大阪駅に乗り入れていた福知山線気動車列車です。キロハ26形合造車改造のキハ26形300番台305号車。 もとグリーン席は転換クロスシートのままでした。完成したばかりの阪急梅田新駅と、大阪駅を結ぶ歩道橋が見えます。 上の写真、奥にキハ26形300番台がかろうじて確認でき
大手私鉄を中心にゆったり鉄道を見つめます。撮り鉄乗り鉄歩き鉄?暖かい目でご覧ください。
タイトルの由来 レールは鉄道全般、KQは京急沿線で生まれ育った私の 鉄道趣味の原点です。
大阪駅に乗り入れていた福知山線気動車列車です。キロハ26形合造車改造のキハ26形300番台305号車。 もとグリーン席は転換クロスシートのままでした。完成したばかりの阪急梅田新駅と、大阪駅を結ぶ歩道橋が見えます。 上の写真、奥にキハ26形300番台がかろうじて確認でき
山陰本線の旧線時代の保津峡駅です。保津川と山の斜面に挟まれた山間の交換可能駅で、周囲は緑の山に囲まれていました。駅前は吊り橋で対岸の道路と結ばれていました。京都方面からやってきた沢山の観光客で賑わいを見せる保津峡駅。 対向列車は、おそらく浜坂駅始発4時44
極寒の1月の辰野駅。窓ガラスが曇り、外を見る為に手でこすっていた様子。 上り急行「アルプス」5号は、糸魚川駅8時10分発(糸魚川~南小谷間普通)のディーゼル急行。小淵沢駅で小海線からの急行「八ヶ岳」を併結、新宿着15時49分。キロ58 5 勾配線用のグリーン車です
飯山線の飯山駅だと思います。キハ55系の旧塗装車(急行色) つづく
旧駅時代の塩尻駅にやってきた気動車急行「赤倉」堂々の12両編成。轟音が構内に響き渡ります。 名古屋始発11時00分、新潟着19時34分、基本10両編成。塩尻駅で向きを変え、松本方面に向かいます。旧駅は、中央東線と西線が真っすぐ繋がっていて、東線から松本方面に乗入れ
野辺山駅の次の駅「信濃川上」駅。交換する上り列車と下り貨物列車(?)がいます。 右の貨物ホームには、山のように袋が積まれていますね。信濃川上駅の名の由来は、東側に千曲川が流れている為でしょうか?千曲川は、日本最長の信濃川の上流、長野県内の呼び名で、この
日本一標高の高い駅小海線野辺山駅付近です。八ヶ岳高原を行くキハ52形他普通3両編成。 キハ52形は、勾配線用の2エンジン(DMH17)180㎰×2の両運車です。普通列車は、小渕沢~小諸間79.8㎞を約3時間弱で走りました。 つづく
中央本線と小海線の分岐駅、小淵沢駅。小海線ホームに停車中の循環急行「のべやま」 小海線には、急行「アルプス」に併結して小海線を往復する急行「八ヶ岳」と長野始発着で信越本線時計周りの急行「のべやま」、中央本線半時計周りの急行「すわ」が運転されていました。
八高線が長く非電化区間だった八王子駅では首都圏のナンバーワン通勤路線で常に混雑する中央線ホームととなり合わせの八高線ホーム。こちらはひっそりとしていていかにもローカル線の雰囲気が対照的でおもしろかったのですが、現在は中央線上りホームとなり面影はありませ
1978年の金沢駅はまだ地平駅時代で、能登方面の七尾線乗り場は0A、0B番線でした。 右は、急行「能登路」6号309D 金沢駅14時09分発輪島行、珠洲行、蛸島行。この列車は途中穴水駅で分割、急行珠洲行4409D16時02分発、急行輪島行309D16時04分発、普通蛸島行431D16時23分
酒田駅0番線ホーム、陸羽西線方面乗り場です。行先案内板に山形行や上野行の文字も見え、優等列車の発着が行われていました。陸羽西線普通17時26分発新庄行、幌やスノープローに雪が残っています。 上の写真のキハ22形はキハ20系寒地用車両で、デッキ式の乗降口に小さな二
山形県酒田市の国鉄羽越本線酒田駅は、機関区に客車、貨物を扱う構内線路が広がる典型的な地方主要駅でした。 70年代初頭、酒田駅に乗り入れる優等列車は特急「いなほ」上野~秋田特急「白鳥」大阪~青森、寝台特急「日本海」大阪~青森急行「出羽」上野~酒田、急行「
総武本線の佐倉~南酒々井間(おそらく)です。 1月の田んぼの中を行く17系気動車の普通列車。先頭は、おそらくキユニ19形。キユニ19形は元キハ44200形電気式気動車(中間車)から改造された珍しい経歴の車両でした。 この後、電化の進展により仲間4両は各地に散らばった
成田機関区でひしめき合う気動車群です。17系気動車の天国、珍しい一般形中間気動車キハ18もいます。両運転台のキハ20形、後ろは通勤型キハ35系。 常磐線の我孫子から成田、銚子を結ぶ成田線はまだ非電化区間でした。もう1本成田と佐倉を結ぶ区間は電化されたばかりでした
70年代初め房総半島の鉄道は蒸気機関車が全廃されましたが、電化されていたのは内房線と、総武本線・成田線の千葉~成田間のみで房総東線、総武本線の急行列車(まだ特急は無し)は気動車でした。 また東京側の始発駅は両国駅で、一部は新宿発着でした。急行「水郷」キハ2
かつて千葉県の鉄道は、気動車王国と呼ばれていました。房総西線(内房線)、房総東線(外房線)、総武本線、成田線など首都圏近郊に多くの非電化区間がありました。 佐倉付近にて 上の写真はキハ35形900番台で、初のステ
