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クニの部屋 −北武蔵の風土記− https://blog.goo.ne.jp/kuni-furutone118/

北武蔵を中心とした歴史を紹介。地方のあまり知られていない城や古墳などを発掘します。

高鳥邦仁
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2006/06/13

高鳥邦仁さんの人気ランキング

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  • 羽生城な1日

    羽生城な1日

    論文の手直し。書籍化予定の原稿を読み直し。背広を着て、講演台の前に立った。論文も書籍も講演の演題も、みんな羽生城でつながっていた。今日は、そんな羽生城な1日。冨田勝治先生の墓前に手を合わせた。ワクワクして先生の論文を読んだ20代とは違って、いま読み返すと巨石のように感じる。先生の域には達していない。退職校長会に呼ばれたのは何年ぶりだっただろう。浅学者ながら、戦国期の羽生城をめぐる攻防をテーマに講演をさせていただいた。羽生城史は変わっていないはずなのに、歴史を捉える自分自身が変化しているのを感じる。史料の捉え方や解釈の仕方があの頃とは違う。それは新史料の発見によるものもあれば、研究の進展もあり、あるいはこれまでの仕事上の経験がそうさせることもある。一方で、見当違いな解釈をしていないか、目を通さなければいけな...羽生城な1日

  • 壁にぶつかったとき、わずかでも……

    壁にぶつかったとき、わずかでも……

    3月はなるべく穏やかに過ごそうと心がけているのに、毎年バタつく。詰めなければならない事業、切られるのを待つ伝票たち、あくびをしながらこちらを見ている実績報告書、腕を組んで構えている来年度の契約書や申請書……。その他、組織改正に伴う荷物の運搬があって、慌ただしさに目が回る。3月、編集者のY氏と打ち合わせをした。改めて編集方針を話し合うと案外すっきりした。なるほどそういうことか。テトリス棒が溝にはまった音が聞こえた気がした。以前渡した原稿は、行動規制を余儀なくされたコロナ禍を挟んだせいか、原稿用紙800枚を超えていた。さすがに書きすぎた。ゆえにY氏を煩わせることになり、どのような形にするか、これまで何度となく話し合ったが、漠然としたまま月日が流れた。ここに来て、版元の編集方針がはっきり見えた。改めて原稿を読み...壁にぶつかったとき、わずかでも……

  • 特別展「鉢形城主 北条氏邦」が埼玉で開催されている?

    特別展「鉢形城主 北条氏邦」が埼玉で開催されている?

    特別展「鉢形城主北条氏邦」が、埼玉県立歴史と民俗の博物館で開催されている。多くの古文書が展示されている中、兜や刀剣、十二神将も特別展を彩っており、子どもたちはやはりそちらに食いついていた。管見によるが、同館で中世の歴史をこれだけガッツリ取り上げるのは初めて見たかもしれない。令和6年5月6日までの開催だから、もう一度見に行きたい。新年度になれば、仕事で同館を訪ねる機会がありそうだから、そのときがチャンスかも。昼過ぎから妖しくなり始めた雲行きは、いつの間にか雨を降らせていた。博物館内の静けさが深くなった気がした。体験コーナーで、たくさんの子どもたちが賑やかに資料と触れているのに、博物館独特の静けさがある。初めて一人で同館を訪れたのは平日の昼間で、そのときの静けさが脳に焼き付いているからなのかもしれない。博物館...特別展「鉢形城主北条氏邦」が埼玉で開催されている?

  • 夜に訪ねる水海城は?

    夜に訪ねる水海城は?

    水海城(茨城県古河市)は夜闇に沈んでいた。深夜というほどではないが、夜はだいぶ更けていた。が、思い立ったが吉日。一人車を走らせ、利根川を渡った。最後に水海城址へ足を運んだのはだいぶ前になる。文献上では何度も目にしていた城だから、よく足を運んでいる気がしていたのかもしれない。それに、関宿城(同県野田市)が近い。同城を並べてしまうと、個人的な親近感もあって、どうしても水海城は後回しになってしまう。とはいえ、両城とも簗田氏と関係の深い城である。簗田氏が関宿へ移る前は水海城を本拠にしており、その城跡は「南部地域」にあったと考えられている。発掘調査が実施されたのは「内水海」地区で、神明社付近が城跡に比定される。内水海の城は、南部地域の城よりも新しく構築されたとみられている。政治的にも軍事的にも重視された城だが、遺構...夜に訪ねる水海城は?

