日本人の起源殷=倭国
日本人の起源殷=倭国
東電OL殺人事件犯人はまだ捕まっていない。その後の捜査も行われていない。何故だ????https://youtu.be/k1O2CPGsie4未解決「東電OL殺人事件」
私は、8歳頃から叔父に尺八の手ほどきを受けました。そして、高校2年の時、新聞に「尺八と箏の教室開校」の広告が載り、即入会しました。我が家の隣駅、東横線の中目黒駅近く、町内会館の一室でした。尺八は都山流準師範の古賀將之氏、箏・生田流は東京芸大を卒業されたばかりの砂崎知子師。古賀將之師も大学を卒業されたばかり、就職せずに尺八家を目指すとの事、日本音楽集団に入られました。古賀師はまもなく渡米され、アメリカに帰化。長らく音信普通でしたが、数年前facebookでつながり、今年の6月日本に帰国。25日福岡県の津島市筑後船小屋で「尺八のワークショップ」を開催されるとのこと。それに参加することにしました。https://youtu.be/IMi00aV1tdA?list=RDIMi00aV1tdA私の最初の尺八の師古賀將之氏
私の最初の師「古賀將之」氏が6月25日福岡県筑後船小屋で
「私は、幼い頃に両親を交通事故で亡くしました。孤児院に預けられ、そこでの生活は悲惨でした。孤児院からメリカの軍隊に入れられ、今アフガニスタンに派遣されています。ここは毎日命の危険にさらされていて、はやく退役して、平和な日本に行きたい」というようなメールが5件。他は「シリア」「イラク」にいるとのこと。「ちょっと待て」で、次のようなメールを送ってやったら、返事が途絶えました。私からの返信>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>あなたの気を悪くする話をさせてください。あなたと全く同じ境遇の女性からもメールが来ています。あなたと同じように、幼い頃両親を交通事故で亡くなし、今はアメリカ軍の一員としてイラクにいる。まもなく退役して日本に行きたい...国際詐欺軍関係者からのメール
アメリカ在住の韓国人女性からメール。顔写真を見れば絶世の美女。最初は「今日は何を食べましたか?」とかたわいないやりとり。だんだん、家族状況、仕事の内容など聞いてくる。そして「あなたにすっかり惚れた。アメリカ人の夫はひどい人だ。夫と離婚して、あなたと結婚したい」と、だんだんラブラブの濃厚なメッセージが届くようになる。そして、「夫にバレないように、経営していた宝石店を売却し、その金5億円をひとまずあなたの口座に預けたい」「受け取ってほしい」と。そして銀行間の金の送受信を行うという銀行を紹介されそこに口座を作らされて、たしかにそこに4800万$が振り込まれた。ところが、「そこから引き出すには、まず30万円を送金する必要がある」と。結局断ると、画面は動かなくなった。私の口座に振り込まれた5億円はどうなってしまうの...国際ロマンス詐欺に引っかかるところでした。
FaceBookで個人情報をすべて公開しているので、次々とMessengerにメールがはいってきます。その数、今30件ほど。ほとんどが、「夫と死別、子供はいない。日本人だが外国暮らしが長い。今、癌に冒されて入院中で余命わずか。夫の遺産〇ウン億円をあなたに譲りたい」というもの。名前がおかしい。「サキトシオ」「クウミコ」「長谷川隆介ゆき」「チカコヒロキ」「賢治ケンジ」「フミコアキト」「キミコアキヒト」と名前が二つ続き、姓がない。その中で、「ひょっとして」と思うもの3件に返信してみた。最後は、現金を送るので、送料を払ってほしいと。その額は「40万円、60万円」と。なぜそんなにかかるのか、「金庫ごとで、その重さが150kgもあるから」という。とても、「そんな金庫は要らない。支払う金も無い」と断っているがしつこく催...ネット詐欺「遺産を譲りたい」
