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クニの部屋 −北武蔵の風土記− https://blog.goo.ne.jp/kuni-furutone118/

北武蔵を中心とした歴史を紹介。地方のあまり知られていない城や古墳などを発掘します。

高鳥邦仁
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埼玉県
出身
埼玉県
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2006/06/13

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  • 5月26日、羽生でタイムスリップが起こる?

    気が付けば1週間を切ってしまった。5月26日(日)に「第5回羽生タイムスリップまち歩き」が開催される。主催は羽生市観光協会。同会に声をかけられて、今回も講師を務めることになりました。参加される方々、よろしくお願いします。今回のテーマは利根川沿いの歴史散歩だ。文禄3年(1594)に会の川が締め切られてから430周年を記念して、締切址及びその周辺を散策する。地域としては、上新郷、小須賀、上川俣、本川俣になる。羽生市観光協会のS局長とMさんと何度も打ち合わせをした。距離がいささかあるように思われたのだが、お二人がGOサインを出したので大丈夫だろう。開催に先立ち、参加募集ポスターが公共施設を中心に張り出された。まさか自分の顔が出るとは思わなかった。Mさんには何度も言ったのだが、結局掲載されてしまった。そのせいで、...5月26日、羽生でタイムスリップが起こる?

  • 待ち時間は“真名板高山古墳”で……

    休職していた頃、保育園の子どもを預かる時間が短縮された。制度上仕方のないことで、むしろ預かってもらえるだけありがたかった。迎えの時間のおよそ40分前、真名板高山古墳(埼玉県行田市)へ立ち寄ったことがある。用事があるわけでもなく、古墳が見たかったわけでもない。ただ、何とはなしに足を運んだ。古墳は何も変わらないように見えた。麓に建つ板碑や薬師堂も、最後に見たときと同じのまま。変わったのは自分の方で、心身が故障していたせいもあり、古墳に登る気力も起きなかった。古墳には何本もの樹木が立っている。西日で長い影が落ちていた。その影に車を止め、少しの間本を読んだ。静かだった。境内には誰もおらず、樹木の中から鳥が鳴いていた。一日が終わろうとする静かな時間。いつ職場復帰できるのかわからず、夕方はいつも不安に襲われた。が、古...待ち時間は“真名板高山古墳”で……

  • なぜ北条氏は羽生城を力攻めにしなかったのか? という謎について

    読むたびに、目に留まり続けた一文がある。それは平井辰雄氏の『羽生の歴史回顧』。北条氏が羽生城を力攻めにして落とさなかったことについて、北条方にとって羽生の地はそれ程魅力のある所とは思わなかったものと思われ、その証拠には羽生城破却後、北条家の重臣を配置しないで、忍城主に預けたことからもわかります。と述べている。たまに手に取ってはこの一文を読み、モヤモヤしていた。2007年の発行だから、10年以上モヤモヤしていたことになる。岩田明広氏が執筆した忍びに関する論文や、同氏から声をかけられて『戦国の城攻めと忍び』(吉川弘文館)に寄稿したのを機に、天正2年における羽生城攻防について改めて考えた。北条氏はなぜ羽生城を力攻めにしなかったのか?自落後、羽生領はなぜ成田氏に接収されたのか?自分の考えは、平井氏の見解とは異なる...なぜ北条氏は羽生城を力攻めにしなかったのか?という謎について

  • 脳に効くのはどんな音?

    夜、急遽コインランドリーへ行く用事ができた。一人、洗濯物と原稿(ゲラ)を抱えてコインランドリーへ足を運ぶ。何度か使ったことのある店だ。以前、大音量でマンボが流れていたのを覚えていた。あれを聞きながら校正するのか……。いささか気が重かった。夜だから車内で作業はできない。家に戻るには微妙な待ち時間である。仕方なく、店内のベンチに腰掛けてゲラを広げた。いまの文量から、30~50枚削らなければならない。それが編集者から出された課題だった。我ながら、小難しいものを書いてしまったと思う。情報量が多い。ゆえに、重複しているところ、説明しすぎている部分、回りくどい表現、もったいぶった言い回しなどを優先して削除していく。店内にはマンボが流れていた。店内に客はまばらで、乾燥機から洗濯物を取り出しては去っていく。話し声も笑い声...脳に効くのはどんな音?

  • 羽生の“公民館”はいつできたのか?

    公民館は“地域の学校”と言っても過言ではない。図書館・博物館と並んで、生涯学習の拠点に位置付けられる。では、羽生市内において公民館はいつ設置されたのだろう。現在、市内には9館の公民館が存在する。全館が同時に建てられたわけではない。段階を経て誕生している。最初に設置されたのは新郷公民館だった。昭和24年9月29日のことである。「社会教育法」の制定と同年のため、早い時期の設置だったことになる。次にできたのは岩瀬地区。同25年5月の設置だった。同26年11月には井泉、翌年8月には手子林という順番を経る。そして、同28年4月に羽生町・須影・川俣・村君・三田ヶ谷にそれぞれ公民館が置かれた。羽生市制施行が昭和29年だから、「村」及び「町」に設置されたことになる。ただ、設置と言ってもそう単純なものではなかった。財政困窮...羽生の“公民館”はいつできたのか?

  • GWはさきたま古墳群の“周辺”古墳をハシゴする?

    4月29日午後、編集者のY氏と打ち合わせ予定だった。午前に図書館へ足を延ばし、ひと作業したいところだったが、妻は仕事の関係でどうしても職場に行かなければならないという。Eテレをつけると、劇場版「おしり探偵」が放映されていた。シリアティ教授が登場する作品である。休職から職場復帰する直前、子ども2人を連れて観に行ったことがある。あの頃娘は保育園児だったが、いまや小学生である。月日の流れは速い。初夏と言えば古墳。さきたま古墳群周辺の古墳を訪ねることにした。子どものテンションは無視して、“八幡山古墳”(埼玉県行田市)へ足を運ぶ。周知のように、石室がむき出しになっており、関東の石舞台と言われる古墳である。過去に何度か子どもを連れてきたことがあったが、いかんせん幼すぎたらしい。初めて目にするテンションで石室の中に入る...GWはさきたま古墳群の“周辺”古墳をハシゴする?

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