10/2gooブログが終了しますのでアメーバブログに移転予定です引っ越しするのに自分では出来かねまして専門の方に頼んでおりますのでそれまで少しお休みさせて下さい5月は薫風自南来気持ちよい風に吹かれて美味しいものを食べたい麗しいお道具を拝見したいと願ってる毎日です写真は綱島のフクモトの御料理薫風自南来
寒椿月の照る夜は葉に隠る貞及川貞オイカワテイとは昭和・平成期の俳人明治32(1899)年5月30日~平成5(1993)年11月13日東京・麴町富士見町生旧姓(旧名)野並東京府立第三高女卒馬酔木賞〔昭和11年54年〕,俳人協会賞(第7回)〔昭和42年〕「夕焼」女学校時代、御歌所寄人の大口鯛二について和歌を学ぶ。大正5年海軍士官と結婚し、夫の任地の佐世保や呉で暮した後、昭和8年上京、馬酔木俳句会に参加、水原秋桜子の指導を受ける。13年「馬酔木」同人。馬酔木婦人会を興しその育成に尽力。茶道師範で終生主宰誌を持たず自由な句風で女流の最長老と目された。句集に「野道」「榧の実」「夕焼」「自註・及川貞集」ほか。今日は1月最後の水曜日で水曜稽古旧暦では12月21日お弟子様がおうちの近くで禅宗のお坊さんが托鉢をしてぐるぐる...月の照る夜は
口明けて春を待らん犬はりこ一茶2/3土曜日に柿伝で茶会がある陶説に募集が出ていると知人のミイーさんからメールをもらった陶磁協会賞受賞者のお茶碗で小山富士夫の酒器とともに食事を「お茶とお酒を愉しむ会」柿伝の地下2階柿伝ギャラリーでは、陶磁協会賞受賞者の作品が展示されている会員は9,000円非会員は11,000円まだ大丈夫かもその日は食事会の予定だったが満員で予約が取れなかったそれなら茶会に変更しようと辛子さんと赤根ちゃんと三名で行くことにしたミイーさんと同じ時間に次々と現代作家の茶碗が登場するとは良いかも楽しみである写真はもう芽吹きはじめた庭の貝母まだ1月なのに早いすでに春は来てるのかも口あけて春をまつ
夏草やつわ者どもが夢の跡芭蕉きのうの東京国立博物館中尊寺展の続き国宝紺紙金銀字一切経(中尊寺経)平安時代・12世紀岩手・中尊寺大長寿院蔵中尊寺経は金泥字と銀泥字交互に書写され、見返しも金銀泥にて経意を絵画で表現した。唯一無二の一切経。料紙は京で調達したことが確実視され、見返し絵も当時一流の絵師が担当したと考えられる。藤原清衡が八年の歳月をかけて制作させた。かつては金色堂手前の経蔵に安置されていた。と中尊寺経の見返しの金色はピカピカで凄いそれから凄いのは金光明最勝王経金字宝塔曼陀羅経典だが絵画として国宝指定「写経」「造塔造仏」「経典解脱」三つの功徳を一度で成就できるとされた。とか1幀が経典一巻初層には釈迦、塔の周りには色々な仏や衆生が描かれ塔(経典)部分や仏像は金泥で描かれ、背景や衆生には色彩が使われている...夢の跡
五月雨の降のこしてや光堂芭蕉今日は東京国立博物館トーハクへ「建立900年特別展中尊寺金色堂」中央壇安置の国宝仏像11体すべてを寺外初公開奥州藤原氏初代の藤原清衡が中尊寺金色堂を建立してから900年。金色堂内の中央壇に安置さるる国宝仏像11体すべてを展示阿弥陀三尊像、地蔵菩薩像(6体)、二天像他にも国宝、重要文化財がたくさん工芸品の数々入口を入るとすぐ人だかりがしてる黄金に輝く金色堂を8KCGの技術を用い原寸大で再現したと迫力あり関連展示の親と子のギャラリー中尊寺のかざり会期2024年1月23日(火)~2024年3月3日(日)会場本館特別2室中尊寺展の複製が置いてあったとても綺麗螺鈿の説明もわかりやすいトーハク平成館の特別展「本阿弥光悦の大宇宙」こちらは会場が広くじっくり見ると疲れるが中尊寺展は会場が狭いの...ふり残してやひかり堂
むさし野のゆかりの色もとひわびぬみながら霞む春の若草藤原定家とひ→問う、訪うわびぬ→心細い、さびしいみながら→皆ながら→悉く、全部今日は旧暦の12月16日カレンダーには満月のしるし紫式部が主人公の大河ドラマを毎週見てる源氏物語には紫色に関係する名前がたくさん登場する桐壺の桐の花の色藤壺、紫の上、若紫紫は聖徳太子が定めた冠位十二階その最高位が「紫」平安時代には紫を「ゆかりの色」言ったそうだ紫は紫根で染めるのだがその紫根は揮発性が高く色が移りやすいとそれを自分の色を想う人に移して匂うばかりに染めたいという願いから縁ユカリの色とも言うようだゆかりの色も
食事に行ったときお椀の蓋裏に梅と鶯の金蒔絵鶯宿梅ですとのご主人のお話しがあったそういえば昔紫兎先生のお稽古の時話題になったことがあった「鴬宿梅」勅なればいともかしこしうぐひすの宿はと問はばいかが答へむ先生が口ずさむなんだっけ自分のブログから検索して探した鶯宿梅オウシュクバイ村上天皇の時、清涼殿前の梅が枯れたので紀貫之の娘紀内侍の家の梅を移し植えたところ、枝に「勅なればいともかしこしうぐひすの宿はと問はばいかが答へむ」という歌が結んであり、天皇はこれに深く感じて梅の木を返したという、拾遺集・大鏡などにみえる故事。また、その梅の木。(デジタル大辞泉の解説)今日は木曜稽古アイテラ氏が椿をたくさん切ってきてくれて水屋の花溜が華やかになった写真は夜九時半頃のお月様勅なれば
