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村雨庵 茶の湯日記 https://blog.goo.ne.jp/tukiduki

日々是茶の湯

ざーっと降ってカラッと上がる通り雨が村雨 まあ 暫し雨宿りにお寄りあれ

その他趣味ブログ / 茶の湯・茶道

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村雨庵
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2009/04/21

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  • 名残は尽きぬ春の暮かな

    藤原良経佐保姫の霞の袖の花の香も名残は尽きぬ春の暮かな【藤原良経】フジワラノヨシツネ[1169~1206]鎌倉初期の公卿・歌人・書家。九条兼実の子。摂政・従一位太政大臣となり、後京極殿と称される。歌を俊成に学び、定家の後援者でもあった。書では後京極流の祖。今日はお茶碗研究会薩摩焼のお勉強薩摩焼は、鹿児島県の陶磁器。竪野系、龍門司系、苗代川系、西餅田系、平佐系、種子島系など白薩摩は白もん黒薩摩は黒もんとも呼ばれた薩摩焼苗代川系(当初黒もん、現在は白もん)、龍門司系(黒もん中心)、竪野系(白もん中心)の3つの窯場があるとネットにあった名残は尽きぬ春の暮かな

  • 宵の春

    公達に狐化たり宵の春蕪村もうすぐ風炉なのでその準備風炉釜は真形と筒釜風炉を二台眉ぶろと道安風炉それに奉書をひき底瓦を置いて灰を入れる五徳を置いて釜の高さ調整あとは灰形を作るのみだ四月もあと少し春宵価千金宵の春

  • 岩つつじかな

    曽根好忠山姫の染めてはさぼす衣かと見るまでにほふ岩つつじかな今日は茶事の水屋御弟子様のサカチカさんの茶事だまだ炉の季節だが風炉でのおもてなしにしたそうな風炉だと挨拶のあとすぐにお膳を出さないとならず忙しい汲み出しをお出しする頃ご飯に火をつけたお客様の席入挨拶が始まるガスコンロに掛けたご飯の蓋をそっとあけるとグツグツしてまだ水がたくさんある飯椀に一口盛るご飯に芯が残りまだちゃんと炊けてない状態汁椀は温めて青紅葉麩の種カラシをのせて準備完了蓋をして待っているがなかなかお話しが終わらない茶道口近くにより早めにお願いしますと手をぐるぐる回すでないとご飯が冷める味噌汁の種は暖めてあるので熱々の味噌汁を張るだけだようやく挨拶が済んだあとは集中集中常のように懐石を終えて初炭菓子で中立後座は濃茶後炭薄茶となってお開きスイ...岩つつじかな

  • 卯の花の咲かぬ垣根

    藤原忠通うのはなのさかぬかきねはなけれどもなにながれたる玉川の里今日は昨日に続いて木曜稽古掛物は桜も藤も終わって卯の花の和歌の美麗な短冊和歌の意味は卯の花の咲いていない垣根はないが、やはり名高く聞こえたこの玉川の卯の花の里はいいものだ玉川は「美しく清らかな川」六玉川と言われている六つの玉川があるこの和歌もその一つ大阪摂津の玉川は→卯の花の名所。京都、井手の玉川は→山吹。志賀、野路の玉川は→萩。東京、調布の玉川は→川にさらす布。和歌山、高野の玉川は→旅人、氷。宮城、野田の玉川は→千鳥。この和歌を詠んだのは藤原忠通フジワラノタダミチ[1097~1164]平安後期の公卿忠実の長男別称、法性寺殿ホッショウジドノ摂政・関白父および弟頼長と対立し、保元の乱の原因となった書にすぐれ法性寺流の開祖漢詩集「法性寺関...卯の花の咲かぬ垣根

  • 人もなき宿に匂へる藤の花

    紀貫之人もなきやどに匂へる藤の花風にのみこそ乱るべらなれ今日は文の会いつものイタリアンで待合せおつまみにグラスワインパスタを二種類満足だ家に戻れば珈琲を飲んで一休みちっとお喋りのあとお持たせのロールケーキをカットし紅茶を沸かすあまおうが入っているが生クリームもカステラも甘くない甘くないにも程があるだろう淡白過ぎて勿体ないなんて食べてばかり伊勢物語を少しだけ音読声がかすれて出ない結局食べてばかりだった写真は都内の公園の藤棚友人の板子さんが撮ったきっと藤の花の香りもしたであろう藤の花の香りには、筋肉の緊張を和らげ疲れを癒し痛みを和らげ頭をスッキリさせる作用があるそうだ人もなき宿に匂へる藤の花

