10/2gooブログが終了しますのでアメーバブログに移転予定です引っ越しするのに自分では出来かねまして専門の方に頼んでおりますのでそれまで少しお休みさせて下さい5月は薫風自南来気持ちよい風に吹かれて美味しいものを食べたい麗しいお道具を拝見したいと願ってる毎日です写真は綱島のフクモトの御料理薫風自南来
猫の妻へついの崩れより通ひけり芭蕉今日は二月最後のお稽古大炉の逆勝手のお点前は頭をとても使うのでお腹がすくたくさん食べるので眠くなる昨日も夜8:30頃に寝た目が覚めたら夜10:15もう一度寝て起きたら真夜中1:20またまた起きたらまだ夜中3:50そのつぎは朝の5:58起床順調に年寄りになっている今日はお稽古にシモちゃんが赤ちゃんと遊びに来てくれた前回はだっこさせてくれたのに人見知りが始まったとかで抱けないそれでも二回ほど重たい赤ちゃんを抱いた幸せだシモちゃんの長男は凄く重かったが今度は女の子七キロぐらいあるうちの猫に興味があるらしい写真を撮るとわが猫と私の年寄りさが際立った猫の妻
周防内侍春の夜の夢ばかりなる手枕にかひなく立たむ名こそ惜しけれ今日は水曜稽古二月最後の週稽古大炉の点前の復習をそれぞれがする椿の花がたくさん咲き出した貝母を切ったので花をいれてみて欲しい花を見積もって花入れに生ける霧を吹いて完成気分がスッキリするでしょう今日の掛けものは光悦筆宗達下絵複製だが読みの勉強にもなる和歌は藤原定家春の夜の夢の浮橋とだえして峰に別るる横雲の空『新古今和歌集』(巻第一春歌上38)夢の浮橋とは、夢の中のあてにならない通い路、または儚い夢。とだえしてとは夢が途絶える・儚い夢から目を覚ます。峰に別るるとは別れる、離れ離れになる。だそうだ春の夜の
二条のきさき雪のうちに春はきにけり鶯のこほれる涙いまやとくらん(伊勢物語)昨日の月曜日は茶碗研究会御本茶碗の勉強だったブログは少し書いたのだが途中で寝てしまってアップ不能気が向いて今日は根津美術館へ展覧会は魅惑の朝鮮陶磁謎解き奥高麗茶碗2024年2月10日(土)~3月26日(火)お茶碗研究会で勉強したばかり講義の内容を思い出しながら拝見新羅土器から玄悦茶碗半使茶碗まで時代に沿って展示されている観光客が多いがそれほど混んでないのでゆっくり拝見できたお喋りするとすぐお静かに警察が飛んでくるそしてガラス越だが名品を拝見三島茶碗「上田暦手」重要文化財雨漏茶碗青井戸「柴田」堅手「長崎」錐呉器茶碗「張木」良かった奥高麗もたくさん拝見した良かった写真はもうすぐ開く貝母の花雪のうちに春はきにけり鶯の
春日野の若紫のすりごろもしのぶの乱れ限り知られず在原業平今日は文の会イタリアンで待ち合わせグラスワインとおつまみにパスタ二種お腹を満たしてから雑談にお勉強を少し昔は桑田忠親の『茶人の名書簡』を教科書にしていたそのあとは竹取物語伊勢物語大和物語そしてまた今は伊勢物語金曜日の光琳茶会立礼席の主茶碗は黒楽16代楽吉左衛門作初めての個展の作だとのこと銘は「うひかうぶり」それは伊勢物語の「初冠」だろう初冠とは元服して、初めて冠を着けること。伊勢物語に「むかし、をとこ、うゐかうぶりして、平城(なら)の京、春日の里にしるよしして、狩に往にけり」とある日曜日は大河ドラマ紫式部の物語だ文の会のバイ様とおしゃべりで盛り上がった若紫のすりごろも
紅梅や見ぬ恋つくる玉すだれ芭蕉今日は光琳茶会MOA美術館は熱海私は品川から乗る新横浜から森金さんと、サカチカさんが乗ってくる乗ったら彼女達二人分の席も取ってほしいと言われ初めて自分で行く自由席二人の分も取らないと何を言われるかわからない緊張しつつ予定の新幹線二号車の自由席に乗り込んだ落ちついて中ほどの三人ならびの席を確保真ん中に座って左右に手持ちのバックを置く言われた通りちゃんと席取りましたぞ「席は8のabcです」ひとまず安心買ってきたサンドイッチで腹ごしらえ美味しいんだこのパン屋さん車内放送「次は静岡に止まります」静岡熱海は静岡の次かしら新横浜が近くなりまた車内放送静岡だとアナウンスするとライン「8のAは男性が座っていますが…」何言ってるのだろ切符をみると新幹線自由席特急券時間も書いてない多分静岡は熱海...見ぬ恋つくる
斎藤茂吉蕗の薹味噌汁に入れて食はむとす春のはじまりとわが言ひながら今日は木曜稽古またも大炉と逆勝手二月は逃げると言うが教える方とて逆勝手は頭を使いとても疲れる早く三月になってほしいと密かに願っている写真は春の景色田南岳璋タナミガクショウ明治9年生まれ三重県松坂出身日本画家。本名は金太郎。田中成章、幸野楳嶺、久保田米僊、野村文挙などに師事し四条派や写生的な画法などを取り入れた風景・花鳥を描く。多くの賞を重ね、日本美術協会、日月会、のち日本画会の会員。京派とも呼ばれる四条派の画法を取り入れ力強くも上品で暖かみのある画風が評価され、今も人気を集めている。とネットに出ていたが山上の家が落ちそうで不安春のはじまり
今日は水曜稽古今日は書く元気がない今年もかわりなく同じように大炉と逆勝手掛物も同じ新古今和歌集以下昨年のブログと同じで許されよ大炉の点前は何より炭手前が面白い初炭もまた後炭も面白い月はじめの大炉の茶会をインスタにアップした宜しければご覧ください写真は今日の掛物古筆筆者は一条内経一条内経イチジョウウチツネ1291-1325鎌倉時代の公卿,歌人。正応4年7月17日生まれ。一条内実(うちざね)の長男。母は一条実経の娘。正安2年従三位。権大納言などをへて,文保2年内大臣にすすみ,ついで関白となる。従一位。「玉葉和歌集」などの勅撰集に23首おさめられている。正中2年10月1日死去。35歳。法号は芬陀利華院。歌集に「内経公百首」。歌は新古今集二月雪落衣といふことをよみ侍ける康資王母むめちらす風もこえてやふきつらんか...梅ちらす風もこえてやふきつらん