運用を2011年に一旦終了し、唯一の丸窓車としてイベントなどで余生を送っていた8111編成。2023年に野田線七光台検修区に復帰、現在も一般列車として運用されています。昭和時代の伝統カラーが目を引く8111編成。 東武鉄道は現在野田線の5両編成化を画策、新型車両80000系
常磐線は1970年代すでに全線電化は完了していました。 上の写真は11時00分発気動車急行「ときわ」5号水戸行です。水戸到着は12時46分。他の急行「ときわ」は電車で運行する中、この編成だけ気動車だったのは郡山行急行「奥久慈」1号を連結するためでした。この列車は水戸
東武鉄道80000系は東武野田線(東武アーバンパークライン)用として新製されました。以前、東京メトロと三菱電機が試験運用した車両推進システム「SynTRACS」(フルSiC-VVVF制御装置と同期リラクタンスモータの組み合わせ)を初の実用化。 また、回生ブレーキで発生した電
2025年3月8日、東武野田線(アーバンパークライン)用新型車両80000系が、営業運転を開始しました。 大宮駅にて 80000系は5両編成で、野田線5両運転化の魁となります。全25編成製造予定で、その内5両編成で製造される
前回のキハ81形から秋田特急「つばさ」を引き継いだ181系ディーゼル特急車両です。16番線に停車中の特急「つばさ」2号秋田行(奥羽本線経由)12時15分発で秋田到着20時30分。因みに15番線にいるのは急行「まつしま」2号仙台行(上野~郡山間季節列車)12時25分発で仙台到着
日本初の特急型気動車80系、キハ81形は1964年特急「はつかり」でデビュー、初期故障に悩まされながらも上野~青森間を運行しました。1968年に電車化で任を解かれると、福島経由の奥羽本線秋田行特急「つばさ」に。しかし、輸送力不足で1969年に上越線、羽越本線経由の秋田
上野駅が輝いていた時代です。常磐線19番線ホームに急行形58系気動車が入線。 常磐線長距離列車が発着する19、20番線。列車は急行「みちのく」7時44分発宮古・鳴子・弘前行です。かつて多くあった多層仕立てで、上野方1、2号車鳴子行・宮古行3~7号車(グ付)・8~11号車
1970年秋の高麗川駅です。 八高線の八王子行、キハ20形とキハ17系の3両編成です。車体サイズの違いが楽しいですね。 つづく
相模線は、東海道線の茅ヶ崎駅から相模原市中部の橋本駅を結んでいます。その中程厚木、海老名駅で、小田急や相鉄線(ルーツ)と接続していますが、自分が馴染みだったのは厚木駅から北側の区間で、残念ながら茅ヶ崎方面は行ったことがありませんでした。
JR東日本の相模線は神奈川県茅ケ崎駅と橋本駅を結ぶ路線です。平成初期に全線電化されるまで、キハ35系等が走っていました。晩年は首都圏色(朱色)からクリームに青帯の地域色を纏っていました。相武台下駅付近を行くキハ11+キハ35+キハ36。 上の写真の道路は、今は拡
三浦海岸駅に停車中の快速特急品川行二代目600形です。種別幕があるのに、種別板を掲げているおおらかさがいいですね。 4両化が行われた頃の613編成です。この時、前照灯がセミシールドビームからシールドビームに変わり、方向幕、種別幕が設置されました。また、パンタグ
浦賀駅ホームに留置中の旧1000形。 街中を疾走する印象の京急らしくないのどかな風景といえますね。浦賀駅に入線するデハ409編成普通列車。 折返しは、文庫行になりました。正面窓に取り付けるタイプの方向幕は、京急の十八番でした。 つづく
京急本線の終点、浦賀駅付近です。 造船の町、港町の駅であるのに、まるで山間の雰囲気を漂わせているところがこの浦賀駅の魅力です。 頭端式で、かつては2面3線の趣のある終着駅でした。金沢文庫行の普通列車。 品川発逗子海岸行普通を補完する本線普通列車で、上の写
1988年頃の横須賀中央駅です。創立90周年記念ラッピングの2000形が見えます。入線する2000形快速特急品川行。 つづく
ある休日、新横浜止まりの目黒線急行で同駅に到着すると通常折返しは中線に入るところ、この日は1番線に入線しました。中線には、西高島平行急行が停車中で、4番線には目黒線の相鉄線直通西高島平行(?)がいました。折返し回送になりました。なんと、3線全部目黒線急行
先日乗車した京急1500形の、優先席を見ると床にその表示が張られていました。 何か、腰かけている人に読ませる向きなんですね。最近よくある優先席スペースいっぱいに表示されているタイプは、「ここには入るなよ」というイメージに対し、こちらは、対象の人が来たら「換
金沢検車区付近で見かけた、普通に見えるけどレアな編成です。1073編成と元非貫通初期車の6両編成です。 一見当たり前のように見えますが、1000形は普通運用では通常4両編成でした。また1000形は6両固定、6両+2両、4両+4両で都営線直通および快速特急運用に就いていました
京急品川駅付近連続立体交差事業の目玉工事ともいえる、八ツ山橋梁架け替えですが仮設トラスに続き本設トラスの全容が見えてきました。 前回1月初めでは、まだごく一部でしたが現在は、巨大なトラス鋼体が組みあがっていました。 右の仮設トラスと仮接合され、JR線上に押
