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ブログタイトル
クニの部屋 −北武蔵の風土記−
ブログURL
https://blog.goo.ne.jp/kuni-furutone118/
ブログ紹介文
北武蔵を中心とした歴史を紹介。地方のあまり知られていない城や古墳などを発掘します。
更新頻度(1年)

43回 / 365日(平均0.8回/週)

ブログ村参加:2006/06/13

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高鳥邦仁さん
ブログタイトル
クニの部屋 −北武蔵の風土記−
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43回 / 365日(平均0.8回/週)
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クニの部屋 −北武蔵の風土記−

高鳥邦仁さんの新着記事

1件〜30件

  • 席向かいの小説準備家

    手に取ること自体、本からの声を無意識に受け取っているのかもしれません。そこで目に留まったのは、チクチクと胸に痛いコトノハ。我々研究者にとって、まともに研究できるのは二〇~三〇年くらいしかない、この間、大きな研究テーマを追求するのは、一~三程度しかできないであろう。そのなかでの小さなテーマだけをとってみても最低二~三年を要すると考えれば、生涯に真剣に取り組める小テーマでさえしょせん多くはないのである。(中略)ボルテージの最も高いうちにまとめるべきであって、もう少し勉強してからということで延ばしていったら、結局そのままになってしまう場合が多い。(矢田俊文記「「研究すること」と「活字にすること」」より。『矢田俊文著作集第四集公立大学論(下)平成の大学改革の現場実践録』社原書房収録)鉄は熱い内に打てとはよく言ったもので...席向かいの小説準備家

  • 書きあぐねたときの“中島敦”のコトノハ

    昨年の秋口だったでしょうか、その頃から書き始めている原稿が終わりません。まだまだ時間がかかりそうです。いえ、草稿としては一通りまとまってはいるのです。が、読み返すと書き直さなければならない節がたくさんありすぎて、調べては書き、書いては調べての連続で、書き直しを含めると千枚は越えたかもしれません。3冊目となる(予定の)この原稿は、戦国時代をテーマにしています。満を期して取り組みましたが、改めて自分の未熟さを実感するばかりです。このブログでも取り上げたテーマがいくつかあっても、資料に目を通せば「本当にそうかな?」と疑念が湧いて立ち止まってしまうのです。苦しい。つらい。訊いて答えが返ってくる部類ならば、教えを乞いたい。そう思うこともしばしば。というのも、資料が少なくて推論に推論を重ねざるを得ないものが多々あるからです...書きあぐねたときの“中島敦”のコトノハ

  • 1996年以降の「秀吉」の後ろ姿

    NHKの「名場面スペシャル」で1996年の大河ドラマ「秀吉」が放送されました。やはりいいですね。前にも記しましたが、僕にとって初めて自分の意志で観た大河ドラマでした。当時17歳だっただけに、「秀吉」は青春の一つです。大河ドラマの原作になった堺屋太一の『秀吉』は、上中下巻の長編小説です。41歳になったいまもときどき読み返すことがあります。この小説には副題がついていました。すなわち、「秀吉―夢を超えた男―」秀吉は夢に生き、命を燃やし、その夢を超えた男でした。そのように描き出されたのが1996年版「秀吉」だったと思います。ちなみに、秀吉役の俳優竹中直人は、「黒田官兵衛」でも同役を演じました。この作品は秀吉の朝鮮出兵や晩年が描かれており、1996年版とは違う意味でとても見どころがありました。天下統一後は「堕ちていく秀吉...1996年以降の「秀吉」の後ろ姿