  • ガキは夢見て終わるが、大人は……?

    ガキは夢見て終わるが、大人は……?

    S君は90年代半ばに販売されたというブーツを履いていた。ネットで購入したらしい。「あの頃手が出せなかったものを買ったよ」と、S君は言った。90年代半ばというと、僕らは16、7歳になる。そのブーツがどのくらいの金額なのかは聞きそびれた。当時僕はそば屋でバイトをしていたが、1万円を超えるものは「高値」だったし、数万円ともなれば手を出すことはできなかった。10代から20代にかけて、高値で買えなかったものはたくさんあった。いまよりも物欲があり、好奇心もあった。が、警戒心もあって、高値のものに手を出すのにはどうしても身構えた。車の改造にお金をつぎ込む同世代は別格に見えたし、銀座のまわらない鮨屋の常連客は、「小僧の神様」(志賀直哉)のような住む世界が異なる人のようだった。いま思えば、それは少年(小僧)と大人の違いだっ...ガキは夢見て終わるが、大人は……?

  • 戦国期の羽生城をめぐる攻防、の話

    戦国期の羽生城をめぐる攻防、の話

    「埼玉史談」を発行する埼玉県郷土文化会から依頼を受け、講師を務めた。タイトルは「戦国期の羽生城をめぐる攻防」。テーマを羽生城に絞って話をするのはいつぶりだろう。会場は羽生市立図書館2階の視聴覚室だった。埼玉県郷土文化会の内野会長から挨拶をいただき、村田副会長が司会を務めて下さった。会場が羽生の図書館だったせいか、20代の記憶が走馬灯のように流れた。自分が28歳だった平成19年だったか、この会場で羽生城をテーマに4回講座の講師を務めたことがある。まだ冨田勝治先生は存命で、自分のような浅学者が人前に立つのはおこがましい限りだったが、あたたかく迎え入れて下さったのを覚えている。冨田先生が逝去したのはその翌年だった。平成20年4月17日に亡くなり、同年夏に先生をモデルに書いた小説が「放課後の羽生城」だった。たまた...戦国期の羽生城をめぐる攻防、の話

  • 代休の午後、足利市立図書館へ

    代休の午後、足利市立図書館へ

    1月某日。半日代休をとって、足利へ足を延ばした。ふと足利が思い浮かんだのは、気まぐれと思い付き。午後の休みに史跡を訪れるのが好きだ。半日だから、それほど遠くは行けない。でも、定時よりは時間があるし、体力も残っている。その町の図書館を訪れるのも好きなことの一つ。足利は史跡が多い。そのせいか図書館が死角になっていたことに気付く。鑁阿寺や織姫神社には目もくれず、まっすぐ足利市立図書館へ行く。同館の開館は昭和55年ということから、自分と同年代ということになる。レンガ調の建物で、足利市らしい歴史的雰囲気の佇まいである。その図書館のカラーを見るのに、自分は参考調査室・郷土資料室を基準にしている。その館でしか出会えない資料がある。地元の人が調べてまとめたものや、ガリ版刷りの報告書などがそれにあたる。一方で、流通はしてい...代休の午後、足利市立図書館へ

  • 埼玉大学からの「卒業まで」

    埼玉大学からの「卒業まで」

    調査報告検討会。ムジナモに関する仕事で埼玉大学へ行く。それぞれ専門的な観点から調査した今年度の結果を報告し合う。毎年春先に開かれるこの会を楽しみにしている。北浦和駅で下車してバスに揺られる。金子康子教授の研究室のドアを開き、「知」に触れる。この仕事をしていなければ、出会わなかった世界かもしれない。静かな語り口調でも、その言葉の一つ一つが熱い。冷たい風が吹き荒れていた。そのせいとクスリを忘れたせいかもしれない。一人になると、悲しいわけでも苦しいわけでもないのに時々にわか雨に見舞われる。検討会が終わったあと、同大学の図書館へ足を運ぶ。なぜだろう。脈絡もなく、遠い記憶が浮かんでは消えていく。書架に手を伸ばしても、つかみたいものはずっと遠くにある気がした。混雑したバスに揺られて北浦和駅へ戻る。駅前の居酒屋で雨宿り...埼玉大学からの「卒業まで」

