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村雨庵 茶の湯日記 https://blog.goo.ne.jp/tukiduki

日々是茶の湯

ざーっと降ってカラッと上がる通り雨が村雨 まあ 暫し雨宿りにお寄りあれ

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村雨庵
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2009/04/21

1件〜100件

  • 七月やうすおしろいをしたる風

    与謝野晶子七月やうすおしろいをしたる風歩み来りぬ木の下行けば今日から七月カレンダーをめくる今日は金曜日暑いので外へは出ない冷房をかけて前から干してある茶碗をかたずける茶碗や水指を箱に入れもとの場所に戻す七月のお茶の用意をするたいした運動量でもないのに疲れる休んでばかりではかどらない写真は火曜に出かけたMOAの庭七月やうすおしろいをしたる風

  • 緑の早苗サナエ里毎サトゴトに

    藤原定家うゑくらす緑の早苗さとごとに民の草葉のかずも見えけり今日は木曜稽古掛物は朝顔の絵を寄付に本席は社頭水とある短歌阪正臣筆阪正臣バンマサオミ安政2年3月23日(1855年5月9日)~昭和6年(1931年)8月25日)歌人、書家、古筆研究家、宮内省御歌所寄人。現在の愛知県名古屋市生まれ。正四位勲三等。本名は坂正臣。幼名、政之介、字は従叟、号は茅田、観石、桃坪など、居を樅屋と称す。和歌を富樫広厚に学ぶ。鶴岡八幡宮、伊勢神宮などに奉仕。宮内省御歌所に入り、宮廷歌人として皇族たちに和歌や書を教えた。華族女学校教授、御歌所寄人・主事、等を歴任。懐紙穏健な親しみやすい仮名で、女子用書道教科書の手本を書いたため、その書風が流行した。石碑の書も手がけ、現在全国に25基ほどの石碑を確認できる。御歌所長である高崎正風や...緑の早苗サナエ里毎サトゴトに

  • 樹陰泉コカゲノイズミ

    樹陰泉遠山英一ゆくとしも見えぬ木陰の岩清水崖のしずくのたまるなりけり遠山英一トオヤマエイイチ文久3年(1863)生~昭和30年(1955)歿94才歌人。御歌所寄人。長野県生。号に篁堂・虚心園。はじめ小出粲コイデツバラ、のち高崎正風に師事。新聞雑誌に携わる傍、和歌の研究に従事した。明治28年御歌所に入り、御歌所録事より累進して大正9年御歌所寄人となる。能書家で知られ、伊那国風会その他、郷土旧派歌人の指導に貢献した。今日は水曜稽古掛物は遠山英一の懐紙お菓子は千草庵の紫陽花金団梅雨が早くにあけて紫陽花ももう終わりこうこうと日光に照らされわが庭の植物はつらそうだ今朝は早起きして水を撒いたが焼け石に水かも樹陰泉コカゲノイズミ

  • さ月の空はあはれなるかな

    藤原俊成郭公鳴くやとおもへば鳴かぬ夜もさ月の空はあはれなるかな写真はMOA美術館から撮ったもの実際はもっともっと綺麗今日は新幹線にて熱海へMOAの現在の展覧会は所蔵冨嶽三十六景と東海道五十三次後期展示6月17日(金)〜7月18日(月)国宝仁清の藤花文茶壺光明子の五月一日経など。拝見五月一日経(ごがつついたちきょう)とは、藤原安宿媛(光明子、光明皇后)が父藤原不比等、母県犬養橘三千代の菩提供養のために発願した一切経のことである。光明皇后願経とも呼ばれる。現在に伝わっている経巻が多く、奈良時代の写経の代表作である。美術館のアートに触れそして美味しいものを食べるこれ以上の事があろうかさ月の空はあはれなるかな

  • 相見しもまた見ぬ恋も郭公

    よみ人しらずあひみしもまたみぬこひも郭公月になくよぞよににざりける今日は特別稽古日炭手前をしてお点前するのだがその前に○聞香の香炉を作ろう1.香炭団に火をつけておく2.香炉の灰を火箸でぐるぐるして空気をいれる3.灰を平らにならして真ん中にTを書く4.火のおきた香炭団を表面と同じ高さにいれて5.香箸で灰をかきあげる6.灰押さえで灰を押さえる羽でまわりの灰をぐるりとしてもう一度灰押さえで押す7.一本足の位置に火箸で聞筋キキスジをいれて8..真ん中に火穴をあける9.聞筋キキスジを正面にすると私はつくる炭手前のあとに聞香をしよう写真は浜離宮相見しもまた見ぬ恋も郭公

  • なにかは露をたまとあざむく

    僧正遍昭蓮葉のにごりにしまぬ心もてなにかは露をたまとあざむく今日は文の会いつものイタリアンでランチお昼は予約で満席昨日予約しておいて良かったパスタ2種類とワインとおつまみサラダがついてくる支払いは二人で五千五百円位お昼のワイン飲むはすこぶる良し文の会は伊勢物語をちょっとだけ読むことにしたなにかは露をたまとあざむく

  • 柏木に葉守の神は坐イマすとも

    柏木に葉守の神は坐イマすとも人馴らすべき宿の梢か源氏物語柏木ヨリ今日は茶事香の茶事に私一人参加香の茶事汲出を頂戴し露地にて迎付を受けていざ席入となったが手がかりが開いてないさてと思ったが普通に開けて席入後で知ったが席中で名香がたかれているので一人一人席入したら戸を締めることだったらしい学んだ主客挨拶が終わると床の間に飾ってある香炉をお尋ねするその四方盆の香炉と重香合はご亭主のもとへ運ばれるやゆったりと袱紗で香炉を浄めそれから正客へ香炉が回る香を聞いて香銘など伺い香炉はご連客へ次々送られまたご亭主へともどる久しぶりに香を聞くが皆様の香聞く姿の美しいこと伽羅の香りのなんと豪華なこと茶室の空間が色ずくようなこともすっかり忘れていた香炉が一周すると次は持参の香あれば香炉が回る私は伽羅銘武蔵野を持参志野袋から常のよ...柏木に葉守の神は坐イマすとも

  • 久松切ヒサマツギレ

    ひらひらと挙コゾるあふぎや雲の峰芭蕉覚えたい古筆久松切ヒサマツギレとは伊予国松山の久松家に伝来した和漢朗詠集元は巻子本で上下二巻時代は平安時代12世紀伝承筆者は藤原行成筆料紙は金銀の砂子に飛雲上巻は断簡となり美術館や個人蔵下巻は巻子で出光美術館蔵今日は銀座で茶会道具が素晴らしく眼が喜ぶ薄茶二服頂戴し喉も喜びついついにやける写真は銀座の角ちょっと通りすぎたが戻って撮った久松切ヒサマツギレ

  • 三色紙とは

    古来、三色紙は古筆中でも最高のものといわれ、色紙の三絶と称されている。三色紙とは、平安時代屈指の「かな書」の名筆(古筆)である、『継色紙』、『寸松庵色紙』、『升色紙』の総称である。「三色紙」の語が定着したのは昭和初期頃と推測される。もとは冊子本で、それが分割されて色紙形になった。伝称筆者は、『継色紙』が小野道風、『寸松庵色紙』が紀貫之、『升色紙』が藤原行成とされてきたが、今日では否定され、筆者は不明である。書写年も未詳であるが、『継色紙』が10世紀半ばから11世紀前半、『寸松庵色紙』と『升色紙』が11世紀後半とされている。10世紀半ばは、かなが草仮名から女手へ発展する頃で、『継色紙』では草仮名が使われている。それから、藤原行成や藤原道長の時代に「かな書」は全盛期を迎え、『高野切』などが生まれた。『寸松庵色...三色紙とは

  • 五月雨に鶴の

    五月雨に鶴の足みじかくなれり芭蕉今日は木曜稽古朝いつもより15分遅れて起きたところ何かと忙しい新聞を取りに行って帰りに庭の花を切ってくる花を入れるのは雪さんに頼んだ花台にのせて花を入れてみよう花台の綴じ目は丸前角向こうだから四角はむこうにして水で濡らしそれを清めて花を花台の左側に置き右側向こうに花水次に茶巾を添えて左側手前に花刀を置くこれに霧吹きと布巾も持ち出し花を入れてそのあと必ず霧をふく水屋の花溜めの花を使って稽古の後先の時間に花を入れてみようそして茶花の名前を覚えよう写真は御弟子様からのお菓子美味、包装も綺麗だ五月雨に鶴の

  • 鮎くれて

    鮎くれてよらで過行スギユク夜半ヨワの門蕪村今日は書道部の日十時から十六時お習字の前にちょっと銀行月毎届く野菜ジュース代と同じく森永のお肌に良いドリンクなど支払い銀行で下ろしてコンビニにて支払い偶然お弟子様のさわわ様に会ったあらっと手を振って嬉しい気分で家に戻る木戸の紅葉がやけに繁ってる今日は書道部でお習字をする日なのだが麦わら帽子にタオルを首に巻いて準備完了お弟子様に頂いた長柄挟みを手に紅葉の伸びた枝を切る切るわ切るわ切り始めたら止められない気がつくと枝がほとんどなくなって坊主後悔した次は白木蓮天へと真っ直ぐ伸び上がる枝をいくつも切る此方は柔らかいのでさくりさくりと気持ち良く切るつづいて隣のニッサという木もさくりさくり足元には枝が山のようになった陽が照っているわけではないがあせびっしょり切った長い枝はま...鮎くれて

  • 夏至夕べ

    空にふと蛾を追ふ雀夏至夕べ皆吉爽雨皆吉爽雨ミナヨシソウウ福井県出身の俳人。本名・大太郎。福井市上宝永町に生まれ1919年、住友電気工業に入社。「ホトトギス」に投句し高浜虚子に師事する。1922年、「山茶花」創刊に参加。1936年、「山茶花」選者。(ウィキペディアより)今日はインターコンチネンタル東京ベイへいつもの三人で誕生日祝のランチ予約を入れたのが私ではないので行ったことあるような感じだったが来てみるとやはり以前来たことあるお店帰りは竹芝からゆりかもめにのって汐留で降り浜離宮恩賜庭園へ中島の御茶屋でお抹茶とお菓子で癒される心地よい風が吹くいて爽快だった明日は夏至夏至夕べ

