与謝野晶子春はただ盃にこそ注ぐべけれ智慧あり顔の木蓮の花昨日は木曜稽古椿はほぼ終了代わりに庭の野草が芽をだし始めた葉を広げ蕾を抱く芍薬その足元に小さな地エビネ紫蘭それにシャガ(射干)別名は胡蝶花あとフタリシズカ鳴子百合宝鐸草窓の外には黄エビネ見上げると木蓮も蕾がある木戸のもみじは葉柄を長々と伸ばし始めいま丁度花を咲かせてる一部はプロペラの種を持っているこのところは庭に降りるのが楽しみだ写真はイノさんが送ってくれた某有名庭園の藤見事智慧あり顔の木蓮の花
西行ませにさく花にむつれて飛ぶ蝶の羨しきもはかなかりけり〈ませ〉とは竹・柴を荒く編んでつくった垣。まがき。 今日は木曜稽古透木釜ともうひとつの炉には自在と手取釜手取釜の名称は室町時代末以後の茶会記に数多く見受けられ、この頃、天命(現在の栃木県佐野市)で盛んに鋳造されていた。とネットに見つけた写真は庭の二人静千両科。センリョウ属・2本の花穂の先に米粒のような白い花をつける。花穂は1本や3本、4本のときもある。・静御前とその亡霊の舞姿にたとえた。<静御前>源義経の側室で、吉野山で源頼朝に捕らえられ、鎌倉の鶴岡八幡宮で義経を慕う歌を歌いながら一人で舞を舞った。似ている植物に一人静があるこれも千両科。センリョウ属花にむつれて飛ぶ蝶の
紀貫之池水に咲きたる藤を風吹けば波の上に立つ波かとぞ見る今日の掛けものは大徳寺510世の上田義山「無」「無」と言えば趙州ジョウシュウ和尚、因チナみに僧問う、「狗子クシに還って仏性有りや無しや」。州云く、「無」。これは無門関の第一則「趙州無字」犬にも仏のいのちがありますか、または無いのでしょうか。趙州答えていわく、「無」。この無とはあるなしの無を超越した無だというがさてさて難しい池水に咲きたる藤
春の川橋を渡れば柳哉漱石今日は食事会薫風自南来の軸がかかる難しいことは何も考えずお喋りをしながらお料理を食べるしあわせ写真はその内の一品信楽の長皿に桜鱒の木の芽味噌海老のあられ揚げ蕗の薹の天麩羅白魚シソ巻き天麩羅海老の頭空揚げ渡れば柳
行く春や鳥啼トリナキ魚の目は泪芭蕉今日はお招きを受けてお友達の華甲の茶事へ想窓庵様とわがお弟子様三名と私目寄付は蟹の画賛蓋置は笹蟹干菓子に和三盆の蟹これで蟹が三つ。そして菊の意匠や赤色のものが登場す華甲なればこそ目出度いめでたいお肴にと私目が謡を謡う鶴亀お恥ずかし後座の床の花は紫蘭と椿ともうひとつ何だろうと写真を撮った白糸草かなシライトソウ・百合科シライトソウ属・ブラシのような白い花穂が特徴。・西日本地方に多く分布する。行く春や
線香の灰やこぼれて松の花蕪村【松の花】は春の季語松はマツ科・マツ属。開花期4~5月。別名:(千代木)チヨキ(時見草)トキミグサ(常磐草)トキワグサ花言葉:「不老長寿」「同情」「哀れみ」「慈悲」「勇敢」「向上心」「かわいそう」「永遠の若さ」色々ある今日は日曜日しなければならない片付けがあるのだがお天気病がきつい午前中はやる気が皆無二時頃少しずつ回復あとはのんびり明日のしたくをしよう写真は雨ごとに枝葉を伸ばす木戸のいろは紅葉松の花
藤原俊成草も木もあまねく芽ぐむ春雨に袖は濡れてもかひなかりけり朝から雨が降っている全く止む気配はない低気圧で体が重いいや食べ過ぎで重いのか昨日も寝落ちブログを書けなかった寝落ちは糖のとりすぎと広告ひびく写真は庭の黄エビネエビネは・開花時期は4/15~5/15頃。・日本原産。・名の由来は、地下に連なっている茎と、そこから生えている根の様子が、まるでエビの頭を指でつまんで持ち上げたように見えるところから。1600年代の書物にはすでに海老根の名が出ているほど、昔からよく知られた花。・黄色の「黄海老根」(きえびね)もある。また、エビネの仲間はほとんどが春に咲くのに対して、真夏に咲く「夏海老根」という種類もある。と(季節の花300ヨリ)あまねく芽ぐむ春雨に
吉野山かすみの奥わ知らねども見ゆるかぎりはさくらなりけり知紀画も今日は木曜稽古掛けものは八田知紀八田知紀ハッタトモノリ1799-1873江戸後期-明治時代の歌人。寛政11年9月15日生まれ。薩摩鹿児島藩士。京都詰めの間に香川景樹にまなび,桂園派の有力者となる。維新後,宮内省にはいり,歌道御用掛をつとめた。明治6年9月2日死去。75歳。通称は喜左衛門。号は桃岡(とうこう)。家集に「志能布久佐(しのぶぐさ)」,歌論に「しらべの直路タタジ」など。(日本人名大辞典ヨリ)吉野山
大伴家持うらうらに照れる春日にひばり上がり心悲しもひとりし思へばうらうらに→○春の日光が美しくのどかなさま。うららか。○蒸気がのどかにのぼるさま。今日は水曜稽古木戸を開けると外の紅葉の若い枝葉が驚くほどに伸び垂れ下がってるわが家の狭い狭い庭だが足元には日陰を好む春の野草が群れてる葉はまだ柔らかく黄緑とうす緑天気はまあまあだが風が強めだその風が揺らす鳴子百合と宝鐸草スミレも見える奥には二人静いい気分まだ虫も蚊も出てこない通り抜ける風も気持ちが良いうらうらに
流れ来て清水も春の水に入蕪村今日は火曜日お習字の日だでもでも今日はお片付けせねば明日のお稽古に間に合わないお習字はまたにしてひたすら道具をしまう準備そこへタクシーから降りてきたサカチカさんちょうど良いところ片付けを手伝ってもらった明日はお稽古透木釜と竹自在に手取釜もう釣り釜の鎖はしまってもいいかな椿の花はもう終り何か探そう清水も春の水に入
西行ませにさく花にむつれて飛ぶ蝶の羨しきもはかなかりけりませ→間狭(ませ)、籬垣(ませがき)今日は勉強会駅で待ち合わせお昼をまだ食べてないので近くのモスバーガーへ入った注文をするのに言葉で直接言えず今どきは画面に打ち込むのか店内かお持ち帰りか店内を選ぶ品物を選んで決定支払方法を選び決定次に番号を打ち込む画面そこでハタと止まった戻るを押してやり直しそれを何度かするのだがわからない一緒のA子さんが教えてくれた右横に置いてある番号札を手に取りその番号を打ち込むのだとなるほどすると最後まで進み注文が通ったようだ写真はその品物内容はわからずじまいで適当なセットを押した結果のハンバーガーセット焦って食べたので美味しいがなんの味かわからず味覚も衰え始めたかしらん羨ウラヤマしきもはかなかりけり
紀貫之さくら花ちりぬる風のなごりには水なきそらに浪ぞたちけるもう桜もおしまい写真は狩野勝川院雅信カノウショウセンインタダノブ狩野雅信かのうただのぶ、文政6年(1823)~明治12年(1879)狩野養信オサノブの子。木挽町狩野家10代目で最後の当主にあたる。名は雅信タダノブ。号を勝川、素尚斎、尚古など。弘化元(1844)年に法眼に叙され、万延元(1860)年に法印となる。橋本芳崖の師として知られる。水なきそらに浪ぞたちける
中務ナカツカサさけばちるさかねばこひし山桜思ひたえせぬ花のうへかな今日は友人のお茶事へ雨が降ると言う曇り空一応傘を持って行くが雨コートは持たず出掛けた予定より早めにしたくができたすぐに出掛ければよいのにお湯を沸かし珈琲をいれた猫舌なのですぐには飲めず飲みごろを計ってのろのろしてたらどんどん時間が経っていく乗るべき電車が決まっていたので、駅まで早足駆け足で向かうどうにか目的の電車に間に合った反省余らした時間は自宅で消化しないとりあえず出かけるべきだ駆け足で向かった茶事は美味しい懐石とお菓子お道具も素晴らしく席中は盛り上がり話題につきない茶事が一番楽しい写真はうちの庭の宝鐸草若々しいね咲けば散る
藤原定家をちかたや花にいばえて行く駒のこゑも春なるながき日ぐらしをちかた(彼方・遠方)→遠くの方。向こうの方。あちら。いばえて→馬が鳴く。いななく。春の季語日永ヒナガとは春になり、昼の時間が伸びて来ることをいう。実際は夏のほうが春より日が長いが、心理的には冬に比べて、春は日が長く感じられる。似ている言葉に【日がな一日】ひがな‐いちにち→朝から晩までずっと。一日じゅう。終日。今日は何もない日雨が降ったり止んだり庭の草木の成長に目を見張る朝ドラは牧野富太郎先生のお話し朝ドラはあまりみないが今回は見ることにしている好きな植物を研究する何もかも忘れて没頭できる好きなものあるといいね花にいばえて行く駒の
烏丸光広手折りつるこの一枝に袖触れてゆくとも風に花をまかせし写真は烏丸光広の和歌短冊烏丸光広カラスマミツヒロだと思っていたがウィキペディアやコトバンクなどではからすまるみつひろからすまでなくカラスマルらしい天正7(1579)~寛永15没(1638)安土桃山時代~江戸時代初期の歌人,書家。号,烏有子(うゆうし)。従一位光宣の子。宮廷人としての官職を歴任,晩年は権大納言正二位まで昇進。和歌は細川幽斎に師事,古今伝授を受けた。狂歌,俳諧,書画を好み,特に書にすぐれる。書は初め青蓮院流を習い,のち30代から40代なかば頃定家流を,40代後半より光悦流を学び,晩年に独自の書風を完成した。俵屋宗達と交友し,宗達の『蔦細道図屏風』などに賛や奥書を記す。著書は歌文集『黄葉和歌集』(1636),歌論書『耳底記』(02?),...風に花をまかせし
煮て食ふかはた焼いてくふか春の魚夏目漱石今日は読売カルチャーの講座へ場所は横浜そごうの9階横浜駅改札口を出ると人がいっぱいで今までで一番多い感じ平日なのに春休みだからかも今日も茶話指月集を勉強したなんとか上巻をの「修了した一人では必ず挫折するだろう来月は下巻から始まるガンバろう煮て食ふか
志貴皇子石走る垂水の上の早蕨の萌え出づる春になりのけるかも昨日の先生のお話しにあった「茶筅の清め方」お茶のお点前が終わったら、すぐに茶筅を清めて整えよう。茶筅の外側は竹の表なのでつるつるしているが、裏はざらざら。そこに特にお抹茶が残ってしまう。指で挟んで、静かに元の形になるように一周。付いてるお茶をしごいて取る。水をかけて、もう一度静かに一周させて、お茶を取る。それを竹釘にかける。と。自分の稽古場では、ブラシがあるのでそれで清めて、茶筅立てに戻すようにしているが。指で清める方が綺麗になるかも、次から早速やってみようではないか。今日は月曜日お習字をする日森金先生が見えてお習字をするお習字をする日なのだがお昼だからとりあえずお湯を沸かしカップラーメンを食べてお喋りをして食後の珈琲を飲み森金先生のお持たせの豪華...早蕨の萌え出づる春になりのけるかも
佐川田昌俊サカワダマサトシ吉野山はな待つ頃の朝な朝な心にかかる夢の白雲今日は朝日カルチャーへ先生の講義を拝聴する四規七則のお話し四規は和敬清寂七則は茶は服ふくのよきように、炭すみは湯の沸わくように、夏は涼すずしく冬は暖あたたかに、花は野にあるように、刻限は早めに、降ふらずとも雨の用意、相客あいきゃくに心せよやさしく説明をしてくださるおっしゃることは至極尤もその通りなるべくそのように励みましょう写真は近所のチューリップ満開だ心にかかる夢の白雲
春雨や蓬をのばす艸の道芭蕉昨日はブログを書きはじめた途中で寝てしまったんー歳だね今日は土曜日お弟子様の秋さんちで茶事の教室懐石の準備ができたら御客様亭主半東水屋と別れる御客様は待合に見立てたソファーでお休み汲み出しでベランダに設定した腰掛へ亭主の迎付席入挨拶のあとはすぐ懐石折敷を運び「お箸のおとりあげを」燗鍋を運び一献飯器で汁替煮物椀で一献焼物預鉢進肴小吸物八寸香の物と湯桶箸を落として膳を引き菓子を出す写真はその菓子とらや製だ懐石の協力して準備してから役に別れるのだが亭主をすると懐石のしたくより点前は慣れているこんなときに無心で力の抜けた良い点前になるのだ懐石が大変なほどそのギャップで点前すれば気分がよくなる春雨や
