自分を(本能的に)特別な存在だと思うことは、特別では無いという現実(現実の無)と常に戦うことになる。そして、(失敗者は当然のごとく、成功者でも時間とともに必然に)いずれ心のエネルギーが尽きて、無の否定とその苦しみに囚われることになる。無の否定と苦
多くの親は、親の価値観(世間映え、学業成績といった一般受けする価値観=他者評価)を子供に押し付ける。親は、長年に渡ってメディアに他者評価を煽られた結果、他者評価が最も重要だと思い込み、さらにこの思い込みのリスクにも気づいていない(なぜメディアが他者評価
【目的】脳神経生理(生物学)と、他者課題・主体客体(哲学)と、苦集滅道(仏教)のハイブリッド幸福論~負➡無➡正の流れをどの切り口でも説明できるように~【前提】いくら哲学や仏教(の理論)を極めても、脳が生きている以上は、脳(の欲望を司る部分:脳髄
脳神経的な反応(足りないことを、苦痛によって手に入れる行動を取らせる反応)は、仕方がないこと(足りないままだと生存に不利だから、淘汰されやすいから、苦痛のムチを与えて、強制的(本能的)に手に入れようとさせる→生きていると常に煩悩の苦しみが生まれる→一切皆
《自己肯定感をマイナス(不幸)からゼロ(平穏)とし、ゼロ(退屈)からプラス(幸福)にする抽象的考察》□不幸(マイナス)の苦痛の回避不幸(自己肯定感のマイナス)の回避のために、①他者評価を求めないこと(☆自分の機嫌を他者に取ってもらおうとしない)
□利他と自己肯定感(共同体感覚)・他者に対して、価値(善性と新規性)を与えることで、与えた分だけ役に立った(善性)ことに、新たに気づくこと(新規性)が得られる→利他の貢献により自己肯定感を上げることができる(ただし自己充足が先にあることが前提であるし
ウメハラ動画「何者にもなれない自分」に苦しむ場合の対処https://youtu.be/r4YJg9K1dxg?si=6G-exYQTfe4D9fa7所感を言語化ついでに箇条書きしたもの↓①他者評価(何者かになること、お金地位名誉、注目や承認)には、卓越性(うまくやれること)と運(世間体
□話の始まり(キーフレーズ)不幸(いきづらさ、苦しみ)の回避と、幸せになるには・自分の機嫌を自分で取れるようになることが大事→自分で、自己肯定感をプラスにして、自己肯定感のプラスを高める□ケーススタディ(形而下学)・7本指のピアニスト(米国在
問があれば、問の言語化のステップがいらないから、回答の言語化だけで済む問がなければ、問の言語化(論点の整理、場を創ること、お話の導入、土俵作り)からやらないと行けないので、より難しい
<幸せー自己肯定感ープラス(善性と新規性)-継続性(と卓越性)-他者貢献-運動の関係性>
□幸せとは自己肯定感がプラスであること(現在の自分には価値があると思っていること)□自己肯定感をマイナスにしない(②無・ゼロを見る) ⇒不幸を回避(無を見て、現状を否定せず、欲望の不満や不安の苦痛を回避)する ・欲望とは「自分以外のものから与えられる
自己肯定感とは、自分の中に内包された、プラス(価値)になるもの=・善性(役に立つ、ためになる)と・新規性の事象(気づき、知識と経験)であって、無意識から好きなこと=継続性によりプラスを増やすことで、善性と新規性が高まれば(人よりもプラスが卓越すれ
自己肯定感を高めるとしても、その根拠として、プラスとなるものが必要となる。・プラスとは、うまくいくため(役立つ:善)の新規性だ。・新規性とは、今までの自分が認識していなかったものだ。形而上学的(無形・概念):新しい気づき、新しい知識、新しい経験や
勝ちー感情的なプラス ーポイントを得る(構築)負けー感情的なマイナス(ー普通は現状維持だが)ーポイントを失う(破壊) ←これを受け入れられるか 負けてもいいや+ ポイントを失ってもいいや※負けると、(1)負けたという、感情的なマイ
自己肯定感(現状の自己を肯定すること、現状の自己は恵まれていて・運もあって・価値があると思う=幸福である)というのは、自分で高めるものであって(自分の機嫌を自分で取れるということ)であって、人に高めてもらうものではない。なぜかというと、人に高めてもら
欲望とは、厳しい自然環境の中で、他種を出しぬいて常に新しい生存策/適応策を見つけるために、・何らかの新しいことを行う必要があったことから、・苦痛をムチとすることで、(個体にとって成功しても失敗してでもいいから、ランダムな行動を)・強制的に行わせるよう
