無の荒野を徹底しよう。無の荒野(自分にとって都合のいいものが与えられることは無い=欲の諦め=欲の否定の打ち消し)を徹底して初めて、目を凝らして(感覚を細部/ディティールまで研ぎ澄まして)、詳細を詰めていけば、小さな緑(善=肯定)を見つけることができる
おそらくあなたは、人から優しくされないから、自己肯定感が下がり、自分には価値がない、面白いことがない、何もいいことがない、居場所がない、と思い気持ちが沈んで辛いと感じているのです。対処法としては、まず、人が優しくしてくれないのは当たり前だと思い
レールから落っこちたら、レールから落っこちたことは事実として認め、そのような現実を当たり前のこととして受け入れよう。 落っこちたことを自分が責めても、周りから責められても、レールから落っこちた事実は変わらないからだ。大事なのはレールから落っこちた
悪口を言う人は、自分も同じように悪口を言われる存在であることを想定していないから、平気で悪口を言うのだ。どうして人を殺してはいけないのかと問う人は、(もし殺人が許されたなら)自分も人から殺されることを想定していないから、そのように問うのだ。人を責
弱者男性が救われない現実は、確かに存在するし、個人の力ではどうしようもないことだ。そもそも個人には弱者男性の持つ考え方すら変える力はない。それは他人の思考であり、他者課題なのだから。弱者男性とは、愛や優しさを与えられたいのに、(容姿、収入、地位、
当たり前でないもの、変わったもの(目新しいもの)は、それだけで現実化した理想であるから、(与えられる)幸せとなっており、語ることはあまりないのだ。与えられた快感(自己肯定感)だけだ。当たり前でないことがあったら、素直に、運良く(有り難く)与えられた
スルーすることとは、諦めることであるスルーすることとは、自分の力ではどうしようもないこと(他者課題、運)を、諦めることであるスルーすることとは、欲(欲望の理想、上下関係、優劣、与えられる、愛される、優しくされる)を捨てて、諦めて、(与えられないと
浅田真央さんは、愛したから(スケートを愛し、スケートを見る人に感動(愛)を与えたから)、(見る人に愛を与えた分だけ)愛されている。愛を人に与えずに、人から愛されることはない。もっと云うと人に愛を「与える」ことが第一で人から愛を「与えられる」こ
自分で、手足を使って、何かをやるとよい。勉強とは、自分の頭を使って、人にまつわる物事(貢献、役に立つこと、善)を知ってあげることだ。人を理解してあげることだ。リアルでやってこそ、以下の理想と現実のギャップが明確化されて、 理想:人の関係でうまく
幸福とはどのようなものだと思いますか幸福とは自分には価値があると思うことで、心の平穏を得ること、だ。①人から与えられたい欲は捨て(与えられなくていいと、過程を放棄するのでなく 与えられないのが当たり前だと、結果は運なのでうまくいかないのは仕
質問:ネットで不快なコメントを繰り返す人がいて、ついつい言い返してしまいます。どうしたら無視できるでしょうか。回答:基本的に現実社会では、特に匿名のネット上では、人の(些細であっても)ミスや解釈の違いにこだわって、マウントを(無意識的にでも)とろう
(自分が)評価されなくていいじゃなくて(人から)評価されないのが当たり前ということ勝たなくていいじゃなくて勝てない(こともある)のが当たり前ということ(負けることもあるのが当たり前ということ) 勝つかどうかは運だから 勝ち負けにこだわらなくていい
知ることとは、ある対象について知り、考察し、深く理解し続けてあげることである(愛をもって、対象に理解と認識を与えることである)それが理性的な意味での知ることだ。雑多な記事(情報)を広く読むことではない。そういう雑多記事を入り口として、その記事の
ゲームなどをプレイして、1回でも勝って、与えられてしまうと、その欲望の欲求を満たした快感(与えられたことで得られる快感)は非常に強いものなので、理性の欲求による快感(与えることで得られる快感)は、かすんで、物足りなくなってしまうのだ。そして、欲望の
一つの言葉(物事)にはすべて必ず2つの性質(相対する2元論というよりは、言葉から派生して2つに分かれる2側面の性質)がある。良い性質・悪い性質、理想・現実などだ。理想にも2つあり、欲望の理想と理性の理想だ。自己肯定感にも2種類ある①欲望の自己肯定感
前提として、運動による肉体的なしんどさは、精神的な苦しみではない。精神的な苦しみは、欲望が生まれている証拠だ。肉体的なしんどさで、精神的な苦しみを和らげることができる(気血水で脳のフレームレートを上げる(血液・体液の巡りをもって気を改善する)、精
人間の幸せ(幸福)には2つある①欲望を満たす幸せ・与えられる・知られる、理解される・愛される・優しくしてもらう・見てもらう・受動的与えられた分だけ、利己の分だけ、自分には価値があると思う快感の幸せ利己(欲望)の理想に現実が近づいた
欲望の問いは、すべて・今の私に-(理想)が与えられないのはどうしてか、となり、その答えは、すべて・今の私にー(理想)が与えられないのは当たり前(不快でない)である、となるだろう。そして、善のために、・今の私がー(理想)を与えればよいとなる。(自明
