自分を(本能的に)特別な存在だと思うことは、特別では無いという現実(現実の無)と常に戦うことになる。そして、(失敗者は当然のごとく、成功者でも時間とともに必然に)いずれ心のエネルギーが尽きて、無の否定とその苦しみに囚われることになる。無の否定と苦
自分を(本能的に)特別な存在だと思うことは、特別では無いという現実(現実の無)と常に戦うことになる。そして、(失敗者は当然のごとく、成功者でも時間とともに必然に)いずれ心のエネルギーが尽きて、無の否定とその苦しみに囚われることになる。無の否定と苦
日々のことに、何も無いなら、何も無いことが当たり前で中庸である。日々の行動は知るためだけにあって、知ることにしか価値と肯定はない。
イヌはボールをぶつけられると、ボールを敵と見做して吠える。ボールを自分にぶつけた者やぶつけた原因を見る=知ることはしない。これは、イヌだけでなく(それなりに知能があると思い込んでいるだけの)ヒトにも同じことが起こる。
皆が本能的に感じている否定の苦しみを放置したままにしておくと、自己否定の鬱や自暴自棄、他者否定の攻撃性(からの孤立や孤独)に繋がって、徐々に壊れてい(き、自己否定に起因する鬱病・アル中・薬物依存、他者否定に起因する誹謗中傷、暴言暴力や犯罪行為へエスカレー
他人を責めたり自分を責めたところで現状が変わるわけがないただ承認欲を求めているだけだ自分の内に善(価値)を生まなければ、自己肯定の変化(自己成長・自己変革)もない------否定も刺激であるし受容も刺激であるし肯定も刺激である否
自分は特別だと思うことが、認知の歪み(本当は特別ではないのに、そう思い込んでいる)の根源なんだよこの本能的な(承認欲求に起因する)歪みのせいで人間は苦しむようになっている(特別なはずの自分が、現実では特別扱いされないという承認欲の否定の苦しみ)この自己
究極的には、肯定感は、知性的卓越性(知の善)で得るしかないし、否定感は、倫理的卓越性(中庸)で消すしかない。ただし、否定も日々の行動のトリガーとしては必須。否定と苦しみがなければ、考えることもなく、動くこともしなくなり、受容のカタルシスも得られない
人生はいずれ無に帰すが、無を否定したとしても(無を否定したままにせず)、無を受け入れて、無から「何か」を生み出して肯定することだと思っている。身の回りに有る物や事が、この何か(誰かが残した善さ)から構成されている以上は、その分だけは意味があると捉える
前向きになるんじゃなくて、まずは無になるんだ何も無いのに前向きになれるはずがないだろう無理に前向きになろうとするから、(何も無いことに対して)後ろ向きになるんだよ~~~~~~~~~どうやって何も無いことを受け入れるかどうやって何も無いこ
『意識を仕直すこと』《無意識の否定に対して》①自己否定したとしても、否定したままにせず、②自己受容できること③そのうえで、自己肯定できること《無意識の期待/肯定の期待に対して》①承認欲の期待が生まれたとしても、他者運も無く、才能運も無いか
そうやって現実を否定する(のは仕方がないとしても、否定したままだ)から、自分は(自己否定で)苦しいし、他人も(他者否定で)苦しくて離れていく。人生が苦しいのは一切皆苦であるし、孤独になるのは因果応報/自業自得なんだ。
犯人の心理を5段階で解説(自己否定の苦しみを抱えている人は現在『非常に多い』ので、今後も事件は発生)する。①現実否定=自己否定で苦しい(生き苦しい)↓②他責思考=苦しいのは周囲や社会のせい↓③他者攻撃=人を攻めて気持ちよくなろうとする(承認欲/
No.0 詳細(無と中庸と善)No.1 全体(否定➡受容➡肯定)No.2 無知の知_知の探究_知の幸福No.3_意識の不連続_No.4_無意識の否定の仕組み_No.5_無の荒野
(自分向けの話)人間は、どんな立場にいても、その立場(現実)から見た欲望の理想(偏見)を欲するから、欲望による(現実の否定の)苦しみが消えることはない。➡自分向けは、否定をしない(否定/期待を煽らない) 平常・冷静さのため。どうでもいい(否定
人間関係のイメージを、(否定性/傾向が高いが)、否定せずに、仕方がないと、諦めて、受け入れよう。認識の否定のスイッチが、毒親の(子供の)否定のせいで、『高め』に設定されてしまっている(認識の歪み/すりこみ)。が、これも(脳神経的に)仕方がないことだ
採用される条件についてこの人となら一緒に働きたいかどうかがポイント=①欲望:他者否定(他責/自責)がないこと=②中庸:受容であること=③善性:善性(行動の善、感覚/知性の善)があることの3つの条件が、言動に揃っていること。いずれかの条件がな
無知の知、知の探究、知の幸福(PDF資料)~~~ー完全自己完結する自己肯定感(自由意志に準ずる肯定感)ー自分の内面/理性・知性の(形而上学的な)範囲において、(苦しみを消したうえで)最低限の(自己)肯定感を保つことを目指している。パワポ
無意識による(欲の)無の否定が消えないときは、どうするか(いつまでもクヨクヨと、起こったことの否定/自己否定/他者否定が続く場合)無を否定しても仕方がないから、否定しない(期待もしない)心の中庸(メソテース)無の荒野・与えられることは無い
