5.意味が空っぽのことば 前回、「文字を含めた言葉のやり取りによる授業というものが全く違ったものとしてみえてくる」と述べましたが、その言葉のやりとりについての理解に役立てばということで、最近、使われるようになったAPDについて触れておきます。APD-聴覚
31.広い社会と狭い社会同じ「ことば」にも意味が広いものがあります。例えば、言葉を辞書を開いてみます。そうするとその定義が一つであるものはむしろ少なく、幾つもあることが多いでしょう。そうして、この場合はそのどの「意味」であるか戸惑うことがあります。また
30.表現力と社会 「表現力」を考えてきた時に、その鍵になるのは相手との「意味の共通性」です。普通に考えれば、多くの意味を内蔵した多くの言葉を持っていれば、それは可能になるでしょうが、多くの知識がなくても共通性を持つためには、そういう集団に属することです
29.表現には必要な対人知識 何かを生み出す人の中には、「実」の扱いに長けているが、「名」の扱いについては苦手だという人もいます。しかし、その生み出した「実」を人に伝えようとすると、「名」を使用することになる、そうすると、その相手の受け止めを理解し、それ
28.表現力と創造力 ことばを使っての「思考」は、本人の意味機能を基にしています。ですから、場合によっては自分だけの「意味」を使って何かを生み出すということが可能なわけです。 しかし、その考えたことを相手に伝える際、「自分の中の意味」をもとに、「相手の
27. 伝達のカギは聴く人の意味機能にある 前回「文字」を使うことで得られる能力について、「その能力は使う人との結びつきで生かされるものだ」と述べました。 その言わんとすることは、簡単にいえば「『文字』そのものには意味機能はない」ということです。 それ
26.「文字」の使用 記録の話が出てきたところで、「文字」が出てきました。 それで、人は持つ「知識」を「文字」で書き表すことで、それを保存することや人を介してあるいは様々な輸送手段を介して運ぶことができるようになりました。 ただし、それは「知識」のごく
25.成功や失敗の記録の利用 自分がやっていることを考える際、それを動物たちがやってることと比べたときにいかに自分たちが言葉に依存しているかということに気づかされます。何かをやる時に互い話し合い、何かを実行するときも言葉で連携して行動する、そういうことを
22.人と人の言葉による結びつき 前回、述べた言葉を操作して生み出したものを現実に確かめるということは、言葉を換えて言えば「名」の操作を、「実」でもって確かめているということでしょう。 我々が自分のふだんやっていることを考えてみると、いかに「あたま」
21.「ことば」を結びつけること 自然界には様々なはたらきがひそんでいます。基になる働きがあり、それが結びついて新たな働きが生み出されたり、結びついたものが分かれたり、そういうことが繰り返されています。 そして、それらは、自然界で起きていることもあれば
20.「見えないもの」の「ことば」の共有 「見えないもの」を、「あるもの」として言葉にする、それは時に、妄想とか錯覚によるものが言葉とされるということがおきます。つまり、簡単に言うと無いものをあるなることがおきるわけです。 そしてそういう言語をもとに知
19.「ことば」は「見えないはたらき」を「みえる」ようにする さて「言葉」には、その働きとしてもうひとついえることがあります。 それは、「見えない」はたらきを「みえる(識別する)」ようにするということです。 例えば、今では当たり前のことである「引力」とい
18.「名」と「実」の結びつき 今まで述べたことを基に考えれば、動物と人間を分かつ能力といえば、「ことば」を使えるかどうかということで、それがいろいろな能力を身に付け、使用できるようことにも、大きな違いとなるという事です。 そこで言葉といえば、ここで「
17.「名」と「実」が結びついて「学習」と言える さて、指導を「コトバ」を使ってやり、それでその「コトバ」を口にするなり書き出したら、それで指導したつもりになる、これに近いことを多くの教育機関でやっていると言えるのではないでしょうか。学校で教師が言葉で
16.「名」ばかりの指導 前回述べたことに、付け加えます。 体を動かすということは、脳からの指示、あるいは、感覚を元に脳を経由しないでするか、いずれにしろ、運動に関わるさまざまなはたらきを結びつけて、その動きを生み出すことでしょう。 その動きを生み出す
15.ことばの使用による動き 動物の動きを見ていて気づくのは、その滑らかな動きです。それと比べるとどうも人間の動きはギクシャクしています。無論、達人と言われる人は滑らかな動きができていますが。 そこで、その滑らかな動きと、人間のギクシャクした動きを比べ
