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村雨庵 茶の湯日記 https://blog.goo.ne.jp/tukiduki

日々是茶の湯

ざーっと降ってカラッと上がる通り雨が村雨 まあ 暫し雨宿りにお寄りあれ

その他趣味ブログ / 茶の湯・茶道

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村雨庵
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2009/04/21

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  • 月の照る夜は

    寒椿月の照る夜は葉に隠る貞及川貞オイカワテイとは昭和・平成期の俳人明治32(1899)年5月30日~平成5(1993)年11月13日東京・麴町富士見町生旧姓(旧名)野並東京府立第三高女卒馬酔木賞〔昭和11年54年〕,俳人協会賞(第7回)〔昭和42年〕「夕焼」女学校時代、御歌所寄人の大口鯛二について和歌を学ぶ。大正5年海軍士官と結婚し、夫の任地の佐世保や呉で暮した後、昭和8年上京、馬酔木俳句会に参加、水原秋桜子の指導を受ける。13年「馬酔木」同人。馬酔木婦人会を興しその育成に尽力。茶道師範で終生主宰誌を持たず自由な句風で女流の最長老と目された。句集に「野道」「榧の実」「夕焼」「自註・及川貞集」ほか。今日は1月最後の水曜日で水曜稽古旧暦では12月21日お弟子様がおうちの近くで禅宗のお坊さんが托鉢をしてぐるぐる...月の照る夜は

  • 口あけて春をまつ

    口明けて春を待らん犬はりこ一茶2/3土曜日に柿伝で茶会がある陶説に募集が出ていると知人のミイーさんからメールをもらった陶磁協会賞受賞者のお茶碗で小山富士夫の酒器とともに食事を「お茶とお酒を愉しむ会」柿伝の地下2階柿伝ギャラリーでは、陶磁協会賞受賞者の作品が展示されている会員は9,000円非会員は11,000円まだ大丈夫かもその日は食事会の予定だったが満員で予約が取れなかったそれなら茶会に変更しようと辛子さんと赤根ちゃんと三名で行くことにしたミイーさんと同じ時間に次々と現代作家の茶碗が登場するとは良いかも楽しみである写真はもう芽吹きはじめた庭の貝母まだ1月なのに早いすでに春は来てるのかも口あけて春をまつ

  • 夢の跡

    夏草やつわ者どもが夢の跡芭蕉きのうの東京国立博物館中尊寺展の続き国宝紺紙金銀字一切経(中尊寺経)平安時代・12世紀岩手・中尊寺大長寿院蔵中尊寺経は金泥字と銀泥字交互に書写され、見返しも金銀泥にて経意を絵画で表現した。唯一無二の一切経。料紙は京で調達したことが確実視され、見返し絵も当時一流の絵師が担当したと考えられる。藤原清衡が八年の歳月をかけて制作させた。かつては金色堂手前の経蔵に安置されていた。と中尊寺経の見返しの金色はピカピカで凄いそれから凄いのは金光明最勝王経金字宝塔曼陀羅経典だが絵画として国宝指定「写経」「造塔造仏」「経典解脱」三つの功徳を一度で成就できるとされた。とか1幀が経典一巻初層には釈迦、塔の周りには色々な仏や衆生が描かれ塔(経典)部分や仏像は金泥で描かれ、背景や衆生には色彩が使われている...夢の跡

  • ふり残してやひかり堂

    五月雨の降のこしてや光堂芭蕉今日は東京国立博物館トーハクへ「建立900年特別展中尊寺金色堂」中央壇安置の国宝仏像11体すべてを寺外初公開奥州藤原氏初代の藤原清衡が中尊寺金色堂を建立してから900年。金色堂内の中央壇に安置さるる国宝仏像11体すべてを展示阿弥陀三尊像、地蔵菩薩像(6体)、二天像他にも国宝、重要文化財がたくさん工芸品の数々入口を入るとすぐ人だかりがしてる黄金に輝く金色堂を8KCGの技術を用い原寸大で再現したと迫力あり関連展示の親と子のギャラリー中尊寺のかざり会期2024年1月23日(火)~2024年3月3日(日)会場本館特別2室中尊寺展の複製が置いてあったとても綺麗螺鈿の説明もわかりやすいトーハク平成館の特別展「本阿弥光悦の大宇宙」こちらは会場が広くじっくり見ると疲れるが中尊寺展は会場が狭いの...ふり残してやひかり堂

