上野駅を発着する上信越線客車急行列車は、「白山」のほかに夜行急行「越前」 20時40分発福井行(長野駅経由)終着7時10分、603列車夜行急行「鳥海」2号 21時00分発秋田行 終着8時30分、801列車夜行急行「北陸」2号 21時28分発金沢行(長岡駅経由)終着6時55分、16
大手私鉄を中心にゆったり鉄道を見つめます。撮り鉄乗り鉄歩き鉄?暖かい目でご覧ください。
タイトルの由来 レールは鉄道全般、KQは京急沿線で生まれ育った私の 鉄道趣味の原点です。
かつての田端操車場北口が隣接していた京浜東北線上中里駅。すぐ横を渋谷方面に向かう貨物線が通っていました。現在の湘南新宿ラインです。EF65形1000番台牽引の長大貨物列車。旧形電機も力強い印象でした。丸ボディーのEF10形。 つづく
1970年頃、上り九州急行は夜行で九州を発車して、朝大阪に到着し東海道線を昼行、午後東京に着くダイヤでした。12両編成の季節列車、おそらく急行「高千穂」では?ピンぼけしてますが、153系急行「東海」です。 当時の「東海」は、1号が名古屋行、2、3号が静岡行、4号が大
東海道本線にも、かつては沢山の客車列車が運転されていました。あさかぜ2号(博多~東京) あさかぜ2号のみに連結されていたグリーン座席車ナロ20形です。ほかにも個室付寝台車ナロネ20形や手前の食堂車ナシ20形など、ブルートレイン20系で最も豪華な編成だったようです
急行「銀河」はEF58形の牽引でした。 後ろはスハフ43、スハ44の普通座席指定車、その後ろにA・B寝台車が続きます。元祖湘南電車80系普通列車。 東京口の運転本数は大分少なくなっていました。 つづく
朝、東京を目指し上ってくる寝台特急「あさかぜ」です。京浜東北線の103系と危うく被るところでした。ブルートレインの象徴カニ21電源車。 つづく
このころは、旅客列車の荷物扱いが行われ、113系や80系に荷物電車を連結した列車が普通に走っていました。といいつつ、スカ色クモ二83の重連です。 クモ二83形は、1966年中央本線普通列車の電車化に際し荷物輸送の必要から72系の足回りを流用して約50両が製造されました。
先日、京急電鉄の2024年度鉄道事業設備投資計画が発表されました。総額324億円とかなり大きな額となっています。 まず、さらなる安全対策の強化に約167億円。品川駅付近連続立体交差事業と大師線連続立体交差事業、車内防犯カメラの設置(2026年度全車両完了予定)踏切安
東海道線品川~大井町間に品川寄り、新幹線と山手線が分かれる辺りです。伊豆急下田行特急「あまぎ」号です。 日光形と呼ばれた157系電車です。「日光」「白根」「そよかぜ」と1959年運転開始以来上野口に縁のあった形式でしたが、後年は東海道線や伊豆方面の特急として活
横須賀線の真の終着駅、久里浜駅です。奥は行き止まりです。 久里浜駅は1944年開業で比較的新しい駅で、国府津機関区の支区が置かれていました。たしか輸入電機ED17がいたらしい。EF10 2号機が佇んでいました。 つづく
1972年、鉄道百年記念行事として運転されたSL列車です。 運転されたのは、昭和47年10月14、15日で汐留(旧貨物駅)~東横浜(高島線貨物駅)間で多くの人が沿線に集まりました。 牽引は貴婦人の愛称を持つC57型7号機でした。 つづく
横須賀線大船駅と鎌倉駅の間にある北鎌倉駅は、緑豊かな閑静な佇まいの駅です。入線するスカ色113系は初期タイプ。現在のホームは上屋が端まで伸びています。
今回から始めます、蒸し返し企画(笑)昭和散歩です。第1回はJR(国鉄)鎌倉駅です。鎌倉駅二代目駅舎 鎌倉駅の二代目駅舎は1916年(大正5年)で、屋根の時計塔がシンボルです。震災や戦火を潜り抜け生き残りました。駅前はバスターミナルで、駅に向かって中央の横断歩道
京王線東府中駅から競馬場線の終点府中競馬正門前駅は一駅。京王線を別れ、府中競馬正門前駅へ。 通常は20分間隔で運転され、競馬開催日は10分間隔となるようです。上下線がそろい、平日は明らかに過剰設備な感じですね。2分ほどで到着。ガランとしたホームにかかる駅名
前回の京王線動物園線から、同じ支線の競馬場線の分岐駅東府中駅にやってきました東府中駅1番線ホーム 東府中駅の1番線ホームが競馬場行きの乗り場です。京王線ホームと対照的に人が全くいません。まさに競馬開催日専用線ですwガランとした車内 乗客は自分だけのようで
京王線の高幡不動駅と多摩動物公園駅を結ぶ動物園線を走る7000系です。7801F わずか1駅間を往復する専用車です。かわいいピンクのラッピングに2つのレジャー施設が描かれています。車内も手を抜かない仕上がりですね。 決して多くない沿線の観光地をうまく活用していま
京王れーるランドに展示されている車両は後2つ。井の頭線3000系2719号車6000系 かつて毎年のように初日の出を拝みに「高尾山」に登っていた頃、新宿駅から初代5000系の迎光号に乗車して、車内に流れる「春の海」を聞くでもなし高尾山口駅までうとうとしたことを思い出しま