なぜか、ブログを開こうとすると「退会しました」と出て、全く開けなくなっていました。そして今日、なんとなくタッチしたら、なぜか、開けました。不思議ふしぎ。「ブログの時代は終わった」とあきらめていましたが再開します。この三か月大変でした。ネット詐欺と丁々発止やりとりしていました。ネット詐欺、実に巧妙です。みなさまご用心、ご用心。イギリス人の女性から突然のメール。「私は身寄りもなく、今余命数か月。遺産をあなたに上げるので慈善事業に使ってほしい」と。そして「依頼を受けた」という弁護士からメール。本人の入院中の顔写真、ドル紙幣などの写真も送られ、私のパスポート、住所、銀行口座など聞いてきた。半信半疑ながら、というより、事の顛末を見届けたくて、全部教えたところ、「銀行で送金手続きをしたが、送金するには60万円の手数料...あなたに「5億円差し上げます」は詐欺
虚無僧牧原一路写真集
虚無僧牧原一路写真集
2月3日は「諭吉忌」。福沢諭吉先生のご命日。幼稚舎から大学まで、塾員の多くが墓参に向かいます。向かう先は、今は港区麻布十番の善福寺、私が在籍していた頃は品川区大崎の常光寺でした。なんでかというと、福沢諭吉のご遺体は、品川の常光寺から港区の善福寺に改葬されたのです。なんでか。福沢諭吉が亡くなったのは1901年2月3日のことで、葬儀は菩提寺の善福寺で行われました。葬儀には1万5千人が参列したといわれます。善福寺は浄土真宗本願寺派。善福寺は東京では浅草寺、深大寺に次ぐ古刹で、幕末から明治にかけてアメリカ領事館が置かれ、領事たちの宿所になっていました。それで福沢諭吉は度々善福寺を訪れ、菩提寺と定めていました。しかし、当時、東京市は土葬を認めなかったため、東京市郊外の大崎村にある常光寺に土葬で埋葬されたのです。ここ...2月3日は「諭吉忌」
2月4日は私の誕生日昭和23年生まれ。今年75歳。2月4日今日は何の日赤穂浪士47名が切腹した日でも、もうテレビの話題にものぼならなかった。浅野内匠頭が、勅使下向の接待役を命ぜられたのが元禄14年(1702)の2月4日。そして、内匠頭が江戸城松之廊下で吉良上野介に斬り付けた刃傷事件が3月14日。内匠頭は即日切腹。上野介はお咎めなし。この「片手落ち」の裁決に異議申すカタチで、浪士47士が吉良邸に討ち入り、本懐を遂げたのが、翌元禄15年(1703)の12月14日。1年と9カ月後のこと。そして年開けて元禄16年の2月4日。46人が切腹。47士の内、足軽の寺坂は、討ち入りの前後に、故あって立ち退いていて、後自首したがお咎め無しとなっている。しかし今、泉岳寺には寺坂と、討ち入りに参加する前に自害した萱野重実の墓もあ...2月4日は赤穂義士切腹の日
今日の学びは「暖簾(のれん)に胡坐(あぐら)かくな」です。モーニングのお仲間は、名古屋に先代から住んでいる方ばかり。「どこどこの店は、美味しい」とか、いろいろな情報交換の場になっています。今朝は、「老舗」の店が、2代目、3代目になると、創業者の真摯な心が失われ、顧客離れが進んでいるというような話が出ました。「和菓子の○○の2代目は“暖簾(のれん)”に胡坐(あぐら)をかいて、客に対する態度が横柄」だとか、「値段ばかり高くて、菓子の味も落ちた」と。また、「ひつまぶし(鰻料理のひとつ)の△△は、以前は、切った鰻(うなぎ)をきちんときれいに並べてあり、見た目にも美しかったが、今は、ただご飯の上に乗せてあるだけ。そのご飯も柔らかかったり、固かったり、冷たかったりで、客が減った。「客が減り、売り上げが落ちたのは、鰻の...「暖簾に胡坐かくな」
有漏路より無漏路に帰る一休み風吹かば吹け、雨降らば降れ一休と一路の出会い「万事休す、一休とはこれいかに」「万方路あり、一路とはこれいかに」「体」から一本抜くと
4×9=368×8=6436+64=100
