4.「コトバ」のやり取りの奥でおきていること 多くの学習塾が学習の対象とするのは、国語とか数学とかの教科についての知識でしょう。そこで、学校とか塾での、教師と生徒との間のやり取りを考えた時、それはほとんどが言葉でのやりとりだということです。無論、そこに実
4.「コトバ」のやり取りの奥でおきていること 多くの学習塾が学習の対象とするのは、国語とか数学とかの教科についての知識でしょう。そこで、学校とか塾での、教師と生徒との間のやり取りを考えた時、それはほとんどが言葉でのやりとりだということです。無論、そこに実
3. 深層に形成されるもの 指導者の学習観を変えるための研修で、三層フローチャートの記入の後に、それに続くものとして機能図の書き込みをやることについて、再々触れました。 これは、「脳」を縦横に表したものと、「耳」「目」や「手」「口」などをくっつけた平面
2.生徒の内に目を向ける指導者の研修でやることの一つに三層フローチャートの書き込みでこれについては再々取り上げました。それについては以前次のような説明をしました「三層フローチャート」というのは、「話す」とか「動く」とかの「行動」を「行動欄」、頭の中で
1.常に変化する内の記憶「学習」を人の思考や行動のもとをなす内の形成を中心にするものと考えれば、まずその内の働きとは何かが問題であり、それは何より常に変化し続けるものです。 そこで、その内のはたらきを中心に意識的学習を考えれば、その意識は、その内のはた
100.自身が「内」を見つめることで育つ能力 理解・記憶・思考・表現などの能力について取り上げていく中で、それらが全てつながっていることと、その基にあるのは、ここで便宜上「内部知識」としたものであることがよくわかります。そもそも記憶はそれを形成するはたら
99.「表現」と「記憶」 さて、「表現」と「記憶」について考えると、「表現」には、多くの場合、個人にしろ集団にしろ相手がいるわけで、それに対して働きかけるわけで、その際、自身の記憶だけでなく、その相手の記憶が絡むわけです。 思考したことを表現に換え
98.思考と知識の再整理 教科の中では、数学は論理的思考力を身につけることを目指す教科だとされています。 そこで、その数学の問題学習を取り上げてみます。一斉授業では、教師が生徒に問題を指示し、自分で問題を解かせます。多いのは、時間を決めて、時間が来る
96.記憶の確かめと修正 「新しく得た知識」が「既成の知識」と結びついて「内部知識」を形成する、そういうことで我々の中の知識は絶えず生まれ変わっていると言えるのではないでしょうか。 そして、それが我々が物事を理解し思考する場合に使用され、それが間違って
95.つながりと分断 切り離された指は、指の働きをしない、つまり、「はたらきを持たない」、本来の指ではないとなります。切り離すという極端な場合でなくても、指が例えば脳とのつながりを失う、伝達神経とのつながりを失う、あるいは、はエネルギーとか血液の供給が受
94.全てを言葉で説明することはできない 前回、武道の極意の話が出てきました。そこまででなく、普通の運動でもそこで体を動かし方を伝える際には、言葉を使います。しかしその目的は、本人の中にその体を使う働きを形成することです。それは、言葉をかえて言えば、「名
93.「名」が使いづらい「実」の排除 社会が拡がれば拡がるほど、言葉による伝達の機会が増大することになります。そこで、実物を前にしてものをしゃべるとかいうよりも、「外の実」抜きでの言葉の使用の機会が広がるわけですから、言葉で表現できない物事というのが次第
92.人間の能力と「ことば」 さて人間の能力と言葉の関係についてと言えば、先に不特定多数を相手にした「表現」のケースを取り上げたのですが、それは表現する側からではなく、それを受け止め理解する側から言えば、そこで使われる言葉の意味についてその表現する側がど
91.社会を支える能力 さて、社会というのは人と人との結びつきで成り立っているわけですが、その結びつきを考える上で互いに表現し合い理解し合うということは非常に大切です。お互いに解り合えなければ人は協力し合うことができず社会が成り立ちません。 そういう面
90.「個」以外の対象への「表現」 「表現」について、ここまでは主に特定の相手に対するものでしたが、我々は時には、不特定多数を相手にした表現をします。その場合は、その相手の集りの「知識」の共通性が問題になってきます。 例えば、子供たちを相手す
89.「ことば」の知識と「人」についての知識 前回取り上げたのは、表現について、自分が伝えたいものがある、それを「実」とすると、それを「名」を介して伝える、そこで、その「名」が相手の中でどうはたらくか、つまり、表現のために使用した「名」で、その「実」を伝
88.表現で伝えるもの さて、「表現」をする側からすると、無意識によるものと意識してのものがあり、その手段としては、大きく言語的なものと非言語的なものがあり、その相手が、「個」である場合、集団である場合があるわけです。そこで、「表現力」ということになる
87.こころのとらえ方の変化 最近の脳科学とか身体科学の触れる中で、体と心の関係について感じていることです。 「体」のはたらきについてというと解り易いのが、その動きですが、その一つである「手」というものを見ていて、それを動かしてみます。そうするとそれが