欲のためにやるなら(欲のとおりにはならないので)必ず否定となる。(欲するもの/都合のいいもの/理想のものが、何も(与えられ)無いことを、否定しても仕方がないと・認識の否定を上書きして、受け入れること=心の中庸(メソテス)/受容(アクセプタンス)何
無の荒野を徹底しよう。無の荒野(自分にとって都合のいいものが与えられることは無い=欲の諦め=欲の否定の打ち消し)を徹底して初めて、目を凝らして(感覚を細部/ディティールまで研ぎ澄まして)、詳細を詰めていけば、小さな緑(善=肯定)を見つけることができる
自分の置かれている現実そのものを否定しないこと(個別事象の認識だけに囚われないこと)。この行為をやることで、自分にとって都合のいいものが与えられることはない、と感じること。自己否定のみがあること。(若いときは、自己否定→自己防衛→他者否定→承認
(0)無を認識する。(1)無を否定するとしても、(2)無を否定せず、無を受け入れる。 無を受け入れて、何も無いことを認めきる。(3)何も無い状態で、それでも、感覚を細部まで研ぎ澄まし、か細い善さが見出せるなら、それがささやかな肯定となる。
頑張ったからといって、結果や評価につながるとは限らない。結果や評価には、他者の運と才能の運が必須だ。そして、運の占める要素は努力の要素より格段に大きい(運が9割、努力が1割)。むしろ頑張らないといけないという『現実を否定する気持ち』が、苦しみを生み、
やす子さんの4/18コメント⬇"何かに対して過剰にアンチしてる人嫌いな人にわざわざ時間使うのもったいなさすぎる。その時間、自分のために使った方が絶対良いと思うんだ〜嫌いな人がいるならミュートなりブロックなりして見なきゃいいのよ😀"について⬇や
自己愛は、『自己否定の苦』と『他者否定の毒』が表面化した『無自覚の呪い』だから、どこに行っても、誰に対しても、無意識に『他責=積極的攻撃により、他者を攻撃したり(例:自慢や悪口)』、『自責=受動的攻撃により、他者に負担をかけてしまう(例:過度な自虐や自己
無意識が(自己に関わる顕示物を)表に出したいと焦る/急かす⬇❌表に出そうとするのは、他責の欲だから、それは止めよう⬇○表に出そうとするのは、行動の善としよう⬇◎自分が(顕示物を)理解するのは、感覚の善としよう⬇◎自分が(顕示物を)理解する
0.認識する⬇1.認識したものを否定する⬇2.認識したもののディティール(認識した他者の心理、自分の心理のディティール)を把握して、仕方がないと受け入れる⬇3.感覚の善→ディティール 行動の善→ディティールを詰めれば、善さも増え(肯定感とな)る
欲(否定と期待)を煽る者が、最も欲(否定と期待)の苦しみを感じている。期待とは、未来への期待=現実の否定である。自己愛の人間と関わらないことができているのは、ひとつの奇跡的幸運である。自己愛と見た目ばかり大きい人間が(中身は自己否定と他者否定
期待とは、未来への期待=現実の否定である。否定(期待)を煽られる者もそうだが、否定(期待)を煽る者が、一番否定に苦しんでいる。
職場において、他者と接すると、他者と自分の関係性を認識してしまい、否定や期待の気持ち(承認欲の理想と現実のギャップの気持ち)が生まれる。(期待とは、期待どおりにならないなら否定に帰着するため、否定の予約である)否定(や期待)は本能で避けられないが、
無意識(自律神経系)の冷静化/沈静化には、セロトニンの回復が重要だとしても、その(受容への)方向性については、意識の(中庸へ向かう)働きが必要になる。
やる気が起きないとき=無意識が否定よりで辛いときは、(理性が考えても、何もできないので)さっさと帰ろう。エネルギー切れなのか、何らか否定の脳内物質が脳髄に溜まるからなのか(セロトニンの欠乏なのか)、それは分からないが、脳内環境が回復するまで=『特別な
①無意識が否定をする ②意識が受容する ③意識が肯定する◇否定についての『新しい見識』がある=特別な他者も無いし、特別な自分も無いことに、毎回改めて気づき続ける→無意識が納得する→受容(受容の冷静の後に)◇肯定についての『新しい見識』があ
人生とは、死ぬまで・帰納と・演繹を繰り返すこと。即ち、葉っぱ(個別事象)から根っこ(一般原則)を説明する(帰納)根っこ(一般原則)から葉っぱ(個別事象)を予測する(演繹)⬇欲望の否定の葉っぱから、受容の根っこを見る(帰納=中庸で受容)
欲望が個別事象を否定する→否定に苦しむ →運があれば欲望の肯定となる→一時的な肯定の嬉しさとなる=肯定のレベルが上がる=運の必要レベルが上がる→欲望の肯定が難しくなる →時間が経てば否定を忘却する→否定の苦しみを忘れる⬇中庸によって、個別事象
『主:帰納』(よく有る既定の)個別事象に対する一般原則の当てはめ(帰納による理由=理論の説明)『副:演繹』一般原則からの(まだ未定の)個別事象の推定(演繹による予測=事象の説明)帰納は、(よく有る否定事例の)受容なので、納得できるが、面白く
①否定することが常であっても、(現実とは、常に、欲望の思うようにならないようにできているので、否定するのは当たり前だ)②いったん、受容すること、そうなるのは仕方がないと受け入れることに専念しよう(受容=中庸の帰納に専念しよう)③善い行いで善さを生
