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  • 結局、真実は分からない~映画「落下の解剖学」

    結局、真実は分からない~映画「落下の解剖学」 フランスの山小屋に住む作家夫婦の日常に「事件」は起きた。最上階から夫が転落死。事故か殺人か、それとも自殺か。検察は、妻を殺人罪で起訴した。 映画は2時間半、やや長めで大部分は法廷劇。しかし、退屈する暇がないほどドラマは緻密、重厚に展開する。どこの家庭にもある嘘と秘密が明らかになっていく。 ドイツ生まれの妻サンドラ(ザンドラ・ヒュラー)はベストセラー作家。「事件」の時もインタビューを受けていた。最中に大音響で音楽を流したのがフランス生まれの夫ヴァンサン(スワン・アルロー)。インタビュアーを見送った後、遺体を見つけたのは視覚障害を持つ息子ダニエル(ミロ・マシャド・グラネール)だった。サンドラは自殺か事故を主張したが、検察は殺人罪で起訴した。夫婦は前日に口論をしており、夫が録音したUSBが捜査過程で押収されていた。 殺人を否定するサンドラに、弁護..

  • 老人と少女の寡黙な旅~映画「葬送のカーネーション」

    老人と少女の寡黙な旅~映画「葬送のカーネーション」 トルコ南東部。老人と少女が黙々と歩く。あたりは荒涼とした冬景色。遠く雷鳴が響く。こんなシーンが延々と続く。時折、付近の住民の好意で車やトラクターに乗る。洞窟を見つけ、雨をしのぐ。棺桶を引きずっていた。老人はトルコ語を話せないが、少女は少し分かる。住民との会話や二人のやり取りの中で、最小限のことが分かってくる。 少女の名はハリメ(シャム・セリフ・ゼイダン)。老人はムサ(デミル・パルスジャン)、祖父である。ハリメは隣国の内戦で両親を失った。トルコで難民生活を送るうち、ムサの妻も亡くなった。故郷に埋めてほしいという願いをかなえるため、二人は棺桶とともに国境に向かっていた。 隣国とは、おそらくシリアであろう。しかし、そんな説明はない。原野を、老人と少女が歩く。 テオ・アンゲロプロスの作品に「霧の中の風景」(1988)があった。アテネの幼い姉弟..

  • 「記憶」を巡るスリリングな物語~映画「瞳を閉じて」

    「記憶」を巡るスリリングな物語~映画「瞳をとじて」 生涯に長編4本という超寡作なスペインの映画監督ビクトル・エリセの、31年ぶりの最近作。「ミツバチのささやき」は秀作らしいが、残念ながら見ていない。したがって他作品との比較で立体的な批評ができないのは残念だ。 「瞳をとじて」は映像にこだわった作品である。冒頭と末尾に未完の映画のシークエンスが入る。中央部分に現代の物語。エリセは自身の「NOTE」(公式サイト)で「記憶とアイデンティティの物語が進行する」という。もう一つ「映画の二つのスタイルが交錯する」とも。「一つは幻想を生み出すクラシックなスタイル。もう一つは現実によって満たされた現代的なスタイル」。 始まりは、幻想のシーン。1947年、パリ郊外。「悲しみの王」と呼ばれる老人が住む館を、精悍な顔つきの男=俳優名フリオ・アレナス(ホセ・コロナド)=が訪れる。老人は、中国に住む娘チャオ・シュ..

  • 2024-03-05

    「具だくさん」のわりに~映画「52ヘルツのクジラたち」   クジラには、52ヘルツという通常でない高周波の鳴き声を出すものもいるらしい。鳴き声は周囲に聞き取れず「世界一孤独なクジラ」と呼ばれる。このエピソードが、タイトルの下敷きになっている。 三島貴湖(杉咲花)は、ある港町で人生の再出発を目指していた。そこで一人の少年(桑名桃李)に出会う。母親に虐待され、心を閉じていた。貴湖も母親に虐待され、義父の介護を押し付けられ精神の限界を感じ、生死の境をさまよった。助けてくれたのは親友の牧岡美晴(小野花梨)。そのとき同行した岡田安吾(志尊淳)が母親から引き離してくれ、貴湖は自立の道を歩み始めた。 働いていた工場でトラブルに巻き込まれた貴湖は、経営者の息子で専務の新名主税(宮沢氷魚)と知り合う。親密になり、結婚を夢見た貴湖だったが、暗転する。新名には婚約相手がおり、貴湖との関係を密告..

  • さりげなく描く家族の再生~映画「コットンテール」

    さりげなく描く家族の再生~映画「コットンテール」   老境に差し掛かり、妻・明子(木村多江)に先立たれた文学者・大島兼三郎(リリー・フランキー)は、彼女が言い遺した望みを果たそうと英国を旅する。妻が愛した北西部の湖沼地帯ウィンダミアに遺灰をまいてほしいというものだった。永年、疎遠だった息子・慧(錦戸亮)と妻さつき(高梨臨)、4歳の娘エミも同行する。 若年性アルツハイマーだった妻は苦しみながら死んでいった。そのことへの慚愧、十分な介護をしてやれなかった、という悔い、それらが折り重なり生まれる孤独感。旅の中でそうした感情と向き合いながら、慧との関係を誠実に修復しようとする兼三郎。 英国内では道に迷い、住民の家に寄宿する。彼らの善意がありがたい。そうしたエピソードを織り込みながら、ロードムービー仕立てでドラマが進行する。 リリー・フランキーは複雑で繊細な心理を表現。小説の行..

  • 運命の非情を描いて「泣かせ屋」の本領~濫読日記

    運命の非情を描いて「泣かせ屋」の本領~濫読日記 「鬼の筆 戦後最大の脚本家・橋本忍の栄光と挫折」(春日太一著) 国民経済白書が「もはや戦後ではない」と宣言したのは1956年、戦争から10年後のことだった。日本人が敗戦に打ちひしがれていたこの10年間に、世界に衝撃を与えた映画が相次いで製作された。「羅生門」(1950)、「生きる」(1952)、「七人の侍」(1954)である。いずれも骨太のヒューマニズムと娯楽性を備え、見る者の心をつかんだ。それぞれ国際的な映画祭で評価され、国民に誇りと立ち上がる力を与えた。監督は黒澤明、脚本は橋本忍との共作だった。黒澤は世界的な監督として、横顔はさまざま語られた。しかし、脚本家・橋本は知名度のわりに人間性が知られていない。1918年生まれの戦中派は戦争をどうくぐったのか。戦後、どのように脚本家としての階段を上ったのか。かねて興味深い存在であった。 橋本には..

  • 結末、すっきりしない~映画「罪と悪」

    結末、すっきりしない~映画「罪と悪」 ある地方都市。3人の少年が思いもつかぬことで殺人を犯す。一人が罪をかぶる。22年後、秘密を抱えたまま3人は再会する―。この設定は、とても魅力的だ。しかし、観終わった感想は「なんだか、すっきりしない」。なぜだろう。 春と晃と朔は中学のサッカー部員だった。試合の日、もう一人の部員・正樹は来なかった。翌日、河原で正樹の遺体が発見された。一方でもう一つの事件が起きていた。老人が殺され、住んでいた作業小屋が放火された。春が逮捕された。 22年後。春は少年院を出て建築会社を経営。街の不良少年を束ねていた。晃は父親と同じ警察官に。朔は引きこもりの兄・直哉の面倒を見ながら農業を継いだ。そんなおり、春のもとにいた小林大和が殺された。遺体の状況は、正樹のときに似ていた。遺品の中に、正樹の財布があったことから、二つの事件は結びつくかに思えた。春は正樹が殺される直前、その..

  • ドタバタに終わらない深さ~映画「女優は泣かない」

    ドタバタに終わらない深さ~映画「女優は泣かない」 不倫スキャンダルを報じられ、一時期干された園田梨枝(蓮佛美沙子)は再起を期して故郷・熊本に10年ぶり帰ってきた。空港で待つのはテレビ局AD瀬野咲(伊藤万理華)だった。ドラマ部への配転を望む彼女には意に添わぬ仕事だった。 帰郷した女優の密着ドキュメンタリーを撮る。これが上司の命だった。ところが、ドラマ志向が強い咲はシーンごとのセリフまで脚本に書き込む。「やらせでは」と梨枝は反発し戸惑う。父・園田康夫(升毅)と喧嘩同然で東京へ出た梨枝は、この帰郷も実家に知らせずにいた。 こうして、崖っぷちに立つ二人のドタバタ劇が始まった。二つの摩擦が絡み合って火花を散らす。一つは撮影を巡る、もう一つは家族との。前者は、表面上は派手だがそれほど重くはない。論理の問題だからだ。後者は地味だが重く複雑である。情が絡むからだ。 父はがんに侵され、寝たきり状態だった..

  • 得意と失意、嘘と真実の人生~濫読日記

    得意と失意、嘘と真実の人生~濫読日記 「トルーマン・カポーティ」(ジョージ・プリンプトン著) トルーマン・カポーティ。「冷血」でノンフィクション・ノベルというニュージャーナリズムの新境地を切り開き、「ティファニーで朝食を」では高級コールガールの目を通してニューヨークの都市文化を描いた。「叶えられた祈り」(未読)で米国社交界の内幕を暴き、怒りと侮蔑の対象となった。孤独の中で薬物とアルコールにおぼれ、60歳で生涯を閉じた。 嘘と真実、虚と実、愛と憎が入り混じる、得意と失意の人生を描いたノンフィクションが読みたいと思っていた。知る限り、そうした本は2冊。ジェラルド・クラーク著「カポーティ」(未読、文藝春秋社刊)と、標記の一冊である。同じ人間を対象としながら、手法は正反対だ。「カポーティ」は、従来の「評伝」「伝記」スタイルと思われるが、この「トルーマン・カポーティ」は、著者の「読者へ」と..

  • 「ポスト戦後」映画の予感~映画「ゴジラ-1.0」

    「ポスト戦後」映画の予感~映画「ゴジラ-1.0」 映画「ゴジラ」第一作は1954年秋に公開された。以来30作目が「ゴジラ-1.0」である。直近の「シン・ゴジラ」から7年ぶりになる。 オリジナルはビキニ環礁で第五福竜丸が被曝したブラボー作戦(水爆実験)直後に公開、核実験の影が色濃く出た。この年、朝鮮半島では中国・北朝鮮と米国・韓国の戦火がやまず、米ソの緊張も極度に高まった。こうした時代背景のもと作られた「ゴジラ」は核と戦争の恐怖に支配されざるをえなかった。映画評論家・川本三郎も「今ひとたびの日本戦争映画」(岩波現代文庫)で「『怪獣映画』であるよりも『戦争映画』である」「さらにいえば『戦争』というより『戦災』『戦禍』の映画なのだ」と「ゴジラ映画の『暗さ』」の理由を解き明かした。 「ゴジラ」が、9年前の敗戦の「記憶」と深くつながっていたとする向きは多い。川本もオリジナルのラスト、ゴジラが..

  • 素材は面白いが~映画「ジャンヌ・デュ・バリー国王最期の愛人」

    素材は面白いが~映画「ジャンヌ・デュ・バリー国王最期の愛人」 この1か月足らずの間に、フランス革命ビフォー&アフターの映画を立て続けに見た。時間軸が逆転するが、アフターは「ナポレオン」。マリー・アントワネットが断頭台に向かうシーンから始まる。ビフォーが、この「ジャンヌ・デュ・バリー国王最期の愛人」だった。 私生児として生まれ、娼婦同然の生活を経てフランス国王の寵愛を受けヴェルサイユ宮殿に入り、公妾として権勢の階段を昇りつめた女性。歴史上、こんな面白いキャラクターはそうそう見当たらない。したがって、これまでにも数多く映画化されてきた。 「国王最期の愛人」の主人公ジャンヌ・デュ・バリーは監督・脚本のマイウェンが、ルイ15世をジョニー・デップが演じた。 巷に生きる女性が突然ヴェルサイユ宮殿に入るのだから、王室とそれを取り巻く人々の挙動と因習が皮肉交じりの視線で描かれる。やがて王太子(後のルイ..

  • 女性の自我確立の物語~映画「哀れなるものたち」

    女性の自我確立の物語~映画「哀れなるものたち」 亡くなって間もない女性の脳を、この女性が身ごもっていた胎児の脳と入れ替え、新たな人生を歩ませる。一見フランケンシュタインの復活を思わせるが、展開はかなり違う。 19世紀初め「フランケン―」を書いたのは18歳の少女で、その内容は、死んだ人間の肉体を使って人造人間を作り出す神を恐れぬ所業、と批判された。言い換えれば、科学と神の領域の境界線に踏み込んだ物語だった。 「哀れなるものたち」の舞台は、衣服のデザインなどから推測すると19世紀後半、ヴィクトリア朝のころ、パックスブリタニカの時代。神への畏敬がストーリー展開に翳を落とす「フランケン―」と違い「哀れなる―」にはそうした翳りはない。焦点は、新たな脳を獲得した女性ベラ(エマ・ストーン)の直線的な成長物語にある。二つの物語に共通点を見出すとすれば、脳の移植を行った天才外科医バクスター(ウィレム..

