10/2gooブログが終了しますのでアメーバブログに移転予定です引っ越しするのに自分では出来かねまして専門の方に頼んでおりますのでそれまで少しお休みさせて下さい5月は薫風自南来気持ちよい風に吹かれて美味しいものを食べたい麗しいお道具を拝見したいと願ってる毎日です写真は綱島のフクモトの御料理薫風自南来
源実朝塵をだに据ゑじとや思ふ行年の跡なき庭をはらふ松風押し迫ってきた今年もあと一日今日はまた飯台の茶事の水屋四回目お客様は社中の四名席中のお酒がよく売れたようだ今年は自宅で安居の会という月釜を披いていたのを五月に終了した19回続いたが何でも限界がある年齢、体力経済的事情、家庭環境の限界だからこそ出来るときには茶事をしようと思ういつもつたない私目のブログをご覧頂きまして感謝申し上げます行年の
寂蓮知る知らずみちゆき人のけしきにもあはれは深き年の暮かな今日は二十九日カレンダーを見ると小晦日コツゴモリとある小晦日(こつごもり)は、大晦日オオツゴモリ、大みそかの前日。陰暦では12月29日を、陽暦では翌30日を指す。「朔咲く」が月が現れることを意味するのに対し、「晦」は月が隠れることを意味する。今日はサカチカさんちの茶事の水屋に入る飯後の茶事だ。サカチカさんの茶事は月に一日がいつもだがこの年末には頑張って茶事を四日間するそのうちの三日間はもう済んだのであと一日明日十二月三十日小晦日の茶事だあはれは深き年の暮かな
魚鳥の心はしらず年わすれ芭蕉魚は水に飽かず、魚にあらざればその心を知らず。鳥は林をねがふ。鳥にあらざれば其心を知らず。「方丈記」今日は綱島のふくもとで食事会今年も押し迫って何かとあわただしく過ごし心を忘れてしまうからゆっくり食事するいつものメンバーではなく倍様と二人だけ伏見のお酒の玉乃光ついつい飲んでしまいすっかりいい気分になってしまった写真はかに雑炊今日も美味しかったですな完食何度かお店にいらっしたことのあるお客様が村雨庵のブログをご覧になって下さって以前清昌堂やましたの茶会へ行ったことをアップしたのだが同じ茶会にご一緒だったようであるふくもとも共通のお気に入りのお店ご縁があるのでしょうでもその話し伺うととても恥ずかしくて何と言えば良いのか焦ってすぐさま話題を変えてしまった申し訳ないつたない文章のつたな...魚鳥の心
西行おしなべておなじ月日の過ぎゆけば都もかくや年は暮れぬる今年もあと四日大晦日に従姉が泊まりに来るので部屋を片付けるいるか要らないか不明の紙類の何と多いこと朝のテレビで紙類の整理方法をみた八割は捨てられるらしいがマメでないとできないどうも無理そうだ来年は辰年辰は「振るう」に由来し、自然万物が振動し、草木が成長して活力が旺盛になる、状態を表す。とネットに出ていた。年は暮れぬる
胡桃など割つてひとりゐクリスマス山口青邨今日は月曜日クリスマス親戚からメリークリスマスのライン友人から山下達郎の「雨は夜更け過ぎに」の歌付ムービーがラインで来た今日はのんびりテレビを見て昼寝の日なんだかその方が疲れた感じむしろ忙しく出掛けた方が楽かもねひとりゐクリスマス
らふそくの燃えゆくはたのしクリスマス青邨今日はクリスマスイブ青邨とは山口青邨ヤマグチセイソン山口青邨は、1892年5月10日~1988年12月15日日本の俳人・鉱山学者。岩手県出身。東京大学名誉教授。本名は吉郎。初号は泥邨。高浜虚子に俳句を師事、工学博士として東京大学に勤めながら俳誌「夏草」を主宰した。(ウィキペディアより)今日は昨日と同じサカチカさんちの茶事の水屋続けての茶事だが亭主と水屋のわたくしめ案外疲れていない元気だ夜はM-1グランプリみてるらふそくの
野の中に土御門家や冬至の日太祇土御門家は天文・暦数・陰陽道を司る公家。姓は安倍。平安中期の陰陽頭であった安倍晴明の子孫で,室町時代の有宣アリノブの時から土御門家を称した。昨日は冬至だった今日は上皇陛下の御誕生日明日はクリスマスイブゆめぴりかの日今日はサカチカさんちの茶事水屋飯台の茶事いつもと違う懐石の出し方汁替えはなし一文字のご飯は物相に味噌汁と煮物椀は金色でお酒は飯椀の蓋につぐなどなどお客様参加型だ茶事楽しいね野の中に土御門家や
陰陽師オンミョウジ歩ホにとられ行ユク冬至哉トウジカナ太祇陰陽師には禹歩ウホという呪法があるらしい足で大地を踏みしめ呪文を唱え千鳥足の様に前進して歩く呪法だ基本は北斗七星の柄杓方を象カタドってジグザグに歩くものであるが、九宮八卦の九星配置を象って歩くやり方や、片足を引きずりながら歩いて地面に図形を描くといったものもある今日は冬至あさから寒い予約してある美容院で、パーマをかけ予約なしのいつもの医院へ薬をもらいに行くなんと言うことない穏やかな日常ありがたいことだ歩ホにとられ行ユク冬至哉トウジカナ