金沢検車区続きです。801-1編成オリジナルスタイル。 本線3両編成普通列車は、寂しすぎます(笑)801-1編成は、側窓が熱線吸収ガラスでカーテンを廃止、また見た目は鏡のようでした。室内は寒色系一辺倒の京急車両の中で、暖色系を採用していました。後に、802-1編成と固
金沢検車区にいた気になるクロスシート車両を、横から。デハ616号車 東急/東洋 M2車は、一部を除き分散式クーラーを搭載。デハ615号車 東急/東洋 M1車は集中式クーラーを搭載。サハ2045号車 川重 集団見合い型シートがわかります。 つづ
金沢検車区付近から。二代目600形快特久里浜行、正面窓で銀色に光っているのは日除けのフィルムです。ヒートポンプ式冷房車(パンタの無い車両) 川車/三菱製の編成633Fと637Fは、M2社の屋根に冷房機がありません。その634、636、638、640号車は、小田急3100形と同じヒー
金沢検車区の最奥部は、八景駅から向かった方が近いので、散歩のお決まりコースは、八景駅で下車して文庫駅まで。この中に、現役はいません。二代目600形とデワ40形(元デハ400形)デト30形 つづく
金沢検車区付近は、良く通った場所でした。写真は1980年頃の撮影です。冷改車1219編成デハ460形、サハ480形6両編成の急行逗子海岸行。冷房改造されたばかりの713編成。 つづく
神武寺駅から逗子線を上り、2つのトンネルを抜けると「六浦」駅です。 本線と合流する金沢八景駅手前です。 文庫止まりの急行は、デハ460形(サハ480形)+デハ420形6両編成。この頃は、方向幕や種別幕が普及していましたが、種別板も使われていました。
神武寺駅です。 上の写真は、元非貫通型の1029編成で冷房装置はまだ取り付けられていません。また、方向幕の表示が「逗子海岸」ではなく「逗子」で、懐かしい省略タイプです。 六浦~神武寺間にあった池のそばを行くデハ460形サハ480形の4連です。
かつての逗子線の終点、「逗子海岸」駅です。夏の海水浴シーズンには、ホームが人で埋まります。 昭和6年「湘南逗子葉山口」駅として開業しました。一旦廃止され、昭和23年「逗子海岸」駅とした再開しました。現在の「逗子・葉山」駅(京浜逗子、逗子海岸の統合駅)の名も
横浜の名刹「弘明寺」とその門前の弘明寺商店街への下車駅、京急の弘明寺駅です。 写真は旧駅舎時代、元は弘明寺の境内ということで寺社造りの駅舎でした。ささやかながら正月飾りが目に付きます。 日ノ出町駅から西に進んだ線路が井土ヶ谷駅の先で90度南に向きを変えま
700形2次車が新製されて間もない頃です。 正面貫通扉の窓が大きくなり、側窓の角にRが付きました。1次車に比べると大分スマートになりました。 当時のこの辺りは緑が濃く、遠くに来たような雰囲気がありました。 つづく
金沢文庫駅から品川方は、現在とあまり変わらない景色です。左からデハ460形、デハ420形、デハ230形。 上の写真の場所は、現在朝夕ラッシュ時の増結車の待機線となっています。当時は、下り線側にも車庫線がありました。 上の写真、正面窓が小窓の700形1次車です。デト30
金沢検車区は、湘南電気鉄道時代の1930年に開設されました。車体更新前の500形。 写真の奥の建物は元金沢工場で1963年に、現在の久里浜工場に移管。その後は、検車庫として使われていました。 駅構内にあった金沢検車区は1974年に現在の場所に移転しました。
1986年から「さわやかギャラリー」号となっていた2011編成。写真は、1988年春でしょうか?「さくら」号として運転されていたものです。 「さわやかギャラリー」号とは、沿線の子供たちの描いた絵を車内に展示していた列車です。定期的に入替が行われ、それぞれ学校の個性
京急電鉄創立90周年(1988年)の記念列車として登場したラッピング編成。「さわやかギャラリー」号、2011編成「ファンタスティックトレイン」号、2041編成 昭和最晩年に走った2000形ラッピング列車でした。 つづく
正月3日、初詣に訪れた明治神宮の帰り、原宿駅にて。 2020年3月新駅舎誕生で、年末年始の臨時ホームが外回りホームになって、境内の乗り場が閉鎖されましたが、初詣帰りに残してほしかった気もします。E259系も活躍の場を広げ、「N’EX」の看板を下ろしました。湘南新宿ラ
現在進められている、京急品川駅付近連続立体交差事業の八ツ山橋梁架け替え工事で架設トラスに続き、橋梁本体のトラス構体が出現しました。JR山手線ホームから。こちらは、第一京浜国道から。 まだ、一部ですが今後の変化が楽しみですね。
2025年、明けましておめでとうございます本年も、引き続きよろしくお願いいたします。 今年は、コロナ過後の利用客の回復を受け、各鉄道で前向きなダイヤ改正も行われます。個人的には、今年は京急の車両新造があるのか気になるところです。
2024年も後1日、年々時間の流れが速くなり、気持ちがついてゆけません(笑) 京急品川駅にてコロナ過以降、年末の鉄道ダイヤが戻らないのが寂しいですね。京急や小田急では、恒例だった終夜運転が今年も実施されません。 来
京浜久里浜駅(現京急久里浜)で折返しの快速特急を待つ間、一旦外へ。日野の懐かしいバスが並んでいます。 折返し2000形快速特急は、すし詰め状態でやってきました。試乗目当ての大人や子供でいっぱいでした。もうカメラは役に立ちません。何とか、横浜駅で下車しました