  • 不器用な愛の行方は~映画「枯れ葉」

    不器用な愛の行方は~映画「枯れ葉」 突然の引退表明から6年、アキ・カウリスマキが帰ってきた。スクリーンににじむ味わいは、カウリスマキそのものだった。でも、なぜ引退表明したり、復帰したりしたんでしょうね。まるで彼の映画のストーリーみたいに「不条理」があふれている。 男と女のラブストーリー。特に何かの仕掛けがあるわけではない。偶然出会って、お互いにひかれて、すれ違いがあって、それでも愛は変わらず…。そして最後はカウリスマキらしく、ハッピーエンド。 ヘルシンキのスーパーで働くアンサ(アルマ・ポウスティ)は、期限切れの食品を持ち帰ろうとしてとがめられ、予告なしのクビを宣告される(そんな無茶な労働協定があるのか、よく知らないが映画はそうなっている)。気晴らしに友人とカラオケに。工場で働くホラッパ(ユッシ・ヴァタネン)と出会う。 ここで余談だが、ホラッパが友人にカラオケに誘われるシーンが面白い..

  • 少数者の声を聴く~映画「ヤジと民主主義」「NO選挙,NO LIFE」

    少数者の声を聴く~映画「ヤジと民主主義」「NO選挙,NO LIFE」 「じゃあ、ここは多数決で決めましょう」 「えっ それでいいんですか」 「だって、もう平行線のままだし。多数決なら民主的でしょ」 いろんな会合で、よく見る光景である。多数決は民主的なのだろうか。言い換えれば、多数の意見はいつも正しいのか。では、民主主義とは何なのか。少なくとも少数者や弱者の声を切り捨てるのは、民主主義とはいえないのではないか。 こんなことを痛切に感じる映画を2本、立て続けに見た。 一本は「ヤジと民主主義」(2023年製作)。2019年7月の参院選。安倍晋三元首相が札幌で遊説中に政権批判の声を上げた男女二人が警察官に排除された。この問題を追った北海道放送のドキュメンタリー(2020年放映)を、その後の動きを加え「劇場拡大版」にした。排除された側が提訴、地裁判決では原告二人が全面勝訴。高裁では男性が敗訴..

  • 狂気と裸眼の境地が生んだ名作…~濫読日記

    気と裸眼の境地が生んだ名作…~濫読日記 「二人の美術記者 井上靖と司馬遼太郎」(ホンダ・アキノ著) 驚愕の書き手が現れた。これが読後の第一印象だった。帯にあるように、取り上げられた二人は「国民的作家」といっていい、日本人になじみ深い存在である。若いころ新聞記者を務めたが、何をしていたかは意外に知られない。著者(ホンダ・アキノ)はこのキャリアの中に「美術記者」という共通の体験を引き出し、どのように後の作家活動に影響したかを丹念に探った。 ホンダも、彼らと似た道を歩んだ。奈良の大学を出て京大院へ進み美術史を学ぶ。そこから地方新聞に籍を置いたがわずか3年で退職。出版社で編集作業を経験した後、フリーに。新聞社で美術記者を目指したがかなわなかったので転職した、という点が違っている。 毎日にいた井上と産経にいた司馬。ともに関西で勤務した。彼らにとって新聞記者とは何であったか。井上は「おり..

  • 英雄像より人間性に焦点~映画「ナポレオン」

    英雄像より人間性に焦点~映画「ナポレオン」 「ナポレオン」といえばフランスの英雄にとどまらず、世界史に必須の人物。フランス革命後の動乱の中で生まれた戦争の天才。数限りなく映画化された。いまなぜナポレオンなのか。そんな疑問を胸に観た。「グラディエーター」のリドリー・スコット監督と「ジョーカー」のホアキン・フェニックス主演という強力タッグ。どんなナポレオン像が現れるかと思ったら、天才・偉人・英雄とは程遠く、妻ジョセフィーヌとの夫婦関係に悩み、戦いに勝利してもどこか虚しさを胸中にたたえた「人間ナポレオン」だった。 マリー・アントワネットが大衆の罵声を浴び断頭台に向かうシーンから始まる。血まみれの生首が持ち上げられる。群衆の中で、それを見ていたナポレオン(史実ではないらしいが、監督は二人の位置関係を表すためそうしたかったのだろう)。のっけからぎょっとする光景。 コルシカ島生まれのただの陸軍兵士..

  • 時が過ぎれば夢も朽ちる~映画「花腐し」

    時が過ぎれば夢も朽ちる~映画「花腐し」 花腐(くた)しとは梅雨のころの長雨のこと。「春されば卯の花腐し我が越えし妹が垣間は荒れにけるかも」(万葉集)からとられた。現代語で言えば「初夏のころ咲くウツギの花も、長雨が降れば朽ちてしまう。私が越えた妻の家の垣間も荒れているだろう」。万葉の和歌がなぜタイトルに引用されたかは、見ているうちに分かってくる。 芥川賞をとった松浦寿輝の原作は、死に別れた女性とのときが忘れられず、どん詰まりの人生を送る中年男の心情を、幻想を交えて描いた。これを、ピンク映画の世界で下積みを送り、代表作「火口の二人」(2019年)を持つ荒井晴彦が、斜陽のピンク映画界に舞台を置き換え映像化した。ストーリーも、一人の女性を愛した二人の男が偶然出会い、追憶を語る恋愛ドラマに変更した。 冒頭、男女の心中死体が浜辺に上がる。ピンク映画の女優・桐岡祥子(さとうほなみ)と監督の桑山篤(吉..

  • 歌は世につれ~濫読日記

    歌は世につれ~濫読日記 「昭和街場のはやり歌 戦後日本の希みと躓きと祈りと災いと」(前田和男著) いつの世にも、はやり歌がある。中でも昭和は、時代の明と暗、尾根筋と谷底がくっきり見えたため、変わり目ごとにはやり歌があった。社会の下部構造がきしみ、上部構造に幻影が生まれる。つかの間、大衆が酔いしれた共同幻想。歓喜と失意、希望と蹉跌。どこか甘く、魂をとらえる旋律があった。 書かれたのは、こうした社会とはやり歌の共同歩調である。歌は、歌だけの魅力によって時代に受け入れられてはいない。表現の深部で世の動きの本質をとらえたため、大衆に響き受け入れられた。そのことが一つ一つ、立証されている。「歌は世につれ」である。 著者は1947年生まれ。いわゆる団塊の世代である。大学時代、東大闘争を経験した。極私的体験を骨格とするこの著作では、当然ながら世代は重要なファクターである。そうした位置関係から、二つの安..

  • ありふれた日常こそ輝く~映画「PERFECT DAYS」

    ありふれた日常こそ輝く~映画「PERFECT DAYS」 「百姓が侍を雇う?」 「そうだよ」(中略) 「出来たな」 黒澤さんが低くズシリという。 映画「七人の侍」の構想が走り出した瞬間である。(橋本忍著「複眼の映像」から) 黒澤明は時代劇をつくろうとしていた。まずあったのは、ある「侍の一日」を完璧なリアリズムで仕立てることだった。細部で躓き、次に剣豪列伝をオムニバスで。これも行き詰まった。そんなとき、武者修行の兵法者の生態を話す中で冒頭のエピソードに行き当たった。完全主義者は「侍の一日」に至らず、そのことが歴史的名作を生んだ。 「PERFECT DAYS」は、あるトイレ清掃員の一日を追った映画である。描いたのは奇想天外でも、波乱万丈の人生でもない。ぼろアパートに住み、決まった時刻に起き、布団の畳み方も歯の磨き方も寸分違わない毎日。そんな彼にも、人生や生活への揺らぎがある。 軽自動車で仕..

  • 人間の獣性を描く~映画「理想郷」

    人間の獣性を描く~映画「理想郷」 スペイン・ガルシア地方の寒村に、フランスから老夫婦が移住した。巨漢だがインテリ風の夫アントワーヌ(ドゥニ・メノーシェ)とつつましい妻オルガ(マリナ・フォイス)。有機農業で自給自足のスローライフを夢見る。廃屋を改修して観光客を呼ぶ計画も持つ。 夫婦を見る村人の視線は穏やかではなかった。酒場では、シャン(ルイス・サエラ)とロレンソ(ディエゴ・アニード)のアンタ兄弟がアントワーニュに絡んできた。永年村に住み、貧しい生活に飽き飽きしていた。思い付きのようによそから来た夫婦が、この地を理想郷のように言うのが我慢ならない。風力発電計画が持ち上がったことで、対立は先鋭化した。村人が賛成する中、アントワーニュは反対を鮮明にした(理由は語られていないが、推測すると低周波や景観の問題?)。わずかな補償金目当てのアンタ兄弟は、アントワーニュに賛成するよう迫った。 ここまでな..

  • 変わらぬ政治の原風景~三酔人風流奇譚

    変わらぬ政治の原風景~三酔人風流奇譚 「武士は食わねど」から変貌松太郎 自民党安倍派(清和政策研究会)の政治資金パーティー券売り上げ一部キックバック=裏金化疑惑が、永田町を揺るがせている。岸田政権は12月14日、同派の閣僚4人を更迭した。党首脳を含め、同派の有力者は一掃された。竹次郎 聞くところでは、長期にわたってシステマチックに行われたようだ。25年とも30年とも伝わる。森喜朗会長のころか三塚博会長のころか。会長判断で導入されたかどうかは調べないと分からないが。梅三郎 清和会を作ったのは福田赳夫。当初はタカ派の政策集団でカネはなかった。総裁選で田中角栄の経世会と大平正芳の宏池会の連合に勝てず「天の声にも時に変な声がある」と嘆いたのが記憶に残る。後を継いだ安倍晋太郎も立ち技の人。勝負に弱く政権目前で病魔に倒れた。悲劇的な印象があったが、その後の三塚、森会長あたりから変わった。亀井静香、加..

  • 単純でない戦争の構図~濫読日記

    単純でない戦争の構図~濫読日記 「ウクライナ動乱 ソ連解体から露ウ戦争まで」(松里公孝著) ロシアとウクライナの戦争は、どうやら膠着状態にあるようだ。この戦争、どんな出口が待っているのだろう。 日本人も、明治以降いくつかの戦争をくぐった。その中で、戦争を極めて単純な構図で見てきた。例えばアジア・太平洋戦争。四方を海と国境に囲まれた日本人という同胞(本当は単一の民族ではないが)がいて、言語も人種も違う相手と戦う。さすがにアジアに対しては人種的に似ているため「大東亜共栄圏」というプロパガンダ(これは現地=占領地域=の治安維持のため必要だったと天皇自身が弁明している)を展開、英米に対しては明らかに人種・言語とも違うので「鬼畜」という形容詞を平気で付けた。 ウクライナとロシアの場合。国家のアイデンティティが確立されたのはウクライナが20世紀初頭に中央ラーダ政府を樹立、やがてソ連に取り込まれる..

  • 無戸籍が生む悲劇~映画「市子」

    無戸籍が生む悲劇~映画「市子」 平野敬一郎の原作を映画化した「ある男」と、相模原の障碍者施設で起きた殺人事件をベースにした「月」を連想させる。前者は戸籍交換、後者は優生思想=弱者排斥の問題を背後に抱える。 川辺市子(杉咲花)には3年間同棲した長谷川義則(若葉竜也)がいた。ある日結婚届を見せられ、うれしいが戸惑う市子は失踪した。テレビは、山中の白骨遺体発見のニュースを伝えていた。鑑定では死後8年という。 市子は中学と高校を「月子」の名で通った。本名では通えなかった。市子には戸籍がなかったのだ。 民法772条は、離婚後300日以内に生まれた子の父親は前夫とすると定める。このことは、さまざまな社会問題を生み出した。前夫のDVが原因で離婚した母親は、前夫に消息を知られたくないこともあるが、父子関係を強制されれば希望がかなえられない。 スナックで働く市子の母・なつみ(中村ゆり)も、おそらくこうし..

  • 稀有な心理小説家の素顔~映画「パトリシア・ハイスミスに恋して」

    稀有な心理小説家の素顔~映画「パトリシア・ハイスミスに恋して」 この米国生まれの女性作家の名を知ったのは、ルネ・クレマン監督「太陽がいっぱい」(1960年、フランス・イタリア合作)を観てからだった。アラン・ドロンが世に知られた名作。原作は、と調べたらパトリシア・ハイスミスの名が出た。原作も読んだ。映画は、アラン・ドロン演じるトム・リプレーが海辺で「極上のワイン」を飲んでいるところへ刑事が訪れるシーンで終わるが、原作ではトム・リプレーはまんまと逃げおおせる。この部分だけでなく、クライマックスの殺人シーンも大きく変更された。換骨奪胎といってもいい。しかし、唯一といっていいほど変更されなかったのは、犯人が最初から分かっているというプロットの部分。ミステリー作家と呼ぶ向きもあるが、適当でないように思う。ミステリーの最も重要な要素=犯人は最後にわかる、という大原則を外れて(外して)いるからだ。で..

  • 差別・偏見・排外主義~映画「ヨーロッパ新世紀」

    差別・偏見・排外主義~映画「ヨーロッパ新世紀」 ルーマニア・トランシルヴァニア地方の小さな村ディトラウであった外国人排斥事件をベースにした。まず、この地方の沿革史から。トランシルヴァニアはドラキュラ伝説の地で、中世の面影を色濃く残す。かつてハンガリー(マジャール人)の支配下にあったが、第一次大戦でオーストリア=ハンガリー帝国が敗れ、ルーマニアに割譲された。このため、村にはハンガリー人も多く住む。 マティアス(マリン・グリゴーレ)はドイツで働いていたが、同僚から差別的な言葉を浴びせられ【注1】、暴力沙汰を起こして追い出される。故郷の村に帰ったが妻アナ(マクリーナ・バルラデアヌ)との関係はとっくに冷め切って、息子は近くの森で何かを見て失語症になっていた。行く当てもなくパン工場で働くが、経営者はかつての恋人シーラ(エディット・スターテ)だった。彼女は離婚し、一人暮らしだった(夜になるとチェロ..