  • 日曜の雨は嫌い

    日曜の雨は嫌い

    日々の忙しさでペースが崩れているのを感じる。朝から雨が降っていた。日曜の雨は嫌い。いつも心を塞ぐから。窓の外に城が見える図書館へ足を運ぶ。館内は空いていた。個人机に座り、書き物をする。が、何もしたくない。何も書きたくないし、読みたくない。眠気がまとわりつき、離れそうもなかった。軒から滴り落ちる雨をぼんやり眺めていた。こんな日もある。早めに切り上げて、ランチに魚料理を出す店へ行く。店内は賑わっていた。なんでそんなに楽しそうなのだろう。窓の外は冷たい雨が降っているのに。出したクリーニングを取りに行く。空いていたせいか、店員が珍しく話しかけてきた。明るくて、元気で、クリーニングしたみたいに目がキラキラしている。なぜそんなに明るいのだろう。窓の外では重たい雨が降っているというのに。帰宅して子らと過ごす。妻は買い物...日曜の雨は嫌い

  • 背後から追いかけてくる

    背後から追いかけてくる

    時間が追いかけてくる。バタバタと大きな足音を立てて、背後から迫ってくる。どうしてこんなに忙しくなってしまったのか。メインとなるのは、文化庁に提出する書類作成と郷土芸能発表会の準備。前々から準備をしていたはずなのに、一気に芽吹いてきた感じ。コーヒーを淹れたり、トイレへ行く時間さえもどかしい。たまには机から離れて体を動かしたいし、ムジナモにも会いに行きたいのだが、時間がそれを許さず。仕事のことで同期のTさんを訪ねる。彼女は数字を取り扱っている。机に広がる資料を一見するだけで、難しそうなことをやっているご様子。そんなTさんは古墳好きだ。顔を合わせると、古墳やハニワの話をしてくれる。先日、さきたま古墳群(行田市)へ行ったらしい。丸墓山古墳を登ると、あることに気付いたという。南側の階段は99段、北側は104段あった...背後から追いかけてくる

  • 西新田から熊谷へ、のち雪

    西新田から熊谷へ、のち雪

    羽生市内の西新田集会所で学級が開かれ、依頼を受けて講師を務める。テーマは新郷地区の歴史と文化財。少し早めに家を出て、羽生市上新郷に鎮座する白山神社を訪れた。空は青く、午後から雪が降る予報が嘘のように晴れ渡っていた。利根川の拡幅工事がすぐそこまで迫っている。社殿はすでに南へ移動済。土台だけを残す旧社殿は、いずれも土手下に埋もれてしまうのだろう。ここに来るたび、あの年の秋を思い出す。当時、境内は木々が鬱蒼と生い茂っていた。高木が数本立ち、隠れ家的な雰囲気に包まれていた。ここに加藤清正にまつわる伝説が眠っていることなど、当時は知る由もない。明治43年の大水では、現在の白山神社から東手で堤防が切れたという。中学生の頃や1994年の冬、土手中腹のサイクリングロードを使って利根大堰へ向かった。そこを通るたび、意味深に...西新田から熊谷へ、のち雪

  • 5度の期せずして

    5度の期せずして

    羽生市内の須影小学校が創立されて150年が経つ。最初は「日正小学校」という校名だった。その150周年記念行事が執り行われる。期せずして河田羽生市長と電話でお話をする。今日はここから始まった気がする。いつもと違う金曜日が始まる予感。それにしても、150年という年輪の中に我々も刻まれているかと思うと感慨深い。午前、羽生郷土研究会からの依頼を受けて講師をさせていただく。思えば、同会を知ってから20年が経つ。20代半ばだった僕にとって、何にも代えがたいご縁だった。右も左もわからぬ若造を優しく迎え入れてくれた。羽生郷土研究会に育てていただいたようなものである。自分が講師などおこがましい。先日も、間仁田会長から資料をいただいたばかりだった。今回も色々なことを教わり、逆に勉強させていただく。午後、ずっとバタバタしていた...5度の期せずして

