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ざーっと降ってカラッと上がる通り雨が村雨 まあ 暫し雨宿りにお寄りあれ

ブログタイトル
村雨庵 茶の湯日記
ブログURL
https://blog.goo.ne.jp/tukiduki
ブログ紹介文
日々是茶の湯
更新頻度(1年)

365回 / 365日(平均7.0回/週)

ブログ村参加:2009/04/21

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ハンドル名
村雨庵さん
ブログタイトル
村雨庵 茶の湯日記
更新頻度
365回 / 365日(平均7.0回/週)
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村雨庵 茶の湯日記

村雨庵さんの新着記事

1件〜30件

  • さを鹿の

    さを鹿の秋立つ小野の秋萩を玉とみるまで置ける白露大伴家持同じ本を買ってしまうことはよくある並べてみたら全く同じもの歌仙というと三十六歌仙が有名だそれは藤原公任が選んだ「三十六人撰」がはじまりという「その36人という名数は色々考えられるが仏教の仏法僧の帰依を受ければ、帝釈天以下三十六善神を遣わしてその人を守護する灌頂経カンジョウキョウに説くことあり、その他にも仏教の上にも関連が求められるようである」と書いてあったが読解力がないせいかスッキリしない多分仏教に関係してますよというのだろう今日は木曜稽古お弟子様は時間差で三名が見えた稽古中は間食しないので夕食が楽しみ最近木曜は魚の日と決めていつもの魚屋でお刺身盛り合わせをたのむという小さな楽しみ無洗米の七つ星を初めて炊いて夕ご飯を食べた炊きたてのご飯は美味し調子に乗っ...さを鹿の

  • 萬里浮雲

    今日は水曜稽古朝から暑い先日植えた木槿が咲いた掛け軸は萬里浮雲巻碧山青山中道浮孤月李白の詩筆者は松坂帰庵マツザカキアン昭和34年(1959)寂、68才。岡山県生まれ真言宗の僧。字は旭信。書を畠山八洲に学び、のち自ら慈雲・寂厳の流を究める。資性は常に温雅・高潔で「今良寛」と呼ばれた。(美術人名辞典ヨリ)もっと古い人かとなんとなく思っていたが思いこみ勘違い萬里浮雲

  • つらつら椿つらつらに

    河上のつらつら椿つらつらに見れども飽かず巨勢コセの春野は和歌・歌人28春日老カスガノオユ『万葉集・巻一・56』川のほとりに連なって咲いている椿の、そのつらつらではないが、つらつら見ても飽きることはない。巨勢の春の野は。つらつら椿=連なって咲いている椿つらつらに=よくよく春日老カスガノオユは714以降没。52歳姓を春日蔵首カスガクラビト名を老オユ午後昼寝をしているとピンポンが鳴ったほぼパジャマ人に会える姿でない急いで上に何か着て出た生命保険の担当の人で親しい人だった入ってる保険の確認すぐに用は終わったが単に来客があっただけなのに身支度整わずジタバタする姿に呆れかえった今日は用事がないのでビデオを観てはお菓子か何かを食べるそしてまた昼寝自粛中にしていた片づけやチョッとした料理もしてないこれということを何にも...つらつら椿つらつらに

  • 王羲之臨書

    今日は村雨庵書道教室禹聖会ウセイカイ森金先生の御指導宜しく朝10時から夕方まで時間割でお稽古をして入れ替わる私めは他の皆よりひと月早く入ったので今日中に提出用を清書漢字楷書半紙漢字行書半紙隷書レイショ半紙王羲之オウギシ臨書リンショ仮名半紙ペン字練習は教室を開いた時のみ仕上がりはともかく何でも良い提出することにした王羲之オウギシ(307~365)中国、東晋しんの書家。字あざなは逸少イツショウ。隷書レイショをよくし、楷・行・草の三体を芸術的な書体に完成、書聖と称された。その書は奈良時代に伝わり、上代様の成立に大きな影響を与えた。文章もよくし、「蘭亭序」「十七帖」などを著す。子の王献之オウケンシとともに「二王」と呼ばれる。真跡は伝存しないが、模本や拓本が伝えられる。(大辞林ヨリ)夕方皆が帰り雨戸を閉めようと思った...王羲之臨書