京王線を代表する名車5000系(初代)です。方向幕が、あの「高尾山口」だったらよかったのに・・・京王初の冷房車5000系は、クーラーのバラエティーがすごかった。天井のグリルもバラエティー豊富でした。 印象深かったのは、天井一面にグリルが広がっていた車両でしたね
次にデハ2010形2015号車です。 2010形は京王電鉄初の高性能車(カルダン駆動車)2000形の出力強化版で1959年に登場しました。K.T.Rは京王帝都電鉄。 デハ2010形+デハ2060形のMM'ユニットで、当初は13m車を挟み4両編成を組んでいました。高尾山口駅に到着するデハ2060形他
京王れーるランドの屋外展示場には5種類の歴代車両が展示されています。一番古いデハ2410号車 この車両は、動物園線に最後(1969年)まで残ったデハ222号車です。車歴は1940年製クハ400形410号車→デハ2400形2410号車→デハ220形222号車かつての社紋。京王帝都電鉄。 車
京王れーるランドは、本館と屋外の二カ所に入場改札があります。左の案内所の自動券売機で入場券が買えます。 入場料は一律400円で、精算をすると領収書とQRコードが印刷された入場券が発行され、それを入り口の改札機の窓にQRコードを翳すと入場できます。なのですが、初
多摩丘陵を縫うように走る多摩モノレール、道路並の勾配もものともしません。下車する多摩動物公園駅に到着です。 目的地は多摩動物公園ではなく、向かいの京王れーるランドです。 京王れーるランドは動物園線多摩動物公園駅に併設(?)されています。入場は初めてで
今回は動画投稿の為の素材撮影で、多摩センター前駅から多摩モノレールに乗車します。前回はいつだったか、久々であることは間違いありません。(どうでもいい?ですね)このまま延伸すれば、町田辺りに行けそうですね?大阪でこんな景色ありました。 使用車両は1000系4
桜が満開となった日曜日、久しぶりに井の頭公園へ行こうと、井の頭線に乗車、井の頭公園駅で下車したのですが。 ついでなのでちょっと撮影でもと、ホームをうろついていると自動放送で、急行通過の案内がありました。程なくやってきた急行は、速度を落としやがて停車しま
井の頭線の高井戸駅に来ました。沿線で一番見晴らしが良く、武蔵野の面影が感じられる駅です。以外に遅れた今年の桜の満開でしたが、駅周辺は桜の見どころでもあります。 桜とレインボーカラーの3000系は良い組み合わせですね。
少し違う景色が欲しくなり大阪メトロ九条駅から弁天橋駅に移動しました。近鉄7000系 弁天橋駅はJR大阪環状線と接続していますが、景色は相変わらず空と高速道路しか見えません。弁天橋駅を発車した400系。 大分日も傾いてきたので撤収です。御堂筋線に乗り継ぎ新大阪駅へ
大阪メトロ中央線400系は独特な前面形状で話題になりました。スターウォーズに登場する戦闘機のようなコクピット風な前面。シートはグリーンの濃淡のハイバック式。窓の天地寸法がシートに合わせて短く、外観には圧迫感が? つづく
阪急の新型車両を見た後、堺筋線直通の電車で本町駅へ。そこで中央線に乗り換え九条駅に移動しました。 大阪メトロ中央線は九条~大阪港間が地上区間で両脇を高速道路に挟まれています。最新車両400系がやってきました。 つづく
上新庄駅まで乗り過ごし、正雀駅に戻ろうと一旦改札を出て登りホームに向かうと・・・ 何やらホームの先に人垣が・・・もしやと思い、ここで待つことにしました。 しかし、待てど暮らせどアレは来ることはありませんでした。別のネタだったのかもしれません。(何を待っ
阪急京都線の南茨木駅です。あの阪急の新型車2300系が見たくて乗り換えました。つぎは、準急の天下茶屋行きです。「メモリアル8300」でした。 目指す正雀駅は2つ先、しかし何も確かめずに準急に飛び乗ったのが間違いでした。降りるはずの正雀駅は見事に通過・・・仕方なく
爽快な大阪モノレールの前面展望を楽しんで、南茨木駅に到着。ここで下車しました。 大阪空港に向け発車します。よく見ると行先表示「大阪空港」の文字の前に飛行機マークが。こんなところに仲間がいました(笑)バックのトラス橋は東大阪線か?阪急に乗り換えます。
広い淀川を渡り摂津市にはいります。美しい純白の淀川橋梁です。 しばらく進むとJR東海鳥飼車両基地が見えてきます。一番左に「レールスター」700系がいますね。 今や貴重な700系を見ることができました。さて次は南茨木駅で下車します。 つ
大阪モノレールは、大阪郊外を環状線のように西に進みます。アッやってきましたね!大阪モノレールの京急ラッピングです。1000形とすれ違ったような錯覚に陥りました(笑) つづく
京阪線の大和田駅から門真市駅で下車、大阪モノレールの乗り換えます。初めての乗車で感心したのが、2階の改札階に読書コーナーがありゆったりしたスペースにテーブルとイスが並んでいました。 構内のコンビニで昼食を購入し、落ち着く場所を探そうというタイミングだった
大和田駅は複々線区間にあり、S字カーブもあり通過する列車が撮影しやすい場所ですね。10000系準急出町柳行 元々支線用に4両編成で製造された10000系が本線にでることはあまりありませんでしたが現在は一部他形式の余剰車両を組込、7両化のうえ本線列車に充当されていま
