35.脳で視ている? 「目で見る」と「目以外で視る」ということについて、触れておきます。 「目で見る」ということを大雑把に言えば、少し突っ込んでみると、「目」が外からの刺激を感覚神経を介して「脳」に伝え、それを基に「脳」が視覚イメージを生み出す、そうい
35.脳で視ている? 「目で見る」と「目以外で視る」ということについて、触れておきます。 「目で見る」ということを大雑把に言えば、少し突っ込んでみると、「目」が外からの刺激を感覚神経を介して「脳」に伝え、それを基に「脳」が視覚イメージを生み出す、そうい
34. 市民権を持たない能力 教科学習での誤りについて、それを修正することについて考える際、まず、その原因を知ろうということで、その「原因分析」についてとりあげ、「知識」についで、関係器官の「操作」について取り上げる中で、前回、「その能力をいわば市民権のあ
33.理解には様々な感覚が関わる 前回、ミラーニューロンを取り上げたのは、自閉症の例にあるように、我々が「視て解る」「聴いて解る」と思っていることが、実は「目」とか「耳」とかだけによるのではないのですが、普通は、そう考えられていません。例えば、「共感覚
32.ミラーニューロンについて 今まで、「聴く」ということについて、様々な器官が関わるということを取り上げました。 そうすると、その「聴く」に関わる器官とは、「耳」を中心としたいわゆる「聴覚系」とされた器官だけを指し、次にそれを支えるエネルギー系などを
31.様々な器官の動員 「学習法」は、様々な器官を動員し、そのはたらきを統合することで成り立っています。 例として取り上げた「単語学習法」にしても、大雑把に言っても、聴くと見ると話すと書くこと全てのはたらきを統合することになります。それらがバラバラに足
30.「知識」の修正から「操作」の修正へ 修正学習を考える際、それまで身に付けたものの修正をやるとして、まずやるのが「誤り」の原因を突き止めることで、それを「原因分析と」読んでいるわけです。そこで、「レポート学習」では、まず、学習の過程を明らかにし、そ
29.内外の器官の操作 前回での「結び付ける」過程に問題がある場合は、そのためのやり方を指導することになるでしょう。 例えば、発音に問題がある場合、特定の音声について、その発音のための口や舌の使い方を指導する、後は本人がそれができるよう繰り返す、そうい
28.学習法を支える能力と知識 そこで、「学習法」とそれを支える能力について、SSAの単語学習法を例にとり上げるとします。 テープと単語プリントを使い、英語を聞きながら真似をして声に出して言い、同時に目で英文字を見ながら真似をして書く、次に英語を聞きな
27.学習法、通常の学習の中での習熟を目指すか? 「目標指示」は、その時の学習の目標を指示することですが、その前提は、その目標とされる学習の「方法指導」がなされていることが前提です。 例えば、「特定の単元の単語学習」の指示は「単語学習法」の指導が、「和
26.その場での修正にとどめるかどうか。 修正学習について、それを通常の学習を続ける中で行うか、それを一旦おいて遡及学習などに切り替えるかは、その修正を必要とする原因によって判断すべきこととなります。 例えば英語での和訳学習を例にとれば、通常の英語の単
25.その時の目標の選択と修正 生徒が、教室でその時何を学習するかは、行き着くところは、本人が自分で計画を立てその計画に沿ってその日何をやるか決めるというのが目指すところです。生徒が自分で計画を立てられるようになれば、指導する側はそれに助言をすれば良いわ
24.一定期間をかけての遡及学習 できなかったり誤ったりしたことの原因として、特定の事項というより、単元毎とかし小単元毎とか、そういう知識が欠けていることがあります。それは、本来、学校などで学習済みのもので、その知識の欠落がどの程度の規模のものか、本人
23.短期・中期・長期の取り組み 誤りの原因について、大雑把に言えるのは、まず「知識」の問題というのは、比較的短期に対応できるようです。例えば、あることについての理解が間違っていた、それを正しく理解し直す、それをその日の時間内にやる、そういうことが多い
22.原因と能力の結びつき 学習はうまくいかないことの「原因分析」について、「和訳学習」を例に学習の過程を取り上げたわけですが、無論、それだけで、そのまま「修正」につながるわけではありません。 その「過程」を前提とすれば、例えば「和訳学習」での単語の
21.教科学習のプロセス化 修正学習では、「解らない」「出来ない」の原因を明らかにする「原因分析」をやるわけですが、その原因分析の第一歩は「学習の経過」を明らかにすることで、そのために通常の学習の中で、その「学習の経過」のとらえ方を身につけるということで
20.過程の意識化から過程の無意識化へ さて、誤りが既成の学習によってもたらされたものとすれば、まず、その原因を知る必要があります。そのためには、まず、その学習の過程を意識に上げ、それを基に原因を特定し、それを正す学習を考え実行することになります。そして
19.「解る」「できる」の判断 「レポートテスト」では、まず「問題」について、自身の思考過程を書き表します。次いで、その「レポート」と「解説」とを対照して、その「思考経過」の一つ一つについて、自分で「これは解っていた」、「ここはよく解っていなかった」、あ
