無の荒野を徹底しよう。無の荒野(自分にとって都合のいいものが与えられることは無い=欲の諦め=欲の否定の打ち消し)を徹底して初めて、目を凝らして(感覚を細部/ディティールまで研ぎ澄まして)、詳細を詰めていけば、小さな緑(善=肯定)を見つけることができる
発熱、倦怠感、喉や体の痛みがあって、不快感が続くとき⬇平熱、健康ないつもの状態は、もはや自分の体には無いと思い、無いものを求めず、不快感を消し続ける。⬇消し続けるのが負担になるし、頭も働かなくなる(良い認識の変化が生まれづらい)。が、不快感を消す
①の外部の良い認識の変化は、数が少なく、欲望の快感は期待できない運が有る快感とは、有ることが難しい快感、いわゆる有り難き幸せであって、数が少ないから、これに快感/幸せを頼ることはできない②の外部の悪い認識の変化は、常に生まれて数が多く、欲望の不快感
考えることなんて、いっぱいあるだろう。知らない/分別のついていないことばかりだから。見つけていない/気づいてないことも多い/無限にある。分かっていることは少ない。快感や不快感/感覚/無意識/差し迫った問題を、《考えることのスタート・きっかけ》
ショーペンハウアーの云う《陽気さ》とは、③自分の中で、常に発見や気づきによって、良い認識の変化を起こしていること。アランの云う《行動することがいい》とは、体を動かすことにより、①脳の血流を上げて感受性を上げていること(与えられている幸運に気づける
全ては、自分の脳の中で、良い認識の変化を起こすかどうかである。(快感/楽しさ・自己肯定/幸せ・幸福となるか、不快感/苦痛・退屈・自己否定/不幸せ・不幸となるかが決まる)。欲望の①②も、理性の③もだ。〔外部〕からは、何も無い・運が有れば、有
どう努力しても、運が有れば、勝つことができるし①どう努力しても、運が無ければ、勝つことはできない②ー②ー勝つことによる、良い認識の変化からの良い神経的刺激/ドパミン放出を起こし、楽しいと思うことは、運が有ることが必須だから運が無い
①与えられることによる認識変化/良い神経的刺激/ドパミン放出/快感今に有るものを楽しむ⇒(外部には何も無いのが当たり前・本来的とすれば)全ての今に有るものは、幸運によって、与えられたものだと気づく/認識を変化/良い神経的刺激になる/ドパミン放出/快
風呂に入って自分をケアする気持ちが沸かない≒自分に価値を見出だせていない≒うつ病の(初期)症状ですね。風呂キャンセル界隈系の人は、生きづらさで悩んでいるはずなので、注意した方がいいです。
読書について◆読む部分が、与えられること⇒与えられる認識変化と神経的刺激とドパミン放出◇分別をつけるために自分の中で考えて、見つける・分かる・気づく部分が、与えること⇒気づきの認識変化と神経的刺激とドパミン放出
分別がついてないこと⇒課題分別がつくこと⇒打開分別がつく(気づく/分かる/見つける、できるようになる)⇒認識の変化⇒神経的刺激とドパミン放出/楽しいと感じて、やる気が生まれる分別をつけ続けること⇒知り続けること⇒哲学(フィロソフ
結果が予測できると義務的となる難しい課題にも意味はある打開の工夫と結果の変化による脊髄的/神経的な刺激の楽しみが生まれる。課題がないと課題の打開のための工夫の行動をとる必要がないから行動による脊髄的/神経的/物理化学的な刺激も生まれず楽
不便なことも、不快や苦痛として捉えるのではなく、課題と捉えて、不便なこと/課題を打開することに喜びや楽しみ、集中することをすれば、便利な状態を創る(③)という自己価値につながる。日々生まれてくる不便なこと、不快さ、苦痛は、そのまま不快として
非日常への没入が楽しいとすると、与えられた非日常から冷めたときが終わりだからなー。異世界ラノベもそうだけど、与えられた都合のいい非日常の世界に浸り続けられるのも限界があるから、違う楽しみ(与える楽しみ)も探したほうが幅が広がる。ちなみに麻雀は与える楽しみ