否定の苦しみを受容するには、より広い概念を把握・イメージして、その広い範囲のことを善いも悪いも言わずに、受け入れるとよく、一旦は、受容に専念しよう。冷静さを取り戻した後に、自分の感覚の善さと行動の善さのみを求めよう欲望の理想を常に求めがちだが、
『問い』自己否定を覚悟してまで、この苦労(※※※※※)をする理由は?苦労によって、自己否定があって、苦労を受け入れて、自己受容して、苦労して善い行いをして、自己肯定することなら、他のことでも実践できるのではないか(他のことをやったほうが、善の形
孤独を悪いものだと捉えて(否定して)耐えるんじゃなくて、孤独は仕方がないと受け入れることだ。この孤独の受け入れをしないと、否定の苦しみ(生きづらさ)でいずれ狂ってしまう(ちなみにこの受け入れは、独身だろうが既婚だろうが関係なくやるべきだ)。孤独とい
否定の苦なくして、受容の楽はあり得ないし、善があってこそ肯定の幸がある。だから心のプロセスとして否定はあってしかるべきで、(心の作用の)最初の工程にあることも当たり前だ。(平坦では、変化=神経的な刺激=脳内物質の放出もまた生まれない)心は、最
心の安定化のための3つのプロセス(PDF資料)
ーー否定→受容→肯定ーー①現実を、無意識が、欲望が否定したり肯定(=期待)したりしてしまうとしても、(たえがたい否定と肯定)現実=客観的事実には悪いも善いもないから、②現実を、意識的に、理性的に、否定も肯定もしないこと現実を受容
【問い】なぜ、人は、「認識した事実」を、(事実自体には善いも悪いもないのにもかかわらず)無意識に、否定してしまうのか※※認識した事実=現実を、悪いものだ、そんなはずが無い、有るべきでない、問題だ、善くないものだ、と捉えてしまうこと【答え】人間(
<自己愛の心理>自己否定(の苦) → 他者否定(の毒)= 自己愛 → ・外向的性格→他責(自慢、悪口:他者攻撃)=優越(承認欲)の自己肯定=障害傾向は高い・内向的性格→自責(自虐、熱愛:自己犠牲)=注目(承認欲)の自己肯定=障害傾向は低い(が注目が
トランプはドル高は嫌なので、円高にするはず。一般的には、円高=株安だから、下がるまで待てばいい(下げの叫喚が聞こえなくなる=株式は怖いものだ・手を出すべきでないという雰囲気/株には手を出しにくい感がある/株式をやる人が変わり者扱いされるまでね)。
キャリーしてる側=動きいいけど(味方のフォローが弱いので)負けやすい。→自分よりも強い味方はいないから、頑張らないとだし、(エースである)自分のミスは直ちに負け筋になるキャリーされてる側=沼ってるけど(味方が強くて)勝てるってことだろう。→
帰納により、一般原則を考察し、結論を考え続けるのが哲学(=結論に疑問を抱き続け、イデアという究極の答え・原理に至るまで永遠に考え知り続けること)帰納により、一般原則を考察した結果、全てを神様のせい(思し召し)だと結論づけたのが宗教(=考えるのを辞めた
異世界転生は、(全てではないとしても)大抵は、現実世界ではパッとしない平凡or無能で評価されない主人公が、異世界転生して、・実は自分は特別であるとか・実は自分には隠れた才能がある・実は自分は特殊な能力があることを表現し(て、それを同じようにパッとし
一度下がったものは(人間の心の否定の作用の方が強いから=ネガティビティバイアス)、元へ上がるのは時間がかかるだろう。下がるのは(否定の作用によって)容易い(ので上がるのはゆっくりだが、暴落はすぐだ)。トランプの関税戦争は一過性ではない(はずな)の
現実の否定・自己否定→自分が感じる苦 =生き苦しさ・他者否定→他者に与える毒 =他者攻撃 =優越の肯定感の欲求と 注目の肯定感の欲求 →承認欲求を満たす行為 =他責的行為(優越) ・自分を上げる行為 =自慢、ギャ
客観的事実には「悪い」も「善い」もない。「悪い(否定)」、「善い(肯定)」、「何とも思わない(平常)」の、いずれかを選ぶのは、主観的感想(心の作用)に過ぎない。そして、心の作用には「欲望」と「理性」の2つの要素ある。 《①欲望により必ず「否定」を選択してしまい
自己愛があると、その承認欲求の肯定感を求めるが故の他責性と自責性により、周囲から孤立するのは仕方がない。自己愛(性パーソナリティ障害)とは、自己否定が強いあまりに、他者を否定することで、相対的に自己肯定をしようとする病気のこと。自己愛に関わると
哲学とは、他人の考え方を見て面白いと感じるものではなく、自分で考えることで初めて面白くなるものなので、他者の考え方を見る者がいない(少ない)のは当たり前だ(他人の考え方は、自分が考える際の材料に過ぎない)哲学とは、自分で考えることだけで面白いから、
○○(=SNSでリア充・幸せアピール、誹謗中傷などをして、閲覧数を稼ごうとしている人の名前)は、自己否定感が強くて、その(生き)苦しさを、(自分を上げるリア充アピールや他者を下げる悪口※で注目を浴びて)承認欲求を満たして誤魔化そうとしているところが、他責的
勝つことも負けることも、強いことも弱いことも、皆同じ。否定することも肯定することもない。ただ、そういう(客観的な)事実であるだけだ。その中で肯定を見出すのは、善いことをすることと、その善さのみである善く見ることができれば嬉しいし、善く分かれば