北原白秋猫柳ものをおもへば猫の毛をなづるここちによき風も吹く写真は『型物香合相撲番附』西方第二段目、第四位呉須周茂叔シュウモシュク四方入角形呉須の合子甲盛り欄干に肘をついた人物が水面を眺めている姿側面は宝尽しの変形で七宝と巻物の二種が描れてる周茂叔しゅうもしゅく1017~1073宋学の開祖。池の蓮の花を愛し「愛蓮説」を著した呉州周茂叔香合は、水面に点描のあるものと無いものがあるがこの点々を蓮の花に見立て、水面の蓮を眺める人物周茂叔と連想を働かせてこの名があるため、水面に点描のあるものが好まれる。と猫柳
平兼盛わがやどの梅のたち枝や見えつらん思ひの外に君がきませる(拾遺和歌集)大河ドラマを観ている永井路子の「この世をば」上下をノロノロと何年も読んでいるが藤原ばかりで系図をみても理解できずごちゃごちゃそれが今年の大河ドラマではその小説に登場する人物が次々と出てくる俳優たちが演じるのだから理解不能だった藤原実資や古筆で重要な藤原行成も勿論実際とは異なるだろうがおおよその人物を計り、動く姿をみられる嬉しいことだ日曜のBSで見て地デジでもう一度そのあとはユーチューブのヤギシタドラマ解説かしまし歴史チャンネルなどなどをみてる平安時代の勉強中だドラマを見てから人物が浮き上がって理解しやすい拾遺抄は→藤原公任撰拾遺和歌集は→花山院の親撰だってこともようやくわかった写真は姫ホトケノザわがやどの梅のたち枝
山上憶良春さればまづ咲やどの梅の花ひとり見つつや春日暮らさむ山上憶良ヤマノウエノオクラ奈良時代の万葉歌人。遣唐少録として入唐。伯耆守、東宮侍講、のち筑前守。筑前守時代に大宰帥大伴旅人と交わりを結び、儒教・仏教・老荘などに強く影響を受けた、思想性の濃い主題の歌(「貧窮問答歌」など)を作った。他に漢詩、漢文、「類聚歌林」の編著がある。斉明天皇六~天平五年頃(六六〇‐七三三頃)(日本国語大辞典ヨリ)今日は日曜日お弟子様の森金さんがやって来た今日は暖かくなると言っても午前中の我が家はとても寒い我慢して打ち合わせお昼はお餅を焼いて食べた一日は早い明日の支度もあるから余計いちにちは早く過ぎるまず咲く宿の梅の花
大伴家持うち靡く春ともしるくうぐひすは植木の木間を鳴きわたらなむうち靡くウチナビクとは「うち」は接頭語草木、髪などがさっと横に伏せる。今日はサカチカさんちの正午茶事寄付の軸は松本一洋待合は常信本席は近衛家の十六代写真の花は黒文字と賀茂本阿弥椿花入はサハリ近衛家当主15近衛尚通コノエヒサミチ諡号後法成寺16近衛稙家コノエタネイエ17近衛前久コノエサキヒサ一字名:竜・山・杉・春道号:竜山(龍山)18近衛信尹コノエノブタダ信基(初名)→信輔→信尹諡号三藐院19近衛信尋コノエノブヒロ二宮(幼名)→信尋→応山(法名)20近衛尚嗣コノエヒサツグ尚嗣→大元(法号)21近衛基熙コノエモトヒロ号:悠見、一字名:悠・菊22近衛家熙コノエイエヒロ豫樂院(号)23近衛家久コノエイエヒサ24近衛内前コノエウチサキ25近衛...うち靡くウチナビク
好忠山里の梅の園生に春日すら木づたひ暮すうぐひすの聲好忠とは曽禰好忠ソネノヨシタダ生没年不詳平安中期の歌人丹後掾(じよう)であったので曽丹・曽丹後ともいう。昨日は木曜稽古だった最近はずっと早起きだ五時から五時半までには起きる早起きでも朝は弱いのでボーッと新聞やビデオを眺めてるそして大体七時頃から動き始めるのだだから自ずから夜も早くなるようだお茶の稽古の日は別だがだいたい午後八時頃には眠たくなり九時か十時にはもう寝てるよく寝たぁと思って目覚めるとまだ十一時半二回目起きるとまだ夜中の二時祖母の生活を思い出した今の私と同じようだったあまり眠れず早寝早起きだ歩くのがゆっくりになったり集中力がなくなり休み休みでないと何でもできなくなったり足元がいつもフラフラ掴まらないと転びそう何事も去年はできても今年はできるとは...梅の園生
枯笹や氷室すたれし蕗の薹犀星室生犀星ムロウサイセイ詩人、小説家。石川県金沢出身。本名照道。金沢高等小学校中退。幼少時から辛酸に満ちた生活を送ったが、東京の雑誌に詩を投稿し、みとめられて上京。北原白秋・萩原朔太郎・山村暮鳥らを知り、作家生活にはいる。「愛の詩集」「抒情小曲集」で詩壇にその地位を確立。のち小説も発表。作「性に眼覚める頃」「あにいもうと」「かげろふの日記遺文」など。明治二二~昭和三七年(一八八九‐一九六二)(ウィキペディアより)今日は水曜稽古二月は大炉と逆勝手の点前思い出しながらやってる写真の筆者は久隅守景唐子の絵古筆了音の極めあり子供は春の取合せに使うというほのぼの【久隅守景】は江戸前期の画家。通称、半兵衛。号、無下斎、一陳翁など。江戸に住み、のち加賀へ移る。狩野探幽門下の四天王の一人で、のち...枯笹や
白梅や青蓮院の屋根くもり芥川龍之介この青蓮院とは京都市東山区粟田口にある天台宗の青蓮院門跡寺院だろう開山は伝教大師最澄青蓮院は、山号はなし本尊は熾盛光如来国宝「青不動尊」が有名だ大日如来の化身が不動明王で不動明王は五色あり青が一番上位だそうだ青蓮院は紫兎先生と何度もご一緒した東山周辺は懐かしいサントリー美術館では四百年遠忌記念特別展大名茶人織田有楽斎開催中2024年1月31日(水)~3月24日(日)読売新聞の写真有楽が所持したと伝えられる茶道具の名品が展示されていると写真に出てる青磁茶碗は東博のと同系だろうか見てみたい日曜日は五島の茶会だったので展示の茶道具の取り合わせを同行のヨーさんと拝見したが係の人がすぐ駆けつけ静かにとまたもいわれた素晴らしい道具を見れば誰だって声を出したくなるものだましてや友人がい...白梅や
