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1件〜30件

  • 「戦後」は終わったのか、を考えるために~濫読日記

    「戦後」は終わったのか、を考えるために~濫読日記   「戦後史」(中村政則著)    「あとがき」によれば「戦後史」と銘打った著作は過去に1冊しかない。北村公宏著の上下2巻(筑摩書房、1985年)。刊行時期の関係で、中曽根康弘内閣までしか追いきれていない。その後、89年にベルリンの壁が崩壊、ソ連も消滅した。冷戦の終りは、日本国内の政治、経済にとってもインパクトのあるできごとだった。さらには、さまざまな歴史認識の書き換えにもつながった(少なくとも、つながるはずであった)。これらが2冊目の「戦後史」を書くに至った、主要なモチベーションだったことは想像に難くない。  著者の視点の特徴は、大きくいえば二つある。「貫戦史」論と、「60年体制」論である。貫戦史とは、戦争を時代の絶対的な画期としない考え方。戦前と戦後を断絶させることなく、システムのつながりを..

  • 自立した個人を認める社会に・映画「ⅰ 新聞記者ドキュメント」を観て~社会時評

    自立した個人を認める社会に・ 映画「ⅰ 新聞記者ドキュメント」を観て~社会時評    昨今の安倍政権の腐敗ぶりは目に余る。森友学園、加計学園疑惑に続いて、今度は「桜を見る会」である。見境なく「お友達」に招待状を送る。後援会パーティーの会計は「なあなあ」、ばれれば子供だましの方便で言い訳をする。森友、加計に通じる体質が見え隠れする。国民の知る権利がないがしろにされる。国会における野党、社会におけるメディアの力が弱体化した(弱体化された?)結果の体たらくである。  「ⅰ 新聞記者ドキュメント」を見た。最近、話題に上ることの多い東京新聞社会部の望月衣塑子記者を追った。監督はオウム真理教を題材にした「A」「A2」、佐村河内守を追った「FAKE」の森達也。  沖縄、森友、加計問題、前川喜平元文部事務次官問題を通じ政治権力と闘う望月記者に密着。彼女のタフネ..

  • 大岡文学の総体に分け入る~濫読日記

    大岡文学の総体に分け入る~濫読日記   「大岡昇平の時代」(湯川豊著)    私の中で、「俘虜記」や「野火」を遺した大岡昇平は優れた戦場小説家(戦争小説家ではない)であった。世間では、これらの小説を評価して「戦後派作家」の典型とみなす向きもある。こうした見方に対して、湯川豊はこう断言する。  ―-大岡昇平は昭和の作家である、と私は考えている。  作家としてのスタートは、敗戦翌年に書いた「俘虜記」だった。亡くなったのが1988年12月25日。「昭和」が「平成」に変わる10数日前だった。この昭和の作家が身を賭して何を遺そうとしたのか、それはきちんと受け継がれているのか。死から30年たった今、忘れ去られてはいないか。この焦燥感にも似た思いが、湯川に「大岡昇平論=大岡昇平の時代」を書かせたようだ。  大岡の文体に対する評価の入り口は、私..

  • 活劇としては楽しめるが~映画「ホテル・ムンバイ」

    活劇としては楽しめるが~映画「ホテル・ムンバイ」    2008年のムンバイ同時多発テロを映画化した。伝統と外観の美しさで知られた五つ星のタージマハルホテルを主な舞台とした。  事件後、テロリストの司令塔としてパキスタンのある組織が浮かび上がったが、詳細はつかめないまま今日に至っている。つまり、テロの背後関係は不明である。インドとパキスタンは独立後、宗教対立を核にした流血の歴史があるため、こうした事件との因果関係には簡単には踏み込めない部分がある。そうした中でこの映画は作られた。  武装したテロリストとホテル従業員、宿泊客らの対決が大きな構図。テロリスト=絶対悪、対するホテル関係者と宿泊客=絶対善が座標軸となっているため、ナチスの所業を描いた戦争映画、ネイティブアメリカンと対決するかつての西部劇と基本的には変わらない。パニック映画でもあるという点で「タ..

