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村雨庵 茶の湯日記 https://blog.goo.ne.jp/tukiduki

日々是茶の湯

ざーっと降ってカラッと上がる通り雨が村雨 まあ 暫し雨宿りにお寄りあれ

その他趣味ブログ / 茶の湯・茶道

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村雨庵
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2009/04/21

  • 後の世を

    藤原有家後の世を知らせがほにも篝火のこがれて過ぐる鵜飼舟哉藤原有家フジワラノアリイエ久寿二~建保四(1155-1216)藤原重家の3男。母は藤原家成の娘。従三位,大蔵卿となる。六条家の有力歌人で,和歌所寄人,「新古今和歌集」撰者のひとりにえらばれた。「千載和歌集」以下の勅撰集に67首がはいる。今日は水曜稽古届いたお菓子は練切の撫子と生麩まんじゅう夏らしい美味しかった写真はうちの猫ミーちゃん後の世を

  • あすは知らねど水色に

    樋口一葉飛鳥川あすは知らねど水色に今日はにほへるあぢさゐの花昨日の話し昨日は土曜日銀座の古美術店の茶会があると先生からのお誘いあり12時の席入夏向きの設え狭いが茶の雰囲気はたっぷりだ使われた道具は手にとって拝見したその後もう一軒目の茶道具店のお茶会茶道具の拝見箱も回ってくる私の他は皆さんそれぞれお買い求めなさってご満悦何か欲しかったけど家の道具の山をみるとくじけたあすは知らねど水色に

  • 明易き アケヤスキ

    明易きみずに大魚の行き来かな龍之介茶道具にも色々あるが棚は実に嵩張る特にわが家ては紹鴎棚の収納に困ってる前に紫兎先生から譲って頂き炉の季節に使ったが日常に使えず階段下の納戸に入れたり障子の後ろの廊下に置いたり出すのも大変仕舞うのももっと大変差し上げるからと言ってもお弟子様やお友達快い返事はない紹鴎棚はちょっとした家具和室においても違和感無い炉開きや初釜に相応しい塗師は茶平一斎だし良いものですよ勧めるがなかなかこの棚は二年前の茶会で使ったあと桐の箪笥のような外箱に入ったまま四畳半の隅にずっと置いてあるその上には座布団やら紙袋お習字の紙などなど山積みになっている酷い状態だダメもとで若いお友達のシモちゃんに声をかけると欲しいと言う返事気の変わらない内に早くとりに来てと思っていたら金曜日行きますとライン今日の午後...明易きアケヤスキ

  • 雫あつめて朝日かな

    紫陽花に雫あつめて朝日かな千代女今日は小熊の会七事式の稽古「花月」「且座」「廻り炭」「廻り花」「茶カブキ」「一二三」「員茶」今日は「且座」のお稽古花・炭・聞香・濃茶・薄茶の順且座之式は、臨済宗の宗祖臨済義玄の語録「臨済録」の「且座喫茶」からとられた雫あつめて朝日かな

  • 六月は酒を注ぐや

    与謝野晶子六月は酒を注ぐや香を撒くや春にまさりて心ときめく三井記念美術館展示室1にあった黒楽茶碗重要文化財「俊寛」シュンカン俊寛は平安時代の僧侶。僧都。康治2(1143)~治承3(1179)祖父は大納言源雅俊。父は仁和寺法印寛雅。後白河院の信任を得た。藤原成親,師光らは俊寛の鹿ヶ谷(ししがたに)の山荘に会合して平氏打倒のための相談をしたが(→鹿ヶ谷事件),多田行綱の密告によって発覚し,治承1(1177)年6月逮捕されて共謀者藤原成経,平康頼らとともに薩摩鬼界ヶ島に流された。翌年中宮御産の大赦により,成経と康頼は京都に召還されたが,俊寛は許されずに島に残された。俊寛は能の曲名でもある。四番目物。五番立の能の神,男,女,狂,鬼の狂にあたる。中宮の安産祈願のため,大赦を伝える赦免使(ワキ)が鬼界ヶ島へ下る島では...六月は酒を注ぐや

  • 六月のかぜ

    与謝野晶子円山の杉のみどりの蔭に吹く真葛が原の六月のかぜ今日から六月六月朔日ツイタチは鮎の日、気象記念日、牛乳の日、矯正歯科月間の日、景観の日、国際親の日、総務の日、チューインガムの日、電波の日、バリ舞踊の日、防災用品点検の日、リードオルガンの日一年は早い半年はすぐくるひと月はまばたき一日はもちろん一生は六月のかぜ

  • 五月雨や

    五月雨や色帋シキシへぎたる壁の跡芭蕉今日は東京大丸のサバティーニでいつものメンバーとランチその後は三井記念美術館へ展覧会は茶の湯の美学利休・織部・遠州の茶道具6月16日まで○展示室1・黒大棗千利休在判桃山時代○展示室4・紹鴎黒大棗秀次室町時代○千利休在判の茶道具・黒中棗追銘影法師利休在判宗旦極書(桃山)・黒中棗金砂文字入利休直書、隨流斎直書在判・町棗千利休在判また・伝盛阿弥造の一文字椀展示室6・利休形茶器十二桃山時代、江戸初期の棗は四百年を経てもなお形良く艶があり美しい棗写真はランチの前菜五月雨や

  • 徳不孤 必有隣

    今日は木曜稽古を休んで村雨庵四十五周年記念食事会村雨庵の茶道教室をひらき今年の三月で四十五周年五年毎に茶会をひらいていたがもう茶会はしないから美味しいものでも皆で食べよう場所はいつもの綱島のふくもとかつては村雨庵にお稽古に来ていたお二人にお世話になり美味しいお料理と美味しいお酒まずふくもとさんからの見事なご挨拶に思わず落涙幹事の森金さんのスムーズ司会慣れてる乾杯の挨拶は今年米寿の数先生生き方も立派挨拶も立派です初めの一杯で真っ赤なお顔のアイテラ氏はじめからお開きまで休まずお喋り話すこと沢山あるんだ写真はお店の床に掛かってた一行徳は孤コならず必有隣ヒツユウリン(論語)徳は孤ならず、必ず隣あり徳のある人には、必ず理解者や協力者が現れる、ということ。徳のあるなしに関わらず理解者や協力者、楽しい仲間と一緒にお茶を...徳不孤必有隣

  • 水の影

    杜若にたりやにたり水の影芭蕉今日はお茶碗研究会高取、上野アガノ、八代、小代焼先月は薩摩、その前は唐津を勉強した九州は今月で終了来月は萩焼だ高取焼は黒田長政が招いた朝鮮陶工八山(高取八蔵)が永満寺・宅間に窯を築いたのに始まる黒田藩の御用窯だが窯場は時代で変わる古高取と言われる永満寺・宅間窯、内ヶ磯(うちがそ)窯、山田窯内ヶ磯は織部好遠州高取は白旗山窯で焼かれた上野アガノ焼は細川忠興が文禄・慶長の役で招いた朝鮮陶工尊楷ソンカイ(上野喜蔵)が釜の口窯に窯を築いたのに始まり細川家、小笠原家の藩窯として栄える九州のこの辺りの焼物はとても好きな焼物だがその歴史というと私には難しい一度も行ったことが無い土地勘がないからなのか難しい水の影

  • みじか夜の

    みじか夜の闇より出て大ゐ河蕪村土曜日の茶事の花茶事の花はその日の朝の花溜めから集中して花を選ぶ亭主の真剣な顔も茶事ならでよく入ったら傍らでみても安堵するみじか夜の

  • 三井寺や日は午ゴにせまる

    三井寺や日は午ゴにせまる若楓与謝蕪村今日はお弟子様の茶事の水屋へ初風炉の正午茶事挨拶のあとは懐石定石どおりに終わり四つ椀が戻る初炭手前があるのでそのあいだに道具を洗い片付けた焦らずともよく気分が良い懐石の箸洗いは何にしますか一汁三菜のあと改めて八寸を持ちだし千鳥の盃となるがその前に箸を洗い、口中を清める主客献酬のための「箸洗い」中身は使用した材料の一部梅肉のへいだもの海藻類の一片種子の核など箸にかかるかかからぬ程度のものをごく少量お湯仕立てと言われるくらい薄味の清し汁にする箸洗い小吸い物は美味しくしては良くないと習った今日の箸洗は水前寺海苔蕗→三月~春花山椒→四月つくし→春篠竹→春山葵の芽、花、葉→春海藤花→四月独活ウド→三月~五月ちぎり梅→二月、六月茗荷→初夏青梅→六月鱧の笛(ハモの浮き袋)針生姜→...三井寺や日は午ゴにせまる

  • 晴れやらぬ

    池五月雨晴れやらぬ池の□のいぶせさも濁るに見ゆる五月雨のころ宣長□は読めないいぶせさ→鬱陶しい本居宣長モトオリノリナガ享保15年5月7日(1730.6.21)~享和元年9月29日(1801.11.5)18世紀最大の日本古典研究家。伊勢国松坂の人。木綿商の家に生まれるが、医者となる。医業の傍ら『源氏物語』などことばや日本古典を講義し、また現存する日本最古の歴史書『古事記』を研究し、35年をかけて『古事記伝』44巻を執筆する。主著は他に『源氏物語玉の小櫛』、『玉勝間』、『うひ山ふみ』、『秘本玉くしげ』、『菅笠日記』など。鈴と山桜をこよなく愛し、書斎を「鈴屋」と呼び、また山室山にある奥墓には山桜が植えられている。(本居宣長記念館のホームページより)晴れやらぬ

  • 水の影

    杜若にたりやにたり水の影芭蕉火曜日出かけるつもりだった三井記念美術館の「茶の湯の美学」利休織部遠州の茶道具2024/4/18(木)〜6/16(日)10:00〜17:00桃山時代から江戸時代初期、茶の湯界をリードした、千利休・古田織部・小堀遠州の美意識を、三井家伝来の茶道具のなかから探ります。千利休の「わび・さびの美」、古田織部の「破格の美」、小堀遠州の「綺麗さび」、3人の美意識を以上のようにとらえ、書画、茶碗・茶入・花入・水指・釡・茶杓など、各人の美意識から生まれた茶道具の名品・優品を多数展示いたします。と美術館のホームページにあったが夏用の着物の裾上げなどしてたら時間がかかり過ぎて出かけるのはやめた残りの時間は昼寝とおやつ水の影

