35.脳で視ている? 「目で見る」と「目以外で視る」ということについて、触れておきます。 「目で見る」ということを大雑把に言えば、少し突っ込んでみると、「目」が外からの刺激を感覚神経を介して「脳」に伝え、それを基に「脳」が視覚イメージを生み出す、そうい
93.「名」が使いづらい「実」の排除 社会が拡がれば拡がるほど、言葉による伝達の機会が増大することになります。そこで、実物を前にしてものをしゃべるとかいうよりも、「外の実」抜きでの言葉の使用の機会が広がるわけですから、言葉で表現できない物事というのが次第
92.人間の能力と「ことば」 さて人間の能力と言葉の関係についてと言えば、先に不特定多数を相手にした「表現」のケースを取り上げたのですが、それは表現する側からではなく、それを受け止め理解する側から言えば、そこで使われる言葉の意味についてその表現する側がど
91.社会を支える能力 さて、社会というのは人と人との結びつきで成り立っているわけですが、その結びつきを考える上で互いに表現し合い理解し合うということは非常に大切です。お互いに解り合えなければ人は協力し合うことができず社会が成り立ちません。 そういう面
90.「個」以外の対象への「表現」 「表現」について、ここまでは主に特定の相手に対するものでしたが、我々は時には、不特定多数を相手にした表現をします。その場合は、その相手の集りの「知識」の共通性が問題になってきます。 例えば、子供たちを相手す
89.「ことば」の知識と「人」についての知識 前回取り上げたのは、表現について、自分が伝えたいものがある、それを「実」とすると、それを「名」を介して伝える、そこで、その「名」が相手の中でどうはたらくか、つまり、表現のために使用した「名」で、その「実」を伝
88.表現で伝えるもの さて、「表現」をする側からすると、無意識によるものと意識してのものがあり、その手段としては、大きく言語的なものと非言語的なものがあり、その相手が、「個」である場合、集団である場合があるわけです。そこで、「表現力」ということになる
87.こころのとらえ方の変化 最近の脳科学とか身体科学の触れる中で、体と心の関係について感じていることです。 「体」のはたらきについてというと解り易いのが、その動きですが、その一つである「手」というものを見ていて、それを動かしてみます。そうするとそれが
86.心身二元論を超える「廃用性萎縮」と言うと普通は体の筋肉について使われる言葉です。廃用性萎縮は、廃用症候群のうち筋萎縮の症状を指します。しかし、その「葉廃用症候群」というのは、廃用症候群は、「身体の不活動状態により生ずる二次的障害」として体系化
85.はたらきの不使用がもたらすもの 老化による能力低下とされているものの中に、実は老人扱いをされることによる、「廃用性萎縮」に似た、能力の不使用による不能化が非常に多いのではないでしょうか。 それは老化に対する対策について触れた著作に目を通してみると
84.老化と表現の衰え 「姿勢を読む」ということが出てきたところで老化の話に触れておきます。 姿勢と老化を合わせて考えると、すぐ思い浮かぶのは「腰が曲がる」ということです。 そのほかにも老化による体の変化は、ここで言う無意識の体の表現というものと繋がっ
83.ボディーランゲージのこと 学習に関わる表現と言えば、どうしても「ことば」が中心となるのですが、その前に非言語によるコミュニケーションとして挙げられるのが、ボディーランゲージです。これについて触れておきますボディーランゲージ(英語: body language)
82.表現についてのいろいろ 学習の過程を四つに分けての、「能力についてのあれこれ」、「理解・記憶・思考」に続いて「表現」のことを取り上げたいと思います。 そこで、まず広い意味での「表現」についてのあれこれを取り上げてみるとします。今までは、狭く「思考
81.「実」を伴っているかに注意 さてここで言葉の「名」と「実」に取り上げてきたのですが、そこで言いたかったのは我々の能力は、その「実」があってのものだということです。 例で取り上げた「足し算」でいえば、「2+3は?」と訊かれた際、「ニタイサンワゴ」
80.「+」の「名」と「実」 「足す」の「名」と「実」について。 これの「名」を、「タス」という音声と「+」という文字が担っているとしますと、その「足す」ということの「意味」ですが、これは文法の分類で言えば動詞です。では、どういう動作によってそれがなさ
