平成11年9月のことだった八木から新宮行の日本最長路線バスに乗って熊野古道を楽しみ、熊野本宮大社を参拝した後、湯の峰温泉で一泊した。そして翌日は鉄道でゆっくり帰ることになり、新宮駅に出た。新宮発12:25の普通列車紀伊田辺行に乗車下車する白浜到着が15:17なので3時間ほどの鈍行列車の旅であるこの当時の亀山行は、まだキハ58が現役だった2両編成というのが少し寂しいが・・・2番線には、普通の特急「くろしお」と区別され...
お気に入りのカメラをお供に、気ままな旅にでかけよう♪
鉄道写真は、昭和時代の古いネガをスキャンしたものが中心です。 その他 ほとがら散歩・・・クラシックカメラ・・・B級グルメ・・・或る日の出来事・・・などを気ままな百鬼園先生が描く阿房列車よろしくファジ〜に綴っています。
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平成11年9月のことだった八木から新宮行の日本最長路線バスに乗って熊野古道を楽しみ、熊野本宮大社を参拝した後、湯の峰温泉で一泊した。そして翌日は鉄道でゆっくり帰ることになり、新宮駅に出た。新宮発12:25の普通列車紀伊田辺行に乗車下車する白浜到着が15:17なので3時間ほどの鈍行列車の旅であるこの当時の亀山行は、まだキハ58が現役だった2両編成というのが少し寂しいが・・・2番線には、普通の特急「くろしお」と区別され...
中央に見える暗緑色の岩崎運河橋梁は、尻無川にかかるダブルワーレントラス橋だダブルワーレントラス橋とは、側面から見て斜材をすべて×字型に組み合わせたトラス橋のこと。また、トラス橋は、端部が斜めになっているのが普通だが、この橋は無骨なまでに四角い形状となっていて、その存在感を強くアピールしている。川の中央に橋脚を建てることなく、そして架設に時間が掛からない工法が執られたものである岩崎運河橋梁は大正13年9...
前回からの続き・・・1992年に開業した安藤忠雄設計のベネッセハウスミュージアムにやってきた。添乗員曰く、「10分で出てくる人もあれば、1~2時間楽しむ人もいる。」かなり好みの分かれる施設らしい確かに直線と曲線、フロアの形状を多用した建築物としても面白い広い空間に置かれたネオン管の点滅する作品は、ブルース・ナウマン作の 「100生きて死ね」1984年静かな空間で作品から投げかけられるメッセージを受け取るのがいい...
家内が直島にある草間彌生のカボチャを見に行きたいと常々語るので、某日帰りツアーに参加した直島は瀬戸内に浮かぶ島現在はアートの島として脚光を浴びているが、近くにありながらなかなか行きにくいところである行政地区は香川県に属するが岡山からの方が近く、生活圏は岡山に属するよって今回も新大阪から岡山まで新幹線を利用し宇野からフェリーで渡る令和5年12月16日新大阪午前7時40分発のこだま841号に乗車嬉しいことに車輛...
昭和48年4月22日(日)のことだった学校では新学期が始まり、クラブ活動もスタートしたこの日、仲良しの同級生のお宅に招かれたので、天王寺駅前から南海・上町線の住吉公園行きに乗車するこの当時、この路線は南海電鉄が経営していた当時の天王寺駅前 (昭和48年6月17日撮影)右側には、大和銀行・安田信託銀行・住友信託銀行左側には、三菱銀行・山一證券などの看板が見えるが・・・50年後には、名称ばかりではなくその存在をも含...
なんだかやと呟きながらライカのレンズを買い足していくと、いつの間にか同じ焦点距離のレンズが何本も集まってくる。そんな折、これは撮り比べをすべきだと思い立ち、いい場所はないかと考えた。昼間でもレンズの性質が出やすい光源がある場所・・・そうだ阪急梅田駅のシャンデリアのあるコンコースが最適と思いつき、平成11年3月13日(土)実行に移す。今回はライカマウントの35mmレンズの撮り比べであるボディはLeicaM3に持参した...
昭和48年7月16日のつづき・・・柘植から普通列車で11:27亀山到着鈴鹿川の河川敷から紀勢本線の列車を狙う (紫のポイントの場所)鈴鹿川の亀山方の土手には蠟燭型の「カメヤマローソク」の大看板がそびえていたと記憶している亀山着13:57貨物1892列車 貨車の中に白い冷蔵車や、木造有蓋車が混じっていて見飽きないしかし、足回りが隠れる位置でシャッターを押すとは、まだまだ技量が足らない!亀山13:57発の鳥羽行下り普通列車当時...