  • 原発めぐる謎の事件~映画「私はモーリーン・カーニー 正義を殺すのは誰?」

    原発めぐる謎の事件~映画「私はモーリーン・カーニー 正義を殺すのは誰?」 「原発」は社会を二分するアジェンダである。そしてフランスは、再生可能エネルギーへ舵を切るヨーロッパ諸国では珍しく、エネルギー需要の8割以上を原発で賄う国である(2022年時点)。原発産業を支えたのはアレバ社(経営危機で再編、2017年にオラノ社が引き継ぐ)。そのアレバで起こった事件と、背後で見え隠れする陰謀めいた計画を映画化した。 モーリーン・カーニー(イザベル・ユペール)はアレバのCFDT(フランス民主労働組合連盟)代表を務める。5万人の雇用が彼女の手腕にかかっていた。2012年12月、パリ近郊の自宅で彼女の衝撃的な姿が家政婦に目撃された。頭に布をかぶせられ手足はテープで固定、スカートの下の局部にはナイフの柄が突っ込まれていた。 数か月前、アレバで大きな動きがあった。心を通じていたアンヌ・ロベルジョン(マリア・..

  • 「戦後」の視座の定点を探る~映画「ほかげ」

    「戦後」の視座の定点を探る~映画「ほかげ」 火影(ほかげ)は、灯火そのものを指すこともあるが、灯火に照らされた形もしくは陰影をいう場合もある。映画を観ての印象で言えば、ここでは最後の意味がふさわしいようだ。では、ここでいう灯火の炎とは、作られた影とはなんだろうか。 焼け跡・闇市の時代。場末の酒場、とは名ばかりで女(趣里)が体を売って身を立てている。生きる気力をとうに失った女の店へ、一升瓶を抱えた中年男(利重剛)がくる。酒を置き、無言のまま押し倒す。二人の関係は分からない。 ある日、復員兵(河野宏紀)が訪れる。翌日も翌々日もきた。「金を作ってくる」といいながら、金はなかった。冬瓜を持って、孤児となった少年(飯尾桜雅)もきた。初めは盗みが目的だった。二人が入り浸り、川の字になって寝る、つかの間の日常。薄暗い店先、油をともした小さな灯が揺れる。 復員した男は戦場体験がPTSDになったようで、..

  • 「増補 昭和天皇の戦争 『昭和天皇実録』に残されたこと・消されたこと」

    戦争回避の手段を持たなかった皇国~濫読日記 「増補 昭和天皇の戦争 『昭和天皇実録』に残されたこと・消されたこと」(山田朗著) アジア・太平洋戦争において元首であり大元帥であった昭和天皇。政治と軍事の頂点に立ち、戦争を遂行した。しかし、実際に天皇は何を言い、何を行ったかいまだ明確でない。そんな折り「昭和天皇実録」が公開された。天皇の死後24年の編纂作業を経て2014年のことである。側近らが書き留めた肉声が記された(読んでないので「らしい」としか言えないが)。歴史資料として価値があるのか。天皇の戦争責任を追及してきた山田朗が、関連資料と突き合わせ「残されたこと・消されたこと」をあぶりだした。 即位から終戦の「聖断」まで多角的に天皇の言動を探っているが、興味深いのは、戦争の重要な局面で天皇はどう反応し、どんな「指導」をしたのかである。例えば軍部独走が否定しがたい満州事変。天皇はどう動いた..

  • 悲惨な体験は継承されるのか~濫読日記

    悲惨な体験は継承されるのか~濫読日記 「兵士たちの戦後史 戦後日本社会を支えた人たち」(吉田裕著) アジア・太平洋戦争が終わって、もうすぐ80年。当時の20歳は100歳である。戦争を知る世代がいなくなっていく。 「兵士たちの戦後史」の著者・吉田裕は、軍人恩給の受給者数などから「2006年度末の兵士体験者の生き残りが下限で40万人」とする新聞報道を紹介。こうした軍隊体験者の減少を表す現象として戦友会解散を挙げる。この調査から17年が過ぎた。体験者の減少は加速度的に進んでいるだろう。 吉田は、加藤典洋の一文を引き、こうも指摘する。日本とドイツは義によって死者を弔えない戦争を戦った。そのため敗戦の責任のすべては軍部に押し付けられ、兵士体験者たちは個人レベルの戦争体験が社会的に意味づけられることはなかった。そうしたわだかまりを抱えたまま、戦後を生きてきた。 戦場体験者がいなくなり、一..

  • 「さとくん」はあなたかも~映画「月」

    「さとくん」はあなたかも~映画「月」 相模原市の障碍者施設で2016年に起きた殺人事件がベース。しかし、映画は事件のリアルな再現に力点があるわけではない。断罪をしているわけでもない。容疑者の思想と行動が素材のまま、ごろりと放り出される。事件をどう読み、距離をどうとるかは観るものに託される。だからこそ、この映画は「重い」。 かつて東日本大震災を素材に書いた小説が評価された堂島洋子(宮沢りえ)。しかし、障碍を持ったわが子を3歳で亡くし、書けなくなった。優しいが生活力のない夫・昌平(オダギリジョー)と暮らす。彼女は障碍者施設を訪れる。働くためだ。 施設には、小説家志望の陽子(二階堂ふみ)や、明るい好青年「さとくん」(磯村勇斗)がいた。しかし、行われていたのは障碍者を拘束、軟禁する非人間的な行為だった。拒否反応を示す洋子に「きれいごと」といった視線が向けられた。入居者の一人に「きーちゃん」..

  • 帝国末期の奔放な女性像~映画「エリザベート1878」

    帝国末期の奔放な女性像~映画「エリザベート1878」 座席につくと周りは女性ばかりだった。世紀末のヨーロッパ、美貌をうたわれたオーストリア皇后の自由奔放な生き様を描いた。そんな惹句が効いたのか、典型的な女性映画とみられたようだ。しかし、そんなつもりで観た人は面食らったのでは。 原題は「CORSAGE」。女性のコルセットである。細いウェストをさらに細く締め上げる。まるで拷問。こうして細いウェストのエリザベート(ビッキー・クリーブス)はバルコニーから微笑みをたたえて手を振る。自室に戻ったとたん、嘔吐する。コルセットは皇后の座の象徴であり、そこにまつわる数々の風習をも指しているようだ。コルセットをいつ脱ぎ捨てるか。彼女の大きな命題となっていく。 エリザベートが40歳になった1878年1年間を追った。1000年にわたりヨーロッパを支配した神聖ローマ帝国(ハプスブルグ帝国)は落日の日々を送り、オ..

  • 火葬のない国の極秘計画~映画「6月0日アイヒマンが処刑された日」

    火葬のない国の極秘計画~映画「6月0日アイヒマンが処刑された日」 アドルフ・アイヒマン。ナチ親衛隊員。ユダヤ人絶滅収容所移送の最高責任者。戦後逃亡を続け1960年、潜伏先のアルゼンチンでイスラエルの諜報機関モサドに身柄を確保された。翌年4月、いわゆるアイヒマン裁判が行われた。大戦中に米国に亡命したユダヤ系哲学者ハンナ・アレントが「ザ・ニューヨーカー」誌の求めに応じて取材。「凡庸な悪」と書いたことが波紋を呼んだ。12月に死刑判決が下り、執行は5月31日から6月1日の間とされる(明確には公表されていない)。この時の模様を一人の少年の目を通して描いた。 61年イスラエル。リビアから一家で移住してきたダヴィッド(ノアム・オヴァディア)は、父に連れられ鉄工所で働くことに。貧しさから時折盗みを働き、偶然、社長ゼブコ(ツァヒ・グラッド)が極秘計画を練っていることを知る。持ち込んだのは、かつての戦友ハ..

  • 生きるため犯した罪~映画「アウシュヴィッツの生還者」

    生きるため犯した罪~映画「アウシュヴィッツの生還者」 アウシュヴィッツ収容所で行われた賭けボクシングは「アウシュヴィッツのチャンピオン」(2020年、ポーランド)でも描かれた。主人公はポーランドで名を知られたボクサー。非ユダヤ人だったが反ナチの闘士で、収容所に送られたのもそれが理由だった。実在の人物と言われる。 「アウシュヴィッツの生還者」も、収容所のボクシングを描いた。主人公はポーランド系ユダヤ人。ボクシングは収容所で生きるために覚えた、というから「アウシュヴィッツのチャンピオン」とは別人物のようだ。 賭けボクシングは、ナチ将校の「娯楽」が目的だった。囚人同士が闘い、負けた方は銃殺かガス室送り。勝敗は生死に直結した。ナチ親衛隊の将校シュナイダー(ビリー・マグヌッセン)に目をつけられたハリー・ハフト(ベン・フォスター)は生きるため、勝ち続けた。そして生き残った。 物語は1942年ごろ~..

  • 精神の拷問と破壊~映画「ナチスに仕掛けたチェスゲーム」

    精神の拷問と破壊~映画「ナチスに仕掛けたチェスゲーム」 ユダヤ人作家シュテファン・ツヴァイクが晩年、亡命生活を送ったブラジルで執筆した最後の作品「チェスの話」を映画化した。 主人公はオーストリアの公証人ヨーゼフ・バルトーク(オリバー・マスッチ)。ロッテルダムの港でニューヨーク行きの船を待っている。列の中に妻アンナ(ビルギット・ミニヒマイアー)を見つけ、二人で乗り込む。ここから二つの時間軸が進行する。フラッシュバックのように過去が立ち上がる。 ドイツのオーストリア併合(1938年)とともに、バルトークはゲシュタポに連行された。彼が管理する貴族たちの膨大な資産が狙いだった。事態を予測して書類は焼却した。預金番号は頭の中だ。覚悟していた過酷な拷問はなかった。ホテルの一室に軟禁され、尋問以外は外界と遮断された。毎日同じスープが与えられた。次第に薄れる時間の観念。精神の拷問だった。 全く偶然に一..

  • 日本人の戦後思想にも影響~濫読日記

    本人の戦後思想にも影響~濫読日記 「B-29の昭和史 爆撃機と空襲をめぐる日本の近現代」(若林宣著) タイトルの面白さにひかれた。言うまでもなくB-29は米国がつくった戦略爆撃機であり、昭和史は日本の元号に基づく、日本でのみ通用する時代区分である。異質な言葉をくっつけたタイトルは、そのまま位相の転換をのみこんでいる。言い換えればアジア・太平洋戦争末期、日本上空を飛んだ飛行機と、なすすべなく見上げた日本国民の複雑な心情が閉じ込められている。それらをこじ開けようとした思いが、わずか数文字から分かる。秀抜なタイトルといえる。 冒頭、航空機の誕生が戦術攻撃にとどまらず不可避的に戦略爆撃思想へと向かったこと、それを体現すべくつくられたのが4発エンジンを持つB-29であったという経緯が紹介される。全長30㍍、全幅43㍍の機体、上昇限度1万㍍、航続5000㌔、爆弾搭載量9㌧。独自の視点があるわけで..

  • 戦後のヨーロッパを変えた人~映画「シモーヌ」

    戦後のヨーロッパを変えた人~映画「シモーヌ」 シモーヌ・ヴェイユ(1927-2004)。同化ユダヤ人の家庭に生まれ、フランスの行政官からEU議会議長に上り詰めた。精力的な生涯の背景には、壮絶なアウシュヴィッツ体験があった―。そんな映画である。「同化ユダヤ人」という聞きなれない言葉、大まかには宗教、結婚相手などを「ユダヤ」に限定しない、住む国の環境に合わせる、ということらしい。 冒頭、一人の老婦人が原稿を書きながら追想にふけっている。それは、やがて「自伝」になる予定だった。のどかな風景は一転、激しい議論の場面に。1974年、シモーヌはシラク政権の厚生相として人工中絶の合法化(ヴェイユ法)を成立させた。 前半は少女期からアウシュヴィッツ体験を経て生還。パリ大学、パリ政治学院を経て結婚、育児にいたる生活を描く。家庭の主婦にとどまることに疑問を抱き、弁護士を目指すと宣言。家族の賛同を得られず行..

  • 八方ふさがりの現実~映画「遠いところ」

    八方ふさがりの現実~映画「遠いところ」 舞台は沖縄。17歳のアオイ(花瀬琴音)はコザのキャバレーで働く。息子の健吾(2歳)、夫のマサヤ(佐久間祥朗)と暮らす。建築会社で働くマサヤは、出勤率が悪いと首切りにあう。生活はアオイの肩にかかるが、店に警察の手入れがあり、働けなくなる。酒におぼれたマサヤは街で喧嘩沙汰を起こし、3人にけがをさせる。示談金はない。店に相談すると「ウリ」しかないといわれる。風俗で体を売れば、キャバ嬢の何倍ものカネが手に入る。その道を選択したアオイの内部に変化が出始める。児童相談所の職員が訪れ、健吾を連れていく。風俗には手を出すな、と忠告していたキャバ嬢の親友・海音(石田夢実)は死んでしまった…。 ひたすら堕ちていく。八方ふさがり、壁、出口なし。 そんな映画である。この現実を、あなたはどう見るか。そんな問題提起ととらえられなくはない。作品の密度は高く、支えるのはアオイを..

