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村雨庵 茶の湯日記 https://blog.goo.ne.jp/tukiduki

日々是茶の湯

ざーっと降ってカラッと上がる通り雨が村雨 まあ 暫し雨宿りにお寄りあれ

その他趣味ブログ / 茶の湯・茶道

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村雨庵
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2009/04/21

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  • 猫の妻

    猫の妻へついの崩れより通ひけり芭蕉今日は二月最後のお稽古大炉の逆勝手のお点前は頭をとても使うのでお腹がすくたくさん食べるので眠くなる昨日も夜8:30頃に寝た目が覚めたら夜10:15もう一度寝て起きたら真夜中1:20またまた起きたらまだ夜中3:50そのつぎは朝の5:58起床順調に年寄りになっている今日はお稽古にシモちゃんが赤ちゃんと遊びに来てくれた前回はだっこさせてくれたのに人見知りが始まったとかで抱けないそれでも二回ほど重たい赤ちゃんを抱いた幸せだシモちゃんの長男は凄く重かったが今度は女の子七キロぐらいあるうちの猫に興味があるらしい写真を撮るとわが猫と私の年寄りさが際立った猫の妻

  • 春の夜の

    周防内侍春の夜の夢ばかりなる手枕にかひなく立たむ名こそ惜しけれ今日は水曜稽古二月最後の週稽古大炉の点前の復習をそれぞれがする椿の花がたくさん咲き出した貝母を切ったので花をいれてみて欲しい花を見積もって花入れに生ける霧を吹いて完成気分がスッキリするでしょう今日の掛けものは光悦筆宗達下絵複製だが読みの勉強にもなる和歌は藤原定家春の夜の夢の浮橋とだえして峰に別るる横雲の空『新古今和歌集』(巻第一春歌上38)夢の浮橋とは、夢の中のあてにならない通い路、または儚い夢。とだえしてとは夢が途絶える・儚い夢から目を覚ます。峰に別るるとは別れる、離れ離れになる。だそうだ春の夜の

  • 雪のうちに春はきにけり鶯の

    二条のきさき雪のうちに春はきにけり鶯のこほれる涙いまやとくらん(伊勢物語)昨日の月曜日は茶碗研究会御本茶碗の勉強だったブログは少し書いたのだが途中で寝てしまってアップ不能気が向いて今日は根津美術館へ展覧会は魅惑の朝鮮陶磁謎解き奥高麗茶碗2024年2月10日(土)~3月26日(火)お茶碗研究会で勉強したばかり講義の内容を思い出しながら拝見新羅土器から玄悦茶碗半使茶碗まで時代に沿って展示されている観光客が多いがそれほど混んでないのでゆっくり拝見できたお喋りするとすぐお静かに警察が飛んでくるそしてガラス越だが名品を拝見三島茶碗「上田暦手」重要文化財雨漏茶碗青井戸「柴田」堅手「長崎」錐呉器茶碗「張木」良かった奥高麗もたくさん拝見した良かった写真はもうすぐ開く貝母の花雪のうちに春はきにけり鶯の

  • 若紫のすりごろも

    春日野の若紫のすりごろもしのぶの乱れ限り知られず在原業平今日は文の会イタリアンで待ち合わせグラスワインとおつまみにパスタ二種お腹を満たしてから雑談にお勉強を少し昔は桑田忠親の『茶人の名書簡』を教科書にしていたそのあとは竹取物語伊勢物語大和物語そしてまた今は伊勢物語金曜日の光琳茶会立礼席の主茶碗は黒楽16代楽吉左衛門作初めての個展の作だとのこと銘は「うひかうぶり」それは伊勢物語の「初冠」だろう初冠とは元服して、初めて冠を着けること。伊勢物語に「むかし、をとこ、うゐかうぶりして、平城(なら)の京、春日の里にしるよしして、狩に往にけり」とある日曜日は大河ドラマ紫式部の物語だ文の会のバイ様とおしゃべりで盛り上がった若紫のすりごろも