  • 五月雨のそらもとどろに郭公

    紀貫之五月雨のそらもとどろに郭公なにをうしとか夜ただなくらむ今日はサカチカさんの茶事私は水屋を担当近いが歩いてはいけない距離タクシーを呼んで行くのだがその前に庭の花を切って持っていくことになってるうちのと言ってもたいしてない糸すすきしもつけ美央柳水引半化粧を持っていった「半夏生」(はんげしょう)とも書き葉の半分ほどが白くなることから。「片白草」(かたしろぐさ)とも言う「半夏生」(はんげしょう)とは夏至から数えて11日目頃(もしくはその日からの5日間)を「半夏生」と呼ぶが、その頃に花が咲くことから。その名がついた「半夏生」=「1年の真ん中」1/1~12/31の1年の、真ん中。「7月2日」のことが多い。「7月1日」のこともある。そうだ写真はその花花入は唐物半化粧は使われなかったようだが山紫陽花と白の京鹿子美央...五月雨のそらもとどろに郭公

  • 短夜のふけゆくままに

    藤原兼輔フジワラノカネスケ短夜のふけゆくままに白妙の峰の松風ふくかとぞきく藤原兼輔フジワラノカネスケ元慶元年(877年)~承平3年2月18日(933年3月16日))平安時代中期の公家・歌人。藤原北家、右中将・藤原利基の六男。賀茂川堤に邸宅があったことから堤中納言と号した。小倉百人一首では中納言兼輔。、三十六歌仙の一人。今日のNHKテレビのブラタモリでは京都の鴨川がテーマ貴船川が鞍馬川と名を変えそれから賀茂川となりやがて高野川と合流すると鴨川になるとか写真は賀茂なすその賀茂氏でできた野菜ふくもとに予約して今日はバイ様と食事会煮物椀のあまりの美味しさに生き返った短夜のふけゆくままに

  • しづ心なく見ゆる早乙女

    藤原顕季たねまきし早苗の稲のおひぬらむしづ心なく見ゆる早乙女藤原顕季フジワラノアキスエ平安時代後期の貴族・歌人。藤原北家魚名流、正四位下美濃守・藤原隆経の次男。官位は正三位・修理大夫。六条修理大夫と号した。歌道家の流派の一つ六条藤家の祖。善勝寺流初代。(ウィキペディアより)今日は午前中病院に行くガンの再発の検査だが毎回緊張する今回も何とか無事だったが次回もそうだとは言えない次の検査は半年先それまでは取り敢えず普段通りに生活できるだろう勿体ないから怠けずに自分を楽しもう午後は朝日カルチャ-へ楽茶碗のお勉強楽家の土は先代のを使うことになっているようだ反対に釉薬は自分で作った使うとか四代一入の黒茶碗は土見せになっていた「この土が聚楽土」「了入の時に京都に大火があり、次ぎの代の土がなくなってしまった。そのあとは...しづ心なく見ゆる早乙女

  • 山のゆふべに雨晴れぬ

    若山牧水六月の山のゆふべに雨晴れぬ木の間にかなし日のながれたる六月は水無月とも言う神無月が「神の月」であるように水無月は「水の月」田植が終わって田んぼに水を張る必要のある月「水張月(みずはりづき)」「水月(みなづき)」であるとする説もあるらしい今日は木曜稽古六月も半分過ぎて令和四年ももうすぐ半分過ぎようとしてる過ぎ去る時間の早いこと脅威だ山のゆふべに雨晴れぬ

  • 2022-06-15 23:44:55

    写真は尾形乾山の「さび絵瀧山水図茶碗」の本と稽古で使うその写しの茶碗それに書かれている賛について御弟子様の秋さんがその漢詩を調べてくれた方干作東山瀑布/東山の滝遥夜看来疑月照,平明失去被云迷。挂岩远势穿松岛,击石残声注稻畦。素色喷成三伏雪,馀波流作万年溪。不缘真宰能开决,应向前山杂淤泥。中国語でとても読みにくいが意味は滝の水は三伏の雪みたいに落ちて、そして万年の渓流のように流していくとの意味。三伏は夏のシーズン、初伏、中伏、末伏の最後、一年中最も暑い時だとされています。方干(836—903)字雄飛、号玄英。唐宪宗の時の”进士”です。进士は今の教授レベルとされているのだそうです。と調べてくれた2022-06-1523:44:55

  • 降る音や

    降音や耳もすふ成梅の雨芭蕉今日はお習字村雨庵書道部の日森金先生がお休みの2ヶ月ほどはたいしてお習字の稽古はせずいたが茶事の御礼やらで筆を使うこと多くそのたびに文字の下手な事を思い知らされた頑張ろう少しでも良くなるように頑張ろうと今日は思った覚えよう唐の四大家・欧陽詢オウヨウジュン・虞世南グセイナン・褚遂良チョスイリョウ・顔真卿ガンシンケイ書道を勉強するには書体ごとに楷書は九成宮醴泉銘、孔子廟堂碑行書は集王聖教序、蘭亭序草書は書譜隷書は乙瑛碑、曹全碑篆書は泰山刻石、石鼓文かなは高野切第一種、高野切第三種とウィキペディアに出ていた難しそうもう遅いか深く考えるのは止めとりあえず入っているお習字の会のを毎月出すことだけ集中することに写真は渋谷駅近く降る音や

  • 十巻本歌合とは

    十巻本歌合(じっかんぼんうたあわせ)平安時代中期に編纂された、日本最初の歌合集成。仁和年間から天喜4年に至る約170年間の46度の歌合を収める。企画は藤原頼通で、源経信が編纂に関わったか。全46度の歌合のうち、38が完存、6が部分的に残り、2が散逸した。前田育徳会(巻第一・二・三・八及び巻第十の内9度(国宝))、陽明文庫(巻第六(国宝)、総目録(重要文化財)、巻第十の内1度)、東京国立博物館(寛平御時后宮歌合(国宝))ほか諸家に分蔵。現存するのは草稿本であり、未完に終わったと見られる。目録内題は歌合。また伝宗尊親王筆歌合巻、類聚歌合十巻本、十巻本などとも呼ばれる。今日は古筆のお勉強十巻本と二十巻本のお勉強写真は渋谷ハチ公前の交差点十巻本歌合とは

  • 源頼政ミナモトノヨリマサ

    源頼政ミナモトノヨリマサ和歌・歌人139み山木のその梢とも見えざりし桜は花にあらわれにけり『詞花集』庭の面はまだかわなぬに夕立の空さりげなく澄める月かな『新古今集』人知れぬ大内山の山守は木がくれてのみ月をみるかな『千載集』今日は録画を観る日たくさんみたら疲れて昼寝源頼政ミナモトノヨリマサ

  • 雷ひびく

    うつくしくかみなりひびく草葉かな永田耕衣ナガタコウイ永田耕衣ナガタコウイ1900年(明治33年)~1997年(平成9年)俳人。本名軍二グンジ。別号、田荷軒主人。禅的思想に導かれた独自の俳句理念に基づき句作。また諸芸に通じ書画にも個性を発揮、90歳を超えた最晩年に至るまで旺盛な創作活動を行った。今日は茶事へ大円草の茶事へ知人の紹介で出かけるひとりだ場所は初めての場所ゆえ早めに着くように行きカフェで珈琲を飲んで時間調整十二時席入に合わせてタクシーで向かう身支度済ませ待合汲出頂き待合から腰掛迎付で席入挨拶のあとコロナ禍での懐石を頂戴し初炭手前縁高に五種の菓子懐石中にはゴロゴロ雷が鳴り雨が降る中立は内から待合へ移りドラの音で後座に席入濃茶は大円草で二服頂戴する後炭はなく動座し略盆点で薄茶を頂戴した帰り最寄...雷ひびく

  • みづのみまきの真菰草マコモクサ 

    相模五月雨は美豆ミヅの御牧ミマキの真菰草マコモクサ刈り干すひまもあらじとぞ思ふ相模サガミ生没年不詳:998年(長徳4年)頃~1061年(康平4年)以降か)平安時代後期の歌人。中古三十六歌仙の一人。女房三十六歌仙の一人。実父は不詳で、摂津源氏但馬守頼光の養女。母は能登守慶滋保章の娘。今日は宝生能楽堂へ〈6月〉定期公演能「通盛」馬野正基狂言「杭か人か」野村萬斎能「鉄輪早鼓之伝」観世銕之丞席に座ると前の人の頭で舞台が見えない右に寄ったり左に寄ったりどうしても見えないどうせ見えないのだからと目を閉じると爆睡したお囃子の心地よい音曲心身の疲れがすっかり取れた感じただただ癒された写真は曇天の水道橋みづのみまきの真菰草マコモクサ

  • 鎌倉を生イキて出イデけむ

    鎌倉を生て出けむ初鰹芭蕉今日は木曜稽古掛物は松波資之マツナミスケユキ天保元年(1831)~明治39年(1906)77歳.歿歌人。藤原を姓とし、通称は直三郎、遊山・随所と号し、また松波大学允ジョウと称した。安芸国(広島県)生れ。香川景樹門の歌人。京に上り、上岡崎に居し、徳大寺家に仕えた。維新後は宮中に仕え、雑掌を勤めた。明治21年頃、皇太后宮の内舎人を務めた。著書に『花仙堂歌集』等がある。明治39年9月13日横浜において歿した。写真の和歌は湖遠郭公コエンノホトトギスから崎のまつとはなしにほととぎすききつるばかりうれしきはなし読みにくい鎌倉を生イキて出イデけむ

  • はなびらの垂れて静かや花菖蒲

    はなびらの垂れて静かや花菖蒲虚子三がつく茶の言葉大名物の漢作唐物肩衝茶入○三肩衝サンカタツキ松屋(松本)、投頭巾、楢柴(博多)ご存知○三井戸サンイド喜左衛門井戸、加賀井戸、細川井戸○青井戸茶碗の三井戸サンイド古今井戸、藤屋井戸、四もとの三碗をいうこともある。濃茶の○三器 茶入、茶杓、袋(仕覆)○三色紙サンサキシと言えば「寸松庵色紙」伝紀貫之筆「継色紙」伝小野道風筆、「升色紙」伝藤原行成筆三宗匠は四種類①今井宗久、津田宗及、千利休②今井宗久、今井宗薫、千利休③千利休、古田織部、小堀遠州④古田織部、佐久間真勝、小堀遠州。○三大会記 「松屋会記」、「天王寺屋会記」、「宗湛日記」の三つの茶会記。「今井宗久茶湯日記書抜」を加えて四大会記ともいう。今日は水曜稽古お菓子は練切で銘は水葵ミズアオイはなびらの垂れて静かや花菖蒲