藤原清輔君来ずは一人や寝なむ笹の葉のみ山もそよにさやぐ霜夜を藤原清輔(ふじわらのきよすけ)は、平安時代末期の公家・歌人。藤原北家末茂流、左京大夫・藤原顕輔の次男。官位は正四位下・太皇太后宮大進。初名は隆長。六条を号す。六条藤家3代。看々臘月尽みよみよろうげつつく今日は水曜稽古掛けものはこれいつも年末はこの掛軸点前を終えて帰り際よいお年をと年末の挨拶早いね一年写真は頂戴したおはぎと栗蒸し羊羹美味いみ山もそよにさやぐ霜夜を
与謝野晶子二もとの裸銀杏を前にして火を焚くうへの冬の日の雲冬の雲月を去なして霽れにけり今日は火曜日大安シュークリームの日だそうだ明日は20日上弦の月冬の日の雲
紫式部ふればかくうさのみまさる世を知らで荒れたる庭に積もる初雪江戸時代の和歌や俳句ちょっと見ただけでは読めない崩し字の読み方にも通ってるがだからといってその通りに崩してないから特に江戸時代のは読みにくいなかなか読めなかったが集中して読み始めると違ってるところがあると思うが何とか読めた夏をよしといふ人あり冬の夜小座敷にてこもり語り遊わべうぞまさるべけれといふもありくらべんとさぞないそげむまわり炭違ってるところあるかも知れないがとりあえず読んだ夏が良いねという人がいるまた冬の夜の小座敷にこもって語り合い遊ぶ事こそ何よりのまさる楽しみよと言う人ありまわり炭はくらべるからさぞかし急いで炭をついだのだろうてな事うさのみまさる世を
源順越の海に群はゐるともみやこ鳥みやこのかたぞ恋ひしかるべき源順ミナモトノシタゴウ平安中期の歌人、漢学者。三十六歌仙の一人。梨壺の五人に撰ばれ「万葉集」の古点や、「後撰集」の編集に当たった。家集に「源順集」があり、「無尾牛歌」などすぐれた漢詩文の作品が「本朝文粋」に収められ、百科的辞書「和名類聚抄」の著もある。また、「宇津保物語」「落窪物語」の作者にも擬せられている。延喜一一~永観元年(九一一‐九八三)今日は森金さんの茶事ベランダからの景色が良い富士山が見えたらもっと良いのだが今日は残念見えないでもユリカモメが飛んでいた今日はお客様で招かれたのんびりいられて嬉しい水屋の担当は結構緊張するご飯を炊くタイミングコンロにかけたお鍋の存在席中の亭主の進行程度忘れると大変だあちこちあれこれ気をつけていないといけな...みやこのかたぞ恋ひしかるべき
極月の昼寝の夢のはかなしや草城写真は「ルシアの猫」という名のサフランパン今日は木曜稽古午後に遊びに見えたシモちゃんと第二子の4ヶ月の赤ちゃんその時お土産に持ってきてくれた手作りのパンだスウェーデンではクリスマスシーズンにLussekatt(ルッセカット)「ルシアの猫」という名のサフランパンを食べるとか。美味しかった。赤ちゃん今度は女の子可愛かったまた来てね猫のミーちゃんも待ってます昼寝の夢
何事も筆の往来や冬籠千代女時節柄、歳暮の御礼の手紙やメールが行き来するこの頃今日は水曜稽古掛け物は雛屋立圃の色紙雛屋立圃ヒナヤリュウホ江戸時代初期の狩野派の絵師、俳人。文禄4年〈1595年〉~寛文9年9月30日〈1669年10月24日〉姓は野々口、名は親重。号は立圃、立甫、甫、松翁、日祐、風狂子。野々口立圃としても知られる。俗称は紅屋庄衛門、市兵衛、次郎左衛門、宗左衛門など諸説がある。絵師としては狩野派。先祖は地下侍といわれる。京都一条に生まれ、父の代に丹波から京へ上り、雛人形を製造・販売し、雛屋を称す。俳諧を松永貞徳、連歌を猪苗代兼与に、和歌を烏丸光広に学び、書は尊朝流。絵画は狩野探幽、俵屋宗達、土佐派を学んだとも。筆の往来や
柿落ちてうたた短かき日となりぬ夏目漱石今日は古筆研究会八代集『古今和歌集』『後撰和歌集』『拾遺和歌集』『後拾遺和歌集』『金葉和歌集』『詞花和歌集』『千載和歌集』『新古今和歌集』これの覚え方今後私語は禁止せしこんごしごはきんしせし古今→こ(ん)後撰→ご拾遺→し後拾遺→ご(は)金葉→きん詞花→し千載→せ新古今→し今後私語は禁止せし覚えようすぐ忘れてしまうけど短日
草枯て狐の飛脚通りけり蕪村お昼にお友だちが二人遊びにお越しなだ万のお弁当のお持たせにそれに香の物を三種セロリの漬物おくらの漬物干し沢庵おいしくお昼を完食そのあとはお喋りして2時になると紅茶にお持たせの和栗モンブランのケーキこのところ食べ過ぎか狐の飛脚通りけり
山路来て馬やり過す小春哉夏目漱石わりと暖かいのでコートも軽いものおかげで肩もこらず動きが軽い今日は小さな忘年会場所は綱島のいつもの「ふくもと」でお食事秋田雪の茅舎宮城浦霞禅伏見玉乃光順にお酒を頼んでおちょこで乾杯楽しい嬉しい美味しい馬やり過す
金屏の松の古さよ冬籠芭蕉今日は金曜日食事会帝国ホテルの二階レセゾンでランチ師走のレストランは満席だった金屏の松
炭取の底にかそけき木の葉かな芥川龍之介今日は木曜稽古家の回りに落ち葉が目立ち始めたわが家のもみじだ紅葉して少し赤いが茶色も入ってる今年の紅葉はあまりほめられない落ち葉は隣家まで散らばったり路の片隅に吹き寄せになったりさっさと箒で寄せて塵取りで集めて捨てる雨が降らなかったので乾いてるからかさこそ逆らいつつも塵取りに収まる抵抗して逃げてばかりの落ち葉は手でつまんで捨てるあまり寒くないのでらくだ今日の掛け物は横井也有ヨコイヤユウ【横井也有】江戸中期の文人・俳人。名は時般(ときつら)。別号、野有、知雨亭、蘿隠など。尾張藩の御用人となり、大番頭・寺社奉行などを兼ねたが、五三歳で致仕し知雨亭に隠棲、風雅な余生を送った。武道、詩歌、狂歌、書画、謡曲などにすぐれ、多芸多能の人。著「蘿葉集」「垤集(ありづかしゅう)」「鶉衣...かそけき木の葉
