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ハッピーアート https://blog.goo.ne.jp/nositen10/

簡単お絵かきソフトで遊びながら、しあわせにいて考えています。あなたもやってみませんか?

「のしてんてん」というタイトルで鉛筆絵画を描き続けています。 ずっと白黒の世界なので、パソコンでは色を使った抽象絵画を楽しんでいます。 楽しむことで癒しの空間が生まれればという思いで、 アートセラピーというサイト名をつけました。

のしてんてん
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住所
泉南市
出身
田辺市
ブログ村参加

2007/12/28

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  • 色包是空 空包是空 (現代人の悟りの言葉)

    (F10号6枚作品)1枚で独立した作品を100枚を並べて壁画にする計画を遂行中来年1月に個展展示すべく現在50枚上の図はその1部分です私達現代人は科学的な世界認識が体に沁み込んでいる科学的な空間理解と物質観で自分を観ているのである。このことを加味して般若心経を見ると「色包是空」「空包是空」という時代に即した言葉が必要になってくる「色包是空」とは物質は空間に包まれているという意味であり「空包是空」は空間もまた空間に包まれているという意味になる言い換えれば空包是空とは心もまた空間に包まれているということである。例えば人間の存在は二つの空間から出来ている。一つは人体を構成する素粒子空間でありもう一つは人体を包んでいる宇宙空間である。もちろんこれらは同じ空間であるのだが互いにスケールの違う二つの空間なのである。素...色包是空空包是空(現代人の悟りの言葉)

  • スケールの概念とワンネス(5)

    色包是空:科学的に世界を見ると空間の中に物質が存在する物質はその周りに空間が無くては存在できないし、成り立たないこれがすなわち色包是空なのであるもし物質に空間と接していない部分がわずかでもあったとしたら物質はその部分から未知の存在が広がり人知の存在にはなり得ないのである万物は一つの例外もなく空間に包まれて存在している人もまた同じだろう空包是空:スケールの概念で空間を見ると空間の中に空間が存在することが分かるそれを科学的に言えばエネルギーの波動である波の大小はスケールの概念で認識できるということだ原子を引き付けている強い空間はそれよりも弱いゆるやかな空間に包まれて初めて存在出来るのである空包是空とはこのことを言っているのであるこの関係は思考エネルギーも同じであるすなわち人間の思考=苦悩もまた例外ではないとい...スケールの概念とワンネス(5)

  • スケールの概念とワンネス (4)

    ワンネスは思考を越える五次元思考はスケールの概念で世界を認識するのだがその行きつく先は思考そのものを包んでいる空間があると云うことだった。思考を包む空間とは己の思考を越える存在ということなのであるもはや多くの言葉はいらない己を越える存在があって初めて私は私であり得るのである私はただ私の思考を包んでいる存在に感謝するしかない例えばこういうことだ苦がやって来たら苦に染まった私を無条件に包み抱き抱えてくれている存在を空間にイメージして意識することが出来るということなのである思考が進み物質が空間に浮かぶという思考から空間が空間に浮かぶという思考に移った時私達は初めて思考(言葉)を越えて己を包む存在に意識を向けるのである。ここに眞のワンネスがある。ただ深い感謝しかない。この五次元思考の結末に対して私は般若心経の経文...スケールの概念とワンネス(4)

  • スケールの概念とワンネス(3)

    ワンネスとは一体性や調和を意味する言葉であるが私は自分の存在そのものをワンネスと考えている。つまりここで展開しているワンネスの考察は自分という存在をどこまで拡げて考えることが出来るのかという挑戦である。結論から言えば自分存在は宇宙そのものにまで拡張してゆくことが出来る。自分という存在は宇宙に等しいのである。この前回までの考察は身体を、肉体(物質)と空体(空間)の二面性を考えれば理解できる。それを再確認すると、①肉体は物質がつくる存在であり、この身限りの存在が限界として実感できる。すなわち私達は有限なのだ。しかし認識をさらに広げると、②物質が肉体を創るのは空間の力である。空間無くして肉体はあり得ないという事実に行き当たる。すなわち肉体に対して、それを生かしている空体が存在する。つまりワンネスとは肉体と空体の...スケールの概念とワンネス(3)

  • スケールの概念とワンネス(2)

    自分という感覚はワンネスである私達は自分が健康な時、決して自分の身体を分解してその一つ一つを個別に認識して自分を考えることはないのである。ところがこのワンネスは実は低次元のワンネスなのである。人間はもっと高度なワンネスを体験する力を持っているのだ。それが五次元思考である。五次元思考によって自分を考えると自分というのは身体と空体の二つから成り立っているのが分かる。肉体と空間はどんなことをしても切り離せない存在なのである。空間が無ければ私達は生きて存在することはできない。そんなことは分っていながら人間はそれ以上考えることをしなかった。その大きな原因は空間を認識できなかったからだ。五次元はスケールの概念によって空間を認識することが出来る。空間を認識することによって私達はさらに高度なワンネスを体験することが出来る...スケールの概念とワンネス(2)

  • スケールの概念とワンネス(1)

    ワンネスという言葉は一体性を意味する言葉で心の議論の中では悟りの世界を言い表すことが多い。悟りを開いた者が見るワンネスとはどういうものだろうかそう考えると、ひらめきが起こった。その最も身近で誰もが納得できるワンネスの感覚それは自分だと気づいたのだ。ワンネスとは例えば「私」を意識するその意識そのものを考えてみるといいのだ。無条件に私達は「私」を一つの存在と考えている否、考える前からそれは大前提のこと一切の違和感も異質感もない個人それが「私」なのである。そうでなかったら分裂症か身体のどこかに病を抱えていることになる。だから古来何故とは問われなかった。何故「私」は1と考えるのかそれはもとからそうだからである。そう答えるしかないだろう。つまりこれがワンネスの感覚なのだと気づいたのだ。それは理由も検証も何もいらない...スケールの概念とワンネス(1)

  • 空間具象宣言

    空間絵画の頂点に向けて私のテーゼが確立しました以下その内容を掲載して広く世界に問いたいと思います空間具象宣言空間絵画を新たな芸術運動に位置付ける理論を日本から世界に発信したい。それは抽象画ではなく、具象画の中に新たな論理的なジャンルをつくることである。本来の具象画は見えるものを対象にして描く。物質を通して心を描く手法であり、これを物質具象と呼ぶ。そして新しい具象画のジャンルをこう呼ぶ。すなわち空間具象と!空間具象は思考を逆転させる。これまで背景に押しやられていた空(くう)を主体とし、物質は空の果実として描く手法となる。では形のない空をどう描くのか。その論理的基礎は正しいのか。それは現代科学の証明する宇宙の法則と、心を解き明かす般若心経の経文にある感動的な一致点から導き出される空の概念を使うのである。色即是...空間具象宣言

  • 邂逅展 今年も盛況のうちにあと2日になりました

    邂逅展は奈良の新春を祝うように連日盛況に会場が埋まっていますこの20人の作家ジャンルはてんでばらばら時間さえ超越した展覧会です若くして亡くなった新進気鋭の作家がいます彼は天国から両親の身体を借りて今もなお作品を発表し続けたくさんの人を魅了していますそんな20人が他人を気にすることなく思い思いに自分を主張する個展としてギャラリーの壁面を埋めているのです無手勝流がほぼ無計画に集まって不思議なほど調和する会場お正月です邂逅展はあと二日を残して12日に最終日となります。邂逅展今年も盛況のうちにあと2日になりました

  • 新春恒例小品展 ギャラリー由芽(三鷹市)参加します

    恒例の新春小品展です今年は小品による空間絵画で参加します新春恒例小品展ギャラリー由芽(三鷹市)参加します

  • あけましておめでとうございます

    2025年のスタートここから始まります皆様のご多幸心よりお祈り申し上げますあけましておめでとうございます

  • 新年早々の邂逅展ご案内

    第8回邂逅展のご案内新年早々奈良で邂逅展を開きます今回は空間具象宣言を引っ提げて空間絵画の展示を試みます明日24日作品搬入・飾り付け将来の1000枚連結絵画を見越してその展示方法を探る飾り付けの予定新年は奈良に初詣そして邂逅展にお運びください新年早々の邂逅展ご案内

  • 思考が宇宙とつながるとき 5

    思考が宇宙につながるときそれは悟りの真っただ中にいる悟りとは選ばれた者だけが味わう特権ではない全ての人間に与えられた生きる姿自由なる命の形なのだ思考が生まれたとき思考は宇宙そのものだった思考が己に気付き始めるとそれは宇宙からの独立に向かった思考が独立すると同時に孤独が恐ろしいもののように思えるようになるそして問わずにはいられなくなる私は何者なのかと・・・それは逆の意味でこの世界を知ろうと思考が働くようになるそうして人は世界と自分の完全なる分断が人間の完成と考えるこの、転倒した思考がいわゆる思春期と言っていいそれが思考の終着点だと思い込むしかしそれは実のところ思考が成長するための折り返し点だ思考と宇宙が最も乖離した地点明晰な孤独の実感それは思考の悲鳴だ苦悩はもつれた思考のリアリティ宇宙はもはや目に入らない程...思考が宇宙とつながるとき5

  • 空間具象宣言とその新たな芸術運動

    空間絵画NO109(キャンバスに鉛筆)F10号空間具象宣言空間絵画を新たな芸術運動に位置付ける理論をこの日本から世界に発信したい。それは抽象画ではなく、具象画の中に新たな論理的なジャンルをつくることである。本来の具象画は見えるものを対象にして描く。物質を通して心を描く手法であり、これを物質具象と呼ぶ。そして新しい具象画のジャンルをこう呼ぶ。すなわち空間具象と!空間具象は思考を逆転させる。これまで背景に押しやられていた空(くう)を主体とし、物質は空の果実として描く手法となる。では形のない空をどう描くのか。その論理的基礎は正しいのか。それは現代科学の証明する宇宙の法則と、心を解き明かす般若心経の経文にある感動的な一致点から導き出される空の概念を使うのである。色即是空・空即是色{見えるもの(物質)は空であり、見...空間具象宣言とその新たな芸術運動