哲学とは、自分で自分の機嫌を取れる方法(自己肯定感を高める方法)を、本質を深掘りしつつ、考え(て知)ることで(無知の知を通じ、無明の不幸(知らないせいで自己肯定感が低いこと)から抜け出すことで)ある②ゼロを知る減点思考を捨てる:ゼロベースで現状を見
卓越性として、人を魅せて人にそうなりたい(真似してみたい、参考にしたい)と思わせること(目標)が、ソシャゲの場合は、・キャラの数や凸数であって、その卓越性を持つための手段が・課金することであって・人の工夫の要素(人強の要素)がほとんどないから、
〈好きなこととは何か:継続性の動機について〉②勝つこと(結果)が好きで、⇒卓越性がないから安定しない①試すこと、工夫すること(過程)はあまり(無意識レベルでの)好きではないのか?⇒だから継続性が続かない/勝つと満足して止めてしまう・思考凡百
<結果(卓越性:運があって優れていること)よりも先に、まずは過程(継続性:好きなこと)を求めるということ>・継続性(好きなこと)は過程であること、卓越性(優れていること)はその結果であること・①プラスを知る、②ゼロを見る~他者評価(お金、注目)とい
世の中はすべて一切皆苦(苦しみに満ちている)だよ。苦しみたくないなら、一切を無いものとして捉え、それでも有るものの有り難みに気づこう。これだけしかないと(減点思考で)苦しむよりも、これだけもあると(加点思考で)捉えた方が、苦しまないという点で優れ
《何者か=ネームドになるまでの道筋について》【ゴール】何者か(有名/ネームド)になること⬆他者評価される/承認欲⬆卓越性(②勝敗の結果)-ー運の壁(運が必須)-ー⬆継続性(①工夫の過程:理論と実践=知識の蓄積と技術の獲得)⬆好きであること/
それのことが好きで、ひとりになったら、・そればかり考えて・どうしてもやろうとするという(内側から込み上げる、執着する、SNSやYouTubeでその情報ばかり探している、次にこうしようと考えて工夫するという)継続性があって、その上で、適正という運が有れば(
承認欲求を満たしたければ・(好きなことの)継続性と・(ヒトが特別視する)個人的卓越性を身に着けるほかない逆に個人的劣等性(中老年、ダサさ、ウザさ、凡庸さ)があれば評価は下がり承認欲求は満たせないだろう平凡な人間では、普通の(絵に描いたような)
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自分を(本能的に)特別な存在だと思うことは、特別では無いという現実(現実の無)と常に戦うことになる。そして、(失敗者は当然のごとく、成功者でも時間とともに必然に)いずれ心のエネルギーが尽きて、無の否定とその苦しみに囚われることになる。無の否定と苦
日々のことに、何も無いなら、何も無いことが当たり前で中庸である。日々の行動は知るためだけにあって、知ることにしか価値と肯定はない。
イヌはボールをぶつけられると、ボールを敵と見做して吠える。ボールを自分にぶつけた者やぶつけた原因を見る=知ることはしない。これは、イヌだけでなく(それなりに知能があると思い込んでいるだけの)ヒトにも同じことが起こる。
皆が本能的に感じている否定の苦しみを放置したままにしておくと、自己否定の鬱や自暴自棄、他者否定の攻撃性(からの孤立や孤独)に繋がって、徐々に壊れてい(き、自己否定に起因する鬱病・アル中・薬物依存、他者否定に起因する誹謗中傷、暴言暴力や犯罪行為へエスカレー
他人を責めたり自分を責めたところで現状が変わるわけがないただ承認欲を求めているだけだ自分の内に善(価値)を生まなければ、自己肯定の変化(自己成長・自己変革)もない------否定も刺激であるし受容も刺激であるし肯定も刺激である否
自分は特別だと思うことが、認知の歪み(本当は特別ではないのに、そう思い込んでいる)の根源なんだよこの本能的な(承認欲求に起因する)歪みのせいで人間は苦しむようになっている(特別なはずの自分が、現実では特別扱いされないという承認欲の否定の苦しみ)この自己
究極的には、肯定感は、知性的卓越性(知の善)で得るしかないし、否定感は、倫理的卓越性(中庸)で消すしかない。ただし、否定も日々の行動のトリガーとしては必須。否定と苦しみがなければ、考えることもなく、動くこともしなくなり、受容のカタルシスも得られない
人生はいずれ無に帰すが、無を否定したとしても(無を否定したままにせず)、無を受け入れて、無から「何か」を生み出して肯定することだと思っている。身の回りに有る物や事が、この何か(誰かが残した善さ)から構成されている以上は、その分だけは意味があると捉える