  • ゆかりの色も

    むさし野のゆかりの色もとひわびぬみながら霞む春の若草藤原定家とひ→問う、訪うわびぬ→心細い、さびしいみながら→皆ながら→悉く、全部今日は旧暦の12月16日カレンダーには満月のしるし紫式部が主人公の大河ドラマを毎週見てる源氏物語には紫色に関係する名前がたくさん登場する桐壺の桐の花の色藤壺、紫の上、若紫紫は聖徳太子が定めた冠位十二階その最高位が「紫」平安時代には紫を「ゆかりの色」言ったそうだ紫は紫根で染めるのだがその紫根は揮発性が高く色が移りやすいとそれを自分の色を想う人に移して匂うばかりに染めたいという願いから縁ユカリの色とも言うようだゆかりの色も

  • 勅なれば

    食事に行ったときお椀の蓋裏に梅と鶯の金蒔絵鶯宿梅ですとのご主人のお話しがあったそういえば昔紫兎先生のお稽古の時話題になったことがあった「鴬宿梅」勅なればいともかしこしうぐひすの宿はと問はばいかが答へむ先生が口ずさむなんだっけ自分のブログから検索して探した鶯宿梅オウシュクバイ村上天皇の時、清涼殿前の梅が枯れたので紀貫之の娘紀内侍の家の梅を移し植えたところ、枝に「勅なればいともかしこしうぐひすの宿はと問はばいかが答へむ」という歌が結んであり、天皇はこれに深く感じて梅の木を返したという、拾遺集・大鏡などにみえる故事。また、その梅の木。(デジタル大辞泉の解説)今日は木曜稽古アイテラ氏が椿をたくさん切ってきてくれて水屋の花溜が華やかになった写真は夜九時半頃のお月様勅なれば

  • 極楽の近道

    極楽の近道いくつ寒念仏蕪村寒念仏とは僧が寒の30日間、明け方に山野に出て声高く念仏を唱えること。のちには俗人も寒夜、鉦カネを打ちたたいて念仏を唱え、家々の門前で報謝を請い歩いた。今日は水曜稽古寒い寒い掛けものは松雲老師松雲とは宗般玄芳のこと宗般玄芳ソウハンゲンホウ1848-1922江戸最末期から明治・大正にかけての臨済宗の僧。加賀小松の人。安政3年〈1856〉、9歳にして出家した。その後、各地の宗匠を叩門遊歴、明治13年のころ、山城八幡の円福寺の伽山全楞カサゼンロウ(大徳寺第482世)に参禅、同26年、法を嗣いで大徳寺第486世に出世。一時、熊本の見性寺に住して、見性を姓とする。同31年に円福寺に転じ、松雲を号し、諸堂を改修、寺観を一新した。同41年から大徳寺派管長を三期つとめ、大正11年〈1922〉...極楽の近道

  • 鶯の逢ふて帰るや

    鶯の逢ふて帰るや冬の梅蕪村今日は渋谷の友人が遊びに見えたお餅があるから「お雑煮でも召し上がる」と聞くと「いらない」との返事暫くしてまた「お汁粉は」と聞くと「食べる」と元気な声ゆで小豆があったので雪平に水一カップとお砂糖を加えて煮る美味しいお餅を焼いて一緒にちょっと煮る朱塗の蓋付椀に盛る小皿に塩気のもの椎茸の旨煮を添えてお出しした陶説、12-1鑑賞陶器の70年が届いたパラパラ見ていると知り合いが載っていた嬉しいあとで、ゆっくり読もう鶯の逢ふて帰るや