  • 見ぬ恋つくる

    紅梅や見ぬ恋つくる玉すだれ芭蕉今日は光琳茶会MOA美術館は熱海私は品川から乗る新横浜から森金さんと、サカチカさんが乗ってくる乗ったら彼女達二人分の席も取ってほしいと言われ初めて自分で行く自由席二人の分も取らないと何を言われるかわからない緊張しつつ予定の新幹線二号車の自由席に乗り込んだ落ちついて中ほどの三人ならびの席を確保真ん中に座って左右に手持ちのバックを置く言われた通りちゃんと席取りましたぞ「席は8のabcです」ひとまず安心買ってきたサンドイッチで腹ごしらえ美味しいんだこのパン屋さん車内放送「次は静岡に止まります」静岡熱海は静岡の次かしら新横浜が近くなりまた車内放送静岡だとアナウンスするとライン「8のAは男性が座っていますが…」何言ってるのだろ切符をみると新幹線自由席特急券時間も書いてない多分静岡は熱海...見ぬ恋つくる

  • 春のはじまり

    斎藤茂吉蕗の薹味噌汁に入れて食はむとす春のはじまりとわが言ひながら今日は木曜稽古またも大炉と逆勝手二月は逃げると言うが教える方とて逆勝手は頭を使いとても疲れる早く三月になってほしいと密かに願っている写真は春の景色田南岳璋タナミガクショウ明治9年生まれ三重県松坂出身日本画家。本名は金太郎。田中成章、幸野楳嶺、久保田米僊、野村文挙などに師事し四条派や写生的な画法などを取り入れた風景・花鳥を描く。多くの賞を重ね、日本美術協会、日月会、のち日本画会の会員。京派とも呼ばれる四条派の画法を取り入れ力強くも上品で暖かみのある画風が評価され、今も人気を集めている。とネットに出ていたが山上の家が落ちそうで不安春のはじまり

  • 梅ちらす風もこえてやふきつらん

    今日は水曜稽古今日は書く元気がない今年もかわりなく同じように大炉と逆勝手掛物も同じ新古今和歌集以下昨年のブログと同じで許されよ大炉の点前は何より炭手前が面白い初炭もまた後炭も面白い月はじめの大炉の茶会をインスタにアップした宜しければご覧ください写真は今日の掛物古筆筆者は一条内経一条内経イチジョウウチツネ1291-1325鎌倉時代の公卿,歌人。正応4年7月17日生まれ。一条内実(うちざね)の長男。母は一条実経の娘。正安2年従三位。権大納言などをへて,文保2年内大臣にすすみ,ついで関白となる。従一位。「玉葉和歌集」などの勅撰集に23首おさめられている。正中2年10月1日死去。35歳。法号は芬陀利華院。歌集に「内経公百首」。歌は新古今集二月雪落衣といふことをよみ侍ける康資王母むめちらす風もこえてやふきつらんか...梅ちらす風もこえてやふきつらん

  • 猫柳

    北原白秋猫柳ものをおもへば猫の毛をなづるここちによき風も吹く写真は『型物香合相撲番附』西方第二段目、第四位呉須周茂叔シュウモシュク四方入角形呉須の合子甲盛り欄干に肘をついた人物が水面を眺めている姿側面は宝尽しの変形で七宝と巻物の二種が描れてる周茂叔しゅうもしゅく1017~1073宋学の開祖。池の蓮の花を愛し「愛蓮説」を著した呉州周茂叔香合は、水面に点描のあるものと無いものがあるがこの点々を蓮の花に見立て、水面の蓮を眺める人物周茂叔と連想を働かせてこの名があるため、水面に点描のあるものが好まれる。と猫柳

