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  • 貧すれば鈍す

    収入の低い業種や安いサービスなどのお金の出入りが少ない&安定していない業界というのは、欲望(金銭欲)の思うようにならない現実の否定に紐付く「自己否定(とその苦しみ)に囚われた人」が多いので、「安易に他者否定をする攻撃的な危うい人」に出くわす可能性も高くなる

  • 日本人は「同情心が低い」のか

    日本人は「同情心が低い」 困っているのは「自業自得」と考える心理https://www.asahi.com/sp/articles/AST3V20ZRT3VULLI004M.html-----現代日本の人間は、幼少期から(学歴や容姿などで)他者との競争に曝され過ぎた結果、自己否定感が強く、常に生き苦しさを

  • 嫌われる勇気=嫌われる現実を受容すること

    嫌われてもいいと考えるのではなく、(結果として)嫌われるのは当たり前の事実だから仕方がないと受け入れることだ。嫌われてもいいという言葉は、表現上は同じに見えても、心の内面では2種類の考え方があって、①嫌われる現実を、思いどおりにならないのは嫌だから、

  • 自己否定の穴

    自己否定の穴は、そこら中にあって、加えてこの穴には底がない。穴にはまって、底闇に囚われる前に(自己を否定しないことで)抜け出そう。善く生きて、生じた善さによって自己肯定の丘を築こう。

  • イデアとイメージ

    哲学とは、物事の原理(イデア)を考察し、イメージ(イデアのコピー)として描き出すことでもある(そして、善(イデア)に意識を向かわせる教化のイメージを描き作ること)。物事のイメージが、深い考察によって、描ければ、そのためには[格物致知]が必要であるし

  • 高みを目指すために生きているわけではない

    認識を善くして、(生じた善さで)自己を肯定するのみであって、その(認識を善くして、善さで自己を肯定した後の)結果として、(何らかの他者運や才能運が揃ったおかげで、善さが評価されるという)高みの状態になるのであれば問題はないが、高みを目指すべき、という

  • 他者否定の末路

    何でも嫉妬、批判、マウント、中傷、ハラスメントして、他者否定する人・他罰的な人は、そのうち他者から避けられて、孤立して、居場所がなくなって、姿を消す(か、消えなくても、独りでは身動きが取れなくなる)ので、(脅威にはなりえないから)放っておきましょう

  • YouTubeは○○の見本市

    YouTubeは、欲望の病苦(欲望と反中庸を煽るコンテンツ)の見本市だから、無意識に見ていると、心の中庸を失って、否定の苦しみに囚われたままになりやすい。無意識的にだらだら見ていると、どんどん自己肯定感が下がってしまうので止めよう。逆に、中庸を意識して見

  • 自殺をしてはいけないのかという問について

    自殺とは、究極の自己否定である。自己否定とは、自分のいる現実の否定であって、現実にいる他者の否定でもある。よって、自殺とは、究極の(自分に近しい)他者への否定となる。自殺によって一番ダメージがあるのは、自殺した人が大切だと思っていた(好意を持って

  • AIに対する心構え

    ①何でも無意識的に否定から入るからといって、そのまま否定していると、生き苦しく、進歩もなく、相対的な退化となるだろう。②何でも意識的に(否定せずに)受容して、③何でも善く利用するのが、(自分の肯定感のためには)一番善いことだ。全ての新しい物事の

  • 帰納と演繹と説明の流れについて.txt

    ①帰納・・・現象(個別事例・結果)から、理論(普遍法則・原因)を導出する・・・・(現象)となるのは(理論)だからだろう→欲望の万事(否定の事例)から、中庸(受容の手順)と善(肯定の手順)の一理を導く②演繹・・・理論(普遍法則・原因)から、現象(個別

  • 若い女性に人が集まる理由

    若い女性は、・若さ(年齢と経験での優位が取れる期待=承認欲が満たせる期待)と・性(性欲を満たせる期待)が有るから、惹かれる人が多くなる(特に欲望に従ったままの危うい人が集まる)のは、当たり前。おじさん(おばさん)は、・若さも・性も無いから

  • 謙虚と自己否定は違う

    謙虚とは、現実の自分への過剰な期待を、自ら落として、中庸に従って、現実に合わせ、否定(自己否定や他者否定)を生ま(せず、苦を生ま)ないようにする振る舞いをいう現実の自分を、自ら過剰に落とすことは、中庸に反しており、ただの自己否定であって、否定による

  • 確実な幸福には中庸と善の実践しかないこと

    肯定の幸となる確実な方法は・無と中庸による平常心の実践と、・善による肯定感の実践のみしかない。全ては、主体の、主観の、心の、無意識と意識の、欲望と理性の、人心と道心の、認識した事実の受け取り方=事実認識によって、「事実認識→否定の苦→無→肯定

  • ☆人心は必ず否定/期待から入る

    心(人心と道心)の認識についての考察。 [定義] 心 =人間の精神、心理 人心=欲望、無意識 道心=理性、意識《人心は必ず否定から入る》①否定⬇ ②⬆中庸 ③⬆善人心は、必ずまず否定から入り、道心は、中庸をして、善をする↑

