10/2gooブログが終了しますのでアメーバブログに移転予定です引っ越しするのに自分では出来かねまして専門の方に頼んでおりますのでそれまで少しお休みさせて下さい5月は薫風自南来気持ちよい風に吹かれて美味しいものを食べたい麗しいお道具を拝見したいと願ってる毎日です写真は綱島のフクモトの御料理薫風自南来
大江千里照りもせず曇りもはてぬ春の夜の朧月夜にしくものぞなき照り渡るというのでもなく、完全に曇ってしまうというのでもない春の夜の、ほのかなおぼろ月夜の風情に及ぶものはない。今日は五島美術館お友達の茶会だ濃茶に薄茶点心は三友居三月晦日晴天心地よい風が茶室に入ってくるお茶会日和だ五島美術館の建物は、吉田五十八ヨシダイソヤ1894-1974の設計寝殿造の意匠を随所に取り入れた建物だ古経楼にて濃茶薄茶富士見亭で点心若返り饅頭のお土産を頂戴したこの2つの茶室は本館と共に国の登録有形文化財(建造物)になった写真は五島美術館茶室の横あたり朧月夜にしくものぞなき
鷺烏雀の水もぬるみけり一茶さぎカラスすずめの水も…大自然の水辺の風景今日は一気に春めいてきた庭の椿も満開写真はおともだちから玄関ドアに掛けてありますとメールのあった銀閣寺のお菓子水もぬるみけり
斎藤茂吉鳴り傳ふ春いかづちの音さへや心燃えたたむおとにあらずも今日は食事会いつもの綱島ふくもと出かけるときは暴風雨途中からバスに乗り込んで来た森金さんはすっかり濡れ鼠傘をさしても濡れたらしいお花見の食事会今日は六名食事お酒ともに美味しい最年長88歳を筆頭に83歳80歳のお顔ぶれ一番若手は48歳皆明るく賑やかにほろ酔いの中でお開きした空は晴れ午前中とは大違い写真は焼き筍と桜鱒の木の芽味噌蕗の薹の天ぷらとはじかみはじかみとは金時生姜の一種を茎や根が柔らかくなるよう温室で軟化栽培したもの。見た目が矢にそっくりなので「矢生姜」とも。焼き魚に添えられ紅白の彩りと口直しピリッとした辛さと甘酸っぱさが魚の臭みを消してくれて、脂っぽくなった舌をさっぱりさせる。春いかづちの音さへや
九条良経葛城の峰の白雲かをるなり高間の山の花盛りかも九条良経クジョウヨシツネ平安末期から鎌倉初期の公卿・歌人関白・九条兼実の次男官位は従一位・摂政、太政大臣九条家2代当主後京極殿と号した通称は後京極摂政ゴキョウゴクセッショウ中御門摂政ナカミカドセッショウ昨日は水曜稽古だったが疲れてしまい早い時間に寝てしまった今日は木曜稽古朝はまだ寒し雨が降ってる暑さ寒さも彼岸までとは言うがまだ寒い峰の白雲
春寒や道ほそぼそと阿弥陀堂青畝青畝今日は天気が悪いお弟子様達は根津美術館での茶会へ朝から雨だ着物で出かけるのは大変だろう根津美術館の茶室は庭に点在している飛び石や石の階段草履での異動は足元が不安定私のような足弱は危険でもある転んで怪我でもしたら大変元気なときに行くべきだろう昨日の夜のことスマホに充電をしようと口金をセットすると画面に緊急メッセージ水気があるからダメですダメです乾いてからにしてくださいというようなのが出たそういえばスマホに珈琲を掛けてしまったよく拭いたつもりだが取りきれてなかったのだろう自然乾燥とのことでしばし触れない壊れてしまうかも電池もゼロだしもうこのスマホを使えないかも調べたいこともあったし友人に連絡も取りたかった寝るときの睡眠導入のユーチューブは見れないから寝付きが悪かったストレスで...春寒や道ほそぼそと
ゆき暮て雨もる宿やいとざくら蕪村外は小雨今日はお茶碗研究会唐津茶碗のお勉強唐津は種類が多い無地唐津黒唐津斑唐津彫唐津瀬戸唐津三島唐津献上唐津奥高麗茶人の好む茶碗に一楽二萩三唐津と言うまた一井戸二萩三唐津とも言う彫唐津は織部好み岸岳飯洞甕下窯キシダケハンドウガメシタカマ口辺は不規則な五角形高台低く二重高台のもあるとのこと長く勉強していたのに記憶してなかった焼物の勉強もお茶と同じで卒業がない写真はこぶし姫こぶしかも小雨のなか花が咲いているゆき暮て雨もる宿や
藤原定家鏡山みがきそへたる玉椿かげもくもらぬ春の空かな今日は根津美術館へその後サントリー美術館根津美術館は二回目なのでゆっくり確認しつつ回る奥高麗も二度め瀬戸唐津や皮クジラも奥高麗に含まれるらしい展示室5では雛人形と百椿図百椿図とは江戸時代に植物への興味が募り園芸趣味が流行った頃椿の絵は狩野山楽数多くの異なる種類の椿を集め椿のあらゆる姿を濃厚な彩色と的確な筆致で狩野山楽が描いている。賛は江戸時代前期を代表する禅僧、茶人、公卿や武士、連歌師、国学など文化人たちが、漢詩や和歌などの賛を寄せており、椿愛好の高尚をうかがわせる写真はお昼東京ミッドタウンにてこの後グラスワインを頼んだかげもくもらぬ春の空かな
大江廣海かたおかの毛山のひごもりうち霞いがきをもるる春の初風昨日は木曜稽古掛けものは懐紙春懐紙というように春にふさわしいといわれる掛けものだ筆者は大江廣海オオエヒロミ明和6-天保51769-1834江戸時代後期の国学者だ。字は景迹。号は檉園、健斎。村田春海に学び、京都で活躍した。とのこと詠社頭初春ひごもりとは農作業の安全と豊作を祈願し氏神様や天神様の境内でお酒やごちそうを楽しむ。日中に境内に籠もることから日籠りというようだいがきとは「斎垣」と書くようだ(みだりに人の入ることを許さない)神社のまわりの垣。玉垣。瑞垣(みずがき)。七十四歳になったがまだまだ知らない言葉がたくさんあるはるのはつかぜ