  • しげみ こちたみ 己が世に

    人言ヒトゴトを繁シゲみ言痛コチタみ己オノが世にいまだに渡らぬ朝川渡る和歌・歌人27但馬皇女タジマノヒメミコ『万葉集・巻二・116』人言ヒトゴト=人の噂言痛コチタみ=人の言葉がうるさく煩わしい事人の噂が絶え間なくささやかれるので、その為、今まで渡ったことのない夜明けの川を、こっそりと渡ることになりました。皇女は高市皇子の妻。その皇女が異母兄の穂積皇子と恋愛し、噂になった。皇子への思慕が一層募りこっそりと人目を避けて夜明けの川を渡る但馬皇女タジマノヒメミコ和銅元年六月没。天武天皇の皇女。母は鎌足の女、氷上娘ヒカミノオオメ。詳しい伝記は不明。この歌を詠んだ時、高市皇子の妻であったらしい。穂積皇子を恋い慕う歌があり、また皇女が亡くなったあとに穂積皇子がその墓を見て、涙を流し悲しんだ歌を載せる。高市皇子も穂積皇...しげみこちたみ己が世に

  • 狭野サノの渡りに家もあらなくに

    苦しくも降り来る雨か三輪の崎狭野サノの渡りに家もあらなくに和歌・歌人26長意吉麻呂ナガノオキマロ『万葉集・巻三・265』何とひどく降ってくる雨だ。三輪の崎の狭野の渡りに宿るべき家もないのに。苦しくも=激しく。ひどい。「も」は詠嘆。長意吉麻呂ナガノオキマロ生没年未詳持統、文武朝686~707頃の人。人麻呂や黒人クロヒトとほぼ同時代。天皇の行幸に従って歌をよむ宮廷歌人的性格が伺える。写真は最近買った小説伊勢物語業平今度の月曜日に森金先生がお習字教室を開くので参加なさりたいと仰っていらした紫兎先生に明日ですからお越し下さいませと確認のお電話をしたその時点で今日は日曜日だと思っていた何気なくテレビの番組表を見ると間違えてる今日は土曜日一日勘違いしたすぐ訂正のお電話をしたが何曜日か分からなくなってるのは老化だろうが年...狭野サノの渡りに家もあらなくに

  • いづくにか我が宿りせむ

    いづくにか我が宿りせむ高島の勝野の原にこの日暮れなば和歌・歌人25高市黒人タケチノクロヒト『万葉集・巻一・58』今宵、私はどこに宿ることであろうか。高島の勝野の原でこの日が暮れてしまったならば。高島の勝野の原とは琵琶湖西岸の北部。高市黒人タケチノクロヒト生没年未詳持統、文武朝(686~707)に天皇の行幸に従駕し歌をよんでいる。柿本人麻呂とほぼ同時代。万葉集には短歌のみ18首みえる。歴史書に登場することなく、地方の下級官吏であったと思われる。旅の詩人とも称されている。いずれも旅の不安と孤愁が自然の景と融合してすぐれた叙景歌をうみだしている。それは単に旅の不安や孤愁にとどまらず、すでに人生の孤愁を感じさせる表現の傾域を充分に見せているといえるのですあろう。(和歌の解釈と鑑賞事典ヨリ)暑中見舞いの葉書がくるとお茶会...いづくにか我が宿りせむ

  • 昼顔

    今日は木曜稽古時間割毎にお弟子様が見える朝のうちに森金さんが掃除灰型そして花を入れるこの時期に花がない水引花茗荷高砂芙蓉あとは矢筈薄ヤハズススキ糸薄イトススキしかないそんなところに森金さんが昼顔を取ってきたヒルガオは、ヒルガオ科のつる性植物。夏にアサガオに似た桃色の花を咲かせ、昼になっても花がしぼまないことからヒルガオこの名がある。薬用植物であり、民間では利尿薬として利用した。英語では、バインドウィード「巻き付く雑草」の意中国名(漢名)では、日本天剣ニホンテンケンといい、中国で旋花センカともよばれている。(旋花センカは生薬)花言葉は、「絆」「優しい愛情」「情事」「友達のよしみ」である。(ウイキペディアヨリ)ヒルガオはハマヒルガオコヒルガオセイヨウヒルガオもある森金さんにこれはチョウセンヒルガオだと嘘を教え...昼顔