文屋康秀春の日の光にあたる我なれど頭カシラの雪となるぞわびしき写真は文屋康秀フンヤノヤスヒテ生没年未詳。平安前期の歌人。六歌仙、三十六歌仙の1人。860年(貞観2)刑部中判事に任ぜられ、877年(元慶1)山城大掾(だいじょう)、879年縫殿介ヌイドノスケに任ぜられた。『古今集』に参河掾ミカワノジョウになったときの小野小町との贈答歌があり、また仁明天皇の御国忌ミコキ(851)の歌や「惟貞コレサダ親王家歌合」の歌などがある。今日は木曜稽古花冷えか朝からうすら寒いお菓子屋さんが届けてくれた二種のお菓子は浮島製でさくら色と黄色と羊羮色桜と菜の花と土の三色それと桜餅花はお弟子様丹精の牡丹春の日の光にあたる
在原業平世の中にたえてさくらのなかりせば春の心はのどけからまし覚えておきたい今日は水曜稽古午後は雨近くに住むお弟子様は自転車で稽古に来る雨だと濡れるので少し待って小やみになってからのお帰り夜が更けるほど雨が降るという予報だしいつ帰るか決めないとね日常は常に決断が必要だ写真は六歌仙の在原業平筆者は不明絶えて桜のなかりせば
藤原良経おしなべて木の芽もはるの浅緑まつにぞ千世の色はこもれる【藤原良経】フジワラノヨシツネ[1169~1206]鎌倉初期の公卿・歌人・書家。九条兼実の子。摂政・従一位太政大臣となり、後京極殿と称される。歌を俊成に学び、定家の後援者でもあった。書では後京極流の祖。家集「秋篠月清集 アキシノゲッセイシュウ 」。九条良経。今日は大師会帰りは久しぶりのヨックモックでひと休みした写真は根津美術館の池真ん中に鳥。木の芽もはるの浅緑
木下利玄牡丹花は咲き定まりて静かなり花の占めたる位置のたしかさ木下利玄キノシタリゲン1886-1925明治-大正時代の歌人。明治19年1月1日生まれ。伯父の木下利恭トシモトの養子。はやくから佐佐木信綱に師事し,「心の花」同人となる。明治43年「白樺」創刊に参加。口語的な発想,四四調の破調など,利玄調とよばれる作風で知られた。大正14年2月15日死去。40歳。岡山県出身。東京帝大卒。本名は利玄トシハル歌集に「銀」「紅玉」「一路」。(日本人名大辞典より)今日は月曜日朝のうちは案外寒い木戸のところの紅葉の木が二三日前は枝だけが目立つ冬木立だったのに今日見ると枝ごとに芽吹いてる若緑の新芽なんと可愛らしい事狭い小さな庭だがこれからどんどん様子を変える椿の花はもう咲ききったのか茶に使える花は数少ないしあてにならない...牡丹花は咲き定まりて静かなり
藤原定家春雨のふる野の道のつぼすみれ摘みてをゆかむ袖はぬるとも今日はサカチカさんちの正午茶事私は水屋を担当する朝九時に到着してのんびり支度をはじめた外は冷たい雨お客様は三名様席入りは十二時に始まり速やかになごやかに四時過ぎに終わった帰りに今日の主菓子虎屋のきんとん写真にはないが半田松花堂の干菓子とそれと写真の岡山の千本桜をもらった家に帰ってゆっくり食べよう昨日の和美の会一緒に行ったキコさんがお店の人に質問した「その色はベロ藍ですか」お店の人は「いえ違いますよ」と会話があったそこで私「ベロ藍って明治ではなかったかしら」キコさん「いえ幕末ですよ」私はすっかり明治時代だと思っていた日本は各地で焼物が盛んだったが明治になると窯の近代化とベロ藍の登場で瀬戸やその他の各地の窯は次々と廃窯に追い込まれた。と思っていたの...春雨の降る野の道の壺スミレ
源実朝あさみどり染めてかけたる青柳の糸にたまぬく春雨ぞふる今日は雨で体が重いでもでも予約してある食事会綱島ふくもとで美味しい御昼ごはんを食べるのだと思うと身体は重くとも気分は軽いウキウキとふくもとへそして食事は残さず完食すれば今度はおなかが重い食事のあとは予定どおり東京美術倶楽部の和美の会へと向かうこの18日から開通した新駅の「新綱島」から乗り御成門へ乗り換えなしで一本で行ける便利だ第31回和美の会は昨日から始まり行ったというお友だちから「善田のこもがいが1,500万円」とまた他の人も「池内の信楽花入は2,500万」だったとラインがきた自分にはあまりにも縁のないお話し目の保養だ到着したのが四時ころ今日は最終日で五時までであるから一時間位しか見れないが展示は四階だけなのでぐるりとまわるには十分品物と値段を堪...青柳の糸にたまぬく春雨
東風吹くや山一ぱいの雲の影漱石『風姿花伝』「それ申楽延年の事わざその源を尋ぬるに、」→そもそも能が寿命を伸ばす効用のあるめでたい芸能てあるということは、その源流を論じれば「あるいは仏在所より起こり、あるいは神代より伝わるといへども」→ある説では天竺国より発祥し、ある説では神代に始まったといわれているけれども、「時移り、代隔たりぬれば、その風を学ぶ力、及びがたし。」→時代が変わり遥か昔のことになってしまったので、その芸風を再現することは不可能である。風姿花伝を読む講義をうけていたが時間の都合で行けなくなったゆえ自習東風吹くや
紙雛カミヒイナつるして枝垂桜哉シダレサクラカナ漱石今日は水曜稽古WBCワールド・ベースボール・クラシックで日本が優勝稽古中にも、気になって途中経過をスマホで確認ミーハーゆえに皆と同じく楽しそうなことには少し首を突っ込むんでみるが若かりし頃の野球場の臨場感なども思い出しここ何日かは改めて野球鑑賞の楽しさを味わった一週間が早い先週くらいはまでは椿はどれも花盛りで綺麗だったが今週になったら庭の椿の木の間をあらゆる方向から覗いて見て使える椿の花を探すが花がない炉の季節は最後まで椿を使うがよいとのことと習ったがわが家はもう限界あとは表道路際に街路樹として咲いているものを調達するしかないかお稽古や茶事茶会道具は何とか決まっても花は最後まで苦労する紙雛カミヒイナつるして枝垂桜哉シダレサクラカナ
くもりしがふらで彼岸の夕日影其角今日は火曜日祭日彼岸の中日だ曇りがち昨日、食事から帰ったらいつものお坊様がお彼岸の棚経に見えたという御布施を用意してなかったので後でお届けしたお彼岸を忘れていたこと棚経にお坊様が見えることすっかり忘れていたことにどうしちゃたのと我ながらショック近頃は予定表のある手帳を持たなくなった手元にないと、その予定を書けず後で記入するつもりがそれを忘れる書いてあってもそれを見ないそれでスマホの予定と手帳の予定と同じ日に異なる予定が記入しがち空いてるからとまたそれぞれに予定を入れてしまう結果困ったことによくなったので何でもかんでもスマホのカレンダーに記入するごとに決めた何をするかは皆書き込む書いてないこと日々の周辺のことなどは、気がつかない頭が回らないいくつもの用件を覚えていられない元々...彼岸の夕日影
苦しくも降り来る雨か三輪の崎狭野の渡りに家もあらなくに今日は月曜日誕生日は過ぎたがいつもの誕生日会の食事会銀座シックスの13階のレストラン写真はその誕生日のプレートその蝋燭の火を消す為フーッと息吹きかけまた手で消したアミューズ前菜スープメイン肉か魚デザートと珈琲苦しくも降り来る雨か三輪の崎狭野の渡りに家もあらなくに
大伴家持うち靡ナビく春ともしるくうぐひすは植木の木間を鳴きわたらなむ今日は五島美術館の茶会茶の美会員の茶会はコロナ禍で昨年の秋から始まったが秋の茶会は日程が合わず欠席今回は久しぶりの五島の茶会だ席を待つとき鶯がこれぞウグイスと言うように鳴くホーホケキョッ道具は筋切が掛かる花入は胡銅大ソロリ香合はザクロ茶碗は光悦の「七里」形は不二山と同じこういう形を角造りと言うと今日の茶道具の解説で知った光悦の茶碗は本阿弥光悦の作った楽茶碗。光悦楽焼ともいう。技法を楽焼の常慶と吉兵衛に学び,京都の鷹ヶ峰移住の元和1(1615)年以降に制作した。へら使いが鋭く,個性的な作品が多い茶会で偶然会った友人会いたかったから嬉し春ともしるくうぐひすは
源実朝あさみどり染めてかけたる青柳の糸にたまぬく春雨ぞふる今日は御弟子様のおうちで月いちの茶事教室出しをひき、みそ汁と煮物椀の汁を取るみそ汁は芽キャベツ向付は少し早いが用意の魚が鯵添えを切り鯵を下ろし三杯酢にする山葵をすって盛付る茶懐石の向付には大葉を敷いたり大根のケンを立てたりはしない事煮物椀は筍しんじょ生身をすり鉢で擂るすりが足りないと口ざわりが荒くなる頑張って擂る事できたら流し缶に入れて蒸すしんじょは菜の花と椎茸でかざる焼物は生鮭の照焼一汁三菜はここまでだが預けに若竹煮進肴にれん草のお浸し今日は五菜になった小吸物は山葵の葉八寸は茶巾唐墨とスナップエンドウ香の物は沢庵と生姜お菓子はとらや生徒さんは三名初めての方もいてだいぶ時間がかかったがお料理はどれも美味しく出来上がった金曜日にチコちゃんに叱られるで...糸にたまぬく春雨ぞふる
春の水すみれつばなをぬらし行蕪村そういえばわが庭にも菫が咲ていた「スミレ」の花言葉は「謙虚」「誠実」。紫のスミレ→「貞節」「愛」。白いスミレ→「あどけない恋」「無邪気な恋」。黄色いスミレ→「田園の幸福」「つつましい喜び」。ピンクのスミレ→「愛」「希望」。「菫」の漢字は音読みは→キン訓読みは→スミレ、トリカブト全く違う花なのに漢字は一緒今日は木曜稽古日そして恥ずかしながら私めの誕生日73歳になったいつ彼岸にいってもおかしくないからとやれることは今やろう行けるのなら行こう写真は今日の掛物一行春入千林処々花足元に小さな花が咲いているすみれつばなをぬらし行
紫式部み吉野は春のけしきにかすめどもむすぼほれたる雪の下草むすぼほれ→凝固、凍結今日はお習字森金先生のご指導のもと、今日の生徒は私一人他は硯が重いから自習。最近行った茶会の事などお喋りしながら仕事をこなす先日の東茶会の薄茶席。道具畳の水指の左隣に、硯屏ケンビョウが置いてあった。何だろうとずっと気になっていたところ、最後に柄杓をそれに立掛け、蓋置を柄の脇に添えて飾られた。なるほどだから蓋置はお習字の水滴スイテキ。文房とは文人の書斎。そこで用いる道具が文房。文房四宝ブンポウシホウは筆、墨、硯、紙。誰もが好きな文房具。丸善や伊東屋でなく、今度は茶道具屋さんで文房具を買おう。春のけしきにかすめども
西行まつにより散らぬ心を山ざくら咲きなば花の思い知らなん今日は古筆研究会へ雨が降るような降らないような曇天テレビでは桜が一輪咲いたとか二輪咲いたと中継をしているだいたい花見は3月末から4月と思っているのにもう咲き始めるのか茶道具の取合せに支障が生ずるもそっと遅くにして欲しいが尤も二月頃から早咲きの桜のが咲く河津桜や寒緋桜、MOAのあたみ桜は先日の茶会の時にすでに咲いていた山桜の花には赤い若葉が添うのですぐに見分けられる大和絵などに描かれた桜はこれだろう桜の花びらは真ん中に切れ目があるので一つの花びらを描くのには二筆にて描くと言う五枚で一つの花になるからそれだけで十筆一本の枝にはいくつもの花が描かれるから数えたら大変その枝が集まり一本の桜の樹になるのには桜の花弁を二筆でひたすら描き続けたのだろうそれを思うと...まつにより散らぬ心を山桜
月おぼろ高野の坊の夜食時蕪村茶飯釜にてお客様をお呼びした亭主は御弟子様私とサカエチさんが水屋だご飯は席中で炊くのだがみそ汁はあらかじめ作っておき金色カナイロにいれて釜を上げたあとの鎖にかけるのだ今日もものすごく早起きして出しをひき、白味噌と赤味噌を適宜入れて絹ふるいで何度か濾すのだほかに出しをつかうのでみそ汁にすべて使ってはいけなかったのに遅かりし。白味噌はコトコト煮る冷めるといけないからと弱火に掛けておいた。その事をすっかり忘れてそろそろみそ汁の出番だと取りに行くとビックリ鍋のなかにみそ汁がないのだいつの間にか弱火にかけたつもりがグツグツ沸騰してみそ汁をどんどん蒸発させたのだろう中身が焦げてなくなってしまったらしい漫画によくある額から目の辺りまで青い縦線が入った感じ一瞬時間が止まったみそ汁は必須だご飯は...月おぼろ