  • 1996年以降の「秀吉」の後ろ姿

    NHKの「名場面スペシャル」で1996年の大河ドラマ「秀吉」が放送されました。やはりいいですね。前にも記しましたが、僕にとって初めて自分の意志で観た大河ドラマでした。当時17歳だっただけに、「秀吉」は青春の一つです。大河ドラマの原作になった堺屋太一の『秀吉』は、上中下巻の長編小説です。41歳になったいまもときどき読み返すことがあります。この小説には副題がついていました。すなわち、「秀吉―夢を超えた男―」秀吉は夢に生き、命を燃やし、その夢を超えた男でした。そのように描き出されたのが1996年版「秀吉」だったと思います。ちなみに、秀吉役の俳優竹中直人は、「黒田官兵衛」でも同役を演じました。この作品は秀吉の朝鮮出兵や晩年が描かれており、1996年版とは違う意味でとても見どころがありました。天下統一後は「堕ちていく秀吉...1996年以降の「秀吉」の後ろ姿

  • 1996年の大河ドラマ「秀吉」と『信長公記』

    7月12日に「名場面スペシャル」で取り上げられるという大河ドラマ「秀吉」。1996年の放送です。個人的なことですが、初めて自分の意志で観た大河ドラマは「秀吉」でした。最初から観ていたわけではなく、桶狭間の戦い辺りから大河ドラマの世界に入ったのを覚えています。秀吉を演じるのは竹中直人氏で、信長役は渡哲也氏でした。このドラマの特徴は、秀吉と石川五右衛門(赤井英和)が知人同士という設定にあったことだと思います。両者はひょんなきっかけで知り合い、共に織田信長に仕官するものの、信長の描く未来と自分の考える世の中に隔たりを覚えた五右衛門は、やがて織田家から離れます。秀吉は織田家に仕えて出世していく一方、自らの理想を叶えるために講を立ち上げて、突き進んでいく五右衛門。そんな光と影とも言える対照的な二人を描いているのも見どころ...1996年の大河ドラマ「秀吉」と『信長公記』

  • 古い友人のように夏目漱石や太宰治に会いに行く?

    心が疲れてくると、夏目漱石の『草枕』の書き出しを目にします。山路を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角人の世は住みにくい。古い友人と一緒にラーメンを食べる機会がありました。旧友というのは、例え一緒お酒を呑めば簡単に酔えるほど気兼ねないものです。そういえば、彼は中学3年生のときに『吾輩は猫である』を読んでいました。僕もつられて角川文庫版の同書を購入。近くの席にいた酒屋の息子は、新潮文庫版を買いに行ったのを覚えています。高校時代の教科書に『こころ』の第三部が掲載され、千円札としても親しんだ夏目漱石ですが、40歳を越えて読み返してみると、共感できる部分もあれば、なんだかなぁと思うところもあります。例えば『道草』の九十三章。やや大きな地震が起こると、主人公の健三は奥...古い友人のように夏目漱石や太宰治に会いに行く?

  • 6月に入って……

    町のあちこちで満開に咲くアジサイを見かけるようになりました。車を運転していても、つい止まって見つめたくなります。天気も雨か曇りが好きなので、個人的には6月は情緒的で詩的に感じます。ところで、アジサイを見るとふと思い浮かぶのはジッタリンジンの「相合傘」。17歳のときに初めて知った曲ですが、41歳になったいまも聴き続けています。歌詞に描かれる「紫陽花」は、不思議とあの頃よりも詩的です。帰り道回り道君がとおる公園で六月の雨に光る紫陽花を見つけた(作詞:破矢ジンタ)「雨に光る」ということは、雨上がりなのでしょう。アジサイの花言葉は「移り気」。「相合傘」の歌詞に“移り気”の要素はありませんが、人の心は恋愛に限らず色とりどりのアジサイの花のようかもしれません。歌詞に植物が出てくる曲として、GLAYの『BELOVED』もあり...6月に入って……