  • 清風満竹林

    今日は水曜稽古天気はスッキリしないが朝九時からお弟子様の登場茶室を掃除し灰型をつくり花を入れお稽古する風炉はふたつ出してあるので三蜜にならないように同じ時間には二名それと時間待ちしている人を入れて三名まで各自自分の点てたお茶を自分でのむお客様をもてなすこと今は出来ないが出来る事をしよう写真は清風竹林に満る京都の竹林は綺麗だろう行ってみたい京都自粛中は流石に空いていたようだが最近は観光客も戻ってどこも混んでいるようだ今年は出かけないことにした来年行けるだろうか清風満竹林

  • ももづたふ

    ももづたふ磐余イハレの池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ和歌・歌人・24大津皇子オオツノミコ『万葉集・巻三・416』大津皇子オオツノミコ死を被タマワりし時に磐余イハレの池の堤にして涙を流して作る一首。磐余イハレの地に鳴いている鴨を今日を限りに見て、自分は死んでいってしまうのだろうか。大津皇子オオツノミコは663~68624歳。天武天皇の第三皇子母は天智天皇の皇女の大田皇女オオタノヒメミコ。大伯皇女オオクノヒメミコの同母弟。母が若くして死に、その妹の鸕野讚良ウノノサラ(後の持統天皇)が天武天皇の皇后となり、その子草壁皇子が皇太子となった。天武天皇の崩御後まもない朱鳥元年十月皇太子草壁皇子への謀反の罪に問われ鸕野皇后より死を賜った。文武に秀で、人望も高かったという。悲運の皇子たちと言われた山背大兄皇子古人大兄皇子...ももづたふ

  • 大聖武・大和切

    今日から始まった村雨庵お習字教室禹聖ウセイ会先生は村雨庵お弟子様の森金先生今日の参加者はワユコさんと私め計3名森金先生は会社のお習字教室で長年研鑽に勤めこの3月に辞められても、続き指導にもあたっているそこで書道の会に入っていたのだが退社後は独立社中に声をかけると七名が参加今月からお習字の稽古をすることになった今日は漢字半紙楷書漢字半紙行書かな半紙あと細字というのも稽古した半紙に漢字を書くのは久しぶりだが思った通りすぐ飽きる墨を磨るがなかなか濃くならずいざ書いてみるとあっというまに墨が無くなる墨を磨るのも面倒ゆえ墨汁に代えて何枚か書いたが思ったようにはかけない飽きたので次は仮名硯を小さいのに代えて筆も和筆、和墨それなのに二枚書いたらもう駄目休憩だ休憩甘いの食べてお茶を呑むちょこっと書いては休憩この繰り返しを何度か...大聖武・大和切

  • 小夜サヨふけて

    我が背子セコを大和に遣ヤると小夜サヨふけて暁露に我が立ち濡れし和歌・歌人23大伯皇女オオクノヒメミコ『万葉集・巻二・105』私の愛しい弟を大和へやるとて、夜更けて暁どきの露に、私はたたずみ濡れたのです。大伯皇女オオクノヒメミコ661~70141歳大来皇女オオクノヒメミコとも天武天皇の皇女。母は天智天皇の皇女の大田皇女。大津皇子の同母姉。673斎宮となる万葉第二期の代表的歌人写真はビスケットが入ってるオルゴール付F&Mミュージカルビスケット小夜サヨふけて

  • シロガネもクガネもタマも

    銀シロガネも金クガネも玉タマも何せむに優マサれる宝子にしかめやも和歌・歌人22山上憶良ヤマノウエオクラ『万葉集・巻五・803』山上憶良ヤマノウエオクラ斉明天皇六年660~天平五年73374歳で没701遣唐少録として渡唐山上憶良は晩年に筑前の国司となり中心となす歌はこの頃のもの大伴旅人オオトモノタビトも同じく太宰府に着任大伴旅人の邸宅で催された宴会の席上、詠まれた万葉集全20巻のうち巻5の梅の花を歌った32首の序文から元号(令和)がとられたことは有名だ写真は先日ネットで買ったもの額田王ヌカタノオオキミの漫画今日簡単に読んだが額田王のことうーんそうですかって感じでしっくりしないシロガネもクガネもタマも