ー孤独という、承認欲を満たしてくれる人が周りにいないという状態についてー承認欲という欲望から見れば、孤独とは、承認してくれる人が周りにいないため/欲望を満たすことができないため、不快で苦痛な状態であると言えます。しかし、承認してくれる人が周り
②自分は特別な存在では無い(特別に扱われることは無い)(特別で有ろうとするために何かをしなくてよい)ーー補足ーー自分は特別ではない。特別に扱われることが無いのが本来的である(当たり前)よって、特別であろうとすることも、欲望の苦しみを生む
少年漫画のよくある展開で、ピンチになったときに、感情が高ぶって、すごいパワー得て逆転勝ちをするという展開があるが、この感情の高ぶりと逆転勝ちは、一見感動的な演出のように見えて、人間の悪いところが出たものである。要は、人間の悪いところを利用して敵に勝つ
無職による犯罪が毎日のように発生しています。なぜ人は無職になると凶行に走ってしまうのか、その流れを箇条書きにしてみました。ーーー無職となる↓社会的な役割を持っていない収入も地位もない周囲から相手にされない/腫れ物扱い/避けられる/疎ま
願望をそのままタイトルにしたような、なろう系小説やWebコミックが多いので、そういう現実への不満を持った人(特に男性)が多いのだろうと思います。どれも《承認欲求に不満のある主人公が異世界で強くてニューゲームをしたい》みたいなタイトルや世界観が特徴です。
毎日毎朝、ゼロ/無/空へリセットしなければならない。①ものが有るのは幸運の産物→ものが有ることを楽しめ②ものが無いのが当たり前/本来的→無いものを求めるな 不快、退屈、不満を持つな ・物理的に距離を置く ・精神的に距離を置く 他責
介護職、保育士、運送ドライバーについて、社会的に必要な職業なのになぜ給料が安いのか?という話題を時々目にします。結論のみ言いますが、社会的に必要な職業だから低賃金なのではなく、誰でも容易に参入できる《レアでない職業》だから低賃金なのです。医者も
そもそも相手や周りに期待してはいけないよ。そんなものは何も無いのが本来的(当たり前)なんだよ。自分に与えられるものは何も無いのが当たり前で、無いものを求めるから不快で苦しむんだ。身のまわりに何かが有るとしたら/身のまわりに有るものは、それらは全て幸運
人生に限らず、いろいろな仕事や対戦は、要は人間関係が有る全ての物事は、敵が強い/味方が弱い/自分が弱いせいでボコボコにされることも特別であって、それを(味方や敵に頼らず)自分が工夫して考えて打開することに、楽しみ/価値を見出せうるかどうかのゲームなの
たぶん、俺らが老人になったときって、今の老人世代とは違って暇にはならない可能性が高い。今の老人世代は数が多すぎるので、暇になっている。やることがなくてモールをうろついたり、生きがいを失って(本来はそのようなものは無いのが当たり前なのだが)、不満や不
味方が弱いではなく、自分が弱い(自分ができるのは、自分の行動のみである)のはそのとおり。味方というのは(自分の意志や願いに関係なく)ランダムに動くNPCユニットに過ぎない。そのようなNPCを活用するとしたら、NPCが交戦しているところに横槍を入れたり、何
より大事なのは、言葉よりも概念意識/頭よりも無意識/脊髄言葉は記録のための情報に過ぎず、概念は今を生きるための情報だ。
生命や人生も、元々は何も(与えられてい)無いのが当たり前(本来的)です。生命や人生が有ることは幸運/奇跡です。本来は無いのだから、生命が無いこと/人生が無いこと/死ぬことも当たり前です。もし死ぬことが分かっているのなら、本来は生は無いもの
哲学とは、そもそもの《もののあり方》を問うて、ものの中の分別を見つけ、分けていくこと。苦痛だから不快と言うが、苦痛であっても快となる場合も不快となる場合もあり苦痛=不快とは言い切れない。この場合、快・不快が最小単位であり、分別され、苦痛は