  • それでも午後はやってくる

    それでも午後はやってくる

    浮き沈みの激しい1日。動くと凶が出る。やることなすこと裏目に出る。そんな日がある。だから、じっと静かにしようと思う。なのに、向こうから電話を鳴り、よくない知らせを伝えてくる。聞きたくない情報を伝えてくる。こんな日は、人里離れて電話も何もないところに籠っていたい。が、全て沈んでいたかと言えば、いくつかの“浮き”があった。昼休み、たまたまそば屋の「よしの」へ行くと、下羽生のS君とばったり会った。息子と二人で食べに来たらしい。会うのはいつぶりか。息子さんはだいぶ大きくなっていた。来年は中学生らしい。S君の姪っ子は今年二十歳になったというし、「じい」「ばあ」と呼ばれる日もそう遠くないのかもしれない。思わぬ対面に、ぎりぎりまで「よしの」で過ごす。議員になったという同級生、自分も何度か顔を合わせたS君のコミュニティが...それでも午後はやってくる

  • よくわからぬものを……

    よくわからぬものを……

    暮れから取り掛かっていた原稿を、台所でひと通り書き終える。よくわからぬものとなった。何を書きたかったのか。何を考えたかったのか。ただ、紙を文字で汚しただけではなかったか。つまらぬ。笑えぬ。燃え尽きぬ。よくわからぬものを……

  • 子をつれて“カスリーン公園”へ

    子をつれて“カスリーン公園”へ

    冬休み最終日。西風が吹き荒れる中、西へ向かう。旧川里町(現鴻巣市)と行田。書き物をする。ペンをあれこれ変えず、万年筆一本でいく。記憶の断片を切り取った文章を綴る。エッセイというより散文詩か。なぜか英文を読みたくなって、カーペンターズの「RainyDaysAndMondays」の詞を書き写した。英文の詞を書写するなど初めて。西風の影響か。万年筆は書き心地がいいし、疲れない。インクの色も綺麗だ。なので、職場で書類を発送するときは、封書と一筆箋はなるべく万年筆を使っている。鮮やかなインクの色とは違い、自分の字は綺麗ではないのが難点だが。生活用品を買うのに、ベルク行田長野店へ立ち寄った。店に入りかけた途端、同店で高校の同級生がバイトしていたかもしれないことを突如思い出す。いや、気のせいか。熊谷の結婚式場でもバイト...子をつれて“カスリーン公園”へ

  • 子はわからぬ父の二十歳の写真

    子はわからぬ父の二十歳の写真

    羽生市の「二十歳の集い」(成人式)は、産業文化ホールで開催された。ので、出勤する。今年は受付係を担当。昨年は新型コロナにかかって迷惑をかけたので、万難を排して臨んだ(つもり)。仕事の都合上、毎年のように成人式を目にする。そのたびごとに、二十歳の自分と再会する。髪を染め、ピアスをして、タバコを吸っていたあの頃。まるで別人である。その頃の写真を子に見せたら、父親がどれかわからなかった。二十歳の子たちに、もはや知っている顔はない。知っている顔があるとすれば、同伴の保護者の方だろう。子どもが二十歳を迎えた同級生を何人か知っている。それが自然な年齢に達してしまった。今回は知っている顔は見当たらず。たまたまか、単に気付かなかっただけか……。式は無事に終わり、昼に解散となる。そのまま羽生図書館へ足を運ぶ。今年初めての入...子はわからぬ父の二十歳の写真