  • 日常に潜む危機をこまやかに~映画「ほつれる」

    日常に潜む危機をこまやかに~映画「ほつれる」 「ほつれる」。意味深なタイトルである。国語辞典(岩波)によると「端からほどけ乱れる。『縫い目が―』」とある。簡単すぎて疑問が残る。冒頭、意味深と感じた裏側には「ほどけ乱れる」ことから生まれる「うっとおしさ」があるが、そのニュアンスがにじみ出てこない。国語大辞典(小学館)によると「編んだり束ねたりしてあるものの、端の方が解けて乱れる」。十分ではないが、こちらが近いか。「編んだり束ねたり」という「意思」の存在が前提になっているからだ。積み上げたものが崩れ去る虚しさ。それがこの言葉の裏にある。 スクリーン上で女性を描かせたら当代一といわれた成瀬巳喜男監督の作品に「流れる」(1959年)、「乱れる」(64年)があった。前者は柳橋芸者の消えゆく美しさを、後者は思いがけぬ告白に揺れる戦争未亡人の心を、こまやかに表現した。ともに昭和の名作である。 ..

  • 集団の暴走にどう向かう~映画「福田村事件」

    集団の暴走にどう向かう~映画「福田村事件」 100年前の関東大震災直後にあった、香川から来た薬の行商人一行の虐殺事件を映画化した。9月6日、千葉県東葛飾郡福田村三ツ堀(現在の野田市三ツ堀)で15人が襲われ、9人が落命した。妊婦が一人おり、胎児を含めると犠牲者は10人になる。 震災直後に流れた「朝鮮人が暴動を企てている」という流言が発端だった。井戸に毒を入れ、放火をして回っているというデマが広がり、不安に駆られた地域の自警団が朝鮮人狩りを行い、さなかに福田村事件も起きた。 監督は森達也。これまでオウム事件や佐村河内事件をドキュメンタリーの形で映像化した。姿勢は一貫していた。善悪の色が簡単につけられ、流される世論に異議を申し立てた。オウム信者は全員が極悪非道なのか、佐村河内守氏は本当に詐欺師なのかを問いかけた。今回は劇映画だが「流される世論」「集団の狂気」に異を唱えるという姿勢は変わらない..

  • 薄れた人生ドラマの側面~映画「春に散る」

    薄れた人生ドラマの側面~映画「春に散る」 沢木耕太郎の、おそらく唯一の小説「春に散る」を映画化した。原作では4人のボクサーたちが「世界」をとる夢を果たせず、挫折したまま老境を迎える。ひょんなことから4人は共同生活を始め、偶然出会った若いボクサーに「世界」への夢をかける…。 沢木には「クレイになれなかった男」「一瞬の夏」「リア」というボクサー三部作というべきノンフィクションの名作がある(自身「ノート」という形でそれぞれ第一部、第二部、第三部と位置付けている)【注】。アウトボクシングをスタイルとするカシアス内藤をモデルにした三作が「春に散る」の下敷きになっていることは、いうまでもない。 4人のうち、広岡仁一(佐藤浩市)を軸に物語は展開する。ボクサーとして挫折した広岡は米国西海岸でホテル経営者として成功、40年ぶりに帰国する。心臓発作という爆弾を抱えた彼は、昔通ったボクシングジム(真拳ジム)..

  • 旅は人生、いや人生は旅~映画「658㎞、陽子の旅」

    旅は人生、いや人生は旅~映画「658㎞、陽子の旅」 「人生は敗者復活戦」といった高校野球の監督がいた。昨年は「青春って密」とコメントし、流行語大賞の特別賞に輝いた。いつもキャッチーな言葉を出すなあ、と感心するが、個人的な思いとしては、人生は「勝つ」「負ける」の二つしかないわけではない。むしろ、高校野球のようにはっきりしていれば、人生はもっと簡単なはずと思う。それはともかく。 東京の片隅でひっそり生きてきた女性が、図らずも600㌔先の故郷を目指す旅を強いられる。当然ながらさまざまな人間とかかわりあう。そこで得たものと失ったもの。旅の終わり、彼女は変わったのか、変わらなかったのか。冒頭のひそみに倣えば、旅は人生だ。いや、人生は旅だ。そんなことを思わずにいられない映画である。 陽子(菊地凛子)は24年前、青森・弘前の家を出てきた。何かを夢見ていたらしいが、今は一人アパートでPCと向かい合って..

  • 頑固おやじと看板娘~映画「高野豆腐店の春」

    頑固おやじと看板娘~映画「高野豆腐店の春」 松下竜一は高校の成績も悪くなく進学を希望したが、家庭の事情から豆腐屋を継いだ。身体が弱かった竜一は豆腐作りに没頭できず、ため息をつくように短歌を作った。新聞の短歌欄で取り上げられ、人生が一変。「豆腐屋の四季」を書いた。作家人生が始まった。 尾道の「高野豆腐店」は頑固一徹の辰雄(藤竜也)と看板娘の春(麻生久美子)の二人三脚で営まれていた。駅ナカのスーパーにも納めた豆腐は定評があった。辰雄は心臓に持病があり、先を心配する近所の取り巻きは、結婚したが離婚して戻った春の再婚相手を探し始めた。辰雄は複雑な心境で見守った。やがて有力候補が見つかった。イタリアンシェフの村上ショーン務(小林且弥)。 病院に通ううち、辰雄にも親しい女性・中野ふみえ(中村久美)ができた。春はある日、村上とは違う男性を辰雄に紹介した。納品先のスーパーの担当者・西田道夫(桂やまと)..

  • 集団の狂気が招いたむごい事件~濫読日記

    集団の狂気が招いたむごい事件~濫読日記 「福田村事件 関東大震災・知られざる悲劇」(辻野弥生著) 今から100年前、1923年9月1日に起きた関東大震災の混乱のさなか、流言蜚語によって朝鮮人、社会主義者、無政府主義者が虐殺されたことは、歴史的事実としてある程度知られている。しかし、細部はいまだ明らかになっていないことが多い。千葉県東葛飾郡福田村大字三ツ堀(現在の野田市三ツ堀)であった香川県からの薬の行商一行9人(妊婦がおり、胎児を含めると10人)惨殺事件もその一つだ。 なぜ事件が明らかにされなかったか。二つの大きな理由がある。一つは、加害者にとっては触れられたくない事実で、できれば闇に葬りたいという心理。もう一つは、日本が帝国への道を歩んでいたころであり「帝国イデオロギー」再編の一環として朝鮮人蔑視、社会主義・無政府主義者への警戒感を背景として流言蜚語が生まれたことを権力の側が容認す..

  • 魅力的な3点セットだが~映画「リボルバー・リリー」

    魅力的な3点セットだが~映画「リボルバー・リリー」 関東大震災の翌1924年の秋。秩父で謎の一家惨殺事件が起きる。ただ一人、少年が生き残った。彼は、東京・玉野井でカフェを営む小曽根百合(綾瀬はるか)を頼れ、と父から聞いていた。 この時代、日本は帝国への道を歩んだ。日清、日露、第一次大戦が成功体験としてあり、1910~11年の大逆事件と朝鮮併合は、内外にわたる帝国化の動きだった。震災では、そのあおりとして朝鮮人、社会主義者・無政府主義者の虐殺事件が起きた。ほぼ同時代を描いた「菊とギロチン」(2018年、瀬々敬久監督)は女相撲一座とアナーキストという体制外の二つのグループを通して時代の空気を伝えた。 事件が気になった百合は秩父の現場を訪れ、少年を追う陸軍の動きを知る。少年を救う百合の手には大型リボルバーS&W-M1917が握られていた。 百合はかつて台湾で活動した幣原機関で16歳から訓練を..

  • 遺灰が引き起こす騒動の背後にイタリアの戦後史~映画「遺灰は語る」

    遺灰が引き起こす騒動の背後にイタリアの戦後史~映画「遺灰は語る」 「虎は死して皮を留め 人は死して名を残す」(十訓抄)という。その通りだが、人は普通の社会に住む限り、もう一つ残すものがある。遺灰(遺骨)である。死後、遺灰がもたらした騒動を、畏敬を込めて描いた。 ルイジ・ピランデッロはイタリアの小説家、脚本家、詩人。1934年にノーベル文学賞受賞。1936年12月に69歳で死去した。そのころのイタリアはエチオピアを併合した直後で、ムッソリーニが頂点にあった。当然ながら、ノーベル賞作家の死の政治利用をたくらむ。「黒シャツ党」による葬儀を提案したが実現しなかった。死者が、生地シチリアに戻ることを遺言として残したからだ。 結局、遺灰は10年間ローマに置かれ、大戦が終わってシチリアに戻る。映画の前半は、シチリアへの旅に割かれる。米軍機で運ばれる予定だったが、同乗者が降りたため取りやめに。やむなく..

  • 敗者や弱者への優しい視線~濫読日記

    敗者や弱者への優しい視線~濫読日記 「映画の木漏れ日」(川本三郎著) キネマ旬報に連載の「映画を見ればわかること」2017―2022年掲載分を中心にまとめた。同欄から6冊目の単行本化という。 川本三郎の映画評論は読んでいて心地いい。理由は二つある。一つは「あとがき」にある「作品の良し悪しを論じない。よかった映画についてだけ書く」姿勢。「評論とは、読者に感動を数倍にして再体験してもらうものではないか」という信念からきている。読み手は余計な悪罵や批判を目にすることがない。映画の「良さ」を純粋に再体験できる。もう一つは、極私的なことだが、川本と共通の感性土壌を感じることからくる「心地よさ」である。好きな作品が似ていたりする。しかし、視線がまったく同じかといえば、そうではないようだ。プロとアマの差であろう。違いは深さであったり、広がりであったりする。それを知ることもまた「心地いい」。..

  • 創作意欲はどこから生まれるか~映画「小説家の映画」

    創作意欲はどこから生まれるか~映画「小説家の映画」 書けなくなった小説家が、書店を営む後輩を訪れる。そこから人の輪が転がり、小説家の原作の映画化に挫折した監督夫婦、売れなくなった女優、詩人へとつながり、最後に偶然にも書店経営の後輩に行き着く。そうしたローリングストーンズの中で、小説家は女優と映画を撮ることを思いつく。 小説であろうと映画であろうと、創作意欲は人のつながりの中でかきたてられる。そういっている。例えば、詩人(小説家の古い飲み友達だった)と「物語の力を信じるか」が議論になり、小説家は否定する。「映画をつくる」話なのに、製作過程は出てこない。とりとめのない会話と人のつながりをモノクロ画面で見せる。監督の意思が感じられる。 ラスト近くで出来上がった短編が流れる。一部カラー。ストーリーは見当たらず、ただ女優の表情だけが印象的。この後、試写を見て戸惑う女優の表情が映し出される。 監督..

  • ウソの日常と格闘する初老の男~映画「逃げきれた夢」

    ウソの日常と格闘する初老の男~映画「逃げきれた夢」 定年目前の教師が主人公。仕事はそつなくこなす。周囲への気配りも怠らない。しかし、妻や娘から一定の距離を置かれ、旧友から胡散臭がられる。ウソの日常を泳いでいるようで、耐えられなくなる。「オレ、仕事辞めようか…」。そんな初老の男の心理を追った。 タイトルの意味、実はよく分からない。この日常から逃げたいと思い、ついに逃げ切れたという意味なのか。それともそれはただの夢だった、という意味なのか。ほかの意味なのか。見終わった後も謎は解けなかった。作品自体も、何を言いたかったかよく分からなかった。ただ、「だからダメ」とはならない気がする。 封切り初日ということもあり、予想以上に席は埋まっていた。ほとんどが高齢者だった。定年近い男の悩み多き日常、というあたりが気にかかるらしい。 北九州市の定時制高校で教頭の末永周平(光石研)は、台所に立つ妻の彰子(坂..

  • 悔恨と復讐~映画「カード・カウンター」

    悔恨と復讐~映画「カード・カウンター」 「タクシードライバー」(1976年)のマーティン・スコセッシ監督が総指揮をとり、脚本のポール・シュレイダーが脚本・監督。25年ぶりタッグを組んだ結果は…。 カード・カウンターと呼ばれるウィリアム・テル(オスカー・アイザック)はギャンブラーらしからぬ日常を送る。カジノを回り安ホテルに泊まる。持参のシーツで家具を覆い、壁の絵も取り外す。小さくかけて小さく勝つ。勝負は堅実だ。カードの出た目と出ていない目を脳裏に刻み、確率を計算する。 その能力はどこで養われたか。自ら「自分に合っている」という10年近くのムショ暮らしで身に着けた。イラクのアブグレイプ収容所で捕虜拷問の特殊任務に就いたが、虐待が問題になり軍刑務所へ送られた。命令したジョン・ゴード少佐(ウィレム・デフォー)は不問だった。 寡黙で目立たず、修行僧のような男に二人が近づいた。一人はギャンブル・ブロ..

  • 愛憎のドタバタ、あなたの評価は?~映画「苦い涙」

    愛憎のドタバタ、あなたの評価は?~映画「苦い涙」 監督がフランソワ・オゾンということで、つい見てしまった。酒浸りの映画監督と俳優を目指す青年の愛憎劇。R・W・ファスビンダー監督の「ペトラ・フォン・カントの苦い涙」(1972年)を翻案した。元の作品は見ていないので比較しようがないが、調べたところではファッションデザイナーが映画監督に置き換えられたらしい。 ピーター・フォン・カント(ドゥニ・メノーシェ)は朝からジンを浴びるほど飲んでいる。用があるたび助手のカール(ステファン・クレポン)を呼びつける。執事のように振る舞うカール。それをいいことにピーターは高圧的になる。今ならパワハラ。 ピーターが映画監督でいられるのはシドニー(イザベル・アジャーニ)の功績が大きい。3年ぶりに訪れた彼女が連れてきたアミール(ハリル・ガルビア)に、ピーターは一瞬で恋に落ちる。彼をアパートに置き、映画界デビューを画..