極楽の近道いくつ寒念仏蕪村寒念仏とは僧が寒の30日間、明け方に山野に出て声高く念仏を唱えること。のちには俗人も寒夜、鉦カネを打ちたたいて念仏を唱え、家々の門前で報謝を請い歩いた。今日は水曜稽古寒い寒い掛けものは松雲老師松雲とは宗般玄芳のこと宗般玄芳ソウハンゲンホウ1848-1922江戸最末期から明治・大正にかけての臨済宗の僧。加賀小松の人。安政3年〈1856〉、9歳にして出家した。その後、各地の宗匠を叩門遊歴、明治13年のころ、山城八幡の円福寺の伽山全楞カサゼンロウ(大徳寺第482世)に参禅、同26年、法を嗣いで大徳寺第486世に出世。一時、熊本の見性寺に住して、見性を姓とする。同31年に円福寺に転じ、松雲を号し、諸堂を改修、寺観を一新した。同41年から大徳寺派管長を三期つとめ、大正11年〈1922〉...極楽の近道
鶯の逢ふて帰るや冬の梅蕪村今日は渋谷の友人が遊びに見えたお餅があるから「お雑煮でも召し上がる」と聞くと「いらない」との返事暫くしてまた「お汁粉は」と聞くと「食べる」と元気な声ゆで小豆があったので雪平に水一カップとお砂糖を加えて煮る美味しいお餅を焼いて一緒にちょっと煮る朱塗の蓋付椀に盛る小皿に塩気のもの椎茸の旨煮を添えてお出しした陶説、12-1鑑賞陶器の70年が届いたパラパラ見ていると知り合いが載っていた嬉しいあとで、ゆっくり読もう鶯の逢ふて帰るや
折り取つて日向に赤し寒椿水巴渡辺水巴ワタナベスイハは[1882~1946]東京の生まれの俳人。本名、義。内藤鳴雪・高浜虚子に学び、俳句雑誌「曲水」を創刊、主宰。渡辺省亭セイテイの子供省亭は(1851-1918)嘉永4年~大正7年、明治時代から大正時代にかけての日本画家。渡辺省亭のウィキペディアの伝記のところを読むと面白い今日は何もない雨が降っている金曜日朝十時ころ電話があった広島在住の凛さんから「ブログ見ましたよ、初釜どうでしたか」なんてお茶の話題で暫し楽しむだ凛さんありがとう写真はうちの椿花盛り日向に赤し寒椿
大寒や羊羹残る皿の底龍之介今日は大寒昨日は暖かかったのに寒い今日は宗和流の初釜へ宗和忌には伺ったことがあるが初釜は初めてだ最寄の駅からタクシーで向かうタクシー降りてみるが近くにいるはずなのに辿り着かないかつて来たことがある辛子さんに先導してもらいようやく到着風情のある門を入り受付寄付から待合へユーチューブで拝見したことのある茶庭予報では雪か今は小雨降る露地笠をかざして腰掛けで待つとお家元の迎付があり躙口から席入至福の濃茶席を名残惜しくも動座お心入れの点心を頂戴し不思議な階段を上り薄茶席へお道具は大層素晴らしく拝見するも嬉しい満足しつつ駅へ写真は撮らなかったので一枚もないたまたま撮った最寄の駅周辺大寒や
御仏は伎芸天女や寒牡丹虚子今日は東京道場にて初釜式コロナ禍や席入が早い時間の場合はずっと欠席していたが今年は午後1時の席入なので時間に余裕がある久しぶりに参加させて頂いた濃茶席は坐忘斎お家元、薄茶席は若宗匠のお点前濃茶薄茶共に立礼席で足も気持ちも楽だった薄茶では福引を引くが勿論、外れ辻留のお弁当はお持ち帰り滞りなく進み午後二時半には終わっていた茶会の時間が短いと身体も気持ちも疲れない風もなく穏やかな一日ほのぼのと和む寒牡丹
むめがかにのつと日の出る山路かな芭蕉今日は七事式七事式は、花月、且座、廻り炭、廻り花、茶カブキ、一二三、員茶家の椿や枝ものを切って山の上のクマショウさんのおうちへタクシー今日は玄々斎考案の仙遊之式且座の花炭香に濃茶薄茶のバージョンアップ花は「廻り花」炭は「炭所望」香は二炷たいて濃茶は全員五名で薄茶は「花月」となるまた来月もいたしませう写真はクマショウさんちの床朝比奈宗源松無古今色松に古今の色無し『禅林句集』等にある禅語「松無古今色、竹有上下節」松の葉は常緑であり変わらない竹には節があり区別があるそれぞれ、それが自然でもある時代を経ても不変であるものは茶道の真髄に通じるとの事梅ヶ香に
寒月や門なき寺の天高し蕪村今日は上野寒かった東京国立博物館へ特別展「本阿弥光悦の大宇宙」平成館特別展示室:2024年1月16日(火)~2024年3月10日(日)初日のせいか午前中は空いてゆっくり拝見できた光悦はきっとみんなが好きだお昼はホテルオークラ「ゆりの木」で小町御膳うーん、昨日の今日だし、ほかのにすればよかった寒月や
水仙や寒き都のこゝかしこ蕪村今日は神楽坂で新年会コロナ前に二度ほど行ったことがある「一文字」同じ神楽坂だが引越したという予約は一日の昼と夜それぞれ一組のみ教えてくれた友人とで六名の新年会結構なお部屋の設えお料理はもちろん器も見所よろしく満足また行きたいお店だ寒き都のこゝかしこ
寒水を飲みはなちたる柄杓かな蛇笏飯田蛇笏イイダダコツ1885年(明治18年)4月26日[1]-1962年(昭和37年)10月3日)山梨県出身の俳人。別号に山廬(さんろ)。高浜虚子に師事。写真は保険屋さんの手土産のどら焼東京三大どら焼の一つ東十条の草月の黒松東京三大どら焼とは上野の「うさぎや」、東十条の「草月」、そして浅草の「亀十」だとか寒水を飲み