  • 智慧あり顔の木蓮の花

    与謝野晶子春はただ盃にこそ注ぐべけれ智慧あり顔の木蓮の花昨日は木曜稽古椿はほぼ終了代わりに庭の野草が芽をだし始めた葉を広げ蕾を抱く芍薬その足元に小さな地エビネ紫蘭それにシャガ(射干)別名は胡蝶花あとフタリシズカ鳴子百合宝鐸草窓の外には黄エビネ見上げると木蓮も蕾がある木戸のもみじは葉柄を長々と伸ばし始めいま丁度花を咲かせてる一部はプロペラの種を持っているこのところは庭に降りるのが楽しみだ写真はイノさんが送ってくれた某有名庭園の藤見事智慧あり顔の木蓮の花

  • 朧月

    海棠の花のうつつや朧月其角今日は水曜稽古雨が降ったり止んだり暑かったり寒かったり春の気候は疲れるね稽古の花をまずは切り取りしばし流し水にしておくとよく水が上がる鳴子百合が可愛らしい炭手前は自在に手取釜もうひとつの炉は裏鏊釜ウラゴウガマの透木の扱い炭手前は初炭手前後炭手前に盆香合初炭所望後炭所望などそれに大炉吊り釜透木釜茶飯釜など色々炭手前は楽しい朧月

  • 空のいとゆふ

    藤原定家春のおる花のにしきのたてぬきにみだれてあそぶ空のいとゆふいとゆふとは①春の晴れた日に、蜘蛛の子が糸に乗じて空を浮遊する現象。蜘蛛の糸が光を受けて流れ乱れるさまは、薄い絹織物にたとえられる。また、蜘蛛の糸が光の加減で見えたり見えなかったりするところから、あるかなきかのものにもたとえられる。遊糸(ゆうし)。《季・春》②春あるいは夏の晴れた日に、地面から立ちのぼる気。陽炎(かげろう)。③「いとゆうむすび(糸遊結)」の略。(コトバンクより)写真はうちの猫ミーちゃん写真を撮られるのが嫌い寝てるかと思ったら薄目あいてる空のいとゆふ

  • 藤浪の

    大伴四綱ヨツナ藤浪の花は盛りになりにけり奈良の都を思ほすや君大伴四綱オオトモノヨツナ奈良時代の官吏。天平(729-749)初年のころに大宰府防人司佑(さきもりのつかさのじょう)をつとめた。17年雅楽助(ががくのすけ)となり,正六位上をさずかった。「万葉集」に歌5首がおさめられている。名は四縄ともかく。今日は東京美術倶楽部の「和美の会」4月の今日13日と14日にひらかれる全国の有名茶道具商が集まっての展示即売会拝見するだけでとても勉強になるのだお道具屋さんがカタログを送ってくれたけど何も買わないのでいや買えないので手土産にお菓子を持っていった三階のお店の場所を確認し早足で行くがそのブースの椅子に年配の男性が座ってる確かに見たことある人だ「駄菓子ですが」と手渡したところが一軒店を間違えていた目指すは隣の店だっ...藤浪の

  • うらうらに照れる春日

    大伴家持うらうらに照れる春日にひばり上がり心悲しもひとりし思へば今日は木曜稽古蛭釘に自在を吊り手取釜を掛けるもう一つの炉には裏鏊釜(うらごうがま)で透木の扱いのお稽古炉の茶の湯もあとわずか裏鏊釜ウラゴウガマは天命作の鏊ヤキナベの底が見事であるところから考案されたと。鏊ヤキナベをさかさまにし、底に穴をあけ釜の口とし、これに別に作った底を後から取付け釜に仕立てたもの。とか宗旦好みは、釜の胴と底の部分に段があり、裏に左右に二つづつ計四つの賽の目の鐶付が付き、そこに鉄の舌のような形をした端立を差し込んで透木に掛けて使用。今使ってるこの裏鏊釜ウラゴウガマは黒豆さんから頂いたもの上記と同じようなのでどうやら宗旦好みらしい写真は我が家の紅葉先週からの雨で物凄いスピードで成長してる葉が伸びてきたなと思ったら紅...うらうらに照れる春日

  • 朧月夜に

    源具親ミナモトノトモチカ難波潟かすまぬ波も霞みけりうつるもくもる朧月夜に源具親ミナモトノトモチカは鎌倉時代初期の公家・歌人。村上源氏俊房流、右京権大夫・源師光の次男。官位は従四位下・左近衛少将。小野宮少将と号す。新三十六歌仙の1人。今日は水曜稽古和歌色紙を掛ける筆者は中園季定ナカゾノノスエサダ1627-1686公卿。中園家の祖。高倉嗣良の末子。小倉実起の弟。従二位参議。貞享3年(1686)歿、60才。朧月夜に