  • 草の雨

    草の雨祭の車過てのち蕪村今日は月曜日巻さんが灰型の勉強にみえた私は灰型が苦手風炉の時はどうしても嫌だと避けるわけにはいかずやむを得ず眉風炉と道庵風炉の二文字をつくり続けてる私のお茶の先生は灰型大好きいつまでもやっていたいそう仰っていたが無理まず灰を細かい篩でこすこれが案外重要だ台所のお料理のザルなどでは目が荒く灰匙で押してもサラサラ壊れてしまうから必須前の谷以前習ったときは左から中央へ三匙で仕上げ次右から中央へこれまで三匙もう触らないと習ったがそれは案外難しいカルチャーでご指導受けた先生は同じ場所だったら何度でも灰匙を引いていいとのことだ内容は先生によって色々自分に合ったようになさるべく私は時間を短縮するを優先し多少整っていないのには目をつぶる几帳面かズボラ器用かどうかは十分関係あるだろうが治らないものは...草の雨

  • 三跡

    サリーちゃんのパパが豆腐を買うぜい佐理、東風、行成三跡小野東風894~966野席藤原佐理944~998佐跡藤原行成972~1027権跡894遣唐使廃止その100年前は794ウグイス平安京894から50年経ち佐理が生まれる行成は道長の亡くなった同じ日に亡くなった写真の扇子は住吉物語絵巻三跡

  • 橘タチバナの

    源氏物語・花散里橘の香をなつかしみほととぎす花散る里を訪ねてぞとふ土曜日は何かと用事が入って行けなかったが今日は朝日カルチャーの崩し字入門いつもより教室が広い与えられたレジメを読み下しあとから一文字ずつ分解説明をうけるのだそのときはなるほどと思うのだが「亭」の文字でテだとおもったら「帝」の文字のテだった橘タチバナの

  • 日本陶磁協会の茶会

    橘曙覧タチバナアケミ(幕末の歌人)明日よりは夏の暑さもあらひこしなごみわたれり瀬々の川かぜ今日は東京美術倶楽部での日本陶磁協会の茶会濃茶は当代随一の数寄者・潮田洋一郎氏五名ずつの回しのみ薄茶が二席官休庵の宗屋宗匠と陶磁協会の席また特別観覧の部屋筋切が正面に掛かっていた筋切って何伝承筆者は藤原佐理だが研究で藤原行成の曽孫にあたる藤原定実(活躍期、1077~1119年)と言われている定実は『元永本古今和歌集』(東京国立博物館蔵)『巻子本古今和歌集序』(大倉集古館蔵)『西本願寺本三十六人家集』の「貫之集上」(西本願寺蔵)の筆者筋切ってなにもとは古今集を書いた二冊の粘葉装デッチョウソウ粘葉装は糊綴じなので糊をはずして紙の表裏をはがすと(相剥ぎアイヘギ)2枚になり表の銀泥で天地に界線(筋)があるのを筋切裏の篩...日本陶磁協会の茶会

  • 唐崎夜雨

    昨日は水曜稽古だがブログも書けずねてしまった木曜稽古松波資之のほととぎすの和歌を掛ける湖遠郭公遊山から崎のまつとはなしにほととぎすききつるばかりうれしきはなし松波資之マツナミスケユキ1831*-1906幕末-明治時代の歌人。天保元年12月19日生まれ。安芸広島の商人岡田集介の次男。京都徳大寺家につかえ,のち北面の武士松波家の養子となる。香川景樹にまなび,景樹没後はその子の景恒をたすけて東塢塾を主宰。維新後は皇太后宮の内舎人ウドネリ,雑掌をつとめた。明治39年9月13日死去。77歳。通称は直三郎,大学大允。号は遊山,随所。歌集に「花仙堂家集」。(日本人名大辞典ヨリ)唐崎というと近江八景の「唐崎夜雨」を思い浮かべる唐崎は『万葉集』の「さざなみの志賀の辛崎幸あれど大宮人の船待ちかねつ」『蜻蛉日記』では都人が唐...唐崎夜雨

  • 宵々の雨に音なし

    宵々の雨に音なし杜若蕪村今日はエフ先生の研究会雨が凄い音を立てて降ってる最近は早起きなので五時に起きて朝は六時に食事お昼までの時間が長いから10時のおやつ九時半に珈琲とミニ羊羮食べたおやつは八つ刻ヤツドキ午後の2時から4時に食べる間食午前中だとなんというのか朝のおやつは「モーニングティー」または「リトルランチ」、午後のおやつは「アフタヌーンティー」とオーストラリアでは呼ばれるとのこと、ネットで見た江戸時代、日本人の食事は朝と夜の1日2回だった。途中でお腹が空く。そこで中食(ちゅうじき)、あるいは間食(かんじき)、小昼(こびる)と呼ばれる間食をやつどきに取るようになった。それがおやつの起源。とネットで見た。さあ出かけないと宵々の雨に音なし

  • あらゆる風に載りて

    ラルースの言葉を愛すわたくしはあらゆる風に載りて種蒔く今日は日帰りで北上へ朝早く新幹線着いたらタクシーで詩歌文学館一回りしてタクシーで北上駅お昼を食べて新幹線四時には家に着いたが疲れた年だねあらゆる風に載りて

  • 手ならひの間

    公達の手ならひの間や若楓涼菟リョウト岩田涼菟イワタリョウト1659年(万治2年)~1717年6月7日(享保2年4月28日))江戸前期から中期の俳人、神職。本姓は秦、名は正致。通称は権七郎。別号に団友、神風館等がある。伊勢の生まれ。初め伊勢神宮の下級神職となったが後に松尾芭蕉の晩年の門人となり俳諧を学ぶ。1694年(元禄7年)に各務支考らと親交を持ったことにより、「伊勢派」と呼ばれる平明で新しい作風の俳諧を生み出した。とのこと今日は東茶会暑くも寒くもなく空があおいもう会員ではなくさも行くことないと思ったが薄茶席の席主の方にお誘われた点心には久しぶりにお酒も付いたし茶会が終わると新橋のケーキセットを食べなかなか良かった手ならひの間

  • 命なりけり小夜の中山

    西行年たけてまた越ゆべしと思ひきや命なりけり小夜の中山若いときに越えた小夜の中山年老いた今又越えるとは思いも見なかったよ命があればこそだ文治2年(1186年)69歳の西行法師が東大寺再建の勧進のために奥州藤原氏のもとへ赴く途中で、若かりし頃、小夜の中山を通ったことに思いを馳せ詠んだ小夜の中山は旧東海道の日坂宿と金谷宿の間にある小夜の中山峠急峻な坂の続く街道の難所うっそうとした樹木に埋もれ、当時は山賊なども横行したため、大の大人でも峠越えは容易ではなかった大名物漢作唐物の安国寺肩衝はもと「有明肩衝」といいまた別名をこの和歌から名付けた「中山肩衝」今日は読売カルチャー写真は新しく見つけたイタリアンの店これを見てランチにグラスワイン頼んだ命なりけり小夜の中山

  • あで人の

    正岡子規あで人の住める御殿の塀長く椎の梢に鯉ひるがへる今日は世の中連休の最後私達はお茶事のお客様として出かけたほどほどの天気で風も少々感じるまさに薫風自南来殿閣生微涼緑が美しく気分がいい連客はほぼ社中であまりにも緊張感がない茶事ではそれも問題があるだろうが茶事は癒しだ許されよご亭主とのお喋りが楽しい懐石を頂き濃茶と薄茶初炭と後炭これ以上の幸いがあるかしら初風炉の清々しさに身が清められて改めて精進せねばと思った干菓子は吹流しのような五郎丸屋の「キリン」写真は姫沙羅かあで人の

  • あやめ草ふくや皐月のながきひに

    藤原定家あやめ草ふくや皐月のながきひにしばしをやまぬ軒の玉水今日は端午の節句鯉幟コイノボリは『碧巌録』の第七則にある「三級浪高魚化龍」三級浪高うして魚龍と化す。中国の夏王朝を開いた禹(う)が黄河の治水をした時上流の竜門山を三段に切り落と三段の瀑布ができたこれを「禹門(竜門)三級」と称し、多くの魚が竜門山下に群集し竜門三級を登る登りきった魚は、竜となり天に昇るという。「登龍門」の故事があり江戸時代から、鯉幟を飾るようになったらしい戦国時代に「菖蒲」が「尚武(しょうぶ)」につながり端午の節句は男子の武運と成長を願う行事。今は子供の成長を願う祭日だそして今日は文の会だったらしいゴミ出しもなく何も用事がないゆっくり寝てようと朝ご飯、お昼ごはんのあとゴロゴロ寝ていたピンポンが鳴ったので宅急便かしらと出てみると画面...あやめ草ふくや皐月のながきひに

  • 渋谷スクランブル交差点

    用事があり渋谷へスクランブル交差点みんなが写真を撮ってるのでつられてパチリ帰って夕ごはん食べたら眠くてねた目が覚めると八時半テレビ見てまた寝る渋谷スクランブル交差点

  • うすうすと窓に日のさす

    うすうすと窓に日のさす五月かな子規今日から五月初風炉の水曜稽古だ雨がシトシト寒い時たまザーザー降って寒いエビネを切って今日の花にした掛軸は一行薫風自南来灰型は昨日作っておいたので安心種火をいれて炭手前すると藤灰がないですと言われた出した記憶がある確かにどこかにおいた探したが見つからない藤灰がない時変わりに何が使えるかと一瞬考えた小麦粉片栗粉ならあるけどお線香の灰じゃあちょっとね確か火鉢の灰というのがどこかにあったはずあれでもよいかうろちょろしてそうそう風炉用の炭斗に代えようと思ったらその近くにあった淡交社のふじ灰の説明藤の樹皮を取り除き焼いて灰にしたもので化粧灰とも呼ばれます。風炉蒔灰の一種であり、風炉の灰器に入れ使用します。ふじ灰は雪景色を見立ててのものとされ、厳暑は多く、初夏と名残はかすかに蒔かれます...うすうすと窓に日のさす

  • 名残は尽きぬ春の暮かな

    藤原良経佐保姫の霞の袖の花の香も名残は尽きぬ春の暮かな【藤原良経】フジワラノヨシツネ[1169~1206]鎌倉初期の公卿・歌人・書家。九条兼実の子。摂政・従一位太政大臣となり、後京極殿と称される。歌を俊成に学び、定家の後援者でもあった。書では後京極流の祖。今日はお茶碗研究会薩摩焼のお勉強薩摩焼は、鹿児島県の陶磁器。竪野系、龍門司系、苗代川系、西餅田系、平佐系、種子島系など白薩摩は白もん黒薩摩は黒もんとも呼ばれた薩摩焼苗代川系(当初黒もん、現在は白もん)、龍門司系(黒もん中心)、竪野系(白もん中心)の3つの窯場があるとネットにあった名残は尽きぬ春の暮かな