  • キープとルビが振られる“男友達”と「小田原衆所領役帳」

    “ろびこ”氏が描いた『僕と君の大切な話』(講談社)に、こんなセリフが出てきます(4巻)。そして男の好意を受け入れることなく、受け取るべく女が編み出した搾取システム、それが「男友達」だ言うなれば「キープ」、女の言う「男友達」にはもれなく「キープ」と読み仮名を振っておいてほしいくらいだ断言しよう。「男友達」と称された男がその女性と付き合える可能性はほぼないこの作品は、価値観の異なる者同士、違う星に住む者同士が、言葉を通じて相手を知り、通じ合うことができるか?をテーマにしています。上のセリフは男子主人公の「東くん」が述べたもの。セリフに含まれる悪意と偏見は、ストーリーを進めていく上での意図的なものです。むろん、全ての女性に当てはまるわけではないでしょう。「人として尊敬できるから友人ということだって十分あると思うけど」...キープとルビが振られる“男友達”と「小田原衆所領役帳」

  • 想像し続ける“もう一つ”の……

    ときどき、『となりの怪物くん』(講談社)というマンガを読み返します。2008年から2013年にかけて連載されていた“ろびこ”氏の作品です。何度読み返したかわかりません。この作品を読みたくなるタイミングがどんなときなのか未だ掴めていませんが、ふと手に取ればそのまま世界に入り込んでしまいます。高校生が主人公の群像劇です。基調は恋愛路線ではあるものの、他者とうまくかみ合わず、心に孤独を抱えた居場所のない者たちが、大切な人を通して自分自身を見つめていくという要素が入っています。読んでも懐かしさはありません。面白いものの、胸が痛くなります。うまく立ち回れず、感情的に背を向け、たぶん色々なものを失ってしまったことに対して伴う痛み。そんな感情はほかの作品を読んでもほとんど生じません。ろびこ氏は、『となりの怪物くん』のあとに『...想像し続ける“もう一つ”の……

  • さまよい辿り着いた「羽生城」に

    蔵書に埋め尽くされた部屋で、一人資料と向き合うその人は異端に見えました。冨田勝治。およそ80年間、羽生城研究を続けていた人です。地域史に興味を持ってから何度も冨田氏の名前を目にし、この人は一体何者なのだろうと思いながら、その著書や論文を読んでいました。僕が地域史に興味を持ったのは20歳くらいのときで、同世代にそれを言えば「年寄りくさい」「地味」「そんなの知って何の役に立つの?」と、いう言葉が返ってきたものです。彼・彼女たちの言葉は的を射ていましたが、一人好奇心の赴くまま荒野の中を彷徨。すると、辿り着いたのが冨田勝治氏の書斎でした。南向きのその部屋は、四方八方が蔵書で埋まっていました。いずれも歴史系の専門書で、文芸書の類が一冊もなかったのが特徴だったかもしれません。まさに研究室で、もう一つの「羽生城」でした。一人...さまよい辿り着いた「羽生城」に

  • 長尾・由良両氏の小泉城攻めと古海合戦

    群馬県に住むいとこがいて、伯母・伯母のことを「群馬のおじちゃん・おばちゃん」と呼んでいました。幼い頃に泊まりに行ったことがあり、翌日に妻沼のプールへ行ったことはいまも楽しい思い出として残っています。そんな親戚の住む「群馬」が“大泉町”と知るのは、しばらくあとになってからのことです。そして、その大泉町に城があると知ったのは20歳を越えた頃だったでしょうか。その城の名は小泉城。現在は公園になっており、土塁と堀が残っています。小泉城で特筆されるのは、城主富岡氏の文書の存在でしょう。所在不明となった原本は少なくないものの、写しが現存しており、関東戦国史の解明に寄与していることは言うまでもありません。また、その時代に生きた人々の軌跡に彩りを添えています。北関東を舞台にした“沼尻の合戦”が勃発する一連の流れで、端緒となった...長尾・由良両氏の小泉城攻めと古海合戦

  • 羽生のキャラがSTAY HOMEの親子を楽しませる?