人や社会が優しくないのは当たり前です。なぜなら、社会にいる人は皆『(周りから自分に対して)優しくしてほしい』と思っているからです。この思いを承認欲といいます。本能なので誰でも持っています。みんな、優しさというベクトルが外から自分に向いているのです
夢を見るな、現実を見よ人に優しさを期待するな、優しくない現実に苦しくなる、優しくないのが当たり前、誰も人に優しくする余裕はない自分の優しさに期待しろ、優しい理想に嬉しくなれる、優しいのは特別で、人に優しくしたら喜びとなる
欲望を生まれさせるのに長けた人の発言は、あなたの心の中に、与えられたいという欲望を生み、焦りや苦しみを生み出す。こういう人たち(こういう人が発した情報も含む)は、世の中にはたくさんいて、お前の現実はこういう点で全く足りていないから、理想はこうだから
40歳の無職引きこもりの精神病です、どうしたら幸せになれますか?あなたが、あなたのことを価値がないと思っていて、あなた自身もあなたの置かれた環境も周りもすべて価値がないと思っていて、嫌いだという状況なのだろうと思います。幸せになりたいと思っている
脳出血で倒れた30代男性、自ら死を願った驚愕理由https://toyokeizai.net/articles/-/745912この慶応大学教授は不幸な人(自分には価値がないと思っている人)なのだろう。この人は、けがをして期待したお金を与えられない自分に価値がないと思い、認知症の母や
与えられるのも悪くはないが、与えられたいとは思わないことだ(利己は抑制する。利己はたくさんあるから自己価値を失う)与えることは善いことなので、与えたいとは思った方がよい(利他は積極する。利他は少ないからレアなので自己価値を得る)与えられるの
ゴールドオンラインの記事で、欲望に刺さる記事と刺さらない記事があるのはなぜでしょうか。自分と同じか似たような立場や視点を持つ人の欲望のエピソードならば刺さる。そうでなければ、欲望の焦りは生まれないので、欲望に係る質問と回答も出てこない。この人
お金になるニーズとは、欲望の苦しみを消してあげることだ。ニーズとは、欲望の焦りを消してあげようとすることだ。人間関係があれば、必ず人のニーズが生まれる。ニーズとは、承認欲の焦りや苦しみを消してあげようとすることだ。その対価がお金や評価(名誉)であ
最初から全部分かるよう理想を作って読む必要はない、気楽に、(理想を捨てて)苦を感じないように、目を走らせよそれだけでも、重要なところは知れるし、まずはそれだけでいい。デティールは(重要な箇所に)積み上げるように知ることとなる。まずは客体を(愛を持って)
なぜそうなるのか、を答えるためには、それを知る努力を゙持って(知る対象への愛を持って)、知る必要がある。どう考えるのかは、どう考えるのが良いのか知っていることだ。よって、未知を既知とするよう、対象の客体と同一となる行為をして(これを勉強・読書して、知らな
高齢者になると誰にも相手されなくなるので、寂しいと感じやすくなります。高齢者でなくとも承認欲が強いとそうなりやすいです。誰かに相手してほしい、誰かに慕ってほしい、かまわれたいという欲求(欲望)が生まれ、現役時代よりもその欲望が強くなります。しかし
黒歴史が記憶に蘇って辛いときどうするか。恥ずかしいこと、人にバカにされたこと、侮辱や軽く見られたことなど。人がどう思うかは人次第だから、あなたではどうしようもないので諦めろ。あなたが不要だとか、あなたがた早く辞めればいいのに、あなたの言ったことは(
自らの゙欲求ばかりを満たしてしまいがちだが、そればかりでは、欲求の頭打ちになり、欲求が満たせなくなるから、苦しくなってしまう。自分の欲求を満たし、自分には価値があると思うことばかりだと、欲求が満たせず、自分には価値がないと思い、不快で苦しくなるからだ
仕事が精神的に辛いから辞めたいと思うことはよくあることだと思いますですが、辛いからといってすぐに辞めていては、次の職場でもどうせ辛いことがあるので、辞めることを繰り返してしまいます。すぐに辞めようとはせずに、自分の辛いと思う感情をなだめ、心の平穏を
人間関係では、人と比べる機会が増えるので、欲が生まれ、理想(人より優位になりたい)が生まれる。人とは対等である、と思っても、承認欲(人より優位になる欲)があるから、本当の対等扱い(何もやりとりのない平等扱い)とは本能的には無理なのだ。対等とは、持
生きていたら、以下のように辛いことがあるので、・与えられたい欲があるのに、・与えられる能力が足りないせいで(能力が足りていれば、欲を満たしているはず、理想を実現しているはず)、・与えられず、欲が満たせず、・与えられない自分には価値がないと思い、
欲は捨てるべきだが欲を捨てることにこだわりすぎると、欲に注目することになって、欲を意識するので、返って苦しくなる。大事なのは、まず自分が与えること、与えることだけを考えること。与えることだけを意識すること。欲を捨てるというのは、欲を意識しない