くれなゐの梅ちるなべに故郷(ふるさと)につくしつみにし春し思ほゆ正岡子規今日は水曜稽古午前中は昨日よりあたたかかったが午後から急に天候が変わり嵐のような風が吹き激しい雨にあられひどい天気だった私は午後から重たかった身体がいつの間にか軽くなり昨日からの不快感は消えていたおとといくらいから何だが具合が悪く朝は起きれない起きたくないのだやっとのこと立ち上がると足元がフラフラしてる捕まりながら動くなどこの二,三日はなんとなく身体が重く具合が悪い感じだったそれはお天気のせいだったようだ私はお天気病ネットを見ると天気の影響を受けて発症したり、症状が悪化したりするものは「気象病」と呼ばれており、原因は気圧変化、気温変化、湿度変化と言われている。写真は「つくし」を五本貰った土筆(つくし)「付子」とも書くつくしは木賊(とく...つくしつみにし春し思ほゆ
池田より炭くれし春の寒さ哉蕪村池田とは池田炭のことだろう今日は火曜日寒かった毎週火曜日には明治か森永のヨーグルトが届くカッぷのふたを開けてスプーンでくるくるさせてから食べるのだ糖分もすでに入っているのだがプラスジャムをいれていた美味しい最近はジャムを止めて乾燥いちぢくと干し葡萄を少しいれておく一晩経つと甘く柔らかくなるこれも太る原因の一つだろう写真は茶入の仕服名前がわからないからと友人からLINEがきた裂地の本を探したが見つからずお弟子様の一人に聞いてみたらすぐ調べてくれた正倉院緑地花鳥文錦とのこと感謝である春の寒さ哉蕪村
牡丹餅の昼夜を分つ彼岸哉子規今日は彼岸の入り夕方お弟子様の秋さんがケーキを届けてくれたイチゴと生クリームホワイトチョコレートのバースデーのプレート細い蝋燭が10本ついている最近以上に体重が増えたので少し食べ物に気を付けよう明日から今日の夕食はこのケーキホワイトチョコレートのプレートをパクリ美味しいケーキは半分食べた柔らかいし思ったより甘くない美味しい美味しいもっと食べたいけど止めておこうあと餃子で夕ごはん終了ご馳走様でした昼夜を分つ彼岸哉
斎藤茂吉日あたれば根岸の里の川べりの青蕗のたう揺りたつらむか今日は森金さんの茶事私目はお香の香炉を調整するウロウロしていたら「何もしてないのね」とお弟子様に指摘された席入して挨拶そして始めに源氏香その結果ご正客様とご次客様がズバリと当たられたお見事水屋は余裕の三名緊張することなく茶事の短い一日が過ぎた川べりの青蕗の薹
藤原定家朝霞へだつるからに春めくは外山や冬のとまりなるらむ今日は恥ずかしながら私の誕生日会都合で一日早いひとりは高校からの友達もうひとりは幼稚園からの友達高校一年の同級生だから今年74歳なので15歳からというと60年も続けている凄く仲が良い訳でもないが諸々の欠点はそのままお互いに諦アキラめただ健康で元気でいてくれればいいやという気持ちいやはや年月はかくのごとく人を丸くするのか今日は東京駅大丸12階のサバティーニトスカーナランチ予約してあった税込みで4,800円前菜パスタズワイ蟹のパスタ写真の前に食べ始めてしまったメインディッシュは肉魚選ぶ私は魚スズキデザートに珈琲お料理は美味しかったがたくさんのお客様で忙しいからかホールがあまりね…そのあとはイノダ珈琲レモンテイを頼んで上がりだ朝霞へだつるからに春めくは
東風うけて川添ゆくや久しぶり召波ショウハ黒柳召波クロヤナギショウハ江戸中期の俳人。別号、春泥舎。京都の人。服部南郭に漢詩を学ぶ。明和初年頃、蕪村の三菓社に加わり、俳諧に精進。著、「春泥発句集」など。享保一二~明和八年(一七二七‐七一)写真は三月のはじめのふくもとの食事会お料理のあとに運ばれたお菓子とお薄ひな祭りのお菓子はふくや製の「ひちぎり」東風コチうけて
春寒の社頭に鶴を夢みけり夏目漱石今日は早く稽古にきたお弟子様に庭の花を切って花を入れて貰った花入は仁清写しの「錠花入」錠とはじょう〔ヂヤウ|ジヤウ〕【錠/▽鎖/×鏁】他人に開けられないように、ドア・引き出し・金庫などに取り付け、鍵かぎで開閉する装置。「―を掛ける」「―をはずす」写真は畠山記念館所蔵の野々村仁清作の「錠花入ジョウハナイレ」春寒の
春は物の句になり易し古短冊夏目漱石今日はお弟子様の森金さんのお茶事今年の大河ドラマに因んで源氏香の茶事今日の水屋は三名行くときは小雨チラホラ午後からの天気は春の嵐強めの風が吹きすぎ冷たい雨が降るタクシーを降りたら一刻も早く家のなかに入りたくなる写真は今日の花胡蝶侘助と日向水木わ古短冊
世の中にたえて櫻のなかりせば春の心はのどけからまし散ればこそいとゞ櫻はめでたけれうき世になにか久しかるべき(伊勢物語)掛軸の箱を開け軸を取り出し掛ける鑑賞したら巻くそして箱にしまうまでそれぞれ緊張する箱の蓋を開けるとき気を許してはならない爪で箱を傷つけることがあってはならないから慎重に掛け紙があればゆっくり外して箱の甲書きを読む裏を返して極めを見る軸の紐をほどき巻き紙を外して軸を掛け少しずつそっと掛け下ろす乱暴にしたら掛け緒が外れてしまうかも知れぬまたは掛けている竹釘や軸釘が壊れているかも知れないから様子を見ながら掛ける軸を鑑賞したら巻き上げるのだが掛け下ろすより巻きあげる方が難しい軸を持って均等に巻き上げる傾くとどんどん斜めになってしまう固くもなく柔らかくもなく巻くでないと巻き皺シワが寄ってしまうから力...春の心はのどけからまし