当時京急では年末に帰省バス(夜行高速バスの全身)の宣伝の為、京急バスの観光バスガイドさんが、乗務員室から案内放送をするのが常で、年の瀬を感じさせる隠れたイベントでした。 この列車の車内にもガイドさんの肉声が流れてきました。今と違い、女性乗務員が皆無な世
1982年12月27日、京急の新型特急車両2000形がデビューしました。早朝、営業1番列車特急三崎口行。 営業開始セレモニーは、1往復後の快速特急(現快特)で行われることになっていました。足慣らしというか、前評判がすごかった為、ファンの分散を狙ったのもか? 1番列車の
1982年12月、試運転を続ける2000形は沿線の注目を一身にあびていました。当時の京急沿線民にとって、まさに夢のようなデラックス車両でした。 実は、右には一般色に塗り替えた800形が止まっていました。それが、結構ショックだったのを覚えています。 1982年12月27日早朝
小田急小田原線開成駅は、神奈川県西部にある現在急行停車駅です。 新松田駅までやってきた快速急行を同駅に停車させる為、種別を急行に変更しています。また、新宿行快速急行も小田原~新松田間は急行扱いです。 車内では、このような案内が表示されます。 しかし、今
2025年3月のダイヤ改正では、ラッシュ時に運転されている「準急」について停車駅に喜多見駅、和泉多摩川駅を追加します。急行線を走行する「準急」 「準急」については2018年のダイヤ改正で、千歳船橋駅、祖師ヶ谷大蔵駅、狛江駅が停車駅に編入されていて、今後「準急」は
小田急電鉄は、2025年3月15日(土)に行われるダイヤ改正にて多摩線に、終日急行が復活します。 現在、新宿直通列車は新百合ヶ丘駅にて小田原線を急行、多摩線を各駅停車で運転されていますがこれが、全線通して急行となります。新百合ヶ丘駅から各駅停車になる現在の急行
1982年12月中旬、当時の新型特急車両2000形2011編成が試運転を繰り返していました。神奈川新町検車区の奥から、出庫する2011編成。 当時の主力旧1000形や700形(二代目)、500形更新車に囲まれひと際輝く車体が印象的でした。 つづく
生麦駅を通過する600形(二代目)快速特急。 4両固定化後、冷房化前の600形です。京急時代は、ロングシート化されることなく最後まで快速特急として走りました。 撮影場所の生麦駅は、まだ2線2面の駅でした。かつては高島線との間に車庫があったようですね。高島線とい
東武鉄道曳舟駅にて。停車中の亀戸線8577編成復刻塗装車。 10000系への置換が囁かれている亀戸線8000系運用ですが、とりあえず大丈夫なようですね?
久しぶりに西武池袋線にやってきました。たまたま2000系のラッピング電車に遭遇。考えてみれば、この形式自体池袋線には現在6本しかありません。2071編成です。 これは、「清瀬駅開業100周年記念トレイン」で今年6月11日から運転されています。正面の金太郎デザインは、
京浜川崎駅(現京急川崎)大師線ホームにて。230形McTc+TcMc4両編成。中間に入るクハ280形は元デハ230形、2扉車できれいな編成でした。 230形は1963~1964年にかけての車両更新の際、デハ231~260号車がMcMc編成、それ以降がクハ280形と組むMcTc、TcMc編成となる予定でし
昭和40年代初め正月三が日の八ツ山踏切(品川第1踏切)です。 毎年、年始ダイヤで運転されていた大師線直通急行のデハ230形川崎大師行は、達磨の方向板がアクセントでした。 たしか終夜運転も行っていて、230形独特の間合いの短い独特なジョイント音が近所の寺の除夜の鐘
高架工事中の北品川~北馬場間を行く旧1000形特急押上行です。 下り線は1975年に高架化され、1976年上り線が高架化される前の撮影ですね。この本線と第一京浜国道に挟まれた仮線の敷地には、元々家屋や商店が並んでいました。 自分はこの一連の工事で家が立ち退きとなっ
今は無き、南馬場駅です。南馬場駅に停車中の品川行700形。 南馬場駅は1904年(明治37年)京濱電鐵品川延伸時に開業した駅です。ホームを見てわかる通り、ほぼ線路わきの壁にしか見えません。幅は1mほどで、電車を待つ人は壁にくっついていなければなりませんでした。現
地上時代の南馬場駅(現新馬場)に到着する普通浦賀行です。正面は2枚窓の非貫通旧1000形で、500形から始まった湘南顔です。 よく見ると、側窓に保護棒が2本取り付けられています。これは都営地下鉄乗入れを想定したものです。 「あれ、おかしいんじゃない?」と思われた
新馬場駅がまだ二つの駅だった頃、駅間はたったの400mで京急最短でした。その中間にあった目黒川橋梁です。第一京浜(国道15号線)の橋から。 雪晴れの目黒川を渡る700形(二代目)普通品川行。後ろの建物は、品川図書館です。急行川崎行旧1000形 現在この場所は、新馬場
光線の加減で午後でしょうか、600形(2代目)快速特急が乗客を降ろし引上げ線に向かうところです。既に、冷房化されています。こういう風格のあるクロスシート車は少なくなりました。 種別表示は快特ですが、このころの正式名称は「快速特急」です。最終的に600形は4+4の8