人間関係があればあるほど、承認欲(多くの人よりも優位に立つこと欲すること)が刺激され、理想(多くの人よりも優位に立つこと)と現実(優位に立っていないこと)とのギャップに苦しむことになる。よって、究極的には、人間関係がなければ、欲(理想)が生じる機会も
ぶっちゃけると、★人間関係がまったくない、けれども、 →欲が生まれず、悩みも生まれない (理想が生まれない、人から与えられない不幸せがない)■それでも安定して生活できる、 →安定した仕事がある (周りに与える幸せがある) 安定した生活
目的(動機)があって、原因(理由)と結果(現象)がある結果(現象)に対して、ホワイダニットが目的(動機、なんのためにやったか)で、ハウダニットが原因(理由、どのようにしてやったか)である目的は一つしかないので肝要だ。原因は諸々あるので問う意味はそれより
欲を捨てることとは、理想と現実のギャップを少なくすること(で、ギャップから生じる苦痛や生きづらさを減滅すること)であって、具体的方法には以下の2つのアプローチがある。・理想を現実に下げること(人に期待しない、欲をあきらめて現状を受け入れる、人にそう思
周りや人から、好ましくないもの(暴言、暴力、マウント、騒音、その他の攻撃的なもの)を与えられたならば、たちまち心が乱れ、承認欲が刺激され、直情的になってしまうかもしれない。このようなときに、承認欲の不満を鎮め(あきらめ、反応せず)、心の平穏を保つ(アンガ
勉強/学問とは、対象を研究し調べる(既存の知識を知り、未知を知るために仮説を立てて実証する)ことを方法として、対象に含蓄されている・知られずに眠っている情報・(周りの)誰も見つけていない情報を見つけ、発見し、意識することで、知を蓄積し(未知を既知とし)、真
生きづらさとは『自分には価値がない』と思っていることで沸き起こる苦しみである。そして、人は、『何も(してい)ない』※と、本能的に自然と『自分には価値がない』と思うようになっている。自分には価値がないと思うのは、苦しいこと(で生きづらいこと)だから
人の暴言、暴力にも反応せずにいること。原則として人のやることは(人の裁量なので)自分では制御できない。与えられたものが暴言やマウントで、期待したものを与えられなかったから、承認欲求が満たせなかったから、自分には価値がない、と思うのではない。与えられ
ースプラトゥーン3でウデマエSになって思ったことースプラトゥーンは承認欲を刺激するゲームだ。承認欲を満たす/満たせないこと(勝った、相手を倒した、相手に倒されなかった、強い味方がいた)は、ウデマエ、Xパワーとして形に残り強調されているが、チームに貢献したこと
特定の人を、攻撃したり、妬んだり、貶めたり貶したりすることで、(人と比べて相対的に優位になろうとして)承認欲を満たそうとすることは、つつしむべきことだ。承認欲がエスカレートし、際限なく攻撃的になり、(役に立つことで自分には価値があると思えるような)救い
幸せであることに気づいていなければ、それは不幸せである。幸せであることに気づいていれば幸せであり(自分には価値があると思える)、そうでなければ、不幸せである(自分には価値がないと思い、苦しむ)。幸せな人は、自分が幸せであること(①人から既に多く
他者評価という不確定なものはないものと考える。他者評価には平均よりも高いレベルに達する必要がある(レーダー図ようなもの)。他者評価(は運が絡むから)のためではなく、誰かの役に立つ、自分の行動を積みあげること(役に立つ事項で構成される作業を積みあげ
■承認欲求の幸せ周りの人から特別な愛(注目、評価、感謝、承認、喝采、お金、地位、名声、報酬)を与えられることがトリガーとなり、人から与えられた愛の分だけ、自分には価値があると思う幸せである。■承認欲求は他者課題人から愛を与えられることは、周りの人
人生の意味とは、人から評価されたり、お金や名誉を与えられたり、何らかの成功や勝利をするといった、外界(外面・環境)からの承認欲を満たすことではないということに、いいかげん気づかなければならない。そして、気づいていないだけで、現状においても、既に周りの
バカと無知のお話は、人がバカかどうかを品定め(して距離を置こうと)する論調で語られているけど、本当の危険人物ならともかく、(考え方や能力の違う)人間同士の分断が進むので、表現としてどうかなとは思う。人を(考え方や能力が多少違うからといって、自分にとって価値
自分を褒めることが、人や社会のために貢献して、そのように人の役に立つことをした自分には(役に立ったから)価値がある、と思うことであれば問題はないですが、自分を褒めることが、他人から褒められることを想定しているなら(承認欲求を満たすことで自分には価値があ
誰でも時間をかければ多少なりとも手に入る「お金」で、(スキルやノウハウが必要なものと比べて、比較的容易に)特定のグループの中の地位や評価を得ることができる(お金を出せば周りよりも強い状態になれる)という意味では、ソシャゲも宗教も同じものだ。承認欲求の