枚方市で後ろ髪をひかれながら普通列車に乗り換え。現在増備継続中の13000系でした。 一般車両の色使いではない黒を基調としたインテリアには感心させられますね。 大和田駅で電車を降り、少しウォッチングしたいと思います。 つづく
京阪電鉄のプレミアムカーは現在、8000系と3000系の全編成の6号車に組み込まれ特急、快速急行で淀屋橋~出町柳間で運転されています。 料金は概ね大阪~京都間500円、中間区間400円です。快速急行3000系プレミアムカー。青に金色が3000系コンフォート サルーン。このシー
中書島駅は本線と宇治線が接続し、特急が停車する主要駅です。その割に乗降客数は1万数千人/日とあまり多くありません。京阪ならではの、アニメ制作会社の広告。 かつては京都市電も乗入れていたようですね。関西各鉄道で走っている「大阪万博」ラッピング列車。
近鉄から京阪に乗り換え、隣の中書島駅に向かいます。伏見桃山駅この駅は準急と普通しか止まりません。 中書島駅には特急、快速急行が止まるので、3000系のプレミアムカーに乗ろうと思います。 8000系のプレミアムカーは経験済なのですが、こちらは初です。
新田辺駅から桃山御陵前駅に移動、京阪線に乗り換えます。京都線のガード下、奥の鳥居は安産の神として信仰を集める御香宮神社のものです。 振り向くと京阪伏見桃山駅が間近に。 ふと見ると、こんな記念碑がありました。京阪バス発祥の地 1922年当地桃山御陵(明治天
京都線のほぼ中央にある新田辺駅に到着しました。ここには新田辺車庫があります。ここでちょっと珍しいのは京都方面、西大寺方面相方からの折り返し運転があること。二つの都市圏を結ぶ鉄道ならではですね。一極集中の関東では、強いて言えば京急の羽田空港位でしょうか?
近鉄西大寺駅から京都線に乗り換え、京都方面に向かいます。途中で観光特急「あをによし」を撮影する予定です。京都交通局1000系急行国際会館行に乗車中。特急退避のため新祝園駅に停車。 新祝園駅の隣にJR学研都市線の祝園駅が見えます。「ほうその」と読み、中々の難読
布施駅から乗車したのは、阪神1000系の急行奈良行で駅を出ると同時に新生駒トンネル(3,494m)にはいります。阪神電鉄の路線図。 阪神の路線図には自社線のほか、近鉄難波線、奈良線、山陽電鉄線が描かれていますね。 トンネルを抜け生駒駅でけいはんな線、生駒線に接続
東前方の山々に向かってまっすぐ伸びる近鉄奈良線。東花園駅を過ぎ左手に花園車庫が見えます。あおぞらⅡが並んでいました。 近鉄奈良線の見どころはなんといっても瓢箪山駅から石切駅にかけて生駒山地を駆け上がる車窓ですね。大阪の街が一望。石切神社の鳥居でしょうか
隣の布施駅にやってきました。大阪線から奈良線に乗り換えます。近鉄の布施駅は2重構造で2階が大阪線、3階が奈良線、それぞれ島式ホーム1面で退避線があり4線となっています。何気に巨大な駅ですね。特急が通過してゆきます。暗い大阪線ホームとは対照的な奈良線ホーム
そろそろお目当ての列車がやってくる時刻です。それは、2022年に登場した大阪、京都、奈良を結ぶ阪京奈観光特急「あをによし」乗車は諦め、撮影だけでもと考えていました。やってきましたね、あれ?何か一緒に並んでますね。「あをによし」19200系と「かぎろひ」15400系の
最近、近鉄は新造、改造を含め魅力的な特急車両を生んでいますが、事通勤車両に至っては、21シリーズがすでに20年選手で、初期VVVF車の漸くリニューアルが漸く始まりました。今年は久々の新型通勤車両がデビューしますが、まだまだ抵抗制御の50年選手が活躍しています。(
鶴橋駅の次の駅今里駅で複々線をゆく列車を楽しみます。左が大阪線上り上本町行、右が奈良線上り阪神直通。 この場所で撮影するのは6年振りくらいか?赤い伊勢志摩ライナー23000系奇数編成。 つづく
大阪線高安行の普通列車がやってきました。鶴橋駅は方向別の島式ホームですが、次の今里駅は相対式となり、自分の目指す中ホームに行くには大阪線普通しかありません。1422Fリニューアル編成。 ラッキーにも後ろはさっき出会ったリニューアル編成でした。車内の意匠も今風
今回近鉄線を訪れた目的は、80000系「ひのとり」と一昨年登場した阪奈京観光特急「あをによし」19200系を動画に収めることです。「あをによし」の通過時間にはまだ余裕があるので、ここ鶴橋駅で粘ってみます。「ならしか」トレイン1026系1027F。「ならしか」トレインは1027
近鉄鶴橋駅はJR大阪環状線と立体交差で接続しています。大阪環状線は京橋駅で京阪線、新今宮駅で南海電鉄、西九条駅で阪神電鉄、弁天橋駅で大阪メトロと同じように接続していますが、上を取っているのは鶴橋駅のみです。(地下線、軌道線を除く)方向別複々線(大阪線上本
近鉄鶴橋駅のホームにやってきました。大阪線、奈良線の列車はひっきりなしに発着しています。アーバンライナーnext 21020系大阪なんば行 アーバンライナーは近鉄特急の華、名阪甲特急に長く君臨していましたが最新型「ひのとり」赤い80000系にその座を譲り、名阪乙特急
