山陰本線のSL運転が1971年に終了した次の年に訪れた時の撮影です。DF50形の牽引でした。 現在は観光列車が走る山陰本線旧線にあった旧保津峡駅です。保津川の急流を挟んだ谷あいの駅で、ほかに建物はなくいわゆる秘境駅の一つでした。列車がいない間は、水の音と鳥のさえ
大手私鉄を中心にゆったり鉄道を見つめます。撮り鉄乗り鉄歩き鉄?暖かい目でご覧ください。
タイトルの由来 レールは鉄道全般、KQは京急沿線で生まれ育った私の 鉄道趣味の原点です。
山陰本線のSL運転が1971年に終了した次の年に訪れた時の撮影です。DF50形の牽引でした。 現在は観光列車が走る山陰本線旧線にあった旧保津峡駅です。保津川の急流を挟んだ谷あいの駅で、ほかに建物はなくいわゆる秘境駅の一つでした。列車がいない間は、水の音と鳥のさえ
年末の品川駅は、帰省客で溢れる上野駅の混雑分散を目的に、臨時ホーム7番~10番線ホームを活用し、一部の東北、上信越方面の臨時列車の始発駅となっていました。EF56形電気機関車が蒸気を上げて、発車を持っています。 普段は品川駅では見かけないEF56形、EF57形が客車を
上野口の客車急行のグリーン車は、当時ほとんどオハ61系改造のスロ62形でしたが、東京口の方はスロ54形やオロ10形という生え抜きが活躍していたように思います。急行「紀伊」に連結されたオロ10形。スハネ30形普通寝台車も結構見られました。
夜の品川駅には、多くの下り定期夜行急行が停車しました。19時30分発 33列車 急行「出雲」浜田行 AB寝台、全指定、食堂車20時04分発 35列車 寝台急行「瀬戸」1号 宇野行 AB寝台、グ指定、ビュッフェ20時14分発 37列車 寝台急行「安芸」広島行 AB寝台、食堂車
東京駅と宇高連絡線の乗換駅宇野駅を結んでいた夜行急行「瀬戸」寝台特急「サンライズ瀬戸」のルーツといえるでしょうか?写真は上り寝台急行「瀬戸」2号です。オシ16形ビュッフェ車は6号車。 3号車~5号車、7号車~12号車がB寝台。1号車はスロ54形グリーン車、編成唯一の
夜行で東海道本線を上ってきた急行列車が、終着を前に停車する品川駅。上り夜行急行「銀河」1号、102列車、13号車スハフ43形。 大阪駅21時30分発、東京駅7時03分着大阪駅方 郵便車、B寝、A寝個、A寝、B寝(4~8号車)普指(9~13号車)さすが東海道線の花形急行、全指定
1970年代東海道本線には多くの寝台客車列車が運転されていました。朝の品川駅には、急行は停車しましたが特急(ブルートレイン)は通過しました。5番線を通過する20系固定客車編成のブルートレイン特急「あさかぜ」2号です 「あさかぜ」下り1号、上り2号は全車両東京~博
1963年に登場し、一時は約700両を誇った東武鉄道8000系ですが後期車も車齢が40~50年、現在はアーバンパークライン以外では、支線や地方ローカルに甘んじています。その中で、復刻塗装で亀戸線や大師線で運行されていた8577編成の「ありがとう」イベントが2025年7月に催さ
盛大なピンボケですみません。夕方、AEで被写界深度が浅い中、急なピント合わせが間に合わず・・・・・急行「きたぐに」 真新しいDD51形の牽引された青森駅11時51分発急行「きたぐに」はグリーン車と食堂車を連結した8両+郵便車の編成です。オロ62が最後尾1号車。 酒田駅
夕方の酒田駅南方で、客車の入れ替えが行われていました。3月になり、日も大分伸びて6時過ぎまで粘れました。D51-28号機(酒)オハフ61+オハ61+オハフ61ヤードに戻っていきました。 つづく
羽越本線秋田行普通837列車です。先頭のD51形のテンダー車が見えます。 木製の背もたれに、車内スピーカー、木枠の広告枠。米坂線の分岐駅坂町駅にて。貨物列車が退避中。D51形初期型「ナメクジ」でした。 つづく
信越本線と羽越本線が乗り入れる新潟県の鉄道の要衝地新津駅です。現在は総合車両製作所新津事業所の所在地として有名ですね。羽越本線の始発列車、普通秋田行837列車。 当時、羽越本線新津発着のSL牽引客車列車は1日3~4往復で、牽引機はC57形かD51形でした。戦後、木造
名古屋行の普通832列車がD51形に引かれて発車。煙突に集煙装置を取り付けた山岳線ならではのD51形402号機。D51-402号機(中津川)は、現在飯田市に静態保存されているようです。 832列車は約5時間かけて200㎞弱を走り、名古屋駅には18時52分に到着します。
中央東線と中央西線を分ける塩尻駅。現在は両線とも松本方面に向かっていますが移転前の当時は両線がスルーで繋がっていて、松本方面には西線と分岐する配線となっていました。発車を待つD51牽引の松本発名古屋行832列車。 当時、西線名古屋方面と、松本、長野方面はスイ
おそらく甲府行と思われる普通列車。オハ二61形荷物合造車を連結していました。ウインドシル、ヘッダーが省略されたオハ35形客車です。 当時、中央東線の普通客車列車は、下り方面は、新宿駅6時15分発長野行421列車同12時37分発長野行423列車、同23時55分発長野行425列車