  • せめぎあう現実と虚構~映画「永遠の門―ゴッホの見た未来」

    せめぎあう現実と虚構~ 映画「永遠の門―ゴッホの見た未来」    社会学者・吉見俊哉の「平成時代」を読んでいて、1980年代に日本人が経験したものは現実との緊張関係を失った地平での「浮遊する<虚構>の言説」だったというくだりに行きあたった。  この問題意識のベースにある現実と虚構、リアルとバーチャルの格闘ないしせめぎあいのようなものは、考えてみればいつの時代、どんな個人にもあった。特に芸術家を語る場合、重要になる。画家のゴッホも、そうした文脈上で語られてきたことの多い人物だ。記憶するところ、多くは「狂人」かそれに近い人物としてデッサンされた。さて「永遠の門―ゴッホの見た未来」はどう描くのか。関心の的はそこにあった。  ――さまざまなゴッホ像がある中、比較的ゴッホに寄り添ったのではないか。  そういう評価に落ち着きそうだ。突き放すことなくゴッホ..

  • 「愚かな戦争」という教訓~濫読日記

    「愚かな戦争」という教訓~濫読日記   「ノモンハン 責任なき戦い」(田中雄一著)    日本史の教科書では「ノモンハン事件」という。事件? ソ連(当時)とモンゴルの国境地帯で起きた出来事は、偶発的な紛争といった響きで伝えられた。1939年5月から8月にかけ3次にわたった抗争で、日本は1万5千、ソ連は5万を超す兵力を投入。ソ連軍の圧倒的な機甲力(「ノモンハン…」によれば1938年時点でソ連の戦車1900両、日本は170両だったという)の前に日本軍は兵の8割が死傷した。これは「事件」でも、当時日本が常用した「事変」でもなかった。戦争そのものだった。なぜ「事件」として矮小化されたのか。  日本は「ノモンハン」から2年後に太平洋戦争に突入した。そしてソ連は「ノモンハン」直後、ドイツに続いてポーランドに進駐(ポーランド分割)、第2次大戦の火ぶたを切った..

  • 永遠に答えの出ない問い~映画「ひとよ」

    永遠に答えの出ない問い~映画「ひとよ」    「弧狼の血」の白石和彌監督が「家族」をテーマにした作品を仕上げた。  ―といえば全く違う内容と思えるが、根底の部分は共通している。「弧狼の血」は、マル暴担当の刑事・大上章吾(役所広司)が暴力団の上層部と通じて常軌を逸した捜査手法をとる。そのことに若い刑事は疑問を抱く。しかし、大上には、それがカタギの市民を救う道だという信念があった…。  世間から見れば道を外れた行動が、実は信念に満ちた行動だった。その行動は許されるのか、否か。「ひとよ」が問いかけたテーマだが「弧狼の血」と通底するテーマでもある。  家庭内暴力が止まらない夫を見かね、稲村こはる(田中裕子)はある夜、殺してしまう。「お前たちはもう自由だ。好きなことがやれる。なりたいものになれる」と言い残し刑に服した後、各地を転々、15年たって子どもたち..

  • 閉塞状況から立ち上がる~映画「閉鎖病棟 それぞれの朝」

    閉塞状況から立ち上がる~映画「閉鎖病棟 それぞれの朝」    精神病棟が舞台。これ以上ない閉塞状況に追い込まれた人たちが、それぞれに再生の道を求める。  秀丸(笑福亭鶴瓶)は妻と父の情交現場に出くわし、逆上して二人を殺してしまう。さらに寝たきりの母を不憫に思い絞殺する。死刑判決を受けたが、刑執行後も死ぬことができず、前例のない事態に慌てた当局によって精神病棟をたらいまわしにされる。  由紀(小松菜奈)は、義父による性的暴力によって妊娠、自殺を図るが死ねない。チュウさん(綾野剛)は幻聴に苦しみ、妹夫婦からも見捨てられる。  こうした三人がいる病棟である日、殺人事件が起きた。由紀に暴行を加えた男を、秀丸は許せなかったのだ。こうして秀丸は再び被告台に立つ。そこで弁護側の証人に立ったのは由紀だった。世間的には生きる価値のない男と見られていた秀丸のために..

  • アメリカの「原罪」を直視した作品~映画「荒野の誓い」

    アメリカの「原罪」を直視した作品~映画「荒野の誓い」    「クレイジー・ハート」(2009年)で落ち目のカントリーウェスタン歌手の再生を、「ファーナス 決別の朝」(2013年)で、トランプ現象の背景にもなったプアホワイトの閉塞状況を描いたスコット・クーパー監督が西部劇を作った。  クーパーの作品にひかれるのは、いずれも魂の物語を紡ぎだすからだが、はたしてこの「荒野の誓い」も期待を裏切らなかった。  ネイティブアメリカン(先住民)との戦いも終わった1892年、米国西部ニューメキシコ州の刑務所に勤務する騎兵隊大尉ジョー(クリスチャン・ベール、「バイス」での演技が記憶に新しい。「ファーナス」でもクーパー監督とタッグ)は、ある任務を言い渡される。ガンの末期症状にあったシャイアン族の族長イエロー・ホーク(ウエス・ステューディ)を故郷モンタナまで護衛しろというの..