FB「名言の宝庫」より転載させていただきました。【アンパンマンが許さないこと】アンパンマンは「バイキンマンは悪い奴だ!許さないぞ!」とは言わない。アンパンマンが言うのは「あ!バイキンマン!またイタズラしたな!許さないぞ!」だ。悪いのはバイキンマンという「人格」ではなくイタズラという「行為」であるということ。人格の否定ではなく、行いを注意する。「罪を憎んで、人を憎まず」です。作者のやなせさんが、アンパンマンとバイキンマンの関係を通して、どうしても子供たちへ伝えたかったメッセージだと思います。アンパンマンが許さないこと
FB「名言の宝庫」より転載させていただきました。【アンパンマンが許さないこと】アンパンマンは「バイキンマンは悪い奴だ!許さないぞ!」とは言わない。アンパンマンが言うのは「あ!バイキンマン!またイタズラしたな!許さないぞ!」だ。悪いのはバイキンマンという「人格」ではなくイタズラという「行為」であるということ。人格の否定ではなく、行いを注意する。「罪を憎んで、人を憎まず」です。作者のやなせさんが、アンパンマンとバイキンマンの関係を通して、どうしても子供たちへ伝えたかったメッセージだと思います。アンパンマンが許さないこと
FB「しあわせになるレシピ」から転載させていただきました。【お釈迦様と悪口男】お釈迦様が多くの人たちから尊敬される姿を見て、ひがんでいる男がいました。「どうして、あんな男がみんなの尊敬を集めるのだ。いまいましい」男はそう言いながら、お釈迦様をギャフンと言わせようと、その男は、お釈迦様を群集の中で口汚くののしってやることにしました。「お釈迦の野郎、きっと、おれに悪口を言われたら、汚い言葉で言い返してくるだろう。その様子を人々が見たら、あいつの人気なんて、アッという間に崩れるに違いない」そして、その日が来ました。男は、お釈迦さまの前に立ちはだかって、ひどい言葉を投げかけます。お釈迦さまは、ただ黙って、その男の言葉を聞いておられました。弟子たちはくやしい気持ちで、「あんなひどいことを言わせておいていいのですか?...お釈迦様と悪口男
〇〇苑の会合で、「交通事故に遭い、内臓破裂で医師からも『助からない』と診断されたが、奇跡的に快復した」という話が出され、それをきっかけに、私も私もと体験談が語られた。朝起会でも「突然車が飛び出してきて、もうダメと思った瞬間、自転車ごとファッと宙に浮いたようになって、衝突を避けられた」と。それぞれ「お力をいただいている」と感謝の心だ。そういえば私も、もう20年も前になるが、バイクに乗っていて、交差点で出会い頭に、車とぶつかった。ぶつかる直前に身体がファーと空中に浮いて、一回転して地面に落ちた。救急車が来て、病院に運ばれ、レントゲンを受けたが、「異常ありません」だった。着ていた服はズタズタ、バイクはへし曲がって修理不能の事故だったのにである。今思うと、直前に宙に舞い上がったのは、神仏の加護だったかと思う。これ...神仏の加護
日めくりカレンダーら瀬戸内寂聴の言葉。93歳の時、たんのう癌の手術をして一時は寝たきりになり、「神も仏もあるものか」とさえ思った。その入院生活から、またまた奇跡の復活。そして悟ったのは、「もうこりた」。「天台宗の教義は何か」と問われて、一言で答えるならば「もうこりた」です。。「もう懲りた」ではありません。「忘己利他」と書くんですと。「己を忘れて、他に利する」。つまり「自分の都合や損得勘定を離れて、相手の立場に立ってものごとを見、対処していく態度や生き方」。宮沢賢治は「法華経」を信奉し、「雨ニモマケズ」で言っている。「アラユルコトヲ自分ヲ勘定ニ入レズニヨク見キキシ、ワカリ」と。そして「忘己利他」の極みが、法隆寺の「玉虫の厨子」に描かれている「捨身飼虎」。飢えた虎のために、わが身を餌として与えるという話。そう...「もうこりた(忘己利他)」「捨身飼虎」