寒の月しきりに雲をくぐりけり万太郎久保田万太郎クボタマンタロウ1889年(明治22年)11月7日-1963年(昭和38年)5月6日)日本の小説家、劇作家、俳人。俳号はじめ暮雨。のち傘雨。他に筆名千野菊次郎。日本芸術院会員、文化功労者、文化勲章受章者。位階・勲等は従三位・勲一等。(ウィキペディアヨリ)今日はサカチカさんの新年の茶事水屋担当する正月らしい道具の取合せと懐石料理亭主のサカチカさん膳を手渡し酒をつぎ飯器をまわし汁替えが始まった何だか席中が賑やかしいどうやら汁替えを間違えたらしく正客の汁替えを次客に渡し正客にはみそ汁がないようだみそ汁を用意亀甲里芋一つのところ二つ入れオマケで梅人参ものせてバージョンアップでお出しした辛子も危うく洗うところ捨てないで良かった今年もサカチカさんは毎月茶事をひらく森...しきりに雲をくぐりけり
紀貫之やま風に香をたづねてや梅の花にほへる程にいへゐそめけむ今日は金曜日結構寒い紙類をほんのちょっと片付けると見つけた茶事の時に困らないようにだいたい真塗の炉ぶちを掛けてあるので炉ぶちを清める「茶事で真塗の炉ぶちを使ったときお客様が香合をご覧になったら炉ぶちと釜蓋を清めて香合の問答をする」その炉ぶちの清め方の図だ釜の蓋はこの字に清める袱紗は草に畳む香をたづねてや梅の花
極楽の近道いくつ寒念仏蕪村1月の稽古が始まったことしの初稽古は昨日からでも昨日はブログのアップができなかった少し炭に当たったらしく頭がいたくて早くに寝てしまった今日は木曜稽古御弟子様が白侘助と水仙を持ってきた水仙は袴をそっと外し葉組みをして改めて花をさして整える花は野にあるようにといってもホントにそのまま花入にポンと入れても野にあるようにとはならない花は名前を覚えたり水揚げの方法を身につけてその花の一番の美しさを見いだして活けかたを研究花入に真行草あり活けかたにも真行草ありこれには勉強が必要だろう花を扱っている時は集中して幸せになる今年は社中の初釜はせず扇子や懐紙を撒くだけだ掛けものは一行青松千年の別筆者は大津櫪堂オオツレキドウだ美術人名辞典思文閣には大津櫪堂臨済宗の僧。相国寺派管長。相国寺百三十世。室...極楽の近道
やぶ入の夢や小豆の煮るうち蕪村薮入りは正月と盆の16日前後に奉公人が休みをとれること正月15日は小正月小豆粥を食べるかつて元服の儀を小正月に行っていたということから、1月15日は成人の日という。(ウィキペディアヨリ)今日は火曜日正月の九日旧暦では十一月二十八日月に一度渋谷で井の頭線に乗り換え月一回の研究会へお正月の御神酒を頂きいざお勉強今年もたくさん勉強すればもっと楽しいことがあるはず写真は忠犬ハチ公外人が回りに大勢集まりなかなか写真が撮れないハチ公の横姿になったハチ公のご主人は渋谷区松涛一丁目に住んでいた東京帝国大学教授の農学博士上野英三郎先生だと道玄坂に住んでる友人から聞いた本物のハチ公に会える剥製が国立科学博物館にあるとか小豆の煮るうち
蓬莱に初日さし込む書院哉漱石今日は成人の日祭日の月曜日元日に能登半島の地震があったが色々考えすぎて大丈夫ですか無事ですかと聞けなかった場所の異なる二人に思いきってメールしたらその二人とも何も被害はなかったとのことで安心した写真は若い友人が送ってくれた浜離宮の紅梅蓬莱に初日
浅みどり春七草の小籠かな淡路女高橋淡路女タカハシアワジジョ1890-1955大正-昭和時代の俳人。明治23年9月19日生まれ。「ホトトギス」をへて,大正14年から飯田蛇笏に師事し,「雲母」同人。今日は七草「七草なずな、唐土(とうど)の鳥が日本の国に渡らぬ先にストトントントン」と歌うとか。七草粥を食べ長寿や無病息災を願う。正月の疲れた胃腸を休め。平安時代頃は、米や粟など7種類の穀物を入れた「七種粥」が一般的であったと言われてる。従姉のガゼータさんから七草粥の写真が送られてきたで大根かぶ人参の三草粥だとかうちは梅粥明日は成人の日2000年から1月第2月曜日になったがむかしはこの日に初釜をひらいた雪の降った15日が懐かしいね七草の小籠
きのふ見し萬歳に逢ふや嵯峨の町蕪村昔のお正月それも京都だと余計に風情がある今日は土曜日寒の入りだというのに何だか暖かいこのチャンスをいかして片付けをしようかな家の中に同じものがあっちにもこっちにもある筆記用具のあれこれ筆や硯ハンカチタオル茶道具ではない手持ちの茶道関係の小物のなんと多いことか数寄屋袋に入ってるとずっとそのままだし香道具に香木類などなども結構ある出掛けるときに持っていくハンドバックや化粧ポーチの類いあとあと山ほどのコピーした紙類や未使用の大学ノートやファイルノートなど山積みした本などみたくないものがたくさんあるそれらを同じ場所に運んで分けてそれからどうするというところで今日は疲れておしまい座る場所もないくらい広がってるけどあとは明日考えよう明日は七草朝はお粥にしようお湯をかけるだけのお粥ね写...萬歳に逢ふや嵯峨の町