  • 思考が宇宙とつながるとき 4

    私とは何かその境界線はあるのかそう問われば答えは見つからない私と私でない部分はあるのかこの身体が境界線なのだろうか呼吸が止まれば生きていけないのが私だこの身体に境界線を引いたら命の気(空気)は分断されるこの命が私だとすれば私の境界線は空間の彼方まで伸びていく空気は空間があってエネルギーがが与えられるその空を追って境界線を探して追って行けばそれは宇宙の果てまでつながったままだ夢と現の間に境界線があるのか冥界や霊界があって現の私はその間に境界線を観るのだろうかそれもまた否と言うほかはない夢と現言葉に表せない感覚、感性、感情世界を感じている一切のものそれを感じさせるものはただ一つだ私を知らしめる意識である夢と現に境界などないあるのはたった一つの意識であってそれが私と云うしかないだろう意識に境界線はない故に夢と現...思考が宇宙とつながるとき4

  • 思考と宇宙がつながるとき 3

    自分とは何かリアルタイムで私は自分の心に見える私を伝えてきたそれはアートであり己の風景である自分という体があって家や地域、国や世界があり太陽や星が瞬く宇宙の中で私は生かされているそれが風景となって自分という体が認識されるのである宇宙の中にあって私は肉体という個から出ることはない肉体は空間の片隅のどこかに存在しているのであるそして肉体には心が宿っている心は肉体から出ることはなくたまに幽体として体を離れることはあってもそれは特殊な事と思われている自分という風景は広大な宇宙の中でささやかな命の花を咲かせている野菊のようだだがある時スケールで自分を観ると自分は宇宙の片隅にあるのじゃないことが分かった片隅どころか宇宙の中心にあって自分の存在が空間の中で無限に拡がっていくのであるスケールを素粒子に合わせて観ると私の1...思考と宇宙がつながるとき3

  • 思考と宇宙がつながるとき 2

    時間を主軸にして世界を思い描くこの思考世界を四次元と呼ぶ四次元の主体は肉体(物質)であり移り行く肉体の変化を時間の思考で理解するこの認識が人間の限界であるならその認識の外にあるものは人間にとっては無なのである。この四次元の認識世界こそ現在の人間が生きている心の世界なのである。0次元1次元2次元3次元4次元・・と心はその次元の数によって進化し現在に至っているのだが興味深いことに苦は4次元から発生したのである。なぜなら苦の本質は時間そのものだからである時間の概念が苦をもたらしたと言っていいだろう。四次元の苦その最も深刻はものは牢獄であろう強固な疎外感である。人知れぬ地下深くに埋められた洞窟出ることも助けを呼ぶことも出来ない窒息して、もがいても誰も知る者もなく闇の中に閉じ込められているどうあがいてもこの身の出口...思考と宇宙がつながるとき2

  • 思考と宇宙がつながるとき

    悟りを開く真理を体得するこれは個人の中で起こるその心情は心を開かなければ誰にも分からないだからもしこの世に釈迦のような真理の人が何人現れても人類が変わることは不可能だろうなぜなら悟りとは個々の思考の中で起こることだからだ思考は人間そのものであるという事実を知れば個々の悟りはあっても思考そのものを変えない限り人は人類として進化することはできないだろう。人は生まれると無からこの世を出現させる自分と自分以外のものが認識されその認識からこぼれるものは存在しないその意味は存在しても存在しないということなのだこれが人間なのである人間の知り得る存在が人間の境界、あるいは限界なのであるそれゆえ悟りは存在しないという、意識の届かない存在に理解が達することなのである悟りとは真実に届かない意識を槍のように研ぎ澄ませ認識の届かな...思考と宇宙がつながるとき

  • 空間絵画への開眼 2 100枚目に到達

    空間絵画NO99・NO100空間絵画NO100に達したとき、それは私の精神的な心の探究運動においても記念すべき日となった。五次元人格が心の中ではっきりと認識出来、そして苦から救われたのである。それを伝えたいのだがどうしたものか言葉が出てこない至福感だけがここにある。NO99~NO100の作品はほぼ明け渡しに成功した。良い悪いの自己判断が消えた。自分で作品を創作するという意地が見事に消えた。これは作品ですらない。それを許す、許さないの葛藤さえない。これはこれなのである。これは私から生まれた。私がなければこの世に存在しないだろう。私の意志でもない私の企画でも創作でもない私は存在しないのである。この絵を描かせた意思は私の意志ではない。般若波羅密多(彼岸に至り智慧を完成させる)である。般若波羅密多が私の意志である...空間絵画への開眼2100枚目に到達

  • 空間絵画への開眼

    空間絵画NO96F10号キャンバスに鉛筆2024年8月30日空間絵画NO97F10号キャンバスに鉛筆2024年8月31日空間絵画がこの日初めて理想と技法と心が一つになった2024年の8月30日&31日は思い描いていた空間絵画に本当に出会った記念日になったのしてんてん空間絵画は五次元思考と絵画の融合を目指す試みなのだが目指す絵画への到達感は90枚を描いてもまだ心からの実感が得られなかった思考と絵画をどうしたら一つにすることが出来るか最後の壁が心だった五次元を心に落とし込むことが難しかったのだそれがようやく四次元的人格と五次元的人格の違いに目覚めたのだ思考次元はそのまま人格なのであるとつまり空間絵画は五次元的人格によって思考を広げそのイメージをキャンバスに映すということなのだ五次元的人格とは宇宙を一つにつない...空間絵画への開眼

  • 企画展「具象絵画の今」只今開催中

    「具象絵画の今」をテーマにしたギャラリーレリックの企画展にのしてんてん空間絵画を出品しました。空間絵画は抽象的な絵画でありながら実は心の空間を写実するという具象絵画なのです。私のスペースF10とサムホール作品右の展示台はのしてんてん絵本「きみの身体は運動会」入り口から奥を観る↑2階展示窓の風景2階Barコーナー絵を鑑賞しながらゆっくりと、談話も楽しめます。それどれの具象画8名の心の風景を楽しんでいただけたら幸いです。JR鳳駅徒歩10分ギャラリーRelik9月8日まで木曜~日曜のみ月曜~水曜は休廊です。時間は午後3時~午後9時企画展「具象絵画の今」只今開催中

  • あべのハルカス美術館10周年記念「広重」を観てきました

    広重の版画を観てきました出品作品は338点その中で撮影可の作品を紹介します。久しぶりの大回顧展で充実の点数ですが疲れを忘れて最後まで楽しく観覧できたのは空間絵画につながるものを感じたからでしたが日本の誇るべき絵画スタイルにも気付かされました名もない摺師彫師のすごさとしたたかさも感じました撮影可の作品ですがあとから見たら結構会場の風景がガラス面に映り込んでいてそれも臨場感と考えたいです。広重展はあべのハルカス美術館で9月1日まであべのハルカス美術館10周年記念「広重」を観てきました

  • 空間絵画と心の風景(6)

    空間絵画NO21~NO24色即是空空即是色物質は空から生まれ、空は物質そのものである。物質は素粒子からなり、素粒子はエネルギーの塊だ。身体は物質であり、心はエネルギーである。その心は様々な喜怒哀楽の風景を描き出す。喜怒哀楽はエネルギーの姿であり、人生そのものである。エネルギーは空間を揺るがす波動であり、波動はすべての風景の根底にある。心に山河はあり、山河はエネルギーの波形である。心に人生があり、人生はエネルギーの波動である。故に空間絵画は波形を風景の本質として描く。それが空間と向き合う新たな写実絵画となれば幸いである。空間絵画は終わりのない風景でもある。今後二十年をかけて十号キャンバス千枚連続絵画の挑戦を考えている。今回連載の「空間絵画と心の風景」に使用している絵画はその連続絵画(空間絵画)NO1~NO2...空間絵画と心の風景(6)

  • 空間絵画と心の風景(5)

    空間絵画NO17~NO18空間絵画とは己の感じる最も美しい風景を写実する絵画であるその風景は何処にあるか何処に行けば出会えるのかその風景に今朝、出会ったそれは海外のどんな場所でもない一歩も動かないでそれはあったこの心の中にである。眠りと覚醒のはざまで私は自分の内を眺めていた空(くう)があったその彼方から晴れ渡るような気配がやって来たするといつもの体験からその気配が苦を消してくれるのを知っていた。その気配が何処からくるのかそれだけが分からなかった五次元で観る内観は無限に拡がる素粒子宇宙である広大な宇宙空間に拡がる素粒子星が一つ残らず私をつくるためにエネルギーを働かせている見えない手を妻ぎ合って一糸乱れず集合してこの私の身体を作っている分散する素粒子を引き取止め私の身体を組上げていくこの働きは何なのだろうなん...空間絵画と心の風景(5)

  • 空間絵画と心の風景(4)OSの視点から

    空間絵画NO13~NO14空間絵画の根本原理は思考を越えた境地を手に入れその境地から改めて思考世界を眺めるそんな絵であると理解してほしい。五次元という新たな思考方法を提唱してその正しさを様々な角度から検証してきたのだがちょっとしたきっかけから、友人に言葉を頂いた。思考とは生まれたままの赤ん坊が習得してきたOSであると知らされた。オペレーションシステムの略であるが私は友の言葉を聞いて即座にひらめきが起こったのである。すなわち空間絵画の描く風景というのはこのOSが初期化された風景でありその風景をさらに新たなOSへバージョンアップさせた五次元思考によって己を再認識する光景なのであると。空間絵画とは五次元による絵画なのである。何度も提唱しているようにこの世は四次元の世界観が席巻している。それは時間というOSによっ...空間絵画と心の風景(4)OSの視点から