現在の品川駅のホームは、ほぼ上屋で覆われていますが、昭和40年代の2、3番ホームは浦賀方が野ざらしでした。3番線には、2両編成の貸切列車が停車しています。 車番は1124号車+1119号車で、6両編成から2ユニット外した編成です。後ろに品川スポーツランドの看板が見えます
昭和散歩は今回から、昭和の京急電車(再UP)です。 最も古い写真は、昭和40年代の撮影されたものです。先ずは、現在変貌著しい品川駅です。 品川駅は、昭和43年6月に都営地下鉄1号線との直通運転を開始しました。昭和8年の開業以来頭端式ターミナル駅でしたが、1、2番線
京急品川駅付近連続立体交差工事で、品川駅1、2番線の一部浦賀寄りの線路が、仮設化されました。 今後、仮設線は泉岳寺方に延長され、新上り線ホームが建設されるものと思われます。列車が通過すると、かなり喧しいです。 品川駅高輪口再開発は、とにかく京急品川駅地平
京急品川駅連続立体交差事業の最難関、八ツ山橋梁架け替え工事が進捗をみせているようです。車内から見たトラス鋼体。山手線の上に突き出しています。 とはいえ、やけに小さいなと思って調べてみると、これは本設橋梁前方仮設トラスとのこと。まず小さなトラスを渡し、そ
今年3月16日から営業運転を開始している山形新幹線新型車両E8系。臨時の「つばさ」が運転されると知り、東京駅にやってきました。自分としては、初撮影となります。 山形新幹線、秋田新幹線列車は、通常東京方に仙台方面の列車が連結される為、東京駅では、単独運転でな
京王線連続立体交差工事は、8つの工区に区切られています。千歳烏山~仙川間は第8区で、この先は仙川駅、つつじヶ丘駅、柴崎駅まで地平区間が残ります。仙川駅手前の鉄柱が立ち並ぶ異様な区間があります。 この区間は、直上に仮上り線高架橋が設置されます。京急などで見
前回の続きで、八幡山駅構内では八王子方の引上げ線(保線用?)が撤去され、下り高架線が建設されます。 芦花公園駅 芦花公園駅の橋上駅舎は、撤去され仮地下通路が設置されます。下高井戸駅共々、もったいない?
今回の笹塚~仙川間の連続立体交差工事は、8つの工区に分かれています。下高井戸駅付近は第3工区で、下り線ホーム隣に東急世田谷線のホームがあるため直上式工法が取られます。下高井戸駅手前まで、左側(南側)に下り線高架橋用地があります。 現在、下高井戸駅は橋上駅
現在進められている、京王線笹塚~仙川間の連続立体交差事業は、各工区で、高架橋が建ち始めています。 すでに完成している調布駅付近では、地下化されていますが、今回は高架式となっています。八幡山駅付近が、既存の高架区間であることと、井の頭線と交差する明大前駅
前回から大分時間がたって申し訳ありません、再び名鉄600V区間黒野駅から。その日同駅に留置されていた車両達を見てゆきます。モ700形モ703号車 モ750形と同形車で、昭和2年製。片運化されていますが非貫通です。ク2320形ク2326号車 ク2320形は元愛電の電7形で名鉄モ3200
中央線快速車は、グリーン車組込み済の12両編成と、従来の10両編成が混在する為、JR関係者、利用客双方への認知の為、10両車の正面窓に10両ステッカーを張っています。左は12両編成、左は10両編成。 ただし、6+4編成には別のステッカーがはられていました。狸?ステッカー
ダブルデッカーの最新近郊型グリーン車サロE233系0番台に乗車中です。見晴らしの良い2階席から、1階席に移動します。扉に張られたステッカー。 サロの扉には、「普通車扱い」の旨の表示がありました。乗車率は50%余り。窓は平面です。これまた、新鮮です。
中央線快速グリーン車組込列車が、揃うまでのJR東日本の粋な計らい「グリーン車お試し期間」。乗り込んだ車両はサロE233-1号車、車内は235系サロに準ずる仕様となってました。普通車扱いなので、シートカバーはありません。デッキとの仕切りは、ブラックです。モニターと号
訪れた時は、実は事故により運転が見合されていた最中でした。運転再開時刻が示されていたので待機、同胞もちらほら。 そして、電車が動き出して1時間後のこと。なんと2本連続でやってくるようです。折返し快速「青梅行」12両編成。 因みに中央快速グリーン車のサービス
現在進められているJR東日本の中央線快速グリーン車サービスの2025年春の実施計画。既存のE233系0番台10両編成に、2両のグリーン車(サロE233形0番台、サロE232形0番台)を4、5号車として組込、12両化工事が順次行われています。 組込完了まで(春?)の間「グリーン車お
黒野駅には、検車場があり揖斐線、谷汲線車両の月検車等が行われていました。ジオラマのような可愛らしい車庫。一般道から見えた構内。 手前の車両は、ク2320形2325号車は大正15年製の愛知電気鐡道電7形、のちの名鉄モ3200形で、昭和30年代モ3730形に電気機器を譲り、600V
笹塚~仙川間の連続立体交差事業を抱える京王線。ということで、2012年に一足早く連続立体化を済ませた調布駅を久しぶりに訪れました。 外の出ました。 地下化して12年、駅前広場はまだ完成には至っていないようでした。南側ロータリーも整備中。旧線路側から見た旧南