86.心身二元論を超える「廃用性萎縮」と言うと普通は体の筋肉について使われる言葉です。廃用性萎縮は、廃用症候群のうち筋萎縮の症状を指します。しかし、その「葉廃用症候群」というのは、廃用症候群は、「身体の不活動状態により生ずる二次的障害」として体系化
85.はたらきの不使用がもたらすもの 老化による能力低下とされているものの中に、実は老人扱いをされることによる、「廃用性萎縮」に似た、能力の不使用による不能化が非常に多いのではないでしょうか。 それは老化に対する対策について触れた著作に目を通してみると
84.老化と表現の衰え 「姿勢を読む」ということが出てきたところで老化の話に触れておきます。 姿勢と老化を合わせて考えると、すぐ思い浮かぶのは「腰が曲がる」ということです。 そのほかにも老化による体の変化は、ここで言う無意識の体の表現というものと繋がっ
83.ボディーランゲージのこと 学習に関わる表現と言えば、どうしても「ことば」が中心となるのですが、その前に非言語によるコミュニケーションとして挙げられるのが、ボディーランゲージです。これについて触れておきますボディーランゲージ(英語: body language)
82.表現についてのいろいろ 学習の過程を四つに分けての、「能力についてのあれこれ」、「理解・記憶・思考」に続いて「表現」のことを取り上げたいと思います。 そこで、まず広い意味での「表現」についてのあれこれを取り上げてみるとします。今までは、狭く「思考
81.「実」を伴っているかに注意 さてここで言葉の「名」と「実」に取り上げてきたのですが、そこで言いたかったのは我々の能力は、その「実」があってのものだということです。 例で取り上げた「足し算」でいえば、「2+3は?」と訊かれた際、「ニタイサンワゴ」
80.「+」の「名」と「実」 「足す」の「名」と「実」について。 これの「名」を、「タス」という音声と「+」という文字が担っているとしますと、その「足す」ということの「意味」ですが、これは文法の分類で言えば動詞です。では、どういう動作によってそれがなさ
79.「数」の「名」と「実」 次は「数」についての「名」と「実」についてです。 これについては、「名」の方は音声である「ニ」とか「サン」、文字である「2」とか「3」ということになります。 問題はその「実」の形成です。これについては、例えば、星を見ながら
78.内と外の「実」 この「足し算のできない子」の中で起きたことについて「数の概念」のところで詳しく取り上げ、その計算ができるようになるのに何が形成されていくかということを説明したわけです。 それをもとに「名」と「実」というものを考えてみたいと思うので
77.足し算の「名のみの操作」 「名のみの操作」と「実のある操作」について簡単な例として、以前「計算のできない生徒」を取り上げました。 この生徒は、小6の兄の紹介で入塾した小2の女の子で、簡単な足し算ができませんでした。それについて、「2+3」であれば
75.思考を支えるのは内の自由なはたらき 世界のあり方について、先に「諸行無常」とか「万物は流転する」とかいう言葉を使用しました。世界が機械のように固定されて変化しないものであれば、そこで発生する問題というのも全て変わらないはずです。そうであれば、それに
74.思考と使用される知識 生徒を指導して思考力をつけさせようと考えると前回取り上げたマニュアル的な解決を以て自分は考えたとする生徒がいるわけです。 例えば、数学の学習で小単元ごとに学習し、最後に問題を出して、生徒たちにその問題を解いたその思考経過を
72.「生徒の能力を伸ばす」か「生徒の能力を揃える」か 多くの教育機関でなされていることは教える側で、教えるための計画を立て、学ぶものをその計画に合わせてコントロールすることです。 例えば、何かの問題を解くことを課して、それを本人がとき終わるまで待つと
71.「この通り憶えろ」か「自分で考えろ」か 学習の過程を四つに分けての、「能力についてのあれこれ」、「理解・記憶」に続いて「思考」のことを取り上げたいと思います。つまり、「思考力」をめぐるあれこれということです。 「思考」について考える時に、今の教育
70.自分の「記憶」についての無知 人は自分の意識を考えた時にそれがその奥から何かが浮かび上がってくるそういうものだと思うのですそこで話の進め方としてその真相と呼んでそこに記憶も蓄えているゆうものだとしているわけです そこで我々の中の記憶は膨大なもので
69.記憶と無意識の体験 今まで学習の過程を、理解したことを記憶し、記憶を使用して思考し、思考したことを表現し、その結果を記憶に反映する、そういうように説明してきましたが、記憶の形成に影響を与えるものはそういう、意識が関わるものだけではありません。 実
68.「表現」と「記憶の整理」 さて次に「表現」と「記憶の整理」について。 我々は、自分が考えたことを外に向かって伝える際、どう表すか、考えます。考えたことをそのまま伝えることもありますが、普通は、伝え方を考えます。ここでは、それを「思考」を「表現」に
