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橘タチバナの
源氏物語・花散里橘の香をなつかしみほととぎす花散る里を訪ねてぞとふ土曜日は何かと用事が入って行けなかったが今日は朝日カルチャーの崩し字入門いつもより教室が広い与えられたレジメを読み下しあとから一文字ずつ分解説明をうけるのだそのときはなるほどと思うのだが「亭」の文字でテだとおもったら「帝」の文字のテだった橘タチバナの
2024/05/18 23:00
日本陶磁協会の茶会
橘曙覧タチバナアケミ(幕末の歌人)明日よりは夏の暑さもあらひこしなごみわたれり瀬々の川かぜ今日は東京美術倶楽部での日本陶磁協会の茶会濃茶は当代随一の数寄者・潮田洋一郎氏五名ずつの回しのみ薄茶が二席官休庵の宗屋宗匠と陶磁協会の席また特別観覧の部屋筋切が正面に掛かっていた筋切って何伝承筆者は藤原佐理だが研究で藤原行成の曽孫にあたる藤原定実(活躍期、1077~1119年)と言われている定実は『元永本古今和歌集』(東京国立博物館蔵)『巻子本古今和歌集序』(大倉集古館蔵)『西本願寺本三十六人家集』の「貫之集上」(西本願寺蔵)の筆者筋切ってなにもとは古今集を書いた二冊の粘葉装デッチョウソウ粘葉装は糊綴じなので糊をはずして紙の表裏をはがすと(相剥ぎアイヘギ)2枚になり表の銀泥で天地に界線(筋)があるのを筋切裏の篩...日本陶磁協会の茶会
2024/05/17 21:58
唐崎夜雨
昨日は水曜稽古だがブログも書けずねてしまった木曜稽古松波資之のほととぎすの和歌を掛ける湖遠郭公遊山から崎のまつとはなしにほととぎすききつるばかりうれしきはなし松波資之マツナミスケユキ1831*-1906幕末-明治時代の歌人。天保元年12月19日生まれ。安芸広島の商人岡田集介の次男。京都徳大寺家につかえ,のち北面の武士松波家の養子となる。香川景樹にまなび,景樹没後はその子の景恒をたすけて東塢塾を主宰。維新後は皇太后宮の内舎人ウドネリ,雑掌をつとめた。明治39年9月13日死去。77歳。通称は直三郎,大学大允。号は遊山,随所。歌集に「花仙堂家集」。(日本人名大辞典ヨリ)唐崎というと近江八景の「唐崎夜雨」を思い浮かべる唐崎は『万葉集』の「さざなみの志賀の辛崎幸あれど大宮人の船待ちかねつ」『蜻蛉日記』では都人が唐...唐崎夜雨
2024/05/16 22:20
宵々の雨に音なし
宵々の雨に音なし杜若蕪村今日はエフ先生の研究会雨が凄い音を立てて降ってる最近は早起きなので五時に起きて朝は六時に食事お昼までの時間が長いから10時のおやつ九時半に珈琲とミニ羊羮食べたおやつは八つ刻ヤツドキ午後の2時から4時に食べる間食午前中だとなんというのか朝のおやつは「モーニングティー」または「リトルランチ」、午後のおやつは「アフタヌーンティー」とオーストラリアでは呼ばれるとのこと、ネットで見た江戸時代、日本人の食事は朝と夜の1日2回だった。途中でお腹が空く。そこで中食(ちゅうじき)、あるいは間食(かんじき)、小昼(こびる)と呼ばれる間食をやつどきに取るようになった。それがおやつの起源。とネットで見た。さあ出かけないと宵々の雨に音なし
2024/05/13 10:54
あらゆる風に載りて
ラルースの言葉を愛すわたくしはあらゆる風に載りて種蒔く今日は日帰りで北上へ朝早く新幹線着いたらタクシーで詩歌文学館一回りしてタクシーで北上駅お昼を食べて新幹線四時には家に着いたが疲れた年だねあらゆる風に載りて
2024/05/11 19:36
手ならひの間
公達の手ならひの間や若楓涼菟リョウト岩田涼菟イワタリョウト1659年(万治2年)~1717年6月7日(享保2年4月28日))江戸前期から中期の俳人、神職。本姓は秦、名は正致。通称は権七郎。別号に団友、神風館等がある。伊勢の生まれ。初め伊勢神宮の下級神職となったが後に松尾芭蕉の晩年の門人となり俳諧を学ぶ。1694年(元禄7年)に各務支考らと親交を持ったことにより、「伊勢派」と呼ばれる平明で新しい作風の俳諧を生み出した。とのこと今日は東茶会暑くも寒くもなく空があおいもう会員ではなくさも行くことないと思ったが薄茶席の席主の方にお誘われた点心には久しぶりにお酒も付いたし茶会が終わると新橋のケーキセットを食べなかなか良かった手ならひの間