18.原因の突き止め さて「レポートテスト」は通常のテストと違い問題の答とか結論とかだけではなく、思考経過を書き表すことになっています。 そこで、例えば、「解答」があっていたとしても、その「思考過程」に問題がある場合、それを明らかにできるようになってい
17. 自分の学習のレポート レポートテストは、与えられた問題について、それをどう理解しどういう知識を使用してどう考えたかといった経過をレポートする学習です。 そこで、その問題が、できなかったり、間違えたりした場合、その修正に入るわけですが、その際、その
16.学習したつもりの生徒 前回、述べたような表面的な学習から生まれる学習観というのは、以前取り上げたようにそもそも心構えの修正を必要とするものです。 それは、「解っていない」のに「解ったつもり」なっている、「覚えてない」のに「覚えたつもり」になってい
15.根気よく着実に 生徒たちの多くは、ここでいう「修正学習」にあたることに関心がありません。その一つは、先に述べたとおり、自身の「内」というのが「みえない」ということでしょう。ただ、それ以外に、周囲の大人たちの振る舞いです。多くの大人たちにとっても
14.過ちの原因を取り除くことの積み重ね 「過ちを繰り返すべきでない」というのは人の生き方についてのことでしょうが、それについて、「教科学習においても同じことだ」と言いました。逆に言えば教科学習は、そのことを学ぶ機会になるということです。 過ちの原因を
11.学習は「内」が中心 ここまで述べたことをもとに考えれば、我々の思考と行動について考える時に、その時々に置かれた状況下においてなされる思考と行動は、それ以前に内に用意された知識・操作・意思と分けた自主学習能力によって左右されるわけです。 こういうこ
10.スマート化と民主化 前回、スマホのことを取り上げたわけですが、スマホはスマートphoneの略で、そのスマートというのは、体がスマートであると言うと、やあ痩せているとかスタイルがいいとかそういうものと考え勝ちですが、この場合のスマートは統一的であると
9.スマホ世代の受け止め方は? ここで「意味が空っぽのことば」とか「意味が違うことば」とかについて触れているのは、テーマである「修正学習」の「修正の対象」は何であるかということについて、それが、勉強で間違えた際に、その答えを書き直してそれで「修正しました
8.「意味が違うことば」 「意味が空っぽ」の言葉に対し、「意味が違うことば」である単語が「文」の中に混じっていると、その文の意味の理解に混乱が起き、「わけが分らない」とか、間違って受けとめる、とかいうことが起きると考えられます。 その際、その間違いの原
7.なぜ「意味がからっぽか?」 「意味が空っぽのことば」としても、例えば、単にこちらが知らない言葉を相手が使った場合もあれば、「過去にならったことば」でその時憶えられなかった場合、その時は覚えたのに忘れてしまった場合、記憶しているのに想起できない場合、い
6.文を構成する単語の意味か?単語を結び付ける文法か?「ことば」と言いましたが、それには単語とか文とか、あるいは文章とかいう単位の違いがあるわけです。そこで、実際のやり取りは、文、あるいは文章単位のものとしてやりとりがされるわけです。そこで、簡単な例とし
5.意味が空っぽのことば 前回、「文字を含めた言葉のやり取りによる授業というものが全く違ったものとしてみえてくる」と述べましたが、その言葉のやりとりについての理解に役立てばということで、最近、使われるようになったAPDについて触れておきます。APD-聴覚
4.「コトバ」のやり取りの奥でおきていること 多くの学習塾が学習の対象とするのは、国語とか数学とかの教科についての知識でしょう。そこで、学校とか塾での、教師と生徒との間のやり取りを考えた時、それはほとんどが言葉でのやりとりだということです。無論、そこに実
3. 深層に形成されるもの 指導者の学習観を変えるための研修で、三層フローチャートの記入の後に、それに続くものとして機能図の書き込みをやることについて、再々触れました。 これは、「脳」を縦横に表したものと、「耳」「目」や「手」「口」などをくっつけた平面
2.生徒の内に目を向ける指導者の研修でやることの一つに三層フローチャートの書き込みでこれについては再々取り上げました。それについては以前次のような説明をしました「三層フローチャート」というのは、「話す」とか「動く」とかの「行動」を「行動欄」、頭の中で
1.常に変化する内の記憶「学習」を人の思考や行動のもとをなす内の形成を中心にするものと考えれば、まずその内の働きとは何かが問題であり、それは何より常に変化し続けるものです。 そこで、その内のはたらきを中心に意識的学習を考えれば、その意識は、その内のはた
100.自身が「内」を見つめることで育つ能力 理解・記憶・思考・表現などの能力について取り上げていく中で、それらが全てつながっていることと、その基にあるのは、ここで便宜上「内部知識」としたものであることがよくわかります。そもそも記憶はそれを形成するはたら