塗椀の家に久しき雑煮哉子規今日は1月5日旧暦では11月24日明日は小寒寒の入り【小寒】二十四気の一つ。冬至から十五日目で、太陽暦一月六日ごろ。寒気がようやく強くなる。寒の入り。小寒の行事の七草粥無病息災を願う。寒中見舞いを出す頃。年賀ハガキを買ってあったがいざ書こうとすると見つからないので結局出せなかった。ところが今日見つかった茶の間の本棚の上はいつもごちゃごちゃしているのだが角にぶつかってしまい一部が落ちてしまったセロテープ電動鉛筆削りのりスプレーガタガタ落ちたあとに年賀ハガキが見えたここにあったのねでももう書けないわね久しき雑煮
鶯の枝ふみはづすはつねかな蕪村今日は正月四日木曜日元日に能登半島に大きな地震があり恐かった凄く長く揺れて愈々日本沈没かと思いすっかり力が抜けてしまった不安を忘れようと早々と寝る大晦日から三日までは従姉と共に過ごすのがなん十年もの恒例となっている昔は色々出掛けたが今年はどこへも外出せず駅伝のテレビを観て三食をペロッと食べて又十時と三時は必ずお菓子を欠かさず食べる結果は顕著たっぷり重くなったブログは書けなかった今日は用事があって友人たちと渋谷で待ち合わせ目まぐるしく変ってる渋谷人を掻き分けながら進むような感じぼーっとしてると埋もれてしまってここがどこか解らなくなる意識して顔を上げて呼吸しようゆっくりと深く呼吸して自分の場所を取り戻そうとおのれに言い聞かす自分は自分一人では出来ないことも得意な人を集めてみんなで...初音かな
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10/2gooブログが終了しますのでアメーバブログに移転予定です引っ越しするのに自分では出来かねまして専門の方に頼んでおりますのでそれまで少しお休みさせて下さい5月は薫風自南来気持ちよい風に吹かれて美味しいものを食べたい麗しいお道具を拝見したいと願ってる毎日です写真は綱島のフクモトの御料理薫風自南来
今日は火曜日鶯谷で皆さんと待合せ東博特別展へ「蔦屋重三郎コンテンツビジネスの風雲児」吉原大門を入ると吉原大通の桜が出迎えるいい気分出口近くには耕書堂の店大川端から花火も見れるいい気分だ平成館2025年4月22日(火)~2025年6月15日(日)「一目千本」と「写楽」を前期21作品をたっぷり拝見他のは通りすぎるだけだったお昼はホテルオークラガーデンテラスで三時は松坂屋の二階のカフエケーキが凄くフルーツたくさんでも高いけど珈琲SETとお喋り楽しまた行きましょう東博へ東博へ行こう
名にし負はばいざ言問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと伊勢物語の9段『東下り』今日は茶会大磯の松月茶会へ薄茶席担当のお道具屋さんからご案内初めて参加す風情がある料亭での茶会雨の予報だったが曇晴れ上等濃茶席は胡銅花入に牡丹薄茶席は竹花入にもみじと木苺写真は今日の点心だ名にし負はば
今日は東美で和美の会へわりと空いていた感じ森金さんと待ち合せエフ先生と合流茶入茶杓を目的にとアッチコッチへうろちょろカタログにはあったが実物は売れてしまったのか姿が無かった江戸初期の茶杓は高い案外、茶入は安く買い時かもでも私は何も買えないけども楽しかった帰りはビールで乾杯しようかビアホールはシニア風な人々で溢れるばかり満員凄いエネルギーが充満してる感じみんな元気でいいね!東美和美の会
咲く花は八重か一重かおぼつかなおぼろ月夜の山蔭の道自画賛阪正臣筆4月8日火曜日はお釈迦様の誕生日その日は森金さんの水屋4月9日水曜日は大仏の日熊ショウさんちで七時式4月10日は村雨庵の稽古日明日はまた森金さんの水屋土曜日は和美の会日曜日はサカチカさんの水屋4月は何かとあわただしくこの後もずっと予定が詰まっている良いような悪いような突き進むしかないが出来なくなったら自然に止むはず咲く花は
たんぽぽや折々さます蝶の夢加賀千代女土曜日は茶事手伝い昨日の日曜日は倍様と文の会前回は1月なので久しぶり伊勢物語を音読お昼はいつものイタリアンいつもの前菜とワインそれにパスタ2種いつもでも支払い金額はだんだん増えてる新しいエアコンを買ったので午後から取付作業前のエアコンを外す我が家は古い家軒が出ている長押ナゲシの上の壁に穴をあけて一度軒ノキの上に出し軒ノキを下にと穴を開けパイプをとおして外に出す直角に曲げるので古いエアコンを外すときも据えるときもそれが大変電気屋さんはいつもの電気屋さんがお歳でお店を閉じてしまったので同じような方を紹介してもらったどうも私と同年代20キロのエアコン担いで脚立にのって一人で作業するのだが四苦八苦危うく落としそうになるので思わず下からエアコンを支えた順調にはいかない「どうぞ勉...タンポポや
今日はサカチカさんと銀座谷庄の茶会へ買うものは無いし見るだけだそれでも楽しいお互いどこかでお目にかかったようなと目が合い先日の柿伝の茶飯釜でご一緒だと気がついたまた護国寺で御目文字した竹とんぼさん達ともご縁ですね思いがけぬ場所での遭遇は嬉しいその後は歩いてぜん屋へ雨草履を買うつもりが低反発の草履を買ったそして歩いて「司」へ見るだけそれから歩いて京橋の「婆娑羅」で昼食ここは美味しいオープンキッチンでよくみえるそして歩いて東京駅大丸のイノダへ我慢できずケーキセット今日はよく歩いたらしく足裏に豆ができた有楽町、銀座から京橋、東京駅