2月3日は「諭吉忌」。福沢諭吉先生のご命日。幼稚舎から大学まで、塾員の多くが墓参に向かいます。向かう先は、今は港区麻布十番の善福寺、私が在籍していた頃は品川区大崎の常光寺でした。なんでかというと、福沢諭吉のご遺体は、品川の常光寺から港区の善福寺に改葬されたのです。なんでか。福沢諭吉が亡くなったのは1901年2月3日のことで、葬儀は菩提寺の善福寺で行われました。葬儀には1万5千人が参列したといわれます。善福寺は浄土真宗本願寺派。善福寺は東京では浅草寺、深大寺に次ぐ古刹で、幕末から明治にかけてアメリカ領事館が置かれ、領事たちの宿所になっていました。それで福沢諭吉は度々善福寺を訪れ、菩提寺と定めていました。しかし、当時、東京市は土葬を認めなかったため、東京市郊外の大崎村にある常光寺に土葬で埋葬されたのです。ここ...2月3日は「諭吉忌」
2月4日は私の誕生日昭和23年生まれ。今年75歳。2月4日今日は何の日赤穂浪士47名が切腹した日でも、もうテレビの話題にものぼならなかった。浅野内匠頭が、勅使下向の接待役を命ぜられたのが元禄14年(1702)の2月4日。そして、内匠頭が江戸城松之廊下で吉良上野介に斬り付けた刃傷事件が3月14日。内匠頭は即日切腹。上野介はお咎めなし。この「片手落ち」の裁決に異議申すカタチで、浪士47士が吉良邸に討ち入り、本懐を遂げたのが、翌元禄15年(1703)の12月14日。1年と9カ月後のこと。そして年開けて元禄16年の2月4日。46人が切腹。47士の内、足軽の寺坂は、討ち入りの前後に、故あって立ち退いていて、後自首したがお咎め無しとなっている。しかし今、泉岳寺には寺坂と、討ち入りに参加する前に自害した萱野重実の墓もあ...2月4日は赤穂義士切腹の日
今日の学びは「暖簾(のれん)に胡坐(あぐら)かくな」です。モーニングのお仲間は、名古屋に先代から住んでいる方ばかり。「どこどこの店は、美味しい」とか、いろいろな情報交換の場になっています。今朝は、「老舗」の店が、2代目、3代目になると、創業者の真摯な心が失われ、顧客離れが進んでいるというような話が出ました。「和菓子の○○の2代目は“暖簾(のれん)”に胡坐(あぐら)をかいて、客に対する態度が横柄」だとか、「値段ばかり高くて、菓子の味も落ちた」と。また、「ひつまぶし(鰻料理のひとつ)の△△は、以前は、切った鰻(うなぎ)をきちんときれいに並べてあり、見た目にも美しかったが、今は、ただご飯の上に乗せてあるだけ。そのご飯も柔らかかったり、固かったり、冷たかったりで、客が減った。「客が減り、売り上げが落ちたのは、鰻の...「暖簾に胡坐かくな」
有漏路より無漏路に帰る一休み風吹かば吹け、雨降らば降れ一休と一路の出会い「万事休す、一休とはこれいかに」「万方路あり、一路とはこれいかに」「体」から一本抜くと
4×9=368×8=6436+64=100
FB「名言の宝庫」より転載させていただきました。【アンパンマンが許さないこと】アンパンマンは「バイキンマンは悪い奴だ!許さないぞ!」とは言わない。アンパンマンが言うのは「あ!バイキンマン!またイタズラしたな!許さないぞ!」だ。悪いのはバイキンマンという「人格」ではなくイタズラという「行為」であるということ。人格の否定ではなく、行いを注意する。「罪を憎んで、人を憎まず」です。作者のやなせさんが、アンパンマンとバイキンマンの関係を通して、どうしても子供たちへ伝えたかったメッセージだと思います。アンパンマンが許さないこと
FB「名言の宝庫」より転載させていただきました。【アンパンマンが許さないこと】アンパンマンは「バイキンマンは悪い奴だ!許さないぞ!」とは言わない。アンパンマンが言うのは「あ!バイキンマン!またイタズラしたな!許さないぞ!」だ。悪いのはバイキンマンという「人格」ではなくイタズラという「行為」であるということ。人格の否定ではなく、行いを注意する。「罪を憎んで、人を憎まず」です。作者のやなせさんが、アンパンマンとバイキンマンの関係を通して、どうしても子供たちへ伝えたかったメッセージだと思います。アンパンマンが許さないこと