物事の表現は、単純/シンプルな方が良いとっさのときに情報が多いと、心/無意識/脊髄に響かない物事の詳細は、行間を読みたいときに、紐解けばいい①快は幸運だと感謝し楽しめ(今有るものを楽しめ)②不快は無いものとして消せ(今無いものを求
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無の荒野を徹底しよう。無の荒野(自分にとって都合のいいものが与えられることは無い=欲の諦め=欲の否定の打ち消し)を徹底して初めて、目を凝らして(感覚を細部/ディティールまで研ぎ澄まして)、詳細を詰めていけば、小さな緑(善=肯定)を見つけることができる
自分の置かれている現実そのものを否定しないこと(個別事象の認識だけに囚われないこと)。この行為をやることで、自分にとって都合のいいものが与えられることはない、と感じること。自己否定のみがあること。(若いときは、自己否定→自己防衛→他者否定→承認
(0)無を認識する。(1)無を否定するとしても、(2)無を否定せず、無を受け入れる。 無を受け入れて、何も無いことを認めきる。(3)何も無い状態で、それでも、感覚を細部まで研ぎ澄まし、か細い善さが見出せるなら、それがささやかな肯定となる。
頑張ったからといって、結果や評価につながるとは限らない。結果や評価には、他者の運と才能の運が必須だ。そして、運の占める要素は努力の要素より格段に大きい(運が9割、努力が1割)。むしろ頑張らないといけないという『現実を否定する気持ち』が、苦しみを生み、
やす子さんの4/18コメント⬇"何かに対して過剰にアンチしてる人嫌いな人にわざわざ時間使うのもったいなさすぎる。その時間、自分のために使った方が絶対良いと思うんだ〜嫌いな人がいるならミュートなりブロックなりして見なきゃいいのよ😀"について⬇や
自己愛は、『自己否定の苦』と『他者否定の毒』が表面化した『無自覚の呪い』だから、どこに行っても、誰に対しても、無意識に『他責=積極的攻撃により、他者を攻撃したり(例:自慢や悪口)』、『自責=受動的攻撃により、他者に負担をかけてしまう(例:過度な自虐や自己
無意識が(自己に関わる顕示物を)表に出したいと焦る/急かす⬇❌表に出そうとするのは、他責の欲だから、それは止めよう⬇○表に出そうとするのは、行動の善としよう⬇◎自分が(顕示物を)理解するのは、感覚の善としよう⬇◎自分が(顕示物を)理解する
0.認識する⬇1.認識したものを否定する⬇2.認識したもののディティール(認識した他者の心理、自分の心理のディティール)を把握して、仕方がないと受け入れる⬇3.感覚の善→ディティール 行動の善→ディティールを詰めれば、善さも増え(肯定感とな)る
欲(否定と期待)を煽る者が、最も欲(否定と期待)の苦しみを感じている。期待とは、未来への期待=現実の否定である。自己愛の人間と関わらないことができているのは、ひとつの奇跡的幸運である。自己愛と見た目ばかり大きい人間が(中身は自己否定と他者否定
期待とは、未来への期待=現実の否定である。否定(期待)を煽られる者もそうだが、否定(期待)を煽る者が、一番否定に苦しんでいる。
職場において、他者と接すると、他者と自分の関係性を認識してしまい、否定や期待の気持ち(承認欲の理想と現実のギャップの気持ち)が生まれる。(期待とは、期待どおりにならないなら否定に帰着するため、否定の予約である)否定(や期待)は本能で避けられないが、
無意識(自律神経系)の冷静化/沈静化には、セロトニンの回復が重要だとしても、その(受容への)方向性については、意識の(中庸へ向かう)働きが必要になる。
やる気が起きないとき=無意識が否定よりで辛いときは、(理性が考えても、何もできないので)さっさと帰ろう。エネルギー切れなのか、何らか否定の脳内物質が脳髄に溜まるからなのか(セロトニンの欠乏なのか)、それは分からないが、脳内環境が回復するまで=『特別な