  • 石走るイワバシル垂水タルミの上の

    石走るイワバシル垂水タルミの上のさわらびの萌え出づる春になりにけるかも和歌・歌人21志貴皇子シキノミコ『万葉集・巻八・1418』志貴皇子シキノミコ716没天智天皇の第七皇子。妻は多紀皇女タキノヒメミコ(天武天皇の皇女)没後追尊されて春日宮御宇天皇・田原天皇とも呼ばれた。万葉集には短歌のみ6首を残す。今日は祭日スポーツの日だがスポーツはしない苦手だどこにも出かけないずっとゴロゴロしてた写真の桃が届いた岡山産の桃だお礼のメールを送ると折り返しお電話頂きお互い大きな声でお喋りした声を聞くのが一番安心した石走る垂水の上の

  • 天の川去年の渡りで移ろへば

    天の川去年コゾの渡りで移ろへば川瀬を踏むに夜ぞとふけにける和歌・歌人20柿本人麻呂カキノモトノヒタマロ『万葉集・巻十・2018』天の川の渡り場が去年とは変わってしまったので、新しい渡り場を探すために川瀬を往き来していて、すっかり夜が更けてしまったことだ。柿本人麻呂カキノモトノヒタマロ生没年未詳経歴も詳しいことは分からないが、身分はさほど高くなく、持統天皇、文武天皇のころ、宮廷に出仕して、なかば職業的に儀礼歌の制作に当たった宮廷歌人であり、平城京遷都710前後に死んだものと考えられている。万葉集を代表する歌人柿本人麻呂カキノモトノヒタマロと言うと歌聖・柿本人麻呂平安末から歌会や歌合わせに人丸の画像を掛け和歌を献じ供養する人丸影供ヒトマルエイグを思い出すその生涯については謎。『水底の歌-柿本人麻呂論』『猿丸幻視...天の川去年の渡りで移ろへば

  • 歌仙画・紀貫之

    今日は茶の稽古村雨庵水曜稽古だ蜜を避けて時間割で予約点前すると茶もお菓子も自分点前のしたくや片づけは全部自分でするだいぶ慣れて来たようだ今日の主菓子は朝顔と麩饅頭干菓子はナデシコと青楓掛け物は歌仙絵色紙に歌と紀貫之キノツラユキの画萬延元年(1860)の箱書がある貫之の和歌は大はらやをしほの山の小松ばらはやこだかかれ千代の影見む紺色の染め紙金の霞にお目出度い松喰鶴マツクイヅルが飛び交っている松喰鶴マツクイヅルとは松の折枝を鶴がくわえた文様。奈良時代の花喰鳥文の様式が変化して,平安時代後期の器物に和様化文様として現れた。「まつばみづる」とも言う紀貫之キノツラユキ868?〜945平安前期の歌人。三十六歌仙の一人『古今和歌集』撰者の一人官位は低く,死んだときも従五位上・木工権頭(もくのごんのかみ)にすぎなかったが,...歌仙画・紀貫之

  • ぬれそひしたもとかな

    今日は紫兎先生のお茶のお稽古生徒は二名想望庵様とわたくしめあと今日はお休みのナガタン姫人数が少ないとゆっくりお喋りする時間がとれる掛け物は時代の歌仙画の色紙左名前和歌その下に女房歌仙の図左赤染衛門つねよりも又ぬれそひしたもとかな昔をかけておつる涙に女房は御垂髪オスベラカシ十二単ジュウニヒトエの姿でお顔は袖に埋められてかかれていない黒髪は乱れ曲線を描きぐるりと流れている女房三十六歌仙の歌合によると右は二條院讃岐ニジョウインサヌキ写真は通りすがりに撮った葡萄の房可愛らしい粒が並んでいるぬれそひしたもとかな

  • 白たへの衣干したり

    春過ぎて夏来キタるらし白たへの衣干したり天アメの香具山持統天皇和歌・歌人19『万葉集・巻一・28』天の香具山は畝傍山、耳成山と並ぶ大和三山の一つ。白妙シロタヘは楮コウゾの繊維で織った粗い白い布。初夏、村の娘たちが早乙女の資格を得るために、山に入って物忌みのお隠コモりをする。その娘達の物忌みの斎服。その白、山の緑、空の青。そしておそらくは娘達の頬は紅。初夏の透明で鮮やかな色の対比が目に浮かんでくる。百人一首歌番号2番、新古今和歌集巻三・夏歌は(衣干したり)が(衣干すてふ)に変わる間接的な表現に代えられたのは婉曲エンキョクな表現を好むという平安時代以降のうたの傾向らしい。持統天皇ジトウテンノウ生没年未詳702没天智天皇テンチテンノウの皇女諱イミナは鸕野讚良皇女ウノノサララヒメミコ。天武天皇の皇后。草壁皇子クサカ...白たへの衣干したり

