(前回からの続き)令和7年2月17日(月) 今回の北海道旅行も最終日となったその最終日を鉄道で締めくくるのが、心くすぐるというものだ釧網本線・知床斜里駅11:32発の網走行観光列車「流氷物語2号」に乗って、北浜に向かう国鉄車輛のキハの乗り心地とオホーツクの景色を楽しむのだ!いざ、出発壁面が虫食い材木のようなデザインの知床斜里駅から乗車出札口は小さいが、観光地らしくその横には広い待合がある駅舎内のポスターの一つ...
お気に入りのカメラをお供に、気ままな旅にでかけよう♪
鉄道写真は、昭和時代の古いネガをスキャンしたものが中心です。 その他 ほとがら散歩・・・クラシックカメラ・・・B級グルメ・・・或る日の出来事・・・などを気ままな百鬼園先生が描く阿房列車よろしくファジ〜に綴っています。
令和6年2月10日 新型やくも(273系)大阪駅にてお披露目
令和6年2月10日 40年ぶりの新型車両として誕生した新型やくも(273系)のお披露目が大阪駅10番線であった。事前申し込みすれば車内の見学もできるが、抽選の結果、あっさり落選ホームからの見学のみにとどまる大阪駅にこの車輛が通常運行でやってくることはなく、この日は貴重な機会なので出かけてみたこれはこれでワクワク感がある大阪駅の10番線と11番線は建物の下に当たるため、光が十分に届かなくて写真を撮るには良好な環境で...
平成11年9月のことだった八木から新宮行の日本最長路線バスに乗って熊野古道を楽しみ、熊野本宮大社を参拝した後、湯の峰温泉で一泊した。そして翌日は鉄道でゆっくり帰ることになり、新宮駅に出た。新宮発12:25の普通列車紀伊田辺行に乗車下車する白浜到着が15:17なので3時間ほどの鈍行列車の旅であるこの当時の亀山行は、まだキハ58が現役だった2両編成というのが少し寂しいが・・・2番線には、普通の特急「くろしお」と区別され...
前回からの続き・・・1992年に開業した安藤忠雄設計のベネッセハウスミュージアムにやってきた。添乗員曰く、「10分で出てくる人もあれば、1~2時間楽しむ人もいる。」かなり好みの分かれる施設らしい確かに直線と曲線、フロアの形状を多用した建築物としても面白い広い空間に置かれたネオン管の点滅する作品は、ブルース・ナウマン作の 「100生きて死ね」1984年静かな空間で作品から投げかけられるメッセージを受け取るのがいい...
家内が直島にある草間彌生のカボチャを見に行きたいと常々語るので、某日帰りツアーに参加した直島は瀬戸内に浮かぶ島現在はアートの島として脚光を浴びているが、近くにありながらなかなか行きにくいところである行政地区は香川県に属するが岡山からの方が近く、生活圏は岡山に属するよって今回も新大阪から岡山まで新幹線を利用し宇野からフェリーで渡る令和5年12月16日新大阪午前7時40分発のこだま841号に乗車嬉しいことに車輛...
昭和48年4月22日(日)のことだった学校では新学期が始まり、クラブ活動もスタートしたこの日、仲良しの同級生のお宅に招かれたので、天王寺駅前から南海・上町線の住吉公園行きに乗車するこの当時、この路線は南海電鉄が経営していた当時の天王寺駅前 (昭和48年6月17日撮影)右側には、大和銀行・安田信託銀行・住友信託銀行左側には、三菱銀行・山一證券などの看板が見えるが・・・50年後には、名称ばかりではなくその存在をも含...