紀貫之霞たちこのめも春の雪ふれば花なきさとも花ぞちりける今日は日曜日用事のないリラックスの日曜日でもあまりに散らかってるので片付けをせねばならぬでもなんと朝の寒いことよお昼頃になってかさばる道具のいくつかを納戸にしまったとりあえずここまで写真は先日の食事会の白魚の卵とじ春の白魚扱いが難しい霞たち
料紙の装飾に「とびくも」があるとび‐くも【飛雲】とは和紙の装飾としてところどころに雲のような形に漉(す)きこんだ、藍色や紫色の繊維。〔文芸類纂(1878)〕飛雲は大きい方が古い時代がさがるにしたがって小さくなる「中院切」「小島切」「筋切」「伊予切」「敦忠集切」「中院切ナカノインキレ」は『後拾遺和歌集』の断簡で、もとは粘葉装の冊子本であった。「中院切」の名前は、江戸時代に公卿で能書であった中院通村(1588~1653)が所持していたことにちなむ。藍と紫の飛雲を漉きこみ、金銀の揉み箔を全体に散らしている。「小島切」小島切の名は、茶人でもあった小島宗真が所有していたところから、江戸末期の頃には『小島切』と称されている。和紙販売のネットには小島切の臨書の用紙が出ている藍と紫に染めた繊維を飛雲として漉き込んだ薄茶の...飛雲
源実朝わかなつむころもでぬれてかたをかのあしたのはらにあはゆきぞふる今朝4時半雪が降っていた昨日は木曜稽古終わったのは夜9時半過ぎてブログは書けなかった三日前から建仁寺垣を新しくするため庭師の御兄さん達が仕事にきた若いしとても感じがいいあまりに好青年なのでおやつをたくさん用意してお稽古日にはアイテラ氏にお薄を点てて貰った初めての御抹茶「結構なお点前で」なんて言って感動していた出来上がりは真みどりの竹の建仁寺垣初めは青竹だから緑なのは当たり前だが変色してからの方が見慣れてるこの青竹もすぐに色が変わってしまうだろうがしばし青竹の垣根を楽しもう今朝は雪が降ったたいして積もってないが傾いた灯籠も直してくれてちょっといい雰囲気あしたのはらにあはゆきぞふる
藤原俊成ながめするみどりの空もかき曇り徒然まさる春雨ぞふる今日は水曜稽古雨が降ってる寒い今日は出稽古なので花を持参す庭の椿加茂本阿弥と曙日向水木それと雪やなぎを切るが手がかじかんでゆっくり選んでは取れないそれくらい寒い月に一度クマショウさんのお宅で七事式のお稽古短歌を作らないといけないから筆で文字を書かないとならないからとみんな嫌がる香付花月とわりと気楽な炭付花月午前午後の二組に別れて集まるいやだと騒ぐ割にはみなそれなりに短歌や俳句を作り筆のせいにしつつも上手に記録紙に書いてる午前は雪子さんが午後は白子さんが花をひいて記録紙を貰ったワイワイ賑やかな一日だった徒然まさる春雨
啓蟄や指反りかへる憤怒仏楸邨加藤楸邨カトウシュウソン俳人。東京生まれ。東京文理大卒。水原秋桜子に師事し、「馬酔木(あしび)」同人として活躍。昭和一五年(一九四〇)「寒雷」を創刊主宰。中村草田男、石田波郷とともに「人間探求派」と呼ばれた。句集に「寒雷」「野哭」など。明治三八~平成五年(一九〇五‐九三)今日は啓蟄読売カルチャーへ2ヶ月休んでしまった「秀吉と利休の話し」秀吉の醍醐の花見慶長三年三月十五日1598.4/20この花見で読まれた短冊は重要文化財「醍醐花見短冊帖」として今も醍醐寺の三宝院に保管されているいつだったか東京国立博物館の醍醐寺展でガラス越しに拝見したことがある豪華な金箔の下絵にサラサラと和歌をしたためて優雅であることこの上なし招待客は約1,300人。秀吉は下見のために醍醐寺へ足繁く通い、殿舎の...啓蟄や
箱を出るかほわすれめや雛二対蕪村今日はひな祭り何もしない日曜日午後に森金さんがやって来た昨日買ったお醤油のたっぷりかかったお煎餅ちょっと食べたら止まらない朝の番組でゲストが言った人は辛いこと厳しいことには耐えられるのだが快楽には抗えないこの先きっとお菓子の欲望は止まらない帰りに持っていってもらったあとは残りの雛あられでも食べよう写真は庭の「胡蝶侘助」顔わすれめや雛二対
草の戸も住替る代ぞ雛の家芭蕉今日は朝日カルチャーの「崩し字の読み方」三十六歌仙和歌角倉素庵江戸初期東京国立博物館を勉強角倉素庵(すみのくらそあん、元亀2年6月5日〈1571年6月27日〉-寛永9年6月22日〈1632年8月7日〉江戸時代初期の土木事業家、儒学者、書家、貿易商。角倉了以の子。本姓は吉田、名は与一、諱は玄之(後に貞順と改め)、字は子元、素庵と号した。別号は期遠、西山。書道角倉流を創始。長男に玄紀(京角倉家)、次男に厳昭(嵯峨角倉家)。母は吉田栄可の娘。儒学を藤原惺窩に、書を本阿弥光悦に学び、書道の角倉流を創設、能書家としても近世五人の一人に挙げられている。父・了以の跡を継いで貿易業や土木事業にも携わる。晩年、活版業を志すも、寛永4年(1627年)らいに倒れ、家業を子に譲って嵯峨野へ隠居。その後...住替スミカワる代ぞ