  • わがやどの梅のたち枝

    平兼盛わがやどの梅のたち枝や見えつらん思ひの外に君がきませる(拾遺和歌集)大河ドラマを観ている永井路子の「この世をば」上下をノロノロと何年も読んでいるが藤原ばかりで系図をみても理解できずごちゃごちゃそれが今年の大河ドラマではその小説に登場する人物が次々と出てくる俳優たちが演じるのだから理解不能だった藤原実資や古筆で重要な藤原行成も勿論実際とは異なるだろうがおおよその人物を計り、動く姿をみられる嬉しいことだ日曜のBSで見て地デジでもう一度そのあとはユーチューブのヤギシタドラマ解説かしまし歴史チャンネルなどなどをみてる平安時代の勉強中だドラマを見てから人物が浮き上がって理解しやすい拾遺抄は→藤原公任撰拾遺和歌集は→花山院の親撰だってこともようやくわかった写真は姫ホトケノザわがやどの梅のたち枝

  • まず咲く宿の梅の花

    山上憶良春さればまづ咲やどの梅の花ひとり見つつや春日暮らさむ山上憶良ヤマノウエノオクラ奈良時代の万葉歌人。遣唐少録として入唐。伯耆守、東宮侍講、のち筑前守。筑前守時代に大宰帥大伴旅人と交わりを結び、儒教・仏教・老荘などに強く影響を受けた、思想性の濃い主題の歌(「貧窮問答歌」など)を作った。他に漢詩、漢文、「類聚歌林」の編著がある。斉明天皇六~天平五年頃(六六〇‐七三三頃)(日本国語大辞典ヨリ)今日は日曜日お弟子様の森金さんがやって来た今日は暖かくなると言っても午前中の我が家はとても寒い我慢して打ち合わせお昼はお餅を焼いて食べた一日は早い明日の支度もあるから余計いちにちは早く過ぎるまず咲く宿の梅の花

  • うち靡く ウチナビク

    大伴家持うち靡く春ともしるくうぐひすは植木の木間を鳴きわたらなむうち靡くウチナビクとは「うち」は接頭語草木、髪などがさっと横に伏せる。今日はサカチカさんちの正午茶事寄付の軸は松本一洋待合は常信本席は近衛家の十六代写真の花は黒文字と賀茂本阿弥椿花入はサハリ近衛家当主15近衛尚通コノエヒサミチ諡号後法成寺16近衛稙家コノエタネイエ17近衛前久コノエサキヒサ一字名:竜・山・杉・春道号:竜山(龍山)18近衛信尹コノエノブタダ信基(初名)→信輔→信尹諡号三藐院19近衛信尋コノエノブヒロ二宮(幼名)→信尋→応山(法名)20近衛尚嗣コノエヒサツグ尚嗣→大元(法号)21近衛基熙コノエモトヒロ号:悠見、一字名:悠・菊22近衛家熙コノエイエヒロ豫樂院(号)23近衛家久コノエイエヒサ24近衛内前コノエウチサキ25近衛...うち靡くウチナビク

  • 梅の園生

    好忠山里の梅の園生に春日すら木づたひ暮すうぐひすの聲好忠とは曽禰好忠ソネノヨシタダ生没年不詳平安中期の歌人丹後掾(じよう)であったので曽丹・曽丹後ともいう。昨日は木曜稽古だった最近はずっと早起きだ五時から五時半までには起きる早起きでも朝は弱いのでボーッと新聞やビデオを眺めてるそして大体七時頃から動き始めるのだだから自ずから夜も早くなるようだお茶の稽古の日は別だがだいたい午後八時頃には眠たくなり九時か十時にはもう寝てるよく寝たぁと思って目覚めるとまだ十一時半二回目起きるとまだ夜中の二時祖母の生活を思い出した今の私と同じようだったあまり眠れず早寝早起きだ歩くのがゆっくりになったり集中力がなくなり休み休みでないと何でもできなくなったり足元がいつもフラフラ掴まらないと転びそう何事も去年はできても今年はできるとは...梅の園生