14.「五禽戯」のこと 動物が病とほとんど無縁だということで、中国の気功法の一つといわれる「五禽戯」のことが思い浮かびました。 中国の伝説の名医と言われる華佗という人がいるのですが、この人が考えたのが、その「五禽戯」とい気功です。 華佗という人は中国
13.動物はどうしているか 人の体温調節の話を持ち出したのは、人間が本来持っている能力を使用しないことで劣化させたのではないかと思えるからです。それは学習能力を考えるうえでも非常に大切なことです。 厳しい環境下で暑さ寒さの影響にどう対処するかということ
12.異次元の体温調節力 人の中の温度調節については、次のような説明が一般的です。私たちの体では、皮膚にある温度センサーで寒さを感じると、脳にその情報が伝わり、熱を作る仕組みが無意識のうちに働いて、体温が低下しないようになっています。 逆に、体温が上が
11.体温調節の能力 暑さや寒さに適応すると言うと普通考えられるのは、寒さに対しては厚着をする、暑さに対しては薄着をすると、いったことでしょう。しかし、一方で寒さに対処するために体の中で熱を生み出す働きがあることを利用するという対処の仕方があります。我
12.異次元の体温調節 人の中の温度調節については、次のような説明が一般的です。私たちの体では、皮膚にある温度センサーで寒さを感じると、脳にその情報が伝わり、熱を作る仕組みが無意識のうちに働いて、体温が低下しないようになっています。 逆に、体温が上がっ
10.「からだ」は季節に対応する 能力が、その人が「できる」ことを言うとすれば、その基になっているのは、その人の中にある「はたらき」です。しかし、それを本人が理解して使用しているかというと、かならずしもそうとは言えません。 それについて、様々なことが考
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5.意味が空っぽのことば 前回、「文字を含めた言葉のやり取りによる授業というものが全く違ったものとしてみえてくる」と述べましたが、その言葉のやりとりについての理解に役立てばということで、最近、使われるようになったAPDについて触れておきます。APD-聴覚
4.「コトバ」のやり取りの奥でおきていること 多くの学習塾が学習の対象とするのは、国語とか数学とかの教科についての知識でしょう。そこで、学校とか塾での、教師と生徒との間のやり取りを考えた時、それはほとんどが言葉でのやりとりだということです。無論、そこに実
3. 深層に形成されるもの 指導者の学習観を変えるための研修で、三層フローチャートの記入の後に、それに続くものとして機能図の書き込みをやることについて、再々触れました。 これは、「脳」を縦横に表したものと、「耳」「目」や「手」「口」などをくっつけた平面
2.生徒の内に目を向ける指導者の研修でやることの一つに三層フローチャートの書き込みでこれについては再々取り上げました。それについては以前次のような説明をしました「三層フローチャート」というのは、「話す」とか「動く」とかの「行動」を「行動欄」、頭の中で
1.常に変化する内の記憶「学習」を人の思考や行動のもとをなす内の形成を中心にするものと考えれば、まずその内の働きとは何かが問題であり、それは何より常に変化し続けるものです。 そこで、その内のはたらきを中心に意識的学習を考えれば、その意識は、その内のはた
100.自身が「内」を見つめることで育つ能力 理解・記憶・思考・表現などの能力について取り上げていく中で、それらが全てつながっていることと、その基にあるのは、ここで便宜上「内部知識」としたものであることがよくわかります。そもそも記憶はそれを形成するはたら
99.「表現」と「記憶」 さて、「表現」と「記憶」について考えると、「表現」には、多くの場合、個人にしろ集団にしろ相手がいるわけで、それに対して働きかけるわけで、その際、自身の記憶だけでなく、その相手の記憶が絡むわけです。 思考したことを表現に換え
98.思考と知識の再整理 教科の中では、数学は論理的思考力を身につけることを目指す教科だとされています。 そこで、その数学の問題学習を取り上げてみます。一斉授業では、教師が生徒に問題を指示し、自分で問題を解かせます。多いのは、時間を決めて、時間が来る
96.記憶の確かめと修正 「新しく得た知識」が「既成の知識」と結びついて「内部知識」を形成する、そういうことで我々の中の知識は絶えず生まれ変わっていると言えるのではないでしょうか。 そして、それが我々が物事を理解し思考する場合に使用され、それが間違って