  • 茶話指月集とは

    今日は読売カルチャーにての茶話指月集のお勉強茶話指月集とは茶道の逸話を集めた茶書。宗旦四天王の1人藤村庸軒の女婿久須美疎安が、義父から聞いた茶話をまとめたもの。1701年(元禄14)に出版された。二巻。利休、宗旦の逸話が七十数話収められており、逸話集では最初の版行茶書であった。元禄時代(1688~1704)を迎えて茶道人口が増加するとともに、数寄雑談のための参考書が望まれ、それが本書の版行に結び付いたものと考えられる。(コトバンクより)茶話指月集とは

  • のんこう七種、覚えよう

    先日の朝日カルチャーでは楽家三代道入ノンコウの茶碗をいくつか拝見したそこで覚えようのんこう七種獅子(黒)如心斎書付、升(黒)原叟書付、稲妻(黒)江岑書付、鳳林(赤)江岑書付、若山(赤)如心斎書付、鵺(赤)原叟書付、千鳥(黒)原叡書付。のんこう後窯七種は、検校、貧僧、大黒、小黒、鉢の子、早船、小雲雀。加賀七種は、桔梗(黒)、善福寺(黒)、青山(黒)、霞(黒)啐啄斎書付、此花(黒)、香久山(黒)江岑書付、今枝(黒)月曜日一日中雨だわが家の猫はずっと寝てる私目も半分寝ていた写真は鶴屋八幡の「山百合」前から好きなお菓子だのんこう七種、覚えよう

  • かたつぶり角ふりわけよ

    かたつぶり角ふりわけよ須磨明石芭蕉今日は自宅での小さな茶事木戸に在釜の札を掛けお客様をおまちするお弟子さまたちと久しぶりのお友達たちお稽古だったり他の場所だったりで毎週か毎月くらいにはお顔は拝見しているのだがいざ茶事となり茶室で互いに向き合うと何だか恥ずかしい気分でもすましてご挨拶をかわす茶事はやたらと水を撒くわが家の小さく狭い庭でもたっぷりと水を撒くと庭が生き生きとする○お客様のお見えになる前、家の前の道路まで撒く○お客様が待合から腰掛に移られる前○お菓子を召し上がり.中立をなさる前○後座の濃茶.後炭.薄茶みな済んで送り礼が終わる前に水を撒くこのタイミングを逃さぬように茶席の進行を見守っていく集中力が必要集中力ができる今日は水を撒きすぎたか蚊取り線香入れが水浸しになってたかたつぶり角ふりわけよ

  • 若き六月

    与謝野晶子太陽のもとに物みな汗かきて力を出だす若き六月今日は朝日カルチャー「変体かな読みこなしの基礎」一回のみの講座だ一度聞いただけでわかるはずがないが一応受けてみた習ったことを忘れなければドンドン積み重ねて知識が増えるのだが忘れるすぐ忘れるまた講義を受ければよいので忘れても良しとしよう昼間は紫外線が強い出掛けるとき日傘を忘れて取りに戻った紫外線が髪の毛に悪いらしいと美容院で聞いた帽子も常に被っている方が髪の毛に良いらしいそうか帽子を買おう写真は鶴屋八幡の七月の干菓子蟹が居るそれも六種類若き六月

  • 青梅に手をかけて寝る

    青梅に手をかけて寝る蛙哉一茶今日は金曜日何の用事もないたっぷり朝寝坊してノロノロとゴミ出ししたところがもう遅かったようで週に一度の段ボールとか新聞紙の紙ゴミの時間に間に合わずやむを得ず持ち帰った先週の分も残っているのにガックリ写真は梅の実青梅だ青梅には毒があると言うそれは「アミグダリン」という成分で体内にある酵素と反応するとシアンという物質に変化して、中毒症状を起こす原因になることがあるというアミグダリンは、青梅の実が熟していったり、お酒や砂糖、塩などで漬けて加工をしていったりする段階で徐々に無毒化されるとの実の方は一つくらいなら大丈夫でも実より種の方が注意が必要だそうだ青梅に手をかけて寝る

  • 光りに見ゆる さゆりばな

    内蔵縄麻呂(くらのなわまろ灯火トモシビの光りに見ゆるさ百合花ゆりも逢はむと思ひそめてき写真は鶴屋八幡の「山百合」白いういろうからピンクの餡が透けて見えるゴマは百合の班点を表してるようだ山百合学名はLiliumauratum「黄金色のユリ」の意。山地に生える日本特産のユリ山中に生えることから山百合山百合の花は夏に咲く大型で白く山中でもよく目立ち、強い芳香を放つ中国植物名(漢名)は、金百合キンヒャクゴウ、日本漢名では山百合サンヒャクゴウとよばれる花言葉は、「荘厳」発芽から開花までには少なくとも5年以上かかる株が古いほど多くの花をつける。風貌が豪華で華麗であることから、「ユリの王様」と呼ばれる。ユリ根が美味しいユリの多くは灰汁(あく)が多く食べられない灰汁が少なく鱗茎が大型なのが小鬼百合、鬼百合、山百合、...光りに見ゆるさゆりばな

  • 更衣

    よみ人しらずけふよりは夏の衣になりぬれど着る人さへはかはらざりけり今日は六月一日衣替えだ昨日は袷アワセで今日は一重になった着物が軽いのには驚いたサカチカさんに買ってきてもらった虎屋の「更衣」写真かそれだ虎屋の栞には『更衣』は六月の衣がえにちなんだお菓子です。餡に米の粉を混ぜ蒸しあげ、和三盆糖を揉み込み、表面にも和三盆糖薄く掃いており、涼やかな夏の衣を思わせます。とあった。【更衣】〘名〙①衣服を着かえること。衣がえ。こうえ。また、初夏の衣がえ。昔は学校の制服や会社の制服も夏服にガラッと変わったものだけれど昭和も遠くなりにけり懐かしい更衣

  • 葵傾く五月雨

    日の道や葵傾くさ月あめ芭蕉今日は茶事へ午前中は雨降り御一緒のお仲間のひとりは晴れ女とご自分で仰るとおりどんどん晴れて傘はいらなかった。今日の茶事は後段つきの真之茶事とのこと真之茶事楽しかったいやいや勉強になった今日は早く寝るのであとで記録しておこう写真は新聞の広告を見て買ってしまった黄色い万年筆のおまけ付きのサライアマゾンで買ったインクも入れてないがとりあえず満足葵傾く五月雨

  • 出光美術館

    昨日は出光美術館へ行った会員なので予約をしなくて良いそうだ出光美術館は隣とちょっとでも話していると係の人が矢のように飛んできて慇懃に注意をする昨日もされた現在の展示は2022年4月23日(土)~6月5日(日)国宝手鑑「見努世友」と古筆の美「古筆」とは平安・鎌倉の古人の優れた筆跡、絵画のこと。歌書、写経、物語、懐紙、短冊、日記、書状など。古筆は断簡として掛けものにしたり。鑑賞や蒐集を目的として手鑑にしたりする手鑑テカガミとは古筆切を貼り込んだスクラップブック、アルバム。今回は国宝手鑑「見努世友」をずらっと長く広げて展示されてあまりよくは分からないがじわじわと拝見するまず展示室に入ると「大般若経巻第九十四(薬師寺経)」「扇面法華経冊子断簡」「高野切第一種」「継色紙」「中務集」「久松切倭漢朗詠抄」「石山切」は三幅並...出光美術館

  • 今日も今日 アヤメもアヤメ

    伊勢大輔けふもけふあやめもあやめ変らぬに宿こそありし宿とおぼえねどんな意味か去年と同じ月日には同じく菖蒲アヤメが咲いている住まいも同じなのに離ればなれになった仲間は今はいないどうしているのだろうかてな事かも今日は食事会パブリックスクエアの2階のグリルうかい先週火曜日に来たばかり献立は一緒だが席が窓際で使われた食器が変わったり美味しい二年ぶりか三年ぶりにビールを飲んだ美味しい帰りに出光美術館へ二名予約して行ったが会員は予約しなくともよし見努世友を拝見した帰りは銀座をうろちょろそんなこともできるようになった元気だ今日も今日アヤメもアヤメ

  • 明日は知らねど水色に

    樋口一葉飛鳥川あすは知らねど水色に今日はにほへるあぢさゐの花今日は晴れ茶会に出かける知り合いが習ってる宗徧流の先生の茶会濃茶薄茶と立礼の三席時間指定12時の席だ一緒に行くサカチカさんと待ち合わせは11時15分近いのであまり早く支度してもねとゆっくりのんびりたまったビデオを見たりして気がつくと10時45分待ち合わせの時間にあと三十分まだ着物も着てないのに焦る着物も適当帯の二重太鼓も適当出してあった紗のコートは着るのを止めタクシーをGOで呼ぶと三分で着きますと返事があり着きましたと画面に出たがタクシーが回りにみえないそういえば目の前の道を曲がって行くタクシーを見かけたあれが私のタクシーかもと追いかけ着物で二十メートル位走ったやはりそうそう私のタクシー運転手さん私よ私私のタクシー運転手さんが言うこの辺はよくわからない...明日は知らねど水色に

  • はつこゑの きかまほしさに 郭公 

    よみ人しらずはつこゑのきかまほしさに郭公夜深くめをもさましつるかな火曜日はグリルうかいでランチそのかえりに近くの出光美術館へ寄った三大手鑑のひとつ国宝「見努世の友」を観た三大手鑑テカガミとは京都国立博物館の「もしほ草」出光美術館の「見努世友ミヌヨノトモ」MOA美術館の「翰墨城カンボクジョウ」の三つ写真はグリルうかいの天井をパチリはつこゑのきかまほしさに郭公

  • 袖はひとへにかはりぬるかな

    藤原定家花の色を惜しむ心はつきもせで袖はひとへにかはりぬるかな今週末に他流の茶会に出かけるのだが天気はどうだろう六月も近いし合わせは暑いから一重ヒトエにするかもなんて考えるのも茶の楽しみのひとつだろう今日は木曜稽古主菓子は棹ものむらさめ製の銘は緑蔭それと道明寺製を笹でくるんだ笹餅季節の移ろいを和菓子で知る目もお腹も嬉しい写真はうちの猫ミーちゃん袖はひとへにかはりぬるかな