平成11年3月 阪急梅田のシャンデリアで35mmレンズ撮り比べ
なんだかやと呟きながらライカのレンズを買い足していくと、いつの間にか同じ焦点距離のレンズが何本も集まってくる。そんな折、これは撮り比べをすべきだと思い立ち、いい場所はないかと考えた。昼間でもレンズの性質が出やすい光源がある場所・・・そうだ阪急梅田駅のシャンデリアのあるコンコースが最適と思いつき、平成11年3月13日(土)実行に移す。今回はライカマウントの35mmレンズの撮り比べであるボディはLeicaM3に持参した...
昭和48年7月16日のつづき・・・柘植から普通列車で11:27亀山到着鈴鹿川の河川敷から紀勢本線の列車を狙う (紫のポイントの場所)鈴鹿川の亀山方の土手には蠟燭型の「カメヤマローソク」の大看板がそびえていたと記憶している亀山着13:57貨物1892列車 貨車の中に白い冷蔵車や、木造有蓋車が混じっていて見飽きないしかし、足回りが隠れる位置でシャッターを押すとは、まだまだ技量が足らない!亀山13:57発の鳥羽行下り普通列車当時...
昭和48年7月16日のことだった少し前に、参宮線が9月末で無煙化になり、SL(C57)が客車列車を牽引する姿も見られなくなるとの報道を得た。それでは最後の撮影に行かねば・・・となり、この日も愛用のNikonFを携えて天王寺8:27発の急行“かすが”の乗客となる。このまま亀山まで行ってしまうと時間的にはやや早いので、柘植駅で途中下車して撮影することとした。途中、通過駅の島ケ原では、待避線で停車中のD51831が牽引する龍華発稲...
トロリーポール時代の叡電を撮影したモノクロフイルムのカラー化
手許に昭和49年4月7日京福電鉄の叡山線・修学院車庫を訪問した際のモノクロネガがある。昨今のモノクロフイルムをカラー化する技術は目を見張るものがあるので、一つ試みた。50年前のモノクロフイルムをカラーに転換する作業は、やはり心弾むものであるが、色彩を強調すると、不自然な感じになるので、控えめの彩色に止めた。伝説のデナ1型の車体であるが、修学院車庫の道路わきに置いてあるので見学は容易だった。現役時代に撮影...
(前回からの続き)令和5年5月3日の近江鉄道全線乗り歩きも終盤となった本線の終着駅、貴生川駅には、14:14到着ここは、JR草津線と信楽高原鐵道と近江鉄道とが交わる交通の要衝だが、駅前は閑散としている。乗り換え客はあっても下車する人は少ないようだ。壁面にはイラスト・・・信楽のタヌキと甲賀の忍者か。山伏君は、近くに飯道山の修験道があるためだろうやっつけ仕事か、行灯式標識が重なっていて見にくい。 もう少し工夫で...
令和5年5月3日、前回から続き・・・高宮12:02の電車に乗車 いわゆる“赤電”という車輛である豊郷には、12:11到着何やらチャラい駅名板だと思っていたら、ここはアニメ・ケイオンの聖地らしい。左側の高架は東海道新幹線である町中が静かなだけに、新幹線の通過音が気になって仕方がない許容範囲の雑音かもしれないが、通勤電車並みに頻発する轟音は、地域の住民の方々には迷惑なことと推察するこの駅もコミュニティハウスと称...
(前回からのつづき)近江鉄道の旅はつづく多賀大社への乗換駅「高宮」には、10:02到着この駅は、歴史ある駅ではあるが、純然たる駅舎ではなく、地域のコミュニティーセンターとしての役割を持っているこれからの地方鉄道の在り方の一つとして評価されうるものと考える改札口へは、この通路を通る 高い跨線橋を渡る手間がなく便利なのだ・・・現在の基準で考えると、コチラの方がバリアフリーなのかもしれない明治31年当時のプラ...
令和4年10月16日、近江鉄道が「全線無料デイ」を実施したところ、大変な人出となった。近江鉄道によれば当日の推定利用人数は約38,000人。これは普段の利用者数(定期外)の約12倍に相当し、積み残しも多く発生した。 一日乗り放題切符は900円で購入できるので、大人の楽しみ方とすれば、普段の休日を利用してゆったりとローカル線を楽しんだ方がよいと考え、翌年の黄金週間である令和5年5月3日に全線制覇を実行に移した。一...