春深きかげの山畑道見えで深みゆく春にはかなたの山畑をめぐる細道もいつしか霞の中に消え失せてという里村紹巴の第3句だと里村紹巴という連歌師をずっと読み違えていた里村紹巴さとむら-じょうは1525-1602戦国-織豊時代の連歌師。大永(たいえい)5年生まれ。里村北家の祖。里村昌休(しょうきゅう)らにまなび,連歌界の中心人物となった。昌休の没後,遺児昌叱(しょうしつ)を養育。豊臣秀吉,明智光秀ら武将や公家,高僧と交流し,のち豊臣秀次の事件に連座する。法眼。慶長7年4月12日死去。78歳。大和(奈良県)出身。本姓は松井。号は臨江斎,半醒子。著作に「連歌至宝抄」「源氏物語抄」など。(日本人名大辞典より)紹巴を主人公とした作品は岩井三四二『覇天の歌』ほかに小高敏郎『ある連歌師の生涯里村紹巴の知られざる生活』読んでみた...春深き
西行わきて今日逢坂山の霞めるはたち遅れたる春や越ゆらん今日は風姿花伝のお勉強で新橋へ本を順に読むと先生が説明してくださる何でもそのときはフムフムとわかった気分だが他の人に説明出きる程理解は出来ずまたもや教室を一歩出るとすべて忘れ去るこれも特技か写真は春らしいお手紙と共に頂戴した大好物末富の両判とあけぼののお煎餅逢坂山の霞めるは
空も星もさみどり月夜春めきぬ渡辺水巴今日は木曜日ラインがあり夜に御弟子様が見えた茶飯釜が掛かってるのでご飯を炊く,夜の御弟子様は雷蔵君とイイチャンの二人炭手前のあと茶飯釜にお米をサラサラと入れるその後で薄茶のしたくご飯が炊けるまでひと点前ができるかもと試みたが五分すぎるとお釜がゴロゴロ言い出して蓋を開けると水気が少ないもうそろそろ炊けるはず蓋を開けると一気に湯気が上がりお米の香りが広がる戸惑いながら飯椀に一文字を取る蓬麩のみそ汁お向は丁度あった鯛に鮪に帆立お茶向ではないが仕方ない昼間のお向より上等だお米を二カップとても美味しいと食べる食べる驚きの雷蔵君冷蔵庫のなまり節卵焼き昆布山椒煮そして錦松梅残り物で恐縮ご飯の友まもなく茶飯釜は綺麗に空っぽになったハンサムな雷蔵君はこんなに食べるんだこのくらいは日常らし...さみどり月夜春めきぬ
紀貫之野辺見れば若菜摘みけりむべしこそ垣根の草も春めきにけれむべし→本当にそうだ。もっともだ。今日は水曜日釣り釜がかかっているからと。お客様をお招きして茶飯釜の小さな茶事を開く。庭の椿は花盛り。眼もかゆし、春が来たんだ。春めきにけれ
莟ツボミとはなれもしらずよ蕗フキのとう蕪村今日は読売のカルチャースクール茶話指月集チャワシゲツシュウ1701年(元禄一年)、久須見疎安(1636~1728年)が義父藤村庸軒からの聞書きの形で出版された逸話集。藤村庸軒は、千宗旦門下の四天王の1人。利休没後100年余りを経て、その茶を説話によって伝えようとした書であり、本編に当たる茶話部分と、久須見疎安による茶道具名物記の二部。利休を中心に秀吉、宗旦、古田織部など江戸時代初期のまでを中心に。昔の本には昔の言葉が出てくる。鳥柴と‐しば【▽鳥×柴】鷹狩りの獲物を人に贈るとき、その鳥を結びつけた木。初めは柴につけたが、のち季節に応じて松・梅・桜・楓かえでなどの枝を用いた。鳥付け柴。とりしば。というわけで手土産のことだと知った汝ナレも知らずよ
箱を出るかほわすれめや雛二対蕪村今日はお習字の日。森金先生の二人だけ。書道をするまえに、お喋り。珈琲にチョコレートでひと休み。お習字の道具を広げてはいても、することがまだある。私は手紙を書いたり、乾してあった茶碗を箱にしまったり。森金先生は書道の事務処理をあれこれ。お喋りは休まず。まもなく昼食の時間になって、ひと休み。此のところの茶会の点心の話。昨日の東茶会。森金先生はゼミの帰りなので、遅い時間の参加だった。茶会も終盤ゆえにか、客は四名であとは水屋からのお人。よくあるアットホームな茶席の雰囲気だったと。お喋りしつつ、お互いおなかを満たす。午後は手紙の清書。梅の柄の棗や茶碗をしまい、桜に替えたり。ああ、お習字する時間がほとんど無い。鎌倉初期、華厳宗中興の祖、明恵上人。栂尾トガノオの高山寺。明恵上人は高雄山...顔わすれめや雛二対
藤原定家立つ雉のなるる野原もかすみつつ子をおもふみちや春まどふらむ今日は東京美術倶楽部での茶会東茶会トウチャカイ東京マラソンと重なり近辺の道路は静かだ今年から席入時間が決まって朝九時から五十分ごとに九回の茶席があり、希望時間を第三まで指定する私は第三の十時四十分の席友人は九時からの一番の席朝ラインが来た「9時席入りなので8時15分着、まだ入口が閉じてました。すでに、10人並んでいました。8時半に開場。席入り時間がきまっていてもお茶人さんは気が早いですね。」濃茶席光悦作の竹花入に白の薮椿とキブシ薄茶席花入は小鼓胴花は貝母と蕗の薹写真は金田中のお弁当お向と飯蒸しが付いた点心席の掛けものは訥言の「麦に雉」立つ雉のなるる野原もかすみつつ
啓蟄や雲のあなたの春の雲楸邨加藤楸邨カトウシュウソン俳人。東京生れ。東京高師卒。水原秋桜子に師事し,《馬酔木(あしび)》に参加。のち《寒雷》を創刊主宰。生活に即した人間感情をうたい,中村草田男らとともに人間探究派と呼ばれた。今日は朝早く起きて築地へ九時少し前に築地市場駅に到着土曜日だから混んでる観光客ばかりで歩けないみんな早起きだすいてる道を選んで家に戻ってから朝ごはんだ午後は朝日カルチャートイレの前で先生と遭遇変なところで会いましたねとバレンタインのお返しを頂戴したどこでも問題はないお勉強のあとはパーマ屋さん結果いつもよりくるくるになったそのうち伸びるからいいや写真は乗った大江戸線の車内機関車トーマスに囲まれた「子育て応援スペース」雲のあなたの春の雲
古雛やむかしの人の袖几帳ソデキチョウ蕪村今日は茶会と茶事のダブルヘッダー風もなくのどかな良い天気茶会の日本家屋は吉田五六八の設計吉田五十八ヨシダイソヤその名は父が58歳の時の子供だからとう1894年(明治27年)12月19日~1974年(昭和49年)3月24日)数寄屋建築を独自に近代化した。奈良の中宮寺世田谷区の五島美術館建直し前の歌舞伎座大和文華館等々ウィキペディアをご覧になれば建築作品が多々乗っている私の従姉のガゼータが大好きな建築家なのでLINEで知らせたら「羨ましいわわわわ」と返事ありね。お茶人もいいでしょ。今日みたいに貴重な茶室に入れる事もありますよ。お茶ってほんとに良いでしょ。お弁当は「一文字」古雛フルヒナや
草の戸も住替る代ぞ雛の家芭蕉今日は木曜稽古昼間は予報どおり暖かかったが朝夕はすごく寒い寒いので早く寝よう名物など茶入に盆が添えてあるあるいは盆を添えたいような茶入茶入をもとめた時すでに盆がついていたりもする伝物の盆点がその点前でありまた奥伝にもある茶入盆には若狭盆、松の木盆、羽田盆、存星、キンマ、俱利、ハシカ彫、堆黒、堆朱、紅花緑葉、青貝などがあるようだ草の戸も
与謝野晶子くれなゐの桃のつぼみを思ひつつ薬をのみぬ病める三月今日から三月ますます花粉が増えたらしい目がかゆい朝もくしゃみを何度もした今日は水曜稽古前にも書いた事があるけど茶入の蓋を拝見するときに案外面白いかも茶入の蓋について・茶人の蓋は必ず象牙・象牙蓋には二種類ある巣のある巣蓋と無いもの・漢作茶入は純白の巣無し蓋瓶子蓋・和物茶入はすくい蓋盛り蓋一文字蓋落込蓋面取蓋半月蓋巣蓋・茶入蓋の名人は立佐リュウサ立古リュウコ印斎インサイ半清ハンセイ写真は森金さんが買ってきてくれた鯛焼きそれも羽根つき鯛焼きだたっぷりの餡下高井戸の鯛焼きの店たつみ屋美味しいまたお願いいたしますくれなゐの桃のつぼみを思ひつつ
如月や電車に遠き山の手のからたち垣に三十三才ミソサザイ鳴く木下利玄木下利玄キノシタリゲン1886-1925明治-大正時代の歌人。明治19年1月1日生まれ。伯父の木下利恭の養子。はやくから佐佐木信綱に師事し,「心の花」同人となる。明治43年「白樺」創刊に参加。口語的な発想,四四調の破調など,利玄調とよばれる作風で知られた。大正14年2月15日死去。40歳。岡山県出身。東京帝大卒。本名は利玄(としはる)。歌集に「銀」「紅玉」「一路」。いよいよ二月の晦日ミソカだ一月は往イぬる二月は逃げる三月は去る冬も終わり春になるその春はあっという間に時が経って四月五月もそう先の事ではないだろう今日は四月に招かれた茶事への手紙を書く下手な字だがお習字をちょっと習ったからってそうそう治らない下手のまま出すしかない諦めた如月や
紅梅や文箱差出す高蒔絵漱石今日は昨日の茶事の御礼を書く日巻き紙に封筒を用意硯に水を数滴おとし墨をすり文章を考える穏やかな陽射しの腰掛に座ると足元には苔の緑に藪柑子の赤色見上げると紅梅が可憐に揺れておりましたなんと風雅なことでせうこのたびの茶飯釜の茶事しばし悠楽の時を過ごさせて頂きましたゆったりお茶席におりますと俗世の塵芥が清められ心から癒される思いでございました素敵なお道具の取合せを味わい回り花には緊張しながらも楽しく参加し立派なお茶入とその箱書も興味深く先生のお話しはとてもわかりやすく楽しゅうございましたありがとうございました。また必ずお目にかかれると信じております乱発乱文お許しの程時節柄御身お大切にご自愛下さいませかしこという感じでどうだろう文箱差出す高蒔絵
紅梅や式部納言の話聲子規式部納言とは紫式部と清少納言だろう今日は他流の茶飯釜の茶事へ待合せの時間よりだいぶ早く着いたので駅近のスターバックスでアメリカンワッフルと珈琲で時間調整青い髪の女性スタッフさんにキャラメルソースを掛けてもらったその人の対応する感じがとても好ましい茶事は待合から腰掛、紅梅が見事蹲そして本席へ挨拶のあと初炭手前お持ち出しの長盆に、蓋置と釜敷、柄杓に建水、しゃもじと箸に火吹き竹が乗ってる茶飯釜にお米のサラサラと落ちる音折敷が運ばれる向付に四つ椀と朱杯一献やがて炊き上がったご飯を杓文字で三角に取り、飯器に盛り手鞠麩のみそ汁煮物椀は真丈焼物は引重で鰤の幽庵預けは鴨丸と山芋にスナップエンドウ和え物は蛍烏賊とうど、うるいのぬた相伴の後の小吸物はたらの芽八寸はコゴミと子持鮎香の物は沢庵に赤かぶと大...式部納言の話聲ハナシゴエ
紀貫之なきとむる、花しなければ鶯もはてはものうくなりぬべらなり茶入の蓋の金箔がなあ蓋は象牙かつて名人と言われる象牙蓋の作者が江戸にいた立佐リュウサ立古リュウコ印斎インサイ半清ハンセイなどが知られるまた茶入の盆として若狭盆、松の木盆、羽田盆、存星、キンマ、俱利、ハシカ彫、堆黒、堆朱、紅華緑葉、青貝花しなければ鶯も
猫の恋やむとき閨ネヤの朧月オボロヅキ芭蕉今日は金曜日午前中は予約したクリニックへコブシの花芽が空を向いて立ちあがるあと十日くらいしたら蕾もほころぶかも我が家の椿も咲き始めたお弟子様が読めないからと写真を送ってきた少しクセがあるが読みやすい人声は紅葉の奥に聞こゆれど影こそ見えね庭広くして庭紅葉寄人ヨリウド源英一杣人ソマビトも帰りはてにし夕山ユウヤマの霞カスミの奥に鴬の鳴く夕鶯筆者は長野生まれの遠山英一トオヤマエイイチ御歌所寄人ヨリウドである。文久三年生まれ昭和三十年93歳で亡くなった。号に篁堂・虚心園。はじめ小出粲、のち高崎正風に師事。新聞雑誌に携わる傍、和歌の研究に従事した。猫の恋