万事(現象)を一事(理論)にするのが帰納 →学習一事(理論)を万事(現象)にするのが演繹 →実践【演繹法と帰納法の違い】帰納法は個別事例から一般原則を導きだすのに対して、演繹法は一般原則や理論から個別の結論を導きだす
「どうでもいい」という言葉には、2つの種類(否定的なものと受容的なもの)があり、「否定のどうでもいい」ではなく、「受容のどうでもいい」としよう。「受容のどうでもいい」=どう(なって)でも(それは、自分の意識でコントロールできるものではないので
収入の低い業種や安いサービスなどのお金の出入りが少ない&安定していない業界というのは、欲望(金銭欲)の思うようにならない現実の否定に紐付く「自己否定(とその苦しみ)に囚われた人」が多いので、「安易に他者否定をする攻撃的な危うい人」に出くわす可能性も高くなる
日本人は「同情心が低い」 困っているのは「自業自得」と考える心理https://www.asahi.com/sp/articles/AST3V20ZRT3VULLI004M.html-----現代日本の人間は、幼少期から(学歴や容姿などで)他者との競争に曝され過ぎた結果、自己否定感が強く、常に生き苦しさを
嫌われてもいいと考えるのではなく、(結果として)嫌われるのは当たり前の事実だから仕方がないと受け入れることだ。嫌われてもいいという言葉は、表現上は同じに見えても、心の内面では2種類の考え方があって、①嫌われる現実を、思いどおりにならないのは嫌だから、
自己否定の穴は、そこら中にあって、加えてこの穴には底がない。穴にはまって、底闇に囚われる前に(自己を否定しないことで)抜け出そう。善く生きて、生じた善さによって自己肯定の丘を築こう。
哲学とは、物事の原理(イデア)を考察し、イメージ(イデアのコピー)として描き出すことでもある(そして、善(イデア)に意識を向かわせる教化のイメージを描き作ること)。物事のイメージが、深い考察によって、描ければ、そのためには[格物致知]が必要であるし
認識を善くして、(生じた善さで)自己を肯定するのみであって、その(認識を善くして、善さで自己を肯定した後の)結果として、(何らかの他者運や才能運が揃ったおかげで、善さが評価されるという)高みの状態になるのであれば問題はないが、高みを目指すべき、という
何でも嫉妬、批判、マウント、中傷、ハラスメントして、他者否定する人・他罰的な人は、そのうち他者から避けられて、孤立して、居場所がなくなって、姿を消す(か、消えなくても、独りでは身動きが取れなくなる)ので、(脅威にはなりえないから)放っておきましょう
YouTubeは、欲望の病苦(欲望と反中庸を煽るコンテンツ)の見本市だから、無意識に見ていると、心の中庸を失って、否定の苦しみに囚われたままになりやすい。無意識的にだらだら見ていると、どんどん自己肯定感が下がってしまうので止めよう。逆に、中庸を意識して見
自殺とは、究極の自己否定である。自己否定とは、自分のいる現実の否定であって、現実にいる他者の否定でもある。よって、自殺とは、究極の(自分に近しい)他者への否定となる。自殺によって一番ダメージがあるのは、自殺した人が大切だと思っていた(好意を持って
①何でも無意識的に否定から入るからといって、そのまま否定していると、生き苦しく、進歩もなく、相対的な退化となるだろう。②何でも意識的に(否定せずに)受容して、③何でも善く利用するのが、(自分の肯定感のためには)一番善いことだ。全ての新しい物事の
①帰納・・・現象(個別事例・結果)から、理論(普遍法則・原因)を導出する・・・・(現象)となるのは(理論)だからだろう→欲望の万事(否定の事例)から、中庸(受容の手順)と善(肯定の手順)の一理を導く②演繹・・・理論(普遍法則・原因)から、現象(個別
若い女性は、・若さ(年齢と経験での優位が取れる期待=承認欲が満たせる期待)と・性(性欲を満たせる期待)が有るから、惹かれる人が多くなる(特に欲望に従ったままの危うい人が集まる)のは、当たり前。おじさん(おばさん)は、・若さも・性も無いから
謙虚とは、現実の自分への過剰な期待を、自ら落として、中庸に従って、現実に合わせ、否定(自己否定や他者否定)を生ま(せず、苦を生ま)ないようにする振る舞いをいう現実の自分を、自ら過剰に落とすことは、中庸に反しており、ただの自己否定であって、否定による
肯定の幸となる確実な方法は・無と中庸による平常心の実践と、・善による肯定感の実践のみしかない。全ては、主体の、主観の、心の、無意識と意識の、欲望と理性の、人心と道心の、認識した事実の受け取り方=事実認識によって、「事実認識→否定の苦→無→肯定
心(人心と道心)の認識についての考察。 [定義] 心 =人間の精神、心理 人心=欲望、無意識 道心=理性、意識《人心は必ず否定から入る》①否定⬇ ②⬆中庸 ③⬆善人心は、必ずまず否定から入り、道心は、中庸をして、善をする↑
ただ(欲望に従って)生きるのではなく、=中庸により平常心とすること=欲望の作用を理性の作用で打ち消すこと=欲望の無意識の作用・結果を期待する(否定と苦を予約すること)・結果を否定する(苦を生むこと)を理性の作用によって、意識して・結