前回からのつづき・・・昭和50年11月23日雨の丹後半島宮津線丹後山田から5.7kmの旅程・・・17分間のキハ08旅を堪能したのち加悦駅到着乗車しての感想だが、自重があるためか、エンジンが脆弱なためか、加速は良いものではなく、ノロノロと動き出す感じだった。また5.7kmを17分間かかっているが、途中の駅が5か所あるため、その停車時間を加味しても時速24km程度にしかならない。木製の改札口からホームを見返ると、なんとも滋味...
昭和50年11月23日親友のイバさんと一緒に加悦(かや)鉄道を訪ねることにした。基本的に優等列車を使わない鉄道旅なので、あらかじめのタイムテーブルは必須である。まずは、丹後半島にある加悦鉄道の位置と、そこへの行き方を確認する。※ 色を付けたラインが今回の経路となる実家のコレクションの中に同月の大型時刻表があるので、47年ぶりにページを披いて経路を追ってみた。京都6:46発の列車に乗車する必要がある。これに乗らな...
(前回からのつづき)北陸新幹線・白山総合車両所の見学が終われば、とりあえず砺波市にあるホテルに向かうこれからは富山のご当地見学となる夕食は海の幸が美味だったので、地酒をいただく。 若鶴という銘柄でのどごしが良い夕食の後、五箇山の合掌の里に出掛ける山深いところなので、まだまだ残雪が豊かである合掌造りの民家の中で地元の民謡を鑑賞「といちんさ節」と定番の「こきりこ節」そのほかに地元の昔話などを聴いて、か...
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(前回からの続き)令和7年2月17日(月) 今回の北海道旅行も最終日となったその最終日を鉄道で締めくくるのが、心くすぐるというものだ釧網本線・知床斜里駅11:32発の網走行観光列車「流氷物語2号」に乗って、北浜に向かう国鉄車輛のキハの乗り心地とオホーツクの景色を楽しむのだ!いざ、出発壁面が虫食い材木のようなデザインの知床斜里駅から乗車出札口は小さいが、観光地らしくその横には広い待合がある駅舎内のポスターの一つ...
(前回からの続き)令和7年2月16日(日)阿寒湖畔のホテルで目覚める只今 -10.6℃北海道の冬は、こうでなくては・・・喜々阿寒湖の様子を見に朝の散歩とシャレる観光船乗り場はクローズ湖面は凍結・・・わかさぎ釣りのテントがいくつも点在している雄阿寒岳も寒々しい姿をさらしているここは温泉が流れ込んでいるのであろうか・・・カモのたまり場となっていた今日は、これから羅臼に向かう途中、標津に立ち寄る標津郵便局ここで昼食・...
令和7年2月15日(土)神戸空港からフジドリームエアラインズ(FDA)のチャーター便で北海道・女満別空港に向かったフジドリームエアラインズというあまり馴染みのない航空会社だが、静岡に本店を置く会社で、普段は神戸空港を起点として地方に定期便を出している。フジドリームエアラインズ(FDA)はLCC(格安航空会社)ではなく、フルサービスキャリア(FSC)とのことである。よって、機内では、最初に飲み物とクロワッサンのサービ...
(前回からのつづき)倉敷の美観地区で“万年雪”を痛飲したあと、倉敷駅の上層階にある「ホテル倉敷」に泊る翌日の平成12年2月27日は、冬晴れの下、昨年1月に開業したばかりの井原(いばら)鉄道を訪問する井原鉄道は、福塩線の神辺(かんなべ)から伯備線の清音(きよね)までを結ぶ38.3kmのローカル線である。しかしその出自は、往年の井笠鉄道の神辺線(神辺~井原)・井笠本線(井原~北川)・矢掛支線(北川~矢掛)のルート...