中央本線に客車列車が走っていた頃の辰野駅です。まだ牽引機関車が貨物用のEF13形で、客車用の蒸気発生器も電源もない為冬場は暖房車を連結していました。辰野駅に入線する甲府行普通客車列車。(6月15日修正)EF13形電気機関車の次位に暖房車マヌ34形がいます。 蒸気を発
当時、東北本線、上信越線方面の普通客車列車が数本停車していました。EF58形牽引の上り普通列車。 郡山や仙台、直江津、長野、果ては青森まで乗換無しで行けたわけで今考えるとすごい時代でした。 つづく
1970年代初頭、尾久客車区には多くの客車の姿がありました。奥からピカピカの12系、旧型グリーン車、10系寝台車等。見えづらいですが、オシ35形がいます。 品川もそうでしたが、車庫は鉄道ファンにとっては宝箱のようなものでした。 つづく
東北本線最初の停車駅尾久駅、読みは「オク」ですが、よくありがちな現象で、地元ではこの辺りを「オグ」というようです。東北本線の夜行急行列車が通過。 終着駅を控え、車内は身支度を整えた乗客がデッキにあつまっているのでしょうね?左の留置線は尾久客車区で、広大
当時の団体用客車列車ですが、残念ながら列車は不明です。オールスロ62形っぽい、クーラーにリクライニングシートの豪華な団体列車。所謂「お座敷」客車です。 オハ61系改造のお座敷客車で1両のみ、団体用として定期列車に増結されたレア車両です。のちにお座敷車両はグリ
上野駅を発着していた最後のSL運転は、たしか成田線直通列車でしょうか?1960年代終盤にSLは廃止され、DE牽引となっていました。 上の列車は10時41分発成田行825列車で、成田到着は12時28分で所要時間約1時間50分。上野直通列車(客車)は上下各2本ありました。オハ35形や
夏の臨時列車。臨時急行「しらかわ」51号白河行 8号車~は旧型客車、7号車グリーン車を挟んで1~6号車は新型客車12系で6両ユニットの冷房付き、広めのボックスシートで指定席普通車でした。 東北本線の急行「しらかわ」は那須高原方面への観光客輸送列車と思われます。こ
変化が目まぐるしい京急品川駅ですが、3番線ホームではJR線のりかえ改札の位置が変わりました。 まず、3月12日に泉岳寺方改札が4m、JR側に移動し、4月22日に浦賀方改札が同じように5m移動、1列に揃いスッキリした印象です。泉岳寺方に新設される仮引上げ線。 手前の下り
上野駅を発着する上信越線客車急行列車は、「白山」のほかに夜行急行「越前」 20時40分発福井行(長野駅経由)終着7時10分、603列車夜行急行「鳥海」2号 21時00分発秋田行 終着8時30分、801列車夜行急行「北陸」2号 21時28分発金沢行(長岡駅経由)終着6時55分、16
上野駅16番線で発車を待つ昼行客車急行「白山」601列車です。独特なC-C軸配置のEF62形重連牽引でした。 急行「白山」は、10時04分発で信越線経由で金沢着18時52分。グリーン車は、スロ62形(オハ60系改造車)です。 つづく
今回は、東北本線普通客車列車です。18番線で発車を待つ、独特なスタイルのEF57形電気機関車とスハ32系客車。 上の写真は、15時54分発東北本線普通福島行125列車です。終着は22時38分、272.8㎞約6時間半の道のりです。 1970年代初め東北本線の長距離客車普通列車は他に、
真夏の休日の上野駅9番線に停車中の常磐線普通225列車仙台行です。12時32分発で、仙台到着は21時16分です。荷物合造車スハ二32-2064号車、窓は全開です。 9番線は常磐線近郊ローカル乗り場でしたが、11、12番線ホームの新設で長距離列車乗り場に変更されたばかりの頃です
1970年代初頭、東京の北のターミナルとして親しまれていた上野駅に出入りしていた客車列車です。上野駅に到着するEF80-5号機牽引の常磐線普通列車。 当時は、上野駅発着の常磐線普通列車は近郊列車では電車が主流となっていましたが長距離普通列車は、客車が使われていま
小田急電鉄は2025年度総額約436億円の設備投資計画を発表しました。まず、安全対策の強化鉄道施設の耐震補強工事等:高架橋(世田谷代田~登戸間)、跨線橋(JR相模線、小田原線) ホーム上屋(よみうりランド前駅、相武台前駅、座間駅、長後駅)
京急電鉄は2025年度総額約370億円の設備投資計画を発表しました。同社例年と比較すると、かなり大型なのが特徴です。内容は安全対策の強化:約186億円品川駅付近連続立体交差事業車両の代替新造(1000形8両編成2本)、車内防犯カメラ設置踏切安全対策の強化(光ビーム検知
1970年代初め、東海道本線東京口午後の時間帯に長距離急行の代表格「九州急行」の山陽夜行、東海道昼行型座席急行の上り列車の到着が相次ぎました。八ツ山橋をくぐる旧型客車主体の上り急行列車。 定期列車では急行「霧島」「高千穂」、同じ西鹿児島(現鹿児島中央)始発
東急電鉄は、製造から約20年が経過した車両のリニューアルを2025年度から実施するとのことです。 内訳は目黒線3000系 104両(8×13編成)東横線5050系(5000系を含む、5177F、5178Fは対象外) 184両(8×23編成)田園都市線5000系 180両(10×18編成) 合計468両(5