梅の宿残月硯を蔵しけり夏目漱石今日は旧暦の一月三日夜空にはかうかうと三日月が浮かんでるらしいテレビ画面の月を見た今日は古筆のお勉強会いつも渋谷で乗換える工事中の渋谷駅、駅の中はごちゃごちゃでスムーズに進めない足元も危ないこの頃は山手線のホームからハチ公口の改札口を出てハチ公を横に見ながら急ぎ足で進む信号を渡りエスカレーターで井の頭線に乗りかえる今日は祭日ゆえか渋谷は凄く混んでた写真は井の頭線の渋谷駅改札口を出たところにある岡本太郎の「明日の神話」古筆家は江戸時代を通じ古筆鑑定の家として栄えた初代は古筆了佐、本名は平澤範佐、近衛前久より鑑定の伝授を受け、豊臣秀次より鑑定書に押す「琴山の印」と「古筆の名字」を受けた古筆家は昭和の初めまで鑑定に関わり「平澤了任」が最後の当主となり、廃業したと梅の宿
帚木の心を知らで園原の道にあやなく惑ひぬるかな(源氏物語)近づけば消えるという帚木のような、あなたの心も知らないで近づこうとして、園原への道に空しく迷ってしまったことです今日は五島美術館でお茶会昨年の「和」12月号の特集源氏物語の茶会寄付は土佐光起の長男、土佐光成筆ミツナリとかミツシゲとも江戸初期から中期に活躍描かれているのは石山寺の紫式部紫式部は中宮・彰子の為新しい物語を作ることになり石山寺に七日間参籠したその際まず青年貴族が都から遠く離れた須磨で月を眺め、かつての暮らしを恋しく思うシーンを構想そこから物語を書き始めたと寄付の絵の一部が和の表紙になっているとのお席主の話し本席床は後醍醐天皇宸翰吉野切「おもひきやいのちをきわのあるままのよその契りとならむものとは」花入認得斎作竹一重切銘宮柱花鶯神楽光源氏...帚木の
北原白秋猫柳春の暗示のそことなくをどる河辺を泣きてもとほる「高野切」の高野は高野山(こうやさん)のこと。この古筆の一部が一時、高野山にあったことから、この名がつく豊臣秀吉が、比叡山など寺院を焼き討ちしていた時期、高野山文珠院の高僧の木喰応其(もくじきおうご)だけは、秀吉を説き伏せ、焼き討ちを免れた。その時、秀吉から巻9の一部が、高野山にもたらされたと。高野切は905年に編纂された「古今集」を書いたもの。紀貫之が清書して醍醐天皇に献上したと言われる最初の333古今集20巻(奏覧本)は12世紀頃までに焼失した。現存する最古の古今集の写本が高野切。1049年頃に書かれたと言われてる。書かせたのは、藤原道長の子、藤原頼道。以後、近衛家に代々伝わる。第1種=藤原行経第2種=源兼行第3種=藤原公経と料紙は麻紙(まし)...春の暗示のそことなく
白魚や美しき子の触れて見る漱石今日は区役所とクリニック一月から鼻がぐずぐず目がかゆいくしゃみをしたら止まらない花粉症だ飲む薬、目薬、点鼻薬をもらって帰った家にお客さんが二人午前10時にケアマネさん午後2時に保険屋さんそのあと郵便局と魚屋と肉屋に買い物お茶の用事はないがその他の事でもけっこう忙しい写真はクリニックに飾ってあったミュシャアルフォンス・ミュシャ1860年7月24日-1939年7月14日)チェコ出身でフランスなどで活躍したグラフィックデザイナー、イラストレーター、画家アール・ヌーヴォーを代表する画家で、多くのポスター、装飾パネル、カレンダー等を制作した。ミュシャの作品は星、宝石、花(植物)などの様々な概念を女性の姿を用いて表現するスタイルと、華麗な曲線を多用したデザインが特徴である。イラストレーシ...白魚や
宮沢賢治ひるもなほ星みるひとの眼にも似るさびしきつかれ早春のたび今日は木曜稽古先週掛けるつもりだったが掛けそびれてしまった「懸想文売り」懸想文とは平安時代から江戸時代にかけて流行った恋文のこと。その懸想文を売る人物が京都西天王須賀神社節分祭にあらわれる懸想文売りは烏帽子に水管姿で節分と前日の二日間、節分祭のときだけあらわれる今年は2024年2月2日(金)、2024年2月3日(土)【次回開催予測:2025年2月上旬頃】京都府京都市左京区聖護院円頓美町1懸想文を鏡台や箪笥の引出しに人に知られないように入れておくと、顔かたちがよくなり着物がふえて良縁があるといわれている。節分の須賀神社一度行ってみたいけども星みるひとの眼にも似る
雪解や妹が炬燵コタツに足袋タビかたし蕪村今日は出稽古クマしょうさんのお宅で七事式掛け物は「喫茶去」中国・唐時代の趙州従諗禅師のはなし新しくやってきた二人の行脚僧に、趙州禅師が問われた。「貴公、前にもここへ来たことがあるか?」「いいえ、ございません」「うむ、下がってお茶を飲みなさい」もう一人にも、問うた、「前にもここへ来たことがあるか?」「はい、ございます」「うむ、下がってお茶を飲みなさい」院主(寺の寺務局長)が趙州禅師にたずねた。「初めての者に茶を飲みに行けと仰せられるのはよいとして、前にも来たことのある者にも、なぜ、茶を飲みに行けと仰せられるのですか?」すると、趙州「院主どの!」院主「ハイ!」趙州「うむ、茶を飲みに行きなさい」(小川隆『中国禅宗史』)雪解や
素性法師春たてば花とや見らむ白雪のかかれる枝にうぐひすの鳴く今日は招かれて茶事へ午後から雪になるとの天気予報時間短縮に後炭を略しましょうかとのご亭主に私はいい人ぶって略されてもいいですよと言いそうになったがすぐさまお詰めの三鳥さんは速やかに行動いたしますので後炭をお願いいたしますと言ってくださった嬉し何事も素直が一番だが私め中々素直になれない正午茶事は後炭あってこそふさふさと雪が降り始めた露地の景色を眺めつつ茶事の沼に浸るのだわが日常とははるかに違う非日常のなんと、風雅なこと写真は待合の大きな雛壇どーんと空間を占めているとても大きい人形もお道具も大きい出し入れが大変だとか雛壇と毛氈などは別で十四の箱に収納されているそうな麗しいまたお招き下さいませ春たてば