鶴橋駅の乗降客数はJR大阪環状線が約13万人(乗車人員×2)、近鉄線が約12万人、大阪メトロ千日前線が約2.5万人です。 JR各線の通勤路線化によるシュア割れはあるにせよ、昭和の時代約22万人を誇っていた近鉄鶴橋駅を思うと、ちょっとショックですね。乗換改札ではなく、
大阪駅の大屋根を見ると、関西の鉄道に対する価値観がうらやましくなります。JR京都駅、阪急梅田駅、南海なんば駅、大阪メトロ淀屋橋駅のホーム、阪急宝塚駅改札前の大階段、阪神香櫨園駅のレトロ調の駅舎等々。 逆に駅に無駄な(?)お金をかけない関東の鉄道、いや掛け
最近更新が滞ることが多く申し訳ありません。 ええ、気を取り直して、新大阪駅の新幹線エリアから在来線エリアに入り、大阪方面のホームを探します。まず心に銘ずることは「エスカレーターは右に立て」です。本来エスカレーター上は歩いてはいけないので右も左もないので
大山崎で寄り添う阪急線や吹田の新幹線基地、大阪モノレールを眺めるうちに新大阪駅が近づき、急いでデッキに向かいました。2019年以来の5年振りの関西です。広島に向け発車した「ひかり」(これいい) さて、これから近鉄大阪線が接続する鶴橋駅に向かいます。
2024年1月半ばコロナ後初の遠出として関西旅を敢行しました。今回は新横浜始発の広島行き「ひかり」を利用、新大阪には8時過ぎの到着です。遅い日の出を前に、うっすら見え始めた富士山。 乗車した「ひかり」は、新大阪まで小田原、静岡、名古屋、京都停車で「のぞみ」
鶴見線の弁天橋駅は島式1面2線の工場地帯に囲まれた無人駅です。都会では珍しい構内踏切があります。すっかり少数派となった205系国鉄形通勤電車。 近くの鶴見線営業所(旧弁天橋電車区)には新型E131系がいました。
JR鶴見駅鶴見線3、4番線ホームは、その生い立ちから私鉄ターミナルの雰囲気があります。4番線ホームの長ーいニス塗のベンチ。ホーム先端にある連絡階段。3番線ホームと4番線ホームをつなぐだけの通路。 昭和の香りが漂う鶴見駅の様子でした。
JR鶴見駅の鶴見線ホームは、主にコンコース側の3番線から発着しています。日中もそれなりに利用客がいるようです。ホームは頭端式で、4番線へは車止めの後ろ迂回していきます。4番線ホームは、まるで時が止まったような雰囲気に包まれています。
横浜、川崎の臨海地域は京浜工業地帯に属し、重工業が衰退する現在も日本の産業を牽引しています。そこで働く多くの従業員の足として建設されたJR鶴見線。 鶴見臨港鉄道により1930年に全通しました。その始発駅が鶴見駅です。 地平にある京浜東北線ホームに対し鶴見線の
先日、相鉄線横浜駅に降りると2番線の東急5050系快速海老名行が発車するところでした。東急車が相鉄線内運用についていることは知っていましたが・・・・・カメラの準備が間に合いませんでした。列車が出てゆくと、なんと3番線には同じ3000系特急海老名行の姿が。 ツーシ
2024年、明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。正月早々、災害に見舞われた方々に深くお見舞い申し上げます。 今年春、地元が待ちに待った北陸新幹線金沢~敦賀間の開業を前に、何とも水を差す事態になりましたね。 気を取り直して、本年も
京急杉田駅は横浜南部にある駅で、近くにはJR新杉田駅があります。地形的に谷あいにあり、横浜以南では最もスピードがのる区間です。現在の認可速度は110㎞/hですが、話によるとかつてこの区間で旧型車の速度計が120㎞/h(もちろん非公式)を指したことがあるとか。現在は
場所は変わって鹿児島本線熊本駅です。構内入替え用でしょうか?C11型です。給炭塔の近くで憩うC11346号機、後ろはC61型でしょうか? 「九州のSL追っかけ旅」は今回で終わります。当時は、リアルタイムの情報が少なく高校生にとってはバイブルの「鉄道ファン」増刊SL撮
筑豊地方には筑豊本線を中心に網の目のように小さな路線が敷かれていました。その規格の低い線区にはピッタリのタンク型SLのC11型が活躍していました。 直方駅に到着したC11163号機牽引の伊田線、伊田発222列車。隣にはキハ35系気動車の下り列車、ロングシートの通勤型で
都城駅にいた4次車C57192号機です。エンドまで面一のテンダー形状は、C59型のそれと同じです。佐土原駅で客車の後ろに付いていた3次車C57178号機。 キャブやテンダー車の形状が違うのがわかります。テンダーの台車の軸ばねがC57192号機がコイルばね、C57178号機は板ば
地上時代の宮崎駅のホームは1番から3番までで、1993年の高架化後は4番ホームができたようです。特急「にちりん」キハ82系と並ぶ。C57117号機牽引上り普通、宮崎止まりでしょうか? この美しいC57117号機は、その後お召列車に抜擢されるという栄誉を賜ったようです。
2度の九州旅行の時点では筑豊本線にC57型の姿は見かけませんでした。写真は、日豊本線での撮影です。 宮崎駅にてC57115号機 宮崎駅の東側は機関区で、ホームからよく観察できました。C57196号機 C57196号機は戦後製造