春めくといふ言の葉をくりかへしみどり女今日は裏千家東京道場コロナ禍でずっとおやすみしていた好日会が三年ぶりに復活以前と少し異なりつも始まった二月初旬には大宗匠百寿の茶会が披かれまた今日は天皇誕生日の祝日それら三つの祝意を込めて取合せたとう黒田和哉先生の濃茶席茶会記は淡交に掲載されるが引き締まった格の高いお道具広間に御客様は二十名濃茶を頂いた後もみごとなお道具に皆様離れがたく大寄せとは思えぬほどゆっくり茶席に留まるそれぞれのお道具の詳しい説明を受け晴れの茶を堪能し満ちた薄茶席も終ると午後一時過ぎ点心は辻留のお持帰り同行のお友達十名では近くに食べるところは無いお弁当は重たい心は満足でもおなかはしきりに訴える茶会の余情残心を語りあいゆっくりと頂戴したいものしばし後にはおなかは収まり賑やかに御開きした春めく
源実朝わが宿の八重の紅梅さきにけり知るも知らぬもなべてとはなむ写真は光琳屋敷満開の紅梅が見事だった今日は熱海MOA美術館の光琳茶会へ品川から朝八時ちょい過ぎの新幹線こだま八時四十二分熱海着濃茶席に薄茶席が二席そのあと昼食は三友居早めに着いたのでどの席も待たずスムーズにまわれた晴天の茶会日和を七名で廻るも楽し茶席の床はみな素晴らしくマスク常備ゆえ近ずきて拝見長次郎の茶碗も手に触れらるる至福眼福の一日あとはゆっくり美術館の展示拝見してから熱海駅ビル珈琲にシナモンロールも難なくお腹におさまりお喋りは途切れず続くが明日もあるからその辺で家に着いてもまだまだ早い時間早起きの日は一日が長い明日も茶会だ八重の紅梅さきにけり
下もえをうらからのぞく土橋かな千代女お茶の点前は習う先生によって異なる事があるその先生の付いている業躰先生によっても違うしね最近では大炉の雪輪瓦を羽箒で掃く時さらっと私は掃いていたが雪輪の花弁をひとつずつくるりくるりと掃く人もあるとお弟子様に聞いた聞いたことないなぁ好奇心強く、物事を深く知ろうとしてる友人に聞くとそれはずっと昔にあったかもよ今はさぁーと掃きますよと聞いてスッキリ今日は昨日の続きの確定申告の書類を揃えることは何とか整ったあとは会計事務所へ届けるだけほっとした良かったうれしいスッキリした明日は茶会で熱海へ行くので朝早いのでここまで下もえを
白魚に己れ恥ぢずや川蒸気漱石写真は土曜日のお料理白魚の卵寄せ春は白魚だ白魚は大きくなったらなんと言う大人になっても白魚は白魚だと教えてもらったそうなんだ今日はお習字細字を一枚書いて、終了残りの時間は確定申告の準備決まったところにいれてある申告関係の書類を揃えるだけなのに非常に疲れる続きはまただ明日頑張ろう白魚に
にがにがしいつまで嵐ふきの塔宗鑑山崎宗鑑ヤマザキソウカン室町後期の禅僧、連歌師。俳諧選集「犬筑波集」の撰者。氏名、出生など諸説があり未詳。出家して禅林に入り、諸国を遍歴行脚し、晩年は山崎に庵を結び閑居したと伝えられる。生没年未詳。天文八年(一五三九)以降に七五歳以上の高齢で没したらしい。昨日のお料理の焼物は寒鱒カンマスと蕗の薹フキノトウの天麩羅テンプラそれを食べた後蕗の薹の苦味がずっとずっと残っている今も記憶に残っている春は苦味を盛るすごく美味しいと思うのは大人になったんだいや老人だ老人でも今までどおり楽しいことけっこう有るよ若者よ安心したまえ今日は文の会いつものイタリアンの店でバイ様と待ち合わせ席は満席予約してあったから良かった赤ワインとおつまみパスタを二つそれにサラダなどランチを食べてから家で伊勢...いつまで嵐ふきの塔
白魚や黒き目を明く法の網芭蕉今日は毎月の楽しみいつもの食事会白魚の卵寄せが出た四人で玉乃光を二合飲んでいい気分可愛いものだ写真はコースの中の鯉こく絶品だ白魚や
源実朝わが宿の八重の紅梅さきにけり知るも知らぬもなべてとはなむなべて→全般に。総じて。すべて。一般に。ひととおり。あたりまえ。普通。今日は朝日カルチャー。講義がおわりテーブルに並べられたお茶碗を手にとって拝見するのだが道具の扱いがわからない人が多い会員の一人が、後ろの方から片手を伸ばし机から離れて拝見してる。机の上で見れば万が一落としても10センチか20センチ。机を離れれば床まで1メートル以上。落としたらこなごなです。私は片手で取ってはダメです。又、他のお茶碗が有るのにその上で見たら、落としたら二つ割れますよ。と見知らぬ人に注意しました。道具を拝見するマナーを知らないと、見知らぬおばさんに。みんなの前で注意されますよ。八重の紅梅さきにけり
ものの葉のまだものめかぬ余寒かな千代女もの‐の‐め【物の芽】萌え出るいろいろの植物の芽。《季春》もののめのあらはれ出でし大事かな虚子今朝は寒かった今日は木曜稽古二ヶ所の炉に炭をおこし早めに炉に釜を掛けたがなかなか暖まらない二月の大炉は今日でおしまい来週のお稽古は個人的都合でおやすみだ逆勝手のお点前は案外記憶が体に残り、本勝手に戻ってもどちらが正しいか迷ったりするやはりなんと行っても本勝手が楽だ二月は大炉か逆勝手又は八炉の色々を各自が決めて点前をするのだがずっとコロナの影響で予定どおりに稽古はできなかった面白そうなら行ってみよう体力などなど可能ならばあれこれ忘れて行動あるのみだまだものめかぬ
今日は水曜稽古大炉の点前は何より炭手前が面白い初炭もまた後炭も面白い月はじめの大炉の茶会をインスタにアップした宜しければご覧ください写真は今日の掛物古筆筆者は一条内経一条内経イチジョウウチツネ1291-1325鎌倉時代の公卿,歌人。正応4年7月17日生まれ。一条内実(うちざね)の長男。母は一条実経の娘。正安2年従三位。権大納言などをへて,文保2年内大臣にすすみ,ついで関白となる。従一位。「玉葉和歌集」などの勅撰集に23首おさめられている。正中2年10月1日死去。35歳。法号は芬陀利華院。歌集に「内経公百首」。歌は新古今集二月雪落衣といふことをよみ侍ける康資王母むめちらす風もこえてやふきつらんかほれる雪のそてにみたるゝ題しらす西行法師とめこかしむめさかりなるわかやとをうときも人はおりにこそよれ百首哥たてま...二月雪落衣
躬恒春の夜のやみはあやなし梅の花色こそ見えね香やはかくるるこのうたは謡の詞章に確かにあったがすぐには思い出せない梅の花が咲くまで15年かかるらしい桃栗3年、柿8年、梅は酸い酸い13年、柚子は大馬鹿18年、林檎ニコニコ25年だそうだ今日はお習字硬筆のペン字を練習する日何枚か書いて今月分はとりあえず完成した小さな満足写真はうちの胡蝶ワビスケやみはあやなし梅の花
春なれや名もなき山の薄霞芭蕉日没がだんだん伸びてきた今日は5時21分コロナ禍でお休みしていた研究会が四月から再開する会員の皆さんにメールで連絡するとすぐに何通か返信を頂いた短いメールの文章でもその方の声や姿が浮かんでくる四月が楽しみだ茶道具の箱で杉箱は苦手だ台子の箱台目棚の箱三友棚の箱杉箱だと非常に重たい取り出すのも大変だし兎に角邪魔なので新しいものは破棄した古いものも覚悟を決めて破棄中身だけだと気楽で使う回数が増えた箱は桐箱が一番良い柔らかくて軽い加工に便利衝撃を緩和させる白くてきれいだ少し凹んでも湿すと戻るとか節が少なく木目がきれい上等になるほど細かくて平行柾目マサメと言う古い茶道具に桐だけど柾目でないものがあるそれは根っこを使ったもので根目ネモクといい面白がって使ったとお道具屋さんに聞いたことがある...春なれや
藤原定家春の夜は月の桂もにほふらむ光に梅の色はまがひぬ月の桂古代中国の伝説で、月の中にはえているという高さが五〇〇丈(約一五〇〇メートル)の桂の木。月の中の桂。月桂(げっけい)。転じて、月、月の光などをいう。《季・秋》今日はお弟子様のお茶事の水屋を担当このお弟子様は御客様をお招きして毎月茶事を披いている今日の御客様は三名茶事は亭主も水屋もすることが次から次へと沢山あってあっという間に一日がすぎた茶事が人生を豊かにする帰りに今日のお菓子を貰った春の夜は
眠れねば香きく風の二月かな水巴渡辺水巴ワタナベスイハ1882-1946明治-昭和時代の俳人。明治15年6月16日生まれ。昭和21年8月13日死去。65歳。東京出身。日本画家渡辺省亭ワタナベセイテイの長男。内藤鳴雪の門人。のち高浜虚子の教えをうけ,「ホトトギス」で活躍。本名は義(よし)。古い茶道具を買うとその箱に何か紙が貼ってあることがある銘や伝来が書いてあれば→貼紙品番や季節、所蔵印など整理札が貼ってあれば→貼札また箱の甲や裏に箱書があったり中に極めが入っていたり箱の材質や形真田紐の種類や皮紐の位置知らないこともたくさんある道具やさんに教えて貰ったりして少しずつ知識が増えてくるのも買わずともいや買えなくとも古い道具を見るという楽しみがある眠れねば香きく
三味線に冴えたる撥バチの春浅し漱石今日は雪が降るというので出かける予定は早めに取り止め先生にメールを送る電車が止まったりして帰れなくなったら大変雪で転んでも大変家に静かに居よう寝坊して昼寝して早寝しようさて分かりにくいものに落款と花押がある花押カオウとはなにかこれはサインのことで、自署のかわりに書く記号で、書判カキハンとも言う。主な茶人や流儀の歴の宗匠など知らないと困ることある若いうちに覚えておくと、その後ずっと使える見れば人物がわかり、時代や趣味がわかる昔の誰だか不明な花押が付いた茶道具もいくつかある有名でない人はこの後ずっと不明のままだ印とはいわゆる「はんこ」のことだが在印ザイインとは、箱に判子がおされてる後の人が箱書押印したものも含むようだそれでは落款とはウィキペディアには落成款識(らくせいかん...春浅し
西行春あさみ篠のまがきに風さえてまだ雪消えぬしがらきの里明日は雪の予報だが本とに降るのか今日は木曜稽古二月は大炉の点前を稽古する大炉は一尺八寸四方実に暖かい点前は逆勝手躰を動かすにも頭を使う春あさみ
大伴家持うち靡ナビく春ともしるくうぐひすは植木の木間を鳴きわたらなむ今日は水曜稽古掛けものは一行山家富貴銀千樹サンカノフウキギンセンジュこれには対句がある漁夫風流玉一簑ギョフノフウリュウギョクイッサ意味は「雪景色を詠じた詩。この現成そのまま悟りの妙趣。この天然の風流は何物にも喩え難い」『禅林句集』柴山全慶編とあるお稽古に届いたお菓子は鶯の練切と草餅春だ春ともしるく
与謝野晶子あかしやに柔き芽をはこび来る二月の雨の白き足もと乾燥してる雨が降らないから喉も肌も声もカラカラ今日は読売カルチャー小座敷に衝上ツキアゲ窓をつけたのは北向道陳。床の寸法を四尺三寸に縮めたのは道庵だったが、利休もそれをよしとして、その通りにした。また灰匙も昔は竹に土器カワラケなどをさしはさめるを、道庵は金にして柄をつけた。利休はそれを飯杓子のようだとわらったが、のちに利休も金に柄をつけた。と茶話指月集にあった利休様を倣ナラって良いところはためらわず取り入れよう二月の雨
素性法師春たてば花とや見らむ白雪のかかれる枝にうぐひすの鳴く今日はお習字のお稽古久し振りまず書道道具を出す必要がある硯を用意水の用意紙に文鎮セットしてみると筆がない探したが見つからないとりあえず前回使って干したままの筆を使って楷書を三枚書いて行書二枚仮名とペン字提出する事に意義がある春たてば
紀貫之袖ひちてむすびし水のこぼれるを春立つけふの風やとくらん今日は立春朝日カルチャーのくずし字入門住吉物語を読んだ【住吉物語】鎌倉初期の物語。2巻。作者・成立年未詳。源氏物語・枕草子に名がみえるが、現存の物語は改作といわれる。中納言の姫君は継母の悪計を避けて住吉の尼のもとに身を寄せるが、長谷観音の利益で少将と結ばれる。継子ままこいじめの物語の代表作。絵巻にも作られる詞書コトバガキのところをほんのわずかだが読んだお勉強は午後1時からその前に大江戸線で築地へかつおぶしを買った土曜日のせいか歩けないほど混んでた春立つけふの風やとくらん