  • 日向に赤し寒椿

    折り取つて日向に赤し寒椿水巴渡辺水巴ワタナベスイハは[1882~1946]東京の生まれの俳人。本名、義。内藤鳴雪・高浜虚子に学び、俳句雑誌「曲水」を創刊、主宰。渡辺省亭セイテイの子供省亭は(1851-1918)嘉永4年~大正7年、明治時代から大正時代にかけての日本画家。渡辺省亭のウィキペディアの伝記のところを読むと面白い今日は何もない雨が降っている金曜日朝十時ころ電話があった広島在住の凛さんから「ブログ見ましたよ、初釜どうでしたか」なんてお茶の話題で暫し楽しむだ凛さんありがとう写真はうちの椿花盛り日向に赤し寒椿

  • 大寒や

    大寒や羊羹残る皿の底龍之介今日は大寒昨日は暖かかったのに寒い今日は宗和流の初釜へ宗和忌には伺ったことがあるが初釜は初めてだ最寄の駅からタクシーで向かうタクシー降りてみるが近くにいるはずなのに辿り着かないかつて来たことがある辛子さんに先導してもらいようやく到着風情のある門を入り受付寄付から待合へユーチューブで拝見したことのある茶庭予報では雪か今は小雨降る露地笠をかざして腰掛けで待つとお家元の迎付があり躙口から席入至福の濃茶席を名残惜しくも動座お心入れの点心を頂戴し不思議な階段を上り薄茶席へお道具は大層素晴らしく拝見するも嬉しい満足しつつ駅へ写真は撮らなかったので一枚もないたまたま撮った最寄の駅周辺大寒や

  • 寒牡丹

    御仏は伎芸天女や寒牡丹虚子今日は東京道場にて初釜式コロナ禍や席入が早い時間の場合はずっと欠席していたが今年は午後1時の席入なので時間に余裕がある久しぶりに参加させて頂いた濃茶席は坐忘斎お家元、薄茶席は若宗匠のお点前濃茶薄茶共に立礼席で足も気持ちも楽だった薄茶では福引を引くが勿論、外れ辻留のお弁当はお持ち帰り滞りなく進み午後二時半には終わっていた茶会の時間が短いと身体も気持ちも疲れない風もなく穏やかな一日ほのぼのと和む寒牡丹

  • 梅ヶ香に

    むめがかにのつと日の出る山路かな芭蕉今日は七事式七事式は、花月、且座、廻り炭、廻り花、茶カブキ、一二三、員茶家の椿や枝ものを切って山の上のクマショウさんのおうちへタクシー今日は玄々斎考案の仙遊之式且座の花炭香に濃茶薄茶のバージョンアップ花は「廻り花」炭は「炭所望」香は二炷たいて濃茶は全員五名で薄茶は「花月」となるまた来月もいたしませう写真はクマショウさんちの床朝比奈宗源松無古今色松に古今の色無し『禅林句集』等にある禅語「松無古今色、竹有上下節」松の葉は常緑であり変わらない竹には節があり区別があるそれぞれ、それが自然でもある時代を経ても不変であるものは茶道の真髄に通じるとの事梅ヶ香に

  • 寒月や

    寒月や門なき寺の天高し蕪村今日は上野寒かった東京国立博物館へ特別展「本阿弥光悦の大宇宙」平成館特別展示室:2024年1月16日(火)~2024年3月10日(日)初日のせいか午前中は空いてゆっくり拝見できた光悦はきっとみんなが好きだお昼はホテルオークラ「ゆりの木」で小町御膳うーん、昨日の今日だし、ほかのにすればよかった寒月や

  • 寒き都のこゝかしこ

    水仙や寒き都のこゝかしこ蕪村今日は神楽坂で新年会コロナ前に二度ほど行ったことがある「一文字」同じ神楽坂だが引越したという予約は一日の昼と夜それぞれ一組のみ教えてくれた友人とで六名の新年会結構なお部屋の設えお料理はもちろん器も見所よろしく満足また行きたいお店だ寒き都のこゝかしこ