FB「しあわせになるレシピ」から転載させていただきました。【お釈迦様と悪口男】お釈迦様が多くの人たちから尊敬される姿を見て、ひがんでいる男がいました。「どうして、あんな男がみんなの尊敬を集めるのだ。いまいましい」男はそう言いながら、お釈迦様をギャフンと言わせようと、その男は、お釈迦様を群集の中で口汚くののしってやることにしました。「お釈迦の野郎、きっと、おれに悪口を言われたら、汚い言葉で言い返してくるだろう。その様子を人々が見たら、あいつの人気なんて、アッという間に崩れるに違いない」そして、その日が来ました。男は、お釈迦さまの前に立ちはだかって、ひどい言葉を投げかけます。お釈迦さまは、ただ黙って、その男の言葉を聞いておられました。弟子たちはくやしい気持ちで、「あんなひどいことを言わせておいていいのですか?...お釈迦様と悪口男
〇〇苑の会合で、「交通事故に遭い、内臓破裂で医師からも『助からない』と診断されたが、奇跡的に快復した」という話が出され、それをきっかけに、私も私もと体験談が語られた。朝起会でも「突然車が飛び出してきて、もうダメと思った瞬間、自転車ごとファッと宙に浮いたようになって、衝突を避けられた」と。それぞれ「お力をいただいている」と感謝の心だ。そういえば私も、もう20年も前になるが、バイクに乗っていて、交差点で出会い頭に、車とぶつかった。ぶつかる直前に身体がファーと空中に浮いて、一回転して地面に落ちた。救急車が来て、病院に運ばれ、レントゲンを受けたが、「異常ありません」だった。着ていた服はズタズタ、バイクはへし曲がって修理不能の事故だったのにである。今思うと、直前に宙に舞い上がったのは、神仏の加護だったかと思う。これ...神仏の加護
日めくりカレンダーら瀬戸内寂聴の言葉。93歳の時、たんのう癌の手術をして一時は寝たきりになり、「神も仏もあるものか」とさえ思った。その入院生活から、またまた奇跡の復活。そして悟ったのは、「もうこりた」。「天台宗の教義は何か」と問われて、一言で答えるならば「もうこりた」です。。「もう懲りた」ではありません。「忘己利他」と書くんですと。「己を忘れて、他に利する」。つまり「自分の都合や損得勘定を離れて、相手の立場に立ってものごとを見、対処していく態度や生き方」。宮沢賢治は「法華経」を信奉し、「雨ニモマケズ」で言っている。「アラユルコトヲ自分ヲ勘定ニ入レズニヨク見キキシ、ワカリ」と。そして「忘己利他」の極みが、法隆寺の「玉虫の厨子」に描かれている「捨身飼虎」。飢えた虎のために、わが身を餌として与えるという話。そう...「もうこりた(忘己利他)」「捨身飼虎」
今朝Yさんの話。「私の夫は、床屋に行っても、買い物をしてもお金を払ってこない。私がいつもあとから払いに行っていた」と。子どもの頃を思い出した。毎年夏休みは父母の実家の会津で過ごした。母の実家には毎日魚屋さん、八百屋さんが、リヤカーをひいてやってきた。魚屋さんは調理場で魚をさばいて帰って行く。床屋さんも来た。祖父は四畳半ほどの鏡の間で床屋さんに髪を刈ってもらう。祖母は日本髪の髷を結ってもらっていた。隣りはヤクルトの販売店。窓から手を出せば、ヤクルトをもらえた。どれも支払は月末払い。そこで生まれ育った従兄弟はこの世に“お金”というものが存在することを、小学校2、3年まで知らなかったようだ。向かいの駄菓子屋で欲しいものがあれば「これちょうだい」で、お金を払わないで貰ってこれたからだ。こんな話も。戦争中「牧原」と...昔は支払いは「掛け売り」。月末払いだった
岐阜が今、キムタク信長で盛り上がっている。「レジェンド&バタフライ」とは、なんか時代劇ならぬタイトル。いよいよ本日封切り。しかし、これは以前に書いた記事です。1/27中日新聞『世談(よだん)』に「編集委員・竹村純一郎」の記名で、こんなコラムが載った。「JR岐阜駅前に金ピカの小田信長像が建てられた。地元経済界有志が出資し、細江市長の主導で建てられたようだ。だが、織田信長は岐阜にとっては侵略者だ。絶対君主として君臨し、逆らう者を抹殺する。比叡山延暦寺、一向一揆、多くの人が理不尽に殺された。そんな権力者が郷土の誇りとは。(中略)そんなご仁に、永禄10年(1567)以来、450年近くたっても、岐阜人はひれ伏さなくちゃならないのかな」という内容。なるほど、なるほど、愛知の人にとっては、信長は「清洲の人」だ。岐阜のイ...岐阜にとっては侵略者「信長」