雛祭る都はづれや桃の月蕪村今日は食事会場所は綱島のふくもとまずは菱形の向付にヨモギ豆腐タレがかかり美味しいのなんのそしてかけ汁の余ったのを菱形の角からそっとそっと口許に運ぶバイ様と辛子様「喉が渇くわよ」と言うと渇いても良し美味しいものは残さず頂く私も真似して半分頂いたが汁だけでなく中身が欲しい桃の月
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10/2gooブログが終了しますのでアメーバブログに移転予定です引っ越しするのに自分では出来かねまして専門の方に頼んでおりますのでそれまで少しお休みさせて下さい5月は薫風自南来気持ちよい風に吹かれて美味しいものを食べたい麗しいお道具を拝見したいと願ってる毎日です写真は綱島のフクモトの御料理薫風自南来
今日は火曜日鶯谷で皆さんと待合せ東博特別展へ「蔦屋重三郎コンテンツビジネスの風雲児」吉原大門を入ると吉原大通の桜が出迎えるいい気分出口近くには耕書堂の店大川端から花火も見れるいい気分だ平成館2025年4月22日(火)~2025年6月15日(日)「一目千本」と「写楽」を前期21作品をたっぷり拝見他のは通りすぎるだけだったお昼はホテルオークラガーデンテラスで三時は松坂屋の二階のカフエケーキが凄くフルーツたくさんでも高いけど珈琲SETとお喋り楽しまた行きましょう東博へ東博へ行こう
名にし負はばいざ言問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと伊勢物語の9段『東下り』今日は茶会大磯の松月茶会へ薄茶席担当のお道具屋さんからご案内初めて参加す風情がある料亭での茶会雨の予報だったが曇晴れ上等濃茶席は胡銅花入に牡丹薄茶席は竹花入にもみじと木苺写真は今日の点心だ名にし負はば
今日は東美で和美の会へわりと空いていた感じ森金さんと待ち合せエフ先生と合流茶入茶杓を目的にとアッチコッチへうろちょろカタログにはあったが実物は売れてしまったのか姿が無かった江戸初期の茶杓は高い案外、茶入は安く買い時かもでも私は何も買えないけども楽しかった帰りはビールで乾杯しようかビアホールはシニア風な人々で溢れるばかり満員凄いエネルギーが充満してる感じみんな元気でいいね!東美和美の会
咲く花は八重か一重かおぼつかなおぼろ月夜の山蔭の道自画賛阪正臣筆4月8日火曜日はお釈迦様の誕生日その日は森金さんの水屋4月9日水曜日は大仏の日熊ショウさんちで七時式4月10日は村雨庵の稽古日明日はまた森金さんの水屋土曜日は和美の会日曜日はサカチカさんの水屋4月は何かとあわただしくこの後もずっと予定が詰まっている良いような悪いような突き進むしかないが出来なくなったら自然に止むはず咲く花は
たんぽぽや折々さます蝶の夢加賀千代女土曜日は茶事手伝い昨日の日曜日は倍様と文の会前回は1月なので久しぶり伊勢物語を音読お昼はいつものイタリアンいつもの前菜とワインそれにパスタ2種いつもでも支払い金額はだんだん増えてる新しいエアコンを買ったので午後から取付作業前のエアコンを外す我が家は古い家軒が出ている長押ナゲシの上の壁に穴をあけて一度軒ノキの上に出し軒ノキを下にと穴を開けパイプをとおして外に出す直角に曲げるので古いエアコンを外すときも据えるときもそれが大変電気屋さんはいつもの電気屋さんがお歳でお店を閉じてしまったので同じような方を紹介してもらったどうも私と同年代20キロのエアコン担いで脚立にのって一人で作業するのだが四苦八苦危うく落としそうになるので思わず下からエアコンを支えた順調にはいかない「どうぞ勉...タンポポや
今日はサカチカさんと銀座谷庄の茶会へ買うものは無いし見るだけだそれでも楽しいお互いどこかでお目にかかったようなと目が合い先日の柿伝の茶飯釜でご一緒だと気がついたまた護国寺で御目文字した竹とんぼさん達ともご縁ですね思いがけぬ場所での遭遇は嬉しいその後は歩いてぜん屋へ雨草履を買うつもりが低反発の草履を買ったそして歩いて「司」へ見るだけそれから歩いて京橋の「婆娑羅」で昼食ここは美味しいオープンキッチンでよくみえるそして歩いて東京駅大丸のイノダへ我慢できずケーキセット今日はよく歩いたらしく足裏に豆ができた有楽町、銀座から京橋、東京駅
花冷やはるかに燃ゆる花篝草城昨日は火曜日火曜日は南方録のお勉強今回は覚え書二十一飯台は机の如くして2人3人4人も台一つにて食する、これ禅林日用の作法なりしかるを紹鷗、宗易、大徳寺、南宗寺の衆を茶の時、折々飯台を出されしなり2畳3畳4畳別して四畳半によし茶立口の他に今一つ口ある座敷ならでは茶立口より出し入れは好まざることなり亭主まず台を座へかかえだし布巾にて清めさて食の椀に物相の飯を入れ蓋をし下に汁椀を重ねかくの如く客の数次第、引き盆に並べる出て台の上に上げ汁は汁次にて出す菜も鍋にても鉢にても出すその品次第の見合せなり酒は一、二返にてすむべし食椀の蓋にしたるものにて飲むなり客の食いよう別してきれいに喰うべし惣じて飯台の料理は殊更軽くすることなり汁一つ菜一つ、強いて二つ、茶うけのものなど出さざるもよしまた一様...花冷えや