尻もちをつきてよろこぶしはす哉季吟北村季吟キタムラキギン江戸前期の古典学者、俳人、歌人。通称、久助。号は拾穂軒(しゅうすいけん)・湖月亭・慮庵。近江の人。松永貞徳に和学・俳諧、飛鳥井雅章に和歌を学び、のち幕府に仕える。和漢・神儒仏の学に精通し、中世以後の古典の注釈を集大成。門弟に芭蕉、素堂などがある。著は「徒然草文段抄」「源氏物語湖月抄」「枕草子春曙抄」「万葉集拾穂抄」、句集「新続犬筑波集」など。寛永元~宝永二年(一六二四‐一七〇五)今日は小熊の会七事式をする為にクマショウさんのお宅へ向かうクマショウさんの床の間には「無事」がかかっていた師走ですなあよろこぶしはす哉
使者ひとり書院へ通るさむさかな其角今日は寒かった読売文化センターへ行く「千利休わび茶の世界」今日は佐々木道誉ササキドウヨ永仁四~応安六=文中二年(1306―1373)佐々木高氏ササキタカウジ京極道誉キョウゴクドウヨ京極高氏キョウゴクタカウジともよばれる南北朝期の武将。近江国の豪族。はじめ北条高時に仕えたが、のち足利尊氏に従い、室町幕府創設に功があった。近江、上総、出雲などの守護をかねる。歌道、香道、茶道のたしなみも深かった。法名勝楽寺徳翁導誉。バサラ大名。いよいよ冬か夕方になるにつれ寒さは増してくる熱々の肉まんをコンビニで買った写真は横浜の花屋さんクリスマスっぽくなってる書院へ通る寒さ
さはつたら手も切やせん冬木立一茶今日はASANOの誕生日会場所は銀座の一丁目ポーラのビルの上にあるフランス料理のお店ギンザシェトモへランチは四皿でも満足したまた行きたいね冬木立
冬の日や障子をかする竹の影龍之介今日は護国寺の茶会へ行く予定だったが行けなくなった昨日は、よく歩いた正札会の会場をぐるぐるとはいた靴が朝から合わずバンドエイドを貰って貼ったがずっと痛い今日はそのせいもあり足が痛く体調も良くない考えたが明日も出掛けるし茶会へ行くのをやめにした茶券は頂いたのだが誠に申し訳ない今日はずっと寝てた冬の日や
与謝野晶子冬の空針もて彫りし絵のやうに星きらめきて風の声する寒天へ掃き出す埃に今日は銀座の谷庄へ何も買わないのは寂しいいくつもあるが取り敢えず出し袱紗を買ったその後は近くの地下に降りたイタリアンでランチ昨日に続きワインで乾杯タクシーを拾って東京美術倶楽部の正札会へお弟子様が棗が欲しいとのこと棗に中次それだけを見て四階から三階二階また四階へと早足で巡るお弟子様は棗をもとめたそれぞれがお道具を買って荷物をもっている事嬉しい顔だ一日があっという間楽しい時間はすぐ過ぎるね星きらめきて風の声する
柿落ちてうたた短かき日となりぬ夏目漱石日暮れの早いこと今日の日没は16:28今日は文の会いつものイタリアンで待ち合わせ写真のワインとおつまみパスタ2種類をシェアして満足帰りにコンビニでスイーツ買って家で食べるしあわせ二人で噛み締めた今日は伊勢物語八十段まで読んだ八十段(衰えた家)むかし、おとろへたる家に、藤の花植ゑたる人ありけり。三月のつごもりに、その日、雨そほふるに、人のもとへ折りて奉らすとてよめる。ぬれつつぞしひて折りつる年のうちに春はいく日もあらじと思へばうたた短かき日となりぬ
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10/2gooブログが終了しますのでアメーバブログに移転予定です引っ越しするのに自分では出来かねまして専門の方に頼んでおりますのでそれまで少しお休みさせて下さい5月は薫風自南来気持ちよい風に吹かれて美味しいものを食べたい麗しいお道具を拝見したいと願ってる毎日です写真は綱島のフクモトの御料理薫風自南来
今日は火曜日鶯谷で皆さんと待合せ東博特別展へ「蔦屋重三郎コンテンツビジネスの風雲児」吉原大門を入ると吉原大通の桜が出迎えるいい気分出口近くには耕書堂の店大川端から花火も見れるいい気分だ平成館2025年4月22日(火)~2025年6月15日(日)「一目千本」と「写楽」を前期21作品をたっぷり拝見他のは通りすぎるだけだったお昼はホテルオークラガーデンテラスで三時は松坂屋の二階のカフエケーキが凄くフルーツたくさんでも高いけど珈琲SETとお喋り楽しまた行きましょう東博へ東博へ行こう
名にし負はばいざ言問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと伊勢物語の9段『東下り』今日は茶会大磯の松月茶会へ薄茶席担当のお道具屋さんからご案内初めて参加す風情がある料亭での茶会雨の予報だったが曇晴れ上等濃茶席は胡銅花入に牡丹薄茶席は竹花入にもみじと木苺写真は今日の点心だ名にし負はば