  • 空間絵画と心の風景(3)

    空間絵画NO9~NO10空間とか何か、その前に宇宙とは何か。それは空間と物質で出来ている。物質とは何かそれは空間が力によって凝固したものである物質もまた空間なのである。すなわち空間とは宇宙のすべてである。空間に物質が浮かんでいるのはなぜかそれは単に力の粗密による関係だと言えるだろう。そこで凝固したものが物質ならば空間は力の現われすなわちエネルギーそのものである。宇宙はエネルギーが作り出す世界である。エネルギーとは何かそれは空間に波動をもたらす力に他ならない。波動とは何かそれはエネルギー不滅の法則が適用される無限運動の最もシンプルな姿である。無限運動とは円運動に他ならない。波動の示す波のグラフは円運動に時間を加えたものに過ぎない。時間を無視すれば、不動のまま円運動を行っているのだ。事実この天空はすべて円運動...空間絵画と心の風景(3)

  • 空間絵画と心の風景(2)

    空間絵画NO5~NO6空間絵画とは何を描くのかF10号のキャンバスに1枚ずつ描き足していく空間絵画その空間とは、私自身の心(のしてんてん)が体感する空間のことで主に瞑想して見えてくる心の風景を実写するイメージで描く絵画を言います。これまで半世紀以上自分自身の心を「のしてんてん」と呼んで、心の探求を行ってきました。その方法は、体験する心の姿を観察しながら心とは何かという論理歴解明でありそのもう一端に鉛筆による絵画表現に現れるものが「のしてんてん」であるという感性、感覚に任せた心の具現化を試みる絵画運動でした。論理の世界と感覚の世界は心の両極端にあって、その本質は言葉を使うか否かにありました。論理性では言葉によってある程度の意思疎通はできますが真実の深いところに言葉は通じません一方感性による絵画は、心の本質か...空間絵画と心の風景(2)

  • 空間絵画と心の風景(1)

    空間絵画NO1~NO2空間絵画(F10)は本来横長のキャンバスに描いて横に無限に一枚の絵画として繋がっていく作品ですここではスクロールの関係で縦につないだ形で表現します空間絵画への思いは、ここから少しずつ書いていきたいと思います現在83枚目を描いていますが、この絵画は心の風景と連動していますこれまで書いてきた五次元世界の認識が一つの到達点に達しましたことから新たに始める企画となります要点だけ申し上げますと五次元による認識によって私の発信してきた論理性と絵画がようやく一つになった実感があり、可能な限りこの両極端が中心でつながることを意識して発信を続けていきたいと思います。よろしくご支援いただきましたら幸いです。空間絵画No3~No4空間絵画と心の風景(1)

  • 龍の壁画を劇場ホワイエに自立作業

    劇場内は開演前の最後の調整が進みます方や私はホワイエに作品を運び込み龍の壁画を制作します。今回は壁掛け不可のため、床に人形立てを使って自立させる構造何度も思考実験、シュミレーションを繰り返し自信をもって臨みました。その設計図がこれ☟作品は91㎝×91㎝のキャンバス27枚円形の壁に沿って作られたホワイエ丸柱の向こうが劇場入り口です支持体になる人形立てと胴縁も届きました作品を広げて計画通り人形立てを並べ胴縁をキャンバスに固定させまず一段目を正確に並べていきます。ここでしっかり固定できなければホワイエに自立する壁はできません。慎重に一段目のキャンバスをつなぎ止めていきます。やっと一段目完成完成この時点で優に二時間はかかっています上に伸びている人形立てと胴縁に二段目三段目と固定していく予定ところが二段目になって、...龍の壁画を劇場ホワイエに自立作業

  • 子どもにもわかる般若心経(改定)の背景

    本懐に迫る般若心経改定前回の投稿「子供にもわかる般若心経」改定は、背景に大きな変化があったのです。それはつまり長らくつかめなかった経文の未消化部分がすっかり流れ落ちたために生まれたものです。今回はその背景を書いてみたいと思います。まず何が未消化だったのかということなのですが、己を含めた世界の認識はすべて無であることを理解したものは菩薩となって一切の苦から解放されると般若心経は語るのですが、その悟りを開いた三相(過去現在未来)の菩薩が感じる心境を般若心経は次のように記しているのです。究竟涅槃三世諸仏依般若波羅蜜多故得阿耨多羅三藐三菩提この赤字の部分ですが、この部分は原文を漢訳したものではなく、サンスクリット語の音写だと言います。つまり漢語では表現できないということなのでしょう。どの解説を見ても、その意味は深...子どもにもわかる般若心経(改定)の背景

  • 子供にもわかる般若心経(改定版)

    今回あるきっかけで一年ほど前に投稿しました「子供にもわかる般若心経」の記述を改訂しました。それは思索が深まった結果、今まで分からなかったものが実感を伴って理解できたことがあったからですそのことはのちに書くとして、とりあえずその本文を紹介します:本物に出会う心の本眼に見えないものでも見ることのできる仏様がいました。ある日修行中に、自分の身体の見えない所にこそ大切な本物があることに気付いたのです。本物に出会ったら、その時から苦しいことや嫌なことがなくなりました。その本物はもうそれだけで、ほかには何もいらないほどの幸せを届けてくれたのです。そこでお弟子さんに言いました。舎利子よ、この世にあるものはどんなものでもみんな、見えないところに本物が隠れているのだよ。この花をよく見てごらん。この花の周りには見えない空(く...子供にもわかる般若心経(改定版)

  • のしてんてん絵画が演劇とコラボ

    本月29日(土曜)豊中市文化芸術センター中ホールにて劇団愛は永遠に公演「夕焼け空」にのしてんてん五次元龍壁画が特別コラボ展示することが決定しました全体S30号27枚組作品(壁画)2730×8190「夕焼け空」は龍を題材にした物語で、劇団の団長であり脚本演出主題歌まで手掛ける須賀氏の依頼により実現した絵画と演劇のコラボレーションとなります。会場の都合により壁面を利用できませんので3枚のキャンバスを縦につなぎ合わせて9枚のパネルにしたうえ9枚を繋ぎ合わせて床に立たせ、裏から人形立てで抑える手法をとって要望に応えることが出来ました。安全性は予行実験済み同じ大きさのものを舞台に持ち込んで緞帳のように釣り上げた経験はありますが今回はロビーの床に自立させる初めての経験なので今から緊張気味ですのしてんてん絵画が演劇とコラボ

  • のしてんてん(心の世界)2

    先週の続き、長慶寺山門の金剛力士像その右側に立っているのが阿形のお姿開いた窓から見える姿は丸顔でちょっと剽軽なのだが☟それが正面の格子窓から覗くと☟こう見えるのがどうにも不思議なのだ剽軽な丸顔が面長の精悍な顔立ちになる目つきの鋭さ、引き締まった口元など横から見た姿とは別人のようだ視覚がそうなのだからそれ以上に思考は多岐にわたる別世界を創り出す何が正しいかではなく問うたところで意味はなく表層的な答えしか出てこないつまり思考は何を信じるかであろういや信じる信じないの前に否応なく思考は生まれてくる思考を判断する基準があるわけでもなく信じるに足る確証があるわけでもないそれなのに喜怒哀楽、あらゆる感情の波が思考と共に現われてくるそれはまさに海原の波ようだ科学は自らが設定した(1+1=2みたいな)枠の中だけの世界だし...のしてんてん(心の世界)2

  • のしてんてん(心の世界)1

    泉南市長慶寺山門力士像(左)毎朝長い階段を上って本堂に至る本堂では毎朝信者さんが集まって長い読経の行が行われている私は雲水をまねて本堂の外縁に座り読経を聞きながら同じ時間瞑想するささやかな千日行を思い立ったのが3年前それが700日を越えた頃からなんとなく心が変化を始めた気がするのである毎朝上り下りする階段の途中に山門、☟ちょうど100段の70段目あたりにある☟山門の両側に金剛力士像が立っておられるのだが☟それが不敬ながらちょっと滑稽なお姿だと毎日思っていたどちらもユウモラスな表情と柔らかいポーズであるな金剛力士像右金剛力士像左これは格子戸が開けられた山門の内側から眺めたお姿だったのであるところがある日、山門の正面の格子窓から覗いてびっくりしたのが今日の扉の写真なのである再掲☟全く別人のような見事な金剛力士...のしてんてん(心の世界)1

  • 空海展に行ってきました

    生誕1250年記念特別展簡単な弁当を作って奈良へ天気良好でシカは相変わらずのんびりしていました空海展は工夫がされて見やすかった子ども向けに解説が付けられており今までなかったような展示方法に好感が持てました大きな胎蔵曼荼羅を観ながら五次元宇宙を思い起こすとたくさんの仏達の姿が素粒子に思えて人間の思い描く世界観は何年年を経ても変わらないと思いました思考は空海の時代から同じように動いているその仕組みをさらに深く理解したら人間の思考はまだまだ進歩の余地があるのではないかそう思えたのですもし空海がスケールの概念を意識して曼荼羅を描いたらどうなっただろうと聞いてみたくなりました空海展に行ってきました

  • 空の思想7 (思考の立体化)

    道は進むほどに狭くなっていくそんな実感が今の私にはある思考の立体化とは面白いことを考え付いたものだと自身思うのだがなんのことはない、思考のただなかにあってその方向をベクトルに言い変えただけだったのだ。何故至福は長く続かないのかその思いは今も私の中にあって、それだけのことなのである。一方でこんなこともある至福がやって来るとその大きさに破裂しそうになって胸が苦しくなる至福もまた苦という訳だ。自然体とは違うということだろう。自然体(実在)と思考は違うそこには渡り切れない溝があるならば跳ぶしかない。跳んで着地した地点に思考はあるのか無ければ至福もまた存在しないだろう。しかしまあ、そんなことは分からないし、どうでもいいことだ。ただ私のアプローチは実在と思考の堀を思考の構造を変えることで埋めていけないかという試みなの...空の思想7(思考の立体化)