  • 日本の「慣性の法則」を解明する~濫読日記

    日本の「慣性の法則」に切り込む~濫読日記   「日本社会のしくみ 雇用・教育・福祉の歴史社会学」(小熊英二著)    制度や慣習を変えたいのに変わらない。そんなとき、よく使われる言葉がある。「慣性の法則」―。  著者の小熊英二は、総合的な戦後史の記述を目指しているという。政治、経済、外交、教育、社会、文化、思想を連関させ、世界的な同時代動向とも比較しながら、日本の戦後史を描く(この部分「日本のしくみ」の「あとがき」から)。これまでの「仕事」から見て、小熊なら可能であろう。時代のトレンドやムーブメントを組み込んだ、戦後のシステムの成り立ちを解明する試みといえる。ところがここで問題が起きた。戦後の各分野を連関させるためには、それらを串刺しにする共通の視座が必要になる。世界史の中で日本の戦後史を位置付けるということであれば、視座は世界的に普遍性のある..

  • 「まなざしの地獄」にあえぐ一人の女性~映画「よこがお」

    「まなざしの地獄」にあえぐ一人の女性~映画「よこがお」    「淵に立つ」で、刑期を終えたある男の出現によって破滅へと向かう家族を描いた深田晃司監督が、ある事件を契機にいやおうなく加害の立場に立たされ苦悩する女性を描いた。二つの作品に共通するのは、私たちを取り巻く日常の板子一枚下は地獄であり不条理である、ということである。  白川市子(筒井真理子)は、訪問看護士をしていた。日本画家だった女性・大石塔子(大方斐沙子)も彼女の受け持ちだった。塔子の娘洋子(川隅奈保子)、その娘基子(市川実日子)とサキ(小川未祐)が一つの家族として暮らしていた。基子やサキは市子を慕い、看護士と家族の関係以上の付き合いをしていた。ある日、喫茶店で待ち合わせた3人のところへ市子の甥・鈴木辰夫(須藤蓮)が顔を見せる。辰夫は市子に頼まれた介護福祉士の参考書を置いて、その場を去った。 ..

  • 妄想と狂気と現実~映画「JOKER」

    妄想と狂気と現実~映画「JOKER」    自我と社会の折り合いがつかなかったとき、社会が間違っていると思う人間は革命家に、自我に落ち度があると思う人間は狂人になる、とどこかで読んだことがある。もちろんこれはシンボライズされたレトリックで、現実はそこまで単純ではない。その間には無段階の「革命家」と「狂人」とのせめぎあいがあり、「革命家」はときに「犯罪者」に置き換えられる。  革命家を犯罪者と同列に扱うのはいささか乱暴では、と思うかもしれないが、マルクスやレーニンさえもある人々から見れば犯罪者だし、ダッカ事件で単純な刑事事件の受刑者を日本赤軍が釈放を求めた例があった。社会と自我という構図の中で、革命家と犯罪者の障壁はさほどないといえる。  さて、映画「JOKER」である。「バットマン」で、主人公と戦う悪のヒーロー。彼がどのように生まれたかを描いた。 ..

  • 普通の人たちが織りなすドラマ~映画「真実」

    普通の人たちが織りなすドラマ~映画「真実」    「我が人生を振り返る」式のインタビュー番組、もしくはインタビュー記事というものを、基本的に信じないことにしている。自分に都合よく語られているからだ。改ざん、もしくは嘘が混じっているとまでは言わないが、人間だれしも、自分に都合の悪いことは言わないものだ。そして、自分に都合のいい部分は必要以上に多く語る。だから、あまたある「自伝」と称するものも、一歩引いて眺めることにしている。  是枝裕和の新作「真実」を観た。  フランスの女優ファビエンヌ(カトリーヌ・ドヌーブ)が自伝を出した。タイトルは「真実」。彼女には脚本家の娘リュミエール(ジュリエット・ビノシュ)と夫ハンク(イーサン・ホーク)、7歳の娘シャルロット(クレモンティーユ・グルニエ)がおり、たまたまニューヨークからパリへと尋ねてきた。女優と家庭人を天秤にか..