今日は東美で和美の会へわりと空いていた感じ森金さんと待ち合せエフ先生と合流茶入茶杓を目的にとアッチコッチへうろちょろカタログにはあったが実物は売れてしまったのか姿が無かった江戸初期の茶杓は高い案外、茶入は安く買い時かもでも私は何も買えないけども楽しかった帰りはビールで乾杯しようかビアホールはシニア風な人々で溢れるばかり満員凄いエネルギーが充満してる感じみんな元気でいいね!東美和美の会
咲く花は八重か一重かおぼつかなおぼろ月夜の山蔭の道自画賛阪正臣筆4月8日火曜日はお釈迦様の誕生日その日は森金さんの水屋4月9日水曜日は大仏の日熊ショウさんちで七時式4月10日は村雨庵の稽古日明日はまた森金さんの水屋土曜日は和美の会日曜日はサカチカさんの水屋4月は何かとあわただしくこの後もずっと予定が詰まっている良いような悪いような突き進むしかないが出来なくなったら自然に止むはず咲く花は
たんぽぽや折々さます蝶の夢加賀千代女土曜日は茶事手伝い昨日の日曜日は倍様と文の会前回は1月なので久しぶり伊勢物語を音読お昼はいつものイタリアンいつもの前菜とワインそれにパスタ2種いつもでも支払い金額はだんだん増えてる新しいエアコンを買ったので午後から取付作業前のエアコンを外す我が家は古い家軒が出ている長押ナゲシの上の壁に穴をあけて一度軒ノキの上に出し軒ノキを下にと穴を開けパイプをとおして外に出す直角に曲げるので古いエアコンを外すときも据えるときもそれが大変電気屋さんはいつもの電気屋さんがお歳でお店を閉じてしまったので同じような方を紹介してもらったどうも私と同年代20キロのエアコン担いで脚立にのって一人で作業するのだが四苦八苦危うく落としそうになるので思わず下からエアコンを支えた順調にはいかない「どうぞ勉...タンポポや
今日はサカチカさんと銀座谷庄の茶会へ買うものは無いし見るだけだそれでも楽しいお互いどこかでお目にかかったようなと目が合い先日の柿伝の茶飯釜でご一緒だと気がついたまた護国寺で御目文字した竹とんぼさん達ともご縁ですね思いがけぬ場所での遭遇は嬉しいその後は歩いてぜん屋へ雨草履を買うつもりが低反発の草履を買ったそして歩いて「司」へ見るだけそれから歩いて京橋の「婆娑羅」で昼食ここは美味しいオープンキッチンでよくみえるそして歩いて東京駅大丸のイノダへ我慢できずケーキセット今日はよく歩いたらしく足裏に豆ができた有楽町、銀座から京橋、東京駅
花冷やはるかに燃ゆる花篝草城昨日は火曜日火曜日は南方録のお勉強今回は覚え書二十一飯台は机の如くして2人3人4人も台一つにて食する、これ禅林日用の作法なりしかるを紹鷗、宗易、大徳寺、南宗寺の衆を茶の時、折々飯台を出されしなり2畳3畳4畳別して四畳半によし茶立口の他に今一つ口ある座敷ならでは茶立口より出し入れは好まざることなり亭主まず台を座へかかえだし布巾にて清めさて食の椀に物相の飯を入れ蓋をし下に汁椀を重ねかくの如く客の数次第、引き盆に並べる出て台の上に上げ汁は汁次にて出す菜も鍋にても鉢にても出すその品次第の見合せなり酒は一、二返にてすむべし食椀の蓋にしたるものにて飲むなり客の食いよう別してきれいに喰うべし惣じて飯台の料理は殊更軽くすることなり汁一つ菜一つ、強いて二つ、茶うけのものなど出さざるもよしまた一様...花冷えや
今日はエイプリルフール4月の冷たい雨が降って懐炉を持っていないことに悔やんだ昨日はお茶碗研究会仁清乾山どの分野でもそうだがわかっているようでまだまだだと思い知らされる古清水は仁清以後~奥田頴川以前とか道具屋筋は明治でも古清水と言うと奥田頴川はトーハクに呉須赤絵の重要美術品色絵飛鳳文隅切膳がある陸方山とも号した建仁寺の南に開窯明の渡来人の子孫中国意匠の作品が多い特に呉須赤絵を得意京焼に磁器を導入,京焼黄金時代の因となった今日は読売カルチャーの南方録へ奥田頴川オクダエイセン
西行おしなべて花のさかりになりにけり山の端ごとにかかる白雲今日は川崎で食事会12名が賑やかにお喋りワイワイとお酒を飲んであっという間にお料理が並んだが誰もがムシャムシャ完食した身体も胃袋も元気帰りにお花見しながら帰ると言う人もみんな元気だねえ明日も元気で出かけようじゃないのおしなべて
今日はサカチカさんの茶事私は玉ちゃんと水屋担当今日の茶事は飯後の茶事菓子の茶事とも言う茶事は食事をお出しする朝茶正午夜咄の茶事が一般的だが飯後はその言葉どおり食事の合間にする茶なので3時間以内でするすると進めるでないとその後の食事にさわり不都合となる汲み出初炭香合をご覧に入れてその後吸い物八寸菓子椀中立となる後座の床は花となり続き薄茶でお開きだどんな茶でも一献あればそれは茶事になるとエス先生は仰ったお酒ばかりでは宴会と変わらない何事も程ほど写真は待合の床田中訥言筆「猫に蝶図」復興大和絵の祖といわれる江戸後期の画家中国では猫と蝶々の取合せは長寿を表す猫と蝶々の中国語maoとdieは70歳と80歳の発音が似てるそうなと亭主サカチカさんのお話しありサカチカサンノ飯後の茶事