今日はエイプリルフール4月の冷たい雨が降って懐炉を持っていないことに悔やんだ昨日はお茶碗研究会仁清乾山どの分野でもそうだがわかっているようでまだまだだと思い知らされる古清水は仁清以後~奥田頴川以前とか道具屋筋は明治でも古清水と言うと奥田頴川はトーハクに呉須赤絵の重要美術品色絵飛鳳文隅切膳がある陸方山とも号した建仁寺の南に開窯明の渡来人の子孫中国意匠の作品が多い特に呉須赤絵を得意京焼に磁器を導入,京焼黄金時代の因となった今日は読売カルチャーの南方録へ奥田頴川オクダエイセン
西行おしなべて花のさかりになりにけり山の端ごとにかかる白雲今日は川崎で食事会12名が賑やかにお喋りワイワイとお酒を飲んであっという間にお料理が並んだが誰もがムシャムシャ完食した身体も胃袋も元気帰りにお花見しながら帰ると言う人もみんな元気だねえ明日も元気で出かけようじゃないのおしなべて
今日はサカチカさんの茶事私は玉ちゃんと水屋担当今日の茶事は飯後の茶事菓子の茶事とも言う茶事は食事をお出しする朝茶正午夜咄の茶事が一般的だが飯後はその言葉どおり食事の合間にする茶なので3時間以内でするすると進めるでないとその後の食事にさわり不都合となる汲み出初炭香合をご覧に入れてその後吸い物八寸菓子椀中立となる後座の床は花となり続き薄茶でお開きだどんな茶でも一献あればそれは茶事になるとエス先生は仰ったお酒ばかりでは宴会と変わらない何事も程ほど写真は待合の床田中訥言筆「猫に蝶図」復興大和絵の祖といわれる江戸後期の画家中国では猫と蝶々の取合せは長寿を表す猫と蝶々の中国語maoとdieは70歳と80歳の発音が似てるそうなと亭主サカチカさんのお話しありサカチカサンノ飯後の茶事
桜狩り雨は降りきぬ同じくはぬるとも花の陰にかくらむ正二位季忠七十二歳画並書藤浪季忠フジナミスエタダ昨日はうちで茶事だった後期高齢者にしてはオーバーワーク亭主は身体と頭をフルに使うこと・1ヶ月前から手紙を書く・前日までに庭の点検(前日前には蹲や庭をする綺麗に掃除、枝をととのえる)炭を洗っておく・前日には茶事の道具箱から棚に並べる掛軸を掛ける(当日でも可)・当日2時間前に来て水撒き30分前にも水撒きする暑くなると15分前にも水撒きあとはいつものように炭、濃茶、薄茶の準備腰掛と待合の火入を出汲出を用意しておくお客様が挨拶に見えたら→汲出を出して「お腰掛けまでお出ましを」お客様が腰掛けに移られたら迎付け濡れ釜掛けて手掛かりを開ける挨拶→初炭手前炭斗下げたら後炭の用意炭道具はまだ乗せない後座の花を見積る香合をご...桜狩り
藤原良経春風の吹きにし日よりみ吉野の雪間の草ぞ色まさりゆく今日はほの暖かい春風が心地よい明日は自宅で社中の茶事だベテランの御弟子様たちは各自で茶事をひらくがコロナ禍前後に入門した若い御弟子様たちは安居の会という村雨庵の茶会を19回ひらいたがそれは虫養いムシヤシナイと菓子のあと中立濃茶後炭薄茶と続く小寄せの茶会懐石の部分を経験していない招待の手紙を出すところから始まりつくばいの掃除海の石を取り出し底をよく掃除回りの木々を整え庭の掃除わが家の濡れ縁を腰掛代わりにしているので外から窓を拭き網戸を拭きぬれ縁を拭いてもらうとっても助かる家の回りが清められて気持ちが良い炭を洗ったし明日の準備は良いかしらね亭主は暮れちゃんお客様は三名水屋は二名自分のおうちから道具を何回か運んだこの和歌は九条良経くじょうよしつね嘉応元~...春風の吹きにし日より
今日は広尾の茶会へ先月も伺ったが結構なお道具が出て勉強今日も尊円法親王の和漢朗詠集の3月3日「春来遍是桃花水不辨仙源何處尋」王維書き下し文は「春来っては遍ねくこれ桃花の水なれば仙源を弁(わきま)へず何れの処にか尋ねむ」王維十九歳陶淵明の影響を受け詠む「桃源の行」の一節尊円法親王は伏見天皇第6皇子。永仁6年8月1日(1298年9月7日)-延文元年/正平11年9月23日(1356年10月17日))は、青蓮院第十七世門跡。茶会は遊びのようで遊びでないかも濃茶のお菓子は富ヶ谷の岬屋金団薄茶のお菓子は伊織春来遍是桃花水
起きよ起きよ我が友にせん寝る胡蝶芭蕉今日はいつもの茶事水屋手伝いなー朝から春の明るい日射し何年か前は足が大変だったが元気になってよかったですねとご正客の言葉に膝が悪く辛い日々を思い出した喉もとすぎるとすぐ忘れる鈍感力起きよ起きよ
19日と20日は村雨庵の稽古日釣釜と透木釜どちらでも炭手前を出来るように稽古二碗物の茶通箱に続き薄茶教える方も習う方も能がよく働く茶通箱に利休好み薬籠蓋に仙翁好み桟蓋と玄々斎好み出会い桟蓋がある出会い桟蓋は持ってないので桟蓋の茶通箱で稽古茶通箱は焼物の茶入と棗を袋に入れた茶入を入れ薄器は棗と形の違うものを稽古では四滴の中から選んで使うはじめの濃茶を飲み茶名を伺うまではよいがそのあと正客はのんびりとしてるわけにはいかないよく言う茶巾袱紗で「今一種」塵打ち聞いたら出会いで返す二碗目の加減を問われて水が入ると「後の茶名」「前の茶入お仕服拝見」茶碗返しつ茶入に仕服を引く茶筅清めば拝見をする水指の蓋で拝見かけてそれを引くとき茶入仕服を返すというわけで気を抜く暇はない茶通箱
寄付は短冊森金さんが福田行雄先生より頂戴したもの待合は狩野派の桜に霞本席はお公家の桜の懐紙春永のひねもすをのたりとすごされてらっしゃるご様子楽しそうなお声が途切れない今日は4時半に起きたそろそろ眠たし昨日の茶事先生がそれでは春永ハルナガにお目にかかりませうと春分がすぎ日が長くなったらとのことだ是非とも森金さんの飯台茶事