今回は、九州を東回りする日豊本線のC61型です。鹿児島本線が昭和45年に完全電化される中同線は昭和40年台後半までSLが活躍していました。早朝にすれ違ったC612号機+C57型の旅客用機関車による重連貨物列車です。突然のことで、ピントが合っていません。 日豊本線では、
鹿児島本線松橋駅を発車するC60型28号機牽引の普通西鹿児島行137列車です。 C60型は大型急行用機関車C59型の従台車を2軸化、軸重を軽減し地方幹線用に改造したものです。つまりC59は2C1のいわゆるパシフィック機、C60は2C2のハドソン機でした。 熊本駅から乗車したとこ
本日2023年12月10日(日)、小田急電鉄はVSE50000形ロマンスカーの団体列車を運転しました。相模大野~片瀬江の島~唐木田~新宿~秦野~箱根湯本~成城学園前を巡ったようです。江ノ島線鶴間~大和間を走るVSE50000形。 今回の運転が最後となり完全に引退します。 また
鹿児島本線完全電化直前の熊本以南には下り10本、上り9本のSL列車がありすべて普通でした。熊本始発のほかに博多方面客車列車の付け替え、また夜行列車も存在しました。熊本駅始発西鹿児島行135列車、約200㎞の道のりです。 つづく
鹿児島本線全線電化直前、最後の活躍を続ける旅客用大型蒸気機関車C60型、C61型。SLが犇めく熊本機関区の近くに赤い交流電気機関車も見えています。発車を待つC6133号機のキャブ。 つづく
鹿児島本線熊本以南電化(全線電化)直前1か月前の松橋駅付近にて架線が張られた線路を走るD51型牽引の貨物列車。 長い貨物編成を引く蒸気機関車は、現代の過保護な(?)動態保存車とは違い現役の頼もしさがよく感じられますね。 つづく
鹿児島本線熊本以南電化直前の熊本駅です。駅西側にあった熊本機関区。2両のD51型(手前D51655号機) つづく
エアポート急行の名前がなくなる、2023年11月25日に実施される京急ダイヤ改正を前に11月22日~24日の間、「さよならエアポート急行」を運行しました。 糀谷駅にて 充当車両には浦賀側が1525編成の8両編成で、1525号車に
筑豊本線新飯塚駅にて。若松方面を向くD51361号機牽引の客車列車。 上の列車、1970年7月時刻表では篠栗線2625D吉塚発後藤寺行のスジのはずで、篠栗線は当時から博多方面に直通する主要路線で、気動車オンリーの路線なのですが? つづく
上越線ではスターのD51型も、当時の筑豊本線では影の薄い存在でした(私見)中間駅を発車するD51206号機牽引の原田発門司港行1724列車小竹~鯰田間の大カーブでD50150号機とすれ違うナメクジD5120号機牽引の貨物列車。 記憶だとこの長い編成の中間に9600型が挟まれてい
この機関車最後は、鹿児島本線鳥栖駅から。大阪行急行の12系客車、大阪万博のステッカーが目を引きます。久大本線のD60型、D51型のキャブと比べると大きさの違いが判りますね。急行「阿蘇」の車窓から つづく
再び筑豊の拠点駅直方です。3番線にはC11型牽引伊田線行橋行428列車、隣の2番線は723列車原田行。 伊田線は現在の平成筑豊鉄道伊田線です。D60型は、D50型譲りの飾り煙突はいいですね。 つづく
冷水峠から下りてきたD60型重連の貨物列車が軽やかに筑前山家駅を通過。ボタ山をバックに飯塚駅を発車するD6027号機牽引客車列車。 つづく
筑豊本線は北九州市の若松駅と筑紫野市原田駅を結ぶ路線ですが、新飯塚駅で博多駅方面に行く篠栗線に接続し、現在はこちらが輸送のメインで、新飯塚~原田間は完全な過疎路線となっています。 当時は一応優等列車が通過していましたが、状況は似たようなものでした。途中
筑豊本線直方駅に若松発原田行723列車が入線するところです。D50140号機牽引723列車。 当時、筑豊本線にはD50型は150号機と205号機の2両が在籍していました。完全なピンぼけですが、すれ違ったのはもう1両の205号機でした。 つづく
相鉄線に9月下旬から東急目黒線3020系がようやく営業運転を開始しました。というかこのブログこそようやく取り上げられましたw3122F「SDGsトレイン」 相模大塚駅にて 二俣川駅にて 相鉄線内でみら
直方駅は筑豊地方の中心駅で多くの蒸気機関車が出入りしていました。D6069号機京都発熊本行急行「天草」の補機を務めるD6028号機。 当時は新型客車だった12系はピカピカの6両固定編成、冷房付きでボックスシートながらシートピッチが広く急行指定車として運用されていま
大正12年、9600型に替わる貨物用大型機関車D50型が生まれ昭和6年までに380両が製造されました。その内、軌道が脆弱な地方線区でも使えるよう従車輪を1軸増やしたのがD60型です。 直方駅の広い構内にポツンと黒煙を上げるD60型。D51型との並び。
日豊本線京都行上り急行「日南1号」の車窓から。南延岡機関区の48696号機です。 大正生まれの古風な車体に、大型前照灯と門鉄デフがちょっと不釣合ですね。 つづく