    緊急事態宣言により、公共施設の多くはお休みです。その一つに図書館。これほど長い期間に図書館へ足を運ばないのは初めて、という方も多いのではないでしょうか。羽生市立図書館では、在宅で頑張る親子を対象に、“ムジナもん”の絵本や紙芝居の動画配信を始めました。ムジナもんとは羽生市のキャラクターです。ほかにも“いがまんちゃん”や“フナどん”、“いたっち”など、ゆかいで楽しい仲間たちがたくさんいます。そんなムジナもんたちが登場する絵本や紙芝居があり、図書館で借りて読むことができないので、代わりに動画で観られるというわけです。絵本や紙芝居の内容は次の3つ。絵本「ぼく、だあれ?」(4分)絵本「ムジナもんのはっぱさがし」(4分30秒)紙芝居「たべものだいすき」(11分30秒)このご時世ならではの取り組みですね。ユーチューブで気軽に...羽生のキャラがSTAYHOMEの親子を楽しませる?

  • ハニワや館跡のある“鴻巣”へ行くと……

    緊急事態宣言が出る前までは、子どもを連れて「クレア鴻巣」へしばしば行っていました。同所の一角に“生出塚遺跡”の出土遺物が展示されているからです。同遺跡はハニワを造成した窯が検出されたことで知られています。さきたま古墳群も生出塚で作られたハニワが使用されており、当時はハニワの一大産地だったのでしょう。いまは窯跡を見ることはできませんが、生出塚から出土した特徴あるハニワの一部を「クレア鴻巣」で目にすることができるわけです。鴻巣には行列ができるラーメン店もあるし、伊奈氏の墓碑も勝願寺で見ることができますね。地域史に関心を持つきっかけが利根川だったので、伊奈忠次の墓碑を初めて目にしたときのときめきはいまでもよく覚えています。小松姫や福島東雄など多くの著名人も眠っており、若い頃は後者をモデルにした原稿を書いたこともありま...ハニワや館跡のある“鴻巣”へ行くと……

  • 天正4年の“上杉謙信”の上野・下野攻め

    天正2年(1574)に関東各地を焼き尽くし、羽生城を自落させた上杉謙信は、その年が最後の越山と捉えられていました。しかし、その後の研究により、天正2年以降も何度か越山していたと見られるようになります。永禄年間のような頻度ではないにせよ、天正2年が最後ではなかったということです。その一つが天正4年に比定される上野国・下野国進攻です。天正2年に羽生・関宿両城の陥落によって、利根川防衛ラインが破られたことが悔しかったのでしょう。鬱憤を晴らすかごとく、両国に攻め攻め入るのです(『上越市史』№1290)。(前略)如啓先段、赤石・新田・足利迄誠ニ奇麗ニ田畠共ニ七尺返候、はやばや弱もの落来申分者、地下人ハ不及申給人迄、利根南ヘ妻子を引連落由申候関東越山数年ニ候得共、如今般之敵々詰候時分ハ無之由各申候取分丹後守父子慶申候、渡瀬...天正4年の“上杉謙信”の上野・下野攻め

  • 外出自粛の自宅で“タイムスリップ”? ―『行田加須羽生の昭和』―

    外出自粛なので、自宅でちょっとタイムスリップしませんか。時代は昭和。2019年に刊行された“いき出版”の『行田加須羽生の昭和』を繙けば、たちまち昭和の時代へ連れて行ってくれます。というのも、昭和における三市の古写真が掲載されているからです。川で泳ぐ少年、商工祭(産業祭)で行われていた“仮装行列”や“ミス東京”のパレード、町中のあちこちに建っていたアーチ、昭和の駅舎や駅前の風景、戦中の消火訓練の様子や、三市それぞれで勃興する産業に携わる人びとなど、いまは目にできないものばかりです。羽生市須影に洋裁学校があったなんて本書で初めて知りましたし、加須駅近くの千方神社境内にはかつて池があり、いまでも石敢當の建つ小さな土山は、池を掘ったときの土ということ。また、行田を流れる見沼代用水路の整備の様子などは、星川に関心を持つ身...外出自粛の自宅で“タイムスリップ”?―『行田加須羽生の昭和』―