①無意識が否定をする ②意識が受容する ③意識が肯定する◇否定についての『新しい見識』がある=特別な他者も無いし、特別な自分も無いことに、毎回改めて気づき続ける→無意識が納得する→受容(受容の冷静の後に)◇肯定についての『新しい見識』があ
人生とは、死ぬまで・帰納と・演繹を繰り返すこと。即ち、葉っぱ(個別事象)から根っこ(一般原則)を説明する(帰納)根っこ(一般原則)から葉っぱ(個別事象)を予測する(演繹)⬇欲望の否定の葉っぱから、受容の根っこを見る(帰納=中庸で受容)
欲望が個別事象を否定する→否定に苦しむ →運があれば欲望の肯定となる→一時的な肯定の嬉しさとなる=肯定のレベルが上がる=運の必要レベルが上がる→欲望の肯定が難しくなる →時間が経てば否定を忘却する→否定の苦しみを忘れる⬇中庸によって、個別事象
『主:帰納』(よく有る既定の)個別事象に対する一般原則の当てはめ(帰納による理由=理論の説明)『副:演繹』一般原則からの(まだ未定の)個別事象の推定(演繹による予測=事象の説明)帰納は、(よく有る否定事例の)受容なので、納得できるが、面白く
①否定することが常であっても、(現実とは、常に、欲望の思うようにならないようにできているので、否定するのは当たり前だ)②いったん、受容すること、そうなるのは仕方がないと受け入れることに専念しよう(受容=中庸の帰納に専念しよう)③善い行いで善さを生
否定の苦しみを受容するには、より広い概念を把握・イメージして、その広い範囲のことを善いも悪いも言わずに、受け入れるとよく、一旦は、受容に専念しよう。冷静さを取り戻した後に、自分の感覚の善さと行動の善さのみを求めよう欲望の理想を常に求めがちだが、
『問い』自己否定を覚悟してまで、この苦労(※※※※※)をする理由は?苦労によって、自己否定があって、苦労を受け入れて、自己受容して、苦労して善い行いをして、自己肯定することなら、他のことでも実践できるのではないか(他のことをやったほうが、善の形
おそらくあなたは、人から優しくされないから、自己肯定感が下がり、自分には価値がない、面白いことがない、何もいいことがない、居場所がない、と思い気持ちが沈んで辛いと感じているのです。対処法としては、まず、人が優しくしてくれないのは当たり前だと思い
レールから落っこちたら、レールから落っこちたことは事実として認め、そのような現実を当たり前のこととして受け入れよう。 落っこちたことを自分が責めても、周りから責められても、レールから落っこちた事実は変わらないからだ。大事なのはレールから落っこちた
悪口を言う人は、自分も同じように悪口を言われる存在であることを想定していないから、平気で悪口を言うのだ。どうして人を殺してはいけないのかと問う人は、(もし殺人が許されたなら)自分も人から殺されることを想定していないから、そのように問うのだ。人を責
弱者男性が救われない現実は、確かに存在するし、個人の力ではどうしようもないことだ。そもそも個人には弱者男性の持つ考え方すら変える力はない。それは他人の思考であり、他者課題なのだから。弱者男性とは、愛や優しさを与えられたいのに、(容姿、収入、地位、
当たり前でないもの、変わったもの(目新しいもの)は、それだけで現実化した理想であるから、(与えられる)幸せとなっており、語ることはあまりないのだ。与えられた快感(自己肯定感)だけだ。当たり前でないことがあったら、素直に、運良く(有り難く)与えられた
スルーすることとは、諦めることであるスルーすることとは、自分の力ではどうしようもないこと(他者課題、運)を、諦めることであるスルーすることとは、欲(欲望の理想、上下関係、優劣、与えられる、愛される、優しくされる)を捨てて、諦めて、(与えられないと