  • 宵の春

    公達に狐化たり宵の春蕪村もうすぐ風炉なのでその準備風炉釜は真形と筒釜風炉を二台眉ぶろと道安風炉それに奉書をひき底瓦を置いて灰を入れる五徳を置いて釜の高さ調整あとは灰形を作るのみだ四月もあと少し春宵価千金宵の春

  • 岩つつじかな

    曽根好忠山姫の染めてはさぼす衣かと見るまでにほふ岩つつじかな今日は茶事の水屋御弟子様のサカチカさんの茶事だまだ炉の季節だが風炉でのおもてなしにしたそうな風炉だと挨拶のあとすぐにお膳を出さないとならず忙しい汲み出しをお出しする頃ご飯に火をつけたお客様の席入挨拶が始まるガスコンロに掛けたご飯の蓋をそっとあけるとグツグツしてまだ水がたくさんある飯椀に一口盛るご飯に芯が残りまだちゃんと炊けてない状態汁椀は温めて青紅葉麩の種カラシをのせて準備完了蓋をして待っているがなかなかお話しが終わらない茶道口近くにより早めにお願いしますと手をぐるぐる回すでないとご飯が冷める味噌汁の種は暖めてあるので熱々の味噌汁を張るだけだようやく挨拶が済んだあとは集中集中常のように懐石を終えて初炭菓子で中立後座は濃茶後炭薄茶となってお開きスイ...岩つつじかな

  • 卯の花の咲かぬ垣根

    藤原忠通うのはなのさかぬかきねはなけれどもなにながれたる玉川の里今日は昨日に続いて木曜稽古掛物は桜も藤も終わって卯の花の和歌の美麗な短冊和歌の意味は卯の花の咲いていない垣根はないが、やはり名高く聞こえたこの玉川の卯の花の里はいいものだ玉川は「美しく清らかな川」六玉川と言われている六つの玉川があるこの和歌もその一つ大阪摂津の玉川は→卯の花の名所。京都、井手の玉川は→山吹。志賀、野路の玉川は→萩。東京、調布の玉川は→川にさらす布。和歌山、高野の玉川は→旅人、氷。宮城、野田の玉川は→千鳥。この和歌を詠んだのは藤原忠通フジワラノタダミチ[1097~1164]平安後期の公卿忠実の長男別称、法性寺殿ホッショウジドノ摂政・関白父および弟頼長と対立し、保元の乱の原因となった書にすぐれ法性寺流の開祖漢詩集「法性寺関...卯の花の咲かぬ垣根

  • 人もなき宿に匂へる藤の花

    紀貫之人もなきやどに匂へる藤の花風にのみこそ乱るべらなれ今日は文の会いつものイタリアンで待合せおつまみにグラスワインパスタを二種類満足だ家に戻れば珈琲を飲んで一休みちっとお喋りのあとお持たせのロールケーキをカットし紅茶を沸かすあまおうが入っているが生クリームもカステラも甘くない甘くないにも程があるだろう淡白過ぎて勿体ないなんて食べてばかり伊勢物語を少しだけ音読声がかすれて出ない結局食べてばかりだった写真は都内の公園の藤棚友人の板子さんが撮ったきっと藤の花の香りもしたであろう藤の花の香りには、筋肉の緊張を和らげ疲れを癒し痛みを和らげ頭をスッキリさせる作用があるそうだ人もなき宿に匂へる藤の花

  • 智慧あり顔の木蓮の花

    与謝野晶子春はただ盃にこそ注ぐべけれ智慧あり顔の木蓮の花昨日は木曜稽古椿はほぼ終了代わりに庭の野草が芽をだし始めた葉を広げ蕾を抱く芍薬その足元に小さな地エビネ紫蘭それにシャガ(射干)別名は胡蝶花あとフタリシズカ鳴子百合宝鐸草窓の外には黄エビネ見上げると木蓮も蕾がある木戸のもみじは葉柄を長々と伸ばし始めいま丁度花を咲かせてる一部はプロペラの種を持っているこのところは庭に降りるのが楽しみだ写真はイノさんが送ってくれた某有名庭園の藤見事智慧あり顔の木蓮の花

  • 朧月

    海棠の花のうつつや朧月其角今日は水曜稽古雨が降ったり止んだり暑かったり寒かったり春の気候は疲れるね稽古の花をまずは切り取りしばし流し水にしておくとよく水が上がる鳴子百合が可愛らしい炭手前は自在に手取釜もうひとつの炉は裏鏊釜ウラゴウガマの透木の扱い炭手前は初炭手前後炭手前に盆香合初炭所望後炭所望などそれに大炉吊り釜透木釜茶飯釜など色々炭手前は楽しい朧月

  • 空のいとゆふ

    藤原定家春のおる花のにしきのたてぬきにみだれてあそぶ空のいとゆふいとゆふとは①春の晴れた日に、蜘蛛の子が糸に乗じて空を浮遊する現象。蜘蛛の糸が光を受けて流れ乱れるさまは、薄い絹織物にたとえられる。また、蜘蛛の糸が光の加減で見えたり見えなかったりするところから、あるかなきかのものにもたとえられる。遊糸(ゆうし)。《季・春》②春あるいは夏の晴れた日に、地面から立ちのぼる気。陽炎(かげろう)。③「いとゆうむすび(糸遊結)」の略。(コトバンクより)写真はうちの猫ミーちゃん写真を撮られるのが嫌い寝てるかと思ったら薄目あいてる空のいとゆふ

  • 藤浪の

    大伴四綱ヨツナ藤浪の花は盛りになりにけり奈良の都を思ほすや君大伴四綱オオトモノヨツナ奈良時代の官吏。天平(729-749)初年のころに大宰府防人司佑(さきもりのつかさのじょう)をつとめた。17年雅楽助(ががくのすけ)となり,正六位上をさずかった。「万葉集」に歌5首がおさめられている。名は四縄ともかく。今日は東京美術倶楽部の「和美の会」4月の今日13日と14日にひらかれる全国の有名茶道具商が集まっての展示即売会拝見するだけでとても勉強になるのだお道具屋さんがカタログを送ってくれたけど何も買わないのでいや買えないので手土産にお菓子を持っていった三階のお店の場所を確認し早足で行くがそのブースの椅子に年配の男性が座ってる確かに見たことある人だ「駄菓子ですが」と手渡したところが一軒店を間違えていた目指すは隣の店だっ...藤浪の

  • うらうらに照れる春日

    大伴家持うらうらに照れる春日にひばり上がり心悲しもひとりし思へば今日は木曜稽古蛭釘に自在を吊り手取釜を掛けるもう一つの炉には裏鏊釜(うらごうがま)で透木の扱いのお稽古炉の茶の湯もあとわずか裏鏊釜ウラゴウガマは天命作の鏊ヤキナベの底が見事であるところから考案されたと。鏊ヤキナベをさかさまにし、底に穴をあけ釜の口とし、これに別に作った底を後から取付け釜に仕立てたもの。とか宗旦好みは、釜の胴と底の部分に段があり、裏に左右に二つづつ計四つの賽の目の鐶付が付き、そこに鉄の舌のような形をした端立を差し込んで透木に掛けて使用。今使ってるこの裏鏊釜ウラゴウガマは黒豆さんから頂いたもの上記と同じようなのでどうやら宗旦好みらしい写真は我が家の紅葉先週からの雨で物凄いスピードで成長してる葉が伸びてきたなと思ったら紅...うらうらに照れる春日

  • 朧月夜に

    源具親ミナモトノトモチカ難波潟かすまぬ波も霞みけりうつるもくもる朧月夜に源具親ミナモトノトモチカは鎌倉時代初期の公家・歌人。村上源氏俊房流、右京権大夫・源師光の次男。官位は従四位下・左近衛少将。小野宮少将と号す。新三十六歌仙の1人。今日は水曜稽古和歌色紙を掛ける筆者は中園季定ナカゾノノスエサダ1627-1686公卿。中園家の祖。高倉嗣良の末子。小倉実起の弟。従二位参議。貞享3年(1686)歿、60才。朧月夜に

  • 蔦の若葉もあゆみそめ

    潅仏や蔦の若葉もあゆみそめ千代女灌仏カンブツとは1仏像に香水(こうずい)を注ぎかけること。また、その仏像。浴仏。2「灌仏会(かんぶつえ)」の略。今日は灌仏会、花まつり月に一度、古筆の勉強会伊予切。大正13年に分割されるまで伊予松平家に伝わった為。『和漢朗詠集』を書写した粘葉装冊子本。伝称筆者を藤原行成(972〜1027)とするが、「高野切」第三種表に藍と紫の飛雲を漉き込み、表裏に雲母砂子を撒いた白鳥の子の料紙上下二帖の筆跡は三種に分かれて①伊予切の第一種上巻の前半(高野切第三の古筆と同筆)②伊予切の第二種「秋夜」の後半以降と下巻のはじめ十二頁まで③伊予切の第三種その他は後世の補写か難しいね写真は今日のランチ蔦の若葉もあゆみそめ

  • 火宅ともしらで

    土岐二三火宅ともしらで火宅にふくめしは直に自在の鑵子なりけり土肥二三どひ・じさん生年:寛永16(1639)没年:享保17.1.6(1732.2.1)江戸前期の茶人。土岐二三とも。名は豊隆,通称孫兵衛。生没年には異説もある。三河吉田の牧野成貞に仕え,物頭役200石。茶,琵琶,香にすぐれ,伽羅の名香や銘「杜鵑」の琵琶を所持した。茶の湯は織田貞置に有楽流を学ぶ。元禄3(1690)年致仕して京都岡崎に隠棲。自在軒と号。近衛家煕,鷹司輔信らと交流,数寄者として知られた。(朝日日本歴史人物事典)今日は土曜日着物を着て銀座谷庄の茶会へそのあとは綱島のふくもとで食事会平和で満点の一日写真はお花見のような口取り火宅ともしらで

