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まぁ、新暦に基づいて考えても意味は無いのだが、とりあえず今日は6月に入って中旬にもなってしまっているので、和名である「水無月」について、考えたいと思う。よく、梅雨に入っているため「水の月」だと解釈する事例があるようだが、それはやはり新暦に引っ張られている印象である。何故ならば、江戸時代以前にはそういう解釈が一般的ではなかったためである。○六月和名をみな月と云、当月は雨ふりがたく、水なし月と云事也とぞ。三田村鳶魚先生『江戸年中行事』新潮文庫、43頁・・・普通に「水無し月」の意味で解釈されているのである。だが、三田村先生が引用されている『江府年行事』(享保20年)は珍しく典拠・故実への言及が無い。他の月なら『奥義抄』などの引用がされているのに、である。そこで、少し当方でも調べてみた。万葉集にも六月をみな月との...「水無月」一考(令和5年度版)
【バタヴィア】 どこの都市の旧名? 【Tモールまいにちクイズ】
[ 問題 ] (難易度5)1942年までは「バタヴィア」と呼ばれていた、東南アジアの都市は どこでしょう? 選択肢 ハノイ マニラ プノンペン ジャカルタ 答え → ジャカルタバタヴィア(Batavia)は、インドネシアの首都「ジャカルタ」の旧名だよ。オランダの植民地時代に、そう呼ばれてたんだ。当時の日本人は「ジャガタラ」と呼んでいて、そこの芋は「ジャガタライモ」と呼ばれていた。それが「ジャガイモ」の語源だという説が...