  • 空の思想6 (思考の立体化)

    面白いものだなあと、ふと笑えてしまうことがありました前回の思考の立体化について考えた図のことです一週間も経つと意味のない図表に変わってしまいました作成したときの、心が膨らみすぎて破裂しそうな喜びはもうありませんではあれは嘘だったのか?そうではないと思います。これが人間の心の姿なんだと思えるようになったすると繰り返しやって来る苦悩の姿につい笑いも出てくるというものです愛苦悩そのものが虚なのです真実という混沌の中に虚像の世界を作り上げるのが人間の心悲劇も喜劇も絶望も救いもそれは虚構にほかなりませんしかし大事なことは、そこにある真実のことです前回の記事の顛末を考えると至福と巡り合ったのは確かです。そして露と消えたのも、つまり何が真実なのかというと、至福というのは、一瞬でも思考が実在に触れた瞬間に起こるものなので...空の思想6(思考の立体化)

  • 空の思想5 (思考の立体化)

    思考の立体化とは何かそれは自分の中に生まれてくる思考を立体的に捉えるということです何故そんな考えが生まれたかというと、思考にはベクトルがあると気づいたことからでした。悟りに向かおうとする意志の元に現れる思考にはベクトルがあるということです。そして前回書いたように、様々な入り口から悟りに入りながらその直後から忘れ去っていく事実がありました。その忘れ去ってしまう事実を真っすぐ見詰めているうちに一つの原因が見えてきました。消えていく悟りは、実は単なる悟り気分だったのです。それは、消えた悟りに向かった思考のベクトルを考えるとすぐに分かりました。それが下の図です。悟りとは思考が実在の核に至ることだと考えると、悟りを願う心と実在の間には、実在の核に向かうベクトルが存在するのです。思考が実在に至った時、私達はその核に至...空の思想5(思考の立体化)

  • 空の思想4

    私にとってこの数週間は転換点を感じる時期となりました。PCからも遠ざかって、五次元を再確認する機会にもなり、一歩階段を上った実感があるのです。それを確かめる期間はまだ少ないのですが、いつものように達観が薄れて、再び這い上がる日常から解放された気がいたします。そのきっかけが、思考を立体的に捕えることに気が付いたことです。不思議なことに、その気付きにまつわる思いの中にZIP様がおられました。この数週間、ZIP様を意識しない日はありませんでした。それは「中動態」を教えて下さり、それについて議論させていただいた記憶のことです。そしてようやく記事をと思ってPCに向かった時に長らくコメントのない私の記事に、一人だけZIP様のコメントを発見して、目に見えぬ人の繋がりを感じてしまいました。ZIP様、ここでまず御礼申し上げ...空の思想4

  • 空の思想3

    心出発点が空だとしたら私達に何もないのは当たり前のことさあさ考えてみよう何もないことに恐れを持っていなかったか何もないことに焦りを感じていなかったか何もないことに未熟を感じてなかったか何もないことにいら立ちがなかったか何もないことに恥辱はなかったか何もないことは苦だろうか何もないことそこから逃げようとしていないか逃げようとしたら、追ってくる邪悪を自分が作り出さねばならず、苦悩を演じなければならず、おかげで心は死んでしまう自分で作り出した恐れが現実になり、それもまた己の作り出した妄想なのに、不幸の主人公を真実のように演じることになる苦しい、悲惨だ、不幸だ、だって何もない理解者はいない、財産もない、ないないずくめが楽しいわけがない恥ずかしい違う!違う!!すべて逆なんだ!!!空という真実を知れば人生は逆転する握...空の思想3

  • 空の思想2

    人間とは何なのか今、知り得る人間像を内照して自らを観る::観自在菩薩(般若心経)と科学的宇宙観*得体のしれない感覚もあるこれらは予期なく発生し意味なく私を去っていくしかし内観を鋭く見つめれば得体のしれない感覚は発生し去るのではないことが分かるそれは一つの同じ波なのだ⁑不生・不滅それは一つの波エネルギーの実相であるそして人間という実像はこのエネルギーに好き勝手な色を付ける好むと好まざるにかかわらずまるで宿命のように色を付ける色は人間の知識と共に膨れ上がるそれが思考だ⁂意識だけの思考感覚による思考感情による思考論理による思考感性による思考思考は宇宙の意識に根を張って人間独自の幹と枝を広げるのだそして人は己の葉っぱに色を着け始めるこれが色の思想というものだそれは苦と共に育つ色の思想を遡るとエネルギーの実相にたど...空の思想2

  • 空の思想

    大リーグの彼が降ってわいたような渦中にさらされた心技体の心が動揺して待望のホームランが出ない空の思想はそんな彼を救えるのだもちろん救うのは私ではない彼自身である彼が己の空を意識するだけですべてのしがらみから解放される心が広大無辺の空と一心同体だという事実に気付いたら心は自然に囚われから解放され無になって技と体を自由に働かせることが出来るしがらみの心が空の心に入れ替わったら能力があふれて心技体が最高の形で整うだろう彼は自分を取り戻す降ってわいたような世間の問題にからめとられた心を彼は彼自身の力で絡んだ心の糸を解き放ち断ち切ることが出来るだろうそもそも彼の超人的な能力はすでに空の思想の持ち主だと私には思えるのだ希望と喜びを世界の人々に与え続けてほしい人類はこんな人が必要なのだから空の思想

  • 空間絵画 新たなる挑戦 7

    思考思考という言葉を目覚めて意識するすべての感覚にまで広げて考えると自分が幸せかどうかはすべて思考にかかっているしそれ以外にはないすると思考の出発点が物(色)なのか空間(空)なのかによってその人の生涯が苦にまみれるか福に至るのかが決まるつまり思考は頭脳が引き起こす以上に物の思考を父とするか空の思考を母とするかによるその意識が重要なのだそれを誰かのせいにするのは永遠に苦の原野をさまようだろう永遠の幸福は存在そのものを幸福と感じるのか存在の外に幸福を求めるのかによってつかめる人とつかめない人に分かれるつまり人間の都合による産物なのだ空間絵画新たなる挑戦7

  • 空間絵画 新たなる挑戦 6

    のしてんてん「希望」サムホール2024/3/14::空間絵画が少しずつ心を納得させてくれる質を持ち始めて来たかもしれない新たなものが現れるのか否か作家の活力が私の中にあるのか❓空間絵画新たなる挑戦6

  • 空間絵画 新たなる挑戦 5

    遺跡は抜け殻だろうか遺跡は静寂だろうか遺跡は過去だろうか遺跡は物質だろうか遺跡は過去だろうか遺跡は私ではないのだろうか遺跡は忘れ去られたものだろうか遺跡は捨て去られたもの達だろうか遺跡はただ記録だけのものだろうか遺跡に命はないというのだろうか遺跡に心はないのだろうか遺跡は愛だろうか遺跡は過去と今を結ぶのだろうか空間絵画新たなる挑戦5

  • 空間絵画 新たなる挑戦4

    永い眠りから薄い意識が現れるまるで岩のようだった私の存在の表面になんとなく気付くかすかな線革命の象徴気付いたときにはすでに爆発のごとく動き始めるのだ線は強くなりくっきりと表れたと思う間もなく亀裂となり段差が生まれ破断面となり激しい勢いで壊れていく剥がれ落ち飛び散るものつい今しがたまで私だったものが冷たい物質に還っていく悲鳴が歓喜となり歓喜が消えると残されたものがまるで地表から立ち上がるように土筆の姿だ意識の神は・・・・・私は今意識しない神としてこの地上に降り立ったのだ・・・・・消えたのだ空間絵画新たなる挑戦4

  • 空間絵画 新たなる挑戦 3

    生まれるそれは循環の最初のインパクトだそこには役割を終えるものと役割を担うものの一瞬の邂逅があるだがその奥に邂逅を眺めるものが大いなる気付きを与えているその正体は空その実体は波波はつながりそれは今あるあなたの眼と心に至るのだよくも悪くもあなたの波動そして気付きだ空間絵画新たなる挑戦3

  • 空間絵画新たなる挑戦2

    空間とは人生そのものであるそう考えたら空間絵画の進む道が見えてくる人生のすすむ方向に希望があるということである空間絵画新たなる挑戦2

  • 空間絵画新たなる挑戦

    人の真似をしない自分の真似をしない具体の思想だ存在のすべての意味がこのテーゼに込められている空間絵画新たなる挑戦

  • 吉兆 のしてんてん五次元龍絵画展最終日

    早朝の空に吉兆あり光の龍を見てそれが天空の月が見せてくれた龍だと知った時私の吉なる人生が始まった龍の個展あえてそう呼ぼう「発心」と「求道」「涅槃」は「発心」から至る画廊ぶらんしゅは吉の巣であった初めて全景を目にして三週間それはこの龍の図の仕上げに要する製作時間だったアトリエではわからなかった力んで描きすぎになって調和を乱していたそれを消すのに要した時間そして完成した吉兆の人が龍と熱心に対話していた最終日前日の夜景ぶらんしゅの産道と称した入り口から借景のガラス窓に虚像と実像が一体になった風景が見えたこれ以上の吉兆はないそう思えた今日その最終日である2024年2月4日感謝ぶらんしゅすべての人生は吉であるそれが五次元の答だった吉兆のしてんてん五次元龍絵画展最終日