99.「表現」と「記憶」 さて、「表現」と「記憶」について考えると、「表現」には、多くの場合、個人にしろ集団にしろ相手がいるわけで、それに対して働きかけるわけで、その際、自身の記憶だけでなく、その相手の記憶が絡むわけです。 思考したことを表現に換え
98.思考と知識の再整理 教科の中では、数学は論理的思考力を身につけることを目指す教科だとされています。 そこで、その数学の問題学習を取り上げてみます。一斉授業では、教師が生徒に問題を指示し、自分で問題を解かせます。多いのは、時間を決めて、時間が来る
96.記憶の確かめと修正 「新しく得た知識」が「既成の知識」と結びついて「内部知識」を形成する、そういうことで我々の中の知識は絶えず生まれ変わっていると言えるのではないでしょうか。 そして、それが我々が物事を理解し思考する場合に使用され、それが間違って
95.つながりと分断 切り離された指は、指の働きをしない、つまり、「はたらきを持たない」、本来の指ではないとなります。切り離すという極端な場合でなくても、指が例えば脳とのつながりを失う、伝達神経とのつながりを失う、あるいは、はエネルギーとか血液の供給が受
94.全てを言葉で説明することはできない 前回、武道の極意の話が出てきました。そこまででなく、普通の運動でもそこで体を動かし方を伝える際には、言葉を使います。しかしその目的は、本人の中にその体を使う働きを形成することです。それは、言葉をかえて言えば、「名
93.「名」が使いづらい「実」の排除 社会が拡がれば拡がるほど、言葉による伝達の機会が増大することになります。そこで、実物を前にしてものをしゃべるとかいうよりも、「外の実」抜きでの言葉の使用の機会が広がるわけですから、言葉で表現できない物事というのが次第
92.人間の能力と「ことば」 さて人間の能力と言葉の関係についてと言えば、先に不特定多数を相手にした「表現」のケースを取り上げたのですが、それは表現する側からではなく、それを受け止め理解する側から言えば、そこで使われる言葉の意味についてその表現する側がど
91.社会を支える能力 さて、社会というのは人と人との結びつきで成り立っているわけですが、その結びつきを考える上で互いに表現し合い理解し合うということは非常に大切です。お互いに解り合えなければ人は協力し合うことができず社会が成り立ちません。 そういう面
90.「個」以外の対象への「表現」 「表現」について、ここまでは主に特定の相手に対するものでしたが、我々は時には、不特定多数を相手にした表現をします。その場合は、その相手の集りの「知識」の共通性が問題になってきます。 例えば、子供たちを相手す
89.「ことば」の知識と「人」についての知識 前回取り上げたのは、表現について、自分が伝えたいものがある、それを「実」とすると、それを「名」を介して伝える、そこで、その「名」が相手の中でどうはたらくか、つまり、表現のために使用した「名」で、その「実」を伝
88.表現で伝えるもの さて、「表現」をする側からすると、無意識によるものと意識してのものがあり、その手段としては、大きく言語的なものと非言語的なものがあり、その相手が、「個」である場合、集団である場合があるわけです。そこで、「表現力」ということになる
87.こころのとらえ方の変化 最近の脳科学とか身体科学の触れる中で、体と心の関係について感じていることです。 「体」のはたらきについてというと解り易いのが、その動きですが、その一つである「手」というものを見ていて、それを動かしてみます。そうするとそれが
86.心身二元論を超える「廃用性萎縮」と言うと普通は体の筋肉について使われる言葉です。廃用性萎縮は、廃用症候群のうち筋萎縮の症状を指します。しかし、その「葉廃用症候群」というのは、廃用症候群は、「身体の不活動状態により生ずる二次的障害」として体系化
85.はたらきの不使用がもたらすもの 老化による能力低下とされているものの中に、実は老人扱いをされることによる、「廃用性萎縮」に似た、能力の不使用による不能化が非常に多いのではないでしょうか。 それは老化に対する対策について触れた著作に目を通してみると
84.老化と表現の衰え 「姿勢を読む」ということが出てきたところで老化の話に触れておきます。 姿勢と老化を合わせて考えると、すぐ思い浮かぶのは「腰が曲がる」ということです。 そのほかにも老化による体の変化は、ここで言う無意識の体の表現というものと繋がっ
83.ボディーランゲージのこと 学習に関わる表現と言えば、どうしても「ことば」が中心となるのですが、その前に非言語によるコミュニケーションとして挙げられるのが、ボディーランゲージです。これについて触れておきますボディーランゲージ(英語: body language)
82.表現についてのいろいろ 学習の過程を四つに分けての、「能力についてのあれこれ」、「理解・記憶・思考」に続いて「表現」のことを取り上げたいと思います。 そこで、まず広い意味での「表現」についてのあれこれを取り上げてみるとします。今までは、狭く「思考
81.「実」を伴っているかに注意 さてここで言葉の「名」と「実」に取り上げてきたのですが、そこで言いたかったのは我々の能力は、その「実」があってのものだということです。 例で取り上げた「足し算」でいえば、「2+3は?」と訊かれた際、「ニタイサンワゴ」