95.つながりと分断 切り離された指は、指の働きをしない、つまり、「はたらきを持たない」、本来の指ではないとなります。切り離すという極端な場合でなくても、指が例えば脳とのつながりを失う、伝達神経とのつながりを失う、あるいは、はエネルギーとか血液の供給が受
94.全てを言葉で説明することはできない 前回、武道の極意の話が出てきました。そこまででなく、普通の運動でもそこで体を動かし方を伝える際には、言葉を使います。しかしその目的は、本人の中にその体を使う働きを形成することです。それは、言葉をかえて言えば、「名
93.「名」が使いづらい「実」の排除 社会が拡がれば拡がるほど、言葉による伝達の機会が増大することになります。そこで、実物を前にしてものをしゃべるとかいうよりも、「外の実」抜きでの言葉の使用の機会が広がるわけですから、言葉で表現できない物事というのが次第
92.人間の能力と「ことば」 さて人間の能力と言葉の関係についてと言えば、先に不特定多数を相手にした「表現」のケースを取り上げたのですが、それは表現する側からではなく、それを受け止め理解する側から言えば、そこで使われる言葉の意味についてその表現する側がど
91.社会を支える能力 さて、社会というのは人と人との結びつきで成り立っているわけですが、その結びつきを考える上で互いに表現し合い理解し合うということは非常に大切です。お互いに解り合えなければ人は協力し合うことができず社会が成り立ちません。 そういう面
90.「個」以外の対象への「表現」 「表現」について、ここまでは主に特定の相手に対するものでしたが、我々は時には、不特定多数を相手にした表現をします。その場合は、その相手の集りの「知識」の共通性が問題になってきます。 例えば、子供たちを相手す
89.「ことば」の知識と「人」についての知識 前回取り上げたのは、表現について、自分が伝えたいものがある、それを「実」とすると、それを「名」を介して伝える、そこで、その「名」が相手の中でどうはたらくか、つまり、表現のために使用した「名」で、その「実」を伝
88.表現で伝えるもの さて、「表現」をする側からすると、無意識によるものと意識してのものがあり、その手段としては、大きく言語的なものと非言語的なものがあり、その相手が、「個」である場合、集団である場合があるわけです。そこで、「表現力」ということになる
87.こころのとらえ方の変化 最近の脳科学とか身体科学の触れる中で、体と心の関係について感じていることです。 「体」のはたらきについてというと解り易いのが、その動きですが、その一つである「手」というものを見ていて、それを動かしてみます。そうするとそれが
86.心身二元論を超える「廃用性萎縮」と言うと普通は体の筋肉について使われる言葉です。廃用性萎縮は、廃用症候群のうち筋萎縮の症状を指します。しかし、その「葉廃用症候群」というのは、廃用症候群は、「身体の不活動状態により生ずる二次的障害」として体系化
85.はたらきの不使用がもたらすもの 老化による能力低下とされているものの中に、実は老人扱いをされることによる、「廃用性萎縮」に似た、能力の不使用による不能化が非常に多いのではないでしょうか。 それは老化に対する対策について触れた著作に目を通してみると
44. 学ぶ対象から教えられる知識へ さて、本来「為己の学」である朱子の思想は危険思想として弾圧されることになりました。その後の朱子学がたどった運命について、この書から抜き出して紹介しておきます。 朱子は過酷な弾圧の最中に世を去ったが、彼の死後、その
43.朱子学の官学化前回述べたことを別な角度から取り上げてみます。 講談社の「朱子」で、朱子学の骨格にあるのは儒学の経典である「大学」であるということが記されています。その中で「大学」の8条 目と言われるものがあります。物を格(ただ)して后(のち)知至
42.朱子学と朱子の思いは別?朱子学というのは、南宋の朱熹(1130年-1200年)によって構築された儒教の新しい学問体系で、その中核をなすのが、「理気説」です。朱子学では、おおよそ存在するものは全て「気」から構成されており、一気・陰陽・五行の不断の運動によっ
41.「学ぶ」と「教えられる」 さて、「自分でやること」について、「学ぶ」と「教えられる」を混同していないか、ということを考えてみたいと思います。 先に、「 西洋の教育」と「東洋の学習」という言葉を使いました。 なぜそういう使い方をしたかと言うと、その「