  • 枯笹や

    枯笹や氷室すたれし蕗の薹犀星室生犀星ムロウサイセイ詩人、小説家。石川県金沢出身。本名照道。金沢高等小学校中退。幼少時から辛酸に満ちた生活を送ったが、東京の雑誌に詩を投稿し、みとめられて上京。北原白秋・萩原朔太郎・山村暮鳥らを知り、作家生活にはいる。「愛の詩集」「抒情小曲集」で詩壇にその地位を確立。のち小説も発表。作「性に眼覚める頃」「あにいもうと」「かげろふの日記遺文」など。明治二二~昭和三七年(一八八九‐一九六二)(ウィキペディアより)今日は水曜稽古二月は大炉と逆勝手の点前思い出しながらやってる写真の筆者は久隅守景唐子の絵古筆了音の極めあり子供は春の取合せに使うというほのぼの【久隅守景】は江戸前期の画家。通称、半兵衛。号、無下斎、一陳翁など。江戸に住み、のち加賀へ移る。狩野探幽門下の四天王の一人で、のち...枯笹や

  • 白梅や

    白梅や青蓮院の屋根くもり芥川龍之介この青蓮院とは京都市東山区粟田口にある天台宗の青蓮院門跡寺院だろう開山は伝教大師最澄青蓮院は、山号はなし本尊は熾盛光如来国宝「青不動尊」が有名だ大日如来の化身が不動明王で不動明王は五色あり青が一番上位だそうだ青蓮院は紫兎先生と何度もご一緒した東山周辺は懐かしいサントリー美術館では四百年遠忌記念特別展大名茶人織田有楽斎開催中2024年1月31日(水)~3月24日(日)読売新聞の写真有楽が所持したと伝えられる茶道具の名品が展示されていると写真に出てる青磁茶碗は東博のと同系だろうか見てみたい日曜日は五島の茶会だったので展示の茶道具の取り合わせを同行のヨーさんと拝見したが係の人がすぐ駆けつけ静かにとまたもいわれた素晴らしい道具を見れば誰だって声を出したくなるものだましてや友人がい...白梅や

  • 梅の宿

    梅の宿残月硯を蔵しけり夏目漱石今日は旧暦の一月三日夜空にはかうかうと三日月が浮かんでるらしいテレビ画面の月を見た今日は古筆のお勉強会いつも渋谷で乗換える工事中の渋谷駅、駅の中はごちゃごちゃでスムーズに進めない足元も危ないこの頃は山手線のホームからハチ公口の改札口を出てハチ公を横に見ながら急ぎ足で進む信号を渡りエスカレーターで井の頭線に乗りかえる今日は祭日ゆえか渋谷は凄く混んでた写真は井の頭線の渋谷駅改札口を出たところにある岡本太郎の「明日の神話」古筆家は江戸時代を通じ古筆鑑定の家として栄えた初代は古筆了佐、本名は平澤範佐、近衛前久より鑑定の伝授を受け、豊臣秀次より鑑定書に押す「琴山の印」と「古筆の名字」を受けた古筆家は昭和の初めまで鑑定に関わり「平澤了任」が最後の当主となり、廃業したと梅の宿

  • 帚木の

    帚木の心を知らで園原の道にあやなく惑ひぬるかな(源氏物語)近づけば消えるという帚木のような、あなたの心も知らないで近づこうとして、園原への道に空しく迷ってしまったことです今日は五島美術館でお茶会昨年の「和」12月号の特集源氏物語の茶会寄付は土佐光起の長男、土佐光成筆ミツナリとかミツシゲとも江戸初期から中期に活躍描かれているのは石山寺の紫式部紫式部は中宮・彰子の為新しい物語を作ることになり石山寺に七日間参籠したその際まず青年貴族が都から遠く離れた須磨で月を眺め、かつての暮らしを恋しく思うシーンを構想そこから物語を書き始めたと寄付の絵の一部が和の表紙になっているとのお席主の話し本席床は後醍醐天皇宸翰吉野切「おもひきやいのちをきわのあるままのよその契りとならむものとは」花入認得斎作竹一重切銘宮柱花鶯神楽光源氏...帚木の