80.「+」の「名」と「実」 「足す」の「名」と「実」について。 これの「名」を、「タス」という音声と「+」という文字が担っているとしますと、その「足す」ということの「意味」ですが、これは文法の分類で言えば動詞です。では、どういう動作によってそれがなさ
79.「数」の「名」と「実」 次は「数」についての「名」と「実」についてです。 これについては、「名」の方は音声である「ニ」とか「サン」、文字である「2」とか「3」ということになります。 問題はその「実」の形成です。これについては、例えば、星を見ながら
78.内と外の「実」 この「足し算のできない子」の中で起きたことについて「数の概念」のところで詳しく取り上げ、その計算ができるようになるのに何が形成されていくかということを説明したわけです。 それをもとに「名」と「実」というものを考えてみたいと思うので
77.足し算の「名のみの操作」 「名のみの操作」と「実のある操作」について簡単な例として、以前「計算のできない生徒」を取り上げました。 この生徒は、小6の兄の紹介で入塾した小2の女の子で、簡単な足し算ができませんでした。それについて、「2+3」であれば
75.思考を支えるのは内の自由なはたらき 世界のあり方について、先に「諸行無常」とか「万物は流転する」とかいう言葉を使用しました。世界が機械のように固定されて変化しないものであれば、そこで発生する問題というのも全て変わらないはずです。そうであれば、それに
74.思考と使用される知識 生徒を指導して思考力をつけさせようと考えると前回取り上げたマニュアル的な解決を以て自分は考えたとする生徒がいるわけです。 例えば、数学の学習で小単元ごとに学習し、最後に問題を出して、生徒たちにその問題を解いたその思考経過を
72.「生徒の能力を伸ばす」か「生徒の能力を揃える」か 多くの教育機関でなされていることは教える側で、教えるための計画を立て、学ぶものをその計画に合わせてコントロールすることです。 例えば、何かの問題を解くことを課して、それを本人がとき終わるまで待つと
71.「この通り憶えろ」か「自分で考えろ」か 学習の過程を四つに分けての、「能力についてのあれこれ」、「理解・記憶」に続いて「思考」のことを取り上げたいと思います。つまり、「思考力」をめぐるあれこれということです。 「思考」について考える時に、今の教育
70.自分の「記憶」についての無知 人は自分の意識を考えた時にそれがその奥から何かが浮かび上がってくるそういうものだと思うのですそこで話の進め方としてその真相と呼んでそこに記憶も蓄えているゆうものだとしているわけです そこで我々の中の記憶は膨大なもので
69.記憶と無意識の体験 今まで学習の過程を、理解したことを記憶し、記憶を使用して思考し、思考したことを表現し、その結果を記憶に反映する、そういうように説明してきましたが、記憶の形成に影響を与えるものはそういう、意識が関わるものだけではありません。 実
68.「表現」と「記憶の整理」 さて次に「表現」と「記憶の整理」について。 我々は、自分が考えたことを外に向かって伝える際、どう表すか、考えます。考えたことをそのまま伝えることもありますが、普通は、伝え方を考えます。ここでは、それを「思考」を「表現」に
67.「記憶の整理」と「思考」 次は「思考」と「記憶の整理」です。 我々が何かについて思考する際、そこでさまざまな既成の知識を「記憶」から取り出して使用します。そして思考の結果、新たな知識を生みだし、それを外から得られた知識と同じく自分自身の知識とし
65.消化の譬え 「記憶」というものについて、倉庫や地理などに譬えることでその整理が必要だということを述べてきたわけですが、ここでは時に知識の獲得と使用について述べる際、食べ物の消化に譬えることがありました。 それは「言語」を名と実の組み合わせで説明し
64.地理の譬え 前回、倉庫の譬えについて、「あまりよくないが」と言いましたが、それは、倉庫の場合、物をそのまま出し入れするからです。 それは「知識」であれば、分離された知識をそのまま取り入れ、そのまま保持し、そのまま取り出すことにすることとして誤解す
63.倉庫の譬え あまり良くない譬えであることを承知の上で、「記憶」を倉庫に譬えてみるとします。 倉庫に何かを保管する、それは当然使うためのものです。であれば必要な時に取り出そうとする際、それが整理できていなければ、取り出すことはできない、できるとして
62.「記憶の整理」の軽視 我々は、外から得た情報を理解し、それを記憶します。その記憶の場所は必ずしも頭の中に限定されるわけではないのですが、それについて、ここでは、「深層」としたものの中に組み込まれたはたらきであるというように説明しています。 その「
61.不特定多数の相手への表現 先に、我々の情報の取得と使用の過程、あるいは学習の過程を「理解・記憶・思考・表現」と大雑把に分けました。大雑把としたわけについては、そのとき述べたわけですが、それに少し付け加えておきます。 前回、「理解」についての「個
60.ことばの持つ様々なはたらき 先に、意味機能の例として、イメージということばを使用しました。ただ、我々は言葉の意味というと、辞書などを使ってそれを検索します。それは、文字、つまり、言葉で書かれています。それは、言葉の意味を言葉で説明するということです