節分や鬼もくすしも草の戸に虚子今日は節分節分は立春の前日だが立夏、立秋、立冬の前日も節分旧暦では立春が一年のはじまりなので、その前日の節分の日は大晦日となる重要な日でもあったようだ今日はみんなと待ち合わせて茶道具屋さんの節分茶会へ名品を拝見し堪能した帰りは中華料理円卓でシェアするのも久し振りだ三年ぶり以上だ頗る美味で満足最後は写真の杏仁豆腐店を出て今度は珈琲私だけケーキセットだったけどお喋りは尽きない茶道具屋の小さな旅何時もながらああぁ楽しかったね鬼もくすしも草の戸に
真青な柊挿せる軒端かな青邨柊を挿すひびも古フり軒柱ノキバシラ青邨山口青邨ヤマグチセイソン1892-1988大正-昭和時代の俳人,鉱山学者。明治25年5月10日生まれ。古河鉱業などをへて母校東京帝大の教授。高浜虚子にまなび,大正11年水原秋桜子らと東大俳句会をおこす。「ホトトギス」同人。「夏草」を創刊,主宰。昭和63年12月15日死去。96歳。岩手県出身。つい最近の事だが一畳のホットカーペットの電源がつかなくなってしまったそう古くはないのだがどこかが壊れたのだろう電源が入らなくてもふかふか暖かそうだし水屋の敷物くらいにはなるかもとずるずると引っ張って敷いてみた丁度いい感じコードが長くて邪魔なのでそこにあったキッチン鋏でガリガリとコードを切った途端にバシッと火花が出て切れたコードの先を見るとまだコンセント...真青な柊挿せる軒端かな
正月になったと思ったらもう今日は2月だ1月往ぬる、2月は逃げる、3月は去る4月は知る5月は動く6月は苦労する7月は慣れる8月ははじける9月は汲み取る10月は重ねる(10月=じゅう=重=重ねる)11月は重ねて射止める(11月=じゅういち=重射=重ねて射止める)12月はしわ寄せる(12月=しわす=しわよせる)とネットに出てた今日は2月
今日は読売カルチャー茶話指月集の千鳥の香炉の話し香炉の足三つのうちひとつが一分とは3ミリ長い事を奥さんの宗恩が気が付き利休も同じく思って長い足を切った蒲生氏郷と細川幽斎が利休に招かれ茶事が終わったあと蒲生が千鳥の香炉を見せて欲しいというと利休は不機嫌になり千鳥の香炉を転ばしたそこで幽斎は千鳥の香炉を清見潟の和歌の心にやというと利休は穏やかになったという清見潟の和歌清見がた雲もまがれぬ浪のうえに月のくまなるむら千鳥かなむら千鳥
折り取つて日向に赤し寒椿水巴渡辺水巴ワタナベスイハ1882-1946明治-昭和時代の俳人。明治15年6月16日生まれ。日本画家渡辺省亭セイテイの長男。内藤鳴雪の門人。のち高浜虚子の教えをうけ,「ホトトギス」で活躍,大正3年には雑詠欄の代選をつとめた。明治39年「俳諧草紙」創刊。大正5年より「曲水」を主宰。昭和21年8月13日死去。65歳。東京出身。本名は義(よし)今日は月曜日朝から晴れだ「咲きそうな椿はあるか」狭い庭を一巡り椿は成長は遅く、寿命は長いというが庭の椿の樹齢はかなり私が子供の時からすでに庭にあった明石潟と乙女椿日本椿の会の大手町の農中での頒布会その時の西王母と金魚葉白椿紺侘助加茂本阿弥などは四十年前その後にいくつかは買ったが古くなった椿は花芽をあまり付けくなった肥料をあげないからか年をとった...日向に赤し寒椿
藤原清正花さかぬ梅の立枝もわがごとや年のこなたに春を待つらむ藤原清正フジワラノキヨタダ?-958平安時代中期の官吏,歌人。藤原兼輔カネスケの次男。左近衛少将をへて従五位上,紀伊守となる。三十六歌仙のひとり。壬生忠見,藤原敦忠らと親交があった。天暦期の歌合わせで活躍。「後撰和歌集」以下の勅撰集に28首がはいる。天徳2年7月死去。今年の裏千家初釜は18日にご招待を受けていたが都合で欠席今日宅配便が届いた干支の永楽の盃御家元の扇子末富のお菓子有り難く頂戴した。写真は明日乗せよう春を待つらむ
行く蛍雲の上までいぬべくは秋風吹くと雁に告げこせ暮れがたき夏のひぐらしながむればそのことゝなくものぞ悲しき「伊勢物語45段.行く蛍」目離メカるともおもほえなくに忘らるゝ時しなければ面影にたつ「伊勢物語46段.うるはしき友」目離メカる→しだいに会わなくなる。今日は久し振りの文の会いつものイタリアンでおすすめのパスタ二つ赤ワインとおつまみで一人の料金は2,700円家に戻って珈琲にお持たせのミスドのドーナツ止まらない食欲とお喋りそろそろお勉強しましょうかと時間を見ると4時少し前大変ちょっとだけでもお勉強せねばね伊勢物語を45段と46段の二段だけ読んで今日は終了日付メモを見ると4回目何度読んでもボーッとしてるだけなのでちっとも身につかないけれどまあそれで充分目離メカるとも
快覚法師小夜更くるままに汀や氷るらん遠ざかり行く志賀の浦浪快覚カイカク生没年未詳生年は治安二年(1022)かという。中宮大進従五位下藤原保相の子。母は式部卿為平親王家女房(陽明本勘物)。三井寺の阿闍梨。頼豪の弟子で、延久五年(1073)伝法灌頂を受けた。勅撰集入集歌は後拾遺集の1首のみ。今日は金曜日外の蛇口から水出して朝止める蛇口は凍らないが水甕ミズガメは凍っていた寒いはずだもう悩まないでお弟子様水指の蓋をあけるのは何手か真の点前は前行の点前は客付草の点前は勝手付いずれもつまみは右手でとり置く手は近い方の手で置く紙釜敷を胸に入れる時わさはどっち釜を置くその方向にわさを向かせて胸に入れれば炉風炉本勝手逆勝手何でも使える初炭の羽と火箸を置くときは炉でも風炉でも羽が上座炭斗を炉また風炉の右に置くときは炭斗の...小夜更くるまま
今日は木曜稽古掛けものは頼杏坪ライキョウヘイ宝暦6年(1756年)7月~天保5年7月23日(1834年8月27日))江戸時代の儒学者、広島藩士。諱は惟柔タダナゴ、字は千祺センキ・季立、号は春草堂、通称は万四郎、別号に春草・杏翁。長兄が頼春水、次兄と五弟が死亡し、三兄が頼春風。頼山陽は兄の春水の子で、杏坪は叔父に当たる。鴬の和歌があり最後にただなごとある頼杏坪ライキョウヘイ
熱き茶を飲んで用なし寒雀波郷石田波郷イシダハキョウ1913年(大正2年)3月18日-~1969年(昭和44年)11月21日)、愛媛県出身の日本の俳人。本名は哲大テツオ。水原秋桜子に師事、『馬酔木』に拠ったのち、『鶴』を創刊・主宰。初期の青春性のあふれる叙情句から始まり、自己の生活を見つめる、人間性に深く根ざした作風を追求。加藤楸邨、中村草田男らとともに「人間探求派」と呼ばれた。昭和の第二次世界大戦前に流行した新興俳句運動を批判し、韻文精神の尊重を説き、切れ字を重視。戦中には結核を発病し、戦後は病と対峙する自身の生活を題材とする境涯俳句を詠み続けた。(ウィキペディアヨリ)今日は水曜稽古昨晩から水道の水を出しておいたので水道管の破裂はなかったまあそれほど寒くなかったしひと安心お菓子やさんが持ってきた今日のお...熱き茶を飲んで用なし
紀貫之雪ふれば冬ごもりせる草も木も春に知られぬ花ぞさきける強烈寒波が来るので明日明後日とどんどん寒くなると言う教えてもらった水道管破裂予防二階への水道管にプチプチを巻いてテープで止めた水道の元栓がある四角い箱の中にプチプチをたくさん詰めるそしていよいよ寒くなったら水を少し出しておく方法で水道管が破裂しないように何があるかわからないから出来ることはやってみよう広島の凛さんからラインの電話行事の色々をブログで見て懐かしく参加したいと思えど今は遠くにいるので叶わず残念とのこと又いつかね一緒にね遊びましょう写真は土曜日に行った京料理のふくもとの庭タヌキとフクロウがいる雪ふれば
極楽の近道いくつ寒念仏蕪村今日は日曜日朝早く起きてお弟子様の茶事の水屋を担当タクシーを呼んで9時前に到着した茶事お客様は12時席入それまで結構時間があるいつもならゆっくり珈琲を飲んでからそろそろ向付のお魚切ろうかしらと時間に余裕があるのだが今日は結構仕事があるのんびりせずに動かないと間に合わないボーッとしてたら茶事が進まないまずは待ち合いの火入か茶事が始まると時間は急速に密度が濃くなる懐石を終えて菓子を出し中立たちまち後座になった雑念の出る暇はなく四時間はあっという間に過ぎて最後に果物と紅茶の用意林檎と白い苺をお出しする茶事が終わっての雑談これも何より楽しいだから茶事は辞められない茶事には茶事は七式と言い七つある茶事七式茶事に関する七種の法式。暁の茶事、朝の茶事、正午の茶事、夜咄(よばなし)の茶事、不時の...極楽の近道
大寒や羊羹残る皿の底龍之介昨日は大寒今日は食事会はじめに湯葉蒸し次は口取りいろいろお椀はお正月花びら餅のようお造りは鶴のお皿に炊き合わせは筍と鴨の治部煮揚げ物はふぐと蕗の薹の天麩羅おじやお菓子は花びら餅完食した羊羹残る皿の底
寒菊や古風ののこる硯箱其角其角キカク(1661―1707)江戸中期の俳人。芭蕉門の高弟。寛文元年7月17日江戸に生まれる。父は本多藩の医師。榎本氏、のちに宝井氏を名のる。14、15歳ごろ芭蕉門に入る。23歳、俳諧集『虚栗(みなしぐり)』刊行(1683)。翌年、京坂への旅に出、西鶴をはじめ多くの他門の知己も得て、幅広い芭蕉門作家として活躍。1694年(元禄7)上方への旅に出て、偶然にも芭蕉の他界の前日、大坂の病床に参じえて、葬儀万端を済ませ、追悼俳諧・俳文集『枯尾華(かれおばな)』を刊行。豪放闊達、大酒、また遊里の作品も多い反面、情に厚い。宝永4年2月30日没。今日は金曜日午後から朝日カルチャーへ行くそして帰りには美容院へ行く予定午後からなので、午前中はゆっくりと金曜日のゴミ出しとゆっくり朝食あとはテレビを...古風ののこる硯箱
蓄へは軒下にある炭二俵高浜虚子高浜虚子タカハマキョシ1874年〈明治7年〉2月22日~1959年〈昭和34年〉4月8日)明治・大正・昭和の日本の俳人・小説家。本名は高浜清タカハマキヨシ師事していた正岡子規から号をもらった清キヨシから虚子キョシ。本名からの由来。1895年(明治28年)12月、正岡子規より後継者となることを要請されるも「アシは学問する気はない」と拒否した。1897年(明治30年)、元は碧梧桐の婚約者であったが碧梧桐の入院中に親密になった大畠いと(糸子)と結婚した。今日は木曜稽古花は本白玉と日向水木他の椿はまだまだ蕾が固い菓子は浮島製の銘「若松」それと鹿の子の二つが届いた蓄へは炭二俵
極楽の近道いくつ寒念仏蕪村今日は水曜稽古予約表の通りにお弟子様が稽古に来る最高年齢の数さんは今年87歳になるが襖の戸を閉める後ろ姿は背筋がピンと伸びて若々しい何よりだ寒念仏
大つぶの寒玉子おく襤褸ボロの上飯田蛇笏イダダコツ1885-1962明治-昭和時代の俳人本名武治。別号山廬サンロ。山梨県生れ。早大英文科中退。高浜虚子に師事し《ホトトギス》に出句。大正期から俳誌《雲母(うんも)》を主宰発行した。句風は重厚で妖艶,格調が高い。昨日はブログを書くのを忘れてしまったトホホ今日は明日の稽古の支度をする子育て中でお休み中のお弟子様が訪ねてきた現在11か月のお子さんずっと寝てたいい子だこの春に旦那様の都合で大阪に転勤とのこと行ってらっしゃい季語にもなっている寒卵カンタマゴ鶏が寒中に産んだ卵は栄養価が高く、保存がきくとされ、寒卵と言われる。冬には卵料理。特に大寒卵ダイカンタマゴは特別良い。大寒の日に産まれた卵のことをいい。今年は1月20日に産まれた卵が「2023年大寒卵」昔か...寒玉子おく襤褸ボロの上
