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游々子の俳句的生活 https://chigasaki-haiku.com

プレバト俳句添削の添削、各種句会での添削、新聞に入選した游々子の俳句、 茅ケ崎の地誌・歴史を紹介しています。

游々子
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2023/04/16

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  • 俳句的生活(258)-蕪村の詠んだ京都(14)淀川ー

    「旅を棲処」とした芭蕉と異なり、蕪村は53歳で讃岐から帰洛した後、亡くなる68歳までの間、遠方に旅をすることはなく、出かける処は近郊に限られていました。そんな蕪村でしたが、大阪には弟子や俳友が多く、画材を仕入れることからも、蕪村自身出向くことも多くなっていました。当時、京ー大阪の交通は、淀川を上下する三十石船が利用され、京都の乗り場は伏見、大阪の乗り場は天満橋近辺となっていました。伏見の乗り場船の運航距離は45kmですが、京都から大阪への下りは約6時

  • 添削(53)-あすなろ会(8)令和5年10月ー

    裾花さん原句 司馬遼を一冊読み切る夜長かな中句が8音になっているので、7音になるよう工夫してみます。参考例 一冊の司馬遼を読む夜長かな原句 色褪せどきりりと立てり野菊かな中句の「立てり」は完了を表す助動詞「り」が付いた動詞で、終止形となっています。そうすると中句で一度切れて、更に下句の「かな」で二度目の切れを起こすことになります。二度切れを避けるために、中句は「立ちし」あるいは「立てる」として、下句に繋がるようにしなければいけません。

  • 京大俳句会(12)-第175回(令和5年9月)-

    京大俳句会は虚子も参加した「京大三高俳句会」をルーツとするものです。この会の設立大会は大正9年3月に京大の学生集会所で行われています。明治40年に作られたこの建物は、建て替えられることなく現在に至っています。京大学生集会所1 ああ昭和愛を捩じって情死に果てる 武史「ああ昭和」なのか「ああ昭和愛」なのか、とちらかと迷うが、先の方でいただくのが自然だろう。恋愛に昭和のカタチなどというものがあるのだろうか、「情死」つまり不倫の恋の果てこ

  • 俳句的生活(257)-蕪村の詠んだ京都(13)川涼みー

    ウイキペディアに、各時代ごとの鴨川の断面が表示されたものがあります。現在のような「みそそぎ川」が鴨川右岸の河原上に作られて、そこに先斗町の料亭から川床が張り出されるようになったのは近代になってからで、江戸から明治初期までは、鴨川の自然の傍流の上で ”川涼み” が行われたことが判ります。鴨川の断面(ウイキペディアより)元禄3年(1690)6月、芭蕉は「四条の川原涼みとて、夕月夜のころより有明過るころまで、川中に床をならべて、夜すがら酒のみ、もの喰ひ遊ぶ、、、流

  • 俳句的生活(256)-虚子の詠んだ京都(22)京大三高俳句会ー

    虚子の京都、いったん閉じたのですが、大事な項目を抜かしていたので、追加することにします。虚子が三高に在籍していたことは、本稿で何度も触れてきましたが、そのことが縁となり、ホトトギスに投句をしていた京大生や三高生が創設した俳句会の設立大会や句会に、虚子も参加していたのです。20歳そこそこの後輩たちが設立した「京大三高俳句会」という名称の俳句会、その名前からも虚子は大いに惹きつけられたに違いありません。京大三高俳句会の創立大会は、大正9年3月、京大の学生集会所で三高生の

  • 俳句的生活(255)-蕪村の詠んだ京都(12)冬ごもりー

    京都で冬を過ごしてみると、空はどんよりと曇り、寒さは骨身にしみて、改めてここは日本海性気候であることを痛感するものです。一方でそれは、”籠り居の詩人” である蕪村には、格好の季題を与えることとなりました。「冬ごもり」という季題です。蕪村にはまた、”冬ごもり” あるいは ”籠り居” にぴったりと当て嵌まる絵を描いています。国宝「夜色楼台図」です。空は黒い墨が塗られ、雪の積もった山と屋根は無地の白で表現し、楼閣や二階建ての商家からは灯りが漏れています。この絵には

  • 俳句的生活(254)-蕪村の詠んだ京都(11)桜

    花(桜)を詠んだ蕪村の句は、俳諧宗匠になった時と、前稿の灯火で既に二句ほど紹介しています。花守の身は弓矢なき案山子かな花の香や嵯峨の燈火きゆる時蕪村の桜の句は、100句程度ありますが、本稿では詠まれた地名がわかるものに絞って紹介することにします。花を詠んだ句というと、虚子の場合もそうでしたが、嵐山や円山公園など実際に桜の樹が植わっている処を詠んだものが多いのですが、蕪村には京都の繁華街である木屋町での出来事を詠んだものがあります。それはなには人の木や

  • 山小舎便り(17)-令和5年10月3日ー

    前回、山小舎便り(16)を8月16日に書いてから50日近く、山小舎便りを書かない日が経ってしまいました。この間、9月前半と9月下旬から今日まで、2回ほど山には来ているのですが、猛暑のせいか山の景観は8月の時とほとんど変わっておらず、ブログの方も虚子や蕪村の京都について書くのに夢中になっていて、山の生活を書くことに関心が向かなくなっていたためです。ところが昨日より急に気温が下がり、山小舎の外の気温が10度を下回るようになり、室内ではストーブを焚くほどになってきました。

  • 俳句的生活(253)-蕪村の詠んだ京都(10)灯火ー

    本稿より、蕪村の俳句をジャンルに分けて、代表的な句の幾つかを紹介していくことにします。最初に取り上げるのは、蕪村の俳句と絵画において大きな比重を持つ ”灯火” からです。この絵は嵯峨野の夜を描いたものです。民家の灯りが消えてあたりは真っ暗になっているのですが、あたかも真昼のような描き方になっています。そのことが判るのは、賛に書かれている次の句からです。花の香や嵯峨の燈火(ともしび)きゆる時 (安永6年 蕪村62歳)絵の右手前には嵯峨野の竹林

  • 俳句的生活(252)-蕪村の詠んだ京都(9)蕪村開花ー

    蕪村の足跡を辿り、前稿で俳句宗匠になるところまで来ましたが、蕪村の名句中の名句である「月天心」の句を紹介し忘れていたので追記しておきます。月天心貧しき町を通りけり (明和五年)この句は蕪村が夜半亭二世を継承した年の二年前、蕪村53歳のときの作です。一般にこの句の解釈は、石田郷子の名句即訳の空の真ん中に名月がかかっているその下を、ただ独り歩いて行く。貧しげな町並みの中を通ってのように、人が通っていくとなっているのですが、私は、月が貧しい町並みを照らしながら通

  • 添削(52)-あすなろ会(7)令和5年9月ー

    裾花さん原句 新米の惣菜少なき夕餉かな中句の「惣菜少なき」が説明的描写になっているので、映像の伴った言い方で詠んでみます。参考例1 新米来(く)一汁だけの夕餉かな 参考例2 新米の湯気の圧せる夕餉かな原句 新酒汲む友の土産の九谷焼この語順だと、一番強調されているのは ”九谷焼” となっています。作者が詠みたいのは、九谷焼が ”友の土産” であったことと、その九谷焼で新酒を汲んでいることであるので、語順を替えてそれを明確にします

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