  • 日本の曲がり角で放たれた光芒~濫読日記

    日本の曲がり角で放たれた光芒~濫読日記 「サークル村の磁場 上野英信・谷川雁・森崎和江」(新木安利著) 「サークル村」は、標題の3人を中心に企てられた文化運動。拠点は1950年代後半、エネルギー革命の現場だった九州・筑豊。その運動は何だったかを、それぞれの思想のかたちを見る中で浮き彫りにしたのが本書である。 「サークル村」については、水溜真由美の労作「『サークル村』と森崎和江」がある。発行年と著者の生年を押さえると以下になる。 「サークル村の磁場」2011年、「『サークル村』と森崎和江」2013年。新木1949年、水溜1972年。 なぜこんなデータを出したか。「サークル村」が歴史上の事実というほど古くはなく、「いま」というほど生々しくもない、という「中途半端さ」に理由がある。福岡県生まれの新木に、筑豊の闘いは幼いころの記憶の端にはあったはずで、一方の水溜は大阪に生まれ、物心ついた..

  • 「教育」と「南北」軽妙なタッチで~映画「不思議の国の数学者」

    「教育」と「南北」軽妙なタッチで~映画「不思議の国の数学者」 164年前にドイツの数学者が素数の並び方について推論を立てた。ところが、正しさを証明できなかった。そのリーマン予想を証明した数学者が北朝鮮から韓国へ脱出、身分を隠したまま、私立高校の警備員をしていた…。 念のため言っておくと、リーマン予想はいまだ証明されていない。この部分はフィクションである。それはさておき。 舞台は韓国内の上位1%が入る超難関高。ただ、母子家庭などの特例入学枠があるらしく、ハン・ジウ(キム・ドンフィ)もその一人。成績は芳しくなく、特に数学は苦手。一般高校へ転校を迫られ悩んでいる。 無愛想で取り付く島のない警備員イ・ハクソン(チェ・ミンシク)は、勤務の合間に難解な数式と取り組んでいた。素顔は北朝鮮トップの数学者。しかし、研究実績が兵器開発に利用されることに疑問を持ち、学問の自由を求めて息子と脱北した。父の行動..

  • 無意味な戦争の真実を描く~濫読日記

    無意味な戦争の真実を描く~濫読日記  「亜鉛の少年たち アフガン帰還兵の証言」(スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ著) ソ連のアフガン侵攻は1978年に始まり1989年まで続いた。きっかけは、アフガンに成立した共産主義政権と同国内のイスラム勢力との内戦激化だった。日本人にとっては、どちらかといえば遠い話だったが、1980年モスクワ五輪の西側国ボイコットによって一気に身近になった。イスラム勢力が勝利しソ連軍は撤退。時を経ずソ連は崩壊した。米欧の支援を受けたイスラム勢力はその後モンスター化し、アルカイダによる米国中枢同時テロへと発展したことは記憶に新しい。 ソ連のアフガン侵攻はかつての米国によるベトナム戦争と並ぶ「愚かな戦争」だった。しかし、末期とはいえ全体主義国だけに国内の反戦運動は容易ではなかっただろう。権力者のプロパガンダに踊らされ、無意味に死んだ若者は少なくなかった。 スヴェトラ..

  • 美しくも哀しい「喪失」の物語~映画「柳川」

    美しくも哀しい「喪失」の物語~映画「柳川」 過ぎ去った過去は美しく切ない。その美しさの裏に張り付いているのは、喪失体験がもたらす哀しさである。哀しさが美しい輝きを放っている。映画「柳川」は「喪失」をめぐる4人の物語である。 北京に住むドン(チャン・ルーイー)はある日、末期がんを告げられた。余命を悟り、兄のチェン(シン・バイチン)に日本の柳川に行こうと誘った。兄のかつての恋人リウ・チアン(ニー・ニー)と同じ名前の場所だから、という理由だった。20年前に姿を消し、そこに住んでいるという。既に結婚し仕事もあるらしいチェンは戸惑うが…。 柳川市内のゲストハウスらしきところに二人は立っている。美しい風景。どこかのライブハウスで歌うチアン。居酒屋のおかみ(中野良子)との何気ない会話。 兄弟はチアンに、なぜ突然姿を消したのかを問う。チアンは家庭の事情でロンドンに行ったことを明かした。それぞれ、チアン..

  • 重なる精神の飢餓~映画「渇水」

    重なる精神の飢餓~映画「渇水」 群馬県内と思われる、ある市の水道局職員が主人公。料金滞納の家庭を訪ね歩き、水道法15条第3項による停水措置を実行している。止められる方は反発するが、規則に従い淡々と作業する。 岩切俊作(生田斗真)がある日、同僚の木田拓次(磯村勇斗)と訪れた家庭は母・小出有希(門脇麦)と小学生の姉・恵子(山崎七海)、妹の久美子(柚穂)がいた。父は消息が知れなかった。一度は見送ったものの2度目の訪問では母も出奔。やむなく幼い姉妹の前で停水を行った。 岩切は妻・和美(尾野真千子)と子との関係がうまくいかず、一人暮らしを強いられていた。時折、実家を訪れても会話はぎくしゃくするばかり。孤独を内に抱え、滞納家庭の水道を止めて歩く生活…。 収入のあてもなく水まで止められた姉妹は困窮した。公園や近所の庭の水道を盗んだものの、それもかなわなくなってスーパーでミネラルウォーターを万引き。店..

  • 日常の隣に潜む不条理~映画「怪物」

    日常の隣に潜む不条理~映画「怪物」 小5の息子と学校のトラブル。日常生活でありそうな出来事を緻密に描く。母親、学校側、そして子どもたち。三者の視点は微妙に食い違う。真実を言っているのは誰か。黒澤明「羅生門」(原作は芥川龍之介「藪の中」)のテーマがよみがえる。当事者間の視点の「ずれ」を描いた作品では「三度目の殺人」(2017年、是枝監督)はじめ、海外では英米合作「最後の決闘殺人」(2021年、リドリー・スコット監督)やイラン「別離」(2011年、アスガー・ファルファディ監督)があった。ただ、正面から「食い違う真実」を見つめたものはそんなになく(「羅生門」以来?)、精巧さにおいても記憶にないほどの出来だ。 始まりは火事のシーン。繁華街のビルが炎上、消防車が向かう。マンションの部屋から眺める麦野早織(安藤サクラ)と息子の湊(黒川奏矢)。突然、湊が「豚の脳を移植した人間は豚?それとも人間?」と..

  • 暗転するひと夏の思い出~映画「アフターサン」

    暗転するひと夏の思い出~映画「アフターサン」 小津安二郎は、肝心の場面を映さないことで知られた。老夫婦が上京する物語では汽車に乗るシーンがなく、娘が結婚する作品では相手だけでなく結婚式も出てこない。それらは観るものの想像に任せた。 「アフターサン」は、作品の色合いこそ違うが肝心な場面を見せない、という点で小津作品に似ている。 トルコの避暑地。父と娘がひと夏の忘れがたい日々を過ごす。ソフィ(フランキー・コリオ)は思春期真っ盛りの11歳。地元の同年代の子や若者と遊んでいる。そこには邪念などない。一方のカラムは31歳。妻が同行していないところから、離婚したと思われる。娘と母の、それらしい電話での会話もある。 20年前にホームビデオで撮ったという、いくつかのシーンが挿入される。もちろんそれだけではない。ダイビングを楽しむシーン。カラムはインストラクターに「この年まで生きているとは思わなかった。..

  • 物語を縁どる死生観~濫読日記

    物語を縁どる死生観~濫読日記 「宮沢賢治の真実 修羅を生きた詩人」(今野勉著) 宮沢賢治といえば「銀河鉄道の夜」や「風の又三郎」が頭に浮かぶ。童話の作り手=メルヘンの世界の住人と考えがちだが、その思想は深い闇を抱えた死生観に縁どられている。「銀河鉄道」はどこからどこへ行くのか。「風の又三郎」はどこからきてどこへ消えたのか…。 賢治の実家は浄土真宗の檀家として知られたが、賢治自身は日蓮宗の熱心な信者だった。彼の世界観はその辺に由来するが、そればかりではない。その先を詩論、文学論として究明する方法もあろうが、今野勉はもっと身近な手法によって「賢治の思想」即ち「修羅」の核心に迫った。詩と実生活を重ね合わせ、思想の重要なモメンタムとなった出来事を浮き彫りにした。 賢治は自身の「詩」らしきものを「心象スケッチ」と呼んだ。心的現象をそのまま文字化したといい、詩としての表現性=自己と他者を言葉..

  • 殺し屋だって歳を取る~映画「メモリー」

    殺し屋だって歳を取る~映画「メモリー」 人間だれしも歳を取る。歳を取れば、アルツハイマーになるのもいる。殺し屋だって例外ではない。かつての腕利きが、記憶のほころびに悩まされる。彼が最後に取った行動は…。「メモリー」はそんな映画である。 メキシコのある病院。アレックス・ルイス(リーアム・ニーソン)は、鮮やかな手口で犯行を終え、仲介者マウリシオ(リー・ボードマン)に連絡を取った。アルツハイマーの進行が気になり、稼業をやめたいと告げる。マウリシオは「俺たちの仕事に終わりはない」と受け入れず、家族をさりげなく話題にして間接的に脅しまでかけた。 テキサス州エルパソ。FBIが人身売買組織の摘発のため、潜入捜査を行っていた。ヴィンセント・セラ(ガイ・ピアース)が買春客に成りすまし、13歳のベアトリス(ミア・サンチェス)に接触を図った。胸の盗聴器を発見され、捜査陣ともみ合いに。ベアトリスの父が窓から転..

  • たった一人の犠牲者に寄り添う~濫読日記

    た一人の犠牲者に寄り添う~濫読日記 「カティンの森のヤニナ 独ソ戦の闇に消えた女性飛行士」(小林文乃著) ポーランドのクラクフを旅したとき、ガイドの日本人女性に聞いたことがある。①アンジェイ・ワイダ監督を知っていますか②カティンの森の事件を知っていますか。 ①については「ええ、知っていますとも。クラクフ出身の有名人ですよ」。②については「知らない」と怪訝そうな表情だった。クラクフはアウシュヴィッツ訪問の中継点としてよく利用される。私もそうだった。アウシュヴィッツの知識があるなら…という期待は裏切られた。 ポーランドを独ソが分割した直後の1940年、連行した将校の多くが虐殺され埋められた。犠牲者の数は今も確定しておらず、2万5000人以上とも言われる【注】。現場はモスクワの南西、ヴェラルーシとの国境に近いロシア領カティン。地名をかぶせて「カティンの森事件」と呼ばれる。真相解明が遅れ..

  • 「修羅」の幸福な見届け人~映画「銀河鉄道の父」

    「修羅」の幸福な見届け人~映画「銀河鉄道の父」 吉本隆明は「宮沢賢治」の中でこう書いた。 ――作品「銀河鉄道の夜」で、主人公ジョバンニの父は<不在>になっている。そして<不在>が、そのまま何かのおおきな暗喩を背負っているのだ。(第Ⅱ章 父のいない物語・妻のいる物語) 80年代後半に書かれた吉本の文章から10年余り前、つまり70年代初めに出版された中村文昭著「宮沢賢治」では、もっと直截に「父殺し幻想」―<イエ>との過酷な葛藤―が、主要なテーマになっている。 どうやら宮沢賢治の「書く」という行為の裏側には負の存在としての<父>が、大きな影とともにあったことが推測される*。 映画「銀河鉄道の父」を観た。 盛岡で質屋を営む宮沢政治郎(役所広司)は京都出張中に息子の出生を知り帰郷する。祖父の喜助(田中泯)によって「賢治」と名付けられた。幼いころ赤痢を患い死線をさまようが、順調に成長。中学を卒業後..

  • 小津作品の「戦争」にこだわる~濫読日記

    小津作品の「戦争」にこだわる~濫読日記 「小津安二郎」(平山周吉著) 以前から気になっていたが、著者の「平山周吉」はペンネームで、あの「東京物語」で笠智衆が演じた初老の男と同名である。「平山周吉」が小津安二郎を論じる。こんなバカげた話があるだろうか。そんな思いを抱きながら「小津安二郎」を手にした。 著者もそのあたりが気になったらしく「まさか自分が小津安二郎の本を書くとは思いもしなかった」と、あとがきで弁解じみたことを書いている。「予感」があったかなかったか、本人以外知る由もないので、この問題はこのあたりでやめておこう。 平山の著書では「満洲グランドホテル」を読んだ。文献主義とでもいおうか、テーマに沿って日常的な書簡、雑誌の雑文に至るまで調べ上げ、当事者の行動を明らかにしていく。「小津安二郎」もこの手法は健在で、取材対象は映画や評伝にとどまらない。これを第一とすると、第二の特徴は、..