59.解り合うことの大切さ 「ことば」は人と人をつなぎます。その際、それはつなぐ人の「理解」によって、変化することになって、そのつながりを良くも悪くもします。 「解ったつもり」による、意味の歪曲は人々の関係を歪め、ひいては社会を歪めることになるのではな
58.「解る」と「解らない」の違い 「ことば」を理解するというのは、その「ことば」の意味機能がその人の深層ではたらいているということです。前回述べたイメージ化はその深層ではたらくイメージ機能のはたらきによるもので、それを意識化するわけです。それができな
57.イメージしてみること さて書かれたことの「理解」ですが、その書かれたことの中には、その人の考えとその根拠が入り混じっている際、それを区別してみると、何らかの事実としたことをもとに、それについて考えを述べている、例えば是非の判断を述べているということ
56.「苦」をもたらす根拠のない思い込み 前回、仏教で「苦」とされるものの一因として、「理解」をいい加減にするということを述べましたが、これはたまたま、目にした「神経科学」の本の中に、それにつながることがあったのです。 我々の脳は、良いこと楽しいことよ
55.理解を基にした感想 「国語」の「感想文学習」は、国語教科書の中の文章を対象として生徒一人一人が感想を書き表すという学習です。そこで、生徒がその文章を読み理解したことを基に自分なりの考えを書き表すことになります。 そこで、まず、その文章を読んで理解
54.MCの役割について 「聴き合い」でのMCの役割の一つは、参加者の発言が本人の思考の披露に及んだ時に、それは「聴く」ということをではなく、「自分の考えを述べる」ことで、ここはあくまで聞いたことについて「聴いて解らないこと」を糺したり、自身の「理解」を「
53.聴き合い―理解と思考 さて、「理解」と思考に分けることの例として、よくとりあげるのが「聴きあい」です。これについては、『聴き合いについて』でふれました。 「話し手」「聴き手(3人)」「MC(進行係兼聴き手)」の5人一組のグループになります。進行は、
52.理解・記憶・思考・表現の入り組んだ関係 ここでは、人の知識の獲得と使用の過程を大ざっぱに「理解・記憶・思考・表現」というふうに分けていますが、実際の使用の際、それぞれに他の要素が混じっています。 「理解」についてとりあげる中で、判断について取り
51.権力と個の能力の綱引き SNSの出現は、社会における情報の伝達の在り方の問題の一面を明らかにしてくれたとも言えるでしょう。 社会における情報の拡散は、その共有をもとにした成員の連帯のために必要なことです。しかし、それが社会秩序の維持を重視する情報
50.情報をうのみして拡散することが引き起こす問題 次いで、理解に関して述べた後段の身近な例として、最近話題のSNSが引き起こす問題について。 今SNSによる情報の拡散がさまざまな問題を引き起こしています。その情報の中に、明らかな誤りが含まれていて、そ
49.記憶のずれと誤解 前回取り上げた理解過程の前段の相手の言うことを正しく受け止めるということで、それがそう簡単ではないということの例を一つ。 現代の神経科学の進展があきらかにしたことの中に、AがBに投げかけた言葉がBの中でどう受け止められるかと言うこ
48.受け止めと正否の判断 変容過程に最も影響があるのは、受け入れた際の理解だと言えるでしょう。我々は、人の話しを聞いて、それを自分なりに理解し、それをそのまま受け入れるではなく、正しいと思われるものを受け入れ、誤ったと思われるものを排除して、自分の中
47.「記憶」が加わる ここでは学習のプロセスを説明する際、大ざっぱに「理解・記憶・思考・表現」という言葉を使っています。読む人との間で、比較的意味が通じるだろうということで使っているわけですが、無論それはおおざっぱないい方をであって、その時に応じてどう
46.「思考」が生み出す「表現」と「表現」されたことの「理解」 さて、自分たちがやってることについて考えることを続けます。 我々は、自分で考えたことを言葉として表現するわけです。 そこにはそれを考えた人の中の「意味」が、その人の中での言葉として相手の人
44.「心」と「ことば」の定義 我々は、日頃から「心」という言葉を使います。しかし、改めて「心とは何か」ということを考えると、極めて漠然として曖昧なものだという感じがするわけです。そこで、その定義とされるものがどうなっているかを検索してみますと、それ自
43.「脳」の次元に囚われないこと 「心の働き」とされるものと「脳の働き」として捉えられるものを取り上げてきましたが、では、普通「心の働き」と言われてきたもの全てが、そのまま「脳の働き」であるかというと、そういうわけではありません。 先に「心の働きとさ
42.脳の知識が深まると 「こころ」の働きとか、単なる「あたま」の働きとか、漠然と考えていた「人の中でのはたらき」とか「能力」についての受け止め方が、「脳」いうもの、特にその働きがMRIなどを介して「見える化」したことが、我々の「能力」というものの見方を