花冷やはるかに燃ゆる花篝草城昨日は火曜日火曜日は南方録のお勉強今回は覚え書二十一飯台は机の如くして2人3人4人も台一つにて食する、これ禅林日用の作法なりしかるを紹鷗、宗易、大徳寺、南宗寺の衆を茶の時、折々飯台を出されしなり2畳3畳4畳別して四畳半によし茶立口の他に今一つ口ある座敷ならでは茶立口より出し入れは好まざることなり亭主まず台を座へかかえだし布巾にて清めさて食の椀に物相の飯を入れ蓋をし下に汁椀を重ねかくの如く客の数次第、引き盆に並べる出て台の上に上げ汁は汁次にて出す菜も鍋にても鉢にても出すその品次第の見合せなり酒は一、二返にてすむべし食椀の蓋にしたるものにて飲むなり客の食いよう別してきれいに喰うべし惣じて飯台の料理は殊更軽くすることなり汁一つ菜一つ、強いて二つ、茶うけのものなど出さざるもよしまた一様...花冷えや
今日はエイプリルフール4月の冷たい雨が降って懐炉を持っていないことに悔やんだ昨日はお茶碗研究会仁清乾山どの分野でもそうだがわかっているようでまだまだだと思い知らされる古清水は仁清以後~奥田頴川以前とか道具屋筋は明治でも古清水と言うと奥田頴川はトーハクに呉須赤絵の重要美術品色絵飛鳳文隅切膳がある陸方山とも号した建仁寺の南に開窯明の渡来人の子孫中国意匠の作品が多い特に呉須赤絵を得意京焼に磁器を導入,京焼黄金時代の因となった今日は読売カルチャーの南方録へ奥田頴川オクダエイセン
西行おしなべて花のさかりになりにけり山の端ごとにかかる白雲今日は川崎で食事会12名が賑やかにお喋りワイワイとお酒を飲んであっという間にお料理が並んだが誰もがムシャムシャ完食した身体も胃袋も元気帰りにお花見しながら帰ると言う人もみんな元気だねえ明日も元気で出かけようじゃないのおしなべて
今日はサカチカさんの茶事私は玉ちゃんと水屋担当今日の茶事は飯後の茶事菓子の茶事とも言う茶事は食事をお出しする朝茶正午夜咄の茶事が一般的だが飯後はその言葉どおり食事の合間にする茶なので3時間以内でするすると進めるでないとその後の食事にさわり不都合となる汲み出初炭香合をご覧に入れてその後吸い物八寸菓子椀中立となる後座の床は花となり続き薄茶でお開きだどんな茶でも一献あればそれは茶事になるとエス先生は仰ったお酒ばかりでは宴会と変わらない何事も程ほど写真は待合の床田中訥言筆「猫に蝶図」復興大和絵の祖といわれる江戸後期の画家中国では猫と蝶々の取合せは長寿を表す猫と蝶々の中国語maoとdieは70歳と80歳の発音が似てるそうなと亭主サカチカさんのお話しありサカチカサンノ飯後の茶事
桜狩り雨は降りきぬ同じくはぬるとも花の陰にかくらむ正二位季忠七十二歳画並書藤浪季忠フジナミスエタダ昨日はうちで茶事だった後期高齢者にしてはオーバーワーク亭主は身体と頭をフルに使うこと・1ヶ月前から手紙を書く・前日までに庭の点検(前日前には蹲や庭をする綺麗に掃除、枝をととのえる)炭を洗っておく・前日には茶事の道具箱から棚に並べる掛軸を掛ける(当日でも可)・当日2時間前に来て水撒き30分前にも水撒きする暑くなると15分前にも水撒きあとはいつものように炭、濃茶、薄茶の準備腰掛と待合の火入を出汲出を用意しておくお客様が挨拶に見えたら→汲出を出して「お腰掛けまでお出ましを」お客様が腰掛けに移られたら迎付け濡れ釜掛けて手掛かりを開ける挨拶→初炭手前炭斗下げたら後炭の用意炭道具はまだ乗せない後座の花を見積る香合をご...桜狩り
藤原良経春風の吹きにし日よりみ吉野の雪間の草ぞ色まさりゆく今日はほの暖かい春風が心地よい明日は自宅で社中の茶事だベテランの御弟子様たちは各自で茶事をひらくがコロナ禍前後に入門した若い御弟子様たちは安居の会という村雨庵の茶会を19回ひらいたがそれは虫養いムシヤシナイと菓子のあと中立濃茶後炭薄茶と続く小寄せの茶会懐石の部分を経験していない招待の手紙を出すところから始まりつくばいの掃除海の石を取り出し底をよく掃除回りの木々を整え庭の掃除わが家の濡れ縁を腰掛代わりにしているので外から窓を拭き網戸を拭きぬれ縁を拭いてもらうとっても助かる家の回りが清められて気持ちが良い炭を洗ったし明日の準備は良いかしらね亭主は暮れちゃんお客様は三名水屋は二名自分のおうちから道具を何回か運んだこの和歌は九条良経くじょうよしつね嘉応元~...春風の吹きにし日より
今日は広尾の茶会へ先月も伺ったが結構なお道具が出て勉強今日も尊円法親王の和漢朗詠集の3月3日「春来遍是桃花水不辨仙源何處尋」王維書き下し文は「春来っては遍ねくこれ桃花の水なれば仙源を弁(わきま)へず何れの処にか尋ねむ」王維十九歳陶淵明の影響を受け詠む「桃源の行」の一節尊円法親王は伏見天皇第6皇子。永仁6年8月1日(1298年9月7日)-延文元年/正平11年9月23日(1356年10月17日))は、青蓮院第十七世門跡。茶会は遊びのようで遊びでないかも濃茶のお菓子は富ヶ谷の岬屋金団薄茶のお菓子は伊織春来遍是桃花水
起きよ起きよ我が友にせん寝る胡蝶芭蕉今日はいつもの茶事水屋手伝いなー朝から春の明るい日射し何年か前は足が大変だったが元気になってよかったですねとご正客の言葉に膝が悪く辛い日々を思い出した喉もとすぎるとすぐ忘れる鈍感力起きよ起きよ