  • 春の暗示のそことなく

    北原白秋猫柳春の暗示のそことなくをどる河辺を泣きてもとほる「高野切」の高野は高野山(こうやさん)のこと。この古筆の一部が一時、高野山にあったことから、この名がつく豊臣秀吉が、比叡山など寺院を焼き討ちしていた時期、高野山文珠院の高僧の木喰応其(もくじきおうご)だけは、秀吉を説き伏せ、焼き討ちを免れた。その時、秀吉から巻9の一部が、高野山にもたらされたと。高野切は905年に編纂された「古今集」を書いたもの。紀貫之が清書して醍醐天皇に献上したと言われる最初の333古今集20巻(奏覧本)は12世紀頃までに焼失した。現存する最古の古今集の写本が高野切。1049年頃に書かれたと言われてる。書かせたのは、藤原道長の子、藤原頼道。以後、近衛家に代々伝わる。第1種=藤原行経第2種=源兼行第3種=藤原公経と料紙は麻紙(まし)...春の暗示のそことなく

  • 白魚や

    白魚や美しき子の触れて見る漱石今日は区役所とクリニック一月から鼻がぐずぐず目がかゆいくしゃみをしたら止まらない花粉症だ飲む薬、目薬、点鼻薬をもらって帰った家にお客さんが二人午前10時にケアマネさん午後2時に保険屋さんそのあと郵便局と魚屋と肉屋に買い物お茶の用事はないがその他の事でもけっこう忙しい写真はクリニックに飾ってあったミュシャアルフォンス・ミュシャ1860年7月24日-1939年7月14日)チェコ出身でフランスなどで活躍したグラフィックデザイナー、イラストレーター、画家アール・ヌーヴォーを代表する画家で、多くのポスター、装飾パネル、カレンダー等を制作した。ミュシャの作品は星、宝石、花(植物)などの様々な概念を女性の姿を用いて表現するスタイルと、華麗な曲線を多用したデザインが特徴である。イラストレーシ...白魚や

  • 星みるひとの 眼にも似る

    宮沢賢治ひるもなほ星みるひとの眼にも似るさびしきつかれ早春のたび今日は木曜稽古先週掛けるつもりだったが掛けそびれてしまった「懸想文売り」懸想文とは平安時代から江戸時代にかけて流行った恋文のこと。その懸想文を売る人物が京都西天王須賀神社節分祭にあらわれる懸想文売りは烏帽子に水管姿で節分と前日の二日間、節分祭のときだけあらわれる今年は2024年2月2日(金)、2024年2月3日(土)【次回開催予測:2025年2月上旬頃】京都府京都市左京区聖護院円頓美町1懸想文を鏡台や箪笥の引出しに人に知られないように入れておくと、顔かたちがよくなり着物がふえて良縁があるといわれている。節分の須賀神社一度行ってみたいけども星みるひとの眼にも似る

  • 雪解や

    雪解や妹が炬燵コタツに足袋タビかたし蕪村今日は出稽古クマしょうさんのお宅で七事式掛け物は「喫茶去」中国・唐時代の趙州従諗禅師のはなし新しくやってきた二人の行脚僧に、趙州禅師が問われた。「貴公、前にもここへ来たことがあるか?」「いいえ、ございません」「うむ、下がってお茶を飲みなさい」もう一人にも、問うた、「前にもここへ来たことがあるか?」「はい、ございます」「うむ、下がってお茶を飲みなさい」院主(寺の寺務局長)が趙州禅師にたずねた。「初めての者に茶を飲みに行けと仰せられるのはよいとして、前にも来たことのある者にも、なぜ、茶を飲みに行けと仰せられるのですか?」すると、趙州「院主どの!」院主「ハイ!」趙州「うむ、茶を飲みに行きなさい」(小川隆『中国禅宗史』)雪解や

  • 春たてば

    素性法師春たてば花とや見らむ白雪のかかれる枝にうぐひすの鳴く今日は招かれて茶事へ午後から雪になるとの天気予報時間短縮に後炭を略しましょうかとのご亭主に私はいい人ぶって略されてもいいですよと言いそうになったがすぐさまお詰めの三鳥さんは速やかに行動いたしますので後炭をお願いいたしますと言ってくださった嬉し何事も素直が一番だが私め中々素直になれない正午茶事は後炭あってこそふさふさと雪が降り始めた露地の景色を眺めつつ茶事の沼に浸るのだわが日常とははるかに違う非日常のなんと、風雅なこと写真は待合の大きな雛壇どーんと空間を占めているとても大きい人形もお道具も大きい出し入れが大変だとか雛壇と毛氈などは別で十四の箱に収納されているそうな麗しいまたお招き下さいませ春たてば