昭和48年7月16日のことだった少し前に、参宮線が9月末で無煙化になり、SL(C57)が客車列車を牽引する姿も見られなくなるとの報道を得た。それでは最後の撮影に行かねば・・・となり、この日も愛用のNikonFを携えて天王寺8:27発の急行“かすが”の乗客となる。このまま亀山まで行ってしまうと時間的にはやや早いので、柘植駅で途中下車して撮影することとした。途中、通過駅の島ケ原では、待避線で停車中のD51831が牽引する龍華発稲...
手許に昭和49年4月7日京福電鉄の叡山線・修学院車庫を訪問した際のモノクロネガがある。昨今のモノクロフイルムをカラー化する技術は目を見張るものがあるので、一つ試みた。50年前のモノクロフイルムをカラーに転換する作業は、やはり心弾むものであるが、色彩を強調すると、不自然な感じになるので、控えめの彩色に止めた。伝説のデナ1型の車体であるが、修学院車庫の道路わきに置いてあるので見学は容易だった。現役時代に撮影...
(前回からの続き)令和5年5月3日の近江鉄道全線乗り歩きも終盤となった本線の終着駅、貴生川駅には、14:14到着ここは、JR草津線と信楽高原鐵道と近江鉄道とが交わる交通の要衝だが、駅前は閑散としている。乗り換え客はあっても下車する人は少ないようだ。壁面にはイラスト・・・信楽のタヌキと甲賀の忍者か。山伏君は、近くに飯道山の修験道があるためだろうやっつけ仕事か、行灯式標識が重なっていて見にくい。 もう少し工夫で...
令和5年5月3日、前回から続き・・・高宮12:02の電車に乗車 いわゆる“赤電”という車輛である豊郷には、12:11到着何やらチャラい駅名板だと思っていたら、ここはアニメ・ケイオンの聖地らしい。左側の高架は東海道新幹線である町中が静かなだけに、新幹線の通過音が気になって仕方がない許容範囲の雑音かもしれないが、通勤電車並みに頻発する轟音は、地域の住民の方々には迷惑なことと推察するこの駅もコミュニティハウスと称...
(前回からのつづき)近江鉄道の旅はつづく多賀大社への乗換駅「高宮」には、10:02到着この駅は、歴史ある駅ではあるが、純然たる駅舎ではなく、地域のコミュニティーセンターとしての役割を持っているこれからの地方鉄道の在り方の一つとして評価されうるものと考える改札口へは、この通路を通る 高い跨線橋を渡る手間がなく便利なのだ・・・現在の基準で考えると、コチラの方がバリアフリーなのかもしれない明治31年当時のプラ...
令和4年10月16日、近江鉄道が「全線無料デイ」を実施したところ、大変な人出となった。近江鉄道によれば当日の推定利用人数は約38,000人。これは普段の利用者数(定期外)の約12倍に相当し、積み残しも多く発生した。 一日乗り放題切符は900円で購入できるので、大人の楽しみ方とすれば、普段の休日を利用してゆったりとローカル線を楽しんだ方がよいと考え、翌年の黄金週間である令和5年5月3日に全線制覇を実行に移した。一...
前回からのつづき・・・昭和50年11月23日雨の丹後半島宮津線丹後山田から5.7kmの旅程・・・17分間のキハ08旅を堪能したのち加悦駅到着乗車しての感想だが、自重があるためか、エンジンが脆弱なためか、加速は良いものではなく、ノロノロと動き出す感じだった。また5.7kmを17分間かかっているが、途中の駅が5か所あるため、その停車時間を加味しても時速24km程度にしかならない。木製の改札口からホームを見返ると、なんとも滋味...
昭和50年11月23日親友のイバさんと一緒に加悦(かや)鉄道を訪ねることにした。基本的に優等列車を使わない鉄道旅なので、あらかじめのタイムテーブルは必須である。まずは、丹後半島にある加悦鉄道の位置と、そこへの行き方を確認する。※ 色を付けたラインが今回の経路となる実家のコレクションの中に同月の大型時刻表があるので、47年ぶりにページを披いて経路を追ってみた。京都6:46発の列車に乗車する必要がある。これに乗らな...
(前回からのつづき)北陸新幹線・白山総合車両所の見学が終われば、とりあえず砺波市にあるホテルに向かうこれからは富山のご当地見学となる夕食は海の幸が美味だったので、地酒をいただく。 若鶴という銘柄でのどごしが良い夕食の後、五箇山の合掌の里に出掛ける山深いところなので、まだまだ残雪が豊かである合掌造りの民家の中で地元の民謡を鑑賞「といちんさ節」と定番の「こきりこ節」そのほかに地元の昔話などを聴いて、か...
おとなび会員が200万人を突破した記念として、1回限りで令和5年3月4日~5日の1泊2日のパックツアーが発売された。その目玉は、北陸新幹線の未成線を新幹線に乗って白山総合車両所を見学するというものだ。もちろんおとなび会員だし、珍しい企画ものと思い、たまたま、その土日は空いていたため予約するとすんなり確保できた。令和5年3月4日(土)8:30 大阪駅の11番ホームには駅員総出で歓迎ムード満点サンダーバート1編成が仕立てら...
