系です。 スノープローを装着していますが、季節は夏です。軽井沢から乗車した普通列車だと思います。 つづく
伊豆急行といえば、多くの人が「リゾート21」2100系を思い浮かべると思いますが、登場当時、あまりにも豪華な普通列車に目を奪われたものですね。2100系R1編成 6両編成の時の写真です。全5編成製造された内、R1、R2編成は、足回りを100系から流用していました。憧れの展
観光鉄道としてなじみ深い伊豆急行には、電気機関車も在籍していました。1963年に国鉄(現JR)から譲り受けたED2511号機です。有蓋貨車1両を牽引する姿が可愛い、ED2511号機。後ろに、183系特急「あまぎ」車両が留置中ですね。 ED2511号機は、1944年製造の国鉄ED30形で、
伊豆急行線はJR伊東線の終点伊東駅から伊豆急下田駅までですが、列車は、伊東線の起点熱海駅~伊豆急下田駅間を通して運転されます。伊豆高原駅にて 前2両は1000系で冷房完備の転換クロスシート車で、後ろ4両が100系です。100系の車内。 ロングシートにも、灰皿がありま
1961年(昭和36年)12月に静岡県の伊豆半島の東海岸に開通した伊豆急行。伊東駅~下田駅間約45㎞で、元々国鉄の未成線で、国鉄は1938年に伊東まで開業して以来、工事が進みませんでした。 そこで、国際的な観光資源として東急が名乗りを上げ1959年の免許を取得、建設
現在は、みなとみらい地区の遊歩道となっている旧貨物線を走りました。赤レンガ倉庫の脇を行く臨時列車。 つづく
昭和55年(1980年)横浜港開港120周年を記念して、現在のみなとみらい地区で運行されたSL列車がありました。C58 1号機まだ一帯は、工場地帯でした。 1980年6月中旬、列車は高島線東横浜~山下ふ頭間をはしりました。 つづく
E71形は、大正11年アメリカWH社製ED10形で、東海道線等で使われ1962年旧国鉄から譲渡されました。場所は保谷駅でしょうか? 現在は、横瀬で旧番ED10 2号機に戻され静態保存されています。他にE11形、E21形、E61形が在籍、西武の旧形電気機関車は戦後1980年代まで活躍
E51形は元国鉄ED12形で、大正12年スイスBBC社製。1,400㎜の動輪が特徴ですが、写真ではわかりません。(汗)池袋駅で、入替作業中のE51形。 現在は、E52号機が横瀬に静態保存されています。 つづく
かつて、貨物輸送が盛んだった西武鉄道には、数々の貴重なELが在籍していました。E41形42号機 E41形は、旧青梅鉄道の英国イングリッシュエレクトリック社製輸入機で4両が在籍していました。買収で国鉄1010形となり、そのまま譲渡されたのがE41、E42で出力は127×4kw。ED36
1977年、田園都市線は新玉川線に直通運転を開始します。(田・玉線時代)つきみ野行の8621編成、前から3両目はクハ8000形です。 このころは、新造された田園都市線用8500系に8000系改造車を挟んだ6両編成が多くみられました。 その後、続々入線する8500系車両に入れ替わ
昭和40年代に製造され田園都市線に投入された支線用東急7200系。その内、デハ7200号車とクハ7500号車の2両は東急では異端のアルミ試作車でした。以前の子供の国線の記事と前後してしまいましたね。(汗)大井町駅に停車中のクハ7500他。 重量は驚異の17.9tだったとか。長
東急田園都市線に新玉川線直通以前の1973年、新製投入された8000系5次車。宮前平~鷺沼間を行く8047F4両編成。 18m車ばかりの田園都市線に投入された20m車8043~8051Fは、冷房編成で、デハ8100は8000系列唯一の2パンタでした。(後に編成替えで1パン化)
田園都市線鷺沼駅に隣接する東京メトロ半蔵門線鷺沼検車区、ここはかつて田園都市線(大井町起点時代)の車庫でした。17m、18m車で溢れる鷺沼検車区。6000系や緑の旧形車もいます。 つづく
最近、京急電鉄で運転されているラッピング列車を2つ。「鈴木敏夫とジブリ展」ラッピング列車 1201編成の側面に「千と千尋の神隠し」の千尋とカオナシがラッピンッグされています。2024年4月29日(日・祝)~6月15日(土)まで運行されています。「ハッピーターントレイン
京急と台湾観光局による台湾観光特別ラッピング列車「ビビビビ!台湾」号を2024年6月7日から運転を開始しました。品川駅ホームにて、式典が行われたようです。1025Fが使用されました。各扉に、「台湾」の絵文字 がラッピングされています。 2016年のブルースカイトレイ
JR横浜線と東急田園都市線が接続する長津田駅から出ている「こどもの国線」 こどもの国線は、東急電鉄の路線ではありません。みなとみらい線と同じ「横浜高速鉄道」の路線で、東急は運営を行っています。 写真の車両は7200系ですが、幕板にコルゲートがない唯一のアルミ