2024/05/10 23:32
命なりけり小夜の中山
西行年たけてまた越ゆべしと思ひきや命なりけり小夜の中山若いときに越えた小夜の中山年老いた今又越えるとは思いも見なかったよ命があればこそだ文治2年(1186年)69歳の西行法師が東大寺再建の勧進のために奥州藤原氏のもとへ赴く途中で、若かりし頃、小夜の中山を通ったことに思いを馳せ詠んだ小夜の中山は旧東海道の日坂宿と金谷宿の間にある小夜の中山峠急峻な坂の続く街道の難所うっそうとした樹木に埋もれ、当時は山賊なども横行したため、大の大人でも峠越えは容易ではなかった大名物漢作唐物の安国寺肩衝はもと「有明肩衝」といいまた別名をこの和歌から名付けた「中山肩衝」今日は読売カルチャー写真は新しく見つけたイタリアンの店これを見てランチにグラスワイン頼んだ命なりけり小夜の中山
2024/05/07 21:03
あで人の
正岡子規あで人の住める御殿の塀長く椎の梢に鯉ひるがへる今日は世の中連休の最後私達はお茶事のお客様として出かけたほどほどの天気で風も少々感じるまさに薫風自南来殿閣生微涼緑が美しく気分がいい連客はほぼ社中であまりにも緊張感がない茶事ではそれも問題があるだろうが茶事は癒しだ許されよご亭主とのお喋りが楽しい懐石を頂き濃茶と薄茶初炭と後炭これ以上の幸いがあるかしら初風炉の清々しさに身が清められて改めて精進せねばと思った干菓子は吹流しのような五郎丸屋の「キリン」写真は姫沙羅かあで人の
2024/05/06 21:55
あやめ草ふくや皐月のながきひに
藤原定家あやめ草ふくや皐月のながきひにしばしをやまぬ軒の玉水今日は端午の節句鯉幟コイノボリは『碧巌録』の第七則にある「三級浪高魚化龍」三級浪高うして魚龍と化す。中国の夏王朝を開いた禹(う)が黄河の治水をした時上流の竜門山を三段に切り落と三段の瀑布ができたこれを「禹門(竜門)三級」と称し、多くの魚が竜門山下に群集し竜門三級を登る登りきった魚は、竜となり天に昇るという。「登龍門」の故事があり江戸時代から、鯉幟を飾るようになったらしい戦国時代に「菖蒲」が「尚武(しょうぶ)」につながり端午の節句は男子の武運と成長を願う行事。今は子供の成長を願う祭日だそして今日は文の会だったらしいゴミ出しもなく何も用事がないゆっくり寝てようと朝ご飯、お昼ごはんのあとゴロゴロ寝ていたピンポンが鳴ったので宅急便かしらと出てみると画面...あやめ草ふくや皐月のながきひに
2024/05/05 21:00
渋谷スクランブル交差点
用事があり渋谷へスクランブル交差点みんなが写真を撮ってるのでつられてパチリ帰って夕ごはん食べたら眠くてねた目が覚めると八時半テレビ見てまた寝る渋谷スクランブル交差点
2024/05/04 23:26
うすうすと窓に日のさす
うすうすと窓に日のさす五月かな子規今日から五月初風炉の水曜稽古だ雨がシトシト寒い時たまザーザー降って寒いエビネを切って今日の花にした掛軸は一行薫風自南来灰型は昨日作っておいたので安心種火をいれて炭手前すると藤灰がないですと言われた出した記憶がある確かにどこかにおいた探したが見つからない藤灰がない時変わりに何が使えるかと一瞬考えた小麦粉片栗粉ならあるけどお線香の灰じゃあちょっとね確か火鉢の灰というのがどこかにあったはずあれでもよいかうろちょろしてそうそう風炉用の炭斗に代えようと思ったらその近くにあった淡交社のふじ灰の説明藤の樹皮を取り除き焼いて灰にしたもので化粧灰とも呼ばれます。風炉蒔灰の一種であり、風炉の灰器に入れ使用します。ふじ灰は雪景色を見立ててのものとされ、厳暑は多く、初夏と名残はかすかに蒔かれます...うすうすと窓に日のさす
2024/05/01 22:57
2024年5月 (1件〜100件)
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