  • ただ生きるのではなく、善く生きる

    ただ(欲望に従って)生きるのではなく、=中庸により平常心とすること=欲望の作用を理性の作用で打ち消すこと=欲望の無意識の作用・結果を期待する(否定と苦を予約すること)・結果を否定する(苦を生むこと)を理性の作用によって、意識して・結

  • 脩身在正其心

    『大学』第三章ー身を修むるはその心を正すに在りー(怒りや恐れや執着や不安が無く)心がしっかり正常に落ちついていないと、何かを視てもはっきりとは見えず、何かを聞いてもはっきりとは聞こえず、何かを食べてもその味が分からない。(これでは身の修めようがな

  • 自己愛性パーソナリティ障害

    自己愛て、障害者本人の持つ『自己否定』の強さの裏返しなんよ。自己否定感が強くて苦しいから、自分自身を守ることに必死(で脳のリソースの大部分を使っているから、話が通じない)んだわ。だから、自己否定の苦しみを和らげるために、自分の話(自己肯定できる自

  • 勝負事と平常心

    勝って気持ち良くなりたいではなく、平常心を保ち、(昨日よりも)善くなるために/善さを認識するために行う。『中庸(平常心)の実践と、善の実践が目的』このことは、中庸への挑戦でもあるし、(平常心への挑戦)善への挑戦でもある意識して、

  • ☆平常心、善の考察(認識善と貢献善)

    『平常心:心の過不及がないこと(心の中庸)』欲望が・結果を期待する・結果を否定するとしても、理性は・結果を期待しない・結果を否定しないとして平常心を得る。『善の考察』理性は①主体が、善く捉えて、(昨日よりも)善さが捉え

  • 求めるものではない、意識して善くするだけだ

    求めるものではない意識して、(主体が認識する力を、主体が客体へ働きかける力=貢献する力を)善くするだけだ求めるものがある結果を期待すれば求めるものがない結果を否定して苦が生じ、平常心ではいられなくなる何かしら良い成果があったとしても

  • 朱子学の根本理論

    朱子の『中庸章句序 第三節』に云われる、(一句)人心(二句)道心(三句)これ精これ一(精密に考え純一につとめる)(四句)中を執れとは、どんな知者でも愚者でも心には(一句)人心(欲望:偏りのある、危険なもの、情)と(二句)道心(理性:

  • 欲望の否定感と肯定感

    (1)都合の良いいことがあると(欲望が満たされると:良いものが与えられると)・欲望の肯定感が生じる ↓・欲望の水準が上がる(期待する) ↓現実の水準は元のままなので・欲望の水準と比べて、現実の水準が低いから、無意識の否定感が生じる(否

  • 退屈と困窮と中庸

    《退屈:面白いことがない》欲望は無意識に、面白いものが・有ることを期待する・無いことを否定する理性は意識して、面白いものが・有ることを期待しない・無いことを否定しない面白いことがなくとも、これを受け入れて、苦を予防し、苦を消して、

  • 正常性バイアスと中庸

    自分の精神(無意識・意識)の中に、反対の作用を、意識して認識させるだけでも、平常心に近づき、苦しみが和らぐ。《欲望の作用:無意識》(1)良いものが ・有ることを期待する ・無いことを否定する(2)悪いものが ・無いことを期待する ・有ること

  • 勝負と中庸と善

    勝負をすると、勝利を期待して敗北を否定して、中庸が乱れて、情緒が不安定になる。《欲望による否定と苦(他者否定の毒、自己否定の辛)》欲望の作用によって、・勝利を期待する(苦の予約)・敗北を否定する(苦の発生)となり、否定の苦となる(他者否定でイ

  • 意識と無意識.txt

    意識は期待しない、意識は否定しない(受容する)、意識の善で肯定する<無(無常と無我)のイメージ> 客体 → 〇〇(欲しいもの) → 主体 欲望・・〇〇が欲しい(与えられたい)と思う本能◇欲しい〇〇が客体(他者)から主体(自分)に対して与えら

  • 苦の予防と治療、楽の増進

    中庸の、・期待せずとは、欲の苦(否定)の予防であり、・否定せずとは、欲の苦(否定)の治療である善とは、理の楽(肯定)の増進である欲の苦:否定、不幸、自己否定の痛、他者否定の毒↕ ↕ ↕ ↕ ↕理の楽:肯定、幸福、自己肯定の快、他者肯

  • 無意識との対話

    無意識との対話というのは、・無意識に刺さった小骨(自己否定の痛みの原因)を、・意識との対話で探り当てて(万事に充てるため)、・自己否定の痛みを取り除く(中庸の一理:無いを否定しない・有るを期待しない)ことだ。体が痛いときに、痛い箇所を探して、

  • 朝目覚めると苦しい理由と対処法

    《苦しさの理由》朝目覚めると必ず苦しさを感じるのは、寝た状態(無意識の状態)で、無意識(欲望の作用)で、欲望が、勝手に、・(都合のいいことが有ることを)期待して、・(都合のいいことが無いことを)否定しているから。寝ると理性(意識)が働かず