平成12年2月26日 JR山陽本線・倉敷駅から伸びている水島臨海鉄道を訪問した本鉄道の誕生は昭和45年と比較的新しい。国鉄と倉敷市などとの共同出資で設立された、旅客と貨物を担う鉄道である。同鉄道の中心地ともいうべき水島駅の高架ホームであるが、なんともシンプルな造りである島型ホームに貨物専用線を1線併設している倉敷行の列車がやってきた 国鉄からの払下げ車輛キハ20を水島鉄道色にりペイントしたキハ203+キハ204後...
(前回からの続き)令和6年11月4日(振替休日)の朝は、北九州・小倉から始まる前夜は小倉の東横インに投宿し、翌朝9:12発のこだま846号レイルスターで広島に向かう小倉では、こだまの自由席はガラガラだっが新山口あたりから乗客が増えてきたしかし、4席を向かえ合わせにして2人で占領しても叱責されることない混み具合だった あぁ朝ビールが美味い!広島到着は10:37ここからは本日のメインイベントといえる芸備線の旅が始まる芸備線...
中央に見える暗緑色の岩崎運河橋梁は、尻無川にかかるダブルワーレントラス橋だダブルワーレントラス橋とは、側面から見て斜材をすべて×字型に組み合わせたトラス橋のこと。また、トラス橋は、端部が斜めになっているのが普通だが、この橋は無骨なまでに四角い形状となっていて、その存在感を強くアピールしている。川の中央に橋脚を建てることなく、そして架設に時間が掛からない工法が執られたものである岩崎運河橋梁は大正13年9...
令和6年11月3日(祝)昨日は天草の下田温泉の望洋閣に泊まり、今日は朝から鬼池港までタクシーを飛ばし、島鉄フェリーで口之津に渡る。口之津から島原までは、昔は島原鉄道が走っていたが、その後この区間が廃止されたため、バスで島原に向かった島原鉄道の島原駅は、島原城の楼門を模した重厚な構え島原と言えば「島原の子守歌」だわな・・・ラジオ番組「ヒットでヒット バチョンといこう!」の浜村淳を思い出す駅の目の前に島原城が...
令和6年9月23日登録有形文化財「南天苑」での至福の一泊の後は、高野山に向かう無人駅で自販機が1台 そして、乗車駅証明書をもって経費節減なんば行特急こうや2号を見送った後、南海天見駅9:15発の橋本行に乗車ラピート登場して30年か・・・車内の広告を見てしみじみ思う橋本駅に到着すると、9:36発の極楽橋行が入線していた南海2300系ズームカーの「はなみずき」である急勾配の山岳路線専用に製造された車輛だが、クロスシートで...
令和6年9月、かねてより訪問したかった奥河内にある温泉旅館「南天苑」に、ようやく宿泊することとなった。最寄りの駅は、南海高野線の「天見」駅下車客は、我々を含め4名のみ降りたとたん、空気が違う 雨が降ったせいか深い森の香が漂う無人駅の南海天見駅 黒塗りの駅舎は南海では珍しい駅から旅館はごく近く目と鼻の先駅から少し坂道を下ると、大きな瓦葺2階建の本館が見えてきたついにやってきました 辰野金吾に会いに来た!...
(前回からのつづき)R6.7.24のツアー巡りも終了し、本日のお宿に向かう本日の宿泊地は、甲府の郊外にある石和(いさわ)温泉 中央本線の石和温泉駅からほど近いホテルの窓からの風景山梨の山々に囲まれた温泉地だが、ホテルの周りは一般の住宅となっているいや、住宅地の中にポツポツとホテルが建っているといった方が正確かもいわゆる有馬や城崎のような温泉街ではないし、ホテルの前にお土産街や飲み屋街があるわけでもないまた...