  • 春の夜の月

    写真は加藤義清春花の乱れ心に似ぬものや梢ににほふ春の夜の月加藤義清カトウヨシキヨ元治元年(1864)~昭和16年(1941)享年78歳歌人・御歌所寄人。名古屋生。号は蕉陰・鏡迺舎。菊間平八郎の五男、加藤安彦孫娘婿。従五位・勲五等に叙せられる。著書に『火筒のひびき』『渡るに安き安城の』等がある。以前にアップしたものコピーしたもの昨日は木曜稽古今日は半年に一度のガンの検査異常は無しです手術してから十年経ちましたね今までのように検査は半年でなくてもという先生いえいえ私目心配性なので今後もお願いいたしますはいではそうしましょう春の夜の月

  • 江戸人は上野をさして

    江戸人は上野をさして春の山子規今日は月に一度の小熊の花月廻り炭と濃茶付花月午前と午後の斑それぞれ一回ずつ《廻り炭之式》無学宗衍ムガクソウエン江戸後期の臨済宗の僧。大徳寺三百七十八世。無学は字、宗衍は諱、把不住軒と号する。玉林院の龍門宗禹の法を嗣ぎ、のち明和4年大徳寺に出世。後桜町天皇より至聖大妙禅師の勅号を賜る。寛政3年(1791)寂、71才。その無学の廻り炭の偈頌ゲジュは端的底看聻タンテキテイニミヨニイ炭をつぐことの極意どうやって炭を置けば最も火がおこりやすく無駄がないか湯の沸く時間みかたや置き方を修練する一人一人の炭のつぎ方を拝見してその風情や変化を学ぶもの無理なはさみかたをして炉壇を傷つけたり次の人が炭をあげるのに困るような置き方をしては極意とは言えない炉の時のみの廻り炭思ったより時間がかから...江戸人は上野をさして

  • 四条五条の橋の下

    春水や四条五条の橋の下蕪村今日は読売カルチャー高山右近タカヤマウコン安土桃山時代の武将。キリシタン大名。名は長房、重友、友祥(ともなが)。右近は呼び名。洗礼名ジュスト。織田信長、豊臣秀吉の臣として戦功があり、高槻・明石に封じられた。禁教後マニラに追放され客死。茶人としてもすぐれ、利休門下七哲の一人。天文二一~元和元年(1552~1615)キリシタン大名とは室町から江戸にかけ、当時のカトリックの教徒となった大名。九州の大友宗麟、大村純忠、有馬晴信、近畿の高山右近、小西行長等がいる利休七哲と前田利長(加賀の肥前)、蒲生氏郷、細川忠興(三斎)、古田織部、牧村兵部、高山南坊(右近)、芝山監物の七人これは千宗旦(利休の孫)が話したもの。その後、七人のうち前田利長を外し、瀬田掃部に入替えられている。写真の椿は羽衣四条五条の橋の下

  • 朧月夜にしくものぞなき

    大江千里照りもせず曇りもはてぬ春の夜の朧月夜にしくものぞなき照り渡るというのでもなく、完全に曇ってしまうというのでもない春の夜の、ほのかなおぼろ月夜の風情に及ぶものはない。今日は五島美術館お友達の茶会だ濃茶に薄茶点心は三友居三月晦日晴天心地よい風が茶室に入ってくるお茶会日和だ五島美術館の建物は、吉田五十八ヨシダイソヤ1894-1974の設計寝殿造の意匠を随所に取り入れた建物だ古経楼にて濃茶薄茶富士見亭で点心若返り饅頭のお土産を頂戴したこの2つの茶室は本館と共に国の登録有形文化財(建造物)になった写真は五島美術館茶室の横あたり朧月夜にしくものぞなき

  • 水もぬるみけり

    鷺烏雀の水もぬるみけり一茶さぎカラスすずめの水も…大自然の水辺の風景今日は一気に春めいてきた庭の椿も満開写真はおともだちから玄関ドアに掛けてありますとメールのあった銀閣寺のお菓子水もぬるみけり

  • 春いかづちの 音さへや

    斎藤茂吉鳴り傳ふ春いかづちの音さへや心燃えたたむおとにあらずも今日は食事会いつもの綱島ふくもと出かけるときは暴風雨途中からバスに乗り込んで来た森金さんはすっかり濡れ鼠傘をさしても濡れたらしいお花見の食事会今日は六名食事お酒ともに美味しい最年長88歳を筆頭に83歳80歳のお顔ぶれ一番若手は48歳皆明るく賑やかにほろ酔いの中でお開きした空は晴れ午前中とは大違い写真は焼き筍と桜鱒の木の芽味噌蕗の薹の天ぷらとはじかみはじかみとは金時生姜の一種を茎や根が柔らかくなるよう温室で軟化栽培したもの。見た目が矢にそっくりなので「矢生姜」とも。焼き魚に添えられ紅白の彩りと口直しピリッとした辛さと甘酸っぱさが魚の臭みを消してくれて、脂っぽくなった舌をさっぱりさせる。春いかづちの音さへや

  • 峰の白雲

    九条良経葛城の峰の白雲かをるなり高間の山の花盛りかも九条良経クジョウヨシツネ平安末期から鎌倉初期の公卿・歌人関白・九条兼実の次男官位は従一位・摂政、太政大臣九条家2代当主後京極殿と号した通称は後京極摂政ゴキョウゴクセッショウ中御門摂政ナカミカドセッショウ昨日は水曜稽古だったが疲れてしまい早い時間に寝てしまった今日は木曜稽古朝はまだ寒し雨が降ってる暑さ寒さも彼岸までとは言うがまだ寒い峰の白雲

  • 春寒や道ほそぼそと

    春寒や道ほそぼそと阿弥陀堂青畝青畝今日は天気が悪いお弟子様達は根津美術館での茶会へ朝から雨だ着物で出かけるのは大変だろう根津美術館の茶室は庭に点在している飛び石や石の階段草履での異動は足元が不安定私のような足弱は危険でもある転んで怪我でもしたら大変元気なときに行くべきだろう昨日の夜のことスマホに充電をしようと口金をセットすると画面に緊急メッセージ水気があるからダメですダメです乾いてからにしてくださいというようなのが出たそういえばスマホに珈琲を掛けてしまったよく拭いたつもりだが取りきれてなかったのだろう自然乾燥とのことでしばし触れない壊れてしまうかも電池もゼロだしもうこのスマホを使えないかも調べたいこともあったし友人に連絡も取りたかった寝るときの睡眠導入のユーチューブは見れないから寝付きが悪かったストレスで...春寒や道ほそぼそと

  • ゆき暮て雨もる宿や

    ゆき暮て雨もる宿やいとざくら蕪村外は小雨今日はお茶碗研究会唐津茶碗のお勉強唐津は種類が多い無地唐津黒唐津斑唐津彫唐津瀬戸唐津三島唐津献上唐津奥高麗茶人の好む茶碗に一楽二萩三唐津と言うまた一井戸二萩三唐津とも言う彫唐津は織部好み岸岳飯洞甕下窯キシダケハンドウガメシタカマ口辺は不規則な五角形高台低く二重高台のもあるとのこと長く勉強していたのに記憶してなかった焼物の勉強もお茶と同じで卒業がない写真はこぶし姫こぶしかも小雨のなか花が咲いているゆき暮て雨もる宿や

  • かげもくもらぬ春の空かな

    藤原定家鏡山みがきそへたる玉椿かげもくもらぬ春の空かな今日は根津美術館へその後サントリー美術館根津美術館は二回目なのでゆっくり確認しつつ回る奥高麗も二度め瀬戸唐津や皮クジラも奥高麗に含まれるらしい展示室5では雛人形と百椿図百椿図とは江戸時代に植物への興味が募り園芸趣味が流行った頃椿の絵は狩野山楽数多くの異なる種類の椿を集め椿のあらゆる姿を濃厚な彩色と的確な筆致で狩野山楽が描いている。賛は江戸時代前期を代表する禅僧、茶人、公卿や武士、連歌師、国学など文化人たちが、漢詩や和歌などの賛を寄せており、椿愛好の高尚をうかがわせる写真はお昼東京ミッドタウンにてこの後グラスワインを頼んだかげもくもらぬ春の空かな

  • はるのはつかぜ

    大江廣海かたおかの毛山のひごもりうち霞いがきをもるる春の初風昨日は木曜稽古掛けものは懐紙春懐紙というように春にふさわしいといわれる掛けものだ筆者は大江廣海オオエヒロミ明和6-天保51769-1834江戸時代後期の国学者だ。字は景迹。号は檉園、健斎。村田春海に学び、京都で活躍した。とのこと詠社頭初春ひごもりとは農作業の安全と豊作を祈願し氏神様や天神様の境内でお酒やごちそうを楽しむ。日中に境内に籠もることから日籠りというようだいがきとは「斎垣」と書くようだ(みだりに人の入ることを許さない)神社のまわりの垣。玉垣。瑞垣(みずがき)。七十四歳になったがまだまだ知らない言葉がたくさんあるはるのはつかぜ

  • つくしつみにし春し思ほゆ

    くれなゐの梅ちるなべに故郷(ふるさと)につくしつみにし春し思ほゆ正岡子規今日は水曜稽古午前中は昨日よりあたたかかったが午後から急に天候が変わり嵐のような風が吹き激しい雨にあられひどい天気だった私は午後から重たかった身体がいつの間にか軽くなり昨日からの不快感は消えていたおとといくらいから何だが具合が悪く朝は起きれない起きたくないのだやっとのこと立ち上がると足元がフラフラしてる捕まりながら動くなどこの二,三日はなんとなく身体が重く具合が悪い感じだったそれはお天気のせいだったようだ私はお天気病ネットを見ると天気の影響を受けて発症したり、症状が悪化したりするものは「気象病」と呼ばれており、原因は気圧変化、気温変化、湿度変化と言われている。写真は「つくし」を五本貰った土筆(つくし)「付子」とも書くつくしは木賊(とく...つくしつみにし春し思ほゆ

  • 春の寒さ哉 蕪村

    池田より炭くれし春の寒さ哉蕪村池田とは池田炭のことだろう今日は火曜日寒かった毎週火曜日には明治か森永のヨーグルトが届くカッぷのふたを開けてスプーンでくるくるさせてから食べるのだ糖分もすでに入っているのだがプラスジャムをいれていた美味しい最近はジャムを止めて乾燥いちぢくと干し葡萄を少しいれておく一晩経つと甘く柔らかくなるこれも太る原因の一つだろう写真は茶入の仕服名前がわからないからと友人からLINEがきた裂地の本を探したが見つからずお弟子様の一人に聞いてみたらすぐ調べてくれた正倉院緑地花鳥文錦とのこと感謝である春の寒さ哉蕪村