  • 薫風自南来

    今日は水曜稽古今月まだ掛けてなかった一行薫風自南来クンプウジナンライを掛けた唐の皇帝文宗(809-840)が、五言絶句の起句と承句を詠んだという五言絶句は中国の唐代に完成した近体詩のひとつ五言の句が4句起承転結からなる漢詩人皆苦炎熱我爱夏日長人は皆炎熱に苦しむが我は夏日の長き事を愛すそれを書家の柳公(778-865)が転結を付け加え絶句を完成させたという薫風自南来クンプウジナンライ殿閣生微涼デンカクビリョウヲショウズ「三世の諸仏の悟りの境地とは如何」の問いに雲門文堰ウンモンブンエン禅師は「東山水上行」圜悟克勤エンゴコクゴン禅師は「薫風自南来殿閣生微涼」と答えこれを聞き大慧宗杲禅師が大悟したという圜悟克勤禅師が答え大慧宗杲禅師が悟った圜悟克勤エンゴコクゴン禅師は碧巌録ヘキガンロクの大成者...薫風自南来

  • 芭蕉渡るや蝸牛カタツムリ 

    筋違スジカイに芭蕉渡るや蝸牛カタツムリ夏目漱石今日は従姉のKEIKOちゃんの誕生会五月生まれなので今月二回目のKEIKOちゃん誕生会なのに今日はご本人からご馳走になった嬉しい限りだ今度は誕生会ではなく普通の食事会へ行きましょう写真はそのメイン料理芭蕉渡るや蝸牛カタツムリ

  • 蕗の廣葉哉

    卯の花のこぼるる蕗の廣葉哉今日テレビのクイズ番組を見てたら五名で一文字ずつ答える正解は(しんにょう)だった私はいつも(しんにゅう)と言うのだがどちらでも正解だった辶しんにょう(しんにゅう)は道や歩く事に関する意味を表す漢字で書くと「之繞シンニョウ」「之シ」が「辶」となり「繞ニョウ=巡る、ので」之繞シンニョウが部首の漢字は、「辺」「送」「道」「○「之」が「走」になると走繞(そうにょう)で「超」「越」「赴」。「麦」になると○麦繞バクニョウ「麺」「麹」など。鬼キニョウ「魅」「魁」風カゼニョウ「颱」「颶」など。写真はうちの「カタバミ」ピンクが、綺麗だこの後平らにしたけど蕗の廣葉哉

  • 交野カタノの御野ミノの五月雨のころ

    藤原為家タメイエあまの川とほきわたりになりにけり交野カタノの御野ミノの五月雨のころ(続後撰和歌集)今日は茶事へ二日続く茶事の客幸せだ待合は伊勢物語の東下り昔、男ありけり。その男、身を要なきものに思ひなして「京にはあらじ、東の方に住むべき国求めに」とて行きけり。もとより友とする人、一人二人して行きけり道知れる人もなくて、惑ひ行きけり。三河の国、八橋といふ所にいたりぬという場面だ本席は京極為兼筆の時鳥の和歌三首京極為兼タメカネ、タメカヌとは建長六~元弘二(1254-1332)鎌倉後期の歌人藤原定家の曾孫である藤原定家の二男為家の嫡男為氏タメウジは二条家三男為教タメノリは京極家為相タメスケは冷泉家それぞの家の祖となるその京極家為教の子が為兼らしいちょっと複雑記憶として残しておきたいがすぐ忘れてしまうだろう写真は今日...交野カタノの御野ミノの五月雨のころ

  • 紫陽草や

    紫陽草や藪を小庭の別座鋪芭蕉今日はお招きを頂いて正午茶事へ初めてのお宅2ヶ月ほど前にコロナ禍でお茶事もないお茶会もないつまらないからどこかないかしらと厚かましく尋ねるとお知り合いをご紹介頂けるとの事だったが暫し開催されてない様子でではとご自宅のお茶事にお招きを受けたワクワクの起床後あれこれして着物を着て家を出ると小雨だもたもたと雨コート取り出し出掛けるがのんびりしてると遅れるかもしれぬ初めてのお宅なのにJRから乗継東急線時間配分はピッタリで無事到着建築雑誌のグラビアに載るようなモダンなお住まいインテリアの洒落たお茶事その上四つ椀懐石の水屋はプロ級その都度興味深いお道具のお話を伺う茶事を堪能したまた伺いたい写真はないが帰りの電車で忘れぬうちに会記をメモしたいくつか思い出せず紫陽草や

  • 雨に音なしカキツバタ

    宵々の雨に音なし杜若蕪村なかなか複雑楽家の事初代は長次郎二代は常慶だが常慶の父、田中宗慶常慶の兄、宗味常慶の子の長男、道入常慶の子、道入の弟、道楽常慶の孫、道入の長男、一入一入の娘婿、宗入は雁金屋三右衛門の子。尾形光琳の従弟。一入の庶子、一元は玉水焼初代ここら辺は系図にしないと分かりにくい雨に音なしカキツバタ

  • 三木町棚ミキマチタナ

    今日は木曜稽古棚は何を使おうか最近使ってない三木町棚ミキマチタナにした三木町棚天板と地板は杉材、柱は檜材、天板と中棚の間に樅材の引出、竹の摘み、底四隅に足。三木町棚は、表千家四世逢源斎ホウゲンサイ江岑宗左コウシンソウサ、和歌山城下の三木町に居たときに好んだ棚で、「江岑棚」コウシンタナともいいます。江岑は、紀州徳川家に茶頭として出仕和歌山城下の三木町に屋敷を賜わり江岑がこの屋敷滞在中に若党に作らせたという。三木町棚は、①同所に樅・檜・杉の残材を寄せ木にして棚を好んだという説と、②紀州家より樅の折箱を拝領したのでこれを引出しにし、既にあった残材を用い、寄せ木にして棚に好んだという説があります。三木町棚は、表千家六世覚々斎原叟宗左が桐木地で好む。わが家の棚の材質は桐のようなので覚々斎原叟宗好み三木町棚ミキマチタナ

  • 雲無心出岫クモムシン ニシテ シュウヲ

    今日は水曜稽古掛けものは雲無心出岫クモムシンニシテシュウヲいずる個の言葉は対句になっている雲無心以出岫、鳥倦飛而知還。雲は無心に岫しゅうを出いで、鳥とり飛とぶに倦うんで還かわえるを知しる。これは対句《陶淵明「帰去来辞」から。「岫」は山の洞穴の意》何事にも束縛されず、自然に従って悠々と生活することのたとえ。陶潜【とうせん】中国,東晋,宋の詩人。字は淵明。若くして官についたが,《帰去来兮辞》を賦して彭沢(ほうたく)の令を退いた後,官界の汚濁をきらって田園に閑居した。隠士的相貌(そうぼう)の裏に、人生体験や政治的抱負を秘めた理想主義的自然詩を書く。自然詩人の先駆として,後世に与えた影響は大きい。他に《桃花源記》など。《陶淵明集》5巻がある。帰去来兮辞【ききょらいのじ】陶潜の代表的韻文。405年41歳の時の作。彭沢県令...雲無心出岫クモムシンニシテシュウヲ

  • をちこちに

    をちこちに瀑の音聞く若ばかな蕪村おちこちとは【彼方此方オチコチ・遠近オチコチ】と書く1遠い所と近い所。あちらこちら。2将来と現在。昔と今。①あちらこちら。出典万葉集九二〇「ももしきの(=枕詞)大宮人もをちこちにしじにしあれば」[訳]宮中に仕える人もあちらこちらに大勢いるので。②将来と現在。出典万葉集六七四「真玉付く(=枕詞)をちこちかねて言コトはいへど」[訳]将来も現在もあわせて(大切にすると)言葉では言うけれども両口屋是清のお菓子に(おちこち)があるが最近食べてない御菓子所両口屋是清はお茶どころ・名古屋の御菓子所、両口屋是清は寛永十一年(1634年)大阪の菓子司・猿屋三郎右衛門が尾張藩用菓子製造のため召され、那古野本町に開業したのが始まりと記録に残されています。貞享三年(1686年)には第二代尾張藩主徳川光友...をちこちに

  • 蓋置のこと

    橘曙覧アケミ羽ならす蜂あたゝかに見なさるゝ窓をうづめて咲くさうびかなさうびとは薔薇そうび/しょうび(さうび/しやうび)バラのこと日本には薔薇の原生種がいくつかあり、「うばら」「いばら」と呼んでいた。同じ薔薇の仲間でも、唐土から渡来したものは漢語「薔薇」を音読して「しやうび」「さうび」と呼び、在来種の薔薇とは別物と見ていたようだ。古今集には「さうび」を題とした歌が見え、西暦10世紀初めには既に渡来していたことが知られる。いつも建水の中にあり柄杓と一緒に持ち出す蓋置は別名隠れ家常に何かの下に隠れてるからだ蓋置は、茶釜の蓋を置くことと柄杓の合の部分を載せるのに用います。素材には、竹とその他の蓋置がある竹は「引切」といわれ、根元が上を向くように切りその切り方で炉と風炉の違いがある炉用は中節。節が真ん中。風炉用は天節。上...蓋置のこと

  • 葉の重みして若楓

    雨ふくみ葉の重みして若楓石鼎今日は日曜日朝七時目覚ましが鳴ったが起きれない低気圧が来てるのだろう九時まで布団でゴロゴロしてからようやく起き上がったきっと雨が降る藤灰とは何かと聞かれたことがあった【藤灰】フジバイ〘名〙藤の木を焼いて作った灰。また、一説には、欅(けやき)を焼いて製したもので、やや藤色を呈しているところからいうとも。茶の湯などで用いる。(コトバンク)藤灰(ふじばい)化粧灰とも言い、樹皮をはいだ藤を焼いたもの。風炉の蒔灰(まきばい)に化粧として用いる。灰形を仕上げて水の卦を切った後、最後に景色よく蒔く。夏に向かって徐々に蒔く量をふやして涼しさを表現する。風炉の初炭や後炭手前で灰器に盛って持ち出す。とネットにはあった写真は土曜日に行った食事いつもの和食葉の重みして若楓

  • やどりせし花橘も枯れなくに

    大江千里やどりせし花橘も枯れなくになど郭公こゑたえぬらん大江千里オオエノチサト平安前期の儒者。生没年不詳。中古三十六歌仙の一人。大江音人オトンドの子(一説に孫)。《古今和歌集》に10首入集。今日は美術館上野毛の五島美術館へ【近代の日本画展】六月十九日まで「風景表現」を中心に、橋本雅邦、小川芋銭、横山大観、川合玉堂、冨田溪仙、小林古径、橋本関雪、安田靫彦、川端龍子、明治から昭和にかけての近代日本を代表する画家の作品約40点を展観。とある横山大観の作品をたくさん持ってるんだなと感心した五島美術館のカレンダーにも大観の富士山あった気がした帰りに大観の四季の富士山の絵はがき買った雨上がりの五島の庭に降りると眼も身体も心地よい森林浴だやどりせし花橘も枯れなくに