黒野駅~本揖斐駅間を走るモ750形単行列車。 モ750形は、初代名古屋鉄道の名岐線用で、昭和3、4年製。当時はワンマン仕様で、主に黒野駅~本揖斐駅、谷汲駅間で運転されていました。谷汲線を行くモ752号車。 両区間とも、日中は1時間に1本の運転でした。揖斐線忠節駅~黒
名鉄600V区間の揖斐線黒野駅は、終点本揖斐駅の3つ手前で、忠節駅からの列車はここで折り返し、その先黒野駅~本揖斐間は独立した運転となっていました。また、谷汲線の起点で黒野駅~谷汲駅間の運転でした。1番線は本揖斐行、2番線は忠節、新岐阜行です。 忠節駅~黒野
黒野行の急行に乗車して、終点まで移動。岐阜駅前停留場を出発すると、左に曲がり名鉄新岐阜停留場、徹明町で左に曲がり西へ。千手堂で右に曲がり北上、長良川に架かる忠節橋を渡り早田を過ぎて左に曲がると忠節駅に到着します。 乗車中はウトウトしていて写真を撮ってい
新岐阜駅前停留場にて。 市内線の停留場は、道路の真ん中にラインがあるだけで島の仕切りもありません、電車がいないときは、歩道で待つ事になります。 また急行の場合は車体が鉄道規格の為、可動式ステップを使い乗り降りしていました。荷物のある人や女性、子供は、大
ここで、市内線の路面電車を見てゆきましょう。モ550形 モ550形は、昭和25年製の元北陸鉄道金沢市内線モハ2000形。モ560形 モ560形は、昭和32年製元北陸鉄道金沢市内線モハ2200形。モ870形 モ870形は、昭和40年製の元札幌市電A830形です。モ510形が目当てでしたので、残
JR岐阜駅前にあった岐阜駅前停留場にて。 モ510形の車内に入ります。 幅の狭い(2203㎜)車体に2対1で千鳥式の転換クロスシート、シートの色はエンジ、車内色はベージュとそれなりに優等車感がありますね。中央にある運転台。 路面電車由来でしょうが、イモムシ3400系と
前回、路線説明で徹明町~長良北町間(岐阜市内線支線)が抜けていました。当時はまだ営業していました、すいません。 600V区間の看板列車揖斐線直通急行は、岐阜駅前~黒野間で運転されましたが、岐阜駅前停留所~忠節駅間は、路面電車区間で乗降場が低い為、可動式のス
新岐阜駅前停留所にて。揖斐線直通急行と市内線電車。 名鉄600V区間は、路面電車が走る岐阜市内線(岐阜駅前~徹明町、忠節~競輪場前)美濃町線(競輪場前~美濃)田神線(競輪場前~田神)鉄道線の揖斐線(忠節~本揖斐)谷汲線(黒野~谷汲)の計59.4㎞でした。(1987
新鵜沼駅から各務原線で西に向かい終点の新岐阜駅(現名鉄岐阜)に到着。本線と各務原線(田神線)が乗り入れる新岐阜駅は、二階構造で両線は繋がっていません。駅前には岐阜市内線新岐阜駅前停留所があります。 2005年3月31日に惜しくも廃止された岐阜地区600V区間。次回
小田急、東京メトロ、東急不動産が推進する「新宿駅西口地区開発計画」により、小田急百貨店の建物が取り壊され、ターミナル新宿駅も工事の進捗により大きく変貌しています。 天井が低く抑えられ、薄暗い構内は、これがあの小田急新宿駅かと一瞬疑うほど。西口地上改札(
JRの鵜沼駅です。左の階段は、新鵜沼駅連絡用。美濃太田方面列車が到着。キハ40形やキハ48形の3両編成でした。 因みに、鵜沼連絡線から入線した名鉄の「北アルプス」はホームをとおらないため新鵜沼駅、鵜沼駅ともに停車できませんでした。 つ
犬山橋を渡ると線路は右に入り、新鵜沼駅に到着します。左にカーブする線路は、新岐阜駅に向かう各務原線です。 奥に犬山線折返しのパノラマカーが停車中ですが、そこへ分岐するポイントの手前にもう一つのポイントがあると思います。 これは、急行(特急)「北アルプス
名鉄を代表する車両パノラマカーの内、観光車両として誕生した8800系パノラマDX。パノラマ先頭車2両で誕生し、のちに中間車を追加3両編成、4本となりました。この塗装は、1000系パノラマSuperに引き継がれました。展望席と運転台を上下入れ替えたスタイルも8800系が元祖で
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大阪駅に乗り入れていた福知山線気動車列車です。キロハ26形合造車改造のキハ26形300番台305号車。 もとグリーン席は転換クロスシートのままでした。完成したばかりの阪急梅田新駅と、大阪駅を結ぶ歩道橋が見えます。 上の写真、奥にキハ26形300番台がかろうじて確認でき
山陰本線の旧線時代の保津峡駅です。保津川と山の斜面に挟まれた山間の交換可能駅で、周囲は緑の山に囲まれていました。駅前は吊り橋で対岸の道路と結ばれていました。京都方面からやってきた沢山の観光客で賑わいを見せる保津峡駅。 対向列車は、おそらく浜坂駅始発4時44
極寒の1月の辰野駅。窓ガラスが曇り、外を見る為に手でこすっていた様子。 上り急行「アルプス」5号は、糸魚川駅8時10分発(糸魚川~南小谷間普通)のディーゼル急行。小淵沢駅で小海線からの急行「八ヶ岳」を併結、新宿着15時49分。キロ58 5 勾配線用のグリーン車です
飯山線の飯山駅だと思います。キハ55系の旧塗装車(急行色) つづく
旧駅時代の塩尻駅にやってきた気動車急行「赤倉」堂々の12両編成。轟音が構内に響き渡ります。 名古屋始発11時00分、新潟着19時34分、基本10両編成。塩尻駅で向きを変え、松本方面に向かいます。旧駅は、中央東線と西線が真っすぐ繋がっていて、東線から松本方面に乗入れ