現在はイベントいがいでは、ほとんど見かけることがなくなった機関車牽引の客車列車。ジョイント音以外聞こえない車内は、大きな魅力でした。EF58形牽引の上り急行「銀河」 急行「銀河」は東海道本線を代表する夜行急行で、東京~大阪間を往復していました。この後20系を
熊本駅以南電化直前の熊本駅にて。キハユニ15形2号車 湘南窓の郵便・荷物合造車で、、元試作電気式気動車キハ44000形からの改造車です。熊本機関区でSLと憩う急行型気動車。 つづく
筑豊本線、朝の風景です。真夏の日の朝ラッシュ、窓を全開にして走る通勤列車。風が気持ちいい!まさに「百鬼夜行」 若松方面の上り列車は、17系、35系、急行型26系、28系の混成編成、見えるだけで9両を連ねる長大普通通勤列車。当時の筑豊本線の賑わいが感じられますね。
福岡県筑豊地方の中心地直方市の玄関口「直方駅」です。若松行の普通列車 4番線ホームに停車中の列車は、筑豊本線直方始発7時03分若松行。若松着は7時55分、24.8kmで50分余りの行程、朝の通勤列車です。とはいえ、ゆったりした風景ですね。 つ
山陽本線姫路駅姫新線ホームに、郵便、荷物扱いの普通列車が停車中。1両目がキハユニ26形合造車で、手荷物業務中ですね。 地上駅時代、国宝「姫路城」と対峙する駅本屋改札正面1番線の姫新線乗り場、列車は、山陽本線下り方向に出発します。 一方、播但線乗り場は反対側
大阪駅に乗り入れていた福知山線気動車列車です。キロハ26形合造車改造のキハ26形300番台305号車。 もとグリーン席は転換クロスシートのままでした。完成したばかりの阪急梅田新駅と、大阪駅を結ぶ歩道橋が見えます。 上の写真、奥にキハ26形300番台がかろうじて確認でき
山陰本線の旧線時代の保津峡駅です。保津川と山の斜面に挟まれた山間の交換可能駅で、周囲は緑の山に囲まれていました。駅前は吊り橋で対岸の道路と結ばれていました。京都方面からやってきた沢山の観光客で賑わいを見せる保津峡駅。 対向列車は、おそらく浜坂駅始発4時44
極寒の1月の辰野駅。窓ガラスが曇り、外を見る為に手でこすっていた様子。 上り急行「アルプス」5号は、糸魚川駅8時10分発(糸魚川~南小谷間普通)のディーゼル急行。小淵沢駅で小海線からの急行「八ヶ岳」を併結、新宿着15時49分。キロ58 5 勾配線用のグリーン車です
飯山線の飯山駅だと思います。キハ55系の旧塗装車(急行色) つづく
旧駅時代の塩尻駅にやってきた気動車急行「赤倉」堂々の12両編成。轟音が構内に響き渡ります。 名古屋始発11時00分、新潟着19時34分、基本10両編成。塩尻駅で向きを変え、松本方面に向かいます。旧駅は、中央東線と西線が真っすぐ繋がっていて、東線から松本方面に乗入れ
野辺山駅の次の駅「信濃川上」駅。交換する上り列車と下り貨物列車(?)がいます。 右の貨物ホームには、山のように袋が積まれていますね。信濃川上駅の名の由来は、東側に千曲川が流れている為でしょうか?千曲川は、日本最長の信濃川の上流、長野県内の呼び名で、この
日本一標高の高い駅小海線野辺山駅付近です。八ヶ岳高原を行くキハ52形他普通3両編成。 キハ52形は、勾配線用の2エンジン(DMH17)180㎰×2の両運車です。普通列車は、小渕沢~小諸間79.8㎞を約3時間弱で走りました。 つづく
中央本線と小海線の分岐駅、小淵沢駅。小海線ホームに停車中の循環急行「のべやま」 小海線には、急行「アルプス」に併結して小海線を往復する急行「八ヶ岳」と長野始発着で信越本線時計周りの急行「のべやま」、中央本線半時計周りの急行「すわ」が運転されていました。
八高線が長く非電化区間だった八王子駅では首都圏のナンバーワン通勤路線で常に混雑する中央線ホームととなり合わせの八高線ホーム。こちらはひっそりとしていていかにもローカル線の雰囲気が対照的でおもしろかったのですが、現在は中央線上りホームとなり面影はありませ
1978年の金沢駅はまだ地平駅時代で、能登方面の七尾線乗り場は0A、0B番線でした。 右は、急行「能登路」6号309D 金沢駅14時09分発輪島行、珠洲行、蛸島行。この列車は途中穴水駅で分割、急行珠洲行4409D16時02分発、急行輪島行309D16時04分発、普通蛸島行431D16時23分
酒田駅0番線ホーム、陸羽西線方面乗り場です。行先案内板に山形行や上野行の文字も見え、優等列車の発着が行われていました。陸羽西線普通17時26分発新庄行、幌やスノープローに雪が残っています。 上の写真のキハ22形はキハ20系寒地用車両で、デッキ式の乗降口に小さな二
山形県酒田市の国鉄羽越本線酒田駅は、機関区に客車、貨物を扱う構内線路が広がる典型的な地方主要駅でした。 70年代初頭、酒田駅に乗り入れる優等列車は特急「いなほ」上野~秋田特急「白鳥」大阪~青森、寝台特急「日本海」大阪~青森急行「出羽」上野~酒田、急行「
総武本線の佐倉~南酒々井間(おそらく)です。 1月の田んぼの中を行く17系気動車の普通列車。先頭は、おそらくキユニ19形。キユニ19形は元キハ44200形電気式気動車(中間車)から改造された珍しい経歴の車両でした。 この後、電化の進展により仲間4両は各地に散らばった
成田機関区でひしめき合う気動車群です。17系気動車の天国、珍しい一般形中間気動車キハ18もいます。両運転台のキハ20形、後ろは通勤型キハ35系。 常磐線の我孫子から成田、銚子を結ぶ成田線はまだ非電化区間でした。もう1本成田と佐倉を結ぶ区間は電化されたばかりでした