  • 共同体が持つ不気味な排斥力~映画「楽園」

    共同体が持つ不気味な排斥力~映画「楽園」    吉田修一の短編集「犯罪小説集」から2編を組み合わせ、一本の作品とした。二つの話を結ぶ糸は、「共同体」という名の不気味な圧力である。共同体は常に何らかの求心力を持つ(持たなければ分解する)。求心力は同質性を求め、異物は排斥される。そこで、この作品のテーマは、排斥されるものと、するものとの葛藤である。  問題はベクトルである。求心力の方向へと向かう人々にとって、眼前の共同体は守るべき「楽園」と映る。その力が、特定の人々には「排斥力」として作用する。この不気味な力学を描くにあたって、「楽園」と名付けたのは、そのあたりの思考法がある。  監督は「ヘヴンズストーリー」「菊とギロチン」の瀬々敬久。復讐の物語に「ヘヴンズ…」と名付けたアイロニカルな思考法が、「楽園」のタイトルにもみられる。「ヘヴンズ…」も「菊とギロチン..

  • 原作ほどにドラマ性はない~映画「蜜蜂と遠雷」

    原作ほどにドラマ性はない~映画「蜜蜂と遠雷」    恩田陸の直木賞、本屋大賞受賞作を映画化した。原作は、文句なく世上の評価を得た作品だ。それを映画化して何の懸念があろう、と思われるのだが、私には一つ、引っかかるものがあった。  ピアノコンクールでの天才たちの思いや振る舞いを描いた作品。そのためには、まず音楽自体のかたちを、文字という音から最も遠い表現手段によって手に入れなければならない。恩田は、そのことに並々ならない努力を傾注した。そのことは、幻冬舎文庫末尾に編集者の視点で志儀保博「『蜜蜂と遠雷』の思い出」として書かれていて興味深い。「音」を文字によって実体化するという、ほとんど不可能に近い作業によって「蜜蜂と遠雷」は成立した。  ところが、今度はその作品を音と映像によって表現するという。いうまでもなく、音楽と映像は極めて親和性が高い。もちろん、それな..

  • いま必要なのは政権交代だ~三酔人風流奇譚

    いま必要なのは政権交代だ~三酔人風流奇譚   ◆原発をめぐる深い闇 A)関西電力の経営陣が、福井県高浜町の元助役(今年3月死亡)から3億円余り相当の金品を受け取っていたことが分かった。 B)国税当局の調査で発覚し、昨年夏に関電自身が調査したところ、社内の20人に渡っていたらしい。会長、社長が会見し、元助役の森山栄治氏が特異な個性の持ち主で、要するにすごまれて怖かったから返せなかったと子供の使いのようなことを言っていた。構図としては森山氏がもうこの世にいないので「死人に口なし」、森山氏にすべて罪を擦り付けようとしているように見える。 C)その後、関電の幹部が金品を受け取ったのは森山氏だけからではなく、原発関連工事を請け負った建設業者からもあったらしい。 B)元々の情報の出どころが関電自身の内部調査だから、自らの罪状はできるだけ小さく見せよ..

  • 2019-09-21

    ボサノバの神の実像を追う~映画「ジョアン・ジルベルトを探して」    ジョアン・ジルベルト。今年7月に亡くなった。アントニオ・カルロス・ジョビンらとともにボサノバの始祖といわれる。特にジルベルトはボサノバの神ともされ、カリスマ的な色彩が強い。それは、彼がギターとその声だけでボサノバの透明な音楽性を作り出したことが大きい。しかし、それ以上に、滅多に人との関係を持たない、そのキャラクターに由来しているのかもしれない。  事実、彼は2008年のコンサート(出身地バイーヤで開かれた)を最後に、没するまでほぼ10年間、特定の少数を例外として人との交流を断った。ホテルにこもり作曲に専念していたという。  そうした彼の実像を追ったのがドイツ人ジャーナリスト、マーク・フィッシャーだった。しかし、執念は実らずジルベルトに会うことはできなかった。彼の死後、未完の記録「オバ..