春立つや六枚屏風六歌仙虚子今日は立春昨日は茶会駅までをタクシーに乗った着物を着ていたからかタクシーの運転手さん「この前浅草へ行って、昔行った食べ物屋さんに寄ったんです。その行き帰りやまわりの人、結構着物を着てるんですよね観光客や外人など大勢いましたよ」自分「日本は良いもの沢山ありますからねみんなに経験してほしいですね。」タク「そうですね、でもあれだけはやめてほしいと思いましたよ」自分「何ですか」タク「綺麗に皆さん着てるのに、習ってないんですかね、すごい歩き方」タク「お相撲さんみたいに、ガリまたなんですよ」自分「はーそうでしたか」お金を払ってタクシーを降りたエレベーターまでの数メートルかつてなくしずしずと外股に気をつけて歩いた写真は昨日の柿伝の煮物椀春立つや
紀貫之袖ひちてむすびし水のこぼれるを春立つけふの風やとくらん今日は節分御弟子様のひとりがお寺で豆まきをするとか裃姿の写真がきた目出度い明日は立春今日は茶会日本陶磁協会主催の「お茶とお酒を愉しむ会」本席の床は川端康成「面白」花入は火だすき金重有邦作花は曙とこぶし釜は高橋敬典作炉縁は紅溜塗三代村瀬治兵衛作風炉先桑縁神代杉菅原伸一作水指丹波イッチン市野雅彦作茶器池田巌作茶碗楽直入加守田障二今泉今右衛門伊勢崎晃一朗加藤清之原清鈴木三成中里隆竹中浩鈴木五郎小池頌子小川待子前田正博川瀬忍金重有邦三輪休雪滝口和男三原研市野雅彦鈴木徹伊藤秀人新里明土和田的桑田卓郎茶杓銘「翁」堀口捨巳作建水銀六角捻長野烈作お菓子は源太の常磐饅頭写真はお酒の席のお食事一人ずつ小山富士夫作のぐい飲みでお酒を頂戴する私のは皮クジラだったあと煮物...春立つ今日の風やとくらん
節分や八百八町月の辻喜舟野村喜舟ノムラキシュウ1886-1983俳人。本名喜久二キクジ。石川県金沢市生まれ。東京市小石川の砲兵工廠に勤務。夏目漱石門下の松根東洋城に師事、「国民新聞」の俳句欄で活躍。東洋城の主宰する「渋柿」に創刊時から選者として参加。1933(昭和8)年に小倉工廠に転勤となる。52年から76年まで「渋柿」を主宰した。節分は、雑節の一つで、各季節の始まりの日の前日のこと。節分とは「季節を分ける」ことも意味している。江戸時代以降は特に立春の前日を指す場合が多い。太陰太陽暦では、立春に最も近い新月を元日とし、月の満ち欠けを基準にした元日と、太陽黄経を基準にした立春は、ともに新年ととらえられていた。(ウィキペディア)写真は庭のカンアオイ五種類あるようだ八百八町月の辻
今日は木曜稽古二月になった掛けものは梅の和歌旅宿梅基弘草枕仮寝の床の匂ふかな軒端の梅や盛りなるらむ筆者は二条基弘二条基弘ニジョウモトヒロ1859-1928明治-昭和時代前期の華族。安政6年10月25日生まれ。九条尚忠の8男。明治4年二条家をつぐ。17年公爵,23年貴族院議員,40年宮中顧問官となる。昭和3年4月4日死去。70歳。藍の染紙に優しい仮名文字読みやすい風情のある軒端の梅が浮かぶようだ軒端の梅や
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10/2gooブログが終了しますのでアメーバブログに移転予定です引っ越しするのに自分では出来かねまして専門の方に頼んでおりますのでそれまで少しお休みさせて下さい5月は薫風自南来気持ちよい風に吹かれて美味しいものを食べたい麗しいお道具を拝見したいと願ってる毎日です写真は綱島のフクモトの御料理薫風自南来
今日は火曜日鶯谷で皆さんと待合せ東博特別展へ「蔦屋重三郎コンテンツビジネスの風雲児」吉原大門を入ると吉原大通の桜が出迎えるいい気分出口近くには耕書堂の店大川端から花火も見れるいい気分だ平成館2025年4月22日(火)~2025年6月15日(日)「一目千本」と「写楽」を前期21作品をたっぷり拝見他のは通りすぎるだけだったお昼はホテルオークラガーデンテラスで三時は松坂屋の二階のカフエケーキが凄くフルーツたくさんでも高いけど珈琲SETとお喋り楽しまた行きましょう東博へ東博へ行こう
名にし負はばいざ言問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと伊勢物語の9段『東下り』今日は茶会大磯の松月茶会へ薄茶席担当のお道具屋さんからご案内初めて参加す風情がある料亭での茶会雨の予報だったが曇晴れ上等濃茶席は胡銅花入に牡丹薄茶席は竹花入にもみじと木苺写真は今日の点心だ名にし負はば
今日は東美で和美の会へわりと空いていた感じ森金さんと待ち合せエフ先生と合流茶入茶杓を目的にとアッチコッチへうろちょろカタログにはあったが実物は売れてしまったのか姿が無かった江戸初期の茶杓は高い案外、茶入は安く買い時かもでも私は何も買えないけども楽しかった帰りはビールで乾杯しようかビアホールはシニア風な人々で溢れるばかり満員凄いエネルギーが充満してる感じみんな元気でいいね!東美和美の会
咲く花は八重か一重かおぼつかなおぼろ月夜の山蔭の道自画賛阪正臣筆4月8日火曜日はお釈迦様の誕生日その日は森金さんの水屋4月9日水曜日は大仏の日熊ショウさんちで七時式4月10日は村雨庵の稽古日明日はまた森金さんの水屋土曜日は和美の会日曜日はサカチカさんの水屋4月は何かとあわただしくこの後もずっと予定が詰まっている良いような悪いような突き進むしかないが出来なくなったら自然に止むはず咲く花は