藤原定家さびしさは霜こそ雪にまさりけれ峯のこずゑのあけぼのの空人生には「ハレ」と「ケ」がある「ハレ」の日は非日常特別な日だまた「ケ」とは「ケ」は普段の生活、日常ということと私は理解している日本はいにしえより山や海、樹木にも火にも水にも、いやこの大気にも神様が宿っていると思う。森羅万象に神を意識し、八百万の神々を信仰してきた。が日常にトラブルがあり、順調にいかなくなったら、それを祓うために神仏に祈る。又そうならないように祈る。そして、ならないことに感謝する。神仏を祀マツり祈る特別な日とそうでない何でもない日茶事の取合せも格調高いハレの日があり、時期やお客様によっては普段の軽い茶事もある一月は新年を祝うハレの月次の二月は昔の囲炉裏を模した大炉でケの茶事をしよう今日はお弟子様のおうちでの稽古茶事懐石は一汁三菜お...霜こそ雪にまさりけれ
寒水を飲みはなちたる柄杓かな蛇笏今年の小寒は1月6日大寒は1月20日今まさに寒中というわけだ今日は朝日カルチャーの講座へ寝坊してのろのろ九時に起きた始まりは10時半なので急いで身支度朝ごはんにお餅を焼き二つ食べて駅まで早足で歩くお陰さまで歩いて行けるほど元気になった写真は初釜の風炉先四君子の絵上部に賛がある四時佳興花、有人生亦愉四季それぞれの花にはこころよい趣人生も又その時々の楽しみが有るてなところか落款は読めない道具畳には紹鴎棚天板に自作の冊子と筆を飾った寒の水
令和五年初釜の掛けもの沢庵宗彭筆梅花百首のうち三首堀江知彦極野辺は今かしこもここも梅の花こころのはゆる二月のころ春くればしつか垣根の梅さきて心あれなと身やおもふらん花や待ちなれやとひよるむめさけはうぐひすなかむやふはらもなし今年の勅題は友歳寒三友の梅歳寒三友(さいかんのさんゆう)は、宋代より始まった、中国の文人画で好まれる画題のひとつであり、具体的には松・竹・梅の三つをさす。三つ一緒に描かれることも多いが、単体でも好んで描かれる。日本では「松竹梅」と呼ばれる。(ウィキペディアより)梅花百首のうち三首
万歳のロや真砂は尽るとも千代女今日は木曜稽古掛けものは大徳寺479世圭窓宗潤の「万々歳」東海圭窓叟東海とあるので品川東海寺に住していたことがあるのだろう。東海寺は寛永15年(1638)に三代将軍徳川家光が、沢庵のために創建した臨済宗大徳寺派のお寺。万歳とは(ばんざい、ばんぜい、まんざい)(ばんざい)祝いや喜びを込めて両手を挙げて「バンザイ」と唱えること。その動作。(ばんざい)めでたいこと。うれしいこと。歓迎すべきこと。万万歳。真砂は尽るとも
よみ人しらずあたらしき年にはあれども鴬のなくねさへにはかはらざりけり今日の掛けものは懐紙新年同詠若木梅和歌源鶴処移し植えし若木の梅はうぐいすの宿をゆかしの色にこそ咲けとよんだが違ってるやも新年と有るので掛けてみたもう何年間前に買ってあったが全く読みにくい文字でよもうという気がしなかったでも今日はなんとなくよめた朝日カルチャーのくずし字のよみ方に行ってるお陰かも感謝だあたらしき年にはあれども
光琳の屏風に咲くや福寿草漱石今年の初釜の寄付に抱一の福寿草の画賛を掛けた写真はその箱抱一上人福寿草自画賛とある酒井抱一サカイホウイツ宝暦11年7月1日〈1761年8月1日)〉~文政11年11月29日〈1829年1月4日〉)は、江戸時代後期の絵師、俳人。権大僧都。本名は酒井忠因タダナオ。幼名は善次。通称は栄八。字は暉真キシン。ほか、屠牛、狗禅、鶯村、雨華庵、軽挙道人、庭柏子、溟々居、楓窓とも号する。また俳号は、ごく初期は白鳧・濤花、後に杜陵(綾)。狂歌名は、尻焼猿人。屠龍(とりょう)の号は俳諧・狂歌、さらに浮世絵美人画でも用いている。この軸はもう30年以上も前に買ったもの。毎年は掛けないとしても重宝している。抱一ホウイツの意味は道をいだく。少なければ則スナワち得、多ければ則ち惑マドふ。是ココを以モッて、...屏風に咲くや福寿草
わが友と君がみかきのくれ竹は千代にいか世のかげをそふらん藤原俊成今日はあまり寒くないとても良い天気こういう日こそ手前に使う炭を確認足らない炭を用意せねばならないこれがけっこう楽しい大箱や小箱から道具炭を種類に分けて庭にある引出しに入れるのだプラスチックの五段の引出しが二つ雨風に打たれて状態が悪い静かに扱わないと引出しが壊れてしまうから力のいれ具合に神経を使う火入の炭が少なくなった買わなくてはならないがためしに止め炭を糸ノコで切ってみた三つに切るとまあまあ使えそうな感じとりあえずは買わずともなんとかなりそうだ切っているうちに割れて壊れたのもあるが炭切りはなかなか面白い写真は藤原俊成のしおり付き今年の勅題の山田松のお香お年賀に頂戴した千代にいか世
蓬莱に初日さし込む書院哉漱石写真の掛軸は林文塘ハヤシブントウの蓬莱山林文塘ハヤシブントウは(1882~1966)日本画家。明治15年京都市生まれ。本名は幸三郎。山元春挙に師事する。大正8年に井口華秋・池田桂仙らと自由な制作をめざして日本自由画壇を結成する。昭和41年歿。84才。蓬莱山ホウライサンとは中国,古代における想像上の神山。三神山の一つ。三神山とは蓬莱,方丈,瀛エイ洲のこと。山東地方の東海中にあり,仙人が住み,不死の薬をつくっており,宮殿は金玉,白色の鳥獣がおり,玉の木が生えているとされた。しかし,遠く望めば雲のようであり,近づけばどこへか去って,常人にはいたりえないところという。前4世紀頃から盛んにいわれるようになり,神仙思想の原型となった。蓬莱山
七くさや袴の紐の片むすび蕪村今日は七草七草のセットを買ってある朝は七草粥たくさん食べてもお腹がすぐすいてしまうからお餅入りにしたがお餅の食べ過ぎに、気をつけよう今日は横浜の朝日カルチャーへ行く日だ改札口を出ると人がいっぱい横浜駅は混んでた今年始めてのカルチャー教室「くずし字のよみ方」へ写真は浜離宮ななくさや
塗椀の家に久しき雑煮哉子規お雑煮を作るときは、まずは出しを引く鍋に水と昆布をいれて火にかけるやがて昆布が広がり浮き上がり小さな泡がプツプツと付いてくる頃そろそろ良いか頃合いを見て昆布を取り出すそれから最近は火を止めて温度を少し下げかつおぶしをいれて一分おく盆ざるに布巾をひいてこすと出来上がりいつもの手順なのだが初釜のお雑煮の支度して出しをひこうと鍋の昆布を取り出したすると何も考えず用意してあった盆ざるにまだかつおぶしを入れていないのにこし始めてしまったなんだか変だと気がついたのですぐ止めたが気がついた時は凹んでしまったお雑煮を作るのにまだまだすることがあるからへこんではいられないけれども凹んだ今日は金曜日出かける用事が何もないでも銀行と郵便局へはたまにはいかねばならず出かける塗椀の家に久しき雑煮哉
御年始の返事をするや二階から一茶だいたい年賀状は出せない年末は何かと落ち着かず筆を持てないでも毎年元旦になると暇なので年賀状を書いているその日届いた年賀状の住所を見ながら書くのだが今年は用意した年賀状の枚数が足りず、お目にかかれる方には出せなかった申し訳ない御年始の返事
松竹梅は歳寒三友といわれる中国の画題だとか松竹梅だけでなく、「梅」「水仙」「竹」を配したものも歳寒三友と言うようだ今年の勅題は「友」であるからやましたに頼んだ扇子は干支のうさぎと松竹梅の絵柄だ松竹梅は蓬莱山に生じ、歳寒に耐える植物として、祝い事には不可欠のものである松は神の依り代門松などお正月にはかかせない長寿の象徴。梅は花の兄。春にさきがけて咲く。竹は成長が早く強い。三友はいずれもしなやかな生命力を持ってるまあ松竹梅と聞くと、まずは丼物を思い浮かべるが口には出さず思うだけ。今日は癸卯の村雨庵の初釜コロナの前は一日で済ませていたがコロナのあとは人数は少なく日数を多くしてひらくごとにしているところ初釜の支度は年々大変になる大したことは出来ないがお雑煮だけでもお出ししようと思うと初釜の茶道具の他にお椀類や折敷...松竹梅
新年の白紙綴ぢたる句帖哉子規今日は三日朝一番から昨日に続き箱根駅伝のテレビをつけて朝ごはんの支度午前中はそごうにお菓子を取りに出かけ、ついでにウサギの上用饅頭を買った大晦日から泊まってる従姉のKEIKOちゃんが帰った家に着くと電話をくれるのだが深刻な声で訴えてきた家について靴を脱いで見ると違う靴をはいてることに気がついた左はKEIKOちゃん自分の靴だったが右の靴は私の靴で色も少し違うのに自分は全く気がつかなかった人が見て可笑しいと思ったのではないかと恥ずかしいしなぜ気がつかなかったのかボケてしまったのか心配だというのだ玄関に確認にいくと確かに右左ちがうウォーキングシューズが残ってるどうも、うちの玄関ははきものを間違えやすいらしいある時草履が四人位しかなくても間違えた事があった茶会で草履を間違えられるのよね...白紙綴ぢたる句帖
正月や辻の仏も赤頭巾一茶一月二日何もしないでも一日は過ぎる元旦のテレビ富士山の画面をスマホに撮ったテレビのおみくじは大吉正月や
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与謝野晶子春はただ盃にこそ注ぐべけれ智慧あり顔の木蓮の花昨日は木曜稽古椿はほぼ終了代わりに庭の野草が芽をだし始めた葉を広げ蕾を抱く芍薬その足元に小さな地エビネ紫蘭それにシャガ(射干)別名は胡蝶花あとフタリシズカ鳴子百合宝鐸草窓の外には黄エビネ見上げると木蓮も蕾がある木戸のもみじは葉柄を長々と伸ばし始めいま丁度花を咲かせてる一部はプロペラの種を持っているこのところは庭に降りるのが楽しみだ写真はイノさんが送ってくれた某有名庭園の藤見事智慧あり顔の木蓮の花
海棠の花のうつつや朧月其角今日は水曜稽古雨が降ったり止んだり暑かったり寒かったり春の気候は疲れるね稽古の花をまずは切り取りしばし流し水にしておくとよく水が上がる鳴子百合が可愛らしい炭手前は自在に手取釜もうひとつの炉は裏鏊釜ウラゴウガマの透木の扱い炭手前は初炭手前後炭手前に盆香合初炭所望後炭所望などそれに大炉吊り釜透木釜茶飯釜など色々炭手前は楽しい朧月
藤原定家春のおる花のにしきのたてぬきにみだれてあそぶ空のいとゆふいとゆふとは①春の晴れた日に、蜘蛛の子が糸に乗じて空を浮遊する現象。蜘蛛の糸が光を受けて流れ乱れるさまは、薄い絹織物にたとえられる。また、蜘蛛の糸が光の加減で見えたり見えなかったりするところから、あるかなきかのものにもたとえられる。遊糸(ゆうし)。《季・春》②春あるいは夏の晴れた日に、地面から立ちのぼる気。陽炎(かげろう)。③「いとゆうむすび(糸遊結)」の略。(コトバンクより)写真はうちの猫ミーちゃん写真を撮られるのが嫌い寝てるかと思ったら薄目あいてる空のいとゆふ
大伴四綱ヨツナ藤浪の花は盛りになりにけり奈良の都を思ほすや君大伴四綱オオトモノヨツナ奈良時代の官吏。天平(729-749)初年のころに大宰府防人司佑(さきもりのつかさのじょう)をつとめた。17年雅楽助(ががくのすけ)となり,正六位上をさずかった。「万葉集」に歌5首がおさめられている。名は四縄ともかく。今日は東京美術倶楽部の「和美の会」4月の今日13日と14日にひらかれる全国の有名茶道具商が集まっての展示即売会拝見するだけでとても勉強になるのだお道具屋さんがカタログを送ってくれたけど何も買わないのでいや買えないので手土産にお菓子を持っていった三階のお店の場所を確認し早足で行くがそのブースの椅子に年配の男性が座ってる確かに見たことある人だ「駄菓子ですが」と手渡したところが一軒店を間違えていた目指すは隣の店だっ...藤浪の