桜狩り雨は降りきぬ同じくはぬるとも花の陰にかくらむ正二位季忠七十二歳画並書藤浪季忠フジナミスエタダ昨日はうちで茶事だった後期高齢者にしてはオーバーワーク亭主は身体と頭をフルに使うこと・1ヶ月前から手紙を書く・前日までに庭の点検(前日前には蹲や庭をする綺麗に掃除、枝をととのえる)炭を洗っておく・前日には茶事の道具箱から棚に並べる掛軸を掛ける(当日でも可)・当日2時間前に来て水撒き30分前にも水撒きする暑くなると15分前にも水撒きあとはいつものように炭、濃茶、薄茶の準備腰掛と待合の火入を出汲出を用意しておくお客様が挨拶に見えたら→汲出を出して「お腰掛けまでお出ましを」お客様が腰掛けに移られたら迎付け濡れ釜掛けて手掛かりを開ける挨拶→初炭手前炭斗下げたら後炭の用意炭道具はまだ乗せない後座の花を見積る香合をご...桜狩り
藤原良経春風の吹きにし日よりみ吉野の雪間の草ぞ色まさりゆく今日はほの暖かい春風が心地よい明日は自宅で社中の茶事だベテランの御弟子様たちは各自で茶事をひらくがコロナ禍前後に入門した若い御弟子様たちは安居の会という村雨庵の茶会を19回ひらいたがそれは虫養いムシヤシナイと菓子のあと中立濃茶後炭薄茶と続く小寄せの茶会懐石の部分を経験していない招待の手紙を出すところから始まりつくばいの掃除海の石を取り出し底をよく掃除回りの木々を整え庭の掃除わが家の濡れ縁を腰掛代わりにしているので外から窓を拭き網戸を拭きぬれ縁を拭いてもらうとっても助かる家の回りが清められて気持ちが良い炭を洗ったし明日の準備は良いかしらね亭主は暮れちゃんお客様は三名水屋は二名自分のおうちから道具を何回か運んだこの和歌は九条良経くじょうよしつね嘉応元~...春風の吹きにし日より
今日は広尾の茶会へ先月も伺ったが結構なお道具が出て勉強今日も尊円法親王の和漢朗詠集の3月3日「春来遍是桃花水不辨仙源何處尋」王維書き下し文は「春来っては遍ねくこれ桃花の水なれば仙源を弁(わきま)へず何れの処にか尋ねむ」王維十九歳陶淵明の影響を受け詠む「桃源の行」の一節尊円法親王は伏見天皇第6皇子。永仁6年8月1日(1298年9月7日)-延文元年/正平11年9月23日(1356年10月17日))は、青蓮院第十七世門跡。茶会は遊びのようで遊びでないかも濃茶のお菓子は富ヶ谷の岬屋金団薄茶のお菓子は伊織春来遍是桃花水
起きよ起きよ我が友にせん寝る胡蝶芭蕉今日はいつもの茶事水屋手伝いなー朝から春の明るい日射し何年か前は足が大変だったが元気になってよかったですねとご正客の言葉に膝が悪く辛い日々を思い出した喉もとすぎるとすぐ忘れる鈍感力起きよ起きよ
19日と20日は村雨庵の稽古日釣釜と透木釜どちらでも炭手前を出来るように稽古二碗物の茶通箱に続き薄茶教える方も習う方も能がよく働く茶通箱に利休好み薬籠蓋に仙翁好み桟蓋と玄々斎好み出会い桟蓋がある出会い桟蓋は持ってないので桟蓋の茶通箱で稽古茶通箱は焼物の茶入と棗を袋に入れた茶入を入れ薄器は棗と形の違うものを稽古では四滴の中から選んで使うはじめの濃茶を飲み茶名を伺うまではよいがそのあと正客はのんびりとしてるわけにはいかないよく言う茶巾袱紗で「今一種」塵打ち聞いたら出会いで返す二碗目の加減を問われて水が入ると「後の茶名」「前の茶入お仕服拝見」茶碗返しつ茶入に仕服を引く茶筅清めば拝見をする水指の蓋で拝見かけてそれを引くとき茶入仕服を返すというわけで気を抜く暇はない茶通箱
寄付は短冊森金さんが福田行雄先生より頂戴したもの待合は狩野派の桜に霞本席はお公家の桜の懐紙春永のひねもすをのたりとすごされてらっしゃるご様子楽しそうなお声が途切れない今日は4時半に起きたそろそろ眠たし昨日の茶事先生がそれでは春永ハルナガにお目にかかりませうと春分がすぎ日が長くなったらとのことだ是非とも森金さんの飯台茶事
今日は柿伝の茶飯釜の茶事初炭は管炭と枝炭は残し増やしたぎっちょと割りを丸くつぐサラサラと釜にお米を入れ炊ける間に香合の拝見あっという間にご飯は炊き上がり香ばしい良い香りが広がるまず一口の嬉しい時間だ今日は彼岸の入り生きてる生かされていることに感謝した一日写真は新宿のホームお茶らしい写真を撮れず茶飯釜の茶事
朝から雨だ今日は五島美術館美の友の茶会早めに行ったので44番三席目に入れた濃茶席は高野切の二の手水指はノンコウの桐紋薄作だそうだがこの茶会では何度も拝見する茶入は住吉茶碗は井戸九重茶杓は空中作釜はあられ釜五島の美の友には20代に入った昔のこの茶会は道具にたいして敬意をひょうし紋付きでと先輩にご指導あったが時代ともに色々変わる現在も全てが変更中振り落とされないようにしっかり五島美術館美の友茶会