今日は柿伝の茶飯釜の茶事初炭は管炭と枝炭は残し増やしたぎっちょと割りを丸くつぐサラサラと釜にお米を入れ炊ける間に香合の拝見あっという間にご飯は炊き上がり香ばしい良い香りが広がるまず一口の嬉しい時間だ今日は彼岸の入り生きてる生かされていることに感謝した一日写真は新宿のホームお茶らしい写真を撮れず茶飯釜の茶事
朝から雨だ今日は五島美術館美の友の茶会早めに行ったので44番三席目に入れた濃茶席は高野切の二の手水指はノンコウの桐紋薄作だそうだがこの茶会では何度も拝見する茶入は住吉茶碗は井戸九重茶杓は空中作釜はあられ釜五島の美の友には20代に入った昔のこの茶会は道具にたいして敬意をひょうし紋付きでと先輩にご指導あったが時代ともに色々変わる現在も全てが変更中振り落とされないようにしっかり五島美術館美の友茶会
今日は昔の友人と食事会お互いに誕生会を開いて60年今回は京橋の婆娑羅ランチ3,410円トマトすき焼が有名とか私は魚ゆっくり贈り物交換などは出来ないが美味予算内で友人の一人が肉が全てダメで場所を探すのも大変年に三回だから次からは金額はほどほどなら良い何でも値上がりこのご時世三千四千円ではなかなか難しいお昼のあとは銀座五丁目のトリコロールのケーキセット1,670円すごく良いのだがすごく混んでるそして外人が多い階段でならんで待つひたすら待つ次は山の誕生会六月予算が上がってどこになるかな楽しみ京橋~銀座
空腹に雷ひびく夏野哉一茶今日は○○研究会古鏡と古瓦古鏡は平安時代の和鏡に限る古瓦の蓮華文軒丸瓦は飛鳥時代は→素弁蓮華文白鳳時代前半は→単弁蓮華文白鳳時代後半以降は→複弁蓮華文暑い午後だもん真剣に講義を受けていたからああ疲れた写真はもうすぐ咲くであろう烏瓜カラスウリの白い蕾花咲くとレースみたいで綺麗だ別名玉章タマズサ玉梓タマズサ狐の枕キツネノマクラとも言うらしいカラスウリの根薬効は利尿、便秘カラスウリの実薬効はしもやけキカラスウリの根薬効は解熱キカラスウリのタネ薬効はせきどめ、たんきり漢方薬になってる夏野かな
源順野辺ごとに茂る夏草ふかくこそ契りおきしか千歳枯れじと源順ミナモトノシタゴウ平安時代中期の貴族・歌人・学者。嵯峨源氏、大納言・源定の曾孫。左馬允・源挙コゾルの次男。官位は従五位上・能登守。梨壺の五人。三十六歌仙の一人。今日正札会へ開場の10時には入口にいた一緒のお弟子様は森金さんとサカチカさん賑やかな二人だタクシーでも大きな声でお喋りうるさいと注意私も含めてだがまずは四階から茶事に使えるようなものにジャカジャカ札を置いて行く良いね道具の買い物は実に楽しい時代の金蒔絵棗煮物椀作家物の中次へぎ目白檀塗盆明治江戸時代舟形向付呉須赤絵の皿茶杓色々などなど正札会は二万円から良いものを手頃な値段で買える場合もなにするも体力が必要だお昼抜きで集中二時半すぎ新橋亭で昼食楽しい一日だったね茂る夏草
斎藤茂吉いかづちのとどろくなかにかがよひて黄なる光のただならぬはや斎藤茂吉1882~1953明治生まれ、大正昭和前期の日本の歌人・精神科医。伊藤左千夫門下。アララギの中心人物。日本芸術院会員、文化功労者、文化勲章受章者。今日は土曜日銀座の古美術店で待ち合わせ私は銀毛織の出袱紗を買ったがそれぞれ買い物して近くの蕎麦屋でお昼昭和時代そのままの店構えと店内天ざるに鮪、だし巻き玉子焼に板わさをツマミにしてそれに八海山おのおのグラスで来る昔のおじさん達が蕎麦屋で楽しく一杯やっていたそのまま我らも真似っこ昼から日本酒でほろ酔いなんて世の中変わったものだやれば何でも出来る時代嬉しいね店を出て美術倶楽部での正札会へ行く出来上がっているのでゆっくり道具を味わってる暇などないただただ二階を一周してやめ新橋の喫茶店へ行くケーキ...とどろくなかにかがよひて
ひとふしによろずよこめてくれ竹おくふしたけをたてまつりけむ八十八媼志支婦今日は木曜日日曜日は七夕今日は高畠式部の竹の自画賛高畠式部タカバタケシキブ幕末明治初期の歌人1785~188196歳でなくなったがこの時代、誠に長命だ伊勢国松坂の商家に生まれ香川景樹のち千種有功に師事和歌以外に書画、彫刻、琵琶、笙、茶道等も学んだ式部の八十八歳で描いた竹の絵は非常に力強い見習おう我々まだまだひとふしに
兼明親王(後拾遺1154)七重八重花は咲けども山吹の実の一つだに無きぞかなしき(あやしき)太田道灌の雨具借りの故事に登場する古歌実がならないのは八重咲の花普通の一重の山吹は実を持つ今日は七事式の会小熊の会だ午前の班と午後の班おのおの今日は五名ずつ科目は廻り花之式それと一二三之式を二順し平花月優雅で充実した時間を共有した今回で11回めかな大分慣れてきた感じ七事式は・花月・且座 ・茶かぶき・員茶 (かずちゃ) ・回り炭・回り花・一二三 この会のお稽古あと残りは茶カブキだけだが茶カブキは濃茶四服まわし飲みゆえしばらく不可能一通りは経験した事にしよう今日集まった廻り花の茶花秋海棠木槿水引白河原撫子糸ススキ松明草薮ミョウガヤマボウシ八重ヤマブキ源氏物語の《野分》にある玉鬘のことを八重山吹の咲き乱れたる盛りに露のかか...七重八重花は咲けども山吹の