毎日酷暑が続くので、どこか涼しいところに行きたいと思い、令和6年7月27日(土)・28日(日)の一泊二日でクラブツーリズムの「FUJIYAMAツインテラスと涼所の富士八景」というツアー旅行に参加した。ツアー旅行と言えば、団体行動を基本に実施されるが、昔と違って参加グループ間の接点が希薄となっていて、個人旅行者がたまたま同じバスで移動しているという感じが強い。よって迷惑をかける参加者がいなければ不愉快な思いをすること...
昭和60年の10月のことだった。大阪・南港で「世界大鉄道博」という博覧会が開催されているので、出向いてみた。何せ、「世界」も「大」も冠している鉄道博覧会である。その期待が大きく膨らむ・・・会場は、南港の見本市会場横の大きな広場のテント張りだった。ロコモーション号は、SLのご先祖さまといえる機関車である1825年英国のストックトン〜ダーリントン間の鉄道に一般人が利用できる鉄道事業として最初に使用されたG.ステ...
(前回からのつづき)出雲市を後にする16:06発の米子市行きに乗車して荘原に向かうキハ47の車内にも新型やくものポスターが・・・僅か2駅で到着 キハ47-1054+キハ47-34という編成この駅で下車したのは、本日のお宿「湯元 湯の川」に向かうためだ「日本三美人の湯」の一つに数えられる彼の地の温泉を堪能するために・・・ 「湯元 湯の川」の湯殿につづく渡り廊下から 花は盛りに、月は隈なきをのみ、見るものかは・・・ ...
(前回からのつづき)令和6年4月13日新型やくもに初乗車して出雲市にやってきた出雲といえば、何をおいても、まずは出雲大社(いづもおおやしろ)に参詣しなければ・・・出雲市からは一畑電車で行くつもりだったが、なんと直前で電車が出てしまった事前に調べていなかったのも悪かったが、1時間に1本ではバスに切り替えるしかないまあ、帰りに利用すればいいか・・・参拝は、何年ぶりだろうか出雲大社の特別な参拝方法、「2礼4...
前回記事にアップしたとおり、令和6年2月10日に新型やくものお披露目に大阪駅まで出向いたが、どういうご縁か、その2か月後にはその新型273系車輛に初乗車する機会を得た。これはその道中記である。令和6年4月13日(土)1泊2日で出雲地方に旅行することになった。新大阪8:00発の九州新幹線さくらに乗車 さくらは普通指定席でも座席がゆったりしているので、どうしても選んでしまうのだ7号車の壁面にはなにやら見られぬポスターが・...
令和6年2月10日 40年ぶりの新型車両として誕生した新型やくも(273系)のお披露目が大阪駅10番線であった。事前申し込みすれば車内の見学もできるが、抽選の結果、あっさり落選ホームからの見学のみにとどまる大阪駅にこの車輛が通常運行でやってくることはなく、この日は貴重な機会なので出かけてみたこれはこれでワクワク感がある大阪駅の10番線と11番線は建物の下に当たるため、光が十分に届かなくて写真を撮るには良好な環境で...
平成11年9月のことだった八木から新宮行の日本最長路線バスに乗って熊野古道を楽しみ、熊野本宮大社を参拝した後、湯の峰温泉で一泊した。そして翌日は鉄道でゆっくり帰ることになり、新宮駅に出た。新宮発12:25の普通列車紀伊田辺行に乗車下車する白浜到着が15:17なので3時間ほどの鈍行列車の旅であるこの当時の亀山行は、まだキハ58が現役だった2両編成というのが少し寂しいが・・・2番線には、普通の特急「くろしお」と区別され...
前回からの続き・・・1992年に開業した安藤忠雄設計のベネッセハウスミュージアムにやってきた。添乗員曰く、「10分で出てくる人もあれば、1~2時間楽しむ人もいる。」かなり好みの分かれる施設らしい確かに直線と曲線、フロアの形状を多用した建築物としても面白い広い空間に置かれたネオン管の点滅する作品は、ブルース・ナウマン作の 「100生きて死ね」1984年静かな空間で作品から投げかけられるメッセージを受け取るのがいい...