70年代初め房総半島の鉄道は蒸気機関車が全廃されましたが、電化されていたのは内房線と、総武本線・成田線の千葉~成田間のみで房総東線、総武本線の急行列車(まだ特急は無し)は気動車でした。 また東京側の始発駅は両国駅で、一部は新宿発着でした。急行「水郷」キハ2
かつて千葉県の鉄道は、気動車王国と呼ばれていました。房総西線(内房線)、房総東線(外房線)、総武本線、成田線など首都圏近郊に多くの非電化区間がありました。 佐倉付近にて 上の写真はキハ35形900番台で、初のステ
運用を2011年に一旦終了し、唯一の丸窓車としてイベントなどで余生を送っていた8111編成。2023年に野田線七光台検修区に復帰、現在も一般列車として運用されています。昭和時代の伝統カラーが目を引く8111編成。 東武鉄道は現在野田線の5両編成化を画策、新型車両80000系
常磐線は1970年代すでに全線電化は完了していました。 上の写真は11時00分発気動車急行「ときわ」5号水戸行です。水戸到着は12時46分。他の急行「ときわ」は電車で運行する中、この編成だけ気動車だったのは郡山行急行「奥久慈」1号を連結するためでした。この列車は水戸
東武鉄道80000系は東武野田線(東武アーバンパークライン)用として新製されました。以前、東京メトロと三菱電機が試験運用した車両推進システム「SynTRACS」(フルSiC-VVVF制御装置と同期リラクタンスモータの組み合わせ)を初の実用化。 また、回生ブレーキで発生した電
2025年3月8日、東武野田線(アーバンパークライン)用新型車両80000系が、営業運転を開始しました。 大宮駅にて 80000系は5両編成で、野田線5両運転化の魁となります。全25編成製造予定で、その内5両編成で製造される
前回のキハ81形から秋田特急「つばさ」を引き継いだ181系ディーゼル特急車両です。16番線に停車中の特急「つばさ」2号秋田行(奥羽本線経由)12時15分発で秋田到着20時30分。因みに15番線にいるのは急行「まつしま」2号仙台行(上野~郡山間季節列車)12時25分発で仙台到着
日本初の特急型気動車80系、キハ81形は1964年特急「はつかり」でデビュー、初期故障に悩まされながらも上野~青森間を運行しました。1968年に電車化で任を解かれると、福島経由の奥羽本線秋田行特急「つばさ」に。しかし、輸送力不足で1969年に上越線、羽越本線経由の秋田
上野駅が輝いていた時代です。常磐線19番線ホームに急行形58系気動車が入線。 常磐線長距離列車が発着する19、20番線。列車は急行「みちのく」7時44分発宮古・鳴子・弘前行です。かつて多くあった多層仕立てで、上野方1、2号車鳴子行・宮古行3~7号車(グ付)・8~11号車
1970年秋の高麗川駅です。 八高線の八王子行、キハ20形とキハ17系の3両編成です。車体サイズの違いが楽しいですね。 つづく
相模線は、東海道線の茅ヶ崎駅から相模原市中部の橋本駅を結んでいます。その中程厚木、海老名駅で、小田急や相鉄線(ルーツ)と接続していますが、自分が馴染みだったのは厚木駅から北側の区間で、残念ながら茅ヶ崎方面は行ったことがありませんでした。
JR東日本の相模線は神奈川県茅ケ崎駅と橋本駅を結ぶ路線です。平成初期に全線電化されるまで、キハ35系等が走っていました。晩年は首都圏色(朱色)からクリームに青帯の地域色を纏っていました。相武台下駅付近を行くキハ11+キハ35+キハ36。 上の写真の道路は、今は拡
三浦海岸駅に停車中の快速特急品川行二代目600形です。種別幕があるのに、種別板を掲げているおおらかさがいいですね。 4両化が行われた頃の613編成です。この時、前照灯がセミシールドビームからシールドビームに変わり、方向幕、種別幕が設置されました。また、パンタグ
浦賀駅ホームに留置中の旧1000形。 街中を疾走する印象の京急らしくないのどかな風景といえますね。浦賀駅に入線するデハ409編成普通列車。 折返しは、文庫行になりました。正面窓に取り付けるタイプの方向幕は、京急の十八番でした。 つづく
京急本線の終点、浦賀駅付近です。 造船の町、港町の駅であるのに、まるで山間の雰囲気を漂わせているところがこの浦賀駅の魅力です。 頭端式で、かつては2面3線の趣のある終着駅でした。金沢文庫行の普通列車。 品川発逗子海岸行普通を補完する本線普通列車で、上の写
1988年頃の横須賀中央駅です。創立90周年記念ラッピングの2000形が見えます。入線する2000形快速特急品川行。 つづく
ある休日、新横浜止まりの目黒線急行で同駅に到着すると通常折返しは中線に入るところ、この日は1番線に入線しました。中線には、西高島平行急行が停車中で、4番線には目黒線の相鉄線直通西高島平行(?)がいました。折返し回送になりました。なんと、3線全部目黒線急行
先日乗車した京急1500形の、優先席を見ると床にその表示が張られていました。 何か、腰かけている人に読ませる向きなんですね。最近よくある優先席スペースいっぱいに表示されているタイプは、「ここには入るなよ」というイメージに対し、こちらは、対象の人が来たら「換