  • 昼夜を分つ彼岸哉

    牡丹餅の昼夜を分つ彼岸哉子規今日は彼岸の入り夕方お弟子様の秋さんがケーキを届けてくれたイチゴと生クリームホワイトチョコレートのバースデーのプレート細い蝋燭が10本ついている最近以上に体重が増えたので少し食べ物に気を付けよう明日から今日の夕食はこのケーキホワイトチョコレートのプレートをパクリ美味しいケーキは半分食べた柔らかいし思ったより甘くない美味しい美味しいもっと食べたいけど止めておこうあと餃子で夕ごはん終了ご馳走様でした昼夜を分つ彼岸哉

  • 川べりの青蕗の薹

    斎藤茂吉日あたれば根岸の里の川べりの青蕗のたう揺りたつらむか今日は森金さんの茶事私目はお香の香炉を調整するウロウロしていたら「何もしてないのね」とお弟子様に指摘された席入して挨拶そして始めに源氏香その結果ご正客様とご次客様がズバリと当たられたお見事水屋は余裕の三名緊張することなく茶事の短い一日が過ぎた川べりの青蕗の薹

  • 朝霞へだつるからに春めくは

    藤原定家朝霞へだつるからに春めくは外山や冬のとまりなるらむ今日は恥ずかしながら私の誕生日会都合で一日早いひとりは高校からの友達もうひとりは幼稚園からの友達高校一年の同級生だから今年74歳なので15歳からというと60年も続けている凄く仲が良い訳でもないが諸々の欠点はそのままお互いに諦アキラめただ健康で元気でいてくれればいいやという気持ちいやはや年月はかくのごとく人を丸くするのか今日は東京駅大丸12階のサバティーニトスカーナランチ予約してあった税込みで4,800円前菜パスタズワイ蟹のパスタ写真の前に食べ始めてしまったメインディッシュは肉魚選ぶ私は魚スズキデザートに珈琲お料理は美味しかったがたくさんのお客様で忙しいからかホールがあまりね…そのあとはイノダ珈琲レモンテイを頼んで上がりだ朝霞へだつるからに春めくは

  • 東風コチうけて

    東風うけて川添ゆくや久しぶり召波ショウハ黒柳召波クロヤナギショウハ江戸中期の俳人。別号、春泥舎。京都の人。服部南郭に漢詩を学ぶ。明和初年頃、蕪村の三菓社に加わり、俳諧に精進。著、「春泥発句集」など。享保一二~明和八年(一七二七‐七一)写真は三月のはじめのふくもとの食事会お料理のあとに運ばれたお菓子とお薄ひな祭りのお菓子はふくや製の「ひちぎり」東風コチうけて

  • 春寒の

    春寒の社頭に鶴を夢みけり夏目漱石今日は早く稽古にきたお弟子様に庭の花を切って花を入れて貰った花入は仁清写しの「錠花入」錠とはじょう〔ヂヤウ|ジヤウ〕【錠/▽鎖/×鏁】他人に開けられないように、ドア・引き出し・金庫などに取り付け、鍵かぎで開閉する装置。「―を掛ける」「―をはずす」写真は畠山記念館所蔵の野々村仁清作の「錠花入ジョウハナイレ」春寒の

  • 古短冊

    春は物の句になり易し古短冊夏目漱石今日はお弟子様の森金さんのお茶事今年の大河ドラマに因んで源氏香の茶事今日の水屋は三名行くときは小雨チラホラ午後からの天気は春の嵐強めの風が吹きすぎ冷たい雨が降るタクシーを降りたら一刻も早く家のなかに入りたくなる写真は今日の花胡蝶侘助と日向水木わ古短冊

  • 春の心はのどけからまし

    世の中にたえて櫻のなかりせば春の心はのどけからまし散ればこそいとゞ櫻はめでたけれうき世になにか久しかるべき(伊勢物語)掛軸の箱を開け軸を取り出し掛ける鑑賞したら巻くそして箱にしまうまでそれぞれ緊張する箱の蓋を開けるとき気を許してはならない爪で箱を傷つけることがあってはならないから慎重に掛け紙があればゆっくり外して箱の甲書きを読む裏を返して極めを見る軸の紐をほどき巻き紙を外して軸を掛け少しずつそっと掛け下ろす乱暴にしたら掛け緒が外れてしまうかも知れぬまたは掛けている竹釘や軸釘が壊れているかも知れないから様子を見ながら掛ける軸を鑑賞したら巻き上げるのだが掛け下ろすより巻きあげる方が難しい軸を持って均等に巻き上げる傾くとどんどん斜めになってしまう固くもなく柔らかくもなく巻くでないと巻き皺シワが寄ってしまうから力...春の心はのどけからまし

  • 霞たち

    紀貫之霞たちこのめも春の雪ふれば花なきさとも花ぞちりける今日は日曜日用事のないリラックスの日曜日でもあまりに散らかってるので片付けをせねばならぬでもなんと朝の寒いことよお昼頃になってかさばる道具のいくつかを納戸にしまったとりあえずここまで写真は先日の食事会の白魚の卵とじ春の白魚扱いが難しい霞たち

  • 飛雲

    料紙の装飾に「とびくも」があるとび‐くも【飛雲】とは和紙の装飾としてところどころに雲のような形に漉(す)きこんだ、藍色や紫色の繊維。〔文芸類纂(1878)〕飛雲は大きい方が古い時代がさがるにしたがって小さくなる「中院切」「小島切」「筋切」「伊予切」「敦忠集切」「中院切ナカノインキレ」は『後拾遺和歌集』の断簡で、もとは粘葉装の冊子本であった。「中院切」の名前は、江戸時代に公卿で能書であった中院通村(1588~1653)が所持していたことにちなむ。藍と紫の飛雲を漉きこみ、金銀の揉み箔を全体に散らしている。「小島切」小島切の名は、茶人でもあった小島宗真が所有していたところから、江戸末期の頃には『小島切』と称されている。和紙販売のネットには小島切の臨書の用紙が出ている藍と紫に染めた繊維を飛雲として漉き込んだ薄茶の...飛雲

  • あしたのはらにあはゆきぞふる

    源実朝わかなつむころもでぬれてかたをかのあしたのはらにあはゆきぞふる今朝4時半雪が降っていた昨日は木曜稽古終わったのは夜9時半過ぎてブログは書けなかった三日前から建仁寺垣を新しくするため庭師の御兄さん達が仕事にきた若いしとても感じがいいあまりに好青年なのでおやつをたくさん用意してお稽古日にはアイテラ氏にお薄を点てて貰った初めての御抹茶「結構なお点前で」なんて言って感動していた出来上がりは真みどりの竹の建仁寺垣初めは青竹だから緑なのは当たり前だが変色してからの方が見慣れてるこの青竹もすぐに色が変わってしまうだろうがしばし青竹の垣根を楽しもう今朝は雪が降ったたいして積もってないが傾いた灯籠も直してくれてちょっといい雰囲気あしたのはらにあはゆきぞふる

  • 徒然まさる春雨

    藤原俊成ながめするみどりの空もかき曇り徒然まさる春雨ぞふる今日は水曜稽古雨が降ってる寒い今日は出稽古なので花を持参す庭の椿加茂本阿弥と曙日向水木それと雪やなぎを切るが手がかじかんでゆっくり選んでは取れないそれくらい寒い月に一度クマショウさんのお宅で七事式のお稽古短歌を作らないといけないから筆で文字を書かないとならないからとみんな嫌がる香付花月とわりと気楽な炭付花月午前午後の二組に別れて集まるいやだと騒ぐ割にはみなそれなりに短歌や俳句を作り筆のせいにしつつも上手に記録紙に書いてる午前は雪子さんが午後は白子さんが花をひいて記録紙を貰ったワイワイ賑やかな一日だった徒然まさる春雨

  • 啓蟄や

    啓蟄や指反りかへる憤怒仏楸邨加藤楸邨カトウシュウソン俳人。東京生まれ。東京文理大卒。水原秋桜子に師事し、「馬酔木(あしび)」同人として活躍。昭和一五年(一九四〇)「寒雷」を創刊主宰。中村草田男、石田波郷とともに「人間探求派」と呼ばれた。句集に「寒雷」「野哭」など。明治三八~平成五年(一九〇五‐九三)今日は啓蟄読売カルチャーへ2ヶ月休んでしまった「秀吉と利休の話し」秀吉の醍醐の花見慶長三年三月十五日1598.4/20この花見で読まれた短冊は重要文化財「醍醐花見短冊帖」として今も醍醐寺の三宝院に保管されているいつだったか東京国立博物館の醍醐寺展でガラス越しに拝見したことがある豪華な金箔の下絵にサラサラと和歌をしたためて優雅であることこの上なし招待客は約1,300人。秀吉は下見のために醍醐寺へ足繁く通い、殿舎の...啓蟄や

  • 顔 わすれめや雛二対

    箱を出るかほわすれめや雛二対蕪村今日はひな祭り何もしない日曜日午後に森金さんがやって来た昨日買ったお醤油のたっぷりかかったお煎餅ちょっと食べたら止まらない朝の番組でゲストが言った人は辛いこと厳しいことには耐えられるのだが快楽には抗えないこの先きっとお菓子の欲望は止まらない帰りに持っていってもらったあとは残りの雛あられでも食べよう写真は庭の「胡蝶侘助」顔わすれめや雛二対

  • 住替スミカワる代ぞ

    草の戸も住替る代ぞ雛の家芭蕉今日は朝日カルチャーの「崩し字の読み方」三十六歌仙和歌角倉素庵江戸初期東京国立博物館を勉強角倉素庵(すみのくらそあん、元亀2年6月5日〈1571年6月27日〉-寛永9年6月22日〈1632年8月7日〉江戸時代初期の土木事業家、儒学者、書家、貿易商。角倉了以の子。本姓は吉田、名は与一、諱は玄之(後に貞順と改め)、字は子元、素庵と号した。別号は期遠、西山。書道角倉流を創始。長男に玄紀(京角倉家)、次男に厳昭(嵯峨角倉家)。母は吉田栄可の娘。儒学を藤原惺窩に、書を本阿弥光悦に学び、書道の角倉流を創設、能書家としても近世五人の一人に挙げられている。父・了以の跡を継いで貿易業や土木事業にも携わる。晩年、活版業を志すも、寛永4年(1627年)らいに倒れ、家業を子に譲って嵯峨野へ隠居。その後...住替スミカワる代ぞ