67.「記憶の整理」と「思考」 次は「思考」と「記憶の整理」です。 我々が何かについて思考する際、そこでさまざまな既成の知識を「記憶」から取り出して使用します。そして思考の結果、新たな知識を生みだし、それを外から得られた知識と同じく自分自身の知識とし
65.消化の譬え 「記憶」というものについて、倉庫や地理などに譬えることでその整理が必要だということを述べてきたわけですが、ここでは時に知識の獲得と使用について述べる際、食べ物の消化に譬えることがありました。 それは「言語」を名と実の組み合わせで説明し
64.地理の譬え 前回、倉庫の譬えについて、「あまりよくないが」と言いましたが、それは、倉庫の場合、物をそのまま出し入れするからです。 それは「知識」であれば、分離された知識をそのまま取り入れ、そのまま保持し、そのまま取り出すことにすることとして誤解す
63.倉庫の譬え あまり良くない譬えであることを承知の上で、「記憶」を倉庫に譬えてみるとします。 倉庫に何かを保管する、それは当然使うためのものです。であれば必要な時に取り出そうとする際、それが整理できていなければ、取り出すことはできない、できるとして
62.「記憶の整理」の軽視 我々は、外から得た情報を理解し、それを記憶します。その記憶の場所は必ずしも頭の中に限定されるわけではないのですが、それについて、ここでは、「深層」としたものの中に組み込まれたはたらきであるというように説明しています。 その「
61.不特定多数の相手への表現 先に、我々の情報の取得と使用の過程、あるいは学習の過程を「理解・記憶・思考・表現」と大雑把に分けました。大雑把としたわけについては、そのとき述べたわけですが、それに少し付け加えておきます。 前回、「理解」についての「個
60.ことばの持つ様々なはたらき 先に、意味機能の例として、イメージということばを使用しました。ただ、我々は言葉の意味というと、辞書などを使ってそれを検索します。それは、文字、つまり、言葉で書かれています。それは、言葉の意味を言葉で説明するということです
59.解り合うことの大切さ 「ことば」は人と人をつなぎます。その際、それはつなぐ人の「理解」によって、変化することになって、そのつながりを良くも悪くもします。 「解ったつもり」による、意味の歪曲は人々の関係を歪め、ひいては社会を歪めることになるのではな
58.「解る」と「解らない」の違い 「ことば」を理解するというのは、その「ことば」の意味機能がその人の深層ではたらいているということです。前回述べたイメージ化はその深層ではたらくイメージ機能のはたらきによるもので、それを意識化するわけです。それができな
57.イメージしてみること さて書かれたことの「理解」ですが、その書かれたことの中には、その人の考えとその根拠が入り混じっている際、それを区別してみると、何らかの事実としたことをもとに、それについて考えを述べている、例えば是非の判断を述べているということ
56.「苦」をもたらす根拠のない思い込み 前回、仏教で「苦」とされるものの一因として、「理解」をいい加減にするということを述べましたが、これはたまたま、目にした「神経科学」の本の中に、それにつながることがあったのです。 我々の脳は、良いこと楽しいことよ
55.理解を基にした感想 「国語」の「感想文学習」は、国語教科書の中の文章を対象として生徒一人一人が感想を書き表すという学習です。そこで、生徒がその文章を読み理解したことを基に自分なりの考えを書き表すことになります。 そこで、まず、その文章を読んで理解
54.MCの役割について 「聴き合い」でのMCの役割の一つは、参加者の発言が本人の思考の披露に及んだ時に、それは「聴く」ということをではなく、「自分の考えを述べる」ことで、ここはあくまで聞いたことについて「聴いて解らないこと」を糺したり、自身の「理解」を「
53.聴き合い―理解と思考 さて、「理解」と思考に分けることの例として、よくとりあげるのが「聴きあい」です。これについては、『聴き合いについて』でふれました。 「話し手」「聴き手(3人)」「MC(進行係兼聴き手)」の5人一組のグループになります。進行は、
52.理解・記憶・思考・表現の入り組んだ関係 ここでは、人の知識の獲得と使用の過程を大ざっぱに「理解・記憶・思考・表現」というふうに分けていますが、実際の使用の際、それぞれに他の要素が混じっています。 「理解」についてとりあげる中で、判断について取り
51.権力と個の能力の綱引き SNSの出現は、社会における情報の伝達の在り方の問題の一面を明らかにしてくれたとも言えるでしょう。 社会における情報の拡散は、その共有をもとにした成員の連帯のために必要なことです。しかし、それが社会秩序の維持を重視する情報
50.情報をうのみして拡散することが引き起こす問題 次いで、理解に関して述べた後段の身近な例として、最近話題のSNSが引き起こす問題について。 今SNSによる情報の拡散がさまざまな問題を引き起こしています。その情報の中に、明らかな誤りが含まれていて、そ
49.記憶のずれと誤解 前回取り上げた理解過程の前段の相手の言うことを正しく受け止めるということで、それがそう簡単ではないということの例を一つ。 現代の神経科学の進展があきらかにしたことの中に、AがBに投げかけた言葉がBの中でどう受け止められるかと言うこ