筑豊本線と鹿児島本線の接続駅折尾、当時は立体交差で地上に相対式2面2線の筑豊本線のホームがありました。小倉方面に鹿児島本線の連絡線があり、門司港や小倉からの列車が乗り入れていましたが、折尾駅は配線の関係で停車できませんでした。また、京都始発の特急「かもめ
今回は大正生まれの万能機、日本の現役SLの最後まで残った名機9600型です。検査明けの黒光りなボディにランボードの白いラインが目に沁みます。79668号機 直方機関区にて直方駅の広い構内には、何両もの同形機が止まっていました。
炭鉱の町、筑豊の中心駅直方です。停車中の725列車C5557号機。 C55型は軸配置2C1のパシフィック機で貴婦人C57の先輩にあたります。大きさやフォルムはほぼ同じですが1番の違いは繊細なスポーク車輪なことです。美しさから言えば、こちらに軍配があがります。(あくまで私
筑前内野駅(?)に到着するC5557号機牽引飯塚始発原田行727列車です。 この日の朝乗車した725列車飯塚行の次の担当のようです。この先、難所の冷水峠に挑みます。 つづく
筑豊本線中間駅に到着する飯塚行725列車です。C5557号機が牽引。 この時、香月線からの若松行が同時発車で甲高い汽笛(おそらく86)が聞こえていました。 つづく
かつてSLブームの頃、東京育ちの自分にとって九州は憧れの地でした。その中でも福岡県の炭鉱地帯を走る筑豊本線はSLの宝庫として某鉄道誌のSL撮影地ガイドで紹介されていたのを読んで、一念発起学校の夏休みに1泊4日の旅に出かけ撮ったものです。親に買ってもらった安い広
筑豊本線天道駅(定かではありません)で自分が乗車している723列車(D50150号機牽引)とすれ違った(複線区間)728列車は前にC5551号機、後補機がD60XX号機を後ろ向きに連結していました。朝8時頃の通勤列車です。D60が後ろ向きに連結しているのが見えますね。 当時の
JR南武支線八丁畷駅で面白い貨物列車に遭遇しました。EF210-126号機とHD300-1号機の重連?HD300-1号機は無動力のようでした。非電化区間まで運んでもらうのでしょうか?(あまり詳しくありません)
かねてより話題となっていた西武鉄道のサステナ車両導入計画の詳細が発表されました。これは、現在残るエネルギー効率の悪い車両(4000系、2000系、101系等)を、新造車両と環境負荷の少ない他社の既存車両(VVVF制御車)を譲渡してもらい100%VVVF車化を目指すものです。
駅自体にはまだ変化が見られない京急北品川駅です。特急印旛日本医大行北総7300形。従来タイプの1000形ステンレス車1097編成。最新型1000形1500番台。 正面から比較すると、車体の違いがよくわかりますね。自分は、この東急車両由来の東急5000系シリーズ、小田急4000形、
東海道本線小田原の一つ手前の鴨宮駅です。富士山が見えます。小田原駅で分離した貨物線を行くEF210「金太郎」種別表示器をフルカラーにしてほしい!
品鶴線(埼京線)、横須賀線・湘南新宿ラインが合流する川崎市矢向付近です。横須賀線E235系と埼京線相鉄12000系のすれ違い。湘南ライナーに替わり登場した特急「湘南」は埼京線(東海道貨物支線)経由のE257系。相鉄12000系
時代は平成に変わり国鉄民営化によりJR東日本となりました。相模線の電化工事が1991年に完了、そのころの所属気動車は朱色の「首都圏色」からクリーム地に青ラインの相模線色になっていました。架線の下を走るキハ35系列車。早春の田園地帯を行く。
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上野駅を発着する上信越線客車急行列車は、「白山」のほかに夜行急行「越前」 20時40分発福井行(長野駅経由)終着7時10分、603列車夜行急行「鳥海」2号 21時00分発秋田行 終着8時30分、801列車夜行急行「北陸」2号 21時28分発金沢行(長岡駅経由)終着6時55分、16
上野駅16番線で発車を待つ昼行客車急行「白山」601列車です。独特なC-C軸配置のEF62形重連牽引でした。 急行「白山」は、10時04分発で信越線経由で金沢着18時52分。グリーン車は、スロ62形(オハ60系改造車)です。 つづく
今回は、東北本線普通客車列車です。18番線で発車を待つ、独特なスタイルのEF57形電気機関車とスハ32系客車。 上の写真は、15時54分発東北本線普通福島行125列車です。終着は22時38分、272.8㎞約6時間半の道のりです。 1970年代初め東北本線の長距離客車普通列車は他に、
真夏の休日の上野駅9番線に停車中の常磐線普通225列車仙台行です。12時32分発で、仙台到着は21時16分です。荷物合造車スハ二32-2064号車、窓は全開です。 9番線は常磐線近郊ローカル乗り場でしたが、11、12番線ホームの新設で長距離列車乗り場に変更されたばかりの頃です
1970年代初頭、東京の北のターミナルとして親しまれていた上野駅に出入りしていた客車列車です。上野駅に到着するEF80-5号機牽引の常磐線普通列車。 当時は、上野駅発着の常磐線普通列車は近郊列車では電車が主流となっていましたが長距離普通列車は、客車が使われていま