〈人間の呪い(本能の欲求)と苦しみ(欲求不満による自分には価値がないと思っていることのループ)〉①承認欲求について苦しむたびに、苦しみたくないから、いろいろと考えて、既に与えられているものを思い出し、希望や期待を見出し、一時的に不満の忘却と一時的な
〈人の生きる意味〉・人の生きる意味とは、よりよく生きることだ。それは自分には価値があると思えることだ。今そのように思えないなら、思えるようになることでもあるし、今思うことでもある。→欲望を満たすと、強い快楽・報酬が得られるが、必ず欲求不満になるため
誰かに慕われる誰かと話す(わずかながらでも承認されたと思える、存在をみとめられたと自覚できる)ことで承認欲求を満たすと、欲求不満という苦痛が消え、欲望を満たした快感が出る。これが人と話すことの幸福感の正体だ。人間の悩みは人間関係の悩みであ
人間には、承認欲求と呼ばれる"他人と比較して優越を求める本能(呪い)"がある以上、いじめもなくならないし(弱者ヘの優越性の搾取)、嫉妬も誹謗中傷も(強者ヘの優越性の攻撃)、大小様々な争いも戦争もなくならない(周囲との優越性の奪い合い)。承認欲とは、社会性がない
時代のニーズとは、その時代の他者から注目を集めることができることだ。その才能が、自分の身体、容姿、脳機能、精神に備わっているかどうかは、生まれ持つかどうかの運の問題だ。成功者は努力したというが、ベースになる容姿や身体などの才能を運良く持っていなけ
褒めることも叱ることも、子の視点で見ると、他(親)から子という自分に与えられるものなので、子の承認欲の呪いになってしまう。親にとっても、子から承認されるかどうかで、承認欲の呪いにつながる。善性と言うと、哲学的で、抽象的であるから、具体的には「肩も
他が(承認欲にとらわれていて)どう考えて、どう行動して、どう悩んでいるかを、気にして、自分の精神の中に妄想の他を住まわせて、自分の承認欲を満たすために考えたり、悩んでも意味はない。これは、他からの承認欲を満たせない、欲求の不満と、欲求を満たせないから
一番大事なのは「作る作業に没頭している」かどうかだ。⭐作業をして人の役に立つから、自分には価値があると思えているか?⭐形を作って面白いから、作る作業に没頭できているか?だから、没頭できるくらい・描きたい、・作ってみたい、・やってみたい、
絵を描こうとする人が多いのは、知識や技術がなくても、勉強しなくても、とりあえず描けるから。しかし、実際に描いて、技術も知識もなく、その結果下手でうまく描けないから、承認欲求を満たせず、(もう一つの理性も満たせず)辞めてしまうのだ。必ずしもうまくなら
人間の悩みは、人間関係の悩み。人間関係の悩みは、承認欲求の悩み。人間の悩みは、承認欲求の悩み。人間の悩みは、すべて、・承認欲求があるのに、・その欲求を満たせないこと、から生まれる。欲求が強いのに、欲求を満たせるかは運次第で、基本的に
絶えず襲ってくる欲望(承認欲求)を、受け流してからが本番だ。気の巡りの悪さ=欲求の満たされなさ(欲求不満)を、運動と肯定と諦めで、解消する。(他人の言動や行動に、とやかく文句や感想を付けることも、不要で、無用なことだ。他との比較という承認欲求が生まれてし
成功する確率が1パーセントとして、残りの99パーセントの成功していない者が、1パーセントの成功者を見て、欲求不満に陥るのが多くの人の現実だ。成功への拍手喝采を求める悪い憧れも嫉妬も等しく承認欲求の呪いの産物である。善い憧れは善いものを作り求める情熱と
精神的な世界には、他人はおらず、自分のみだ。他人に想うことはすべて自分の幻想である。他人とは、自分の善性のためのみに存在しているだけだ。善性とは人や社会の役に立つことであり、貢献することである。精神的な世界に、他人を存在させてはならない。それは自
何かを作ろう、いや何かを常に作るべきだ。それが、役に立つ善い仕事であって、有形性(形、記録に残ること)の面白い仕事になる。そうでないと、他から与えられるものを消費するだけの、流れ込むだけの、承認欲求だけの、満たされない不幸になってしまう。作る
ー意志の強度とステージのカーストー⑤作らざるを得ないもの、作らないと気がすまないもの↑↓④作ると面白いもの↑↓③作ると役に立つもの↑↓欲求と理性の壁(大事なのは、作ることか、拍手喝采なのか)↑↓②作ることで拍手喝采を期待すること(拍手喝采
拍手喝采ではなく(承認欲求ではなく)、そのような地味で単調で時間のかかる細かい作業を繰り返すことができるか。そのような作業を、寝る時間を惜しんでやらざるを得ないくらい、寝ても醒めても、その作業をうまくやることを考えていられるか?その作業にはまっていら
長渕剛の嫉妬論“毎日死にたかった” 悩みを持つ女性の相談に… 長渕剛が「私はダメだ。ともっと思えばいい」と回答したのは何故か?https://mdpr.jp/news/detail/3802104・・・・嫉妬をゴキブリに例えると、家にゴキブリが出てもいいじゃない、嫉妬=ゴキブ
どこまで勉強ができるかは、本人(子供)次第だ。本人ができるところまでやれば善いし、それ以上も(親の叱る基準)それ以下も(親の褒める基準)ない。ただ子供が本人の意思でやれるレベルを、ありのままのレベルを、認めてあげるだけでよい。いけないのは(褒め