  • ほとゝぎす初声きけば あぢきなく

    素性法師ほとゝぎす初声きけばあぢきなくぬしさだまらぬ恋せらるはた【素性法師】ソセイホウシ平安前期の歌人。生没年不詳。三十六歌仙の一人。僧正遍昭の子。俗名良岑玄利(よしみねのはるとし)。出家して雲林院に住み,896年(寛平8)雲林院に行幸の日,権律師となり,後に石上(いそのかみ)の良因院に移った。宇多天皇時代に最も活躍し,《古今集》の撰者たちと親交があった。《古今集》以下の勅撰集に60首,家集に《素性集》がある。(コトバンクヨリ)今日は南方録のお勉強なかなか難しい台子の天板の茶入は陽茶碗は陰地板の風炉釜は陽水指は陰杓立の火箸は陽柄杓は陰写真はユリノキの花ユリノキは別名ハンテンボク葉っぱがハンテンに似てるからほとゝぎす初声きけばあぢきなく

  • 桐の花はも

    聖人の生れ代りか桐の花漱石芥川龍之介いつとなくいとけなき日のかなしみをわれにおしへし桐の花はも今日は木曜稽古夜の部の稽古に雷蔵君とEのさんが見えた月に一度くらいしか来れないのでまだ略盆点前の稽古中だ少しずつだが点前を覚えてきた様子使う道具の名前も以前よりはわかってきたようだそれとお習字の勧誘をしたところすぐに入会手渡した硬筆の課題の楷書と行書をちゃんと書いてきたそれと硬筆の基本の勉強もしてほしい写真は次の「書の基本線」基本の線をよく知らないのでこの際私も一緒に勉強しよう桐の花はも

  • 瓶にさす白芍薬に

    木下利玄瓶にさす白芍薬に蟻つけり季節の花のこの鮮アタらしさ木下利玄キノシタリゲン1886-1925明治-大正時代の歌人。明治19年1月1日生まれ。伯父の木下利恭トシモトの養子。はやくから佐佐木信綱に師事し,「心の花」同人となる。明治43年「白樺」創刊に参加。口語的な発想,四四調の破調など,利玄調とよばれる作風で知られた。大正14年2月15日死去。40歳。岡山県出身。東京帝大卒。本名は利玄(としはる)。歌集に「銀」「紅玉」「一路」。今日は水曜稽古薫風の扇面をかけ待合にはツツジに鮎の画の掛け軸お菓子は金団の銘は山つつじそれと粽写真は昨日撮ったもの秋田犬が二頭とシベリアンハスキーの三頭の大型犬近くよって触らせてもらったとても嬉しい瓶にさす白芍薬に

  • 水さへ色ぞ緑なる

    藤原定家影ひたす水さへ色ぞみどりなるよものこずゑのおなじ若葉に今日は従姉のKEIKOちゃんの誕生日会晴れてる気持ち良く銀ぶらして予約済みの博品館の六階のお店へ初めはシャンパンで乾杯写真はまず前菜そのあとパスタとパンデザートに珈琲までだがパスタの量が多く飽きて残したお腹はいっぱいもうなにも食べられないまた今月もう一度会う予定だ水さへ色ぞ緑なる

  • たつことやすき夏衣かな

    前大僧正慈円散りはてて花のかげなきこのもとにたつことやすき夏衣かな今日は古筆の研究会類聚歌合ルイジュウウタアワセとは歌合を主催者の身分別に類別集成したもの。『歌合類聚』とも。平安中・後期に二度編集。「十巻本」「廿巻(にじっかん)本」。これにより、平安後期までの歌合は、ほぼ全貌が確かめられる。『十巻本類聚歌合』は、9世紀末の『民部卿(行平)家歌合』から1056年(天喜4)『皇后宮(寛子)歌合』に至る46の歌合を10巻に類別編集。編集は後冷泉天皇の在世中(1068以前)といわれ、編集主体は関白藤原頼通、源経信らが関与したと。『廿巻本類聚歌合』は、12世紀初め堀河天皇の意図に基づく『和歌合抄』10巻の編集に始まり、『古今歌合』に増補され、ほぼ1127年(大治2)に『類聚歌合』20巻として整備編集されたと推定。前記の...たつことやすき夏衣かな

  • 寛平御時カンピョウノオオントキ

    寛平カンピョウノ御時オオントキ后宮キサイノミヤ歌合ウタアワセ紀秋岑キノアキミネ夏山にこひしき人やいりにけむ声ふりたててなく郭公寛平御時后宮歌合とは寛平元~五年(八八九‐八九三)の間に、光孝天皇の后(当時皇太夫人)班子女王ハンシジョオウが主催した歌合。今日は文の会バイ様と二人で伊勢物語を読んで色々お喋りする会お昼はいつものイタリアンの店でグラスワインに四種のおつまみサラダとパスタ二種をシェアして満腹寛平御時カンピョウノオオントキ

  • よものこずゑ

    藤原定家影ひたす水さへ色ぞみどりなるよものこずゑのおなじ若葉によもとは四方ヨモ=東西南北の四つの方向。転じて、まわり。諸方。こずゑとは【梢】木(こ)+末(すゑ)=木の幹や枝の先。こずえ。今日は髪を切るだいたい毎月同じ店でカットしているが今月の予約はいつなのか記憶が全くない電話してみるとはじめから予約をしていなかったようだ覚えてないともかく襟足が伸びた気がしてカットしてスッキリした従姉から電話があり家の屋根やら外装の工事が始まって家にいても落ち着かないとのことそれでは来週銀座へ食事に行きましょうと約束した先に楽しみがあるのが嬉しいよものこずゑ

  • 新茶かな

    点心はまづしけれども新茶かな芥川龍之介新茶が届いたいつもお送り頂き今年も届いたお元気の様子で安心した今日は何も用事がない気候も良いあちこちの窓を開け放ち扇風機を回してゴロゴロしてる短歌を作らなくてはと思うのだが一向にまとまらない夏休みの宿題もギリギリだったし何でも締切近くにならないと集中できないものらしい無理新茶かな

  • 河骨のふたもと咲くや

    河骨の二もとさくや雨の中蕪村コウホネ/川骨、河骨スイレン科の多年生水草。日本各地や朝鮮半島の池や川に生育する。6~9月に黄色の花を開く。和名は、根茎の色や形が骨に似ているところからつけられた。根茎は白色、海綿質で泥中に横たわる。水上葉は水面から抜き出て、葉身は長卵形、基部は矢じり形になり、長さ20~30センチメートル。浮葉となることもある。水中葉は細長く膜質で縁は波打つ。花は根茎から出る長い花柄上に1個頂生し、径4~5センチメートル。今日も良い天気朝の内は寒いが日中は心地よい気温今日の掛けものは明堂宗宣の自画賛明堂宗宣ミョウドウソウセン明和5年(1768)~天保8年(1837)篠山藩老田塩家に生まれる。字、明堂。諱、宗宣。号、春米子、返照散人など。大徳寺東溟和尚に参禅。滋賀堅田の祥瑞寺住持。大徳寺第429世。...河骨のふたもと咲くや

  • 西にのみ心ぞかかる

    西行西にのみ心ぞかかるあやめ草この世はかりの宿と思へば今日は初風炉頑張って掃除をいつもの三倍くらい力を入れたそのせいか自分的には見違えるほど綺麗になったと思っているが実際は部屋の半分はまだ荷物で山盛り布を掛けて隠してあるだけほんとはもっと片付けたいのだがこれ以上どうにもならない諦め今日は気分の良い日気候がいい外に出ると薫風自南来気持ち良く風が通り抜ける木戸を開けて玄関までわずかな距離だが若緑の椿の葉が柔らかそうだ初風炉の茶は格調高く清々しくとのエス先生のご指導を心して新たな気持ちで茶に向かおうではないかとお弟子様たちに言いたいがちょっと恥ずかしくて言えない西にのみ心ぞかかる

  • 心ざし深きみぎはのあやめ草

    源順ミナモトノシタゴウ心ざし深きみぎはのあやめ草ちとせのさつきいつか刈るべき源順ミナモトノシタゴウ911〜983平安前期の歌人嵯峨源氏。挙コゾルの子。『後撰和歌集』の撰者の一人。梨壺の五人の一人。百科全書『倭名類聚抄ワミョウルイジュウショウ』の著者。三十六歌仙の一人。家集『源順集』。今日は読売カルチャー利休の侘び茶の世界『長闇堂記』長闇堂は奈良春日大社の゙禰宜ネギの久保利世のこと通称久保権太夫クボゴンダユウ江戸前期の茶人○北野大茶の湯に出かけ感動して茶人を志した○長闇堂の長は鴨長明から遠州が名付けたこの二つしか記憶に無いでも忘れなければこれで十分横浜駅はものすごく混んでいたそごうの地下はどこのお店も人が並んでる柏餅でも買ってるのだろう写真は友人が送ってくれた心ざし深きみぎはのあやめ草

  • 山ほととぎす今日よりぞ待つ

    和泉式部桜色に染めし衣をぬぎかへて山ほととぎす今日よりぞ待つもうすぐ初風炉の茶今日は朝から植木屋まがいに木戸の紅葉を剪定一雨ごとに葉柄が伸びるのだがそれがとても早い古志様に頂いた長枝切り挟みの登場伸びた枝を近くで切り離れてみては又も切る届かない所があるので椅子に乗っても切った切った枝を60リットルの袋に押し込む木戸の紅葉が終わったので奥の方を見回ると青木の木が繁ってる庭仕事は始めたら止まらない青木の木を気持ち良く切ってると足元に山のようにたまったこれもビニール袋60リットルに押し込む結構な達成感を味わう明日は灰型を写真は紫蘭山ほととぎす今日よりぞ待つ