  • 潮もかなひぬ今は漕ぎ出イでな

    熟田津ニキタツに舟乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出イでな和歌・歌人18額田王ヌカタノオキミ『万葉集・巻一・8』熟田津ニキタツにおいて船乗りをしようと月の出を待っていると、月も出たし潮もほどよく満ちてきた。今こそ漕ぎ出そうよ。661斉明天皇・中大兄皇子ナカノオオエノオウジが、唐・新羅連合軍と戦う百済を援護するために北九州へ向け出航し、その途中伊予国の熟田津ニキタツに停泊した時の歌であると考えられる。高らかに出航の時の到来を告げたもの。額田王ヌカタノオオキミ生没年不明初期万葉の代表的歌人万葉集の代表的女流歌人近江地方の豪族であったと思われる鏡王カガミノオオの娘で采女ウネメとして宮廷に出仕シュッシし、初め大海人皇子オオアマノミコ(のちの天武天皇)の妃となって、十市皇女トオチノヒメミコを生み、のちに中大兄皇...潮もかなひぬ今は漕ぎ出イでな

  • 家にあれば笥ケに盛る飯を

    家にあれば笥ケに盛る飯を草枕旅にしあれば椎シイの葉に盛る和歌・歌人17有間皇子アリマノミコ『万葉集・巻二・141』家にいるときは当然笥ケに盛って供える飯であります。その飯を、今は旅の途中にあるから、椎の葉に盛って差し上げます。有間皇子アリマノミコは孝徳天皇の子曾我の赤兄の謀略にかかって反乱を企てた為に捕らえられ紀伊国の藤白坂で絞殺された若くして悲運に散った有間皇子この時代のことは正直よくわからないがわからないままに来てしまった気がするこれを機会にもう一度漫画「天上の虹」を読んでみようかな家にあれば笥ケに盛る飯を

  • 秋山の木の下コノシタ隠カクり行く水の

    秋山の木の下コノシタ隠カクり行く水の我こそ益マさめ思ほすよりは和歌・歌人16鏡王女カガミノオオキミ『万葉集・巻二・92』秋の山の木の茂りの下を隠れてひそかに流れる水。それではないが、私の方こそ思いは深くなっていることでしょう。あなた様が私をお思いくださるよりはね。鏡王女カガミノオオキミは舒明天皇ジョメイテンノウの子又は孫とも威奈イナの鏡公カガミノキミの子だとも。近江の鏡王カガミノオオキミの子だとも言われ。額田王ヌカタノオオキミの姉かとされるが、不明。初め天智天皇テンチテンノウの愛を受け、のち藤原鎌足の妻となる。683没今日はサカチカさんに袋物を習う生徒は森金さんと暮れちゃんと私の3名ソーシャルディスタンス一人ずつ二月堂と座布団とアイロン表布と裏布それとボンド糸針はいらない型紙を作り裏と表の芯の紙をつく...秋山の木の下コノシタ隠カクり行く水の

  • ごもれるやまとしうるわし

    写真は大和古路と題のある画賛やまとはくにのまほろばたたなずくあをかきやまごもれるやまとしうるわしこの歌の作者は倭建命ヤマトタケルノミコト私のブログ6/29に取り上げたわりとスラスラ言える歌だ実際掛け軸もひらがな故よみやすいアップしたときは作者も完全に覚えていたのに軸を見ると誰だっけこの歌の作者すらりと出てこなかった結局はっきり覚えていなかった横を向いたらもうすっかり忘れてるのだから6月のことは覚えていないわたくしめはその程度の記憶力だでも懲りずに行くしがない絵の建物はどこかずっと不明だったが昨日お弟子様のソノ先生にここ何処か知ってるかと聞くと奈良県の重要伝統的建造物とかの町並みに似てると言うので調べてみたどうやら重要伝統的建造物群保存地区の今西家住宅のようだそれは戦国時代の構造様式を残す建造物でまたは「八棟造り...ごもれるやまとしうるわし