19日と20日は村雨庵の稽古日釣釜と透木釜どちらでも炭手前を出来るように稽古二碗物の茶通箱に続き薄茶教える方も習う方も能がよく働く茶通箱に利休好み薬籠蓋に仙翁好み桟蓋と玄々斎好み出会い桟蓋がある出会い桟蓋は持ってないので桟蓋の茶通箱で稽古茶通箱は焼物の茶入と棗を袋に入れた茶入を入れ薄器は棗と形の違うものを稽古では四滴の中から選んで使うはじめの濃茶を飲み茶名を伺うまではよいがそのあと正客はのんびりとしてるわけにはいかないよく言う茶巾袱紗で「今一種」塵打ち聞いたら出会いで返す二碗目の加減を問われて水が入ると「後の茶名」「前の茶入お仕服拝見」茶碗返しつ茶入に仕服を引く茶筅清めば拝見をする水指の蓋で拝見かけてそれを引くとき茶入仕服を返すというわけで気を抜く暇はない茶通箱
寄付は短冊森金さんが福田行雄先生より頂戴したもの待合は狩野派の桜に霞本席はお公家の桜の懐紙春永のひねもすをのたりとすごされてらっしゃるご様子楽しそうなお声が途切れない今日は4時半に起きたそろそろ眠たし昨日の茶事先生がそれでは春永ハルナガにお目にかかりませうと春分がすぎ日が長くなったらとのことだ是非とも森金さんの飯台茶事
今日は柿伝の茶飯釜の茶事初炭は管炭と枝炭は残し増やしたぎっちょと割りを丸くつぐサラサラと釜にお米を入れ炊ける間に香合の拝見あっという間にご飯は炊き上がり香ばしい良い香りが広がるまず一口の嬉しい時間だ今日は彼岸の入り生きてる生かされていることに感謝した一日写真は新宿のホームお茶らしい写真を撮れず茶飯釜の茶事
朝から雨だ今日は五島美術館美の友の茶会早めに行ったので44番三席目に入れた濃茶席は高野切の二の手水指はノンコウの桐紋薄作だそうだがこの茶会では何度も拝見する茶入は住吉茶碗は井戸九重茶杓は空中作釜はあられ釜五島の美の友には20代に入った昔のこの茶会は道具にたいして敬意をひょうし紋付きでと先輩にご指導あったが時代ともに色々変わる現在も全てが変更中振り落とされないようにしっかり五島美術館美の友茶会
今日は昔の友人と食事会お互いに誕生会を開いて60年今回は京橋の婆娑羅ランチ3,410円トマトすき焼が有名とか私は魚ゆっくり贈り物交換などは出来ないが美味予算内で友人の一人が肉が全てダメで場所を探すのも大変年に三回だから次からは金額はほどほどなら良い何でも値上がりこのご時世三千四千円ではなかなか難しいお昼のあとは銀座五丁目のトリコロールのケーキセット1,670円すごく良いのだがすごく混んでるそして外人が多い階段でならんで待つひたすら待つ次は山の誕生会六月予算が上がってどこになるかな楽しみ京橋~銀座
短夜のともし火残る御堂哉子規今日は山の誕生日会場所は東京駅すぐのpommed'Adamポムダダン丸ノ内ホテルの八階外の景色はすこぶる良い珈琲のあとプレゼントも交換してないし喋り足りないし少し歩いてパレスホテルへ珈琲を注文して御祝を渡してお菓子などの物々交換今日のお料理などのお喋り次は11月今度はイタリアンが良いと言うことになった短夜のともし火残る
大伴旅人橘の花散る里のほととぎす片恋しつつ鳴く日しぞ多き今日は跡見の茶事水屋は大したことをしないが私めは一応水屋担当茶会には7種類の方式がある茶事七式という暁の茶事、朝の茶事正午の茶事夜咄の茶事不時フジの茶事飯後ハンゴの茶事跡見アトミの茶事今日はその跡見茶事朝茶事または正午茶事の後引き続き行なうまたは日時をかえて行う茶事参会できなかった招待者や当日招待されなかった人々の申込みにより茶事の趣向や道具を使って披露ただし懐石は同様にせずその時々で考慮する融通無碍な茶事だ下記は2016/3/5の拙ブログの記事跡見の時知らせの鳴り物うたぬ事なり鳴らさぬように客は早くはいる濃茶の後炭が良さそうなら続き薄茶立ち炭をしても良い中立なくば諸荘又は濃茶の後花を軸に買えてもよし軸の所望をしても良い茶の順などは決まってなく薄...たちばなの花散里
藤原有家後の世を知らせがほにも篝火のこがれて過ぐる鵜飼舟哉藤原有家フジワラノアリイエ久寿二~建保四(1155-1216)藤原重家の3男。母は藤原家成の娘。従三位,大蔵卿となる。六条家の有力歌人で,和歌所寄人,「新古今和歌集」撰者のひとりにえらばれた。「千載和歌集」以下の勅撰集に67首がはいる。今日は水曜稽古届いたお菓子は練切の撫子と生麩まんじゅう夏らしい美味しかった写真はうちの猫ミーちゃん後の世を
樋口一葉飛鳥川あすは知らねど水色に今日はにほへるあぢさゐの花昨日の話し昨日は土曜日銀座の古美術店の茶会があると先生からのお誘いあり12時の席入夏向きの設え狭いが茶の雰囲気はたっぷりだ使われた道具は手にとって拝見したその後もう一軒目の茶道具店のお茶会茶道具の拝見箱も回ってくる私の他は皆さんそれぞれお買い求めなさってご満悦何か欲しかったけど家の道具の山をみるとくじけたあすは知らねど水色に
