「邦楽ジャーナル」虚無僧曼荼羅No.92017年1月号の内容です虚無僧の元は薦僧(こもそう)「虚無僧」は江戸時代以前は「薦僧(こもそう)」でした。「薦(こも)むしろ」を腰に付けていたからです。「薦僧」の初見は『大内氏壁書(かべがき)』。これは室町時代、中国地方を支配していた大内氏の法令集です。その文明18年(1486)年の禁制に「薦僧、放下(ほうか)、猿引(さるひき)は領内から追い払うべし」とあります。一休が歿したのは文明13年(1481)ですから、その頃には薦僧が諸国を往来していたことになります。しかし大内氏の領内では、薦僧は不審者として追い払うべしとの扱いでした。「放下(ほうか)」は笹竹を背負い、こきりこを打ち鳴らし、手品や曲芸をして銭を乞う辻芸人。薦僧と同様、僧ではないのに僧形をして「放下僧(ほうかそう)...虚無僧の元は薦僧(こもそう)
虚無僧で立っていると「その笛は何ですか」とよく聞かれる。「Yahoo知恵袋」という質問サイトにも「虚無僧が吹いている笛は何ですか」という質問があった。常識だと思っていたのだが、尺八を知らない人がほとんど。トホホ。テレビのクイズ番組で、虚無僧の写真が出「これは何?」の問いに、回答者全員が「虚無僧」と答えられなかった。回答者は皆有名タレント。別の番組では「虚無僧」をなんと読むか?の質問に「きょむそう」「うそむそう」と。私もイベントなどで若い司会者に「きょむそう」と呼ばれたことが何度もある。ところがところがである。江戸時代に出版された虚無僧の由緒書『虚鐸伝記国字解』には「虚無僧」に「きょむそう」とルビがふってあるのであ~る。どちらが正しいのかはわからない。真実なんて無いのだ。虚無だもの。虚無僧が吹いている笛は何?
毎朝「那古野神社」でラジオ体操那古野神社は「名古屋」の発祥地であり、「織田信長はここで生まれた」とされる。体操が終わると、私が代表して「禊の払い」奏上。ラジオ体操に参加して数年。毎朝季節の移り変わりを如実に感じる。夏の暑い盛り。蝉しぐれを聞き、汗が吹き出ないように、力を抜いてそっと体操をしていたのが、やがて、木の葉が色づき、枯葉が落ち始めた。木の枝から葉がすっかり落ちた頃、その隙間から、月を見ては感動し、雪が舞い降りる日は、指先まで力をこめて体操する。冬至の前後は暗闇の中でやっていたのが、一日一日明るさが増し、木の芽も確実にふくらみつつあるのを希望をもって見ることができる。誰に強制されるわけでもないのに、雨の日も風の日も毎朝十数名の人が集う。60代は一人、70代三人、後は80代がほとんど。みんな元気で若々しい。...那古野神社でのラジオ体操
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