岐阜市内だけでなく、遠く名古屋からも望める金華山。標高329m。その山頂に天守閣がそびえる「岐阜城」。山頂まで登るのに、30~40分。コースによっては1時間ほどかかる。正に「城塞堅固・難攻不落」の山城。と言いたいところですが、斎藤利藤から9人も城主が変わり、うち6人が攻められ、討ち死に、自害、敗走しているのだそうだ。私も3回ほど登ったが、なんか暗い陰がつきまとう気がする。1.「斎藤利藤」:母違いの弟「利国」と争い敗れる。2.「斎藤利茂」:斎藤利藤の養子。斎藤利安に破れ、城を追われた。(落城1回目)3.「斎藤道三」:嫡男「義龍」に討たれる。享年63。4.「斎藤義龍」:急死。享年35。5.「斎藤龍興」:斎藤義龍の嫡男。竹中重治らに城を奪われる。後、返還されるが、織田信長によって再び落城。刀禰坂の戦いで戦死。享...難攻不落ではなかった「岐阜城」
服部英雄の『河原ノ者・非人・秀吉』(山川出版)は、秀吉の出自について書かれた史料を網羅しています。それには「後奈良天皇の御落胤」説は出てきません。これによると「秀吉の出生地」は諸説あって「中中村(現中村中町)」説も怪しいようです。「秀吉誕生地」とされる「常泉寺」は「上中村」にあります。さて、本書によれば、どうやら「秀吉は清洲で生まれ、母の再婚により中村に移り住むことになったが、養父と折り合いが悪く、秀吉は家を飛び出し、ストリート・チルドレン(乞食)になった」と。当時、信長の城は清洲であって、秀吉の叔父や周辺の者は、清洲の「乞食村(非人村)」に関係している者が多いといいます。秀吉の出自は、乞食(薦=こも)であった。現名古屋市の中村区は、当時は畑ばかりの土地でしたから、秀吉の育ちは「中村」で「農民の子」となり...秀吉の出自2
私が今住んでいる所は「中村区中村中町」。秀吉は「中村ナカ」で生まれたというのが通説になっています。まさに、私の住んでいる所は、秀吉の生まれた土地のはずですが・・・・。ここから1kmほど北の「上中村」に、「秀吉誕生の地」「豊太閤産湯の井戸」を掲げる「常泉寺」があります。秀吉亡き後、加藤清正によって建てられたとのこと。山号は「太閤山」です。その寺の案内パンフレットに、驚くことが書いてありました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・太閤のご母堂「大政所」は、藤原保通の娘。「保通」は朝廷に仕え、後柏原天皇の重鎮でしたが、永正10年(1513)失脚して一時、尾張国中村に隠居。この時娘「仲(後の大政所)」が生まれる。後許されて京都に戻り、娘の仲は容姿端麗な娘...秀吉の出自秀吉は後奈良天皇の御落胤????
2023年1月8日いよいよNHK大河「どうする家康」が始まりましたね。期待はしていなかった。ちょっとがっかり。馬に乗って走るシーンなど50年前のテレビドラマよりひどい。作り物の馬であることがバレバレ。前々日、山岡荘八原作の映画「徳川家康」をTVで観た。こちらは、幼少の頃から利発な立派な殿様。それと真逆。今回のドラマは「弱虫、泣き虫、どうしようもない家康」。築山御前(瀬名=有村架純)との関係も、相思相愛のラブラブ。山岡荘八版では、竹千代(元康)は、妹の亀姫に横恋慕していたが、今川義元の命で姉の鶴姫(瀬名)を押し付けられる。姉さん女房で、とかく今川の威を傘に、元康に強圧的。だから、後に殺される事になる。今回、有村架純とラブラブでは、殺すに至る理由付けはいかがになるのか。さて、第1回は早くも桶狭間の戦い。義元が...徳川元康は桶狭間で死んだ?!