今日は昔の友人と食事会お互いに誕生会を開いて60年今回は京橋の婆娑羅ランチ3,410円トマトすき焼が有名とか私は魚ゆっくり贈り物交換などは出来ないが美味予算内で友人の一人が肉が全てダメで場所を探すのも大変年に三回だから次からは金額はほどほどなら良い何でも値上がりこのご時世三千四千円ではなかなか難しいお昼のあとは銀座五丁目のトリコロールのケーキセット1,670円すごく良いのだがすごく混んでるそして外人が多い階段でならんで待つひたすら待つ次は山の誕生会六月予算が上がってどこになるかな楽しみ京橋~銀座
俊恵法師影うつす水のこころやあさからむすむほどもなき星合の空俊恵しゅんえ永久元年(1113年)~建久2年(1191年)頃?)平安末期の僧・歌人。父は源俊頼。母は橘敦隆の娘。早くに東大寺の僧となり、俊恵法師とも呼ばれる。俊恵作と伝えられている歌、千百首あまりであるが、その多くは四十歳以降に詠まれたものである。白川の自坊を「歌林苑」と名付け、そこに藤原清輔・源頼政・殷富門院大輔など多くの歌人を集めてさかんに歌会・歌合を開催し、衰えつつあった当時の歌壇に大きな刺激を与えた。鴨長明の師である。その歌論は『無名抄』などにもみえる。風景と心情が重なり合った象徴的な美の世界や、余情を重んじて、多くを語らない中世的なもの静かさが漂う世界を、和歌のうえで表現しようとした。同じく幽玄の美を著そうとした藤原俊成とは異なる幽玄を...星合の空
花朝女夏草に蓬もまじりのびにけり筆者は生田花朝女いくたかちょうじょ1889年(明治22年)11月22日~1978年(昭和53年)3月29日)明治から昭和にかけての日本画家。(ウィキペディアより)今日は水曜稽古白木蓮の枝がすごく伸びてきたずっと気にはなっていたが何しろ暑いし物凄く蚊がくるしやりたくないやりたくないが仕方ない今日切らないとどんどん暑くなるらしいから切ることにした朝五時に起きて長枝挟みで切る切る長い枝は切ってから手で折るたちまちごみ袋から溢れ木蓮の木はスッキリ気分もスッキリした夏草に
後徳大寺左大臣ほととぎす鳴きつる方を眺むればただ有明の月ぞ残れる後徳大寺左大臣1139~1191本名は藤原実定サネザネ大炊御門右大臣藤原公能キンヨシの子供藤原定家のいとこ。祖父も徳大寺左大臣と称されたので、区別するため後徳大寺左大臣と呼ばれる。詩歌管弦に優れ、平安時代末期の平氏が栄えた時代に大臣の職にあった。今日は森金さんのお茶事の水屋跡見なのでいつもの茶事より時間も短い庭の秋海棠と高砂芙蓉を切っていくと花溜めに木槿の白とピンクに水引があった花を活ける時は誰もが真剣無口になってる花は亭主がいける花はもてなし有明の月ぞ残れる
風吹て廻り燈籠の浮世かな子規今日は七月十五日午後二時頃自転車に乗ってお坊さんがやってくるお盆の棚経をあげてくれるのだまずお布施の用意筆ペンを探してお金を用意銘々皿に和菓子すぐにお薄を点てられるように撫子の色絵平茶碗を用意ティフアールの温度は80度お菓子を召し上がりお薄をおまちのお坊様へ「お待たせしました」これも茶の湯懐石の献立は常にアンテナを出して新しい使えそうなものを探そう人は何でもすぐに飽きるからね味噌汁は味噌を必ず使うこと具は精進ものを一つ脇役を添えても可白味噌と赤味噌の割合を変えつつ一年の変化を見せることそれに出汁は最上の昆布と鰹節で引くこと懐石は非日常なんだから味噌汁の具風炉白玉団子焼湯葉栗焼豆腐南瓜新管牛蒡ムカゴタラの芽蓮芋アスパラガスゼンマイ舞茸しめじ小茄子ずいき胡麻豆腐子芋冬瓜丁子麩粟麩と...廻り燈籠の浮世かな
寂蓮山賤の契のほどや忍ぶらん夜をのみ待つ夕顔の花今日は文の会会員のバイ様は先週金曜日に熱中症になり救急車で運ばれたとたまたま電話をしたところ具合の悪そうな声でそう言う友達を一人失くしてしまうかと恐ろしかった今日はもう元気おつまみを頼んでワインで乾杯パスタをシェアしていつもと同じいつもと同じがいいお喋りして気づいたら三時半急いで伊勢物語を音読四時過ぎまでちょっと読んだそれで終了いつもと同じ夜をのみ待つ夕顔の花
伊勢いづこにも咲きはすらめど我が宿のやまと撫子たれに見せまし茶事の取合メモ七月初旬は星祭り歌切や懐紙七夕の掛けよう梶の葉飾っても良し糸巻きギヤマン星や織姫彦星中旬はお盆の取合せ紺地金泥の古経二月堂焼経、泉福寺焼経だったら願ってもない観音、達磨、怖いけど地獄下旬は涼しいもの滝の画白紙賛でも掛けて青磁や染付どっぷりと水を含ませた南蛮の水指今日は朝日カルチャーへいく日だか暑いのなんのって暑い途中電話があった「講師の先生が高熱を出されて休講です」午後の1時は美容院予約済み時間を変更して涼しい美容院へ直行髪を短くカットと炭酸シャンプーで5,420円慣れてるのでおまかせお昼はコンビニで取りそろえ帰った家も暑い蒸し暑いエアコン強め扇風機は2台回しの涼やかな風鮪の海苔巻き鶏とポテトのナンチャラベーコンと青菜のサラダ食後の...たれに見せまし