実際、人間の不満というものは、すべてが承認欲求の不満なのだ。承認されないから不満や文句を言う。自分の顔(メンツ)が軽んじられたから、下に見られたから文句を言うのだ。アドラー曰く『人間の悩みは、すべてが人間関係に起因する』と。逆を言えば、人か
幸せとは『自分には価値があると思える』ことである。人生には2種類の幸せがある。一つは、欲望を満たすことで得られる幸せで、もう一つは、理性を満たすことで得られる幸せだ。欲望を満たすことは、本能だから誰にでも常にある。一番メジャーで、一般的で、メディ
与えられたものは、すべていいものだと捉えよう。外や他人から私へ流れ込むものは、私に与えられたという点で、すべてありがたいものだ。欲求を満たせないものだと思っても気にすることはない。そのもののありがたさに気づいていないだけだからだ。目に入るものだけで
人が自分から見て幸せかどうか、人から見て自分が幸せかどうかを考えることは無意味だ。他人から評価されたからご機嫌になったり、他人から評価されないから不機嫌になるようでは、不幸なままなのだ。
スーパーで年配男性客が「謝れ!謝れよ!」 困る店員の前に現れたのは?https://topics.smt.docomo.ne.jp/article/grapee/trend/grapee-1372143記事を読んだことが前提になっている。土俵に乗っている。同じテーマについて同じ感情を抱いている。話をする
管理職になって善い仕事ができるならいいが、つまらない折衝や管理ばかりでは、善い仕事(技術を行使できる仕事、建設性のある仕事)は難しい。地位があがっても、それは会社から与えられた借り物であって、承認欲求を満たすものにすぎず、地位に依存しても、欲望は満たさ
自分に流れ込むものではなく自分から流れ出るものを意識せよ。自分から流れ出るものを増やすのがよい。自分から流れ出るものについては、①人のために、役に立つ、よい仕事を実行することだ。②そのための知識、ディティール、技術を蓄積することだ。③人のた
自分には価値があると思えるように、パートナーのために役に立つことをする、貢献する、これを愛という。愛は理性から生まれるものだ。欲望から生まれる愛欲(性欲)とは違う。愛欲(性欲)とは、パートナーから快楽、承認欲求、権力欲、支配欲を満たせるもの(評価、
《作品作りのフローチャート》ある対象に興味の種※が出たら↓その対象の、素晴らしいところ、美しさ、面白さ、有益さを見つけて、列挙していく【熱意の源】↓表現したい、具体化したい、概念にとどめておかず形にしたいと思えるものか(せっかく見つけた良い概念
【人間の束縛と自由】欲望の節制・ひとひとりの存在はちっぽけである。承認欲求のために自分を過大評価するものではない。理性の偉大さ・理性がよきもののために、技術を行使して、建設したものは偉大である。【思考の切り替え】思考の切り替えとは、・
仕事をおもしろくする主な要素は、二つある。一つは、技術を行使することもう一つは建設である。技術は、無限に向上させうるものでなければならない。ディティールへの熟練や工夫を発揮でき、相当の技術を必要とする仕事は(新しく技術を向上させたから、貢献して役に
【熱意】熱意とは、ありのまま現状の肯定である。現状の美しさや多様な変化に気づき、その特別なありがたさや恩恵に興味という形で気づくことだ。そして、もっと対象を知りたい、対象のために時間を費やしたいという理性の働き(無知の知)でもある。今しかない特別な
年収500万の44歳マスコミ勤務が“うつ”で退職して悟った孤独「驚くほどスマホが鳴らない」https://nikkan-spa.jp/1912135この記事の人は、他人に注目してほしい、かまってほしいという承認欲求が強すぎる。多くの人が承認欲求の呪いに陥っているが、それでは不幸な
■欲求、快楽だけを貪って、ただ新しいだけのものを、ただ見るだけでは、見たあとに何も残らず、欲求不満しか生まれず、むなしくなるだけだ。『手順:いろいろ考える前にまずは体を動かせ、思考は雑に行動は慎重に』血流量をあげ、心拍数をあげ、血液の有酸素濃度をあ
退屈だなと面倒だと感じたら、■欲求 新しいこと、日常と違うこと、特別なもの 変わったこと、場面 ありえない組み合わせ (新しい、特別なものでないと欲求は満たせない)想像力にはおのずと限界がある。意識で考える想像は、過去に与えられた経験や場
人へ示すこと。・特別である(新しい、興奮する、快楽的)・ディティール・役に立つ自分が行うこと。・役に立つ・ディティール・特別でない(静かな、当たり前の、単調な、快楽的でない)・特別である(真理を知る、新しい知識)自分への大事な思い出す
叱られたり、褒められたりしなければ(人から何かしら、かまってもらわなければ)やらない人間になってしまう。これでは、社会に出たら、ほめてくれる人はほとんどいないので、うまくいかない。叱る人は多くいるが、叱られ慣れていないので、叱られたらすぐ自己肯定感