金沢検車区付近で見かけた、普通に見えるけどレアな編成です。1073編成と元非貫通初期車の6両編成です。 一見当たり前のように見えますが、1000形は普通運用では通常4両編成でした。また1000形は6両固定、6両+2両、4両+4両で都営線直通および快速特急運用に就いていました
京急品川駅付近連続立体交差事業の目玉工事ともいえる、八ツ山橋梁架け替えですが仮設トラスに続き本設トラスの全容が見えてきました。 前回1月初めでは、まだごく一部でしたが現在は、巨大なトラス鋼体が組みあがっていました。 右の仮設トラスと仮接合され、JR線上に押
金沢検車区続きです。801-1編成オリジナルスタイル。 本線3両編成普通列車は、寂しすぎます(笑)801-1編成は、側窓が熱線吸収ガラスでカーテンを廃止、また見た目は鏡のようでした。室内は寒色系一辺倒の京急車両の中で、暖色系を採用していました。後に、802-1編成と固
金沢検車区にいた気になるクロスシート車両を、横から。デハ616号車 東急/東洋 M2車は、一部を除き分散式クーラーを搭載。デハ615号車 東急/東洋 M1車は集中式クーラーを搭載。サハ2045号車 川重 集団見合い型シートがわかります。 つづ
金沢検車区付近から。二代目600形快特久里浜行、正面窓で銀色に光っているのは日除けのフィルムです。ヒートポンプ式冷房車(パンタの無い車両) 川車/三菱製の編成633Fと637Fは、M2社の屋根に冷房機がありません。その634、636、638、640号車は、小田急3100形と同じヒー
金沢検車区の最奥部は、八景駅から向かった方が近いので、散歩のお決まりコースは、八景駅で下車して文庫駅まで。この中に、現役はいません。二代目600形とデワ40形(元デハ400形)デト30形 つづく
金沢検車区付近は、良く通った場所でした。写真は1980年頃の撮影です。冷改車1219編成デハ460形、サハ480形6両編成の急行逗子海岸行。冷房改造されたばかりの713編成。 つづく
神武寺駅から逗子線を上り、2つのトンネルを抜けると「六浦」駅です。 本線と合流する金沢八景駅手前です。 文庫止まりの急行は、デハ460形(サハ480形)+デハ420形6両編成。この頃は、方向幕や種別幕が普及していましたが、種別板も使われていました。
神武寺駅です。 上の写真は、元非貫通型の1029編成で冷房装置はまだ取り付けられていません。また、方向幕の表示が「逗子海岸」ではなく「逗子」で、懐かしい省略タイプです。 六浦~神武寺間にあった池のそばを行くデハ460形サハ480形の4連です。
かつての逗子線の終点、「逗子海岸」駅です。夏の海水浴シーズンには、ホームが人で埋まります。 昭和6年「湘南逗子葉山口」駅として開業しました。一旦廃止され、昭和23年「逗子海岸」駅とした再開しました。現在の「逗子・葉山」駅(京浜逗子、逗子海岸の統合駅)の名も
横浜の名刹「弘明寺」とその門前の弘明寺商店街への下車駅、京急の弘明寺駅です。 写真は旧駅舎時代、元は弘明寺の境内ということで寺社造りの駅舎でした。ささやかながら正月飾りが目に付きます。 日ノ出町駅から西に進んだ線路が井土ヶ谷駅の先で90度南に向きを変えま
700形2次車が新製されて間もない頃です。 正面貫通扉の窓が大きくなり、側窓の角にRが付きました。1次車に比べると大分スマートになりました。 当時のこの辺りは緑が濃く、遠くに来たような雰囲気がありました。 つづく
金沢文庫駅から品川方は、現在とあまり変わらない景色です。左からデハ460形、デハ420形、デハ230形。 上の写真の場所は、現在朝夕ラッシュ時の増結車の待機線となっています。当時は、下り線側にも車庫線がありました。 上の写真、正面窓が小窓の700形1次車です。デト30
金沢検車区は、湘南電気鉄道時代の1930年に開設されました。車体更新前の500形。 写真の奥の建物は元金沢工場で1963年に、現在の久里浜工場に移管。その後は、検車庫として使われていました。 駅構内にあった金沢検車区は1974年に現在の場所に移転しました。
1986年から「さわやかギャラリー」号となっていた2011編成。写真は、1988年春でしょうか?「さくら」号として運転されていたものです。 「さわやかギャラリー」号とは、沿線の子供たちの描いた絵を車内に展示していた列車です。定期的に入替が行われ、それぞれ学校の個性
京急電鉄創立90周年(1988年)の記念列車として登場したラッピング編成。「さわやかギャラリー」号、2011編成「ファンタスティックトレイン」号、2041編成 昭和最晩年に走った2000形ラッピング列車でした。 つづく
正月3日、初詣に訪れた明治神宮の帰り、原宿駅にて。 2020年3月新駅舎誕生で、年末年始の臨時ホームが外回りホームになって、境内の乗り場が閉鎖されましたが、初詣帰りに残してほしかった気もします。E259系も活躍の場を広げ、「N’EX」の看板を下ろしました。湘南新宿ラ
現在進められている、京急品川駅付近連続立体交差事業の八ツ山橋梁架け替え工事で架設トラスに続き、橋梁本体のトラス構体が出現しました。JR山手線ホームから。こちらは、第一京浜国道から。 まだ、一部ですが今後の変化が楽しみですね。