  • 五月かな

    うすうすと窓に日のさす五月かな子規今日は風炉を出したと簡単に言うがわが家は出すまでが大変風炉は水屋の一間の押入れに入っている右側には上段も下段も水指左側の上段は花入下段は風炉と敷板類いつもはその押入れの前に二月堂もどきを二台置き茶入と棗のお茶の用意と炭道具の用意をしてる押入れを開けるにはそれらをどかさないとならないが普段使いの火箸カン灰匙釜敷など机の下に置いてあるまたその他のもろもろこれらが結構細かいので嫌になる一人では余計に嫌になる道具出しは重労働特に風炉はかさばるし重いのでサカチカさんに眉風炉と道安風炉を出してもらった炭道具や柄杓に蓋置それと羽箒を交換午前の十時からお昼を食べてからシュークリーム三時には冷凍してあった和菓子を食べ四時まで休まず結構働いたから満足明日は灰を入れる作業が残ってるが大物が終わったの...五月かな

  • 卯の花の垣根を雪にまがへてや

    藤原俊成卯の花の垣根を雪にまがへてや急ぎででつる小野の炭焼きまがへ→まがふ(紛ふ)=まちがえる。よく似ている。区別がつかない。炉から風炉へと替わる今日は炉を塞ぎ風炉の炭を用意炉と比べるとなんと小さいことか可愛らしい明日は押入から風炉を出す予定だ写真は某所の梅もう実になってると若い友人が送ってくれた卯の花の垣根を雪にまがへてや

  • 炉塞いで

    炉塞いで窓に一鳥の影を印す夏目漱石今日はお道具さんの茶会生憎の雨なので着物をやめて洋服で行く茶会は薄茶のみ床は清巌の一行花入伊賀花牡丹香合染付叭々鳥釜芦屋真形炉縁黒柿水指伊部薄器中次春正茶杓宗旦茶碗宗入、祥瑞、織部、仁清、乾山眼福だった写真は今日のケーキセット満足炉塞いで

  • ゆく月日

    紀貫之ゆく月日おもほえねども藤の花見れば暮れぬる春ぞしらるる今日は木曜稽古いよいよ炉は今日で終わり行く春暮春惜春晩春春尽くそんな気分昨日は夏のようだったが今日の気候はちょうど良い久しぶりに鉄人がお稽古に来た自在に手取釜の初炭薄茶運び点前を二回お稽古した次はいつかゆく月日

  • 行く春の夕日にうかみ赤々と

    若山牧水ゆく春のゆふ日にうかみあかあかとさびしく松の幹ならぶかな若山牧水ワカヤマボクスイ1885~1928明治・大正時代の歌人本名は繁。宮崎県の生まれ。早大卒。尾上柴舟に師事し,青春の哀歓を独特の感傷の調べに伝える歌集『別離』(1910)で注目された。自然と旅と酒を愛した歌人。今日は水曜稽古四月最後の週炉塞ぎの月の最後のお稽古花は小手毬と二人静、宝鐸草、鳴子百合椿は全くない菓子は練切のあやめと鯉のぼりの最中五月の先取り行く春の夕日にうかみ赤々と

  • 宇治のしば舟

    寂蓮法師暮れて行く春のみなとは知らねども霞に落つる宇治のしば舟(新古今集)今日はお習字時間は十時からだがお茶をいれたり用紙を探したり硯の墨を摩りいざ書き始めるまでなんと時間の取られることよ結果は仮名だけちょこっと書いた失敗したことは回りからみたら、失敗でないかも失敗したと自分が思うことは、自分自身を過信したせい、個の程度だと思えばよい、まあいいか、楽しかったしと、気楽にいい意味で折り合いをつけるすべからくポジティブにとらえる逆境に負けるな失敗を恐れるな写真はキイチゴ宇治のしば舟

  • 返哥なき

    返哥なき青女房よくれの春蕪村今日の予定は無しと思っていたが朝10時半にピンポンとお客様「11時のお約束でしたがよろしいですか」と約束してたかしら覚えてないまだ雨戸開けてないし人前に出る格好してないし焦ったお約束は介護保険の認定調査とのことそういえばそうだったと思い出したがスマホのスケジュールには何も記入してないスケジュール表を信じてるのにね返哥なき

  • 花の通ひ路

    九条良経クジョウヨシツネかすみゆく宿の梢ぞあはれなるまだ見ぬ山の花の通ひ路(月清集)九条良経クジョウヨシツネ嘉応元~建永元(1169-1206)鎌倉時代の公卿,歌人。仁安4年3月生まれ。九条兼実の次男。文治元年従三位。4年兄良通が早世したため家をつぐ。建仁2年摂政,氏長者,元久元年従一位,太政大臣にすすむ。後鳥羽院歌壇で活躍し,「新古今和歌集」の仮名序を執筆した。書道では後京極流の始祖。元久3年3月7日死去。38歳。通称は後京極殿。家集に「秋篠月清集」。今日は茶事お弟子様のサカチカさんの茶事の水屋を担当タクシーで10分くらいで到着お客様は三名様亭主はサカチカさん水屋は私めひとり今月二回目折敷に取り箸を膳打ち焼物や預け鉢、進肴香物何でも自分用の取り箸を使う汁替は次の椀を用意しておくご飯も飯椀に盛ったものを渡す...花の通ひ路

  • 一寸先は木下闇

    ゆく春や一寸先は木下コシタやみ也有【木下闇】コシタヤミ枝葉の繁茂して、木陰が暗いこと。今日は庭木を切る椿の枝葉が伸びすぎて全くむこうが見えない風通しが悪いと虫がつく切った枝を45リットルの袋に無理やり入れていっぱいになったところで止めた紅葉も木蓮もいずれ切らなければならないが時間がかかるので今日は椿だけ向かいの奥さんとお喋りのあと宝鐸草をたくさん切り紅葉もプロペラ付きの枝を切って差し上げた代わりに菊の苗を頂いた落ちた葉などを掃いていると「まこちゃん」と声がする近所の二歳年上のサッちゃん若いときはいつも取り巻きの男の子を何人も連れてあるいてた今もカッコいいサッちゃん雑草が生えて困ってるけどお宅はどうしてるのと聞かれたうちは日陰なのでいわゆる雑草はたいして生えないのとサッちゃんにも宝鐸草とプロペラ付き紅葉お陰で足元...一寸先は木下闇

  • 藤原清輔 フジワラノキヨスケ

    藤原清輔フジワラノキヨスケ和歌・歌人138薄霧の籬の花の朝じめり秋は夕べとたれかいいけん冬枯れの森の朽葉の霜の上に落ちたる月の影の寒けき長らへばまたこのごろやしのばれん優しと見し世ぞ今は恋しき藤原清輔ふじわらの-きよすけ1104-1177平安時代後期の官吏,歌人。長治元年生まれ。藤原顕輔の子。母は高階能遠の娘。太皇太后宮大進となり,正四位下にいたる。歌道の六条家をつぎ,その全盛期をきずいた。「奥儀抄」「袋草紙」などの歌学書をあらわし,「続詞花和歌集」を私撰。勅撰集には「千載和歌集」以下に89首がはいっている。安元3年6月20日死去。74歳。家集に「清輔朝臣集」。今日は銀行と郵便局と病院へ行く予定銀行が混んでいたので郵便局へ行ったところ肝心の振込用紙を忘れたまた銀行に戻り通帳記帳してから一度家に戻る出直して郵便...藤原清輔フジワラノキヨスケ

  • 春惜しむ

    春惜しむ宿やあふみの置火燵蕪村今日は木曜稽古夜は七時から来るお弟子様もあり終わったのは十時くらい雨は土砂降り寒いまだ降っている春惜しむ

  • はかなく春の暮れにけるかな

    源実朝ながめこし花もむなしく散りはててはかなく春の暮れにけるかな源実朝ミナモトノサネトモ1192~1219鎌倉幕府第3代の将軍,歌人。父は第1代将軍頼朝。母は政子。幼名,千幡。建仁3(1203)年,外戚北条氏に廃された兄頼家に代って将軍となり,右大臣正二位にいたったが,鶴岡八幡宮の社頭で頼家の遺児公暁に殺された。渡宋を企てたこともあったが,果さなかった。京都の貴族文化,文学を愛し,坊門信清の娘を妻とした。早くから作歌に親しみ,家臣を通じて藤原定家の指導を受けた。定家の歌論書『近代秀歌』は実朝に進献されたものである。天性の歌人で,万葉風の作品は特にすぐれており,後世,賀茂真淵,正岡子規,斎藤茂吉らが激賞している。実朝は和歌を熱愛し、藤原定家の指導を受けて『万葉集』『古今和歌集』をはじめ、古来の和歌を研究して独自の...はかなく春の暮れにけるかな

  • 人しれず思ふ心はふかみ草

    賀茂重保カモノシゲヤス人しれず思ふ心はふかみ草花咲きてこそ色に出でけれ『千載集』賀茂重保カモノシゲヤス1119-1191平安時代後期の歌人。元永2年生まれ。賀茂別雷社の神職。治承2年藤原俊成を判者にむかえて「別雷社歌合」をひらき,養和2年尚歯会を開催するなど賀茂社歌壇を形成した。今日は書道の勉強森金先生とお昼までそのあとはひとりで三時までに楷書を八枚行書を三枚隷書を一枚王羲之の臨書を二枚仮名を三枚書いた上手くないただ書いただけ人しれず思ふ心はふかみ草

  • 藤原忠通 フジワラノタタミチ

    藤原忠通フジワラノタタミチ和歌・歌人137わたの原漕ぎ出でて見れば久方の雲居にまがふ沖つ白波藤原忠通フジワラノタタミチ1097-116468歳。平安時代後期の公卿。藤原忠実タダザネの長男。母は源師子。白河法皇に罷免された父にかわり,関白,摂政,太政大臣を歴任。従一位にいたる。鳥羽院政で復権した父と権力をあらそい,保元の乱の一因をつくった。詩歌にすぐれ,書は法性寺流と称される。通称は法性寺殿。漢詩集に「法性寺関白御集」,家集に「田多民治タダミチ集」。小倉百人一首では法性寺入道前関白太政大臣2012のNHK大河ドラマ『平清盛』の藤原忠通役は堀部圭亮が演じた写真は友達が撮ったもの別名は「富貴花」「百花王」「花王」「花神」「花中の王」「百花の王」「天香国色」「名取草」「深見草」「二十日草(廿日草)」「忘れ草」...藤原忠通フジワラノタタミチ

  • 春の夜の闇はあやなし

    凡河内躬恒春の夜のやみはあやなし梅の花色こそ見えね香やはかくるるこれが謡本の「東北」の詞章にある春の夜の。闇はあやなし梅の花。色こそ見えね。香やは隠るゝ香やは隠るゝそのまま登場する今日は日曜日庭の緑の占める面積が超スピードで増え茶色の土がほとんど見えなくなった雨が降って緑は艶々だった近所の藤の花植木鉢で毎年咲く春の夜の闇はあやなし