41.以心伝心 心の働きを表す「以心伝心」と言うことばがあります。 文字や言葉を使わなくても、お互いの心と心で通じ合うことで、もとは禅宗の語で、言葉や文字で表されない仏法の神髄を、師から弟子の心に伝えることを意味した。 その前提は、「心と心が通じる
40.こころと脳 「見える化」といえば最近テレビで取り上げられた脳インプラントという技術がありますこれを脳に直接電極を差し込んで脳の電気的活動を測定することで思考過程を読み取る技術を指すものだそうです。 人間が持つ働きの中に「こころ」と呼ばれるものがあ
39.表層筋と深層筋の例 我々が何かの運動するときは、筋肉を使用します。そこで、何かの運動の仕方とか技を人に伝えようとする際、その筋肉を表す言葉を使用するとそれが伝え易いということがあります。 そこで、その筋肉には、目で見える筋肉とそうでない筋肉があり
38.意味の共有の難易「ことば」には、その「意味」を共有することが、易しいものと難しいものがあるのではないでしょうか。そして、それが難しいことによって、その「ことば」が排除されることは、その「ことば」の意味をになう、「実」に当たるものの排除につながるとい
37.個別指導と一斉授業 「能力」の伝達形式について、広い社会と狭い社会のそれとして、対照的な二つについて取り上げてみます。 狭い社会でのそれは、例にあげた道場における師弟関係に象徴されるような個別指導でした。それに対し国民国家が成立してからの国民教育
36.「ことば」による伝達の難易を分かつのは? ここでは、言葉を「コトバと意味」あるいは「名と実」とに分けて取り上げているのですが、その「実」について、前々回取り上げたのは合気道の技でした。しかし、前回取り上げた曽参の言葉の「習わざる」が意味する「実」に
35.「習わざるを伝えしか」 前回述べたことについて、以前「個別指導のこと」で、次のようなことを述べました。指導する側は、その「実」を自分の中で確かなものにすることなく、相手にそれを伝える、そうしてはいないか、そういうことについて思い浮かぶことばが、「
34. 社会の拡がりと「ことば」の共通性の維持 前回、合気道の極意を支える能力とそれを伝える際に使われる「ことば」について取り上げました。例えば、剛体を柔体に換えることで使用が可能となる技が有るとします。その技に名がついているとすると、その「コトバ」が意
33.「古事記」のことばそこで、その特殊な感覚であるとか、高度な感覚であるとか、そういうものを表す言葉が生まれるとして、その言葉を共有するには、そういう感覚を使用することで生まれる能力の存在が受け入れられる必要があります。ここで、先に、最近、スポーツの
32.感覚と「ことば」の結びつき 「狭い社会」と言いましたが、それは現在の「広い社会」をもとに、それを細かく分けての「狭い社会」と、人類が最初のころに経験した集落とか村とか言えるような広い社会抜きの「狭い社会」とでは、違いがあるわけです。 そこで、「こ
31.広い社会と狭い社会同じ「ことば」にも意味が広いものがあります。例えば、言葉を辞書を開いてみます。そうするとその定義が一つであるものはむしろ少なく、幾つもあることが多いでしょう。そうして、この場合はそのどの「意味」であるか戸惑うことがあります。また
30.表現力と社会 「表現力」を考えてきた時に、その鍵になるのは相手との「意味の共通性」です。普通に考えれば、多くの意味を内蔵した多くの言葉を持っていれば、それは可能になるでしょうが、多くの知識がなくても共通性を持つためには、そういう集団に属することです
29.表現には必要な対人知識 何かを生み出す人の中には、「実」の扱いに長けているが、「名」の扱いについては苦手だという人もいます。しかし、その生み出した「実」を人に伝えようとすると、「名」を使用することになる、そうすると、その相手の受け止めを理解し、それ
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35.脳で視ている? 「目で見る」と「目以外で視る」ということについて、触れておきます。 「目で見る」ということを大雑把に言えば、少し突っ込んでみると、「目」が外からの刺激を感覚神経を介して「脳」に伝え、それを基に「脳」が視覚イメージを生み出す、そうい
34. 市民権を持たない能力 教科学習での誤りについて、それを修正することについて考える際、まず、その原因を知ろうということで、その「原因分析」についてとりあげ、「知識」についで、関係器官の「操作」について取り上げる中で、前回、「その能力をいわば市民権のあ
33.理解には様々な感覚が関わる 前回、ミラーニューロンを取り上げたのは、自閉症の例にあるように、我々が「視て解る」「聴いて解る」と思っていることが、実は「目」とか「耳」とかだけによるのではないのですが、普通は、そう考えられていません。例えば、「共感覚
32.ミラーニューロンについて 今まで、「聴く」ということについて、様々な器官が関わるということを取り上げました。 そうすると、その「聴く」に関わる器官とは、「耳」を中心としたいわゆる「聴覚系」とされた器官だけを指し、次にそれを支えるエネルギー系などを
31.様々な器官の動員 「学習法」は、様々な器官を動員し、そのはたらきを統合することで成り立っています。 例として取り上げた「単語学習法」にしても、大雑把に言っても、聴くと見ると話すと書くこと全てのはたらきを統合することになります。それらがバラバラに足