小田急電鉄は2025年度総額約436億円の設備投資計画を発表しました。まず、安全対策の強化鉄道施設の耐震補強工事等:高架橋(世田谷代田~登戸間)、跨線橋(JR相模線、小田原線) ホーム上屋(よみうりランド前駅、相武台前駅、座間駅、長後駅)
京急電鉄は2025年度総額約370億円の設備投資計画を発表しました。同社例年と比較すると、かなり大型なのが特徴です。内容は安全対策の強化:約186億円品川駅付近連続立体交差事業車両の代替新造(1000形8両編成2本)、車内防犯カメラ設置踏切安全対策の強化(光ビーム検知
1970年代初め、東海道本線東京口午後の時間帯に長距離急行の代表格「九州急行」の山陽夜行、東海道昼行型座席急行の上り列車の到着が相次ぎました。八ツ山橋をくぐる旧型客車主体の上り急行列車。 定期列車では急行「霧島」「高千穂」、同じ西鹿児島(現鹿児島中央)始発
東急電鉄は、製造から約20年が経過した車両のリニューアルを2025年度から実施するとのことです。 内訳は目黒線3000系 104両(8×13編成)東横線5050系(5000系を含む、5177F、5178Fは対象外) 184両(8×23編成)田園都市線5000系 180両(10×18編成) 合計468両(5
現在はイベントいがいでは、ほとんど見かけることがなくなった機関車牽引の客車列車。ジョイント音以外聞こえない車内は、大きな魅力でした。EF58形牽引の上り急行「銀河」 急行「銀河」は東海道本線を代表する夜行急行で、東京~大阪間を往復していました。この後20系を
熊本駅以南電化直前の熊本駅にて。キハユニ15形2号車 湘南窓の郵便・荷物合造車で、、元試作電気式気動車キハ44000形からの改造車です。熊本機関区でSLと憩う急行型気動車。 つづく
筑豊本線、朝の風景です。真夏の日の朝ラッシュ、窓を全開にして走る通勤列車。風が気持ちいい!まさに「百鬼夜行」 若松方面の上り列車は、17系、35系、急行型26系、28系の混成編成、見えるだけで9両を連ねる長大普通通勤列車。当時の筑豊本線の賑わいが感じられますね。
福岡県筑豊地方の中心地直方市の玄関口「直方駅」です。若松行の普通列車 4番線ホームに停車中の列車は、筑豊本線直方始発7時03分若松行。若松着は7時55分、24.8kmで50分余りの行程、朝の通勤列車です。とはいえ、ゆったりした風景ですね。 つ
山陽本線姫路駅姫新線ホームに、郵便、荷物扱いの普通列車が停車中。1両目がキハユニ26形合造車で、手荷物業務中ですね。 地上駅時代、国宝「姫路城」と対峙する駅本屋改札正面1番線の姫新線乗り場、列車は、山陽本線下り方向に出発します。 一方、播但線乗り場は反対側
大阪駅に乗り入れていた福知山線気動車列車です。キロハ26形合造車改造のキハ26形300番台305号車。 もとグリーン席は転換クロスシートのままでした。完成したばかりの阪急梅田新駅と、大阪駅を結ぶ歩道橋が見えます。 上の写真、奥にキハ26形300番台がかろうじて確認でき
山陰本線の旧線時代の保津峡駅です。保津川と山の斜面に挟まれた山間の交換可能駅で、周囲は緑の山に囲まれていました。駅前は吊り橋で対岸の道路と結ばれていました。京都方面からやってきた沢山の観光客で賑わいを見せる保津峡駅。 対向列車は、おそらく浜坂駅始発4時44
極寒の1月の辰野駅。窓ガラスが曇り、外を見る為に手でこすっていた様子。 上り急行「アルプス」5号は、糸魚川駅8時10分発(糸魚川~南小谷間普通)のディーゼル急行。小淵沢駅で小海線からの急行「八ヶ岳」を併結、新宿着15時49分。キロ58 5 勾配線用のグリーン車です
飯山線の飯山駅だと思います。キハ55系の旧塗装車(急行色) つづく
旧駅時代の塩尻駅にやってきた気動車急行「赤倉」堂々の12両編成。轟音が構内に響き渡ります。 名古屋始発11時00分、新潟着19時34分、基本10両編成。塩尻駅で向きを変え、松本方面に向かいます。旧駅は、中央東線と西線が真っすぐ繋がっていて、東線から松本方面に乗入れ
野辺山駅の次の駅「信濃川上」駅。交換する上り列車と下り貨物列車(?)がいます。 右の貨物ホームには、山のように袋が積まれていますね。信濃川上駅の名の由来は、東側に千曲川が流れている為でしょうか?千曲川は、日本最長の信濃川の上流、長野県内の呼び名で、この
かつての田端操車場北口が隣接していた京浜東北線上中里駅。すぐ横を渋谷方面に向かう貨物線が通っていました。現在の湘南新宿ラインです。EF65形1000番台牽引の長大貨物列車。旧形電機も力強い印象でした。丸ボディーのEF10形。 つづく
1970年頃、上り九州急行は夜行で九州を発車して、朝大阪に到着し東海道線を昼行、午後東京に着くダイヤでした。12両編成の季節列車、おそらく急行「高千穂」では?ピンぼけしてますが、153系急行「東海」です。 当時の「東海」は、1号が名古屋行、2、3号が静岡行、4号が大