48.受け止めと正否の判断 変容過程に最も影響があるのは、受け入れた際の理解だと言えるでしょう。我々は、人の話しを聞いて、それを自分なりに理解し、それをそのまま受け入れるではなく、正しいと思われるものを受け入れ、誤ったと思われるものを排除して、自分の中
47.「記憶」が加わる ここでは学習のプロセスを説明する際、大ざっぱに「理解・記憶・思考・表現」という言葉を使っています。読む人との間で、比較的意味が通じるだろうということで使っているわけですが、無論それはおおざっぱないい方をであって、その時に応じてどう
46.「思考」が生み出す「表現」と「表現」されたことの「理解」 さて、自分たちがやってることについて考えることを続けます。 我々は、自分で考えたことを言葉として表現するわけです。 そこにはそれを考えた人の中の「意味」が、その人の中での言葉として相手の人
44.「心」と「ことば」の定義 我々は、日頃から「心」という言葉を使います。しかし、改めて「心とは何か」ということを考えると、極めて漠然として曖昧なものだという感じがするわけです。そこで、その定義とされるものがどうなっているかを検索してみますと、それ自
43.「脳」の次元に囚われないこと 「心の働き」とされるものと「脳の働き」として捉えられるものを取り上げてきましたが、では、普通「心の働き」と言われてきたもの全てが、そのまま「脳の働き」であるかというと、そういうわけではありません。 先に「心の働きとさ
42.脳の知識が深まると 「こころ」の働きとか、単なる「あたま」の働きとか、漠然と考えていた「人の中でのはたらき」とか「能力」についての受け止め方が、「脳」いうもの、特にその働きがMRIなどを介して「見える化」したことが、我々の「能力」というものの見方を
41.以心伝心 心の働きを表す「以心伝心」と言うことばがあります。 文字や言葉を使わなくても、お互いの心と心で通じ合うことで、もとは禅宗の語で、言葉や文字で表されない仏法の神髄を、師から弟子の心に伝えることを意味した。 その前提は、「心と心が通じる
40.こころと脳 「見える化」といえば最近テレビで取り上げられた脳インプラントという技術がありますこれを脳に直接電極を差し込んで脳の電気的活動を測定することで思考過程を読み取る技術を指すものだそうです。 人間が持つ働きの中に「こころ」と呼ばれるものがあ
39.表層筋と深層筋の例 我々が何かの運動するときは、筋肉を使用します。そこで、何かの運動の仕方とか技を人に伝えようとする際、その筋肉を表す言葉を使用するとそれが伝え易いということがあります。 そこで、その筋肉には、目で見える筋肉とそうでない筋肉があり
38.意味の共有の難易「ことば」には、その「意味」を共有することが、易しいものと難しいものがあるのではないでしょうか。そして、それが難しいことによって、その「ことば」が排除されることは、その「ことば」の意味をになう、「実」に当たるものの排除につながるとい
37.個別指導と一斉授業 「能力」の伝達形式について、広い社会と狭い社会のそれとして、対照的な二つについて取り上げてみます。 狭い社会でのそれは、例にあげた道場における師弟関係に象徴されるような個別指導でした。それに対し国民国家が成立してからの国民教育
36.「ことば」による伝達の難易を分かつのは? ここでは、言葉を「コトバと意味」あるいは「名と実」とに分けて取り上げているのですが、その「実」について、前々回取り上げたのは合気道の技でした。しかし、前回取り上げた曽参の言葉の「習わざる」が意味する「実」に
35.「習わざるを伝えしか」 前回述べたことについて、以前「個別指導のこと」で、次のようなことを述べました。指導する側は、その「実」を自分の中で確かなものにすることなく、相手にそれを伝える、そうしてはいないか、そういうことについて思い浮かぶことばが、「
34. 社会の拡がりと「ことば」の共通性の維持 前回、合気道の極意を支える能力とそれを伝える際に使われる「ことば」について取り上げました。例えば、剛体を柔体に換えることで使用が可能となる技が有るとします。その技に名がついているとすると、その「コトバ」が意
33.「古事記」のことばそこで、その特殊な感覚であるとか、高度な感覚であるとか、そういうものを表す言葉が生まれるとして、その言葉を共有するには、そういう感覚を使用することで生まれる能力の存在が受け入れられる必要があります。ここで、先に、最近、スポーツの
32.感覚と「ことば」の結びつき 「狭い社会」と言いましたが、それは現在の「広い社会」をもとに、それを細かく分けての「狭い社会」と、人類が最初のころに経験した集落とか村とか言えるような広い社会抜きの「狭い社会」とでは、違いがあるわけです。 そこで、「こ
31.広い社会と狭い社会同じ「ことば」にも意味が広いものがあります。例えば、言葉を辞書を開いてみます。そうするとその定義が一つであるものはむしろ少なく、幾つもあることが多いでしょう。そうして、この場合はそのどの「意味」であるか戸惑うことがあります。また
30.表現力と社会 「表現力」を考えてきた時に、その鍵になるのは相手との「意味の共通性」です。普通に考えれば、多くの意味を内蔵した多くの言葉を持っていれば、それは可能になるでしょうが、多くの知識がなくても共通性を持つためには、そういう集団に属することです