  • 画調は豪華絢爛だが~映画「人間失格 太宰治と3人の女たち」

    画調は豪華絢爛だが~映画「人間失格  太宰治と3人の女たち」    鎌倉の海でのバーホステスとの入水自殺未遂(女性は死亡、睡眠薬自殺未遂との説もある)に始まる作家・太宰治の女性遍歴を追った。妻・美知子との結婚生活を顧みず、歌人・太田静子、夫の復員を待つ山崎富江との愛におぼれた日々を描く。太宰には小栗旬、美知子に宮沢りえ、冨江に二階堂ふみという配役。小栗の太宰はどう見ればいいのかよく分からないが、3人の女性はいずれも実力派と見た。特に二階堂の演技は熱が入っていた。ただ、全体を通してみればいくつかの違和感があった。大まかに言えば、これは太宰を描いた映画なのか、という疑問。そして、なぜ今、太宰なのかという疑問である。  センセーショナルな小説を相次いで発表し、売れっ子作家となった太宰は、肺の病にも関わらず、編集者や文壇仲間を引き連れて毎夜飲み歩く。違和感の一は、そ..

  • 世界観を賭けた戦争の実像

    世界観を賭けた戦争の実像   「独ソ戦 絶滅戦争の惨禍」(大木毅著)    第二次大戦中、ドイツとソ連の間で展開された戦争は、日本が米英と戦った戦争とはスケールが違っていた。それは犠牲者数を見ても明らかである。「独ソ戦」でも、両国の死者数に触れているが、それによると、ソ連側の死者(非戦闘員含む)は2700万人、ドイツ側は600万~800万人と推計されている。ソ連側の数字は長らく2000万人と我々にはインプットされてきたが、ソ連崩壊後に上方修正されたという。日本のそれは厚生省調査で310万人(非戦闘員含む)とされ、これだけでも規模の違いが分かる。  なぜ、これほどの大戦争になったのだろうか。「独ソ戦」の著者大木毅は、互いの世界観を賭けた戦いであり、相手を絶滅しなければ自国の生存はかなわないと思ったからだ、という。加えて、両国がヒットラー、スターリ..

  • ネット社会によって虚構化された自己~濫読日記

    ネット社会によって虚構化された自己~濫読日記   「平成時代」(吉見俊也著)   ■「時代」への疑問  昭和が終わって平成が始まり、その平成も幕を閉じて令和が始まった。元号と時代を考える時、昭和と平成、あるいは令和との間には大きな違いがある。明治から昭和にかけて天皇の定めた憲法が存在し、昭和の途中から平成にかけては国民主権のもとでの憲法が存在した。昭和の初めまでは天皇の名において戦争が始められたが、いま天皇にそんな力はない。  では、いま元号とはなんだろうか。ある期間をバーチャルに区切っただけのものではないか。そう考えると、昭和には一定の時代的実在があるが、平成にはそんなものはないのではないか。  「平成時代」を書いた吉見俊也もそのあたりが気になるらしく、「はじめに」の最後で触れている。  ――「元号」はフィクションにす..

  • 2019-09-07

    理屈抜きで楽しめる~映画「ワンス・アポン ・ア・タイム・イン・ハリウッド」    1969年といえば、アメリカが最後の輝きを放っていたころだ。そのころのハリウッドを舞台に栄光と失意の日々を描いた。  テレビドラマの西部劇で売れかかったリック・ダルトン(レオナルド・ディカプリオ)だが、今一つスター階段に届かない。マカロニウェスタン出演のオファーが来たりする。そのため時として情緒不安定になる。彼を陰で支えるのがベトナム帰りの専属スタント、クリフ・ブース(ブラッド・ピット)。二人は絶妙のコンビだった。リックの豪邸の隣にある日、派手なスポーツカーの二人が引っ越してきた。映画界の鬼才と呼ばれたロマン・ポランスキーと若手女優シャロン・テート(マーゴット・ロビー)だった。落ち目の俳優と日の出の勢いの監督が隣り合わせに住む。まさしく「ハリウッド」だった。  目..

  • 現代を生き延びるファシズム~濫読日記

    現代を生き延びるファシズム~濫読日記   「ファシスト的公共性 総力戦体制のメディア学」(佐藤卓己著)    サブタイトル「総力戦体制」とは、第1次大戦から米ソ冷戦終結までの約70年間を指す(英歴史家エリック・ホブズボームによれば「短い20世紀」)。第1次大戦は主として独ソが国家総動員体制を競った時代であり、米国参戦と第2次大戦、そして米ニューディール政策、米ソ冷戦へと続いた。この時代は、別の言い方をすればプロパガンダの時代であった。国家による宣伝と扇動によって大衆が動員された時代だった。  世界史的には、貴族社会からブルジョワジーによる市民社会の時代へと変遷する中で、プロレタリアートの時代はあったものの、それらを包括した大衆動員の時代=ファシズムの時代は明確な位置づけがなされてこなかった。黙殺された、ともいえる。日本でも戦時の軍国主義から戦後..