前向きになるんじゃなくて、まずは無になるんだ何も無いのに前向きになれるはずがないだろう無理に前向きになろうとするから、(何も無いことに対して)後ろ向きになるんだよ~~~~~~~~~どうやって何も無いことを受け入れるかどうやって何も無いこ
『意識を仕直すこと』《無意識の否定に対して》①自己否定したとしても、否定したままにせず、②自己受容できること③そのうえで、自己肯定できること《無意識の期待/肯定の期待に対して》①承認欲の期待が生まれたとしても、他者運も無く、才能運も無いか
そうやって現実を否定する(のは仕方がないとしても、否定したままだ)から、自分は(自己否定で)苦しいし、他人も(他者否定で)苦しくて離れていく。人生が苦しいのは一切皆苦であるし、孤独になるのは因果応報/自業自得なんだ。
犯人の心理を5段階で解説(自己否定の苦しみを抱えている人は現在『非常に多い』ので、今後も事件は発生)する。①現実否定=自己否定で苦しい(生き苦しい)↓②他責思考=苦しいのは周囲や社会のせい↓③他者攻撃=人を攻めて気持ちよくなろうとする(承認欲/
No.0 詳細(無と中庸と善)No.1 全体(否定➡受容➡肯定)No.2 無知の知_知の探究_知の幸福No.3_意識の不連続_No.4_無意識の否定の仕組み_No.5_無の荒野
(自分向けの話)人間は、どんな立場にいても、その立場(現実)から見た欲望の理想(偏見)を欲するから、欲望による(現実の否定の)苦しみが消えることはない。➡自分向けは、否定をしない(否定/期待を煽らない) 平常・冷静さのため。どうでもいい(否定
人間関係のイメージを、(否定性/傾向が高いが)、否定せずに、仕方がないと、諦めて、受け入れよう。認識の否定のスイッチが、毒親の(子供の)否定のせいで、『高め』に設定されてしまっている(認識の歪み/すりこみ)。が、これも(脳神経的に)仕方がないことだ
採用される条件についてこの人となら一緒に働きたいかどうかがポイント=①欲望:他者否定(他責/自責)がないこと=②中庸:受容であること=③善性:善性(行動の善、感覚/知性の善)があることの3つの条件が、言動に揃っていること。いずれかの条件がな
無知の知、知の探究、知の幸福(PDF資料)~~~ー完全自己完結する自己肯定感(自由意志に準ずる肯定感)ー自分の内面/理性・知性の(形而上学的な)範囲において、(苦しみを消したうえで)最低限の(自己)肯定感を保つことを目指している。パワポ
無意識による(欲の)無の否定が消えないときは、どうするか(いつまでもクヨクヨと、起こったことの否定/自己否定/他者否定が続く場合)無を否定しても仕方がないから、否定しない(期待もしない)心の中庸(メソテース)無の荒野・与えられることは無い
欲のためにやるなら(欲のとおりにはならないので)必ず否定となる。(欲するもの/都合のいいもの/理想のものが、何も(与えられ)無いことを、否定しても仕方がないと・認識の否定を上書きして、受け入れること=心の中庸(メソテス)/受容(アクセプタンス)何
無の荒野を徹底しよう。無の荒野(自分にとって都合のいいものが与えられることは無い=欲の諦め=欲の否定の打ち消し)を徹底して初めて、目を凝らして(感覚を細部/ディティールまで研ぎ澄まして)、詳細を詰めていけば、小さな緑(善=肯定)を見つけることができる
言語化して意識するのはいいが、いざ活動するというときには、意識が中心的にならないようにせよ。言語化したからといって安心するな。動くときは無意識を起点にして動くのが良い。言語化して安心して、意識の浅い部分から体を動かせば、気持ちが入らず、ぎこちなく
人に競争心を持つな。人に上下関係を意識するな。その価値観は、成果主義、競争社会、お受験教育の弊害だ。自己を特別に秀でたものと見做す競争という価値観は、利己的であり、(死ぬまでずっと競争に勝ち続ける豪運がない限りは)必ずどこかで優秀な他者が現れて不幸
人があなたに対して何を考えているかではないし、あなたが人に対して何を比べたり、考えたり、言うかではない。それは利己であり、利己的な不満(欲望の自己肯定感を失うこと)と不快を生む。即ち不幸となる。あなたと人との人間関係でのやりとりは、基本的に欲望(
自分を特別だ(特別でありたい)と思うことは利己である。自分は特別ではないので、このような利己的な考え方だと不幸(特別でありたい理想と特別ではない現実とのギャップにより自己肯定感を失うこと)になってしまう。自分は特別ではなく、その他大勢と同じく人類の対等な