  • 寒水を飲み

    寒水を飲みはなちたる柄杓かな蛇笏飯田蛇笏イイダダコツ1885年(明治18年)4月26日[1]-1962年(昭和37年)10月3日)山梨県出身の俳人。別号に山廬(さんろ)。高浜虚子に師事。写真は保険屋さんの手土産のどら焼東京三大どら焼の一つ東十条の草月の黒松東京三大どら焼とは上野の「うさぎや」、東十条の「草月」、そして浅草の「亀十」だとか寒水を飲み

  • しきりに雲をくぐりけり

    寒の月しきりに雲をくぐりけり万太郎久保田万太郎クボタマンタロウ1889年(明治22年)11月7日-1963年(昭和38年)5月6日)日本の小説家、劇作家、俳人。俳号はじめ暮雨。のち傘雨。他に筆名千野菊次郎。日本芸術院会員、文化功労者、文化勲章受章者。位階・勲等は従三位・勲一等。(ウィキペディアヨリ)今日はサカチカさんの新年の茶事水屋担当する正月らしい道具の取合せと懐石料理亭主のサカチカさん膳を手渡し酒をつぎ飯器をまわし汁替えが始まった何だか席中が賑やかしいどうやら汁替えを間違えたらしく正客の汁替えを次客に渡し正客にはみそ汁がないようだみそ汁を用意亀甲里芋一つのところ二つ入れオマケで梅人参ものせてバージョンアップでお出しした辛子も危うく洗うところ捨てないで良かった今年もサカチカさんは毎月茶事をひらく森...しきりに雲をくぐりけり

  • 香をたづねてや 梅の花

    紀貫之やま風に香をたづねてや梅の花にほへる程にいへゐそめけむ今日は金曜日結構寒い紙類をほんのちょっと片付けると見つけた茶事の時に困らないようにだいたい真塗の炉ぶちを掛けてあるので炉ぶちを清める「茶事で真塗の炉ぶちを使ったときお客様が香合をご覧になったら炉ぶちと釜蓋を清めて香合の問答をする」その炉ぶちの清め方の図だ釜の蓋はこの字に清める袱紗は草に畳む香をたづねてや梅の花

  • 極楽の近道

    極楽の近道いくつ寒念仏蕪村1月の稽古が始まったことしの初稽古は昨日からでも昨日はブログのアップができなかった少し炭に当たったらしく頭がいたくて早くに寝てしまった今日は木曜稽古御弟子様が白侘助と水仙を持ってきた水仙は袴をそっと外し葉組みをして改めて花をさして整える花は野にあるようにといってもホントにそのまま花入にポンと入れても野にあるようにとはならない花は名前を覚えたり水揚げの方法を身につけてその花の一番の美しさを見いだして活けかたを研究花入に真行草あり活けかたにも真行草ありこれには勉強が必要だろう花を扱っている時は集中して幸せになる今年は社中の初釜はせず扇子や懐紙を撒くだけだ掛けものは一行青松千年の別筆者は大津櫪堂オオツレキドウだ美術人名辞典思文閣には大津櫪堂臨済宗の僧。相国寺派管長。相国寺百三十世。室...極楽の近道

  • 小豆の煮るうち

    やぶ入の夢や小豆の煮るうち蕪村薮入りは正月と盆の16日前後に奉公人が休みをとれること正月15日は小正月小豆粥を食べるかつて元服の儀を小正月に行っていたということから、1月15日は成人の日という。(ウィキペディアヨリ)今日は火曜日正月の九日旧暦では十一月二十八日月に一度渋谷で井の頭線に乗り換え月一回の研究会へお正月の御神酒を頂きいざお勉強今年もたくさん勉強すればもっと楽しいことがあるはず写真は忠犬ハチ公外人が回りに大勢集まりなかなか写真が撮れないハチ公の横姿になったハチ公のご主人は渋谷区松涛一丁目に住んでいた東京帝国大学教授の農学博士上野英三郎先生だと道玄坂に住んでる友人から聞いた本物のハチ公に会える剥製が国立科学博物館にあるとか小豆の煮るうち