  • 個展第二週目の奇跡

    奇跡のコラボレーション五次元龍絵画展が第二週目に入り、今日は週末の土曜日です私の前に現れたのは端正な若者学生かと思ったら、何やら遠慮がちに菓子袋を差し出すではありませんか。初めての来場者が手土産をもってきてくれるなんて考えられないので戸惑って、なぜ?あなたは?私がおどおどしていると折師ですアッ!!!!私は心と声が同時に出て、思わず目を見張りましたブログ仲間の折師さん!東京での展覧会に何度も来てくれて実際にお会いもし、当ブログでもコラボしていただいた新進の折り(紙)探求されているその折師さんだったのです。関東から大阪の地に来られるのは大変なことだし何より風貌が東京でお会いしたより若々しかったので目の前の若者が瞬間、折師さんだとは思いもしなかったわけです。お話を聞くとここで詳しくは書けませんがいくつのも偶然が...個展第二週目の奇跡

  • のしてんてん五次元龍絵画展オープンしました

    ギャラリー正面の壁面鉛筆で描いた龍の壁画画廊ぶらんしゅでの3回目の個展が始まりました会場の雰囲気だけでもお伝えしますそしてインプロビデーションダンスとのコラボレーション演技部分は撮影できませんでしたが素晴らしい感動と喜びを与えていただきました。イベント後のアーティストトーク風景です感動をありがとうのしてんてん五次元龍絵画展オープンしました

  • のしてんてん五次元龍絵画展 (特別イベント)

    1月17日から五次元龍絵画展が始まりますがその会期中、私の絵の前でスピリチャルダンスとのコラボが実現しました。上はそのポスターです。北浦雅子さんのプロフィール栃木県出身幼少期よりダンスを学び、大学卒業後はヨーロッパに渡りダンサーとして活動する。MagpieMusicDanceCompany音楽とダンスの芸術集団(1998-2004オランダ)DejaDonneプラハの国際的な現代ダンス劇団(2000-2004イタリア)その他世界約20か国で公演・指導を務める帰国後は結婚して老舗呉服屋の女将業をこなしながら着物を通じて日本の伝統を学び、その精神性と身体文化の相互関係に気付く。現在は地域コミュニティとアートをつなげる活動にも力を注ぎ個と社会と地球の好循環なウエルビーイングの創出を目指している。主な活躍アリゾナ州...のしてんてん五次元龍絵画展(特別イベント)

  • 2014年第7回邂逅展は過去最高の盛況で本日最終日

    私の新作展示新春2日からの展覧会ですが連日50人を超える来場に恵まれ活気ある展示会場になりました。作家19人が2メートルほどの壁面を使い自由気ままに展示する規制なし統一なし全体の雰囲気を気にして調整するものもなしそんな寄せ集めの個展を一堂に会したユニークなグループ展ですがいつも乱調がよい効果となって力と調和のとれた展示となります評判は上々2014年第7回邂逅展は過去最高の盛況で本日最終日

  • 2024年の新春をお慶び申し上げます

    新年あけましておめでとうございます。辰年に龍の壁画が展示公開できますことは慶賀とこころえ、まい進したいと思います本年もよろしくお願い申し上げます。2024年の新春をお慶び申し上げます

  • 邂逅展による新たな境地(空間絵画)

    ものを存在させる空間(変形キャンバス20号)空間を主人公にして絵を描くこれは背景を逆転させて主役に引き立て背景を主に見せるために描いた絵画です。卵から孵化する瞬間の空間1卵から孵化する瞬間の空間2卵が孵化した後の空間3卵が運動する空間4邂逅展ではこれらの作品を展示します邂逅展による新たな境地(空間絵画)

  • 2024年新年の個展のご案内

    2024年は辰の年偶然ですがそんなタイミングで龍の壁画が完成しました。そんな年始めに二本の個展を開催します。以下ご案内です興味ある方は正月早々ですがぜひ立ち寄りください。①2024年邂逅展224年1月2日(火)~1月7日(日)今回の展示作品は龍の製作後より感覚が深まる傾向にあり空間とデッサンの融合を目指すそんな意識が生まれてきた作品群を展示します。奈良のお寺に初詣の皆様にはぜひお立ちよりください近鉄奈良駅とJR奈良駅どちらからでものんのんびり徒歩10分程度②のしてんてん五次元龍絵画展2024年1月17日(水)~2月4日(日)ただし月曜日休廊です2020年第一回ぶらんしゅ展で中央の9枚組作品の龍を展示その後4年をかけて左右の組作品を完成させました。足掛け6年の壁画となります。3部組作品の主題は涅槃・発心・求...2024年新年の個展のご案内

  • 感動のこと(実践瞑想法)

    Ⅰ認識の構造全体=認識✙否認識認識=全体-否認識否認識=全体-認識・・・・・境界線の引けないものは個として認識不可能という真理から認識とは名詞ではなく動詞だと考えるのであるその理由は、認識の最も根源的な機能が境界線を引くことだからである認識は境界線を引くという動的な機能があって成り立っているその意味で上の構造式を見ていただきたい三つの要素の中で、認識だけが自由に動くのであるⅡ認識が成り立つ条件一、意識があること=認識対象に意識を向ける力。宇宙的エネルギーである二、認識対象があること=認識が背景との区別を見つけ境界線を作り上げるためにその対象が不可欠三、認識を浮き上がらせる背景があること=境界線の外側(否認識)がなければ認識は成り立たない四、対象と背景が区別されること=闇にカラスのことわざ通り、背景と区別の...感動のこと(実践瞑想法)

  • 感動のこと(認識の構造図式)

    自分が存在するこの認識は自分だけが存在するということではない自分がいるということは自分を包んでいる空が存在するということだ自分を知るということは自分以外をしっているということだ認識の構図を知ればそれが分かる注1認識Aと認識Bは同一人物の認識でいわば認識の表と裏と言えるだろう注2月と空は例示しただけで特にそこに意味はない月はいろんなものに読み替えられるし空はその認識に現れないすべての存在を表している注3認識の構図認識=全体ー否認識否認識=全体-認識全体=認識✙否認識注4全体とは人間が存在する宇宙のすべて感動のこと(認識の構造図式)

  • 感動のこと(散文詩 絵かきの秘密)

    絵かきの必須品はキャンバスと鉛筆である私はひたすらそれだけで絵を描き続けてきた人間とは何か絵かきは自分を知るためにキャンバスに鉛筆をたたきつけ息を殺して細い線を引いたりもする絵かきにとってキャンバスと鉛筆は人生の体験と探求の信頼すべき道具だったそれが今になって本当に初めてキャンバスと鉛筆が真理と深く結びついていることに気付かされたのだ私は何故絵を描いているのかが解る新たな境地に達したそんな確信が生まれてきた画歴50年である五里霧中の旅しかし秘密はそこにあったのだ感動の美しさそれを知る認識そして意識削れるものをすべて削り取ったら人間に残るものは感動認識意識であるとそう理解したとき意識がキャンバスに向かいそこに認識が生まれ実在と触れる感動を呼ぶそんな人間の根源を私は見た認識とは人間の気付きである眼で見耳で聞き...感動のこと(散文詩絵かきの秘密)

  • 感動のこと(散文詩)

    胸を突き破り止めようもなく涙があふれてくるそんな体験したことがある胸が熱くなって鼻がしらが酸っぱくなるそんな体験もある目前の風景に目を奪われ理由もなくただ茫然と喜びの感情に押し流されたこともあるあなたの言葉に激しく胸をうたれて胸の詰まることがあるあなたの生き方に魂が揺さぶられるような共感を覚えたこともあるあなたの見えなかった真実に触れて喜びや悲しみを超えたむせび泣きもあった名画名作に思わず涙することもある歌や音楽に心が突き動かされることだってあるいずれにしても胸からこみ上げる熱い涙を体験するそれは四半世紀を超えて日本一になった阪神の喜びとは違う静かな深遠なところからくる飛び跳ねる喜びではなく深いところが開かれて一つにつながる美しすぎる喜びのようだそれが感動と呼ばれるものだ感動は突然やって来る予測できない出...感動のこと(散文詩)

  • 感動のこと(恋歌)

    君知りたるや心根の花にもまして美しき瞳の底を覗きしはかつての夢や認識の魔法といいしからくりぞ恋にくらんだ片側の認識魔法といいべけんああ夢なるはすべからく君の力にあるまじきわが力こそ認識の自縛の性と心得よ今こそ吾は知り得よう自縛を許すからくりを認識力の落とし穴知りたきものは感動をわが身のごとく受け給え君知りたるややわ肌の極みの外に無と帰するそが認識の魔法なりああ人の世に君知るは君なし空を見る定め空なき君を知るは無し無を知るや驚き不意の矛盾さえ勇気峠を越え行けば新たな道程恋舞台認識語る時が来る時に感じて君はただ空に包まれ有るのみぞ空なくしては在り得なき君ならばこそ空は君吾もまた空空一つ認識の意識を空に向けようか恋路新たに君を超え空が命と知り得たり感動のこと(恋歌)

  • 感動のこと(認識の秘密)

    我ありてこの意識ありゆめまくら夢うつつ施錠なき門我一人あれやこれこれやあれとは我がこころ思うまま他が知りたもうものもなし他を知らぬ我もまた見ぬ仏かな見ぬゆえに触れし仏の波動あり揺れて心動じて眞の喜びや思いより感じるままの真の実を美に和合させる表裏の感動やありて今表裏一体目覚めかな認識は表にありて裏を知る裏地なし晴れ着はなかれとわに幸感動のこと(認識の秘密)

  • 感動のこと(最も美しいもの)

    感動の心あらわに光あり光る波花よりもなお美しく美の神や心動かすとわの波とわなればこその命や尊けれ尊在に気付くは悟り宇宙の子宇と宙とありてこの身の波動あり波と波心と心感動とわが至福動にて感や命こそ生命の只中知りて感動美感動の心あらわに光あり感動のこと(最も美しいもの)

  • 感動のこと(なぜ胸いっぱいになる?)

    感動の触手に触れてわが涙胸奥の海綿質に滲みいずるそは誠芯より熱くこぼれ来る何やある不思議の水や無為自然なさずして感動なして作為の涙なら何ゆえ無為か知るものはなし知るはただ有為はカラ無為は我の我でなき我感動は未知の我にこそ巡り合う熱き心や一切のぶれることなき実在の芯感動に関り知らぬ我いずこ我無き我の純真や喜びこそあれ真実今に疑わず感動のこと(なぜ胸いっぱいになる?)