灰汁桶アクオケの蝶のきげんや木下闇一茶音もせで水流れけり木下闇漱石木下闇コシタヤミ鬱蒼と茂る木立の下の暗がりのこと。昼でも暗く涼しい。夏の強い日差しのもとでは闇のようである。今日は蒸し暑かった木曜稽古は朝九時から夜は九時半まで木曜は夜は二名昼間は四、五名なのにサカチカさんねこさんダブリュウさんヤチコさんクマさんアイテラさん森金さん秋さんヤマナさん雷蔵くんいのちゃん忙しいと思ったら十一名が見えたあっという間の一日そういう日もある結構な一日だ写真はいのちゃんから頂いた写真ノウゼンカズラ夏だね木下闇コシタヤミ
社頭水正臣みたらしはいづくはあれど五十鈴川千歳の杉の陰うつる水みたらし【御手洗】→寺社の境内にあって、参詣者が手や口を水で清める所。ミタライとも。手水いづくはあれど→他の場所はともかくとして正臣は阪正臣バンマサオミ明治〜昭和期の歌人1855~1931尾張国名古屋花屋町別名号=茅田,樅園経歴明治6年上京し、権田直助に師事。20年御歌所に入り、28年華族女学校教授。30年御歌所寄人、40年御歌所主事となる。歌は高崎正風に学び、また書をよくした。今日は水曜稽古暑い一日だったがなぜか台子の点前をする人が多かった暑いからこそ難しい点前をしたほうが集中できるのだ五十鈴川
空腹に雷ひびく夏野哉一茶今日は○○研究会古鏡と古瓦古鏡は平安時代の和鏡に限る古瓦の蓮華文軒丸瓦は飛鳥時代は→素弁蓮華文白鳳時代前半は→単弁蓮華文白鳳時代後半以降は→複弁蓮華文暑い午後だもん真剣に講義を受けていたからああ疲れた写真はもうすぐ咲くであろう烏瓜カラスウリの白い蕾花咲くとレースみたいで綺麗だ別名玉章タマズサ玉梓タマズサ狐の枕キツネノマクラとも言うらしいカラスウリの根薬効は利尿、便秘カラスウリの実薬効はしもやけキカラスウリの根薬効は解熱キカラスウリのタネ薬効はせきどめ、たんきり漢方薬になってる夏野かな
源順野辺ごとに茂る夏草ふかくこそ契りおきしか千歳枯れじと源順ミナモトノシタゴウ平安時代中期の貴族・歌人・学者。嵯峨源氏、大納言・源定の曾孫。左馬允・源挙コゾルの次男。官位は従五位上・能登守。梨壺の五人。三十六歌仙の一人。今日正札会へ開場の10時には入口にいた一緒のお弟子様は森金さんとサカチカさん賑やかな二人だタクシーでも大きな声でお喋りうるさいと注意私も含めてだがまずは四階から茶事に使えるようなものにジャカジャカ札を置いて行く良いね道具の買い物は実に楽しい時代の金蒔絵棗煮物椀作家物の中次へぎ目白檀塗盆明治江戸時代舟形向付呉須赤絵の皿茶杓色々などなど正札会は二万円から良いものを手頃な値段で買える場合もなにするも体力が必要だお昼抜きで集中二時半すぎ新橋亭で昼食楽しい一日だったね茂る夏草
斎藤茂吉いかづちのとどろくなかにかがよひて黄なる光のただならぬはや斎藤茂吉1882~1953明治生まれ、大正昭和前期の日本の歌人・精神科医。伊藤左千夫門下。アララギの中心人物。日本芸術院会員、文化功労者、文化勲章受章者。今日は土曜日銀座の古美術店で待ち合わせ私は銀毛織の出袱紗を買ったがそれぞれ買い物して近くの蕎麦屋でお昼昭和時代そのままの店構えと店内天ざるに鮪、だし巻き玉子焼に板わさをツマミにしてそれに八海山おのおのグラスで来る昔のおじさん達が蕎麦屋で楽しく一杯やっていたそのまま我らも真似っこ昼から日本酒でほろ酔いなんて世の中変わったものだやれば何でも出来る時代嬉しいね店を出て美術倶楽部での正札会へ行く出来上がっているのでゆっくり道具を味わってる暇などないただただ二階を一周してやめ新橋の喫茶店へ行くケーキ...とどろくなかにかがよひて
ひとふしによろずよこめてくれ竹おくふしたけをたてまつりけむ八十八媼志支婦今日は木曜日日曜日は七夕今日は高畠式部の竹の自画賛高畠式部タカバタケシキブ幕末明治初期の歌人1785~188196歳でなくなったがこの時代、誠に長命だ伊勢国松坂の商家に生まれ香川景樹のち千種有功に師事和歌以外に書画、彫刻、琵琶、笙、茶道等も学んだ式部の八十八歳で描いた竹の絵は非常に力強い見習おう我々まだまだひとふしに
兼明親王(後拾遺1154)七重八重花は咲けども山吹の実の一つだに無きぞかなしき(あやしき)太田道灌の雨具借りの故事に登場する古歌実がならないのは八重咲の花普通の一重の山吹は実を持つ今日は七事式の会小熊の会だ午前の班と午後の班おのおの今日は五名ずつ科目は廻り花之式それと一二三之式を二順し平花月優雅で充実した時間を共有した今回で11回めかな大分慣れてきた感じ七事式は・花月・且座 ・茶かぶき・員茶 (かずちゃ) ・回り炭・回り花・一二三 この会のお稽古あと残りは茶カブキだけだが茶カブキは濃茶四服まわし飲みゆえしばらく不可能一通りは経験した事にしよう今日集まった廻り花の茶花秋海棠木槿水引白河原撫子糸ススキ松明草薮ミョウガヤマボウシ八重ヤマブキ源氏物語の《野分》にある玉鬘のことを八重山吹の咲き乱れたる盛りに露のかか...七重八重花は咲けども山吹の