30.「知識」の修正から「操作」の修正へ 修正学習を考える際、それまで身に付けたものの修正をやるとして、まずやるのが「誤り」の原因を突き止めることで、それを「原因分析と」読んでいるわけです。そこで、「レポート学習」では、まず、学習の過程を明らかにし、そ
29.内外の器官の操作 前回での「結び付ける」過程に問題がある場合は、そのためのやり方を指導することになるでしょう。 例えば、発音に問題がある場合、特定の音声について、その発音のための口や舌の使い方を指導する、後は本人がそれができるよう繰り返す、そうい
28.学習法を支える能力と知識 そこで、「学習法」とそれを支える能力について、SSAの単語学習法を例にとり上げるとします。 テープと単語プリントを使い、英語を聞きながら真似をして声に出して言い、同時に目で英文字を見ながら真似をして書く、次に英語を聞きな
27.学習法、通常の学習の中での習熟を目指すか? 「目標指示」は、その時の学習の目標を指示することですが、その前提は、その目標とされる学習の「方法指導」がなされていることが前提です。 例えば、「特定の単元の単語学習」の指示は「単語学習法」の指導が、「和
26.その場での修正にとどめるかどうか。 修正学習について、それを通常の学習を続ける中で行うか、それを一旦おいて遡及学習などに切り替えるかは、その修正を必要とする原因によって判断すべきこととなります。 例えば英語での和訳学習を例にとれば、通常の英語の単
25.その時の目標の選択と修正 生徒が、教室でその時何を学習するかは、行き着くところは、本人が自分で計画を立てその計画に沿ってその日何をやるか決めるというのが目指すところです。生徒が自分で計画を立てられるようになれば、指導する側はそれに助言をすれば良いわ
24.一定期間をかけての遡及学習 できなかったり誤ったりしたことの原因として、特定の事項というより、単元毎とかし小単元毎とか、そういう知識が欠けていることがあります。それは、本来、学校などで学習済みのもので、その知識の欠落がどの程度の規模のものか、本人
23.短期・中期・長期の取り組み 誤りの原因について、大雑把に言えるのは、まず「知識」の問題というのは、比較的短期に対応できるようです。例えば、あることについての理解が間違っていた、それを正しく理解し直す、それをその日の時間内にやる、そういうことが多い
22.原因と能力の結びつき 学習はうまくいかないことの「原因分析」について、「和訳学習」を例に学習の過程を取り上げたわけですが、無論、それだけで、そのまま「修正」につながるわけではありません。 その「過程」を前提とすれば、例えば「和訳学習」での単語の
21.教科学習のプロセス化 修正学習では、「解らない」「出来ない」の原因を明らかにする「原因分析」をやるわけですが、その原因分析の第一歩は「学習の経過」を明らかにすることで、そのために通常の学習の中で、その「学習の経過」のとらえ方を身につけるということで
20.過程の意識化から過程の無意識化へ さて、誤りが既成の学習によってもたらされたものとすれば、まず、その原因を知る必要があります。そのためには、まず、その学習の過程を意識に上げ、それを基に原因を特定し、それを正す学習を考え実行することになります。そして
19.「解る」「できる」の判断 「レポートテスト」では、まず「問題」について、自身の思考過程を書き表します。次いで、その「レポート」と「解説」とを対照して、その「思考経過」の一つ一つについて、自分で「これは解っていた」、「ここはよく解っていなかった」、あ
18.原因の突き止め さて「レポートテスト」は通常のテストと違い問題の答とか結論とかだけではなく、思考経過を書き表すことになっています。 そこで、例えば、「解答」があっていたとしても、その「思考過程」に問題がある場合、それを明らかにできるようになってい
17. 自分の学習のレポート レポートテストは、与えられた問題について、それをどう理解しどういう知識を使用してどう考えたかといった経過をレポートする学習です。 そこで、その問題が、できなかったり、間違えたりした場合、その修正に入るわけですが、その際、その
16.学習したつもりの生徒 前回、述べたような表面的な学習から生まれる学習観というのは、以前取り上げたようにそもそも心構えの修正を必要とするものです。 それは、「解っていない」のに「解ったつもり」なっている、「覚えてない」のに「覚えたつもり」になってい
78.能力の普遍性・共通性・個別性さて、三層フローチャートへの書き込みをして、お互いに披露しあう中で、同じ「コトバ」の意味の形成一つをとっても、ある人と別の人では違いがあることは解ります。そこで、個々の持つ様々な能力について、一人一人が違うということも
77.コトバと意味の結びつきに気づく そこで、その「音声」とか「文字」を意識すると、それが指すもののイメージが浮かび上がってくる、逆に、あるいは何かを思い浮かべると、それを指す「音声」とか「文字」が浮かび上がってくるということを経験することで、「コトバ