  • 作家の卵たちと闇鍋のあとに……

    前回触れた『それでも作家になりたい人のブックガイド』(スガ秀実・渡部直己共著、太田出版)を読んだのは、1997年の春でした。本書はベストセラーになったので、僕の周囲にも愛読者はいました。あの頃、近くには比較的多くの「作家の卵」が存在していたものです。携帯電話はあってもスマートフォンではなく、SNSも一般的ではなかった1997年において、すでに若者の読書離れは言われていましたが、「小説」に限らず文字で表現したい人は多く存在していたと思います。「活字離れ」とは無関係のごとく彼らは本を読んでいました。何者かになりたくて、ひとかどの人間になりたくて、積み上げられた本。窓際の席で静かにページをめくる彼らの横顔は、近寄り難い魅力を湛えながら、どこか憂いを帯びていたのを覚えています。目指すものがありました。そんな彼らから影響...作家の卵たちと闇鍋のあとに……

  • 天正4年(1576)、金山城の由良氏による“膳城”攻め

    『ドラゴンボール』(鳥山明・集英社)の初期において、触った人間をニンジンに変えてしまう“トカニンジン”というキャラクターがいました。孫悟空と戦ったあと、月に送られて終了。その後の消息は不明です。管見によれば、その後トカニンジンは再登場していないはずです。ただ、トカニンジンの行方が心配になったことがあります。それは孫悟空とジャッキー・チュン(亀仙人)が激闘を繰り広げた天下一舞踏会のとき。大猿に化けた孫悟空を止めるため、ジャッキー・チュンはかめはめ波で月を破壊。そう、トカニンジンがいるはずの月を吹き飛ばしてしまうのです。トカニンジンはどうなったのか?すでに月を離れ不在だったのか?あるいは月と共に消えてしまったのか……?先述のとおり、トカニンジンは二度と登場しないため行方は不明です。それと似た感覚を覚えるのは、天正4...天正4年(1576)、金山城の由良氏による“膳城”攻め

  • 1990年代の『それでも作家に……』をそれでも読む?

    外出自粛のため、むかし読んだ本を再読している人も多いと思います。年齢を重ねると、読み方もだいぶ変わるものです。むかし読んだ本を繙くことは、かつての自分との再会することと似ているかもしれません。18歳のときに出会い、ぶっとんだ本があります。それは1993年に刊行された『それでも作家になりたい人のためのブックガイド』(太田出版)。41歳になったいまも、この本には強烈な吸引力を感じます。文芸批評家のスガ秀実氏と渡部直己氏の共著です。僕は1997年にこれを手に取ったのですが、ぶっ飛びました。「読書」という概念が、180度ひっくり返ったのも同然だったからです。漫然と読んでいてはダメ。趣味の読書ではダメ。それまで、書店や図書館で面白そうな本を選ぶという読書だったのですが、それを全否定された気分でした。どの本を、いかに読むか...1990年代の『それでも作家に……』をそれでも読む?

  • 北条氏政が欲したのは“験”ではなく…… ―榎本城攻城戦―

    外出自粛でなかなか城や館跡にも行けませんね。なので、文献や古文書を繙いて戦国時代の旅に出てみましょう。3年前の初夏だったでしょうか。幼子2人を連れて“榎本城”(栃木県栃木市)へ足を運んだことがあります。少し多めのオムツとおしりふき、ベビーカーを車に積んで、父子3人の榎本城址訪問でした。さて、羽生城(埼玉県羽生市)が自落したのは天正2年(1574)閏11月のことです。同時期に関宿城(千葉県野田市)が開城。後北条氏としては、羽生城が自落したことによって武蔵国が平定され、一国を得るに等しいと言われた関宿城を掌握したのですから、上杉謙信との戦いに一つの決着がついたと言っても過言ではありませんでした。その後、後北条氏は北関東への勢力伸長を画策します。まず狙いを付けたのが、祇園城(栃木県小山市)とその支城の榎本城でした。羽...北条氏政が欲したのは“験”ではなく……―榎本城攻城戦―

  • 羽生城主は上杉謙信から“藤岡”を与えられる予定だった?