今日は読売カルチャー利休の茶の継承者達利休の「武蔵鐙の文」は織部に宛てた有名な文だがその手紙の和歌武蔵鐙ムサシアブミさすがに道の遠ければ問わぬも床し問うも嬉ししこれには本歌がある百人一首の小式部内侍の和歌大江山いく野の道の遠ければまだ踏みも見ず天橋立また伊勢物語の十三武蔵鐙ムサシアブミから武蔵国さすがにかけて頼むにはとはぬもつらしとふもうるさしそういえば伊勢物語を読んでるとき武蔵鐙ムサシアブミ聞いたことあるなぁと思っていたがこれだったんだ出かけてチョット勉強するとぐだぐだの日常が少し引き締まった気がする今日はミーちゃんを病院に連れていった爪を切ってもらってついでに血液検査もした人並みに数値が出て人間と一緒だ腎臓と肝臓の数値がチョットオーバーでも年齢を考えると健康な方ですよと言われた健康な方ねぇいやい...とはぬもつらし、とふもうるさし
さ庭べの草煙り居る薄暑かな龍之介墨跡をかける時にはたくぼくを末座の方へ大方はひけ利休百首絵の物を掛る時にはたくぼくを印ある方へ引きおくもよし利休百首啄木タクボクは軸を巻いておく巻き緒のことつまり巻き緒は下座に引くのだが絵の時は筆者の署名、花押、印の方へ引いても良いというピンポンが鳴るとアマゾンかお中元の季節になった写真の福みたらしというお菓子親戚の今日子から届いた物お店は滋賀県の菓匠禄兵衛滋賀県老舗醤油屋ダイコウ醤油使用とあるダイコウ醤油とは1853年(嘉永五年)【ダイコウ醤油】は滋賀県・木之本で産声をあげました。古くから交通の要衝として栄えた木之本は、伊吹山系からの伏流水で豊かな自然の恵みを一杯受けた土地で、古くから酒や醤油などの醸造業が栄えた地でもあります。ダイコウ醤油は150余年の歴史と伝統に培わ...さ庭べの
心あてにそれかとぞ見る白露の光添へたる夕顔の花源氏物語、夕顔今日は日曜日大河ドラマの光る君へ毎週楽しみにしてるむしろこの為の一週間でもあるそれとアニメ怪獣8号これがとてつもなく良い流れる音楽も激しい画面も眼を話せないテレビっていつまでも見ていられるのだ好きでない番組もあるが録画してあるものを見ればほとんど飽きないときたま居眠りガクンと首を反らしてしまいムチ打ちの心配何度もだ妹がコロナで入院して一週間が過ぎた熱も下がり陰圧室から普通の病室に変わったひとまず安心外出もできずひとりで暇だったのでアイスクリームにお菓子に菓子パン栄養も考えず好きなものばかり食べ好きなときに寝てゆっくり起きてたいくらでも自堕落になれるものだ写真は六月の17日のパレスサイドホテルの白鳥心あてに
ひるがほやあぶなき橋に水鏡千代女午前11時から日本陶磁協会のオンライン講座講師は宮武慶之氏[同志社大学研究員「”目利き”とはをテーマに」第1回は「江戸の材木商・冬木屋-ふたつの唐物茶入の流出後-」時間になりズームを見る油屋肩衝と冬木弦付の茶入のお話し知らないことばかり勉強になったひるがほや
源経信五月雨に玉江の水やまさるらむ蘆の下葉の隠れゆくかな源経信ミナモトノツネノブ平安時代後期の公家・歌人。官位は正二位・大納言。桂大納言と号す。小倉百人一首では大納言経信。主君は後一条天皇→後朱雀天皇→後冷泉天皇→後三条天皇→白河天皇外は激しい雨が降っているパラパラと脇にある茶のノートを手に取ると塗師の道志と道恵のことがかいてあった道志は満田石州の定塗師満田道志ミツダドウシ道恵は近藤加賀前田家代々ご用絵師近藤道恵コンドウドウエ江戸初期から続く塗師の家系がたどれるのは中村宗哲家のみ満田道志家近藤道恵家も明治維新後には家業が成り立たなくなったようだ蒔絵の山本春正家も江戸初期から十代続いたがやはり明治期に絶えていると私のメモ蘆の下葉の隠れゆくかな
夏河を越すうれしさよ手に草履蕪村先週の稽古のあと朱色の帛紗を誰か忘れていった名前は書いてないけど多分○○さん帛紗を腰につけるのは中国の風習の悪気からの護身のため腰につける「佩玉ハイギョク」からきてるとの説がある茶では亭主であることの表示と清浄心を現すため腰につけると言う帛紗袱紗服紗福紗とも書きもとは寸法も色々だった茶で使う帛紗は武野紹鴎の頃からあったようで利休が小田原出陣の際妻の宗恩が棗を包むのに作った寸法が手頃であったので寸法として一定し五寸の古帛紗も宗恩が考案したとかは有名な話し帛紗は使い捨てが本来だが古帛紗や出し帛紗は鑑賞の対象とも茶人は帛紗と古帛紗や出し帛紗を常に所持つけるときは帯のラインに垂直になるようにする業躰先生にまず注意されるところだ夏河を越す
曽禰好忠野中にはゆきかふ道も見えぬまでなべて夏草繁りあひけりわが庭はすでに夏盛り夏草が背が高くなった奥の方には宗旦木槿が花咲いた秋海棠も花さいて松明草に高砂芙蓉今週は稽古も休んだのでせっかくの花が使えないがまた咲いてくれるだろう今日行く今日用がある老人に必要なキョウイクとキョウヨウ教育教養と言われるが妹の関係でしばし外出できずお茶のお稽古のお弟子様をもおやすみとなると必須なのはゴミ出しの曜日だけその他のことは何もない幸い自分は熱もなく喉も痛くないボーッとしてビデオを見る黒澤明の白黒映画「生きる」主演の志村喬が祖父に似てた写真は松明草ゆきかふ道も見えぬまで