一つのテストがある。そのテストはこうだ。あなたがものを書くのは、ある思想や感情を表現したいというやむにやまれぬ衝動を感じるためなのか、それとも、拍手かっさいを浴びたいという欲望に駆られたためなのか。本物の芸術家にあっては、拍手かっさいへの欲求は、普通強烈
自分が役に立つことを行ったから、自分には価値あると思い、ついでに生産性もある(市場価値がある)、と思うならいいが、生産性があるから(市場価値があるから)、自分には価値あると思うのでは、不幸になる。生産性があることは不安定だから、生産性がなくなると不安
ラッセル幸福論の第5章《疲れ》より。ー理性的な確信を無意識の領域で働くようにするー意識の無意識への働きかけは、精神衛生の分野で実に大きな重要性を持っている。意識的な思考を、無意識の中に植えつけることは可能である。むずかしいトピックについてか
ラッセル幸福論の第3章《競争》にて先進国になる↓経済的に成功することが主要目的になる(人生観の主軸になる)↓成功のための競争が烈しくなる↓競争にとらわれすぎ人生をエンジョイできず子供を作る余裕がなくなる↓人口が減少する↓衰退↓
人間生きてたら、評価されることもあるし、評価されないこともある。評価されたから、評価された分だけ自分には価値があると思う必要もないし評価されないから、評価されない分だけ自分には価値がないと思う必要もない。そんなことをしていたら心の平穏は得られないし
面白いとは、新しく(欲求に訴える)、役に立つ(理性に訴える)こと。見つからなければ、ディティールに降りていくと、面白いと思う情報の要素が見えてくる。だから、神はディティールに宿る、と言うし、継続することで、物事のディティールが分かれば分かるほど(新しく、
役に立つことをするから、自分には価値があると思う。自分には価値があると思うから、幸せであり、楽しいと思う。《理性とは、自分でどうにかできることである。》①善のために、すすんで行う、自分は役に立つと思える仕事、創造を行うことだ。②役に立つことを
休日の過ごし方とは、過去の欲求を満たせなかった不満を考えることではなく、将来の欲求を満たせない不安を考えることでもない。そして、現在の欲求を満たすことでもない。過去は変えられず、未来はまだなく、そして現在の欲求ですら満たされない【蓋然性が高い】
《作り方の骨子》①問題:攻撃的な人への欲求の不満②希望:欲求不満は解消できる③方法:可哀想と思うことで欲求を諦める、肯定する、同じ土俵に立たない(→理性的な行動へ移り、自分の命じたように、すすんで支配権をもって創り、自分には価値があると思う)
①問題をあげる【自分には価値がないと思う事案】②希望を示す【善のイデア】③解決する方法のフローを示す【自分の行動のみで自分には価値があると思うこと】①誰にでも起こる問題を出す【欲求を満たせず、自分には価値がないと思い、不満や不安がある】②問
【欲求について】①他人に期待せず、他人の評価や注目と、自分の価値を結びつけない(承認欲求への諦め)②他人から既に与えられていることに気づく(現状の肯定)③肉体面で、運動して体操して体液を循環させ洗い出す(心拍数をあげ、血液量、血球、有酸素濃度を高め
自分の意志で行動することの幸福(自らの意志で知覚し行動することの幸せについての考察)自分が支配しているかぎりは愉快であり、自分が服従しているかぎりは不愉快だ。人は、もらった楽しみに退屈し、自力で獲得した楽しみをはるかに好むものだ。行動を伴わ
戦争は、人よりも特別に恵まれていたいという、承認欲求がある以上はなくならない。承認欲求とは、人間に課された不幸の元凶であり消えない呪い(本能)である。人のリソース(機会、時間、労力)を奪って、自分のものにして(自分のために利用して)、人よりも優位
勝ったとか負けたとか言っている人は、負けたら人には価値がないという救いのない概念を自らに作っているから、本質的に不幸である。今の自分を肯定していないから、承認欲求を満たせていないから(この時点で既に不幸せと言えるのだが)、人と比べて、ある限られた狭い
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無の荒野を徹底しよう。無の荒野(自分にとって都合のいいものが与えられることは無い=欲の諦め=欲の否定の打ち消し)を徹底して初めて、目を凝らして(感覚を細部/ディティールまで研ぎ澄まして)、詳細を詰めていけば、小さな緑(善=肯定)を見つけることができる
自分の置かれている現実そのものを否定しないこと(個別事象の認識だけに囚われないこと)。この行為をやることで、自分にとって都合のいいものが与えられることはない、と感じること。自己否定のみがあること。(若いときは、自己否定→自己防衛→他者否定→承認
(0)無を認識する。(1)無を否定するとしても、(2)無を否定せず、無を受け入れる。 無を受け入れて、何も無いことを認めきる。(3)何も無い状態で、それでも、感覚を細部まで研ぎ澄まし、か細い善さが見出せるなら、それがささやかな肯定となる。
頑張ったからといって、結果や評価につながるとは限らない。結果や評価には、他者の運と才能の運が必須だ。そして、運の占める要素は努力の要素より格段に大きい(運が9割、努力が1割)。むしろ頑張らないといけないという『現実を否定する気持ち』が、苦しみを生み、