2025年、明けましておめでとうございます本年も、引き続きよろしくお願いいたします。 今年は、コロナ過後の利用客の回復を受け、各鉄道で前向きなダイヤ改正も行われます。個人的には、今年は京急の車両新造があるのか気になるところです。
2024年も後1日、年々時間の流れが速くなり、気持ちがついてゆけません(笑) 京急品川駅にてコロナ過以降、年末の鉄道ダイヤが戻らないのが寂しいですね。京急や小田急では、恒例だった終夜運転が今年も実施されません。 来
京浜久里浜駅(現京急久里浜)で折返しの快速特急を待つ間、一旦外へ。日野の懐かしいバスが並んでいます。 折返し2000形快速特急は、すし詰め状態でやってきました。試乗目当ての大人や子供でいっぱいでした。もうカメラは役に立ちません。何とか、横浜駅で下車しました
当時京急では年末に帰省バス(夜行高速バスの全身)の宣伝の為、京急バスの観光バスガイドさんが、乗務員室から案内放送をするのが常で、年の瀬を感じさせる隠れたイベントでした。 この列車の車内にもガイドさんの肉声が流れてきました。今と違い、女性乗務員が皆無な世
1982年12月27日、京急の新型特急車両2000形がデビューしました。早朝、営業1番列車特急三崎口行。 営業開始セレモニーは、1往復後の快速特急(現快特)で行われることになっていました。足慣らしというか、前評判がすごかった為、ファンの分散を狙ったのもか? 1番列車の
1982年12月、試運転を続ける2000形は沿線の注目を一身にあびていました。当時の京急沿線民にとって、まさに夢のようなデラックス車両でした。 実は、右には一般色に塗り替えた800形が止まっていました。それが、結構ショックだったのを覚えています。 1982年12月27日早朝
小田急小田原線開成駅は、神奈川県西部にある現在急行停車駅です。 新松田駅までやってきた快速急行を同駅に停車させる為、種別を急行に変更しています。また、新宿行快速急行も小田原~新松田間は急行扱いです。 車内では、このような案内が表示されます。 しかし、今
2025年3月のダイヤ改正では、ラッシュ時に運転されている「準急」について停車駅に喜多見駅、和泉多摩川駅を追加します。急行線を走行する「準急」 「準急」については2018年のダイヤ改正で、千歳船橋駅、祖師ヶ谷大蔵駅、狛江駅が停車駅に編入されていて、今後「準急」は
小田急電鉄は、2025年3月15日(土)に行われるダイヤ改正にて多摩線に、終日急行が復活します。 現在、新宿直通列車は新百合ヶ丘駅にて小田原線を急行、多摩線を各駅停車で運転されていますがこれが、全線通して急行となります。新百合ヶ丘駅から各駅停車になる現在の急行
1982年12月中旬、当時の新型特急車両2000形2011編成が試運転を繰り返していました。神奈川新町検車区の奥から、出庫する2011編成。 当時の主力旧1000形や700形(二代目)、500形更新車に囲まれひと際輝く車体が印象的でした。 つづく
生麦駅を通過する600形(二代目)快速特急。 4両固定化後、冷房化前の600形です。京急時代は、ロングシート化されることなく最後まで快速特急として走りました。 撮影場所の生麦駅は、まだ2線2面の駅でした。かつては高島線との間に車庫があったようですね。高島線とい
東武鉄道曳舟駅にて。停車中の亀戸線8577編成復刻塗装車。 10000系への置換が囁かれている亀戸線8000系運用ですが、とりあえず大丈夫なようですね?
久しぶりに西武池袋線にやってきました。たまたま2000系のラッピング電車に遭遇。考えてみれば、この形式自体池袋線には現在6本しかありません。2071編成です。 これは、「清瀬駅開業100周年記念トレイン」で今年6月11日から運転されています。正面の金太郎デザインは、
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山陰本線のSL運転が1971年に終了した次の年に訪れた時の撮影です。DF50形の牽引でした。 現在は観光列車が走る山陰本線旧線にあった旧保津峡駅です。保津川の急流を挟んだ谷あいの駅で、ほかに建物はなくいわゆる秘境駅の一つでした。列車がいない間は、水の音と鳥のさえ
年末の品川駅は、帰省客で溢れる上野駅の混雑分散を目的に、臨時ホーム7番~10番線ホームを活用し、一部の東北、上信越方面の臨時列車の始発駅となっていました。EF56形電気機関車が蒸気を上げて、発車を持っています。 普段は品川駅では見かけないEF56形、EF57形が客車を
上野口の客車急行のグリーン車は、当時ほとんどオハ61系改造のスロ62形でしたが、東京口の方はスロ54形やオロ10形という生え抜きが活躍していたように思います。急行「紀伊」に連結されたオロ10形。スハネ30形普通寝台車も結構見られました。
夜の品川駅には、多くの下り定期夜行急行が停車しました。19時30分発 33列車 急行「出雲」浜田行 AB寝台、全指定、食堂車20時04分発 35列車 寝台急行「瀬戸」1号 宇野行 AB寝台、グ指定、ビュッフェ20時14分発 37列車 寝台急行「安芸」広島行 AB寝台、食堂車