  • 蓬莱に初日

    蓬莱に初日さし込む書院哉漱石今日は成人の日祭日の月曜日元日に能登半島の地震があったが色々考えすぎて大丈夫ですか無事ですかと聞けなかった場所の異なる二人に思いきってメールしたらその二人とも何も被害はなかったとのことで安心した写真は若い友人が送ってくれた浜離宮の紅梅蓬莱に初日

  • 七草の小籠

    浅みどり春七草の小籠かな淡路女高橋淡路女タカハシアワジジョ1890-1955大正-昭和時代の俳人。明治23年9月19日生まれ。「ホトトギス」をへて,大正14年から飯田蛇笏に師事し,「雲母」同人。今日は七草「七草なずな、唐土(とうど)の鳥が日本の国に渡らぬ先にストトントントン」と歌うとか。七草粥を食べ長寿や無病息災を願う。正月の疲れた胃腸を休め。平安時代頃は、米や粟など7種類の穀物を入れた「七種粥」が一般的であったと言われてる。従姉のガゼータさんから七草粥の写真が送られてきたで大根かぶ人参の三草粥だとかうちは梅粥明日は成人の日2000年から1月第2月曜日になったがむかしはこの日に初釜をひらいた雪の降った15日が懐かしいね七草の小籠

  • 萬歳に逢ふや嵯峨の町

    きのふ見し萬歳に逢ふや嵯峨の町蕪村昔のお正月それも京都だと余計に風情がある今日は土曜日寒の入りだというのに何だか暖かいこのチャンスをいかして片付けをしようかな家の中に同じものがあっちにもこっちにもある筆記用具のあれこれ筆や硯ハンカチタオル茶道具ではない手持ちの茶道関係の小物のなんと多いことか数寄屋袋に入ってるとずっとそのままだし香道具に香木類などなども結構ある出掛けるときに持っていくハンドバックや化粧ポーチの類いあとあと山ほどのコピーした紙類や未使用の大学ノートやファイルノートなど山積みした本などみたくないものがたくさんあるそれらを同じ場所に運んで分けてそれからどうするというところで今日は疲れておしまい座る場所もないくらい広がってるけどあとは明日考えよう明日は七草朝はお粥にしようお湯をかけるだけのお粥ね写...萬歳に逢ふや嵯峨の町

  • 久しき雑煮

    塗椀の家に久しき雑煮哉子規今日は1月5日旧暦では11月24日明日は小寒寒の入り【小寒】二十四気の一つ。冬至から十五日目で、太陽暦一月六日ごろ。寒気がようやく強くなる。寒の入り。小寒の行事の七草粥無病息災を願う。寒中見舞いを出す頃。年賀ハガキを買ってあったがいざ書こうとすると見つからないので結局出せなかった。ところが今日見つかった茶の間の本棚の上はいつもごちゃごちゃしているのだが角にぶつかってしまい一部が落ちてしまったセロテープ電動鉛筆削りのりスプレーガタガタ落ちたあとに年賀ハガキが見えたここにあったのねでももう書けないわね久しき雑煮

  • 初音か な

    鶯の枝ふみはづすはつねかな蕪村今日は正月四日木曜日元日に能登半島に大きな地震があり恐かった凄く長く揺れて愈々日本沈没かと思いすっかり力が抜けてしまった不安を忘れようと早々と寝る大晦日から三日までは従姉と共に過ごすのがなん十年もの恒例となっている昔は色々出掛けたが今年はどこへも外出せず駅伝のテレビを観て三食をペロッと食べて又十時と三時は必ずお菓子を欠かさず食べる結果は顕著たっぷり重くなったブログは書けなかった今日は用事があって友人たちと渋谷で待ち合わせ目まぐるしく変ってる渋谷人を掻き分けながら進むような感じぼーっとしてると埋もれてしまってここがどこか解らなくなる意識して顔を上げて呼吸しようゆっくりと深く呼吸して自分の場所を取り戻そうとおのれに言い聞かす自分は自分一人では出来ないことも得意な人を集めてみんなで...初音かな

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