今日は読売カルチャー利休の茶の継承者達利休の「武蔵鐙の文」は織部に宛てた有名な文だがその手紙の和歌武蔵鐙ムサシアブミさすがに道の遠ければ問わぬも床し問うも嬉ししこれには本歌がある百人一首の小式部内侍の和歌大江山いく野の道の遠ければまだ踏みも見ず天橋立また伊勢物語の十三武蔵鐙ムサシアブミから武蔵国さすがにかけて頼むにはとはぬもつらしとふもうるさしそういえば伊勢物語を読んでるとき武蔵鐙ムサシアブミ聞いたことあるなぁと思っていたがこれだったんだ出かけてチョット勉強するとぐだぐだの日常が少し引き締まった気がする今日はミーちゃんを病院に連れていった爪を切ってもらってついでに血液検査もした人並みに数値が出て人間と一緒だ腎臓と肝臓の数値がチョットオーバーでも年齢を考えると健康な方ですよと言われた健康な方ねぇいやい...とはぬもつらし、とふもうるさし
さ庭べの草煙り居る薄暑かな龍之介墨跡をかける時にはたくぼくを末座の方へ大方はひけ利休百首絵の物を掛る時にはたくぼくを印ある方へ引きおくもよし利休百首啄木タクボクは軸を巻いておく巻き緒のことつまり巻き緒は下座に引くのだが絵の時は筆者の署名、花押、印の方へ引いても良いというピンポンが鳴るとアマゾンかお中元の季節になった写真の福みたらしというお菓子親戚の今日子から届いた物お店は滋賀県の菓匠禄兵衛滋賀県老舗醤油屋ダイコウ醤油使用とあるダイコウ醤油とは1853年(嘉永五年)【ダイコウ醤油】は滋賀県・木之本で産声をあげました。古くから交通の要衝として栄えた木之本は、伊吹山系からの伏流水で豊かな自然の恵みを一杯受けた土地で、古くから酒や醤油などの醸造業が栄えた地でもあります。ダイコウ醤油は150余年の歴史と伝統に培わ...さ庭べの
心あてにそれかとぞ見る白露の光添へたる夕顔の花源氏物語、夕顔今日は日曜日大河ドラマの光る君へ毎週楽しみにしてるむしろこの為の一週間でもあるそれとアニメ怪獣8号これがとてつもなく良い流れる音楽も激しい画面も眼を話せないテレビっていつまでも見ていられるのだ好きでない番組もあるが録画してあるものを見ればほとんど飽きないときたま居眠りガクンと首を反らしてしまいムチ打ちの心配何度もだ妹がコロナで入院して一週間が過ぎた熱も下がり陰圧室から普通の病室に変わったひとまず安心外出もできずひとりで暇だったのでアイスクリームにお菓子に菓子パン栄養も考えず好きなものばかり食べ好きなときに寝てゆっくり起きてたいくらでも自堕落になれるものだ写真は六月の17日のパレスサイドホテルの白鳥心あてに
ひるがほやあぶなき橋に水鏡千代女午前11時から日本陶磁協会のオンライン講座講師は宮武慶之氏[同志社大学研究員「”目利き”とはをテーマに」第1回は「江戸の材木商・冬木屋-ふたつの唐物茶入の流出後-」時間になりズームを見る油屋肩衝と冬木弦付の茶入のお話し知らないことばかり勉強になったひるがほや
源経信五月雨に玉江の水やまさるらむ蘆の下葉の隠れゆくかな源経信ミナモトノツネノブ平安時代後期の公家・歌人。官位は正二位・大納言。桂大納言と号す。小倉百人一首では大納言経信。主君は後一条天皇→後朱雀天皇→後冷泉天皇→後三条天皇→白河天皇外は激しい雨が降っているパラパラと脇にある茶のノートを手に取ると塗師の道志と道恵のことがかいてあった道志は満田石州の定塗師満田道志ミツダドウシ道恵は近藤加賀前田家代々ご用絵師近藤道恵コンドウドウエ江戸初期から続く塗師の家系がたどれるのは中村宗哲家のみ満田道志家近藤道恵家も明治維新後には家業が成り立たなくなったようだ蒔絵の山本春正家も江戸初期から十代続いたがやはり明治期に絶えていると私のメモ蘆の下葉の隠れゆくかな
夏河を越すうれしさよ手に草履蕪村先週の稽古のあと朱色の帛紗を誰か忘れていった名前は書いてないけど多分○○さん帛紗を腰につけるのは中国の風習の悪気からの護身のため腰につける「佩玉ハイギョク」からきてるとの説がある茶では亭主であることの表示と清浄心を現すため腰につけると言う帛紗袱紗服紗福紗とも書きもとは寸法も色々だった茶で使う帛紗は武野紹鴎の頃からあったようで利休が小田原出陣の際妻の宗恩が棗を包むのに作った寸法が手頃であったので寸法として一定し五寸の古帛紗も宗恩が考案したとかは有名な話し帛紗は使い捨てが本来だが古帛紗や出し帛紗は鑑賞の対象とも茶人は帛紗と古帛紗や出し帛紗を常に所持つけるときは帯のラインに垂直になるようにする業躰先生にまず注意されるところだ夏河を越す
曽禰好忠野中にはゆきかふ道も見えぬまでなべて夏草繁りあひけりわが庭はすでに夏盛り夏草が背が高くなった奥の方には宗旦木槿が花咲いた秋海棠も花さいて松明草に高砂芙蓉今週は稽古も休んだのでせっかくの花が使えないがまた咲いてくれるだろう今日行く今日用がある老人に必要なキョウイクとキョウヨウ教育教養と言われるが妹の関係でしばし外出できずお茶のお稽古のお弟子様をもおやすみとなると必須なのはゴミ出しの曜日だけその他のことは何もない幸い自分は熱もなく喉も痛くないボーッとしてビデオを見る黒澤明の白黒映画「生きる」主演の志村喬が祖父に似てた写真は松明草ゆきかふ道も見えぬまで