  • 桃の月

    雛祭る都はづれや桃の月蕪村今日は食事会場所は綱島のふくもとまずは菱形の向付にヨモギ豆腐タレがかかり美味しいのなんのそしてかけ汁の余ったのを菱形の角からそっとそっと口許に運ぶバイ様と辛子様「喉が渇くわよ」と言うと渇いても良し美味しいものは残さず頂く私も真似して半分頂いたが汁だけでなく中身が欲しい桃の月

  • 猫の妻

    猫の妻へついの崩れより通ひけり芭蕉今日は二月最後のお稽古大炉の逆勝手のお点前は頭をとても使うのでお腹がすくたくさん食べるので眠くなる昨日も夜8:30頃に寝た目が覚めたら夜10:15もう一度寝て起きたら真夜中1:20またまた起きたらまだ夜中3:50そのつぎは朝の5:58起床順調に年寄りになっている今日はお稽古にシモちゃんが赤ちゃんと遊びに来てくれた前回はだっこさせてくれたのに人見知りが始まったとかで抱けないそれでも二回ほど重たい赤ちゃんを抱いた幸せだシモちゃんの長男は凄く重かったが今度は女の子七キロぐらいあるうちの猫に興味があるらしい写真を撮るとわが猫と私の年寄りさが際立った猫の妻

  • 春の夜の

    周防内侍春の夜の夢ばかりなる手枕にかひなく立たむ名こそ惜しけれ今日は水曜稽古二月最後の週稽古大炉の点前の復習をそれぞれがする椿の花がたくさん咲き出した貝母を切ったので花をいれてみて欲しい花を見積もって花入れに生ける霧を吹いて完成気分がスッキリするでしょう今日の掛けものは光悦筆宗達下絵複製だが読みの勉強にもなる和歌は藤原定家春の夜の夢の浮橋とだえして峰に別るる横雲の空『新古今和歌集』(巻第一春歌上38)夢の浮橋とは、夢の中のあてにならない通い路、または儚い夢。とだえしてとは夢が途絶える・儚い夢から目を覚ます。峰に別るるとは別れる、離れ離れになる。だそうだ春の夜の

  • 雪のうちに春はきにけり鶯の

    二条のきさき雪のうちに春はきにけり鶯のこほれる涙いまやとくらん(伊勢物語)昨日の月曜日は茶碗研究会御本茶碗の勉強だったブログは少し書いたのだが途中で寝てしまってアップ不能気が向いて今日は根津美術館へ展覧会は魅惑の朝鮮陶磁謎解き奥高麗茶碗2024年2月10日(土)~3月26日(火)お茶碗研究会で勉強したばかり講義の内容を思い出しながら拝見新羅土器から玄悦茶碗半使茶碗まで時代に沿って展示されている観光客が多いがそれほど混んでないのでゆっくり拝見できたお喋りするとすぐお静かに警察が飛んでくるそしてガラス越だが名品を拝見三島茶碗「上田暦手」重要文化財雨漏茶碗青井戸「柴田」堅手「長崎」錐呉器茶碗「張木」良かった奥高麗もたくさん拝見した良かった写真はもうすぐ開く貝母の花雪のうちに春はきにけり鶯の

  • 若紫のすりごろも

    春日野の若紫のすりごろもしのぶの乱れ限り知られず在原業平今日は文の会イタリアンで待ち合わせグラスワインとおつまみにパスタ二種お腹を満たしてから雑談にお勉強を少し昔は桑田忠親の『茶人の名書簡』を教科書にしていたそのあとは竹取物語伊勢物語大和物語そしてまた今は伊勢物語金曜日の光琳茶会立礼席の主茶碗は黒楽16代楽吉左衛門作初めての個展の作だとのこと銘は「うひかうぶり」それは伊勢物語の「初冠」だろう初冠とは元服して、初めて冠を着けること。伊勢物語に「むかし、をとこ、うゐかうぶりして、平城(なら)の京、春日の里にしるよしして、狩に往にけり」とある日曜日は大河ドラマ紫式部の物語だ文の会のバイ様とおしゃべりで盛り上がった若紫のすりごろも

  • 見ぬ恋つくる

    紅梅や見ぬ恋つくる玉すだれ芭蕉今日は光琳茶会MOA美術館は熱海私は品川から乗る新横浜から森金さんと、サカチカさんが乗ってくる乗ったら彼女達二人分の席も取ってほしいと言われ初めて自分で行く自由席二人の分も取らないと何を言われるかわからない緊張しつつ予定の新幹線二号車の自由席に乗り込んだ落ちついて中ほどの三人ならびの席を確保真ん中に座って左右に手持ちのバックを置く言われた通りちゃんと席取りましたぞ「席は8のabcです」ひとまず安心買ってきたサンドイッチで腹ごしらえ美味しいんだこのパン屋さん車内放送「次は静岡に止まります」静岡熱海は静岡の次かしら新横浜が近くなりまた車内放送静岡だとアナウンスするとライン「8のAは男性が座っていますが…」何言ってるのだろ切符をみると新幹線自由席特急券時間も書いてない多分静岡は熱海...見ぬ恋つくる

  • 春のはじまり

    斎藤茂吉蕗の薹味噌汁に入れて食はむとす春のはじまりとわが言ひながら今日は木曜稽古またも大炉と逆勝手二月は逃げると言うが教える方とて逆勝手は頭を使いとても疲れる早く三月になってほしいと密かに願っている写真は春の景色田南岳璋タナミガクショウ明治9年生まれ三重県松坂出身日本画家。本名は金太郎。田中成章、幸野楳嶺、久保田米僊、野村文挙などに師事し四条派や写生的な画法などを取り入れた風景・花鳥を描く。多くの賞を重ね、日本美術協会、日月会、のち日本画会の会員。京派とも呼ばれる四条派の画法を取り入れ力強くも上品で暖かみのある画風が評価され、今も人気を集めている。とネットに出ていたが山上の家が落ちそうで不安春のはじまり

  • 梅ちらす風もこえてやふきつらん

    今日は水曜稽古今日は書く元気がない今年もかわりなく同じように大炉と逆勝手掛物も同じ新古今和歌集以下昨年のブログと同じで許されよ大炉の点前は何より炭手前が面白い初炭もまた後炭も面白い月はじめの大炉の茶会をインスタにアップした宜しければご覧ください写真は今日の掛物古筆筆者は一条内経一条内経イチジョウウチツネ1291-1325鎌倉時代の公卿,歌人。正応4年7月17日生まれ。一条内実(うちざね)の長男。母は一条実経の娘。正安2年従三位。権大納言などをへて,文保2年内大臣にすすみ,ついで関白となる。従一位。「玉葉和歌集」などの勅撰集に23首おさめられている。正中2年10月1日死去。35歳。法号は芬陀利華院。歌集に「内経公百首」。歌は新古今集二月雪落衣といふことをよみ侍ける康資王母むめちらす風もこえてやふきつらんか...梅ちらす風もこえてやふきつらん

  • 猫柳

    北原白秋猫柳ものをおもへば猫の毛をなづるここちによき風も吹く写真は『型物香合相撲番附』西方第二段目、第四位呉須周茂叔シュウモシュク四方入角形呉須の合子甲盛り欄干に肘をついた人物が水面を眺めている姿側面は宝尽しの変形で七宝と巻物の二種が描れてる周茂叔しゅうもしゅく1017~1073宋学の開祖。池の蓮の花を愛し「愛蓮説」を著した呉州周茂叔香合は、水面に点描のあるものと無いものがあるがこの点々を蓮の花に見立て、水面の蓮を眺める人物周茂叔と連想を働かせてこの名があるため、水面に点描のあるものが好まれる。と猫柳

  • わがやどの梅のたち枝

    平兼盛わがやどの梅のたち枝や見えつらん思ひの外に君がきませる(拾遺和歌集)大河ドラマを観ている永井路子の「この世をば」上下をノロノロと何年も読んでいるが藤原ばかりで系図をみても理解できずごちゃごちゃそれが今年の大河ドラマではその小説に登場する人物が次々と出てくる俳優たちが演じるのだから理解不能だった藤原実資や古筆で重要な藤原行成も勿論実際とは異なるだろうがおおよその人物を計り、動く姿をみられる嬉しいことだ日曜のBSで見て地デジでもう一度そのあとはユーチューブのヤギシタドラマ解説かしまし歴史チャンネルなどなどをみてる平安時代の勉強中だドラマを見てから人物が浮き上がって理解しやすい拾遺抄は→藤原公任撰拾遺和歌集は→花山院の親撰だってこともようやくわかった写真は姫ホトケノザわがやどの梅のたち枝

  • まず咲く宿の梅の花

    山上憶良春さればまづ咲やどの梅の花ひとり見つつや春日暮らさむ山上憶良ヤマノウエノオクラ奈良時代の万葉歌人。遣唐少録として入唐。伯耆守、東宮侍講、のち筑前守。筑前守時代に大宰帥大伴旅人と交わりを結び、儒教・仏教・老荘などに強く影響を受けた、思想性の濃い主題の歌(「貧窮問答歌」など)を作った。他に漢詩、漢文、「類聚歌林」の編著がある。斉明天皇六~天平五年頃(六六〇‐七三三頃)(日本国語大辞典ヨリ)今日は日曜日お弟子様の森金さんがやって来た今日は暖かくなると言っても午前中の我が家はとても寒い我慢して打ち合わせお昼はお餅を焼いて食べた一日は早い明日の支度もあるから余計いちにちは早く過ぎるまず咲く宿の梅の花

  • うち靡く ウチナビク

    大伴家持うち靡く春ともしるくうぐひすは植木の木間を鳴きわたらなむうち靡くウチナビクとは「うち」は接頭語草木、髪などがさっと横に伏せる。今日はサカチカさんちの正午茶事寄付の軸は松本一洋待合は常信本席は近衛家の十六代写真の花は黒文字と賀茂本阿弥椿花入はサハリ近衛家当主15近衛尚通コノエヒサミチ諡号後法成寺16近衛稙家コノエタネイエ17近衛前久コノエサキヒサ一字名:竜・山・杉・春道号:竜山(龍山)18近衛信尹コノエノブタダ信基(初名)→信輔→信尹諡号三藐院19近衛信尋コノエノブヒロ二宮(幼名)→信尋→応山(法名)20近衛尚嗣コノエヒサツグ尚嗣→大元(法号)21近衛基熙コノエモトヒロ号:悠見、一字名:悠・菊22近衛家熙コノエイエヒロ豫樂院(号)23近衛家久コノエイエヒサ24近衛内前コノエウチサキ25近衛...うち靡くウチナビク