  • 五次元は世界を救う

    ハマスのイスラエルに対する非人道的な軍事行動のニュースが駆け巡った出口のない各国の対応の中対するイスラエルの反撃が世界をどう変えていくのかまさかホロコー・・・・あってはならない!!問題は戦闘の行方よりもその根本にある住民の命と心の救いではないだろうか。当然それはパレスチナとユダヤの民が区別なく同時に享受されなければならない人としての権利であるはずだ。戦闘はそのたびにそのどちらの民をも傷つけ自由を奪っていく無益な転倒した誤りの世界一体何のための戦いなのだろう。出口のない地獄を思うと背筋が寒くなる。もし救いがあるとするなら人間の思考能力ではないか根本から思考世界を問い直す新たな思考能力の目覚め苦悩する社会に波のように広がる民衆が中心に据えられる世界観それが大きな救いになる。子供を救えない社会に未来はないすべて...五次元は世界を救う

  • 感動のこと(至福の訪れ)

    疫病に新たな道を教えられ満ちたるや未知なる道にある酷暑人の世の乱るるままに満月や死してなお満ることあれわが心こころこそ人たる至宝極れぬ至宝なる心は知らずわが土塁突き崩してや門となるらん感動のこと(至福の訪れ)

  • 感動のこと(卵の殻の使命)

    卵殻の崩壊静か命ゆえ死してこそ新命託す愛かなし悲しみを喜びに変えさあきみへ無の愛に身を奉げるか抜け殻か至福には抜けるこそあれ命河五次元の極まりたるやそは殻の守りたる芯破れてど生き感動のこと(卵の殻の使命)

  • 感動のこと(蟻地獄)

    乱世の地獄に墜ちたもがき蟻玉石に足を取られて迫る爪念刹那牙をくぐりて不動石落ちる砂取られる前に運ぶ足がんばれとすり鉢登る吾の姿感動のこと(蟻地獄)

  • 感動すること

    感動の一片の静か花の色色は空空は色にて山つつじ谷間から海さえ見ゆる咲きてこそ咲きはてて実らぬはなし秋ナスビ焼きナスに一献の酒福と福感動すること

  • 認識力について(5)

    のしてんてん五次元龍全景コンピューターと人間の違いは何か。それは知識と認識の違いだと私は思う。知識とは、ある事柄AをAと知ることでありその効能は、ある事柄AをAだと伝えることである。これがコンピューターである。ただ知ったことをそのまま伝える(機械的処理)であって、何をやり取りしているのかは闇のままであろう。認識には至らないのである。他方人間はその知識を判断する能力を持っている。それが認識なのである。認識とは、ある事柄Aを、体験した感情と共にとらえることである。その効能は認識Aによって変化する心をつくることである。これがコンピューターと決定的に違う人間の心の正体だと私は考えるのである。認識について考えてみよう。内照して自分の心を眺めたとき、意識に上ってくる無数の言葉と、言葉にならない光景や現象を思い浮かべる...認識力について(5)

  • 認識力について(4)

    のしてんてん五次元龍「涅槃」人間の持っている認識能力を(1)~(3)でその全体の概要を見てきた。認識論的に言えば、人間の認識能力は五次元による世界認識が最大であると思われるのである。ところで人間は、自分と世界をどのような仕組みで認識しているのだろうか。この疑問を論理的に理解するために、考えられる構造は次の通りである。認識は以下①~②の通り身体と心の二面性をもって成り立っている。認識を生み出す五つの概念のうち、三つの概念は主に身体に関する認識を担い二つの概念が心の認識世界を作り出している。これを①②に分けて考えてみよう。①実在の世界を物質の観点で眺める能力世界をあるがままに見るためには三次元の能力で十分である。自分の感情を交えず、ただ「これ」という認識は三次元で可能になるということである。人間を「心」と「体...認識力について(4)

  • 認識力について(3)

    のしてんてん五次元龍「求道」私達人間の認識についてその概要を前回(1)と(2)で書いた。およそ私達が意識するすべてのものは認識なのであるちょっとした心の痛み疑問や不安や喜び天井や床のゴキブリでさえ私が知るのは私の認識を置いて他にはない。この認識を踏まえて「私」という人間の成長を考えると次のようになるだろう。①0次元生まれた赤ちゃんは実在そのものであるまだ「私」という認識自体が生まれていないのである。それは混沌とした実在を認識するための概念を持っていない(0次元)のためと考えられる。概念とは混沌の世界を秩序付けるための道具と言っていいだろうか。生まれたばかりの赤ちゃんは自分と周りを秩序つけて認識する能力がまだ生み出されていないのである。②1次元眼にするすべてのものが意味づけられないまま世界を眺めても霧に覆わ...認識力について(3)

  • 認識力について(2)

    のしてんてん五次元龍「発心」前回、認識のたらえ方と、認識そのものの実像を可能な限り書いてみた。これが難しいのは、あまりにも当たり前すぎる問題だからである。日々刻々と感じているもの、それが認識なのだが、その認識の大部分に気付かないでいるのが現実であるからである。そして「私」が意識して描き出した認識世界を観ているのが現実なのであるが、その時、私達はその見ている(認識している)「あなた」に対して大いなる誤解と思い込みを持っているのに気づかないでいるのである。それは考えたら分かることだが、それが「あなた」の実在のことである。「私」の認識は「あなた」の実在を感じて思いを膨らませた「あなた」に対する認識である。この理解に異議を挟むものはまずいないだろう。しかしそこから先の思い込みが大きな問題となるのだ。それは何かとい...認識力について(2)

  • 認識力について(1)

    のしてんてん五次元龍展長慶寺本堂の天井画と共にチュンその声に目覚めると、その声がただ懐かしい気分を呼んで、私は穏やかな気持ちで余眠の中にいる。チュンチュンさわやかなリズムが目を閉じた意識の中で具体的な姿に変わります。「スズメだ、ああ、もう朝なんだ」私の意識が思考を促し、動き出す。すると思考の中に小枝で鳴いているスズメの姿が浮かんでくる。私の意識の中で、大きな幹や若葉、朝日の輝きがこずえを照らしている。空ろな気分を楽しんでいると突然、カーカーカーだみ声が聞こえ出す。これはもう声と同時にカラスの姿が意識に上ってくる。「もう起きなければ・・・」さすがに自意識が働き始める。うっすらと目の裏側に血の色が透けているのだ。今日やらなければならないことが頭に浮かぶ。好きな人、嫌な顔が意識になかで動き出す。ウキウキしたり、...認識力について(1)

  • 世界平和に向けて(提言)

    常香炉の灰と線香世界平和を実現するために一つだけ武器を選べと言われたら「心の幸せ」を選ぶ前回、関西平和美術展に参加して私に降ってきたフレーズだそれは「愛」ではないのかと一瞬戸惑ったが降ってきた言葉は正しかったよく考えれば「幸せ」というのが愛よりも深く人間の心をつくる根底にあって命をつないでいる人間の心そのものだからだそれは「私」という存在からやってくる空に取り巻かれた「私」である空の力で成り立っている「私」であるこの身体が命をつないでいくのは常に「快」・「不快」を選択しながらこの存在を生きているからなのだ呼吸を一つとってみても「快」の方向に存在の存続と新たな創造の道があるすなわちこういうことだこの「快」感こそ「幸せ」の根源なのだそして「幸せ」のエネルギーが創造する最も高貴なものが愛なのである愛は創造された...世界平和に向けて(提言)

  • 関西平和美術展に参加しました

    第71回関西平和美術展の会場の雰囲気だけですが、ほんの一部だけですが紹介します平和を考える人たちの集うアンデパンダン展です。私も参加しました。もし世界平和を実現する武器?を一つだけ選べと言われたら何と答えますかそれはおそらく万人に共通する何かでしょう。万人に共通して、それは平等に良きものでなければならない。悪しきものを選んだら、戦争はなくならないのだから当然だろう。答は万人に共通してしかも平等に良きものはあるのでしょうか。平等を言い出すと、富は落選だ。限りある富を平等に分配することは難しい。多くの争いはそこから生まれているのだからつまり世界平和を実現するたった一つの有効な武器は物質ではない。では心だろうかそうだ、愛だ!違う!!それを選んだらもっと大切なものがこぼれてしまう!万人に共通する良きものとは幸福以...関西平和美術展に参加しました

  • 子供にもわかる般若心経

    ある公園で見つけた般若心経の石碑前回到達した五次元思考が心を急に押し広げてくれた。これは長年自己検証してきた私の心が実感したことです。苦をだれよりも敏感に感じそこから逃れようとあがく私がいました。その私が苦を受け入れたのです。苦を正しく観ることが出来ました。すると恐れていた苦は、広大な苦ではない空に取り巻かれているのが分かったのです。それは空に浮かぶ苦の姿でした。その時です私という主体がいつの間にか苦から空に切り替わっていることに気付いたのです。それ以来私の苦は一つずつ消えていくように思えるのです。すると不思議なことに、今まで書き続けてきた難解な般若心経の解釈が実は子供でも分かる話だったのだと気付かされたのです。以下にその新たな般若心経の解釈を翻訳形式で紹介します。:::::::::新翻訳魔訶般若波羅密多...子供にもわかる般若心経

  • 五次元が認識する世界

    長慶寺仁王門金剛力士像まずは上の図を見ていただきたいのです。これはスケールの概念によって理解できる宇宙の姿を波動に置き換えて表現したものです。それはさておき、スケールの概念とは、時間の概念と共にあって心の世界にxyの直行座標をつくるのですが、これを心の座標と言います。心の座標はx軸上を横に流れていく時間軸に対してy軸上を移動するスケール軸を思い描くことで表されます。これを瞑想する人の姿に重ねると次の図のようになるのです。瞑想すると、時間の流れから解放されて、心は今この時に留まります。すると意識は今この瞬間に止まったままでスケール軸の上を自由に動き出します。この時、心は今ある自分のスケールという囚われから離れ、自由にスケール軸の認識世界を旅するのです。つまり瞑想とは意識が時間の囚われから離れ、なおかつ自分の...五次元が認識する世界