やす子さんの4/18コメント⬇"何かに対して過剰にアンチしてる人嫌いな人にわざわざ時間使うのもったいなさすぎる。その時間、自分のために使った方が絶対良いと思うんだ〜嫌いな人がいるならミュートなりブロックなりして見なきゃいいのよ😀"について⬇や
自己愛は、『自己否定の苦』と『他者否定の毒』が表面化した『無自覚の呪い』だから、どこに行っても、誰に対しても、無意識に『他責=積極的攻撃により、他者を攻撃したり(例:自慢や悪口)』、『自責=受動的攻撃により、他者に負担をかけてしまう(例:過度な自虐や自己
無意識が(自己に関わる顕示物を)表に出したいと焦る/急かす⬇❌表に出そうとするのは、他責の欲だから、それは止めよう⬇○表に出そうとするのは、行動の善としよう⬇◎自分が(顕示物を)理解するのは、感覚の善としよう⬇◎自分が(顕示物を)理解する
0.認識する⬇1.認識したものを否定する⬇2.認識したもののディティール(認識した他者の心理、自分の心理のディティール)を把握して、仕方がないと受け入れる⬇3.感覚の善→ディティール 行動の善→ディティールを詰めれば、善さも増え(肯定感とな)る
欲(否定と期待)を煽る者が、最も欲(否定と期待)の苦しみを感じている。期待とは、未来への期待=現実の否定である。自己愛の人間と関わらないことができているのは、ひとつの奇跡的幸運である。自己愛と見た目ばかり大きい人間が(中身は自己否定と他者否定
期待とは、未来への期待=現実の否定である。否定(期待)を煽られる者もそうだが、否定(期待)を煽る者が、一番否定に苦しんでいる。
職場において、他者と接すると、他者と自分の関係性を認識してしまい、否定や期待の気持ち(承認欲の理想と現実のギャップの気持ち)が生まれる。(期待とは、期待どおりにならないなら否定に帰着するため、否定の予約である)否定(や期待)は本能で避けられないが、
無意識(自律神経系)の冷静化/沈静化には、セロトニンの回復が重要だとしても、その(受容への)方向性については、意識の(中庸へ向かう)働きが必要になる。
やる気が起きないとき=無意識が否定よりで辛いときは、(理性が考えても、何もできないので)さっさと帰ろう。エネルギー切れなのか、何らか否定の脳内物質が脳髄に溜まるからなのか(セロトニンの欠乏なのか)、それは分からないが、脳内環境が回復するまで=『特別な
①無意識が否定をする ②意識が受容する ③意識が肯定する◇否定についての『新しい見識』がある=特別な他者も無いし、特別な自分も無いことに、毎回改めて気づき続ける→無意識が納得する→受容(受容の冷静の後に)◇肯定についての『新しい見識』があ
人生とは、死ぬまで・帰納と・演繹を繰り返すこと。即ち、葉っぱ(個別事象)から根っこ(一般原則)を説明する(帰納)根っこ(一般原則)から葉っぱ(個別事象)を予測する(演繹)⬇欲望の否定の葉っぱから、受容の根っこを見る(帰納=中庸で受容)
欲望が個別事象を否定する→否定に苦しむ →運があれば欲望の肯定となる→一時的な肯定の嬉しさとなる=肯定のレベルが上がる=運の必要レベルが上がる→欲望の肯定が難しくなる →時間が経てば否定を忘却する→否定の苦しみを忘れる⬇中庸によって、個別事象
『主:帰納』(よく有る既定の)個別事象に対する一般原則の当てはめ(帰納による理由=理論の説明)『副:演繹』一般原則からの(まだ未定の)個別事象の推定(演繹による予測=事象の説明)帰納は、(よく有る否定事例の)受容なので、納得できるが、面白く
①否定することが常であっても、(現実とは、常に、欲望の思うようにならないようにできているので、否定するのは当たり前だ)②いったん、受容すること、そうなるのは仕方がないと受け入れることに専念しよう(受容=中庸の帰納に専念しよう)③善い行いで善さを生
否定の苦しみを受容するには、より広い概念を把握・イメージして、その広い範囲のことを善いも悪いも言わずに、受け入れるとよく、一旦は、受容に専念しよう。冷静さを取り戻した後に、自分の感覚の善さと行動の善さのみを求めよう欲望の理想を常に求めがちだが、
『問い』自己否定を覚悟してまで、この苦労(※※※※※)をする理由は?苦労によって、自己否定があって、苦労を受け入れて、自己受容して、苦労して善い行いをして、自己肯定することなら、他のことでも実践できるのではないか(他のことをやったほうが、善の形
おそらくあなたは、人から優しくされないから、自己肯定感が下がり、自分には価値がない、面白いことがない、何もいいことがない、居場所がない、と思い気持ちが沈んで辛いと感じているのです。対処法としては、まず、人が優しくしてくれないのは当たり前だと思い
レールから落っこちたら、レールから落っこちたことは事実として認め、そのような現実を当たり前のこととして受け入れよう。 落っこちたことを自分が責めても、周りから責められても、レールから落っこちた事実は変わらないからだ。大事なのはレールから落っこちた