野辺山駅の次の駅「信濃川上」駅。交換する上り列車と下り貨物列車(?)がいます。 右の貨物ホームには、山のように袋が積まれていますね。信濃川上駅の名の由来は、東側に千曲川が流れている為でしょうか?千曲川は、日本最長の信濃川の上流、長野県内の呼び名で、この
日本一標高の高い駅小海線野辺山駅付近です。八ヶ岳高原を行くキハ52形他普通3両編成。 キハ52形は、勾配線用の2エンジン(DMH17)180㎰×2の両運車です。普通列車は、小渕沢~小諸間79.8㎞を約3時間弱で走りました。 つづく
中央本線と小海線の分岐駅、小淵沢駅。小海線ホームに停車中の循環急行「のべやま」 小海線には、急行「アルプス」に併結して小海線を往復する急行「八ヶ岳」と長野始発着で信越本線時計周りの急行「のべやま」、中央本線半時計周りの急行「すわ」が運転されていました。
八高線が長く非電化区間だった八王子駅では首都圏のナンバーワン通勤路線で常に混雑する中央線ホームととなり合わせの八高線ホーム。こちらはひっそりとしていていかにもローカル線の雰囲気が対照的でおもしろかったのですが、現在は中央線上りホームとなり面影はありませ
1978年の金沢駅はまだ地平駅時代で、能登方面の七尾線乗り場は0A、0B番線でした。 右は、急行「能登路」6号309D 金沢駅14時09分発輪島行、珠洲行、蛸島行。この列車は途中穴水駅で分割、急行珠洲行4409D16時02分発、急行輪島行309D16時04分発、普通蛸島行431D16時23分
酒田駅0番線ホーム、陸羽西線方面乗り場です。行先案内板に山形行や上野行の文字も見え、優等列車の発着が行われていました。陸羽西線普通17時26分発新庄行、幌やスノープローに雪が残っています。 上の写真のキハ22形はキハ20系寒地用車両で、デッキ式の乗降口に小さな二
山形県酒田市の国鉄羽越本線酒田駅は、機関区に客車、貨物を扱う構内線路が広がる典型的な地方主要駅でした。 70年代初頭、酒田駅に乗り入れる優等列車は特急「いなほ」上野~秋田特急「白鳥」大阪~青森、寝台特急「日本海」大阪~青森急行「出羽」上野~酒田、急行「
総武本線の佐倉~南酒々井間(おそらく)です。 1月の田んぼの中を行く17系気動車の普通列車。先頭は、おそらくキユニ19形。キユニ19形は元キハ44200形電気式気動車(中間車)から改造された珍しい経歴の車両でした。 この後、電化の進展により仲間4両は各地に散らばった
成田機関区でひしめき合う気動車群です。17系気動車の天国、珍しい一般形中間気動車キハ18もいます。両運転台のキハ20形、後ろは通勤型キハ35系。 常磐線の我孫子から成田、銚子を結ぶ成田線はまだ非電化区間でした。もう1本成田と佐倉を結ぶ区間は電化されたばかりでした
70年代初め房総半島の鉄道は蒸気機関車が全廃されましたが、電化されていたのは内房線と、総武本線・成田線の千葉~成田間のみで房総東線、総武本線の急行列車(まだ特急は無し)は気動車でした。 また東京側の始発駅は両国駅で、一部は新宿発着でした。急行「水郷」キハ2
かつて千葉県の鉄道は、気動車王国と呼ばれていました。房総西線(内房線)、房総東線(外房線)、総武本線、成田線など首都圏近郊に多くの非電化区間がありました。 佐倉付近にて 上の写真はキハ35形900番台で、初のステ
運用を2011年に一旦終了し、唯一の丸窓車としてイベントなどで余生を送っていた8111編成。2023年に野田線七光台検修区に復帰、現在も一般列車として運用されています。昭和時代の伝統カラーが目を引く8111編成。 東武鉄道は現在野田線の5両編成化を画策、新型車両80000系
常磐線は1970年代すでに全線電化は完了していました。 上の写真は11時00分発気動車急行「ときわ」5号水戸行です。水戸到着は12時46分。他の急行「ときわ」は電車で運行する中、この編成だけ気動車だったのは郡山行急行「奥久慈」1号を連結するためでした。この列車は水戸
東武鉄道80000系は東武野田線(東武アーバンパークライン)用として新製されました。以前、東京メトロと三菱電機が試験運用した車両推進システム「SynTRACS」(フルSiC-VVVF制御装置と同期リラクタンスモータの組み合わせ)を初の実用化。 また、回生ブレーキで発生した電
2025年3月8日、東武野田線(アーバンパークライン)用新型車両80000系が、営業運転を開始しました。 大宮駅にて 80000系は5両編成で、野田線5両運転化の魁となります。全25編成製造予定で、その内5両編成で製造される
京王れーるランドに展示されている車両は後2つ。井の頭線3000系2719号車6000系 かつて毎年のように初日の出を拝みに「高尾山」に登っていた頃、新宿駅から初代5000系の迎光号に乗車して、車内に流れる「春の海」を聞くでもなし高尾山口駅までうとうとしたことを思い出しま
京王線を代表する名車5000系(初代)です。方向幕が、あの「高尾山口」だったらよかったのに・・・京王初の冷房車5000系は、クーラーのバラエティーがすごかった。天井のグリルもバラエティー豊富でした。 印象深かったのは、天井一面にグリルが広がっていた車両でしたね