  • 井手のやまぶきの花

    和泉式部あぢきなく思ひこそやれつれづれとひとりや井手のやまぶきの花『後拾遺集』今日は綱島でお昼昨日の夜はそれが嬉しくて2時過ぎまで眠れなかったお店の前庭や奥の中庭に野草が花を持ちはじめてる白雪罌粟ケシ海老根大きな牡丹が満開ここに来て庭をみるのも楽しみのひとつだ写真は今日の焼き物合馬のタケノコと桜鱒筍は大好き合馬のタケノコはもろこしの味がしますよと教えて貰った満足井手のやまぶきの花

  • おもはれ顔の 海棠の夕

    与謝野晶子春雨にぬれて君こし草の門よおもはれ顔の海棠の夕今日は朝日カルチャー楽のお話し楽焼には黒楽と赤楽があり黒楽は黒だけだが赤楽には赤だけではなく白や緑もある焼き貫の灰器は窯に焼きっぱなしにすることで取り出して水に入れたら引出し黒になる長次郎は樂家初代。中国出身の父・あめや(阿米也、飴屋または飴也)と母・比丘尼の間に生まれた。帰りはそごうの地下のお菓子屋さんへ白小豆の三笠山二つ買ったおもはれ顔の海棠の夕

  • 松にかかれる 藤なれど 

    紀貫之緑なる松にかかれる藤なれどおのが頃とぞ花は咲きける紀貫之藤の花色ふかけれや影みれば池の水さへ濃紫なる今日は小雨木曜稽古待合には藤娘を掛けたお弟子様二人がお休みだったので早く終わったその分昼寝の時間夕方まで寝てしまった松にかかれる藤なれど

  • 春はとまらぬ

    藤原俊成惜しむとて春はとまらぬものゆゑに卯月の空は厭ふとや見む今日は水曜稽古二ヵ所の炉に炭が入ると暑い庭の木々は毎日毎日若い葉の芽を伸ばすあっという間に庭中みどり色になってしまったお菓子は黄身羽二重の「うらら」とういろう製の三色お団子写真は寄付の掛け物狩野探信さくらの満開も一週間で終わる春はとまらぬ

  • 惜しめども

    在原元方惜しめどもとどまらなくに春霞帰る道にしたちぬとおもへば今日は書道のお稽古日森金先生と二人あとからポツポツ生徒さんが見えたわたしめはペン字硬筆を少し書いて一休みお湯を沸かして珈琲を飲むお菓子を食べるお習字の紙を漢字と仮名に整理片付けると疲れたらまた甘いもの食べるお茶をのむこれの繰り返し提出したのは三枚のみ惜しめども

  • 呉俊明ゴシュンメイ

    写真は呉俊明ゴシュンメイ五十嵐浚明イガラシシュンメイのこと元禄13年(1700)~天明元年(1781)江戸時代中期の新潟の絵師、漢詩人。本姓は藤原、修姓は呉。諱は安信、後に浚明。字は方篤、後に方徳。号は思明、孤峰、穆翁、竹軒。江戸で狩野良信栄信に狩野派、京都で竹内式部に経学を学び、宇野明霞・片山北海・池大雅等と親交した。今日は研究会教室を出るや否や勉強したことは霧のごとく消え去るが指し木するために遠州木槿の枝と三種類の椿の枝を頂戴するのは忘れず家まで持って帰った呉俊明ゴシュンメイ

  • 春日野の若紫のすり衣

    春日野の若紫のすり衣しのぶのみだれ限り知られず今日は文の会いつものイタリアンでワインとおつまみパスタを2種類シェア満腹ほろ酔いそれから本の少し伊勢物語を音読すほんの少し伊勢物語は平安時代前期に書かれたとされる歌物語段ごとに必ず和歌が入ってる作者は不詳在原業平をモデルとした「男」の恋愛を描いた短編小説伊勢物語は源氏物語同様歌人に必須の教養とされる伊勢物語の嵯峨本もある嵯峨本とは、江戸初期,京都嵯峨の素封家角倉素庵スミノクラソアン(角倉了以の子)が本阿弥光悦の協力のもとに刊行した私刊本の総称。角倉本,光悦本ともいう。雲母を刷り込んだ美しい用紙にかな文字の木活字を用いた美術的価値の高い印刷物。《観世流謡本》《伊勢物語》《徒然草》その他が現存嵯峨本については朝日カルチャー新宿の一日講座へ行った事があったけど行っただけ春日野の若紫のすり衣

  • 二十巻本歌合

    「類聚歌合ルイジュウウタアワセ」は平安時代の歌合集で「二十巻本歌合」とも呼ばれる。藤原頼道が歌合文献の集成を企画し、46度の歌合を収めた「十巻本歌合」が編纂されたが、これは完成をみなかった。これにならいさらに規模の大きい集成が企図されたものが、この「二十巻本歌合」である。その成立は、元永・大治(1118~31年)頃と推測されているが、30年余をかけ断続的に編纂がおこなわれ、最終的には藤原忠道が大きく関与した。200余度の歌合を収めた二十巻本歌合の筆跡は、20余種に分かれており、平安時代後期の書風を伝える重要な作品である。(e国宝ヨリ)主催者の階層別に内裏・上皇宮・后宮女院・女御家御息所・親王家など20巻に編纂したもの。藤原忠家筆と伝えられるものは「柏木切」と、忠家の子である藤原俊忠筆と伝えられるものは「二条切...二十巻本歌合

  • 花は根に鳥は古巣に

    崇徳院花は根に鳥は古巣に帰るなり春のとまりを知る人ぞなき『千載集』晩春だ二十四節気5日の清明が過ぎるとまさにその通り桜は満開野草や木々の花が咲き始める万物の清々しい生命力が溢れるのだが案外この時期は体調が悪い一気に行動せず体調と気候とを少しずつ様子を見ながら動くことにしている明日は「大仏開眼の日」752年(天平勝宝4年)聖武天皇の発願の東大寺の大仏完成、開眼供養会(魂入れの儀式)が行われた日。今日は南方録のお勉強『南方録』は七巻からなる一「覚書」二「会」三「棚」四「書院」五「台子」六「墨引」七「滅後」それと「墨引」利休が後に残さぬようにと墨を引いたという今日で台子まで終わった私は休んでばかり内容は入っていないまあゆっくり行こう写真は教室の窓からの桜花は根に鳥は古巣に

  • 花御堂

    花御堂月も上らせ給ひけり一茶明日は花祭り灌仏会、仏生会、降誕会、浴仏会以前◯庵の春の茶事床の間に小さな花御堂があり誕生仏が天地を指していたそれを見て私も誕生仏欲しいかもでもこれ以上荷物が増えては困るので諦めた花祭りに甘茶をいただくと無病息災で過ごせるともいわれるがお寺に出向く予定はない無病息災でないと凄く困るが今日は木曜稽古四月はじめの稽古日だ水屋の棚にのっている薄茶の茶碗はさくらの模様が多いまあ仕方ないか四月は晩春桜の次はそろそろ空木、山吹か藤かそのあとはあやめに杜若、花菖蒲紫陽花と移る写真は庭の雪餅草二本あったのに一本しか出てこない花御堂

  • 拈華微笑ネンゲミショウ

    今日は水曜稽古掛け物は拈華微笑ネンゲミショウ拈華微笑ネンゲミショウとは禅宗において禅の法脈を釈尊が摩訶迦葉に微妙の法門として付嘱したとする伝説のこと。禅宗の起源を説く寓話であり、公案の一つでもある。宋代以降の禅宗において、不立文字・教外別伝の立宗の基盤を示すものとして重用された。インドの霊鷲山リョウジュサン(グリドラクータ、ギッジャクータ)上で釈尊が黙って華を拈ヒネったところ、会座の衆はその意味を理解することができなかったが、迦葉尊者だけがその意味を理解して微笑した。悟りは文字理論によって伝わるものではないという不立文字の意味を示しものであり、釈尊が迦葉尊者にのみ正法を授けたという伝灯の起源となった。この寓話の根拠は、偽経である大梵天王問仏決疑経である。(ウィキペディア)届いたお菓子は浮島製の「水山吹...拈華微笑ネンゲミショウ

  • 久須美疎安クスミソアン

    今日は読売カルチャー教室茶話指月集をちょっとだけ勉強した茶話指月集はチャワシゲツシュウ久須美疎安クスミソアンが義父の藤村庸軒から聞いた茶話をまとめた。利休、宗旦の逸話が七十数話収められている。1701年(元禄14)に出版された。二巻。久須美疎安クスミソアン寛永13(1636)~享保13(1728)江戸中期の茶人。千宗旦の弟子藤村庸軒の女婿。名は小兵衛。洗竹庵,鷯巣などと号した。京都上京新在家の人。のち鴨東の岡崎に住し,石河自安,京極高広(安智)らと共に岡崎三隠士と呼ばれた。茶を宗旦,庸軒に学んだので,宗旦門下ともされる。元禄14(1701)年,庸軒による宗旦からの聞き書きを主とした『茶話指月集』を板行。茶の湯の逸話集としては比較的早い成立。庸軒の茶道具を彷彿させる手作りの茶碗,茶杓などが残るが,数は少ない。(...久須美疎安クスミソアン

  • 四月の銘

    藤原定家しのばじよ我ふりすててゆく春のなごりやすらふ雨の夕暮れ今日は具合が悪いと思ったら雨が降っていた用事もないからずっと録画のテレビを見て得意なゴロゴロしてる写真は芽を出してきた雪餅草四月の銘曙アケボノ甘茶アマチャ浦千鳥ウラチドリ香具山カグヤマ杏花雨キョウカウ…清明の頃に降る雨穀雨コクウ胡蝶コクウ嵯峨野サガノ潮騒シオサイ東雲シオノメ春光シュンコウ春潮シュンチョウ春眠シュンミン春雷シュンライ…春に鳴る雷。初雷。菫スミレ惜春セキシュン田打タウチ…田植えの為に田を耕すこと。田掻タカキ。千代の春チヨノハル苗代ナエシロ春の虹ハルノニジ葉桜ハザクラ羽衣ハゴロモ花筏ハナイカダ花曇ハナグモリ…花どきの曇り空クモリソラ花の宴ハナノエン花の影ハナノカゲ花散里ハナチルサト花吹雪ハナフブキ花御堂ハナミドウ花祭...四月の銘