  • 認識の善(六根清浄)と肯定感

    認識の善(六根清浄)と肯定の幸六根とは、自分の理性が御せる6つの感覚のこと。眼・耳・鼻・舌・身・意。①眼:眼で善く見えると、今まで見えていなかったモノが見えて、嬉しい=肯定感②耳:耳で善く聞けると、今まで聞こえていなかったモノが聞こえて、嬉しい

  • 因果応報の呪い

    自分が、誰かに対し、そのような善くないことをした、ということは、自分が、誰かから、そうような善くないことをされるかもしれない、という不安の呪い(因果応報の呪い)にかかり、永劫苦しむことになります。闇を覗き苦しみを与えたら、闇からも覗かれ苦しみを与え

  • 毒のないコトを目指す

    毒(反中庸の自己否定と他者否定)の多い世の中で、毒のないもの(自己否定と他者否定がない)を表現しましょう。だれでも、常に、欲望の毒(自己否定・他者否定&その苦しみ)は持つので、常に、理性で、意識して、中庸の期待せず・否定せずによって、欲望を中和する

  • ヤフコメの評価の法則

    ヤフコメは、弱者に厳しいコトを書くとうーん(=共感しない)が多くなり、強者に厳しいコトを書くと共感したが増えますつまりはそういうこと(ヤフコメは「自分が社会的弱者であると意識している又は無意識にそう思っている人が多数派である」ということ)なんです...

  • 毒親の毒は子に伝播する

    親が毒だと、子も毒となるし、子が毒でやられることになる。(注釈)・毒・・・自己否定と他者否定(反中庸、不善)の毒、その苦しみ(承認欲、自己否定=自責、他者否定=他責・他者攻撃・他者負担、プライド)・毒でやられる・・・自己否定と他者否定により自

  • 中庸の一理から万事へ

    自分の心の万事の不善を、中庸と善(誠)とするまで、不善の苦しみは死ぬまで続くだろう。《中庸》負けることを否定しない(勝つことを期待しない)⇒否定して、どうでもいいと諦めない(逃避しない、逃げない)《誠、善》善く見る 見る工夫は∞にある

  • 理性の善(幸せ)のみであること

    理性の善(幸せ)のみであること□欲望の幸せは、もう手に入りません。 欲望により「無意識に」ただ生きるのは諦めましょう。「都合のよい客体」も「無く」、「特別な主体」も「無く」、「欲望の対象物(モノ)」も「無い状態(コト)」が当たり前の事実なので

  • 理性の善(幸せ)のみであること

    理性の善(幸せ)のみであること□欲望の幸せは、もう手に入りません。 欲望は諦めましょう。「都合のよい客体」も「無く」、「特別な主体」も「無く」、「欲望の対象物(モノ)」も「無い状態(コト)」が当たり前の事実なので、①(無いと確定した)モノ

  • 無と中庸、最高善

    《中庸》欲望(無意識:○○を求める本能)がある限り、欲望は、・現実に○○が有ることを期待(超過)して・現実に○○が無いことを否定(不足)して(思いどおりにならず)否定してしまうから、価値がないと思い、苦しむ。理性(意識)で《無(思いどおりの他

  • 理性の善(認識の善、貢献の善)

    無(客体の無と主体の無)と中庸(期待せず・否定せず)=苦を避け・苦を消す最高善(理性の善の肯定感)=幸となる理性の善認識の善(六根の善=善く見れる、善く聞ける、善く捉える、善く分かる)の肯定感・善く分かれば、こういうことだったんだと面白

  • 無と中庸の関係

    無(客体と主体の無)と中庸(無意識-欲望と意識-理性の期待-超過、否定-不足のバランス)の結びつけ「(無いから)期待しない」とは、《無意識が、○○が有ることを『期待した』としても、都合のいい『他者の運も自分の才能の運も無い』ので、○○は無いから、

  • 無意識の取り扱いについて

    無意識(欲望)のままだと※、「運に頼り」、思いどおりにいかないから「現実を否定する」こととなり、自己肯定感が低くなって、苦しむので、意識(理性)によって※、「自分にできる」「善いことをする」ことへ目的を修正して、与えた善さ(価値)により、自己肯定感を

  • 幸せになろうと思うと不幸になる理由

    幸せを目指すと不幸になるのは「周りとの比較」のせいではなかったー川勝康弘ーhttps://nazology.kusuguru.co.jp/archives/172392「読んだ感想」そもそも幸せには2種類あるという(古代ギリシャのソクラテスの時代から言われている)視点が欠けていると思う。

  • ヤフコメの評価について

    ヤフコメの評価は、自分の価値観にあう(共感した)、自分の価値観にあう新たな気づきがあった(なるほど)、自分の価値観にあわない(うーん)、のどれかという意味だ加えて、悲しいことに、自分の価値観が「自分と違う者を攻めたり、自分よりも弱い者(経済的弱者、立場

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