たんぽぽや折々さます蝶の夢加賀千代女土曜日は茶事手伝い昨日の日曜日は倍様と文の会前回は1月なので久しぶり伊勢物語を音読お昼はいつものイタリアンいつもの前菜とワインそれにパスタ2種いつもでも支払い金額はだんだん増えてる新しいエアコンを買ったので午後から取付作業前のエアコンを外す我が家は古い家軒が出ている長押ナゲシの上の壁に穴をあけて一度軒ノキの上に出し軒ノキを下にと穴を開けパイプをとおして外に出す直角に曲げるので古いエアコンを外すときも据えるときもそれが大変電気屋さんはいつもの電気屋さんがお歳でお店を閉じてしまったので同じような方を紹介してもらったどうも私と同年代20キロのエアコン担いで脚立にのって一人で作業するのだが四苦八苦危うく落としそうになるので思わず下からエアコンを支えた順調にはいかない「どうぞ勉...タンポポや
今日はサカチカさんと銀座谷庄の茶会へ買うものは無いし見るだけだそれでも楽しいお互いどこかでお目にかかったようなと目が合い先日の柿伝の茶飯釜でご一緒だと気がついたまた護国寺で御目文字した竹とんぼさん達ともご縁ですね思いがけぬ場所での遭遇は嬉しいその後は歩いてぜん屋へ雨草履を買うつもりが低反発の草履を買ったそして歩いて「司」へ見るだけそれから歩いて京橋の「婆娑羅」で昼食ここは美味しいオープンキッチンでよくみえるそして歩いて東京駅大丸のイノダへ我慢できずケーキセット今日はよく歩いたらしく足裏に豆ができた有楽町、銀座から京橋、東京駅
花冷やはるかに燃ゆる花篝草城昨日は火曜日火曜日は南方録のお勉強今回は覚え書二十一飯台は机の如くして2人3人4人も台一つにて食する、これ禅林日用の作法なりしかるを紹鷗、宗易、大徳寺、南宗寺の衆を茶の時、折々飯台を出されしなり2畳3畳4畳別して四畳半によし茶立口の他に今一つ口ある座敷ならでは茶立口より出し入れは好まざることなり亭主まず台を座へかかえだし布巾にて清めさて食の椀に物相の飯を入れ蓋をし下に汁椀を重ねかくの如く客の数次第、引き盆に並べる出て台の上に上げ汁は汁次にて出す菜も鍋にても鉢にても出すその品次第の見合せなり酒は一、二返にてすむべし食椀の蓋にしたるものにて飲むなり客の食いよう別してきれいに喰うべし惣じて飯台の料理は殊更軽くすることなり汁一つ菜一つ、強いて二つ、茶うけのものなど出さざるもよしまた一様...花冷えや
今日はエイプリルフール4月の冷たい雨が降って懐炉を持っていないことに悔やんだ昨日はお茶碗研究会仁清乾山どの分野でもそうだがわかっているようでまだまだだと思い知らされる古清水は仁清以後~奥田頴川以前とか道具屋筋は明治でも古清水と言うと奥田頴川はトーハクに呉須赤絵の重要美術品色絵飛鳳文隅切膳がある陸方山とも号した建仁寺の南に開窯明の渡来人の子孫中国意匠の作品が多い特に呉須赤絵を得意京焼に磁器を導入,京焼黄金時代の因となった今日は読売カルチャーの南方録へ奥田頴川オクダエイセン
西行おしなべて花のさかりになりにけり山の端ごとにかかる白雲今日は川崎で食事会12名が賑やかにお喋りワイワイとお酒を飲んであっという間にお料理が並んだが誰もがムシャムシャ完食した身体も胃袋も元気帰りにお花見しながら帰ると言う人もみんな元気だねえ明日も元気で出かけようじゃないのおしなべて
今日はサカチカさんの茶事私は玉ちゃんと水屋担当今日の茶事は飯後の茶事菓子の茶事とも言う茶事は食事をお出しする朝茶正午夜咄の茶事が一般的だが飯後はその言葉どおり食事の合間にする茶なので3時間以内でするすると進めるでないとその後の食事にさわり不都合となる汲み出初炭香合をご覧に入れてその後吸い物八寸菓子椀中立となる後座の床は花となり続き薄茶でお開きだどんな茶でも一献あればそれは茶事になるとエス先生は仰ったお酒ばかりでは宴会と変わらない何事も程ほど写真は待合の床田中訥言筆「猫に蝶図」復興大和絵の祖といわれる江戸後期の画家中国では猫と蝶々の取合せは長寿を表す猫と蝶々の中国語maoとdieは70歳と80歳の発音が似てるそうなと亭主サカチカさんのお話しありサカチカサンノ飯後の茶事
桜狩り雨は降りきぬ同じくはぬるとも花の陰にかくらむ正二位季忠七十二歳画並書藤浪季忠フジナミスエタダ昨日はうちで茶事だった後期高齢者にしてはオーバーワーク亭主は身体と頭をフルに使うこと・1ヶ月前から手紙を書く・前日までに庭の点検(前日前には蹲や庭をする綺麗に掃除、枝をととのえる)炭を洗っておく・前日には茶事の道具箱から棚に並べる掛軸を掛ける(当日でも可)・当日2時間前に来て水撒き30分前にも水撒きする暑くなると15分前にも水撒きあとはいつものように炭、濃茶、薄茶の準備腰掛と待合の火入を出汲出を用意しておくお客様が挨拶に見えたら→汲出を出して「お腰掛けまでお出ましを」お客様が腰掛けに移られたら迎付け濡れ釜掛けて手掛かりを開ける挨拶→初炭手前炭斗下げたら後炭の用意炭道具はまだ乗せない後座の花を見積る香合をご...桜狩り
藤原良経春風の吹きにし日よりみ吉野の雪間の草ぞ色まさりゆく今日はほの暖かい春風が心地よい明日は自宅で社中の茶事だベテランの御弟子様たちは各自で茶事をひらくがコロナ禍前後に入門した若い御弟子様たちは安居の会という村雨庵の茶会を19回ひらいたがそれは虫養いムシヤシナイと菓子のあと中立濃茶後炭薄茶と続く小寄せの茶会懐石の部分を経験していない招待の手紙を出すところから始まりつくばいの掃除海の石を取り出し底をよく掃除回りの木々を整え庭の掃除わが家の濡れ縁を腰掛代わりにしているので外から窓を拭き網戸を拭きぬれ縁を拭いてもらうとっても助かる家の回りが清められて気持ちが良い炭を洗ったし明日の準備は良いかしらね亭主は暮れちゃんお客様は三名水屋は二名自分のおうちから道具を何回か運んだこの和歌は九条良経くじょうよしつね嘉応元~...春風の吹きにし日より