悪口を言う人は、自分も同じように悪口を言われる存在であることを想定していないから、平気で悪口を言うのだ。どうして人を殺してはいけないのかと問う人は、(もし殺人が許されたなら)自分も人から殺されることを想定していないから、そのように問うのだ。人を責
弱者男性が救われない現実は、確かに存在するし、個人の力ではどうしようもないことだ。そもそも個人には弱者男性の持つ考え方すら変える力はない。それは他人の思考であり、他者課題なのだから。弱者男性とは、愛や優しさを与えられたいのに、(容姿、収入、地位、
当たり前でないもの、変わったもの(目新しいもの)は、それだけで現実化した理想であるから、(与えられる)幸せとなっており、語ることはあまりないのだ。与えられた快感(自己肯定感)だけだ。当たり前でないことがあったら、素直に、運良く(有り難く)与えられた
スルーすることとは、諦めることであるスルーすることとは、自分の力ではどうしようもないこと(他者課題、運)を、諦めることであるスルーすることとは、欲(欲望の理想、上下関係、優劣、与えられる、愛される、優しくされる)を捨てて、諦めて、(与えられないと
浅田真央さんは、愛したから(スケートを愛し、スケートを見る人に感動(愛)を与えたから)、(見る人に愛を与えた分だけ)愛されている。愛を人に与えずに、人から愛されることはない。もっと云うと人に愛を「与える」ことが第一で人から愛を「与えられる」こ
自分で、手足を使って、何かをやるとよい。勉強とは、自分の頭を使って、人にまつわる物事(貢献、役に立つこと、善)を知ってあげることだ。人を理解してあげることだ。リアルでやってこそ、以下の理想と現実のギャップが明確化されて、 理想:人の関係でうまく
幸福とはどのようなものだと思いますか幸福とは自分には価値があると思うことで、心の平穏を得ること、だ。①人から与えられたい欲は捨て(与えられなくていいと、過程を放棄するのでなく 与えられないのが当たり前だと、結果は運なのでうまくいかないのは仕
質問:ネットで不快なコメントを繰り返す人がいて、ついつい言い返してしまいます。どうしたら無視できるでしょうか。回答:基本的に現実社会では、特に匿名のネット上では、人の(些細であっても)ミスや解釈の違いにこだわって、マウントを(無意識的にでも)とろう
(自分が)評価されなくていいじゃなくて(人から)評価されないのが当たり前ということ勝たなくていいじゃなくて勝てない(こともある)のが当たり前ということ(負けることもあるのが当たり前ということ) 勝つかどうかは運だから 勝ち負けにこだわらなくていい
知ることとは、ある対象について知り、考察し、深く理解し続けてあげることである(愛をもって、対象に理解と認識を与えることである)それが理性的な意味での知ることだ。雑多な記事(情報)を広く読むことではない。そういう雑多記事を入り口として、その記事の
ゲームなどをプレイして、1回でも勝って、与えられてしまうと、その欲望の欲求を満たした快感(与えられたことで得られる快感)は非常に強いものなので、理性の欲求による快感(与えることで得られる快感)は、かすんで、物足りなくなってしまうのだ。そして、欲望の
一つの言葉(物事)にはすべて必ず2つの性質(相対する2元論というよりは、言葉から派生して2つに分かれる2側面の性質)がある。良い性質・悪い性質、理想・現実などだ。理想にも2つあり、欲望の理想と理性の理想だ。自己肯定感にも2種類ある①欲望の自己肯定感
前提として、運動による肉体的なしんどさは、精神的な苦しみではない。精神的な苦しみは、欲望が生まれている証拠だ。肉体的なしんどさで、精神的な苦しみを和らげることができる(気血水で脳のフレームレートを上げる(血液・体液の巡りをもって気を改善する)、精
人間の幸せ(幸福)には2つある①欲望を満たす幸せ・与えられる・知られる、理解される・愛される・優しくしてもらう・見てもらう・受動的与えられた分だけ、利己の分だけ、自分には価値があると思う快感の幸せ利己(欲望)の理想に現実が近づいた
欲望の問いは、すべて・今の私に-(理想)が与えられないのはどうしてか、となり、その答えは、すべて・今の私にー(理想)が与えられないのは当たり前(不快でない)である、となるだろう。そして、善のために、・今の私がー(理想)を与えればよいとなる。(自明
人や社会が優しくないのは当たり前です。なぜなら、社会にいる人は皆『(周りから自分に対して)優しくしてほしい』と思っているからです。この思いを承認欲といいます。本能なので誰でも持っています。みんな、優しさというベクトルが外から自分に向いているのです
夢を見るな、現実を見よ人に優しさを期待するな、優しくない現実に苦しくなる、優しくないのが当たり前、誰も人に優しくする余裕はない自分の優しさに期待しろ、優しい理想に嬉しくなれる、優しいのは特別で、人に優しくしたら喜びとなる
欲望を生まれさせるのに長けた人の発言は、あなたの心の中に、与えられたいという欲望を生み、焦りや苦しみを生み出す。こういう人たち(こういう人が発した情報も含む)は、世の中にはたくさんいて、お前の現実はこういう点で全く足りていないから、理想はこうだから