  • 春立つや

    春立つや六枚屏風六歌仙虚子今日は立春昨日は茶会駅までをタクシーに乗った着物を着ていたからかタクシーの運転手さん「この前浅草へ行って、昔行った食べ物屋さんに寄ったんです。その行き帰りやまわりの人、結構着物を着てるんですよね観光客や外人など大勢いましたよ」自分「日本は良いもの沢山ありますからねみんなに経験してほしいですね。」タク「そうですね、でもあれだけはやめてほしいと思いましたよ」自分「何ですか」タク「綺麗に皆さん着てるのに、習ってないんですかね、すごい歩き方」タク「お相撲さんみたいに、ガリまたなんですよ」自分「はーそうでしたか」お金を払ってタクシーを降りたエレベーターまでの数メートルかつてなくしずしずと外股に気をつけて歩いた写真は昨日の柿伝の煮物椀春立つや

  • 春立つ今日の風やとくらん

    紀貫之袖ひちてむすびし水のこぼれるを春立つけふの風やとくらん今日は節分御弟子様のひとりがお寺で豆まきをするとか裃姿の写真がきた目出度い明日は立春今日は茶会日本陶磁協会主催の「お茶とお酒を愉しむ会」本席の床は川端康成「面白」花入は火だすき金重有邦作花は曙とこぶし釜は高橋敬典作炉縁は紅溜塗三代村瀬治兵衛作風炉先桑縁神代杉菅原伸一作水指丹波イッチン市野雅彦作茶器池田巌作茶碗楽直入加守田障二今泉今右衛門伊勢崎晃一朗加藤清之原清鈴木三成中里隆竹中浩鈴木五郎小池頌子小川待子前田正博川瀬忍金重有邦三輪休雪滝口和男三原研市野雅彦鈴木徹伊藤秀人新里明土和田的桑田卓郎茶杓銘「翁」堀口捨巳作建水銀六角捻長野烈作お菓子は源太の常磐饅頭写真はお酒の席のお食事一人ずつ小山富士夫作のぐい飲みでお酒を頂戴する私のは皮クジラだったあと煮物...春立つ今日の風やとくらん

  • 八百八町 月の辻

    節分や八百八町月の辻喜舟野村喜舟ノムラキシュウ1886-1983俳人。本名喜久二キクジ。石川県金沢市生まれ。東京市小石川の砲兵工廠に勤務。夏目漱石門下の松根東洋城に師事、「国民新聞」の俳句欄で活躍。東洋城の主宰する「渋柿」に創刊時から選者として参加。1933(昭和8)年に小倉工廠に転勤となる。52年から76年まで「渋柿」を主宰した。節分は、雑節の一つで、各季節の始まりの日の前日のこと。節分とは「季節を分ける」ことも意味している。江戸時代以降は特に立春の前日を指す場合が多い。太陰太陽暦では、立春に最も近い新月を元日とし、月の満ち欠けを基準にした元日と、太陽黄経を基準にした立春は、ともに新年ととらえられていた。(ウィキペディア)写真は庭のカンアオイ五種類あるようだ八百八町月の辻

  • 軒端の梅や

    今日は木曜稽古二月になった掛けものは梅の和歌旅宿梅基弘草枕仮寝の床の匂ふかな軒端の梅や盛りなるらむ筆者は二条基弘二条基弘ニジョウモトヒロ1859-1928明治-昭和時代前期の華族。安政6年10月25日生まれ。九条尚忠の8男。明治4年二条家をつぐ。17年公爵,23年貴族院議員,40年宮中顧問官となる。昭和3年4月4日死去。70歳。藍の染紙に優しい仮名文字読みやすい風情のある軒端の梅が浮かぶようだ軒端の梅や

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