今日は広尾の茶会へ先月も伺ったが結構なお道具が出て勉強今日も尊円法親王の和漢朗詠集の3月3日「春来遍是桃花水不辨仙源何處尋」王維書き下し文は「春来っては遍ねくこれ桃花の水なれば仙源を弁(わきま)へず何れの処にか尋ねむ」王維十九歳陶淵明の影響を受け詠む「桃源の行」の一節尊円法親王は伏見天皇第6皇子。永仁6年8月1日(1298年9月7日)-延文元年/正平11年9月23日(1356年10月17日))は、青蓮院第十七世門跡。茶会は遊びのようで遊びでないかも濃茶のお菓子は富ヶ谷の岬屋金団薄茶のお菓子は伊織春来遍是桃花水
起きよ起きよ我が友にせん寝る胡蝶芭蕉今日はいつもの茶事水屋手伝いなー朝から春の明るい日射し何年か前は足が大変だったが元気になってよかったですねとご正客の言葉に膝が悪く辛い日々を思い出した喉もとすぎるとすぐ忘れる鈍感力起きよ起きよ
19日と20日は村雨庵の稽古日釣釜と透木釜どちらでも炭手前を出来るように稽古二碗物の茶通箱に続き薄茶教える方も習う方も能がよく働く茶通箱に利休好み薬籠蓋に仙翁好み桟蓋と玄々斎好み出会い桟蓋がある出会い桟蓋は持ってないので桟蓋の茶通箱で稽古茶通箱は焼物の茶入と棗を袋に入れた茶入を入れ薄器は棗と形の違うものを稽古では四滴の中から選んで使うはじめの濃茶を飲み茶名を伺うまではよいがそのあと正客はのんびりとしてるわけにはいかないよく言う茶巾袱紗で「今一種」塵打ち聞いたら出会いで返す二碗目の加減を問われて水が入ると「後の茶名」「前の茶入お仕服拝見」茶碗返しつ茶入に仕服を引く茶筅清めば拝見をする水指の蓋で拝見かけてそれを引くとき茶入仕服を返すというわけで気を抜く暇はない茶通箱
寄付は短冊森金さんが福田行雄先生より頂戴したもの待合は狩野派の桜に霞本席はお公家の桜の懐紙春永のひねもすをのたりとすごされてらっしゃるご様子楽しそうなお声が途切れない今日は4時半に起きたそろそろ眠たし昨日の茶事先生がそれでは春永ハルナガにお目にかかりませうと春分がすぎ日が長くなったらとのことだ是非とも森金さんの飯台茶事
今日は柿伝の茶飯釜の茶事初炭は管炭と枝炭は残し増やしたぎっちょと割りを丸くつぐサラサラと釜にお米を入れ炊ける間に香合の拝見あっという間にご飯は炊き上がり香ばしい良い香りが広がるまず一口の嬉しい時間だ今日は彼岸の入り生きてる生かされていることに感謝した一日写真は新宿のホームお茶らしい写真を撮れず茶飯釜の茶事
朝から雨だ今日は五島美術館美の友の茶会早めに行ったので44番三席目に入れた濃茶席は高野切の二の手水指はノンコウの桐紋薄作だそうだがこの茶会では何度も拝見する茶入は住吉茶碗は井戸九重茶杓は空中作釜はあられ釜五島の美の友には20代に入った昔のこの茶会は道具にたいして敬意をひょうし紋付きでと先輩にご指導あったが時代ともに色々変わる現在も全てが変更中振り落とされないようにしっかり五島美術館美の友茶会
今日は昔の友人と食事会お互いに誕生会を開いて60年今回は京橋の婆娑羅ランチ3,410円トマトすき焼が有名とか私は魚ゆっくり贈り物交換などは出来ないが美味予算内で友人の一人が肉が全てダメで場所を探すのも大変年に三回だから次からは金額はほどほどなら良い何でも値上がりこのご時世三千四千円ではなかなか難しいお昼のあとは銀座五丁目のトリコロールのケーキセット1,670円すごく良いのだがすごく混んでるそして外人が多い階段でならんで待つひたすら待つ次は山の誕生会六月予算が上がってどこになるかな楽しみ京橋~銀座
大伴旅人橘の花散る里のほととぎす片恋しつつ鳴く日しぞ多き今日は跡見の茶事水屋は大したことをしないが私めは一応水屋担当茶会には7種類の方式がある茶事七式という暁の茶事、朝の茶事正午の茶事夜咄の茶事不時フジの茶事飯後ハンゴの茶事跡見アトミの茶事今日はその跡見茶事朝茶事または正午茶事の後引き続き行なうまたは日時をかえて行う茶事参会できなかった招待者や当日招待されなかった人々の申込みにより茶事の趣向や道具を使って披露ただし懐石は同様にせずその時々で考慮する融通無碍な茶事だ下記は2016/3/5の拙ブログの記事跡見の時知らせの鳴り物うたぬ事なり鳴らさぬように客は早くはいる濃茶の後炭が良さそうなら続き薄茶立ち炭をしても良い中立なくば諸荘又は濃茶の後花を軸に買えてもよし軸の所望をしても良い茶の順などは決まってなく薄...たちばなの花散里
藤原有家後の世を知らせがほにも篝火のこがれて過ぐる鵜飼舟哉藤原有家フジワラノアリイエ久寿二~建保四(1155-1216)藤原重家の3男。母は藤原家成の娘。従三位,大蔵卿となる。六条家の有力歌人で,和歌所寄人,「新古今和歌集」撰者のひとりにえらばれた。「千載和歌集」以下の勅撰集に67首がはいる。今日は水曜稽古届いたお菓子は練切の撫子と生麩まんじゅう夏らしい美味しかった写真はうちの猫ミーちゃん後の世を
樋口一葉飛鳥川あすは知らねど水色に今日はにほへるあぢさゐの花昨日の話し昨日は土曜日銀座の古美術店の茶会があると先生からのお誘いあり12時の席入夏向きの設え狭いが茶の雰囲気はたっぷりだ使われた道具は手にとって拝見したその後もう一軒目の茶道具店のお茶会茶道具の拝見箱も回ってくる私の他は皆さんそれぞれお買い求めなさってご満悦何か欲しかったけど家の道具の山をみるとくじけたあすは知らねど水色に