  • 大原の古りにし里に

    我が里に大雪降れり大原の古りにし里に降らまくは後和歌・歌人15天武天皇テンムテンノウ『万葉集・巻二・103』天武天皇第四十代の天皇舒明天皇ジョメイテンノウの子母は皇極天皇。天智天皇テンチテンノウの弟。天智天皇テンチテンノウの崩御671後天智の大友皇子と対立し、翌年壬申の乱が興る。これに勝利を得て、673飛鳥浄御原宮で即位した。わたしの住む浄御原キヨミハラの里に、今大雪が降っている。あなたのいらっしゃる大原の古びてしまった里に降るのは、まだずっと先のことでしょう題詞に天皇、藤原夫人に賜う御歌一首藤原夫人とは藤原鎌足の娘の五百重娘イオエノオトメのこと天武天皇との間に新田部皇子を生んでいる今日は水曜稽古お盆中ゆえ掛物は平安時代末の経切大原の古りにし里に

  • 豊旗雲トヨハタクモに入日さし

    わたつみの豊旗雲トヨハタクモに入日さし今夜コヨヒの月夜ツクヨさやけかりこそ和歌・歌人14天智天皇テンチテンノウ『万葉集巻一・15』大海原の遥かに浮かぶ豊旗雲トヨハタクモに、今しも入り日がさして見事なことだ。ああ今夜の月はさやかであってほしいものだ。豊旗雲トヨハタクモとは旗がなびいているように空にかかる美しい雲昔の旗は横に長かった天智天皇テンチテンノウは第38代天皇舒明天皇ジョメイテンノウの子。母は皇極天皇。天武天皇の兄。名を葛城皇子カズラキノミコ、中大兄皇子ナカノオオエノミコと称す。孝徳天皇、斉明天皇の皇太子をつとめる。645藤原鎌足フジワラノカマタリとはかって蘇我氏の専横を除く。万葉集に四首。百人一首の冒頭平安王朝の太祖とする敬意のあらわれ百人一首歌番号1『後撰集』秋中・302秋の田の仮庵の庵の苫をあら...豊旗雲トヨハタクモに入日さし

  • 安見児ヤスミコ得たり

    我はもや安見児ヤスミコ得たり皆人ミナヒトの得かてにすといふ安見児ヤスミコ得たり和歌・歌人13藤原鎌足フジワラノカマタリ『万葉集巻二・95』鎌足が采女ウネメの安見児を下賜カシされ妻問い得た時の歌藤原鎌足フジワラノカマタリは614―669中臣御食子ナカトミノミケコの子中大兄皇子ナカノオオエノミコらと協力し蘇我入鹿を殺し大化改新を進めた孝徳天皇、斉明天皇、天智天皇のもとで内臣ウチツオミを務め律令体制の基礎作りに加わった。内臣ウチツオミとは飛鳥から平安初めに置かれた役職天皇の最高顧問采女ウネメとは後宮の雑役に従事する者だが各国の少領以上よりの姉妹、子女の中から形容端正なものが選ばれ、本来、宮廷の神と天皇とに奉仕する為の者。臣下が妻問うことはできなかった。藤原鎌足の歌は万葉集を勉強していたのなら知っていたのだろうかこ...安見児ヤスミコ得たり

  • 山川に鴛鴦オシ二つ居て

    山川に鴛鴦オシ二つ居て偶タグヒよく偶タグへる妹を誰か率イにけむ和歌と歌人12野中川原史満ノナカノカワラノフヒトマロ『日本書紀・113』山間の川に鴛鴦オシドリが二羽遊んで仲が良いなあ妻と仲よく連れ添っていたのにその妻をいったい誰が連れ去ったのだろうか妻の造媛ミヤツコヒメがなくなり皇太子中大兄皇子ナカノオオエノミコの悲しみが深いのをみて二首の歌を詠んで奉った野中川原史満ノナカノカワラノフヒトマロ帰化人古事記は漫画で見たが日本書紀は何も読んでないからか聞いたこともない人物だ知らなかった明日はお盆の入り普段は近くのお坊様に棚経を頼んで有るが今年はコロナもあるし昨日お布施をお届けし仏壇を綺麗にした山川に鴛鴦オシ二つ居て