明易きみずに大魚の行き来かな龍之介茶道具にも色々あるが棚は実に嵩張る特にわが家ては紹鴎棚の収納に困ってる前に紫兎先生から譲って頂き炉の季節に使ったが日常に使えず階段下の納戸に入れたり障子の後ろの廊下に置いたり出すのも大変仕舞うのももっと大変差し上げるからと言ってもお弟子様やお友達快い返事はない紹鴎棚はちょっとした家具和室においても違和感無い炉開きや初釜に相応しい塗師は茶平一斎だし良いものですよ勧めるがなかなかこの棚は二年前の茶会で使ったあと桐の箪笥のような外箱に入ったまま四畳半の隅にずっと置いてあるその上には座布団やら紙袋お習字の紙などなど山積みになっている酷い状態だダメもとで若いお友達のシモちゃんに声をかけると欲しいと言う返事気の変わらない内に早くとりに来てと思っていたら金曜日行きますとライン今日の午後...明易きアケヤスキ
紫陽花に雫あつめて朝日かな千代女今日は小熊の会七事式の稽古「花月」「且座」「廻り炭」「廻り花」「茶カブキ」「一二三」「員茶」今日は「且座」のお稽古花・炭・聞香・濃茶・薄茶の順且座之式は、臨済宗の宗祖臨済義玄の語録「臨済録」の「且座喫茶」からとられた雫あつめて朝日かな
与謝野晶子六月は酒を注ぐや香を撒くや春にまさりて心ときめく三井記念美術館展示室1にあった黒楽茶碗重要文化財「俊寛」シュンカン俊寛は平安時代の僧侶。僧都。康治2(1143)~治承3(1179)祖父は大納言源雅俊。父は仁和寺法印寛雅。後白河院の信任を得た。藤原成親,師光らは俊寛の鹿ヶ谷(ししがたに)の山荘に会合して平氏打倒のための相談をしたが(→鹿ヶ谷事件),多田行綱の密告によって発覚し,治承1(1177)年6月逮捕されて共謀者藤原成経,平康頼らとともに薩摩鬼界ヶ島に流された。翌年中宮御産の大赦により,成経と康頼は京都に召還されたが,俊寛は許されずに島に残された。俊寛は能の曲名でもある。四番目物。五番立の能の神,男,女,狂,鬼の狂にあたる。中宮の安産祈願のため,大赦を伝える赦免使(ワキ)が鬼界ヶ島へ下る島では...六月は酒を注ぐや
与謝野晶子円山の杉のみどりの蔭に吹く真葛が原の六月のかぜ今日から六月六月朔日ツイタチは鮎の日、気象記念日、牛乳の日、矯正歯科月間の日、景観の日、国際親の日、総務の日、チューインガムの日、電波の日、バリ舞踊の日、防災用品点検の日、リードオルガンの日一年は早い半年はすぐくるひと月はまばたき一日はもちろん一生は六月のかぜ
五月雨や色帋シキシへぎたる壁の跡芭蕉今日は東京大丸のサバティーニでいつものメンバーとランチその後は三井記念美術館へ展覧会は茶の湯の美学利休・織部・遠州の茶道具6月16日まで○展示室1・黒大棗千利休在判桃山時代○展示室4・紹鴎黒大棗秀次室町時代○千利休在判の茶道具・黒中棗追銘影法師利休在判宗旦極書(桃山)・黒中棗金砂文字入利休直書、隨流斎直書在判・町棗千利休在判また・伝盛阿弥造の一文字椀展示室6・利休形茶器十二桃山時代、江戸初期の棗は四百年を経てもなお形良く艶があり美しい棗写真はランチの前菜五月雨や
今日は木曜稽古を休んで村雨庵四十五周年記念食事会村雨庵の茶道教室をひらき今年の三月で四十五周年五年毎に茶会をひらいていたがもう茶会はしないから美味しいものでも皆で食べよう場所はいつもの綱島のふくもとかつては村雨庵にお稽古に来ていたお二人にお世話になり美味しいお料理と美味しいお酒まずふくもとさんからの見事なご挨拶に思わず落涙幹事の森金さんのスムーズ司会慣れてる乾杯の挨拶は今年米寿の数先生生き方も立派挨拶も立派です初めの一杯で真っ赤なお顔のアイテラ氏はじめからお開きまで休まずお喋り話すこと沢山あるんだ写真はお店の床に掛かってた一行徳は孤コならず必有隣ヒツユウリン(論語)徳は孤ならず、必ず隣あり徳のある人には、必ず理解者や協力者が現れる、ということ。徳のあるなしに関わらず理解者や協力者、楽しい仲間と一緒にお茶を...徳不孤必有隣
杜若にたりやにたり水の影芭蕉今日はお茶碗研究会高取、上野アガノ、八代、小代焼先月は薩摩、その前は唐津を勉強した九州は今月で終了来月は萩焼だ高取焼は黒田長政が招いた朝鮮陶工八山(高取八蔵)が永満寺・宅間に窯を築いたのに始まる黒田藩の御用窯だが窯場は時代で変わる古高取と言われる永満寺・宅間窯、内ヶ磯(うちがそ)窯、山田窯内ヶ磯は織部好遠州高取は白旗山窯で焼かれた上野アガノ焼は細川忠興が文禄・慶長の役で招いた朝鮮陶工尊楷ソンカイ(上野喜蔵)が釜の口窯に窯を築いたのに始まり細川家、小笠原家の藩窯として栄える九州のこの辺りの焼物はとても好きな焼物だがその歴史というと私には難しい一度も行ったことが無い土地勘がないからなのか難しい水の影
みじか夜の闇より出て大ゐ河蕪村土曜日の茶事の花茶事の花はその日の朝の花溜めから集中して花を選ぶ亭主の真剣な顔も茶事ならでよく入ったら傍らでみても安堵するみじか夜の
三井寺や日は午ゴにせまる若楓与謝蕪村今日はお弟子様の茶事の水屋へ初風炉の正午茶事挨拶のあとは懐石定石どおりに終わり四つ椀が戻る初炭手前があるのでそのあいだに道具を洗い片付けた焦らずともよく気分が良い懐石の箸洗いは何にしますか一汁三菜のあと改めて八寸を持ちだし千鳥の盃となるがその前に箸を洗い、口中を清める主客献酬のための「箸洗い」中身は使用した材料の一部梅肉のへいだもの海藻類の一片種子の核など箸にかかるかかからぬ程度のものをごく少量お湯仕立てと言われるくらい薄味の清し汁にする箸洗い小吸い物は美味しくしては良くないと習った今日の箸洗は水前寺海苔蕗→三月~春花山椒→四月つくし→春篠竹→春山葵の芽、花、葉→春海藤花→四月独活ウド→三月~五月ちぎり梅→二月、六月茗荷→初夏青梅→六月鱧の笛(ハモの浮き袋)針生姜→...三井寺や日は午ゴにせまる