76.「深層」の存在にあらためて考える 次いで、「三層フローチャート」を使用しての研修に移ります。 そこで、何を書き込むかは、予め用意したテーマで、それぞれが書き込むこともあれば、それぞれが自分の経験したことを書き込むこともあります。 そこで、その
75.「意識」「深層」「行動」の意味の共有 研修では、まず、そのあたまの中で何かが浮かんだり、消えたりすることを、それぞれが経験できるか確かめ、それを「意識」とするとします。それを「意識」とするというのは、ここでの取り決めで、他の人々が何と呼ぶかは別の事
74.自分に由ること さて、「自灯明」とか、その前にでてきた「格物致知」とか、そういうことについて、人に教えてもらう、しかし、それは「他者に頼る」ことになる、「事物に即して知ること」にはならない、それこそ、「自灯明」とか「格物致知」が否定したことです。
73.ことばを生かすのは自分がやること 我々は、自分で考え、それを基に行動します。そして、考えたことを人に伝えます。その際、その考えるにも、人にそれを説明するにも、ことばを使うわけです。その「ことばを使う」という「自分がやること」について、それがどういう
72.「分別智」と「無分別智」など 前回述べた弟子の中の「山」の変化については、「ことば」の意味の在り方を左右する意識構造の在り方として取り上げましたが、これについては、仏教では「分別智」と「無分別智」という言葉で説明したりすることもあります。 外から
71.「山は山にあらず」から「山は山」へ。 その意味的凝結体を使用する場合とそれが溶け合って流れる場合では、経験することが違ってきます。我々は、例えば同じものを「見る」とします。そうすると同じ経験をしているというふうに思いがちです。しかし、その「見る」
70.意味的凝結体の溶解 「対話と非対話」では、その分割された名前を持ったもののことを、意味的凝結体と言っています。そして禅の修行はこれを溶かしてしまうことだということで、禅問答もそうですが、座禅についても、「座禅とは、意味的に凝結している事物を溶解して
69.「山は山にあらず」 さて、禅問答の「山は山にあらず」を例に、禅が問題にする言語の意味的分節化について、 説明するとします。ですから、元の本にあるものではありません。 我々は、本来繋がったものごとに意識を焦点化するために「ことば」を使います。このこ
68.ことばの意味による拘束から抜け出す さて、言語による「意味的範疇の枠組みから抜け出す」ということについて、この書では、「山」と言う言葉について、「山は山にあらず」という禅での問答を取り上げています。 ここでは、以前、「能力の受け止め方21」で、「
67.禅の言語観について前回述べたことのあと、更に、禅の言語観として、次のように述べています。禅が内蔵するこの言語観によりますと、言語は主として、あるいは第一義的には,一種の認識 パターンである、つまり、本来何の区別もなく、何の線も引かれていない、絶対無
66.言語を使うことによる自由の喪失さて、「喋りすぎること」の何が問題か、次のように続きます。 禅の立場からして一番大切なのは、人間がただやたらに喋りたがる性質を持っている点にあるのではなくて、喋ること、言語を使うことによって知らず知らずのうちにその言
65.人間は「喋りすぎる」?さて、ここまで井筒俊彦氏の著作といってきましたが、それは「意識と本質」の中にある「対話と非対話」という文章です。これには、「禅問答についての一考察」という副題がついています。その、禅問答を取り上げる前に、現代の言語理論が「対話
64.日英の「文法」の違い 「和文英訳」の学習です。最初にやる「日本文」の「論理化」については、先に取り上げました。 その後は、その「論理化された文」を「句切り」、それを「句順変換」して、「中間日本語」化します。これは、「和訳」でやったことの逆操作ですが
63.対話の可能性 そこで、井筒俊彦氏の著作の続きで、その言語による文化の伝達の楽観論を主張する人々の考え方について触れた箇所を取り出してみます。 このような悲観論に反対して楽観的な立場を取る人々がおります。この人たちの思想の背後には人間精神についての
62.翻訳により抜け落ちるものと付け加わるもの「和訳」での「意訳」、「英訳」での「論理化」の両方を経験するとわかるのは簡単に言うと、元の文にあったものから抜け落ちるものがあることと、逆に元の文になかったものが付け加わることがあることです。そして、それを1
61.「論理化」で抜け落ちるもの 英語の英文和訳と和文英訳については、「自分でやることの意味」でとり上げましたが、そこでも紹介したように、和文英訳は英文和訳を逆にたどるようですが、それだけではありません。そこで、最初にやるのが、和訳の最後の「意訳文」を「
60.異文化間のコミュニケーションの難しさ 前回取り上げた、「翻訳という仕事には必ず何か偽なるものが含まれています」の後に次のようになっています。よくフランス人が言うことですが、フランス語のpainを英語のbreadと訳した途端に形象が違ってしまう。
59.翻訳による意味の伝達はどこまで可能か? 「言語」が「『現実(リアリティー)』の認識的文節形態の体系」であるということについて、まず、英文の日本語訳について取り上げてきました。さて、ここで取り上げている文章の中に、翻訳について述べている箇所があります