ライツ社の数あるレンズの中でもこのSUMMICRON35mmF2ほど信仰対象ともいえるものはない。特に1960年代の第1世代のものは、“ドイツ写真機工業界の至宝”ともいう写真家もいるほどである。甘美なライカ沼にはまったライカ信者は、一生に一度は所有したいと思うレンズである。レンズ構成はこのような手間のかかったものとなっていて、通称“八枚玉”などと呼ばれている。カナダ製とドイツ・ウエッツラー製のものがあるが、我が家のものは...
昭和54年、大学の夏季休暇で帰省していたころのお話親友のイバさんを誘ってドライブがてら山陰本線を見に行こうということになって、マイカーで颯爽と出掛けた。昭和54年8月14日 夏の盛りの暑い日であった。なぜか最初に茨木に立ち寄っている。何か用事があったと思うが、45年前のことなのでいくら考えても思い出せない・・・仕方ないね。この写真は、駐車場からであろうか、阪急茨木市駅の端を撮影したワンショットである。よく...
令和4年の秋のことだった。コロナウイルスの収束がまだまだ見えてこない中、阪急交通社から、天空の城“竹田城跡”の雲海を特別列車を仕立てて見に行くというツアーが売り出された。ただし、参加者は、ワクチン3回接種またはPCR検査陰性証明書の提出者に限る雲海は天気に左右され当たりはずれがあるものの、夜行の貸切り列車で行くというのも魅力なので、申し込んでみた。往路は、令和4年11月26日(土)大阪発22:10のこうのとり27号で...
おとなび会員が200万人を突破した記念として、1回限りで令和5年3月4日~5日の1泊2日のパックツアーが発売された。その目玉は、北陸新幹線の未成線を新幹線に乗って白山総合車両所を見学するというものだ。もちろんおとなび会員だし、珍しい企画ものと思い、たまたま、その土日は空いていたため予約するとすんなり確保できた。令和5年3月4日(土)8:30 大阪駅の11番ホームには駅員総出で歓迎ムード満点サンダーバート1編成が仕立てら...
ライツ社の数あるレンズの中でもこのSUMMICRON35mmF2ほど信仰対象ともいえるものはない。特に1960年代の第1世代のものは、“ドイツ写真機工業界の至宝”ともいう写真家もいるほどである。甘美なライカ沼にはまったライカ信者は、一生に一度は所有したいと思うレンズである。レンズ構成はこのような手間のかかったものとなっていて、通称“八枚玉”などと呼ばれている。カナダ製とドイツ・ウエッツラー製のものがあるが、我が家のものは...
昭和54年、大学の夏季休暇で帰省していたころのお話親友のイバさんを誘ってドライブがてら山陰本線を見に行こうということになって、マイカーで颯爽と出掛けた。昭和54年8月14日 夏の盛りの暑い日であった。なぜか最初に茨木に立ち寄っている。何か用事があったと思うが、45年前のことなのでいくら考えても思い出せない・・・仕方ないね。この写真は、駐車場からであろうか、阪急茨木市駅の端を撮影したワンショットである。よく...
令和4年の秋のことだった。コロナウイルスの収束がまだまだ見えてこない中、阪急交通社から、天空の城“竹田城跡”の雲海を特別列車を仕立てて見に行くというツアーが売り出された。ただし、参加者は、ワクチン3回接種またはPCR検査陰性証明書の提出者に限る雲海は天気に左右され当たりはずれがあるものの、夜行の貸切り列車で行くというのも魅力なので、申し込んでみた。往路は、令和4年11月26日(土)大阪発22:10のこうのとり27号で...
令和4年11月19日(土)昨日は東京で会合があり大いに気炎を吐いた後、赤坂で一泊したが、翌日は予定がないのでどこをパトロールしようかと考えた。天気も上々なので、東京スカイツリーに上ってみようと思い立った。東京スカイツリーは、完成したのが平成24年2月29日なので、すでに満10年を経ているが、上ってみるのは、実はこれが初めて!完成の2年前にあたる平成22年7月30日に工事中の姿を見学したことがあったがその時の様子と...
令和4年10月14日をもって、わが国の鉄道開業から150年となる国民こぞって奉祝すべき吉日である10月9日から東京に出張するので、用事のない時間には、鉄道開業150周年に因んだ聖地巡りをしてみようと思う上りの新幹線で、車内販売員に缶ビールを注文するとコレが供された!実に幸先が良く気分も高揚するというものだ!ヱビスビールは、鉄道の恩恵をたっぷりと受けているからなあ鉄道開業150年を祝わずにはおれないのであろう新橋...