79.「数」の「名」と「実」 次は「数」についての「名」と「実」についてです。 これについては、「名」の方は音声である「ニ」とか「サン」、文字である「2」とか「3」ということになります。 問題はその「実」の形成です。これについては、例えば、星を見ながら
78.内と外の「実」 この「足し算のできない子」の中で起きたことについて「数の概念」のところで詳しく取り上げ、その計算ができるようになるのに何が形成されていくかということを説明したわけです。 それをもとに「名」と「実」というものを考えてみたいと思うので
77.足し算の「名のみの操作」 「名のみの操作」と「実のある操作」について簡単な例として、以前「計算のできない生徒」を取り上げました。 この生徒は、小6の兄の紹介で入塾した小2の女の子で、簡単な足し算ができませんでした。それについて、「2+3」であれば
75.思考を支えるのは内の自由なはたらき 世界のあり方について、先に「諸行無常」とか「万物は流転する」とかいう言葉を使用しました。世界が機械のように固定されて変化しないものであれば、そこで発生する問題というのも全て変わらないはずです。そうであれば、それに
74.思考と使用される知識 生徒を指導して思考力をつけさせようと考えると前回取り上げたマニュアル的な解決を以て自分は考えたとする生徒がいるわけです。 例えば、数学の学習で小単元ごとに学習し、最後に問題を出して、生徒たちにその問題を解いたその思考経過を
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35.脳で視ている? 「目で見る」と「目以外で視る」ということについて、触れておきます。 「目で見る」ということを大雑把に言えば、少し突っ込んでみると、「目」が外からの刺激を感覚神経を介して「脳」に伝え、それを基に「脳」が視覚イメージを生み出す、そうい
34. 市民権を持たない能力 教科学習での誤りについて、それを修正することについて考える際、まず、その原因を知ろうということで、その「原因分析」についてとりあげ、「知識」についで、関係器官の「操作」について取り上げる中で、前回、「その能力をいわば市民権のあ
33.理解には様々な感覚が関わる 前回、ミラーニューロンを取り上げたのは、自閉症の例にあるように、我々が「視て解る」「聴いて解る」と思っていることが、実は「目」とか「耳」とかだけによるのではないのですが、普通は、そう考えられていません。例えば、「共感覚
32.ミラーニューロンについて 今まで、「聴く」ということについて、様々な器官が関わるということを取り上げました。 そうすると、その「聴く」に関わる器官とは、「耳」を中心としたいわゆる「聴覚系」とされた器官だけを指し、次にそれを支えるエネルギー系などを
31.様々な器官の動員 「学習法」は、様々な器官を動員し、そのはたらきを統合することで成り立っています。 例として取り上げた「単語学習法」にしても、大雑把に言っても、聴くと見ると話すと書くこと全てのはたらきを統合することになります。それらがバラバラに足
30.「知識」の修正から「操作」の修正へ 修正学習を考える際、それまで身に付けたものの修正をやるとして、まずやるのが「誤り」の原因を突き止めることで、それを「原因分析と」読んでいるわけです。そこで、「レポート学習」では、まず、学習の過程を明らかにし、そ
29.内外の器官の操作 前回での「結び付ける」過程に問題がある場合は、そのためのやり方を指導することになるでしょう。 例えば、発音に問題がある場合、特定の音声について、その発音のための口や舌の使い方を指導する、後は本人がそれができるよう繰り返す、そうい
28.学習法を支える能力と知識 そこで、「学習法」とそれを支える能力について、SSAの単語学習法を例にとり上げるとします。 テープと単語プリントを使い、英語を聞きながら真似をして声に出して言い、同時に目で英文字を見ながら真似をして書く、次に英語を聞きな
27.学習法、通常の学習の中での習熟を目指すか? 「目標指示」は、その時の学習の目標を指示することですが、その前提は、その目標とされる学習の「方法指導」がなされていることが前提です。 例えば、「特定の単元の単語学習」の指示は「単語学習法」の指導が、「和
26.その場での修正にとどめるかどうか。 修正学習について、それを通常の学習を続ける中で行うか、それを一旦おいて遡及学習などに切り替えるかは、その修正を必要とする原因によって判断すべきこととなります。 例えば英語での和訳学習を例にとれば、通常の英語の単