浅田真央さんは、愛したから(スケートを愛し、スケートを見る人に感動(愛)を与えたから)、(見る人に愛を与えた分だけ)愛されている。愛を人に与えずに、人から愛されることはない。もっと云うと人に愛を「与える」ことが第一で人から愛を「与えられる」こ
自分で、手足を使って、何かをやるとよい。勉強とは、自分の頭を使って、人にまつわる物事(貢献、役に立つこと、善)を知ってあげることだ。人を理解してあげることだ。リアルでやってこそ、以下の理想と現実のギャップが明確化されて、 理想:人の関係でうまく
幸福とはどのようなものだと思いますか幸福とは自分には価値があると思うことで、心の平穏を得ること、だ。①人から与えられたい欲は捨て(与えられなくていいと、過程を放棄するのでなく 与えられないのが当たり前だと、結果は運なのでうまくいかないのは仕
質問:ネットで不快なコメントを繰り返す人がいて、ついつい言い返してしまいます。どうしたら無視できるでしょうか。回答:基本的に現実社会では、特に匿名のネット上では、人の(些細であっても)ミスや解釈の違いにこだわって、マウントを(無意識的にでも)とろう
(自分が)評価されなくていいじゃなくて(人から)評価されないのが当たり前ということ勝たなくていいじゃなくて勝てない(こともある)のが当たり前ということ(負けることもあるのが当たり前ということ) 勝つかどうかは運だから 勝ち負けにこだわらなくていい
知ることとは、ある対象について知り、考察し、深く理解し続けてあげることである(愛をもって、対象に理解と認識を与えることである)それが理性的な意味での知ることだ。雑多な記事(情報)を広く読むことではない。そういう雑多記事を入り口として、その記事の
ゲームなどをプレイして、1回でも勝って、与えられてしまうと、その欲望の欲求を満たした快感(与えられたことで得られる快感)は非常に強いものなので、理性の欲求による快感(与えることで得られる快感)は、かすんで、物足りなくなってしまうのだ。そして、欲望の
一つの言葉(物事)にはすべて必ず2つの性質(相対する2元論というよりは、言葉から派生して2つに分かれる2側面の性質)がある。良い性質・悪い性質、理想・現実などだ。理想にも2つあり、欲望の理想と理性の理想だ。自己肯定感にも2種類ある①欲望の自己肯定感
前提として、運動による肉体的なしんどさは、精神的な苦しみではない。精神的な苦しみは、欲望が生まれている証拠だ。肉体的なしんどさで、精神的な苦しみを和らげることができる(気血水で脳のフレームレートを上げる(血液・体液の巡りをもって気を改善する)、精
人間の幸せ(幸福)には2つある①欲望を満たす幸せ・与えられる・知られる、理解される・愛される・優しくしてもらう・見てもらう・受動的与えられた分だけ、利己の分だけ、自分には価値があると思う快感の幸せ利己(欲望)の理想に現実が近づいた
欲望の問いは、すべて・今の私に-(理想)が与えられないのはどうしてか、となり、その答えは、すべて・今の私にー(理想)が与えられないのは当たり前(不快でない)である、となるだろう。そして、善のために、・今の私がー(理想)を与えればよいとなる。(自明
人や社会が優しくないのは当たり前です。なぜなら、社会にいる人は皆『(周りから自分に対して)優しくしてほしい』と思っているからです。この思いを承認欲といいます。本能なので誰でも持っています。みんな、優しさというベクトルが外から自分に向いているのです
夢を見るな、現実を見よ人に優しさを期待するな、優しくない現実に苦しくなる、優しくないのが当たり前、誰も人に優しくする余裕はない自分の優しさに期待しろ、優しい理想に嬉しくなれる、優しいのは特別で、人に優しくしたら喜びとなる
欲望を生まれさせるのに長けた人の発言は、あなたの心の中に、与えられたいという欲望を生み、焦りや苦しみを生み出す。こういう人たち(こういう人が発した情報も含む)は、世の中にはたくさんいて、お前の現実はこういう点で全く足りていないから、理想はこうだから