『大学』第三章ー身を修むるはその心を正すに在りー(怒りや恐れや執着や不安が無く)心がしっかり正常に落ちついていないと、何かを視てもはっきりとは見えず、何かを聞いてもはっきりとは聞こえず、何かを食べてもその味が分からない。(これでは身の修めようがな
自己愛て、障害者本人の持つ『自己否定』の強さの裏返しなんよ。自己否定感が強くて苦しいから、自分自身を守ることに必死(で脳のリソースの大部分を使っているから、話が通じない)んだわ。だから、自己否定の苦しみを和らげるために、自分の話(自己肯定できる自
勝って気持ち良くなりたいではなく、平常心を保ち、(昨日よりも)善くなるために/善さを認識するために行う。『中庸(平常心)の実践と、善の実践が目的』このことは、中庸への挑戦でもあるし、(平常心への挑戦)善への挑戦でもある意識して、
『平常心:心の過不及がないこと(心の中庸)』欲望が・結果を期待する・結果を否定するとしても、理性は・結果を期待しない・結果を否定しないとして平常心を得る。『善の考察』理性は①主体が、善く捉えて、(昨日よりも)善さが捉え
求めるものではない意識して、(主体が認識する力を、主体が客体へ働きかける力=貢献する力を)善くするだけだ求めるものがある結果を期待すれば求めるものがない結果を否定して苦が生じ、平常心ではいられなくなる何かしら良い成果があったとしても
朱子の『中庸章句序 第三節』に云われる、(一句)人心(二句)道心(三句)これ精これ一(精密に考え純一につとめる)(四句)中を執れとは、どんな知者でも愚者でも心には(一句)人心(欲望:偏りのある、危険なもの、情)と(二句)道心(理性:
(1)都合の良いいことがあると(欲望が満たされると:良いものが与えられると)・欲望の肯定感が生じる ↓・欲望の水準が上がる(期待する) ↓現実の水準は元のままなので・欲望の水準と比べて、現実の水準が低いから、無意識の否定感が生じる(否
《退屈:面白いことがない》欲望は無意識に、面白いものが・有ることを期待する・無いことを否定する理性は意識して、面白いものが・有ることを期待しない・無いことを否定しない面白いことがなくとも、これを受け入れて、苦を予防し、苦を消して、
自分の精神(無意識・意識)の中に、反対の作用を、意識して認識させるだけでも、平常心に近づき、苦しみが和らぐ。《欲望の作用:無意識》(1)良いものが ・有ることを期待する ・無いことを否定する(2)悪いものが ・無いことを期待する ・有ること
勝負をすると、勝利を期待して敗北を否定して、中庸が乱れて、情緒が不安定になる。《欲望による否定と苦(他者否定の毒、自己否定の辛)》欲望の作用によって、・勝利を期待する(苦の予約)・敗北を否定する(苦の発生)となり、否定の苦となる(他者否定でイ
意識は期待しない、意識は否定しない(受容する)、意識の善で肯定する<無(無常と無我)のイメージ> 客体 → 〇〇(欲しいもの) → 主体 欲望・・〇〇が欲しい(与えられたい)と思う本能◇欲しい〇〇が客体(他者)から主体(自分)に対して与えら
中庸の、・期待せずとは、欲の苦(否定)の予防であり、・否定せずとは、欲の苦(否定)の治療である善とは、理の楽(肯定)の増進である欲の苦:否定、不幸、自己否定の痛、他者否定の毒↕ ↕ ↕ ↕ ↕理の楽:肯定、幸福、自己肯定の快、他者肯
無意識との対話というのは、・無意識に刺さった小骨(自己否定の痛みの原因)を、・意識との対話で探り当てて(万事に充てるため)、・自己否定の痛みを取り除く(中庸の一理:無いを否定しない・有るを期待しない)ことだ。体が痛いときに、痛い箇所を探して、
《苦しさの理由》朝目覚めると必ず苦しさを感じるのは、寝た状態(無意識の状態)で、無意識(欲望の作用)で、欲望が、勝手に、・(都合のいいことが有ることを)期待して、・(都合のいいことが無いことを)否定しているから。寝ると理性(意識)が働かず
認識の善(六根清浄)と肯定の幸六根とは、自分の理性が御せる6つの感覚のこと。眼・耳・鼻・舌・身・意。①眼:眼で善く見えると、今まで見えていなかったモノが見えて、嬉しい=肯定感②耳:耳で善く聞けると、今まで聞こえていなかったモノが聞こえて、嬉しい
自分が、誰かに対し、そのような善くないことをした、ということは、自分が、誰かから、そうような善くないことをされるかもしれない、という不安の呪い(因果応報の呪い)にかかり、永劫苦しむことになります。闇を覗き苦しみを与えたら、闇からも覗かれ苦しみを与え
毒(反中庸の自己否定と他者否定)の多い世の中で、毒のないもの(自己否定と他者否定がない)を表現しましょう。だれでも、常に、欲望の毒(自己否定・他者否定&その苦しみ)は持つので、常に、理性で、意識して、中庸の期待せず・否定せずによって、欲望を中和する
ヤフコメは、弱者に厳しいコトを書くとうーん(=共感しない)が多くなり、強者に厳しいコトを書くと共感したが増えますつまりはそういうこと(ヤフコメは「自分が社会的弱者であると意識している又は無意識にそう思っている人が多数派である」ということ)なんです...