映画『悪人』。カメラ・ワークがすばらしい。久石譲の音楽もいいが、車が走るシーンなどで無音になる場面が何箇所かあった。あの“間”がまたいい。被害者の父親が殺害現場に行くシーンで、雨が降っているのに陽が差しているのは興冷め。晴れの日にホースで雨を降らせて撮っているからだ。光を遮って撮るくらいできるだろうにと思う。あり得ないのは、佳乃が生保レディで、会社の寮?に同僚と一緒に入っているということ。生保の外務員のために社宅を用意している会社は無い。ま、小説の虚構か。ラストの灯台の映像がすばらしい。ところで、何箇所か灯台を訪れたことがあるが、どこもしっかり施錠されていて、絶対入れないようになっている。どうやって入りこんだんだろう。ま、その気になれば、窓を破ってでも入れるか。映画『悪人』のあら探し
12月30日(金)深夜1:59-4:25中京テレビで、映画『悪人』を観る。芥川賞作家・吉田修一のベストセラー小説を、妻夫木聡と深津絵里の主演で映画化したミステリードラマ。ふとしたことから殺人者となってしまった不器用な青年と、そんな男と孤独の中で出会い、許されぬ恋に溺れた女が繰り広げる逃避行の顛末を、事件を取り巻く人々の人間模様とともに綴る。モントリオール映画祭で深津絵里が主演女優賞を獲得したという映画だ。タイトルからの先入観で、初めは、金髪でだらしない格好の今時の若者の「祐一」を、「こいつが悪人か」と決め付けて見ていた。でも、これもまた今時の若い女「佳乃」を殺すに至った経緯を知れば、「どっちが悪い」と思えてくる。最初に佳乃を車外に突き落とした大学生の圭吾も、今時の若者で許せない。純朴な一市民だった被害者の...『悪人』
映画『悪人』は、いろいろ考えさせられた。樹木稀林が、入院中の夫の介護に家を出ると、マスコミの容赦ない攻撃にさらされる。バスに乗ろうとしても入り口まで詰め寄られる。その時、バスの運転手が一喝する。「バスの中で取材は困る!」と、すごい迫力に、さしものマズゴミもたじろぐ。「バスの運転手にも迷惑をかけた」と気まずい思いをしながらも気丈にふるまう樹木稀林。そしてバスを降りた時、運転士手が声をかける。「ばぁさん、あんたは悪くないんだから、しっかりしろよ」と。走り去るバスに樹木稀林が深々と頭を下げる。あのシーンが泣けた。あの運転手の言葉「あんたは悪くない」は、樹木稀林にではなく、このストーリーの登場人物すべてに投げかけられた言葉のようだ。「あんたは悪くない」がこの『映画』のテーマだったかと気づかせてくれるほどインパクト...「あんたは悪くない」
尺八流派としては最大組織の「都山流」ですが、現在三つに分かれていて、ややこしい。そこで「尺八都山流分裂の記録」という記事を見つけました。実に詳しく書かれていますが、余計に何がなんだかわからない。要約すると。最初の分裂は1.「都山流尺八楽会」高平艟山側現在の宗家は初代の前妻の孫「正幸」2.「新都山流」児島正典側現在の宗家は初代の後妻の孫娘「美都子」3.「都山流尺八連盟」島原帆山側後に「日本尺八連盟」と改名現会長は「坂田誠山」https://tozanryu.web.fc2.com/尺八都山流分裂記録(fc2.com)都山流の創始者である流祖・中尾都山は、明治9年10月5にに生まれた。本妻との間に子供が居たが、芸者レンを妾にしていて、本妻が亡くなった後、都山69歳の時、レンとの間に「稀一」という子供ができ、レ...尺八都山流分裂の記録