  • 子を連れて“新田義貞供養塔”と“金山城主墓碑”へ

    子を連れて“新田義貞供養塔”と“金山城主墓碑”へ

    冬休みも残りわずか。今時の小学生は、タブレットを使っての宿題がある。しかもタイピング練習。自分が小学生のときは「タ」の字もなかった。時代に合わせた教育が考えられているわけで、先生たちも大変だなと思う。子の宿題に付き添いながら原稿を書く。脳におけるゴールデンタイムは午前中にある。宿題も午前にあてた方が能率はいいかもしれない。妻が娘を習い事へ連れて行ったので、息子と出掛ける。羽生の「伊勢屋」で昼食をとる。今年初のラーメン。店内には、明日の「二十歳の集い」に出席するため帰省中とおぼしき若者が多かったような……。その後、群馬県太田市へ足を運ぶ。金龍寺で新田義貞の供養塔と、金山城主由良氏(横瀬氏)の墓碑を詣でる。お寺やお墓へ足を運んだ際は、本殿と墓碑にそれぞれ手を合わせるようにしている。親子並んで合掌した。息子が墓...子を連れて“新田義貞供養塔”と“金山城主墓碑”へ

  • 資料館からやってきた「茨城城郭サミット」

    資料館からやってきた「茨城城郭サミット」

    郷土資料館のY氏と今年初めて顔を合わせる。2月10日に開催される「茨城城郭サミット」のチラシを持ってきてくれた。副題は「茨城県中世城郭跡総合調査成果報告会―県央・県西編―」とあり、2018年度から開始された総合調査が2023年3月に完了したのを受け、携わった研究者が一堂に会し、その魅力を報告するという。三が日に茨城県の逆井城(坂東市)へ行き、茨城の風に吹かれてきたばかりである。行きたい。が、2月10日は郷土芸能発表会のリハーサルが入っている。作家京極夏彦氏の講演会が、さいたま文学館で開催されたときと同じパターンである。100歩譲って、埼玉県内ならかろうじて行けるかもしれないが、会場が茨城県笠間市では手も足も出ない。職場の窓から、ぼんやりかすむ筑波山が見えた。筑波山はいつ見ても美しい。手の届かぬ憧れの人のよ...資料館からやってきた「茨城城郭サミット」

  • 仕事始めに大阪の古墳とハニワの話

    仕事始めに大阪の古墳とハニワの話

    仕事始めの日。道は案外空いていた。子らを実家に預ける。両親に感謝。仕事納めの式がつい昨日のことのように感じる。能登半島地震と羽田空港事故の話題が何度も出た。「よいお年を」と言っていた年末、まさかこんな年明けになるとは思いもしなかった。今週末には、成人式ならぬ「二十歳の集い」が待っている。担当する係はバタバタ忙しそう。担当者はこの大きなイベントを見据えて年末年始を迎えたことになる。自分がその立場だったら、休みどころの気分ではないだろうな。仕事のできる人は段取りをしっかり組んで、オンとオフを使い分けているに違いない。連絡ボックスの前で同期のTさんに会う。大阪で開催された息子の試合に付き添いつつ、密かに狙っていた古墳訪問を成就できたという。足を運んだのは、大阪市藤井寺市にある古墳。(正式名称は裏を取ってから書こ...仕事始めに大阪の古墳とハニワの話

  • 三が日の羽生とイオン

    三が日の羽生とイオン

    年賀のあいさつに実家へ行く。妹一家も来て、子どもたちはいとこたちと楽しそうに遊んでいた。自分の幼い頃の記憶と重なる。母方の実家の祖母が亡くなったのは昨年だった。わかってはいるが、1980年代の正月の光景はもう二度と見ることはできない。幼い頃に見た祖父母の笑顔が消え、心の隙間を感じる。いまの住まいで使用頻度が少なくなった本を実家へ持っていく。代わりに必要になった本を持ち帰る。2冊、行方不明の本がある。実家にあると思っていたが、どうしても見付からない。(逆に重複して買ってしまった本が発覚)一体どこへ行ってしまったのだろう。必要なときに限って、神隠しが起こるのはなぜなのか。空は朝から薄曇りで気分が塞ぐ。昨日の余熱を逃さず、『茨城県史通史編』と、国衆を論じた埼玉県内の市町村史を再読する。どこかへ足を運ぶと、目に映...三が日の羽生とイオン

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