親が毒だと、子も毒となるし、子が毒でやられることになる。(注釈)・毒・・・自己否定と他者否定(反中庸、不善)の毒、その苦しみ(承認欲、自己否定=自責、他者否定=他責・他者攻撃・他者負担、プライド)・毒でやられる・・・自己否定と他者否定により自
自分の心の万事の不善を、中庸と善(誠)とするまで、不善の苦しみは死ぬまで続くだろう。《中庸》負けることを否定しない(勝つことを期待しない)⇒否定して、どうでもいいと諦めない(逃避しない、逃げない)《誠、善》善く見る 見る工夫は∞にある
理性の善(幸せ)のみであること□欲望の幸せは、もう手に入りません。 欲望により「無意識に」ただ生きるのは諦めましょう。「都合のよい客体」も「無く」、「特別な主体」も「無く」、「欲望の対象物(モノ)」も「無い状態(コト)」が当たり前の事実なので
理性の善(幸せ)のみであること□欲望の幸せは、もう手に入りません。 欲望は諦めましょう。「都合のよい客体」も「無く」、「特別な主体」も「無く」、「欲望の対象物(モノ)」も「無い状態(コト)」が当たり前の事実なので、①(無いと確定した)モノ
《中庸》欲望(無意識:○○を求める本能)がある限り、欲望は、・現実に○○が有ることを期待(超過)して・現実に○○が無いことを否定(不足)して(思いどおりにならず)否定してしまうから、価値がないと思い、苦しむ。理性(意識)で《無(思いどおりの他
無(客体の無と主体の無)と中庸(期待せず・否定せず)=苦を避け・苦を消す最高善(理性の善の肯定感)=幸となる理性の善認識の善(六根の善=善く見れる、善く聞ける、善く捉える、善く分かる)の肯定感・善く分かれば、こういうことだったんだと面白
無(客体と主体の無)と中庸(無意識-欲望と意識-理性の期待-超過、否定-不足のバランス)の結びつけ「(無いから)期待しない」とは、《無意識が、○○が有ることを『期待した』としても、都合のいい『他者の運も自分の才能の運も無い』ので、○○は無いから、
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自分を(本能的に)特別な存在だと思うことは、特別では無いという現実(現実の無)と常に戦うことになる。そして、(失敗者は当然のごとく、成功者でも時間とともに必然に)いずれ心のエネルギーが尽きて、無の否定とその苦しみに囚われることになる。無の否定と苦
日々のことに、何も無いなら、何も無いことが当たり前で中庸である。日々の行動は知るためだけにあって、知ることにしか価値と肯定はない。
イヌはボールをぶつけられると、ボールを敵と見做して吠える。ボールを自分にぶつけた者やぶつけた原因を見る=知ることはしない。これは、イヌだけでなく(それなりに知能があると思い込んでいるだけの)ヒトにも同じことが起こる。
皆が本能的に感じている否定の苦しみを放置したままにしておくと、自己否定の鬱や自暴自棄、他者否定の攻撃性(からの孤立や孤独)に繋がって、徐々に壊れてい(き、自己否定に起因する鬱病・アル中・薬物依存、他者否定に起因する誹謗中傷、暴言暴力や犯罪行為へエスカレー
他人を責めたり自分を責めたところで現状が変わるわけがないただ承認欲を求めているだけだ自分の内に善(価値)を生まなければ、自己肯定の変化(自己成長・自己変革)もない------否定も刺激であるし受容も刺激であるし肯定も刺激である否
自分は特別だと思うことが、認知の歪み(本当は特別ではないのに、そう思い込んでいる)の根源なんだよこの本能的な(承認欲求に起因する)歪みのせいで人間は苦しむようになっている(特別なはずの自分が、現実では特別扱いされないという承認欲の否定の苦しみ)この自己
究極的には、肯定感は、知性的卓越性(知の善)で得るしかないし、否定感は、倫理的卓越性(中庸)で消すしかない。ただし、否定も日々の行動のトリガーとしては必須。否定と苦しみがなければ、考えることもなく、動くこともしなくなり、受容のカタルシスも得られない
人生はいずれ無に帰すが、無を否定したとしても(無を否定したままにせず)、無を受け入れて、無から「何か」を生み出して肯定することだと思っている。身の回りに有る物や事が、この何か(誰かが残した善さ)から構成されている以上は、その分だけは意味があると捉える
前向きになるんじゃなくて、まずは無になるんだ何も無いのに前向きになれるはずがないだろう無理に前向きになろうとするから、(何も無いことに対して)後ろ向きになるんだよ~~~~~~~~~どうやって何も無いことを受け入れるかどうやって何も無いこ