  • 戦禍の犠牲者はいつも弱者~映画「存在のない子供たち」

    戦禍の犠牲者はいつも弱者~ 映画「存在のない子供たち」    真っ先に戦禍の犠牲になるのは弱者、それも子供たちである。終戦直後の東京では路上や地下道に家も家族も失った子供たちが溢れた。沖縄戦では、ガマ(洞窟)の入り口で震える子供たちがいた。中東でも例外ではない。終わることのない戦禍の最大の犠牲者は子供たちなのだ。ドキュメンタリー風の映像でそのことを正面から描いたのが「存在のない子供たち」である。主役の少年は訴える。「育てられないのなら生まないでくれ。僕らは地獄を生きている」と。  ベイルートで暮らす12歳のゼイン(ゼイン・アル=ラフィア)は、地主を刺し殺し、罪に問われた。法廷で彼が訴えたのは、自分をこの世に生んだ両親の罪だった。  ゼインには出生証明書がなかった。親が出さなかったからだ。そのためまともな職に就けず、路上でいかがわしいものを売って暮らす..

  • 日本の諜報機関の現在と未来~濫読日記

    日本の諜報機関の現在と未来~濫読日記   「内閣情報調査室 公安警察、公安調査庁との三つ巴の闘い」(今井良著)    戦後日本が他国から「スパイ天国」と言われて久しい。戦前・戦中への反省から、本格的な諜報機関を作らなかったためだ。そんな折り、官邸一強と呼ばれる政治状況の中、対北朝鮮外交で安倍晋三政権は「強硬」から「対話」へと路線転換した。米国、韓国の太陽政策をにらみ、バスに乗り遅れたくないからだった。しかし、道筋をつけるのはだれか。小泉純一郎首相の電撃訪問の影には田中均という外務官僚がいた。米国、韓国にはCIA、KCIAという諜報機関がある。そこで首相が指名したのは外務省ルートではなく北村滋・内閣情報官だった。  首相の信頼が厚いこの人物は内閣情報調査室、つまり官邸が抱える諜報組織の元締めである。何かにつけ見え隠れするこの内閣情報調査室(内調)..

  • 冷戦下、崩せない「壁」があった~映画「COLD WAR あの歌、二つの心」

    冷戦下、崩せない「壁」があった~ 映画「COLD WAR あの歌、二つの心」    アンジェイ・ワイダ監督の名作「灰とダイヤモンド」は1945年、ドイツが降伏した直後2日間のポーランドを舞台とした。戦争が終わった解放感ではなく、虚無と絶望が入り混じったポーランドを描いた。ソ連の独裁者スターリンによって国の行方が力ずくで定められたからである。そしてこの国では1948年、統一労働者党というソ連の傀儡政権による一党独裁体制が成立した。「COLD WAR あの歌、二つの心」は、その翌年から1964年までの物語である。  民族歌舞団の結成のため、団員選考を担当していたヴィクトル(トマシュ・コット)は少女ズーラ(ヨアンナ・クーリグ)と出会う。彼女は私生活で問題を抱えていたものの、美しい声は魅力的だった。最終的にズーラは団員に選ばれ、歌舞団は各地を巡演した。歌も踊りも次第..

  • 参院選・吉本・京アニで思うこと~三酔人風流奇譚

    参院選・吉本・京アニで思うこと~三酔人風流奇譚   「投票に行こう」だけでいいのか   松太郎 最近の世相を映した三つの出来事は低調な参院選、吉本興業をめぐるドタバタ、それから、京都アニメーションで35人が亡くなった放火殺人事件、というところか。 竹次郎 参院選は投票率が50%を割り、史上ワースト2の48.8%。その中で自民、公明の与党勢力が過半数を維持。半面、改憲とみられた勢力が3分の2を割った。これが世相を映しているかどうか…。むしろ、世間の関心を呼ばない、世相を映していないからこその問題という気がする。 梅三郎 でも、立候補者の顔ぶれや政党を見ると、とてもどこかに入れようという気にはならない。メディアは盛んに「投票に行こう」とアピールしていたが、入れたいと思う対象がないのに、わざわざ投票所に足を向けないだろう。 松 注目さ..