  • 「絶対悪」の細目はこうして決まった~映画「ヒトラーのための虐殺会議」

    「絶対悪」の細目はこうして決まった~映画「ヒトラーのための虐殺会議」 「流言のメディア史」で佐藤卓己はこう書いている。 ――ヒトラーを絶対悪の象徴とすることで、逆にヒトラーは現実政治を測る物差しになった。キリスト教世界においては、絶対善である神からの距離において人間の行為は価値づけられてきた。19世紀にニーチェが宣言した「神の死」、つまり絶対善が消滅した後、あらゆる価値の参照点に立つのは絶対悪である。 ヒトラーは神なき現代社会において、人間的価値の「審判者」になった、という。もちろん絶対悪として。 ヒトラーが、否定的な意味でだが、審判者である最大理由はホロコーストの発案者であり実行者であるからだろう。 アウシュヴィッツ収容所でガス殺が始まったのは1942年6月。44年11月までに110万人が犠牲になった(石田勇治「ヒトラーとナチ・ドイツ」から)。 ヒトラーは当初、ユダヤ人「絶滅」を考え..

  • 庶民の哀歓、淡々と~映画「せかいのおきく」

    庶民の哀歓、淡々と~映画「せかいのおきく」 小説「糞尿譚」を書いた火野葦平は、芥川賞受賞の報を杭州で聞いた。授賞式は小林秀雄が現地に赴いて行われた。これを契機に軍部から従軍小説の依頼があり、日中戦線を描いた「麦と兵隊」など3部作が人気を呼んだ。「国民作家」が誕生した。 「糞尿譚」は、糞尿処理業者の指名をめぐる政争を描いた。プロレタリア文学には距離を置いたもののマルクス主義にシンパシーを抱いた火野らしい小説だった。戦後、従軍小説と左翼小説とのギャップに悩み、1960年初頭に自殺した。 冒頭からあらぬ方向に話がいった。映画「せかいのおきく」である。おもいきり縮めて言えば、江戸期の糞尿譚である。この中に「おきく」という清純・可憐な女性が出てくる。その目を通して世相と人情模様を見る、という構図である。 まず、江戸の糞尿処理を担う業者の話。二人の若者が登場する。紙屑拾いの中次(寛一郎)と下肥買い..

  • 閉塞感漂う共同体の「いま」~映画「ヴィレッジ」

    閉塞感漂う共同体の「いま」~映画「ヴィレッジ」 山間の集落。伝統の薪能。唯一の収入源ともいえるごみ処理場。閉塞感漂う人間関係。こんな取り合わせで、凝縮された共同体の「いま」を描く。 霞門村の神社のはるか上に、処理場はある。周囲の景観とは明らかに不釣り合いな、巨大でグロテスクな外観。若者・片山優(横浜流星)は、そこで働いている。母親がつくった借金返済のため、夜は不法投棄を行っている。彼は、ムラから十字架を背負わされていた。数年前に父が起こした放火殺人事件。ごみ処理場誘致反対派のリーダーだった父は最後には一人となり、追い詰められて薪能の夜、舞台に火を放った。父の犯罪は息子とは関係ない、といっても通らなかった。 かつて付き合っていた中井美咲(黒木華)が7年ぶり都会から帰り、優の生活に変化が生じた。美咲はムラの広報を担当。ごみ処理場の案内人に指名された優のガイドぶりは見学の小学生らに好評だった..

  • 4人一幕の圧倒的な「語り」~映画「対峙」

    4人一幕の圧倒的な「語り」~映画「対峙」 ある高校で銃乱射事件があり、犯人の少年を含め11人が亡くなった。6年後、加害者と被害者の夫婦4人が教会の一室に集まり、それぞれ胸の内を語る。ほぼ全編そのやりとり。 冒頭、教会関係者や仲介役のカウンセラー、ケンドラ(ミシェル・N・カーター)が出るが、後は4人だけの一幕もの室内劇。ぎこちない会話の後、お互いの息子、娘の写真の見せあいがあり、徐々に言葉がとげとげしくなっていく。 クライマックスは被害者の夫婦(ジェイ=ジェイソン・アイザックス、ゲイル=マーサ・プリンプトン)が語る、少年の最期の模様。捜査や現場のカメラ映像などに基づくとみられる6分間が再現される。撃たれた後、息のあった息子は、這って逃げようとしたことが血の跡から分かっている。そこへ戻ってきた犯人が、無表情のまま頸動脈を撃った、という。加害者側の夫婦(リチャード=リード・バーニー、リンダ=..

  • 高齢者の性を直視~映画「茶飲友達」

    高齢者の性を直視~映画「茶飲友達」 茶飲友達―茶を飲みながら世間話をする、気のおけない親しい友達。多く老人の場合にいう(国語大辞典から)。縁側やベランダで、年老いた仲間同士がほっこりした気分で茶をすする。そんな情景が浮かびそうである。しかし、映画「茶飲友達」は違う。高齢者の性と向き合う、ハードな社会派ドラマである。 「ティー・フレンド」は高齢者向けの売春あっせん業。差し向けられるコールガールも、高齢者である。実際に摘発された事例に基づいている。 確かに、ありそうな話である。高齢化社会の進行とともに、配偶者をなくし一人暮らす老人は多い。男性の場合、性欲は簡単にはなくならない(松本清張「けものみち」がいい例)。女性の場合、生活に困窮するケースが多くみられる。年金だけでは暮らせないからだ。そこで、金銭を媒介にして男性と女性をカップリングすれば、失いかけた生きる手ごたえも、取り戻すことができる..

  • 「大東亜共栄圏」の虚妄を突く~濫読日記

    「大東亜共栄圏」の虚妄を突く~濫読日記 「太平洋戦争秘史 周辺国・植民地から見た『日本の戦争』」(山崎雅弘著) 「太平洋戦争」「アジア・太平洋戦争」と呼ばれる先の大戦は、かつて「大東亜戦争」と称した。大東亜共栄圏の確立を目指し、欧米の植民地支配からアジアを解放する戦いとされた。根拠は、開戦から1か月半たった1942年1月の東條英機首相演説にあった。そこで東條は「一〇〇年間にわたって米英の搾取に苦しんできたアジア諸国を解放し、大東亜永遠の平和と、帝国(日本)を核心とする道義に基づく共存共栄の秩序を確立する」と、戦争の意義を述べた(64P)。 あの戦争に、アジアの国々を解放する大義はあったのか。「太平洋戦争秘史」は、具体的な事例を通して、このことを問い直した。 例えば仏領インドシナ。フランスはドイツが侵攻した翌年の1940年に親ナチのヴィシー政権が樹立され、ドイツ寄りの国になった。つまり、日..

  • 反乱する肉体~映画「ザ・ホエール」

    反乱する肉体~映画「ザ・ホエール」 意識は肉体をまとう。完全な健康体なら、肉体は意識の対象とならず無と化す。ちょっとした病になると、途端に意識の中に浮上する。特殊な事例では、スポーツ選手にとって肉体は養成の対象ですらある。 「ザ・ホエール」が描くのは、こうした意識と肉体の関係である。体重272㌔。極度の高血圧とうっ血性心不全の発作に悩む。歩行器がなければ歩くこともかなわず、日常的な活動はほぼ不可能。極度の肥満が、こうした事態を招いた。反乱する肉体を制御できないでいる。 なぜ、チャーリー(ブレンダン・フレイザー)は肥満症に陥ったか。彼には肉体関係を持つ同性のアランがいた。カルト宗教の伝道師だったが生き方に悩み、自殺する。この時すでに妻メアリー(サマンサ・モートン)と娘エリー(セイディー・シンク)を捨てていたチャーリーは自責の念に駆られ、苦しみから逃れるため過食を繰り返した。 訪問看護師リ..

  • 重厚さより洒脱な味~映画「生きる LIVING」

    重厚さより洒脱な味~映画「生きる LIVING」 「命短し 恋せよ乙女…」 雪の夜のブランコで哀切のメロディを志村喬(役名では市民課長・渡辺勘治)が口ずさむ、あの名画「生きる」(黒澤明監督)が帰ってきた。カズオ・イシグロがシナリオを担当した「生きる LIVING」。1953年のロンドンが舞台。黒澤作品より1年遅い時代設定で冒頭、第二次大戦直後のロンドン街頭が映し出される。粒子の粗いカラーの画調が、時代の雰囲気を醸し出す。 ウィリアムズ(ビル・ナイ)は、ロンドン市役所の市民課長。たらい回しされた挙句、寄せられた陳情書を読みもせず書類棚に積み上げる。単調な毎日。 出だしの展開は、黒澤作品とあまり変わらない。違っているのは「これが、この物語の主人公である。しかし、今この男について語るのは退屈なだけだ。彼には生きた時間がない」という、記憶に残るナレーションがないこと。代わりに朝の出勤風景が..

  • 戦時下、戦後の大陸を生き抜いた記録~濫読日記

    下、戦後の大陸を生き抜いた記録~濫読日記 「満映秘史 栄華、崩壊、中国映画草創」(石井妙子 岸富美子著) 二人の共著の形をとるが、多くは一人称で語られている。映画編集者・岸の体験記をベースに、石井がインタビュー取材したものを付加した。多くが岸個人の記憶によっているため、史実として疑問の部分もある。そこで、章ごとに石井が解説を付けた。語りの過不足を補い、記述の信ぴょう性にも言及した。 日中戦争が本格化した昭和14年、岸は兄たちの誘いもあって満映に入った。19歳になったばかりの岸はこの時から14年間、中国大陸を放浪する。戦時下6年、戦後8年。苦難の日々だった。 満映には社史が存在しないという。この「秘史」がそれに代わるものかは分からない。個人史の部分があまりにも多いからだ。言い換えるなら戦時下、戦後の中国大陸を生き抜いた女性史としては十分すぎる重みを感じさせる。 岸の実家は、もともと..

  • 介護の根源的な問題に迫る~映画「ロストケア」

    介護の根源的な問題に迫る~映画「ロストケア」 「ロストケア」は失われたケア(介護)、または喪失のケア(介護)。どちらが正解か、と思いつつ観た。後者が作り手の意図に近そうだ。 高齢者介護の悲惨さが言われて久しい。苦しみから逃れる道はあるのか。それとも介護対象者の命と引き換えにしか、道はないのか。そうした根源的な問題を見据えた。松山ケンイチという優れた性格俳優を中心に据えたことが、作品の完成度を増した。 冒頭、一人の女性がさびれたアパートを訪れる。パトカーが止まっている。部屋の中はごみが散乱、悪臭が漂う。ベッドにヒト型のしみ。この状況の意味はラストで回収される。 長野のケアセンター八賀。何人か介護士が働いている。斯波宗典(松山ケンイチ)もその一人。歳に似合わず白髪が目立つ。同僚たちは、苦労してきたせいだと理解している。そのせいか、斯波は高齢者に優しく気配りもできていた。 ある日、訪問先の老..

  • 果たして、命は数式で計算できるのか~映画「WORTH 命の値段」

    果たして、命は数式で計算できるのか~映画「WORTH 命の値段」 資本主義の牙城アメリカ、ついにここまでやるか、という映画。2001年の米中枢多発テロ、いわゆる「9.11」で亡くなった人々の補償交渉を担当した弁護士の話。もちろん、核心はそれぞれの補償額をどう計算するか。つまり、命の値段の算定方法。 事件後、米政府は約7000人とみられた遺族ら救済のため補償基金プログラムを立ち上げた。管理人に選定されたのが弁護士ケン・ファインバーグ(マイケル・キートン)。補償額の算定式を編み出し、遺族との交渉に臨んだ。しかし、画一的な手法で命の値段が決められることに、当然ながら反発は強かった。ケンの提案が受け入れられなければ航空会社を含めた訴訟が多発し、収拾のつかないことになると思われた。 遺族の中に冷静沈着な男がいた。チャールズ・ウルフ(スタンリー・トゥッチ)。妻を事件で亡くしていた。当初ケンに理解を..

  • 取るに足らない人々が紡ぐ物語~濫読日記

    取るに足らない人々が紡ぐ物語~濫読日記 「ギャバンの帽子、アルヌールのコート 懐かしのヨーロッパ映画」(川本三郎著) 著者は私より5歳年上。まあ、ほぼ同年代と言っていい。その著者が10代のころ、映画館通いをして見聞した名画32本がラインアップされた。1950~60年代が中心で、好みが反映されたらしくフランス映画が多い。私は9割がた未見で、観たのは「第三の男」や「ヘッドライト」など歴史的な作品ばかりだった。互いの少年期の違いが分かる。 観てもいない映画の評を読んで面白いのか、といぶかられるかもしれないが、そこが著者の腕であろう。批評とともに粗筋が過不足なく紹介される。書き味のうまさに引き込まれる。末尾あたりに気のきいた歴史エピソードも紹介されている。 やや唐突感のある長いタイトルは「ヘッドライト」をめぐる一文から。 ――いつもビニールの安いコートを着ている。それが似合う。アルヌールは「..

  • 孤独な老人に起きた化学変化~映画「オットーという男」

    孤独な老人に起きた化学変化~映画「オットーという男」 この映画を見ていて、C・イーストウッド監督・主演の「グラン・トリノ」(2008年)を思い出した。ともに退職したばかりの頑固で偏屈な爺さんが主役。新たな隣人が加わり、人生に化学変化が起きる。ここまでは似ている。しかし「グラン・トリノ」と「オットーと呼ばれた男」がそこから掘り下げたものはまるで違っていた。 「グラン・トリノ」は、朝鮮戦争の体験がポーランド系移民の自動車工、コワルスキーの精神の闇を形成する。それが、インドシナからの少数民族が地域のトラブルに巻き込まれるのを見かね、立ち上がる起爆剤になる。義侠心による行動が、彼の命を奪う。 オットー(トム・ハンクス)は、製鉄会社に勤めていた。ルールを厳格に守ることを第一に考え、職場からはうっとうしがられ、体よく言えば「肩たたき」にあって職場を去った。長屋風の共同住宅に住み日常的な見回りを欠か..