大伴家持うらうらに照れる春日にひばり上がり心悲しもひとりし思へば今日は木曜稽古蛭釘に自在を吊り手取釜を掛けるもう一つの炉には裏鏊釜(うらごうがま)で透木の扱いのお稽古炉の茶の湯もあとわずか裏鏊釜ウラゴウガマは天命作の鏊ヤキナベの底が見事であるところから考案されたと。鏊ヤキナベをさかさまにし、底に穴をあけ釜の口とし、これに別に作った底を後から取付け釜に仕立てたもの。とか宗旦好みは、釜の胴と底の部分に段があり、裏に左右に二つづつ計四つの賽の目の鐶付が付き、そこに鉄の舌のような形をした端立を差し込んで透木に掛けて使用。今使ってるこの裏鏊釜ウラゴウガマは黒豆さんから頂いたもの上記と同じようなのでどうやら宗旦好みらしい写真は我が家の紅葉先週からの雨で物凄いスピードで成長してる葉が伸びてきたなと思ったら紅...うらうらに照れる春日
源具親ミナモトノトモチカ難波潟かすまぬ波も霞みけりうつるもくもる朧月夜に源具親ミナモトノトモチカは鎌倉時代初期の公家・歌人。村上源氏俊房流、右京権大夫・源師光の次男。官位は従四位下・左近衛少将。小野宮少将と号す。新三十六歌仙の1人。今日は水曜稽古和歌色紙を掛ける筆者は中園季定ナカゾノノスエサダ1627-1686公卿。中園家の祖。高倉嗣良の末子。小倉実起の弟。従二位参議。貞享3年(1686)歿、60才。朧月夜に
潅仏や蔦の若葉もあゆみそめ千代女灌仏カンブツとは1仏像に香水(こうずい)を注ぎかけること。また、その仏像。浴仏。2「灌仏会(かんぶつえ)」の略。今日は灌仏会、花まつり月に一度、古筆の勉強会伊予切。大正13年に分割されるまで伊予松平家に伝わった為。『和漢朗詠集』を書写した粘葉装冊子本。伝称筆者を藤原行成(972〜1027)とするが、「高野切」第三種表に藍と紫の飛雲を漉き込み、表裏に雲母砂子を撒いた白鳥の子の料紙上下二帖の筆跡は三種に分かれて①伊予切の第一種上巻の前半(高野切第三の古筆と同筆)②伊予切の第二種「秋夜」の後半以降と下巻のはじめ十二頁まで③伊予切の第三種その他は後世の補写か難しいね写真は今日のランチ蔦の若葉もあゆみそめ
土岐二三火宅ともしらで火宅にふくめしは直に自在の鑵子なりけり土肥二三どひ・じさん生年:寛永16(1639)没年:享保17.1.6(1732.2.1)江戸前期の茶人。土岐二三とも。名は豊隆,通称孫兵衛。生没年には異説もある。三河吉田の牧野成貞に仕え,物頭役200石。茶,琵琶,香にすぐれ,伽羅の名香や銘「杜鵑」の琵琶を所持した。茶の湯は織田貞置に有楽流を学ぶ。元禄3(1690)年致仕して京都岡崎に隠棲。自在軒と号。近衛家煕,鷹司輔信らと交流,数寄者として知られた。(朝日日本歴史人物事典)今日は土曜日着物を着て銀座谷庄の茶会へそのあとは綱島のふくもとで食事会平和で満点の一日写真はお花見のような口取り火宅ともしらで
写真は加藤義清春花の乱れ心に似ぬものや梢ににほふ春の夜の月加藤義清カトウヨシキヨ元治元年(1864)~昭和16年(1941)享年78歳歌人・御歌所寄人。名古屋生。号は蕉陰・鏡迺舎。菊間平八郎の五男、加藤安彦孫娘婿。従五位・勲五等に叙せられる。著書に『火筒のひびき』『渡るに安き安城の』等がある。以前にアップしたものコピーしたもの昨日は木曜稽古今日は半年に一度のガンの検査異常は無しです手術してから十年経ちましたね今までのように検査は半年でなくてもという先生いえいえ私目心配性なので今後もお願いいたしますはいではそうしましょう春の夜の月
江戸人は上野をさして春の山子規今日は月に一度の小熊の花月廻り炭と濃茶付花月午前と午後の斑それぞれ一回ずつ《廻り炭之式》無学宗衍ムガクソウエン江戸後期の臨済宗の僧。大徳寺三百七十八世。無学は字、宗衍は諱、把不住軒と号する。玉林院の龍門宗禹の法を嗣ぎ、のち明和4年大徳寺に出世。後桜町天皇より至聖大妙禅師の勅号を賜る。寛政3年(1791)寂、71才。その無学の廻り炭の偈頌ゲジュは端的底看聻タンテキテイニミヨニイ炭をつぐことの極意どうやって炭を置けば最も火がおこりやすく無駄がないか湯の沸く時間みかたや置き方を修練する一人一人の炭のつぎ方を拝見してその風情や変化を学ぶもの無理なはさみかたをして炉壇を傷つけたり次の人が炭をあげるのに困るような置き方をしては極意とは言えない炉の時のみの廻り炭思ったより時間がかから...江戸人は上野をさして
春水や四条五条の橋の下蕪村今日は読売カルチャー高山右近タカヤマウコン安土桃山時代の武将。キリシタン大名。名は長房、重友、友祥(ともなが)。右近は呼び名。洗礼名ジュスト。織田信長、豊臣秀吉の臣として戦功があり、高槻・明石に封じられた。禁教後マニラに追放され客死。茶人としてもすぐれ、利休門下七哲の一人。天文二一~元和元年(1552~1615)キリシタン大名とは室町から江戸にかけ、当時のカトリックの教徒となった大名。九州の大友宗麟、大村純忠、有馬晴信、近畿の高山右近、小西行長等がいる利休七哲と前田利長(加賀の肥前)、蒲生氏郷、細川忠興(三斎)、古田織部、牧村兵部、高山南坊(右近)、芝山監物の七人これは千宗旦(利休の孫)が話したもの。その後、七人のうち前田利長を外し、瀬田掃部に入替えられている。写真の椿は羽衣四条五条の橋の下
大江千里照りもせず曇りもはてぬ春の夜の朧月夜にしくものぞなき照り渡るというのでもなく、完全に曇ってしまうというのでもない春の夜の、ほのかなおぼろ月夜の風情に及ぶものはない。今日は五島美術館お友達の茶会だ濃茶に薄茶点心は三友居三月晦日晴天心地よい風が茶室に入ってくるお茶会日和だ五島美術館の建物は、吉田五十八ヨシダイソヤ1894-1974の設計寝殿造の意匠を随所に取り入れた建物だ古経楼にて濃茶薄茶富士見亭で点心若返り饅頭のお土産を頂戴したこの2つの茶室は本館と共に国の登録有形文化財(建造物)になった写真は五島美術館茶室の横あたり朧月夜にしくものぞなき
鷺烏雀の水もぬるみけり一茶さぎカラスすずめの水も…大自然の水辺の風景今日は一気に春めいてきた庭の椿も満開写真はおともだちから玄関ドアに掛けてありますとメールのあった銀閣寺のお菓子水もぬるみけり
斎藤茂吉鳴り傳ふ春いかづちの音さへや心燃えたたむおとにあらずも今日は食事会いつもの綱島ふくもと出かけるときは暴風雨途中からバスに乗り込んで来た森金さんはすっかり濡れ鼠傘をさしても濡れたらしいお花見の食事会今日は六名食事お酒ともに美味しい最年長88歳を筆頭に83歳80歳のお顔ぶれ一番若手は48歳皆明るく賑やかにほろ酔いの中でお開きした空は晴れ午前中とは大違い写真は焼き筍と桜鱒の木の芽味噌蕗の薹の天ぷらとはじかみはじかみとは金時生姜の一種を茎や根が柔らかくなるよう温室で軟化栽培したもの。見た目が矢にそっくりなので「矢生姜」とも。焼き魚に添えられ紅白の彩りと口直しピリッとした辛さと甘酸っぱさが魚の臭みを消してくれて、脂っぽくなった舌をさっぱりさせる。春いかづちの音さへや
九条良経葛城の峰の白雲かをるなり高間の山の花盛りかも九条良経クジョウヨシツネ平安末期から鎌倉初期の公卿・歌人関白・九条兼実の次男官位は従一位・摂政、太政大臣九条家2代当主後京極殿と号した通称は後京極摂政ゴキョウゴクセッショウ中御門摂政ナカミカドセッショウ昨日は水曜稽古だったが疲れてしまい早い時間に寝てしまった今日は木曜稽古朝はまだ寒し雨が降ってる暑さ寒さも彼岸までとは言うがまだ寒い峰の白雲
春寒や道ほそぼそと阿弥陀堂青畝青畝今日は天気が悪いお弟子様達は根津美術館での茶会へ朝から雨だ着物で出かけるのは大変だろう根津美術館の茶室は庭に点在している飛び石や石の階段草履での異動は足元が不安定私のような足弱は危険でもある転んで怪我でもしたら大変元気なときに行くべきだろう昨日の夜のことスマホに充電をしようと口金をセットすると画面に緊急メッセージ水気があるからダメですダメです乾いてからにしてくださいというようなのが出たそういえばスマホに珈琲を掛けてしまったよく拭いたつもりだが取りきれてなかったのだろう自然乾燥とのことでしばし触れない壊れてしまうかも電池もゼロだしもうこのスマホを使えないかも調べたいこともあったし友人に連絡も取りたかった寝るときの睡眠導入のユーチューブは見れないから寝付きが悪かったストレスで...春寒や道ほそぼそと
ゆき暮て雨もる宿やいとざくら蕪村外は小雨今日はお茶碗研究会唐津茶碗のお勉強唐津は種類が多い無地唐津黒唐津斑唐津彫唐津瀬戸唐津三島唐津献上唐津奥高麗茶人の好む茶碗に一楽二萩三唐津と言うまた一井戸二萩三唐津とも言う彫唐津は織部好み岸岳飯洞甕下窯キシダケハンドウガメシタカマ口辺は不規則な五角形高台低く二重高台のもあるとのこと長く勉強していたのに記憶してなかった焼物の勉強もお茶と同じで卒業がない写真はこぶし姫こぶしかも小雨のなか花が咲いているゆき暮て雨もる宿や
藤原定家鏡山みがきそへたる玉椿かげもくもらぬ春の空かな今日は根津美術館へその後サントリー美術館根津美術館は二回目なのでゆっくり確認しつつ回る奥高麗も二度め瀬戸唐津や皮クジラも奥高麗に含まれるらしい展示室5では雛人形と百椿図百椿図とは江戸時代に植物への興味が募り園芸趣味が流行った頃椿の絵は狩野山楽数多くの異なる種類の椿を集め椿のあらゆる姿を濃厚な彩色と的確な筆致で狩野山楽が描いている。賛は江戸時代前期を代表する禅僧、茶人、公卿や武士、連歌師、国学など文化人たちが、漢詩や和歌などの賛を寄せており、椿愛好の高尚をうかがわせる写真はお昼東京ミッドタウンにてこの後グラスワインを頼んだかげもくもらぬ春の空かな
大江廣海かたおかの毛山のひごもりうち霞いがきをもるる春の初風昨日は木曜稽古掛けものは懐紙春懐紙というように春にふさわしいといわれる掛けものだ筆者は大江廣海オオエヒロミ明和6-天保51769-1834江戸時代後期の国学者だ。字は景迹。号は檉園、健斎。村田春海に学び、京都で活躍した。とのこと詠社頭初春ひごもりとは農作業の安全と豊作を祈願し氏神様や天神様の境内でお酒やごちそうを楽しむ。日中に境内に籠もることから日籠りというようだいがきとは「斎垣」と書くようだ(みだりに人の入ることを許さない)神社のまわりの垣。玉垣。瑞垣(みずがき)。七十四歳になったがまだまだ知らない言葉がたくさんあるはるのはつかぜ
くれなゐの梅ちるなべに故郷(ふるさと)につくしつみにし春し思ほゆ正岡子規今日は水曜稽古午前中は昨日よりあたたかかったが午後から急に天候が変わり嵐のような風が吹き激しい雨にあられひどい天気だった私は午後から重たかった身体がいつの間にか軽くなり昨日からの不快感は消えていたおとといくらいから何だが具合が悪く朝は起きれない起きたくないのだやっとのこと立ち上がると足元がフラフラしてる捕まりながら動くなどこの二,三日はなんとなく身体が重く具合が悪い感じだったそれはお天気のせいだったようだ私はお天気病ネットを見ると天気の影響を受けて発症したり、症状が悪化したりするものは「気象病」と呼ばれており、原因は気圧変化、気温変化、湿度変化と言われている。写真は「つくし」を五本貰った土筆(つくし)「付子」とも書くつくしは木賊(とく...つくしつみにし春し思ほゆ
西行ませにさく花にむつれて飛ぶ蝶の羨しきもはかなかりけり〈ませ〉とは竹・柴を荒く編んでつくった垣。まがき。 今日は木曜稽古透木釜ともうひとつの炉には自在と手取釜手取釜の名称は室町時代末以後の茶会記に数多く見受けられ、この頃、天命(現在の栃木県佐野市)で盛んに鋳造されていた。とネットに見つけた写真は庭の二人静千両科。センリョウ属・2本の花穂の先に米粒のような白い花をつける。花穂は1本や3本、4本のときもある。・静御前とその亡霊の舞姿にたとえた。<静御前>源義経の側室で、吉野山で源頼朝に捕らえられ、鎌倉の鶴岡八幡宮で義経を慕う歌を歌いながら一人で舞を舞った。似ている植物に一人静があるこれも千両科。センリョウ属花にむつれて飛ぶ蝶の