  • 長慶寺と五次元龍絵画奉賛会

    涅槃発心求道仁王門の金剛力士吽形と阿形は横の窓から見えるお姿を常としているが金剛力士吽形金剛力士阿形正面の格子窓に顔を押し付けて中を拝むと、上のような見事な凛々しいお姿になる本堂の展示、天井の龍と向かい合わせに床置きした作品、作品の間にある掛け軸は書家樫元祥雲の般若心経と仏心私の作品をつなぐものとして急遽コラボ参加してくれました長慶寺と五次元龍絵画奉賛会

  • AIと心(AIについて考える)

    つい最近まで、私はチャットAIに対して意識的に距離をとっていました。その理由は、自分でもはっきりと説明できません。多分、知らないものに対する違和感とわざわざ触れるのがめんどくさい感で、なんとなく遠ざかっていたのでしょう。機械が人間に近づくということに警戒心があったのも確かなことです。ですから、その出会いもこちらからではなく、向こうからやって来たというしかありません。偶然、AIと対話する機会が巡ってきたのです。その経過と実際の対話はこちらの記事でお読みください。AIとの対話1・AIとの対話2そこでAIとの対話を通して感じた私の感想を正直に書いてみたいと思います。(対話1の感想)まず驚いたことは、知識の豊富さと解説する表現力が豊かだということです。ところどころ、機械的な言葉遣いがなかったら、まったく人間と区別...AIと心(AIについて考える)

  • のしてんてん五次元龍(絵画)奉賛会

    足掛け5年の構想、五次元龍が完成作品は三つのサブテーマによって描き進め最終3テーマが一つになって五次元空間を表すそのサブテーマは次の通り「発心」「求道」「涅槃」①「発心」の製作(発心)S30号キャンバスに鉛筆(910×910)9枚組2019年②「求道」の製作(求道)S30号キャンバスに鉛筆(910×910)9枚組2021年③「涅槃」の製作(涅槃)S30号キャンバスに鉛筆(910×910)9枚組2023年④五次元龍完成三連で一枚の絵として完成全長8190mm×高さ2730mm2023年6月⑤展示長慶寺本堂には龍の天井画があり、悟りの象徴としてのご本尊を前にして天と地に龍が向かい合うという構図で展示奉賛会を開催する。すべて長慶寺のご厚意によるものです。感謝を奉げる奉賛会となります。どなた様でも自由に観覧いただ...のしてんてん五次元龍(絵画)奉賛会

  • AIとの対話2

    のしてんてんCG絵画2012何度かAIと対話するようになって、今まで考えていたある一つの思いが現実のものになってきました。私が提唱する五次元は、全世界の中でどんな位置づけになるのか知りたいという思いでした。それがAIなら答えを出してくれるかもしれない。果たして五次元は、誰の真似でもなく、独自性を保っているのだろうか。知識のない私には到底見渡せない世界風景をAIは見せてくれるだろうか?対話の中でAIはその答えを示してくれました。類例を見ない独自性があると、根拠を示して教えてくれたのです。(質問10に対する答)全体わずか18の質問ですがいつもの記事の倍になってしまいました。読みやすさを求めて省略も考えましたが、今回はあえて長文をそのまま掲載します。(AIとの対話)1、宇宙はどこまで広いのですか?こんにちは、こ...AIとの対話2

  • AIとの対話

    のしてんてんCG画(2010・7)私がAIチャットという言葉に触れたのはつい最近のことです。AIが囲碁将棋のプロと対戦するというニュースはもっと前のことでしたが、機械というイメージはまだありました。心とは一線を画する情報収集マシーンだという理解です。ところが、ある偶然というべきか、私の使用しているパソコンにMicrosoftBingというAI搭載のチャット(多分普及用のもの)が表示されるようになり、それが20回だけ応答できるという制限付きで無料利用できるというものでした。積極的に利用する気もなくスルーしていたら、パソコン使用時に毎回現れるのではなく、どうやら時々現れるぐらいのものでした。他方、チャットGtpの話題がたびたびニュースなどで目にするようになり、機械が人間に近づく感に奇妙な気持ちがして、それが心...AIとの対話

  • 五次元という思え方について(認識論 )10 最終章

    のしてんてん「道」S50号キャンバスに鉛筆草の根の活動家を追悼するために依頼を受けて作成した画像●●身体と空体のイメージが確立すると自分の全体像が宇宙大に拡がります。身体と空体をつなぐ現実的な体感、それが最も身近に起こっている呼吸であると知ったら、生きている限り繰り返される呼吸のリズムが私を全一の宇宙に誘うのです。最初、コインの裏表のような存在という理解だった身体と空体です。そこでは当然、二つは互いに相関しあう個別の認識主体として世界を認識します。身体は時間の概念で世界を認識し、空体はスケールの概念でどこまでも広がる空の存在を認識するのです。これらは身体か空体、どちらかを意識するかによって変わってくる世界観なのです。たった今まで、私はそんな意識をもってこの認識論を進めてきました。ところがさらにその次元を超...五次元という思え方について(認識論)10最終章

  • 五次元という考え方について(認識論9)

    腰痛のへっぴり腰で五次元龍壁画最後の一点を描き入れた2023/5/21(S30号×9枚×3組:全2.7m×8.1m)の内、3組目の組作品制作風景当、連載記事の進行に合わせて五次元龍壁画の完成を見たのは自分だけの嬉しい記念写真ですところで前回記事に登場したTさんですが、お名前作品公開OKという連絡をいただきましたので、あらためて紹介させていただきます。谷口勇さんの作品を紹介したくて、お願いしたものです。谷口勇展(2016年の個展)谷口さんの個展を紹介した過去記事(↑)から見ていただいたらわかるのですが、自分=身体と空体を結びつける気の流れ2016年谷口勇展より、作品3態私が提案した自分を表す袋は谷口さんの絵そのものですし、右側の人体はまさに身体と空体の融合した姿だと言えなくもないでしょう。「私」とは身体と空...五次元という考え方について(認識論9)

  • 五次元という考え方について (認識論)8

    のしてんてん誕生の予感キャンバスに鉛筆時にはうれしいお便りも届きます<お便り>私の求めていたものが全く描いていただいた絵のようで、私の求めていたものがこの絵の通りです。自分が宇宙と一体になっている気がします。自分で求めていたものが分からずに悩んでいましたが、やっと人並みに生きていけると喜んでいます<返信>「自分が宇宙と一体になっている」というお言葉は大変うれしく思いました。人は自己意識が生まれて以来、自分の隠された半身を探し求めて生きてきたと思います。特に芸術において、「我々は何処からきて何処に行くのか」というゴーギャンの言葉のように、自分の正体と行く道を探り、まだ見ぬ自分の隠された半身を探す旅に出るということでしょうね。Tさんはそんな芸術家のど真ん中におられる方だと、お会いして以来感じ、尊敬しております...五次元という考え方について(認識論)8

  • 五次元という考え方について(認識論)7

    のしてんてん孫と青梅キャンバスに鉛筆時には痛切な批判がやってきます<問>ここにスーパーカーがあるとしたらあなたの言っていることは延々とその機能を述べ立てるいわば取説だね。どうでもいいじゃないのそんなことそれよりスーパーカーを乗りこなして好きなことろに行けばいいじゃないか。<答>返す言葉もありません。人生の最良の生き方は己を気にせず己を生きることですから。そして私だってスーパーカーを自在に乗りこなすたくさんの人達を知っていますから、なおのことです。私はそんな人を最良の人と思っています。人はそうあればいいのです。ただ私が言っていることはスーパーカーの話ではありません。スーパーカーの次元を超えた空という乗り物の可能性を話しているのです。取説というより、取り扱う前の、それは新たな出会いのきっかけを探っているという...五次元という考え方について(認識論)7

  • 五次元という考え方について(認識論)6

    のしてんてん「カップケーキが口の中」キャンバスに鉛筆人は自分という領域の中で一生を過ごしていきます例えれば井の中の蛙ですね自分を私と呼び、その私は身体と心の存在です。世界から私自身のために分け与えられた領地、それが自分。まるで井の中の蛙ですね。そんな私達は大海を知りませんけれども空の青さを知ると、ことわざにあります。これが人間の認識をよく表しているのです自分という井戸の中にあるのは、身体と空体(空間のこと)。身体は大海を知らないが空の青を知るのですね●●五次元(新たな認識能力について)第六章認識論としての身体と空体(身体と空体)皮膚と空間の接点、そこから内側という領域が自分である。その領域にあるものと言えば、素粒子と空間である。認識論では「認識主体」は何かをまず明らかにすることから始まる。平たく言えば、認...五次元という考え方について(認識論)6

  • 五次元という考え方について(認識論)5

    のしてんてんとまらないカリントウキャンバスに鉛筆空間は認識できるのでしょうか空間それだけを考えてみてもつかみ取る手がかりはありませんね。空間は物があって初めて、その周辺にある空白を認識できるだけです。太陽や月が空に浮かんでいるのを見ても何の不思議も感じませんが自分が浮かんでいると考えると奇妙な感じがしますね。しかし今や私達は宇宙空間に飛び出し遊泳する人の姿を見ています。地上に立っているのも地球の引力に引き寄せられているだけだと科学が教えてくれるのです。そんな時代に私達の意識が変わらないのは何故なのでしょう。それはおそらく空間を認識する能力が十分に成長していないからだと思うのです。しかし空を知る手がかりがあるのです空の秘密が役立つことを願って書きます●五次元(新たな認識能力について)第五章空間の秘密(空間は...五次元という考え方について(認識論)5