『意識を仕直すこと』《無意識の否定に対して》①自己否定したとしても、否定したままにせず、②自己受容できること③そのうえで、自己肯定できること《無意識の期待/肯定の期待に対して》①承認欲の期待が生まれたとしても、他者運も無く、才能運も無いか
そうやって現実を否定する(のは仕方がないとしても、否定したままだ)から、自分は(自己否定で)苦しいし、他人も(他者否定で)苦しくて離れていく。人生が苦しいのは一切皆苦であるし、孤独になるのは因果応報/自業自得なんだ。
犯人の心理を5段階で解説(自己否定の苦しみを抱えている人は現在『非常に多い』ので、今後も事件は発生)する。①現実否定=自己否定で苦しい(生き苦しい)↓②他責思考=苦しいのは周囲や社会のせい↓③他者攻撃=人を攻めて気持ちよくなろうとする(承認欲/
No.0 詳細(無と中庸と善)No.1 全体(否定➡受容➡肯定)No.2 無知の知_知の探究_知の幸福No.3_意識の不連続_No.4_無意識の否定の仕組み_No.5_無の荒野
(自分向けの話)人間は、どんな立場にいても、その立場(現実)から見た欲望の理想(偏見)を欲するから、欲望による(現実の否定の)苦しみが消えることはない。➡自分向けは、否定をしない(否定/期待を煽らない) 平常・冷静さのため。どうでもいい(否定
人間関係のイメージを、(否定性/傾向が高いが)、否定せずに、仕方がないと、諦めて、受け入れよう。認識の否定のスイッチが、毒親の(子供の)否定のせいで、『高め』に設定されてしまっている(認識の歪み/すりこみ)。が、これも(脳神経的に)仕方がないことだ
採用される条件についてこの人となら一緒に働きたいかどうかがポイント=①欲望:他者否定(他責/自責)がないこと=②中庸:受容であること=③善性:善性(行動の善、感覚/知性の善)があることの3つの条件が、言動に揃っていること。いずれかの条件がな
無知の知、知の探究、知の幸福(PDF資料)~~~ー完全自己完結する自己肯定感(自由意志に準ずる肯定感)ー自分の内面/理性・知性の(形而上学的な)範囲において、(苦しみを消したうえで)最低限の(自己)肯定感を保つことを目指している。パワポ
無意識による(欲の)無の否定が消えないときは、どうするか(いつまでもクヨクヨと、起こったことの否定/自己否定/他者否定が続く場合)無を否定しても仕方がないから、否定しない(期待もしない)心の中庸(メソテース)無の荒野・与えられることは無い
欲のためにやるなら(欲のとおりにはならないので)必ず否定となる。(欲するもの/都合のいいもの/理想のものが、何も(与えられ)無いことを、否定しても仕方がないと・認識の否定を上書きして、受け入れること=心の中庸(メソテス)/受容(アクセプタンス)何
無の荒野を徹底しよう。無の荒野(自分にとって都合のいいものが与えられることは無い=欲の諦め=欲の否定の打ち消し)を徹底して初めて、目を凝らして(感覚を細部/ディティールまで研ぎ澄まして)、詳細を詰めていけば、小さな緑(善=肯定)を見つけることができる
人生がうまくいかない人の特徴とは、人生がうまくいかないことに不満を持っている人のことです。この不満は、外に向ける(他責)か内に向ける(自責)かしかないので、どちらにせよ不幸(他責の孤独か自責の抑うつ)になってしまうでしょう。即ち、その不満を、他
質問:自暴自棄型の“ローンオフェンダー”にならないためにはどうしたらいいですか?中野市4人殺害事件回答:自己肯定感を失わなければ厳しい環境でも何とかなるでしょう。自己肯定感を失えば、誰でもこの犯人のように(自分には価値がないと思って自暴
勝ち負けではなく(利己、獲得、批判、攻撃、他責、上下関係)練度を上げること(利他、貢献、理解、優しさ、自責、対等)をプレーの目的とすること。これで運悪く負けることでのイライラはなくなる。勝ち負けにこだわらないとは、・味方運が良く負けることが
《対応の前提》・うるさい人を不快だからといって黙らせられるかどうか(相手が謝罪して黙る選択や判断をするか否かは)他者課題であること→自分ではコントロールできないことだと知ろう。・相手がわざとかうっかり(無自覚)かは分からないこと→わざとでもうっかりで
戦争はなくならない。戦争とは、増えすぎてリソースが枯渇した人類が、生き残るために互いのリソースを奪い人減らし(殺しあい)をする仕組みだからだ。人口増によるリソースの枯渇に対する人口調整の仕組みとして、人類に自然に備わる「人口増加と人口調整のシステム」
