虚無僧の元は薦僧 (こもそう)
「邦楽ジャーナル」虚無僧曼荼羅No.92017年1月号の内容です虚無僧の元は薦僧(こもそう)「虚無僧」は江戸時代以前は「薦僧(こもそう)」でした。「薦(こも)むしろ」を腰に付けていたからです。「薦僧」の初見は『大内氏壁書(かべがき)』。これは室町時代、中国地方を支配していた大内氏の法令集です。その文明18年(1486)年の禁制に「薦僧、放下(ほうか)、猿引(さるひき)は領内から追い払うべし」とあります。一休が歿したのは文明13年(1481)ですから、その頃には薦僧が諸国を往来していたことになります。しかし大内氏の領内では、薦僧は不審者として追い払うべしとの扱いでした。「放下(ほうか)」は笹竹を背負い、こきりこを打ち鳴らし、手品や曲芸をして銭を乞う辻芸人。薦僧と同様、僧ではないのに僧形をして「放下僧(ほうかそう)...虚無僧の元は薦僧(こもそう)
2021/11/29 15:58