ポイントを失わないという理想を諦めることポイントを失うという現実を当たり前だと受けいれること。負けないという理想を諦めて負けることもあるという現実を当たり前だと受け入れること眠れたという理想を諦めて眠れなかったという現実を当たり前だと受け入
人生がうまくいかない人の特徴とは、人生がうまくいかないことに不満を持っている人のことです。この不満は、外に向ける(他責)か内に向ける(自責)かしかないので、どちらにせよ不幸(他責の孤独か自責の抑うつ)になってしまうでしょう。即ち、その不満を、他
質問:自暴自棄型の“ローンオフェンダー”にならないためにはどうしたらいいですか?中野市4人殺害事件回答:自己肯定感を失わなければ厳しい環境でも何とかなるでしょう。自己肯定感を失えば、誰でもこの犯人のように(自分には価値がないと思って自暴
勝ち負けではなく(利己、獲得、批判、攻撃、他責、上下関係)練度を上げること(利他、貢献、理解、優しさ、自責、対等)をプレーの目的とすること。これで運悪く負けることでのイライラはなくなる。勝ち負けにこだわらないとは、・味方運が良く負けることが
《対応の前提》・うるさい人を不快だからといって黙らせられるかどうか(相手が謝罪して黙る選択や判断をするか否かは)他者課題であること→自分ではコントロールできないことだと知ろう。・相手がわざとかうっかり(無自覚)かは分からないこと→わざとでもうっかりで
戦争はなくならない。戦争とは、増えすぎてリソースが枯渇した人類が、生き残るために互いのリソースを奪い人減らし(殺しあい)をする仕組みだからだ。人口増によるリソースの枯渇に対する人口調整の仕組みとして、人類に自然に備わる「人口増加と人口調整のシステム」
身近な他者を責めたり、他者の悪口を言ったり、他者にマウントをとらないことだ。身近な他者との人間関係を上下関係だと勘違いしないことだ。人間関係とは対等だ。役割が違うだけだ。これらは欲望(承認欲求)による利己的な行動だ。利己では幸せ(自分には価値があ
不快なこと(自己肯定感が下がるようなこと)があったら、次のことを思いだそう。不快なことがない理想は諦めるしかなく(不快な環境が変わることを一時的に待つのでもよい)、不快なことがある現実を当たり前だと受け入れるほかないということ。(不快の諦めや受け
メンヘラは、かまってちゃんとなって、相手に圧をかけることで(相手に対してメンヘラへの拘束を要求し、相手から期待どおりの承認を得ようとコントロールしようとして)、主導権を握ろうとしている。相手は、主導権を奪われることで(精神的にも時間的にも拘束されるこ
【大前提】これらの不快な提灯記事があることについては、不快なものがない理想を諦めて、不快なものがある現実を当たり前だと受け入れるほかないのだ。不快な誰かを責め立てたり、不快な何かを攻めても仕方がない(利己や欲望が満たされることはない)。自己肯定感を得るに
アンガーコントロールとは、・利己(欲望)を満たすという理想(利己的な理想)を諦めて、・利己(欲望)を満たせないという現実(利己的な現実)を、そのまま受け入れることだ。そのようにして心の平穏に至るのがシンプルなやり方である。怒りや焦りという感情の高
自分が不快を感じたら、何でもハラスメントと言う世の中だ。自分が辛さを感じたら、何でも病気(自己を否定しすぎない程度の軽めの精神疾患)と言う世の中だ。自分の不快感の原因や自分の抱える辛さの源が、実は当の自分にあることに気づけない人が多く存在している
無意識の深いところにある記憶を使って動かないと、うまく体を動かせない。意識の浅い部分を使うのでは、練度が浅く、うまくいかないゲームも、ピアノも、仕事も、歌も、無意識で動けてからが本番だ。そこからようやく意識がハンドル操作に専念できる。無意識で
お金の量については、お金の量が多い方が(それだけ恵まれているので運が)良いことである。ただし、お金の量が多いとか少ないとかを(他人と比較して考えるように)幸福感に結びつけない方がよい。お金の使い方については、価値が、自分の内に向いているなら利己的
利己は欲望利他は理性利己は性悪説利他は性善説人間は、利己と利他の二面性の矛盾を持つ存在だ利己は自分(主体)を上におき利他は他者(客体)を上におく利己は内側へ向くベクトルを持ち利他は外側へ向くベクトルを持つ利己は縮小的で利他は拡
人のことを、気持ち悪い、臭い、顔が醜い、頭がおかしいなどと悪く言って、それを聞いた周りの人間に不快感を与えるような人に、誰が親しくなろうと思うのか。人を傷つけたり攻撃する言葉を口にするような、不快感を感じる人と、わざわざ同じ空間にいようとは思わないの