29.表現には必要な対人知識 何かを生み出す人の中には、「実」の扱いに長けているが、「名」の扱いについては苦手だという人もいます。しかし、その生み出した「実」を人に伝えようとすると、「名」を使用することになる、そうすると、その相手の受け止めを理解し、それ
28.表現力と創造力 ことばを使っての「思考」は、本人の意味機能を基にしています。ですから、場合によっては自分だけの「意味」を使って何かを生み出すということが可能なわけです。 しかし、その考えたことを相手に伝える際、「自分の中の意味」をもとに、「相手の
27. 伝達のカギは聴く人の意味機能にある 前回「文字」を使うことで得られる能力について、「その能力は使う人との結びつきで生かされるものだ」と述べました。 その言わんとすることは、簡単にいえば「『文字』そのものには意味機能はない」ということです。 それ
26.「文字」の使用 記録の話が出てきたところで、「文字」が出てきました。 それで、人は持つ「知識」を「文字」で書き表すことで、それを保存することや人を介してあるいは様々な輸送手段を介して運ぶことができるようになりました。 ただし、それは「知識」のごく
25.成功や失敗の記録の利用 自分がやっていることを考える際、それを動物たちがやってることと比べたときにいかに自分たちが言葉に依存しているかということに気づかされます。何かをやる時に互い話し合い、何かを実行するときも言葉で連携して行動する、そういうことを
22.人と人の言葉による結びつき 前回、述べた言葉を操作して生み出したものを現実に確かめるということは、言葉を換えて言えば「名」の操作を、「実」でもって確かめているということでしょう。 我々が自分のふだんやっていることを考えてみると、いかに「あたま」
21.「ことば」を結びつけること 自然界には様々なはたらきがひそんでいます。基になる働きがあり、それが結びついて新たな働きが生み出されたり、結びついたものが分かれたり、そういうことが繰り返されています。 そして、それらは、自然界で起きていることもあれば
20.「見えないもの」の「ことば」の共有 「見えないもの」を、「あるもの」として言葉にする、それは時に、妄想とか錯覚によるものが言葉とされるということがおきます。つまり、簡単に言うと無いものをあるなることがおきるわけです。 そしてそういう言語をもとに知
19.「ことば」は「見えないはたらき」を「みえる」ようにする さて「言葉」には、その働きとしてもうひとついえることがあります。 それは、「見えない」はたらきを「みえる(識別する)」ようにするということです。 例えば、今では当たり前のことである「引力」とい
18.「名」と「実」の結びつき 今まで述べたことを基に考えれば、動物と人間を分かつ能力といえば、「ことば」を使えるかどうかということで、それがいろいろな能力を身に付け、使用できるようことにも、大きな違いとなるという事です。 そこで言葉といえば、ここで「
17.「名」と「実」が結びついて「学習」と言える さて、指導を「コトバ」を使ってやり、それでその「コトバ」を口にするなり書き出したら、それで指導したつもりになる、これに近いことを多くの教育機関でやっていると言えるのではないでしょうか。学校で教師が言葉で
16.「名」ばかりの指導 前回述べたことに、付け加えます。 体を動かすということは、脳からの指示、あるいは、感覚を元に脳を経由しないでするか、いずれにしろ、運動に関わるさまざまなはたらきを結びつけて、その動きを生み出すことでしょう。 その動きを生み出す
15.ことばの使用による動き 動物の動きを見ていて気づくのは、その滑らかな動きです。それと比べるとどうも人間の動きはギクシャクしています。無論、達人と言われる人は滑らかな動きができていますが。 そこで、その滑らかな動きと、人間のギクシャクした動きを比べ
14.「五禽戯」のこと 動物が病とほとんど無縁だということで、中国の気功法の一つといわれる「五禽戯」のことが思い浮かびました。 中国の伝説の名医と言われる華佗という人がいるのですが、この人が考えたのが、その「五禽戯」とい気功です。 華佗という人は中国
13.動物はどうしているか 人の体温調節の話を持ち出したのは、人間が本来持っている能力を使用しないことで劣化させたのではないかと思えるからです。それは学習能力を考えるうえでも非常に大切なことです。 厳しい環境下で暑さ寒さの影響にどう対処するかということ
12.異次元の体温調節力 人の中の温度調節については、次のような説明が一般的です。私たちの体では、皮膚にある温度センサーで寒さを感じると、脳にその情報が伝わり、熱を作る仕組みが無意識のうちに働いて、体温が低下しないようになっています。 逆に、体温が上が
11.体温調節の能力 暑さや寒さに適応すると言うと普通考えられるのは、寒さに対しては厚着をする、暑さに対しては薄着をすると、いったことでしょう。しかし、一方で寒さに対処するために体の中で熱を生み出す働きがあることを利用するという対処の仕方があります。我