  • 梅の園生

    好忠山里の梅の園生に春日すら木づたひ暮すうぐひすの聲好忠とは曽禰好忠ソネノヨシタダ生没年不詳平安中期の歌人丹後掾(じよう)であったので曽丹・曽丹後ともいう。昨日は木曜稽古だった最近はずっと早起きだ五時から五時半までには起きる早起きでも朝は弱いのでボーッと新聞やビデオを眺めてるそして大体七時頃から動き始めるのだだから自ずから夜も早くなるようだお茶の稽古の日は別だがだいたい午後八時頃には眠たくなり九時か十時にはもう寝てるよく寝たぁと思って目覚めるとまだ十一時半二回目起きるとまだ夜中の二時祖母の生活を思い出した今の私と同じようだったあまり眠れず早寝早起きだ歩くのがゆっくりになったり集中力がなくなり休み休みでないと何でもできなくなったり足元がいつもフラフラ掴まらないと転びそう何事も去年はできても今年はできるとは...梅の園生

  • 枯笹や

    枯笹や氷室すたれし蕗の薹犀星室生犀星ムロウサイセイ詩人、小説家。石川県金沢出身。本名照道。金沢高等小学校中退。幼少時から辛酸に満ちた生活を送ったが、東京の雑誌に詩を投稿し、みとめられて上京。北原白秋・萩原朔太郎・山村暮鳥らを知り、作家生活にはいる。「愛の詩集」「抒情小曲集」で詩壇にその地位を確立。のち小説も発表。作「性に眼覚める頃」「あにいもうと」「かげろふの日記遺文」など。明治二二~昭和三七年(一八八九‐一九六二)(ウィキペディアより)今日は水曜稽古二月は大炉と逆勝手の点前思い出しながらやってる写真の筆者は久隅守景唐子の絵古筆了音の極めあり子供は春の取合せに使うというほのぼの【久隅守景】は江戸前期の画家。通称、半兵衛。号、無下斎、一陳翁など。江戸に住み、のち加賀へ移る。狩野探幽門下の四天王の一人で、のち...枯笹や

  • 白梅や

    白梅や青蓮院の屋根くもり芥川龍之介この青蓮院とは京都市東山区粟田口にある天台宗の青蓮院門跡寺院だろう開山は伝教大師最澄青蓮院は、山号はなし本尊は熾盛光如来国宝「青不動尊」が有名だ大日如来の化身が不動明王で不動明王は五色あり青が一番上位だそうだ青蓮院は紫兎先生と何度もご一緒した東山周辺は懐かしいサントリー美術館では四百年遠忌記念特別展大名茶人織田有楽斎開催中2024年1月31日(水)~3月24日(日)読売新聞の写真有楽が所持したと伝えられる茶道具の名品が展示されていると写真に出てる青磁茶碗は東博のと同系だろうか見てみたい日曜日は五島の茶会だったので展示の茶道具の取り合わせを同行のヨーさんと拝見したが係の人がすぐ駆けつけ静かにとまたもいわれた素晴らしい道具を見れば誰だって声を出したくなるものだましてや友人がい...白梅や

  • 梅の宿

    梅の宿残月硯を蔵しけり夏目漱石今日は旧暦の一月三日夜空にはかうかうと三日月が浮かんでるらしいテレビ画面の月を見た今日は古筆のお勉強会いつも渋谷で乗換える工事中の渋谷駅、駅の中はごちゃごちゃでスムーズに進めない足元も危ないこの頃は山手線のホームからハチ公口の改札口を出てハチ公を横に見ながら急ぎ足で進む信号を渡りエスカレーターで井の頭線に乗りかえる今日は祭日ゆえか渋谷は凄く混んでた写真は井の頭線の渋谷駅改札口を出たところにある岡本太郎の「明日の神話」古筆家は江戸時代を通じ古筆鑑定の家として栄えた初代は古筆了佐、本名は平澤範佐、近衛前久より鑑定の伝授を受け、豊臣秀次より鑑定書に押す「琴山の印」と「古筆の名字」を受けた古筆家は昭和の初めまで鑑定に関わり「平澤了任」が最後の当主となり、廃業したと梅の宿

  • 帚木の

    帚木の心を知らで園原の道にあやなく惑ひぬるかな(源氏物語)近づけば消えるという帚木のような、あなたの心も知らないで近づこうとして、園原への道に空しく迷ってしまったことです今日は五島美術館でお茶会昨年の「和」12月号の特集源氏物語の茶会寄付は土佐光起の長男、土佐光成筆ミツナリとかミツシゲとも江戸初期から中期に活躍描かれているのは石山寺の紫式部紫式部は中宮・彰子の為新しい物語を作ることになり石山寺に七日間参籠したその際まず青年貴族が都から遠く離れた須磨で月を眺め、かつての暮らしを恋しく思うシーンを構想そこから物語を書き始めたと寄付の絵の一部が和の表紙になっているとのお席主の話し本席床は後醍醐天皇宸翰吉野切「おもひきやいのちをきわのあるままのよその契りとならむものとは」花入認得斎作竹一重切銘宮柱花鶯神楽光源氏...帚木の

  • 春の暗示のそことなく

    北原白秋猫柳春の暗示のそことなくをどる河辺を泣きてもとほる「高野切」の高野は高野山(こうやさん)のこと。この古筆の一部が一時、高野山にあったことから、この名がつく豊臣秀吉が、比叡山など寺院を焼き討ちしていた時期、高野山文珠院の高僧の木喰応其(もくじきおうご)だけは、秀吉を説き伏せ、焼き討ちを免れた。その時、秀吉から巻9の一部が、高野山にもたらされたと。高野切は905年に編纂された「古今集」を書いたもの。紀貫之が清書して醍醐天皇に献上したと言われる最初の333古今集20巻(奏覧本)は12世紀頃までに焼失した。現存する最古の古今集の写本が高野切。1049年頃に書かれたと言われてる。書かせたのは、藤原道長の子、藤原頼道。以後、近衛家に代々伝わる。第1種=藤原行経第2種=源兼行第3種=藤原公経と料紙は麻紙(まし)...春の暗示のそことなく

  • 白魚や

    白魚や美しき子の触れて見る漱石今日は区役所とクリニック一月から鼻がぐずぐず目がかゆいくしゃみをしたら止まらない花粉症だ飲む薬、目薬、点鼻薬をもらって帰った家にお客さんが二人午前10時にケアマネさん午後2時に保険屋さんそのあと郵便局と魚屋と肉屋に買い物お茶の用事はないがその他の事でもけっこう忙しい写真はクリニックに飾ってあったミュシャアルフォンス・ミュシャ1860年7月24日-1939年7月14日)チェコ出身でフランスなどで活躍したグラフィックデザイナー、イラストレーター、画家アール・ヌーヴォーを代表する画家で、多くのポスター、装飾パネル、カレンダー等を制作した。ミュシャの作品は星、宝石、花(植物)などの様々な概念を女性の姿を用いて表現するスタイルと、華麗な曲線を多用したデザインが特徴である。イラストレーシ...白魚や

  • 星みるひとの 眼にも似る

    宮沢賢治ひるもなほ星みるひとの眼にも似るさびしきつかれ早春のたび今日は木曜稽古先週掛けるつもりだったが掛けそびれてしまった「懸想文売り」懸想文とは平安時代から江戸時代にかけて流行った恋文のこと。その懸想文を売る人物が京都西天王須賀神社節分祭にあらわれる懸想文売りは烏帽子に水管姿で節分と前日の二日間、節分祭のときだけあらわれる今年は2024年2月2日(金)、2024年2月3日(土)【次回開催予測:2025年2月上旬頃】京都府京都市左京区聖護院円頓美町1懸想文を鏡台や箪笥の引出しに人に知られないように入れておくと、顔かたちがよくなり着物がふえて良縁があるといわれている。節分の須賀神社一度行ってみたいけども星みるひとの眼にも似る

  • 雪解や

    雪解や妹が炬燵コタツに足袋タビかたし蕪村今日は出稽古クマしょうさんのお宅で七事式掛け物は「喫茶去」中国・唐時代の趙州従諗禅師のはなし新しくやってきた二人の行脚僧に、趙州禅師が問われた。「貴公、前にもここへ来たことがあるか?」「いいえ、ございません」「うむ、下がってお茶を飲みなさい」もう一人にも、問うた、「前にもここへ来たことがあるか?」「はい、ございます」「うむ、下がってお茶を飲みなさい」院主(寺の寺務局長)が趙州禅師にたずねた。「初めての者に茶を飲みに行けと仰せられるのはよいとして、前にも来たことのある者にも、なぜ、茶を飲みに行けと仰せられるのですか?」すると、趙州「院主どの!」院主「ハイ!」趙州「うむ、茶を飲みに行きなさい」(小川隆『中国禅宗史』)雪解や

  • 春たてば

    素性法師春たてば花とや見らむ白雪のかかれる枝にうぐひすの鳴く今日は招かれて茶事へ午後から雪になるとの天気予報時間短縮に後炭を略しましょうかとのご亭主に私はいい人ぶって略されてもいいですよと言いそうになったがすぐさまお詰めの三鳥さんは速やかに行動いたしますので後炭をお願いいたしますと言ってくださった嬉し何事も素直が一番だが私め中々素直になれない正午茶事は後炭あってこそふさふさと雪が降り始めた露地の景色を眺めつつ茶事の沼に浸るのだわが日常とははるかに違う非日常のなんと、風雅なこと写真は待合の大きな雛壇どーんと空間を占めているとても大きい人形もお道具も大きい出し入れが大変だとか雛壇と毛氈などは別で十四の箱に収納されているそうな麗しいまたお招き下さいませ春たてば

  • 春立つや

    春立つや六枚屏風六歌仙虚子今日は立春昨日は茶会駅までをタクシーに乗った着物を着ていたからかタクシーの運転手さん「この前浅草へ行って、昔行った食べ物屋さんに寄ったんです。その行き帰りやまわりの人、結構着物を着てるんですよね観光客や外人など大勢いましたよ」自分「日本は良いもの沢山ありますからねみんなに経験してほしいですね。」タク「そうですね、でもあれだけはやめてほしいと思いましたよ」自分「何ですか」タク「綺麗に皆さん着てるのに、習ってないんですかね、すごい歩き方」タク「お相撲さんみたいに、ガリまたなんですよ」自分「はーそうでしたか」お金を払ってタクシーを降りたエレベーターまでの数メートルかつてなくしずしずと外股に気をつけて歩いた写真は昨日の柿伝の煮物椀春立つや