    永禄13年(1570)1月5日日付の宛名のない上杉謙信(当時は輝虎)の起請文があります。この起請文の大きな特徴は、謙信の花押の表に血痕があることです。この血判はおそらく謙信自身の血液でしょう。佐野城攻めに参陣した某者に対し、「先忠の験いよいよ感じ入り、輝虎存命の内は忘失あるまじく候」として、「藤岡」の地を与えると書き綴っています(「上杉家文書」)。今度当口え出馬処、世間不見合則着陳(陣)、先忠之験弥感入候、輝虎存命之内者、忘失有間敷候、然者、任先約、藤岡可出置候、併無拠備ニ候者、相当以替地可申合候(中略)永禄十三年庚午正月五日輝虎(花押・血判)この「藤岡」の地は、上野国(群馬県藤岡市)や下野国(栃木県栃木市旧藤岡町)が比定されます。ここに見える「当口」は佐野城が比定されるため、その近隣に所在し、佐野城攻略のネッ...羽生城主は上杉謙信から“藤岡”を与えられる予定だった?

  • 城跡にて。“藤岡城”を巡る戦国時代の攻防

    藤岡城(栃木県栃木市)は狭い小径を行ったところにあります。藤岡城の歴史を伝える説明板が“三所神社”の境内に建っていますが、むろんそこだけではなく、その周辺が城跡ということになります。したがって、神社へ向かう小径も城内の一部。神社は台地の上に鎮座しています。その周囲は一段と低くなっており、全体的に低地に台地が突き出す地形となっています。上空から見れば陸の孤島のように見えるでしょう。低地はかつての湿地や沼で、城の守りを固めていました。伝承によれば、平将門による築城とのこと。寛仁2年(1018)に足利成行が再興し、その子孫が「富士」姓を名乗ります。そして、「藤岡」姓に改姓。佐野城の佐野氏の攻撃を受け、藤岡氏は一旦退去したものの、後北条氏の軍事協力を得て取り戻し、幼い城主に代わって茂呂氏が城代を務めたそうです。この茂呂...城跡にて。“藤岡城”を巡る戦国時代の攻防

  • 羽生のセンセイの蔵書 ―上杉謙信の盃―

    80年近く羽生城を研究していた冨田勝治氏に出会ったのは早春で、別れたのも春でした。2004年、先生は95歳で僕は25歳の春だったのをよく覚えています。と言っても、いつも思い出すわけではなく、『越佐史料』を手に取ったときや、春の季節を迎える頃になると、亡き師の顔がふと脳裡によぎるのです。『越佐史料』は、まだ自治体史の刊行が充実していなかった頃、先生の研究を支えた文献です。研究初期において、諸説錯綜した羽生城史を明らかにするには資料が不十分でした。ところが、越後上杉氏の事績を一次資料で追う内容の『越佐史料』を手に入れると、研究は一気に進展。地元で伝えられているような忍城主成田氏の攻撃による落城ではなく、天正2年閏11月に自落したという全容が見えてきたのです。しかも、羽生城が属していたのは武田信玄ではなく上杉謙信。孤...羽生のセンセイの蔵書―上杉謙信の盃―