  • クリミア」につながる「コソボ体験」~濫読日記

    クリミア」につながる「コソボ体験」~濫読日記 「プーチンの実像 孤高の『皇帝』の知られざる真実」(朝日新聞国際報道部) この2月24日、ロシアのウクライナ侵攻開始から1年が過ぎた。当初の予想は外れ、戦況の行方は予断を許さない。ロシアの絶対権力者プーチンが最終的な到達地点をどこに置いているかも明らかでなく、そのこともこの戦争を不安定化させている。 プーチンは一体何を考えているか。 手がかりとして「プーチンの世界 『皇帝』になった工作員」(新潮社)がある。米ブルッキングス研究所の二人の研究者が、国家主義者であり歴史家であり、工作員であるプーチンの脳内を丹念に探っている。膨大な資料を漁った大部であるだけに、読み通すにはかなりのエネルギーを必要とした。これに比べると多少、身近なところからアプローチを図れるのが、駒木明義ら朝日新聞3記者による「プーチンの実像」であろう。 前出の著作と明らかに違..

  • じわり伝わる感動~映画「エンパイア・オブ・ライト」

    じわり伝わる感動~映画「エンパイア・オブ・ライト」 見終わって、しばらく反芻して価値が分かる。そんな作品だった。監督サム・メンデス、主演オリヴィア・コールマン。他にもただならぬ共演者が並ぶ。地味だが重厚。 ラブストーリーのようでそうではない。淡々と進む。起承転結はない。しかし、後で振り返ると、幾つかの伏線が脳裏に立ち上がる。 1980年代初めの英国マーゲイト。そういってもイメージがわかないが、マーゲイトはロンドン南東部に位置する海辺のリゾート地。このころ、この国ではサッチャー政権が新自由主義の大ナタを振るっていた。しかし、英国病は容易に去らず、80年代初頭の失業率は政権中のピークを記録していた。失業者が減り始めたのは80年代後半からだった。 物語の舞台は傾きかけた映画館「エンパイア」。苦い過去を抱え、精神を病んだヒラリー(オリヴィア・コールマン)が働いていた。そこへ若い黒人スティーヴン..

  • 衝撃の結末を呼ぶ心理ドラマ~映画「別れる決心」

    衝撃の結末を呼ぶ心理ドラマ~映画「別れる決心」 目で芝居をする、という。表情さえ変えず視線の動きだけで情景を作り出す、そんな芝居。男女の心の動きだけを追ったこの「別れる決心」も、目で芝居をする映画だった。 パク・チャヌク監督は暴力とエロス渦巻くシーンが印象に残るが、ここでは封印された。しかし「エロス」が全くないかといえば、それも違う。二人の間の、許されることのない恋情。それがお互いの視線にまとわり、意表を突くアングルによってとらえられる。これがエロスでなくて何だろう。 霧が深いことで知られるある町の郊外で、趣味のクライミング中の男性が転落死した。自殺か他殺か。捜査に乗り出した刑事ヘジュン(パク・ヘイル)。男性には中国人の若い妻ソレ(タン・ウェイ)がいた。尋問を繰り返すうち、二人にはある感情が沸き上がった。 ソレをめぐって、二人の男が相次いで亡くなった。ヘジュンは、事件の裏に潜む殺意のあ..

  • 緊迫感ある美しい画調~映画「崖上のスパイ」

    緊迫感ある美しい画調~映画「崖上のスパイ」 チャン・イーモウ監督による満州を舞台としたスパイ映画。個人的な見どころが二つあった。繊細で美しい画調で知られる巨匠にとってスパイ映画(というかアクション映画)は初の試みと思われた。どんな作品になるのか、が一つ。もう一つは、中国の監督が満洲をどのように見てどう表現するのか。 日本による満洲建国から2年後の1934年冬。雪の森に4人の工作員がパラシュートで降り立った。すぐ追手がかかり、二手に分かれ潜行する。彼らはある計画の密命を帯びていた…。 ハルビンの特務機関との攻防が始まる。 ソ連で訓練を受けた特殊工作員だった。リーダーは元新聞記者の張憲臣(チャン・イー)。抜群の記憶力を持ち、あどけなさが残る小蘭(リウ・ハオツン)を連れている。もう一つの班の王郁(チン・ハイルー)は張の妻で、ハルビンに幼い姉弟を残していた。あと一人、楚良(チュー・ヤーウェン)..

  • 映画好きたちの再起の物語~映画「銀平町シネマブルース」

    映画好きたちの再起の物語~映画「銀平町シネマブルース」 みんなどこかで挫折し、心に傷を負い、それでも生きていかなければ、と思い、再起を目指す。そんな人間たちが不可思議な引力によって集う。そんな空間だから、どこか優しい空気が漂う。派手でもなく、力強くもないが、見終わって「よし。生きていくぞ」と思わせる映画である。 架空の街でかつかつ営業を続ける「スカラ座」(わが町にも同名の映画館があったが、とうにつぶれた)。そこへ、わけあって男が転がり込む。アルバイトとして働きはじめた近藤猛(小出恵介)に、館長の梶原啓司(吹越満)はどこか見覚えがあった…。 近藤は、ここに来る前に映画好きのホームレス佐藤(宇野祥平)と公園で出会っていた。毎日のように映画館通いの佐藤は、得体のしれないNPO法人の口車に乗って生活保護を受け、上前をはねられていた。疑惑の目で見ていた梶原と近藤は、転売目的の携帯を何台も買わされ..

  • 野心、狂乱、転落の向こう側が見えない~映画「バビロン」

    野心、狂乱、転落の向こう側が見えない~映画「バビロン」 バビロン。メソポタミアの古代都市。ヨハネの黙示録によれば、悪魔の住むところ。破壊と創造を繰り返した。バベルともいい、天に届く塔をつくろうとして神の怒りに触れ崩壊した「バベルの塔」のいわれもある。この古代都市にハリウッドを見立て作られたのが、デイミアン・チャゼル監督の「バビロン」である。悪魔的な狂乱、スターへの階段を上るための野心の熱量、そして失意と死。これが全編を覆う。 1926年から30年代初め。二つの世界大戦の間、戦間期と呼ばれた時代。日本で言えば大正ロマンの時代である。群像劇だが、主要な人物は3人。サイレント時代のスター、ジャック・コンラッド(ブラッド・ピット)、チャンスをつかもうとする新進女優ネリー・ラロイ(マーコット・ロビー)、メキシコ移民で映画会社のアシスタント、マニー・トーレス(ディエゴ・カルパ)。 ロス郊外の別荘で..

  • 飾りがない分、心に刺さる~映画「ケイコ 目を澄ませて」

    飾りがない分、心に刺さる~映画「ケイコ 目を澄ませて」 生まれつき聴覚障害を持つ小河ケイコ(岸井ゆきの)は、荒川沿いの下町にあるボクシングジムに通っていた。プロテストに合格、デビュー戦も勝利した。そんな彼女を会長(三浦友和)は、メディアの取材に「才能はないなあ。体も小さいし。だけど性格がいい」と答える。不器用でまっすぐな彼女の生き方を、温かく見守っている。 単純にボクシング映画とも、青春映画ともいえない。石段を一つ降りたところにある古びたジム。既視感のある懐かしい風景だ。再開発の波が押し寄せ、ジムを閉鎖しなくてはならない。そんな背景もある。懐かしい画調はどこから来るのだろう、と思ったら16mmフィルムで撮ったのという。 ジム閉鎖を前に、ケイコの預かり先を探して会長らが奔走するシーンがある。見つけだした受け入れ先を、ケイコは「遠いから難しい」と断ってしまう。聴覚障害がある彼女に特別な計ら..

  • いさかいを止めるものは~映画「イニシェリン島の精霊」

    いさかいを止めるものは~映画「イニシェリン島の精霊」 イニシェリン島はアイルランド西にある小島(実在するか確認できなかった。おそらく架空)。時は1923年。アイルランド独立をめぐってイングランドと内戦のさなかだった。しかし、内戦は背景として時々、作中で話題になるだけ。本題は島の二人の男の間の意味不明のいさかい。つまり、内戦を後景として「ご近所トラブル」が詳細に描かれる。 バードリック(コリン・ファレル)はいつものようにコルム(ブレンダン・グリーソン)をパブに誘うが、行かないという。それどころか絶交だという。何があったのか、バードリックには見当がつかない。そのうち、島に来たばかりの若いミュージシャンがコルムとパブで親しげに話しているのを見たバードリックは、君のお父さんが交通事故にあった、と嘘をつく。一方で二人の仲を心配したバードリックの妹シボーン(ケリー・コンドン)が尋ねると、コルムは退..

  • 社会の現在地で有効なのか~濫読日記

    社会の現在地で有効なのか~濫読日記 「日本の保守とリベラル 思考の座標軸を立て直す」(宇野重規著) 戦後長く続いた55年体制は、東西冷戦を国内に抱え込む形で保守・革新の対立という構造をもっていた。勢力図はほぼ2対1で推移、革新の側が護憲に回り、憲法改正を唱える自民などの3分の2議席獲得(=改憲発議)を阻止する、絶妙のバランスにあった。1991年にソ連が崩壊、東西冷戦が終わると、防共=日米安保条約をベースとした軽武装、経済優先を骨格とする55年体制は一気に空洞化、宮沢喜一内閣を最後に崩壊した。以来、いくつかの試行錯誤を経て今日に至るが、大半の期間は「空白の30年」と呼ばれた。多くは経済の停滞に起因するが、一方で保革対立に代わる政治構造を構築できない政治の側の責任も問われている――。 時代の現在地は、ざっとこんなところだろうか。この現状にいら立つ人間は他にもいたようだ。宇野重規は..

  • あの熱い季節はもう蘇らないのか~濫読日記

    あの熱い季節はもう蘇らないのか~濫読日記 「対論1968」(笠井潔 絓秀実 聞き手 外山恒一) 世界的な運動だった「1968」は日本でも一定の盛り上がりを見せた。しかし、世界に比べ「果実」が少なく、一面の焼け野原のようだ。なぜこうなったのか。「1968」の渦中にいた二人が、あの時代を振り返った。 笠井はいいだももをトップとした共労党の活動家、絓は学習院大全共闘のメンバーで「1968年」(2006年、ちくま新書)の著書を持つ。二人は三派全学連や全共闘ノンセクトが入り乱れた中で小セクト、小集団(東大や日大に比べれば)の一員だった。1970年生まれの外山はファシストを自称、若いころは極左思想を持ち、現在は全共闘運動の研究家でもある。 必ずしもメーンストリームにいなかった人たちが運動を語ることには意味がある。中心点より辺境にいたからこそ全体の流れが見えるというのが世の常だからだ。 ポイントは..

  • 三好達治は生活に敗北したか~映画「天上の花」

    三好達治は生活に敗北したか~映画「天上の花」 昭和10年代、抒情派詩人として知られた三好達治の愛と破綻を描いた。原作「天上の花―三好達治抄―」は萩原葉子。三好の師である萩原朔太郎の娘である。三好が亡くなった昭和39年、鎮魂歌として書かれた。破綻した愛の相手は朔太郎の妹アイ。原作は葉子と思われる女性の視点で描いた達治を前後に、中央に「逃避行―慶子の手記―」を置いた。慶子はアイの仮名である。映画は「手記」の部分をほぼそのまま映像化した。 慶子(入山法子)は母によって自由奔放に、言い換えれば我儘に育てられた。そのためか2度の離婚を経て詩人・佐藤惣之助と結婚した。如才ない惣之助は流行歌の歌詞にも手を出し(「赤城の子守唄」「湖畔の宿」「青い背広」)、金回りはよかった。その点で不自由させることはなかった。しかし、惣之助は急死。世田谷の朔太郎(吹越満)の家に出戻った慶子に達治(東出昌大)が求婚。佐藤..

  • 世論も加担した「戦争への道」~濫読日記

    世論も加担した「戦争への道」~濫読日記 「昭和史研究の最前線 大衆・軍部・マスコミ、戦争への道」(筒井清忠編著) 昭和の時代、日本はどのようにアジア・太平洋戦争への道筋をたどったのか。この、永遠ともいえるテーマをめぐって「最前線」の研究はどのような現状にあるかが、筒井清忠ら13人の研究者によってまとめられた。 最大の特徴は政財界、軍部の動きだけでなく、メディアと世論が時代の流れにどう影響したかが、一貫した問題意識(視点)として据えられていることだ。次に、時代の変遷を単色ではなく、複数の色合いを丹念に読み解きながら追っている。 そのことがよく分かるのが「統帥権干犯」をめぐる章である。大元帥である天皇を絶対的な存在に押し上げた厄介な言葉だが、だれが言い始めたかは、はっきりしていない。ロンドン軍縮条約締結をめぐって政府に批判が集中したのが発端だが、軍の編成権はもともと政府にあり、こ..