次にデハ2010形2015号車です。 2010形は京王電鉄初の高性能車(カルダン駆動車)2000形の出力強化版で1959年に登場しました。K.T.Rは京王帝都電鉄。 デハ2010形+デハ2060形のMM'ユニットで、当初は13m車を挟み4両編成を組んでいました。高尾山口駅に到着するデハ2060形他
京王れーるランドの屋外展示場には5種類の歴代車両が展示されています。一番古いデハ2410号車 この車両は、動物園線に最後(1969年)まで残ったデハ222号車です。車歴は1940年製クハ400形410号車→デハ2400形2410号車→デハ220形222号車かつての社紋。京王帝都電鉄。 車
京王れーるランドは、本館と屋外の二カ所に入場改札があります。左の案内所の自動券売機で入場券が買えます。 入場料は一律400円で、精算をすると領収書とQRコードが印刷された入場券が発行され、それを入り口の改札機の窓にQRコードを翳すと入場できます。なのですが、初
多摩丘陵を縫うように走る多摩モノレール、道路並の勾配もものともしません。下車する多摩動物公園駅に到着です。 目的地は多摩動物公園ではなく、向かいの京王れーるランドです。 京王れーるランドは動物園線多摩動物公園駅に併設(?)されています。入場は初めてで
今回は動画投稿の為の素材撮影で、多摩センター前駅から多摩モノレールに乗車します。前回はいつだったか、久々であることは間違いありません。(どうでもいい?ですね)このまま延伸すれば、町田辺りに行けそうですね?大阪でこんな景色ありました。 使用車両は1000系4
桜が満開となった日曜日、久しぶりに井の頭公園へ行こうと、井の頭線に乗車、井の頭公園駅で下車したのですが。 ついでなのでちょっと撮影でもと、ホームをうろついていると自動放送で、急行通過の案内がありました。程なくやってきた急行は、速度を落としやがて停車しま
井の頭線の高井戸駅に来ました。沿線で一番見晴らしが良く、武蔵野の面影が感じられる駅です。以外に遅れた今年の桜の満開でしたが、駅周辺は桜の見どころでもあります。 桜とレインボーカラーの3000系は良い組み合わせですね。
少し違う景色が欲しくなり大阪メトロ九条駅から弁天橋駅に移動しました。近鉄7000系 弁天橋駅はJR大阪環状線と接続していますが、景色は相変わらず空と高速道路しか見えません。弁天橋駅を発車した400系。 大分日も傾いてきたので撤収です。御堂筋線に乗り継ぎ新大阪駅へ
大阪メトロ中央線400系は独特な前面形状で話題になりました。スターウォーズに登場する戦闘機のようなコクピット風な前面。シートはグリーンの濃淡のハイバック式。窓の天地寸法がシートに合わせて短く、外観には圧迫感が? つづく
阪急の新型車両を見た後、堺筋線直通の電車で本町駅へ。そこで中央線に乗り換え九条駅に移動しました。 大阪メトロ中央線は九条~大阪港間が地上区間で両脇を高速道路に挟まれています。最新車両400系がやってきました。 つづく
上新庄駅まで乗り過ごし、正雀駅に戻ろうと一旦改札を出て登りホームに向かうと・・・ 何やらホームの先に人垣が・・・もしやと思い、ここで待つことにしました。 しかし、待てど暮らせどアレは来ることはありませんでした。別のネタだったのかもしれません。(何を待っ
阪急京都線の南茨木駅です。あの阪急の新型車2300系が見たくて乗り換えました。つぎは、準急の天下茶屋行きです。「メモリアル8300」でした。 目指す正雀駅は2つ先、しかし何も確かめずに準急に飛び乗ったのが間違いでした。降りるはずの正雀駅は見事に通過・・・仕方なく
爽快な大阪モノレールの前面展望を楽しんで、南茨木駅に到着。ここで下車しました。 大阪空港に向け発車します。よく見ると行先表示「大阪空港」の文字の前に飛行機マークが。こんなところに仲間がいました(笑)バックのトラス橋は東大阪線か?阪急に乗り換えます。
広い淀川を渡り摂津市にはいります。美しい純白の淀川橋梁です。 しばらく進むとJR東海鳥飼車両基地が見えてきます。一番左に「レールスター」700系がいますね。 今や貴重な700系を見ることができました。さて次は南茨木駅で下車します。 つ
大阪モノレールは、大阪郊外を環状線のように西に進みます。アッやってきましたね!大阪モノレールの京急ラッピングです。1000形とすれ違ったような錯覚に陥りました(笑) つづく
京阪線の大和田駅から門真市駅で下車、大阪モノレールの乗り換えます。初めての乗車で感心したのが、2階の改札階に読書コーナーがありゆったりしたスペースにテーブルとイスが並んでいました。 構内のコンビニで昼食を購入し、落ち着く場所を探そうというタイミングだった
大和田駅は複々線区間にあり、S字カーブもあり通過する列車が撮影しやすい場所ですね。10000系準急出町柳行 元々支線用に4両編成で製造された10000系が本線にでることはあまりありませんでしたが現在は一部他形式の余剰車両を組込、7両化のうえ本線列車に充当されていま
枚方市で後ろ髪をひかれながら普通列車に乗り換え。現在増備継続中の13000系でした。 一般車両の色使いではない黒を基調としたインテリアには感心させられますね。 大和田駅で電車を降り、少しウォッチングしたいと思います。 つづく