紀貫之池水に咲きたる藤を風吹けば波の上に立つ波かとぞ見る今日の掛けものは大徳寺510世の上田義山「無」「無」と言えば趙州ジョウシュウ和尚、因チナみに僧問う、「狗子クシに還って仏性有りや無しや」。州云く、「無」。これは無門関の第一則「趙州無字」犬にも仏のいのちがありますか、または無いのでしょうか。趙州答えていわく、「無」。この無とはあるなしの無を超越した無だというがさてさて難しい池水に咲きたる藤
春の川橋を渡れば柳哉漱石今日は食事会薫風自南来の軸がかかる難しいことは何も考えずお喋りをしながらお料理を食べるしあわせ写真はその内の一品信楽の長皿に桜鱒の木の芽味噌海老のあられ揚げ蕗の薹の天麩羅白魚シソ巻き天麩羅海老の頭空揚げ渡れば柳
行く春や鳥啼トリナキ魚の目は泪芭蕉今日はお招きを受けてお友達の華甲の茶事へ想窓庵様とわがお弟子様三名と私目寄付は蟹の画賛蓋置は笹蟹干菓子に和三盆の蟹これで蟹が三つ。そして菊の意匠や赤色のものが登場す華甲なればこそ目出度いめでたいお肴にと私目が謡を謡う鶴亀お恥ずかし後座の床の花は紫蘭と椿ともうひとつ何だろうと写真を撮った白糸草かなシライトソウ・百合科シライトソウ属・ブラシのような白い花穂が特徴。・西日本地方に多く分布する。行く春や
線香の灰やこぼれて松の花蕪村【松の花】は春の季語松はマツ科・マツ属。開花期4~5月。別名:(千代木)チヨキ(時見草)トキミグサ(常磐草)トキワグサ花言葉:「不老長寿」「同情」「哀れみ」「慈悲」「勇敢」「向上心」「かわいそう」「永遠の若さ」色々ある今日は日曜日しなければならない片付けがあるのだがお天気病がきつい午前中はやる気が皆無二時頃少しずつ回復あとはのんびり明日のしたくをしよう写真は雨ごとに枝葉を伸ばす木戸のいろは紅葉松の花
藤原俊成草も木もあまねく芽ぐむ春雨に袖は濡れてもかひなかりけり朝から雨が降っている全く止む気配はない低気圧で体が重いいや食べ過ぎで重いのか昨日も寝落ちブログを書けなかった寝落ちは糖のとりすぎと広告ひびく写真は庭の黄エビネエビネは・開花時期は4/15~5/15頃。・日本原産。・名の由来は、地下に連なっている茎と、そこから生えている根の様子が、まるでエビの頭を指でつまんで持ち上げたように見えるところから。1600年代の書物にはすでに海老根の名が出ているほど、昔からよく知られた花。・黄色の「黄海老根」(きえびね)もある。また、エビネの仲間はほとんどが春に咲くのに対して、真夏に咲く「夏海老根」という種類もある。と(季節の花300ヨリ)あまねく芽ぐむ春雨に
吉野山かすみの奥わ知らねども見ゆるかぎりはさくらなりけり知紀画も今日は木曜稽古掛けものは八田知紀八田知紀ハッタトモノリ1799-1873江戸後期-明治時代の歌人。寛政11年9月15日生まれ。薩摩鹿児島藩士。京都詰めの間に香川景樹にまなび,桂園派の有力者となる。維新後,宮内省にはいり,歌道御用掛をつとめた。明治6年9月2日死去。75歳。通称は喜左衛門。号は桃岡(とうこう)。家集に「志能布久佐(しのぶぐさ)」,歌論に「しらべの直路タタジ」など。(日本人名大辞典ヨリ)吉野山
大伴家持うらうらに照れる春日にひばり上がり心悲しもひとりし思へばうらうらに→○春の日光が美しくのどかなさま。うららか。○蒸気がのどかにのぼるさま。今日は水曜稽古木戸を開けると外の紅葉の若い枝葉が驚くほどに伸び垂れ下がってるわが家の狭い狭い庭だが足元には日陰を好む春の野草が群れてる葉はまだ柔らかく黄緑とうす緑天気はまあまあだが風が強めだその風が揺らす鳴子百合と宝鐸草スミレも見える奥には二人静いい気分まだ虫も蚊も出てこない通り抜ける風も気持ちが良いうらうらに
流れ来て清水も春の水に入蕪村今日は火曜日お習字の日だでもでも今日はお片付けせねば明日のお稽古に間に合わないお習字はまたにしてひたすら道具をしまう準備そこへタクシーから降りてきたサカチカさんちょうど良いところ片付けを手伝ってもらった明日はお稽古透木釜と竹自在に手取釜もう釣り釜の鎖はしまってもいいかな椿の花はもう終り何か探そう清水も春の水に入
西行ませにさく花にむつれて飛ぶ蝶の羨しきもはかなかりけりませ→間狭(ませ)、籬垣(ませがき)今日は勉強会駅で待ち合わせお昼をまだ食べてないので近くのモスバーガーへ入った注文をするのに言葉で直接言えず今どきは画面に打ち込むのか店内かお持ち帰りか店内を選ぶ品物を選んで決定支払方法を選び決定次に番号を打ち込む画面そこでハタと止まった戻るを押してやり直しそれを何度かするのだがわからない一緒のA子さんが教えてくれた右横に置いてある番号札を手に取りその番号を打ち込むのだとなるほどすると最後まで進み注文が通ったようだ写真はその品物内容はわからずじまいで適当なセットを押した結果のハンバーガーセット焦って食べたので美味しいがなんの味かわからず味覚も衰え始めたかしらん羨ウラヤマしきもはかなかりけり
紀貫之さくら花ちりぬる風のなごりには水なきそらに浪ぞたちけるもう桜もおしまい写真は狩野勝川院雅信カノウショウセンインタダノブ狩野雅信かのうただのぶ、文政6年(1823)~明治12年(1879)狩野養信オサノブの子。木挽町狩野家10代目で最後の当主にあたる。名は雅信タダノブ。号を勝川、素尚斎、尚古など。弘化元(1844)年に法眼に叙され、万延元(1860)年に法印となる。橋本芳崖の師として知られる。水なきそらに浪ぞたちける
中務ナカツカサさけばちるさかねばこひし山桜思ひたえせぬ花のうへかな今日は友人のお茶事へ雨が降ると言う曇り空一応傘を持って行くが雨コートは持たず出掛けた予定より早めにしたくができたすぐに出掛ければよいのにお湯を沸かし珈琲をいれた猫舌なのですぐには飲めず飲みごろを計ってのろのろしてたらどんどん時間が経っていく乗るべき電車が決まっていたので、駅まで早足駆け足で向かうどうにか目的の電車に間に合った反省余らした時間は自宅で消化しないとりあえず出かけるべきだ駆け足で向かった茶事は美味しい懐石とお菓子お道具も素晴らしく席中は盛り上がり話題につきない茶事が一番楽しい写真はうちの庭の宝鐸草若々しいね咲けば散る
藤原定家をちかたや花にいばえて行く駒のこゑも春なるながき日ぐらしをちかた(彼方・遠方)→遠くの方。向こうの方。あちら。いばえて→馬が鳴く。いななく。春の季語日永ヒナガとは春になり、昼の時間が伸びて来ることをいう。実際は夏のほうが春より日が長いが、心理的には冬に比べて、春は日が長く感じられる。似ている言葉に【日がな一日】ひがな‐いちにち→朝から晩までずっと。一日じゅう。終日。今日は何もない日雨が降ったり止んだり庭の草木の成長に目を見張る朝ドラは牧野富太郎先生のお話し朝ドラはあまりみないが今回は見ることにしている好きな植物を研究する何もかも忘れて没頭できる好きなものあるといいね花にいばえて行く駒の
烏丸光広手折りつるこの一枝に袖触れてゆくとも風に花をまかせし写真は烏丸光広の和歌短冊烏丸光広カラスマミツヒロだと思っていたがウィキペディアやコトバンクなどではからすまるみつひろからすまでなくカラスマルらしい天正7(1579)~寛永15没(1638)安土桃山時代~江戸時代初期の歌人,書家。号,烏有子(うゆうし)。従一位光宣の子。宮廷人としての官職を歴任,晩年は権大納言正二位まで昇進。和歌は細川幽斎に師事,古今伝授を受けた。狂歌,俳諧,書画を好み,特に書にすぐれる。書は初め青蓮院流を習い,のち30代から40代なかば頃定家流を,40代後半より光悦流を学び,晩年に独自の書風を完成した。俵屋宗達と交友し,宗達の『蔦細道図屏風』などに賛や奥書を記す。著書は歌文集『黄葉和歌集』(1636),歌論書『耳底記』(02?),...風に花をまかせし
煮て食ふかはた焼いてくふか春の魚夏目漱石今日は読売カルチャーの講座へ場所は横浜そごうの9階横浜駅改札口を出ると人がいっぱいで今までで一番多い感じ平日なのに春休みだからかも今日も茶話指月集を勉強したなんとか上巻をの「修了した一人では必ず挫折するだろう来月は下巻から始まるガンバろう煮て食ふか
志貴皇子石走る垂水の上の早蕨の萌え出づる春になりのけるかも昨日の先生のお話しにあった「茶筅の清め方」お茶のお点前が終わったら、すぐに茶筅を清めて整えよう。茶筅の外側は竹の表なのでつるつるしているが、裏はざらざら。そこに特にお抹茶が残ってしまう。指で挟んで、静かに元の形になるように一周。付いてるお茶をしごいて取る。水をかけて、もう一度静かに一周させて、お茶を取る。それを竹釘にかける。と。自分の稽古場では、ブラシがあるのでそれで清めて、茶筅立てに戻すようにしているが。指で清める方が綺麗になるかも、次から早速やってみようではないか。今日は月曜日お習字をする日森金先生が見えてお習字をするお習字をする日なのだがお昼だからとりあえずお湯を沸かしカップラーメンを食べてお喋りをして食後の珈琲を飲み森金先生のお持たせの豪華...早蕨の萌え出づる春になりのけるかも
佐川田昌俊サカワダマサトシ吉野山はな待つ頃の朝な朝な心にかかる夢の白雲今日は朝日カルチャーへ先生の講義を拝聴する四規七則のお話し四規は和敬清寂七則は茶は服ふくのよきように、炭すみは湯の沸わくように、夏は涼すずしく冬は暖あたたかに、花は野にあるように、刻限は早めに、降ふらずとも雨の用意、相客あいきゃくに心せよやさしく説明をしてくださるおっしゃることは至極尤もその通りなるべくそのように励みましょう写真は近所のチューリップ満開だ心にかかる夢の白雲
春雨や蓬をのばす艸の道芭蕉昨日はブログを書きはじめた途中で寝てしまったんー歳だね今日は土曜日お弟子様の秋さんちで茶事の教室懐石の準備ができたら御客様亭主半東水屋と別れる御客様は待合に見立てたソファーでお休み汲み出しでベランダに設定した腰掛へ亭主の迎付席入挨拶のあとはすぐ懐石折敷を運び「お箸のおとりあげを」燗鍋を運び一献飯器で汁替煮物椀で一献焼物預鉢進肴小吸物八寸香の物と湯桶箸を落として膳を引き菓子を出す写真はその菓子とらや製だ懐石の協力して準備してから役に別れるのだが亭主をすると懐石のしたくより点前は慣れているこんなときに無心で力の抜けた良い点前になるのだ懐石が大変なほどそのギャップで点前すれば気分がよくなる春雨や
文屋康秀春の日の光にあたる我なれど頭カシラの雪となるぞわびしき写真は文屋康秀フンヤノヤスヒテ生没年未詳。平安前期の歌人。六歌仙、三十六歌仙の1人。860年(貞観2)刑部中判事に任ぜられ、877年(元慶1)山城大掾(だいじょう)、879年縫殿介ヌイドノスケに任ぜられた。『古今集』に参河掾ミカワノジョウになったときの小野小町との贈答歌があり、また仁明天皇の御国忌ミコキ(851)の歌や「惟貞コレサダ親王家歌合」の歌などがある。今日は木曜稽古花冷えか朝からうすら寒いお菓子屋さんが届けてくれた二種のお菓子は浮島製でさくら色と黄色と羊羮色桜と菜の花と土の三色それと桜餅花はお弟子様丹精の牡丹春の日の光にあたる
在原業平世の中にたえてさくらのなかりせば春の心はのどけからまし覚えておきたい今日は水曜稽古午後は雨近くに住むお弟子様は自転車で稽古に来る雨だと濡れるので少し待って小やみになってからのお帰り夜が更けるほど雨が降るという予報だしいつ帰るか決めないとね日常は常に決断が必要だ写真は六歌仙の在原業平筆者は不明絶えて桜のなかりせば