  • 「人をつなぐ」言語を求めて~濫読日記

    「人をつなぐ」言語を求めて~濫読日記 「夕暮れに夜明けの歌を 文学を探しにロシアに行く」(奈倉有里著) 著者の奈倉有里は2002年、20歳で単身ロシアに渡った。ロシア文学を学ぶためである。ペテルブルグの語学学校、モスクワ大予備科を経て2008年、日本人として初めてゴーリキー文学大を卒業した。書のタイトルは白夜のペテルブルグ、ほとんど闇となった教室での授業風景と、常に希望を捨てないアレクサンドル・ブロークの詩を重ねた。 前半は異国の言語、文化と出会うことの楽しさや戸惑いが率直につづられている。そんな中、常に相手の奥深さを知ることの喜びを忘れない姿勢が印象的だ。 例えばロシア語の入り口に立つきっかけになったある吟遊詩人の詩のこと。 神よ 人々に 持たざるものを 与えたまえ 賢い者には 頭を 臆病者には 馬を 幸せな者には お金を そして私のこともお忘れなく… 不思議な詩である。賢者に頭脳..

  • 小説としては成功、映画は…~映画「月の満ち欠け」

    小説としては成功、映画は…~映画「月の満ち欠け」 愛する人への思いを抱いたまま亡くなった女性が、何代も生まれ変わって思いを成就させる。一つ間違えばファンタジー(幻想譚)やオカルト話、怪談の類に陥りかねない物語を小説として成立させているのは、佐藤正午の作家としての腕であろう。 日本にも「真景累ヶ淵」や「番町皿屋敷」といった怪談噺が古くからあるが、それらが現実にどう結びつくかと問われれば、理性的思考をする人間なら否定的な答えを出すだろう。しかしそれは99%の「否定」であって、残る1%はもやもやしたものを漂わせている。幽霊なんていないだろうと答えるのは簡単だが、では幽霊はいないことを立証してみせて、といわれると困惑する。佐藤もそこに立脚して、この物語「月の満ち欠け」を世に出している。ありえないことをあったかのように描いて見せるのが小説だ、という原点に立ってこの小説は成功しているが、ではそれを..

  • 二つの魂の再生の物語~映画「飛べない風船」

    二つの魂の再生の物語~映画「飛べない風船」 挫折感とトラウマを抱えた二人が瀬戸内の小さな島で出会う。不器用でぎこちない会話の中、何かしら通じ合うものを感じる。果たして二人は、魂の再生を果たすことができるのか。 凛子(三浦透子)は教師としての行き詰まりを感じ退職。派遣の仕事をしていたが契約切れを機に故郷の島に帰ってきた。妻さわ(原日出子)を病で亡くした父・繁三(小林薫)が一人暮らしていた。寡黙な漁師・憲二(東出昌大)が近くの海でとれた魚を時折、届けに来ていた。 憲二は数年前の集中豪雨で妻の幸(なかむらさち)と息子のコウタを亡くした。急用のため車で外出したところ、土砂崩れが襲ったのだ。豪雨の中、なぜ止めなかったのかと、憲二は自責の念にかられた。幸の父(堀部圭亮)も「お前が殺した。島を出ていけ」と責めた。 無口な憲二を疎ましく思っていた凛子も、会話を重ねるうち、次第に心根の優しさを知る。..

  • 稀有な旅人の魂を描く~濫読日記

    有な旅人の魂を描く~濫読日記 「天路の旅人」(沢木耕太郎著) 中国の最奥地、チベット(西蔵)をアジア・太平洋戦争の最中に放浪した日本人がいた。当初は軍の「密偵」として。戦争が終わっても旅は続き、8年という長さになった。旅程は6000㌔とも。訪れた地は内モンゴルを出発点としてチベット、インド、ネパール。標高4000~5000㍍のヒマラ峠越えは9回に及んだという(本人は「7回」としたが、沢木は記録を精読した結果「9回」と結論付けた)。 西川一三。身長は180㌢と、当時としては大柄だった。放浪を終えて帰国後、大部の著書「秘境西域八年の潜行」を出版(当初は単行本、後に文庫化。文庫仕様で約2000㌻。生原稿段階では3000㌻以上あったという)。その後は一時期を除いて化粧品店の店主として暮らした。稀有な体験の中でモンゴル語、チベット語、ネパール語、インド語(ヒンディー語)を学んだが、それらを知識..

  • 反目や憎悪、繊細に~映画「3つの鍵」

    反目や憎悪、繊細に~映画「3つの鍵」 「隣の芝生は青い」という。ローマ市内の高級アパート。いくつかの世帯が住んでいる。一見裕福そうだが、それぞれに煩悶を抱える。ひとたびドアを開ければ、その事情が垣間見える。そんな映画である。邦題は「3つの鍵」だが、見終わってみれば出てくる家族は4つだと分かる。そこで原題を見るとイタリア語で「Tre Piani」、英語で「Tree Floors」、つまり「3階建て」。 3階建てアパートでの人生の悲喜劇を描いたことが分かる。意味としてはこちらが正確だろう。ただ、「鍵」というキーワードに魅力を感じた心情も理解できないわけではない。 始まりは、ある交通事故。酔ったアンドレア(アレッサンドロ・スペルドゥティ)の車が暴走、女性を死なせたうえ、アパートに突っ込んだ。そのアパートの3階に住む両親、裁判官ヴィットリオと妻ドーラ(マルゲリータ・ブイ)は息子の後始末に困った..

  • 過去の自分が立ち現れるスリル~映画「宮松と山下」

    過去の自分が立ち現れるスリル~映画「宮松と山下」 アイデンティティーをめぐる問題作、というと「ある男」とかぶるが、「宮松と山下」もまたそうした作品である。「ある男」が小説的な手法であるのに対して「宮松と山下」はあくまでも映画的な手法でテーマに迫る。 宮松(香川照之)はエキストラ俳優だった。時代劇では切られ、射られ、現代劇では撃たれて、宮松本人の弁によれば「1日4回殺されることも」。渡された台本通りの演技をこなす。しかし、画面ではほんの片隅に出るだけ。それでも生真面目に演じた。 彼には過去の記憶がなかった。ある日、谷(尾美としのり)という男が訪ねてきた。「同僚だった」という。宮松は、12年前まで「山下」としてタクシーの運転手をしていたらしい。12歳下の妹・藍(中越典子)がいることも判明した。実家の大きな屋敷で藍と夫・健一郎(津田寛治)との共同生活が始まった。 エキストラとして他人の人生の..

  • アイデンティティーとは何か~映画「ある男」

    アイデンティティーとは何か~映画「ある男」 私たちにとって名前(戸籍)とは何だろうか。名前には、どれほどの実体が伴うのだろうか。それとも単なる記号なのだろうか。名前を名乗ることで、どれだけの存在証明がなされるのだろうか。そんなアイデンティティーの問題を追究したのが平野啓一郎の小説「ある男」である。この原作が映画化された。 テキストと映像の二つに触れていつも思うが、それぞれ特性が違うため、同じ出来にはならない。総じていえばテキスト(小説)のほうが重厚だし、映像はエモーショナルではあるがその分、簡略化されてもいる。どちらが優れているかではなく、メディアとしての差異ということだろう。例えば原作では導入部で、たまたま「私」がバーで会った「城戸さん」から聞いた話、という形で本編にフレームがはめられる、というつくりになっているが、映画ではカットされているし、ストーリーの核心をなす戸籍交換の手順も、..

  • 日常の危うさを繊細に描く~映画「LOVE LIFE」

    日常の危うさを繊細に描く~映画「LOVE LIFE」 かけがえのない日常が、ある日突然崩れていく。目の前に現れた亀裂には、悪意に満ちた過去が渦巻いている。そんな物語を、深田晃司監督は「よこがお」や「淵に立つ」で描いた。「LOVE LIFE」もまた家族の物語であるが、前二作とは明らかに何かが違っている。 「さよならだけが人生だ」といったのは井伏鱒二だが、この作品は「すれ違いだけが人生だ」と言っているようだ。登場人物はそれぞれの思いを抱き、生きようともがいている。しかし、周囲はその思いを受け止めきれないでいる。すれ違いの中で、転がる石のように物語が展開する。 妙子(木村文乃)は夫の二郎(永山絢斗)、息子の敬太(嶋田鉄太)とともにある団地で暮らしていた。二郎の両親も、同じ団地にいた。一見、絵に描いたように平穏な中流の暮らし。しかし、ある出来事を契機に妙子の過去がのぞく。 二郎の父、つまり..

  • 「食」をめぐる上品な作品~映画「土を喰らう十二ヵ月」

    「食」をめぐる上品な作品~映画「土を喰らう十二ヵ月」 軽やかなジャズとともに、一台の車が山間へと向かう。北アルプスと思われる山並み(おそらく白馬三山あたり)を望む古民家風の山荘に、初老の作家が住んでいる。訪れるのは出版社の編集者である。 水上勉「土を喰う日々―わが精進十二ヵ月」をアレンジした「土を喰らう十二ヵ月」。「土を喰らう」とは。軽井沢の別荘にこもって精進料理への思いをつづった水上の書にはこうある。 ――何もない台所から絞り出すことが精進だといったが、これは、つまり(略)、畑と相談してからきめられるものだった。ぼくが、精進料理とは、土を喰うものだと思ったのはそのせいである。旬を喰うこととはつまり土を喰うことだろう。 土と相談しながらつくるのが、すなわち精進料理だと言っている。水上は貧困のための口減らしとして京都の禅寺に小僧として出され、やがて東福寺管長の隠侍をしたという。簡単に..

  • 作家と妻と愛人の奇妙な関係~映画「あちらにいる鬼」

    作家と妻と愛人の奇妙な関係~映画「あちらにいる鬼」 「全身小説家」【注1】と呼ばれた井上光晴の、虚構と現実入り混じる生活、そのうちの奔放な男女関係を描いた。瀬戸内晴美は20代で夫と娘を捨て出奔、二人の男の間を揺れ動いた。このときの心模様を描いたのが「夏の終り」(1963年)【注2】である。その後も一人の男と同棲を続けた。そのころ出会ったのが戦後派作家として頭角を現した井上だった。抜き差しならない関係に陥った井上には妻がいた=以下、映画のキャスト名で表記。 白木篤郎(豊川悦司)は長内みはる(寺島しのぶ)の講演先を訪れ、男女の関係になった。みはる44歳、1966年のこと【注3】。ほかにも白木には女性関係が絶えなかった。それらを知りつつ、妻笙子(広末涼子)は諦念にも似た感情を抱いていた。娘が一人おり、近く出産の予定もあった。 やがて白木は調布市内に土地を買い、家を建てることにした。このこ..

  • 極私体験と歴史記憶を結ぶ細い糸~映画「パラレル・マザーズ」

    極私体験と歴史記憶を結ぶ細い糸~映画「パラレル・マザーズ」 同じ日、同じ病院で出産した二人が取り違え事件に遭遇、苦悩する姿を描く。一方でうち一人はスペイン内戦で不明となった曾祖父の行方を追い、ファランヘ党(スペインのファシスト党)による村人虐殺の真相を突き止めようとする。二つのエピソードをつなぐ糸は―。 マドリードの写真家ジャニス(ペネロペ・クルス)は法人類学者アルトゥーロ(イスラエル・エルハルデ)の撮影を引き受けた縁で、内戦下の村で起きた虐殺事件の真相解明へ協力を頼んだ。アルトゥーロは快諾、男女の関係になったジャニスは妊娠。アルトゥーロには妻がいたため、シングルマザーになることを決意する。病院には10代のアナ(ミレナ・スミット)もいた。二人はほぼ同時に出産した。 ある日訪れたアルトゥーロが、浅黒い肌を見て「自分の子じゃない」と言い切った。悩むジャニスはDNA鑑定をする。結果は「生物学..

  • 戦後的言論空間への一石~濫読日記

    後的言論空間への一石~濫読日記 「満洲国グランドホテル」(平山周吉著) 「真実は細部に宿る」という。今となっては出典を確かめようもないが、ノンフィクション関係の著作で目にした記憶がある。さて、標題の一冊、満洲国のホテルを書いているわけではない。著者の平山があとがきで触れたように、映画などでいうグランドホテル形式を指している。特定の場所を舞台に、複数の人間ドラマを並行して描く。さながら大きなホテルのロビーを行きかう人々の横顔をスケッチするように。ここでは「満洲」という限られた地理的、時間的空間の物語を36景、掲載した。演者は、満洲国自体が軍人と官僚の合作である以上、その方面が多いのは当然として、文学者、映画人、マスコミ関係、と多岐にわたる。もちろん、二キ三スケと呼ばれた大立者が、中心をなしている。これらの人物を通して書かれたのは、微細な人間関係の裏表である。 全体を通しての印象を言..

  • 伴明流の「連帯」の物語~映画「夜明けまでバス停で」

    伴明流の「連帯」の物語~映画「夜明けまでバス停で」 居酒屋で働きながら装飾品の加工を教える北林三知子は、コロナ禍で売り上げ減にあえぐ店のリストラにあった。従業員寮を追い出され、居場所もなくす。収入がとだえ、繁華街で残飯をあさるほどに落ちぶれ、夜はバス停のベンチで明け方まで転寝する毎日。そんな彼女を物陰から狙う男がいた。コンビニ袋にレンガを入れ、背後から近づく…。 新自由主義の滑り台社会を転げ落ち、挙句に殺害された2020にした。監督は連合赤軍事件を描いた「光の雨」の高橋伴明。 北林(板谷由夏)の周りには装飾品教室の場所を提供する如月マリ(筒井真理子)や居酒屋を同時にリストラされた石川マリア(ルビー・モレノ、懐かしい!)らがいたが、彼女らと手を組むことなく三知子は都会の孤独の海に沈んでいった。周囲に縋り付けない彼女のプライドがそうさせたのであろう。実際の事件ではこの後、彼女は通りがかりの..

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