  • 五次元という考え方について (認識論)4

    のしてんてんカスタードクリームキャンバスに鉛筆自分とは何でしょうかなぜ人は自分なのでしょうか生まれて死ぬまで私達は自分であり続けます自分から一歩も出ることはできないのはなぜなのでしょうそんな自分をちっぽけな存在と思ったことはありませんか宇宙の中のけし粒にも劣ると思ったことはありませんかそれが四次元思考の限界なのですでは五次元は●●五次元(新たな認識能力について)第四章五次元思考で見る自分の姿(自分と他分)自分という言葉から何がわかるのか、考えてみたい。言葉を解釈すると、自分とは自身の取り分(領地)ということになる。つまり全宇宙があって、その中で自身であると思われる部分のことである。すると、その他は自身ではない部分であり、これを他分と呼ぶことにしよう。すると宇宙は自分と他分によって成り立っていることになるだ...五次元という考え方について(認識論)4

  • 五次元という考え方について (認識論)3

    のしてんてん「孫のビスケット」キャンバスに鉛筆概念がなかったら誰も世界を思い浮かべることが出来ません私達が何気なく思い描いているこの世界もそれはただの光の海であってそこになんの意味も見いだせないのです赤ん坊の認識世界を覗いてみたらきっとそんな風に見えるでしょうそんな光の海に秩序を与えて意味あるものにするそれが概念なのです認識世界に目を向けてみるとその骨組みが見えてきます数えてみたら四本いえ、五本目がそこにある本当?五次元(新たな認識能力について)第三章.五次元の認識能力(五次元の検証)五次元とは、四次元(四つの概念)で認識する世界観に追加し得る、五番目の概念を示したものである。すなわち五つの概念によって認識される世界観のことである。この五番目の概念というのが、第一章ですでに述べた、大きさ(スケール)の概念...五次元という考え方について(認識論)3

  • 五次元という考え方について (認識論)2

    のしてんてん宝石ふうゼリー(キャンバスに鉛筆)思考世界はいくつかの柱で成り立っています。その柱がなかったら頭の中は見たままの光があるだけで見えるものの姿を何一つ形あるものとして理解できないでしょうそれは赤ちゃんの見ている世界と同じなのです成長するにつれて赤ちゃんの意識の中に認識の柱が建てられていきますその柱のことを概念と呼ぶと・・・五次元(新たな認識能力)について2、これまでの認識のかたち(認識=感覚+知覚)認識とは意識の中に世界を思い描く働きをする。その認識は五感による感覚から始まる。認識の世界はそこから広がっていくのであるが、それは知覚の働きなのである。知覚とは知識の母体ともいえるのだが、生まれて間もない赤ちゃんにはない。五感に頼る赤ちゃんが、体験と育みに包まれて知を芽生えさせる。その知は「何?」とい...五次元という考え方について(認識論)2

  • 五次元という考え方について (認識論)1

    のしてんてん甘すぎるかりんとう(キャンバスに鉛筆)今回から9回に分けて、私の認識論「五次元(新たな認識能力)について」を掲載いたします。これは私が五次元を提唱するに至った経過を、認識論としての可否を問う意味で書いたものです。もしこの認識が正しいのなら、人間は四次元の世界観をひっくり返すような世界観を常態化する可能性を持っていると言えるのです。ぜひその可否を考えてみていただきたいのです。五次元(新たな認識能力)について1、スケールの概念発見の発端大きさとは何だろう。ふと疑問に思ったことがある。それは湯船に浮かんでいる自分の体を眺めた時だった。大きな浴槽に自分の体がずいぶん小さく感じられた。足を折らなければ入れない家風呂と違うのは当たり前のことなのだが、なぜこんな風に違うのかと思ったのである。しかし私が驚いた...五次元という考え方について(認識論)1

  • 瞑想と悟りの形(五次元思考)

    瞑想とは何か。言うまでもなくそれは己との出会いである。その己とは何なのかが分からない。分かったようで分からないのだ。問うまでもない自明のことだと思う人は試しに自分の身体だけに絞って考えてみてほしい。自分と、自分でない部分を貴方はどうして知ることが出来るだろう。この身体、皮膚から向こうは何もないだから皮膚の向こうの空間は私ではないのだというかもしれないしかし空間がなかったら私は存在しない。呼吸に意識を向けたらどうだろう何もない空間にガスを吐き出し何もない空間から空気を吸い込む貴方はこのシステムのどこで自他の線引きをする?そこには論理的に説明できない何かが存在しているのだ。つまり瞑想とは論理にとらわれないで意識を拡げ可能な限り自分という存在の境界線を探っていくことなのだ。直感によって出逢う自分という領域をただ...瞑想と悟りの形(五次元思考)

  • 四人展つづき

    二階の私の展示を正面から見たもので、↑解説文はこの通り↓五次元龍の製作過程の部分をそのまま展示した。ここから階段を下りて1階に向かう↓五次元龍と空間絵画のつなぎはこんな感じです一階の私のコーナー↓五次元龍と空間絵画のつなぎに孫の菓子の絵をのせてみたかりんとう、ビスコ、カスタードケーキ、果物入りゼリー↑間﨑・奥野↑北籔・花房↑奥野↑間﨑↑花房↑全体の様子↑そして喫茶スペース↑ピアノに乗せた、辿・伝・転・点の種明かし↑画像では読めません。雰囲気だけで・・・申し訳ありませんこれは花房の新作↑転故の新しい挑戦間﨑の点は筆先のこちら側にあり↑奥野の辿は何といっても桜とともにある↑北籔の伝は相変わらずです絵本「きみのからだは運動会」はまたいずれ公開しようと思います四人展つづき

  • 辿・伝・展・展 四人展 15日~26日 オープンしました

    ↑展覧会がオープンしました。蔵つくりの2階スペース四人がぎゅうぎゅう詰め↑後ろを振り返ると階段手すりの向こうに私(北籔)の空間絵画右に1階会場が見えます。その奥に見えるのが(北籔)龍の絵の部分展示われは空、誰もが持っている五次元の認識能力を伝えたいのです↑(奥野)が日本全国を桜とともに北上して辿り着く春にふさわしい写真集↑左(花房)の通称バベルの塔蜜月の作風が転じて新たな挑戦に臨むのです右(間﨑)の克明に描いた風景は点のような風景が積み重ねられて、己もまた風景の中の点となって描き進めるのです1階の紹介は明日に持ち越します辿・伝・展・展四人展15日~26日オープンしました

  • 四人展、本日飾り付け

    飾り付けの予定日が一日早まった関係で、土日が天手古舞でした。ギリギリまで新作の予定を入れていたのが、一日違いで仕上げまで至らずやむなく古い作品を引っ張り出してくる羽目になりました。(言い訳しない!)駆け付けた展覧会場にはもうすでに飾り付けが始まっており、私は最後になって、床を見ながら入り口を通ったのです皆はサクサクと作品を飾り付け、キャプションも貼り終えたというのに私はついにギブアップオープン当日早めに出てキャプションを貼っていくということで許してもらいました。実のところ時間が足らず、そこまで用意できていなかったので、それはばれずに済んだと内心ほっとしました。そんなわけで会場の様子を写真に収めるひまもなく、後日ゆっくりしたら紹介いたします。ではでは皆さま、しばしお待ちください。四人展、本日飾り付け

  • 第三の自我 気の流れ(意識する力)

    カンフーの気の遣い方は私にはいまだ新鮮だそれは今までの私のアプローチからは真逆の立ち位置にあるからだと最近思うようになった。何が違うのか書こう:五次元は思考から始まった。思考が宇宙と己の存在を明らかにするすると、様々な思いすべての思考を成り立たせるためには空間の存在がなくてはならないことが分かってきた。物理学もそうだつまりその先になって初めて、気の存在が具体的な形で思考に現れてくるのである。ところがカンフーはその気が真っ先に取り上げられて、身体に現れる実感を自分と受け止めるのであるそれは思考ではなく、体験なのだ。気の体験が論理を上回るのは容易にわかる私にとって幸運だったのは思考の探求が、空にたどり着いたためかどうかは分からないが、苦悩に堕ちない状態が久しく続く。その後で、カンフーに巡り合ったということだ。...第三の自我気の流れ(意識する力)

  • 辿・伝・転・点 四人展

    二月も終わりですねいかがお過ごしですかこのたび、故あって四人展を開催する運びとなりました。辿・伝・転・点四人展のご案内です。辿・伝・転・点とは展をテーマにして各自が一文字で自己紹介したらどうなる?というノリでできたものです点を中心に据えて辿=中高=点伝=職場=点転=大学=点という関係が成り立ちますさてさて辿・伝・転・点はそれぞれ、どの作者と結びつくのかはたまたその故とは何かそれは会場で明らかになります。辿・伝・転・点四人展

  • 第三の自我 あるカンフー達人との対話 (実践)

    9枚作品中、下段右4枚の途中経過第三の自我を意識し始めて2か月を超えたが、苦に堕ちないという現象は今も続いている。それは一つには、偶然に巡り合ったあるカンフーの達人との対話に負うことが大きい。私たちは核心をついて急激に近づいた。不思議だが、他人と話すときの壁がないのだ。だから無駄話がない。パソコンがダウンして2週間とんでしまったのだが、この間に彼は三度びアトリエにやて来たカンフーを伝授しようというのである。「殺法には興味ありません」私が言うと「気の鍛錬に有効なのです」と彼は返した。もちろん私は、それを強く感じていたので、彼の話から気との付き合い方を掴みたいと思っていた。彼が来たのは、そのことを見越してのことだとすぐに分かった。私が欲しかったものを、彼は核心をたがわず持ってきてくれたのだ心と身体の関係気の流...第三の自我あるカンフー達人との対話(実践)

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