池五月雨晴れやらぬ池の□のいぶせさも濁るに見ゆる五月雨のころ宣長□は読めないいぶせさ→鬱陶しい本居宣長モトオリノリナガ享保15年5月7日(1730.6.21)~享和元年9月29日(1801.11.5)18世紀最大の日本古典研究家。伊勢国松坂の人。木綿商の家に生まれるが、医者となる。医業の傍ら『源氏物語』などことばや日本古典を講義し、また現存する日本最古の歴史書『古事記』を研究し、35年をかけて『古事記伝』44巻を執筆する。主著は他に『源氏物語玉の小櫛』、『玉勝間』、『うひ山ふみ』、『秘本玉くしげ』、『菅笠日記』など。鈴と山桜をこよなく愛し、書斎を「鈴屋」と呼び、また山室山にある奥墓には山桜が植えられている。(本居宣長記念館のホームページより)晴れやらぬ
杜若にたりやにたり水の影芭蕉火曜日出かけるつもりだった三井記念美術館の「茶の湯の美学」利休織部遠州の茶道具2024/4/18(木)〜6/16(日)10:00〜17:00桃山時代から江戸時代初期、茶の湯界をリードした、千利休・古田織部・小堀遠州の美意識を、三井家伝来の茶道具のなかから探ります。千利休の「わび・さびの美」、古田織部の「破格の美」、小堀遠州の「綺麗さび」、3人の美意識を以上のようにとらえ、書画、茶碗・茶入・花入・水指・釡・茶杓など、各人の美意識から生まれた茶道具の名品・優品を多数展示いたします。と美術館のホームページにあったが夏用の着物の裾上げなどしてたら時間がかかり過ぎて出かけるのはやめた残りの時間は昼寝とおやつ水の影
草の雨祭の車過てのち蕪村今日は月曜日巻さんが灰型の勉強にみえた私は灰型が苦手風炉の時はどうしても嫌だと避けるわけにはいかずやむを得ず眉風炉と道庵風炉の二文字をつくり続けてる私のお茶の先生は灰型大好きいつまでもやっていたいそう仰っていたが無理まず灰を細かい篩でこすこれが案外重要だ台所のお料理のザルなどでは目が荒く灰匙で押してもサラサラ壊れてしまうから必須前の谷以前習ったときは左から中央へ三匙で仕上げ次右から中央へこれまで三匙もう触らないと習ったがそれは案外難しいカルチャーでご指導受けた先生は同じ場所だったら何度でも灰匙を引いていいとのことだ内容は先生によって色々自分に合ったようになさるべく私は時間を短縮するを優先し多少整っていないのには目をつぶる几帳面かズボラ器用かどうかは十分関係あるだろうが治らないものは...草の雨
サリーちゃんのパパが豆腐を買うぜい佐理、東風、行成三跡小野東風894~966野席藤原佐理944~998佐跡藤原行成972~1027権跡894遣唐使廃止その100年前は794ウグイス平安京894から50年経ち佐理が生まれる行成は道長の亡くなった同じ日に亡くなった写真の扇子は住吉物語絵巻三跡
源氏物語・花散里橘の香をなつかしみほととぎす花散る里を訪ねてぞとふ土曜日は何かと用事が入って行けなかったが今日は朝日カルチャーの崩し字入門いつもより教室が広い与えられたレジメを読み下しあとから一文字ずつ分解説明をうけるのだそのときはなるほどと思うのだが「亭」の文字でテだとおもったら「帝」の文字のテだった橘タチバナの
橘曙覧タチバナアケミ(幕末の歌人)明日よりは夏の暑さもあらひこしなごみわたれり瀬々の川かぜ今日は東京美術倶楽部での日本陶磁協会の茶会濃茶は当代随一の数寄者・潮田洋一郎氏五名ずつの回しのみ薄茶が二席官休庵の宗屋宗匠と陶磁協会の席また特別観覧の部屋筋切が正面に掛かっていた筋切って何伝承筆者は藤原佐理だが研究で藤原行成の曽孫にあたる藤原定実(活躍期、1077~1119年)と言われている定実は『元永本古今和歌集』(東京国立博物館蔵)『巻子本古今和歌集序』(大倉集古館蔵)『西本願寺本三十六人家集』の「貫之集上」(西本願寺蔵)の筆者筋切ってなにもとは古今集を書いた二冊の粘葉装デッチョウソウ粘葉装は糊綴じなので糊をはずして紙の表裏をはがすと(相剥ぎアイヘギ)2枚になり表の銀泥で天地に界線(筋)があるのを筋切裏の篩...日本陶磁協会の茶会
昨日は水曜稽古だがブログも書けずねてしまった木曜稽古松波資之のほととぎすの和歌を掛ける湖遠郭公遊山から崎のまつとはなしにほととぎすききつるばかりうれしきはなし松波資之マツナミスケユキ1831*-1906幕末-明治時代の歌人。天保元年12月19日生まれ。安芸広島の商人岡田集介の次男。京都徳大寺家につかえ,のち北面の武士松波家の養子となる。香川景樹にまなび,景樹没後はその子の景恒をたすけて東塢塾を主宰。維新後は皇太后宮の内舎人ウドネリ,雑掌をつとめた。明治39年9月13日死去。77歳。通称は直三郎,大学大允。号は遊山,随所。歌集に「花仙堂家集」。(日本人名大辞典ヨリ)唐崎というと近江八景の「唐崎夜雨」を思い浮かべる唐崎は『万葉集』の「さざなみの志賀の辛崎幸あれど大宮人の船待ちかねつ」『蜻蛉日記』では都人が唐...唐崎夜雨