家内が直島にある草間彌生のカボチャを見に行きたいと常々語るので、某日帰りツアーに参加した直島は瀬戸内に浮かぶ島現在はアートの島として脚光を浴びているが、近くにありながらなかなか行きにくいところである行政地区は香川県に属するが岡山からの方が近く、生活圏は岡山に属するよって今回も新大阪から岡山まで新幹線を利用し宇野からフェリーで渡る令和5年12月16日新大阪午前7時40分発のこだま841号に乗車嬉しいことに車輛...
令和6年2月10日 40年ぶりの新型車両として誕生した新型やくも(273系)のお披露目が大阪駅10番線であった。事前申し込みすれば車内の見学もできるが、抽選の結果、あっさり落選ホームからの見学のみにとどまる大阪駅にこの車輛が通常運行でやってくることはなく、この日は貴重な機会なので出かけてみたこれはこれでワクワク感がある大阪駅の10番線と11番線は建物の下に当たるため、光が十分に届かなくて写真を撮るには良好な環境で...
平成11年9月のことだった八木から新宮行の日本最長路線バスに乗って熊野古道を楽しみ、熊野本宮大社を参拝した後、湯の峰温泉で一泊した。そして翌日は鉄道でゆっくり帰ることになり、新宮駅に出た。新宮発12:25の普通列車紀伊田辺行に乗車下車する白浜到着が15:17なので3時間ほどの鈍行列車の旅であるこの当時の亀山行は、まだキハ58が現役だった2両編成というのが少し寂しいが・・・2番線には、普通の特急「くろしお」と区別され...
前回からの続き・・・1992年に開業した安藤忠雄設計のベネッセハウスミュージアムにやってきた。添乗員曰く、「10分で出てくる人もあれば、1~2時間楽しむ人もいる。」かなり好みの分かれる施設らしい確かに直線と曲線、フロアの形状を多用した建築物としても面白い広い空間に置かれたネオン管の点滅する作品は、ブルース・ナウマン作の 「100生きて死ね」1984年静かな空間で作品から投げかけられるメッセージを受け取るのがいい...
家内が直島にある草間彌生のカボチャを見に行きたいと常々語るので、某日帰りツアーに参加した直島は瀬戸内に浮かぶ島現在はアートの島として脚光を浴びているが、近くにありながらなかなか行きにくいところである行政地区は香川県に属するが岡山からの方が近く、生活圏は岡山に属するよって今回も新大阪から岡山まで新幹線を利用し宇野からフェリーで渡る令和5年12月16日新大阪午前7時40分発のこだま841号に乗車嬉しいことに車輛...
昭和48年4月22日(日)のことだった学校では新学期が始まり、クラブ活動もスタートしたこの日、仲良しの同級生のお宅に招かれたので、天王寺駅前から南海・上町線の住吉公園行きに乗車するこの当時、この路線は南海電鉄が経営していた当時の天王寺駅前 (昭和48年6月17日撮影)右側には、大和銀行・安田信託銀行・住友信託銀行左側には、三菱銀行・山一證券などの看板が見えるが・・・50年後には、名称ばかりではなくその存在をも含...
なんだかやと呟きながらライカのレンズを買い足していくと、いつの間にか同じ焦点距離のレンズが何本も集まってくる。そんな折、これは撮り比べをすべきだと思い立ち、いい場所はないかと考えた。昼間でもレンズの性質が出やすい光源がある場所・・・そうだ阪急梅田駅のシャンデリアのあるコンコースが最適と思いつき、平成11年3月13日(土)実行に移す。今回はライカマウントの35mmレンズの撮り比べであるボディはLeicaM3に持参した...