東海道本線にも、かつては沢山の客車列車が運転されていました。あさかぜ2号(博多~東京) あさかぜ2号のみに連結されていたグリーン座席車ナロ20形です。ほかにも個室付寝台車ナロネ20形や手前の食堂車ナシ20形など、ブルートレイン20系で最も豪華な編成だったようです
急行「銀河」はEF58形の牽引でした。 後ろはスハフ43、スハ44の普通座席指定車、その後ろにA・B寝台車が続きます。元祖湘南電車80系普通列車。 東京口の運転本数は大分少なくなっていました。 つづく
朝、東京を目指し上ってくる寝台特急「あさかぜ」です。京浜東北線の103系と危うく被るところでした。ブルートレインの象徴カニ21電源車。 つづく
このころは、旅客列車の荷物扱いが行われ、113系や80系に荷物電車を連結した列車が普通に走っていました。といいつつ、スカ色クモ二83の重連です。 クモ二83形は、1966年中央本線普通列車の電車化に際し荷物輸送の必要から72系の足回りを流用して約50両が製造されました。
先日、京急電鉄の2024年度鉄道事業設備投資計画が発表されました。総額324億円とかなり大きな額となっています。 まず、さらなる安全対策の強化に約167億円。品川駅付近連続立体交差事業と大師線連続立体交差事業、車内防犯カメラの設置(2026年度全車両完了予定)踏切安
東海道線品川~大井町間に品川寄り、新幹線と山手線が分かれる辺りです。伊豆急下田行特急「あまぎ」号です。 日光形と呼ばれた157系電車です。「日光」「白根」「そよかぜ」と1959年運転開始以来上野口に縁のあった形式でしたが、後年は東海道線や伊豆方面の特急として活
横須賀線の真の終着駅、久里浜駅です。奥は行き止まりです。 久里浜駅は1944年開業で比較的新しい駅で、国府津機関区の支区が置かれていました。たしか輸入電機ED17がいたらしい。EF10 2号機が佇んでいました。 つづく
1972年、鉄道百年記念行事として運転されたSL列車です。 運転されたのは、昭和47年10月14、15日で汐留(旧貨物駅)~東横浜(高島線貨物駅)間で多くの人が沿線に集まりました。 牽引は貴婦人の愛称を持つC57型7号機でした。 つづく
横須賀線大船駅と鎌倉駅の間にある北鎌倉駅は、緑豊かな閑静な佇まいの駅です。入線するスカ色113系は初期タイプ。現在のホームは上屋が端まで伸びています。
今回から始めます、蒸し返し企画(笑)昭和散歩です。第1回はJR(国鉄)鎌倉駅です。鎌倉駅二代目駅舎 鎌倉駅の二代目駅舎は1916年(大正5年)で、屋根の時計塔がシンボルです。震災や戦火を潜り抜け生き残りました。駅前はバスターミナルで、駅に向かって中央の横断歩道
京王線東府中駅から競馬場線の終点府中競馬正門前駅は一駅。京王線を別れ、府中競馬正門前駅へ。 通常は20分間隔で運転され、競馬開催日は10分間隔となるようです。上下線がそろい、平日は明らかに過剰設備な感じですね。2分ほどで到着。ガランとしたホームにかかる駅名
前回の京王線動物園線から、同じ支線の競馬場線の分岐駅東府中駅にやってきました東府中駅1番線ホーム 東府中駅の1番線ホームが競馬場行きの乗り場です。京王線ホームと対照的に人が全くいません。まさに競馬開催日専用線ですwガランとした車内 乗客は自分だけのようで
京王線の高幡不動駅と多摩動物公園駅を結ぶ動物園線を走る7000系です。7801F わずか1駅間を往復する専用車です。かわいいピンクのラッピングに2つのレジャー施設が描かれています。車内も手を抜かない仕上がりですね。 決して多くない沿線の観光地をうまく活用していま
京王れーるランドに展示されている車両は後2つ。井の頭線3000系2719号車6000系 かつて毎年のように初日の出を拝みに「高尾山」に登っていた頃、新宿駅から初代5000系の迎光号に乗車して、車内に流れる「春の海」を聞くでもなし高尾山口駅までうとうとしたことを思い出しま
京王線を代表する名車5000系(初代)です。方向幕が、あの「高尾山口」だったらよかったのに・・・京王初の冷房車5000系は、クーラーのバラエティーがすごかった。天井のグリルもバラエティー豊富でした。 印象深かったのは、天井一面にグリルが広がっていた車両でしたね
次にデハ2010形2015号車です。 2010形は京王電鉄初の高性能車(カルダン駆動車)2000形の出力強化版で1959年に登場しました。K.T.Rは京王帝都電鉄。 デハ2010形+デハ2060形のMM'ユニットで、当初は13m車を挟み4両編成を組んでいました。高尾山口駅に到着するデハ2060形他
京王れーるランドの屋外展示場には5種類の歴代車両が展示されています。一番古いデハ2410号車 この車両は、動物園線に最後(1969年)まで残ったデハ222号車です。車歴は1940年製クハ400形410号車→デハ2400形2410号車→デハ220形222号車かつての社紋。京王帝都電鉄。 車
京王れーるランドは、本館と屋外の二カ所に入場改札があります。左の案内所の自動券売機で入場券が買えます。 入場料は一律400円で、精算をすると領収書とQRコードが印刷された入場券が発行され、それを入り口の改札機の窓にQRコードを翳すと入場できます。なのですが、初