12.異次元の体温調節 人の中の温度調節については、次のような説明が一般的です。私たちの体では、皮膚にある温度センサーで寒さを感じると、脳にその情報が伝わり、熱を作る仕組みが無意識のうちに働いて、体温が低下しないようになっています。 逆に、体温が上がっ
10.「からだ」は季節に対応する 能力が、その人が「できる」ことを言うとすれば、その基になっているのは、その人の中にある「はたらき」です。しかし、それを本人が理解して使用しているかというと、かならずしもそうとは言えません。 それについて、様々なことが考
9.呼吸―吐くことに重きを置く さて脱力について、「入れる」と「出す」についてやり取りをした際、それが呼吸の話に及びます。「深層筋」というのが、「意識」で動かしにくいことから、「呼吸」を利用するということになり、その時に吸うことと吐くことに関して、力を引
8.「柔道」と「空手」という命名 「武道」と「脱力」について思いつくこととして、「武道」に付けられた名前があります。 まず「柔道」です。これは「柔らかい道」と書いています。もとは「柔術」といっていたのは、それをこういいかえたわけです。いずれにしても「柔
6.意識と動作について 我々が手足を動かすとき、どういうことを意識しているか考えてみると、一つは内言を使用するということです。「こういうふうに動かそう」といったようなことです。その際「こういうふうに」と表現した部分は、言葉で細かく表現するということもあり
5.自分の一部と意識の対象の間 我々は、子供の頃自分の手足などを動かすことについて、それは自分の一部が動いているということとして何の疑問もなくやっていた、それがその後その一部がうまく動かない、さまざまな病気にかかった時がそうなのですが、そういうことを経験
4.はたらきと仕組み 昔の人は体を覆う筋肉についてそれを見て使うこともでき、ある程度はその働きについて理解していました。しかし、その体の奥については、特に普通の人はできませんですから、その体の奥に何らかの働きがあるということを感じた人はその働きがあること
3.表層筋と深層筋 隠された力に誰かが気づき、それを使いこなせるようになった人が、その使い方を他の人に伝える場合、その力を相手も認めている場合と、認めていない場合では、大きな違いがあります。確かにそういう力があるのを認めている、だから自分もその使い方を身
2.「伸張反射」のこと 武道の科学を扱った本の中で「伸張反射」を取り上げていました。伸張反射(しんちょうはんしゃ、Stretch Reflex)とは、脊髄反射の一つで、骨格筋が受動的に引き伸ばされると、その筋が収縮する現象。 この収縮は、筋肉の伸展によって生ずる張力
1.能力についての新たな視点最近の日本のスポーツ界について世界的レベルで活躍する人々が増えてきたことが目立ちます。 その理由について、最近、「身体革命」ということばで語られる、それまでの運動理論を覆すいろんな運動の考え方が注目を浴びています。 解りや
100.生きることと学ぶこと 人が「生きる」ということを抽象的にではなくもっとリアルに受け止められないかということで、それを人が「どう考えどうどう行動するか」ということとして、それを自分自身に照らし合わせながら考えてみました。 そこで、自分のことを考
99.愛と執着を分かつのは 愛と執着の違いについてはいろいろな人がいろいろなことを述べていますが、国家に対する愛というものを考えるなかで気づいたことがあります。 それは自身と対象について、仏教でいう「諸行無常」、あるいは古代の哲学者の「万物は流転する」
98.切り離された国家 表面では、個々に分断されていると思われる物事が、それを拡げ深めることによって繋がっている、我々の知識は、それが広がり深まることによって、本来あるものに近づいていくのではないでしょうか。 人間にとっても、自由が真の自由であること
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4.「コトバ」のやり取りの奥でおきていること 多くの学習塾が学習の対象とするのは、国語とか数学とかの教科についての知識でしょう。そこで、学校とか塾での、教師と生徒との間のやり取りを考えた時、それはほとんどが言葉でのやりとりだということです。無論、そこに実
3. 深層に形成されるもの 指導者の学習観を変えるための研修で、三層フローチャートの記入の後に、それに続くものとして機能図の書き込みをやることについて、再々触れました。 これは、「脳」を縦横に表したものと、「耳」「目」や「手」「口」などをくっつけた平面
2.生徒の内に目を向ける指導者の研修でやることの一つに三層フローチャートの書き込みでこれについては再々取り上げました。それについては以前次のような説明をしました「三層フローチャート」というのは、「話す」とか「動く」とかの「行動」を「行動欄」、頭の中で
1.常に変化する内の記憶「学習」を人の思考や行動のもとをなす内の形成を中心にするものと考えれば、まずその内の働きとは何かが問題であり、それは何より常に変化し続けるものです。 そこで、その内のはたらきを中心に意識的学習を考えれば、その意識は、その内のはた
100.自身が「内」を見つめることで育つ能力 理解・記憶・思考・表現などの能力について取り上げていく中で、それらが全てつながっていることと、その基にあるのは、ここで便宜上「内部知識」としたものであることがよくわかります。そもそも記憶はそれを形成するはたら