  • 曇りもはてぬ春の夜の

    大江千里オオエノチサト照りもせず曇りもはてぬ春の夜のおぼろ月夜にしくものはなし大江千里(850ころ―905ころ)平安前期の歌人。参議従三位音人オトンドの三男。父の音人は阿保親王の落胤と考えられ、在原業平・行平は千里の叔父にあたる。大江家は菅原家と並ぶ学問の家であり、彼自身大学学生の出身であるが、千古チフル(弟)や朝綱アサツナ、維時コレトキ(甥)に比して詩人としての評価は劣り、不遇な官途に甘んじた。903年(延喜3)兵部大丞を極官とする。反面、「是貞親王家歌合」「寛平御時后宮歌合」に出詠し、宇多帝からは古今の歌の類聚を委嘱されて『句題和歌』を献上するなど、歌人としての声望は高いものがあった。(コトバンク)写真の掛け物の和歌である筆者は不明今日は雨春の雨木戸の前のイロハ紅葉が芽吹いてきたひと雨毎にむくむくと葉柄...曇りもはてぬ春の夜の

  • 智慧あり顔の木蓮の花

    与謝野晶子春はただ盃にこそ注ぐべけれ智慧あり顔の木蓮の花わが家の白木蓮はもう散ってしまったが天に向かって花ひらく姿は必ず空と一緒に見上げてる土曜日は瓶缶を出す日四つ角に置きに行くとうちの木蓮の花びらがあったどうやらここまで飛んできたらしい茶色くなって寂しいから拾って家のごみ箱へ捨てよう今日はいつもの病院へ薬をもらいに午後は朝日カルチャーの崩し字の読み方教室今日は乾山の書あっという間に終わったカルチャースクールは予習も復習もなく月に一度の一時間半だが勉強したような気持ちにはなるお気楽なことだ智慧あり顔の木蓮の花

  • 平忠盛 タイラノタダモリ

    平忠盛タイラノタダモリ和歌・歌人136ありあけの月もあかしの浦風に浪ばかりこそよるとみえしか『金葉集』平忠盛タイラノタダモリ永長1(1096)~仁平3(1153)平安時代末期の武将。正盛の子,清盛の父。永久1(1113)年強盗を捕えた功で一躍従五位下に叙せられた。同年の永久の強訴にも父とともに活躍。大治4(29)年備前守であった忠盛は,山陽,南海道の海賊追捕を行なった。彼を任用した白河法皇が同年に没し,鳥羽上皇が院政を開始すると正四位下に叙せられ,武名と財力(国守歴任,および宋との貿易による富)とを背景に,院と密接な関係を結んで昇殿を望んだ。長承1(32)年得長寿院造営の賞として待望の内裏昇殿が許され,平氏政権の基盤を築いた。(コトバンク)今日は寒いというより冷たい感じダウンコートでは大袈裟かと思ったがち...平忠盛タイラノタダモリ

  • 三月尽サンガツジン

    今日は木曜稽古御弟子様は四名思いの外少なかったので終わったのが早かった三月の最後だ三月尽サンガツジンという言葉がある彌生尽ヤヨイジンとも言う昔の陰暦で春といえば一月二月三月の三ヶ月その三月の晦日三月三十一日は春の一番最後の日和漢朗詠集三月尽凡河内躬恒けふとのみはるをおもはぬときだにもたつことやすき花のかげかは(古今)紀貫之はなもみなちりぬるやどはゆくはるのふるさととこそなりぬべらなれ(拾遺)紀貫之またもこんときぞとおもへどたのまれぬ我身にしあればをしきはるかな(後撰)明日から四月だ三月尽サンガツジン

  • さまざまの事思い出す桜かな

    今日は水曜稽古いつものお菓子屋さんから届いたお菓子は練切り三色の花見団子と牡丹餅二十個ずつ頼んでいるので蓋を開けるとお団子がずらっと並んでいるちょっと嬉しい干菓子は和三盆と伊賀上野の紅梅屋さまざま桜「さまざまの事思い出す桜かな」俳聖松尾芭蕉が、かつてご奉公していた藤堂家で詠んだ句「さまざまの事思い出す桜かな」に因み創られた、花紋干菓子です。桜を待つ心・愛でる心・惜しむ心、私たちが桜に寄せる思いもさまざま。そんな思いを、俳風干菓子「さまざま桜」として郷土色豊かに仕上げました。香ばしい寒梅粉に、山芋と砂糖を加え、水を使わずに伝統の製法で一枚一枚丁寧に作っています。海苔や胡麻の風味も加え3種類の味わいが楽しめ、桜の花びらの形が可憐な干菓子。素材にこだわり、やさしい桜色も天然着色料を使用して体に優しい商品にしています。...さまざまの事思い出す桜かな

  • 春は心の花にのみ

    西行おぼつかな春は心の花にのみいづれの年かうかれそめけんおぼつかな→①ぼんやりしている。ようすがはっきりしない。ほのかだ。②気がかりだ。不安だ。③不審だ。疑わしい。④会いたく思っている。待ち遠しい。今日庵(こんにちあん)は宗旦が不審菴を江岑宗左に譲り隠居所として建てた茶室です。席開きの当日、時刻に遅れた清巌和尚が、茶室の腰張りに書きつけて帰った「懈怠比丘不期明日」(懈怠の比丘明日を期せず)の意に感じて、宗旦が今日庵と命名したという逸話で知られており、裏千家の呼び名でもあります。一畳台目という最も狭い草庵の茶室で床も壁面を代用してあります。茶室の構成を極限まで切り詰めたところに、侘び茶人宗旦の面目躍如たるものが感じられます。(裏千家ホームページより)明日は水曜稽古掛ける一行は懈怠比丘不期明日ケタイノビクミョ...春は心の花にのみ

  • 今日をつゝしむ宗易忌

    茶一服今日をつゝしむ宗易忌及川貞オイカワテイ及川貞オイカワテイ昭和平成の俳人(1899-1993)東京・麴町富士見町生旧姓(旧名)野並東京府立第三高女卒御歌所寄人の大口鯛二について和歌を学ぶ。昭和8年上京、馬酔木俳句会に参加、水原秋桜子の指導を受ける。13年「馬酔木」同人。今日は3月28日利休宗易は天正19年(1591)2月28日自刃した今日庵裏千家家元では利休忌は毎年3月28日に表千家家元ではひと月送りにして新暦3月27日に利休忌の行事が催される写真は今日の食事会綱島の京料理の二品目眼も舌も喜ぶ胃の調子も上々お酒もちょっとだけ結構なことだ今日をつゝしむ宗易忌

  • 彼岸桜は巡礼のむすめの如し

    与謝野晶子わが庭の彼岸桜は巡礼のむすめの如し風吹けば泣く今日は日曜日狭い庭だけど一雨ごとに草木が伸びる庭に出るのが楽しみそれに家の中よりも外に出た方が暖かい「暑さ寒さも彼岸まで」とはよく言うが「辛いこともいずれ時期が来れば去っていく」という意味もあるらしい茶入より茶掬うには心得て初、中、後すくえそれが秘事なり(利休百首)初、中、後すくえ、とは序破急ジョハキュウということ序破急とははじめは少なめ次はそれより多く最後はたっぷりと変化させることいつでも同じことを同じようにはしないこと段々早くすること序破急の語は世阿彌の書『花鏡』、『三道』、『風姿花伝』で触れられているが元は雅楽から発した語。世阿弥は序破急は芸道一般に通じる。と写真は3/25に行った名鉄ホテルのイタリアンはじめの一品の野菜サラダうるいに鞘いんげんが飾...彼岸桜は巡礼のむすめの如し

  • 春霞たなびきにけり

    紀貫之春霞たなびきにけり久方の月の桂も花やさくらむ写真は東京美術倶楽部今日は和美の会茶道古美術に特化したアートフェア全国から二十軒以上の茶道具商が出店。と宣伝してる私は御弟子様の森金さんサカチカさんと三人で眼の保養三年ぶりだから混んでいるかと思ったが行った時はお客よりお店の人が多い感じまあ初日ではないので買う気はあまりありませんよちょっとだけ見せてくださいねといった感じで私は何も買わないいや買いたくても買えない絶対だめだが帰りの二人はニコニコの笑顔荷物を持って満足そういいなあ浜松町駅近辺いい気分でビールにワイン乾杯無しよで鳥の唐揚げ生ハム50gポテトフライにチーズとタスコこういうのは間違いなく美味しいけどもうダメだ太る春霞たなびきにけり

  • 春のひかりに遊ぶいとゆふ

    藤原良経おもかげに千里をかけて見するかな春のひかりに遊ぶいとゆふいとゆふとはいと-ゆふ【糸遊】「かげろふ(陽炎)」に同じ。三月は私の誕生日もう過ぎてはいるが今日はその誕生会ソラリア西鉄ホテル銀座と言うところをネットで予約イタリアンのコース1.はじめの一皿2..前菜の盛り合わせ3.パスタ北海道産小麦の自家製パン4.メインは肉か魚を1品選ぶ5..デザートに6.飲み物六品で税込で3,500円安いハッピーバースデーと書かれているデザートのお皿に長いろうそくが一本立ってるお店の人に写真を撮ってもらいお誕生日おめでとうと言われたがついついいつもの癖で仏さんのお灯明を消すように手で風を起こして消してしまったトホホ春のひかりに遊ぶいとゆふ

  • 北条みつうろこ

    写真は御弟子様の園さんのおもたせ鎌倉の豊島屋の干菓子毎週NHKの大河ドラマ「鎌倉殿の13人」を楽しみに観ているがその主役の北条の紋のミツウロコを象ったもの前々からあったようだが知らなかったお味はとても美味しい火曜日は久し振りに茶事に参加その当日は取合せの道具や懐石を味わい非日常の世界を堪能するその日が過ぎても不明な道具を思い納得したりまた調べたりする楽しみも残っている茶事はお得だ今回は誘って下さったネコ様から義経がテーマとのことを伺っていた濃茶を頂戴してその茶碗を拝見する一服点の今にふさわしい小振りで手に馴染む赤楽には間違いないだろうが釉薬は普段の赤とは異なる艶消しの釉薬だ茶碗を返して土みせや高台を見る引き締まった高台に小判印が二つ細かく文字が押されているが読めそうで読めない印はたとえ文字として読めたとしてもそ...北条みつうろこ

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