東京駅と宇高連絡線の乗換駅宇野駅を結んでいた夜行急行「瀬戸」寝台特急「サンライズ瀬戸」のルーツといえるでしょうか?写真は上り寝台急行「瀬戸」2号です。オシ16形ビュッフェ車は6号車。 3号車~5号車、7号車~12号車がB寝台。1号車はスロ54形グリーン車、編成唯一の
夜行で東海道本線を上ってきた急行列車が、終着を前に停車する品川駅。上り夜行急行「銀河」1号、102列車、13号車スハフ43形。 大阪駅21時30分発、東京駅7時03分着大阪駅方 郵便車、B寝、A寝個、A寝、B寝(4~8号車)普指(9~13号車)さすが東海道線の花形急行、全指定
1970年代東海道本線には多くの寝台客車列車が運転されていました。朝の品川駅には、急行は停車しましたが特急(ブルートレイン)は通過しました。5番線を通過する20系固定客車編成のブルートレイン特急「あさかぜ」2号です 「あさかぜ」下り1号、上り2号は全車両東京~博
1963年に登場し、一時は約700両を誇った東武鉄道8000系ですが後期車も車齢が40~50年、現在はアーバンパークライン以外では、支線や地方ローカルに甘んじています。その中で、復刻塗装で亀戸線や大師線で運行されていた8577編成の「ありがとう」イベントが2025年7月に催さ
盛大なピンボケですみません。夕方、AEで被写界深度が浅い中、急なピント合わせが間に合わず・・・・・急行「きたぐに」 真新しいDD51形の牽引された青森駅11時51分発急行「きたぐに」はグリーン車と食堂車を連結した8両+郵便車の編成です。オロ62が最後尾1号車。 酒田駅
夕方の酒田駅南方で、客車の入れ替えが行われていました。3月になり、日も大分伸びて6時過ぎまで粘れました。D51-28号機(酒)オハフ61+オハ61+オハフ61ヤードに戻っていきました。 つづく
羽越本線秋田行普通837列車です。先頭のD51形のテンダー車が見えます。 木製の背もたれに、車内スピーカー、木枠の広告枠。米坂線の分岐駅坂町駅にて。貨物列車が退避中。D51形初期型「ナメクジ」でした。 つづく
信越本線と羽越本線が乗り入れる新潟県の鉄道の要衝地新津駅です。現在は総合車両製作所新津事業所の所在地として有名ですね。羽越本線の始発列車、普通秋田行837列車。 当時、羽越本線新津発着のSL牽引客車列車は1日3~4往復で、牽引機はC57形かD51形でした。戦後、木造
名古屋行の普通832列車がD51形に引かれて発車。煙突に集煙装置を取り付けた山岳線ならではのD51形402号機。D51-402号機(中津川)は、現在飯田市に静態保存されているようです。 832列車は約5時間かけて200㎞弱を走り、名古屋駅には18時52分に到着します。
中央東線と中央西線を分ける塩尻駅。現在は両線とも松本方面に向かっていますが移転前の当時は両線がスルーで繋がっていて、松本方面には西線と分岐する配線となっていました。発車を待つD51牽引の松本発名古屋行832列車。 当時、西線名古屋方面と、松本、長野方面はスイ
おそらく甲府行と思われる普通列車。オハ二61形荷物合造車を連結していました。ウインドシル、ヘッダーが省略されたオハ35形客車です。 当時、中央東線の普通客車列車は、下り方面は、新宿駅6時15分発長野行421列車同12時37分発長野行423列車、同23時55分発長野行425列車
中央本線に客車列車が走っていた頃の辰野駅です。まだ牽引機関車が貨物用のEF13形で、客車用の蒸気発生器も電源もない為冬場は暖房車を連結していました。辰野駅に入線する甲府行普通客車列車。(6月15日修正)EF13形電気機関車の次位に暖房車マヌ34形がいます。 蒸気を発
当時、東北本線、上信越線方面の普通客車列車が数本停車していました。EF58形牽引の上り普通列車。 郡山や仙台、直江津、長野、果ては青森まで乗換無しで行けたわけで今考えるとすごい時代でした。 つづく
1970年代初頭、尾久客車区には多くの客車の姿がありました。奥からピカピカの12系、旧型グリーン車、10系寝台車等。見えづらいですが、オシ35形がいます。 品川もそうでしたが、車庫は鉄道ファンにとっては宝箱のようなものでした。 つづく
東北本線最初の停車駅尾久駅、読みは「オク」ですが、よくありがちな現象で、地元ではこの辺りを「オグ」というようです。東北本線の夜行急行列車が通過。 終着駅を控え、車内は身支度を整えた乗客がデッキにあつまっているのでしょうね?左の留置線は尾久客車区で、広大
当時の団体用客車列車ですが、残念ながら列車は不明です。オールスロ62形っぽい、クーラーにリクライニングシートの豪華な団体列車。所謂「お座敷」客車です。 オハ61系改造のお座敷客車で1両のみ、団体用として定期列車に増結されたレア車両です。のちにお座敷車両はグリ
1977年当時の信越本線の普通列車は電化によって、客車列車から70系+戦前型や80系の電車に替わっていました。クハ68023号車、関西で活躍した42系クロハ58形の改造車です。窓配置がカオス! 軽井沢駅にて早朝、長野に向かう70系普通列車の車
信越本線が、本来の路線を保っていた1970年代。2両組で、横軽補機を務めていた「山男」EF63形。 軽井沢駅にて この頃は、どちらかというと観光に傾いていた時期(汗)でした。なので「これだけかい!」と、今は本当に悔