  • 曖昧な記憶、断片的な事実~映画「赤い雪」

    曖昧な記憶、断片的な事実~映画「赤い雪」    いったんは迷宮入りした30年前の事件。真相解明に執念を燃やす一人のライターがいた。語られる記憶はいずれも断片的だ。そして、それぞれに秘密を隠しながら絶望的な日々を生きる関係者たち。  雪の降る日、一人の少年が消えた。嫌疑をかけられた女性、江藤早奈江(夏川結衣)は黙秘を貫き、無罪となった。少年の兄、白川一希(永瀬正敏)は弟を追って雪道を走ったが、途中から記憶はすっぱりと抜け落ちていた。代わりに、赤い雪が記憶を覆っていた。  早奈江には、もう一つ嫌疑をかけられた事件があった。保険金殺人が疑われた現場には、早奈江と娘の小百合(菜葉菜)がいた。二つの事件を「見ていた」のは小百合と思われた。  漆職人である一希の日常が変わったのは、事件を追う木立省吾(井浦新)が現れてからだ。彼は小百合の居所を突き止めていた..

  • スリリングな心理小説~濫読日記

    スリリングな心理小説~濫読日記   「あちらにいる鬼」(井上荒野)    井上光晴は好きな作家の一人だった。本棚には全集を含めかなりの数の著作があったが、大学を出るとき手放した。もはや当時の心境を詳しくは思い出せないが、生活環境の変化につれて、多分もう読むことはないと思ったのだろう。したがって今、手元に彼の著作は一冊もない。おぼろげだが、日本共産党内での所感派と国際派の論争をバックにした小説があったように記憶する。何というタイトルだったか。  瀬戸内寂聴は、瀬戸内晴美と名乗っていたころ、夫と子を捨て出奔した。その時の体験をもとに、若い男と不遇の小説家との間を揺れる「夏の終り」を書いた。最終的に選択した若い男との同棲生活にも倦み始めたころ、井上光晴と出会った。彼には家庭があり、当時5歳だった長女はその後、直木賞をとり父と同じ作家となった。 ..

  • 前作と比べるのは酷だが、獄はリアル~映画「パピヨン」

    前作と比べるのは酷だが、獄はリアル~映画「パピヨン」    安西冬衛の詩に「春」という1行詩がある。    てふてふが一匹韃靼海峡を渡って行った    これだけだが、さまざまな想像を掻き立てる。戦前、父の勤務先であった大連で詩作活動に情熱を注いだが病を得て帰国かなわず、そうした境遇と望郷の念を込めた、とも言われた。間宮海峡をあえて大陸側の呼称である「韃靼海峡」としたことも、その裏付けとされる。そんな時代背景を抜きにしても、この詩には、ユーラシア大陸からはるばる樺太(サハリン)を目指す小さな蝶に託した、揺るがぬ自由を求める精神の発露があるとも受け取れる。    映画「パピヨン」は、脱獄不可能とされた流刑地から脱出をもくろみ、ついに成功した男の物語である。後年、男が書いた自伝小説のタイトルがそのまま映画にかぶせられた。いうま..

  • 現代に通じる「不安と恍惚」~映画「クリムト エゴン・シーレとウィーン黄金時代」

    現代に通じる「不安と恍惚」~ 映画「クリムト エゴン・シーレとウィーン黄金時代」    クリムトとその弟子エゴン・シーレは1918年、ともにスペイン風邪がもとで亡くなった。当時のスペイン風邪は強力で、全世界で少なくとも4000万人が亡くなったといわれる。彼らの死から100年を記念して作られたのがドキュメンタリー「クリムト エゴン・シーレとウィーン黄金時代」である。  スペイン風邪がこれほど猛威を振るったのは、第一次大戦のためともいわれる。大戦が終わった1918年、時代の歯車は大きく回った。神聖ローマ帝国からオーストリア・ハンガリー帝国へと形を変えて続いたハプスブルグ帝国が終焉を迎えた。一方で、第一次大戦という人類初の世界規模の大戦を契機に、戦争の世紀が幕を開けた。  こうした時代を生きたクリムトとエゴン・シーレは、時代の終わりを生きたのか。時代の始ま..

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