  • 春立つ今日の風やとくらん

    紀貫之袖ひちてむすびし水のこぼれるを春立つけふの風やとくらん今日は節分御弟子様のひとりがお寺で豆まきをするとか裃姿の写真がきた目出度い明日は立春今日は茶会日本陶磁協会主催の「お茶とお酒を愉しむ会」本席の床は川端康成「面白」花入は火だすき金重有邦作花は曙とこぶし釜は高橋敬典作炉縁は紅溜塗三代村瀬治兵衛作風炉先桑縁神代杉菅原伸一作水指丹波イッチン市野雅彦作茶器池田巌作茶碗楽直入加守田障二今泉今右衛門伊勢崎晃一朗加藤清之原清鈴木三成中里隆竹中浩鈴木五郎小池頌子小川待子前田正博川瀬忍金重有邦三輪休雪滝口和男三原研市野雅彦鈴木徹伊藤秀人新里明土和田的桑田卓郎茶杓銘「翁」堀口捨巳作建水銀六角捻長野烈作お菓子は源太の常磐饅頭写真はお酒の席のお食事一人ずつ小山富士夫作のぐい飲みでお酒を頂戴する私のは皮クジラだったあと煮物...春立つ今日の風やとくらん

  • 八百八町 月の辻

    節分や八百八町月の辻喜舟野村喜舟ノムラキシュウ1886-1983俳人。本名喜久二キクジ。石川県金沢市生まれ。東京市小石川の砲兵工廠に勤務。夏目漱石門下の松根東洋城に師事、「国民新聞」の俳句欄で活躍。東洋城の主宰する「渋柿」に創刊時から選者として参加。1933(昭和8)年に小倉工廠に転勤となる。52年から76年まで「渋柿」を主宰した。節分は、雑節の一つで、各季節の始まりの日の前日のこと。節分とは「季節を分ける」ことも意味している。江戸時代以降は特に立春の前日を指す場合が多い。太陰太陽暦では、立春に最も近い新月を元日とし、月の満ち欠けを基準にした元日と、太陽黄経を基準にした立春は、ともに新年ととらえられていた。(ウィキペディア)写真は庭のカンアオイ五種類あるようだ八百八町月の辻

  • 軒端の梅や

    今日は木曜稽古二月になった掛けものは梅の和歌旅宿梅基弘草枕仮寝の床の匂ふかな軒端の梅や盛りなるらむ筆者は二条基弘二条基弘ニジョウモトヒロ1859-1928明治-昭和時代前期の華族。安政6年10月25日生まれ。九条尚忠の8男。明治4年二条家をつぐ。17年公爵,23年貴族院議員,40年宮中顧問官となる。昭和3年4月4日死去。70歳。藍の染紙に優しい仮名文字読みやすい風情のある軒端の梅が浮かぶようだ軒端の梅や

  • 月の照る夜は

    寒椿月の照る夜は葉に隠る貞及川貞オイカワテイとは昭和・平成期の俳人明治32(1899)年5月30日~平成5(1993)年11月13日東京・麴町富士見町生旧姓(旧名)野並東京府立第三高女卒馬酔木賞〔昭和11年54年〕,俳人協会賞(第7回)〔昭和42年〕「夕焼」女学校時代、御歌所寄人の大口鯛二について和歌を学ぶ。大正5年海軍士官と結婚し、夫の任地の佐世保や呉で暮した後、昭和8年上京、馬酔木俳句会に参加、水原秋桜子の指導を受ける。13年「馬酔木」同人。馬酔木婦人会を興しその育成に尽力。茶道師範で終生主宰誌を持たず自由な句風で女流の最長老と目された。句集に「野道」「榧の実」「夕焼」「自註・及川貞集」ほか。今日は1月最後の水曜日で水曜稽古旧暦では12月21日お弟子様がおうちの近くで禅宗のお坊さんが托鉢をしてぐるぐる...月の照る夜は

  • 口あけて春をまつ

    口明けて春を待らん犬はりこ一茶2/3土曜日に柿伝で茶会がある陶説に募集が出ていると知人のミイーさんからメールをもらった陶磁協会賞受賞者のお茶碗で小山富士夫の酒器とともに食事を「お茶とお酒を愉しむ会」柿伝の地下2階柿伝ギャラリーでは、陶磁協会賞受賞者の作品が展示されている会員は9,000円非会員は11,000円まだ大丈夫かもその日は食事会の予定だったが満員で予約が取れなかったそれなら茶会に変更しようと辛子さんと赤根ちゃんと三名で行くことにしたミイーさんと同じ時間に次々と現代作家の茶碗が登場するとは良いかも楽しみである写真はもう芽吹きはじめた庭の貝母まだ1月なのに早いすでに春は来てるのかも口あけて春をまつ

  • 夢の跡

    夏草やつわ者どもが夢の跡芭蕉きのうの東京国立博物館中尊寺展の続き国宝紺紙金銀字一切経(中尊寺経)平安時代・12世紀岩手・中尊寺大長寿院蔵中尊寺経は金泥字と銀泥字交互に書写され、見返しも金銀泥にて経意を絵画で表現した。唯一無二の一切経。料紙は京で調達したことが確実視され、見返し絵も当時一流の絵師が担当したと考えられる。藤原清衡が八年の歳月をかけて制作させた。かつては金色堂手前の経蔵に安置されていた。と中尊寺経の見返しの金色はピカピカで凄いそれから凄いのは金光明最勝王経金字宝塔曼陀羅経典だが絵画として国宝指定「写経」「造塔造仏」「経典解脱」三つの功徳を一度で成就できるとされた。とか1幀が経典一巻初層には釈迦、塔の周りには色々な仏や衆生が描かれ塔(経典)部分や仏像は金泥で描かれ、背景や衆生には色彩が使われている...夢の跡

  • ふり残してやひかり堂

    五月雨の降のこしてや光堂芭蕉今日は東京国立博物館トーハクへ「建立900年特別展中尊寺金色堂」中央壇安置の国宝仏像11体すべてを寺外初公開奥州藤原氏初代の藤原清衡が中尊寺金色堂を建立してから900年。金色堂内の中央壇に安置さるる国宝仏像11体すべてを展示阿弥陀三尊像、地蔵菩薩像(6体)、二天像他にも国宝、重要文化財がたくさん工芸品の数々入口を入るとすぐ人だかりがしてる黄金に輝く金色堂を8KCGの技術を用い原寸大で再現したと迫力あり関連展示の親と子のギャラリー中尊寺のかざり会期2024年1月23日(火)~2024年3月3日(日)会場本館特別2室中尊寺展の複製が置いてあったとても綺麗螺鈿の説明もわかりやすいトーハク平成館の特別展「本阿弥光悦の大宇宙」こちらは会場が広くじっくり見ると疲れるが中尊寺展は会場が狭いの...ふり残してやひかり堂

  • ゆかりの色も

    むさし野のゆかりの色もとひわびぬみながら霞む春の若草藤原定家とひ→問う、訪うわびぬ→心細い、さびしいみながら→皆ながら→悉く、全部今日は旧暦の12月16日カレンダーには満月のしるし紫式部が主人公の大河ドラマを毎週見てる源氏物語には紫色に関係する名前がたくさん登場する桐壺の桐の花の色藤壺、紫の上、若紫紫は聖徳太子が定めた冠位十二階その最高位が「紫」平安時代には紫を「ゆかりの色」言ったそうだ紫は紫根で染めるのだがその紫根は揮発性が高く色が移りやすいとそれを自分の色を想う人に移して匂うばかりに染めたいという願いから縁ユカリの色とも言うようだゆかりの色も

  • 勅なれば

    食事に行ったときお椀の蓋裏に梅と鶯の金蒔絵鶯宿梅ですとのご主人のお話しがあったそういえば昔紫兎先生のお稽古の時話題になったことがあった「鴬宿梅」勅なればいともかしこしうぐひすの宿はと問はばいかが答へむ先生が口ずさむなんだっけ自分のブログから検索して探した鶯宿梅オウシュクバイ村上天皇の時、清涼殿前の梅が枯れたので紀貫之の娘紀内侍の家の梅を移し植えたところ、枝に「勅なればいともかしこしうぐひすの宿はと問はばいかが答へむ」という歌が結んであり、天皇はこれに深く感じて梅の木を返したという、拾遺集・大鏡などにみえる故事。また、その梅の木。(デジタル大辞泉の解説)今日は木曜稽古アイテラ氏が椿をたくさん切ってきてくれて水屋の花溜が華やかになった写真は夜九時半頃のお月様勅なれば

  • 極楽の近道

    極楽の近道いくつ寒念仏蕪村寒念仏とは僧が寒の30日間、明け方に山野に出て声高く念仏を唱えること。のちには俗人も寒夜、鉦カネを打ちたたいて念仏を唱え、家々の門前で報謝を請い歩いた。今日は水曜稽古寒い寒い掛けものは松雲老師松雲とは宗般玄芳のこと宗般玄芳ソウハンゲンホウ1848-1922江戸最末期から明治・大正にかけての臨済宗の僧。加賀小松の人。安政3年〈1856〉、9歳にして出家した。その後、各地の宗匠を叩門遊歴、明治13年のころ、山城八幡の円福寺の伽山全楞カサゼンロウ(大徳寺第482世)に参禅、同26年、法を嗣いで大徳寺第486世に出世。一時、熊本の見性寺に住して、見性を姓とする。同31年に円福寺に転じ、松雲を号し、諸堂を改修、寺観を一新した。同41年から大徳寺派管長を三期つとめ、大正11年〈1922〉...極楽の近道

  • 鶯の逢ふて帰るや

    鶯の逢ふて帰るや冬の梅蕪村今日は渋谷の友人が遊びに見えたお餅があるから「お雑煮でも召し上がる」と聞くと「いらない」との返事暫くしてまた「お汁粉は」と聞くと「食べる」と元気な声ゆで小豆があったので雪平に水一カップとお砂糖を加えて煮る美味しいお餅を焼いて一緒にちょっと煮る朱塗の蓋付椀に盛る小皿に塩気のもの椎茸の旨煮を添えてお出しした陶説、12-1鑑賞陶器の70年が届いたパラパラ見ていると知り合いが載っていた嬉しいあとで、ゆっくり読もう鶯の逢ふて帰るや

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