  • ひとり海へ向かった春の日に ―関宿城と水閘門―

    自転車で利根川の土手沿いをひたすら下り、海へ向かったのは18歳の春でした。具体的な計画もなければ、地図も持たない旅です。わかっているのは、川の果てに海があるということだけ。海が見たい。動機はただそれだけでした。若さ所以だったかもしれません。海の町で泊まるのか、それとも日帰りなのかも決まっておらず、体の奥からわき上がる内的衝動のみでペダルをこぎ続けたのです。海へ向かったあの春の日は、時折自分の生き方と重なる気がします。綿密な計画を立てるわけではなく、地図をも持たず、内的衝動のみで突っ走る。走り出してから考える。情熱と虚無感は常に背中合わせでも、まあ何とかなるだろうと、楽観の方がわずかに上回る。走り続けることが許されるなら、行きつくところまで行ってみたい。途中で自ら見切りをつけることはしたくない。まなざしが海へ向い...ひとり海へ向かった春の日に―関宿城と水閘門―

  • いつもと違うこんな春には…… ―ボッカッチョと鴨長明、プルースト―

    ペストが流行った14世紀のイタリアで、数名の男女が森の館に避難し、日ごと面白い話を語るという小説を書いたのは、ボッカッチョの『デカメロン』でした。2020年3月、新型コロナウィルスの流行で、『デカメロン』を読み直している人もいるかもしれません。多くの児童・生徒が突然の長期春休みに入りました。メディアで連日報じている新型コロナウィルス感染の拡大。我々はいま「歴史」を目撃しているのだと思います。コルク張りの部屋に籠もり、小説を書いたフランスの作家マルセル・プルースト。代表作『失われた時を求めて』は世界文学史に燦然と輝き、日本でも翻訳されたものが何種類も出ています。ストーリーのみの判断で面白いか、つまらないかと言ったら、僕は後者だと思います。でも、『失われた時を求めて』の世界観にはとても憧れます。こんな風に書いてみた...いつもと違うこんな春には……―ボッカッチョと鴨長明、プルースト―

  • 貸したカセットが帰らないのはファミコンあるある?

    2019年の11月16日から12月8日にかけて、秋葉原にて開催された「名前入りカセット展2019」。名前の書かれたファミコンのカセット1000本以上が展示され、そこに自分のものがあれば返却されたそうです。もしかすると僕のカセットもあったかな、とその記事を見てふと思いました。僕らが小学生のときに全盛期を迎えていたファミコン。「高橋名人」や「十六連射」が世間を席捲していたものです。僕のところにファミコンがやってきたのは小学2年生のときでした。祖母を亡くし、鍵っ子となったので両親が買い与えたのでしょう。当時、羽生本町通りにあった「ジャスコ」で買い、最初にやってきたカセットは「スーパーマリオ」だったのをよく覚えています。以来、新しいカセットの到来は、父親がパチンコで勝ったときや、ソロバンの進級試験で合格したとき、あるい...貸したカセットが帰らないのはファミコンあるある?

  • ひとり訪ねる佐野の町は……

    “さのまる”のいる佐野市へ足を運んだのは春のせいかもしれません。20代の頃、S君の家に泊まった翌日にしばしば足を運んでいたのは佐野のアウトレットで、その季節は春が多かったように思います。佐野の地に立って初めて気付いたのは、ひとりで訪れるのは初めてということ。佐野を訪れるときはS君をはじめ、横には決まって誰かがいました。41歳になって初めて知る事実。選択は全て自由意志です。足を運んだのは佐野市立図書館でした。2階の特別室に入り、郷土資料を眺めます。埼玉県内ではなかなか蔵書されていない本がたくさん並び、書架を眺めているだけで新鮮な気分になります。(無論、僕の本はなかったけれど……)郷土資料に限っては、県が異なるとその地域の資料は手薄になるものです。事典やレファレンス系ならいざ知らず、個人の単著や論文、かなり昔に発行...ひとり訪ねる佐野の町は……