99.「表現」と「記憶」 さて、「表現」と「記憶」について考えると、「表現」には、多くの場合、個人にしろ集団にしろ相手がいるわけで、それに対して働きかけるわけで、その際、自身の記憶だけでなく、その相手の記憶が絡むわけです。 思考したことを表現に換え
98.思考と知識の再整理 教科の中では、数学は論理的思考力を身につけることを目指す教科だとされています。 そこで、その数学の問題学習を取り上げてみます。一斉授業では、教師が生徒に問題を指示し、自分で問題を解かせます。多いのは、時間を決めて、時間が来る
96.記憶の確かめと修正 「新しく得た知識」が「既成の知識」と結びついて「内部知識」を形成する、そういうことで我々の中の知識は絶えず生まれ変わっていると言えるのではないでしょうか。 そして、それが我々が物事を理解し思考する場合に使用され、それが間違って
95.つながりと分断 切り離された指は、指の働きをしない、つまり、「はたらきを持たない」、本来の指ではないとなります。切り離すという極端な場合でなくても、指が例えば脳とのつながりを失う、伝達神経とのつながりを失う、あるいは、はエネルギーとか血液の供給が受
94.全てを言葉で説明することはできない 前回、武道の極意の話が出てきました。そこまででなく、普通の運動でもそこで体を動かし方を伝える際には、言葉を使います。しかしその目的は、本人の中にその体を使う働きを形成することです。それは、言葉をかえて言えば、「名
93.「名」が使いづらい「実」の排除 社会が拡がれば拡がるほど、言葉による伝達の機会が増大することになります。そこで、実物を前にしてものをしゃべるとかいうよりも、「外の実」抜きでの言葉の使用の機会が広がるわけですから、言葉で表現できない物事というのが次第
92.人間の能力と「ことば」 さて人間の能力と言葉の関係についてと言えば、先に不特定多数を相手にした「表現」のケースを取り上げたのですが、それは表現する側からではなく、それを受け止め理解する側から言えば、そこで使われる言葉の意味についてその表現する側がど
91.社会を支える能力 さて、社会というのは人と人との結びつきで成り立っているわけですが、その結びつきを考える上で互いに表現し合い理解し合うということは非常に大切です。お互いに解り合えなければ人は協力し合うことができず社会が成り立ちません。 そういう面
90.「個」以外の対象への「表現」 「表現」について、ここまでは主に特定の相手に対するものでしたが、我々は時には、不特定多数を相手にした表現をします。その場合は、その相手の集りの「知識」の共通性が問題になってきます。 例えば、子供たちを相手す
89.「ことば」の知識と「人」についての知識 前回取り上げたのは、表現について、自分が伝えたいものがある、それを「実」とすると、それを「名」を介して伝える、そこで、その「名」が相手の中でどうはたらくか、つまり、表現のために使用した「名」で、その「実」を伝
88.表現で伝えるもの さて、「表現」をする側からすると、無意識によるものと意識してのものがあり、その手段としては、大きく言語的なものと非言語的なものがあり、その相手が、「個」である場合、集団である場合があるわけです。そこで、「表現力」ということになる
87.こころのとらえ方の変化 最近の脳科学とか身体科学の触れる中で、体と心の関係について感じていることです。 「体」のはたらきについてというと解り易いのが、その動きですが、その一つである「手」というものを見ていて、それを動かしてみます。そうするとそれが
86.心身二元論を超える「廃用性萎縮」と言うと普通は体の筋肉について使われる言葉です。廃用性萎縮は、廃用症候群のうち筋萎縮の症状を指します。しかし、その「葉廃用症候群」というのは、廃用症候群は、「身体の不活動状態により生ずる二次的障害」として体系化
85.はたらきの不使用がもたらすもの 老化による能力低下とされているものの中に、実は老人扱いをされることによる、「廃用性萎縮」に似た、能力の不使用による不能化が非常に多いのではないでしょうか。 それは老化に対する対策について触れた著作に目を通してみると
84.老化と表現の衰え 「姿勢を読む」ということが出てきたところで老化の話に触れておきます。 姿勢と老化を合わせて考えると、すぐ思い浮かぶのは「腰が曲がる」ということです。 そのほかにも老化による体の変化は、ここで言う無意識の体の表現というものと繋がっ
42.朱子学と朱子の思いは別?朱子学というのは、南宋の朱熹(1130年-1200年)によって構築された儒教の新しい学問体系で、その中核をなすのが、「理気説」です。朱子学では、おおよそ存在するものは全て「気」から構成されており、一気・陰陽・五行の不断の運動によっ
41.「学ぶ」と「教えられる」 さて、「自分でやること」について、「学ぶ」と「教えられる」を混同していないか、ということを考えてみたいと思います。 先に、「 西洋の教育」と「東洋の学習」という言葉を使いました。 なぜそういう使い方をしたかと言うと、その「