あゆみあゆみあとや見らるる木下闇コシタヤミ千代女今日は火曜日土曜日のお茶事のあと日曜日は用事もなくゆっくり午後から妹の足元がフラフラどうしたのと支えていたら二人で倒れてしまった妹は太っているので私もだがそれ以上に重たい倒れる時はゆっくりだったが起こせない腰がいたいと言うし覚悟を決めて救急車を呼んだすぐ来てくれたが熱がありますよと言われそうかそのせいで足がフラフラだったのだ日曜日午後六時過ぎ救急病院へ途中で先生がコロナです入院ですとのことビックリしたがフラフラは頭とかでなかったので安心その間に3件の救急搬送私が家に戻ったのは二時間半すぎて夜10時頃昨日月曜日は入院の手続き今日は何もなくボーッとしてる木下闇コシタヤミ
読み人知らず逢い見ても逢はでも嘆く七夕はいつか心ののどけかるべき今日は土曜日お弟子様のお茶事に招かれたお正客は倍様私めは次客十一時席入の正午茶事懐石は御酒が美味しい皆さんは酒豪なのでつられてついつい過ぎる懐石のあとの炭は初炭所望江戸千家の炭手前胴炭は向こうにつぐ風炉中拝見し香合は唐物菓子が出て中立濃茶が始まると眠いのなんのしばし癒しの睡眠時間お茶が練られ総礼するもまだ船をこいでいたので正客にポンポンされたああ至福の時逢い見ても
青うめをうてばかつ散る青葉かな蕪村今日は水曜稽古新聞を取りに木戸を開けようと歩くと両脇から木々が迫り狭い通路が益々狭く前の日の雨にしとどに濡れた葉の露に触れずには行けない花鋏を取りに戻って伸びてる枝をパシパシ切っていく新聞を取ると帰りも左右を切って戻る時間がないので足元に落ちた枝は足でジャカジャカ左右に押込み掃除は又だ木槿がまだ咲かずアジサイもうちにはない水引が順次かわいい花をさかせてはいるが主にはならない半夏生も白くなり始めたそれに今年始めてさいた松明草の三種でお弟子様に花をいれてもらった木槿がさかないと毎回花には不自由する公園の木槿は咲き始めたようだが我が家は日陰のためまだまだ花を何にするかいつも苦労する友人宅では野草園のように茶花を育てていたが狭い狭い庭では限られたものだけ日頃の回りの植物は良く観察...散る青葉
短夜のともし火残る御堂哉子規今日は山の誕生日会場所は東京駅すぐのpommed'Adamポムダダン丸ノ内ホテルの八階外の景色はすこぶる良い珈琲のあとプレゼントも交換してないし喋り足りないし少し歩いてパレスホテルへ珈琲を注文して御祝を渡してお菓子などの物々交換今日のお料理などのお喋り次は11月今度はイタリアンが良いと言うことになった短夜のともし火残る
大伴旅人橘の花散る里のほととぎす片恋しつつ鳴く日しぞ多き今日は跡見の茶事水屋は大したことをしないが私めは一応水屋担当茶会には7種類の方式がある茶事七式という暁の茶事、朝の茶事正午の茶事夜咄の茶事不時フジの茶事飯後ハンゴの茶事跡見アトミの茶事今日はその跡見茶事朝茶事または正午茶事の後引き続き行なうまたは日時をかえて行う茶事参会できなかった招待者や当日招待されなかった人々の申込みにより茶事の趣向や道具を使って披露ただし懐石は同様にせずその時々で考慮する融通無碍な茶事だ下記は2016/3/5の拙ブログの記事跡見の時知らせの鳴り物うたぬ事なり鳴らさぬように客は早くはいる濃茶の後炭が良さそうなら続き薄茶立ち炭をしても良い中立なくば諸荘又は濃茶の後花を軸に買えてもよし軸の所望をしても良い茶の順などは決まってなく薄...たちばなの花散里
藤原有家後の世を知らせがほにも篝火のこがれて過ぐる鵜飼舟哉藤原有家フジワラノアリイエ久寿二~建保四(1155-1216)藤原重家の3男。母は藤原家成の娘。従三位,大蔵卿となる。六条家の有力歌人で,和歌所寄人,「新古今和歌集」撰者のひとりにえらばれた。「千載和歌集」以下の勅撰集に67首がはいる。今日は水曜稽古届いたお菓子は練切の撫子と生麩まんじゅう夏らしい美味しかった写真はうちの猫ミーちゃん後の世を
樋口一葉飛鳥川あすは知らねど水色に今日はにほへるあぢさゐの花昨日の話し昨日は土曜日銀座の古美術店の茶会があると先生からのお誘いあり12時の席入夏向きの設え狭いが茶の雰囲気はたっぷりだ使われた道具は手にとって拝見したその後もう一軒目の茶道具店のお茶会茶道具の拝見箱も回ってくる私の他は皆さんそれぞれお買い求めなさってご満悦何か欲しかったけど家の道具の山をみるとくじけたあすは知らねど水色に
明易きみずに大魚の行き来かな龍之介茶道具にも色々あるが棚は実に嵩張る特にわが家ては紹鴎棚の収納に困ってる前に紫兎先生から譲って頂き炉の季節に使ったが日常に使えず階段下の納戸に入れたり障子の後ろの廊下に置いたり出すのも大変仕舞うのももっと大変差し上げるからと言ってもお弟子様やお友達快い返事はない紹鴎棚はちょっとした家具和室においても違和感無い炉開きや初釜に相応しい塗師は茶平一斎だし良いものですよ勧めるがなかなかこの棚は二年前の茶会で使ったあと桐の箪笥のような外箱に入ったまま四畳半の隅にずっと置いてあるその上には座布団やら紙袋お習字の紙などなど山積みになっている酷い状態だダメもとで若いお友達のシモちゃんに声をかけると欲しいと言う返事気の変わらない内に早くとりに来てと思っていたら金曜日行きますとライン今日の午後...明易きアケヤスキ