  • 春の到来を告げる2冊の少女マンガ

    広島から東京に出て一人暮らしをしていたNさんの部屋を訪ねたとき、床に積まれていた本の中にあったのは、吉田秋生氏のマンガ『夢見る頃をすぎても』と『河よりも長くゆるやかに』でした。前者は1994年、後者は1995年に小学館文庫として再発行された少女マンガです。初出はいずれも昭和50年代で、僕らから見れば、およそひと回り上の世代の青春が描かれています。1997年、18歳だった僕が何となくその2冊を手に取ってパラパラ読んでいると、「それは面白いけんのう」と、Nさんが広島弁で勧めたのを覚えています。確かNさんとは8つくらい年が離れていて、立場としては「同級生」でしたが、その情報量や読んだ本の量、人生経験といったものが異なっていたことは明らかでした。映画「攻殻機動隊」を初めて観たのもNさんの部屋です。ナボコフ、サルトル、楠...春の到来を告げる2冊の少女マンガ

  • 館林の中世館跡“北大島館”にて

    祝日なのに、保育園で行っているプールに入りたいと息子が言ったので妻が連れていき、2人がいなくなったあとで、3歳になる娘と足を運んだのは群馬県館林市にある館跡でした。館の名前は“北大島館”。館林市大島町にかつて存在したとされています。それを示すかのように「寄居」や「堀の内」の地名が残り、土塁跡や堀跡とおぼしき遺構を目にすることができます。堀跡は南と北側で東西に延びており、どうやらそれは川の旧流路のようです。つまり、北大島館は自然堤防上の微高地に位置しています。過去に実施された発掘調査では、中世と思われる“カワラケ”や“常滑甕胴部”が出土したということです。館林に残る近世成立の『館林城城主覚書』等の記録によると、北大島館には“片見因幡”が居館していました。この片見氏は、長尾7騎衆の1人に数えられる人物です。同書等の...館林の中世館跡“北大島館”にて

  • 2月9日午後1時、羽生の産業文化ホールにて……

    2月9日は「第12回羽生市郷土芸能発表会」の開催日です。産業文化ホールにて、午後1時からの開演です。僕も司会アシスタントで出演し、地域の歴史について紹介します。今回は浴衣を着る予定で、だいぶ着付けを練習しました。当日はうまく着られるかな……。2月8日は出演団体のリハーサルに立ちあい、1日だけ早く各団体の熱のこもった“芸”と“技”を見ました。いつもと違っていたのは、太鼓の音や白波五人男の独白を聞きながら、コミュニティや仲間という言葉がふと思い浮かんだということ。一丸となって演じる人たち。誰が欠けてもならない。それぞれの存在が大きな個を作り上げている。これまで築いてきた信頼や人間関係が、その団体の味となり、魅力となっている。ひとり観客席に座り、これまで過ごした時間に取り残される感覚を覚えました。身近なようで遠い。遠...2月9日午後1時、羽生の産業文化ホールにて……

  • 1996年の羽生で読んだ“京極夏彦”氏の初期作品

    2月8日、さいたま文学館(埼玉県桶川市)に作家の“京極夏彦”氏がやってきます。特別記念講演会で、タイトルは「“あやしい”特別講演会~怪談、妖怪、またはミステリーとして」。喉から手が出るほど行きたい。京極氏を目にしたい。でも、こういうときに限って仕事とまるかぶり。断腸の想いとはこんなときに使うのでしょうか。現在、さいたま文学館では太宰治展を開催中ですが、僕にとって京極夏彦氏もまた青春の人。高校時代に何を読んだかと問われたとき、作家の中に「太宰治」と「京極夏彦」の名前は必ず頭に思い浮かびます。氏の駆け出しの時期と、僕の在学時代が重なっているからかもしれません。デビュー作『姑獲鳥の夏』が刊行されたのは1994年のこと。『魍魎の匣』と『狂骨の夢』は1995年。そして、『鉄鼠の檻』と『新絡婦の理』の刊行は1996年でした...1996年の羽生で読んだ“京極夏彦”氏の初期作品

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