40.やっていることのつながりここでのタイトルは「自分でやることの理解でした。その例の一つして「動く」ということを取り上げたわけです。それで「自分で動くということ」を、「体を動かす」ということだけではなくて、それが「頭を働かす」ことでもある、そういうに
39.自分でやることの理解を深める「東洋医学」の「養生」のところで、高齢者の健康のことが取り上げられていました。また、養生で大切なこととして、食事と睡眠、そして運動が挙げられていました。その中で、高齢者の場合、特に問題なのは、運動のことです。高齢化で
38.本人のやることと健康の結びつきの理解 前回、「医学の本で『本人の意思力』があまり言われていないことが気になる」と述べたことについて、触れておきます。 東洋医学では、病気がある、その前に未病というのがある、更にその前に養生というのがある、そういうふ
37.東西医学の統合の可能性「東洋医学の基本帳」という本の話をしましたが、その中で東西医学について、その違いとは別に、それが統合に向かう基になるものがあるとして、2つばかり述べています。1つは、西洋医学の源流であるギリシャ医学の医者のヒポクラテスの学説に
36.東西の医学と二つの脳 さて 「東洋医学のきほん帳」という本に、東洋医学と西洋医学の違いについて触れた一章があります。その中で、その違いを人間の左脳と右脳の違いから説明した箇所があります。 そういうふうに単純化してとらえることにはむ異論もあると思われま
35.養生は「自分でやること」 さて、養生というものを取り上げてみると、それは基本的には、それぞれが自分でやることです。それをきちんとやれば、そもそも病になることがない、簡単に言うとそういうことです。 例えば、我々は目が悪いとお医者さんに行って、場合に
34.養生が視野に入る 東洋医学の本を読むと、「養生」という言葉が出てきます。これは、医学を超えたものですが、その延長上にある生きかただとも言えるでしょう。 つまり「病気を治すことではなくて病気にならないことを重視する結果、養生という考え方が生まれた」
33.未病が視野に入る 病について、時間的にどんどん視野を広げると、病気が健康状態とつながってきます。 そこで、その間が視野に入ってきます。それを東洋医学では未病と言っています。それは「未だ病ではない」、つまり、病気になっていないが病気になる可能性のある
32.ものの見方を広く長く東洋医学が、道路の例で言えば全体の地図をみる、それに対し、西洋医学というのは、特定の地域について詳しく具体的にみる、そういう広い狭いということを言ったわけです。しかし、それは空間的にというだけでなくて時間的にも言えるのではないか
31.分析的と包括的この本(「カラダを考える東洋医学」)の中で 西洋医学と東洋医学の違いをまとめた表が載っています その中で取り上げると 分析的と包括的、心身二元論と心身一如、抽象論的と現象論的、既病を治すと 未病を直す、生活の質と養生、と言った 違いが取り上
30.造物主と八百万の神 西洋と東洋という分け方が正しいかどうかはともかく、生活の基盤の違いが人々の考え方を分かつということについて、ひょっとしたら、その宗教観にも表れているのではないか、と思えることがあります。よく言われるのが、西洋の方は自然界にある
29.ことばの共通性我々にとって、西洋医学について考えると、それぞれの専門のお医者さんがいて、それを自分で選ぶのが普通です。目が悪いから眼医者に行くとか、耳が悪いから耳のお医者さんに行くとか、それを選ぶのが分かりやすいし、それと治療のつながりについての説
28.病のとらえ方の違い 前回述べたことの続きとして言いたいことは、西洋と東洋といっても、細かく分けていけばきりがないのですが、一般的に言われているのは、「簡単に言うと片方が狩猟採集経済、他方が農耕経済を基にした生活の上に築かれた社会である」、単純化して
27.医学の生まれの違い狩猟採集経済というのは、動物を狩り、自然に育った植物を採って、それを食べて生活する、そういう経済です。それに対し、農耕経済というのは、自分たちが耕し育てたものを取り入れて食べて生活する、そういう経済です。そこで、人々が村というか
26.製品に関わるか、商品に関わるか さて、現代の人々が東洋医学に接すると、それが西洋医学の知識体系というものを比べて違い過ぎるのに、戸惑いを感じると思います。そこで、その近いが何から生まれたかを考えることは、我々が「自分でやること」の理解を考えるの
24.「動き」を軽視している現在の教育 この本(「この自然な動きが脳と体に効く―最新科学が明かす『人間本来の動き』の力」)は、心身二元論を超える内容になっています。 「心身一如というように心と体は繋がっている、筋力を鍛えるだけで自己評価が高まり、 精神