40.やっていることのつながりここでのタイトルは「自分でやることの理解でした。その例の一つして「動く」ということを取り上げたわけです。それで「自分で動くということ」を、「体を動かす」ということだけではなくて、それが「頭を働かす」ことでもある、そういうに
39.自分でやることの理解を深める「東洋医学」の「養生」のところで、高齢者の健康のことが取り上げられていました。また、養生で大切なこととして、食事と睡眠、そして運動が挙げられていました。その中で、高齢者の場合、特に問題なのは、運動のことです。高齢化で
38.本人のやることと健康の結びつきの理解 前回、「医学の本で『本人の意思力』があまり言われていないことが気になる」と述べたことについて、触れておきます。 東洋医学では、病気がある、その前に未病というのがある、更にその前に養生というのがある、そういうふ
37.東西医学の統合の可能性「東洋医学の基本帳」という本の話をしましたが、その中で東西医学について、その違いとは別に、それが統合に向かう基になるものがあるとして、2つばかり述べています。1つは、西洋医学の源流であるギリシャ医学の医者のヒポクラテスの学説に
36.東西の医学と二つの脳 さて 「東洋医学のきほん帳」という本に、東洋医学と西洋医学の違いについて触れた一章があります。その中で、その違いを人間の左脳と右脳の違いから説明した箇所があります。 そういうふうに単純化してとらえることにはむ異論もあると思われま
35.養生は「自分でやること」 さて、養生というものを取り上げてみると、それは基本的には、それぞれが自分でやることです。それをきちんとやれば、そもそも病になることがない、簡単に言うとそういうことです。 例えば、我々は目が悪いとお医者さんに行って、場合に
34.養生が視野に入る 東洋医学の本を読むと、「養生」という言葉が出てきます。これは、医学を超えたものですが、その延長上にある生きかただとも言えるでしょう。 つまり「病気を治すことではなくて病気にならないことを重視する結果、養生という考え方が生まれた」
33.未病が視野に入る 病について、時間的にどんどん視野を広げると、病気が健康状態とつながってきます。 そこで、その間が視野に入ってきます。それを東洋医学では未病と言っています。それは「未だ病ではない」、つまり、病気になっていないが病気になる可能性のある
32.ものの見方を広く長く東洋医学が、道路の例で言えば全体の地図をみる、それに対し、西洋医学というのは、特定の地域について詳しく具体的にみる、そういう広い狭いということを言ったわけです。しかし、それは空間的にというだけでなくて時間的にも言えるのではないか
31.分析的と包括的この本(「カラダを考える東洋医学」)の中で 西洋医学と東洋医学の違いをまとめた表が載っています その中で取り上げると 分析的と包括的、心身二元論と心身一如、抽象論的と現象論的、既病を治すと 未病を直す、生活の質と養生、と言った 違いが取り上
30.造物主と八百万の神 西洋と東洋という分け方が正しいかどうかはともかく、生活の基盤の違いが人々の考え方を分かつということについて、ひょっとしたら、その宗教観にも表れているのではないか、と思えることがあります。よく言われるのが、西洋の方は自然界にある
29.ことばの共通性我々にとって、西洋医学について考えると、それぞれの専門のお医者さんがいて、それを自分で選ぶのが普通です。目が悪いから眼医者に行くとか、耳が悪いから耳のお医者さんに行くとか、それを選ぶのが分かりやすいし、それと治療のつながりについての説
28.病のとらえ方の違い 前回述べたことの続きとして言いたいことは、西洋と東洋といっても、細かく分けていけばきりがないのですが、一般的に言われているのは、「簡単に言うと片方が狩猟採集経済、他方が農耕経済を基にした生活の上に築かれた社会である」、単純化して
27.医学の生まれの違い狩猟採集経済というのは、動物を狩り、自然に育った植物を採って、それを食べて生活する、そういう経済です。それに対し、農耕経済というのは、自分たちが耕し育てたものを取り入れて食べて生活する、そういう経済です。そこで、人々が村というか
26.製品に関わるか、商品に関わるか さて、現代の人々が東洋医学に接すると、それが西洋医学の知識体系というものを比べて違い過ぎるのに、戸惑いを感じると思います。そこで、その近いが何から生まれたかを考えることは、我々が「自分でやること」の理解を考えるの
24.「動き」を軽視している現在の教育 この本(「この自然な動きが脳と体に効く―最新科学が明かす『人間本来の動き』の力」)は、心身二元論を超える内容になっています。 「心身一如というように心と体は繋がっている、筋力を鍛えるだけで自己評価が高まり、 精神
23.呼吸という運動 さて次は呼吸の話です。呼吸についての我々の理解は、空気を吸って吐いて、酸素と二酸化炭素とかを、肺とか細胞で交換する、そういうことでしょう。 そこで、この本は、我々がする呼吸というものの別な面についての理解を促すことになります
21.リズムがもたらす結びつき この本では、次に、リズムと動きについて取り上げています。 音楽のリズムは人と人との動きを結びつけます。それは脳と脳の共鳴をもとに動きを協調させる、そういうふうになっているのではないでしょうか。そして、それは同時にその個