身近な他者を責めたり、他者の悪口を言ったり、他者にマウントをとらないことだ。身近な他者との人間関係を上下関係だと勘違いしないことだ。人間関係とは対等だ。役割が違うだけだ。これらは欲望(承認欲求)による利己的な行動だ。利己では幸せ(自分には価値があ
不快なこと(自己肯定感が下がるようなこと)があったら、次のことを思いだそう。不快なことがない理想は諦めるしかなく(不快な環境が変わることを一時的に待つのでもよい)、不快なことがある現実を当たり前だと受け入れるほかないということ。(不快の諦めや受け
メンヘラは、かまってちゃんとなって、相手に圧をかけることで(相手に対してメンヘラへの拘束を要求し、相手から期待どおりの承認を得ようとコントロールしようとして)、主導権を握ろうとしている。相手は、主導権を奪われることで(精神的にも時間的にも拘束されるこ
【大前提】これらの不快な提灯記事があることについては、不快なものがない理想を諦めて、不快なものがある現実を当たり前だと受け入れるほかないのだ。不快な誰かを責め立てたり、不快な何かを攻めても仕方がない(利己や欲望が満たされることはない)。自己肯定感を得るに
アンガーコントロールとは、・利己(欲望)を満たすという理想(利己的な理想)を諦めて、・利己(欲望)を満たせないという現実(利己的な現実)を、そのまま受け入れることだ。そのようにして心の平穏に至るのがシンプルなやり方である。怒りや焦りという感情の高
自分が不快を感じたら、何でもハラスメントと言う世の中だ。自分が辛さを感じたら、何でも病気(自己を否定しすぎない程度の軽めの精神疾患)と言う世の中だ。自分の不快感の原因や自分の抱える辛さの源が、実は当の自分にあることに気づけない人が多く存在している
無意識の深いところにある記憶を使って動かないと、うまく体を動かせない。意識の浅い部分を使うのでは、練度が浅く、うまくいかないゲームも、ピアノも、仕事も、歌も、無意識で動けてからが本番だ。そこからようやく意識がハンドル操作に専念できる。無意識で
お金の量については、お金の量が多い方が(それだけ恵まれているので運が)良いことである。ただし、お金の量が多いとか少ないとかを(他人と比較して考えるように)幸福感に結びつけない方がよい。お金の使い方については、価値が、自分の内に向いているなら利己的
利己は欲望利他は理性利己は性悪説利他は性善説人間は、利己と利他の二面性の矛盾を持つ存在だ利己は自分(主体)を上におき利他は他者(客体)を上におく利己は内側へ向くベクトルを持ち利他は外側へ向くベクトルを持つ利己は縮小的で利他は拡
人のことを、気持ち悪い、臭い、顔が醜い、頭がおかしいなどと悪く言って、それを聞いた周りの人間に不快感を与えるような人に、誰が親しくなろうと思うのか。人を傷つけたり攻撃する言葉を口にするような、不快感を感じる人と、わざわざ同じ空間にいようとは思わないの
うまく話せないのは当たり前常に周りに対してイライラしている潜在的に危ないおじさんやじいさんがいっぱいいるのも当たり前将来の不安を煽って、無用で無駄な投資をさせる悪徳業者がいるのも当たり前不安を煽って特定のサービスや事業、投資に利益誘導するステ
対戦ゲームは、基本的に負けるようにできているので、自己肯定感を下げるからイライラしやすいFIREは、経済的な社会関係から自身を切り離すことに伴い、人間関係が少なくなり、自己肯定感が下がることもなくなるが(ストレスが少なくなるが)、社会に貢献する機会も一緒
《立ち回り》場の全体を見渡して、・敵への牽制、陣地整備・デスしない・敵の隙を窺う・味方のカバー ↓人数有利なら、前に出る ↓人数不利なら、後に下がる《負けて当たり前》味方が前に出るなら勝てるし味方が前に出ないなら負ける味
記事を読んで知識を仕入れるのは意識(窓口・表層)の仕事。仕入れた情報から、思惟により良い有益な意見を生み出すのは無意識(中層・深層)の仕事だ。良い意見はいつも無意識から出てくる。すぐ出てくる良い意見は、あらかじめ(過去に)無意識から出てきた意
これから日本周辺で起こりそうな戦争。ウクライナ・ロシア戦争の終結/停戦(ロシア領土拡大:ロシアの勝利)↓アメリカの分断と内部崩壊(不法移民、貧困層の増大、薬物蔓延、IT事業の行き詰まりで国力低下←中露の対米戦略による)↓アメリカの対中・対露戦略