明易きみずに大魚の行き来かな龍之介茶道具にも色々あるが棚は実に嵩張る特にわが家ては紹鴎棚の収納に困ってる前に紫兎先生から譲って頂き炉の季節に使ったが日常に使えず階段下の納戸に入れたり障子の後ろの廊下に置いたり出すのも大変仕舞うのももっと大変差し上げるからと言ってもお弟子様やお友達快い返事はない紹鴎棚はちょっとした家具和室においても違和感無い炉開きや初釜に相応しい塗師は茶平一斎だし良いものですよ勧めるがなかなかこの棚は二年前の茶会で使ったあと桐の箪笥のような外箱に入ったまま四畳半の隅にずっと置いてあるその上には座布団やら紙袋お習字の紙などなど山積みになっている酷い状態だダメもとで若いお友達のシモちゃんに声をかけると欲しいと言う返事気の変わらない内に早くとりに来てと思っていたら金曜日行きますとライン今日の午後...明易きアケヤスキ
紫陽花に雫あつめて朝日かな千代女今日は小熊の会七事式の稽古「花月」「且座」「廻り炭」「廻り花」「茶カブキ」「一二三」「員茶」今日は「且座」のお稽古花・炭・聞香・濃茶・薄茶の順且座之式は、臨済宗の宗祖臨済義玄の語録「臨済録」の「且座喫茶」からとられた雫あつめて朝日かな
与謝野晶子六月は酒を注ぐや香を撒くや春にまさりて心ときめく三井記念美術館展示室1にあった黒楽茶碗重要文化財「俊寛」シュンカン俊寛は平安時代の僧侶。僧都。康治2(1143)~治承3(1179)祖父は大納言源雅俊。父は仁和寺法印寛雅。後白河院の信任を得た。藤原成親,師光らは俊寛の鹿ヶ谷(ししがたに)の山荘に会合して平氏打倒のための相談をしたが(→鹿ヶ谷事件),多田行綱の密告によって発覚し,治承1(1177)年6月逮捕されて共謀者藤原成経,平康頼らとともに薩摩鬼界ヶ島に流された。翌年中宮御産の大赦により,成経と康頼は京都に召還されたが,俊寛は許されずに島に残された。俊寛は能の曲名でもある。四番目物。五番立の能の神,男,女,狂,鬼の狂にあたる。中宮の安産祈願のため,大赦を伝える赦免使(ワキ)が鬼界ヶ島へ下る島では...六月は酒を注ぐや
与謝野晶子円山の杉のみどりの蔭に吹く真葛が原の六月のかぜ今日から六月六月朔日ツイタチは鮎の日、気象記念日、牛乳の日、矯正歯科月間の日、景観の日、国際親の日、総務の日、チューインガムの日、電波の日、バリ舞踊の日、防災用品点検の日、リードオルガンの日一年は早い半年はすぐくるひと月はまばたき一日はもちろん一生は六月のかぜ
五月雨や色帋シキシへぎたる壁の跡芭蕉今日は東京大丸のサバティーニでいつものメンバーとランチその後は三井記念美術館へ展覧会は茶の湯の美学利休・織部・遠州の茶道具6月16日まで○展示室1・黒大棗千利休在判桃山時代○展示室4・紹鴎黒大棗秀次室町時代○千利休在判の茶道具・黒中棗追銘影法師利休在判宗旦極書(桃山)・黒中棗金砂文字入利休直書、隨流斎直書在判・町棗千利休在判また・伝盛阿弥造の一文字椀展示室6・利休形茶器十二桃山時代、江戸初期の棗は四百年を経てもなお形良く艶があり美しい棗写真はランチの前菜五月雨や
今日は木曜稽古を休んで村雨庵四十五周年記念食事会村雨庵の茶道教室をひらき今年の三月で四十五周年五年毎に茶会をひらいていたがもう茶会はしないから美味しいものでも皆で食べよう場所はいつもの綱島のふくもとかつては村雨庵にお稽古に来ていたお二人にお世話になり美味しいお料理と美味しいお酒まずふくもとさんからの見事なご挨拶に思わず落涙幹事の森金さんのスムーズ司会慣れてる乾杯の挨拶は今年米寿の数先生生き方も立派挨拶も立派です初めの一杯で真っ赤なお顔のアイテラ氏はじめからお開きまで休まずお喋り話すこと沢山あるんだ写真はお店の床に掛かってた一行徳は孤コならず必有隣ヒツユウリン(論語)徳は孤ならず、必ず隣あり徳のある人には、必ず理解者や協力者が現れる、ということ。徳のあるなしに関わらず理解者や協力者、楽しい仲間と一緒にお茶を...徳不孤必有隣
杜若にたりやにたり水の影芭蕉今日はお茶碗研究会高取、上野アガノ、八代、小代焼先月は薩摩、その前は唐津を勉強した九州は今月で終了来月は萩焼だ高取焼は黒田長政が招いた朝鮮陶工八山(高取八蔵)が永満寺・宅間に窯を築いたのに始まる黒田藩の御用窯だが窯場は時代で変わる古高取と言われる永満寺・宅間窯、内ヶ磯(うちがそ)窯、山田窯内ヶ磯は織部好遠州高取は白旗山窯で焼かれた上野アガノ焼は細川忠興が文禄・慶長の役で招いた朝鮮陶工尊楷ソンカイ(上野喜蔵)が釜の口窯に窯を築いたのに始まり細川家、小笠原家の藩窯として栄える九州のこの辺りの焼物はとても好きな焼物だがその歴史というと私には難しい一度も行ったことが無い土地勘がないからなのか難しい水の影
みじか夜の闇より出て大ゐ河蕪村土曜日の茶事の花茶事の花はその日の朝の花溜めから集中して花を選ぶ亭主の真剣な顔も茶事ならでよく入ったら傍らでみても安堵するみじか夜の
三井寺や日は午ゴにせまる若楓与謝蕪村今日はお弟子様の茶事の水屋へ初風炉の正午茶事挨拶のあとは懐石定石どおりに終わり四つ椀が戻る初炭手前があるのでそのあいだに道具を洗い片付けた焦らずともよく気分が良い懐石の箸洗いは何にしますか一汁三菜のあと改めて八寸を持ちだし千鳥の盃となるがその前に箸を洗い、口中を清める主客献酬のための「箸洗い」中身は使用した材料の一部梅肉のへいだもの海藻類の一片種子の核など箸にかかるかかからぬ程度のものをごく少量お湯仕立てと言われるくらい薄味の清し汁にする箸洗い小吸い物は美味しくしては良くないと習った今日の箸洗は水前寺海苔蕗→三月~春花山椒→四月つくし→春篠竹→春山葵の芽、花、葉→春海藤花→四月独活ウド→三月~五月ちぎり梅→二月、六月茗荷→初夏青梅→六月鱧の笛(ハモの浮き袋)針生姜→...三井寺や日は午ゴにせまる