  • 蔦の若葉もあゆみそめ

    潅仏や蔦の若葉もあゆみそめ千代女灌仏カンブツとは1仏像に香水(こうずい)を注ぎかけること。また、その仏像。浴仏。2「灌仏会(かんぶつえ)」の略。今日は灌仏会、花まつり月に一度、古筆の勉強会伊予切。大正13年に分割されるまで伊予松平家に伝わった為。『和漢朗詠集』を書写した粘葉装冊子本。伝称筆者を藤原行成(972〜1027)とするが、「高野切」第三種表に藍と紫の飛雲を漉き込み、表裏に雲母砂子を撒いた白鳥の子の料紙上下二帖の筆跡は三種に分かれて①伊予切の第一種上巻の前半(高野切第三の古筆と同筆)②伊予切の第二種「秋夜」の後半以降と下巻のはじめ十二頁まで③伊予切の第三種その他は後世の補写か難しいね写真は今日のランチ蔦の若葉もあゆみそめ

  • 火宅ともしらで

    土岐二三火宅ともしらで火宅にふくめしは直に自在の鑵子なりけり土肥二三どひ・じさん生年:寛永16(1639)没年:享保17.1.6(1732.2.1)江戸前期の茶人。土岐二三とも。名は豊隆,通称孫兵衛。生没年には異説もある。三河吉田の牧野成貞に仕え,物頭役200石。茶,琵琶,香にすぐれ,伽羅の名香や銘「杜鵑」の琵琶を所持した。茶の湯は織田貞置に有楽流を学ぶ。元禄3(1690)年致仕して京都岡崎に隠棲。自在軒と号。近衛家煕,鷹司輔信らと交流,数寄者として知られた。(朝日日本歴史人物事典)今日は土曜日着物を着て銀座谷庄の茶会へそのあとは綱島のふくもとで食事会平和で満点の一日写真はお花見のような口取り火宅ともしらで

  • 春の夜の月

    写真は加藤義清春花の乱れ心に似ぬものや梢ににほふ春の夜の月加藤義清カトウヨシキヨ元治元年(1864)~昭和16年(1941)享年78歳歌人・御歌所寄人。名古屋生。号は蕉陰・鏡迺舎。菊間平八郎の五男、加藤安彦孫娘婿。従五位・勲五等に叙せられる。著書に『火筒のひびき』『渡るに安き安城の』等がある。以前にアップしたものコピーしたもの昨日は木曜稽古今日は半年に一度のガンの検査異常は無しです手術してから十年経ちましたね今までのように検査は半年でなくてもという先生いえいえ私目心配性なので今後もお願いいたしますはいではそうしましょう春の夜の月

  • 江戸人は上野をさして

    江戸人は上野をさして春の山子規今日は月に一度の小熊の花月廻り炭と濃茶付花月午前と午後の斑それぞれ一回ずつ《廻り炭之式》無学宗衍ムガクソウエン江戸後期の臨済宗の僧。大徳寺三百七十八世。無学は字、宗衍は諱、把不住軒と号する。玉林院の龍門宗禹の法を嗣ぎ、のち明和4年大徳寺に出世。後桜町天皇より至聖大妙禅師の勅号を賜る。寛政3年(1791)寂、71才。その無学の廻り炭の偈頌ゲジュは端的底看聻タンテキテイニミヨニイ炭をつぐことの極意どうやって炭を置けば最も火がおこりやすく無駄がないか湯の沸く時間みかたや置き方を修練する一人一人の炭のつぎ方を拝見してその風情や変化を学ぶもの無理なはさみかたをして炉壇を傷つけたり次の人が炭をあげるのに困るような置き方をしては極意とは言えない炉の時のみの廻り炭思ったより時間がかから...江戸人は上野をさして

  • 四条五条の橋の下

    春水や四条五条の橋の下蕪村今日は読売カルチャー高山右近タカヤマウコン安土桃山時代の武将。キリシタン大名。名は長房、重友、友祥(ともなが)。右近は呼び名。洗礼名ジュスト。織田信長、豊臣秀吉の臣として戦功があり、高槻・明石に封じられた。禁教後マニラに追放され客死。茶人としてもすぐれ、利休門下七哲の一人。天文二一~元和元年(1552~1615)キリシタン大名とは室町から江戸にかけ、当時のカトリックの教徒となった大名。九州の大友宗麟、大村純忠、有馬晴信、近畿の高山右近、小西行長等がいる利休七哲と前田利長(加賀の肥前)、蒲生氏郷、細川忠興(三斎)、古田織部、牧村兵部、高山南坊(右近)、芝山監物の七人これは千宗旦(利休の孫)が話したもの。その後、七人のうち前田利長を外し、瀬田掃部に入替えられている。写真の椿は羽衣四条五条の橋の下

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