25.その時の目標の選択と修正 生徒が、教室でその時何を学習するかは、行き着くところは、本人が自分で計画を立てその計画に沿ってその日何をやるか決めるというのが目指すところです。生徒が自分で計画を立てられるようになれば、指導する側はそれに助言をすれば良いわ
24.一定期間をかけての遡及学習 できなかったり誤ったりしたことの原因として、特定の事項というより、単元毎とかし小単元毎とか、そういう知識が欠けていることがあります。それは、本来、学校などで学習済みのもので、その知識の欠落がどの程度の規模のものか、本人
23.短期・中期・長期の取り組み 誤りの原因について、大雑把に言えるのは、まず「知識」の問題というのは、比較的短期に対応できるようです。例えば、あることについての理解が間違っていた、それを正しく理解し直す、それをその日の時間内にやる、そういうことが多い
22.原因と能力の結びつき 学習はうまくいかないことの「原因分析」について、「和訳学習」を例に学習の過程を取り上げたわけですが、無論、それだけで、そのまま「修正」につながるわけではありません。 その「過程」を前提とすれば、例えば「和訳学習」での単語の
21.教科学習のプロセス化 修正学習では、「解らない」「出来ない」の原因を明らかにする「原因分析」をやるわけですが、その原因分析の第一歩は「学習の経過」を明らかにすることで、そのために通常の学習の中で、その「学習の経過」のとらえ方を身につけるということで
20.過程の意識化から過程の無意識化へ さて、誤りが既成の学習によってもたらされたものとすれば、まず、その原因を知る必要があります。そのためには、まず、その学習の過程を意識に上げ、それを基に原因を特定し、それを正す学習を考え実行することになります。そして
19.「解る」「できる」の判断 「レポートテスト」では、まず「問題」について、自身の思考過程を書き表します。次いで、その「レポート」と「解説」とを対照して、その「思考経過」の一つ一つについて、自分で「これは解っていた」、「ここはよく解っていなかった」、あ
18.原因の突き止め さて「レポートテスト」は通常のテストと違い問題の答とか結論とかだけではなく、思考経過を書き表すことになっています。 そこで、例えば、「解答」があっていたとしても、その「思考過程」に問題がある場合、それを明らかにできるようになってい
17. 自分の学習のレポート レポートテストは、与えられた問題について、それをどう理解しどういう知識を使用してどう考えたかといった経過をレポートする学習です。 そこで、その問題が、できなかったり、間違えたりした場合、その修正に入るわけですが、その際、その
16.学習したつもりの生徒 前回、述べたような表面的な学習から生まれる学習観というのは、以前取り上げたようにそもそも心構えの修正を必要とするものです。 それは、「解っていない」のに「解ったつもり」なっている、「覚えてない」のに「覚えたつもり」になってい
79. 自・他に「みえる」「みえない」さて、この三層フローチャートをなぜ研修の最初に持ってきたかと言うと、その行動と意識と深層と書き分ける、そのそれぞれについて、大雑把な違いをまず把握することです。「行動」は、自分にも他にも「みえる」。「意識」は、自分
78.能力の普遍性・共通性・個別性さて、三層フローチャートへの書き込みをして、お互いに披露しあう中で、同じ「コトバ」の意味の形成一つをとっても、ある人と別の人では違いがあることは解ります。そこで、個々の持つ様々な能力について、一人一人が違うということも
77.コトバと意味の結びつきに気づく そこで、その「音声」とか「文字」を意識すると、それが指すもののイメージが浮かび上がってくる、逆に、あるいは何かを思い浮かべると、それを指す「音声」とか「文字」が浮かび上がってくるということを経験することで、「コトバ
76.「深層」の存在にあらためて考える 次いで、「三層フローチャート」を使用しての研修に移ります。 そこで、何を書き込むかは、予め用意したテーマで、それぞれが書き込むこともあれば、それぞれが自分の経験したことを書き込むこともあります。 そこで、その
75.「意識」「深層」「行動」の意味の共有 研修では、まず、そのあたまの中で何かが浮かんだり、消えたりすることを、それぞれが経験できるか確かめ、それを「意識」とするとします。それを「意識」とするというのは、ここでの取り決めで、他の人々が何と呼ぶかは別の事