池五月雨晴れやらぬ池の□のいぶせさも濁るに見ゆる五月雨のころ宣長□は読めないいぶせさ→鬱陶しい本居宣長モトオリノリナガ享保15年5月7日(1730.6.21)~享和元年9月29日(1801.11.5)18世紀最大の日本古典研究家。伊勢国松坂の人。木綿商の家に生まれるが、医者となる。医業の傍ら『源氏物語』などことばや日本古典を講義し、また現存する日本最古の歴史書『古事記』を研究し、35年をかけて『古事記伝』44巻を執筆する。主著は他に『源氏物語玉の小櫛』、『玉勝間』、『うひ山ふみ』、『秘本玉くしげ』、『菅笠日記』など。鈴と山桜をこよなく愛し、書斎を「鈴屋」と呼び、また山室山にある奥墓には山桜が植えられている。(本居宣長記念館のホームページより)晴れやらぬ
杜若にたりやにたり水の影芭蕉火曜日出かけるつもりだった三井記念美術館の「茶の湯の美学」利休織部遠州の茶道具2024/4/18(木)〜6/16(日)10:00〜17:00桃山時代から江戸時代初期、茶の湯界をリードした、千利休・古田織部・小堀遠州の美意識を、三井家伝来の茶道具のなかから探ります。千利休の「わび・さびの美」、古田織部の「破格の美」、小堀遠州の「綺麗さび」、3人の美意識を以上のようにとらえ、書画、茶碗・茶入・花入・水指・釡・茶杓など、各人の美意識から生まれた茶道具の名品・優品を多数展示いたします。と美術館のホームページにあったが夏用の着物の裾上げなどしてたら時間がかかり過ぎて出かけるのはやめた残りの時間は昼寝とおやつ水の影
草の雨祭の車過てのち蕪村今日は月曜日巻さんが灰型の勉強にみえた私は灰型が苦手風炉の時はどうしても嫌だと避けるわけにはいかずやむを得ず眉風炉と道庵風炉の二文字をつくり続けてる私のお茶の先生は灰型大好きいつまでもやっていたいそう仰っていたが無理まず灰を細かい篩でこすこれが案外重要だ台所のお料理のザルなどでは目が荒く灰匙で押してもサラサラ壊れてしまうから必須前の谷以前習ったときは左から中央へ三匙で仕上げ次右から中央へこれまで三匙もう触らないと習ったがそれは案外難しいカルチャーでご指導受けた先生は同じ場所だったら何度でも灰匙を引いていいとのことだ内容は先生によって色々自分に合ったようになさるべく私は時間を短縮するを優先し多少整っていないのには目をつぶる几帳面かズボラ器用かどうかは十分関係あるだろうが治らないものは...草の雨
サリーちゃんのパパが豆腐を買うぜい佐理、東風、行成三跡小野東風894~966野席藤原佐理944~998佐跡藤原行成972~1027権跡894遣唐使廃止その100年前は794ウグイス平安京894から50年経ち佐理が生まれる行成は道長の亡くなった同じ日に亡くなった写真の扇子は住吉物語絵巻三跡
源氏物語・花散里橘の香をなつかしみほととぎす花散る里を訪ねてぞとふ土曜日は何かと用事が入って行けなかったが今日は朝日カルチャーの崩し字入門いつもより教室が広い与えられたレジメを読み下しあとから一文字ずつ分解説明をうけるのだそのときはなるほどと思うのだが「亭」の文字でテだとおもったら「帝」の文字のテだった橘タチバナの
橘曙覧タチバナアケミ(幕末の歌人)明日よりは夏の暑さもあらひこしなごみわたれり瀬々の川かぜ今日は東京美術倶楽部での日本陶磁協会の茶会濃茶は当代随一の数寄者・潮田洋一郎氏五名ずつの回しのみ薄茶が二席官休庵の宗屋宗匠と陶磁協会の席また特別観覧の部屋筋切が正面に掛かっていた筋切って何伝承筆者は藤原佐理だが研究で藤原行成の曽孫にあたる藤原定実(活躍期、1077~1119年)と言われている定実は『元永本古今和歌集』(東京国立博物館蔵)『巻子本古今和歌集序』(大倉集古館蔵)『西本願寺本三十六人家集』の「貫之集上」(西本願寺蔵)の筆者筋切ってなにもとは古今集を書いた二冊の粘葉装デッチョウソウ粘葉装は糊綴じなので糊をはずして紙の表裏をはがすと(相剥ぎアイヘギ)2枚になり表の銀泥で天地に界線(筋)があるのを筋切裏の篩...日本陶磁協会の茶会
昨日は水曜稽古だがブログも書けずねてしまった木曜稽古松波資之のほととぎすの和歌を掛ける湖遠郭公遊山から崎のまつとはなしにほととぎすききつるばかりうれしきはなし松波資之マツナミスケユキ1831*-1906幕末-明治時代の歌人。天保元年12月19日生まれ。安芸広島の商人岡田集介の次男。京都徳大寺家につかえ,のち北面の武士松波家の養子となる。香川景樹にまなび,景樹没後はその子の景恒をたすけて東塢塾を主宰。維新後は皇太后宮の内舎人ウドネリ,雑掌をつとめた。明治39年9月13日死去。77歳。通称は直三郎,大学大允。号は遊山,随所。歌集に「花仙堂家集」。(日本人名大辞典ヨリ)唐崎というと近江八景の「唐崎夜雨」を思い浮かべる唐崎は『万葉集』の「さざなみの志賀の辛崎幸あれど大宮人の船待ちかねつ」『蜻蛉日記』では都人が唐...唐崎夜雨
宵々の雨に音なし杜若蕪村今日はエフ先生の研究会雨が凄い音を立てて降ってる最近は早起きなので五時に起きて朝は六時に食事お昼までの時間が長いから10時のおやつ九時半に珈琲とミニ羊羮食べたおやつは八つ刻ヤツドキ午後の2時から4時に食べる間食午前中だとなんというのか朝のおやつは「モーニングティー」または「リトルランチ」、午後のおやつは「アフタヌーンティー」とオーストラリアでは呼ばれるとのこと、ネットで見た江戸時代、日本人の食事は朝と夜の1日2回だった。途中でお腹が空く。そこで中食(ちゅうじき)、あるいは間食(かんじき)、小昼(こびる)と呼ばれる間食をやつどきに取るようになった。それがおやつの起源。とネットで見た。さあ出かけないと宵々の雨に音なし