  • とりよろふ天の香具山

    大和には群山ムラヤマあれどとりよろふ天の香具山登り立ち国見クニミをすれば国原は煙ケブリ立ち立ち海原はかまめ立ち立ち美味し国そあきづ島大和の国は和歌と歌人11舒明天皇ジョメイテンノウ『万葉集巻一・二』天皇、香具山に登りて国見したまふ時の御製歌オオミウタ舒明天皇ジョメイテンノウは第34代の天皇第30代敏達ビダツ天皇の子の押坂彦人大兄皇子オシサカヒコヒトオオエノミコの子名は田村皇子タムラミコ推古天皇の没後蘇我蝦夷に擁立されて629即位都を飛鳥岡本宮アスカノオカモトノミヤに置く蘇我氏の力に押されて、政治上の功績をあげないまま641崩御とりよろふとはとりわけてよいさまであるの意とも、すべてのものが集まり整うの意とも、宮の近くに寄っているの意ともいう。写真は学校の裏通り毎年毎年切っても切っても生えてくる梶カジの...とりよろふ天の香具山

  • いなてる片岡山に

    いなてる片岡山に飯イイに飢ウえて臥フせるその旅人あはれ親なしに汝生りけめやさす竹の君はや無き飯に飢て臥せるその旅人あはれ和歌と歌人10聖徳太子『日本書紀・104』聖徳太子は用明天皇の子。推古天皇元年593皇太子となり摂政として冠位十二階・十七条憲法の制定。国史の編纂。学術工芸の奨励。大陸文化の導入に努め、仏教に深く帰依して「三経義疏サンギョウギショ」の著述チョジュツ。法隆寺・四天王の建立。三経義疏サンギョウギショとは『法華経』・『勝鬘経』・『維摩経』の三経の注釈書(義疏・注疏)。聖徳太子は推古天皇21年(613)12月1日片岡カタオカに出かけた。片岡とは現奈良県北葛城郡香芝町今泉付近その時飢えた旅人が道のほとりに倒れていた。太子は飲食物を与え、自分の衣服を着せてやって、この歌を詠んだ。近いような遠いよ...いなてる片岡山に

  • 星のたむけ

    古町の星のたむけに向かいあう青畝今日は木曜稽古掛け物は阿波野青畝の上記の俳句コロナ禍でのわが社中の茶の稽古二箇所の風炉なので同じ時間に二名のみのお稽古お点前してお客も兼ねる自画自賛の茶の湯だ花鳥風月に和敬清寂もてなしの茶の湯はどこへやらしばらくは仕方ないだろうやれる事をやる勉強しつ楽しもうじゃないか稽古は各自時間割表に記入し重複を避けるべく予約しておく手指を洗いアルコール消毒と熱湯消毒点前が終わると先日買った紫外線消毒の機械の中に入れる理髪店や美容院の挟みや櫛など入れて消毒する機械らしい簡単で清潔そうだ色々入るので試しに入れてみた稽古につかった茶杓茶入と仕服銘々皿棗も入れた昨日と今日しか使用してないが良さそうだEタックにて一週間は抗菌され茶巾はハイターすべからく消毒した残るは心を清めるかだとすると茶杓の銘は「洗...星のたむけ

  • 裁タち縫ヌはぬは仙人の衣

    今日の掛け物は香川景樹カガワカゲキの詠草を掛けた夏瀧ナツタキ裁タち縫ヌはぬこや山姫ヤマヒメの白重シラカサね涼しく見ゆる瀧の色かな「裁つたり縫ったりしないというこれはまあ山の神の山姫の襲カサネの白重ねでしょうかどおりで涼しく見える瀧の色ですこと」と私の解釈香川景樹は古今和歌集の伊勢の和歌を下敷きに自分の歌を詠んだのだろう伊勢の和歌は「たち縫はぬきぬきし人もなきものをなに山ひめの布さらすらん」裁ったり縫ったりしない着物を着るのは仙人その仙人もいないのに山を守り治めるという山の神の山姫はどうしてあんな大きな布を晒しているのだろうと大きな瀧を眼前に伊勢は和歌を詠んだ仙人の衣は裁つことも、縫うこともしてない布を着る白姫とは山の神白重ねとは白と白のかさね瀧は布ヌノに見立てられていたたちぬわぬ…はじめは何のことかわからな...裁タち縫ヌはぬは仙人の衣

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