74.自分に由ること さて、「自灯明」とか、その前にでてきた「格物致知」とか、そういうことについて、人に教えてもらう、しかし、それは「他者に頼る」ことになる、「事物に即して知ること」にはならない、それこそ、「自灯明」とか「格物致知」が否定したことです。
73.ことばを生かすのは自分がやること 我々は、自分で考え、それを基に行動します。そして、考えたことを人に伝えます。その際、その考えるにも、人にそれを説明するにも、ことばを使うわけです。その「ことばを使う」という「自分がやること」について、それがどういう
72.「分別智」と「無分別智」など 前回述べた弟子の中の「山」の変化については、「ことば」の意味の在り方を左右する意識構造の在り方として取り上げましたが、これについては、仏教では「分別智」と「無分別智」という言葉で説明したりすることもあります。 外から
71.「山は山にあらず」から「山は山」へ。 その意味的凝結体を使用する場合とそれが溶け合って流れる場合では、経験することが違ってきます。我々は、例えば同じものを「見る」とします。そうすると同じ経験をしているというふうに思いがちです。しかし、その「見る」
70.意味的凝結体の溶解 「対話と非対話」では、その分割された名前を持ったもののことを、意味的凝結体と言っています。そして禅の修行はこれを溶かしてしまうことだということで、禅問答もそうですが、座禅についても、「座禅とは、意味的に凝結している事物を溶解して
69.「山は山にあらず」 さて、禅問答の「山は山にあらず」を例に、禅が問題にする言語の意味的分節化について、 説明するとします。ですから、元の本にあるものではありません。 我々は、本来繋がったものごとに意識を焦点化するために「ことば」を使います。このこ
68.ことばの意味による拘束から抜け出す さて、言語による「意味的範疇の枠組みから抜け出す」ということについて、この書では、「山」と言う言葉について、「山は山にあらず」という禅での問答を取り上げています。 ここでは、以前、「能力の受け止め方21」で、「
67.禅の言語観について前回述べたことのあと、更に、禅の言語観として、次のように述べています。禅が内蔵するこの言語観によりますと、言語は主として、あるいは第一義的には,一種の認識 パターンである、つまり、本来何の区別もなく、何の線も引かれていない、絶対無
66.言語を使うことによる自由の喪失さて、「喋りすぎること」の何が問題か、次のように続きます。 禅の立場からして一番大切なのは、人間がただやたらに喋りたがる性質を持っている点にあるのではなくて、喋ること、言語を使うことによって知らず知らずのうちにその言
65.人間は「喋りすぎる」?さて、ここまで井筒俊彦氏の著作といってきましたが、それは「意識と本質」の中にある「対話と非対話」という文章です。これには、「禅問答についての一考察」という副題がついています。その、禅問答を取り上げる前に、現代の言語理論が「対話
64.日英の「文法」の違い 「和文英訳」の学習です。最初にやる「日本文」の「論理化」については、先に取り上げました。 その後は、その「論理化された文」を「句切り」、それを「句順変換」して、「中間日本語」化します。これは、「和訳」でやったことの逆操作ですが
63.対話の可能性 そこで、井筒俊彦氏の著作の続きで、その言語による文化の伝達の楽観論を主張する人々の考え方について触れた箇所を取り出してみます。 このような悲観論に反対して楽観的な立場を取る人々がおります。この人たちの思想の背後には人間精神についての
62.翻訳により抜け落ちるものと付け加わるもの「和訳」での「意訳」、「英訳」での「論理化」の両方を経験するとわかるのは簡単に言うと、元の文にあったものから抜け落ちるものがあることと、逆に元の文になかったものが付け加わることがあることです。そして、それを1
61.「論理化」で抜け落ちるもの 英語の英文和訳と和文英訳については、「自分でやることの意味」でとり上げましたが、そこでも紹介したように、和文英訳は英文和訳を逆にたどるようですが、それだけではありません。そこで、最初にやるのが、和訳の最後の「意訳文」を「
60.異文化間のコミュニケーションの難しさ 前回取り上げた、「翻訳という仕事には必ず何か偽なるものが含まれています」の後に次のようになっています。よくフランス人が言うことですが、フランス語のpainを英語のbreadと訳した途端に形象が違ってしまう。