1977年の信州旅行の時に寄った長野駅です。スカ色クハ68形(?)後ろは70系です。 スノープローを装着していますが、季節は夏です。軽井沢から乗車した普通列車だと思います。 つづく
伊豆急行といえば、多くの人が「リゾート21」2100系を思い浮かべると思いますが、登場当時、あまりにも豪華な普通列車に目を奪われたものですね。2100系R1編成 6両編成の時の写真です。全5編成製造された内、R1、R2編成は、足回りを100系から流用していました。憧れの展
観光鉄道としてなじみ深い伊豆急行には、電気機関車も在籍していました。1963年に国鉄(現JR)から譲り受けたED2511号機です。有蓋貨車1両を牽引する姿が可愛い、ED2511号機。後ろに、183系特急「あまぎ」車両が留置中ですね。 ED2511号機は、1944年製造の国鉄ED30形で、
伊豆急行線はJR伊東線の終点伊東駅から伊豆急下田駅までですが、列車は、伊東線の起点熱海駅~伊豆急下田駅間を通して運転されます。伊豆高原駅にて 前2両は1000系で冷房完備の転換クロスシート車で、後ろ4両が100系です。100系の車内。 ロングシートにも、灰皿がありま
1961年(昭和36年)12月に静岡県の伊豆半島の東海岸に開通した伊豆急行。伊東駅~下田駅間約45㎞で、元々国鉄の未成線で、国鉄は1938年に伊東まで開業して以来、工事が進みませんでした。 そこで、国際的な観光資源として東急が名乗りを上げ1959年の免許を取得、建設
現在は、みなとみらい地区の遊歩道となっている旧貨物線を走りました。赤レンガ倉庫の脇を行く臨時列車。 つづく
昭和55年(1980年)横浜港開港120周年を記念して、現在のみなとみらい地区で運行されたSL列車がありました。C58 1号機まだ一帯は、工場地帯でした。 1980年6月中旬、列車は高島線東横浜~山下ふ頭間をはしりました。 つづく
E71形は、大正11年アメリカWH社製ED10形で、東海道線等で使われ1962年旧国鉄から譲渡されました。場所は保谷駅でしょうか? 現在は、横瀬で旧番ED10 2号機に戻され静態保存されています。他にE11形、E21形、E61形が在籍、西武の旧形電気機関車は戦後1980年代まで活躍
E51形は元国鉄ED12形で、大正12年スイスBBC社製。1,400㎜の動輪が特徴ですが、写真ではわかりません。(汗)池袋駅で、入替作業中のE51形。 現在は、E52号機が横瀬に静態保存されています。 つづく
かつて、貨物輸送が盛んだった西武鉄道には、数々の貴重なELが在籍していました。E41形42号機 E41形は、旧青梅鉄道の英国イングリッシュエレクトリック社製輸入機で4両が在籍していました。買収で国鉄1010形となり、そのまま譲渡されたのがE41、E42で出力は127×4kw。ED36
1977年、田園都市線は新玉川線に直通運転を開始します。(田・玉線時代)つきみ野行の8621編成、前から3両目はクハ8000形です。 このころは、新造された田園都市線用8500系に8000系改造車を挟んだ6両編成が多くみられました。 その後、続々入線する8500系車両に入れ替わ
昭和40年代に製造され田園都市線に投入された支線用東急7200系。その内、デハ7200号車とクハ7500号車の2両は東急では異端のアルミ試作車でした。以前の子供の国線の記事と前後してしまいましたね。(汗)大井町駅に停車中のクハ7500他。 重量は驚異の17.9tだったとか。長
東急田園都市線に新玉川線直通以前の1973年、新製投入された8000系5次車。宮前平~鷺沼間を行く8047F4両編成。 18m車ばかりの田園都市線に投入された20m車8043~8051Fは、冷房編成で、デハ8100は8000系列唯一の2パンタでした。(後に編成替えで1パン化)
田園都市線鷺沼駅に隣接する東京メトロ半蔵門線鷺沼検車区、ここはかつて田園都市線(大井町起点時代)の車庫でした。17m、18m車で溢れる鷺沼検車区。6000系や緑の旧形車もいます。 つづく
最近、京急電鉄で運転されているラッピング列車を2つ。「鈴木敏夫とジブリ展」ラッピング列車 1201編成の側面に「千と千尋の神隠し」の千尋とカオナシがラッピンッグされています。2024年4月29日(日・祝)~6月15日(土)まで運行されています。「ハッピーターントレイン
京急と台湾観光局による台湾観光特別ラッピング列車「ビビビビ!台湾」号を2024年6月7日から運転を開始しました。品川駅ホームにて、式典が行われたようです。1025Fが使用されました。各扉に、「台湾」の絵文字 がラッピングされています。 2016年のブルースカイトレイ
JR横浜線と東急田園都市線が接続する長津田駅から出ている「こどもの国線」 こどもの国線は、東急電鉄の路線ではありません。みなとみらい線と同じ「横浜高速鉄道」の路線で、東急は運営を行っています。 写真の車両は7200系ですが、幕板にコルゲートがない唯一のアルミ
東急田園都市線(現大井町線)大井町駅にて。梶ヶ谷行の5017ほか4両編成(?) 廃車後各地の鉄道で、第二の人生を送った東急青ガエル5000系ですが、写真のデハ5017号車は、デハ5018号車とともに昭和61年上田交通に譲渡されモハ5003とクハ5053になりました。